<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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吉本新喜劇の人気俳優・チャーリー浜が亡くなったというニュースは昭和40年代から50年代に小学生、中学生だった私のような世代の関西人にはそれなりにショックだったに違いない、
というものあの大好きだった吉本新喜劇が遠い記憶の彼方に去ってしまうようでとっても寂しく感じられるからだ。
つい昨年末にチャーリー浜と同じ頃に活躍していた船場太郎が亡くなっている。
もはや私ら世代が親しんだ吉本喜劇役者で現役の人はほとんどいない。

岡八郎(2005年没)
花紀京(2015年没)
原哲男(2013年没)
中山美保(2017年没)
山田スミ子(2019年没)
木村進(2019年没)
などなどなど。

土曜日の午後。
学校から帰宅してテレビを点ける。
しばらくすると吉本新喜劇が始まって毎回同じネタなのに笑っていた。
それがなんとも平和で楽しく、その時覚えたギャグを覚えて学校で使った。
チャーリー浜こと浜裕二の、
「ごめんくさい」
は利用しやすいギャグのひとつ。
船場太郎の「せん、ばたろうです」とか「クエ〜」は今は彼方。
岡八郎の「くっさ~」は真似するにはかなり難しく、花紀京は定番ギャグがない真似できない凄い面白さがあったものだ。

懐かしの吉本新喜劇。
当たり前だが生で見ることのできない寂しさは結構大きい。


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文化の日を前に文化功労賞が発表され、その中に西川きよしがいることに「?」が灯った。

なんで?
と思っている上方芸能ファンは少なくないはず。
なぜならこの人、もう何十年も漫才をやっておらず、かといって文化にどう貢献したのかよくわからないからだ。

漫才の才能というところでいくと相方だった故横山やすしの方が圧倒的に影響力が大きいと思う。
受賞した当人がそれなりに話している通り、これはもしかすると横山やすしに授与されたものかもしれない。
本人がいないので代わりに相方に与えられたのではないか。
そう思うと納得するものがあるが、どうも政治的な匂いがするのがいただけない。

たまにラジオに出演しているのを聴くことがあるけれども理屈っぽくてちっとも面白くないのだ。
長らく議員を務めていた関係かもしれないが、それだけに笑えるような話はまったくなく芸人としての生命はすでに21世紀を待たずして終わっているように思う。

文化功労賞はそういう過去の人に与えられるものなのかと思うと、今度は寂しさを感じてしまい祝う気になれないものもある。
なんなんだ、これは。




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「ジュンで〜す」
「長作で〜す」
「三波春夫でございます」

の三波春夫ことレツゴー正児が亡くなった。
享年80歳。
すでに他の二人は他界しているので、これでレツゴー三匹のメンバー全員があちらへ行ってしまったということになる。

それにしても昨日、あの面白くもない爆笑問題・太田光のニュース記事から超面白かった人生幸朗 生恵幸子を思い出していたところに、これも非常に楽しく面白かったレツゴー三匹の最後の一人が亡くなったニュースが出てくると、もう寂しいことこの上ないものがある。

Youtubeの方がテレビよりも面白いのはこっちもそれなりの年齢になってしまっている証拠なのかもしれない。


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爆笑問題の太田光が出廷して新潮社が報じた日大裏口入学疑惑に対する名誉毀損について「事実無根」と主張したそうな。
まあ、日大芸術学部というとこの人に限らずなんかと噂があったりするので気にする必要なし。
新潮社もつまらない記事を書いたもんだと思わないこともないが、大田本人もお笑い芸人の端くれならば日頃ネタにしている時事問題と同じように笑いで返せば良いものをと思うのだが........無理か。

ところで、このつまらない記事を読んで時事漫才で思い出したのが「人生幸朗・生恵幸子」のコンビ。
時事漫才の金字塔。
一般にはボヤキ漫才と呼ばれている。
少なくとも関西人の40代以上のほとんどはそう確信しているに違いない。

今でも時々嫌なことがあったらYoutubeでお笑い動画を見て心の回復を図ることにしている。
とりわけ好んで見るのが「いとしこいし」「チャンバラトリオ」「宮川左近ショー」などなのだが、もちろん「人生幸朗 生恵幸子」も定番中の定番だ。
このコンビのネタは有名でいつも一緒と言っても過言ではない。
「かもめはかもめ、あたりまえやないかい!」
とか、
「探しものはなんですか、ってほっとけ!」
とか、色々なネタがあるものの、大体はお客も知っているネタなのだが、これが何度聞いても笑ってしまうバカバカしさがあるのだ。

時事を扱うということは笑えないネタも当然あるわけで、それを笑わす二人の雰囲気は絶妙で人間国宝並であったことは間違いない。

爆笑問題の笑えないニュースを見るにつけ、このような芸人を記事に取り上げるその責任者に是非、お目にかかりたいと思ったのは私だけではあるまい。


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突然大学時代の友人から、
「なんばグランド花月のチケットが入ったんですけど一緒に行きませんか?」
とのメッセージが入った。

なんばグランド花月というと大阪のお笑いのメッカ。
よしもと興行の本拠地だ。

ここでは先週、「舶来寄席」というスペシャル興行が開催中で夜の部は海外からのマジシャンやサーカスなどの芸人さんが6組登場して吉本新喜劇のメンバーらと大いに盛り上がるという企画を公演中なのであった。

実は花月に行ったのは20年以上ぶりで、前回はグランド花月はまだできておらず、古いなんば花月の劇場でサブロー・シローの漫才を見て以来なのであった。

で、驚くことにその友人に舶来寄席に誘われたあくる日に、得意先の部長から、

「花月行きません。実はチケットが余っていて」

とのオファーを貰ったのだ。
数十年ぶりのなんば花月がなんと2日連続となり驚くやら感激するやら。
部長からのお誘いは夜の部の舶来寄席ではなく、昼の部の漫才+よしもと新喜劇なのであった。

落語はよく聞きに行くが生の漫才は久しぶりであった。
出演者は、

キングコング
銀シャリ
月亭方正
まるむし商店
ザ・ぼんち
大助花子
オール巨人阪神

なのであった。

久しくテレビも見ていないので最初の二組、キングコング、銀シャリは全く知らない若手漫才師だった。
全く知らないので、まったく面白くないかといえば反対で、二組ともに実に面白く、伝統的なしゃべくり漫才だった。
しかもいっとき島田紳助あたりから始まった他人を中傷して笑いを取るというスタンスは微塵もなく、滑稽さでしっかりと笑いを取る不快感の無いしゃべくりで大いに満足した。
とりわけ銀シャリの二人はネタも洗練されていて今後に期待ができるのではないかと思って、帰宅後に娘に話すと、
「銀シャリはめちゃ面白いんや」
と変な自慢をされてしまった。
もしかすると娘は漫才ファンなのかもしれない。

月亭方正も落語家になってから芸が洗練されてきていて、過去のダウンタウンの番組で見せていた痛々しさはなく、米朝一門の名前に恥じない落語になりつつあり見ているこっちも満足。
まるむし商店のしりとり芸、ザ・ぼんちの狂気とも言えるわけのわかならなさ、大助花子の夫婦漫才に魅了されたのだった。

でも、圧巻はなんといってもオール巨人阪神の二人だった。

もともと巨人阪神の漫才は若いときから名人芸で同じネタを何度見ても笑える漫才なのだが、久々に見た生の芸は名人を超えて私は話芸のアートだと思った。
客の笑いの間のとり方。
雰囲気を敏感に感じ取って即座に応答する掛け合い。
客席と一体になって構成される笑いの空間はもはや他者を寄せ付けない楽しい凄みを感じさせるものがあった。

「もう、アートですね」

と言ったのは私を誘ってくれた部長なのであった。

ゴルフで交流すのもいい。
飲んで意気投合するのもビジネスだ。
でもお笑いで、しかもオール阪神・巨人の漫才アートで楽しさと笑いを共有することはビジネスの最高の交流方法なんじゃないかと強烈に感じたなんばグランド花月の漫才三昧なのであった。

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漫才というのは見かけによらず難しい芸。
関西人なら二人揃えば漫才さ、なんていうのはあくまでも冗談でそんなに簡単な話芸ではない。
だから喋り上手いからと言ってすぐに漫才師になれるわけではないし、二人揃ってボケとツッコミができているからと言って漫才かといえばそうとも言えない。

漫才には独特のテンポと雰囲気。
そして稽古され尽くした「芸」としての成熟度と嫌味を感じさせない「知」が要求されるものだ、と私は堅苦しくかんがえるとそうなんだと思っているのだ。

最近の若手の漫才師の芸を見ていて時々こっちが恥ずかしくなってくることがある。
ギャグが滑っているのに本人たちは気づかない。
得てして雰囲気もできていないし、芸も熟れておらず、ひねり出そうとする知が痛々しい。
笑っているのは漫才師と同世代の女の子たちで、アイドルを追っかけるようにお気に入りの漫才師の追っかけているのだろうか。
だから面白くなかっても面白く感じて笑うから、やっている方も自分たちの芸が面白いと勘違いするのかもしれない。

こういう芸人だと賞味期限が非常に短くあっとい間にテレビの消費財として使用され芸が磨かれることもなく消えていくのだ。
安心して楽しむことのできるキャリアのある芸人さんが少なくなった。

レツゴー三匹の長作が亡くなったというニュースを聴いて、
「またまた上手い漫才師がいなくなった」
と寂しく思った関西人は少なくないはず。
私もそういう一人なのだ。
レツゴー三匹は「じゅんでーす、長作です、三波春夫でございます」の出だしで有名だが、この出だしのネタでさえ毎回聴いては笑っていたものだ。
しゃべくりあり、コントあり、歌ありの漫才はテンポよく、雰囲気も抜群で大いに楽しんだものなのであった。
数年前に「じゅんでーす」のじゅんが亡くなり、「三波春夫でございます」のリーダー正児が認知症になったと伝えられ、今回の長作が亡くなったというニュースでレツゴー三匹が完全に歴史の存在になってしまったことは寂しい限りだ。

考えてみればベテラン漫才はネタが同じでも大いに楽しめた。
夢路いとし・喜味こいし、人生幸朗・生恵幸子、横山ホットブラザーズ、やすし・きよし、ラッパ久丸、ダイマル・ラケット、漫画トリオなどなど。
レツゴー三匹はこういう芸人さんたちの一組であったことは間違いない。

面白かったレツゴー三匹。
上方の芸能史にそのピリオドが打たれてしまった。

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吉本新喜劇の島木譲二が亡くなった。
享年72歳。

確か岡八郎や花紀京が新喜劇を去った後の世代で吉本新喜劇に登場した芸人さんで、持ちネタはアルミの灰皿を頭でポコポコ叩く「ポコポコヘッド」に、往年の力道山のような格好で平手で自分の体をぱちぱち叩く「パチパチパンチ」の2つだった。
正直なところ、私はこれらのネタをちっともオモシロイと思ったことがなかった。
なかったどころか、吉本新喜劇をテレビで観ていて島木譲二が出てきたら、
「あ〜〜〜、またあのネタすんるんかいな〜〜〜」
と思ってチャンネルを変えたぐらい、お気に入りではなかったのだ。
さらにさらに正直に言うと、子供の頃から岡八郎や花紀京、船場太郎や山田スミ子で親しんできた吉本新喜劇をあまり観なくなるきっかけになった芸人さんでもある。

島木譲二といえば、私のお気に入りはマイケル・ダグラスと高倉健、松田優作が主演した映画「ブラック・レイン」に登場したヤクザ役であった。
もともと体型といい顔付といいヤクザにピッタリで、しかも印象の強い表情をしており、
「なかなかいいやん」
と思ったのだった。
そのまま俳優になり、渡辺謙や工藤夕貴のようにハリウッドに挑戦していたら別の道もあったのかもしれないが、そのまま吉本新喜劇の芸人さんであり続けた。

島木譲二その人が気に入らないというのではなく、あのいつものネタに辟易としていたのが正直なところで、大阪で放送される朝のローカル情報バラエティ番組などでみかけると普通に楽しい芸人さんでもあった。

結果として妙に印象に残った芸人さん。
島木譲二。
また一つ、ある意味親しんできた大阪の芸人さんが逝ってしまった。

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大橋巨泉が亡くなった。
なぜかショックが大きい。

ほんの数日前に永六輔死去のニュースが流れ、先週末のテレビ情報番組では永六輔の残してきたテレビ界の偉業についてあれこれ報道されていた。
私は永六輔といえばNHKのバラエティ番組「テレビファソラシド」が最も記憶に残っているような案配でそれより昔も、それより後も龍角散のコマーシャル以外は印象がそれほど強くない。
ところがこれが大橋巨泉となるとそうはいかない。

子供の頃に見た「巨泉前武のゲバゲバ90分」はもとより「クイズダービー」「世界まるごとハウマッチ」「巨泉の使えない英語」などバラエティ番組を思い出すだけではなく、「はっぱふみふみ」の万年筆のコマーシャルや「なんでも鑑定団」にゲスト出演して司会者よりも偉そうにしていた姿が」印象に残っている。
その各印象のひとつひとつ以上に印象に残っているのは「11PM」かも知れない。
それほど、大橋巨泉の印象は強烈だ。

その大橋巨泉が逝ってしまった。

「永六輔さんの訃報はあえて伝えませんでした」
奥さんのコメントが胸をつくだけではない。
もしあの世というものがホントにあって、そこに行った大橋巨泉が永六輔に出会ってしまうなんて、これほど凄いことはないように思ってしまう。

もしもあの世にテレビがあったなら。
そこから巨泉や前田武彦や永六輔が出会うバラエティをぜひとも中継してもらいたい。
そんな寂しい想像をしてしまうニュースなのであった。

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人気漫才コンビだった太平サブロー・シローのシローが亡くなったというニュースを聞いてビックリした。
享年55歳。
死んでしまうには若すぎると思ったのだ。

太平サブロー・シローの漫才を一度だけライブで聞いたことがある。
彼らが解散する数カ月前。
なんばグランド花月にたまたま誰かを見たいという目的もなく吉本のお笑いを見に行ったときに出演していたのだ。

当時、サブロー・シローは人気も絶頂期を少し過ぎたばかりで、まだまだエネジェネティックに活動していた時期だったと思うのだが、漫才はちっとも面白くなかった。
テレビとは全く違ったサブロー・シローの漫才が展開され、会場はクスクス程度にしか笑い声を上げることはなかった。
見ていてヤル気がないのがあからさまに分かるような漫才だったのだ。

まもなく吉本興業退社とコンビ解消が報道されて、ふたりともテレビのスクリーンから姿を消した。

漫才ブームの思い出の漫才コンビになった。

やがてサブローは吉本興業に侘びを入れて復活。
今は大阪のラジオ番組には頻繁に顔を出して、パーソナリティーとしての才能を発揮しているようだ。
一方シローの方は長い間、ラジオにもテレビにも出なかったので色々なことが噂され、「あの人は今」みたいなことになっていたのだ。

私は十年以上も前に紳助竜介の松本竜介を会社の同僚と行った大阪のキャバクラでウェイターとして働いている姿を目撃して強いショックを受けたことがあった。
あの人気漫才師も、キャバクラのウェイターをして糊口を凌いでいるのかと思うと、すっかり遊び気分は抜けてしまい、店を出るまで暗澹とした気持ちになっていた。

もしかすると太平シローも同じように、底辺の生活をしているのではないかと、他人ごとながら人気芸人さんの今を心配したのであった。

今回の訃報に接してニュースを読むと、太平シローは関西で放送作家として活躍していたということを知って、その笑いに対する才能は無駄にしていなかったと、すこしばかり安堵した。
担当していた番組は関西ローカルとはいえ人気番組で弟子も抱えていたようで、かつての相方サブローとは違った生き方を選んでいたようだ。

とは言っても、55歳とは若すぎる。
プロが笑いを熟成させ、芸から芸術に変えるのは60代以降と説もあるだけに、かなり残念なニュースなのであった。


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二枚目俳優の声優というと野沢那智、広川太一郎、城達也といったところか。

いずれの声優さんも亡くなってしまったが、未だにアランドロンやロバート・レッドフォード、ロバート・ワグナーの顔を見かけるとあの人たちの顔がよみがえってくる。

これとは反対に二枚目三枚目の声優さんというのがいて、たとえば内海堅二、熊倉一雄、古川登志夫というのがその代表声優さんだったというように思う。

滝口順平もそういう声優さんの一人で、決して二枚目俳優の声を当てることはなく、いつもちょっと間抜けで愛らしいキャラクターを演じるのがこの人の独特なまるっこい声の特長だった。
悟空の大冒険の八戒。
ヤッターマンのドクロベー。
そしてひょっこりひょうたん島のライオン。
などなど。

その滝口順平が亡くなった。
享年80歳。
昭和6年生まれ。
なんとわたしの父と同い年なのであった。

以前にも書いたけれども自分が子供の頃から耳にしてきた親しみのある声の持ち主が亡くなること。
これほど寂しいものはない。
それも自分の親と同世代の人がなくなると、感慨もひとしおである。

ということで、あの親しみのある丸っこい声のキャラクターやナレーションを聞けないと思うと、また寂しさが増してくるのであった。

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