萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

文月三十日、松虫草―mislay

2020-07-31 10:22:00 | 創作短編:日花物語連作
忘却、その先へ 
7月30日誕生花マツムシソウ


文月三十日、松虫草―mislay

ほろ苦い香が刺す、いつもの薬品棚の匂い。

「ふあぁ…」

あくび一つ腕を伸ばし、背骨ぐくっと伸ばされる。
肩かすかな鈍い痛みに齢つい数えた。

「30、68…38年、か?」

指折る窓のガラスはくすむ、38年前からそうだ。
それでも磨かれたタイルに朝陽が白い、まだ穏やかな診察室に腰下した。

「さて、午後の往診は…木村のばあさんからだな」

ひとりごとカルテファイル広げた手、白衣の袖口ほつれている。
すこし縫ったほうがいいだろうか、それとも買うべきか?
相談したくて、けれど今もう彼女はいない。

「僕が決めないと、だなあ…」

ひとりごと唇ほろ苦くなる、応えてもらえなくて。
ほんの少し前まで「決めないと」は君の役目だった、この朝も。

『あなた、また朝ごはん前からお仕事?わーかーほりっくねえ、』

ほら?耳深くまだ君が笑う。
瞳の底でも君が笑って、今ふりむいたらエプロン姿が微笑むだろう。
それでも君を看取ったのは僕で、主治医も僕だ。

「…朝メシなあ、」

ため息ひとりごと、応えてくれない君が苦しい。
こんな孤独まだ慣れなくて、このまま慣れそうにもない?
それでも肚の底ちいさく鳴いて、がたり、診察室のデスクを立った。

「パンがあったかなあ…コーヒー、」

ひとりごと棚を開けて、パン籠ひっぱりだす。
竹細やかに編まれた籠、これも君の気に入りだ。
このコーヒーカップも。

「まいったなあ…」

本音こぼれて唇ほろ苦い、孤独が疼いてしまう。
こんなに君は君ばかり遺して、こんなに君で包んで、それでも触れられない。
こんな孤独もっと先だったら良かったと、こんな願い、医者のクセに未練だろうか?

「だが君も、医者の妻のクセに不養生すぎるぞ?」

ひとりごと話しかけてしまう、愚痴のような後悔ほろ苦い。
こんな朝もう何度くりかえしたろう?数えたくない月日の涯、窓ガラスこつり鳴った。

「せーんせっ、おーはーよぉーお!」

ガラス透って響く声、低いくせ朗らかに緩ませる。
あいかわらず長閑な声に、つい笑って振向いた。

「おはようさん、またコッチから来やがったな?」

あいかわらず悪戯小僧だ?
可笑しさと窓ガラス開いて、潮風ふわり香る。
ほろ甘い風の真中、ライダースジャケット腰に巻いた青年が笑った。

「朝っぱらからごめんなー先生、ちょっとさーこいつ診てくれねえかな?」
「ん、どした?」

言葉に窓から乗りだして、もう一人が視界に映る。
長身さわやかなパーカー姿、その涼やかな眼に瞬いた。

「おお…ひさしぶりだなあ、」

何年ぶりだろう?
驚きの先で白皙の青年が微笑む、すっかり大人になった。

「ごぶさたしています、急にすみません、」

透るまま低くなった声が頭さげる、一見は爽やかで、けれど寂しい。
これを「診てくれねえかな?」なのだろう、出生から知る二人に勝手口の扉ひらいた。

「まず入んな、朝飯はどうしたんだ?」
「あーこれからっすねー」

のどやかに低い声が笑って、のそり勝手口にブーツを脱ぐ。
いつものミリタリーパンツ姿の笑顔は、紙袋ひとつ差し出してくれた。

「せんせー、これトーキョー土産のパンです、どぞ、」
「東京?」

訊き返しながら受けとった袋、麦の香ふわり芳ばしい。
きちんとした店で買ったのだろう?そんな一袋に推論ニヤリ笑った。

「ふん?土産というより口止め料なんだろう、何があった?」

この悪戯小僧が「東京」で買ってきた、その隣でパーカー姿の微笑かすかに燻む。
もう30年ずっと見てきた命ふたつ、日焼あざやかな笑顔が口ひらいた。

「せんせー、こいつが休める理由つけてくんねえかなあ?頼むよ、」

なんだサボりの片棒か?
なんて普段なら言ってドツく、でも今、白皙の微笑は脆く切ない。
子どものころも繊細だった、けれど今もう崩れそうで、だからこそ敢えて嘲笑った。

「なんだサボりの片棒か、ワケ話さんとカルテは書けんぞ?」

巻きこまれるなら、理解して巻きこまれるほうがいい。
それくらいの義務と責任とプライドはある、そんな想いに白皙の唇がひらいた。

「先生、俺…このまま東京にいたら限界でした、」

端整な唇つむぐ声、知るころより低くなった。
けれど透明なままの声は、まっすぐ自分を見つめた。

「でも辞めさせてもらえなくて、親も金のために辞めるなと言いました、だから親と絶縁しました、」

絶縁、この子が?

「君から親御さんと絶縁したのか?」
「はい、」

つい訊き返した真中、涼やかな瞳が肯く。
意志きらめく視線、けれど寂しい哀しい、底深くが昏い。
いつからこんな眼になったのだろう?軋みだす痛みに問いかけた。

「正直に言うがな?僕は君のこと、親の言いなりイイ子ちゃんだと思ってる。良くも悪くも優しい君だ、それが絶縁とは意外すぎるんだが?」

絶縁、なんて激しい言葉だろう?
激しさなんて似合わぬ記憶しかない、そんな瞳まっすぐ自分を見つめて言った。

「この町から家まで失くした親です、俺の帰る場所をとりあげた人は家族と思えませんから、」

ああそうか、君は帰りたかったんだ?

―それじゃあ許せねえだろうな、あの親じゃあさ?

この青年の親が何をしたのか?
この町では公然の事実で、だからこそ誰も何も言わない。
それだけ知られてしまった分ごと彼は利用すればいい、その権利と青年に向きあった。

「皮膚に痒いとこはないかい?」

問いかけた真中、切長い眼すこし瞠かれる。
驚いて、けれど澄んだままの瞳に瑕を見つめて尋ねた。

「内臓の病気や強いストレスが皮膚病の原因なこともあるんだ、未病ってやつも怖いぞ?ちょっとでも変なトコないかい?酒の量はどうだ、」

仮病に診断書は出せない、けれど未病なら虚偽でなはい。
なにより気がかりなのは目の前の顔、白皙の深く蒼が沈んでいる。

―肝臓がやられてんだろうが精神的に疲れ切ってるな、ひでえ顔色だ…家族のコトだけじゃねえな、

白い肌、その深く沈んだ青灰色が痛ましい。
目もと燻る隈も一日二日の寝不足じゃないだろう、そんな患者が口ひらいた。

「最近、この3年くらい増えています。」

かなり飲み続けている、そんな日常が肌深く青黒く沈む。
こんな貌は見たくなかった、切なさ蝕みだす鼓動と笑ってやった。

「ふん、大人になりやがったなあ?どーせワイン2本くらい空けちまうんだろ、ビールなら500を6本、それとも日本酒で1升か?」
「はい、…仰る通りです、すみません、」

素直に肯いて肩すくめて、その頬が白いまま青黒い。
こんなになるまで飲み続けてしまった、そんな日々が疼いて笑ってやった。

「謝るなら呑むなよ?まぁったく、とりあげた赤ん坊がこんな貌でくるのは堪らんなあ?ひでえ顔色しやがって、」

ほら本音こぼれて笑う、こんなことのために君は生まれたのか?
カルテにペン走らせながら、疼く痛みにあえて嘲笑った。

「男なら1日の純アルコール摂取量が40g以上でアウトだ、500のビール2本からヤバいんだよ?生活習慣病がヤバくなる、君はヤバいぞ?」

脅かして、その表情を見る。
どう変化するだろう?見つめる真中で困ったような微笑くすんだ。

「ヤバいんですね、俺?」

困ったような綺麗な微笑、その眉間よらせた皺くすんで青黒い。
もう体も心も限界なのだろう、それだけ飲みたい心の理由はたぶん一つじゃない。

「ヤバいな、コンナになるまで呑みやがってまったく。君はいくつ背負いこんでるんだ?」
「すみません、」

素直に謝ってしまう低い透明な声、こんなところ変わらない。
見つめてくれる瞳も澄んできれいで、だからこそ唇にやり笑ってやった。

「失恋でもしやがったか?君くらいのイケメンだと思ってたのと違うとか言われやすいだろ、仕事でもドコでもさ、」

30年前もきれいな赤ん坊、けれど性格は地味な子だった。
そのままに美青年だからこそ推測した真中で、澄んだ瞳そっと険くすぶった。

「失恋もあります、でも、それだけで呑んだんじゃありません、」
「ふん、そうかい、」

肯いて笑ってやる、何でも受けとめていけたらいい。
わずかに見られた感情を見つめて、青年を向きあった。

「君、足がつること多いんじゃないかい?頭痛が増えたり、瞼がビクビクしたりさ、どうだ?」

問いかけながら視診する。
白皙に沈みこむ青灰色、眉間わずかな皺の険、白い手の爪刻まれる縦線。
どれも血液の浄化機能が滞っている兆候、きっと春先は体調も崩していただろう。
病ただ見つめるまま、患者が言った。

「はい、頭が重かったり、瞼が変に震えることもあります。目が疲れやすくなったような、」
「なるほどな、口は苦くねえか?どっか皮膚が痒いとこあるかな?」

肯定に問いかけながら、カルテの抽斗ひらく。
15年前の一冊とりだし、眺めた既往歴に言われた。

「飲むとちょっと痒くなるときがあります、」
「おっ、いいねえ。どこらへんだ?」

つい笑ってカルテの過去、また「いい理由」ひとつ診る。
もう遠慮なく休ませてやれるだろう?つい微笑んだ肩ぽかり叩かれた。

「せーんせ、いいねえってさー縁起でもねーぞ?マジの病気とか嫌だぞー俺の船に乗せてやるんだからさー」

響く声しかめっ面、肩ぽんぽん叩いてくる。
この懐っこさが救うのだろう?三十路の悪戯小僧に唇にやり笑った。

「ふん、おまえはホントおバカちゃんでいいねえ?」

本当に善い、良い男だ。
こういう命を援けて世に送りだせた、誇らしさに漁師の青年は言った。

「俺はバカでいいからよーこいつ休ませてやってよ?もー好きにしてやりてえんだ、なーなーどうなんだよ?」

ほら「バカでいい」なんて普通は言えない、こんなに真直ぐだ。
こういう良い男だから今もここに連れてこられた、そのツレに笑いかけた。

「僕を身元引受にしていいぞ?気楽な男やもめの一人暮らしだ、遠慮なんかするなよ?たまーに息子も帰ってくるしな、」

言いながら思いついて、スマートフォンの画面を開く。
今ごろ当直明けだろう、自分の母校にいる息子のナンバー架けた。

「おはよ、なに?」

眠たげ、でも直ぐ出てくれる。
こんなところ優しい息子に笑って「片棒」を投げかけた。

「おはようさん。夜勤明けに悪いが、診断書すぐ書いてくれんか?」

田舎の医師よりも、東京の大学勤務医のほうが強いだろう?
思惑と信頼つなげた電話ごし、片棒が応えた。

「いいよ、病状は?」

応えてくれる声は低い、けれど穏やかで懐かしくなる。
男の声だ、そのくせ響く深み面影を見つめて微笑んだ。

「神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、」

応えながら心が息子の姿を描く、たぶん白衣じゃなくて手術着だろう。
今きっと大きな眼ゆっくり瞬かせて、妻そっくりの瞳は天井を見る。

「ストレス強いんだ?ゆっくり休むよう勧めて。今日はそっちに帰るよ、明日あさって休みなんだ、」

穏やかな声が告げてくれる、その予定に鼓動ふわり弾む。
あの瞳に会える、愛おしい追憶と一人息子に微笑んだ。

「おう、仮眠とってから来いよ?」
「ありがとう、電車で寝てく、」

穏やかな声やわらかに笑ってくれる。
この声に信じられる生きていく、僕は君を失ってなどいない。

※校正中

松虫草:マツムシソウ、花言葉「風情、私はすべてを失った、不幸な愛」
学名:スカビオサの語源はラテン語「scabiea疥癬」皮膚病の薬草として用いられたことに由来

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雲奔る、花の稜線

2020-07-30 07:37:07 | 写真:山岳点景
花ゆらす道、雲奔る 
山岳点景:シシウド×高原の空と道2018.8@八島湿原


手前のレースみたいな花は猪独活シシウド、高原でよく見る山野草です。
朝霧が晴れた山は光満ちる世界、雫も花も宝石よりきれいだろーって惹かれます、笑
山上の風雪洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:長野県霧ヶ峰2018.8】

緊急事態宣言が解除と言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末、笑
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深夜雑談、七月の果実

2020-07-29 23:59:11 | 雑談


庭で桃が穫れたんですけど、コンナ↑感じ。
こんなのが7個、まだ三年めの桃の木になってくれて、

あー桃栗三年ってホントなんだなあ、

なんて感想×シアワセ感しきりで、笑
はじめの一個は迎え盆13日に収穫できて、味見してみたら甘かった。
っていうか店で売ってるのと変わらない、我ながらヤルじゃんなんて感想+それ以上に、

桃の木えらいなあ、植物スゴイ面白いな偉大だなあ、

思いながらあらためて植物に感動×感謝しきりで、笑
自分だけで食べるのもったいないなー思って実家と身内にもオスソワケしたんだけど、

えっ、コレお店で買ったんじゃないの自分で作ったの??

ってビックリされたのがここ最近のちょっと自慢、笑
ぷらす自慢なのは、

アレ甘かったわーやわらかくて新鮮でホントおいしかったーお店で売れるわよ?

なんて賛辞をもらったんだけど、身内だから嘘偽りない本音なんだろう。
本音=ホントに上手いこと出来た→ここ最近のちょっとした自慢、笑

そんなウチの桃の木は三年め・樹高1メートルちょっと、
まだ小さな若木なんだけど、幹は植えた2年前の倍くらいで、
身の丈より充実度が結実するか否かなんだろなーなんて実感した。

小さい若木は枝も細い、それでも標準サイズの桃シッカリ成って、
春の花も大きくて色濃やかに綺麗なモン咲かせてくれる、
小さい樹、けれど花も実も見事で楽しい。

ささやかでも目立たなくても充実の樹、そして人を喜ばせてくれる。
生きる時間ってそういうのでいいんだろなーなんて想ったり、笑

そういう幸せがホントはいちばん得難くて、生きる意味なのかもしれない?
っていうか生かされているんだろう、
だから桃も成ってくれる、笑

なんていうトリトメナイ深夜の雑文する傍ら、
ソファには悪戯坊主の寝顔が幸せで、笑

梅雨時もこんな収穫の楽しみがあるアタリ、庭があるっていいなーという個人的感想、笑
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空渉る、二重の虹

2020-07-29 20:42:09 | 写真:山岳点景
七彩ふたつ、黄昏わたす空の門 
山岳点景:二重の虹2019.10


去年の秋、丹沢上空に見えた二重の虹です 
濃い内側を主虹=一次の虹、淡い外側を副虹=二次の虹(ちょっと重複感、笑)と謂うんだとか 
このあいだ撮った海の虹写真を整理していたら出てきたんで載せてみました、笑
【撮影地:神奈川県丹沢山塊2019.10】

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滴る、夏雨の花

2020-07-29 13:33:01 | 写真:山岳点景
百合こぼれる雫、七夕ふらす洒涙雨
山岳点景:鉄砲百合2015.8


洒涙雨(さいるいう)は七夕、牽牛と織女が逢えた後の別れに流す涙の雨だとか。
夏の山はさまざまな百合が咲きます、テッポウユリは凛と潔い花姿がきれいだなあと。
梅雨時こそ洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:神奈川県丹沢山塊2015.8】

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第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

2020-07-28 23:55:09 | 陽はまた昇るside story
約束の場所へ、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

届かない、

「周太っ!」

叫んだのは自分の声、呼んだ名前は君へ。
けれど横顔ふりむかないで、そのまま消えた。



戻って、最初に見た門どこか懐かしい。
ただ「学校」という共通点だろうか?

「問い合わせ先は受験要綱のこちらです、また見学いつでもどうぞ?」
「ありがとうございます、」

きれいに笑いかけた先、職員も笑ってくれる。
まだ30歳くらいだろうか?髪ひとつに束ねた彼女は微笑んだ。

「お仕事との両立は大変でしょうけど、受験がんばってください。お待ちしています、」

たしかに「大変」だろうな?
そんな現実と微笑んで、英二は専門学校の門を出た。

「11時半過ぎか、」

仰いだ太陽の角度つぶやいて、左腕に眼を落とす。
手首の文字盤は11:33、時間感覚に微笑んで封筒を抱え直した。

―予定より時間かかったな、

歩きだした道は人が流れる、飲食店へ入ってゆく。
ちょうど昼時、あの職員には休憩時間すこし削らせてしまった。
それでも楽しげだった女性の顔はある意味よく知っていて、そんな過去が街角に遠い。

―ああいうの面白かったな、2年前の俺なら、

女性から好意を示される、注目され、褒められ、持て囃される。
そんな日常すこし昔まで楽しんで、当然で、けれど今は面影ひとつ探している。

―外泊日はいつも一緒だったな、土曜の午前と、日曜の午後はこの街で、

新宿、この駅がおたがい実家に帰る分岐点だった。
だから警察学校の外泊日は新宿駅まで一緒に帰る、そして翌日は待ち合せた。
それが当たり前のようになった最初は、あの道の向こうにあるラーメン屋だ。

―あの暖簾、なつかしいな、

温かな空気ゆらぐ、そう感じさせる暖簾はためく。
すこし前に出したばかりだろう、そんな時刻に君の声が懐かしい。

『…らーめん、』

ぼそり、そんな口調だった2年前。
まだ2年、それでも全て変わってしまった。
あのころ自分はただ家から離れたくて、だから全寮制の警察学校を選んだ。
そうして君に出逢って今、こんなところに立っている。

ことん、

レザーソール鳴って歩きだす、暖簾の先を期待する。
あの布一枚くぐった向こう、君がいたら?

―さっきのスーツ姿は周太だった、新宿にいるなら今もしかしたら、

この店がいちばん好きだと君は言った、だから期待する。
だって見間違えるなんてない、君のこと。
それでも、いないかもしれない?

期待と不安と、ただ暖簾くぐる。

「へいっ、いらっしゃーい、」

低い渋い、けれど明るい声かけられる。
その声が顔こちら向けて、にっこり笑ってくれた。

「おっ、ひさしぶりだねえ、兄さん?今日は一人かい、」

温かい声、でも言葉は無情に響く。
期待ひそやかに消しながら英二は穏やかに笑った。

「おひさしぶりです、」
「本当にひさしぶりだねえ、さあさあ座ってくれ、」

温かな声が笑って、いつものカウンターにおしぼり置いてくれる。
けれど並んで座る人はいない、ただ微笑んで席に座った。

「今日は何にしますかい?」

訊いてくれる声の向こう、出汁と胡麻油が香りたつ。
ひさしぶりの匂いだな?ふわり寛いだ腹から笑いかけた。

「チャーシュー麺の大盛と五目丼ください、」
「いつものだねえ、ちょいとお待ちくださいよ、」

気さくな笑顔くしゃくしゃ笑って、厨房むこう踵を返す。
後姿が引きずる左脚に、ワイシャツの胸もと触れた。
指先ふれて硬い、ちいさな合鍵の輪郭。

―このひとは馨さんの殺人犯にされたままなんだ…発砲だけでも罪だとしても、冤罪の被害者だ、

15年前、この店の主は警察官に銃口を向けた。
そのまま殺人犯として裁かれ、服役し、それでも今ここで温かに人を迎えている。
けれど馨を殺害したのは彼じゃない。

―警官が警官を殺したんだ、警察が罪を公表するわけない、けれど、

馨を殺害したのは狙撃手、馨のパートナーを務めていた男。
そうして馨の息子まで追いつめて、けれど今もう警察を去る。

―あの岩田も裁かれる、でも本当の主犯は…観碕は裁かれないままだ、

観碕征治、あの男が馨を、その父親と祖父も殺害した。
自ら手を汚していない、けれど殺害は観碕の意志。

―馨さんも解ってはいたんだ、でも殉職を選んだのは、

なぜ馨が「殉職」という自殺を選んだのか?
その選択の傷つづられた日記が心に映る。
……
なぜ、命を生かす為に命を殺さなくてはいけないのか?

他に方法は無いのか?
罪を罪で制することしか出来ないのだろうか?
それならば、この世から罪が消えることなどできない、だからこそ私の罪は裁かれるべきだ。
父、祖父、そして曾祖父。この家に連綿と続く人殺しの遺伝子、そして殺せば殺される運命、それも拳銃で狙撃されて。
父が、私が射撃を始めたことを止めてくれた、あの時に父の言葉に従っていたのなら、この罪の連鎖は消えていた。

この愚かな私こそが裁かれるべきだろう。だから、いつか私は拳銃に殺されて命を終える。
もう私の代で終わらせなくてはいけない、この殺人を殺人で止めていく哀しい運命の歯車は。
だから密やかに願う、この私が裁きを受ける瞬間は、誰かの尊厳を守るために射殺され、すこしでもこの罪の贖罪が叶うことを。

与えられた『任務』に惑わされ堕ちていく、今の自分は『化物』と変わらない。
こんな今の自分には、美しい英文学の心を伝える資格があるのだろうか?きっと、無いだろう。
この罪に穢れた掌は、あの美しい言葉の記された本を開くには、相応しくないのだから。

私はただの幽霊、虚しい夢の残骸に過ぎない。
殺し殺されていく罪の連鎖の虜囚、これが私の現実。
けれど、この罪の贖罪が少しでも叶うなら、この忌まわしい運命への抗いになるだろうか?

そして私の英文学者の夢は、美しい幻想のままに掴めない。それが20年の答え。
……
裁かれない「銃殺」の罪、そのままに馨は自身を裁くことで運命に抗おうとした。
それでも家族に「自裁の自殺」と知られないため、馨は狙撃される殉職を選んだ。
だから14年前の春の夜あの瞬間、馨には待ち望んだ瞬間だった。

―だから馨さんは銃口を向けられた瞬間、笑ったんだ…その笑顔に今も、このひとは自分を責めながら厨房に立ってる、

馨の自殺、その瀬戸際に立ち会った男は温かな食事を生業にする。
食べることは「生きる」ことだから。

『あの警察官はね、本当は俺を先に撃てたんです、けれど撃たなかった…警察官の目が一瞬だけ合いました。彼の目は、生きて償ってほしい、そう言っていると感じました…あのひとの目を、俺は一生忘れられません』

馨を殺害した男が教えてくれた、馨の最期の瞳。
だから今この目の前で男は厨房に立ち、その背中ふり向いて笑った。

「さあ、できましたよ?いっぱい食べてくださいねえ、」

丼ふたつ、ごとりカウンターに置いてくれる。
湯気くゆらす温もり芳ばしい、その大盛に英二は笑った。

「ありがとうございます、本当にいっぱいですね?」
「そりゃいっぱいにしますよ、ウンと食ってさ、元気いっぱいでいてもらわなくちゃあねえ、」

皺きざんだ笑顔くしゃり明るい、ほころんだ眼ほがらかに笑ってくれる。
こんなふうに今このひとは生きている、馨が遺してくれた温もりに英二は微笑んだ。

「はい、元気でいます。いただきます、」

食べることは生きること、そんな現実に胸もとの合鍵ひとつ温かい。
だから今、君に逢いたい。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

第86話 花残act.14← →第86話 花残act.16
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七月の百合、潔白の涙

2020-07-28 17:29:09 | 写真:山岳点景
百合こぼれる雫、七月の涙 
山岳点景:鉄砲百合2015.8


夏の山はさまざまな百合が咲きます、テッポウユリは凛と潔い花姿がきれいだなあと。
梅雨時こそ洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:神奈川県丹沢山塊2015.8】

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虹が生まれる海

2020-07-27 19:05:05 | 写真:山岳点景
七彩きらめき昇る。天津橋はじまりの海で 
山岳点景:虹と海2020.7


天津虹の橋なんても言います、天津橋=てんしんばし・ではないので要注意、笑
買物ついでに立ち寄った海、架かる虹あざやかでした。
梅雨時こそ洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:神奈川県相模湾2020.7】

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虹、七彩の海

2020-07-26 20:51:09 | 写真:山岳点景
海渉る虹、波に生まれた七彩の光 
山岳点景:虹と海2020.7


買物ついでに立ち寄った海、架かる虹あざやかでした。
梅雨時こそ洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:神奈川県相模湾2020.7】

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七月稜線、夏雲の道

2020-07-26 09:43:00 | 写真:山岳点景
一本樹へむかう道、雲わたる稜線へ 
山岳点景:高原の空と道2018.7@鉢伏山


山の空は下界より青が深いカンジがします・で、雨の朝なリアルタイム晴れたらいいなー思ってUPたら・晴ました、笑
朝霧が晴れた山は光満ちる世界、雫も花も宝石よりきれいだろーって惹かれます、笑
梅雨時こそ洗われる空はきれいで&山野は花も風も雨も、炎天にも凛ときれいです。
【撮影地:長野県霧ヶ峰2018.7】

緊急事態宣言が解除と言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末、笑
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