このブログは 自分の考えることを
できる限り率直に
なおかつ 礼を失することなく書き連ねようとの信念で
(少々オオゲサですが)続けています
本日もできる限り率直に
さて 中学を終え 次の段階で普通校への道
実務を目指し工業系への道
のどちらかをということになり 諸事情により後者に
大学への道は断念せざるを得なくなったとき
後にも思った最大の残念さは
文学系の教科の手薄さを覚悟せねばならなかったこと
特に 国語系の授業の圧倒的配分差を感じたことでした
授業時間においても教科内容においても
評論という分野を 後々知ったときの感動は
いまでもこの身に覚えています
(そのような分野の授業はなかったので)
文芸評論
政治評論
経済評論
などなど
特に 文芸評論を職業として掴んだ方への羨望は
とても強いものがありました
私にとっての 文芸評論との出会いは
とっつきにくいものが多く
ガッカリしたものでした
(モチロン 自分の力不足で
読みこなせないことが最大の理由だとは感じましたが)
そんな折 光明を感じさせてもらえたのは
江藤 淳 氏の評論
夏目漱石に関するものが 氏の大部をなすと思いますが
(私の乏しい理解ではの話です)
なにより 平易な言葉で
理解しやすく 飛躍しすぎなく
独断に陥ることなく 公平な感覚で
評論という分野に落胆を覚え始めていた私にとって
まさしく救いの評論家でした
氏の最期が あのようなかたちになるとは
返す返すも残念
アリガトウございます と
たびたび念じたことでした
いまだに 氏の評論は読み返させていただいて
おります
忘れられないことのひとつに 氏の文学に対する一貫した
真摯な姿勢
ある文学賞の選考に関し
断固としてその決定に反対されていたことを
思い出します
時流になんとなく乗った あまり意味の無い
単に出版界の売り上げ効果を狙ったような
安易な基準で わが国の文学性を疑われるような選考
は 断じてするべきではない
氏は そのように言われたのでした
今から 30年前?頃
拍手喝采したものでした
(幼稚な私の基準からしても どうしてアノ作家のアノ本が
選ばれなければならないのか・・・)
と 生意気ですが 悩んだものでした
いまでも その作家のものは ピンときません
(もっとも 最後の決め手は 好き好きでしょうね 多分)
氏の態度(孤立を覚悟でも 自分の意見を堂々と表す
評論家としてのプライドに懸け)には
いまもって感服してます
それにひきかえ
昨今の諸々の・・・界の現状
軽すぎるというか 安っぽいというか
権威がなさすぎるというのか
迎合しすぎるというか
どこかでパチパチと拍手喝采となると
あちらでも こちらでも
なんだか解らない基準で ものごと一件落着
このへんで やめておきます
熟年者の 愚痴でもあることも
一面ホントなのでしょうからね
意見と愚痴
微妙
でもないか?
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