<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



夏の甲子園が終了すると「夏も終わりやな」と感じるようになったのはいつの頃なのであろうか。

1978年8月。
高校1年生だった私は中学3年生の時の仲間7人と一緒に3泊4日の海水浴にでかけた。
訪れたのは淡路島。
それも鳴門海峡に面した福良のユースホステルであった。
往路は大阪堺市から明石を経由してフェリーで対岸の岩屋へ渡り、そこから路線バスで数時間をかけて目的地に到着した。
旅の内容を述べるのは別の機会として、帰りは洲本から大阪の深日港行きの大阪湾フェリーを利用した。
今は明石のフェリーも大阪湾フェリーも無くなって乗ることはできない。
当時は橋がなかったので今になってみると幻の経路なのだ。

深日港で船を降りて南海電車に乗り換えて堺駅に到着。
すぐに解散せずに何故か書店へ入って本を物色していた。
いや、もしかすると書店は深日の駅前で入ったのかもしれない。
40年前の出来事なので記憶が定かではないのだが、覚えているのは書店に入ったことと、そこで立ち読みをしたことだ。
しかも立ち読みにまったく集中することができなかった。
もしかすると書店に入ること自体、立ち読みが目的ではなかったのかもしれない。
なぜなら、書店内では甲子園のラジオ中継が流されていたからだ。
しかも決勝戦。
スピーカーからはPL学園対高知商業の決死の戦いが伝えられてきていたのだった。
確かものすごい展開していて、その熱戦を制したのがこの大会で最終回、逆転で初優勝となったPL学園なのであった。

ここまでの大会では私のふるさとである大阪の甲子園代表といえば大鉄、浪商、近大附属そしてPL学園が常連校。
しかし大会で優勝した大阪の学校はなかった。
中でもPL学園は何度も惜しいところまで勝ち進んでいたのだが優勝には至らなかった。
そのPL学園がもしかすると初優勝するかもしれない。
その瞬間を我々同世代の高校生はかたずを飲んで見守っていた。
それも立ち読みをしているフリをしながら見守っていたのだ。

歴史的逆転劇はこうして私達の記憶に焼き付けられた。

昨日の第100回大会の決勝戦。
秋田県立金足農業高等学校を応援する人々、とりわけ秋田県民と秋田県に縁のある人々は1978年の我々のような気分で試合を見守っていたのに違いない。
いや、大阪人である私ですら大阪桐蔭に対する秋田県代表を大いに応援していただけに、きっとほとんどの日本人が金足農業高等学校を応援していたのに違いないのだ。

結果的には残念にも超強豪の大阪桐蔭に大差で破れてしまった。
1978年8月20日のPL学園のようにはいかなかった。
それでも公立高校の、それも東北の秋田の代表が決勝戦まで勝ち残って強豪チームと戦った姿は多くの人に強い感銘と勇気を与えたことだろう。

大阪人も心から応援した秋田県立金足農業高等学校。
決勝戦まで高校野球の面白さと醍醐味を感じさせてくれたのは準優勝の彼らなのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




またスポーツ関連の事件だ。
今度はバスケットボール。

日本代表のうち4人が会場のあるインドネシアのジャカルタで「よからぬ夜遊びをした」ということで大騒ぎになっている。
帰国命令が出て帰ってきた4人には記者会見が待ち受けているという念の入れようだ。
でも、これってなんか行き過ぎな感じがするがどうなのか。
で、その記者会見を見て嗤った(今回の場合は笑ったともいう)人がいたら手を挙げるように。

「はーい!」

とうことで、ことそれ左様に20代の独身の若者が羽目を外して叱られることは何も珍しい子ではない。
そういうことを大きなニュースにして吊し上げをする方に病的なものを感じるのは私だけなのだろうか。
記者会見を見ているとツッコミどころ満載だ。

「売春行為をしたんですか?」

と会見上で質問している記者諸君。
私はあなた方に質問したい。

「で、あなたがたは無いんですか?」

と。

この四人が非難される部分は日本代表のユニフォームで出かけていたことだ。
それは相当に無知というかアホというかどうしようもないマヌケ加減なのだ。
しかも大会真っ最中で酒を飲むのは目をつむるとして、精力をこういうところで消費しては試合に勝てないのではないかと大いに心配するのであった。
それにビョーキになったらどうするのだ。
むしろソッチのほうを心配してしまう。

この「粗探し」のようなマスメディアの対応は相手によっても変わってくるので見ていて不愉快にもなってくる。

以前、水泳の金メダリスト北島康介がAV女優と一夜をともにした、なんてスキャンダルが報道されたが、そっちのほうは「自由恋愛」なのかお咎め無し。
私としては世界的に有名な水泳選手がそういう遊びをしているほうが問題なんじゃないかとおもうこともある。
またユーチューブで昔のテレビを見ていると人気芸人さんが「川崎に遊びに行った」と「銀座よりも吉原」なんてことを平気で言っているのに、これもお咎め無し。
時代かもしれないが、なんでこうも違うのか。

今回4人を歓楽街で見っけたのは某新聞記者であったという。
もしかするあのA新聞なのか、これは大いにチェックすべきだ。
A新聞は過去に単なる売春婦を慰安婦と虚偽の記事を捏造して国家ごと恥を欠かせた前科がある。
それだけに最大限に注意を払う必要がある。

それにしても今の日本はどうなっているのか。
こんな事件、事件にもならない単なるお叱りごと。
ボクシングやアメフトの不祥事とは種類が違う。
綺麗事ばかり言ってどうするんだ。
このままでは2020年の東京オリンピックでは街は品行方正、清廉潔白、飲む打つ買うはありえない。
おそらく新宿区役所通りや歌舞伎町、吉原はもちろん錦糸町、五反田、池袋などは閑散とするのであろう。
と、ここまで書いて、

「するわけないやろ!」

とツッコみたくなる種類のニュースなのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スターバックスのストロー廃止宣言以来、各外食大手がプラスチック製のストローの使用を取りやめることを告知。
この背景にはやがて海洋を漂うプラスチックごみの量が魚の量を質量ベースで超えてしまうからということらしいが、これってストローをやめるだけで解決する問題ではない。
ストローはその象徴にすぎない。

夏。
海岸を歩いていると、最も目立つゴミがペットボトルなどのプラスチックごみ。
夏じゃなくてもゴミは存在するので、冬でも綺麗な浜辺でこういうゴミを見つけると一気に気分が害される。
さらにそこにハングル語や簡体文字が記載されていると、

「日本は島国です」

などという地理的優位性にも疑問符が灯る。

プラスチック資源が問題になり始めたのは今回が初めてではない。
スーパーのゴミ袋の必要論は最近の話題でもあるし、注射器やアンプル類の医療ゴミが問題になったのはもう随分と以前のことだ。

こう考えると昔の「便利ではない時代」のほうが環境に配慮していたことがよく分かる。
江戸時代の容器は容器自体に価値があったために竹筒にしろ弁当箱にしろ桶にしろ使い捨てのものはほとんどない。
握り飯を包む竹皮でさえリサイクルしたと思われる、もったいないが当たり前の時代だった。

会津若松市の野口英雄記念館を訪れたときに会津地方の人々がいに物を大切にしていたのかというものを見ることができた。
それは衣類のリサイクルで新調された着物はボロになるまで着続けられることはもちろんのこと、着物として使用できなくなってからも繊維玉になる布であったことがわからなくなるまで実用に供される。
その着物から繊維の玉になるまでの工程が展示されており、少なからず衝撃を受けたものであった。

江戸時代や明治時代だけではなく、私が生まれ育った1960年代でも使い捨ての文化はそれなりに限られた分野だったように記憶する。
ジュースやビール、牛乳、醤油、サラダ油、マヨネーズはガラス瓶が圧倒的に多かった。
マヨネーズはスプーンで掬って使っていたと思う。
買い物はスーパーマーケットは珍しかったので買い物かごを提げて市場へでかけた。
市場の梱包材は古新聞であり紙袋だった。
ビニール袋なんてものはなかなか使わられなかったように思う。

玉子も紙製のパック材。
パンも小袋に入れて売られているのではなく、陳列ケースに並んでいるものを店の人に取ってもらって、それを油紙でできた紙袋に入れてもらっていた。
本や雑誌を買っても紙袋。
アイスキャンディーも箱に入っているものがあったように記憶している。

プラスチック容器と違ってこれらの容器は再利用できるし、本当に捨ててしまうことがなかなかない。
紙はリサイクル。
ガラス瓶は洗浄して再利用、あるいは溶かして作り変え。
捨てないのだ。
ただし「回収」という業務がついてまわるので、これが「面倒くさい」。
プラスチック容器は捨ててしまえば良いので便利で受け入れられ易かったのだ。

コンビニで買い物をするとあらゆるものが定価で売られている。
350ミリリットルのノンアルビールが1缶137円。
これをスーパーマーケットで買えば98円。
49円の価格差は「便利代」。
便利にはコストとリスクが付いてくる代表例だ。

プラスチック容器やストローはそういう49円。
ちょっと手をかけて使うのを止めたら得をすることを実はスタバは知っていたのかもわからない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夏の高校野球が記念すべき100回を迎えて今大会は毎日試合開始時に「レジェンド」な元選手が登場して始球式を行っている。

初日の松井秀喜から始まり、昨日の定岡にはかなり驚きを得た。
髪の毛は真っ白。
まだ60歳ぐらいなのでお爺さんみたいな風貌にはいささかショックを受けたのであった。

これから登場する私が見たいレジェント選手は11日の水野、16日の板東英二といったところだ。
板東英二が真面目にボールを投げるのを見るのは久しぶりなので、投げる瞬間はみんなで「ビンゴ〜、シュ〜ト〜〜〜!」といって欲しいくらいだ。
もっともこのネタは関西地方の私以上の年代のものにしかわからないネタではある。

でも最も見たくて見られないのは20日の桑田で、正直に申し上げて「桑田が出るののら清原も」というのが私のわがままな願いなのだ。

PL学園の桑田清原で大いに盛り上がったその時。
私は大学生から社会人に変わる頃で、2人の活躍をテレビで見ながら「すごいな〜」と思っていたのは昨日のことのように思い出す。
同時に就職活動に苦しんだことや、社会デビューにいささか躓いたことや、阪神タイガースが優勝したり日航機が墜落したり、あるSF番組のコンベンションをやったりということが思い出され、今よりもさらに未熟者であったあの頃にぐい〜〜〜んと記憶が飛ぶのだ。

2人のプロデビューはかなりの問題はあったものの、それでも時代を代表する野球選手であったわけで、その特別度はもしかすると松井秀樹はおろかイチローなども足元に及ばないほどの時代のランドマークでもある。

覚せい剤というとんでもないものに手を出してしまった清原ではあるが、脱税というこれまたとんでもないものに手を染めていた板東英二が登場するのであれば、やはり清原の登場も認めて欲しいというのは、わがままだとは思いながら、レジェンドを語るのであれば彼が出ない甲子園レジェンドはありえないような気がしてならないのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )