16歳から18歳くらいまで
友達とバンドを組んでました
ビートルズのマネ
マネ なんぞと言えるレベルのものではありませんでしたが
安いギターをもって 学校の寮の玄関口なんぞで
練習しました(寒さなんぞ ナンノソノ)
うるさいので とても 部屋を借りてまではできずに
皆の勉強の邪魔をしては悪いし
汚れた靴箱の並ぶ中での歌声と安いギターの音
シアワセでした
そのメンバーの数人は いまでも悪友
いや マジメなやつもいますし 親友です
(ワルでも マジメでも 友達は皆
ある意味 親友ですよね)
さて そのころのギターのうまい下手は いかにスピードある
捌きができるかが 重要ポイント
例えば
ローリングストーンズの ハート・オブ・ストーン
での ソロが こなせるかどうかみたいな・・・
そういうのが決め手
今思うと 真のテクニックも 叙情も 音ごごろも
何も判っていなかったような(わたくし奴はです)
JAZZを聴き始めた頃も 超スピード ハイ テクニック
とか そのような部分に心をとられていましたが
さすがに
真の 音楽性とは なんぞやなどと
一応考えるようになり・・・
トランペットにクリフォード・ブラウンという方がいました
その超抜テクニックに初めの頃は 驚き
しばらくして(数年後) 少々 音の多さに生意気にも
不満を覚え 一時聴かなくなり・・・
でもある日 とんでもない過ちに気づき
心から 謝りました
彼は 25歳でこの世を去ったのです
普通なら 情で音を繋ぐより
まだまだ テクニックで音を繋ぐ年齢です
ジックリ聴くと
感嘆と驚きを禁じえないほどの
哀愁も 叙情も
色気も 知性も あどけなさも(失礼とは思いますが あえて)
たっぷり 備えた やはり天才(と 私は思います)だから
こその音楽
“ブラウニー あの 生意気にも 聴かなかった時期
ごめんなさい”
最近は 難しいことはあまり考えません
だいいち 音楽の質の高低なんか 私に解るわけが
ないのでした
心地よい音楽
それが基本
今日だって
JAZZも
ブルース・スプリングスティーンも
矢沢永ちゃんも
聴きました
時間経過と 体調と 心の調子で
いろいろ変わるんです そのとき欲しい音は
演歌だって 聴きますよ(一杯飲み屋さんで)
それが 私という人間
http://toku4812.server-shared.com/