萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

弥生十二日、三色菫―recollection

2024-03-12 23:09:00 | 創作短篇:日花物語
想い、時の点景を
3月12日誕生花パンジー


弥生十二日、三色菫―recollection

陽だまり香る、透ける甘い。

「ん…止んだね、」

つぶやいた息そっと白い。
もう三月の縁側、けれど踏んだ板敷しんと靴下を透る。
冷えてゆく爪先まだ名残らせる冬、それでも庭さき陽だまりに微笑んだ。

「かわいいね、」

微笑んだ真ん中、黄色がゆれる。
新雪やわらかな白い息、それでも花の陽だまり温かい。
こんなふうに雪の三月を過ごせるなんて、一年前は思えなかった。

『生きるんだ、生きろっ!』

ほら、あなたの声まだ新しい。
あの雪崩の底に呼んでくれた、低いくせ透る声。

「…生きてるよ僕…ここで、今、」

そっと声にして、吐息ふわり銀色くゆる。
暦は啓蟄も過ぎた、テレビは早咲きの桜を語る、けれど山里の今は白銀。
見あげる軒先はるか銀嶺が光る、もう、じきに雪雲も晴れてゆくのだろう。
ほら青空すこし山の端、たぶん昼前には晴れる、そうしたら菜摘みの誘い来るだろう、でも。

「しゅーうくんっ!いますかーっ?」

ほら?呼びに来た。
朗らかな声に微笑んで、庭長靴ひきだし履いた。

「はーい、」

応えながら雪さくり、銀色の庭を踏む。
生垣の雪に山茶花が紅い、その向こう明るい笑顔が手を振った。

「雪やんだね、ふきのとう出てるかも?いつものとこ早いもの、」

やっぱり菜摘みのことだ?
この季節いつものお誘い、ほっと嬉しくて笑いかけた。

「そうだね、南斜面なら出てるかも、」
「日当たりいいものね、ちょっと見に行ってみる?」

朗らかなソプラノ応えてくれる、その頬ふんわり紅い。
青空のぞく陽だまりの庭、けれど底冷え深い朝に微笑んだ。

「見に行きたいね、でも、風邪が治ったばかりでしょ?ちゃんと元気になってから一緒に行きたいな、」

まだ紅い頬、きっと熱が下がったばかりだ。
そんな幼馴染は大きな瞳ぱちり、瞬いて首傾げた。

「どうしてわかったの?お母さんが言ったの?」
「ううん、おばさんは何も。でも一昨日から見なかったし、いつもより頬っぺ赤いなって思って、」

答えて笑いかけた真ん中、大きな瞳が自分を映す。
明るい澄んだ瞳まっすぐ見つめて、ほっと息ひとつ笑ってくれた。

「いつもよりってことは、私いつも頬っぺた赤いの?」
「ん、冬は特に赤いよね?」

素直に答えて、雪の生垣に紅色まぶしい。
幼馴染ほころぶ温かな色、生きて弾む笑顔が言った。

「でも私、今すぐ一緒に行きたくて。去年の分も、」

去年の分も。
そう告げてくれる唇かすかに震える、その声やわらかに痛い。
こんなふう悲しませてしまう春の記憶、傷んで、それでも慕わしく笑いかけた。

「去年の分も行こうね。風邪ちゃんと治して、なんども一緒に行こう?」

なんども一緒に。

こんな約束ができるなんて、一年前は考えられなかった。
それでも今ここにいる、この全て、全部、あの雪崩に呼んでくれたから。

『生きるんだ、生きろっ!』

去年の春、あなたが叫んでくれた。
願ってくれた、そして今、春の雪そっと香る。

三色菫:パンジー・さんしきすみれ、花言葉「思慮深い、物思い、慎ましい、幸せ、田園の喜び、記憶、片思い」

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霜月八日、野茨―gift

2023-11-08 21:35:00 | 創作短篇:日花物語
天恵に温もりを、
11月18日誕生花ノイバラ野茨


霜月八日、野茨―gift

陽が斜めになった、そして眩い。
ようやく明ける6時の朝、光の庭に微笑んだ。

「…いい朝、」

声ひとり、吐息かすかに白い。
芝草きらめく露まだ濡れる、じき霜が降るのだろう。
佇んだ下駄のつまさき掠める冷気、閑寂が謳いだす。

The day is come when I again repose 
Here, under this dark sycamore, and view 
These plots of cottage-ground, these orchard-tufts, 
Which at this season, with their unripe fruits,
Are clad in one green hue, and lose themselves 
‘Mid groves and copses.

記憶なぞらす一節たち、その聲は誰の声?
なつかしい、慕わしい、あの聲はるか響きだす。

『イギリスの詩だよ、父が好きだったんだ…母も、』

ほら、祖父のこと祖母のこと語ってくれる。
あのとき微笑んでいた瞳はもういない、けれど面影どこにも見つけられる。

「最近ね、似てるって言われるんだよ?…お父さん、」

呼びかけて声、ただ庭木立きらきら光る。
それでも懐かしい声、だって似てきた自覚がある。

「…お母さん似って言われていたのにね、僕、声が似てるって…田嶋先生が言うんだ、」

父の旧友の名に微笑んで、慕わしい響き耳朶をゆく。
この声に生きていた証を見つめながら、ふたり歩いた庭へ下駄を鳴らす。

「The day is come when I again repose…」

からりころり、父が愛した下駄に朝が響く。
白い息ゆらす木洩陽に花ゆれる、熟れた果実きらめいて詩をなぞる。

「…Which at this season, with their unripe fruits,」

謳う声、聲、面影たどらす下駄の音。
めぐらす想い眺める庭、朱色きらめく記憶の光。
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】


野茨:のいばら、花言葉「才能、詩、厳しさ、素朴な愛、優しい心、孤独、痛手からの回復、無意識の美、素朴な可愛らしさ」実の花言葉「無意識の美、才能、詩、孤独、痛手からの回復」

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如月十六日、蕗薹―genius

2023-02-17 00:07:00 | 創作短篇:日花物語
野に、君がため、
2月16日誕生花フキノトウ蕗の薹


如月十六日、蕗薹―genius

足もと光る、ほら夜が明ける。

見はるかす漆黒が青くなる、登山靴の足もと銀色またたく。
こんな頂まで来てしまった、厳冬の朝風つい笑った。

「なあ?俺たち星を見たかったダケよな、」
「うん、そうだよ?」

ほら君の声が笑う。
漆黒しずむ雪嶺は横顔が見えない、けれど瞳ふたつ明るむ。
きっと大きな目元ほころんで柔らかい、それが見えるほど同じ時を歩いたから。

「こういう星を見たいから、啓太も僕も大学に入ってここに来たよ。でしょ?」

低めのテノール朗らかに響く、暁闇の風はるか星たち奔る。
この星空もっと遠くて、隣の声もっと高かった。
けれど言ってること変わらない、同じだ?

「おう、あれから13年だな、」

応えて懐かしい、幼い夜と星の約束。
ただ星を見たかった、そのために受験も越えて、時を生きて今ここにいる。

「まだ13年だよ、これからが長いんだから。でしょ?」

ほら君が笑う、黎明ふきはらう声だ。
そうして昇りだす明けの明星、唯一の輝きに笑った。

「おう、ジイサンになっても天体観測しよう。ずっと、」
「もちろん、」

ならんだ足もと光る、ほら夜が明ける。
明けてゆく空に星が呑まれる、それでも消えるわけじゃない。
幾星霜ちりばめる天体あおぐ今、その足もとひとつ、芽生えの春。


蕗の薹:ふきのとう、花言葉「ひとつの真実、待望、仲間、愛嬌」

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如月九日、辛夷―trust

2023-02-10 01:15:00 | 創作短篇:日花物語
潔白、高みに花を
2月9日誕生花コブシ辛夷


如月九日、辛夷―trust

肌冴える、雪ふくんだ朝。

「今日も寒っ、」

声こぼれて白くゆる。
息つく零下まっ白になる、さくり、一歩が雪埋む。
かかえた洗濯籠に指が痛い、かじかむ凍える、そのくせ空が心地いい。

「いい天気、」

ほら仰いだ空、花が光る。
純白きらめいて青まばゆい、凛々なぶらせ風がゆく。
冷たくて、そのくせ水の気配やわらかに頬ふれる。

「よっ、」

ぱんっ、シャツ翻して干してゆく。
冷風なびくコットン凍てついて光る、ふれる指さき凍えて痛む。
口もと冷たくて、吐息ごと白く揺らいで朝が光る。

「あ、」

朝陽むこう、雪原かなた稜線が光る。
はしる雲に霞むあわい、瞬く銀嶺に鼓動が跳ぶ。

「きれいだね、今日も…」

ほら声になる、今日、佇む背中たどる。
ほら遥かな雲はざま、白銀かすむ境界にあなたを見る。

「…朝ごはん、ちゃんと食べてる?」

話しかけて、声届くわけない。
それでも足もと埋まる零下、この雪たどれば君がいる。
きっと無事で、今。
辛夷:コブシ、花言葉「友情、友愛、信頼、自然の愛、乙女のはにかみ、愛らしさ、歓迎」


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睦月十四日、白水仙―orphic

2023-01-14 23:59:00 | 創作短篇:日花物語
謎、憧れより香り高く
1月14日誕生花シロスイセン白水仙


睦月十四日、白水仙―orphic

道ひとつ向こう、そこは知らない時間。

「わぁ…」

息呑んで甘い、冴えた芳香に浸される。
頬ふれる冷気は肌を刺す、ときおり光る雪の風。
踏みだす足元さくり霜か雪か、吐息まっ白に凍えて、それでも満ちる香は春だ。

「ここだ、ね…」

声こぼれる黎明、純白ゆれて薄闇きらめく。
まだ明けきらない紫と薄紅の空、あわい闇の底あわだつ白い甘い芳香。
ときおり雪ひるがえす花の丘稜、さくり、登山靴の底くずおれる霜が響く。
誰もいない凍える風の道、静かで冷たくて、それでも花の白きらめいて記憶こぼれた。

「…ワーズワースの天の川だね、お父さん…」

ほら声になる、幼い日いくども朗読してくれたから。
もう遠い遠い時間、けれど幸せの温もり今も響いてしまう。

When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretch'd in never-ending line

ほら記憶の声やわらかに謳いだす、異国の言葉つむいで笑う。
穏やかな深い声と、冷たい風すら温もる眼差し。

「ほんとに星みたいだね…この花たち、」

声こぼれて喉そっと痛む、それとも鼓動だろうか。
隣で父が微笑んでいた時間、芳香くゆらす冴えた甘さ、黎明の闇あわい純白の波。
あのとき見つめた風光また見つめて今、こんなにも近くて来れなかった場所ただ花が香る。

―ずっと咲いていた、僕が来なかった時間もずっと。

想い見つめる視界いっぱい、星の花たち真白に光る。
薄闇さやめく葉ゆらせて響く、ざわめく花たち潮騒に似ている。
ここは海のようだと父は言っていた、それは遠い遠い国の記憶だったろうか?

「おはようございます、」

バリトン響いて、とくん鼓動が跳ねる。
呑みこんだ息振りむいた先、ダークブラウンの髪きらめいた。

「寒いですね、さすが夜明けだ、」

バリトンやわらかに響いて笑いかける。
肩広やかなウィンドブレーカー蒼く翻して、長身すこやかに傍ら立った。

「いきなり声かけてすみません、こんな朝早く人がいるの珍しくて、」

低いくせ透る声が笑ってくれる、切れ長い瞳が自分を映す。
つい見つめてしまう真中、ほろ甘い深い香ふれて唇やっと動いた。

「いえ、あの…びっくりしてすみません、」
「やっぱり驚かせちゃいましたね、すみません。でも人がいてくれるの嬉しいな、」

きれいな低い声が笑って、白皙の微笑ほころばす。
まだ明けきらない暁の丘、それでも透ける眼差しが鼓動ふれた。

「…あの、どこから」

言いかけて詰まってしまう、だって何だか似ている。
遠い幸せの笑顔と。

「はい?どこから来たか、ですか?」

ほら訊いてくれる、言いよどんだのに。
とくん、鼓動そっと軋んだ前で青年は微笑んだ。

「近くからですよ。毎朝よく来ています、ここの夜明けが好きで。君もお家は近い?」

バリトン穏やかに澄んで、切れ長い瞳きれいに微笑む。
その眼差しが記憶ゆらせて、吐息そっと笑いかけた。

「はい、近くです…ずっと住んでます、」
「ご近所さんの先輩ですね、俺はまだ越してきて一年くらいなんだけど、」

低いくせ澄んだ声が笑ってくれる、ほら、記憶よりも朗らかだ。
だからきっと自分の思い過ごし、それとも願望なのかもしれない。

―または他人の空似、だよね…おとうさん?

心裡そっと問いかけて、儚いまま消しこんでみる。
だってあるわけない、そんなこと知らない、それでも切れ長い瞳が微笑んだ。

「朝いつも走るんですけど、越してきたばかりの朝にここを見つけて、詩みたいなとこだなって。水仙が天の川みたいだって詩があるんです、」

今、なんて言ったの?

「…水仙の詩?」
「はい、イギリスの詩なんです、」

おだやかな声が答えてくれる、きれいな瞳が笑いかける。
その言葉に眼差しに響いてしまう、こんなこと、ここで言ってくれるなんて?

「Continuous as the stars that shine  And twinkle on the milky way, って一節があって。その続きもまた好きで、」

きれいな低い声が響く、凍える風、冴えた甘い香に透る。
黎明くすぶる闇ふわり、ほころんだ白皙に黄金一閃きらめいた。

「お、夜が明けます。花が光るよ?」

見あげる先、微笑んだ瞳が先はるか見る。
まっすぐな視線きれいで、追いかけ辿らせた視界に黄金なびいた。

「…天の川、」

ほら記憶こぼれだす、黄金きらめく花の波。
はじまりの曙光うつして光る、無垢だからこそ映して染めてゆく。
まばゆくて、それから冷たくて冴えて、そのくせ甘い馥郁の風と、遠い面影の知らないあなた。
【引用詩文:William Wordsworth「The Daffodils」抜粋自訳】


白水仙:白スイセン、花言葉「神秘、尊重、自己愛」

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師走十一日、白薔薇―honorable

2022-12-12 00:38:00 | 創作短篇:日花物語
無垢よりも雪白、凛と、
12月11日誕生花バラ白薔薇


師走十一日、白薔薇―honorable


真冬に咲いた花、そんなひとだ?

「キレイ…」

ほら、心零れてしまう声になる。
その唇かすかな香り甘くて、深くて、秘密めくのに清々しい。
そんなふうに想えてしまうのはたぶん、真白かがやく雪と花と、あの横顔。

「…榊原のお嬢様、大学に入られたのだそうよ?あんなに上品な方なのに、」

声どこからか聞こえる、たぶん茶席の漣だ。
ほら幾つも、声いくつも波立ちだす。

…殿方に交じって勉学だなんて、良家の娘がするには…
…婚期を逃してしまわないのかしら、ねえ…
…あんなにお綺麗なのに、もったいない…
…まあ跡取り娘さんだから学問も…

さざめく女声たち囁いては潜む。
この背すぐの席だろう、けれど、まるで潮騒のよう遠く遠く。

「…だってキレイだもの、」

ほら心また零れだす、本音しか言えないから。
こんな自分だから本当は茶席なんて嫌い、けれど来たのは唯ひとつ。
唯ひとつの理由まっすぐ見つめて、晄子は髪ひるがえし雪庭へ降りた。

「まあっ、晄子!」

ほら母が呼ぶ、でも振り返らない。
ただ理由ひとつ真直ぐ見つめて、雪草履さくり、冷たいくせ輝く世界へ駆けだした。

「晄子っ、みつこ!次のお点前でしょう、もどりなさいっ、」

母が呼んでいる、大きい声じゃないけれど必死だ?
それは必死だろう?解るけれど今まっすぐ自分のため、振袖ひるがえし雪の花園へ立った。

「あのっ、さかきばら、ときこさんですよね?」

呼びかけて声弾みすぎる、うれしいんだもの。
ほら頬もう熱い、湧きおこる熱のまんなかで黒髪ゆるやかに振りむいた。

「…はい、榊原です、」

穏やかな声そっと透る、綺麗な声。
こんな声のひとなんだ?うれしくて晄子は笑った。

「わたし、田賀晄子って言います。大学ってどんなとこですか?わたしも学びたいの、」

あこがれて、憧れて。ずっと聴きたかった。
本音まっすぐ笑った先、黒目がちの瞳ふわり微笑んだ。

「それなら、夢の場所だと思います。学びたいのなら、」

夢の場所、学びたいのなら。
やわらかなトーン告げられて、雪草履さくり前に出た。

「斗貴子さんにとっても夢の場所ってことですか?あっ、」

訊いて、迂闊に口もと手で押さえる。
怒られるだろうか?けれど素直に笑いかけた。

「勝手にお名前ですみません、つい心の声のまんま出ちゃって。ずっとお会いしたかったからお名前でつい、」

こんなの変かもしれない?
けれども自分ありのままだから仕方ない、素直に笑った真中で黒目がちの瞳ほころんだ。

「そんなふうに言って頂くと気恥ずかしいです…会ってみて、期待外れでしたらごめんなさい、」
「いいえ!思ってたよりずっとキレイで嬉しいです、」

即答また心裡こぼれてしまう、こんなの呆れられる?
心配すこしだけ、それでも弾む白銀の庭で憧れのひとが笑った。

「私も、思ってたより嬉しいです…学びたい女の子と会えて、」

銀色まばゆい庭のほとり、ひそやかな声そっと透る。
ほそやかな振袖姿は紫あわく濃く鮮やかで、結わえた帯の白銀がまぶしい。

「雪の花みたいなひとなんですね、斗貴子さんは。きれいで、本当にかっこいい、」

ほら?心また声になってしまう、これは私の悪いクセかもしれない。
けれど本当のことだ、このひとは雪のなか凛と咲いている。

「雪の花なんて…冷たく思わせてしまいました?」

ほら彼女が笑ってくれる、白皙の貌ふちどる黒髪そっとリボンの純白ゆらす。
ゆるやかに艶めく髪は優しげで、晄子は首ふって笑った。

「あははっ、斗貴子さんが冷たいんじゃないですよ。冷たいのはあっちのオバサン達でしょ?」
「まあ、」

黒目がちの瞳ぱちんと大きくなって、桜色の唇すこし開く。
驚かせたのかな?自覚する性格につい笑ってしまった。

「口が悪くてすみません、でもホントでしょ?つめたーい噂好きとかウルサイ、だから女みっつでカシマシイ謂う漢字があるんですよ、」

こんな自分だから、女の子の輪はちょっと疲れる。
そんな自分にこそ大学は夢の場所かもしれない?本音と笑った先、女子大生が笑ってくれた。

「理知的な方なのですね、田賀さんは。正直で、率直で、」
「あははっ、そんな素敵な言葉にしてくれて。ありがとうございます、」

笑ってしまいながら頭を下げて、ほら鼓動ふかく熱い。
こんなふうに笑って認めてくれる、ただ嬉しくて憧れのひとへ笑いかけた。

「わたし、コンナなので母にはいつも叱られるんですよ?小賢しいコト言ってないで、女の子らしくオットリしなさいって、」

いつもの母の小言ほら思いだす、首すくめたくなる。
それでも治らない自分の前で、清楚な女子大生は微笑んだ。

「ご自分で考えて、ご自分の言葉でお話ししているってことでしょう?素敵だと私は思います、男性も女性も関係なく、」

ほら?認めてくれるんだ、このひとは。
きっと認めてくれるんじゃないかと思って、だから会いたかった。

「わたし、斗貴子さんに逢えて本当に嬉しいです。」

想い声になる、ありのまま率直な声だ。
こんなにも嬉しいなんて思った以上だ、こんなこと嬉しくて幸せで晄子は笑った。

「もし嫌じゃなかったら晄子って呼んでください、それで、お友だちにしてくれませんか?図々しいかもですけど、」

ほんとうに図々しいかもしれない?でもチャンスは逃さないと決めている。
つい昨日にも読んだ文章を思いだした真中で、白皙の貌ふわり明るんだ。

「はい…こちらこそお願いしたいです。ミツコさん、ありがとうございます、」

黒目がちの瞳やわらかに笑って、その白い頬そっと桜色やわらぐ。
たしか三歳ほど上で、けれど初々しい貌につい口開いた。

「やった!本音で話せる友だち初めてです。もうね、いっつも勉強や本でイラナイ知恵つけるよりお花だお茶だー言われてて、」

ほら素直なまま声になる、いつもより楽に。
ただ温かい、そんな白銀まばゆい庭で友だちが微笑んだ。

「お花もお茶も楽しいとこ見つかるかもですよ、でも、気持ちは解ります、」
「ほんと?うれしい、って、斗貴子さんはお茶もお花もすごいって聞いてますけど、」

応えながら差を思いだして、ほら少しだけあれだ?
そんな少しよりもずっと嬉しくて、笑った隣で友だちも笑った。

「お茶とお花は好きだけど、苦手なの。だからここで雪に見惚れているの、」

あ、苦手って言うんだ?このひとでも。
なんだかホッとして、楽しくて笑いあったまま訊いてくれた。

「ミツコさんは、大学で何を学びたいのですか?」

おだやかな澄んだ声、その瞳まっすぐ明るく燈る。
どこまでも聡明な眼ざし美しい、凛と温かなひとに口ひらいた。

「ひとつ夢があるの、あのね…」

話し始めて、白銀ゆるやかに空が舞う。
舞いおりる雪の花たち黒髪かざる、振袖ほそやかな紫に純白ともる。
清楚で、そのくせ強靭な意志まっすぐ真冬に咲いた花だ。

「すてきな夢ね、」

ほら純白の笑顔ほころぶ、真冬の花だ。
どんなに冷たい噂にも逆風にも折れない花、凛と咲いて俯かない。
それは雪とけこむよう真白で、ひそやかで、けれど確かに香りたつ。


昔むかし。まだ女性の大学進学は少なかった時代、学びがりな少女の物語
白薔薇:白バラ、花言葉「深い尊敬・心からの尊敬、純潔・清純、私はあなたにふさわしい、恋の吐息・相思相愛・愛の吐息、無邪気・少女時代、約束」

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霜月十五日、淡橙薔薇―simple

2022-11-16 19:37:00 | 創作短篇:日花物語
風ありのまま、無邪気にも真摯に
11月15日誕生花シャーベットオレンジのバラ


霜月十五日、淡橙薔薇―simple

一陣の涼風、または香る風。
それから木洩陽ふらす黄金、温もり、髪ひるがえる。
額ふれる冴えた香あまい渋い、肺ふかく満ちて、そして頭上きらめく黄金の木々。

「…い、かーおーるっ」

呼ばれて開いた視界、目の前すぐ鳶色の瞳が笑う。
至近距離つい瞬いて身を引いて、机ごつり顎を打った。

「いたっ…」
「大丈夫か、馨?すげー打っただろ今、」

応えてくれる声、低いクセ朗らかに響く。
打ちつけた顎そっと撫でて、ゆっくり体を起こした。

「ん、大丈夫…ぼく、今、寝てた?」
「なかなか起きんかったぞ、」

鳶色の瞳からり笑ってくれる。
どこまでも闊達な学友に、ほっと息吐けて笑った。

「起こしてくれてありがと、…ふぁ」

笑いながら欠伸こぼれる。
首かるく回して、ほろ甘い渋い香に書架を見あげた。

「もう日が傾いてる?」

見あげる背表紙たち光るオレンジ色、日暮れを呼んいる。
そんなに寝てしまった?慣れない居眠りに友人が笑った。

「まだ3時だよ、日が短くなったよな、」
「そっか…」

肯きながら振りむいた窓、キャンパスの木立ふる陽が染まる。
オレンジ色あわく陰翳ゆらす道、まだ学生さざめく空気に微笑んだ。

「この時間の大学ってホッとしてるみたい、すこし…」

ほっとして、すこし寂しい。
そんなふうに感じるのは、家族がすくない為だろうか。
それとも、ここに遺る懐かしい気配のせいかもしれない。

「すこし寂しいよな、なんかさ?」

低い声からり、響いて隣を振り返る。
鳶色の瞳こちら自分を映して、からり笑ってくれた。

「ナンカものがなしいっていうかなあ、一日が終わるのモッタイナイ感じするんだよ。山ではモットな?」

山ではもっと、そうだ?
言われて寸刻前ふれて、馨は口ひらいた。

「あのね紀之、フェアリーリングって聞いたことある?」

こんな話、笑われるだろうか?
子どもっぽい質問すこし悔やんで、けれど親友は肯いた。

「ケルトの伝承だろ、妖精の踊り場または妖精界の入り口とかだよな、」

鳶色の瞳まっすぐ笑って、低い声ほがらかに答えてくれる。
この友人にして意外なようで、納得でもあって、嬉しくて笑いかけた。

「そうだよ、童話みたいな話だから紀之は知らないと思った、」
「ヨーロッパの文学やってんなら知ってねえとだろが、」

即答すぐ見返してくれる。
いつものよう明るくて、そのくせ真摯な眼差しが続けた。

「伝承は文学のはじまりみたいなモンだ、ソレを知らんで文学ヤルなんざ基礎がなっちゃねえよ。だろ?」

当たりまえだろ?そんな眼差しが自分を映す。
こんなふう真直ぐ見つめているから、友達になりたいと想った。

「紀之のそういうとこ…いいね、」

ほら本音つい声になる。
でも、ちょっと恥ずかしいかもしれない?もう耳もと熱くて立ちあがった。

「お茶淹れるね、父にスコン焼いてきたんだ、」

がたん、椅子と床が古い木音を響かせる。
ほのかな渋い甘い空気よぎって、電気ポット蓋開けた。

「いいねえ、馨の菓子ホント美味いんだよな。いつもありがとな、」

低い声ほがらかに弾んでくれる、その言葉に唇ほっと寛ぐ。
こんなふうに受けて入れてくれること、自分には奇跡だから。

「…僕こそありがとうだよ、」

ほら想い零れだす、嬉しくて。
だってたぶんきっと、男が菓子を焼いてくるなんて今の日本では「普通」じゃない。
それでも楽しみにしてくれる学友はからり笑った。

「俺こそだろが、教授のおこぼれ毎日もらっちゃってんだ。この分また雪山の運転がんばるからな、」

雪山、そう笑った日焼けの頬あわく陽が光る。
もう山は雪が訪なう、そんな季節の窓にザイルパートナーが尋ねた。

「そんで馨、なんでフェアリーリングの話したんだ?」

戻された会話にティースプーンの手が止まる。
かつん、スプーン鳴って茶葉さらりポットへ微笑んだ。

「あのね、それっぽいとこ山で見たことあるから…また行けるかなと想って、」

言いながら耳もと熱い、きっともう赤くなっている。
子どもじみているみたい気恥ずかしい、それでも鳶色の瞳ぱっと明るんだ。

「おっ、いいじゃんソレ。俺も一緒させてくれるんだろ、どこの山だよ?」
「ん…紀之もよく知ってるとこだよ、」

答えながらティーポット湯を注ぐ。
ふわり温もり薫らせる、かすかな湯気に冬の訪ない兆す。
あのあたり今は山毛欅に水楢の黄葉そまるだろう、慕わしさに友達が言った。

「もしかして馨、さっき居眠りでソコの夢見たんか?」

ああ、なんでこんな勘がいいんだろう?

「っ…、…のーこめんと、」

声詰まってしまう、ほら耳たぶ熱い。
きっともう真っ赤になっている、それでも手もとティーポットそっと傾ける。
マグカップ満る琥珀色、やわらかな湯気あまい香、温かで爽やかで、この時間こそ芳しい。


淡橙薔薇:淡いオレンジ色のバラ、花言葉「無邪気、爽やか、誇り」

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霜月四日、咱夫藍―modest

2022-11-05 00:25:00 | 創作短篇:日花物語
遺されても歓びは、
11月4日誕生花サフラン咱夫藍


霜月四日、咱夫藍―modest

秋枯れて、けれど一輪の色。

「まあ…きれい、」

微笑んだ足もと、枯草ひそやかに蕾ふく。
薄紫やわらかな色燈る、この花を愛したひとの名残りだ。

「もう薬の研究には摘まないわね、あなた…」

つぶやいた言葉そっと鼓動を燈す、なつかしい匂い頬ふれる。
かすかな甘い乾いた風、すこし冷たくて指すこし凍えて、それなのに愛しいのは空気のせいだ。

『この花はめしべが痛みどめになるんだ、料理にも使えるから君にもいい花じゃないかな、』

ほら声なつかしい、この花に佇んだ夫の声。
あなたと重ねた時間だけ、この庭たたずんで離れられない。

「あんなに研究してたのに自分のことは…ねえ、あなた?」

語りかけて呼びかけて、時の気配が香る。
幾年、幾十年、あなたと佇んだ庭ひそやかに今はひとり。

「まだ早すぎたと思わない?人生100年なんて言ってたのに…あなた、」

なつかしい呼び名ひとつ、消えてしまった時間を薫らせる。
あんなこと言っていたくせに逝ってしまったひと、そのくせ私のことは残して。

「…共白髪になろうなんて言ったくせに、私だけ真白にするのね?」

約束そっと声にして、ほろ甘い冷たい風そっと唇かすめる。
あんなに薬作っていたくせに、私を健康にしたくせに、そうして約束を破るなんて?

「ねえ、ことしも…いっしょに見たかったわ、」

ほら想い零れおちていく、つまさき燈る蕾ゆらす。
もう戻せない還らない想い見つめる背、呼ばれた。

「おばあちゃん、」

ああ、私の呼び名だ?
もどされて呼吸そっと吐く、ほら、傷みそっと鎮まらす。
もう過ぎ去った時から涯の今、ちいさな笑顔に振りむいた。

「はい、なあに?」
「あのね、お花きれいね。どんなお花なのかな?」

澄んだ声ころころ笑ってくれる、その言葉に鼓動ゆらす。
まだ幼い声、幼い笑顔、それでも遠い近いひとの名残り見つめて。


咱夫藍:サフラン、花言葉「歓喜・歓び、陽気・愉快・歓楽、濫用するな・節度ある態度、残された楽しみ、控えめな美、過度を慎め」
料理の色づけや生薬としても用いられる「サフラン」は本種の柱頭、鎮静・鎮痛・通経などの作用がある

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大月晦日、紅葉―Harmonia

2022-11-01 02:46:00 | 創作短篇:日花物語
ひそやかな追憶、今その先を
10月31日誕生花モミジ紅葉


大月晦日、紅葉―Harmonia


真っ赤に染まる、これが君の最期?

「…なんて、なあ」

息ひとつ口もと苦い、微笑んでも。
それでも頬ふれる風やわらかに乾いて、遠い秋を懐かしむ。
仰ぐ視界、埋めつくす赤に。

「奥多摩は秋だな…馨?」

呼びかけて唇ふれる風、乾いて、けれどほろ甘い。
かすかに渋い甘い冷気、とりまく梢ふかく深奥から髪を梳く。
さくり、登山靴の底なぞる音ひそむ道、山の色たち深く聲を呼ぶ。

『ほら紀之、あのワーズワースの詩みたいだね?』

あの聲、なつかしい懐かしい遠い秋だ。
あの詩みたいな今この頭上、色、真紅に深紅ほろ苦い甘い風。

「Here, under…his dark sycamore, and view」

唇かすかに詞うつろう、秋に君が謳ったから。
落葉かすめる登山靴、頬ふれる冷気ほろ甘い、かすかな静かな水の匂い。
それから見あげる木洩陽の赤、そして穏やかな静かな、透けるほどに明るい声。

『イギリスの秋もきれいなんだ、紀之も一緒に行こうよ?』

Here, under this dark sycamore, and view 
These plots of cottage-ground, these orchard-trufts,  
Which at this season, with their unripe fruits,  
Are clad in one green hue, and lose themselves 
ここ、楓の木下闇に佇んで、そして見渡せば
草葺小屋の地が描かすもの、果樹園に実れる房、
この季節にあって何れも、まだ熟さぬ木々の果実たちは、
緑ひとつの色調を纏い、そしてひと時に消えて移ろいゆく

「with their unripe fruits, …and lose themselves」

ほら、口ずさんで傷む、悼む。
だって喪った瞬間みたいだ?

“ with their unripe fruits, Are clad in one green hue, and lose themselves”

まだ熟していなかった、君の時間は。
君の想いひとつ一途に輝いて、そして一瞬のように、

「っ…かおる…」

名前こぼれて瞳が熱い。
眼ふかく深く燈される、あの消えてしまった瞬間のままだ。

「どうしてだよ…かおる、」

想い零れて名前になる、視界ゆるく滲んで熱い。
ほら仰いだ梢たち深紅ゆらいで、きらめいて、あのころの熱あふれだす。

“狙撃され殉職したのは”

ほら冷たい活字が浮かびだす、告げられる訃報の記事。
あんなふうに君を見送るだなんて残酷だ。

「かおる…なんでだろうなあ、」

声ひとり、呼びかけても応えてなんてくれない。
紅葉きらめく森の道なつかしくてきれいで、けれど思ってしまう、君の最期の視界は、

「なんで…おまえが殉職なんだよ?」

なぜ?
ずっと問いかけている、だって不似合いすぎる。

『わらってくれてもいいよ…男がお菓子を焼くなんて、ね?』

気恥ずかしそうに笑った、そのくせ甘い匂い穏やかな瞳。
父子家庭で育った家事好きで、だから留学が決まったときも料理の話をしていた。

『オックスフォードならではのお菓子ってあるんだよ、父と住んでたとき好きで』

奨学金で留学を決めた秀才、それがなぜ「殉職」したのだろう?
あんなに秀才だったくせに、登攀も慎重なくせ大胆だった、そのくせ家庭的なこと言うくせに?

「あんな旨い菓子つくるくせにさ…殉職なんざしてんじゃねえよ、」

こぼれだす悪態に君、笑っている?
ほら紅葉そめる梢ざわめく、あの音に風にひそやかな笑い声を聴く。
こんなふうに探して捜して、ずっと捜しながら歩いた山路もう幾年だろう。

「いるんだろ…馨?」

呼んでしまう、どうしても。
こんなこと愚かだ、だってもう何年も前に消えてしまった。
それでも木洩陽ゆらす赤、朱、深紅きらめく梢に道に逢えるのだと信じている。

「万葉集でも山に探すってあったよな…馨も言ってただろ、」

語りかけて落葉さくり、さくり、登る山路に紅葉がふる。
きらめく木洩陽そめる赤、朱、深い紅から光さして秋を懐かしむ。

『見て紀之、あそこの枝すごくいい色…きれいだね、』

ほら自分を呼んで笑って、穏やかな瞳が紅を映す。
この山嶺の秋が好きだった、幼いころから歩いていると笑っていた君。
あんなにも何度も君と歩いた山路、それでも逢えない、こんなに歩いているのに?

「なあ馨…紅葉の季節だ、いるんだろ?」

いると言ってほしい、君に。
想い見つめる頭上が赤い、かさり、立ちどまって風ふれる。
あのころ黒髪なびいたザイルパートナー、けれど今もう自分の髪は銀色まじる。
あのままに君は若いのだろうか、それとも死者とて髪は白くなる?

「いるんだろ…」

呼びかけた木洩陽、佇んだ登山靴ほの明るい。
ゆれる陰翳やわらかな紅色、朱、赤く埋めつくす森に響いた。

「…います、」

今、声?

「っ…」

呑みこんだ息、深紅の光に水色うつる。
きらめく木洩陽かさり、かさり、紅葉ふみわける登山靴の音。

『やっぱり紀之だ…おまたせ、』

君の声が呼んで、少し遅れて君がくる。
すこし羞んだような穏やかな声、涼やかな穏やかな瞳が笑う。
そんな日常だった山の靴音そのまま似て、見つめる真中すっと黒髪ゆれた。

「あ、やっぱり先生でした、」

あの声が笑って、でも違う呼び名。
ほっと息ひとつ自分も笑った。

「おう、俺だよ。おはよう望くん、」

笑いかけた真ん中、水色明るい登山ジャケットが来る。
木洩陽やわらかな黒髪ゆれて、穏やかな声が弾んだ。

「おはようございます先生、お待たせしましたか?」

黒目がちの瞳が笑いかける、朗らかに自分を映す。
その目元あまり似ていない、そのくせ声は懐かしくて笑った。

「やっぱり馨と声よく似てるな、馨と教授も似てたけど、」

あのザイルパートナーも恩師と似ていた、あの声だ。
懐かしくて嬉しくて笑った視界、小柄な学生は微笑んだ。

「はい、母もそういいますけど…僕の声、祖父とも似ているんですね?」
「似てるな、穏やかなクセ澄んでてさ、」

応えながら見つめる真中、友の遺児が笑ってくれる。
なつかしい面影より繊細な面差し、芯は強いけれど華奢な肩。
あの目元と似ない黒目がちの瞳、けれど眼差しふかく深く燈るのは、あの真直ぐな光。
紅葉:モミジ、花言葉「調和、美しい変化、大切な思い出、隠栖・謹慎、節制、約束、確保・保存、非凡な才能」


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大月十二日、唐辛子―Morgenrot

2022-10-13 00:45:05 | 創作短篇:日花物語
辛辣にも耀く、
10月12日誕生花トウガラシ唐辛子


大月十二日、唐辛子―Morgenrot


目が覚めたのは、君だから。

「ヤッカミってやつだろ、そーゆーのはさ?」

暁闇をバリトン徹る、耳朶を撃つ。
テント踏み出した足もと闇沈む、それでも明ける明星が稜線を笑う。

「オマエが教授の息子だからナンだってんだよ、ソモソモだ、楡原先生がエコヒイキなんざすると思ってんのか?どーだよ馨?」

大らかなバリトンに金星まばゆい、零れる銀色そっと沁みてくる。
さくり、登山靴の底くずれる響きは霜柱。もう冬兆す闇に微笑んだ。

「ん、思えない…あの父だから、」
「だろ?あの先生が学問を裏切るなんざするもんか、甘っちょろい妥協ヤロウにゃアノ時代で留学はできねえ、」

バリトン徹って闇が響く、その先はるか明星が燈る。
ほら嶺風かすめて香りだす、ほろ甘い渋い、清かな大気が頬なぶって笑う。

「楡原先生はボンクラに点くれるようなエセ学者じゃねえよ、人にも学問にも不器用すぎるくらい誠実なホンモノだ。そーゆートコ馨もあるだろ?」

父を讃えて君が笑う、ヘッドライトの下で鳶色の瞳きらめく。
どこまでも耀るい眼差しに笑った。

「ありがとう紀之…その、ぼんくらって誰かイメージして言ってる?」
「おっ、馨もケッコウ毒舌だ?」

低いクセ朗らかな声からり響く、めぐらす谺に雲海が光る。
もうじき夜が明けるだろう、予兆と隣に微笑んだ。

「紀之からうつったかも?」

うつる、それくらい共に歩いた時間。
その新たな瞬間また踏む尾根、ザイルパートナー兼学友が答えた。

「パーソナリティの伝染または環境に育つ後天性か、まあ馨は天賦の素質だろ?」
「素質あったにしても、目覚めさせたのは紀之だよ?」

言い返して笑いたくなる、だって本当に「目覚めさせた」のは君だ。

『だって有名な学者の息子だろ、』

ずっと言われ続けてきた、何度も何度も。
そうして硬くなって、けれど笑っている今をバリトンも笑った。

「目覚めさせたって、最初から馨ずっと俺にはコンナだろが?」

ほら笑ってくれる、明朗このトーン。
このトーンに自分どこか自由になってしまう、そのままに山の大気はらんで笑った。

「父はね、大学に入って田嶋君といるようになって変わったって言うよ?」
「あー、楡原先生が仰るならそうなのかあ?」

バリトンが笑う、低いクセ朗らかに徹って弾む。
この声ずっと先も聴けたらいい、想い見つめる稜線に一閃はしった。

「夜が明けるぞ、馨、」

紺青ひろやかな天穹の涯きらめく、青から紫うまれて朱が燃える。
頬ひるがえる冴えた風、凍てつく呼気ふっと白く朝が光った。

「夜明けだね、紀之、」

星々の光芒おおらかに瞬く、暁闇ふかく朱い山嶺が目覚める。
耀くモルゲンロート、僕の朝だ。


唐辛子:トウガラシ、花言葉「旧友、辛辣、嫉妬、雅味、生命力、悪夢がさめた」/Morgenrot :モルゲンロート、朝焼けに赤く染まった山

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