evidence 痕証
第74話 傍証act.6-side story「陽はまた昇る」
観碕征治
その名前ひとつ挟んだ座敷、黙りこむ。
ゆるやかな陽ふらす雪見障子に影の移ろう、ただ明滅が畳きらめかす。
いま風が吹いている、そんな梢の陰翳に英二は箸を執り、微笑んだ。
「蒔田さん、食べながら聴かせてくれますか?」
秘匿の沈黙を緩めたい、
その意図に微笑んだ食膳の向こう、警察官僚は溜息ごと笑った。
「俺は飯どころか呑みたい気分だよ、宮田くんの今の一言でな、」
「史料編纂のことですか?」
さらり相槌と笑いかけて浅黒い貌ほころびだす。
笑って、けれど困ったよう蒔田は訊いてくれた。
「教えてくれ宮田くん、あの史料編纂プロジェクトは、観碕さんは、湯原に関わるんだろう?どうやって気づいたんだ、」
4冊の日記帳と1冊の小説を読んだから。
それが気づいた本当の理由、けれど言う事など出来ない。
それでも告げられる事実だけを英二は穏やかに微笑んだ。
「七機の書庫には銃器対策レンジャーと山岳救助レンジャー両方の資料があります、29年前の資料も、それ以前から引き継がれた書類も、」
29年前、
この経年と「それ以前」に蒔田なら意味を見つけてしまう。
それくらい容易い男のはず、その信頼通りを先輩は口にした。
「銃器対策レンジャーについての資料を閲覧したのか、観碕さんは?」
「はい、他の資料も何点か併せてコピーされましたがフェイクでしょうね、」
事実ありのまま答えて箸を動かしていく。
品佳いけれど優しい味はどこか家庭的で蒔田らしい好みだと想わされる。
こんな好みからも篤実な相手はすこし考えこむよう漬物ほうりこみ、呑みこんで言った。
「そのコピーを宮田くんにとらせて指紋採取したのか、でも、何が目的で宮田くんの指紋を照合したんだ?」
ほら、蒔田は辿り着いてくれる。
こういう男だから今日も話を聴きにきた、けれど「指紋」をまだ解けない。
その未回答に沈黙したまま微笑んだ向かい困ったよう溜息ついて蒔田は告げた。
「宮田くん、観碕さんが関わることはノンキャリア2年目が知って良い事じゃない、それも君なら解かっているんだろう?」
知って良い事じゃない、
そんな台詞に「知っている」のだと解ってしまう。
そして確信できるまま英二は笑いかけた。
「観碕征治という名前は、幹部クラスの機密に関わる事だというのが警察官僚の常識ですか?」
「それを知って俺に訊きに来たんだろう?」
率直なまま困り貌が訊いてくれる。
その眼差しは変わらず篤実で、そこにある信頼に微笑んだ。
「機密を掴むために警察庁に登用されることを選んだ蒔田さんなら、俺の知りたいことを教えてくれると思っています、」
機密、そのために蒔田は出世した。
そういう男だから自分には話す、そんな確信に上司は溜息と笑った。
「どうしてそんなに俺をアテにしてくれるんだ?」
「夏に言ってくれましたよね、蒔田さんの権限と意志を利用して欲しいって。その通り甘えただけです、」
数ヶ月前の言質に笑いかけて上司の貌が困りだす。
その貌のまま途惑うような、けれど明るいトーン笑ってくれた。
「そんな言い方されると喋らないわけにいかないな、でも、いつか観碕さんの名前が出るとは思ってたよ、」
いつか登場すると思っていた名前、
そんなふう言われる意味と立場を見つめながら英二は笑いかけた。
「先ほども予想通りの名前が出たと仰いましたね、」
「ああ、史料編纂で七機にも出入りしていると聴いたからな、」
答えてくれる言葉に情報網の存在が解ってしまう。
地域部長の蒔田が警備部の指揮下にある機動隊についても把握する。
それを可能にするネットワークがあるのだろう、そんな納得に問いかけられた。
「機密事項を掴むために俺が警察庁に登用されたって言ったな、なぜ宮田くんはそう思う?」
「蒔田さんが山ヤだからです、」
思ったまま答えた先、ふっと大らかな瞳が明るます。
こんな目をするから信頼もしたくなる、その信頼に懸けて想った通りを告げた。
「蒔田さんは今も後藤さんとザイルパートナーを組んでいます、出世よりも、山の前線を務め続けたいのが蒔田さんの本音だと思います。
それでも官僚になったのは馨さんの殉職が疑わしいからではありませんか?それが機密の領域なら捜査の為には官僚となることが早道です、」
根っからの山好き、そんな空気が蒔田にはある。
それでも山の前線を離れたのなら相当の理由があるはず、その推定に困り顔が笑った。
「湯原の殉職を調べるために俺が官僚になった、そう宮田くんが考える根拠はなんだい?」
「蒔田さんの言葉と行動です、」
ありのまま答えた向かい、篤実な瞳が見つめてくれる。
その真直ぐな眼差しに英二は解答した。
「ノンキャリアから警察庁へ登用される道を選ばれたのは、山岳救助隊員のようなレンジャー達を護るためだと話して下さいましたよね?
馨さんのような犠牲は赦せないから警察官僚になったと教えてくれました、そして2月の射撃大会で周太を見て気づいたと夏に仰いました。
馨さんを追いこんだ人間たちが今度は周太を警察に惹きこんだ、それが赦せないから新宿署長にココアの缶を渡したのだと話してくれました、」
4月と今夏と、蒔田が話してくれた言葉たちに14年の目的が見える。
本来なら山の前線にいたかったはず、それでも出世コースを歩いた男に問いかけた。
「前の新宿署長にココアの缶を渡せば打撃になる、その判断は30年前の事情をある程度は把握して出来るものです、でも蒔田さんは解りました、
ココアの缶が馨さんをイメージさせて、そのイメージが与えるショックを推測できるだけの情報を蒔田さんは把握しているから缶を渡しています。
この情報を俺が持っている情報と照合したくて今日、この食事の席も呼んでくれたのではありませんか?俺が指紋照合された理由も確かめる為に、」
夏、当時の新宿署長は警視庁庁舎で卒倒した。
蒔田からココアの缶を手渡されて、その直後に倒れてそのまま復帰していない。
こんな事態を仕組めるだけの情報が蒔田にはある、そこにある意図から篤実な瞳が微笑んだ。
「夏は警務部の部長と人事第二課の課長について聴取してくれたな、そして今日は俺の聴取と、ショックをくれに来たのかい?」
困ったよう笑って大きな手が汁椀をとる。
ゆったり呷る仕草は鷹揚で、その間合い見つめながら笑いかけた。
「史料編纂のこと、ショックでしたか?」
「そりゃショックだよ、盲点を突かれたんだからな、」
溜息ごと笑って箸を動かしていく。
煮物ひとつ口に入れて咀嚼する、そして呑みこむと蒔田は言った。
「観碕さんが色んな部署に出入りする名目として編纂事業があると思ってたんだ、だが30年前と50年前のことを宮田くんが訊いた、
30年前は湯原が異動させられた時だ、50年前は、俺の記憶が正しいなら湯原の家の近くで事件があった頃だ。だから嫌な想像をしてる、」
話してくれる貌が硬くなってくる、その眼差しが真直ぐ自分を映す。
どうか話して欲しい、そんな懇願が見つめる真中へと英二は微笑んだ。
「あれは人狩りデータです、」
事実をストレートに告げて、沈黙また支配する。
雪見障子から木洩陽に明滅ゆれて畳の陰翳あざやがす。
いま都心の料理屋にいる、けれど森閑と鎮まる空気に微笑んだ。
「隠された軍隊のスケープゴートを探しだす為のデータベースとして遣われています、その担当者自身もデータベースと言えます、」
隠された軍隊は優秀な人柱だ、“Fantome”のことを教えてやろう。
そう聴かされたばかりの事実を言葉にした先、蒔田の瞳が嶮しくなる
いま言ってくれた「嫌な想像」に重なってしまう、そんな声が呟いた。
「…スケープゴートの、人狩り…か、」
溜息のような声、けれど悼む想い滲ませる。
そこにある感情を見つめる真中に蒔田が問いかけた。
「人狩りの最初のターゲットは、湯原の父親か?」
ほら、核心もう突きとめる。
このスピード見せる俊才に英二は微笑んだ。
「50年前の事件を調べたんですか?」
「湯原の実家についても調べたからな、手がかりらしきものは全て確認した。あの警視庁の警察官はそういうことか?」
ストレートに応えてくれる言葉に14年が見える。
これまで綿密に調べて来た、そんな歳月の欠片に問いかけた。
「蒔田さん、本当のことを教えて下さい、この14年間ずっと観碕をマークしていましたよね?」
蒔田なら観碕の異様を気づくだろう?
その推定に見つめるまま篤実な瞳が微笑んだ。
「なぜそう思うんだ?」
「馨さんの通夜を蒔田さんが手伝っているからです、」
即答した向う、篤実な瞳が静かに見つめてくれる。
そこにある14年が自分を映す、そして穏やかに微笑んだ。
「芳名帳を調べたのか、」
「はい、」
肯定と微笑んだ真中で蒔田の瞳が閉じられる。
考えこむような、それとも涙ひとつ閉じこめるような瞑目は馨のためだろうか?
―それだけ蒔田さんは自分を責めていたんだ、14年ずっと、安本さんと同じように、
武蔵野署射撃指導員の安本は、同期のなかで馨と一番親しかった。
その安本は現場の刑事として馨の殺害犯を逮捕し、その犯人の更生を務めた。
そんな行動は馨の最期の願い通り温かい、けれど「正犯」に安本は気づけていなかった。
それでも蒔田なら気づく、それだけの知力がなければノンキャリアから幹部に登用などされない。
「蒔田さん、あの通夜の席でキャリアの顔を見たら蒔田さんなら考えずにいられないはずです、馨さんとの関係を疑問に思って調べるはずです、
でも、観碕を知るには官僚にならないと不可能だった、だから山岳会を護るために出世するとういう後藤さんの提案も受けたのではありませんか?
ずっと14年マークしていたから今回も、七機に出入りしたことも指紋照合を行ったことも知って俺を呼び出したんでしょう?少し期間も空けてから、」
観碕が関わることはノンキャリア2年目が知って良い事じゃない、そう蒔田自身が今言った。
あれは14年前の実体験から出た言葉だろう?そんな推定に日焼あわい顔が笑った。
「宮田くんは刑事部でも敏腕になれそうだな、」
参った、そんな眼差し率直に笑ってくれる。
その明るい賞賛と困惑に英二はストレートで告げた。
「蒔田さんの閲覧権限を、内密に遣うことは出来ますか?」
機密も開けるレベルのデータ閲覧権限がほしい。
以前は光一を頼んでハッキングした、あのリスクは今もう冒せない。
もう観碕に名前と顔を憶えられている、それが信頼に変わるまではハイリスクの言動はミスを呼ぶ。
ならば観碕の予想を上回れば良いだろう?そんな思案に蒔田が訊いた。
「閲覧権限については俺もリスクがある、だから教えてくれ、宮田くんには史料編纂の正体を知るだけのバックボーンがあるのか?」
こんな質問を昨日の自分がされたなら迷わず、嘘ひとつ吐いたろう。
けれど今日の自分は、あの屋敷で時を過ごした今は、ただ現実のまま英二は微笑んだ。
「部外者とは言えません、今はね?」
(to be continued)
にほんブログ村
にほんブログ村
blogramランキング参加中!