夏の高校野球。
京都府代表の京都国際高校が韓国の高校であることをなぜかマスメディアはきっちりと報道せず、唯一産経新聞だけが、
「あそこの学校の校歌は日本海のことを東海と歌っているのをNHKが東の海と故意に解説している」
と伝えただけだ。
産経新聞もはっきりと「どこが京都府代表やねん」と伝えればいいものを。
とまあ、高校野球。
昔から言われているけれども各都道府県代表の学校はホントに都道府県の代表なのか?
ただ単に、学校の立地がその都道府県にあるからだけで代表になっているんじゃないか。
中身は全国各地からやってきたその道で優秀な学生による選抜チームではないか。
はっきり言って、各都道府県代表ではなくて日本代表の一つのチームではないか、なんて思ってしまう人は少なくないはずだ。
また京都の学校のように、実は日本の代表ですらないという学校も中にはあるのかもしれない。
私が中高生の頃。
大阪のダントツ人気チームはPL学園なのであった。
私が高校生のときに初優勝を果たしたと思うのだが、以後、桑田、清原を排出し、高校野球の歴史の一時期を盛り上げた存在だった。
でも、自分の周囲を見渡しても、
「誰かお前ンところの中学からPL学園に進学したの誰がおる?」
と訊いても、誰もいなかった。
不思議な学校だった。
上宮高校や浪商、近大附属へ行った同級生はいたけれどもPL学園は一人もいなかったのだ。
PL学園が常勝校になってきていささか鼻につく存在になった頃。
あそこは果たして大阪の代表なのかと疑問符が具体的になりはじめた。
もちろんここの生徒に対する悪意はない。
たまたま大阪芸大に通う大学生だった私は自宅からの途中の山の中にPL学園があって、そこの生徒と自転車ですれ違うと、
「おはようございます!」
「こんにちわ!」
としっかり挨拶するので、良い学校だとさえ感じていたのだ。
でも、何か違う。
そんななかの1982年の夏。
奇跡とも言える代表校が出現。
大阪府立春日丘高校が大阪大会で優勝し甲子園へ出場した。
これにはびっくりした。
偏差値70近くの府立の進学校の野球部が府の頂点にたったわけで、当然この学校となんら関係のない私も周囲もこの学校を応援したことは今も記憶に強く刻まれている。
印象的だったのは私学のような応援団がいなかったことで、急場で作られた応援団は実に高校野球の原型のようで清々しかったのであった。
なお、シンガーソングライターの槇原敬之、コミックシンガーソングライターの嘉門達夫、手品師のゼンジー北京がここの卒業生である。
昨日、大阪の代表校が完封負けを失した。
私は何度かこの学校の隣にある大阪府消防学校へお邪魔をしたことがあり、ここの学校の明るさ、礼儀正しさをかつてのPL学園のそれのように見ることがあった。
なので、いい学校だと思うのだが娘曰くここもまたPL学園と同じように「同級生に誰も進学したものがいない」学校の一つのようだ。
毎年、甲子園の野球球児を見るたびに、
「あんたどこ出身?」
と尋ねたくなる、少しく寂しい感じもある甲子園大会なのだ。