<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地




出張でよく飛行機を利用する。
昔は長距離移動は鉄道の方が圧倒的に安かったのだが、今は逆転。
例えば私が利用する大阪〜東京間は新幹線だと14000円ほどかかるが飛行機なら利用する時間にも左右されるけれども12000円前後。
LCCを使うと6000円程度なので新幹線を利用する気持ちにはなかなかならない。
東南海地震も心配だし。
その点飛行機は所要時間はほぼ同じだけれども、実際に乗っている時間は新幹線に比べて半分ぐらいなのでかなり楽だし安心だ。

出張すると時間を目一杯使うので出発は始発便、帰りは最終便ということが少なくない。
体力の要る利用方法だが贅沢は言ってられないので無理を承知でそんなことばかりしている。
そこで困るのが空港の売店。
大阪を出発する時は利用している空港が関西空港ということもあり初発便でも売店やカフェなどは少しは営業しているのだが、問題は帰りの羽田空港。
最終便に乗ろうと夜8時半ごろに羽田に着くと売店は閉店作業中、カフェは閉まっていて頼りになるのは自販機だけという状態だ。
首都東京の空港がこういう状態であるのは非常によろしくない。
もしかすると関空と同様にほぼ深夜便が多少ある国際線ターミナルでは営業しているお店があるのかもしれないが、羽田の場合国際線ターミナルはバスか電車に乗って異動しなければならない距離にあり実用的ではない。

夏になると私は仕事の疲れを癒やすのにアイスクリームを食べたくなる。
よく買うのが浅草芋金の焼き芋アイスか仙台ずんだ茶寮のずんだアイスなのだが、これが8時をすぎると閉店していることが多く食べられない。
すこぶる残念である。

先週末の出張も空港に着いてみると空港の売店は閉店完了。

浅草仲見世じゃあるまいし個人商店じゃないんだからもう少し利用者の利便性に配慮してもいいんじゃないかと思う「空港の夜は早い」なのであった。



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「そうめんが食べたい」

と数週間前からカミさん。
よくよく調べてみるとラーメン屋、うどん屋、蕎麦屋というものは無数に存在するものの「素麺屋」というものはあまり聞いたことがない。
もしかすると「うどん屋」や「蕎麦屋」の夏季メニューとしては存在するのかもしれないが素麺専門店というのは存在しないのではないか。
すくなくもと私の地元周辺では「ぐるなび」や「食べログ」で検索しても素麺屋やそうめんが積極的メニューに採用されている店はなかった。

「家で作ったら」

と言ったら、

「誰かに作ってもらいたいの.......あなた作ってくれる」

となってしまった。
私は料理が全くできず、作れるのはチキンラーメン程度だ。
チキンラーメンができるのであればマルタイラーメンも作ることが可能だから、同じ乾麺である素麺はその応用と考えると作れないことはないと思うのだが、いかにせん面倒ください。
よって、

「そのうち奈良に行ったときに食べに行こうか」

と適当に答えておいたのだ。

その適当に答えていたことに応える必要が出てきた。
所要で奈良へ行くことになったからだ。
奈良というえば、かなりのパーセンテージでものの始まりが存在する。
最大のものは酒造り。
日本酒は奈良で作られ始め、それが各地に広がり現在に至っている。
考えてみれば当たり前で奈良は太古の昔は首都だったので、そこでいろんなことが始まってもいたって自然である。
酒について言えば、奈良の中南部に三輪明神大神神社があり、ここが酒の神様であることは酒飲みであれば知らないものはいない。
山の辺の道に接するこの三輪の地は素麺の産地でもあり、三輪そうめんといえば全国に名前の通っているメジャーな存在だ。

この日、私達は奈良市内に要件要件があったのだが、少し遠まりをして桜井市を周り三輪を訪れた。
そもそも三輪へ素麺を食べに来たのは関西で生まれ育って半世紀のわたしも初めての経験なのであった。

かみさんが旅行ガイドブックで目をつけていた三輪山本というお店に行ってみると、すごかった。
駐車場を埋める自動車は全国各地からやってきていた。
奈良ナンバーや大阪ナンバーだけではなかったのだ。
もちろん国道から駐車場に入るには車列ができていて駐車するまで15分待ち。
駐車してから店に併設されるレストランは1時間待ちなのであった。

店の中では素麺はもとより、素麺を使った菓子類も販売されていた。
素麺そのものも太さの異なる種類があり、この後レストランで食べることになった白龍というブランドの素麺は太さ0.6mmだが腰があり実に美味で奥行きのある風合いなのであった。
また菓子類も大阪帝塚山にある人気パティシエと共同で作ったと思われるクッキーは素麺のパリパリ感と小麦の香ばしさが相まってこれまた絶品なのであった。

素麺の専門店はなかなかない。
それでもその産地を訪れるとそこでしか見つけるのことのできない絶品を体験できるというのを強烈に感じた奈良訪問なのであった。
なお、三輪は案外近くて大阪の私の自宅からは1時間かからないことが判明。
今年の夏は素麺にハマってしまいそうな、そんな予感がしているところなのだ。


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ラグビーワールドカップ日本大会が2ヶ月後に迫った。

オリンピックはこれまでも東京、札幌、長野と3回も日本で開催されていて来年は4回目の開催に至る。
だが、ラグビーのワールドカップは初めての開催。
それだけに非常に重要な国際イベントなのであるけれどもいかにせん、日本でのラグビーファンの人口は大きくない。
大会主催者はその魅力をPRするのに躍起になっているが、もともとテレビ放送なども少なくコアなファンはいるのものの野球やサッカーのようにはいかないのが辛いところ。
私の周囲にもラグビーにご執心な友達が東京にひとりいるにはいるが彼はオーストラリア人。
当たり前といえば当たり前。

そこで何か名案はないものか。
と、私も考えていたのだが電車に乗っているときにふとあるドラマを思い出した。
ラグビーが出てくるあの往年のドラマだ。

そのドラマとは「われら青春!」

半世紀近く前に日本テレビ系列で放送されていた青春ドラマの王道の一本で主演は中村雅俊、島田陽子。
脇役の柳生博と穂積隆信のコンビが有名で、学校乗っ取りを狙う教頭先生とその腰巾着という構成は漫才のネタになったくらいであった。
ドラマに筋はというと中村雅俊が演じる新任の沖田先生が舞台である太陽学園にやってくる。
そしてラグビー部を結成し生徒たちや魑魅魍魎的な先生たちと熱い物語を展開する、今ではまったく見ることのできなくなった熱血ドラマだ。

物語の骨格も先生とラグビー部員、または沖田先生が担当しているクラスの生徒らとの交流を一本完結型のドラマで描いている。
その一つひとつが熱い感動を呼び込むテーマをもっていて、正直私もこのドラマを何回と無く見てしまっていた学生なのであった。

例えば第1回。
ダメダメな生徒たちをラグビー精神で教育しようとした先生の試みは失敗に終わるかに見えた。
その終盤部分。
失念し、学校を去ろうと電車の駅でひとり失意に佇む先生の元へ生徒たちがやってくる。
「先生、いかないでくれよ」
生徒が先生に隣のホームからラグビーボールをパスする。
それを先生が受ける。
バックミュージックに主題歌の「帰らざる日のために」が流れ始める。
「.....俺はお前たちが好きだ〜!」
と、なぜか先生と生徒は線路越しに隣のホームからラグビーボールをパスしながら走り出す。
そして太陽学園ラグビー部は活動を再開するのだ。

とまあ、今見るときっと小恥ずかしいクサイドラマなのかもしれないが、もしかすると今見ても面白い可能性がある。
なんといってもクイーンの「ボヘミアンラブソティ」が若い世代に大ヒットするくらいだからこれだけ1970年代のクサイ青春ドラマが受ける可能性は大いにある。

青春とラグビー。

ワールドカップPRにはピッタリのドラマではないかと思った私はアホなのだろうか。





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学校の図画工作の時間。

「絵の具は三色以上混ぜないでね」

と言われた人も多いことだろう。
絵の具は三色以上混ぜると色が混合しすぎ元の色や原色が死んでしまって灰色になる。
だから色合わせのセンスは論理が必要だ。

今回の参院選挙。
与党と維新の会以外は連携といいながら野党のごった煮。
その種類は国民民主、立憲民主、社民、共産と4党以上。

それなりの成績を残したとはいえ、やはり中身は灰色。
「安倍政権打倒」
以外に叫ぶことがなく、日韓問題も貿易問題も、イランの問題も何もなし。
こういうところへ投票した人の気が知れないが色彩感覚が麻痺しているたのかもしれないと思っている。

ちなみに一色でも黒を少し加えるだけで色はくすむ。

一党勝負で変なやつが入ってくると、まともな機能が阻害されることもこれまた事実。

選挙になると、色々と考える国政色彩論なのだ。


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事務所を通さずに出た余興がヤクザ主催のものだった。
だから、この人達は契約解除か引退だ。
というのは、いささか行き過ぎではないかと私は思っている。

芸能界というのは表と裏の世界が大きく乖離していて綺麗事だけでは済まされないドロドロとしたものがある。
もちろん任侠の世界とのつながりは美空○ばりや西○秀樹、フラン○・シナト△の話を持ち出すまでもなく周知の事実だ。
だからヤクザなタニマチを持っていたとして彼らが素人の人々に迷惑をかけたか、というとそういうことはほとんど聞くことがない。
むしろ苦労しているだけに演技や歌に磨きがかかっており見る人に大きな感動さえ与えるのだ。

芸能プロダクションとて水物のビジネスをやっているからには安定させるために多かれ少なかれそれなりの人材とつながりがある。
法律やお金だけで解決できないということも時にはあり、有力者に支援をお願いすることもあるだろう。

ジャニー喜多川氏が亡くなって、マスコミはジャニー氏の業績を称えるエピソードの数々を披露。
ジェニーズのタレントも「大変お世話になって感謝しています」という涙ながらのコメントを発表。
日本国中が一人の芸能のドンの訃報に涙するような雰囲気に浸っていたら、

「公正取引委員会から事業妨害で厳重注意されていた」

という生生しいニュースが報道されて世間の雰囲気が一気に冷めた。
元SMAPメンバーの民間放送への出演妨害があったのだという。

「あの三人を使ったらうちのタレントは出せませんぜ」
と言ったとか言わないとか。
でも、国の機関に忠告されたのだから言ったのだろう。
こういうところヤクザのセリフとどこが違うのかなかなか判断が難しい。
もしかして指定されていないだけなのか。

芸能界のきれいごと。
冷めた目で見ると、その奇異さが見えてくる人は大いに違いない。


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4つの野党と朝日新聞と韓国の共通点
「韓国への輸出規制は日韓の友好関係を阻害する」
「安倍政治の外交は苦境に立っている」
ということで日本のことを考えると明日の投票は維新か自民党に投票したいと思います。
追伸 自民党大阪選挙区の候補者は太田房江元大阪府知事でした。 やっぱり大阪は自民党、あかんな〜。

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例えば、
「自分の家がゴタゴタして安心して住めないから勝手にお宅の家に上がらせてもらいました。あしからず。」
という人が現れて、
「だから部屋を勝手に使わせてもらうのは構わないでしょ。それに生活費も当面工面出来ないのであんたんちの家計で食わしてくれよな」
と言ってきたら、あなたならどうする?

トランプ大統領が自身の移民政策に反対する移民出身の議員をターゲットに呟いたツイッター。
「この国が嫌いなら出て行け」
もちろん議論を呼ぶ主張だろう。
しかしこれは今の日本人には理解しやすい主張でもある。
今の日本人がどこかからやってきた人々に対して今強烈に抱いている感情とかぶさっているからだ。
それだけになるほどと言わせる部分が少なくなく私たちには彼の次の選挙戦の戦略がよく見えてくるのだ。

それはさておき、彼いわく、
「不法入国した不法移民は受け入れない」
というのは正論じゃないか、と私は思っている。
アメリカは移民国家だが、不法に入ってきたものまで面倒を見る必要はない。
生活に窮してトボトボと歩いてきて国境を不法に越えてきた人たちの面倒を見なければならないという法律もないし理屈もない。

驚いたとことにマスコミや件の議員やそのとりまきは合法的に移住してきた人々と不法に入ってきた人たちを同列に扱うことを正義のように掲げている。
だから「不法入国者を取り締まるトランプ大統領の政策は悪」なのだと。
私はこのような人たちと価値観を共有するには少々無理があるように感じる。
大統領の直接的な言い方にも問題はあるかもしれないが、たぶん多くのアメリカ国民は「当たり前やん」と思っていることだろう。

昨夜NHKのニュースを見ていると一方的にトランプ大統領が「嫌なら出て行け」というのが悪でそれを非難している移民出身の議員が正義のようなことを言っていた。
ニュースウォッチ9の二人のキャスターはこれを「問題である」とまで指摘している。
外国のことにコメントする二人の偉大さは私には理解できないが、この二人は勝手に自分の家に上がってきた他人を無条件で住まわせて、さらに食わせることができるのだろうか。

テレビは正論ではない、という代表例を見たような気がした。


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家庭教師の「トライ」のCMが許せない。

このCMだけはセンスが悪すぎて見るに堪えないというものに「家庭教師のトライ」がある。
1970年代半ばに放送され、以後何回も繰り返し再放送されている日本アニメーションの名作「アルプスの少女ハイジ」を使ったCMだ。
ヘッドホンをかけたアルムおんじやトライを推奨するゼーゼーマン氏などが登場するが、はっきり言ってふざけているのか。
有名シーンをランダムに編集してそこへ講習料などを表示するやりかたもいただけない。

どんなものでもパロディにするというのは反対しないが、その作品の尊厳や品位を貶めるような作品は放送する側としては許してはならないものではないか。
こういうCMを見るとそんな感情がふつふつと沸き起こってくるのだ。

アニメ「アルプスの少女ハイジ」はスピリの原作をベースにしているものの、国際的にも高畑勲版アルプスの少女と呼ばれているほどその影響力は大きい。
日本でのヒットはもちろんのこと、本国スイスやドイツでも放送時は大ヒットした。
この物語をベースに2015年にはドイツで新作映画が制作されたほどの重厚さを持っている。

ところがこのCMはそのような作品に対する敬意や知っているもののイメージをぶち壊すことだけに焦点を当てているのか、これが面白いと思っているのか。
もし面白いと思っているのなら、センスは限りなく低い。

とかく色んな噂や事柄が報道される会社だけにイメージを名作の力で払拭したいのかも知れないが、これでは完全に逆効果。
私が親なら絶対にこういう会社とは講師の契約は結ばない。

名作を冒涜。
もっと真面目にビジネスに打ち込んではいかがか。






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参院選挙戦が活発化している。
駅、大通り、商店街、エトセトラエトセトラ。
人の集まるところは選挙関係の人々がビラを配り演説をしている。
あるいは握手をするため歩きまわっていたりする。
甚だ迷惑としか言いようがない。
なかでも駅で渡される政党や立候補者を紹介するチラシは最も迷惑な存在といえるかもしれない。
なぜなら単なる演説であれば音がやかましいのを我慢すれば済むところがチラシとなれば紙資源の無駄遣いに繋がり物理的環境にも良くない。
人の顔が印刷されていたりするので捨てる場所にも困ってしまう。

国民民主党のチラシが公衆便所の小便器の上に乗っていたのも不思議ではない。

そんな選挙戦のなかでも子供の頃から迷惑だ、と思っているものにNHKの政見放送がある。

普段見慣れた朝のテレビニュースを見ていると、突然「政見放送」という無味乾燥的なテロップが現れつまらない主義主張が流れ始めるのだ。
子供の頃から政見放送が始まるとチャンネルを変えるのだが、たたまたテレビをつけていたのが夜だったこともあり仕事の疲れでソファにひっくり返っていてこの日はチャンネルを変えるのも面倒くさくそのまま見てしまったのだ。

聞いているとどの政党も実行力が果たしてあるのかどうかわからない理想ばかりを述べている。
「民主主義を支える共産党」
「戦争をする国にさせない」
「アベ政治を打倒」
「現在の経済政策を変えなければならない」
「消費税増税反対」
などなど。

民主主義を支える共産党は以前笑ってしまったことがあったのだが、共産党の人々は共産主義と民主主義は別物なのに、それを同一で捉えてPRするところが姑息なのかアホなのか。
戦争をする国にさせない、と言うのは結構だが防衛政策については何も主張しないのはいったいなんなのか。国民の財産や生命は侵略されるに任される、というのが共産党、社民党、一部の〇〇民主党の主張なのだろうか。
アベ政治を打倒も結構だが、それを打倒して欲しくなるような政策と行動をしっかりと示していただきたいところ。人の悪口だけ言うのは幼稚園児でもできるというものだ。
現在の経済政策を変えないといけないと言っている枝野氏の主張を聞くと「反省しない人もいるものだ」とつくづく感じる。
消費税増税反対を叫ぶのも野党だが、その消費税増税を決めたのは自民党ではなく旧民主党政権時代。もう10年も前のことなので国民は覚えていないと思っているのか批判がブーメランになっている。

総合すると政見放送は戦後始まった新手の漫談ではないかと思えるようになってきた。


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今年の東京モーターショーでアウディ、BMW、フォルクスワーゲン、ポルシェ、ボルボが出展を見送るのだという。
これを取り上げマスコミは、
「日本の自動車市場の地盤沈下」
「各メーカーの中国シフト」
などと報道して、さも日本がダメダメになっているような印象を伝えようとしている。
まったくもって嫌らしいとしか言いようがない。
どこの国のマスコミなのか疑いたいところだ、と見てみると朝日新聞だった。

そもそも展示会そのものに存在価値があるのかどうかから考える必要がある。
多額の予算を投入して展示ブースを構築して、お客を集めて製品の魅力をPR。
モーターショーの場合は各ブースで説明やモデルになっているコンパニオンを写真に収めることが来場者の目的になっているということも無くはない。
でもこのコンパニオンに会えることを除くとインターネットのWEBサイトでスペックや写真をチェックしているだけで製品の性能的な魅力は理解できるわけだし、展示会では試乗会などなかなかないので体験したければディーラーへ足を向ければいい。
畢竟、展示会の価値はどうなのよ、ということになってしまう。

日本のように一般消費者が製品を知り尽くして、ある意味飽き飽きしている場合は展示会はマンネリを打破しない限りあまり魅力的ではない。
飽き飽きしている耐久諸費材をわざわざ遠くまで見に来るわけがなく、それなら家でゴロゴロしている方がマシなくらいなのだ。

自動車だけではない。
私の所属する業界はいわゆる科学機器や分析機器の世界なのだが、ここでは展示会のマンネリズムはすでに20年近くの歴史があり、正直欲しい機器があればカタログチェックで現物をメーカーのショールームへ行って使わせてもらえれば済む話になっている。
年に一度の展示会はお客さんとのコミュニケーションというよりも、ライバル他社や卸業者とメーカーの宴会場前室的な役割でしか無く、それなら単なる交流会でいいではないか、ということになってしまうのだ。

自動車業界、科学機器業界はこのような状態だし、電気製品やカメラなどはお近くのヨドバシカメラやビックカメラへ行くと展示会場よろしくほぼ全種類の製品にふれることができるので、展示会は全く無意味になっている。

ということで、朝日新聞の嫌味な書き方は別にして展示会の存在価値に結論を出さねばならないときが来ているらしい。



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