神戸市立博物館で5月30日まで開催中の「トリノ・エジプト展」を訪れてきた。
結果から言って「エジプト文明は凄い!」ということと「なかなか訪れることのできないエジプトが向こうから来てくれた!」という感動がある。
それに何よりも「そこそこレベルの混雑で待ち時間無し」が私を感動させてくれたのであった。
数カ月前に私は家族と共に京都市立美術館で開催されていたルーブル美術館展に出かけた。
無謀にもマイカーで出かけたのであった。
この時、まず岡崎公園の駐車場に入るのに30分強も待たされた上、美術館に入館するため2時間も行列を作って待たされたのだ。
この意味は大きい。
平日は定額料金の岡崎公園の市営駐車場も土日は時間課金制で時間が経過するに従ってタクシーメーターよろしく駐車料金が上がっていく。
美術館に入館する前から課金され続け、非常に非リーズナブルな駐車場で金を浪費したのであった。
この経験を考慮して私は人気があるだろうと思われる「エジプト展」は朝一番、行列を作ってもすぐに入館できるよう心して出かけたのであった。
そのかい合って駐車しようと目星をつけていた博物館隣のLLビーンに隣接する駐車場はガラガラ。
博物館前の列も、わずか10mほどなのであった。
ちなみに私の娘はLLビーンのことを「ヨレヨレビーン」と呼ぶ。
これは私がLLビーンを愛用していることにかこつけての嫌がらせである。
今回も駐車してLLビーン前を通る時に「あ、ヨレヨレビーン」とデカイ声を叫び、私に恥をかかせてくれたのであった。
恥、といえば開館するまでの10分少し、娘は不意に私に質問をして来たのだ。
「トリノって何処?」
迂闊にも私は「トリノ・エジプト展」の「エジプト」に気を取られてしまっており、トリノがどこなのか思い出せなかった。
いや、思い出したのだが、そこは米国オハイオ州のトリノであって、エジプトもんのコレクションを持っているトリノではない。
ちなみに展示中に説明文にあったメンフィスというエジプトの街を読んで米国テキサス州メンフィスしか思い浮かばなかった私はC&Wオタクではない。
で、日頃「地理ぐらいちゃんと勉強しなさい。愛媛県の県庁所在地はどこ?」などと説教ぶっている私が知らないのは洒落にならない。
そこで、
「たぶん、エジプトのどこかだと思う」
と答えておいた。
当然といえば当然ながら間違いはすぐにバレた。
入り口の挨拶文に記載されていた「イタリア・トリノ」という文字を見て、「イタリアやん」と突っ込まれたのだった。
「トリノ」はオハイオ州トリノではなく、イタリアのトリノ。あのオリンピックを開催したトリノだったのだ。
なお「愛媛県の県庁所在地は?」の問に対する我が娘の答えは「ん~~~~~、愛媛市?」なのであった。
さらに「愛知県の県庁所在地は?」の問は、読者諸氏の期待通り「ん~~~~~~、愛知市?」なのであった。
「あほ、名古屋じゃ」「な~ご~や~。……、そうそう、名古屋や。名古屋やと思ったけど黙っててん。」
なんじゃそれは。
肝心の展示はというと度肝を抜かれる美しさなのであった。
3000年も前に作られた彫像や棺桶、石碑がまるで最近彫り込まれ、描かれたように精密で繊細で高技術で見とれてしまうこと暫しだった。
まさか土産物を掴まされて展示しているのではないだろう。
それでは「開運!なんでも鑑定団」でずっこけるマヌケな依頼者ではないか。
この土産物ではないか、と思えるほど完全な「古代の創作物」が並べられているその光景は、まさに憧れのエジプトなのであった。
なんといっても「箒」でさえ出土物に関わらず美しいと感じさせるものを持っていた。
箒の刷毛を縛るその編み方は繊細ですらある。
家の近所のDIYで1本198円で売られている中国製の竹箒など話にならない。
私はこういう考古関係の展示会で最も好きなものは「生活臭のある」展示会だ。
古代のことなのに、現代のように人々の息遣いが感じられる、そういう展示会が大好きだ。
これまでは京都国立博物館で開催された平城京展が最も「生活臭」を感じさせる展示会だったが、今回のエジプト展もそういう生活臭を平城京展ほどではないものの、感じさせる素晴らしい展示会であった。
神戸の街で体験できる格安、そして良質のエジプト旅行なのであった。
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