<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



元産経新聞の記者で現在は週刊新潮などにコラムを連載されている高山正之氏の著書によると、かつてヤンゴン国際空港は東南アジア随一の栄華を誇り、タイのバンコク国際空港などまったく相手にならないほど賑わっていという。
多くの国際線がヤンゴン国際空港をハブ空港とし、極東線、欧州線を飛びまわっていたというのだ。

それが長い政治的、経済的な停滞で、今では完全なド田舎にある一地方空港のような姿になってしまった。

飛行機の窓からの眺めは空港の周りに広がるジャングルだけ。
暗い空港だ。
滑走路からタクシングウェイに進入したが照明が乏しくよく見えない。
寂しいところである。

やがてターミナルビルが見えてきたが、空港の名前を示す看板のライトアップでさえ薄暗い。
駐機されている飛行機はミャンマーの国内線の1、2機ぐらい。それも真っ暗に近いので、シルエット程度しか見えない。
外国の航空会社の機体はまったく見当たらない。

私の乗っていたタイ国際航空のA300型旅客機はその薄暗いターミナルビルに機首を向けるとゆっくりと停止した。
エンジンの音が弱まると乗客たちが我先と立ち上がり、天井のボックスから荷物を下ろし始めた。
その物音に景色をじっと見ていた私は我に返った。そして重い気持ちが甦ってきた。
アライバルビザの件を思いだしたのだ。
ついに入国審査だ。
ここでもし入国審査官から、

「アライバルビザってな~に?」

と言われたりするとどうすればいいのだろうか?
私は使い方がよくわからないであろうミャンマーの公衆電話に駆け寄り、現地の旅行社になんとかコンタクトを取って助けを求めなければならないだろう。
インターネットのメールで届いていた旅行社からの連絡によると、入国審査場前にガイドさんが私のネームプレートを掲げて待ってくれていることになっている。
しかし、ここでずっと疑問に思っていたが、わざと触れなかったことがある。
それは入国審査のゲートの内側にどうやってガイドさんが入って来るのか、ということである。
入国審査からこちら側、つまり飛行機の搭乗口ないし降りてくる方は、その国であってその国でない。
それはヤンゴン国際空港だけではなく、関空や成田、羽田も同じ。
いわば無国籍地帯。
資格のあるものしか入れないはずだ。

ガイドさんが客を迎えるだけのためにそんなエリアに入ってこれるのか。
私にはここへ来るまでそれが心の奥底でずっと引っ掛かっていたのだが、思いだすとアライバルビザの件が心配になってくるので考えないことにしていた。

飛行機から出てタラップの階段を降りると暗がりに2台のバスが止まっていた。
この空港にボーディングブリッジはない。
エプロンの路上は雨上がりか濡れていた。
リュックを背負い、ほぼ満員のバスに乗り込んだ。
乗客の中に日本人は見当たらない。
というよりもどいつが日本人なのかミャンマー人なのかタイ人なのかインド人なのかわからない。
ともかく異国の雰囲気たっぷりのバスだった。

しかしこの異国情緒溢れるバスが、実は飛んでもない純和風のバスであったことはすぐがすぐに判明した。

バスに乗ったばかりの私はつり革に捉まり車内を見回していた。
やっぱり薄暗いが、それはバスのこと。
仕方がない。
ふと窓際を見ると、緑色の押しボタンの下に日本語で注意書きが書かれていた。

「バスを降りる時はこのボタンを押してください。」と。

「ふーん、バスを降りる時、あのボタンを押すのか。」

私は何も疑問を抱かずにぼんやりと日本語表示を眺めてた。
普通の感覚であれば、
「これはおかしい」
と思う筈だが、私は疲れていたのか、それともアライバルビザの件が頭をもたげていたのか無感覚になっていたのだ。
そして、今私が乗り込んできた入り口近くに目を移せば弁当箱ぐらいの赤いボックスが壁に掛かりその上に、

「非常時はこのなかのレバーを引いて扉を開けてください。」

とこれまた日本語で書かれていた。

「親切なバスだな~」

と思い、さらにその扉のガラス戸を見ると丸ゴチック体の漢字で、

「非常口」

と書かれている。

「?」

どこかで聞き覚えのあるブザーが鳴り、ドアが閉まるとバスはターミナルビルに向かって走り始めた。

空腹とアライバルビザへの不安感で鈍くなっている私の頭も、ここにきて、ある事実に気づくのであった。
なんじゃこりゃ。日本の乗り合いバスやないか、と。
車内をよく見ると、運転席のすぐ後ろには「つぎとまります」の表示がある。
窓を見ると「東京なんとか交通」のシールが貼られている。
ヤンゴン到着早々に日本のバスに乗るとは思わなかった。
まさか、ここは羽田ではないだろうな。
頬をつねりたい心境で窓の外を見ると、今降りてきたばかりのタイ国際航空エアバスA300型機のでっかい機体がどっしりと座っている。
ここは間違いなくヤンゴンだ。

ショックで真っ白になった頭のまま、バスは到着ゲート前で停止した。
ふらふらとバスを降りるとターミナルビル入り口の柵の向こう側に出迎えの人たちがいる。
日本人の名前を明記したプレートを持つ人が三人ほどいた。
その中に、私の名前が書かれたプレートを持つガイドのTさんがいた。
私は小柄な彼女に近付き、柵越しに言った。

「ガイドのTさんですか?」
「そうです。Kさんですか?」
「はあ、あのー、日本のバスです。」
「は?」
「ヤンゴンの空港。日本のバスが走ってるんですね。」

つづく

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健康に非常によろしくないんじゃないかと思われる日本マクドナルドの新製品「クウォーターパウンズ」。
これのPR方法が今、波紋を呼んでいる。

というのも発売日当日、大阪市内の店舗で500名を超える行列ができたと華々しく報道された真実は、人材派遣会社を通じて召集したエキストラであったことが明らかになったからだ。
同様のエキストラによる行列は東京都内の2店舗でも実施されたことが明らかとなった。
このためか、日本マクドナルドは昨日その株価を大幅に下げたそうだ。

しかし、考えようによっては日本マクドナルドのPR活動は非常に立派といえるのではないだろうか。
派遣社員が全国各地で首切りされる中、果敢にもたった一日という超短期間と言えども大量の派遣社員を動員し、自社のPRに努めた。
PRの手法には非難すべき点はあるかもしれないが、雇用に関しては褒めてやらねばならないことは間違いない。

失業問題に果敢に取り組む日本マクドナルド、と。

ということで、このPR活動は不況が続く限り、永遠に続けていただきたい。
それでこそ日本マクドナルドが尊敬される大企業としての地位を確固としたものにするであろう。
もし、それができなければ、単なるインチキ会社のそしりは免れることはできない。

それにしても原田永幸さん。
しっかりしなはれ。
あんさんの奥さんのファンが泣いてまっせ。

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先週末のこと、週刊朝日の吊り広告に「篤姫は大河ドラマを救ったか」というキャッチが記されているのを目にした。

宮崎あおいが主演したNHK大河ドラマ「篤姫」は近年にない高視聴率をマーク。
昨年、展開された朝日新聞との醜い争いやプロデューサーの不祥事などで信用が失墜していたNHKに追い風となったことは間違いない。
当初から、
「あんみつ姫かホームドラマかわかならい」
と言われた「篤姫」。
大河ファンの心もつかんだのか、今もなお話題を提供し続けている。

しかしながら、人気と平行してドラマとしての質も高かったかといえば、そうとはいえないもの事実で、先述の悪評ではないが、
「大河」
というにはいささかスケールの点で小さすぎた点は否めない。

例えば、ホームドラマといわれるスケールは従来の大河ドラマにはないミミッチさである。
たいていの場合、大河ドラマの主人公は主役であっても脇役であっても日本史に燦然と輝く人物が取り上げられるのだが、「篤姫」はいかにも小さい。
ドラマでは篤姫が歴史の大きな影響を与えたように描かれていたが、事実とは異なり「歴史にある程度は忠実なNHK大河」というセオリーも逸脱していた気配がある。

かつて司馬遼太郎は「ドラマ化すると作者の意図が捻じ曲げられる」という意味合いのことを述べ、「花神」のあと「飛ぶが如く」までの約20年、著作をドラマ化することを許さなかった。

篤姫の場合、書き下ろしなのだそうだが、書き下ろしのために受ける為には何でもやった、という気がしないでもないのだ。

正直、大河ドラマという点では土曜ドラマやスペシャルドラマのほうがよっぽど大河ドラマらしく、本家がただのドラマバラエティになってしまっているように思えてならない。

ということで、視聴率至上主義が生んだ大河ドラマ「篤姫」は、視聴率の上ではドラマを救ったが、質の上では「????」というところではないだろうか。

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出発3日前、NHKのニュース番組で天気予報を見ていると、

「ベンガル湾から続いている帯のような雨雲がこのように日本列島に梅雨のような雨を降らせているのです。」

と予報官のオッサンは言った。

ベンガル湾?
どこやったかな?そこ。

私はヤンゴンへ向かう飛行機のシートに座って、前方に見えるビデオスクリーンを眺めていた。
そこにはナビゲーションシステムの地図が映し出され、現在の飛行機の位置、目的地、主要な都市が示されていた。
そのなかにBengal Gulfと書かれた文字が目に留まった。

Bengal Gulf。
ベンガル湾か......。

そう、ベンガル湾とはインド、バングラディッシュ、ミャンマーに囲まれたインド洋の一角だったのだ。
つまり、日本列島に雨を降らせていた雨雲はミャンマー沖のベンガル湾で発生し、ミャンマー中部、中国南部を通過し、台湾から日本列島にかかっていたのだった。
ということは、どういうことを意味しているのかというと、ミャンマーは雨だということだ。

雨。

私は急に憂鬱になってきた。

私はカンカン照りの紺碧の空が広がるミャンマーを夢想していた。それだけに、現地は雨なのかと思うと、すごく悔しくなってきてしまったのだった。
でも天気予報は3日前の情報だ。
今日あたりから、もしかすると雲が切れ、雨が止んで晴れてきているのではないかと、私は今飛行している地域を考慮してお釈迦様に祈った。
しかし、その祈りもむなしく、飛行機がタイ・ミャンマーの国境を越える頃には、雨雲の中を飛行しているであろう独特の揺れが始まったのである。
この揺れの中、果敢にも客室乗務員たちは機内食のサービスを行っていた。

国際線とはいえ、たった一時間少々のフライトで夕食が供されているのだ。
あっぱれと言えよう。
2時間を超える沖縄~大阪路線でさえ簡単な飲み物しか出さない暴利むさぼるショボイ日系航空会社とはえらい違いである。

それにしても、少々の揺れがあっても怪我を覚悟で料理を配っていかなければならないのはなぜか。
そうでもしないと短い飛行時間で、配る、食べる、回収する、のローテーションが全うできないのだろうか。
彼らはふらふら揺れながらもサービスを継続していた。
当然のことながらアテンダントは私のところへもやって来て夕食のトレイを差し出した。
一応受取ったものの、私はこの機内食は食べないつもりでいた。
なぜなら、私はミャンマーへ入国後、ヤンゴンのレストランでミャンマー料理を食べることになっていたからだ。
ただ、私が機内食に手をつけずにおこうと思ったのには、もう一つの理由があった。
出発前にミャンマー料理についての情報をあれこれ調査してみると、そこには「ミャンマー料理は脂っこく日本人の舌にはあいにくい」と一様に書かれていたからだ。
そこでミャンマーの人たちには失礼だとは思ったが、私は念のため空腹感を維持させて「舌に合いにくい料理」に備えることにした。
だから機内での食事は控えることにしたのだ。
しかし、いかにせん腹が空いていた。
最後の食事は正午前に関西空港を離陸してすぐにでてきた機内食だった。
それにたった半日前に大阪を出発したばかりで、体内時計は日本時間で動いている。
そういうわけで腕時計の針はミャンマー時間で午後6時過ぎであったとしても、私の生理的な時間は午後9時前であるから、腹が空いていても仕方がないのだった。

そしてさらにもう一つの試練があった。

タイ航空の機内食は他のエアラインと比べると総じて美味しい。
私はいつもこの機内食が美味いことを理由に大阪からバンコクまでの移動にタイ航空を利用している。他のエアラインより若干割高であることを承知の上でである。

エッヘン!

このバンコクからヤンゴンの便も軽い夕食とはいえ、とても美味そうなのであった。
アルミホイルのかかった長方形のお皿を見てみると、卵とチーズが使われた卵焼き風の料理がほこほこと湯気を上げて、いい香りを発している。
その隣には小さな透明のプラスチック容器にグリーンサラダが入れられ、その上にはチョコレートケーキが鎮座している。
私は誘惑に負けてナイフとフォークの包みを解いた。
卵料理風の塊をちょこっとつつき、破片を口に運んだ。

美味であった。

グリーンサラダにドレッシングをかけて、アスパラガスとレタスをフォークで突き刺し、口へ運んだ。

これも微妙に脂っこいが美味であった。

もう2口ほど卵料理を口に運び、私は勇気を振り絞って、皿のアルミホイルを閉じ、コーヒーを注いでもらったカップを手に取り、固形物を胃の腑に入れることを中止したのだ。
隣の席では上品なタイ人のおばさんが一心不乱に食事と格闘していた。
一方、中途半端に食べてしまった私の空腹感はいっそう増したのだった。
やがてトレイが慌ただしく回収されると、すぐにベルト着用のサインが点灯し、飛行機は高度を下げ始めた。
やはり天候がすぐれないのか、かなり揺れている。

そろそろヤンゴンの街並みが見えてきても良さそうな頃合いだ。
私は窓から下界を見下ろし、ヤンゴンの夜景が見えてくるのを待ち続けた。
しかし、天候が悪いので、地上の景色はなかなか見えてこない。
いや、飛行機は雲の中を飛んでいるのではない。
よくよく目を凝らして眺めると、点々と街灯の明かりが見える。
市街地はずっと空港から離れた場所にあるのか、飛行場近くは街灯は少なく、とても暗い。

やがて飛行機は大きく旋回した。
さらに高度が下がり、暫くして暗やみを流れるような鬱蒼と茂る木立のシルエットが現れると、私を乗せたエアバスA三〇〇型機はドスンとヤンゴン国際空港に着陸した。

つづく

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なぜ京都鴨川の河原にたたずむカップルの距離は「等間隔なのか?」。

これは私が学生の頃から持ち続けている疑問なのだが、どういうわけか京都の四条大橋から三条大橋にかけての鴨川川岸では現在もなお、カップルが等間隔に並び、愛を語らっているのだ。(写真は先週土曜日撮影)
正直、川に突き落としてみたいという衝動に駆られるのは私だけではないだろう。

すっかり京都ではお馴染の景色といえるのかも知れないが、この種の話題がテレビやラジオで語られることは殆どない。
書籍もない。
世界的観光地でありながら「Lonely Planet」の「Kyoto版」にも書かれていない。

知られざる有名な光景だ。

ところで、ベトナのサイゴンを訪れた時も同様の光景を目撃したことがある。

マジェスティックホテルの向かい側。
夕刻サイゴン川に面した公園に散歩に出かけると、そこは数多くの恋人達のたまり場になっていたのであった。
そしてその恋人達もまた、京都鴨川の恋人達と同じように「等間隔」にサイゴン川に向って並んでいたのであった。
京都との違いはベトナムの恋人達は愛車であるホンダのカブを駐車してその上で愛を語らっていたことだった。

京都鴨川のイチャツキ重力均衡の法則。

世界中で通用しそうな法則である。

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ここ最近仕事がめちゃくちゃ忙しい。

「仕事が忙しいのは良いじゃないですか」

と私の愚痴を聞く人はだいたい「この不況の時期に忙しいのは良いじゃない」みたいなことを共通して述べるのだが、本当に忙しくて儲かっているのなら誰かアシスタントを雇用してくれようはずだが、誰一人として新規雇用しないところをみるとちっとも儲かっていないのに違いない。

で、営業職から企画マーケティングの仕事に携わるようになって3年目に突入したのだが、ここんとこと肩こりがひどくて悩んでいた。
営業職と違ってどうしてもデスクワークが多く、運動も少なく、パソコン操作に明け暮れていることが少なくないことが原因と思われる。

このどうしようもない重症の肩こりを改善するため色々マッサージを受けてみたがなかなか効かない。

そうこうするうちに熟睡することもできないくらい悪化してきたので。

「久しぶりに日本酒でも飲んで酔っ払って寝るか」

と熱燗を一杯やってみた。

銘柄は大好きな「土佐鶴」。
安くはない酒だ。えっへん!

肴は朝の食べ残しの塩鮭だったかが、これを飲んで暫くすると驚愕の事実を実感した。
なんとほろ酔い気分とともに肩こりが驚くほど緩和されたのだ。

「酔っ払って、感覚をなくしてしまったか」
と一瞬考えもしたが、そうではないらしい。
しかも時間とともにさらに肩こりが緩和され、ほとんど治ってしまったのだ。

翌朝目覚めは悪くなく、肩こり感覚は少しは残っていたが、それでもマッサージよりも遥かに効果的だった。

熱燗の日本酒。
肩こりの万能薬なのかもしれない。


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ここ2年ほど、海外旅行に出かけようと航空券を購入したら、
「燃料チャージ申し受けます」
と航空券と同じぐらいの金額を徴収された。

ちなみに昨年の1月(ということはほとんど一昨年)に貯めたマイルで大阪から台湾の台北まで飛んだら、予約したときに、

「あの~~~、燃料費が別途18000円必要になりますが、よろしいでしょうか?」

とオペレータのお姉さんに請求されてしまったのだった。
ただ、遠慮しいしい言われたのがせめてもの救いだった。

ミャンマーへ行くとサーチャージが5万円近くもかかってしまうし、その燃料サーチャージもジリジリと上昇して、ついには海外に行く気が失せてしまう非常事態に発展した。

さて、その燃料高騰も今は昔。

原油価格がついに最高値時の3分の1に下落した。
最高値の頃に先物買いした人たちは、今ごろどこでなにをしているのやら。
1バレル40ドル台ということで、ガソリン価格も値上がり前に復旧した。

航空燃料もきっと同じなことだろか。

今現在も航空会社は厚かましく「燃料サーチャージ」を取り続けているが、まもなく終了するのは間違いない。

「えーっと、燃料の値上がりは収まりましたが人件費その他が上昇しています」

なんて言って、航空運賃が上げることができたら良いんだけどな、なんて経営陣は考えていたりして。

なお、燃料チャージを別途お客様からふんだくるのはエアラインだけではなく、船もそうであるらしい。
そういう意味では鉄道、バスは、偉い!

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その昔。
親の運転する車で大阪から岡山の爺ちゃん婆ちゃんの家に向う途中、できたばかりの阪神高速道路神戸線を走っていると、自動車の車窓から無数の黒い船が浮かんでいるのが目に留まった。

なんやろあれ?

黒い色をした船は艀の群れであった。
そのどす暗い景色は子供の目には何か怖いものという印象があったことは否めない。
なんとなく不安感を覚えたことを今も鮮明に記憶している。
昭和40年代。
つまりあのころは神戸にも艀が沢山残っていたというわけだ。
今はその艀を見ることは殆ど無く、艀に代わって広大なコンテナターミナルが広がっている。

マルク・レビンソン著「コンテナ物語」はタイトルの通りコンテナがもたらした劇的な流通革命の物語だ。
規格化された海上コンテナが国内国際を問わず海運というもののあり方を劇的に変化させた結果、私たちは現在、オーストラリアの美味しいビーフ、北海でとれた美味しい塩さば、カナダで水揚げされた美味しい数の子、タイで養殖された美味しいブラックタイガー、中国で栽培された美味しい毒物劇物混入野菜などを安価で入手することができる。

そればかりではなく、中国で製造されたタイヤとタイで製造されたランプ、マレーシアで縫製されたクッション、日本で生産されたエンジン、などを北米の工場で組み立てて完成品の自動車に仕上げることなんてこともできるようになっているのだ。

この、ワールドワイドでグローバルなネットワークを築いたのがコンテナなのだという。

コンテナの登場で沖仲仕と艀が姿を消し、巨大なガントリークレーンが登場。
従来であれば人力で荷卸しと荷積みが行われた海運の世界が、完全機械化になった。
まさしくコンテナは人件費を削減し海のレーンをコンベアベルトに変えたわけだ。

本書を読んで最も驚いたのは、この規格化された海上コンテナが登場するまで、海上輸送の方法は古代となんら変わらなかったことに気がついたことだ。
確かに船積みに使用するパレットやそれを運搬するフォークリフトなどは20世紀に入ってから開発されたものには違いないが、荷物の積み方や運び入れ、運び出しの方法は大航海時代となんら変わりなかった。

コンテナの登場により船、トラック、鉄道での輸送がシームレスに繋がり現在の流通文化がある。

よくよく考えてみると、阪神高速道路から艀の群れを眺めた頃を境にして、舶来品という言葉が無くなったような気がする。
舶来品はイコール高級品という意味でもあった。
その舶来品が単なる輸入品になったのはコンテナの威力があったことは間違いない。

~「コンテナ物語」マルク・レビンソン著 村井章子訳 日経BP社刊~

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やがてヤンゴンへの便は四番ゲートから出発することディスプレイに表示された。
何もすることがない私は、出発ゲート前のベンチで待つことにした。

実のところ私はバンコクからヤンゴンへは近いこともあり、さほど大きな飛行機が飛んでいるわけではないだろうと勝手に思い込んでいた。
ローカルな国際線なので、きっと利用者も少ないのだろうと思っていた。
ところがこれは大きな間違いなのであった。

時間が経過するに従って、ヤンゴン行きの出発ロビーには客の人数が増えてきた。
やがて大阪からバンコクまでと負けず劣らずの混雑に膨れ上がってきたのだ。
ローカルな国際線とはいえ、やはり首都どうしを結んでいる路線だ。
私の思い込みは、途上国甘く考えた失礼なものなのであった。
大いに反省すべき点なのであった。

出発三十分前になり、搭乗が始まると、カウンターの前は大勢の乗客で長い行列ができた。
私は夕暮れの景色が見たくて窓際の席を押えていたので、早めに乗り込んだほうが都合がいい。
そこで気分アビジネスクラス、しかし現実はエコノミークラスの私は不本意ながら長い行列に率先して並ぶことに決めたのだった。

「パスポートを拝見します。」

搭乗口のもぎりのお兄さんが私のパスポートを手に取りパラパラ捲った。

「ビザはどうしました?」
「あ、ビザはアライバルビザを申請してます。」
「アライバルビザ?」

お兄さんはけげんな顔をした。
そこで私はすかさず旅行社からのミャンマー語と英語の書類を手渡した。
お兄さんは書類を受け取ると首を傾げ、傍らでコンピュータをチェックしているお姉さんにその書類を差し出した。
お姉さんはミャンマー語の書類を見て「読めないわよ」というそぶり。
そしてコンピュータの画面を指さし、なにやらお兄さんとタイ語で二言三言話しを交わした。
どうやら、
「この男、ビザ不所持のため注意すべし。」
という知らせが関西空港から届いていたらしい。

「こちらへ寄ってください。」

列から外されて、私はチェックを受ける身になってしまった。

他の客たちが怪訝な顔をして私を見つめ、搭乗ゲートをくぐっていく。
おいおい、私は不審なイスラム原理主義者ではない。
少々色が黒くて図体はデカイが、日本人なのだ。

ここで初めて私にアライバルビザに対して不安が生まれた。もしかしたらアライバルビザは発行できないんじゃないか、それとも私が騙されているんではないか、と。

ミャンマーの首都ヤンゴンへの空路はタイのバンコク、チェンマイとマレーシアのクアラルンプール、シンガポールからのものがある。
残念ながら現在のところ関西からの全日空の直行便は運休している。
この中で、もっとも一般的なのが1日に2本以上もの便数があるバンコクからの便だ。
機体も300人乗りの大型機。
私の乗る予定の便もほぼ満員。

これだけ大勢の旅客がいるにも関わらず、ドンムアン空港の職員がアライバルビザについて首を傾げるというのは、よっぽとミャンマーのアライバルビザは一般的でないか、はたまた聞いたことがないか、またはこの職員にとって今日が初めての出勤日だった、この職員は偽物だった、ということ以外に考えられない。

次々に搭乗口を抜けてバスへ乗り込んでいく乗客をしり目に、私は不安な目で職員のお兄さんの作業を見つめていた。
やがてお兄さんはニヤッと笑い、パスポートと二枚の書類をポイっと私へ返し「マイペンライ、行っていいよ」というそぶりをみせた。
そのニヤッとした表情で私の不安は増幅した。

だいたいタイ人の「マイペンライ」という言葉ほど、彼らのステレオタイプを表現した言葉はない。

よく聞く嘘のような本当の話に次のようなものがある。
タイのある日系企業でタイ人の従業員がとんだミスをしでかした。お客さんはかなりのおかんむり。そのクレームを収拾するために日本人の上司は四苦八苦。
額に汗してクレーム処理に当たっているその日本人上司に向かって、ミスをおかしたタイ人部下は言った。
「マイペンライ。気にしないで。」

かくのごとく、タイというのは微笑みの国と呼ばれているだけに、天真爛漫で困った時も明るく、マイナス要素も気にしない性格を有しているように思われている。
だからして搭乗口で、職員のお兄さんから行っていいよ、といわれた時は「入国できなくても気にしないで、マイペンライ。」と言われたような気がしたのだ。

つづく

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30代を過ぎてから新しい英単語が覚えられなくなった。
タイミングの悪いことに、私は英会話を習い始めたのが28歳の時だったため、習い始めると同時に単語を覚えられにくくなってしまうという脳的負の現象が発生した。
その結果として、いつまでたっても会話能力が向上せず、現在に至っている。

そして年齢を重ねることによる弊害は、驚いたことに単語を覚えられないだけにとどまらない。
昔覚えていた筈の単語まで忘れていってしまうのだ。

「これはきっと年と共に脳細胞が死んでいっているからに違いない」

と私は確信した。
たぶん単語を記録している部分の細胞が死滅してしまったために単語力を忘れるのだ。
そして総脳細胞数が減少していることそのものが英単語の記憶力の低下に繋がっているのだ。
と、私は自分の脳細胞の責任にしたのだった。

どうやら、その理屈は間違いだったようだ。

講談社ブルーバックス「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶の仕組みと鍛え方」を読むと、人の記憶能力はアルツハイマーなどの病気にでもならない限り衰えることは無いらしい。
もちろん若年の時代と壮年の時代、老年の時代では脳細胞の使われ方が違うようで、記憶の効率性はあるようだが「30歳を過ぎたから」という理由で英単語を覚えにくいのは単なる私の言い訳にすぎないこともわかった。
うすうす感じていたことなのだが、要は「ものぐさで勉強していなかっただけ」ということなのだ。

ところで、脳のメカニズムはどうなってんだろう?
と、時々考えることがある。
とりわけ人の名前を思い出せなかったり、英単語を覚えられなかったり、都合の悪いことを忘れられなかったりした時には、その疑問はかなり大きなものになる。

脳のメカってパソコンと同じ?

という疑問が一番最初に生まれるのだが、だったら人間のOSはいったい何?ということにもなり、なかなか難しい。
ウィンドウズな人とMacな人の対比をしたMacのコマーシャルがあるけれども、人はそれほど単純ではないしアバウトでもある。

なかなか素人にも分かりやすく書いている脳の仕組みについての書籍に出会うことはなかったが、本書は素人でもわかりやすく楽しめる一冊だった。
海馬のメカ、一度に覚えられる数の限界、脳の記憶と情報伝達を司る物質、などなど。

まだまだほとんどが謎だらけの脳。
肝心の「私という意識はどこに住んでるの?」という私の疑問には答えていなかったが、素人ながらのいくつかの疑問を氷解することができたのであった。

~「「記憶力を強くする 最新脳科学が語る記憶の仕組みと鍛え方」池谷裕二著 講談社刊~

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