萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

森の光闇、雨と花と―Fr.Holderin×万葉集×William Wordsworth

2013-05-31 21:16:10 | 文学閑話韻文系
霹靂の雨、光闇に育むのは



森の闇光、雨と花と―Fr.Holderin×万葉集×William Wordsworth

Aus heißer Necht die kuhelenden Blitze fielen
Die ganze Zeit und fern Noch tonet der Donner,
In sein Gestade wieder tirtt der Storm,
Und frisch der Boden grunt
Und von des Himmels erfreuendem Regen
Der Weinstock trauft und glanzend
In stiller Sonne stehn die Baume des Haines:

So stehn sie untre gunstinger Witterung,
Sie, die kein Meister allein, die wunderbar
Allgegenwarting erzieht in Leichtem Umfangen
Die machtige, die gottlichschone Natur.

夜尽きるまで熱い闇を涼やかな霹靂が降り
今も雷鳴はるか遠く響きながらも
あふれる奔流はふたたび河を往き
大地は緑あざやいで
葡萄の木は天上よりの
慈雨を滴らせ 森の樹木たちが
静謐の陽光ふるなか煌めき佇むように

そんなふうに彼らは恩恵の空のもとに在り
彼ら、どんな名匠も独りでは創造しえぬ存在たちを
未知に遍く座し、軽やかに大切に抱き
養い育てる者は、力あふれ神秘に輝ける自然であろう

「Wie wenn am Feiertage」 Fr.Holderin

ちょっとドイツ詩を読んだので、抜粋ですが自訳と載せてみました。
いつものWordsworthと雰囲気が似ていますが、森や川の描写が雄渾だなって印象です。
古来のドイツ=森と大河ってイメージが自分はあるんですけど、その広やかな空気感で言葉も選んでみました。
特にドイツっぽいなって思うのは「Meister」が出てくるとこです、笑

で、この前半部ですけど。
恋愛詩として意訳すると大変なことになります、笑 
短篇「玄月」に遣ったブレイクの詩みたいな感じになっちゃうんですよね。
だけどヘルダーリンは自然摂理が好みってカンジだし、後半部の内容もあるから敢えてココではエロ解釈しないです。笑



上述の詩は『ドイツ名詩選』から原文は引用してるんですけど、
ドイツ語の特殊文字は文字化け防止に「ß(=ss)」しか遣っていません。
ので原文は文字が違っていますが、ご興味あったら岩波文庫『ドイツ名詩選』を見て下さいね。

この詩集、他にソーセージにローストビーフを詩にしちゃってるのもあって笑えました。
題名は「Die Wanderratten」放浪ネズミって名前ですが、意外にも作者はH.Heineハイネです。笑
他の詩人たちもビールにワイン、「Schwarze Milch」黒いミルクってたぶん黒ビールなんか詠んでます。

あと、イギリスの詩に比べて「!」が多い印象でした、笑
表現がすこし大げさなモノから叙事詩、ユーモラスで身近な題材も多いです。
例を挙げるなら題名「タイヤの交換」「棚卸し」「電話加入者の皆さまへ」ナンテのがあります。
ブレヒトB.Brecht「Verwisch die Spuren」の一節に「肉があったらとっとと食え!」とかあったりしてね。笑

で、ストレートにエロな詩もあります、笑
今日ね、休憩時間に近くの公園ベンチで読んでたんですけど笑っちゃいました。
ソレ系の単語も直球で出てくるしね、岩波文庫ってコンナのも出版してるのが面白い。
特に笑ったのが「Sie sehn sich nicht wieder」Fr.Hebbel ヘッベルって詩人の作品です。
もしご興味があったらR18で読んでみて下さいね、笑



写真の花は「采配蘭」サイハイランです、森に咲く花で自分も初めて見ました。
前に短編で揚げた万葉集の歌に「朱華」の花がありましたけど、朱華色はコンナ色みたいです。
これは先週撮影したモノで、今日の夕方に見に行ったら「将移香」すこし色褪せたの風情でした。
ここ数日の雨に打たれた所為でしょうね、たぶん。

夏儲けて 咲きたる朱華 久方の 雨うち雫らば移ろひなむ香 大伴家持

夏になり咲いた朱華の花、
久しぶりの雨に打たれ雫へ色移りして、香ごと色褪せないだろうか?
夏に咲いた恋人の君よ、久しぶりに逢いに行く僕との恋を色褪せたなんて言わないでくれる?

コレ、『万葉集』第八巻に夏の雑歌として載っている歌ですが、
原文「将移香」と花の色褪せを謳っているので相聞歌の解釈にしました。
色、香、という言葉は恋愛や容姿への掛詞として遣われ、現代でも「色香」なんて言うでしょ?
なのでこの歌もソンナ感じで描写してみました、色も「朱華」=薄紅いろで恋愛の空気だしね。



今、初夏の森は毒溜草ドクダミソウの季節です。
解毒作用の有名な薬草ですけど、蕾や披きかけの花は可憐だなと思います。
通る道の両側が群生地なんですけど、白い花が緑のなか連なって星のようでした。

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretch'd in never-ending line

涯なき星々は輝きわたり
天空の川に光煌めかす
その広がりゆく終わりなき一閃

William Wordsworth「The Daffodils」の一節です。
これ「水仙」っていう題名で日本にもファンが多い詩なんですけどね、花は違うけどイメージだなって思います。
でも香は水仙の方がずっと綺麗かなって思います、水仙は甘くて高雅なカンジですがドクダミは薬草らしく独特なので。笑



コレ↑は大文字草かな?
木下闇と木洩陽のはざま白い花が凛と綺麗でした。
なんか群生地があるんですよね、よく行ってる森のとあるポイントなんですけど。

今夜は短編「天津風9」加筆校正をします。
そのあと短編or第65話の周太サイドを書こうかなって予定です。




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雨の窓、水の音

2013-05-30 21:35:14 | お知らせ他
記憶の音から



こんばんわ、雨降りの一日でした。

雨降りってなんで眠くなるんだろう、って理由を知っていますか?
母胎にいるときの羊水の音に似ているからって説もあるそうです。
懐かしい音に安心しちゃうってコトなんですかね、笑

昨夜UPの第65話「序風7」と「天津風8」の加筆校正がほぼ終わっています。
で、「暁光の歌15」の草稿をUPしました。

とりあえずの取り急ぎ、
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雨音の宵

2013-05-29 23:01:18 | お知らせ他
雨に夜、万物と物語は育まれる



こんばんわ、雨ふりな夜です。

もう入梅を聴くこの頃ですが、この辺もそろそろかなって雰囲気。
雫に紫陽花がきれいな時期になりますね、今日ちょっと青いのを見ました。
写真は柑橘の花ですが、もう小さな実が育っているアタリ季節の移ろいと伸展を想います。

さっき短編連載「暁光の歌、師走act.14」加筆校正が終わりました。
このあと今朝UPの第65話「序風act.6」を加筆校正する予定です。
ほんとは集中連載の「天津風」続きUPしたいですが、眠い。笑

取り急ぎ、



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第65話 序風act.7―side story「陽はまた昇る」

2013-05-29 09:36:24 | 陽はまた昇るside story
月風、ただ一刻であっても、



第65話 序風act.7―side story「陽はまた昇る」

足音ふたつ隠す廊下、非常灯のブルーグリーンに視界は沈む。
わずかな蛍光灯と仄暗い空気は眠りの時だと告げてくる、もう深更の刻限に明日は近い。
そんな時間のカウントに歩いて着いた扉の前、ごく低めたテノールが微笑んだ。

「…じゃ英二、オヤスミさん。また4時半にね、」
「おやすみ光一、また明日な、」

また4時半、また明日、そんなふう交わせる言葉が嬉しい。
一ヶ月前と同じ言葉たち、けれど少し違って響くのは超えた壁だろう。
そんな実感と見つめる先で光一は扉を開きながら、隣室の扉と英二を見較べ愉しげに笑った。

「ね、…夜這いするには良い時間じゃない?ちょうどお隣サンまで来たんだしさ、」

そんな誘惑の台詞を聴かさないで下さいよ?

そんな本音が息吐かせて隣室の扉を見てしまう、その向こうに眠る俤にもう逢いたい。
こんな自分の我慢を誰より知る発言者に困りながら、穏やかに英二は微笑んだ。

「あんまり虐めないでくれよ、さすがにダメだって事くらい俺でも解ってるし、もう寝てるだろうから、」
「ソコントコは問題ないね、…ほら、」

即答して雪白の手が伸ばされ掌に堅い欠片が握らされる。
そして開いた手には、精巧にカーブする金属片が載っていた。

「これって、…っ、」

つい声が出た唇、素早く白い手に塞がれる。
薄暗い廊下の一隅、扉の前でふわり花が香って低くテノールが微笑んだ。

「…特製のマスターキーだよ、これで七機隊舎内全ての扉は開けるね、」

低く愉快な声が囁きながら静かに口もとから掌が外される。
そしてアンザイレンパートナーはもう一方の掌を披き、同型の金属片を示した。

「絶対に失くすんじゃないよ?…コレは俺たちの秘密で武器で、自由への鍵だからね?」

秘密で武器で、自由への鍵。
そんな言葉たちに意図が解かって、静かに英二は微笑んだ。

「…よくこんなの作れたな?」
「わりと簡単…本物のマスターキーをいつも見てるからね、」

ひっそり笑う怜悧な瞳は底抜けに明るい。
その眼差しが隣室の扉を目視で示し、ふっと近づいた花の香が微笑んだ。

「使用法はオマエに任せるよ?…俺も自分のは好きに遣うからね、」

マスターキーの遣い方を任せる、なんて、この扉の前で言ってくれるんだ?

こんなの今は一個しか使用目的が浮ばない、けれど駄目だろう?
そう思うけれど視線は隣室の鍵穴を挿す、この想い見透かす瞳が笑った。

「佳いエロ別嬪顔になってるね…健闘を祈ってるよ、オヤスミさん、」

低くテノールは笑って光一はさっさと自室へ入ってしまった。
かちり、施錠の音かすかに響いた廊下、無人のまま自分だけが扉の前に立つ。

―どうしよう?

途方に暮れる想い心つぶやいて、そのくせ扉の前から離れられない。
いま唆してくれた言葉に従いたくて、だけど3つの理由に竦んでしまう。

―夜に二人っきりなんてセーブできる自信ない、それ以上に拒絶されるかもしれないって怖い、それよりもっと

一ヶ月前に自分は光一と夜の肌を抱き合った、それは拒絶の理由になるから怖い。
それは周太が本気で望んでくれたことだろう、英二と光一のためと信じて望んでくれていた。
けれど、なぜ周太があの選択をしたくなったのか?その真相が今なら解かるから怖くて扉を開けない。

―周太が本当に喘息だって知るのが怖い、あんなに覚悟したのに…可能性を知るのが怖い、

また「死線」の可能性が高まった現実、その宣告が怖い。

もうじき周太は異動するだろう、そこは喘息患者の体には苛酷すぎる部署。
硝煙と埃にまみれる訓練と現場、合法殺人の精神的リスク、そんな心身両面への過度なストレス。
それが喘息から肺気腫を誘発する危険度は高い、そうすれば周太の夢は叶わなくなるかもしれない。

山と木を護りたいから樹医になりたい。

そう夢見る周太はいつも山で公園で、家の庭で樹木に笑いかける。
若木なら健やかな成長を祈り、巨樹に大いなる生命への崇敬を仰ぐ。
そんな周太の笑顔がいちばん輝くのは、樹木護る山に立つ時だと知っている。

―でも肺気腫患者が標高の高い場所で動き回るなんて、出来ない…それどころか、

本当に喘息罹患なら肺気腫に悪化する可能性が高すぎる、その先に何が待つ?
このまま周太が警察官として生きるなら、樹木医の夢叶う可能性は低くなるだろう。
それどころか周太と生きる5年後が存在する可能性すら、もう、間近い現実に薄れていく。

「…っ、は…」

嗚咽を呑みこんで、息ひとつ吐く。
突きつけられた現実を知る瞬間を先延ばしたくて、なのに逢いたい気持が脚を動かさない。
掌も握りしめる鍵をポケットに仕舞えず、けれど開錠する勇気ひとつ無い。
ただ逡巡だけが立ち竦んでいる、その前で音が鳴った。

かちり、

「え?」

金属音に声こぼれて、瞳ひとつ瞬いてしまう。
今の音はさっき隣室で響いた音と似ている、けれど違うだろう?
そんな途惑いと疑念が見つめる視界、扉がゆっくり開かれて黒目がちの瞳が英二を見上げた。

「…さっきから何してるの?」

ちょっと寝起きな声のトーン、この声を、ずっと聴きたかった。

―周太の声だ、周太が俺を見てる、

逢いたくて夢見た相手が、現実に自分の前にいる。

見あげてくれる瞳は凛として、けれど眠たいのが解かってしまう。
やわらかな髪に少しの寝癖が可愛くて指絡めたい、いま見つめる全てが欲しい。
そんな本音たちが背中突き飛ばして一歩、動いた足のまま英二は部屋に踏みこんだ。

かちり、

後ろ手に扉を鍵掛けて、ふたり空間が閉じられる。
自分の部屋と同じような部屋、けれど爽やかで少し甘い香が愛おしい。
それから微かなオレンジの香に見つめる相手の現実を知らされて、富士に聴いた事実が鼓動を咬む。

―…喘息が解かったんだ、それで最大酸素摂取量も低い。健常の心肺ならトレーニングで補えるが気管支自体の…SpO2が普通より低かった

蜂蜜オレンジのど飴は、懐かしい香に記憶ごと愛しい。
いつも周太が口に含んでいる飴、だから自分も行動食にして救助の現場でも遣う。
けれど周太の「いつも」にあった理由の現実が哀しくて、それでも見つめあう瞬間に英二は笑いかけた。

「周太、逢いたかった、」

逢いたかった、ずっと君に逢いたかった。

この願いごと薄闇に腕を伸ばして、ほら、掌に懐かしい肩ふれる。
肩を惹き寄せて抱きしめて、頬ふれる髪の香が心を掴んで溶かしだす。
いま紺色のTシャツ2枚を透かして鼓動は震える、その共鳴に縋りついてもう、離せない。

―離したくない、このまま、

このまま時間が止まればいい、ずっと抱きしめたまま離れないで?
そう願うけれど叶えられないと解っている、それでも「今」に竦んだ想いへ穏やかな声が微笑んだ。

「ん…逢いたかったね、英二?」

ほら、呼ばれた名前に心臓が停まる。
名前を呼んで微笑んでくれる瞳に、視線を逸らせない。
ふれあう温もりに香に泣きたい、けれど涙に邪魔されたくなくて愛しい名前に微笑んだ。

「周太、」

名前を呼んで見つめる薄闇、黒目がちの瞳は笑ってくれる。
ふたりきり空間に籠められた夜、この瞬間を腕のなか再び与えられた今が嬉しい。
嬉しくて、けれど本音の自信なんて欠片もない、それでも離せない幸せに笑いかけた。

「周太、もし泊まっていくって言ったら、自分の部屋に戻れって叱ってくれる?それとも」

それとも、泊まって良いって許しをくれる?

そう問いかけようとした視界に黒目がちの瞳が微笑んで近くなる。
ずっと逢いたかった瞳に見惚れたまま、やわらかにオレンジの香が唇重なった。

―あまい、

あまい温もり、甘い香、ふれる全てが甘く心充たしてゆく。
このまま離れないでと願って、けれど静かに離れた唇の残像に恥ずかしげなトーンが微笑んだ。

「あの…なんにもしないって約束ならいいです、」

そんなの解かってるけど難しいかも?

そんな本音が心つぶやいて首傾げこむ。
けれど離したくない願いのまんま、英二は良心の呵責と頷いた。

「しないよ、でもキスだけは許してよ、周太?」

せめて体の一ヶ所だけは交える許可が欲しい。
そうしないと今、本当に心ごと砕かれそうな希望が解らなくなる。
だからどうか許してよ?そんな願いねだり見つめた先、黒目がちの瞳は羞むよう笑った。

「…えいじのえろべっぴん、」

いま、なんとおっしゃいました?

―エロ別嬪って光一のセリフだけど、周太、うつっちゃった?

言われた言葉と声の主が結びつかなくて見つめてしまう。
そんな視界ごと腕をすりぬけて、小柄な体は窓際へ行ってしまった。

「あ、きれい…英二、月がきれいだよ?」

きれいだから見においで?
そんな優しい誘いに穏かな声が笑ってくれる、この声をずっと聴いていたい。

―どうしたら毎日こうやって言ってもらえるんだろう、

そっと心つぶやく本音に、瞳の底が熱くなりだす。
けれど夏富士と後藤に泣いた覚悟と、さっき屋上で光一と見つめた涙がある。
だから今ここで泣きたくない、なによりも今、本当に泣くべき人間は自分じゃない。

そして、その人は泣かないのだから。

―君は泣かないで笑うんだね、周太?

ほら、君はこんなに強くて、こんなにも綺麗だ。

そんな想いに見つめる窓辺の背中は少し痩せた、東大のベンチで会った時より首すじが細い。
けれど紺色のTシャツ着た後姿に昏さは微塵もない、ただ凛とした優しい強靭がまぶしく佇む。

「周太こそ綺麗だよ、」

想いこぼれた唇の向こう、やわらかな黒髪に月光ゆれる。
ゆっくり振向いてくれる笑顔から黒目がちの瞳が見つめて、眼差し優しい。

「英二、またカッコよくなっちゃったね、先月会った時より…べっぴんだよ?」

穏やかな声が羞んで見つめてくれる、その声も視線も静かで温かい。
月明り照らす頬のラインが少しシャープになった、どこか大人びた空気が英二に笑ってくれる。
たった半月ぶり。それなのに変化した貌からは、今ここで周太が立つ峻厳が切なくて、そして惹かれていく。

「ありがとう、なんか周太は大人っぽくなったね、すごく綺麗だ、」

笑いかけ歩み寄る、その窓辺から一歩周太も来てくれる。
ふわりカーテンが閉じられ月光を透かす、そして空間は互いだけの薄闇に戻る。

「おいで、周太、」

そっと掌を取って惹き寄せて、静かにベッドへ体を横たえる。
微かな軋み音に白いシーツが体重ふたつ受けとめて、あわい月の光と闇にオレンジの吐息こぼれた。

「ん…ちょっと狭いね、英二?」

微笑んだ声が至近距離、見つめる笑顔にオレンジと香る。
あまい爽やかな香は出逢ってからずっと傍にいてくれた、その記憶も想いも全て愛しい。
その全てに笑いかけ抱きしめて、紺色のTシャツ2枚透かす体温に吐息あふれて、微笑んだ。

「くっつけて嬉しいよ、周太?それに狭い方が今は安全だろうし、」
「ん、なんで安全なの?」

不思議そうな声と瞳が見つめてくれる、この無垢にほっとする。
すこし大人びた頬のライン、けれど相変わらず清らかな少年に英二は幸せいっぱい笑いかけた。

「ベッドが広いとセックス出来るだろ、でも狭いと難しいから安全ってことだよ、周太、」

ほら、こんな言葉にも君の瞳は停まってしまう。
いま何を言われたのだろう?そう思案する瞳がすぐ困惑して唇が抗議に開いた。

「…っば、ばかえっちへんたいっ、こんなとこでだめですっここはしょくばでしょっ、そんなこというひとはかえってっ、」

一息の抗議に掌ふたつが肩を押してくる。
そんな掌の温もりすら愛しくて幸せになってしまう、ただ幸せに微笑んで英二は囁いた。

「キスだけなら泊まって良いって周太、言ってくれたよね?…ね、狭くてセックス出来ないんだから安心して…キスされて?周太…」

囁きごと唇よせて重ねこむ、その唇が喘ぐけれど抱きしめる。
ふれるオレンジ甘くて懐かしくて慕わしい、この香の意味を知った今も愛しさは変えられない。
愛しくて今ふれる瞬間が幸せで、唇のはざま忍びこませる熱ごと絡めさせて捕えて、深いキスになる。

―好きだ、キスだけでこんなにも幸せで…解らなくなる、

こんなにも幸せで何も解らなくなる、キスひとつ心から麻痺して。
抱きしめた背中に掌が勝手に動く、もっと近づきたい願いに温もり探してしまう。
ふれたい、そう願う掌がTシャツの裾から素肌を抱きしめて、求める体温に心掴まった。

―ほしい、少しでも良いからどうか、

心が叫んで掴んだ布は捲られていく、懐かしい肌なめらかに掌ふれて心を犯す。
ただ素肌ふれあうだけでも構わない、そう願うまま自分のTシャツの裾に手を掛けたとき唇が離れた。
そして瞠いた視界の真中で、黒目がちの瞳が困ったよう睨んで愛しい声は小さく叫んだ。

「…だ、だめっ、やっぱりだめばかえっちちかんあっちいってっうそつきっ、」

ねえ、せっかくの雰囲気をそんな可愛い物言いで壊すなんて?

―周太、ちょっと可愛すぎるよ?

きっと君は君なりに必死の抵抗なんだろうけれど、余計に煽るって解ってる?
こういうとこ本当に可愛くって困らされる、せっかくの我慢すら箍を外してしまいそう。
もう発熱しかけている自分の体に困りながら幸せで、嬉しいまま至近距離の瞳に笑いかけた。

「ね、周太…嘘なんて吐いてないだろ、キスだけしかしてない、」
「い…いまふくめくっててをいれてたでしょっだめでしょばかっ」

困り顔の怒り顔が見つめてくれる、その可愛いトーンの怒り声がまた可愛い。
また掌ふたつ肩を押してくれるのすら嬉しくて、駄目で馬鹿でも幸せなまま英二は囁いた。

「馬鹿でも嬉しいな…服めくるなんてセックスじゃないから安心して、応急処置の時だって服を捲るくらいするし…ね、周太…」

耳元に声ごとキスをして、掌は自由行動のままTシャツ2枚を捲りあげる。
もう隔たりを消した素肌の胸をあわせ重ねてふれて、ふたつ体温の通う幸せに吐息が笑った。

「周太…肌がふれてるだけなのに俺、すごい幸せだよ?…服、脱いでないのにこうしてるだけで幸せ、」

こうしてるだけで幸せで、もっと幸せになりたくて唇に唇ふれさせキスをする。
唇と唇、胸と胸、抱きしめた背中の素肌に掌は歓ぶまま心ごと融かされ、現実が甘く温かい。
オレンジの香に唇から肺が充たされる、額ふれる黒髪の香やわらかに絡んで与えられる、吐息も肌も香から愛しい。

「周太、…周太は今、幸せ?」

吐息と少し離れた唇、微笑んで瞳を見つめあう。
見つめる貌は明るんで暗くなる、カーテン透かす月光の明滅は恋慕のように揺らめいて澄む。
きっと上空の風は速い、そして雲は夜を駈けて晨を呼びに涯へ往く。そんな観天望気と見つめた真中で幸せが笑った。

「ん、幸せだよ?…でもはずかしいのがこまってます…えっちえろべっぴんちかんばかえいじ」

ほら、またそんな物言いして煽るんだから?
本当に無意識で言ってくれるから尚更に困る、こんなとこ大好きで仕方ない。
また困りながら発熱しだす体を持て余しそう?抑えこむ分だけ濃やかになる想いすら幸せで、笑いかけた。

「恥ずかしがりの周太が好きだよ、大胆な時も好きだ…いつも大好きだから、ずっと俺の恋人でいて?」

どうかこの願いを聴き届けて、ずっと恋人と呼ばせて?
ずっと永遠の涯まで呼ばせて欲しい、この願いごと唇を重ねて閉じこめる。
ふれる想いに軽く瞑った睫へ明滅きらめく、この光降らす月と風に近い山頂へ連れて行きたい。

―いつか君に見せたい、あの場所をどうしても…約束の花を見せたいんだ、

北岳草を見せてあげる、そう約束した夏が終わっていく。

世界で唯ひとつ北岳に咲く白い花、あの花を見せる季節に時は動き明日になる。
きっと来年は花を見せられる、そう信じたいのに今こうして重ねた胸は病を抱く。
それでも可能性が少しあるなら全てを懸けて信じたい、きっと、約束は叶えられる。

―どうか生きて?

そんな祈りごと抱きあう瞬間たちは、ただ、優しい。









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第65話 序風act.6―side story「陽はまた昇る」

2013-05-28 10:00:03 | 陽はまた昇るside story
風の夜、真実の朧



第65話 序風act.6―side story「陽はまた昇る」

仰いだ夜は昏い、その朧な月が雲の軌跡を見せる。

奥多摩で見た夕空は今、この府中で宵に沈みゆく。
初めて立つ第七機動隊舎、その屋上からも月は見えている。
そして奥多摩にも月は輝いて夜を照らすだろう、その光は頭上の空よりも明るいだろうか?

「ここの月ってさ、奥多摩よりちょっと遠慮がちじゃない?」

テノールの問いかけに振向いた先、雪白の貌が闇に明るい。
ゆるやかな夜風に黒髪あおられ額がきらめく、その美貌は一ヶ月前と変らない。
いつもながら秀麗な笑顔の瞳は底抜けに明るくて、損なわれることない輝きが嬉しくて英二は笑った。

「確かに月はちょっと暗いな、でも光一は相変わらずでホッとしたよ?久しぶりだな、」
「ホントお久しぶりだよね、俺のア・ダ・ム、」

飄々と笑ってくれる答えも軽妙で明るい。
それは一ヶ月前よりも前に戻ったよう感じられて、そのまま尋ねた。

「グリンデルワルトの前に戻った?」

グリンデルワルト。

アイガー北壁を仰ぐ街、その記憶が心臓を咬む。
あの街で抱きしめた時間たちは甘くて苦くて、深酔の夢にすら想える。
香に惹かれるまま酒を体に入れ過ぎた、その目覚めは甘い気怠さに意識が痛む。
そんな傷みたちすら本当は愛しくて、けれど富士で思い知った本音のまま見つめる英二に底抜けに明るい瞳が笑った。

「時間は戻せないね、ただスッキリはしたけどさ?」

テノールが明朗に笑って白い指が額に伸ばされる。
ばちん、長く繊細な指先に弾かれた痛覚に顔が顰められた。

「痛っ、…スッキリしたってどういう意味?」
「前にも電話で言った通りだね、」

悪戯っ子に透明な瞳が笑ってくれる、その眼差しは迷い無い。
薄暗い月光の屋上、けれど煌めく瞳は明るいまま山っ子は言った。

「相思相愛の親友でアンザイレンパートナーだって言った通りだよ、やっぱり本音から恋人には想えないって解ってスッキリしたね、」

本音からは想えない、そう告げてくれるトーンは大らかなまま温かい。
夜を透かしても明るい雪白の笑顔を見つめて英二も正直なまま笑った。

「俺も同じことスッキリしたんだ、夏富士で色んなこと気がついたよ、」
「お、やっぱり俺たちって同じタイミングだね?さすがアンザイレンパートナーってカンジ、」

同じタイミング、アンザイレンパートナー。
そんな言葉たちは真直ぐ馴染む、それが嬉しくて笑顔ほころんだ。

「ああ、俺たちはアンザイレンパートナーだ。山で繋がれて一緒に生きる相手でさ、誰よりも心の一部が同じ相手で一番近いって想う。
もしかしたら恋愛よりずっと強い関係じゃないかって想うよ、だから光一とは血の契もしたかったんだってこと、今更だけど気がついた、」

きっと誰よりも一番に近い、そう想える相手に出逢えることは何%の確率だろう?
この幸運を自分はずっと大切にしたい、そう願うまま英二は向きあう貌へ笑いかけた。

「グリンデルワルトで俺は光一のこと何も解ってなかった、本当にごめん、どれだけ謝っても何をしても償えないって解ってる。
だけど俺、あの時間があって良かったって想ってるんだ。あのとき光一が体温を分けてくれたから俺、自分の本音が思い知れたよ?
俺が知ってる男では光一と雅樹さんって最高の男なんだ。そんな光一がいても俺は唯ひとりしか本気で恋愛できないって、解って…っ、」

笑いかける本音の言葉が最後、嗚咽になる。
これが最後と夏富士で決めた涙、それがアンザイレンパートナーを前に解かれてしまう。
あの最高峰で見つめた天地の際と黄昏の雲、そして心あふれる祈りと願いに光一は笑ってくれた。

「俺も同じコト考えてたよ、1ヶ月ずっとね。俺達ってコンナにお互いが自分なんだ、だからオマエが泣いちゃう理由も教えてよ?」

自分が泣く理由、そんなこと決っている。
きっと「誰」のことで泣いているかなんて光一は気づいている、だからこそ訊いてくれる。
それを告げることが正しいのかなんて解らない、けれど縋りたい祈りたい真実が泣き笑いになった。

「周太、喘息なんだ…なのに止められない、」

泣笑いの向こう、透明な瞳が真直ぐ見つめてくれる。
こつん、靴音ひとつ響き紺色のTシャツ姿は近づいて、雪白の腕に抱きしめられた。
高雅な花の香にくるまれ安堵する、そして零れた涙ごしにテノールは穏やかに訊いてくれた。

「この間だね?…俺と奥多摩に帰ったとき周太は雅人さんトコ行ったけど、あれって銃創のコトだけじゃなくて診察を受けたんだね?」

ほら、すぐに光一は理解してくれる。
この信頼感が嬉しくて縋りたいまま英二は頷いた。

「たぶんそうだろうって吉村先生が言ってた…後藤さんは周太の小児喘息のこと教えてくれて…それで…」

涙と事実がこぼれていく、その二つに雪白の頬よせてくれる。
触れあう温もりも抱きしめてくれる腕もただ温かい、そこに居てくれる信頼に英二は微笑んだ。

「周太を大切に想うなら一人の立派な男だと認めて、信じて丸ごと受けとめろって後藤さんに言われた、蒔田さんも同じだって。
だから俺も覚悟してきた、周太の前では泣かないように富士で泣いてきた、でも足りなかったみたいだな?光一に言った途端に泣いて、」

あれで最後と想って泣いてきた、それなのにまた泣いてしまう。
こんな自分の弱さが情けない、けれど素直に泣ける相手が嬉しくて英二は笑った。

「こんな俺でごめんな、光一。ほんとに周太の事って弱くってさ、俺、後藤さんに土下座までしたんだ、」
「へえ、おまえが土下座?」

テノールが可笑しそうに尋ねてくれる、その頬ふれる狭間に温もりが濡れていく。
いま泣いているのは自分一人じゃない、それぞれの想いごと抱き合って英二は微笑んだ。

「周太を辞職させてくれって土下座したんだよ、このまま無理させて喘息を悪化させたくなくてさ、卑怯でも何でも止めたかったんだ、」
「おまえが権力ってヤツにすがるなんて意外だけど、今回は納得だね。で、後藤のおじさん断ったんだろ?」

明るいまま尋ねてくれる声の奥、本当は泣いている。
納得だと言ってくれるのは「喘息」の先に何があるか知って、だからこそ光一も泣く。

―ほんとうは光一こそ気づいていたかもしれない、周太の体調のこと、

この一ヶ月間を周太のいちばん近くで光一は過ごしてきた。
ふたり夜は一緒に勉強して他愛ない話を楽しんだ、そんな時間に光一なら周太の変化を見逃すはずが無い。
きっと独り抱え込んで見つめていたのだろう、その堪えていた涙を受けとめたくて頬重ねたまま綺麗に笑いかけた。

「うん、周太を立派な男だと認めて信じてるから出来ないって言ってくれた、でも本当は泣いたと想うよ、後藤さんも、」
「だね、富士で後藤のおじさんも泣いたんじゃないかね?きっと蒔田さんも、吉村先生も雅人さんも泣いたね…周太だから、」

肯定してくれる声の主も泣いている、その言葉通りに誰もが泣いたろう。
こんなふう何人もが周太のために泣いて、それでも信じて現実を見つめている。

―周太、君の無事をこんなに皆が願ってる、それでも君は行ってしまうんだ?

心裡で問いかけて、けれど面と向かっては何ひとつ本人に言えない。
もしも言えば堰は止められず壊れてしまう、それが本当の意味では救いにならないと解っている。
だからこそ言えない願いに深い呼吸ひとつ微笑んで、軽く光一の背を敲くと腕を解きあい向きあった。

「ありがとう光一、これで俺、周太と顔合わせても冷静でいられそう、」
「ソンナの俺もだね、ありがとさん、英二、」

手の甲で顔を拭いながら笑ってくれる、その明るい瞳に救われる。
底抜けに明るい笑顔は前より強靭で美しい、この変化に一ヶ月の時間と英二は問いかけた。

「落着いたとこで光一、七機と第二小隊の現況と一ヶ月のこと教えてもらえるか?明日からのこと考えないと、」

明日からを考えないといけない、自分たちは。
自分たちは泣いてばかりいられない、そんな立場に現実はある。

―そのために後藤さんは俺を光一に出逢わせたんだ、そのお蔭で周太を援けられるんだ、

いま向合うべき現実、そこに自分の願いすら叶える道はある。
そう信じるまま見つめた先、底抜けに明るい瞳は悪戯っ子に笑ってくれた。

「だね、今からちょっと密談モードしよ?俺のアンザイレンパートナーで副官サン、」
「よろしく、俺の上官殿、」

笑って応えながら並んで屋上の中心へ歩き出す。
何もないポイントに立ち周囲ぐるりと足元を目視確認する。
ここなら盗聴器や盗撮カメラの仕掛けられそうな場所は無い、そう認めてから二人コンクリートに胡坐を組んだ。

「…さて、まず各小隊ごとの力関係と人間関係を話そっかね?」

低めたテノールが微笑んで話しだす、その表情は真剣にも明るい。









(to be continued)


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初夏薄暮、山の一刻

2013-05-25 22:58:53 | 雑談
瞬景、山に空に



こんばんわ、初夏の週末いかがお過ごしですか?
写真は八ヶ岳の夕暮、いまから4時間ほど前に撮影したものです。
ゆるやかな黄昏の光は薄紅へ空染めて、稜線の墨色にコントラストは美しかったです。



いま5月下旬でも季節は春の終わり、気温は15度ほど。
日暮は18時半ごろと下界と変りませんが、すこし日陰だと肌寒かったです。
山道を歩いたのは往復20分程度のショートコースだけでしたが、標高1,500を超えた視界はイイモンですね。
涼やかな空気と新緑のなか白い花をよく見ました、ミツバツツジも今が盛りです。



ソンナわけで帰って来たばかりなんですよね。
今夜のUPはすこし遅くなりますが、短篇一本は書きます。
もし楽しみにして下さる方いらしたら、お待たせしてすみません。

昨夜UPの短編はイギリスの詩人William Blakeの「Song(3)」ベースのR18です。
なんだか万葉集もそうですが、詩とか歌って恋愛ものは結構ストレートなんですよね。
それでも文学となるのは言葉や文体の美しさがもつ力かなって思います。

取り急ぎ、






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secret talk12 玄月―dead of night

2013-05-25 01:25:37 | dead of night 陽はまた昇る
根源、繋がる想いに
※念のためR18、露骨な表現は有りません



secret talk12 玄月―dead of night

Love and harmony combine
And around our souls intwine,
While thy branches mix with mine,
And our roots together join.

この詩の意味を昔の自分は知らなかった。
けれど今なら解かる、この通りの相手と出逢ってしまったから。

父、祖母、その父親の父親。
はるか遠くなる世代の前は、一人の人間だった。
そうして繋がる君だと知ったのは夏の初め、そして今、夏が終わる。
そうして季節が廻って秋が来たら、君は遠く離れて独りのまま行ってしまう。
だからこそ今この瞬間に全て懸けても繋がり逢いたいと望んで、君を夜に攫いたい。

「周太、…」

ほら、名前を呼んで君が振りかえる。
この腕を伸ばし抱きしめて、すこし震える肩に罪を負わせる痛みすら甘い。
この甘さごと抱き籠めてシーツの波にうずめて見つめる、その瞳に驚きと緊張と少しの恐怖。
けれど自分と同じ願いと祈りを見つけて、もう、体深くから詩の一節は自分事に充ちてしまう。

Love and harmony combine And around our souls intwine,

恋愛と響融に結ばれて 僕達の魂を廻り絡ませ逢う

While thy branches mix with mine,

君の腕が僕の腕と交わされ抱きあって、

And our roots together join.

僕達の心も体も深根を繋ぎ一つになる

「ごめんね、周太…こんなことして、怖い?…っ、ぁ…」

吐息交じりに見つめた瞳、長い睫から涙きらめき墜ちる。
けれど答えなど恋人は今言えない、唇かませた純白の布に声を封じてある。
これは秘密の逢瀬、誰に知られることも出来ない瞬間、それでも今夜を抱きしめたい。

「周太…ずっと好きだ、逢えなくても一緒にいるって信じてる…だから帰って来て、必ず俺のところに帰って来て…周太」

魔法の呪文、そう信じるよう繰りかえす名前と言葉たち。
交わす腕に恋からませて、重ねる肌深く挿しこむ熱に血の過去が繋がれ融けあわす。
ふたつの心と体、けれど一つに融けてしまう瞬間に唯、互いを互いで充たしてもう離れられない。

「…っ、…聲、聴きたいよ周太、君の聲を聴きたい、俺を感じてる聲をもう一度だけ、…、」

君を感じる自分の声は、君に聴こえている。
だけど自分は君の声を聴けない、それが哀しくて純白の結び目に指かける。
そして震えた髪やわらかな香こぼれて、布一枚の猿轡ほどかれ唇が喘いだ。

「ぁ…えいじ、」

名前、呼んでくれた。
それだけで心が発熱する、そして唇キス重ねて熱が口移される。

「…ぅ、っ、んっ…、」

重ねたキスの狭間こぼれる吐息は、繁みの深奥に擦れる熱が操る。
ふれる腰の細やかな筋肉が熱い、抱きしめた背中が逸れて感覚が濃やかになる。
この身の真芯を包む肌やわらかに絞めさす、このまま放されずに繋がるままで時の涯に眠りたい。

―でも離れないといけない、周太のために、俺のために…本当に全てが終わるまで、

本当に全てが終わるまで、ふたり同じ家には帰れない。
だから終わりにする道へ進むしかない、そう解かるから今夜が明けたら笑って見送るだろう。
朝には見送らなくてはいけない背中、だけど今は体深く繋ぎとめてその背中を抱きしめ愛したい。

「…周太、愛してるずっと…ずっと抱きしめてるから、」

呼びかけ囁く告白に、愛しい瞳が微笑んでくれる。
黒目がちの純粋な瞳は優しくて、この瞳が明日から立つ現実に鼓動が裂かれる。
それでも止められない勇気は無垢の瞳に微笑む、もう、超えていく背中を遠く支え援けるしかない。

デスクライトすら消した秘密の夜、それでも見つめあえる瞳に想い募らせて。



【引用詩文:William Blake「Song(3)」】

ちょっとエロティックな記事ブログトーナメント

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第65話 序風act.5―side story「陽はまた昇る」

2013-05-24 08:09:01 | 陽はまた昇るside story
その門行く先は、



第65話 序風act.5―side story「陽はまた昇る」

第七機動隊舎の門を潜るとき、太陽は西の稜線を朱に染めた。

黒いシルエット煌めかすラインは黄金に変る、そして雲は紺紫に薄紅透かして風に去く。
風は駐車場で開いた扉に吹きこんで、髪ふくんだ汗を見えない指に梳き涼ませてくれる。
ネクタイの衿元からスーツの胸元から涼は透りゆく、着替えても汗残らす肌が安堵する。
この夕空はるかな故郷の気配は風に優しい、なにか嬉しくて英二は微笑んだ。

―風が奥多摩から一緒に来てくれたみたいだな、

心裡に想うことが愉しくて嬉しい、すこし切ない懐かしさすら幸せになる。
こんなふう夕風に何処かを想うことなんて自分は知らなかった、実家にすら想えない。
けれど今は御岳を河辺を、奥多摩をこんなふう偲んで山へ恋する想いと心を温めてくれる。
そして今日も共に遭難救助へ駈けた仲間と、吉村医師と秀介と美代と、それから後藤の笑顔がそっと背中押した。

―後藤さんと吉村先生は俺にとって、恩師っていうやつだな、

壮年の笑顔ふたつ想い嬉しくなる。
自分にとって恩師を呼べる人は今まで居なかった、けれど今もう一人も名前を挙げたくなる。
こんなにも誰からに支えられ導かれて今がある、その感謝ごと手荷物二つ提げて四駆を施錠した。
そうして歩き出す肩に負った登山ザックのなか、救命器具ケースに眠らす哀憎の記憶たちすら温められていく。

―晉さん、馨さん、今どんな気持でいますか?斗貴子さんも敦さんも、

ケースの中にある一丁の拳銃、それに絡まる過去が歩く跫に響く。
あの惨劇から50年を経てしまった、それでも遠い時間と血縁を超えて自分に届く。
ただ一発の弾丸を放ってしまった男と家族たちの想いは拳銃ごとこの背に負われているだろうか?
もし背負われているのなら少しでも良い、今日あらためて響いた山と人への温もりに誰も安らいでいてほしい。

The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

  生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
  沈みゆく陽をかこむ雲達に、
  謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
  時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
  生きるにおける人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
  慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる

今日、山でも想った一節が今、隊舎の彼方に天穹を広がりゆく。
この詩は馨たちの書斎で書架に納められていた、きっと家の住人達は読んだろう。
それは周太の詩集に寄せる記憶で知っている、そう想った途端に小さく鼓動傷んで緊張は奔る。

―…喘息の再発について…病院の薬がね、1ヶ月分減っていたんです。たぶん雅人が湯原くんの主治医になったのでしょう

たぶん周太は喘息を患っている、そう吉村医師から宣告された。
夏富士で後藤が教えてくれた周太の小児喘息罹患歴は今、もう過去の病歴じゃない。
射撃特練で毎日吸い続けた硝煙、新宿都心部の排気ガス、そして機動隊での負荷訓練の日々。
これら全てが潜んでいた病根を蘇えらせてしまった、それでも今更のよう嘆いても悔いても遅い。

―でも、もしも周太が警察官にならなかったら、あのまま樹木医の夢に生きていたらきっと再発なんてなかった、

もしも、あのまま、そんな仮定形は虚しい。
そう解っているけれど思わずにはいられないのは執着だろうか?
そんな想い微笑んで入口を潜り手続きを済ませる、そして割当ての個室へ歩きはじめた背を羽交い絞めにされた。

「待ってたよ、俺のアンザイレンパートナー!」

透明なテノール笑って抱きついてくれる、花と似た香りが頬ふれて懐かしい。
もう振り向かなくても誰なのか解かる、いま背に触れる温度と回された腕の肌に笑ってしまう。
声、香、体温、全てで距離と隔たりを飛び越えてくれる、そんな相手が嬉しくて英二は綺麗に笑った。

「お待たせ、俺のアンザイレンパートナー、」



風呂を済ませて規定の紺Tシャツ姿になると、英二は上官の部屋に出向いた。
すこし離れた場所にあるけれど遠くは無い、そんな距離感にすら立ち位置を見てしまう。
こんなふう自分と光一の場所は違う、けれど同じフィールドに立っていると歩く廊下に踏みしめる。

―俺たちは山と警察の世界ふたつで繋がる相手同士なんだ、ふたり融けあう関係じゃない、

世界ふたつに繋がる関係にある、そんな確認を廊下に見つめて微笑む。
もう太陽は沈み残照だけの空、それでも歩く床に光の残滓は朱色に染める。
今日が終わる一閃が薄れてゆく天井に蛍光灯が灯り、教えられた扉をノックした。

「はい、行くよ?」

テノールが笑って応えながら扉が開く。
そのまま並んで廊下を歩きだすと英二は提案を笑いかけた。

「国村さん、屋上に行っても良いですか?」
「ナニ、もう敬語ってワケ?」

可笑しそうに笑ってくれる瞳は底抜けに明るい。
変わらない大らかな空気にほっとする、その安堵に嬉しくて微笑んだ。

「寮の廊下も隊舎で職場だから、上官として立てた方が良いと想って、」
「プライベートタイムならタメ口のが嬉しいね、俺だって気楽な喋りで息抜きしたいからさ、」

飄々と答える言葉は陽気で、けれど本音の寂しさが伝わる。
再会に抱きついてくれた想いが改めて解って、呼吸ひとつで英二は笑った。

「そうだな、上官の息抜きも俺の大事な任務だし、俺もその方が気楽で嬉しいよ、」
「だね、」

頷いてくれる無垢の瞳が笑う、この一ヶ月前まで見慣れた笑顔が嬉しい。
こういう顔が出来ることは光一にとって今は貴重になっている、そんな現実を想いながら屋上への階段を登りだした。

かん、かん、かん…

足音二つ階段を昇り、扉を開く。
切り取られた空から風は吹きこむ、その匂いに埃が混じる。

―排気ガスが…周太、

匂いの哀しみに名前を心が呼ぶ。
もう周太は引き返さない、そう解っているから覚悟を自分に言い聞かせてきた。
それでも今こうして立つ場所に居ると想うほど揺らぎそうで、けれど微笑んで英二は夜空の下へ出た。





【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI

(to be continued)

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光の逍遥

2013-05-23 13:49:19 | お知らせ他
緑×光、風薫るときに



こんにちは、青空まぶしいこの辺です、笑

昨日UPの第65話「序風4」加筆ほぼ終わりました。
短編「白妙の手枕」は久しぶりにR18寄りです、ちょっと予告編として軽く書いてみました。

今夜は第65話続編と短篇連載のUP予定です。
短篇は雅人「天津風」or 光一「暁光の斎」になります。

今日は風も空も良いカンジです、こんな日は外へ出たくなりますね。
きっとベンチで昼寝とか気持イイだろうなあと考え、つい行動に移したくなります。笑


取り急ぎ、
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第65話 序風act.4―side story「陽はまた昇る」

2013-05-22 21:06:18 | 陽はまた昇るside story
駈けぬけた時、その向こう



第65話 序風act.4―side story「陽はまた昇る」

日中南時、九月一日の炎熱はヘルメットから汗が頬へ墜ちる。
降りそそぐ太陽と岩盤からの反射は天と地から熱に責める、その足元はルンゼの雨後に滑りやすい。
それでも意識の無い学生をバスケット担架に乗せ固定する、その間中も励まし呼びかけ続ける。

「頑張ってください、ヘリに乗って病院に行きますからね?大丈夫、頑張れ!」

大声で呼びかけ笑いかける、けれど大学生の瞳は開かない。
落石から護るためシートを掛けて保護をする、その傍らで同行パーティーの学生も叫んだ。

「頑張れよ!一緒にもっと登る約束だろ?まだ登る山がいっぱいあるぞ、こんな怪我に負けるな!」

もっと一緒に登る約束、

その言葉から、大切な俤が浮んでしまう。
自分も同じ約束をしている相手がいる、その男と一ヶ月ぶりに今夕は会うだろう。
そのとき自分が抱く感情はどんな色彩なのか?それが不安と期待と恐怖にもなりかけて苦い。

―この1ヶ月は一度も光一と会ってない、こんなこと初めてだ…それに、

それに、体の関係を持ってから離れて会うのは、初めてだ。
この初めてが怖くなる、自分が光一にした言動に自信なんて今は無い。
もう富士で思い知らされた本音と光一の想いが出会う時は何が見えるだろう?
公人として上司部下の立場でなら強い信頼があると、この出動に対する許可に解っている。
けれど私人として、ひとりの山ヤで男として向きあった時に何が自分たちにあるだろう?

―もう恋人としては互いに見れない、きっと…光一も俺も結局は、唯ひとりしか見えてないから、

光一の唯ひとりは、雅樹だ。
だからこそ光一は自分と肌交わして確かめたのだろう。
雅樹と似ている英二ですら恋愛に向きあえないと確認して、本当はあの朝きっと光一は泣いた。
その涙にも真意にも気付いてやれなかった後悔が今更のよう傷む、けれど何も気づかないままでいるよりずっと良い。
傷みから気づけたのなら、その傷みの分だけ相手を理解して本当の意味で向きあうことも出来るはずだから。

―本当の意味でアンザイレンパートナーになれるのかもしれない、今夜を向き合えたなら、

今夜は光一と話す時間になるだろう。
小隊長と副官、アンザイレンパートナー、そんな公的立場から今夜は話しあう必要がある。
たぶん周太と話す時間は殆どない、そして第七機動隊内では接触を少なくする方が本当の意味で周太を護れる。
誰にとっても今夜の自分は光一と話し合う方が良い、そう判断を自身言い聞かせながら遭難者を励まし、セットを終え合図した。

「固定終わりました、サポートのセットも完了です、」
「よし、引き上げるぞ、落石に気をつけろ、足元を崩すなよ、」

互いに声を掛け合いながらザイルを曳き始める。
左斜面を滑車を使い担架にサポートを付けて引き上げていく。
そうして真名井北陵に引き上げると、徒手搬送で赤杭尾根の平坦地まで運んだ。
赤杭尾根は山火事防止の防火帯が登山道に沿って伐り広げられ、ヘリコプターのピックアップ地点になる。
安全な場所にバスケット担架をおろすと、消防の坂田も遭難パーティーに付き添いながら無線片手に現われた。

「もうヘリは向かっています、後藤さん準備お願いします、」
「良かったよ、おうい皆、木の枝を払ってくれ、」

いつもながら大らかな指示の声に、青梅署山岳救助隊員は鋸を出した。
ヘリコプターへの吊り上げを妨げる枝を鋸で伐っていく、その木屑と香が熱暑に昇りだす。

―鋸を持つなんて俺、ここに来るまで何回あったかな?

鋸を扱うなど、学校で受けた技術の授業以外は無かったろう。
この他にも山岳レスキューとして当然の作業は大学生までの自分からは考えられない。
だから最初は掌の肉刺が破けることもあった、けれど諦めない掌は部分的に皮膚が厚く硬くなり今は強い。
こんなふう掌から山岳レスキューになっていく事が誇らしい、そんな想い微笑んで鋸を仕舞うとヘリコプターの爆音が響き始めた。

「ホバリングの風に気をつけて下さい!」

遭難パーティーの学生たちへ声が飛び、担架に声かける励ましが風に煽られる。
響くプロペラの音、発煙筒の匂いと光、大きくなるホバリングの風と梢のざわめき。
音と風のなかホイストで下降してきた航空隊員が遭難者をピックアップしていく。
そして救助ヘリコプターは大きく旋回して立川方面へ飛び去った。

「ヘリは医師も搭乗しているそうだ、なんとか助かってほしいなあ、」

空を見送る隣、深い声が笑いかけて英二は振向いた。
視線の先すこし疲れた日焼顔が微笑む、その表情が気になって目視しながら英二は声を低めた。

「後藤さん、呼吸は苦しくないですか?」
「ああ、大丈夫だよ。帰りは急がずに行こうか、一緒に下りてくれるかい?」

笑顔で返してくれる言葉には余裕がある。
それでも顔色がすこし良くないのは炎天下の作業もあるかもしれない。
このまま二人で最後尾から下山する方が良い、そんな判断に歩き出した向うから驚いた顔がやってきた。

「やっぱり宮田じゃないか、なんで今ここにいるんだ?」
「おつかれさまです、岩崎さん。国村小隊長の許可で現場に来ました、」

笑顔で応えた英二に元上司が笑ってくれる。
呆れたようでも嬉しそうに岩崎はポンと肩を叩いてくれた。

「おまえ達らしいよ、まったく。このまま府中へ行くのか?」
「はい、そのつもりです、」

話ながら下山する先で大学生たちが古里方面へ消沈と歩いていく。
その足取りが気になって英二は後藤と岩崎へ尋ねた。

「初心者も多そうですけど、ザイルは使っていたんですか?」
「いや、使っていない、」

困ったよう答えてくれるトーンに、もしかしてと推測する。
前にもザイルを使わず転落事故を起こした大学があった、その学校名を思い出した隣から後藤がため息吐いた。

「宮田なら気が付いたろうがなあ、あの事故と同じ大学だよ。部活は違うそうだが、」

部活は違う、けれど同じジャンルで同じ大学なら危機意識を共有してほしい。
そんな願いに英二は上司たちへ穏やかに微笑んだ。

「このあと奥多摩交番で副隊長から話すんですよね、俺も立会って良いですか?」
「ああ、もちろんだ、」

深い眼差しが笑ってくれる、その想いが自分にも伝わらす。
きっと後藤も英二からの申し出を待っていた、そんな信頼と歩いて踊平に着くと救助隊員が集合した。
いま救助に立ち会った警察、消防の全員がいる。もう傾きだした太陽のもと後藤が皆を見回し、いつものよう笑った。

「よし、警察も消防も全員無事に帰還だな?良かったよ、でな、今日で七機に異動した宮田がいるんだ、一言挨拶させてくれるかい?」

呼ばれた名前に驚いた視界、周囲から英二に視線が集まりだす。
挨拶だなんて想定外だ、そんな途惑いに消防から拍手と質問が上がった。

「宮田くん、今日が異動日なのに来たのかい?」
「はい、新しい所属長の許可と命令で来ました、」

笑顔で応える向うで笑いが起きる。
そのなかで奥多摩交番の畠山が可笑しそうに訊いてくれた。

「国村小隊長なら、現場の方が大事だ行けって命令したろう?」
「はい、」

素直に頷いた英二に警察も消防も笑ってくれる。
その笑顔たちが温かで嬉しい、英二は姿勢を整え綺麗に笑いかけた。

「初心者だった自分をこの奥多摩で、山と皆さんに育てて頂きました。泣いたことも笑ったことも沢山あります、その全て私の宝です。
今の自分になれたことに感謝します、本当にお世話になりました。異動しても同じ山岳レンジャーです、またよろしくお願いします、」

本当に、ありがとう。
この万感に深く頭を下げる、その向こうで拍手が温かい。
いま立っている「山」現場は生と死の廻らす峻厳の世界、そして懐深く広大な夢。
そこに憧れたままに駆け抜けた、その最初は唯ひとりへの想いから始まったのに今こんなに大きく広い。

―ここに来られて良かった、ここが本当に好きだ、

深く深くから歓びが充ちていく、それほどまで自分はこの世界が好きだ。
そう実感する想いに先刻まで悩んでいたアンザイレンパートナーへの態度すら解かれていく。
同じ「山」そして奥多摩への想いを抱いている、その信頼感のままに光一と共にいれば良い?

―俺たちは恋愛とか人間的な感情じゃない、山で繋がれた相手だ、だから血の契もしたんだ、

春4月の終わり、光一と結んだ『血の契』は山に共に生きる誓いだった。
あの誓いこそ互いにとって何より大切な盟約で、そこには最高峰への夢が懸る。
それだけ見つめて再び共に並べばいい、そんな覚悟と顔をあげた英二へ救急救命士の小林が掌を差し出した。

「宮田くん、あの引継書のこと感謝しています。君も救急救命士を目指すこと聴いたよ、がんばってくれな、」
「はい、ありがとうございます、」

笑顔で登山グローブを外し握手する、その掌は厚くやわらかで一部が堅い。
こんな掌に自分も近づいて救急救命士の道を辿る、それが嬉しくて、嬉しい分だけ背負う救命具ケースが少し重い。
今日も人命救助のために開いたケース、けれどそこには哀憎からみついた拳銃ひとつも眠っている。

―こんな俺だけどこの人みたいな掌になりたい、いつかきっと、

いつか自分も人命救助だけに山を駈けたい、この拳銃をいつか眠りに就かせて。
そんな願いごと握手を確かめ掌解いた向こう、今度は精悍な瞳が照れくさげに立ってくれた。

「またザイル組めたら良いな、」

低い透る声の率直なトーンが掌を差し出してくれる。
この1ヶ月間をザイルパートナーとして過ごした先輩で同僚に英二は笑った。

「はい、原さんとも三スラを登ってみたいです、」
「ふはっ、ハードル上げてくれんじゃん?」

可笑しそうに笑ってくれる貌はいつものよう愛嬌こぼれだす。
普段が仏頂面なだけに原は笑うと可愛くなる、それも得な所だろうと可笑しい。
笑いあって掌ほどくと藤岡の人好い笑顔に交替して、ぽんと気軽く握手すると笑ってくれた。

「また呑もうな、国村も湯原も原サンも、同期のヤツラともさ。そのうち瀬尾の結婚式で会うだろうけど、」
「あ、瀬尾の結婚決まったんだ?」

初耳の情報に瞳瞬いて訊いてしまう。
こんな明るい話題が嬉しくなる、笑った英二に同期は教えてくれた。

「さっき似顔絵のことで電話したついでに聴いたんだけどさ、来月には結納らしいよ、」
「そうなんだ、お祝いなんか考えないとな?」
「宮田なら良い案あるだろ?よろしくな、」

同期の世間話で握手を解き笑いあう、そんな他愛なさが藤岡らしくて良い。
きっといつ再会しても藤岡は気楽に笑って今と同じに話してくれるだろうな?
そんな未来予想に微笑んで先輩たちとも握手交わすと、後藤とふたり四駆に乗った。

「後藤さん、おつかれさまでした。あと奥多摩交番で色々ありますけど、」
「ああ、宮田こそ異動の日にすまんなあ、すっかり遅くなっちまうだろう、」

シートベルトしながら後藤が笑ってくれる。
この笑顔も声も数時間後には日常から離れてしまう、それが不思議で寂しい。
それでも明日へ進む意志と願いに微笑んで英二はハンドル捌きながら綺麗に笑った。

「今日、後藤さんに会えて良かったです、俺は今日もういちど挨拶したかったから、」

最終日の今日だから、やっぱり後藤に挨拶したかった。
この気持ちのままを英二は言葉に変え微笑んだ。

「山を何も知らない俺を最初に信じてくれたのは、後藤さんです。俺の素質を見つけてくれました、育てようって覚悟してくれました。
警察学校でも中途半端だった俺の本音も、願いも夢も、全てを見つけて信じてくれたのは後藤さんが最初です。だから今の俺があります。
後藤さんが居なかったら俺は中途半端な警察官でした、周太を援けることも今ほど出来ません、全部あなたのお蔭です、本当に感謝します、」

夏富士でも伝えた想いを今、この奥多摩の山であらためて感謝したい。
この山々に後藤が自分を呼び、育て、山ヤの技能と心の核を与えたくれた。
それが無かったら今のほとんど全てが自分には無い、この想い素直に英二は笑った。

「もちろん光一と吉村先生からも俺は育てられています、でも後藤さんが俺を見つけてくれなかったら俺は二人とも会えませんでした。
あの最高の山ヤとアンザイレンパートナーになる事は出来ませんでした、最高峰の夢も、救命救急士になる夢も俺にはありませんでした。
今の俺があるのは後藤さんが居るからです、だからお願いです、どうか肺気腫に負けないで下さい、長生きして一緒に山で生きていて下さい、」

いま後藤が侵される肺病は根治が難しい。
そう解っているけれど、小さな%でも可能性があるならと願ってしまう。
その願いに林道を降りて行く車内、助手席で深く朗らかな声が笑ってくれた。

「俺はな、うるさい山爺さんになるぞ?おまえさん達が夢を叶えるのを俺も山で見たいからな、それが俺の夢だなあ、」

うるさい山爺さん、そんな言葉に後藤の想いが切ないほど温かい。
この想いをどうか叶えてほしい、そう願うまま英二はフロントガラス越し笑いかけた。

「はい、うるさく叱ってやってください。俺も光一もブレーキが難しい性質ですから、後藤さんがいないと危ないですよ?」
「そうだなあ?心配でほったらかしては行けないな、ほんとになあ…っ、」

大らかに笑う声が小さく詰まる。
それでも深く豊かな声は言ってくれた。

「ありがとうよ、宮田。俺の方こそな、おまえさんが来てくれて本当に感謝してるよ、ほんとに…ありがとうなあ、」

本当にありがとう、そう言ってくれる声にこの山ヤが好きだと想う。
そして隣で響きだした嗚咽に涙ひとつ呼応して、昔馴染みの詩は心あざやかに深まる。

Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

 時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
 生きるにおける人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
 慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる











【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI】

(to be continued)

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