てのひら、温もり、守ること
第33話 雪火act.6―side story「陽はまた昇る」
かすかな午睡にまどろんで英二は目を覚ました。
窓からふる今日最後の陽光が、透明な朱色ゆるやかに白いベッドカバーを染めていく。
きっと17時前だろう。ベッドサイドへ長い腕を伸ばしてクライマーウォッチをとると、予想通りで微笑んだ。
抱きしめている懐には温かな鼓動と穏やかな寝息がやさしい、微笑んで英二は寝顔を覗きこんだ。
なめらかな周太の頬には涙のあとがある、けれどかすかに紅潮した頬は微笑んで幸せそうに眠っている。
幸せそうな微笑はきっといい夢を見てくれている、やわらかに微笑んで英二は見つめた。
―…ごめんね、周太…俺の所為で、泣かせちゃったね?
今日、周太は弾道の鑑識実験で国村と射手を務めた。
そしてザイル狙撃の銃座で国村と2人になった時、国村に向けて威嚇発砲をした。
威嚇発砲の理由は、英二の意思に反する体の関係を国村が強要しないことを約束させる為だった。
その発端は富士山の遭難救助で国村が受傷したことだった。
遭難救助中に発生した雪崩で国村は受傷した、けれど雪に埋没したことで怪我は治癒されていた。
けれど生粋の山ヤとして誇り高い国村は「山」に怪我を負わされたことを恥じ、人に知られることを拒んだ。
だから国村は自分の山ヤの誇りをかけて英二に黙秘を望んだ。
そして、もし黙秘を破れば裏切りの代償として英二の体を奪う宣言をした。
そんなふうに国村は英二への絶対的信頼と自分の誇りを示した、それは我儘なほど誇り高らかに自由で愉快でまぶしかった。
そういう国村の誇り高さが英二は好きだ。
最高のクライマーの素質まぶしい国村は、最高の山ヤにふさわしく誰より誇り高い。
そうした誇らかな山ヤの自由に生きる国村は、物事に捉われず明るい怜悧な目で真直ぐ見つめて的確に判断ができる。
そんな国村は人当たりは良くても本当は直情的で熱が高いだけ誇りも高く、心から相手を信頼することは難しい。
だから国村は自分とよく似た英二を生涯のアンザイレンパートナーに選び、世界の高峰を踏破する夢を懸けて友人になった。
そういう国村は英二にとっても似ているだけ理解できる、そして国村も英二の全てを理解し笑わせてくれる。
そんなふうに国村は英二の最高の友人でアンザイレンパートナーでいてくれる。
そんな国村の誇り高さは英二は本当に好きだ、山ヤとして憧れ友として楽しい。
最高の山ヤの誇りのままに、ずっと誇らかな山ヤの自由に国村には生きてほしい。
この国村の自由を守るためにも英二は、自分が最高のレスキューとして共に最高峰へ登ろうと決めた。
どんな山の状況でも国村を支えて必ず無事に登頂させる、そして必ず無事に一緒に帰るために最善を尽くしたい。
だから英二は本当は、国村の誇り高い心が癒されるなら体くらい構わないとも思っていた。
英二はずっと外見ばかり見られて求められてきた。
だから体の関係なんて忘れたほど多くの相手と重ねてしまってきた。
その場を楽しませて満足させてやればいい、そんな刹那でも自分が「必要」とされることが少しだけ嬉しかった。
上辺だけ外見だけのことは全てが虚しくて、寂しくて哀しくなるだけだった。
それでも孤独が刹那でも忘れられるなら構わない、そう思って求められるままに体を提供していた。
けれど英二は周太に出会った。
周太だけが真直ぐに英二の目を見つめて、素顔の英二を見つめてくれた。
そして英二も周太の素顔を見つめてしまった、見つめた周太の痛みと一途な想いと純粋無垢な心に恋をした。
初めて自分から恋をして、求めて、全てを周太に捧げてしまいたいと願ってしまった。
だからもう体も周太だけにしか与えないと英二は決めて、他には欠片も与えなくなった。
国村も英二の大切な存在になった。
最高の友人で唯ひとりの生涯のアンザイレンパートナー。
似た者同士の親友は互いに誰より理解し合うことが出来る、いちばん気楽で、いちばん援けあえる相手。
そんなふうに国村と互いに大切になっている、それは周太への想いとは全く違う。
周太のことは全てが欲しい、誰にも欠片も渡したくない。周太の全てを自分だけが独占していたい。
だから周太が誰かに笑いかければ嫉妬する、自分だけ見つめて欲しいなと想ってしまう。
けれど国村にはそうは想わない。
ずっと横に立って一緒に笑って山に登り生きていけたらいいと思う。
でも全てを独占したいとは想ったことが無いし、自分だけ見つめて欲しいとも思わない。
これは国村も全く同じように考えていると英二には解る。
これも国村と英二が同じだと解るのは、心と体はある意味で別ごとだと考えていることだった。
国村は美代を恋し愛して「特別な存在」として大切にしていても、裏切りの代償とはいえ英二に体を要求できる。
それは美代と英二は全く違うけれど大切で「特別な存在」だからこその国村の言動だろう。
美代に対しては恋愛と伴侶としての繋がりで求めている。
そして英二に対しては信頼と夢の相方として、男として生きる愉しみを共にする相手でいる。
そういう男っぽい国村の考え方は英二にはよく解る。
だから国村が「最高に楽しめるんじゃない?」と誘ったことも英二には面白かった。
いわゆる体の愉しみごとに男として興味がある、その程度は男だったら嗜み的に考えることも珍しくない。
それでも国村にとっては相手は誰でもいいわけじゃない。誇り高い国村はそんな安手ではないことを英二は知っている。
まして国村には美代がいる、そして周太のことも大好きで大切に想っている。
だから国村だって簡単な気持ちで誘いをかけたわけじゃない。
国村は大切な「山」に懸けた自分の誇りを守ることを、唯ひとり山の相方である英二にも協力してほしかった。
いちばんの友人で大切な「山」の唯ひとりのパートナーだからこそ国村は、傷つけられた誇りも全て英二に曝け出して見せた。
そうして傷つけられた誇りを見せた以上は、誇りを守るための協力を体を使ってでも求めたい。
なぜなら山ヤにとって自分の体は「山を登る自由」を得るため大切にしたい、だから英二は国村が受傷した時は真剣に処置をした。
そうした「山を登る自由」のための山ヤの体だからこそ、国村は自分の山ヤの誇りを裏切る代償として英二に体を要求した。
そういう国村の気持ちが英二にはよく解る、それくらい自分たちには誇りと信頼は大切だから。
国村は「山」が一番大切なもの。
だからアンザイレンパートナーである英二も唯一に大切にしている。
だからこそ国村は周太の危険に立つ英二を放っておくことが出来ない。
まして国村は周太自身も大切に想っている、だから国村は英二も周太も守ることを決めてしまった。
きっと夏が来て本配属になれば周太の危険な運命が動き出す、国村にも危険を分けてしまう事になる。
けれどほんとうは国村は「山」だけに生きるべき最高のクライマー、そのことを英二はよく解っている。
それでも国村は自分の誇らかな自由を懸けて、英二と共に立つことを選んでくれた。
そんな国村の誇り高さも軽やかな覚悟も本当に好きだ、そして感謝している。
だから国村の誇りが守れるなら、自分の体を使ってもいいと想っていた。
それに男の本音を言えば「イイ条件が揃い過ぎだよ?たぶん最高に楽しめるだろうな、もう癖になるくらいにね」
と、国村が笑って言っていた。これがどんなものなのか興味もちょっとあった。
もう自分は周太のものだから、心が伴わない「体だけ」のことはするつもりが無い。
けれど相手が国村だと単なる「体だけ」では無い、それは国村も同じ考えでいるだろう。
もう自分は全てを周太に捧げた、けれど周太と国村と両方を守れるなら、体くらい使っても良いかなと想っていた。
そんなふうに英二はある意味、自分の体については頓着が少なかった。
だから周太に国村から「既成事実」で脅かされた話もしてしまった。
それは周太がどれだけ衝撃を受けるのか、その度合いを測り間違えてしまった所為だった。
「まったくダメだね?ほんとバカだよ、この男はさ」
そう言って国村は英二の額を小突いて笑いながら諌めてくれた。
たしかに国村は英二に裏切りの代償には体を要求した、けれど英二が周太に話すとは国村も思わなかった。
周太は自分たちと同じ23歳の男だけれど、心は10歳のまま純粋無垢な周太には「愉しみごとの男の興味」など通用しない。
そして生粋の山ヤである国村独特の、山ヤの「誇り」と「山に登る自由」を懸けた代償要求だとは、山ヤでもない周太には解らない。
そのことを解っているようで英二には解っていなかった。
「たった一度だけの想いなんだよ、ほんとうにね、おまえしか見つめていないんだ。
だからさ?少しだって傷つけたくないんだ、一番きれいにしておきたいんだよ、おまえのこと」
そんなふうに国村は英二に周太の気持ちを教えてくれた。
そういう周太を国村は大好きでいる、だから国村は周太を傷つけたくはない。
だから国村は周太をエロトークでいつも転がしていても、本当に英二と関係を持つなら当然にそれは黙秘する。
そんな国村は美代に対しても「愉しみごと」は黙秘している、だから英二も周太に黙秘すると当然に思っていた。
それを英二は、そこまで深く考えずに周太に話してしまった。
そして周太を追いつめて、泣かせるような事になってしまった。
―まもりたかった 英二のこと 傷ついてほしくない きれいでいて?
周太が全てを懸けて英二を守ろうとしたこと。
そこまで周太が英二を想って行動してくれたことが、英二には驚きで、心から嬉しかった。
たかが自分の体だと英二は想っていた。
ずっとただ外見だけ求められて体を使われて「用無し」になれば捨てられてきたから。
それを周太は全てを懸けてまで守るほど、心から大切に想ってくれた。
こんなふうに誰かが自分の体を心から大切に想ってくれる、そんなことを英二は考えたことが無かった。
―…ね、周太?どうしてそんなにね、俺のこと想ってくれる?
俺なんて、いろんな人間に体を触られてきたんだよ…俺は周太みたいには、きれいな体じゃない
それなのに周太は、あんなふうに言ってくれるんだね…傷ついてほしくない、きれいでいて、って
自分の腕のなかで眠っている、やさしい純粋無垢なひと。
きっと今朝沢山の約束をくれたのは、国村に銃口を向ける覚悟をしていたから。
最後になるかもしれないと、きっと形見の様に幸せな約束を贈ってくれていた。
純粋無垢なままに強く真直ぐ立って生きている、ほんとうに美しい、きれいな周太。
そんな心のままに周太は英二を真直ぐに愛してくれている。
「俺に拳銃を向けた湯原はさ、かっこよくて、きれいで見惚れたよ?おまえへの想いがあふれてた」
そう笑って国村は教えてくれた。
ほんとうに今こうして見惚れてしまう、そして幸せだと心から想える。
外見ばかり体ばかり求められてきた自分、けれど周太は心を見つめて恋して愛してくれた。
そして心を大切にするように体まで大切にしてくれた、それは自分には考えられない幸せだった。
―ね、周太?ほんとうにね、うれしいよ…ありがとう
ねむる周太を見つめる英二の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。
ずっと自分が周太を守っていると想っていた、けれど、ほんとうに守られているのはどちらだろう?
ねむりにつく前から繋いだままの自分の左手と周太の右掌。
すこしちいさな周太の掌、この右掌でほんとうは嫌いな拳銃をとって、英二を守ろうとしてくれた。
「…ありがとう、周太。愛してる、」
きれいに笑って英二は周太の右掌にくちづけて、そっと髪をかきあげ額にキスをした。
キスをして、しあわせにあふれる涙がこぼれて、しずかに周太の瞳に自分の涙がふりかかるのを見つめた。
そして長い睫がかすかにふるえて、ゆっくり黒目がちの瞳が披いてくれた。
「ん、…えいじ…おはよう、英二?…」
きれいな笑顔が英二を見つめてくれる。
うれしくて幸せで英二は笑いかけた。
「おはよう、周太?俺の花嫁さん、…ほんとに周太、きれいだね?」
見つめる想いの真ん中で、きれいな気恥ずかしげな笑顔がひとつ咲いた。
そんな初々しい笑顔が英二は好きだ、うれしくて英二は笑いかけた。
「恥ずかしがりだね、周太は。でも、そういうとこ俺、ほんと好き。かわいい周太、愛してるよ」
幸せに笑って英二は周太にキスをした。
キスをして見つめて、瞳を覗きこんで英二は笑いかけた。
「周太、具合どう?辛いとことか痛いところ、ある?」
「ううん、だいじょうぶ。ありがとう、英二…眠れたから、楽だよ?」
返事しながら微笑んでくれる顔が幸せそうで、元気そうでいる。
心も体も楽にしてあげられたかな?うれしくて英二は笑って訊いてみた。
「よかった、周太が元気でうれしいよ。周太、もうすこし眠りたい?それとも風呂入る?」
「ん、ふろ入るね…それで、コーヒー淹れてあげる」
「周太のコーヒー嬉しいな。じゃあ、周太。おかえしにね、抱っこしてあげるよ」
言いながら英二は周太をシャツでくるみこんだ。
そのまま抱きあげて歩きながら、英二は額をくっつけて笑いかけた。
「ね、周太?また一緒に風呂はいったら、嫌?」
言われて気恥ずかしげに頬が紅潮していく。
それでも周太はそっと言葉を押し出してくれた。
「…きょうは、いいよ?…」
限定つき解除、それでも充分うれしい。
きょうと昨夜の周太は大きく心を揺らされた、そして不安や涙のはざまで覚悟をしてくれた。
そんな周太は不器用で23歳として幼すぎるだろう、けれど純粋無垢な美しさは誰が否定できるだろう?
そしていまきっと周太は英二の腕に心から安らいで、ふろでも一緒にいることを頷いてくれた。
腕に感じる周太の安らぎが心から嬉しい、英二は幸せに笑って浴室の扉を開けた。
ふろと着替えを済ませると周太はコーヒーを淹れてくれた。
いつものように芳ばしい湯気がゆるやかに部屋を充たしていく。
ゆっくり湯がフィルターを透っていく音がやさしい、その音を英二は周太の肩越しに聴いていた。
そんな英二に遠慮がちに周太が振向いた。
「あのね、英二?…台所のことしている時はね、あぶないから…すこし離れていて?ね、年明けに家でも、お願いしたよね?」
「うん?周太、ここは台所じゃないよ?火も無いし包丁だって使っていない。問題ないよね、周太?」
「でも、お湯は熱いよ?…あぶないと思う」
ほんとうは周太は気恥ずかしくて仕方ない。
だから緊張して英二に見られることを避けたくて「お願い」しようとしている。
そんなこと解っているけれど、英二は傍にいたくていつも解らないフリをしてしまう。
離れたくないよ?そう目で言いながら英二は淹れ終わったマグカップを持った。
「ほら、周太?もうコーヒー出来たよ。ありがとう、周太」
「あ、…はい、」
「かわいいね、周太は。ほら、座ろう?」
笑ってソファに落ち着くとコーヒーを飲みながら、買ってきておいた食事をひろげた。
のんびり早めの夕食を摂りながら、英二は富士山の話を始めた。
「吉田大沢ってところがあるんだ。そこはね、今の時期は雪上訓練にちょうどいいんだよ?
でも雪崩には気をつけないといけない場所だ、特に今は表層雪崩が多いからね。昨日の朝も、そこで雪崩が起きた」
「ん、…エリアニュースで俺も、見たよ」
ふっと黙り込んだ周太の顔を覗きこんで英二は笑った。
そんなふうに沈まないで?そっとキスをしてまた英二は口を開いた。
「あのときはね、もう下山する寸前だった。で、山小屋のおやじさんに挨拶に行ったんだ。
そしたらね、ちょうど遭難救助の要請電話をおやじさん、受けている最中だった。
あの状況ではね、周太?おやじさん1人に行かせたら、二次遭難の可能性が高かった。
それに何よりもね、俺も国村も山岳救助隊員として放り出せなかったんだ。そして山ヤの誇りに懸けて救けたかった」
「ん、…山ヤさんのね、そういうの、お父さんから聴いてる…相互扶助っていうんでしょ?」
「そうだよ、周太。もうあのときはね、雪崩が起きるカウントダウンだった。
そして救助者の人がいるところは、雪崩が起きたら風に巻きこまれるポイントだったんだ。
だからすぐに行って救けなきゃいけなかったんだ。雪と風が強かった、ホワイトアウトも起こしかけていた。
それでね周太?俺たちは初めてきちんとアンザイレンを組んだんだ。そのお蔭で国村を救けることが出来たんだよ」
アンザイレンパートナーを組めば、万が一のとき相手の体を支えなくてはいけない。腕一本で2人の体重を支える可能性もある。
その為には互いに同じくらいの体格と体重、そして同等の力量が求められる。
だから体格が大きい英二と国村は簡単には自分のパートナーを選べない、まして最高の力量を持つ国村は尚更だった。
そんな国村は英二の力量について将来性を信じてくれている、その英二の力を引き出すために国村自身が指導してくれる。
そういう自分と国村は富士山で初めてアンザイレンを組んだ。その時を思い出しながら英二は微笑んだ。
「救助者を俺が背負っていた、それで国村はね、俺をザイル確保してくれていた。
そこへ雪崩でおきる強い風が吹き始めた。すぐピッケルを使って雪と風に体を支えたんだ。
けれど飛ばされた雪の塊が国村に直撃したんだ、そして国村はピッケルごと飛ばされた。それぐらい強い風だった。
でもアンザイレンザイルと確保用のザイルで俺と繋がれていたから、あいつは滑落しないで済んだ。
そして俺もね、周太?あいつを救けたくってさ、だから自分は飛ばされないぞって頑張れた。周太のこと想いながらね」
「…俺のこと?」
オレンジのデニッシュを食べかけて周太は英二を見あげた。
その口もとにかけらが付いているのを気がついて、英二はキスでとって微笑んだ。
「そうだよ、周太。あの時の俺はね、周太の笑顔をずっと見つめていた。
真っ白な視界のなかでさ、ピッケルを握りしめる自分の手を見つめながらね、心はずっと周太のことを見つめていたんだ。
そうやって俺はね、周太?絶対に帰るために耐えろって自分を応援したんだ。周太の笑顔の隣に帰りたい、それだけだったよ」
「…俺のこと、忘れないでいてくれた?」
見あげた黒目がちの瞳が英二を見つめてくれる。
きれいに笑って英二は周太の額にキスをした。
「もちろんだよ、周太?俺はね、いつだって周太のことばっかりだ。
山小屋でも、頂上でだって、周太のことばかり考えてた。それで国村にね、『おまえ嫁さんのことばっかりだなあ』って笑われた」
「頂上でも?…山小屋でも、…いつも?」
見つめる黒目がちの瞳がすこし水の紗に揺れている。
泣いてしまうのかな?そんな瞳が愛しくて英二は見つめて微笑んだ。
「そうだよ周太、最高峰の頂上で周太を想った。
山小屋の夜にも周太のこと想って、周太のことばっかり話したよ?
俺はね、周太?最高峰にいても、夜も昼も朝も、ずっと周太のことばっかりだったんだ。
周太が贈ってくれたクライマーウォッチを見つめてね、周太は何しているかなあってさ?つい、考えてた。周太ばっかりだ」
「頂上で…夜も昼も朝も、…うれしい、な」
黒目がちの瞳が微笑んでくれた。
微笑んで涙がこぼれて、きれいな幸せに笑ってくれた。
そして見上げた英二の頬にそっと掌を添えて、やさしいキスを重ねてくれた。
やわらかな温もりとオレンジの香がふれて、あまやかな幸せが心にふれおちる。
しずかに離れて周太は、きれいに笑った。
「英二…俺の想いを、最高峰に連れて行ってくれたね、…ありがとう」
最高峰へ連れて。
自分は最高峰に唯ひとりの人への想いを抱いて登った。
それをきちんと解って貰えて幸せで、英二は微笑んだ。
「うん、周太。ずっとね、周太の想いと俺、一緒にいたんだ。だから頑張れた、そしてね、見つめた世界は美しかったよ」
「日本の最高峰の、世界?」
「そうだよ、最高峰の世界。冬富士はね、エベレストと同じ気象状況なんだ。
山頂の気圧は標高4,000mって言われている。そうやって日本ではいちばんの最高峰に冬富士はなるんだ。
そこはね、周太?雪の白銀と、青空と。蒼い雲の翳だけの世界だった。とても静かで、世界は人間のものじゃないって解った」
一昨日の昼に見つめた、最高峰の世界。
熟練クライマーすら命を落とす冬富士が魅せる、雪の最高峰の荘厳な世界。
あの場所に自分はまた立ちたい、そんな思いがいまもう起き上がっている。
あんな雪崩に遭って大切な友人は生命の危険に晒された、それでもまた立ちたいと願ってしまう。
こんな自分は本当に懲りていない、それどころか魅せられてもう離れられないでいる。
けれどまた周太には心配をかけるのだろう、でも自分は立ってしまうだろう。
その許しが欲しくて英二は、周太の両掌をとると穏やかに唇をよせた。
「周太、俺はね?またあの場所に立ちに行きたい。周太の想いを抱いて、最高峰へまた立ちたい。
あの雪と空だけの世界に立つこと。きっとずっと、生きている限り望んでしまうと思う。
国村の為だけじゃなく、自分の望みとして、あの場所に生きたい。周太には心配をかける…でも、どうか許してほしい」
想いを告げる英二を真直ぐに周太は見つめてくれている。
黒目がちの瞳はもう、ひとつの勇気と意志と覚悟を映して微笑んでくれている。
こんな美しい瞳で周太は自分を見つめてくれている、幸せに笑って英二は言葉を続けた。
「周太、あらためて約束する。
最高峰から周太への想いをずっと告げ続けるよ、そして必ず無事に周太の隣へ帰る。
俺は笑って山へ登るよ、そして必ず周太の隣に帰る。そうして俺は周太にね、今みたいに山の話をするよ。
そうやって俺は山ヤとして生きたい、周太を守って、ずっと周太を幸せに笑わせて、ずっと周太の隣で生きていきたい」
どうかお願いを聴き届けてほしいよ?
そんな想いで見つめる真ん中で、美しい瞳がおだやかに笑ってくれる。
そして周太はきれいに笑って言ってくれた。
「はい、英二…ずっと俺の隣に帰ってきて?そして、山の話を聴かせて?
そして時々はね、俺も山へ連れて行って?英二が見る世界を俺も見に行きたいんだ…
最高峰とかは無理だろうけれど、でも、そのクライマーウォッチが俺の代わりに、英二の立つ世界を見てくれる。
だから一緒に連れて行って、俺のこと想いだして?…英二を信じて、ごはん作って待っているから、帰ってきて?
そしてずっと英二の隣で生きていたい、英二の帰る場所でいたい…それがきっとね、俺にとっていちばん幸せなんだ」
自分が見る世界を一緒に見ようとしてくれる。
こんなこと誰が今まで自分に言ってくれただろう?
この愛するひとは自分が大切にする想いを一緒に見つめて生きようとしてくれる。
今はまだ一緒に暮らせないけれど、でももう心は寄りそっている。幸せで英二はきれいに笑った。
「うん、…ありがとう、周太。ほんとにね、俺…うれしくて、幸せだよ」
うれしい、そして幸せで。
この幸せを自分は絶対に離さない、だから何があっても自分は周太を守る。
これから周太は失われた父親の想いと軌跡を見つめていく危険に立つ、それでも自分が守りきる。
そして周太の辿る道が終着を迎えた時にはもう、遠慮なく周太を自分の腕へと閉じ込めたい。
そのためには何だって出来る、冬富士の山頂に立ち雪崩からも無事に帰ったように。
そうしてアンザイレンパートナーを援けて遭難者も救ってきたように、自分はこの愛するひとを救っていく。
だからどうか頷いてほしいよ?英二は周太に願いを告げた。
「だから周太?絶対に俺から離れて行かないで?必ず俺には全てを話して、そして俺に周太を守らせて。絶対に、」
「…全てを、話すの?」
黒目がちの瞳がすこし不安に訊いた。
この不安の意味を自分は知っている、それでも一歩も譲るつもりは無い。
どうか自分を信じてすべて委ねて?きれいに笑って英二は周太に告げた。
「そうだよ、周太。今までも、これから先に起きることも、全て俺には話してほしい。
そうしたら周太が望むものはね、全て俺があげる。俺が周太を幸せにするよ?
周太が必要なものはね、全て俺が見つけて周太にあげるよ?だからすべて話して、そして俺に望んで?」
英二の長い指の掌のなかで、すこしちいさな掌が温かい。
ゆっくり瞬くと微笑んで周太は頷いてくれた。
「はい、…全て話します。だから英二…幸せにして?」
よかった。
約束がうれしくて英二は笑って、自分の掌にくるんだ愛するひとの両掌にキスをした。
「うん、周太。絶対に幸せにするよ?ほんとにね、…周太を、幸せにする。
今もね。ほら、このオレンジのサラダ、たぶん周太好みだよ?食べてみて、周太」
英二の言葉に周太も笑ってくれる。
笑って素直にフォークをサラダへとつけて口に運んでくれた。
「ん。おいしいね、英二?…白身の魚は鯛かな?ケッパーの塩味がいいよ?…英二も食べてみて?」
「うん。俺ね、いちおう試食してみたんだ。あ、やっぱり旨いね、」
「英二も気に入ったんだね、…こんど家でも真似してみる。だからね、英二、…また、玄関を開けて?」
この「玄関」は周太の実家の玄関のこと。
ふるくて温かな清々しい川崎の家、奥多摩の森を模した草木美しい庭のなかに佇んでいる。
この家が英二は好きだ、そして英二の持っている合鍵は周太の父の遺品を譲られたものだった。
そっと英二は自分の胸元にふれた、その指先にはシャツ越しに首から提げた合鍵がふれてくる。
周太の父の遺品である合鍵、そして書斎机の秘密の抽斗のただ一つの鍵は、英二の宝物になっている。
きっとこの鍵で自分は一生、あの玄関扉を開いていく。幸せに英二はきれいに笑った。
「うん、周太。また開けるよ?それで俺はね、周太に『お帰りなさい』って言いたい」
「ん。言って?…俺にね、ただいまを言わせてね?」
そんなふうに笑いあいながら食事を楽しんで、食後にまたコーヒーを淹れてふたりで飲んだ。
まだ19時過ぎの早い夜の時間をゆったり楽しんでいると、周太の携帯がきれいな曲を流した。
「…あ、美代さんから、」
携帯を開いて発信元を見た周太は、英二を見あげた。
美代は昨日、周太に気晴らしのカラオケに行きたいと言ったらしい。
たぶん美代は国村の雪崩の件に感づいたらしい、そんな美代は怒るとカラオケで解消する癖がある。
この電話出てもいいのかな?そんな顔で周太は英二を見あげてくれる。それがまた可愛くて英二は笑いかけた。
「ほら、周太?きっと美代さん、カラオケの話じゃないかな?早く出てあげなよ」
「ん、…いいの?」
「俺は大丈夫だよ?ただし、周太の体が辛くなければ、だよ。それでね、俺も一緒させてって言って?」
「ん、ありがとう、英二」
うれしそうに笑って周太は電話を繋いだ。
周太にとって美代は大好きな植物の話をお互いに遠慮なく楽しめる友達でいる。
そういう友達に周太は初めて出会った、そして美代は国村の幼馴染で恋人として周太と同じように「最高峰を待つ人」でいる。
そんな2人は似ている点も多くて気が合うらしい。それできっと美代は周太を相手に自分のストレス発散をしたくなったのだろう。
そんなところかな?そう思いながら見ている英二の視線の先で周太が電話越しに美代と話していた。
「ん、…いいよ?…そう、…よかった、喜ぶと思う…
あ、ん、…きっとね、来ると思うよ?…ん、わかるかな?あ、ちょっとまってね、替るから」
周太は携帯の送話口をそっと掌で抑え込んだ。
そして英二を見あげて携帯を差し出しながら、ちいさな声で英二に話した。
「あのね、英二?カラオケの場所、聴いてくれる?」
「うん、周太。解ったよ、ちょっと携帯借りるな?」
笑って答えながら英二は周太の携帯を受けとった。
受けとった携帯を当てて英二は話し始めた。
「こんばんは、美代さん。俺まで一緒して、大丈夫?」
「宮田くん、こんばんは。こっちこそ、ごめんなさい…せっかく二人でいるのに、邪魔しちゃう、ね?」
「いや、気にしないで良いよ?さっきもね、いっぱい周太を見つめて充たされているからさ。場所、どこ?」
「うん、…ごめんね、宮田くん?でも、甘えちゃうね?場所はね、河辺駅の近くなんだけど…」
気恥ずかしげで遠慮がちな雰囲気が周太と似ている。
いま美代はどうしても、気の合う周太と会って話してカラオケで発散したいのだろう。
その事情を知っているだけに英二は頷かざるを得ない、それに英二自身も美代を好きだった。
あの国村の山の峻厳と男論理で構築されたルールに、女の子でついていくのは大変だろうな?
それだけでも尊敬に値すると思いながら英二は微笑んだ。
「ああ、そこら辺なら解るよ。大丈夫。何時にどこで待ち合わせる?」
「うん、…もうね、河辺駅にいるの。ごめんね?湯原くんとお喋り、どうしてもしたくて、…来ちゃいました」
なんだか話し方もどことなく周太と似ている。
可愛くて可笑しくて英二は微笑んだ。
「大丈夫だよ?じゃあね、近くにベーカリーカフェがあるだろ?そこで待ってて、仕度したら行くから」
「あ、そこなら知ってる。ごめんね?…ありがとう、宮田くん」
「気にしないでよ?じゃ、あとでね」
携帯を閉じて英二が振り向くと、周太は部屋着のシャツから着替えを済ませていた。
あわいブルーとボルドーのボーダーニットに、キャメルベージュのスリムカーゴパンツを合わせてある。
どちらも英二が選んで周太に贈った服だった。
あわい綺麗な色が映えて可愛い、長めの袖もいいなと微笑んで英二は周太の頬にキスをした。
「かわいい周太、似合ってるよ?服、着てくれてうれしいな」
「ん、ありがとう…あの、カラオケ、ごめんね?英二」
「どうして周太が謝るんだ?」
英二も白シャツを寮から着てきたボルドーのニットに着替えながら周太を振向いた。
振向いた先で周太は英二の方を見ないで、ダッフルコートを抱えこんでいる。
「ん、…英二に逢いに来たのに、美代さんとね、約束しちゃったし…」
「気にしなくていいのに?だって2人とも、会いたかったんだろ?」
「ん、そう。本の話とかもしたくて…それに美代さん、昨日の電話とか、哀しそうで…」
きちんと話しながらも周太は英二の方へは顔をあげない。
こんなふうに周太は英二が着替えているとき、いつも視線を逸らしている。けれど3か月半前までは違っていた。
こんな初々しい様子もかわいいなと思いながら英二はチャコールグレーのカラージーンズに外していたベルトを通した。
「はい、周太?お待たせ、着替え終わったよ。行こうか?」
ブラックミリタリージャケットを羽織りながら英二は周太に笑いかけた。
そして周太の右掌を左手にくるんでジャケットのポケットに入れると、扉を開いて出掛けた。
「ほら、周太?マフラーちゃんと巻こう?」
「ん、ありがとう…なんかね、上手に巻けないんだ、俺」
「周太、ほかは器用なのにな?でもそういうの、かわいいよ」
雪道を話しながら歩いてカフェに入ると、窓際の席で美代はマグカップを前に本を読んでいた。
美代を見つけると周太は、気恥ずかしげに笑いかけた。
「美代さん、こんばんは…それ、あのテキストだよね?」
「あ、こんばんは湯原くん。そう、話していたやつよ?よかったら貸してあげようと思って。読むかな?」
「ん。読んでみたいな、借りていいの?」
「嫌なら言わないよ?はい、これ袋も良かったら使ってね」
さっそくソファに並んで座るとテキストの話で盛り上がり始めた。
周太がこんなふうに話すのは英二は他で見たことが無い。
よほど波長が合うのだろう、楽しそうな様子に英二は微笑んでカウンターへと行った。
そしてコーヒーとオレンジラテをトレイに載せてソファへ戻った。
「はい、周太?オレンジラテだよ」
「あ、ごめんね?英二、俺だけ座ってた…ごめんなさい」
「気にしない、お喋り楽しいんだろ?これ飲んだらさ、カラオケ行こうか?ね、美代さん」
コーヒーを飲みながら笑いかけると美代が笑ってくれた。
きれいな明るい瞳で笑いながら英二に頷いてくれた。
「うん、ありがとう…ごめんね、お邪魔しちゃって」
「いいよ?あとでまた周太とのんびりするし、」
いつもどおり美代はきれいなあかるい瞳をしている。
けれど国村に怒っていると聴いている、きっと美代の明るい性格の通りに怒り方も明るいのだろう。
でもどんな曲を歌うのかな?ちょっと楽しみだなと思いながら英二はコーヒーを飲んでいた。
19時半ごろ店を出て歩きかけると、携帯が振動して英二はポケットから取り出してみた。
たぶんそうかなと思って開くと、想った通りの送信名だった。
楽しそうに話しながら並んで歩いている周太と美代を見ながら英二は、携帯を開いた。
「はい、おつかれ?」
ちょっと笑って声を掛けると、電話の向こうでも笑った気配がする。
きっと自分の今の状況が可笑しいのだろうな、そう思っていると国村が口を開いた。
「おつかれ、宮田。今って河辺駅の近くだろ?」
「うん、よくわかるね?たぶん国村が思ってるカラオケ屋に今、行くとこだよ」
「あー、やっぱり美代怒ってるんだ、困ったなあ、ねえ?」
からり笑っている電話の向こうで登山靴が雪を踏む音が聞こえる。
たぶんもう近くに国村もいるのだろう、英二は笑った。
「もう近くにいるんだろ?これから店はいるよ、」
「おう、いま入口にいるのって、宮田だろ?」
言われて振り返った視線の先に、白いミリタリーマウンテンコート姿が雪道に現れた。
底抜けに明るい目で笑いながら携帯を閉じると、英二の横へ国村は並んだ。
「もう、ふたりは店の中か?」
「うん、いま受付中かな。ほら、行くぞ、」
「あーあ、怖いねえ、困ったなあ」
からり笑って国村は英二と一緒に自動ドアを通った。
そして美代と周太の後ろに立つと飄々と声を掛けた。
「おつかれさん、ふたりとも。美代、昨日は天気予報、見てた?」
国村の声に2人が振向いて国村を見上げた、そんな様子がなんだか可愛い。
可愛いなと微笑んだ視線の先で、美代が明るく笑って口を開いた。
「おつかれさま、見たけど?ね、湯原くん行こ、早く歌おう?」
「ん?…まって、美代さん…国村、おつかれさま?…あ、えいじ、」
美代にダッフルコートの袖を掴まれて周太は連れて行かれてしまった。
きっといま周太は困っているだろうな?連れ去られた婚約者を気遣いながら英二も歩き出した。
横を見ると国村は飄々と笑いながら英二に言った。
「やっぱり美代、雪崩に勘づいちゃってるね。あーあ、困ったなあ、めんどくさいなあ」
怖いなあと言いながら愉しげに国村は笑っている。
ちょっと呆れながら英二も笑ってしまった。
「おまえさ、ほんとうは困っていないだろ?」
「うん、まあね。さ、宮田?今から俺がどうするか、おまえなら言わなくても解っているよな?」
ふたりが入った部屋の番号を目視確認すると、底抜けに明るい目が愉しげに英二を見た。
さっきここまで歩いてくるとき、非常階段があるのを英二は確認している。
そして国村は武蔵野署の射撃訓練が「めんどくさいな」の時はどこへ逃亡するのか?
仕方ないなと笑って英二は答えた。
「ちょっと2人に声かけてくるよ?そしたらさ、屋上につきあってやるな」
英二の答えに満足げに細い目が笑った。
笑った口もとを愉しげに開いて国村は急かし始めた。
「5秒で済ませろよ?俺は早く高上りしたいんだ、ほら、1、」
「うん、すぐ済むよ?」
そんなふうに急かされ英二は美代と周太に声を掛けてから、国村と屋上へ向かった。
非常階段を上って扉を開けると、冬の夜の冷気が頬を撫でて吹き抜けていく。
屋上に積もった雪を踏んで鉄柵まで行くと凭れて国村は笑った。
「さて、お姫さまたちの気が済むまでさ、ここで俺たちはデートだね」
底抜けに明るい目は愉しげに夜空を見上げている。
英二も見上げてみると透明な紺青の天球いっぱいに星々が煌めいていた。
後で周太にも見せてあげたいな?いまカラオケを聴かされている婚約者を思いながら英二は微笑んだ。
「星きれいだな、明日も天気良いかな?でもすこし湿気があるな」
「だね。ま、明け方に雪が少し降るかもな」
凭れた鉄柵の冷たさが体温で温められていく。
その温もりを感じながら英二は、周太を追いつめて国村に銃口を向けさせたことを詫びたいと思った。
英二はある意味、自分の体については頓着が少ない。だから国村から「既成事実」で脅かされた話も周太にしてしまった。
それに周太がどれだけ衝撃を受けるのか、その度合いを測り間違えてしまった。その所為で周太を強硬手段に追い込んでしまった。
そんな自分の判断ミスを謝りたい。星ふる夜空を見上げながら英二は、ふっと口を開いた。
「ごめんな、周太のこと。俺の所為だ」
「うん?まあ、そうだね。おまえの所為だな、反省しろよ?」
さらりと肯定して国村は笑った。
こんなふうに軽やかに受け留める国村の大らかな優しさが英二は好きだ。
うれしいなと思いながら英二は言葉を続けた。
「うん、…俺さ、俺の体のことで、あんなに周太が考えてくれるって思っていなかった。
だから周太に国村の『既成事実』の話をしたんだ、あんなに周太を追いつめるなんてさ、俺、解らなかった。
周太と出会うまではね、俺は、色んな人間に体を触らせては捨てられてきた。
だから俺、周太が俺の体のことをね、あんなに真剣に考えてくれて…驚いた。そしてさ、うれしかったよ」
「だろね?おまえはさ、そうだろな」
底抜けに明るい目で英二を見て国村が明るく笑ってくれる。
笑いながら温かく目を細ませて言葉を続けてくれた。
「ほんとは、おまえさ?体を使って愉しんでも良いと思ってるだろ?」
「うん、そうだな。その通りだよ、国村。今は俺もう、周太しか欲しくないからさ、他に興味が無いだけだ。
でも正直言うとね、国村?おまえが最高に楽しめるんじゃないって言ったときはさ、ほんとは興味がわいたよ?」
素直に英二は笑って答えた。
そうだろね?と目で笑って国村は続けた。
「よし。さすがに正直だね、宮田はさ?
ま、そんなふうに俺たちはさ、体を愉しんで良いって考えるよな?
でもそういう考えばかりじゃないよ。で、湯原は性格も純粋で清純だろ、そのうえ心が10歳のままだ。
さ、考えな?自分が10歳の時どうだった、気持ちイイからって理由だけでヤれた?エロ本を罪悪感なく読めたか?」
「うん…できなかったな、きっと」
ため息交じりに英二は答えてすこし微笑んだ。
自分の配慮が足りていなかった、そんな後悔を繰り返さない為の方法を考えこんでしまう。
そんな英二に国村は温かく目を細めながら言ってくれた。
「ただでさえ湯原は純粋すぎてさ、『愉しみごとの男の興味』だとかは通じないね。
で、さ?『山ヤの誇りと登る自由を懸けた代償要求』なんてね?山ヤでもない湯原には解らないだろ?
だから俺はね、美代にも話さないんだよ。聴かなくていい事、踏み込むべきではない領域があるってことだ。
おまえのバカ正直とクソ真面目はさ、俺も好きだよ。でもな、宮田?時と場合によってはさ、それが傷付けることもある」
「そうだよな。俺ってさ、ほんと解ってなかったな…ごめん、国村」
解らない世界はどうしてもお互いに出てくるだろう、それは違う人間である以上当然のことだ。
本当にいう通りだ、英二は心から頭を下げた。そんな英二に笑って国村は唇の端をあげた。
「ほんと悪いよ宮田?まったくさ、おまえって賢いのに時々バカだよな。
でも銃を構えた湯原、ほんと、かっこよくて美人だったよ。見惚れたね、俺は。
あれは眼福だったな。やっぱり俺、湯原って好きだね。おまえがバカなお蔭でイイもん見れたよ、ありがとな」
俺は全く気にしていない、おまえの気持ちも解っている。
そんなふうに国村は言ってくれている、そういう気持ちが英二は嬉しかった。
「そんなふうに礼を言われるとは、思わなかったよ?でも、ほんとにさ、ありがとな。国村」
「言ったろ?かわいい子がストイックなのはね、色っぽくて俺は好きだね」
誇り高い国村、けれど自分に銃口を向けた周太を許して受けとめてくれる。
国村は自分の誇りを懸けても英二と共に周太を守ることを決めている、だから全て受けとめるつもりでいてくれる。
うれしいなとおもいながら英二は、もうひとつ確認しておきたくて笑って口を開いた。
「なあ、国村?あのとき俺の体を要求したのはさ、俺たち山ヤにとって体は山を登るために大切だからだろ?
だから、おまえの山ヤの誇りを裏切る代償としてさ、俺の山ヤの体を要求したんだよな?
そうやってさ、おまえの山ヤの誇りを守ることをパートナーの俺に協力してほしかったんだろ?違うかな?」
「そうだよ?さすがだね、宮田。よく解っているじゃないか」
満足げに底抜けに明るい目を笑ませて国村は愉しげに笑った。
やっぱり想った通りだったな?すこし微笑んで英二は言葉を続けた。
「うん。それくらい俺たちにはさ、誇りと信頼は大切だから。
俺はね、そんな国村の誇り高さも軽やかな覚悟も本当に好きだよ、そして感謝している。
おまえが誇りを懸けて俺と一緒に周太を守ってくれている、それがね、ほんと嬉しいんだ。
そういう誇り高い国村がさ、軽い気持ちでアンザイレンパートナーの俺に誘いを掛けたりしない。
だから俺はね、国村?おまえの誇りが守れるならさ、俺の体を使っても別にいいかなって本当は想ったよ」
白いミリタリーマウンテンコートが夜風と翻っていく。
雪の屋上で星に目を細めながら国村は底抜けに明るい目で英二を見ている。
もっと言いたいことあるんだろ?そんなふうに眺めて笑ってくれた。英二も笑って口を開いた。
「でも周太が泣いてくれたんだ。周太は本当に心を見つめて愛してくれている。
そしてさ、心を大切にするように体まで大切に想ってくれている。それはさ、俺には考えられない幸せをくれてるよ?
それを国村は俺以上に解ってくれている。だからさ、おまえ周太のお願いをさ、きちんと聞き入れてくれたんだろ?」
「うん、そうだよ?俺はね、無理強いはしないって湯原に約束したよ。だから安心しな、寝込み襲ったりはしないからね」
底抜けに明るい目を温かく笑ませて言ってくれる。
信じていた通りがうれしくて英二は笑った、そしてまた素直に友人へ謝った。
「ありがとうな、国村。本当に、
今回のこと俺が悪かった。周太の想いを解ってやれなかった俺の甘さが責任だ。ごめん、国村」
率直に英二は頭を下げた。
自分の婚約者の想いもきちんと計りきれなかった。
そんな自分は本当に足りなくて、婚約者もろとも大切な友達まで追い詰めてしまった。
呆れられても仕方ない、そんな想いの英二に国村は唇の端をあげてみせた。
「で、宮田?おまえはさ、どう俺に詫びてくれるつもりなんだ?」
当然、英二も償いをするつもりでいる。
アンザイレンパートナーを仮初でも危険に追い込んだ自分は償わなくては気が済まない。
すこし微笑んで英二は並んで笑っている細い目を真直ぐ見つめた。
「国村の気が済むようにしてほしい、何でも言ってくれ」
「ふうん、何でもいいんだ?」
何言われても仕方ない、そっと英二は覚悟を決めた。
そんな英二を見て愉しげに目を細めると国村は可笑しそうに笑った。
「じゃあさ、宮田?おまえから望んで俺にその体、差し出せよ」
「…は、?」
英二の目が大きくなった。
いまさっき体の件は周太のことで「ばかだよな」とダメだしされたばかりだ。
どういうことだろう?よく解らなくて見つめる英二に国村は笑って教えてくれた。
「だからな?おまえが無理やりにヤられるのがさ、湯原は許せないんだよ。
だからさ、おまえが自分から俺と抱き合っちゃうことを望むんならね、やっても良いんだってさ。どうする?」
「あ、そういうことか、」
思わず英二も笑ってしまった。
英二が望むなら。そんなふうに周太はいつも英二のことを優先してしまう。
もう婚約者なのだから、もっと独占欲を持ってくれても良いのに?それが少し寂しくて、でも周太らしくて可愛い。
そんなふうに一緒に笑いながら国村はなおさら愉しげに言ってくる。
「さあ、宮田?最高の快楽ってやつもね、この俺と初体験したくなったらさ。
その時は遠慮なく言えよ?別嬪でエロいのは大好きだからさ、おまえなら大歓迎だ。
愉しみにしていてやるよ。あとアンザイレンパートナーは一生続けろよ。ま、俺からの要求はそんなとこかな?」
からっと言って笑い飛ばすと国村は膝で英二の太股を軽く蹴った。
すこし荒っぽいけれど解りやすくて安心が出来る、英二は心から笑った。
「うん、わかったよ。国村?ありがとう、アンザイレンパートナー一生やるよ?」
「よし。よろしくな」
笑った向こうには透明な紺青にうかぶ星が瞬いている。
足元に踏む雪が星明りに浮かんでほの明るい屋上から、奥多摩の山が雪に浮かんで見えた。
吹きぬけていく風は冷たいけれど、清々しい大気の流れと同じ想いに英二はきれいに笑った。
(to be continued)
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第33話 雪火act.6―side story「陽はまた昇る」
かすかな午睡にまどろんで英二は目を覚ました。
窓からふる今日最後の陽光が、透明な朱色ゆるやかに白いベッドカバーを染めていく。
きっと17時前だろう。ベッドサイドへ長い腕を伸ばしてクライマーウォッチをとると、予想通りで微笑んだ。
抱きしめている懐には温かな鼓動と穏やかな寝息がやさしい、微笑んで英二は寝顔を覗きこんだ。
なめらかな周太の頬には涙のあとがある、けれどかすかに紅潮した頬は微笑んで幸せそうに眠っている。
幸せそうな微笑はきっといい夢を見てくれている、やわらかに微笑んで英二は見つめた。
―…ごめんね、周太…俺の所為で、泣かせちゃったね?
今日、周太は弾道の鑑識実験で国村と射手を務めた。
そしてザイル狙撃の銃座で国村と2人になった時、国村に向けて威嚇発砲をした。
威嚇発砲の理由は、英二の意思に反する体の関係を国村が強要しないことを約束させる為だった。
その発端は富士山の遭難救助で国村が受傷したことだった。
遭難救助中に発生した雪崩で国村は受傷した、けれど雪に埋没したことで怪我は治癒されていた。
けれど生粋の山ヤとして誇り高い国村は「山」に怪我を負わされたことを恥じ、人に知られることを拒んだ。
だから国村は自分の山ヤの誇りをかけて英二に黙秘を望んだ。
そして、もし黙秘を破れば裏切りの代償として英二の体を奪う宣言をした。
そんなふうに国村は英二への絶対的信頼と自分の誇りを示した、それは我儘なほど誇り高らかに自由で愉快でまぶしかった。
そういう国村の誇り高さが英二は好きだ。
最高のクライマーの素質まぶしい国村は、最高の山ヤにふさわしく誰より誇り高い。
そうした誇らかな山ヤの自由に生きる国村は、物事に捉われず明るい怜悧な目で真直ぐ見つめて的確に判断ができる。
そんな国村は人当たりは良くても本当は直情的で熱が高いだけ誇りも高く、心から相手を信頼することは難しい。
だから国村は自分とよく似た英二を生涯のアンザイレンパートナーに選び、世界の高峰を踏破する夢を懸けて友人になった。
そういう国村は英二にとっても似ているだけ理解できる、そして国村も英二の全てを理解し笑わせてくれる。
そんなふうに国村は英二の最高の友人でアンザイレンパートナーでいてくれる。
そんな国村の誇り高さは英二は本当に好きだ、山ヤとして憧れ友として楽しい。
最高の山ヤの誇りのままに、ずっと誇らかな山ヤの自由に国村には生きてほしい。
この国村の自由を守るためにも英二は、自分が最高のレスキューとして共に最高峰へ登ろうと決めた。
どんな山の状況でも国村を支えて必ず無事に登頂させる、そして必ず無事に一緒に帰るために最善を尽くしたい。
だから英二は本当は、国村の誇り高い心が癒されるなら体くらい構わないとも思っていた。
英二はずっと外見ばかり見られて求められてきた。
だから体の関係なんて忘れたほど多くの相手と重ねてしまってきた。
その場を楽しませて満足させてやればいい、そんな刹那でも自分が「必要」とされることが少しだけ嬉しかった。
上辺だけ外見だけのことは全てが虚しくて、寂しくて哀しくなるだけだった。
それでも孤独が刹那でも忘れられるなら構わない、そう思って求められるままに体を提供していた。
けれど英二は周太に出会った。
周太だけが真直ぐに英二の目を見つめて、素顔の英二を見つめてくれた。
そして英二も周太の素顔を見つめてしまった、見つめた周太の痛みと一途な想いと純粋無垢な心に恋をした。
初めて自分から恋をして、求めて、全てを周太に捧げてしまいたいと願ってしまった。
だからもう体も周太だけにしか与えないと英二は決めて、他には欠片も与えなくなった。
国村も英二の大切な存在になった。
最高の友人で唯ひとりの生涯のアンザイレンパートナー。
似た者同士の親友は互いに誰より理解し合うことが出来る、いちばん気楽で、いちばん援けあえる相手。
そんなふうに国村と互いに大切になっている、それは周太への想いとは全く違う。
周太のことは全てが欲しい、誰にも欠片も渡したくない。周太の全てを自分だけが独占していたい。
だから周太が誰かに笑いかければ嫉妬する、自分だけ見つめて欲しいなと想ってしまう。
けれど国村にはそうは想わない。
ずっと横に立って一緒に笑って山に登り生きていけたらいいと思う。
でも全てを独占したいとは想ったことが無いし、自分だけ見つめて欲しいとも思わない。
これは国村も全く同じように考えていると英二には解る。
これも国村と英二が同じだと解るのは、心と体はある意味で別ごとだと考えていることだった。
国村は美代を恋し愛して「特別な存在」として大切にしていても、裏切りの代償とはいえ英二に体を要求できる。
それは美代と英二は全く違うけれど大切で「特別な存在」だからこその国村の言動だろう。
美代に対しては恋愛と伴侶としての繋がりで求めている。
そして英二に対しては信頼と夢の相方として、男として生きる愉しみを共にする相手でいる。
そういう男っぽい国村の考え方は英二にはよく解る。
だから国村が「最高に楽しめるんじゃない?」と誘ったことも英二には面白かった。
いわゆる体の愉しみごとに男として興味がある、その程度は男だったら嗜み的に考えることも珍しくない。
それでも国村にとっては相手は誰でもいいわけじゃない。誇り高い国村はそんな安手ではないことを英二は知っている。
まして国村には美代がいる、そして周太のことも大好きで大切に想っている。
だから国村だって簡単な気持ちで誘いをかけたわけじゃない。
国村は大切な「山」に懸けた自分の誇りを守ることを、唯ひとり山の相方である英二にも協力してほしかった。
いちばんの友人で大切な「山」の唯ひとりのパートナーだからこそ国村は、傷つけられた誇りも全て英二に曝け出して見せた。
そうして傷つけられた誇りを見せた以上は、誇りを守るための協力を体を使ってでも求めたい。
なぜなら山ヤにとって自分の体は「山を登る自由」を得るため大切にしたい、だから英二は国村が受傷した時は真剣に処置をした。
そうした「山を登る自由」のための山ヤの体だからこそ、国村は自分の山ヤの誇りを裏切る代償として英二に体を要求した。
そういう国村の気持ちが英二にはよく解る、それくらい自分たちには誇りと信頼は大切だから。
国村は「山」が一番大切なもの。
だからアンザイレンパートナーである英二も唯一に大切にしている。
だからこそ国村は周太の危険に立つ英二を放っておくことが出来ない。
まして国村は周太自身も大切に想っている、だから国村は英二も周太も守ることを決めてしまった。
きっと夏が来て本配属になれば周太の危険な運命が動き出す、国村にも危険を分けてしまう事になる。
けれどほんとうは国村は「山」だけに生きるべき最高のクライマー、そのことを英二はよく解っている。
それでも国村は自分の誇らかな自由を懸けて、英二と共に立つことを選んでくれた。
そんな国村の誇り高さも軽やかな覚悟も本当に好きだ、そして感謝している。
だから国村の誇りが守れるなら、自分の体を使ってもいいと想っていた。
それに男の本音を言えば「イイ条件が揃い過ぎだよ?たぶん最高に楽しめるだろうな、もう癖になるくらいにね」
と、国村が笑って言っていた。これがどんなものなのか興味もちょっとあった。
もう自分は周太のものだから、心が伴わない「体だけ」のことはするつもりが無い。
けれど相手が国村だと単なる「体だけ」では無い、それは国村も同じ考えでいるだろう。
もう自分は全てを周太に捧げた、けれど周太と国村と両方を守れるなら、体くらい使っても良いかなと想っていた。
そんなふうに英二はある意味、自分の体については頓着が少なかった。
だから周太に国村から「既成事実」で脅かされた話もしてしまった。
それは周太がどれだけ衝撃を受けるのか、その度合いを測り間違えてしまった所為だった。
「まったくダメだね?ほんとバカだよ、この男はさ」
そう言って国村は英二の額を小突いて笑いながら諌めてくれた。
たしかに国村は英二に裏切りの代償には体を要求した、けれど英二が周太に話すとは国村も思わなかった。
周太は自分たちと同じ23歳の男だけれど、心は10歳のまま純粋無垢な周太には「愉しみごとの男の興味」など通用しない。
そして生粋の山ヤである国村独特の、山ヤの「誇り」と「山に登る自由」を懸けた代償要求だとは、山ヤでもない周太には解らない。
そのことを解っているようで英二には解っていなかった。
「たった一度だけの想いなんだよ、ほんとうにね、おまえしか見つめていないんだ。
だからさ?少しだって傷つけたくないんだ、一番きれいにしておきたいんだよ、おまえのこと」
そんなふうに国村は英二に周太の気持ちを教えてくれた。
そういう周太を国村は大好きでいる、だから国村は周太を傷つけたくはない。
だから国村は周太をエロトークでいつも転がしていても、本当に英二と関係を持つなら当然にそれは黙秘する。
そんな国村は美代に対しても「愉しみごと」は黙秘している、だから英二も周太に黙秘すると当然に思っていた。
それを英二は、そこまで深く考えずに周太に話してしまった。
そして周太を追いつめて、泣かせるような事になってしまった。
―まもりたかった 英二のこと 傷ついてほしくない きれいでいて?
周太が全てを懸けて英二を守ろうとしたこと。
そこまで周太が英二を想って行動してくれたことが、英二には驚きで、心から嬉しかった。
たかが自分の体だと英二は想っていた。
ずっとただ外見だけ求められて体を使われて「用無し」になれば捨てられてきたから。
それを周太は全てを懸けてまで守るほど、心から大切に想ってくれた。
こんなふうに誰かが自分の体を心から大切に想ってくれる、そんなことを英二は考えたことが無かった。
―…ね、周太?どうしてそんなにね、俺のこと想ってくれる?
俺なんて、いろんな人間に体を触られてきたんだよ…俺は周太みたいには、きれいな体じゃない
それなのに周太は、あんなふうに言ってくれるんだね…傷ついてほしくない、きれいでいて、って
自分の腕のなかで眠っている、やさしい純粋無垢なひと。
きっと今朝沢山の約束をくれたのは、国村に銃口を向ける覚悟をしていたから。
最後になるかもしれないと、きっと形見の様に幸せな約束を贈ってくれていた。
純粋無垢なままに強く真直ぐ立って生きている、ほんとうに美しい、きれいな周太。
そんな心のままに周太は英二を真直ぐに愛してくれている。
「俺に拳銃を向けた湯原はさ、かっこよくて、きれいで見惚れたよ?おまえへの想いがあふれてた」
そう笑って国村は教えてくれた。
ほんとうに今こうして見惚れてしまう、そして幸せだと心から想える。
外見ばかり体ばかり求められてきた自分、けれど周太は心を見つめて恋して愛してくれた。
そして心を大切にするように体まで大切にしてくれた、それは自分には考えられない幸せだった。
―ね、周太?ほんとうにね、うれしいよ…ありがとう
ねむる周太を見つめる英二の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。
ずっと自分が周太を守っていると想っていた、けれど、ほんとうに守られているのはどちらだろう?
ねむりにつく前から繋いだままの自分の左手と周太の右掌。
すこしちいさな周太の掌、この右掌でほんとうは嫌いな拳銃をとって、英二を守ろうとしてくれた。
「…ありがとう、周太。愛してる、」
きれいに笑って英二は周太の右掌にくちづけて、そっと髪をかきあげ額にキスをした。
キスをして、しあわせにあふれる涙がこぼれて、しずかに周太の瞳に自分の涙がふりかかるのを見つめた。
そして長い睫がかすかにふるえて、ゆっくり黒目がちの瞳が披いてくれた。
「ん、…えいじ…おはよう、英二?…」
きれいな笑顔が英二を見つめてくれる。
うれしくて幸せで英二は笑いかけた。
「おはよう、周太?俺の花嫁さん、…ほんとに周太、きれいだね?」
見つめる想いの真ん中で、きれいな気恥ずかしげな笑顔がひとつ咲いた。
そんな初々しい笑顔が英二は好きだ、うれしくて英二は笑いかけた。
「恥ずかしがりだね、周太は。でも、そういうとこ俺、ほんと好き。かわいい周太、愛してるよ」
幸せに笑って英二は周太にキスをした。
キスをして見つめて、瞳を覗きこんで英二は笑いかけた。
「周太、具合どう?辛いとことか痛いところ、ある?」
「ううん、だいじょうぶ。ありがとう、英二…眠れたから、楽だよ?」
返事しながら微笑んでくれる顔が幸せそうで、元気そうでいる。
心も体も楽にしてあげられたかな?うれしくて英二は笑って訊いてみた。
「よかった、周太が元気でうれしいよ。周太、もうすこし眠りたい?それとも風呂入る?」
「ん、ふろ入るね…それで、コーヒー淹れてあげる」
「周太のコーヒー嬉しいな。じゃあ、周太。おかえしにね、抱っこしてあげるよ」
言いながら英二は周太をシャツでくるみこんだ。
そのまま抱きあげて歩きながら、英二は額をくっつけて笑いかけた。
「ね、周太?また一緒に風呂はいったら、嫌?」
言われて気恥ずかしげに頬が紅潮していく。
それでも周太はそっと言葉を押し出してくれた。
「…きょうは、いいよ?…」
限定つき解除、それでも充分うれしい。
きょうと昨夜の周太は大きく心を揺らされた、そして不安や涙のはざまで覚悟をしてくれた。
そんな周太は不器用で23歳として幼すぎるだろう、けれど純粋無垢な美しさは誰が否定できるだろう?
そしていまきっと周太は英二の腕に心から安らいで、ふろでも一緒にいることを頷いてくれた。
腕に感じる周太の安らぎが心から嬉しい、英二は幸せに笑って浴室の扉を開けた。
ふろと着替えを済ませると周太はコーヒーを淹れてくれた。
いつものように芳ばしい湯気がゆるやかに部屋を充たしていく。
ゆっくり湯がフィルターを透っていく音がやさしい、その音を英二は周太の肩越しに聴いていた。
そんな英二に遠慮がちに周太が振向いた。
「あのね、英二?…台所のことしている時はね、あぶないから…すこし離れていて?ね、年明けに家でも、お願いしたよね?」
「うん?周太、ここは台所じゃないよ?火も無いし包丁だって使っていない。問題ないよね、周太?」
「でも、お湯は熱いよ?…あぶないと思う」
ほんとうは周太は気恥ずかしくて仕方ない。
だから緊張して英二に見られることを避けたくて「お願い」しようとしている。
そんなこと解っているけれど、英二は傍にいたくていつも解らないフリをしてしまう。
離れたくないよ?そう目で言いながら英二は淹れ終わったマグカップを持った。
「ほら、周太?もうコーヒー出来たよ。ありがとう、周太」
「あ、…はい、」
「かわいいね、周太は。ほら、座ろう?」
笑ってソファに落ち着くとコーヒーを飲みながら、買ってきておいた食事をひろげた。
のんびり早めの夕食を摂りながら、英二は富士山の話を始めた。
「吉田大沢ってところがあるんだ。そこはね、今の時期は雪上訓練にちょうどいいんだよ?
でも雪崩には気をつけないといけない場所だ、特に今は表層雪崩が多いからね。昨日の朝も、そこで雪崩が起きた」
「ん、…エリアニュースで俺も、見たよ」
ふっと黙り込んだ周太の顔を覗きこんで英二は笑った。
そんなふうに沈まないで?そっとキスをしてまた英二は口を開いた。
「あのときはね、もう下山する寸前だった。で、山小屋のおやじさんに挨拶に行ったんだ。
そしたらね、ちょうど遭難救助の要請電話をおやじさん、受けている最中だった。
あの状況ではね、周太?おやじさん1人に行かせたら、二次遭難の可能性が高かった。
それに何よりもね、俺も国村も山岳救助隊員として放り出せなかったんだ。そして山ヤの誇りに懸けて救けたかった」
「ん、…山ヤさんのね、そういうの、お父さんから聴いてる…相互扶助っていうんでしょ?」
「そうだよ、周太。もうあのときはね、雪崩が起きるカウントダウンだった。
そして救助者の人がいるところは、雪崩が起きたら風に巻きこまれるポイントだったんだ。
だからすぐに行って救けなきゃいけなかったんだ。雪と風が強かった、ホワイトアウトも起こしかけていた。
それでね周太?俺たちは初めてきちんとアンザイレンを組んだんだ。そのお蔭で国村を救けることが出来たんだよ」
アンザイレンパートナーを組めば、万が一のとき相手の体を支えなくてはいけない。腕一本で2人の体重を支える可能性もある。
その為には互いに同じくらいの体格と体重、そして同等の力量が求められる。
だから体格が大きい英二と国村は簡単には自分のパートナーを選べない、まして最高の力量を持つ国村は尚更だった。
そんな国村は英二の力量について将来性を信じてくれている、その英二の力を引き出すために国村自身が指導してくれる。
そういう自分と国村は富士山で初めてアンザイレンを組んだ。その時を思い出しながら英二は微笑んだ。
「救助者を俺が背負っていた、それで国村はね、俺をザイル確保してくれていた。
そこへ雪崩でおきる強い風が吹き始めた。すぐピッケルを使って雪と風に体を支えたんだ。
けれど飛ばされた雪の塊が国村に直撃したんだ、そして国村はピッケルごと飛ばされた。それぐらい強い風だった。
でもアンザイレンザイルと確保用のザイルで俺と繋がれていたから、あいつは滑落しないで済んだ。
そして俺もね、周太?あいつを救けたくってさ、だから自分は飛ばされないぞって頑張れた。周太のこと想いながらね」
「…俺のこと?」
オレンジのデニッシュを食べかけて周太は英二を見あげた。
その口もとにかけらが付いているのを気がついて、英二はキスでとって微笑んだ。
「そうだよ、周太。あの時の俺はね、周太の笑顔をずっと見つめていた。
真っ白な視界のなかでさ、ピッケルを握りしめる自分の手を見つめながらね、心はずっと周太のことを見つめていたんだ。
そうやって俺はね、周太?絶対に帰るために耐えろって自分を応援したんだ。周太の笑顔の隣に帰りたい、それだけだったよ」
「…俺のこと、忘れないでいてくれた?」
見あげた黒目がちの瞳が英二を見つめてくれる。
きれいに笑って英二は周太の額にキスをした。
「もちろんだよ、周太?俺はね、いつだって周太のことばっかりだ。
山小屋でも、頂上でだって、周太のことばかり考えてた。それで国村にね、『おまえ嫁さんのことばっかりだなあ』って笑われた」
「頂上でも?…山小屋でも、…いつも?」
見つめる黒目がちの瞳がすこし水の紗に揺れている。
泣いてしまうのかな?そんな瞳が愛しくて英二は見つめて微笑んだ。
「そうだよ周太、最高峰の頂上で周太を想った。
山小屋の夜にも周太のこと想って、周太のことばっかり話したよ?
俺はね、周太?最高峰にいても、夜も昼も朝も、ずっと周太のことばっかりだったんだ。
周太が贈ってくれたクライマーウォッチを見つめてね、周太は何しているかなあってさ?つい、考えてた。周太ばっかりだ」
「頂上で…夜も昼も朝も、…うれしい、な」
黒目がちの瞳が微笑んでくれた。
微笑んで涙がこぼれて、きれいな幸せに笑ってくれた。
そして見上げた英二の頬にそっと掌を添えて、やさしいキスを重ねてくれた。
やわらかな温もりとオレンジの香がふれて、あまやかな幸せが心にふれおちる。
しずかに離れて周太は、きれいに笑った。
「英二…俺の想いを、最高峰に連れて行ってくれたね、…ありがとう」
最高峰へ連れて。
自分は最高峰に唯ひとりの人への想いを抱いて登った。
それをきちんと解って貰えて幸せで、英二は微笑んだ。
「うん、周太。ずっとね、周太の想いと俺、一緒にいたんだ。だから頑張れた、そしてね、見つめた世界は美しかったよ」
「日本の最高峰の、世界?」
「そうだよ、最高峰の世界。冬富士はね、エベレストと同じ気象状況なんだ。
山頂の気圧は標高4,000mって言われている。そうやって日本ではいちばんの最高峰に冬富士はなるんだ。
そこはね、周太?雪の白銀と、青空と。蒼い雲の翳だけの世界だった。とても静かで、世界は人間のものじゃないって解った」
一昨日の昼に見つめた、最高峰の世界。
熟練クライマーすら命を落とす冬富士が魅せる、雪の最高峰の荘厳な世界。
あの場所に自分はまた立ちたい、そんな思いがいまもう起き上がっている。
あんな雪崩に遭って大切な友人は生命の危険に晒された、それでもまた立ちたいと願ってしまう。
こんな自分は本当に懲りていない、それどころか魅せられてもう離れられないでいる。
けれどまた周太には心配をかけるのだろう、でも自分は立ってしまうだろう。
その許しが欲しくて英二は、周太の両掌をとると穏やかに唇をよせた。
「周太、俺はね?またあの場所に立ちに行きたい。周太の想いを抱いて、最高峰へまた立ちたい。
あの雪と空だけの世界に立つこと。きっとずっと、生きている限り望んでしまうと思う。
国村の為だけじゃなく、自分の望みとして、あの場所に生きたい。周太には心配をかける…でも、どうか許してほしい」
想いを告げる英二を真直ぐに周太は見つめてくれている。
黒目がちの瞳はもう、ひとつの勇気と意志と覚悟を映して微笑んでくれている。
こんな美しい瞳で周太は自分を見つめてくれている、幸せに笑って英二は言葉を続けた。
「周太、あらためて約束する。
最高峰から周太への想いをずっと告げ続けるよ、そして必ず無事に周太の隣へ帰る。
俺は笑って山へ登るよ、そして必ず周太の隣に帰る。そうして俺は周太にね、今みたいに山の話をするよ。
そうやって俺は山ヤとして生きたい、周太を守って、ずっと周太を幸せに笑わせて、ずっと周太の隣で生きていきたい」
どうかお願いを聴き届けてほしいよ?
そんな想いで見つめる真ん中で、美しい瞳がおだやかに笑ってくれる。
そして周太はきれいに笑って言ってくれた。
「はい、英二…ずっと俺の隣に帰ってきて?そして、山の話を聴かせて?
そして時々はね、俺も山へ連れて行って?英二が見る世界を俺も見に行きたいんだ…
最高峰とかは無理だろうけれど、でも、そのクライマーウォッチが俺の代わりに、英二の立つ世界を見てくれる。
だから一緒に連れて行って、俺のこと想いだして?…英二を信じて、ごはん作って待っているから、帰ってきて?
そしてずっと英二の隣で生きていたい、英二の帰る場所でいたい…それがきっとね、俺にとっていちばん幸せなんだ」
自分が見る世界を一緒に見ようとしてくれる。
こんなこと誰が今まで自分に言ってくれただろう?
この愛するひとは自分が大切にする想いを一緒に見つめて生きようとしてくれる。
今はまだ一緒に暮らせないけれど、でももう心は寄りそっている。幸せで英二はきれいに笑った。
「うん、…ありがとう、周太。ほんとにね、俺…うれしくて、幸せだよ」
うれしい、そして幸せで。
この幸せを自分は絶対に離さない、だから何があっても自分は周太を守る。
これから周太は失われた父親の想いと軌跡を見つめていく危険に立つ、それでも自分が守りきる。
そして周太の辿る道が終着を迎えた時にはもう、遠慮なく周太を自分の腕へと閉じ込めたい。
そのためには何だって出来る、冬富士の山頂に立ち雪崩からも無事に帰ったように。
そうしてアンザイレンパートナーを援けて遭難者も救ってきたように、自分はこの愛するひとを救っていく。
だからどうか頷いてほしいよ?英二は周太に願いを告げた。
「だから周太?絶対に俺から離れて行かないで?必ず俺には全てを話して、そして俺に周太を守らせて。絶対に、」
「…全てを、話すの?」
黒目がちの瞳がすこし不安に訊いた。
この不安の意味を自分は知っている、それでも一歩も譲るつもりは無い。
どうか自分を信じてすべて委ねて?きれいに笑って英二は周太に告げた。
「そうだよ、周太。今までも、これから先に起きることも、全て俺には話してほしい。
そうしたら周太が望むものはね、全て俺があげる。俺が周太を幸せにするよ?
周太が必要なものはね、全て俺が見つけて周太にあげるよ?だからすべて話して、そして俺に望んで?」
英二の長い指の掌のなかで、すこしちいさな掌が温かい。
ゆっくり瞬くと微笑んで周太は頷いてくれた。
「はい、…全て話します。だから英二…幸せにして?」
よかった。
約束がうれしくて英二は笑って、自分の掌にくるんだ愛するひとの両掌にキスをした。
「うん、周太。絶対に幸せにするよ?ほんとにね、…周太を、幸せにする。
今もね。ほら、このオレンジのサラダ、たぶん周太好みだよ?食べてみて、周太」
英二の言葉に周太も笑ってくれる。
笑って素直にフォークをサラダへとつけて口に運んでくれた。
「ん。おいしいね、英二?…白身の魚は鯛かな?ケッパーの塩味がいいよ?…英二も食べてみて?」
「うん。俺ね、いちおう試食してみたんだ。あ、やっぱり旨いね、」
「英二も気に入ったんだね、…こんど家でも真似してみる。だからね、英二、…また、玄関を開けて?」
この「玄関」は周太の実家の玄関のこと。
ふるくて温かな清々しい川崎の家、奥多摩の森を模した草木美しい庭のなかに佇んでいる。
この家が英二は好きだ、そして英二の持っている合鍵は周太の父の遺品を譲られたものだった。
そっと英二は自分の胸元にふれた、その指先にはシャツ越しに首から提げた合鍵がふれてくる。
周太の父の遺品である合鍵、そして書斎机の秘密の抽斗のただ一つの鍵は、英二の宝物になっている。
きっとこの鍵で自分は一生、あの玄関扉を開いていく。幸せに英二はきれいに笑った。
「うん、周太。また開けるよ?それで俺はね、周太に『お帰りなさい』って言いたい」
「ん。言って?…俺にね、ただいまを言わせてね?」
そんなふうに笑いあいながら食事を楽しんで、食後にまたコーヒーを淹れてふたりで飲んだ。
まだ19時過ぎの早い夜の時間をゆったり楽しんでいると、周太の携帯がきれいな曲を流した。
「…あ、美代さんから、」
携帯を開いて発信元を見た周太は、英二を見あげた。
美代は昨日、周太に気晴らしのカラオケに行きたいと言ったらしい。
たぶん美代は国村の雪崩の件に感づいたらしい、そんな美代は怒るとカラオケで解消する癖がある。
この電話出てもいいのかな?そんな顔で周太は英二を見あげてくれる。それがまた可愛くて英二は笑いかけた。
「ほら、周太?きっと美代さん、カラオケの話じゃないかな?早く出てあげなよ」
「ん、…いいの?」
「俺は大丈夫だよ?ただし、周太の体が辛くなければ、だよ。それでね、俺も一緒させてって言って?」
「ん、ありがとう、英二」
うれしそうに笑って周太は電話を繋いだ。
周太にとって美代は大好きな植物の話をお互いに遠慮なく楽しめる友達でいる。
そういう友達に周太は初めて出会った、そして美代は国村の幼馴染で恋人として周太と同じように「最高峰を待つ人」でいる。
そんな2人は似ている点も多くて気が合うらしい。それできっと美代は周太を相手に自分のストレス発散をしたくなったのだろう。
そんなところかな?そう思いながら見ている英二の視線の先で周太が電話越しに美代と話していた。
「ん、…いいよ?…そう、…よかった、喜ぶと思う…
あ、ん、…きっとね、来ると思うよ?…ん、わかるかな?あ、ちょっとまってね、替るから」
周太は携帯の送話口をそっと掌で抑え込んだ。
そして英二を見あげて携帯を差し出しながら、ちいさな声で英二に話した。
「あのね、英二?カラオケの場所、聴いてくれる?」
「うん、周太。解ったよ、ちょっと携帯借りるな?」
笑って答えながら英二は周太の携帯を受けとった。
受けとった携帯を当てて英二は話し始めた。
「こんばんは、美代さん。俺まで一緒して、大丈夫?」
「宮田くん、こんばんは。こっちこそ、ごめんなさい…せっかく二人でいるのに、邪魔しちゃう、ね?」
「いや、気にしないで良いよ?さっきもね、いっぱい周太を見つめて充たされているからさ。場所、どこ?」
「うん、…ごめんね、宮田くん?でも、甘えちゃうね?場所はね、河辺駅の近くなんだけど…」
気恥ずかしげで遠慮がちな雰囲気が周太と似ている。
いま美代はどうしても、気の合う周太と会って話してカラオケで発散したいのだろう。
その事情を知っているだけに英二は頷かざるを得ない、それに英二自身も美代を好きだった。
あの国村の山の峻厳と男論理で構築されたルールに、女の子でついていくのは大変だろうな?
それだけでも尊敬に値すると思いながら英二は微笑んだ。
「ああ、そこら辺なら解るよ。大丈夫。何時にどこで待ち合わせる?」
「うん、…もうね、河辺駅にいるの。ごめんね?湯原くんとお喋り、どうしてもしたくて、…来ちゃいました」
なんだか話し方もどことなく周太と似ている。
可愛くて可笑しくて英二は微笑んだ。
「大丈夫だよ?じゃあね、近くにベーカリーカフェがあるだろ?そこで待ってて、仕度したら行くから」
「あ、そこなら知ってる。ごめんね?…ありがとう、宮田くん」
「気にしないでよ?じゃ、あとでね」
携帯を閉じて英二が振り向くと、周太は部屋着のシャツから着替えを済ませていた。
あわいブルーとボルドーのボーダーニットに、キャメルベージュのスリムカーゴパンツを合わせてある。
どちらも英二が選んで周太に贈った服だった。
あわい綺麗な色が映えて可愛い、長めの袖もいいなと微笑んで英二は周太の頬にキスをした。
「かわいい周太、似合ってるよ?服、着てくれてうれしいな」
「ん、ありがとう…あの、カラオケ、ごめんね?英二」
「どうして周太が謝るんだ?」
英二も白シャツを寮から着てきたボルドーのニットに着替えながら周太を振向いた。
振向いた先で周太は英二の方を見ないで、ダッフルコートを抱えこんでいる。
「ん、…英二に逢いに来たのに、美代さんとね、約束しちゃったし…」
「気にしなくていいのに?だって2人とも、会いたかったんだろ?」
「ん、そう。本の話とかもしたくて…それに美代さん、昨日の電話とか、哀しそうで…」
きちんと話しながらも周太は英二の方へは顔をあげない。
こんなふうに周太は英二が着替えているとき、いつも視線を逸らしている。けれど3か月半前までは違っていた。
こんな初々しい様子もかわいいなと思いながら英二はチャコールグレーのカラージーンズに外していたベルトを通した。
「はい、周太?お待たせ、着替え終わったよ。行こうか?」
ブラックミリタリージャケットを羽織りながら英二は周太に笑いかけた。
そして周太の右掌を左手にくるんでジャケットのポケットに入れると、扉を開いて出掛けた。
「ほら、周太?マフラーちゃんと巻こう?」
「ん、ありがとう…なんかね、上手に巻けないんだ、俺」
「周太、ほかは器用なのにな?でもそういうの、かわいいよ」
雪道を話しながら歩いてカフェに入ると、窓際の席で美代はマグカップを前に本を読んでいた。
美代を見つけると周太は、気恥ずかしげに笑いかけた。
「美代さん、こんばんは…それ、あのテキストだよね?」
「あ、こんばんは湯原くん。そう、話していたやつよ?よかったら貸してあげようと思って。読むかな?」
「ん。読んでみたいな、借りていいの?」
「嫌なら言わないよ?はい、これ袋も良かったら使ってね」
さっそくソファに並んで座るとテキストの話で盛り上がり始めた。
周太がこんなふうに話すのは英二は他で見たことが無い。
よほど波長が合うのだろう、楽しそうな様子に英二は微笑んでカウンターへと行った。
そしてコーヒーとオレンジラテをトレイに載せてソファへ戻った。
「はい、周太?オレンジラテだよ」
「あ、ごめんね?英二、俺だけ座ってた…ごめんなさい」
「気にしない、お喋り楽しいんだろ?これ飲んだらさ、カラオケ行こうか?ね、美代さん」
コーヒーを飲みながら笑いかけると美代が笑ってくれた。
きれいな明るい瞳で笑いながら英二に頷いてくれた。
「うん、ありがとう…ごめんね、お邪魔しちゃって」
「いいよ?あとでまた周太とのんびりするし、」
いつもどおり美代はきれいなあかるい瞳をしている。
けれど国村に怒っていると聴いている、きっと美代の明るい性格の通りに怒り方も明るいのだろう。
でもどんな曲を歌うのかな?ちょっと楽しみだなと思いながら英二はコーヒーを飲んでいた。
19時半ごろ店を出て歩きかけると、携帯が振動して英二はポケットから取り出してみた。
たぶんそうかなと思って開くと、想った通りの送信名だった。
楽しそうに話しながら並んで歩いている周太と美代を見ながら英二は、携帯を開いた。
「はい、おつかれ?」
ちょっと笑って声を掛けると、電話の向こうでも笑った気配がする。
きっと自分の今の状況が可笑しいのだろうな、そう思っていると国村が口を開いた。
「おつかれ、宮田。今って河辺駅の近くだろ?」
「うん、よくわかるね?たぶん国村が思ってるカラオケ屋に今、行くとこだよ」
「あー、やっぱり美代怒ってるんだ、困ったなあ、ねえ?」
からり笑っている電話の向こうで登山靴が雪を踏む音が聞こえる。
たぶんもう近くに国村もいるのだろう、英二は笑った。
「もう近くにいるんだろ?これから店はいるよ、」
「おう、いま入口にいるのって、宮田だろ?」
言われて振り返った視線の先に、白いミリタリーマウンテンコート姿が雪道に現れた。
底抜けに明るい目で笑いながら携帯を閉じると、英二の横へ国村は並んだ。
「もう、ふたりは店の中か?」
「うん、いま受付中かな。ほら、行くぞ、」
「あーあ、怖いねえ、困ったなあ」
からり笑って国村は英二と一緒に自動ドアを通った。
そして美代と周太の後ろに立つと飄々と声を掛けた。
「おつかれさん、ふたりとも。美代、昨日は天気予報、見てた?」
国村の声に2人が振向いて国村を見上げた、そんな様子がなんだか可愛い。
可愛いなと微笑んだ視線の先で、美代が明るく笑って口を開いた。
「おつかれさま、見たけど?ね、湯原くん行こ、早く歌おう?」
「ん?…まって、美代さん…国村、おつかれさま?…あ、えいじ、」
美代にダッフルコートの袖を掴まれて周太は連れて行かれてしまった。
きっといま周太は困っているだろうな?連れ去られた婚約者を気遣いながら英二も歩き出した。
横を見ると国村は飄々と笑いながら英二に言った。
「やっぱり美代、雪崩に勘づいちゃってるね。あーあ、困ったなあ、めんどくさいなあ」
怖いなあと言いながら愉しげに国村は笑っている。
ちょっと呆れながら英二も笑ってしまった。
「おまえさ、ほんとうは困っていないだろ?」
「うん、まあね。さ、宮田?今から俺がどうするか、おまえなら言わなくても解っているよな?」
ふたりが入った部屋の番号を目視確認すると、底抜けに明るい目が愉しげに英二を見た。
さっきここまで歩いてくるとき、非常階段があるのを英二は確認している。
そして国村は武蔵野署の射撃訓練が「めんどくさいな」の時はどこへ逃亡するのか?
仕方ないなと笑って英二は答えた。
「ちょっと2人に声かけてくるよ?そしたらさ、屋上につきあってやるな」
英二の答えに満足げに細い目が笑った。
笑った口もとを愉しげに開いて国村は急かし始めた。
「5秒で済ませろよ?俺は早く高上りしたいんだ、ほら、1、」
「うん、すぐ済むよ?」
そんなふうに急かされ英二は美代と周太に声を掛けてから、国村と屋上へ向かった。
非常階段を上って扉を開けると、冬の夜の冷気が頬を撫でて吹き抜けていく。
屋上に積もった雪を踏んで鉄柵まで行くと凭れて国村は笑った。
「さて、お姫さまたちの気が済むまでさ、ここで俺たちはデートだね」
底抜けに明るい目は愉しげに夜空を見上げている。
英二も見上げてみると透明な紺青の天球いっぱいに星々が煌めいていた。
後で周太にも見せてあげたいな?いまカラオケを聴かされている婚約者を思いながら英二は微笑んだ。
「星きれいだな、明日も天気良いかな?でもすこし湿気があるな」
「だね。ま、明け方に雪が少し降るかもな」
凭れた鉄柵の冷たさが体温で温められていく。
その温もりを感じながら英二は、周太を追いつめて国村に銃口を向けさせたことを詫びたいと思った。
英二はある意味、自分の体については頓着が少ない。だから国村から「既成事実」で脅かされた話も周太にしてしまった。
それに周太がどれだけ衝撃を受けるのか、その度合いを測り間違えてしまった。その所為で周太を強硬手段に追い込んでしまった。
そんな自分の判断ミスを謝りたい。星ふる夜空を見上げながら英二は、ふっと口を開いた。
「ごめんな、周太のこと。俺の所為だ」
「うん?まあ、そうだね。おまえの所為だな、反省しろよ?」
さらりと肯定して国村は笑った。
こんなふうに軽やかに受け留める国村の大らかな優しさが英二は好きだ。
うれしいなと思いながら英二は言葉を続けた。
「うん、…俺さ、俺の体のことで、あんなに周太が考えてくれるって思っていなかった。
だから周太に国村の『既成事実』の話をしたんだ、あんなに周太を追いつめるなんてさ、俺、解らなかった。
周太と出会うまではね、俺は、色んな人間に体を触らせては捨てられてきた。
だから俺、周太が俺の体のことをね、あんなに真剣に考えてくれて…驚いた。そしてさ、うれしかったよ」
「だろね?おまえはさ、そうだろな」
底抜けに明るい目で英二を見て国村が明るく笑ってくれる。
笑いながら温かく目を細ませて言葉を続けてくれた。
「ほんとは、おまえさ?体を使って愉しんでも良いと思ってるだろ?」
「うん、そうだな。その通りだよ、国村。今は俺もう、周太しか欲しくないからさ、他に興味が無いだけだ。
でも正直言うとね、国村?おまえが最高に楽しめるんじゃないって言ったときはさ、ほんとは興味がわいたよ?」
素直に英二は笑って答えた。
そうだろね?と目で笑って国村は続けた。
「よし。さすがに正直だね、宮田はさ?
ま、そんなふうに俺たちはさ、体を愉しんで良いって考えるよな?
でもそういう考えばかりじゃないよ。で、湯原は性格も純粋で清純だろ、そのうえ心が10歳のままだ。
さ、考えな?自分が10歳の時どうだった、気持ちイイからって理由だけでヤれた?エロ本を罪悪感なく読めたか?」
「うん…できなかったな、きっと」
ため息交じりに英二は答えてすこし微笑んだ。
自分の配慮が足りていなかった、そんな後悔を繰り返さない為の方法を考えこんでしまう。
そんな英二に国村は温かく目を細めながら言ってくれた。
「ただでさえ湯原は純粋すぎてさ、『愉しみごとの男の興味』だとかは通じないね。
で、さ?『山ヤの誇りと登る自由を懸けた代償要求』なんてね?山ヤでもない湯原には解らないだろ?
だから俺はね、美代にも話さないんだよ。聴かなくていい事、踏み込むべきではない領域があるってことだ。
おまえのバカ正直とクソ真面目はさ、俺も好きだよ。でもな、宮田?時と場合によってはさ、それが傷付けることもある」
「そうだよな。俺ってさ、ほんと解ってなかったな…ごめん、国村」
解らない世界はどうしてもお互いに出てくるだろう、それは違う人間である以上当然のことだ。
本当にいう通りだ、英二は心から頭を下げた。そんな英二に笑って国村は唇の端をあげた。
「ほんと悪いよ宮田?まったくさ、おまえって賢いのに時々バカだよな。
でも銃を構えた湯原、ほんと、かっこよくて美人だったよ。見惚れたね、俺は。
あれは眼福だったな。やっぱり俺、湯原って好きだね。おまえがバカなお蔭でイイもん見れたよ、ありがとな」
俺は全く気にしていない、おまえの気持ちも解っている。
そんなふうに国村は言ってくれている、そういう気持ちが英二は嬉しかった。
「そんなふうに礼を言われるとは、思わなかったよ?でも、ほんとにさ、ありがとな。国村」
「言ったろ?かわいい子がストイックなのはね、色っぽくて俺は好きだね」
誇り高い国村、けれど自分に銃口を向けた周太を許して受けとめてくれる。
国村は自分の誇りを懸けても英二と共に周太を守ることを決めている、だから全て受けとめるつもりでいてくれる。
うれしいなとおもいながら英二は、もうひとつ確認しておきたくて笑って口を開いた。
「なあ、国村?あのとき俺の体を要求したのはさ、俺たち山ヤにとって体は山を登るために大切だからだろ?
だから、おまえの山ヤの誇りを裏切る代償としてさ、俺の山ヤの体を要求したんだよな?
そうやってさ、おまえの山ヤの誇りを守ることをパートナーの俺に協力してほしかったんだろ?違うかな?」
「そうだよ?さすがだね、宮田。よく解っているじゃないか」
満足げに底抜けに明るい目を笑ませて国村は愉しげに笑った。
やっぱり想った通りだったな?すこし微笑んで英二は言葉を続けた。
「うん。それくらい俺たちにはさ、誇りと信頼は大切だから。
俺はね、そんな国村の誇り高さも軽やかな覚悟も本当に好きだよ、そして感謝している。
おまえが誇りを懸けて俺と一緒に周太を守ってくれている、それがね、ほんと嬉しいんだ。
そういう誇り高い国村がさ、軽い気持ちでアンザイレンパートナーの俺に誘いを掛けたりしない。
だから俺はね、国村?おまえの誇りが守れるならさ、俺の体を使っても別にいいかなって本当は想ったよ」
白いミリタリーマウンテンコートが夜風と翻っていく。
雪の屋上で星に目を細めながら国村は底抜けに明るい目で英二を見ている。
もっと言いたいことあるんだろ?そんなふうに眺めて笑ってくれた。英二も笑って口を開いた。
「でも周太が泣いてくれたんだ。周太は本当に心を見つめて愛してくれている。
そしてさ、心を大切にするように体まで大切に想ってくれている。それはさ、俺には考えられない幸せをくれてるよ?
それを国村は俺以上に解ってくれている。だからさ、おまえ周太のお願いをさ、きちんと聞き入れてくれたんだろ?」
「うん、そうだよ?俺はね、無理強いはしないって湯原に約束したよ。だから安心しな、寝込み襲ったりはしないからね」
底抜けに明るい目を温かく笑ませて言ってくれる。
信じていた通りがうれしくて英二は笑った、そしてまた素直に友人へ謝った。
「ありがとうな、国村。本当に、
今回のこと俺が悪かった。周太の想いを解ってやれなかった俺の甘さが責任だ。ごめん、国村」
率直に英二は頭を下げた。
自分の婚約者の想いもきちんと計りきれなかった。
そんな自分は本当に足りなくて、婚約者もろとも大切な友達まで追い詰めてしまった。
呆れられても仕方ない、そんな想いの英二に国村は唇の端をあげてみせた。
「で、宮田?おまえはさ、どう俺に詫びてくれるつもりなんだ?」
当然、英二も償いをするつもりでいる。
アンザイレンパートナーを仮初でも危険に追い込んだ自分は償わなくては気が済まない。
すこし微笑んで英二は並んで笑っている細い目を真直ぐ見つめた。
「国村の気が済むようにしてほしい、何でも言ってくれ」
「ふうん、何でもいいんだ?」
何言われても仕方ない、そっと英二は覚悟を決めた。
そんな英二を見て愉しげに目を細めると国村は可笑しそうに笑った。
「じゃあさ、宮田?おまえから望んで俺にその体、差し出せよ」
「…は、?」
英二の目が大きくなった。
いまさっき体の件は周太のことで「ばかだよな」とダメだしされたばかりだ。
どういうことだろう?よく解らなくて見つめる英二に国村は笑って教えてくれた。
「だからな?おまえが無理やりにヤられるのがさ、湯原は許せないんだよ。
だからさ、おまえが自分から俺と抱き合っちゃうことを望むんならね、やっても良いんだってさ。どうする?」
「あ、そういうことか、」
思わず英二も笑ってしまった。
英二が望むなら。そんなふうに周太はいつも英二のことを優先してしまう。
もう婚約者なのだから、もっと独占欲を持ってくれても良いのに?それが少し寂しくて、でも周太らしくて可愛い。
そんなふうに一緒に笑いながら国村はなおさら愉しげに言ってくる。
「さあ、宮田?最高の快楽ってやつもね、この俺と初体験したくなったらさ。
その時は遠慮なく言えよ?別嬪でエロいのは大好きだからさ、おまえなら大歓迎だ。
愉しみにしていてやるよ。あとアンザイレンパートナーは一生続けろよ。ま、俺からの要求はそんなとこかな?」
からっと言って笑い飛ばすと国村は膝で英二の太股を軽く蹴った。
すこし荒っぽいけれど解りやすくて安心が出来る、英二は心から笑った。
「うん、わかったよ。国村?ありがとう、アンザイレンパートナー一生やるよ?」
「よし。よろしくな」
笑った向こうには透明な紺青にうかぶ星が瞬いている。
足元に踏む雪が星明りに浮かんでほの明るい屋上から、奥多摩の山が雪に浮かんで見えた。
吹きぬけていく風は冷たいけれど、清々しい大気の流れと同じ想いに英二はきれいに笑った。
(to be continued)
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