萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第59話 初嵐 side K2 act.10

2013-02-01 00:02:17 | side K2
「繋」 その視界、遠くても同じ場所



第59話 初嵐 side K2 act.10

屋上の扉を施錠して、階段を降りて行く。
ふたつ足音を並べて下る、その彼方から人々の喧騒は聞えだす。
いま同じ宿舎に周太と歩いている、この今の瞬間にふっと15年の想いが笑った。

―もしも周太とあのとき、ちゃんと再会出来ていたらドウだったんだろね?

15年前の冬、初めて雅樹の森で周太に出逢った。
あの日すぐに再会の約束をして、それを信じて毎日ずっと山桜に通い続けた。
雅樹が愛した樹霊ドリアード、その化身に逢えたのだと嬉しくて、願いを叶えてほしくて待っていた。
ずっと雅樹が大切にしていた山桜の大樹、あの木に宿る精霊なら雅樹を生き帰らせてくれる、そう信じていたかった。

だからもし、あの後すぐに再会していたら。
そうしたら自分は願いの儚さを理解して、受け留められたのだろうか?
それとも頑なに信じ込んで、周太を手離さないで願いごとを叶えてもらおうと術を尽くしたろうか?
そんな事を考えながら今、後輩として話して廊下を歩き、隣り合わせの自室の前に辿り着いた。

「じゃ、湯原くん。また明日は訓練で一緒だけど、よろしくね?」
「はい、よろしくお願いします。おやすみなさい、」

折り目正しい返事に微笑んで、端正な礼をしてくれる。
きれいな姿勢の動きに黒髪ゆれて、やわらかく蛍光灯を映し香こぼす。
かすかに甘い穏やかな髪の香に心配を喚起したくて、声を低めた忠告に笑いかけた。

「…ドア、簡単に開けるんじゃないよ?じゃ、おやすみさん、」
「ん、…光一こそね?」

同じよう低めた声で微笑んで、周太は自室に入って行った。
その施錠音を聴きながら光一も扉を開き、入るとすぐ鍵掛ける。
ライトを点けないままベッドに寝転んで天井を見上げ、いま別れたばかりの笑顔に笑った。

「ナニが俺こそね、かね?」

この自分が男達に囲まれた所で、何もされやしないのに?
よく幼いころから容姿で注目されてきた、その視線は男も女もある。
けれど唯ひとりに操を護ってこられたのは、それだけの体力も智恵もあるからだった。

―雅樹さんの記憶、体から消したくないからね?だから勝手には絶対にさせない、相手が誰だろうとね、

唯一夜だった、全身で真実を交せた幸福は。
あの夜だけが自分の永遠、あれ以外に自分はセックスなど出来ない。
雅樹との約束だった十年後は来なかった、その絶望に女を抱いた時にも真実は無い。
英二との夜は幸せで、惹きこまれた時間は甘い媚薬のよう全身を甘楽に浸して、充ちた眠りに墜ちこんだ。
けれど雅樹との夜に溺れた幸福も真実も、ふたり融けあう感覚も見つからない。そんな目覚めの夢は「雅樹」だった。

―なんども抱かれたのに夢はいつも雅樹さんだったね、こんなにも雅樹さんだけと抱きあいたがってる、俺は、

雅樹の他に唯一のアンザイレンパートナーでも、駄目だった。
唯ひとり雅樹を求めてしまう、この心を欺くことなんてもう出来やしない。
生まれた瞬間から想う人が自分の永遠、だからもう16年前の夜だけを抱きしめて独り、この命ある世界を生きる。

―だからやっぱり結婚しないね、ごめんね祖父サン、祖母サン、きっと家を絶やしちゃうよ、俺は、

旧家のひとりっこ長男、その自覚をもって大人になった。
結婚して後継ぎを生まれさす、それは当然の義務で責任だと解っている。
このことを幼い日はまだ解っていなかった、けれど雅樹は理解していたはずだろう。
自家と吉村の家は屋敷も土地も近隣に持つ累代の親しい家同士、お互いの事情など知り尽くしている。
それでも雅樹が「ずっと一緒にいる」と約束してくれたのは、あのとき雅樹が選んだ選択を今なら解かる。

―雅樹さんが十年後って言ったのは、結婚しないツモリだったね?…なのに俺が誰かと結婚して離れても良いって覚悟してた、

あのとき雅樹は23歳だった、その十年後に再び肌交わそうと約束をしてくれた。
十年後の自分が十八になる誕生日、その夜まで誰にも体を赦さないと約束して自分を選んでくれた。
23歳だった雅樹の十年後は33歳、きっと山岳医療とERの医師として繁忙な時期に当ってしまうだろう。
そんな時期からあの雅樹が恋愛をして、結婚して家庭を持てるほど器用に出来るかなんて少しも思えない。

「十年、僕を待たせていて?本気で大好きだよ。僕は変わらない、ずっと光一を待っているよ…ずっと君と一緒に生きたい」

そう告げてくれた想いは、あの夜の体温は香は、あの感覚たち全てが真実。
その全ての通りに雅樹は一途で不器用で、純粋なまま自分の言葉も想いも全て無条件に信じてくれた。
まだ8歳の声を真に受けるなんて愚かと言われるだろう、それも解かっていながら雅樹は永遠の約束を選んだ。

―俺と約束するために結婚を諦めてくれたね、ほんとに全部を捨てて俺を愛してくれるね?だから…俺も同じだよ、雅樹さん?

唯一夜に懸けてくれた雅樹の真実に、終らぬ涙は温かい。

もしも雅樹が命を生きているのなら、きっと自分は結婚などしない。
だから今、生と死に別れていても心は繋がるのなら同じこと、独り生きるのでも結婚しなくて構わない。
その涯には祖父も祖母も見送り独りになるだろう、それでも自分は「山」に生きて雅樹の夢と約束を果たせばそれでいい。
そうして生き続け夢の全てを叶えたら、きっと最期には雅樹が迎えに来てくれる、そう信じている。
だからこそ自分はアイガーの氷河に眠らず、今ここに生きている。

「それで俺は幸せだよ、雅樹さん?…ずっと一緒にいたいから独りでいたいんだ、ね…雅樹さん?」

そっと独り言に見上げる視界、薄暗い天井が滲みだす。
誰にも言えない雅樹との真実が熾火きらめかせ、生み出す熱が瞳を温めていく。
ベッドから仰いだ薄闇に水面ゆらいで頬、ひとすじ熱は伝いおちて次、また涙あふれて小さく笑った。

「それで幸せなんだ、でも…ごめんね周太、泣かせて、涙もいっぱい堪えさせたのに英二もダメなんて…ワガママだね?だから…解かるよ?」

本当に我儘な自分の恋心、あの英二でも充たされないほど唯ひとりしか欲しくない。
天使の包容と魔王の魅力に目映い才能あふれる男、そんな英二が精一杯の誠実で自分に憧れ愛してくれる。
それが自分だって嬉しくて大好きで、それなのに雅樹ばかり求めて嘘も言える自分だから、周太の嘘と涙が解かってしまう。

「君の嘘を解かっちゃうんだよね、俺も君と同じ、たった一人しか見えないからさ?独り占めに好きって…泣いてんの解かっちゃうよ?」

凛と端正な周太の心、それは純粋な嘘を吐く。
ただ愛する人を護るためだけに沈黙する嘘、それで自分が傷ついても結局は縋らない。
だからこそ周太は13年間も優しい孤独に生きてしまった、あの13年間は自分にだって責任が痛い。

『もしも十歳の春、山桜が咲いた時に周太を探し逢いに行って、約束を叶えたのなら?』

そう本当は考えてきた、あのとき自分が「待つ」ではなく「探す」ことを選んだら?
そうしたら周太の孤独を救えたかもしれない、そして記憶喪失も悪化させずに済んだかもしれない。
だって周太が記憶を蘇えらせた鍵は1月、雪の森で山桜の約束を語って呼びかけた自分の言葉だった。

―もし俺がすぐ逢いに行ってたら周太、樹医になる夢だって忘れずに済んだかもしれない…そしたら今こんなことになってないんだ、

どうして周太が今ここで死線に立っている?

それは50年の束縛が惹き起したことだろう、けれど自分が絶ち切る鍵を持っていた。
それなのに自分はただ雅樹を待ち続け、そうして逸らした現実で周太は苦しんだ。
そんな自責が本当はさっき、話している時からずっと想えて泣きたかった。

「…っ、ご、めんねっ…」

十歳の春にこそ、自分は「探す」冒険に出るべきだった。

雅樹が愛した山桜の樹霊ドリアード、その俤を探す方法は幾らでもあった、その全て尽くして周太に辿り着くべきだった。
そうしていたら自分は雅樹の死に向きあえた、そうしていたら周太は学者として生きるべき場所に立てた。
それが本当の意味で周太にとって「父の意志を大切にする」真実の道だったのに?

―ごめんね周太、13年も、今も、君が泣くのは俺のせいだね…英二のことでも君を泣かして…だからなおさら護りたいね、

もう周太の近未来は「死線」が運命だろう、それなら尚更に大切な時間を贈りたい。
どんなに目を逸らしたくても辛苦が現実ならばこそ、どんな瞬間も温もり想える幸福をあげたい、護りたい。
この願い叶える鍵を探したくて今、故郷を出て自分はここに来た。この壁の向こうには今、十歳の春は探せなかった人が居る。

「…どうしたらいいかな、雅樹さん…もうドリアードを泣かせたくないよ?」

ひとりごとに援けを求めて俤を見つめる、それも幸せが温かい。
どうしたら自分たちの叶わぬ夢を周太が現実に出来るのか?それを夢見て考える。
英二と間垣を超えてしまった自分が願うのは烏滸がましい、そう想うけれど願うまま考えたい。

―英二が独りぼっちも大丈夫なら良いね?周太がいない孤独とがっぷり組み合っても、笑えるようになりゃイイ、

それには今がチャンスだろう、周太とも光一とも離れている「今」を真直ぐ超えれば良い。
いちど知った「ふたり」の幸福から離れる、その痛切は自分も知っている。けれど英二は永訣に亡くしたわけじゃない。
確かに周太と離れる時間がいつ果てるか解らない、けれど不安と孤独を超えた涯にこそ幸福はあると強く笑えたら良い。
けれど、どうしたら英二は孤独にも笑えるようになる?その思案を頭上の闇に見つめる手元、携帯電話が震えた。

「…あ、」

呼びだす振動に溜息こぼれ、薄闇に携帯電話を開く。
まぶしく灯る画面ライト、そこに表示された時刻と発信人名に躊躇いが竦んだ。

―…夜、電話するから。8時半位だと思う

真昼の第七機動隊舎前、四駆の車中で約束してくれた。
あの笑顔が今もう遠く感じられて、ほんの数分前まで一緒にいた人へ自責が軋む。
いま架けてくれた事に電話の優先順が解って、それが苦しいまま「通話」ボタンを押した。

「なにやってんの、おまえ?」

本当に何をやってるんだよ、順番を間違えるんじゃない。
そう言いたい小さな苛立ちに、困りながら微笑んで光一は言葉を続けた。

「どうして俺から先に架けてるワケ?奥さんを先にしなよね、」

先に周太へ架けてほしい、後悔しないように。

もし一秒後に遭難事故が起きれば召集を受け、すぐに電話も切って現場へ駈ける。
この可能性がゼロとは誰にも言えない、それが所轄の山岳救助隊なら当然の現実。
こんな生死の最前線に立っているのなら、まず「一番」の声を最初に聴くべきだろう?
そうした覚悟も教育係として英二に教えてきた、けれど自分に電話してきた事へ小さく苛立つ。

―山ヤの警察官だって自覚、チャンと持てって言ってるのにさ?

自分の言葉が届いていないのだろうか?
そう裏切られたようで困ってしまう、期待の分だけ尚更に痛い。
優秀な後輩で部下で、親友でパートナー。その全てで期待と信頼する相手は、けれど言ってくれた。

「今は、光一の方が心配だろ?」

周太より自分を?
それが意外で首傾げた先、きれいな低い声が笑いかけた。

「警察官としても山ヤとしても、俺は光一のパートナーでセカンドだよ?仕事や夢を一番にしなかったら、男はダメになるだろ?
俺だって光一に相談したいことあるんだよ、後任者の指導のこと。だから光一から電話したんだ、このあと周太に電話するけどさ」

公私ともにパートナー、そんな自分たちは互いを優先する必要がある。
そう告げてくれる想いに安堵する、やっぱり自分の言葉は届いていた。
良かったと静かに笑った向こうから、英二は率直な想いを告げてくれた。

「光一、周太はもう俺に甘えないことで自分を支えてるんだ。だけど光一には俺が必要で当たり前だ、そういう立場だから。
俺にも今、光一の支えが必要だよ?そうやって俺たちは支え合う為に、公認のパートナーになることを選んだはずだ。そうだろ?
さっきまで周太といたんだろ?もう光一なら気付いたよな、今の周太が覚悟してるって。周太を信じて俺、先に光一へ電話してるよ、」

周太はもう、誰にも甘えない。
それを自分も今日の半日で知らされた。
つい数分前も屋上で見つめ合った周太の瞳は、ただ静かに現実に微笑んだ。
あの覚悟を英二は気づいているだろう、けれど周太の傷と深い愛情をどこまで解っている?

「うん…そっか、」

相槌に微笑んで、英二の心遣いに感謝が安堵する。
それ以上にもう間垣を超えてしまった時間、そこに寄せてくれる想いも解ってしまう。
あのとき英二は「初めて」だと信じて特別をくれた、それを自分も肯い告げた言葉がある。
その全てが時を経るごとに、違うのだと本音が叫んで今はもう恋愛から孤独を決めてしまった。
こんな自分など構わずに唯ひとりを想ってほしい、それなのに自分を優先してくれる言葉が辛い。

―ごめんね、俺が悪いのに…ほんとうは周太が嘘を吐いてるって、英二に気づかせたいよ?

英二を護るために吐いた嘘、この真実を英二に気付かせたい。
その考え廻らせていく向うから、今日一日に英二は口を開いた。

「今日は前哨戦ってとこだったよ、そっちは予想通りって感じか?」

どうやら新任の原と、さっそく小競り合いがあったらしい?
どんな場面だったのだろうと想像に笑って、自分の現況を言葉にした。

「だね、やっぱアウェーだよ。表面化はしていないけどさ、そういうの逆に面倒だね。おまえはストレートだろ?」
「うん、顔にも声にも解かり易いよ、だから楽かな、」

ほら、やっぱり「楽」だなんて言えてしまう。
きっと人誑しの英二にすれば、単純らしい原は1ヶ月もあれば陥落できる。
たぶん英二が異動するときに原は泣くんだろうな?そんな未来予測に光一は笑った。

「やっぱりね?そういうカンジのヤツだって聴いたよ、」
「気にしてくれたんだ、ありがとな。そっちは真面目な雰囲気らしいけど、会話はあるだろ?」
「だね、ちょっとした知り合いは俺、山関係は多いしね、」
「話せる相手、いるんなら良かったよ、」

お互いに抽象的な事しか話さない、それでも状況が互いに解かる。
連帯と共感は離れていても途切れない、この信頼が変ることなく温かで嬉しい。
あの夜を超えても不変の絆が自分たちにはある、その繋がりに微笑みながら溜息ひそやかに零れた。

―信頼できる男なんだ、キッチリ現況の分析ができる賢い男だね…だけど周太のコトだけは脆すぎる、壊れるくらいにさ?

最愛の伴侶と離れてしまう時間、その不安と哀切に英二は一度もう壊れかけている。
まだ初任総合で警察学校にいた2ヶ月間を、周太と過ごせた幸福に英二は失う恐怖を募らせた。
恐怖から規則違反を犯して学校寮で周太を抱いた、その涯には無理心中すらしようと周太の首に手を掛けている。
あんなふうに英二が壊れてしまうなんて、普段の賢明で穏やかな姿から誰が想像できるだろう?

―天使が魔王になるのは、たったひとりが欲しいからだね、そんだけ寂しがりで愛情も深いんだ、

本当は余所見なんか出来ないくらい求めて、好きで、想っている。
あんまり好きだからその母親まで愛して、恋して、その家ごと大切になってしまう。
だから英二は尚更に自分のことも求めて、あの夜に抱いてしまったのではないだろうか?
初恋で最愛の周太、その初恋相手が自分だから。

―俺の写真見て憧れたのもホントだろうけどね、それ以上に本当は、周太の初恋も自分のモンにしたいんだろ?

このことを英二、自分で解かってる?

自分たちは「山」に繋がれる者同士、アンザイレンパートナーと『血の契』で結ばれる。
それは同じ世界を見つめ生きること、だから互いが自分の世界全てだと想い合えるだろう。
けれど、この体まで求め抱いたのは、光一の裡にある9歳の周太も英二は欲したのかもしれない。
そう想うのはきっと「抱き合えた」のでは無いと解っている所為、この想いを光一は台詞に変えた。

「ま、いちばん話した相手は隣人だけどさ?ちょっと涙を閉じこめてる訳アリの奴がね、イマイチ解ってないってカンジ?」
「…え、」

電話の向こう、綺麗な声が止まる。
その間隙へと穏やかに笑って、ヒントを投げ込んだ。

「マジなら独り占めしたいってのが本音だろが?ソレ言えない理由ってのがさ、お相手が溺れ死にしそうで浮き輪が必要だからだね?」

何を独り占めしたい?お相手は誰だ?何に溺れて死にそうで、浮き輪は誰だ?

そんな謎かけに電話の向こう、かすかな息を呑む気配が切なく響いて吐息こぼす。
こんな哀しみも結局は自分が全て悪い、この自責に微笑んで光一は想いを告げた。

「いいかい?浮き輪に縋ってるよりね、自力でクロールした方が速くゴール出来んだろ?ゴールがドコなのか見失うんじゃないよ、」

本当に欲しい心があるなら代りの相手など無い、ただ自分の心ひとつで求めに行くしかない。
それが可能か不可能かなんて考えこむ暇があるのなら、一度でも多く相手を笑わせる方が幸せだ。
そう自分は信じて8年半、いつも雅樹が帰る度ごと一秒でも多く傍にいて精一杯に笑わせた。
そうやって見つめ合い築いた幸福は、生命に別たれても永遠のまま明るく輝いている。
だから英二と周太にも今一秒を大切にして欲しい、この願いに電話を透し笑いかけた。

「ほら?俺たちはね、一秒後にご指名されたって行かなきゃなんないね?だから、ホントに大切な声から聴いときな、イイね?」
「ああ、…そうだな、」

溜息に微笑んで、綺麗な低い声が笑ってくれる。
きっと言いたいこと伝わったろうな?そう笑った向こうで気配が揺らいだ。

「ごめん、光一、俺っ…、」

名前を呼んで詰まってしまう、その声に涙が香りだす。
響きだす嗚咽を呑み下す、そんな気配が嬉しくて笑いかけた。

「こっちこそ、ごめんね?さっさと気づけなくってさ、赦してくれる?」

三つ、自分は気づけなかった。
自分の動けない想いにも、英二が自分を抱きたい意味も、そして周太の隠した涙にも。
けれどアイガーの夜が無かったら自分は気づけない、その哀しさに微笑んだ向こうから英二は言ってくれた。

「…あたりまえだろ?俺のほうこそ…ゆるしてよ、」

涙堪えたトーンに、黄昏の記憶から泣笑いの貌が映りだす。
あの窓辺で向かい合った英二の孤独、そのとき自分が選んだ肌重ねる選択。
あのとき寄添い合えたことに後悔は無い、あの夜に刻みあった傷すらも絆に変えられるから。
そう信じる本音ごと起き上がり、ベッドから星あわい窓を見つめて故郷の空へと笑いかけた。

「お互いサマって言ってくれるんならね、俺たちホントに相思相愛の親友ってカンジでイイね?」

もう間垣は超えた、それでも「親友」だと言い合える?
この願いに笑いかけた先、涙と一緒にパートナーは笑ってくれた。

「親友だよ、何があっても変わらないって俺、信じてく…大好きで憧れて、俺の世界の全部だ、ずっと一緒に山に登ってたい、」
「よし、約束したね?」

ちゃんと応えてくれた、信じられる。
応えられた信頼に笑って、光一は本音を告げた。

「あのさ、俺の相手を全員嫉妬するってオマエ言ったよね?でも、雅樹さんと周太は仕方ないって言ってくれたの嬉しかったよ。
雅樹さんのこと生きてる人と同じに想ってくれて、そういうの解ってくれるんだって俺、本当に嬉しかったんだ。ありがとね、」

雅樹は自分の幸福の俤、全てを分かち合う唯ひとり特別な存在。

“これから英二と交わす逢瀬の瞬間に、幾度と自分は消えた幸福を追うのだろう?
 お互いに英二とは全てを赦し合うなど出来ない、そう解っているから繋がれるものだけでも赦しあってみたい”

そんなふうアイガーの黄昏に自分は想い、そのとおりに心が浮き彫りになった今、こんな時間を英二と見つめている。
こんなのは痛くて切なくて哀しい、それでも後悔にしたくないなら明日をどうしたら良いのか考えたい。
そんな晨への想い笑った向こう側、きれいな低い声が穏やかに微笑んでくれた。

「俺も嬉しかったよ、光一に話すのは俺の独り言と同じだって言われて嬉しかったんだ、本当に俺を光一の世界だって想われてるって。
俺と愛し合いたいのは周太だけじゃない、そう言ってくれて嬉しかった、俺…ほんとうに周太以外に抱きたいって想えるの光一だけだよ、」

本命がいても他を愛せる余裕がある、そんな器用さは雅樹に皆無だ。
そういう余裕は男なら魅力かもしれない、けれど不器用な天使が自分は愛しい。
こんなふうに英二は似ている分だけ差が見えて、そんな「違う」が光一を気がつかせた。

―雅樹さんの全部が、まんま俺の好みになっちゃってるんだね…だから違うとダメなんだ、

だから恋愛の二度は、自分に無い。
そんな自覚が静かに笑う、やっぱり自分は雅樹しか見られない。
それなのに英二は求めて泣いてくれる、その涙に感謝しながら光一は明るく応えた。

「ありがとね、でも今は浮き輪を放りだす時だろ?さっさと自力で泳いじまいな、」

早くした方が良い、一秒でも速く心は伝えた方が良い。
そう笑った先でアンザイレンパートナーは、呼吸ひとつで笑ってくれた。

「おう、明日は9時半ごろ電話するな?おやすみ、光一、」
「おやすみさん、またね、」

明日は、またね、そんな言葉と電話を切れる。
そのままベッドから立つと、クロゼットから白いシャツを手にとった。

「…匂い、残ってるんだね、」

アイガーの暁に譲り受けたシャツは、元の主の香を名残らす。
どこか故郷の森を想わせてくれる、この深い香が単純に好きで温かい。

―あの森みたいな匂いだね、雅樹さん?

心で呼んで笑いかける、その俤が微笑んだ。
大切な人の記憶と祈りが眠る森、あの場所を香らすシャツを手にベッドへ横たわる。
秘密めく深い香に懐かしい森を抱きしめて、あわい星きらめく窓に微笑んだ瞳を閉じた。



ふっと披かれた視界、ブルーグレーに朱金の色が映りこむ。

カーテン開いたままの窓に暁は広がりだす、新しい陽光まばゆく金色を投げる。
寝転んだまま見上げる空への視界、その香は森の深い静謐が優しい。
今この香、この空の色、そして夢見た記憶に光一は微笑んだ。

「おはよ、雅樹さん?…夢でも逢えたね、あの森で、」

山桜の護る森は、雅樹が生まれて眠る森。
あの森は今ここから遠い、けれど夢に香に光に逢える。
こんなふう時も空間も隔てられない繋がりに、ただ幸せ微笑んで晨は拓く。








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第59話 初嵐 side K2 act.9

2013-01-30 23:50:47 | side K2
「披」 想いの行く先へ、



第59話 初嵐 side K2 act.9

呼吸ひとつで扉をノックする、その向こうに気配が動く。

今からの時間へ緊張が背筋を昇らす、すこし肌から強ばりだす。
この生命ある世界では自分にとって一番怖くて綺麗な存在、そのひとが今、この扉を披くだろう。
それから始まる時間が不安で、けれど向きあいたい想いに開錠音は鳴って白いシャツ姿が顕われた。
いつものよう穏やかで優しい微笑が見上げてくれる、その眼差しに鼓動を敲かれながらも光一は微笑んだ。

「こんばんは、湯原くん。お邪魔してイイ?」
「ん、はい、」

頷いてくれる笑顔に笑いかけ、静かに部屋へと入る。
擦違いざま爽やかで穏やかな香が頬撫でて、なにか心ほどかれていく。
こんなふう人を寛がすものを周太はもっている、だからこそ困って光一は幼馴染の額を小突いた。

「ほら、周太?ちゃんと相手が誰か、確かめてから扉を開けないとダメだろ?」

ここは機動隊舎、男ばかりの閉鎖社会。
そんな場所で周太の空気は目立ちすぎて、訓練の時もヘルメットを外した瞬間から目を惹いていた。

―普通に女がいる所なら良いんだけどさ?女日照りの中じゃ、確かにヤバいよねえ?

周太に女々しい空気は無い、けれど中性的では無いと言ったら嘘になる。
少年のよう繊細な雰囲気は優しげで「女日照り」にとったら縋りたいだろう。
これでは婚約者で保護者の英二が心配するのも無理はない、そんな理解を笑って教えてみた。

「英二にも無防備すぎるって、注意されてたんじゃない?」
「あ…ごめんなさい、」

素直に謝って困ったよう微笑んでくれる、その容子が可憐に稚い。
白いシャツの首筋から薄紅あわく昇らせながら、穏やかな声はお願いしてくれた。

「次から気をつけます、だから来るときはメールとか先にもらえる?」
「それ良い考えだね、明日からそうするよ、」

気楽に笑って応えながら、けれど鼓動はずっと軋んでいる。
さっき第2小隊に向かい合ったときは何とも無かった、けれど今は周太の心に不安になる。
ずっと昼間から考えていた「問い」に向きあう時は今、けれど口にしたらどうなってしまう?
この優しい笑顔は変わってしまうだろうか、嫌われても仕方ないと自分は諦めきれるだろうか?
そんな逡巡が廻ってしまう躊躇いに、きれいな笑顔が温かなトーンで促してくれた。

「良かったらベッドに座って?話していってくれるんでしょ、」
「うん、」

ほっと安堵が頷いて、光一はベッドに腰をおろした。
ベッドに座って良いと赦してくれたなら、嫌われてはいない?
そんな期待の隣に周太も座ってくれると、穏やかに笑いかけてくれた。

「やっぱり綺麗になったね…北壁と英二のお蔭って思っていい?」

マッターホルンとアイガー、ふたつの北壁で英二と共に記録を作った。
ふたつ夢を叶えた充足感と、大切な人と新しい繋がりを結んだ幸福感がそこにある。
けれど気づかされた本音は泣きたくて、優しい祝福の笑顔を見つめるまま涙と微笑んだ。

「うん、いいよ。北壁で俺ね、いろいろ気が付けたんだ。それで俺、英二に…っ、」

言いかけた頬を、ひとすじ涙こぼれていく。
滲んでしまう紗の向こうで黒目がちの瞳が優しい、その眼差しに熱は涙をおとしゆく。
言葉に出来ない哀しみが喜びが、叶わぬ想いの痛みと温もりが堰あふれて、もう止まらない。

―ごめんね、周太…願ってくれた幸せは俺、違ったんだよ?

唯ひとり恋して愛した人、その温もりを自分にも与えてくれたのに?
こんなにしなくては解らなかった自分の愚かは哀しくて、けれど後悔も出来ない。
英二と過ごした恋愛の時間に幸福だった、その温もりは真実だから後悔にもなれない。
けれど誰もが傷ついてしまった、きっと英二も本当は傷ついて今夜、電話で周太に泣くだろう。

―でも雅樹さん、俺ね、英二のお蔭でやっと…雅樹さんが亡くなったんだって納得出来たんだ、それでも大好きって解ったんだ、

英二の肌は温かく熱くて、深い森の香が包ます快楽はあまい痛みに充たされ酔えた。
その全ては幸せだったと想う、けれど自分が求めていたのは「雅樹」の全てしかない。
英二が与えてくれた生命ふれあわす時の間、肌を交わすたびごと死者への想いが深く響いた。
この想いごと抱かれていく感覚の視界、白皙の肩の彼方にアイガー「死の壁」は星に太陽に山の記憶が輝いた。

―あのときアイガーにずっと見ていたんだ、雅樹さんが登ってく姿を見てた…だから夢は雅樹さんだった、ね…

この全てを本当は、周太に告白してしまいたい。
雅樹が愛した山桜の樹霊を宿すひと、その心へと全て曝け出してただ縋りたい。
けれど自分にそれが赦されると想えなくて、ただ涙ふるえる肩を温もりに抱きしめられた。

「ん、無理に話さなくて大丈夫…ふたりが幸せなら良いから、」

穏やかな声、そっと心から包んでくれる。
その言葉も想いも優しくて、純潔の温もりに心ごと委ねて光一は微笑んだ。

「ありがと、ね…ごめんね、」

ごめんね、それしか言えない。
ただ抱きしめて縋ってしまう、いま言われた言葉が心を刺して痛い。
後悔はしない、けれど応えることが出来ない自分の本音が泣いてしまう。
この感情を体ごと抱きとめ背をさする優しい手、その持主は穏やかに笑いかけてくれた。

「ちょっと風に当たりに行かない?…自販機でなにか飲み物を買って、」
「…うん、」

素直に頷いた頬を、優しい手は指で拭ってくれる。
このひとは恋人を想い泣いただろう、その罪をどうしたら自分は償える?
そんな思案廻らせて廊下に出て、歩いて行く道すがら第1小隊の山ヤたちと擦違った。

「国村さん、おつかれさまです、」
「おつかれさまです、谷口さん、井川さん、」

名前を呼んで笑いかける、その相手が同時に瞬いた。
この二人も名前を憶えられている事が、きっと予想外だろうな?
いつもながら可笑しくて笑いながら会釈して、今度は齋藤が第2小隊の男と立ち話していた。

「こんばんは、齋藤さんに浦部さん、」
「あ、…おつかれさまです、」

ほら、浦部がちょっと驚いている。
夜間訓練でも浦部とは言葉交わす時が無かった、けれど名前呼びの件は他から聴いたろう。
そう考えながら行き過ぎようとした向かいから、齋藤が笑って返事してくれた。

「国村さん。晩飯の時ありがとうございました、こんどはK2の話も聴かせてください、」

他の第2小隊員がいる前で、隠さず齋藤は親しみを示してくれる。
採用学歴は違っても同期という連帯感と山ヤの敬意、そんな明るい空気を見て光一は笑った。

「こっちこそね、石鎚山の話とか聴きたいです。四国はまだ登っていなくて、」
「ああ、また飯一緒しましょう、」

次回の約束で態度表明する、その意志が素直に嬉しい。
この男とも話す時間が増えていくだろうな?そんな近未来に笑って歩きだす。
そうして幾人かと会釈交わしながら自販機に立ち寄り、屋上に出た。

がたん、

重々しい鉄扉を開いて見上げる、その空は昏く地平は人工に明るい。
雲ゆく軌跡に光を探しても見つからない、もう山から遠い夜空にからり笑った。

「やっぱり星の数が少ないね、」

フェンスに軽く凭れてプルリング引く、その隣でも軽い金属音が響く。
ふっと甘い香が夜風に運ばれて、どこか懐かしさ想いながら光一は隣に微笑んだ。

「屋上だなんて周太、盗み聞きを警戒してるね?」

さっき部屋での会話が少なかったのは、これが理由。
この問いかけに黒目がちの瞳が少し笑って、眼差しは「肯定」を答えた。

―やっぱり周太、解ってるんだね?自分がどんな危険を冒しているのか、気づいて…

もう周太は「知っている」だから無人の屋上に自分を連れてきた。
きっと知るに至らせた事件がある、既に歯車は動きだし接触が始まっている。
この現実ごとブラックコーヒーを飲みこんで、穏やかに佇む隣へと光一は微笑んだ。

「なにか気付いたことがあるんだね?俺には話してくれるつもりで、ココに来たんだろ?」
「ん、」

短く頷いて周太はココアの缶を傾けた。
そして息ひとつ吐いて見上げると、黒目がちの瞳が真直ぐ光一を見つめた。

「新宿署長の異動が決ったんだ、」

告げた事実は「知っている」の意思表示、そんな眼差しを微笑で受けとめる。
いま言われたことの真相を当然自分は知っている、それも尋問されるだろう。
きっと問われる、そう朝から考えてきた通りに光一は尋ねた。

「そうらしいね、今朝の発令で見たよ?周太はいつ知ったワケ?」
「今朝のあいさつ回りで知ったんだ、理由は体調不良らしいね…俺の異動と関係あるんでしょ?」

何か知っているでしょう?

英二といつも一緒にいたのなら、何があったのか知っているはず。
それを話してほしい、そう自分を見つめてくる瞳は真直ぐ信頼を問い、穏やかな声が続けた。

「あの署長にね、父を知ってるって卒配の初日に言われたけど、あまり親しくは無いと思う…俺に兄弟はいないのか確認してきたから。
所轄の署長なら履歴書とか見ているはずだよね?人事ファイルも見てるはずなのに訊くって変でしょう?…まるで隠してるって疑うみたい、」

話しながら見つめてくれる眼差しは純粋で、凛と聡明が煌めいている。
強靭な意志が現実を受けとめている瞳、その潔癖な誇り見つめる想いへと疑問が問いかけられた。

「たぶん父と似た誰かを署長は見た事があるから、2度も兄弟が居ないか訊いたんだ…その誰かって、俺は1人しか考えられない。
その誰かに何かされたから、署長は体調を壊したんじゃないのかなって思うんだ…そのチャンスが思い当たる時が一度だけあるよ?」

言葉を切った瞳は透かすよう見つめる、その眼差しを微笑で受ける。
言われた「チャンス」は自分にも思い当たる、けれど隠して笑いかけると周太は口を開いた。

「俺が英二のおばあさまと会った翌日だよ、俺を新宿まで車で送ってくれた。あのとき英二は何時に青梅署の寮に戻ったか、教えて?」
「あいつのアリバイを疑ってるんだ?」

さらり訊き返した先、追求の眼差しが頷いた。
こんなふう周太と英二が疑念を挟んでしまう、そんな現実が嫌になる。
こんな時間の終焉を明るく見つめながら光一は、ただ事実と微笑んだ。

「あいつね、君を送った後すぐ俺に電話してきたよ、」
「電話を?」

なぜ英二は電話をしたのだろう?
そんな疑問に黒目がちの瞳が考え込む、この素直さが愛しく可笑しくて和まされる。

―こういうとこホント壊したくないね、ずっと綺麗なまんまでいなよ…雅樹さんが恋した山桜の、君なんだから、

どうか綺麗なまま生きていて?
人間の昏く哀しい闇に向き合う君、けれど純潔なままいてほしい。
この願いへ明るく笑って光一は事実のままに口を開いた。

「周太と離れて寂しくなっちゃったみたいでさ?携帯にイヤホン繋いで運転しながら、ずっと青梅に帰るまで喋ってたね。
まあ、次の週が講習会で遠征訓練もあったから、その打合せする時間が惜しかったってのもあるケドさ。仕事の話してたよ、」

―…ココアをぶっかけてやったんだよ…古い血液みたいですね、その染み。すぐ洗えば間に合いますよ?

綺麗な低い声が、記憶から笑う。
いま周太が知りたがる当夜の新宿署で、英二が何を行い、何を言ったのか?
この真相を七機異動が決まった日の朝、御岳駐在に向かう車内で英二は話してくれた。

―…あの署長、いま夢のなかで土下座してると思う?…俺が来ること待っていたみたいだ。監視カメラの位置が変わってた…
  あのとき俺から電話しただろ?もし周太に訊かれたら、22時位から青梅に戻るまで、ずっと電話してたって話してくれな

周太を新宿署寮に送った夜、惹き起した事件の真意。
その事実を語る英二は笑っていた、端正な唇は酷薄でも美しかった。
あの貌と一緒に笑い飛ばしながらも自分は、密やかに本音の溜息を吐いた。

―英二は純粋な悪にもなれる男なんだ、きれいで優しい魔王ってカンジだね?

純粋な怒り、それが英二を魔王に変貌させていく。
周到なアリバイを光一に作らせて今、周太に語らせ欺いてしまう。
この偽謀を英二は少しも悔いることはない、その熱が高すぎる直情に道を定めている。
あの横顔は眩しく美しい、だから自分も敢えて思惑の通りに話した。そんな想いに見つめた先、周太が安堵の吐息と微笑んだ。

「俺ね、出来るだけ英二には危ないこと、してほしくないんだ…山ヤとして、レスキューとして頑張ることだけ考えてほしい。
だから英二には、俺より光一を見ていてほしいんだ。俺よりも優先する人がいたら英二、俺のために危ないことしなくなるから、」

どうか自分の為に犠牲になろうとしないで?
そう英二に伝えてほしいのだろう、けれど伝えたところで英二は変わらない。
この自分こそ唯ひとり以外は想えない、だから英二が周太を求める心が自分の心のよう解かってしまう。
雅樹の為なら自分だって英二のよう危険も負いたい、全て捨てられる、この真実の想いに微笑んで光一は首を振った。

「周太、それは無理だよ?あいつが帰る場所は君だね、帰る場所を護りたいのは当然だろ?」
「だから光一を一番にしてほしくって、夜のことしてって言ったんだ、」

被せられる周太の答えと眼差しに、瞳から願いが刺さる。
そして気づいてしまう、周太も英二や自分と同じだ。

―君も、唯ひとりを護りたいね?あいつのこと大切だから捨てようとしてる、でも捨てたトコロで身代わりなんざ無理だね?

身代わりなんて、誰にも出来やしない。
どんなに大切な相手であっても「唯ひとり」の代わりに出来ない、それをアイガーの夜から自分は思い知らされた。
唯ひとりのアンザイレンパートナーで『血の契』である英二は大切な存在、それでも雅樹の代わりには少しも出来ない。
これは英二だって同じだろう、周太にとっても同じだ、その想い微笑んで光一は率直なまま答えた。

「それは俺から御免こうりたいね。俺はあいつのパートナーだ、自由に出掛ける相手だよ?帰りを待つとか無理なコトだね。
なによりね、俺にだって帰りたい場所があるんだ。あいつが帰る場所になんざなりたくないね、コレって何回ヤっても変わんないよ、」

自分たちはアンザイレンパートナー、自由に世界を山をめぐる共犯者。
いつも共に「出掛ける」相手だから帰りを待つなど有得ない、それは肌を重ねても永遠に変らない。
この命懸けられる相手だと想っている、それでも帰りたいと願い求める相手は「雅樹」しか要らない。

―俺たちは伴侶じゃない、共犯者だね。帰る場所はそれぞれ違う、いちばん大切な相手が他にいる同士だね、

自分たちは互いに「二番」優先順位は一番にしない。
けれど同じ世界を見つめて同じ場所に生きられる、そして同じ夢を叶えていく。
こんな自分たちは互いが世界の全てだ、だからこそ最期に還りたい唯ひとりは別の相手同士で良い。

―周太、英二の唯ひとりは君なんだよ?他に誰もいないんだ、

自分の共犯者の想いを、ありのままに理解してほしい。
この願いの向こうで黒目がちの瞳は微笑んで、けれど瞳の底に深く哀しみが温かい。
温かいほどに今は傷んでいく瞳は、そっと静かに微笑んで光一へと「現実」を告げてくれた。

「署長がそんなでしょ?きっと俺は新宿で見張られてたと思う…引越すとき寮の部屋を調べたら盗聴器とか無かったけど、解からない。
ここでも居る間ずっと俺のこと、観察すると思うんだ…だからね、この寮でも込み入った話は、俺の部屋ではしないほうが良いと思って、」

これが今ある現実だと、もう周太は知ってしまった。
自分の交友関係を知られたらリスクを負わせる、そう判断したから今も屋上を話す場に選んだ。
そんなふうに孤独を知りながらも周太は微笑んでいる、その意志と決断に向きあいたくて光一は問いかけた。

「なるほどね、ここに周太と俺が今来たのって皆に見られたけどさ、先輩が後輩に指導するって思われるためってワケ?」
「ん、そのとおりだよ?…俺と親しいって知られるとね、きっと見張られることになるから、」

光一と英二から監視の目を逸らせたい。
そんな現実を告げた人は呼吸ひとつで、既成された現実を告げた。

「光一たちが遠征訓練に行く前、俺は同じ人を2回見ているんだ。一度目は術科センターの射場、次は俺が昨日までいた交番でね。
その人は俺に気付かれていないって思ってるかもしれない、恰好もスーツ姿とポロシャツで雰囲気も変えていたけれど、間違いないよ?」

接触があった、その現実に手が缶を掴む。

周太を直接見にきた相手、それが誰なのか?
この該当者をリストアップしながら見つめた先、静かな笑顔は続けてくれた。

「姿勢の良いお爺さんだった、髪は真白でね…相当の御年だと思うよ?ご高齢で射場に来るのって、どういう人か解かるでしょ?」

―あいつだね、

そっと心がリストを見つめ、冷静が意識を占めていく。
この事を英二に話すべきだろうか?そのタイミングはいつが良い?
考え廻らせながらも「時」の跫を聴きとりながら、凛然と佇む人へ微笑んだ。

「解かっていても逃げないんだね、周太。君は本当に強いね、」

本当に強いのは、誰よりも優しい君。
強いからこそ純潔でいられる、その無垢に優しいままでいられる。
そう見つめた向こう側、黒目がちの瞳は凛と明るい静謐のまま微笑んだ。

「ん、強くなるよ、もっとね?」
「だね、もっと強くなれるよ、周太ならさ?」

笑って応えながら想ってしまう、この静かな明るさを英二は護りたい。
この優しい心を護る手段として英二は、救急法と法医学のファイルを作りあげた。

―あのファイルは英二の、周太を想う精一杯が作ったね?だって1月のデータがあったんだ、

あの資料には1月の弾道実験データも入っている、それを自分は実際に見てしまった。
あのファイルを作りたくて英二は吉村医師の助手も務めてきたのだと、弾道データの存在に解ってしまう。
きっと助手を始めた動機は吉村への気遣いだ、けれど吉村医師の立場と能力に気づいた英二は「目的」を持ったのだろう。

―弾道のデータなんて普通は採れない、でも周太が生きるために必要だから英二はやったんだ、それが違反だって解ってる癖に、

青梅警察署が公務として行った弾道実験とそのデータ。
それを個人使用の目的で無断に遣うことは服務違反、そう知りながらも英二はデータ複製したのだろう。
あのデータを自由に触れる権利を得るために、英二は青梅署警察医の唯一にして信頼厚い助手という立場を築きあげた。
そんなふうに全てを懸けて周太を護ろうとする、そういう男の横顔は山と医学に生きた俤の、自分を見つめてくれた瞳を想いだす。

―だからアイツに惚れたね、でも雅樹さんじゃなきゃ俺はダメなんだ。だから護ってやりたいんだよね、

英二と周太、ふたりの想いを護ってやりたい。
自分たちが叶えられない未来をふたりに贈ってあげたい、幸せに笑って生きてほしい。
その願いのために自分が出来ることは幾らでもある、この願い叶える計画に思考は廻りだす。

―まずは盗聴器の問題からだね?

プライバシーの侵害、それに従う義務など皆無だ。
この権利の主張は自分の立場なら容易い、すぐに実行できるだろう。
それは「あの男」に対して言ってやりたい言葉の、表明にもなるから都合が良い。

―アンタが思うほどにはね、警察って1つの権力だけじゃ動かせないんじゃない?

多様な能力と意志が連携する以上「組織」は一枚岩に成れない、それを自分は山ヤの警察官として知っている。
だからこそ自分は組織にあっても束縛されることは無く、自由なままでトップに立つだろう。
それは指揮官の初歩を踏み出した、今この時も。








(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.8

2013-01-29 22:45:08 | side K2
「睨」 そこに立って今、  



第59話 初嵐 side K2 act.8

夕暮れの空、けれど大気は熱い。

脱いだ出動服のブルゾンから熱気と汗が燻らす。
ほっと息ついた呼吸にも排気ガスがくすんで匂う、アスファルトから酷暑は靴にも伝わる。
Tシャツを透かす風すら埃っぽく生ぬるい、この暑苦しい体感たちに郷愁が笑った。

―風も空気も、山が遠いね?

生まれた時から馴染む山風、あの緑薫らす冷涼が恋しくなる。
けれど自分で選んだ道にある自覚は誇らしい、この明るさに笑った隣から穏やかな声が微笑んだ。

「やっぱり国村さん、無敵でしたね。懸垂下降なんて他と違い過ぎます、」

微笑む黒目がちの瞳は明るくて、生真面目でも素直がまぶしい。
負けん気だけど称賛も知っている、そんな幼馴染みが嬉しくて光一は笑った。

「クライミングで負けらんないからね、でも短距離走は湯原くんのが速いんじゃない?」
「はい、でも装甲着けたら難しいです、」

いつもの笑顔は優しくて、けれど敬語で話してくれる。
こんなふうに周太は先輩として光一を立てながら、公私の線引に向かい合う。
この生真面目で優等生な貌は久しぶりに見る、それがなんだか愉しくて笑いながら歩きだした。

「湯原くんはさ、運動も同期ではトップだったんだろ?」
「初任科教養の時はそうです、でも初総のときは種目によります、」

生真面目に答えて笑いかけてくれる、その「種目による」トップが誰なのか?
たぶん答えを自分は知っているな?この予想に笑った横顔を呼び止められた。

「国村さん、失礼します、」

聴き慣れない声に振り向くと、救助隊服姿の男が立っている。
20代らしい日焼顔の視線は「挑む」そう見た予想に光一は名指しで笑った。

「なんでしょう、本田さん?」
「え、」

名前で呼びかけた先、男の顔が意表に怯む。
きっと「名指し」は予想外だったろう、この先制に笑って隣へ微笑んだ。

「湯原くん、ちょっと俺は寄り道があるみたいです。先に寮へ戻っていて下さい、」
「はい、お先に失礼します、」

折り目正しく礼をすると、小柄な出動服姿は歩いて行った。
その背中を見送りながら振向いて、幾らか呆け顔の男へとからり笑った。

「さて、行きましょうか?本田さん、」

また呼びかけた先、本田の表情が我に返る。
その貌に笑って踵返し訓練棟へと歩きだす、その横へ足音が追いかけ尋ねた。

「国村さん、どうして俺の名前が解かったんですか?」
「以前、合同訓練でご一緒しましたよね、」

即答して笑いかける、その先で顰めた目がひとつ瞬いた。
本田と顔を合わせたのは昨夏の一度きり、それなのに顔を名前と一致させたことが意外だろう。
この意外は先制攻撃になる、そう考えて山岳救助レンジャー隊員全員を経歴ファイルで予習をしてきた。
そんな予習相手の一人は驚いたまま考え込んで、またすぐに訊いてきた。

「もう歩いていますけど、私の用が何か解ってるんですか?」
「夜間訓練ですよね、違いますか?」

答えながら出動服のブルゾンを羽織り、手早く衿元にマフラーも締めていく。
足早に歩いていく薄暮のなか、小さく呑んだ吐息が返事した。

「その通りです、第2小隊での訓練に参加して下さい、」
「もちろん、」

さらり返事して笑ってしまう、やっぱりこうなったと予想的中が可笑しい。
この一週間は第七機動隊全体の新隊員訓練に就くため、出動服姿で一日を苛酷と言われる時間に過ごす。
そのため予定配属チームでの訓練参加は普通なら無い、だからこそ今日から声が掛かると予想していた。

―俺の前任サンも今日は留守だしね、ナンバー2ってヤツが勝手したけりゃ今日に決まってる、

現第2小隊長は今日、自身が9月に異動する五日市署へ打合せに行っている。
まだ新隊員訓練期間だから引継ぎは行えないと、今のうちに新所属を視るため3日の不在予定と聴いた。
けれど、この不在中に指揮権を任される「ナンバー2」にとったら新任隊長へ示威するチャンスだろう。
こういう挑戦は嫌いじゃない、むしろ都合が良い愉快に笑っている横から遠慮がちな声が訊いてきた。

「あの、さっきまで新隊員訓練だったんですよね?なのに今からまた訓練参加して、平気なんですか?」

―参加しろって言ったのソッチだろ?

そう言いたくって笑ってしまう、そんな笑いを驚いた視線が見てくる。
きっと新隊員訓練を理由に断ると思っていたのだろう、けれど自分は山岳レスキューの誇りと能力がある。
この力とプライドを示すチャンス到来が可笑しくて、笑いながら光一は自分の部下にいつも通りを答えた。

「遭難って言われたらね、何があっても救助に行くだろ?それと同じですよ、」

こんなの当然だ、所轄の救助隊員なら日常と言って良い。
たとえ週休の日でも管内にいれば召集に応じる、夜でも降雪でも関係ない。
そんな現場の常識はもう、子供のころからずっと生活のなかに見つめてきた。

―地元はね、民間人だって協力するんだ。ウチの祖父サンもオヤジも、田中のジイさんも吉村のジイさんすらそうだ、

父も田中も山ヤだった、だから「相互扶助」の精神に則ることも当然かもしれない。
けれど雅樹の祖父は林業をしても山ヤではなかった、祖父も熊撃ち猟師の兼業農家であって山ヤとは違う。
それでも奥多摩の住人で山馴れしているのなら、要請次第で捜索救助の山狩りに参加して警察と消防のレスキューに協力する。
この現実にある自分が訓練参加は当然だ?そう見た先で本田の貌が変化する、その様子に笑って訓練場に入っていく。
もう停まっている現場指揮官車の脇、屯する救助隊服の中でも際立って精悍な三十男に笑いかけた。

「黒木さん、このまま出動服でも構いませんよね?」

微かに眉を顰めさせた目に、かすかな動揺が見える。
どうして名前を知っている?このまま参加するつもりか?
そんな意外を眼差に廻らせて、けれどすぐ冷静に戻し黒木は頷いた。

「はい、決定権は私にありません、」

従順な丸投げ、それは「慇懃」の表明と小さな熱が燻っている。
やはり後藤が言った通り「次期小隊長を自他共に嘱望」という自負心の存在、それが慇懃を熾す。
この熱をどうやって爆発させてやろう?そう義務と悪戯心に思案を廻らせながら、視線達へ向き直る。
その視界、14人分の注視が黒木と自分に集まるのを確認して、この場全員に問いかけた。

「今日から第2小隊に所属する国村です。この一週間は新隊員訓練なので、夜間訓練は出動服で参加させて下さい。
この一秒後に救助要請の可能性がある以上、着替より訓練に時間を遣いたいです。異議があれば今、俺に直接言ってくれますか?」

黄昏に照らされた救助隊服達は沈黙して、けれど微かな変化が起きていく。
この空気に笑いながら、山岳救助レンジャー第2小隊員15名に光一は宣言した。

「意見があれば誰が相手でも必ず、最初に本人へ言って下さい。井戸端会議は禁止です、日常と訓練から裏表の無い信頼を作って下さい。
それが山の現場でスムーズな連携になって、最善の救助を可能にします。山ヤとレスキューの責任と誇りに懸けて、全員遵守を願います、」

危険な場所、だから遭難は起きる。
そこへ救助に向かうことは命の瀬戸際に立つこと。
そんな瞬間にもし薄紙一枚でも不信が挟まれば、瀬戸際の均衡は崩落する。

―こんなこと山では当然だね、だから理解できるはずだよ?

視線で問いながら見渡す先、残照に山の警察官は黙りこむ。
沈黙の返答、それでも「山」に生きる意志たちへの信頼に光一は笑った。

「じゃ、訓練を始めましょう。ココの遣り方を教えてください、よろしくお願いします、」



無人の浴槽に体を伸ばし、湯気へと息を吐く。
午後から日没過ぎまで動かし続けた体から、疲労はもう湯へ溶けていく。
連続七時間ほどのレンジャー訓練、それを苛酷だと普通は思うだろう。けれど、より苛酷な状況が自分の初現場だった。

―2月だったしね、雪も氷も酷かったよ、

青梅署に卒業配置された19歳の2月、滑落事故が起きた。
現場は氷結で有名な滝、そのとき淵の縁は降雪で区別がつき難く岩場も凍結していた。
そこでスリップしたまま氷を踏み抜いて滝壺へと滑落し、ハイカーは淵の対岸へ何とか這い上った。
零下の滝で行われた氷水に漬かる救助作業、あのとき七機山岳レンジャーから異動したばかりの畠山が負傷した。

―利き手の甲を切ったんだ、あのとき畠山さんは、

低体温症を起こした救助者が錯乱し、抱えた畠山の腕から暴れて淵に墜ちかけた。
それを受け留めようと庇った右手の下、救助者の体重と力に氷は砕けて甲を切り裂き、畠山の腱まで痛めつけた。
痛かったに決まっている、それでも畠山は何も言わずに救助者を無事に搬送して、戻った奥多摩交番で脱いだグローブから鮮血が零れた。

「畠山さん、なぜ現場ですぐ言わなかったんですか?」

応急処置をしてすぐ吉村医院へ向かう車中、畠山の貌は幾らか青ざめていた。
それでも痛みを見せず笑顔を向けて、山ヤの警察官は教えてくれた。

「あの場で言ったら、動揺が起きるかもしれないだろ?そんな現場じゃ危ないよ、救助された人に聞かれるのも良くない、」

そう笑った貌はレスキューのプロである誇りが眩しかった。
けれど吉村医院で雅人に診てもらった傷は深くて、畠山の利き手は握力が落ちてしまった。
もう握力を酷使するビッグウォールの挑戦は難しい、そう診断された時も快活な笑顔で頷いて現場に戻っている。
そして訓練にあっても救助現場に立つ時も畠山は、利き手の負傷を言い訳にした事は一度も無い。

―あれが山岳レンジャーだって俺、想ったんだけどね?

素直な賞賛があるからこそ、今日の現実へ苦笑こぼれてしまう。
余計を言わない寡黙が畠山は佳い男だ、ただ必要とされる任務に飛び込んで怯まない勇敢がある。
それは光一に対する時も同じで、後藤の縁故と知っても同時に配属された仲間として対等に親しんだ。
そういう畠山だからこそ後藤も奥多摩交番のセカンドとして信頼し、時にアンザイレンザイルも繋ぐ。
この雰囲気は岩崎も木下も同じだった、だから山岳レンジャーは斯くある姿と思っていた。
けれど第2小隊の現況は、どうも畠山流では無いらしい。

「ま、仕方ないのかねえ?」

ひとりごと湯につぶやいて立ち上がり、洗い場へと腰を下ろす。
シャワーの蛇口を湯でひねりかけて、ふと思いついて水に変えて頭から被った。
じわり頭上から浸しだす冷感が心地良い、さっきまで湯船に熱された身が引き締められていく。
清涼が全てに行きわたって蛇口を閉じたとき、がらり浴室の扉が開いて話し声が2つ入ってきた。

―お、貸切タイム終了だね?

さっきまで静かだった空間に、男二人の会話が響いて鏡の向こうに座りこむ。
その隔たりに腰下したままタオルで肌拭いだすと、声の言葉たちが聞えてきた。

「なあ、新人が言ったこと、どうする?」
「井戸端会議ってヤツか、はっきり言いますよね、若いのにさ?」

―ふん、俺のコトだね?

気がついて笑ってしまう、早速の違反者が出たらしい?
ちょっと聴いてみたくなってタオルを動かしながらも、そっと気配を消していく。
その鏡の向こう側では男二人、気がつかずに口を動かし始めた。

「たしかに若いけどさ、俺と同期なんだよ?こっちは大卒で向うは高卒だから、俺のが4歳上だけど先に行かれちゃってさ、」
「なんか特進したんですよね、理由は知りませんけど、」

どうやら1人は齋藤だろう、たしか同じ5年前に警察学校に入校している。
四大卒で4歳年長だから今年で28歳、現在は巡査部長だったはず。
大卒の警部補昇任の受験資格は巡査部長として1年勤務後、たぶん齋藤は資格がある。
けれど「先に行かれちゃった」のなら不合格だったのかな?考えながらタオルを腰に巻いていると齋藤が続けた。

「俺も知らないけどさ、でも正直なとこ山の実績も敵わないよ。この間の遠征訓練、やっぱ凄かったらしいしな、」
「ああ、第1小隊の村木が言ってましたね。第1はすっかり国村派って感じらしいです、」

―へえ、そんなことに今なってんだ?

こんな展開ちょっと面映ゆいけど面白い、まだ遠征訓練から帰って2日なのに?
たった2日で七機の空気に変化があった、その動向次第では対応が必要だろう。
これを見極めるためにも第2小隊の本音を聴きたい、そう判断して気配を湯気に融かす向こうで齋藤が答えた。

「らしいな、同期なのに差を感じちゃうよ、俺としては。ザイルパートナーのヤツも評判良いよな、」
「はい、第1の小隊長はベタ褒めですよ?まだ2年目なのに人も練れてるって、」
「まだ山は1年だっていうのにさ、あのスピードに着いてくって天才だよな?さっきのクライミング見ていて俺、正直参ったよ、」

褒めてくれているらしい、けれど随分と齋藤は凹んでいる。
たぶん同期意識が自分に対して齋藤は強い、そのために「差」を見せつけられてプライドが傷ついたのだろう。

―同期でも俺は高卒で、齋藤は早稲田だからねえ?学歴で優位なダケに傷ついちゃうんだろうけどさ、

いくら学歴で優位に立っても警察組織の現実は、国家一種のキャリアか地方公務員のノンキャリアかで大別されてしまう。
官界を占拠する東京大学ならば考査対象かもしれない、けれど同じノンキャリアなら実力主義と引寄せた運しか通用しない。
現に後藤も学歴は地元山形の県立高校出身で、その実力と人望から日本警察の山岳レスキューとして最高位の名声に立っている。
この現実に在って齋藤の傷心は甘えと認識すべきだろう、これをどう気づかせようか思案しているともう一方の声が答えた。

「高卒なのに23歳で警部補へ特進って、やっぱりコネがあるからってことですよね?会長の奨めで任官したそうですし、」

やっぱり「ソレ」が気になっちゃうんだな?
こんな予想通りも可笑しくて顔だけ笑ってしまう、けれどこの言動は赦さない方が良い。
そんな判断に音も無くシャワーを持ち、迎角に構えると「水」の栓を全開にした。

「うわぁっ?!」

パニックの声が風呂場に響いて、もう我慢できない。
つい大笑いの声を上げながらシャワーを止めて、立ち上がると向うを覗きこんだ。

「こ・ん・ば・ん・は、齋藤さんに高田さん?」

呼びかけて上げた2つの呆然が、面白くって仕方ない。
けれど笑いを納めて回りこむと、二人の前にタオル1枚の裸一貫で笑いかけた。

「まず認識を訂正して下さい、後藤会長は実力がある人間が好きです、これは実力主義の世界である山と警察では当然のことですね?
会長が贔屓する相手は実力があるってことです、これに異議があるなら本人に直接申し出て下さい。直言を後藤さんは喜びますからね、」

後藤が最も嫌うことは陰口、それは「山」の熟知から嫌悪する。
この意味を今きちんと伝えるべきだ、その意志に笑って2人を見下ろしたまま言葉を続けた。

「それからね、警部補特進は後藤会長の意志とは無関係です。山のルールに従い、所轄の救助隊員として忠実に行った職務への評価です。
で、今言った山のルールはね、さっき訓練前に言ったそのまんまナンですけどね?アレの意味をどう考えてるか、今そこで教えてくれます?」

笑いかけて浴槽を指さし、促してみる。
けれど二人は顔を見合わせ途惑ったまま動かない、そんな部下の優柔不断を光一は笑い飛ばした。

「ほら、さっさと入んなって?冷えちゃったら体壊すだろ、仕事に支障ないよう山岳レスキューの責任で風呂に入って下さい、」

いいから風呂に入って話そう?
そう笑いかけた先で齋藤が少し笑い、立ち上がってくれる。
その隣から高田も立つのを見て、三人で浴槽へと腰を下ろすと光一は笑った。

「さて、お二人さん?上官の命令違反をサッキやってくれましたねえ、このペナルティってドウなるのか、解ってます?」
「ペナルティなんかあるのかよ?」

釣られるよう齋藤が口を開く、そのトーンが同期のプライドにタメ口でいる。
この関係も今後どうなっていくか見ものだろう、愉しみに笑って光一は唇の端をあげた。

「正直に話してくれるんならね、今回は俺の肚ひとつに隠してあげますよ?で、先に言っておくけどね、後藤会長の悪口は止めときな?
後藤さんは人望が絶大だよ?だからドコで陰口言ったってね、全部あのひとの耳に入っちまうんだよ。だったら直接、言われたいってコト、」

このアドバイスの意味を、理解できるだろうか?
そう見た先で高田は齋藤を見、すぐ困惑と苛立ちの視線を此方に向けた。

「ようするに国村さん、後藤さんのスパイってことですか?」
「あははっ!単純だねえ、高田さん?」

短絡的すぎる解答に笑わされ困ってしまう、これでは脳ミソの中身が怪しい。
このままでは筋肉馬鹿と言われるだけだ、けれど高田の個性として考えれば実直にも育てられる。
どうやって育てるべきか?考え廻らせながら光一は年上でも子供な部下にヒントを与えた。

「高田さんは明治大の山岳部出身ですよね、だったら山ヤの世界がどういうネットワークがあるか?そこで会長がどういう存在かってコト、」
「あ、」

すぐ気がついて一重瞼を瞬かせ、高田は風呂場を見渡した。
その視線に笑って光一は、率直な事実を言葉に微笑んだ。

「山の世界は広いですよね?レスキューの警察官やってなくてもね、警視庁にはたくさんの山ヤがいるんですよ。外はもっと山ヤがいます。
そういう人たちにとって後藤さん、オヤジって感じなんですよ。ちゃんと叱ってくれる本物の優しい、誰にでも温かい山のオヤジなんです、」

今朝、別れ際に見せてくれた後藤の涙がもう懐かしい。
あの泣笑いの顔はきっと生涯忘れられないだろう、その温もりに雅樹を重ねながら続けた。

「なんで後藤さんがソンナに温かいのか、叱ってくれるのか、どうして何でも直接に言えっていうのか?それを山ヤ皆が慕っているのか?
それはね?山に生きるならマジで一秒後に死ぬかもしれないってコト、誰よりも知ってるから後藤さんは言うんですよ、後悔しない為にね、」

告げた言葉に、ふたりの貌が変っていく。
山に生きるなら、それも山岳レスキューを任務として生きるなら「覚悟=現実」にすぎない。
このことを二人にも知ってほしい、そして後悔しないで任務に就いてほしい、その願いに光一はストレートな口を開いた。

「俺たちが出動要請を受ける時は、現場の所轄だけでドウにも出来なくなった時です。最悪の事態に近い現場に俺たちは行くんだよ?
奥多摩は救助ヘリを飛ばせないポイントも多い、雪も氷もあるんだ。それより苛酷な現場に全国からでも要請を受けるのが俺たち七機です、」

それが今、これから自分が指揮する現場の現実だ。
この責任と義務と権利に笑って、素直な想いをそのまま告げた。

「いいかい?コレはね、ガキの頃から奥多摩で山ヤをやってる男が話す『山』で生きる現実です、脅しでも何でもないリアルなんだ。
俺たちは同じ山ヤで警察官で、いつも危険ってヤツの瀬戸際で息吸ってるんだ。別れる時に『またね』が言えないってコトなんですよ?
言い合うのは今が最期のチャンスかもしれないね、だから今、なんでも話せって俺は言ってるんだよ?コレは死んじまった時の準備なんだ、」

万が一、死んだときの準備をする。
その覚悟が無かったら「山」に生きたらいけない、それを自分は幾度もう思い知ったろう?
あの16年前からずっと見つめる哀しみに微笑んで、光一は自分の部下に「山」で生きる覚悟を突きつけた。

「もう解っただろ?アンタの家族や彼女にね、アンタの言葉を伝える義務と責任は俺にあるんだ。だから何でも言っておけって言うんだよ。
山ヤのプライドと覚悟があるんなら、どういう言葉を遺しておくべきか?コレに毎日向きあって頑張れるのもね、山ヤの警察官である誇りです、」

自分の声を言葉を、想いを、次も伝えられるチャンスが再びあるのかなんて、山に生きるなら解らない。
その覚悟をしても「山」に生きるのか?それで後悔をしないのか?それを若い山ヤたちに考えてほしい。

―俺みたいに後悔しないでよね?大切な人に伝えられないって、マジで苦しいんだからさ?

この苦しみは、もう誰にも知ってほしくない。
あの幼い日に伝えきれなかった想い、この後悔を悼みごと今も自分は抱く。
それは苦しくて、けれどこの痛覚も雅樹へ繋がれるのなら、傷すらも幸福なのだけれど。
けれど自分の部下とその大切な人達には後悔の傷をつけたくはない。そんな願い微笑んだ湯気の向こう、高田が口を開いた。

「国村さん、教えてください。どうしたら俺は、もっと速く壁を登れますか?俺、三大北壁にチャレンジしたいんです、夢なんです、」

高田が最も言いたかったこと、それを口にしてくれる。
こういう質問は山ヤとして最高だ、そう微笑んだ斜向かいから躊躇いがちな声が起きた。

「あのな…遠征訓練キャンセルした1人は、俺なんだ。同期のおまえと比べられるの悔しくてさ、でも高田と同じ本音もあ…ります、」

敬語を遣おうとしてくれるんだ?
そんな変化は面映ゆくて可笑しい、笑いながら光一は扉を指さした。

「ソコントコ、飯食いながら話しましょうよ?それともね、仲良ししてるトコが第2小隊のお仲間に見つかるとヤバい?」

連携プレイで村八分やってるんだろ?
そんな予想に笑いかけた先、一瞬だけ考えて、けれど齋藤は笑ってくれた。

「いや、大丈夫です。食いながら話そう、」

まだ言葉づかいに途惑いながら、それでも仲間である表明を決めてくれる。
こういう同期で部下がいることは頼もしい?そんな想いに笑って湯から立つと、共に脱衣所への扉を開いた。






(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.7

2013-01-27 10:12:34 | side K2
「偽」 けれど幸せは、



第59話 初嵐 side K2 act.7

空が青い、車窓の山は遠くても。

太陽を透かす白雲まばゆい、光線は四駆のボンネット弾かす。
フロントガラスの向こうに街は近づき、サイドミラーの山は遠退いていく。
もうじき故郷の山は視界から消える、その現実に笑ってスーツの左胸にふれた。

―雅樹さん、もう奥多摩が遠いね?でも俺はきっと帰るよ、

心呼ぶ人の写真は今、ワイシャツの胸ポケットにある。
いつも手帳に入れて持ち歩く写真はもう、16年より前からこうして持つ。

「オヤジ、その写真ちょうだい?雅樹さんの笑顔は俺のだからね、」

そう写真家の父にねだって貰った、K2峰に立つ雅樹の笑顔。
標高8,611mに蒼いウェア姿の笑顔は、いつものよう穏やかに明るんで美しい。
父とアンザイレンを組んで登頂した雅樹、その笑顔は22歳と3ヶ月の若い生命を輝かす。
そして同じ場所に自分は二十歳で立った、あの瞬間も登山ウェアの中に雅樹の写真を抱いていた。
そのままに今もこうして記憶ごと写真を抱いている。

―ね、雅樹さん?抱っこしてくれてた時もずっと、俺は持ってたんだよ?いつもポケットにいれてたって、知らなかったよね?

普通のサイズはファイルに納めてある。
けれど持ち歩く用もほしくて小さいサイズもプリントして貰い、ラミネート加工でカードにした。
それを作ってくれた父も今はもう亡い、もしかして雅樹にカードのことを告げ口しただろうか?
そんな想像に微笑んだ隣から、運転席のアンザイレンパートナーは穏やかに微笑んだ。

「帰国してすぐ異動だけど、お祖父さん達と美代さんには挨拶は出来た?」
「いや、あえて特別な事はしてないケド?また帰ってくるからさ、」

気遣いに感謝しながら答えた先、フロントガラスの切長い目は微笑んでくれる。
けれど英二の方こそ話していないだろうに?そんな予想に隣へ直接笑いかけた。

「おまえの方こそね、周太に異動するって話せたのかよ?周太のおふくろさんや、姉さん達にもさ?」
「まだだよ、会って話したいから、」

さらり応えて白皙の貌が笑う、そんな横顔は冷静に見える。
けれど本当は幾つもの葛藤を抱えこむ、それを自分は知っている。

『俺の父さんは恋してる、周太のお母さんに…俺の母さんのことはもう想ってくれない
父さんと母さんに恋愛してほしかった…俺は想いたかったんだ、両親の愛情の結晶として自分は必要とされてるって』 

アイガーの夜、そう話してくれた貌は絶望に泣いていた。
ずっと英二は両親に求めながら諦めてきた、そして今始まった父親の恋に途惑い周太との入籍を迷っている。

『俺と周太が籍を入れたら父さんと美幸さんは親戚になる、そうしたら会う機会も増えるだろ?会えば気持って強くなる、
そうしたら母さんも美幸さんも傷つくことになる。きっと周太が一番に傷つくよ、それが怖くて…解からなくなる、』

もし英二の推察が正解だとしたら、それを事実として知った周太が何を想うのか?
このことを英二は周太が自責に傷つくと恐れている、けれど周太なら深い懐に全てを受けとめるだろう。
こういう周太を英二は保護者的すぎて解らない、でもそれ以上に問題なのは、周太の母に対する英二の感情ではないだろうか?

『全部、周太と美幸さんが受けとめてくれたんだ…それが嬉しくて恋したよ…ふたりは俺にとって救いで、天使みたいだよ』

あのとき、英二は「ふたりは」と言った。
それは無意識の言葉だったろう、けれど本音がそこに見え隠れする。

『美幸さんは俺の理想の母親なんだ、俺の夢の人だよ?…父さんが好きになっても仕方ないって想う、だって俺と父さんは似てる、』

英二、誰に恋愛してる?

そう聴いたら周太と光一だと迷わず言うだろう、そこに偽りは無い。
その「偽り無い」は英二の無自覚が言わせているのだと、今までの言動に気がつける。
英二と美幸は親子の年齢差がある、だけど想い求める心には齢も立場も性別すら間垣にならない。
それを雅樹と見つめた自分だからこそ、英二が美幸へ寄せている無自覚な本音に気付いてしまう。

けれど、真実の本音に気付くことが「幸せ」なのかだなんて、定石通りの答えなどありはしない。

―気付かない方が良いんだろね、だけど英二、本当は気づいているんだろ?

きっと気づいている、けれど気づかないでいる。
そういう嘘を英二は自身にも巧く吐いてしまう、そんな器用さが英二の進路を狂わせてきた。
本当は求めたい実母の視線を拒み、本当は行きたかった大学も諦めて、欲しくない恋愛ゲームに孤独を誤魔化してきた。
自身も騙してしまう器用な嘘吐き、そんな自分の偽りに傷ついても微笑んでしまう優しい孤独を英二は抱えている。

―その孤独を壊したいんだよ、周太はさ?おまえと一番に想い合う周太なんだ、シンドイ想いも一緒に出来るって幸せなハズだよ?

ふたりは出逢って1年と4ヶ月、けれど遠い血縁に繋がれる。
生きて見つめ合う瞬間の前から繋がれてきた、そんな二人に叶わぬ夢を見てしまう。
自分と雅樹には叶えられなかった共に齢を重ねて行く未来、この平凡な幸福を二人に生きてほしい。
そんな祈りを見つめながらカーステレオのスイッチ入れて、運転席との間あふれだす旋律に口遊んだ。

……

眠れなくて窓の月を見あげた 思えばあの日から 
空へ続く階段をひとつずつ 歩いてきたんだね

何もないさ どんなに見渡しても確かなものなんて
だけど嬉しいときや哀しいときに 
あなたがそばにいる

地図さえない暗い海に浮かんでいる船を
明日へと照らし続けてるあの星のように

胸にいつの日にも輝く あなたがいるから
涙枯れ果てても大切な あなたがいるから

……

窓の月を雅樹と見上げた、そんな夜は幾つもある。
風呂の窓から、御岳にあった雅樹の部屋から、自分の屋根裏部屋から一緒に月を見た。
ふたり穂高連峰を縦走した夜にも月を見て、幾つもの夢を約束して切長い目は微笑んだ。
あの幸せな瞬間たちが今も自分を温めてくれる、だから英二と周太の幸福を祈ってしまう。

―雅樹さん、やっぱり俺は英二とね、恋人より親友でパートナーでいたいよ…えっちして解かっちゃったね、

英二との夜は幸せだった。

体温に想い交す幸福を、確かに英二と抱きあえた。
もう諦めていた体ごと愛される時間の吐息に、甘い熱に心ごと酔えた。
けれど夜の闇から浮き彫りになる香、そして声と気配に本音が「違う」と泣いた。
だから情事に微睡んだ暁の夢は、この大人になった体と心を雅樹に捧げつくす幸せを微笑んだ。

―俺が欲しいのは雅樹さんだよ?雅樹さんの匂いも声も全部ほしい、あったかい体も心も雅樹さんの全部にふれたい、ね…

長身、白皙、端正な顔立ちに綺麗な笑顔。
どれも雅樹と似ている英二に、視覚から雅樹を探し求めてしまう。
その視覚が消えた時間を想い出すごとに、その香と声の違いに別人だと確かめる。
そうして気づかされる、どんなに誰かを大切に想ったとしても、雅樹と同じには出来ない。

―やらなきゃ解らない俺は馬鹿だね?でも幸せだったのもホントだよ、だから後悔してない、

グリンデルワルトの夜と昼と夜、自分は英二の懐で幸せだった。
あの時間は真実だ、けれど時間を再び交わして良いのか解らなくてキスも拒んだ。
それでも一緒に眠りたい甘えは変らなくて昨夜、英二のシャツを着て共寝に香を移させた。
雅樹の香とは違う英二の香は深くて、謎をこめる深い森と同じ静謐が安らがせてくれる。
その香を運転席に燻らせる体温の、命ある気配が嬉しくて光一は笑いかけた。

「次の遠征訓練は6千峰だね?キッチリ体、仕上げといてよ?」
「おう、越沢を毎日10往復はするよ。あとさ、後藤さんが夏富士でタイムレースしようって、」

次の遠征訓練から山の話に笑いあう、そんな日常が嬉しくて愉しい。
こんな時間もあと少しで日常では無くなる、けれど1ヵ月後には再び日常に出来るだろう。
そんな想いに眺めるフロントガラス、資料写真で見たコンクリートの箱が姿を現して四駆は停まった。

―始まるね、

そっと心ひとり笑う、そこにはもう惜別より誇りが微笑む。
もう時は来た、そう潔さが笑って万感を一言に告げた。

「ありがとね、英二、」

本当に感謝している、この自分に並んでくれて。
共に笑って共に山を駈けてくれた、そして16年止めた時間を動かした。
その全てに感謝と笑いかけた先、切長い目は寂しげでも綺麗に笑ってくれた。

「おう、こっちこそだよ?ありがとう、光一。これからも宜しくな、」

笑って右手を出してくれる、その手を取って握手する。
白皙の肌と長い指に俤を見、けれど森の香に現実の英二へと微笑んだ。

「うん、よろしくね、」
「夜、電話するから。8時半位だと思う、」

綺麗な低い声は笑って、もう今夜の約束を贈ってくれる。
こんな何げない普通のことが自分は嬉しい、約束をくれる声を現実には聴けないと思っていたから。
幾度も約束を結んだ8年半をくれた声、あの愛しい声はもう耳には聴けず心にしか帰れない。
それでも今、他の声が約束をくれる時は始まったと信じて、赦される?

―雅樹さん、俺は英二と一緒に生きられるかな?生涯のアンザイレンパートナーやっていいのかな、

ずっと孤独のままに生きるのだと、雅樹が逝った瞬間から思ってきた。
けれど英二が自分の前に来てくれた、明日から1ヶ月離れても再び一緒に並ぶだろう。
この扉を開ければ立場が分かれていく、それでも変わらない絆を信じて扉を開いた。

「じゃ、行くね?」

登山ザックにトランク1つ持ち、からり笑ってスーツ姿の背を向ける。
そして一度だけ振り向き大らかに手を振ると、真直ぐ隊舎へと入っていった。



紺色のTシャツと出動服のボトムスを履き、昼の食卓に箸を動かす。
久しぶりの格好は警察学校の卒業以来で物珍しい、それ以上に前に座る相手が面映ゆい。

「光一は、…あ、国村さんは何時に着いたんですか?」

穏やかな声の呼方も、ちょっと聴き慣れなくて困りそう?
同齢で昔馴染みの周太、けれど高卒任官の光一は4年先輩だからと敬語を遣ってくれる。
そんな生真面目は周太らしい、それでも面映ゆい今日からの現実に笑って光一は答えた。

「10時には着いたね、道路が空いてたから。湯原くんより少し前ってトコだね、」
「そうですか、」

敬語のまま微笑んだ手許、端正な箸遣いが丼飯を口に運んでいく。
男だらけの食堂に1ヶ所スポット当たるよう、上品な空気が向かいに座っている。
こういう周太だから英二は心配で堪らない?それも可笑しくて笑いながら幼馴染に尋ねてみた。

「ちょっと俺たち遅く着いていたら、門のトコで逢えたのにね?ごめんね、湯原くん、」

あと10分ずれていたら、たぶん隊舎の前で周太と英二は逢えただろう。
ほんの少しの時間でも互いに顔を見たかったはず、そう笑いかけたけれど周太はタメ口で微笑んだ。

「そうだね、でも会わなくて良かったかも?…気を遣ってくれて、ありがとうね、」
「良かったワケ?」

すこし意外で訊き返して、けれどすぐ鼓動が刺された。
なぜ周太が英二に「会わなくて良かった」のか、その原因を作ったのは自分だ。

―本気で大好きな相手が他のヤツとえっちしたら、苦しいに決まってるのに、

どうして周太?

どうして、こんな自分にも笑いかけてくれる?
この自分が英二と体の繋がりを持つことを、確かに周太は望んでくれた。
遠征訓練前に逢ったときは夜の支度を買ってくれた、そうして背中を押して幸せな時間を祈ってくれた。
けれど現実になれば嫌われて罵られても仕方がないと覚悟していた、この予想を外した笑顔は言ってくれた。

「ん、今は会わなくて良かったって思います。ちゃんと逢うべき時が来るだろうから、ね?」

逢うべき時が来る、そんな言葉が肚に落ちて温かい。
いつか雅樹と逢うべき時に逢える、そう信じてアルプスの氷河に眠らず今ここにいる。
このことは周太にも沈黙したい、けれど解ってくれるかのような言葉を贈ってくれる。
何も言わないで通じるものがある、それが嬉しくて笑って箸を置き想いを言葉に変えた。

「周太、ありがとうね?」
「ん、」

頷いて微笑んでくれる、その笑顔は深くこまやかに温かい。
こんなふう笑える勁い心を周太は持つ、それを英二はいつ気づくのだろう?
つい考えながら席を立ち、光一は同時異動した後輩へと明るく笑いかけた。

「さて、噂の新隊員訓練ってヤツに行ってみよっかね?よろしくね、湯原くん、」
「はい、よろしくお願いします、」

素直に立って端正な礼をくれる、その微笑は覚悟の静謐が鎮まらす。
ここへ自分が覚悟と来たように周太も心決めている、それは文字通り「命懸け」の覚悟だ。

―周太、オヤジさんの事を知るために来たね?ホントは危険だって気づきながら誰にも言わないで…潔すぎるよ、

周太の父、馨の「殉職」は謎が多すぎる。

この謎を英二はずっと捜し、その全てを自分は知っている。
周太の祖父が遺した記録小説は御岳の家に置いてきた、けれど脳に全文を今もう読める。
その記録たちと、英二が持つ馨の日記を照合すれば今、周太が立つ危険の正体が何か解ってしまう。
けれど周太は馨の日記を知らない、それでも自分が見た全てから聡明の視点は現実を捕えている。

―周太、俺が護るよ?ココで一緒にいる間も、その後もずっとね、

密やかな約束に笑って下膳口を経由して、一緒に廊下へ出る。
ふたり並んで歩きだす隣、ずっと低い目線から黒目がちの瞳は綺麗に笑った。

「国村さん、訓練でも私は優勝を狙います。国村さんもですよね?」

負けず嫌いが誇らかに笑ってくれる、その明るい努力が逞しい。
どこか上品で繊細な容貌と小柄は少年のよう、けれど瞳には男の強靭がまぶしい。
こういう周太の素顔を英二は知っているワケ?そんな問いをパートナーに想いながら光一は笑った。

「当然だね、悪いけどレンジャー訓練なら俺は無敵だよ?」

山岳救助隊として四年半を過ごした、それ以前から自分は山に生きている。
いつも山は季節に天候に表情を変えていく、それでも変わらず毎日のよう岩に登り危険を遊んだ。
そんな自分が人工物の危険に怯む訳が無い、この自信に笑った隣で負けない陽気が笑った。

「勝てるっては思えないです、でも負けないことは出来るでしょう?だから負けません、」

負けないことは出来る、そう微笑んだ瞳は凛然が透けるよう美しい。
こんな表情にも想ってしまう、やっぱり周太は「特別」な存在ではないだろうか?

―こんな場所でこんな時なのに、こんなに綺麗でいられるんだね?

危険な場所にいて、大切な人は他の相手と抱きあった後で、その相手を隣に歩いている。
それでも周太は穏やかに微笑んで、真直ぐに信じる道を明日へ向かっていく。
この姿に心から祈りたい、どうか自分の叶わぬ夢の分も願いたい。

―お願いだからさ、周太。幸せに笑っていてよね、英二の隣でずっと、

大切な人と一緒に生きてよ?

自分は諦めなくてはいけない夢、だけど君には可能性が残っている。
自分が願うのは烏滸がましいかもしれない、それでも心から祈っている。
そのために自分は君を護る、君の大切な人も護る、だからどうか自分の願いを叶えて?
自分が唯ひとり想う人が遺した山桜、あの森を護ってくれる大樹を映した君なら、願いを聴いて?

周太、君は生きて笑っていて?








【引用歌詞:L’Arc~en~Ciel「あなた」】

(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.6

2013-01-25 00:05:23 | side K2
「開」 晨に立って今、



第59話 初嵐 side K2 act.6

深い眠りの森から意識が浮上する。

ゆるやかに披かれる視界に天井が映りだす。
薄明が灰色の闇を白く変えていく、もう夜が明けていく。
いま太陽が呼びだす今日に微笑んで、煙草の吐息と森の香から静かに脱け出した。

「…英二、ありがとね?」

そっと呼びかけ笑いかける、その想いの真中に白皙の貌は瞳を瞑る。
濃やかな睫に陰翳は鎮まり、あざやかな眉にダークブラウンの髪が艶めく。
この寝顔をずっと見ていたいとグリンデルワルトでも願った、そして今も本当は願いたい。
けれどもう今日が来た、今現れる刻限に笑ってベッドから脱け出して、けれど右手首を温もりが掴んだ。

「光一、約束違反だよ?」

綺麗な低い声の微笑みが、心臓ごと心を掴む。
いま言われた約束にアイガー北壁の暁が蘇える、あの白いベッドで告げた言葉が自分に刺さる。
それでも呼吸ひとつに微笑んで、シャツの肩越しにアンザイレンパートナーへと笑いかけた。

「ちゃんと俺は声掛けたね、でもオマエが起きなかったんだよ?」
「あんな小さい声で起こすつもりだった?」

低く艶ある声が笑って、右手離さずに体を起こし隣に座る。
ふれそうな肩に温もりが透かす、その体温に微笑んで見つめ返した。

「寮の壁は薄いからね、ご近所迷惑はダメだろ?」
「じゃあキスは良い?」

願いに微笑んだ切長い目が、穏やかに瞳を覗きこむ。
いまキスをして良いのか解らない、だって今日は七機で周太と会うのに?

「前に言ったよね?周太の気配があるとこじゃ、俺たちは恋人じゃないって。今日はもう会うんだしさ、」
「ここは奥多摩だよ、」

綺麗な低い声が遮って、掴まれた右手首が動けない。
力強い長い指の掌、その感触に昨夜を泣いた現実と、諦めた夢がまた惑いそうになる。
雅樹も指が長い綺麗な手だった、その手とよく似た温もりが手首から心を滲ませて、ふっと瞳から熱こぼれた。

「あ…」

頬伝う熱に声おちる、こんなことだけで自分が泣くなんて?
いま手首を掴みキスねだる人は俤が似て、けれど全く違う香が白皙の肌くゆらせる。
この現実と夢のはざま竦んでしまう心、その鎖を絶つように綺麗な深い声が問いかけた。

「光一、どうして昨夜はそのシャツ着てきたんだ?それ、俺がアイガーであげたヤツだよな、」

指摘の言葉に、左手が衿元そっと掴んでしまう。
このシャツをなぜ昨夜も着てきたのか?そんな問いは雅樹なら言わなくても解かるはず。
こんなにも「違う」と昨夜から英二の全てが自己主張する、それが安堵になって光一は微笑んだ。

「おまえの匂い、少しでもつけたくってさ。なんか落着けて好きなんだよね、森みたいな匂いでさ、」

正直な想い告げて笑いかける、その隣から腕が伸ばされ抱きしめてくれる。
深い森の香くるまれていく肩、頬、視界、そして煙草の吐息が静かに微笑んだ。

「そういうの、ちゃんと言ってくれよ?俺じゃ気づけないこと一杯あるけど、ひとつでも多く叶えてやりたいって想ってるよ?」
「うん、ありがとね、」

素直に笑って衿元から左手を離し、カットソーの背中へ腕を回す。
ふれていく胸から鼓動が鼓動に響く、その共鳴に時と世界を同じに出来ると喜びが微笑む。
嬉しいまま顔を載せた肩は強く頼もしい、ほっと息を吐いた感覚に右手首は解放されて英二が笑ってくれた。

「光一、ごめんな?俺は雅樹さんみたいには出来ないよ、でも本気で大切に想ってる。だから言葉にして言ってほしいよ、」

雅樹のようには出来ない、そんな言葉に心透かされたよう。
けれど英二ならこんなことは当然気づくだろう、こんなに傍に居て気付かないほど鈍くない。
この言葉を英二が告げてくれる想いが心軋ませる、けれど雅樹を想うことを止めるなんて出来るはずもない。
その想い正直に微笑んで、真直ぐアンザイレンパートナーの瞳を見つめ光一は綺麗に笑った。

「ありがとね、英二。でも俺、今までもカナリ遠慮なくぶっちゃけてるけど、」
「もっと遠慮なくしてよ、北壁でも言ったよな?」

綺麗な笑顔ほころばせ、そっと体を離していく。
ベッドの上に座り向かい合って、実直な眼差しに光一を映しながら笑ってくれた。

「俺は周太を一番に考えてる、でも俺が生きる世界の全ては光一だ。だから山でも警察でもパートナーだろ?もうずっと一緒に生きるんだ、
だから我儘も何だって俺には言ってほしい、雅樹さんみたいに出来ないけど、俺が出来る精一杯で応えるから。信じて、何でも言ってくれ、」

こんなにも真直ぐ告げてくれる、だから自分はこの男を信じた。
甘ったるい同調を言わないでくれる、ただ真意だけを真直ぐ自分に言ってくれる。
だからこそアンザイレンパートナーに望んでしまう、それでも自分は秘密と嘘を抱え続けていく。

―ごめんね、英二。おまえに言えないこと多いんだよ…雅樹さんとのこと言えないんだ、だから周太との本当も言えない、

英二は、この世界では自分の唯ひとり。

英二は共に命を生きてくれる唯一のパートナー、けれど自分は真実に黙秘する。
今、生きる人間の中で誰より大切になる相手、きっと祖父母より後藤より離れたくない人になる。
そんな相手にすら自分は嘘つきになれる、雅樹の真実を護るためなら裏切りも何でも出来てしまう。
この想いは英二も周太に対して抱いている、そう互いに解る自分たちは互いに赦すのだろう。

―英二、おまえも周太の為には俺を裏切るね?だから遠慮なく俺は嘘吐きでいるよ、これが俺の我儘だ、

心の想いだけで呼びかけ、声にしない約束を問いかける。
この真実を護らす裏切りを信じて、唯ひとりのパートナーへ綺麗に笑った。

「うん、信じてるよ?だから一ヶ月後に追っかけて来てね、俺の別嬪パートナー?」

信じてる、自分の後を追って来てくれること。
自分たちの間には嘘がたくさん挟まっていく、けれど全てが真実の為と赦してほしい。
この赦しが自分の最大の甘え、どうか嘘にある真実を信じて全てを受けとめ傍に居て?
そう願い微笑んでベッドから立ちあがる、その手を掴まないで綺麗な低い声は微笑んだ。

「追いかけるよ、今までと同じにずっと。だから安心して七機で待ってろよ?」

笑いかけてくれる切長い目は深く、きらめく華が熱い。
こんな直情的な熱は「英二」だ、そう認めるまま素直に笑って光一は扉を開いた。

かたん…

静かに閉じる音が響いて、ほっと溜息こぼれおちる。
そのまま歩きだす廊下、窓から暁の光は射して行く先を明るます。
まだ静謐にある朝を歩きながら、すこし前の時間に信頼が微笑んだ。

―英二、キスしないでくれたね

キスを拒んだのは、今が2度目だ。
1度目は7月初めに英二のベッドでだった、あのとき初めて告白された。
そんな想い出たちが10ヶ月間に英二と幾つ生まれたろう?

―数えきれないね、ほんとに…ありがとね、英二?

微笑んで朝陽を透りぬけ廊下を歩いて行く。
そのまま洗面室へと入ると冷水に顔を洗い、意識をクリアに覚ましていく。
頬と額の冷えた感覚に蛇口を止めて、濡れた顔のまま踵返した回廊の暁に自室の扉が見える。

―この部屋を開くの、あと2回だね?

いま開いたらあと2回、朝食の後と挨拶回りの後だけだ。
もう何度も開錠した扉とも今日で別れる、その惜別に笑って扉を開いた。
静かに鍵掛けるとタオルで顔拭って息を吐き、この身を英二のシャツから脱いだ。
素肌に朝の冷気ふれさせながらハンガーを外し、ダークスーツの姿へと変えていく。
ネクタイを締め、ワックスを手に軽く髪をセットしていく鏡の中、自分の貌は変化する。

「もう職務中は、ずっとこの貌だね?」

鏡の自分に愉快を笑って、脱いだ服たちを手早く荷物にまとめる。
全てをトランクに納めこんで今、4年半の部屋は全て空っぽになった。
ここで山ヤの警察官に自分はなった、その感謝が空間を見つめて綺麗に笑った。

「ホント世話になったね、ありがとう、」

この場所で幾度、泣いて笑って時間と想いに向きあったろう?
その記憶全てへの感謝に微笑んで、スーツ姿で扉を開いた。



手続きの全てが終わり、登山ザックとトランクひとつ携え廊下を行く。
午前中の明るい窓には見慣れた風景が映る、この全てが午後にはもう遠い。
今こうして歩く瞬間すら懐かしむ時が来るだろうか?そんな想い笑って診察室をノックした。

「先生、失礼します。英二お待たせ、アレ?」
「おう、待っとったぞ、」

入った白い部屋、二人の白衣姿の前から救助隊服姿が振向いてくれる。
その深い眼差しの笑顔が嬉しくて、荷物を置きながら光一は笑った。

「なんですか、副隊長?ココでサボりってコト?」
「おまえさんを待っとったんだよ、吉村の呼び出しついでだがなあ、」

昔馴染みの笑顔ほころばせ迎えてくれる、その隣で白皙の貌が穏やかに微笑む。
長い指のマグカップをテーブルに置くと、長身の白衣姿は立ちあがってくれた。

「光一、コーヒー飲んでくだろ?」
「うん、ありがとね、」

座りながら笑いかけた先、切長い目は穏やかに微笑んでくれる。
いつものよう流し台へ立った白衣の後姿に、やっぱり泣けない涙が心に笑った。

―白衣なんか着ちゃうと余計、似てるよね…後姿の雰囲気とか、ほんとに

あの背中が懐かしい、幼い日の幸福だったクリスマスイヴの記憶を見てしまう。
あのとき初めて見た白衣姿の雅樹はまぶしくて、本当に天使のよう明るく輝いて見えた。
もう17年過ぎてしまった時間の姿、それなのに今も笑顔は綺麗なままに心で咲いてくれる。

「似てるでしょう?雅樹と、」

静かな声に鼓動が撃たれ、光一は振向いた。
その視線をロマンスグレーは受けとめて、涼やかな切長の目が微笑んだ。

「ここで手伝って頂く時はね、きちんとした格好でいつも来てくれるんです。だから服を汚したらいけないと思って白衣を用意しました。
だけど、あの姿を見ていると不思議な気分になります。こんなこと失礼かなって想うんですけど、本当に雅樹が一緒に仕事してると感じて、」

静かな言葉は今、初めて吉村の口から聞く。
ずっと雅樹の話題を光一にはしないでくれた、けれど今、最後の日に話してくれる。
この惜別への感謝に笑って、デスクに佇んだ写真立ての笑顔を見つめ応えた。

「ホントに雅樹さん、ここにも居るんじゃないですか?奥多摩で開業医になってね、嘱託の警察医もするって言ってましたから、」

幸福だった7歳のクリスマス、あの数日後に雅樹はそう話してくれた。
青梅署の警察医が輪番制だった当時は不備も多かった、この問題に雅樹は率先しようとしていた。
そうした夢を雅樹の父と兄が叶えてくれた、その感謝に笑った先でロマンスグレーの瞳が微笑んだ。

「そうでしたか、雅樹、光一くんには話してたんですね?…良かったのかな、私は、」

ひとりごとのよう想いを言葉に、医師はデスクを振り向いた。
写真立てには蒼い登山ウェア姿で雅樹は笑う、どこまでも明るく穏やかな笑顔に後藤が笑ってくれた。

「ああ、雅樹くんの夢を父親が叶えたんだ、きっと喜んでるだろうよ?でも光一の話を聴くと写真、白衣姿の方が良いかい?」
「どんな格好でも大丈夫だね。いつでも雅樹さんは山ヤの医者だから、服装は関係ありませんよ、」

笑って答えた前に、熱い芳香がテーブルに置かれる。
目で「どうぞ?」と勧めて英二は踵を返し、パソコンデスクの前に座った。
たぶん後藤と吉村と話す時間を気遣ってくれた、嬉しく微笑んだ前を昇らす湯気にふと連想して大先輩に質問をした。

「副隊長。吉村先生の呼びだしって、もしかして禁煙命令ですか?」
「お、言う前にバレちゃったなあ?」

困ったよう笑って、節くれた手はマグカップを抱え込む。
その手に皺の刻みを見て後藤の年齢に気付かされる、この年齢が光一とのアンザイレンも阻んだ。
もう何を言われても仕方のない年齢を後藤は迎える、その現実ほろ苦い向こうから警視庁山岳会のトップは低く笑った。

「俺は肺をやっちまったらしいよ?齢だから仕方ないがね、三大北壁はもう無理だろうよ。冬富士も厳しいんだろ?」

最後の問いかけに深い目は吉村を見、その視線に切長い目が頷いた。
もう後藤がビッグウォールの登攀が出来ない?この事実が信じられずに光一は口を開いた。

「嘘だよね?」

嘘に決まっている、そんなこと。
確かに後藤は50歳も半ば過ぎる、それでも体力と技術に衰えなんて見えない。
それなのに冬富士にもアタックできない筈がない、そう思うままに光一は続けた。

「北壁無理って、冬富士もダメって、それじゃあ6千峰も無理ってコトだろ?最強の山ヤの警察官がソンナの、嘘だね?」

日本で最強の山岳警察は富山県警と言われている、けれど後藤が最高だと誰もが認めている。
トップクライマーだった父もザイルを組んだ蒔田をパートナーにする、国内最高の山の警察官。
アルパインクライミングでは国内ファイナリストを謳われてきた、そんな後藤がもう6千峰にも登れない?

「嘘だよね、吉村先生?今日が俺、最終日だからって二人で悪戯の仕返しなんだろ?ね、そうだよね、」

職場なのに敬語も忘れて訴えてしまう、こんなこと信じたくない。
けれど篤実な医師は光一を見つめ、そして静かに首を振った。

「本当です、全て。後藤さんには来月、入院して再検査を受けてもらう予定です。今日はそのお話に来ていただきました、」

現実が、大きく鼓動を撃つ。
後藤が検査入院をする、それが自分の進路に及ぼす影響を知っている。
もう警察学校に入る時から覚悟している「明日」に、呼吸ひとつで光一は微笑んだ。

「解りました、このこと宮田は知っていますか?」
「きちんとは話していません、でもカルテ整理の時に気づいてはいるようです、」

穏やかな声が微笑んで、切長い目が部屋の奥を見る。
そこでは白衣の広い背中がパソコンに向かい、資料と画面に集中して佇む。
元から集中力の高い英二は今、会話など聴こえていないだろう。そんな背中に後藤も笑って静かに言った。

「だから俺は急いでるよ、おまえさんを早いとこ山岳会長にしたいんだ。ビッグウォールも登れない会長じゃあ納得できない奴もいるぞ?
今回の異動はおまえさんたちの希望からだった、でもな、急に決められた事情はこういうことなんだよ。世代交代を早める必要があるよ、
で、おまえさんなら山の実力は抜群だ、カリスマ性ってヤツも充分ある、あとは信望を勝ちとれるかだ。これは努力次第だろうって思うよ?」

ゆっくり肚を鎮めていく心へと、透る塩辛声が温かに響く。
自分を三大北壁に初めて登らせた後藤が、最高の山ヤの警察官がもうビッグウォールに登れない。
そんな現実を信じたくなくて泣きたい、けれど今は自分に課される義務と権利を見つめて、静かに微笑んだ。

「この1ヶ月で、アウェーの第2小隊を完全掌握しろ。そういうことだね、後藤さん?」
「ああ、その通りだ、」

頷いて笑ってくれる、その眼差しが悪戯っ子に笑う。
この笑顔が自分を「山の警察官」へと導いた、それはトップの孤独に生きる切符でいる。
その全てを自分は理解してここに今、座っている。いま不安も孤独も怖いけれど、それも全て解ってここに来た。

「その課題、満点合格すりゃ良いんでしょう?ご期待に添いますよ、俺は、」

勝利宣言を予告する、これは自分の為だけじゃない。
もし1ヶ月間で自分が「曲者揃い」の第2小隊を纏められたなら1ヶ月後、英二の着任は万全に望める。
まだ任官2年目にすぎず、山の経験すら1年に満たない男を自分の補佐官に迎えるには、それなりの努力は当然だろう。
そんな理解に笑ってマグカップに口付けた先、父の親友で自分の上官である男は愉快に笑ってくれた。

「よし、山っ子らしい宣言だな?お手並み拝見させてもらおうじゃないか、」
「キッチリ見て、ゾンブンに楽しんじゃって下さいね、」

笑って新しい場所と時間を展望する。
それは決して楽な道じゃない、そう解るからこそ愉しみになる。
故郷も山も森も無い場所、雅樹から遠い世界、それが不安じゃないと言えば嘘だ。
それでも、全く違う世界で見つける新しい全ては、きっと自分に必要だから出会う。

―そういうので成長したらさ、雅樹さんも喜んでくれるよね?だから支えてよ、俺のこと、

心ねだって警察医のデスクを見る、そこに雅樹は笑ってくれる。
雅樹が嘱託警察医の話をしてくれた記憶が今、ここに自分を座らせる道を選ばせた1つ。
こんなふう雅樹は体を消しても人生に寄添ってくれる、その幸せに笑ってコーヒーを飲み干した。

「そろそろ行きますね?」
「おう、もう時間だな、」

笑ってくれる後藤の貌は寂しげで、けれど送りだす明るさが温かい。
その笑顔と並んだ吉村も穏やかに笑ってくれる、そして向うには写真から雅樹が微笑む。
ずっと自分を見守ってくれた3つの笑顔へと、感謝の想いに立ち上がると光一は端正に礼をした。

「吉村先生、後藤副隊長、本当にお世話になりました、異動してもよろしくお願いします、」

いま、全ての想い籠めて区切りをつけたい。
この場所から発っていく門出を、人間の現実に生きていく時間へ踏み出したい。
ずっと山と森の世界に護られてきた自分、けれど今は「人間」と向合う自分を見つけに行く。
もうそれが自分は出来るはず、そんな想いと笑いかけた先で後藤の瞳から涙こぼれおちた。

「おう、異動しても同じ山岳救助レンジャーだしな?よろしく頼むよ、」
「はい、」

素直に頷いた前、節くれた手が涙拭いながら笑ってくれる。
笑って立ち上がってくれる隣、白衣姿も立って右手を差し出してくれた。

「こちらこそ本当にお世話になりました、いつでも帰ってきてくださいね?ここにも、あの森にも、」
「ありがとうございます、」

吉村医師の右手をとり握手する、その感触に心が微笑んだ。
肌の色は違う、けれど長い指の掌は繊細で温かく懐かしくて、大好きな形見がそこにある。

―ね、雅樹さん?先生の中にも雅樹さんは、ちゃんと生きてるんだね、

もう雅樹の体はどこにもない、雪空色の墓石に眠る遺骨だけになった。
けれど雅樹の心は自分にも吉村医師にも生きる、あの森に山桜に雅樹の息吹は微笑んでくれる。
そしてもう1人、雅樹の意志も心も抱いている男が今日も、自分を新しい場所へと連れ出してくれる。
その男の気配が立ち上がり、傍らから静かに光一のマグカップをとると流しで洗い始めた。

「ああ、宮田くん。すみません、出がけなのに、」
「いいえ、これくらいすぐ終わりますから、」

穏やかな声と低く透る声が笑いあい、吉村医師も流しに立って行った。
その背中は寂しさと安堵に明るんで、容は全く違うのに懐かしい気配が温かい。
天才医師と謂われながら奥多摩の厳しさを選んだ吉村、それは息子の死が選ばせた運命だった。
そんなふうに雅樹は何人の運命を分岐に立たせ、新しい生き方と夢を抱かせたのだろう?

―俺が知らないトコでもだね?雅樹さんの学校の人とか、俺の知らない世界で雅樹さんに会った人たちもさ?

その人達にも、いつか自分はめぐり会うのだろうか?
この世界に今も生きて雅樹を想う人々、その未知な心にいつか自分は向かいあう?
そのとき自分はどんな雅樹の貌を見つけ何を想うだろう?そんな想い見つめた二つの白衣姿に後藤が笑った。

「宮田、白衣が似合うよなあ?だからな、七機に異動したらさせたいことがあるんだ、」

後藤が異動後の英二にさせたい「白衣が似合う」こと。
それは雅樹と同じ道だろう、そうつけた見当に笑いかけた。

「救命士取るとかですか、」
「そうだ、2年夜学に行ってもらいたいんだ。いいコースの大学が都心にあってな、」

さらり部下の進路を告げた深い目が、明るく微笑んだ。
その計画は英二にとって良い影響がある、そう想うまま光一は笑った。

「いい考えだね?警察オフィシャルの救命士資格保持者ってさ、良い箔がつきます。アイツなら遣り遂げますよ、」

雅樹も医学部に通いながら夜学とダブルスクールを遂げて、学生時代に救急救命士の資格を持った。
それと同じ道を英二も望む、この確信に笑った隣で後藤も嬉しそうに頷いた。

「よし、おまえさんが了解なら話は進めるよ、直属上司だからな?」
「はい、よろしくお願いします、」

自分のパートナーの進路に、上司として責任ある立場になった。
そんな今日からの現実に笑った向こうから、白衣を脱いだネクタイ姿の長身が笑いかけてくれた。

「お待たせしました、国村さん。行きましょう、」
「なに、もう敬語かよ?」

つい笑ってしまう、こんな会話はアイガーの時にもしたけれど馴れない。
きっと自分は今まで通りに話してしまう、そう予想した前でトランク携えて英二が笑った。

「今から練習しようって思ったんだよ、でもフライングかな、」
「オマエなら練習ナシで平気だろ、七機でも敬語遣う機会なんざ少ないかもしんないしさ、」

笑いながら登山ザックを持ち、扉を開く。
一緒に吉村医師と後藤も来てくれる、そんな日常も今が最後になるだろう。
こうした時間が自分は好きだったと、離れる切なさに懐かしい時間たちが廊下の靴音に響く。

―さよならだね、青梅署?また戻ってくるけどさ、

また自分はここに戻るだろう、警視庁山岳レスキューの最前線に立つため警察官になった自分だから。
こんど戻る日は指揮官としてここに立つ、その瞬間は早まると数分前に伝えられた。
きっと思うより早く帰って来られる、そう未来予測が笑ったロビーに拍手が起きた。

「え、」

予想外の拍手と、並んだ顔達に足が留められる。
いま午前の巡回が終わるころの時間、それなのに山ヤの警察官は半数がここに居る。
奥多摩交番の畠山もいる、御岳駐在の岩崎もいる、鳩ノ巣駐在の藤岡も笑っている。
他部署でも親しかった顔も一緒に拍手する、その輪の中から畠山が笑顔で一歩前に出た。

「国村、4年半ありがとうな。あのころから一緒のおまえが居なくなるの、本当は寂しいんだぞ?」

青梅署に卒業配置された当時、同時期に畠山も第七機動隊から異動してきた。
自分より齢も年次も上の先輩、けれど奥多摩の知識は自分が畠山に大半を教えた。
あのころより精悍になった笑顔へと、右手差し出して光一は綺麗に笑いかけた。

「また合同訓練とか休みの日は帰ってきます、そしたら悪戯の実験台にまたなってくれますか?」
「あははっ、単身寮の時はよくやられたよなあ、俺、」

懐かしい日々に笑って握手してくれる、その分厚い手の甲には傷が一筋ある。
4年前の冬、凍結する滝から遭難者を救助したときの裂傷は辛い記憶、けれど今は懐かしい。
今はもう結婚して娘がいる畠山、どうか現場にも無事に立ち続けていてほしい。そんな祈りと握手を解いた。
その手の前にこんどは人の好い笑顔が立って、握手すると大きな目が明るく笑った。

「なに、国村って畠山さんにも悪戯してたんだ?」
「悪戯されてない人、ココにいるメンツにはいないね、」

笑って握手する藤岡の手は、小さめでも厚くがっしりと温かい。
幾らか堅い掌は山と農業をする証、そんな藤岡の生立ちは自分と似て話しやすかった。
同年で農家に育った山ヤという共通点が気楽な、どこまでも明るくて強靭な性格が好きだ。
きっと現場に誇りを持って立ち続けていく、そう信頼できる友人の手を離すと光一は皆に笑った。

「悪戯っ子の追い出しってトコですね?本当に最後までお世話かけます、ありがとうございました、」

言葉にロビーが笑いだす、そんな空気が温かい。
この温もりがある職場が好きだった、厳しい現場に立っても笑いあえる絆が誇りだった。
父の旧友が示してくれた「山ヤの警察官」という道、この現場で自分は愛する山を護る誇りを知った。
それは雅樹が医学で山を護ろうとした意志と重ならす、だから尚更に誇らしく強く今を生きて立っている。
そんな自分を4年半に育んでくれた青梅署山岳救助隊、この場所から発っていく自分への励ましが嬉しい。

「元気でいろよ!悪戯しすぎるんじゃないぞ、」
「合同訓練の時はよろしくな、自主トレに来たら寄ってくれよ?」
「飲み会、また声かけるよ!」
「射撃大会に出るんなら教えろよ、応援してやるからな、」

たくさんの声が輪から起きていく、その全てが嬉しく誇らしい。
この声ひとつずつが自分を立たせ、今日の扉を開かせ明日へ繋がっていく。
いつか自分はこの男達のトップに立ち護っていく男になる、その未来を誰もが知って今、笑ってくれる。

―こんな俺でも必要としてくれるんだね、雅樹さん…もうちょっと生きてなきゃいけないってコトかな?

『生きよう?ずっと僕は一緒にいるよ、』

そう綺麗な深い声が記憶から笑ってくれる、この言葉を大切な夜明に告げてくれた。
あの言葉が無意識から自分を支えて今日まで生かす、アイガーでもピアノで自死を止めてくれた。
そして今、山ヤの警察官たちが笑って「明日」の自分を言祝ぎ、たくさんの約束で未来を呼んでくれる。

―ありがとう、

感謝を心に抱きしめ端正に礼をする、その俯けた微笑から涙ひとつ足もとに笑って落ちた。




(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.5

2013-01-22 23:45:48 | side K2
「知」 過去、未来、繋がらす今に



第59話 初嵐 side K2 act.5

もう寮の自室は、素っ気ない。

卒業配置から住んだ青梅署単身寮は今、初めて入寮した時と同じ姿で佇む。
この4年半に壁は山の写真が並び、デスクの書架には本とテキストが満員だった。
抽斗には登山図を整理して充たし、デジタル一眼レフとレンズは鍵付に保管さす。
机上へ据えたノートパソコンは山のデータと写真、それから秘匿のファイルたち。
それら全ては今、トランクに納められるか御岳の実家へと戻されてある。

もう部屋には登山ザックとトランクと、スーツ一式しか置いていない。

「4年半がスッキリしちゃったね?」

からり笑ってデスクライトを点け、座りこむ。
湯上りに熱るシャツへ風を入れながら、狭い空間を眺め渡す。
どこか空洞のよう静かな部屋、けれど記憶がたくさん見えてしまう。

初めて山岳救助隊員として現場を駈けた日は、故郷の山を警察官として立つ感慨があった。
初めて行政見分をした後は食事が摂れず、3日ほどアーモンドチョコレートの味で過ごした。
遭難遺体の残像に吐いたこともある、凍死体を見た日は抉られた記憶にここで独り泣いた。
けれど救助の礼状や仲間の笑顔、そして「山」を護れる誇りに今日まで現場に立てた。
なによりも雅樹の遺志に少しでも添いたくて、泣いても吐いても逃げたくなかった。

「そういうの、英二が来てから楽になったよね…やっぱデカいね、」

ひとりごと笑った部屋、いつもより静かに響いて消える。

槍ヶ岳を英二と超えた3月、石尾根の雪中に凍死体を収容した。
あのとき雅樹と両親のフラッシュバックを起こしかけて、けれど英二のお蔭で無事に業務を終えた。
そして帰寮したこの部屋で独りになった時、マナスルと北鎌尾根の雪が石尾根に重なって涙あふれた。
けれど英二の部屋で藤岡も一緒に飲んで笑えた、それから英二のベッドで眠った目覚めは爽やかだった。

「あのときが最初だったよ、英二…おまえは知らないだろうけどね、」

あの夜、本当はなかなか寝つけなかった。

眠れないまま英二の寝息を聴いて、独り歌っていた。
開け放したカーテンの窓に夜空を見つめ、星ふる記憶に想い歌に変えていく。
そんな時を過ごした果に、ふと見た隣の唇へと記憶が重なって、そのままに唇を重ねていた。
それが英二と自分の、初めてのキスだった。

―雅樹さんに見えたんだ、あのときの寝顔が…だからキスしたかった、ね、

星と雪の灯に浮んだ白皙は、愛する永眠の微笑と同じだった。
あの秋の記憶が惹きこんだままキスをした、そしてふれた香に現実が微笑んだ。
いま隣に眠る男は誰なのか?そう吐息から知らされた瞬間なにか落着いて、そのまま眠りに墜ちこんだ。
英二のキスが導いた眠りは深く温かで、森の香と体温に包まれ迎えた朝は明るく穏やかだった。

―英二が一緒だったから俺は、雅樹さんのこと受け留められたね…オヤジとおふくろのことも、

なにより愛する「山」は、大切な人たちを永遠に眠らせた。
だから尚更に「山」が大切になって、自分の世界は山が全てになっていった。
そんな自分と同じ歩調の相手がいたらアンザイレンパートナーになれる、そう願いながら不可能とも思っていた。
けれど英二がここに来てくれた、この青梅警察署に赴任して同じ寮で生活する日々に信頼と想いは深く鮮やいだ。
同僚から友達になって、親友と呼びあいアンザイレンパートナーになり『血の契』を交わし、北壁の夜を抱きあった。

「…今夜行ったらどうするんだろね、英二は」

夜の静謐に独り言こぼれて、笑ってしまう。
もう恋人の夜を過ごしてしまったパートナーは、今夜ベッドに行けば求めてくる?
それとも前と同じように寛いで、温もりに寄添う眠りへと微睡めるだろうか?

―今夜の後はもう1ヶ月は独りだね、そして最期かもしれない、

もう今夜が最後かもしれない、ここは山岳レスキューの最前線だから。
この場所で山ヤの警察官として立つ以上「明日」なんて解からない、この1秒後すら解からない。
もしかしたら遭難救助の現場で落命するかもしれない、それは殉職という意味より自分には、雅樹と同じ道に逝ける喜びでいる。
その覚悟と喜びに4年半をここで過ごした、この想い微笑んでライトを消して立ち上がり、部屋の扉を開いた。

かちり、

施錠の音が響いた深夜、廊下は静まり返っている。
ゆっくり歩きだす足許かすかに音が起き、その先に扉の下から光が射す。
あの光は眠りにまだない標、あの部屋の主は起きて自分を待ってくれている?

―英二、おまえも今夜が最期かもしれないって、想ってる?

心に問いかけ扉の前に立ち、けれどドアノブに触れない。
いつもなら針金一本で勝手に開錠して入る、でも今夜は躊躇われてしまう。
もう友人の間垣を超えてしまった現実が今、かすかな怯えになって扉を自分で開けられない。
こんなふう自分が怖がるなんて他にないのに?この初めての逡巡に笑って静かにノックした。

コン、コン…

ノックの音に、鼓動が叩かれる。
この音が導く夜はどちらだろう?そう問いかけが心を強張らせ、けれど挑みたい。
ずっと16年間を逸らせ続けた視界を今夜、真直ぐ向きあうためには英二の援けがほしい。
そんな想い佇んだ5秒間、静かな開錠音に扉は開いて笑顔は現れた。

「どうぞ、光一、」

デスクライトを背にした笑顔に、記憶が涙する。
やっぱり似ている笑顔、どうしてと想うほど俤を探す自分が疎ましい。
こんな往生際の悪い自分に微笑んで踏み出し、静かに部屋へ入った背で扉を閉じる。
けれど施錠出来ないまま立ち竦んだ視界、綺麗な笑顔ふり向いて尋ねてくれた。

「光一?どうして今、自分で開けなかったんだ?いつも勝手に開けて入ってくるのに、」

そんなこと、察して解ってよ?

そう想ってすぐ気がつかされる、この男は雅樹じゃない。
雅樹なら察してくれたことも他人には解らない、この当たり前に今更気づいて困ってしまう。
こんなにも自分は「現実」を認めたがらず心を背けていた、その16年間に微笑んで答えた。

「前と今は違うよね、だから、」

だからベッドに座って良いのか解らない、もう親友だけじゃない今だから。
いつも指定席だった英二のベッド、あの場所に今の自分が座れば何を意味させる?
それが怖くて座れない、今夜の時間が友人なのか?恋人なのか?どちらを英二は選ぶだろう。
この選択を委ねきれないまま立ち竦んだ向こう、ザイルパートナーは微笑んで手を伸ばし、扉に施錠した。

カチリ、

ちいさな音が星明りの部屋に鳴り、静寂が小さく息を呑む。
もう扉は鍵を掛けられた、もう退路を断たれた感覚に怯えが肩ふるわせだす。
この閉じた扉の意味は何?その答え探して見つめた切長い目は、穏やかに笑ってくれた。

「そんなに怯えなくて良いよ、光一?光一が嫌なら俺、無理なことはしないから。ただ一緒に寝たいだけなんだろ?」

受けとめてくれた、解ってくれた。

ほっと溜息こぼれ微笑んでしまう、この男を信じたことは間違いじゃない。
信頼が受けとめられる幸せを英二に見つめながら、ベッドに腰を下ろすと光一は微笑んだ。

「ありがとね、俺の甘えん坊を察してくれてさ、」
「やっぱり甘えに来たんだ、どうぞ?」

綺麗な低い声が笑いながら隣に腰をおろしてくれる、この優しさが好きだ。
天使と魔王の両面を持つ英二、けれど2つとも優しい姿なのだと自分は知っている。
それは山の二面性とよく似ている、だから英二の香は森と似ているのだろうか?

―英二の優しさって、雅樹さんと似ているけど全然違うんだよね。雰囲気は似てるのに中身は違いすぎる、

独りごと想いながら笑いかけた先、切長い目がゆらいだ。
切ない、そう瞳が微笑んだ瞬間、長い腕が伸ばされて体温に抱きしめられた。

「…っ、」

心臓が掴まれる、その痛みに温もりふれていく。
この抱擁が伝える熱は優しさと愛惜、それから共鳴する鼓動。
そして気づかされる、なぜ自分が今この男と時間を過ごしたかったのか?

―不安だったんだね、俺…明日からの全部に不安で、縋りたいんだね?

踏み出していく明日は「組織の幹部」未知の世界で自分は指揮官の義務と権利に立つ。
その意味を自分は知っている、指揮官としてトップに立つのは孤独との共存だ。

―明日からは独りだね、知らない場所で独りになるんだ、ずっと一緒だった山も森も無い世界で、

明日からは、故郷を離れてしまう。
雅樹と見た風景から遠ざかる、森から山から離れて暮らす。
警察学校のときのよう期限付きじゃない、明日ここを発てば帰る日は解からない。
ようやく逢えた雅樹の墓からも離れていく、それでも心だけは傍に居ると信じて踏み出すしかない。
そう覚悟している、けれど肩ふるえて唯一のパートナーに縋りつく、いま温もりで抱きとめてくれるなら援けをねだりたい。

どうか縋らせてほしい、1ヶ月を超えたら「山」を映す男が来てくれると期待させて?

優しさも冷酷も大きく深い、山のような男に縋りたい。
いま抱きしめてくれる肩すら森の香をくれる、この男が居たら山は自分の傍にある。
最高峰の夢駈ける約束の男、逝ってしまった俤すら映す男、この男に泣きたいほど期待したい。
この男が共に世界を生きるなら、自分は孤独も笑って生きられる。この願いに綺麗な低い声は静かに微笑んだ。

「光一、1ヶ月経ったら俺も行くから。ちゃんと元気で笑ってろよ、電話も毎日するから俺には愚痴れ、いいな?」

1ヶ月経ったら来てくれる、そう約束してくれる?
告げるトーンの穏かな静謐に頬よせる、ふれる肌は静かに息づき微笑む。
ふれあわす頬は穏やかな動きに微笑んだまま、この心へと約束を響かせた。

「いつでも良い、話したくなったら電話しろよ?留守電とか着信履歴で必ず折り返すから、遠慮なく電話してこい。俺には何でも話せ、
貯め込むな。俺は光一のビレイヤーなんだ、おまえのセカンドでブレーキで、ブレインになるのが俺の役割りだろ?絶対に遠慮するな、いいな?」

抱きしめ言い聞かせてくれる、その温もりに祈り伝わらす。
この自分の孤独も寂寥も解かってくれている、その全てを話して分けろと言ってくれる。
この言葉を信じても良いのだろうか、そう見つめた先で切長い目は願うよう笑ってくれた。

「いいな、光一?俺を頼れ、俺に甘えろ、それが光一と俺が一緒に居る意味だろ?ちゃんと話せよ、いいな?」

どうか自分にだけは頼ってほしい、甘えて必要だと言ってほしい。
そんな願いを告げてくれる眼差しは、深く賢明な熱に自分を映す。
この言葉を信じても赦される?この言葉を雅樹も共に聴いている?
そんな問いかけごと微笑んで、生きたパートナーへと素直に頷いた。

「うん…ありがと、ね、」

微笑んだ唇に、深い森の香が温かい。
山は遠い都心、高級住宅街に生まれ育った英二。それなのに森の気配を纏っている。
ずっと山の世界を知らず生きてきた男、けれど山に生き続けた雅樹の俤と意志を抱いて今、ここに自分を抱いて微笑む。

―ね、雅樹さん、英二と雅樹さんってどういう関係があるんだろね…

出逢った瞬間から10ヶ月間、この問いは時経るごと深くなる。
英二と周太は血縁関係がある、だから周太の父と英二がどこか似ていることは当然だろう。
けれど、それ以上に英二は血縁が無い雅樹と、誰もが見間違うほど似ている。

なぜ?

疑問の答はわからない、ただ温もりと香を現実の鼓動に見つめている。
その視線に端正な唇が笑ってくれる、その吐息に常と違う香を感じて光一は尋ねた。

「おまえ、煙草の匂いするね?」
「うん、さっき後藤さんと一本だけ吸ったんだ、」

正直に告白して笑う、その言葉に切長い瞳を覗いてしまう。
美しい瞳に鎮まる冷酷の翳、それが前より穏やかな笑みで見つめ返してくれる。
この気配は後藤の温もりの欠片だろう、そう看取れた喜び愉快に微笑んで白皙の額を小突いた。

「後藤のおじさんと富士の約束、してくれたんだね?ありがとね、」

最高峰へ後藤が見つめる、叶わぬ夢への想い。
けれど英二なら叶えられる、もう諦めていた夢でも英二だけは後藤の現実に出来る。
そう自分は信じている、きっと後藤も信じたから共に煙草を吸い、富士へ登る約束をした。
この約束をきっと叶えてくれる、そう笑いかけた先でアンザイレンパートナーの貌は幸せな笑顔ほころんだ。

「こっちこそありがとな、俺がしたかったこと気付かせてくれてさ。これからも色々言ってくれな?」

笑って率直な気持ちを示してくれる、その笑顔が温かい。
こんなふう後藤なら英二の冷酷すら癒せる、そして英二は後藤の傷も塞ぐだろう。
それが嬉しくて笑ったまま抱き寄せられて、ベッドに横たわり懐に温められる。
その懐からまた森の香あらわれて、静かな山の気配が包んでいく。

―山が運命の男なんだね、英二も、

自分は奥多摩の山に生まれ、雅樹も同じよう森で生まれた。
そんな自分たちは「山」に全てを見つめ、お互いに世界の全てを懸けて想い合う。
それと同じよう英二も山に生まれたのだろう、たとえ都会のコンクリートに誕生しても山に運命は生を受けた。
この同じがあるから今この瞬間も抱きえる、明日からの1ヶ月に約束ごと体温で温め合える。
そんな温もりに寛いでいく信頼に願いを見つけて、隣の切長い目にねだった。

「あのさ、ちょっと屋上に行かない?おまえが煙草吸ってるトコ、俺にも見せてよ?」

雅樹は煙草を一切、吸わなかった。
だから英二の喫煙する姿を見てみたい、そして別人だと視界と香に認めたい。
もう生き返らないのだと今、自分に言い聞かせたい。この願い笑いかけた先で端正な貌は微笑んだ。

「いいよ、」

笑って起きあがり、財布と携帯電話を手にしてくれる。
その首筋から黒い革紐が覗いて解ってしまう、この男は「英二」だ。

―あの革紐は合鍵のだね、周太との家に帰るためのさ、

いつも肌身離さずに、英二は家の合鍵を抱いている。
あの鍵は周太の父である馨の遺品だと前に話してくれた、そんな想いごと英二は鍵を大切にしている。
この革紐にまた確認して現実が笑う、雅樹の体は雪と炎にこの世から消えた、今隣にいるのは別人で山に生きる男だ。

―もう雅樹さんは生き帰らない、ドリアードにも不可能なんだ…もう周太に願ったら、ダメだ

明日からは、周太と同じ寮で暮らすことになる。
明日からの1ヶ月は傍で過ごす時間が多いだろう、そのとき困らせたくない。
もう山桜の化身に縋ったらいけない、ただ護る約束だけを見つめながら傍にいたい。
それを言い聞かせたくて今、英二と雅樹は別人なのだと自分に知らせたくて、喫煙する姿を見たい。

「光一、自販機に寄らせて?」

綺麗な低い声に呼ばれて、意識が戻される。
この声も雅樹とは違う、そう認めながら光一は笑いかけた。

「コンビニじゃなくって良いワケ?ライターも無いだろ、」
「ライターはあるんだ、」

ちょっと羞んだよう笑って、長い指が抽斗を開く。
白皙の指に黒銀きらめいて、デスクライトを消すと英二は扉を開いた。

かたん…かちり、

施錠が響いて、足音を隠し歩きだす。
夜に鎮まる廊下は非常灯が碧い、ふたり並んで歩く足元は水底のよう光る。
こんなふう一緒に何度もう歩いたろう?その記憶を辿りながら自販機に着くと、英二は硬貨を入れた。
その長い指は迷わずボタンを押す、がたりと箱の落ちる音に見た銘柄は度数が高い。
これくらいは煙草を吸わなくても意味が解る、そっと笑い隣のこめかみを小突いた。

「コレってキツイやつだろ?おまえ、結構なヘビースモーカーだったね?」
「うん、3年間だけな、」

正直に笑って箱を取り、長身は階段へと歩きだす。
隣を歩きながら呼吸した空気かすかに甘く苦い、この香は英二のキスにもある。
森と似た香にも幽かに漂う苦さと甘さ、その正体が今、隣を歩く白皙の掌にある。

―煙草の名残だったんだね、英二の匂いが苦くって甘いのってさ、

雅樹のキスは穏やかに甘く香って、山桜の吐息だった。
あの香との違いに別人なのだと確かめてきた、それが喫煙なのだと納得できる。
どこか退廃的な空気が英二にはある、その陰翳が華になって人を魅了させてしまう。
この空気感を醸す香の根源が、雅樹には皆無の習慣だった。そんな現実に微笑んだ前に扉が開いた。

「星が多いな、」

綺麗な低い声に、ふっと山風が吹きこみ頬なでる。
ゆるやかな風に外へ連れられ視界が披く、その夜に銀砂が大らかに空を駈ける。
雄渾な青藍ひろがらす天の大河は白銀きらめいて、吹雪のよう天球を光に充たす。
星ふる川に愛しい記憶が映っていく、その想い綺麗に笑って光一は柵に凭れた。

「天の川だね、今夜はイイ感じだよ、」
「こんなに見えるんだな。俺、初めてだよ?」

愉しそうに低い声が笑って、紙箱を開く。
慣れたふう一本取りだし唇に咥え、ケースを仕舞ったポケットから黒銀が現れる。
軽やかな金属音が空に鳴り、闇へ生まれた朱と青の火を白い手が囲み、煙草は熱を灯す。
紫煙ゆるく昇らす咥え煙草の横顔は睫濃やかな翳に微笑んで、長い指しなやかにジッポライターを閉じる。
そんな動きもひとつずつ美しくて見惚れてしまう。

―綺麗だね、これが英二なんだ…煙草がサマになる男なんだね、雅樹さんと違って、

洗い髪を夜風に遊ばす横顔、広やかな肩にカットソーの白が闇へ華やぐ。
端麗な唇に咥えこんだ煙草くゆらす苦く甘い香は、その陰翳きらめく眼差しと似合う。
こんな全てが雅樹とは違う、あの透けるよう明るい大らかさは今、目の前に佇む男には無い。

―雅樹さん、もう雅樹さんの体には逢えないね?もう墓の下の骨だけなんだね…16年前に俺が拾ったあの骨は雅樹さんなんだね?

16年前の晩秋、白い布団で棺で見つめた美しい最期の微笑。
そして火葬場で拾いあげた熱を名残らす、あわい紅ふくんだ白い骨。
あの全ては雅樹のなきがらだった、そう認識が目の前の光景から目を覚ます。
16年背けた現実が瞳を滲ませ頬を濡らす、その涙に頬にそっと山風ふれて夜へ駈けていく。
ふれた風の香に微笑んで、静かに涙を指に拭い呼吸ひとつして、紫煙も美しい横顔に笑いかけた。

「馴れてるってカンジだね、おまえ。映画のワンシーンみたいだよ、」

笑いかけた向こう、星映す瞳ゆっくり一つ瞬いた。
その端正な眼差しこちら向けて、ふっと白皙の貌やわらかに微笑んだ。

―あ、表情が変わったね?

やわらかな微笑、その温度が前と違う。
ほんの数時間前はこんな貌を英二はしなかった、この変化に英二の心が解かる。
きっと後藤が英二を変えた、そんな確信の真中で長い指しなやかに煙草をはさむ。
艶深いしぐさに煙草を離した唇、吐息に紫煙くゆらせ綺麗な低い声が笑った。

「同じこと後藤さんにも言われたんだ、俺。煙草がサマになるってさ、なんか嬉しそうに笑ってくれたよ?」

そう笑った顔は、今までにない温もりが灯される。
この温度は今出た名前の主と似ているな?そんな共通点が嬉しくて笑いかけた。

「俺と同じコト、おじさんも思ったんだね。で、煙草でナニ語りあったワケ?」
「夏富士の約束だよ、その前は奥さんの話をしてくれた。すごく良い純愛小説って感じでさ、聴いてて俺も幸せだったよ、」

煙草の香と話してくれる、その笑顔が深く温かい。
こんな表情から解る、きっと英二と後藤は煙草をはさんで良い時間を過ごせた。
ふたりは血縁も無い、けれど「山」に繋がれた父と息子になっていく、そんな未来が英二の笑顔に見える。

―山にオヤジと息子がほしいんだ、二人とも。だから大丈夫だね、お互いに夢を叶えられるね、

きっと英二は1ヶ月間、自分の不在を後藤との富士登山で埋められる。
そして後藤も光一が去った空間を、山の息子と叶える夢で温めてくれるだろう。
これが後藤への報いになってほしい、諦めたはずの夢こそ叶えて笑ってほしい。

―後藤のおじさんが俺を大事にしてくれるのは、雅樹さんもオヤジたちも大切な友達って今も想ってくれるからだね…感謝してるよ?

この自分を友人の遺児だと護り、早逝した天才のザイルパートナーと認めて期待し、トップクライマーに育ててくれる。
雅樹が逝き、両親まで喪った自分の孤独に「山」の人生を示してくれた、あの大きな背中こそ幸せになってほしい。
もう唯一人しか生き残っていない自分とザイルを組んだ山ヤ、その人に最高のアンザイレンで登る幸福を贈りたい。
この願い託したいアンザイレンパートナーへと、信頼のまま笑いかけ光一は約束をねだった。

「夏富士に登ったらね、後藤のおじさんと一本また吸ってきてよ?携帯灰皿も忘れずにさ、」
「あ、副隊長ってそういう習慣?」

すぐ気づいて笑ってくれる、この反射が話して楽だ。
気づいてくれたままに頷いて、想う通りを言葉に変えた。

「だよ?デカい山に登った時とかはね、必ず一本吸いたいんだってさ。たぶんソレもね、息子との夢なんじゃない?」
「そっか、」

相槌を打って長い指を口許へよせ、端正な唇が煙草を咥えこむ。
くゆらす紫煙が山風に靡いて夜へ昇らす、苦く甘い軌跡は白く天球へ融けていく。
空ふる星を切長い目は仰いで唇は煙草に閉じる、濡れた髪を風遊ばせ白皙の貌は動かない。
けれど星映す瞳は穏やかに笑ってくれる。その表情に願い届いたことを知って、光一は星に笑った。







(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.4

2013-01-21 23:18:15 | side K2
「明」 発つ今に言祝ぎを



第59話 初嵐 side K2 act.4

いつもの居酒屋、いつもの個室で山ヤたちがグラスを前にする。
青梅警察署山岳救助隊の笑顔たち、この4年半を過ごした部署が自分は好きだった。
ここに卒業配置された19歳の2月、あのときから一緒に奥多摩を駈けた男はもう少ない。
第七機動隊、五日市署、高尾署、そのどこかに異動して1人ずつ発っていくのを4年半見送ってきた。
そして今、自分が見送られ故郷の町を発っていく。

「よし、スタメンは揃ったな?みんなグラスを持ってくれ、今から国村を七機に送りだす全体会議を始めようじゃないか、」

朗らかに笑って後藤はビールグラスを持ち、座を見渡してくれる。
呼び掛けにグラスを掲げていく半数は、ノンアルコールのグラスでいることが「最前線」だと示して誇らしい。
その中には吉村医師も笑う、雅樹の父は何を想い座に就いてくれるのだろう?そんな想いの隣で後藤は大らかに笑った。

「青梅署きっての悪戯っ子が七機で悪さしすぎんよう、皆で考えようじゃないか?問題は御目付の宮田が異動するまでの1ヶ月間、
国村が悪戯虫を起こさんで小隊長を務められるのか、良い案があるヤツは遠慮なく俺に入知恵してくれよ?今夜は無礼講で飲もうなあ、」

そんな台詞の乾杯に、山ヤの警察官たちが笑ってくれる。
最も「山」に近い警察官たち、この男達と共に立った現場の数々が自分を作ってくれた。
ここに居る誰もと信頼をつなぎ現場を駈けられた、この誇りと一緒に金色の酒を飲み干して光一は笑った。

「俺ってさ、やっぱり青梅署での評判が一番、アウェーだったりするのかね?アレじゃ、悪戯目的で異動するみたいな言われようだね、」

そうは言っても本当は、この人達ほど自分を理解し活かしてくれる場所は無い。
そんな想いの向かいから人の好い笑顔で藤岡が、愉快に乗ってくれた。

「言われても仕方ないんじゃない?国村って反射的に悪戯やっちゃうとこあるしさ、」
「まあね、思いつくと愉しくってヤっちゃってるんだよね、」

答えながら箸をとり料理を口に放り込む、この味も4年半ですっかり馴染んだ。
いつも飲み会と言えばこの店この個室だった、もう何度ここに座って後藤副隊長の乾杯音頭を聴いたろう?
そう懐旧を辿らす隣から後藤は愉快に笑ってビール瓶を向けてくれた。

「まったくなあ、藤岡の言う通りだよ?おまえさんの悪戯癖は反射運動だな、小さい頃からずっとそうだ、生まれる時からかなあ?」
「あれ?雲取山のてっぺんで生まれたコトまで、俺の悪戯ってことですか?」

笑ってグラスを持ちあげて、旧知の酒を受け留める。
ガラスコップに充ちていく金色と泡を器用に注ぐと、父の旧友は可笑しそうに笑った。

「まあ半分は奏子ちゃんの所為だがな?でもオマエさんが母さんの胎から誘って、登らせたんじゃないかって俺は思ってるぞ?」

本当にそうだったかもしれない、あの日は雅樹が奥多摩に居たのだから。

この世に生まれる瞬間を雅樹に出逢いたくて、自分は母を急かせたのかもしれない。
あの日に雲取山頂に登らせて、この国の首都最高峰で生んでもらい、最高のアンザイレンパートナーに出逢う。
そう自分は決めていたのかもしれない、きっと母の胎内から見つめて雅樹を選んで、生まれる瞬間すら運命に定めた。
こんな納得に微笑んでグラスに口付ける向かい、明るい同僚は大きな目にひとつ瞬いて頷いた。

「へえ、後藤さんがそう言うなら俺、信じちゃいますね。国村って周りを乗っけるの巧いしさ、なあ、宮田?」

呼び掛けた藤岡の声に、白皙の貌が穏やかに微笑んでくれる。
英二なら何て答えるのかな?すこし楽しみに見た隣で綺麗な低い声は笑ってくれた。

「うん、俺もマインドコントロールされそうな時あるな?」

俺のほうこそ、コントロールされっ放しだね?
そんな台詞を心に笑いながら、白皙のこめかみを指で小突いた。

「あはは、ばれちゃってるんなら仕方ないね?あのときが後藤さん、いちばん驚いたんでしょ?」
「そりゃあ驚いたってもんじゃないよ、俺も吉村も、奥多摩の山ヤ全員がびっくりだ。なあ、吉村?」

明朗な声が笑って吉村医師を呼びかける。
応えてワイシャツ姿のロマンスグレーが顔あげて、穏やかなトーンで微笑んだ。

「はい、驚きましたね。私も慌てましたよ?でも雅樹は驚いても落着いていて、私を援けてくれました」

雅樹の記憶を、吉村医師が口にした。

雅樹の記憶を雅樹の父が自分に言う、それは16年ぶりになる。
さっき警察医診察室で墓所と森の話はした、けれど生きている雅樹の話はしたことが無い。
それを今、ここを発つ直前に吉村が口にしてくれた想いが鼓動ふれて、明るんだ心のまま光一は笑った。

「さすが雅樹さんですね?俺の悪戯もね、いつも驚いても落着いて笑ってくれてましたよ、雅樹さんだけは、」
「そうですね?そういう男です、雅樹は、」

微笑んだ声も切長い目も穏やかで、昔と変わらぬ誇りが温かい。
あの晩秋、愛息の骸を抱くよう帰った貌に消えた光が今、ゆっくり甦り始めている。
さっきの警察医診察室で今この酒席で、光一の前で吉村は雅樹のことを話せた。この変化に笑う前で藤岡が言ってくれた。

「誰から聴いても雅樹さんって、本当にかっこいい男ですよね。でも驚いても落着いてるって、確かに宮田と似ていますね?」
「そうでしょう?雰囲気とか似ています、でも宮田くんの方がずっと華がありますよ?」

答えながら雅樹の父が英二を見る眼差しは「君は君だよ?」と笑ってくれる。
ただ真直ぐな父性愛、そんな温もりに隣で英二の笑顔が綺麗に咲いた。

「先生、俺ね?どちらの北壁でも、雅樹さんが一緒に登っているって自然と想ってました。だから安心して登れたんです、」
「そうか、雅樹が宮田くんと国村くんの役に立ったんだね?よかった…ありがとう、」

すこし詰まった声を雅樹の父は、オレンジジュースで飲みこんだ。
雅樹が好んだオレンジジュースを自分の前で飲んでくれる、その意味が自分には解ってしまう。
もう明日に自分は奥多摩を発って行く、この送別に吉村医師は雅樹も見送ろうとしてくれている。

―俺と一緒に雅樹さんが行くって、先生は解かってるね?もう大丈夫だね…もう先生は雅樹さんと向き合えてる、英二のお蔭だね?

吉村医師は英二に雅樹を重ねながら、別個の人間として真直ぐ受けとめている。
吉村と雅樹は性格が似ている所も多くて、だからこそ英二と雅樹の相違はよく解るだろう。
そして雅樹と自分の関係についても他の誰より、きっと吉村医師がいちばん真実の近くを気付いている。

―だから何も訊かないでくれるね…解かるから、雅樹さんの事を話題にもしないでくれてたんだ、16年間ずっと

誰よりも雅樹の父が、自分の哀しみの傍に居る。
そう解っている、だから自分も雅樹のことを吉村医師に話さなず16年を過ごした。
もしも二人で雅樹のことを話したらもう、傷みが解かりあい過ぎて苦しいと解かるから。
亡くした幸福への愛惜は今も変わらない、それでも記憶の共有へと踏み出せる「今」に光一は笑った。

「吉村先生、雅樹さんは役に立つなんてモンじゃないね?ずっと俺の御守をしっぱなしだよ、ずっと今でもね、」

ずっと雅樹は自分のなかで生きているよ?
そう告げた先で雅樹の父が微笑んだ貌は、温かく明るい。
こんな笑顔が出来るなら大丈夫だろうな?嬉しくて微笑んだ隣から後藤が笑ってくれた。

「おまえさん、24歳にもなって御守されているのかい?本当に生まれた時から雅樹くんに、世話になりっぱなしなんだなあ?」
「仕方ないですよ?俺が甘えん坊の駄々っ子だってね、後藤さん良く知ってるでしょ?だから1ヶ月を宮田ナシの俺が心配な癖に、」

後藤が雅樹のことを自分に言うのも、16年ぶりのこと。
ずっと後藤も山ヤの医学生を悼んできた、そして今、吉村医師と自分の変化を一緒に笑ってくれる。
その大らかな優しさに微笑んでグラスに付けた口許、ほろ苦さに微かな甘さ飲みこむと藤岡が言ってきた。

「なんかさ、国村って雰囲気ちょっと変わったよな?北壁行ってくる前と今とじゃさ、」
「そっかね?どんなふうに俺、変わったカンジ?」

藤岡も変化を感じている、それが何だか愉快で楽しい。
この変化が明るいものだと良い、そう想い笑った前から人の好い笑顔は応えた。

「うん、美人になったよな?前は悪戯坊主か仙人みたいな雰囲気のが強かったけど、なんか天女とかって感じにキレイになっちゃった?」

さらっと答えられた言葉に、心裡で軽く息を呑む。
こういう鋭さが藤岡は本能的で、故意の無さがストレートに本音を突いて可笑しい。

―天女ってスゴイ喩えだよね?

自分が英二に抱かれて女にされた、そんな事実を突かれて気恥ずかしくて可笑しい。
あの時間を幻のよう想えていたのに、藤岡の言葉で「事実」だと気付かされてしまう。
この事実確認をしてみたいな?望みに悪戯が起きあがるまま笑って、光一は口を開いた。

「そりゃ、俺だって一皮剥けちゃったんじゃない?北壁を連続でヌいてきたんだからさ、スッキリして別嬪にもなるよね、」

ちょっと露骨な言葉を並べすぎ?

そんな感想に自分で可笑しくて、つい転がしてしまう自分に安堵する。
ちゃんとエロオヤジでいられるのなら、この先も笑って過ごす種ひとつ失わずに済むから。
それに言った言葉に嘘は1つも無い、北壁もベッドも連続したらスッキリして当然だろう。

―本番えっちはホント久しぶりだもんね?下世話だろうが、そりゃスッキリするってモンだ、

こんなこと成人男子なら当然の生理現象だ?
そう感じる心と体に16年の時間を想い、もう24歳だと実感する。
それでも16年前の夜が懐かしくて、どの瞬間よりも慕わしく愛しい。

―雅樹さんだけだよ、あんなに俺を幸せに出来るのはね。それがよく解かっちゃったんだ、英二とも出来なかったからね?

英二とのベッドは本当に幸福だったから今、藤岡にも言われるのだろう。
けれど雅樹との夜にあった「無条件」という名の幸せは、きっと他の誰にも探せない。
この想いと笑って見た隣は予想どおり困った貌で笑う、その困り顔も綺麗で嬉しくなる。
こういう貌するからつい転がして困らせたくなるな?そう笑った隣から英二は立ちあがった。

「すみません、ちょっと、」

中座の意志表示を笑顔で告げて、個室から英二は出て行った。
きっと周太とメールか電話だろう、今日は帰国日だから連絡も当然するはずだから。
たぶん周太も今頃は送別会かもしれない?そんな予想する隣の空席に木下が座ってくれた。

「国村さん。5ヶ月でしたけど、ありがとうございました、」
「こっちこそです、異動してもよろしくお願いしますね、」

笑ってビール瓶をとり、木下のグラスに注いでいく。
愉しげに酒を受けて飲み干すと、齢の近い先輩も光一のグラスへ瓶を傾けてくれる。
満ちた黄金色の酒に口つけて半分ほど飲むと、軽く首傾げて木下は口を開いてくれた。

「こんど御岳駐在に来る男ですけどね、実は俺の同期なんですよ、」

確か、木下は自分より3歳年長の高卒任官と聴いている。
そして原は1歳年長の高卒任官だ、この年齢差に尋ねてみた。

「木下さん、民間に勤めてから?」
「はい、高卒で就職して2年勤めてから警視庁に入ったんです、」

笑って枝豆を口にする、その笑顔は朗らかに優しい。
木下は人当りが良いと岩崎からも聴いている、その通りの貌でも困ったよう先輩は話し始めた。

「原とは教場は違ったけれどクラブが同じ柔道でね、それで警察学校の時から親しくて、七機でも小隊は違うけど寮ではコンビでした。
あいつは山岳部でインターハイ入賞しています、その実績に自信があるから卒配でも行けるだろうって青梅署と五日市を希望しました。
だけど八王子署になってショックだったんです、仕方ないって解っていても悔しくて。元から斜めなタイプだったのに、尚更ちょっとね、」

木下が言う通り、普通は奥多摩方面への卒業配置は無い。
警視庁の卒業配置は各警察署で交番勤務に就く、いわゆる「お巡りさん」になる。
けれど奥多摩を管轄とする青梅署と五日市署、高尾署では駐在員が山岳救助隊を兼務している。
この特殊業務は専門性と危険性が高いため、よほどの山岳経験者でない限り卒業配置では配属されない。
だから後藤も光一に三大北壁の踏破と救急法の取得を任官前にさせた、そんな実体験に光一はからり笑った。

「こう言っちゃナンですけどね、原さんが卒配されないのって当たり前ですよ?ホントに俺や副隊長は例外ですから、」

自分は高校入学前から既に、後藤による山岳レスキュー教育がスタートしている。
このバックボーンと実績があるから青梅署に卒業配置された、それも卒配は二人一組が通常だけれど自分は単独だった。
それくらい例外的なことでいる、それを想えば原の心理も解かってしまう。そんな理解に微笑んだ光一に木下は困ったよう笑った。

「はい、その通りです。原も解かってはいるんですけどプライドが高いヤツでね。それなのに初任総合が終わっても異動は無くて。
それから二年経ってようやく七機の山岳救助レンジャーに配属されて、喜んでね。だから今回の異動を原、簡単に納得したくないんです、」

思い通りにいかないジレンマを耐えて、ようやく希望部署に配属された。
そんな曲折が原にはある、だから「簡単に納得したくない」のだろう、そんな見当に光一は微笑んだ。

「自分はインターハイ入賞したのに卒配されなくて、なのに宮田は山経験ゼロで卒配されたコト、さぞ理不尽って思うでしょうね?」
「正直なところその通りです、そういう宮田さんが国村さんのパートナーだってことも余計にね。色々とすみません、」

正直に話して謝ってくれる、こういうバランス感覚が木下は良い。
こんな性質だから幾らか自信過剰な原とも親しくなれるのだろう。
この人も昇進していくだろうな?そう予測しながら光一は飄々と笑った。

「ま、宮田なら巧くやってくれますよ?英二ってそういうヤツです、ね、吉村先生?」

きっと吉村医師なら自分と同じ考えだろう。
この信頼に笑いかけた先、篤実なロマンスグレーは微笑んだ。

「はい、宮田くんなら大丈夫ですよ?きっと原くんとお互いに良い影響を与えあえるって思います、」

原からも英二に「良い」影響があると医師は言う。
それはどういう変化のことだろうか?考え廻らせた前から人の好い笑顔が率直に尋ねた。

「へえ、宮田にも良い影響があるんですね?聴いてると、ちょっと原さんって俺は苦手にしそうだけど、」
「あ、やっぱり藤岡くんはそう思うよね?でも結構いいヤツだから、」

明るい笑顔でとりなす木下に、藤岡の大きな目は「どうでしょう?」とおどけたよう笑う。
英二のような華は無いけれど藤岡は愛嬌がある、そして東北人らしい寡黙な強靭が大らかに温かい。
あくまで地道な努力と前向きな発想と展望、そういう藤岡からしたら原は真逆タイプになるだろう。

―やっぱり藤岡VS原ってさ、ライブで見てみたいね?

英二と原がどうなるか予想がつく、けれど藤岡は予想し難い。
さっきの「天女」発言のように藤岡は無意識に核心を突く意外性がある。
それに原がどう反応するのだろう、そして英二は二人をどう噛合せてまとめるだろうか?

―俺も七機でちょっと大変かもしれないけどね、英二のリーダーやってるトコ見たいよね?

英二が異動するまでの一ヶ月、8月の期間。
この間に休みをとって見に来たいな?そんな思案に酒を傾け頬杖をつく。
そこへ運ばれた猪口に後藤が徳利を傾けてくれながら、可笑しそうに笑った。

「なあ国村、藤岡と原を宮田がどう纏めるか、見たいって考えてるだろう?」
「当たり、興味津々ですね、」

素直に白状して後藤の猪口に注ぎ返し、吉村医師と藤岡、木下にも猪口を渡す。
この地酒も暫く無沙汰になるだろうな?気に入りの香に微笑んだ光一に木下が笑った。

「原は今、片想いでフラれた相手に再告白って気分なんですよ、奥多摩の救助隊に憧れて警視庁に入ったから。
なんせプライドが高くてツンデレな男なので、最初は態度悪いかもしれません。でも温かい目で見てやって戴けませんか?」

こんなふう同期に言われるほど、原は山ヤの警察官に憧憬がある。
それなら尚更に出逢う現実への衝撃は大きいかもしれない?その度合いを計りたくて光一は尋ねた。

「木下さんは震災のとき、機動救助隊で宮城へ派遣されたんですよね。原さんも行かれたんですか?」
「はい、俺とは時期が違うけど岩手に行ってます。秋ごろだったかな?」

答えてくれる木下は、震災発生の初動で派遣されている。
瓦礫や遺体の収容、ライフラインの切断などの苛酷を体験しただろう。
それより原は遅く秋に派遣されている、おそらく木下ほどの「死」の現場経験は無い。

―たぶん原、最初にへこむんじゃないかね。ソレに英二がどう対応するかってとこだ?

奥多摩の救助隊への憧憬が強い分、現実の厳しさに砕かれやすい。
そんな可能性がある新任者を育成することは、英二の指導力にとって試金石だ。
この先にある結果への信頼に笑った隣、後藤副隊長は伸びやかに笑った。

「もう察していると思うがな、原はご遺体に会ったことが無いんだよ。悪いがな、見分や遺体収容の時はフォローを頼めるかい?」
「最初はキツイですもんね?出来ることはします、俺も皆さんに助けてもらいましたから、」

人の好い笑顔で頷くと藤岡は、猪口の酒を飲み干した。
藤岡も初めて自殺遺体を行政見分した後、拒食状態に陥って窶れた。
けれど藤岡の場合は、水死体だったことが心的外傷とぶつかった結果でいる。この事情に吉村医師が微笑んだ。

「藤岡くんは立派でした、あのとき正面から向き合われたことは簡単ではありませんから、」
「先生、あのときは本当にありがとうございました、」

明るい笑顔は感謝に温かで、今は元気いっぱいでいる。
このタフな友人で同僚に笑いながら、そっと光一は後藤副隊長に問いかけた。

「今回の異動、いちばんテストされるのって宮田なんでしょ?補佐官の力量テストってカンジ、」
「ああ、その通りだ。信頼してるからこそな、」

日焼の顔ほころばせ、上官は悪戯っ子に笑ってくれる。
すこし光一へと体傾けて、低めた声は愉快に教えてくれた。

「まだ宮田は二年目の夏だ、それも山の経験だって1年に満たない。そういう宮田が原を1ヶ月で成長させたら、誰もが納得するな?」
「そういう人選ってコトですね、新任者は、」

やっぱり後藤の意図だと納得に微笑んで猪口を空ける。
頼もしい笑顔も頷いて酒を干す、その横顔に提案と笑いかけた。

「さて、後藤のおじさん?ホントは今夜のうちに宮田と喋っときたい事あるんでしょ、私人公人の両方でさ?」
「ははっ、おまえさんには解かるんだなあ、」

愉快に山ヤは笑ってジャケットを引き寄せると、ポケットの物を掌に隠しこんだ。
その紙箱とワイシャツの胸ポケットに見える燻銀に、どこへ行くか解かってしまう。
そして「隠しこんだ」理由も気がつきながら、飄々と光一は笑いかけた。

「俺の御目付役ならね、廊下の奥にいると思いますよ?口止め料を考えておきなね、」
「バレてるねえ、俺もさ?」

可笑しくて堪らない、そんな貌で笑って後藤は中座していった。
このタイミングなら英二と出くわせるだろう、そして二人で話す時間を寛いでくれたらいい。

―ホントの親子みたいなシーンだろね、きっとさ?

これから煙草を挟んで山ヤ二人は向かい合う。
その時間を見てみたいとも思う、けれど自分は与えられる立場に「今」すべきことがある。
この義務と権利に微笑んで光一は、グラスと携帯電話を携えて酒席を回り始めた。







(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.3

2013-01-19 23:59:09 | side K2
「扉」 出ていく世界に、光を



第59話 初嵐 side K2 act.3

黄昏の空に、紺青の夜が降ってくる。

あわい雲が張りだす天球、白い月の気配が夜を生む。
開けた窓に頬杖した顔を山風が撫で、ふっと香る樹木の涼しさに目が細まる。
こうした夏の風も明日からは違う匂い、その寂寞に笑った視界の端で長い指がカーステレオのスイッチを押した。

……

満たした水辺に響く 誰かの呼んでる声
静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫 手招く光のらせん
その向こうにも 穏やかな未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
優しい調べの中を このまま泳いでたい 
冷たい光の扉 その向こうにも悲しくない未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

……

旋律に充たす四駆の助手席、フロントガラスにも故郷が移ろっていく。
その全ては見慣れた景色、けれど明日からは遠くなってしまう。それが現実であることが今は不思議に想える。
もちろん異動は警察官になった時から当然覚悟していた、きっと故郷以外の場所に住むことも愉しめるだろう。
それでも馴染んだ「山」から遠退くことは体の一部を剥がれるようで、この初めてが途惑っている。

この向こうに穏やかな未来があるの?
今の向うには悲しくない未来がある?

『ずっと俺は傍にいていいかな、一緒に山に生きたいんだ。本当に俺が生きたい世界は光一と同じ、山だから』

その言葉を信じてもいいの?

―英二、北壁で言ってくれたコト信じて良いワケ?

そう本当は運転席に訊きたくて、けれど訊けない。
ふたつの北壁で英二が言ってくれた言葉たち、あの全てが真実と想って良いの?
この問いかけに途惑う迷いは帰国の朝からずっと、本当は隠して笑っている。
それとも本音は答など欲しくないから訊けないのかもしれない。

『光一は俺の憧れで、俺が生きていたい世界の全てだ』

自分の世界の全てが誰かになる、それは怖くて痛くて、けれど幸福。
その甘さも傷みも苦しさも自分は知っている、喪う絶望すら知っている。
だから英二の言葉が真実か虚妄なのか?その答えを暈して正視したくない。
こんな自分の臆病に笑った視界、見慣れた建物の駐車場に四駆は停まった。

「おつかれさん、運転ありがとね、」
「ああ、光一こそな?」

笑い合ってシートベルトを外し、扉を開く。
ばたんと閉めた音に見上げる建物は、過ごした毎日の6年を迎える。
ここを明日に発てば暫く帰らない、そんな近い未来に笑ってパートナーにねだった。

「このまんま、診察室に寄ってイイよね?」
「警察手帳とか保管に戻してからな、」
「あ、だね?」

綺麗な低い声に納得と頷いて、通用扉から携行品の保管に行く。
すぐ手続きを終えてロビーに戻ると、いつものベンチに白衣姿が座っていた。
ずっと見慣れた横顔、けれどロマンスグレーの髪には白い霜が増えている。
もう超えてきた年月を想いながら、親しい山ヤの医師に笑いかけた。

「吉村先生、ただいま戻りました、」
「おかえりなさい、今日は隊服姿なんですね?」

穏やかな声が笑ってベンチから立ってくれる。
その笑顔に大切な俤を見つめた隣、綺麗な低い声が微笑んだ。

「はい、携行品だけとってすぐ直行しました。なので駐在所で今日は着替えて、」
「そうでしたか、帰国早々にお疲れさまでした。時差ボケは大丈夫ですか?」

話ながら歩いて行く廊下、医師の貌は笑顔に明るい。
この遠征訓練中も心配してくれた、そんな様子が安堵の眼差しに温かい。
きっと吉村は息子を想いながら待っていた、その愛惜に開いた扉の向こう警察医のデスクを見た。
そこにある写真の微笑に、心臓ごと掴まれた心が泣き笑いに微笑んだ。

―ただいま、雅樹さん。今日も別嬪だね?

青いウェア姿の笑顔は写真の中でK2山頂に生きている。
この姿を追いかけて自分は北壁を登った、あの瞬間たちが愛おしい。
冷厳の時を想いながら椅子に座る、その向かいから吉村医師は笑ってくれた。

「光一くん、雅樹の墓参りをありがとう、」

今は青梅署内、けれど名前で呼んでくれた。
警察医ではなく雅樹の父として向き合っている、その空間にコーヒーの香が流れだす。

―英二、コーヒー淹れて席を外してくれてるね?

きっと吉村と二人で話す時間をくれようとしている。
この気遣い素直に微笑んで、光一は口を開いた。

「やっぱり先生には、俺が来たって解かっちゃうんだね?」
「ええ、あの桔梗がありましたから。とても綺麗でした、」

あの桔梗、そう微笑んだ吉村の眼差しは懐旧に温かい。
薄紅ぼかしの桔梗は森深く、雅樹と自分だけが知る場所だけに咲く。
そんな花だから吉村が見たのは16年ぶりだったろう、そう気がつかされた心が痛い。

―あの花を雅樹さんは毎年摘んで帰ってた、家族みんなが好きだからって…それなのに俺だけしか見ていなかったね、

きっと花に息子の俤を見たかったはず、それを思い遣らず自分は16年の花を独り占めに泣いていた。
哀しみ囚われるまま花一輪も思い遣れなかった、その悔いに唇を噛んでしまう。
けれど呼吸ひとつ微笑んで亡き人の心を抱いて想いを伝えた。

「あの花は秋まで咲くからね、今度コッチに帰ってきた時に摘んできます、」

大切な人の想いを繋いで生きていたい。

どうせ生きなくてはいけないのなら、愛する人の遺志を辿りたい。
ひとつでも多く、すこしでも色濃く雅樹の願いを叶えて鮮やかに輝かせたい。
そんな想いごと約束しながら笑った向かい、愛しい俤の笑顔は嬉しそうに言ってくれた。

「ああ、それは嬉しいですね?ありがとう、光一くん、」
「こっちこそ、ありがとうございます。いつも勝手にお邪魔して、好きにさせてもらって、」

あの森で好きに過ごす自由を、雅樹の祖父は自分にも与えてくれた。
それと同じに吉村医師も許してくれる、その感謝に笑った先で雅樹の父は微笑んだ。

「いつでも何度でも来て下さい。あの森を光一くんが護ってくれること、本当に感謝しています。ありがとう、」

いつでも何度でも来てほしい、そう願ってくれる。
この願いに父親としての想いを見つめて、綺麗に笑いかけた。

「異動しても休みには俺、ちゃんと帰ってきますからね?そうしたらまた樹のお守りさせて下さい、」
「ぜひお願いします、私だと要領を得なくてね。だから元気で帰ってきてください、雅樹と森の為にもね、」

雅樹と森の為に帰ってきてほしい、そう雅樹の父が笑ってくれる。
こんな願いを貰える自分は幸せだ、嬉しくて笑う前へとマグカップが3つ置かれた。

「お待たせしました、熱いうちにどうぞ?」
「ありがとう、やっぱり宮田くんが淹れると香が良いですね、ご馳走になります、」

ゆるやかな芳香の燻らす湯気に、吉村医師は嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔には英二への愛情が温かで、16年前の絶望は影をまた薄くしていく。

―あのとき先生は一挙に老け込んだね、あっという間に髪が今みたいに灰色になってさ…

晩秋の夜、息子の遺体と帰ってきた医師の髪は色を変えていた。

まだ48歳の髪は豊かに黒かった、けれど奥多摩に戻った時には白髪が目立っていた。
葬儀が終わり、それから四十九日法要で再会した時には今の様、半白のロマンスグレーだった。
そんな吉村医師の姿に深い悲しみを知らされて尚更に、雅樹との一夜と十年の約束を秘めようと決めた。
きっと知れば雅樹の父として光一の傷に気付く、そして医師の視点から癒えない傷を哀しませてしまう。
だから言えない、けれどそれで良い。

―この秘密は俺と雅樹さんだけのものだね、桔梗の咲く場所と同じに、

そっと秘密に微笑んでマグカップに口付ける、その唇に芳香は熱く温かい。
ほろ苦く甘い香の熱を啜りながら見た医師の貌は今、幸せに笑って愛弟子と話している。

「北壁は気温が低いでしょう?けれど記録の時間だと、相当に体は温まったんじゃありませんか?」
「はい、山頂に着いた時は暑かったです。でも標高が上がると気温も下がるので、思ったよりは汗かかなくて、」

いま64歳の吉村医師は、髪が半白でも表情は若い。
まだ奥多摩に戻った時は疲れの翳りがあった、けれど英二と話す貌は16年前と似ている。
いつも愛息と山に医学に笑っていた誇らしい幸せ、あの頃の明るさがロマンスグレーに微笑む。
こんな笑顔から吉村の英二に見つめる想いが解かるようで、この青年が抱く傷に祈りたい。

―英二は気づくべきだね、愛されてるってさ?吉村先生と後藤のおじさんの気持ちを信じるべきだ、おまえなら出来るだろ?

どうか気づいてほしい「今」与えられている愛情に。

天使で魔王の貌した美しく優しい男、けれど解っていない。
どんなに自分が真心に包まれ生きるのか、まだ心底には気づいていない。
気づかないから餓えるまま冷酷な貌は終わらない、この孤独が根源の哀しみに傷む。
それを知っているから周太は英二を独りに出来なくて、恋愛までも光一に委ねる決意をしてしまった。

この愛情たちに気づき満たされる瞬間、どんな貌を英二は見せるのだろう?

それを見たくてアイガーの夜も、この体ごと自分を英二に委ねた。
もう16年前に喪った「約束」を蘇らせたい願いと、英二の支えになりたい願い。
この2つの想いに英二との夜を選んで、雅樹がくれた「十年後の約束」を待つ時間と別れた。
けれど夜明けに自分が見た夢は本音の願いだけで、そして雅樹への想いは尚更あざやかでいる。

―雅樹さんを忘れるなんて出来るワケ無いね、ほんの欠片でも消すことなんて出来ない。でも、英二のことも本気だから…泣きたいね

本当はずっと泣きたい、グリンデルワルトが終わった瞬間から。
アイガー北壁の窓辺、あの部屋の扉を開いて帰国の現実に戻った時から想っている。
英二との夜を選んだことが正しいのか、間違っているのか解からなくて、途惑いが迷う。
こんな迷いは誰に言っても答なんか見つからない、ただ雅樹だけには聴いてほしくて今日も墓参した。
いつも一緒に雅樹は居てくれるだろう、それでも墓と向きあうことで諦めと始まりが欲しかった。

―逢いたいよ、だから俺が約束を終わらせたら迎えに来てほしい…そう約束してくれたら英二と生きること、始められるから、

英二と一緒に生きていく時間。

それは雅樹と生きた時間とは違う、互いに結局は「二番」でいることだから。
お互いに大切な唯ひとりがいる、その隣は帰りたいと願っている、そんな共通点があるから解かりあえる。
お互いに最高峰へ夢を駈ける、この同じ夢を見つめる唯一のアンザイレンパートナーだから、共にいられる。
警察の世界でも「山」でも公認されるパートナーとして英二と生きていく、それが雅樹との夢を叶える道になる。

そう信じているから英二と確かめ合ってみたかった。
いま自分が持っている体も心も感覚も、全てを懸けて知りたかった。
だからグリンデルワルトで肌を交わす瞬間を受容れて、ふたり秘密を共有することを選んだ。
そうして戻ってきた現実の立ち位置に、この隣への想いが整理つかないままでも「明日」を見つめられる。

―どうなってもアンザイレンパートナーなことは変わらないね、えっちしたって親友って言いたいよ?

グリンデルワルトの時間を英二は「恋人」として大切にしてくれた。
けれど自分の想いは親友が強くなった、肌を交わした「違い」が現実を教えたから。
英二との夜も昼も幸せだった、体ごと愛される幸福を肌から想いださせられて温もりに酔えた。
それでも目覚めた瞬間いつも、懐かしい体温と香への想いが尚更に募らされて、呼吸するごと思い知らされる。

そんな自分に気付かされる、もう自分の恋愛は唯一人しか見つめられない。

―英二、おまえに惚れてるよ。でもね…やっぱり雅樹さんは特別なんだ、それでも言ってくれたコト信じてイイの?

いま隣に座る横顔に心問いかけながら、雅樹の父と向かい合いコーヒーを飲んでいる。
グリンデルワルトのベッドで見た英二の貌と今見つめる貌は、別人のようにすら感じてしまう。
そして解からなくなる、今の現実と恋人の夜は地続きになっているのか、英二が告げた言葉が現実だったのか?

『ずっと俺は傍にいていいかな、一緒に山に生きたいんだ。本当に俺が生きたい世界は光一と同じ、山だから』

あの言葉を信じても良いの?
信じて明日へ踏み出したなら、穏かな未来はあるの?
その向こうには哀しくない未来へと、自分は辿りつけるのだろうか?

―ね、雅樹さん…あいつと色んな山を登ってみたいよ、でもそれが正しいコトかな、

問いかけと見た診察室のデスク、大好きな笑顔は変ることなく英明なままに優しい。
生まれた瞬間から愛してくれた人、夢を懸けた名前を贈ってくれた人、今も感情の全てが繋がれる相手。
きっと今も隣に佇んでくれている、その信頼に微笑んで光一は温かなマグカップに口付けた。









【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRAST」】

(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.2

2013-01-18 22:03:51 | side K2
「夢」 残せる温もりに、願いを 



第59話 初嵐 side K2 act.2

救助隊服に着替えて休憩室に入ると、御岳駐在所長が座っていた。
この黒く日焼けした笑顔とゆっくり話すのは、もう今が最後の時だろう。
いま挨拶をしておきたい、そんな想いに前へ立って光一は礼をした。

「岩崎さん、お世話になりました。七機に行っても世話になると思いますが、」
「なんだ、今もう挨拶か?」

笑って岩崎も立ってくれる。
その気さくで頼もしい眼差しに、最初の時と同じよう笑いかけた。

「はい、今のうちに挨拶しておきます。このあと救助が入ったら出来なくなっちゃいますから、」
「その台詞、懐かしいな?俺が着任した頃よく聴かせてもらったよ、まあ、座ろう?」

愉しげに笑顔ほころばせ、着席を奨めながら腰を下ろす。
その前に光一も座って卓に制帽を置くと、岩崎は頭を下げてくれた。

「国村、俺のほうこそ本当に世話になった。随分と援けてもらった、2年近くもサポートをありがとう、」

岩崎が御岳駐在所長に着任したのは一昨年の晩秋だった。
あのとき自分は任官4年目、岩崎は青梅署管轄に就いた最初がこのポジションでいる。
あの頃の岩崎と今の自分は同じような立場だな?こんな共通点を想いながら光一は笑いかけた。

「大したことしてないですよ?俺のが先住民だからってね、部下の癖に勝手イッパイしちゃって、ご迷惑をかけました、」
「それを言うなら階級は同じ警部補だ、部下って言うのもなあ?」

岩崎の方が年長で先輩でも同じ階級、その現実に明るく笑ってくれる。
こういう朗らかさが初対面から好感を持てた、その頃と変わらぬ笑顔で岩崎は言ってくれた。

「年次と年齢は俺が上だけど山のキャリアは国村の方が長い、奥多摩は特にだろ?それなのに俺を上司として立てて接してくれた。
本当はな、国村がここの所長になった方が良かったんだ。でも年数と年齢が若いって理由で、俺が七機から呼ばれて着任したよ。
だけど明日からは国村も七機の小隊長だ、俺と立場が変わらなくなるよ。だからな、国村の上司としていられるのは今が最後だ、」

岩崎との関係も明日から変わる。
この変化は山岳救助隊の仲間全員に対しても同じ、その実感が上司の言葉に起きていく。
今までの先輩隊員との関係が明日で変っていくことに、なにか寂寥を見つめながらも明るく笑った。

「岩崎さんの下でいられてね、俺は楽しかったですよ?ホントにありがとうございました、」
「そうか?俺も国村がいて楽しかったぞ、痛快な想いを随分とさせてもらったよ、」

愉しげに岩崎は笑ってくれる。
いつもこの笑顔が信頼してくれた、その感謝を想いながら今後に口を開いた。

「岩崎さん、俺ってやっぱり第2小隊はアウェーみたいですね?加藤さんに言われちゃいましたよ、」

遠征訓練のリーダーだった加藤は、第七機動隊の第1小隊に所属している。
きっと第2小隊にも知人が多いだろう、そこから得た自分の評判はダイレクトだと考えて良い。
そんな現実に悪戯っ子が起きあがって可笑しくなる、その向かいから上司は教えてくれた。

「加藤の情報だと信憑性は高いだろうな。でも今回の遠征で国村、かなり評判は上がったらしいじゃないか?」
「アレ、もう加藤さん達から連絡来てます?」
「おう、昼前に連絡くれたよ。見直したって言っていたよ、」

やはり岩崎は横の連携も強い。
こういう上司を持ったことは自分の連携にも繋がっていく。
このさき異動して昇進しても岩崎は頼れる、そんな信頼にからり笑った。

「ってコトは前は俺、やっぱ問題児あつかいですね、」

見直した、それなら以前の評価は問題があるってことだ?
そう現状把握して笑った光一に、岩崎も可笑しそうに笑ってくれた。

「問題って言うよりな、K2の件でビビられちゃってるんだよ。容赦ない正論って一番恐いだろ?」
「じゃあ俺って、恐怖の独裁者ってイメージですかね?」

端的に言ったらそういう感じかな?
思ったまま口にした言葉に、愉快に上司は笑ってくれた。

「あははっ、そんな感じだろうな。厳しい切れ者って印象らしいよ、敵にまわしたら怖いってな、」

それなら面従腹背でも指揮に従っては貰えるだろう。
たぶん明日はシビアな空気に迎えられるかな?そんな予想と笑う前に菓子箱が置かれた。
いつのまにか湯呑も前にある、こんないつもの気遣いをくれるパートナーに笑いかけた。

「ありがとね、宮田、」
「おう、」

返事して笑ってくれる貌も、今まで通りに穏やかに優しい。
こんな貌を見ていると、アイガーの夜にいた男は別人のようにも想えてしまう。
いま隣の笑顔は謹直でも穏やかな性質が温かい、けれど夜に魅せた美貌は優しい魔王だった。

―雅樹さんは天使のまんまだったね、ベッドでもいつでも。なのに英二はいろんな貌があるね?

いつもは美しい天使のよう、けれど魔王の貌が英二にはある。
この二面性に途惑いながら惹かれてしまう、それは周太も同じだろうか?それとも違う?
こんな考えを隊服姿の自分は駐在所で考えめぐらせている、そんな今が何だか可笑しい前で岩崎が笑った。

「宮田の茶、また旨くなったな?おまえの評判、すごく良いぞ?」
「そうなんですか?」

綺麗な低い声で答えながら、端正な貌が困りながら微笑む。
謙虚で穏やかな物堅さ、この見慣れた横顔への評価を光一は口にした。

「こいつね、アイガーの後は『宮田さん』に呼び方、昇格してましたよ?」
「4日間で変えたのか?さすがだな、宮田。なら大丈夫かな、」

褒めながらも岩崎の言葉に少しの含みがある。
たぶん明日から着任する男のことだろう、そんな予想に茶を啜る前で岩崎は口を開いた。

「実はな、今回の遠征訓練は第2小隊からも参加予定だったんだ。でも1人がキャンセルしてな、結局パートナーごと辞退したんだよ、」

この話は自分も七機の加藤から聴いている、たぶん岩崎は後輩の加藤と上司である後藤の両方からだろう。
上下から言われるなんて「相当」だ?そう考え廻らせながら菓子を取り、解答で笑いかけた。

「キャンセルしたの、明日から来る原ってヤツですね?」
「その通りだよ、」

少し困ったよう岩崎は相槌してくれる、そんな表情を見ながら口にした菓子は冷たく甘い。
どこからの差入だろうと見当つける隣、英二は微笑んで茶をゆるりと啜っている。
いつものよう英二は落着いている、そんな姿に安堵したよう笑って岩崎は続けた。

「後藤さんに聴いてるだろうけど、原はビッグウォールの経験が無くてな。だから今回の遠征に参加が決ってたんだ。
でも原、異動が決まって引継ぎが忙しいから行けないって断ったんだよ。相当に向こうっ気が強いタイプでな、加藤も心配していたよ、」

今回の異動を納得していない、そんな不満が原の態度から見える。
そこに機動隊が警備部所属だとエリート意識もあるだろう、新人の後釜だと癇に障るのかもしれない。
後は、光一が小隊長に就任する事への第2小隊内にある不満を代弁したい、そんな仲間意識も見えてくる。
本庁直属にプライドを持っている、そんなタイプだとしたら「山ヤの警察官」である意識が所轄と違い過ぎる。
これに青梅署の仲間は何を感じ、現場指揮官の後藤はどう考えるのだろう?
そして英二はどんな姿勢で後任者の育成を行っていくだろうか?

―ライブで見てみたいね、教育係やってる宮田巡査と藤岡の反応はさ?

藤岡は所轄の駐在員として、レスキュー最前線に立つ誇りを持っている。
地域交流も柔道指導員の立場から大切にする藤岡は、実は住民からの人気が高い。
そういう前線タイプの藤岡とは対極的な男、そんな雰囲気を原には感じてしまう。

―だから原のこと、加藤さんも心配してるんだろね?

おそらく原は、現場でも寮でも小さな衝突は不可避だろう、それを英二はどうやって捌くだろうか?
そんな想いと見た隣の微笑みに、愉しくなって光一は笑ってしまった。

「ほら、岩崎さん?宮田、笑ってますよ。もうソイツの誑し攻略が解かったってカンジ、」

面白そうな男だな?そう笑っている切長い目は愉しげで明るい。
その貌を見て岩崎も楽しそうに言ってくれた。

「ああ、宮田なら大丈夫だろうよ、」

信頼の笑顔が湯呑に口付けて、菓子に手を伸ばす。
何も心配していない上司の貌に英二は可笑しそうに微笑んだ。

「攻略とか、そんなものは解からないですけど。俺も原さんみたいに反抗するところ、あるなって思っただけです、」
「宮田が?」

意外だな?そんな貌で岩崎が菓子を飲みこんだ。
いつも堅実な英二しか知らなければ「反抗」など考えられないだろう。
けれど他面の素顔は反抗なんて言葉では済まされない、こんなパートナーが愉快で隣の額を小突いた。

「確かにオマエ、反抗って嫌いじゃないよね?俺も同じだけどさ。ま、1ヶ月は仮パートナーやるんだし、ホドホド仲良くしてやんなね、」
「うん、パートナーのお許し出たんなら仲良くするよ、」

素直に頷きながら英二も菓子を口にする貌は自然体でいる。
のんびりと湯呑を傾ける微笑は穏やかでも、明日からの対応を考えているだろう。
この水面下に深い賢明が英二は頼もしくて怖い、この男を1ヶ月後から自分は部下にする。

―ホントに優秀な部下だね?でもイザってなったら叛乱するだろね、英二の自由な意志でさ、

英二なら光一のことを上司として立てるだろう。
生真面目だから簡単に反抗などしない、意見が違うなら堅実に話し合おうとするだろう。
けれど英二には逆鱗がある、その為になら光一を犠牲にすることもきっと厭わない。
そのことを英二自身からもう、フィンデルンの草原で告げられた。

『光一は俺の憧れで、俺が生きていたい世界の全てだ。だけど俺は周太の隣に帰りたいんだ、』

あの言葉の通りに英二は、周太の為と判断したら光一を捨てるだろう。
それを責める資格なんて自分には無い、自分こそ雅樹の為なら英二を忘れてしまうから。
この本音がグリンデルワルトで露呈した自分に、どうして英二を責める事なんか出来るだろう?
こんな自分たちは互いが「二番」それでも共に立つパートナーでいられる、この幸せに笑った前から岩崎が提案をくれた。

「宮田、ちょっとパトカーで国村と巡回してこい。明日からは宮田が運転だしな、国村に指導してもらうの今日がラストだから、」

ずっと自分が座ったミニパトカーの運転席に、明日からは英二が座る。
その練習をする意味もあるだろう、それ以上に話す時間を岩崎は気遣ってくれる。
ちょうど話しておきたいこともあるから都合が良い、上司の気遣いに感謝しながら湯呑を空け立ち上がった。

「じゃ、教育係の最終日やってきますね?さ、宮田くん。今から路上教習ですよ?」

最終日、この言葉に寂しさと笑って休憩室を出る。
その隣を歩いてくれる横顔に、同じ想いを見ながら一緒に駐在所の外へ出た。

「おまえ、今日で3回目だっけね?」
「うん、それくらいかな?あ、4回目だ、」

回数を話題にしながらミニパトカーに乗込み、助手席でシートベルトを締める。
運転席の横顔は不安げなくハンドルを捌いて、規定通り速やかな発進をした。

「やっぱり運転巧いね、おまえって何でも器用に出来ちゃうよな、」
「光一に褒められると自信もてるよ、」

話しながら管轄を巡回していく、その車窓に故郷の山は緑きらめく。
きっと明日も奥多摩は晴れだろうな?そう観天望気に笑った隣、綺麗な低い声が微笑んだ。

「寂しいな、」

これは本音、そんなトーンに振り向いてしまう。
フロントガラス越し見つめた切長い目が切なくて、悪戯っ子に笑いかけた。

「寂しさに負けて、仮パートナーと浮気するんじゃないよ?そしたら俺、周太にチョッカイ出しちゃうからね、」
「それはダメ、浮気なんかしないし、」

即答に笑ってくれる、その貌と言葉にほっとする。
こんな安堵も可笑しくて笑って見た車窓、山の緑ゆれていく。
風に笑う山肌を見上げながら微笑んで、光一は願いごとを言葉に変えた。

「英二、青梅署にいる間にさ。後藤のおじさんと富士山、登ってきてくんない?」
「副隊長と、夏富士を?」

意外そうなトーンが訊き返しながら、切長い目がフロント越しに見てくれる。
今まで自分が提案した山は訓練目的で選んできた、だから夏富士は英二にとって「意外」が当然だ。
けれど今回だけは例外で良い、そんな想いとアンザイレンパートナーに笑いかけた。

「登山道の巡回もしていこ、時間もちょうどイイからね、」
「はい、」

指示の方向へミニパトカーは乗り入れて、急斜面の坂を上っていく。
いくらか狭隘の道は木洩陽ゆれて明滅きらめく、夏の陽射しだと季節が光る。
下山していくハイカーの姿を車窓に見ながら上りあげ、いつもの駐車場所に停めた。

「さ、俺のラスト巡回だね。いずれ戻ってくるけどさ、」

笑って助手席の扉を開いた頭上、夏の陽が眩しい。
この巡回が今は最後、けれど必ず故郷に自分は帰ってくる。
そんな想いと歩きだす登山道を風ゆるやかに吹く、森の清涼は大気を満たす。
幼い日から馴染んだ空気に笑った隣、アンザイレンパートナーは綺麗に笑ってくれた。

「たくさん光一には教わったな、色んなこと。本当にありがとう、」
「まだまだ教えること、いっぱいあるよ?」

まだ教えていたいよ?
そんな本音も愉快に笑って、ふたり並んで登っていく。
今も隣を歩いてくれる笑顔は穏やかで、けれど瞳の深くに華が熱い。
高峰に輝くアルペングリューエン、あの冷厳きらめく光がパートナーの瞳に映る。

―アイガーの黄昏みたいだね、英二ってさ?

栄光と死が廻るアイガー北壁、あの場所と英二は似ている。
山岳レスキューに駈ける横顔は救済の天使、けれど「50年の束縛」に冷酷な魔王と変る。
ただ周太への想いに貌を変えてしまう英二の憎悪、その対象に近い世界へと明日の自分は踏みこむ。
そして1ヶ月後には英二も追いかけてくる、その前に叶えてほしい願いを言葉に変えた。

「後藤のおじさんの夢はね、息子と最高峰に登ることだったんだよ、」

告げた声は微笑んで、けれど透明な哀しみと希望が充ちる。
もう二十年近く前に知った現実を悼みながら、後藤の願い叶える可能性へと口を開いた。

「後藤のおじさんトコ、娘の紫乃さんだけだろ?でもね、本当は息子がいたんだよ、」
「息子さんが、副隊長に?」

綺麗な低い声の問いかけに、御岳の木洩陽は静かにふる。
いつもの陽射しのなかを登りながら、記憶を噛んで話し始めた。

「紫乃さんの5コ下だよ。後藤のおじさんは息子が欲しかったから、そりゃ喜んだらしいね。でも生まれて一週間で亡くなったんだ。
生まれつき体が弱かったらしい。でもね、おじさんは泣きながら笑って息子サンを見送ったんだよ、この一週間は本当に幸せだったって、」

この一週間は幸せだった、その言葉に息子への夢と祈りが温かい。
けれど喪った傷みが切なくて、それでも後藤の幸福を寿ぎたい想いに声は明るんだ。

「いつか息子とアンザイレンザイル繋いで最高峰を登るって夢、見させてもらって幸せだってね。泣いても幸せそうに笑ったんだよ、」

息子みたいに可愛い、本当に息子なら良いのに。

そう後藤は英二を見つめて、指導の労を惜しまず技術を伝えようとする。
訓練でも現場でも常に英二の無事を祈り、無傷の帰還を何よりも喜びとして願う。
そんな後藤の想いは吉村医師の雅樹と英二を重ねる心と似て、それ以上に山ヤの誇りが輝く。
同じ山ヤとして持てる全てを伝えたい、そう願い息子への祈りと夢を懸けて真直ぐ英二を愛している。

―山ヤとして父親としての願いだね、おまえならチャンと理解して受け取れるはずだよ?今は無理でも、いつか必ずね、

この信頼と笑いかけた先、ダークブラウンの髪きらめく下で切長い瞳は切ない。
きっと生真面目な性質は「50年の束縛」に後藤へも自責を泣いている、けれど笑ってほしい。
あの後藤なら英二の選択だって深い懐に受けとめる、そう解るから英二の為にも一緒に富士山へ登ってほしい。
最高の山ヤの警察官が抱いている「最高峰の夢」に癒されてほしい、この願いに英二は綺麗に笑って約束してくれた。

「この夏は俺、この国の最高峰に後藤さんと登ってくるな?息子さんの代わりって言ったら烏滸がましいけど、一緒に登らせてもらってくる、」

この国の最高峰、富士山。
奥多摩からも見えるあの山を眺めるとき、後藤は逝った愛息の夢を見る。
この夢に後藤は雅樹を嘱望し、友人の遺児である光一にも温かな指導と心を与えてきた。
そんな後藤の温もりが今もう英二の瞳を涙にほどきだす、その額を小突いて光一は笑いかけた。

「うん、一緒に登ってね?後藤のおじさんはさ、おまえが一番なんだ。ソコントコ理解して1ヶ月、奥多摩で山ヤの警察官やんなね?」
「ああ、後藤さんに自主トレ、いっぱい頼んでみるよ。ありがとな、」

切長い目は感謝が微笑んで、共に故郷の山頂へ登ってくれる。
この道を来年も再来年も共に登りたい、そう願っている自分がいる。
そうしていつか帰るべき場所に逝く時まで、ずっと一緒に生きられたら良い。
そんな想いに笑い合い登っていく道、ふっと開けた視界に遠く摩天楼の群れが見えた。

―あの端っこの街に生活するんだね、明日からさ?

アスファルトとコンクリートの林立する都市、そこに明日から生きる。
故郷の土と水と空気から離れ、雅樹が息づく森と山と離れて、塵埃の空気を明日から吸う。
そこでも自分は雅樹の心と生きていく、まだ「約束」の夢に命は果てないのだから。






(to be continued)

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第59話 初嵐 side K2 act.1

2013-01-17 23:46:16 | side K2
「新」今、ここを発って



第59話 初嵐 side K2 act.1

梢を光が揺らし、風が髪を遊ばさす。
ふわり、頬なでる馥郁は深く甘い懐かしい香。
夏に繁れる山桜の葉は薄い緑きらめいて、愛しい記憶ごと香を降らしてくれる。
豊かな木洩陽に明るむ森の底、白い星の花に光一は笑った。

「雅樹さん、今年も桔梗が咲いたね?山桜も実が生ってる、」

記憶の俤に笑いかけ、緑ゆれる巨樹にふれる。
なめらかと固さとが入り混じる木肌は、紫ふくんだ灰色に艶めく。
陽に透ける緑の葉隠れを、小さな果実が黒く濡玻玉に光って実りを示す。
大切な人が愛した桜の巨樹、その許から振り向くとブナの翡翠色が天蓋を覆う。
そこから離れた陽だまりに、常緑の山茶花が護る磐座を見て記憶へと微笑んだ。

「ね、雅樹さん。あそこでドリアードと俺、アーモンドチョコ食べたんだよ?冬はあの岩が一番だからさ、」

いま森の花に傅かれる岩、そこに15年前にあった光景を雅樹が隣に居るよう話してしまう。
この森に雅樹は生まれ、この森を愛して通い、森の主である樹霊に出逢い恋して山ヤになった。
その場所に佇む今、慕わしい肌に香った馥郁が大気に充ちて、香に連れられた心が二十年を超えていく。

「光一、この花は奥多摩ではね、ここでしか僕も見た事が無いんだ、」

綺麗な深い声が笑いかけ、白い指を花に添える。
華奢な翠のびやかな茎に白い花がゆれる、その五弁の星型に自分は尋ねた。

「コレって桔梗だよね?庭とかで咲いてるって思うけど、」
「よく見て、光一?花に葉脈みたいな筋があるけど、これが赤いのが珍しいんだ、」

盃のような花冠の底、紅色のラインが奔っている。
薄紅ぼかしの花は艶やかで、その優しい風情に大好きな人へ笑いかけた。

「きれいだね、雅樹さんが照れてる時のうなじみたい、」
「そうかな?なんか恥ずかしいね、」

笑った白皙の貌は羞んで紅潮を昇らせる。
その容子が花と似て綺麗で、眩しくて慕わしい想いごと抱きついた。

「雅樹さんって、ホントきれいだね?世界一の別嬪だよ、」

あなたは世界一に綺麗。
誰よりも清らかで強くて、いちばん大好きな綺麗な存在。
この憧れと恋慕に見あげた切長い目は、照れたよう困ったよう笑ってくれた。

「僕、男なのに別嬪なの?」
「うんっ、男だって美人は別嬪だよね?雅樹さんは俺の別嬪パートナーだよ、」

俺のパートナー、そう呼ばせてよ?
そう呼んで独り占めしたくて笑いかけた傍ら、長身は片膝ついてくれる。
そして目線を合わせ瞳を見つめて、羞んだ綺麗な笑顔が尋ねてくれた。

「僕のこと、光一のパートナーにしてくれるんだ?」
「うんっ、俺のパートナーになってよ?春にも言ったよね、雪の降った日にここで言ったよ?」

ドリアードより俺を選んでよ?俺だけを見てよ、
いちばんを俺って言って約束を護ってよ?俺とパートナー組んで一緒に山登ってよ、大好きだったら、
いちばん好きなら俺だけのパートナーになってよ、山の神さまより俺を好きって言って?山で死なないでよ、俺のトコ帰ってきて、ずっと

3ヶ月前の雪ふる春、ドリアードの話をしてくれた雅樹にそう願った。
あのとき雅樹は4歳にもならない自分と約束してくれた、あの約束を今も覚えていると言ってほしい。
どうか覚えていてよ?そう願い見つめた切長い目は幸せに笑ってくれた。

「うん、言ってくれたね。あのとき僕、嬉しかったよ。ちゃんと光一も覚えていてくれたんだね?」
「覚えているに決まってるねっ、雅樹さん、俺がいちばん好きだから俺のとこ帰ってきてくれるんでしょ?パートナーもやるよね?」

覚えていてくれたことが嬉しくて、嬉しい想いごと雅樹に抱きついた。
ふたり同じ記憶を覚えていられる、この共有が幸せで頬よせた光一に綺麗な深い声が微笑んだ。

「うん、いちばん好きだよ。ちゃんと奥多摩に帰ってきて、ずっと光一と一緒に山へ登るよ?明日はどこに登りに行く?」
「水のあるトコがイイね、三頭山とかさ、川苔でもイイよ?」

光一が4歳になったら一緒に山に登る。
その約束どおり5月の誕生日から、奥多摩に帰ってくるたび一緒に登ってくれた。
そうして雅樹との山行が始まった4歳の夏は、大好きな場所を大好きな人と登る喜びに明るかった。

「雅樹さん、あの夏も幸せだったよ?…雅樹さんと一緒に登れて俺、本当に幸せだった、」

いま隣に居てくれる、たとえ見えなくても傍に居る。
そう信じるまま微笑んで指を伸ばし、紅ふくむ白い花を手折った。
青い桔梗、あわい黄色のホトトギス草、野花菖蒲に紅撫子、薄紫の野菊に大山蓮華。
白から青に黄色に赤、夏の花々をひとつずつ俤の記憶ごと手折り摘んで、腕に抱いてゆく。
この場所で花を摘むとき16年前は、大好きな人が隣にいて花と微笑んだ。あの幸福な記憶が花の色と香に優しい。

「ここで花を摘むのは俺だけだね…今って独りだけど、一緒にいてくれてるよね?」

ここは秘密の花園、雅樹と自分だけの居場所。

他にこの場所を知る者は唯一人、山桜の樹霊ドリアードしかいない。
けれど樹霊の化身も今はここに帰ることなく、独り運命と闘いに行ってしまう。
その同じ場所へと明日の午後には自分も立つ、それから後は奥多摩に帰る日も解からない。
もう帰りの涯が解からない出立、この現実に微笑んで見上げた山桜に光一は問いかけた。

「雅樹さん、ここに残りたい?それとも俺と一緒に来てくれる?森も山も遠いトコだけどね、俺と一緒に行ってくれる?」

笑いかけた梢ゆらいで、薄緑の木洩陽きらめき降る。
まぶしい温かな光と花の馥郁そっと頬撫でて、その優しさに微笑んで光一は踵返した。
ゆっくり踏み分けていく森の道、大きな樹木の谺にせせらぎは響いて水の気配がやさしい。
この水を汲んで共に飲んだ日が愛しくて、歩く足元の草花ひとつずつに記憶の言葉がうつろい揺れる。

「雅樹さんの記憶が生きているね、この森には。ね、雅樹さん?」

微笑んで呼びかけ見上げる、その額に木洩陽は降りそそぐ。
もう8月を迎える孟夏のとき、けれど森の空気は静謐に涼やかで水音も清かに鎮まる。
この森閑も清涼も全てが好きだ、この大好きな森に呼吸しながら緑の空気を歩いていく。
暫くは森をゆっくり歩くことが出来ないだろう、そんな明日からの時間に笑って登山靴はアスファルトを踏んだ。

「さて、現実にちょっと寄っていこっかね?」

笑って通りを横切り、奥多摩交番の入口を潜っていく。
広やかな背中を向ける黒いTシャツ姿の長身は、向かいの後藤と愉しげに笑っている。
ふたりの声に「北壁」という単語を聴きながら長身の隣に立つと、光一は笑いかけた。

「お待たせ、ほら行くよ?また後でね、後藤のおじさん、」
「ああ、今夜は無礼講で飲もうなあ。行ってらっしゃい、」

後藤の深い眼差しが、温かく微笑んでくれる。
後藤なら今抱える花束の意味が解かるだろう、その理解に笑いかけ踵返した。
すぐ後ろから深い森の香が近づいて、隣に来ると綺麗な低い声が微笑んだ。

「光一、いつの間にかいなくなって驚いたよ?」
「俺に驚かされんの、愉しいだろ?」

からり笑いかえして一緒に歩く道、アスファルトに陽光が熱い。
けれど山風がカットソーを透かせて心地いい、頬も涼しさが撫でてくれる。
まぶしい陽光に目を細めながら花を抱き、慣れた道を辿って山門を潜った。

「…寺か、」

綺麗な低い声がつぶやく、そのトーンに理解が香らす。
どこに行くのか英二なら気づいてくれる、この信頼に行く先は告げない。
それに呼応するよう隣に並んで、明滅きらめく石畳を一緒に歩いてくれる。

―英二、雅樹さんの墓を見て何を想うんだろね?

いま隣を行く男は、雅樹の墓所に何を見つめるだろう?

今から24時間前に自分たちは、アイガーの麓で快楽に繋がれていた。
白いシーツに抱きあい素肌を交わし、互いの体に感覚と熱を求めて溺れこんだ。
北壁登頂を終えた夜に初めての時を過ごし、真昼の夢にまた夜を繰り返して互いを確かめた。
そんな夜と昼と夜を過ごした時間たちは、こうして隣を歩く今は幻のよう感じてしまう。

―雅樹さん、英二とのコトって本当に現実なのかね?…なんか雅樹さんの時と違い過ぎて途惑う、よ…

雅樹と過ごした一夜は、現実だった。

たった一夜限りの恋人の夜だった、それでも永遠の時間となって今も抱く。
あの夜に十年後を約束して、けれど叶えられなくて、それでも永遠だと今も言える。
この今も雅樹との夜は心あざやかで、あの夜の感覚も香も声も全ての記憶が愛しく温かい。
唯一夜、けれど夜明けの風まで幾度も交わした恋愛の瞬間は生きる涯まで充たしてくれる。

―雅樹さんとの時間は現実だって今もわかるのに、英二の夜はなんだか幻みたいだね?

英二とは二夜をアイガーの窓辺で抱きあい、この身に感覚を穿たれた。
あんなに幾度も愛してくれた、それなのに非現実と想えてしまうのは何故だろう?
誰よりも自分に心身とも近い男は最高の友、その友情が変らぬ空気に恋愛は不似合と想えてしまう。
この親友と呼べる男と自分が?そんな不思議へ微笑んで手桶2つ水を汲み、また歩いて雪空色の墓碑に辿り着いた。

「英二、ちょっと待っててね、」

花を1つの手桶に入れながら笑いかけた先、英二が微笑んでくれる。
穏やかで優しい笑顔にすこし鼓動が叩かれる、けれど笑った光一に綺麗な低い声が言ってくれた。

「お墓を磨いたりするんだろ?手伝うよ、湯原の家でいつもやってるし、」

周太にするのと同じように光一にも接しようとしてくれる、それが素直に嬉しい。
両親の命日も英二は共に墓参して、一緒に墓碑を磨いてくれた。あのとき嬉しかった。
けれど雅樹の墓は特別、この想いは譲れなくて光一は首を振った。

「ありがとね、でも俺ひとりでやらせてよ?」

謝辞して笑いかけた光一を、切長い目が見つめてくれる。
穏やかな眼差しはかすかな切なさに微笑んで、静かに頷いてくれた。

「うん、俺のこと気にしないで、ゆっくりで良いよ?待ってるから、」

そう言って綺麗な笑顔を見せて、参道の並木に英二はもたれた。
ゆれる木洩陽にダークブラウンの髪きらめかせ、ただ優しい笑顔をくれる。
その長身端正な立ち姿に、亡き人の俤と違いを見とめながら墓碑へと向かい合った。

「雅樹さん、吉村のジイさん、バアさん、それからご先祖さん達。ちょっとお邪魔するね?」

白灰色の碑に頭を下げて笑いかけ、ポケットから真っ新のタオルを出す。
手桶の水で絞り正面上から拭っていく、その白い布地がグレーに染まっていく。
この1週間前に磨いたばかりで汚れは少なくて、すぐ石は陽光を白く照りかえす。
これで雅樹の墓参は三度目になる、そして英二にとっては今が初めての雅樹との邂逅になる。

―雅樹さん、英二を連れてきたよ?きっと一緒にいつも会ってるだろうけど…体の名残りと会うのは、初めてだね?

心ひとり言で熱が生まれて、瞳深くから涙こぼれる。
この墓石の下には雅樹の遺骨がある、その現実をずっと認めたくなかった。
いつか自分の元に生きて帰ってきてくれると、雅樹の「必ず帰る」約束をそう信じていたかった。

けれどもう、今は雅樹の言葉の意味が解る。あの言葉は山ヤの医者として「覚悟」の約束だった。

―俺に必ず帰るって言ってくれたのは、雅樹さん…心だけになっても帰ってきてくれる、そういう覚悟だね?山も医者も危険だから、

雅樹は山岳医療の医師を目指していた。
それは緊急時にも全てに対応できる救助の医療でもある。
だからきっと、もしも災害が発生すれば派遣医師団に雅樹は参加しただろう。
最高のクライマーとして嘱望されていた雅樹なら、災害現場での医療活動は適任すぎる。

―誰にも救けられないような時でも、雅樹さんは逃げないで救けちゃうね?クリスマスのお産の時みたいにさ、

心で語りかける想い出に、いちばん幸せなクリスマスイヴが微笑をくれる。
あのとき自分は7歳で雅樹は22歳の医学部4回生だった、そしてあの日の奥多摩は要人警護と豪雪に機能が止まった。
山岳救助隊も身動きが取れず、消防レスキューも他の現場に向かって、山奥の一軒家で妊婦は取り残されてしまった。
それを若い警察官から聴いた雅樹は迷わず自分が行くと笑って、不安げなく無事に母子を護りきった。
あの時に見た雅樹の笑顔も、産褥の血に塗れた長い指も額の汗も、全てが今もあざやかに愛しい。

―あの日すぐに行きますって言えたのは、いつも覚悟していたからだね?…そういう雅樹さんが俺、本当に大好きだよ、逢いたいよ?

大好き、

だいすき大好き、本当に逢いたい、あなたに逢いたい。
逢いたくて、だから本当は約束の山を見上げる氷河の中に自分は眠ろうとした。
けれど想うほどに自死は出来ないと気付かされて、それでも今だってすぐ逢いに行きたい。

―今も一緒にいるよね、でも逢いたいよ…だから死にたかったんだよ?アイガーで、雅樹さんが夢を登った場所で追いかけたかった、

ホテルの部屋を抜け出した、あの黎明に自分は本気だった。
本気で雅樹の元へ逝きたくて、だから見つからず死ねる方法を一瞬で考えた。
それでもピアノの旋律に呼ばれた記憶から、雅樹の笑顔を裏切れなくて死ねなかった。

―今だって逢いたい、雅樹さんを追いかけたいよ…でも雅樹さんが俺を護ってくれるって約束、信じてるから生きるよ?
 生まれた時からずっと俺を護ってくれてるね、俺の名前に雅樹さんの夢をくれたこと、もう忘れないから…死のうとしたの赦してよ、

告白に、涙が頬を伝って墓石に降りかかる。
逢いたいけれど逢えない、後を追うことも赦されない。
こんなにも逢いたいのに、逢いに行けば裏切りになってしまう。
そんな現実が哀しくて温かくて、それでも告げたい本音を磨く墓石に籠めた。

―だけど信じてよ?雅樹さんの傍にいられるんなら俺、全部と引き換えたって良い。だから死んでも逢いに行きたい、
 だから約束してよ?俺が雅樹さんと約束した山、全部を登ったらさ…俺のこと迎えに来てくれるよね?それ信じて生きるから、ね…

自分の世界は「山」が全て、そこに雅樹との約束と記憶があるから山に生きてきた。
この世界を共に生きられる相手がいるなんて想っていなかった、けれど今ここに英二がいる。

―雅樹さん、俺って寂しがりの甘ったれでさ?英二と一緒に山登るの、すごい幸せなんだよね。独りじゃないって良いなって、
 だから雅樹さんトコ行くまで一緒にいたい、だけど俺が本当に帰りたいのは雅樹さんのトコだけだよ…きっと迎えに来てよね、

いつか未来に迎えに来て?

いつか約束を終えたら傍に居させて、そして二度と離れないでほしい。
それまでは他の人と登るけれど、でも本当はあなたと登りたいと言ってしまう。
今はまだ叶えてはいけない夢、それでも信じて笑いかけながら密やかに涙を拭い、パートナーへ振向いた。

「英二、暑いなか悪いね?これ活けたら終わるから、」

木蔭の長身に笑いかけ、手桶に入れた花を抱え上げる。
色あざやかな花は16年前と変わらない、嬉しくて微笑んだ横から綺麗な低い声が訊いてくれた。

「きれいな花だな、これ、どこから持って来たんだ?」
「秘密の花園だよ、」

即答に笑って秘密を告げる、あの場所だけは英二にも言えないから。
何処よりも大切な場所を隠して笑って、墓碑に向かいあい夏の花を活けていく。
雪空色の碑に色彩ゆれて森の香が充ちるなか、オレンジジュースの缶ひとつ墓前に供えた。
雅樹は柑橘を好んで下山後はオレンジジュースをよく飲んだ、そんな時の笑顔を想い笑いかけた。

「雅樹さん、英二を連れてきたよ?北壁ではありがとね、」

片膝をついて合掌し、瞑った視界に大好きな笑顔が現れる。
もう16年逢っていない笑顔、けれど目の前にいるよう俤はあざやぐ。

―奥多摩を明日、発つよ?それでも一緒にいてくれるよね、ずっと俺を護って傍にいてよ…ずっと俺の中で生きて、

自分が生まれてから雅樹が亡くなる前日まで、幾度も交わした想いと約束は今も生きる。
そう信じているから明日も自分は、雅樹の記憶が眠る場所からも離れて発って行く。
そんな想いと笑って瞳を披いて立ち上がり、振向くと英二が微笑んでくれた。

「ごめん、光一。俺の所為で異動させて奥多摩から、雅樹さんから光一を引き離してごめんな、」

告げられた言葉に、白皙の貌を見つめてしまう。
また英二は雅樹のことを気付いてくれる、こんな温かさが英二の本質なのだろう。
こういう優しさだけで英二はいつか生きられたらいい、願いながら光一は笑った。

「謝る必要なんかないケドね?そう思うんなら、雅樹さんに手合わせてよ、」
「ああ、」

切長い目を素直に笑ませ頷くと、長身は墓前に片膝ついた。
静かに碑を見上げる後姿、ダークブラウンの髪に夏の陽きらめかす。
黒いTシャツの背中は広やかで、端正な姿勢で佇んだまま動かない。

―英二も雅樹さんに、色んなこと話してくれるんだね?ありがとね、

英二に感謝したい。

いつも雅樹を尊重してくれる、その気持ちが嬉しい。
いつも本当は嬉して、雅樹のことを受け留めてくれると安堵する。
そういう英二の懐だから甘えたくて、眠りの時間を共にしていたかった。

―ありがとね、英二?この10ヶ月ずっと嬉しかった、おまえがいてくれて幸せだった、

感謝と微笑んで見つめる視界、ふたりのアンザイレンパートナーに木洩陽きらめく。
もう今は夏、16年前の夏はいちばん幸福な時間だった、あの時と同じ季節が今年も廻る。
この夏に故郷を離れて発つ、そこで自分は何を見つめる?
そして何を想うだろう?







(to be continued)

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