萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第56話 潮汐act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-09-30 23:54:04 | 陽はまた昇るanother,side story
“Flidais”― 海、遥かな約束



第56話 潮汐act.3―another,side story「陽はまた昇る」

あまい潮の香が前髪ひるがえし、周太は目を細めた。
ゆれる髪透かした向う、青い海がひろやかに空と迎えてくれる。
そっと降りたテラコッタの床は温かい、スリッパ履きの足元を可憐な草花が風ゆれる。
ふわり花々の馥郁が頬を撫でて、広々としたテラスの風景に周太は綺麗に笑った。

「きれい…」

夏バラの薄紅と白が、青い海と空に香を送る。
千日紅の赤と白、金蓮花の黄色とオレンジに光がおどらす。
ローズマリーの薄紫やさしくて、ペチュニアの白と紫がシックに美しい。
星のようなアベリアの植込み、桔梗の紫紺、葡萄色のアイビーゼラニウム。
奥の可愛らしい家庭菜園には、プチトマトの赤に茄子紺と胡瓜の緑も見える。
木洩陽ふるカウチは居心地良さそうで、緑陰に涼しいテーブルセットの木目が優しい。

…ほんとうに空中庭園だね?

心のつぶやきに溜息と微笑こぼれてしまう。
こんな庭を作りだす二人の老婦人が、英二の縁故にいてくれる。それが嬉しくなってしまう。
嬉しい気持ちに眺める緑のなか、薄紅のダリアに周太は気がついた。

「あ、」

駐車場から入るエントランス、サイドテーブルには薄紅の花が優しい表情に活けられていた。
あのダリアとこの花は似ている、あの活け方の雰囲気はこの老婦人に相応しい?
そんな感想に周太は優しい青紫の瞳に笑いかけた。

「あの、エントランスの花を活けたのは菫さんですか?」
「そうです、よく解りましたね?周太さんも花を活けるの?」

周太の言葉に青紫の瞳は微笑んだ。
白いカフェエプロン姿の手は、人の為に遣ってきた優しい皺が刻まれている。
あの優しい花を活けた手に会えた、嬉しくなって周太は率直に微笑んだ。

「はい、茶花ですけれど活けます…さっき、あのダリアを見て僕、緊張が楽になれたんです。ありがとうございました、」
「私の花が、周太さんの役に立ったのですね?うれしいわ、」

楽しそうに青紫の瞳が笑ってくれる、その眼差しに嬉しくなる。
穏やかな菫色に心ほどかれる、訪問の緊張が消えていく。

…なんだか不思議で、すてきなひとだな?

不思議な優しい菫色に、父が読んでくれたイギリスの物語が蘇える。
それは不思議な力を持ったナニーと子供達の物語だった、いま隣にいるナニーも不思議な力を持っていそう?
そんなことを思いながら見た白い紫陽花の向こう、きれいなキャメル色に周太は瞳を大きくした。

「あの、あそこにいるのって、」

訊きかけた周太の言葉に青紫の瞳は微笑んで、軽く口笛ひとつ吹いた。
雲雀の鳴くような音にキャメルブラウンは立ち上がり、軽やかな足音に走り寄る。
すぐ足元に行儀よく座ると可愛い三角耳を立て、黒い瞳が見上げてくれた。

「海、周太さんですよ?」

アルトヴォイスの紹介に、やわらかな尻尾を振ってくれる。
やさしい明るい色の中型犬を見つめて、周太は明るく笑いかけた。

「こんにちは、カイ?」

呼びかけに黒い瞳は嬉しそうに見上げて、右手をあげてくれる。
うれしくなって周太はしゃがみこむと、なめらかな毛にくるまれた手を掌に受けた。

「ありがとう、仲良くしてくれるの?」
「クン、」

可愛く鼻を鳴らして、キャメルの鼻づらを寄せてくれる。
そっと白い顎を撫でると瞳細めてくれる、嬉しくて微笑んだ周太に菫は言ってくれた。

「海は周太さんを好きになったようですね?とても嬉しそうだわ、」
「ほんとうに?…うれしいな、カイ、俺も好きだよ?」

笑いかけるとキャメルの犬は寝転んで、白いお腹を見せてくれる。
このポーズの意味が嬉しくて、綺麗に微笑んで周太はやわらかなお腹を撫でた。

「ありがとう、カイ?かわいいね、きれいなお腹だね、」

真白な毛並みは優しく掌ふれる、その向こう温もりが柔らかい。
温かな陽射しのなか犬を撫でる隣、すらりとした長身もしゃがみこんで笑いかけてくれた。

「海はね?去年の秋に、海で顕子さんが拾ってきたのです。それで『海』と書いて、カイなのですよ、」

犬を拾ってくる、そういう優しさが英二の祖母にある。
それはとても納得できてしまう、あの涼やかな切長い目は、父とそっくりな目は見過ごす事は出来ない筈だから。
こんな確信が自然と出来てしまう、それが不思議で、嬉しくて周太は海の犬に笑いかけた。

「海の子なんですね?…素敵だね、海?」

言葉につぶらな瞳が見つめて、起きあがる。
そっとキャメルの犬は周太の懐にすりよって、甘えるよう鼻をならしてくれた。

「すっかり懐いてしまいましたね、周太さんは犬と暮らした事があるのですか?」

感心したようアルトヴォイスが訊いてくれる。
その質問に記憶がひとつ蘇えって、切なさと喜びに周太は微笑んだ。

「ありません、でも、本当は一緒に暮らす約束でした、」
「どんな約束を?」

優しいアルトが尋ねて、青紫の瞳が見つめてくれる。
よかったら話してみて?そんなトーンの眼差しに周太は素直に口を開いた。

「僕が10歳になったら、犬の友達を連れて来てくれる。そう父が約束してくれたんです…でも、その前に亡くなったので」

―…周、10歳の誕生日には、犬の友達を連れてくるよ?…その子も一緒に山に登ろうね、

懐かしい声が今、キャメルの犬に映りこむ。
あの約束はもちろん母も知っているだろう、けれど母も復職して犬を育てる余裕が無くなった。
まだ10歳の自分には、家事をしながら子犬を育てることも出来なかった。何より約束の記憶すら喪っていた。
けれど今、懐かしい父の約束がキャメルブラウンの犬に蘇えってくれる。

…海のお蔭で思いださせてもらったよ?ありがとう…いい子だね、

微笑んで撫でる手に、つぶらな瞳は嬉しそうに見つめてくれる。
こういう子と暮らしたかったな?そんな想い微笑んだ周太に、穏やかなアルトヴォイスが言ってくれた。

「大丈夫です。いつかきっと、その犬と出会えますよ?お父さまが連れて来るはずだった子とね、」

父が連れて来るはずだった犬と、いつか本当に出会えるのだろうか?
あの約束は果たされる?そんな望みに周太は青紫の瞳を見つめた。

「ほんとうですか?…約束は、叶えられますか?」
「ええ、きっとね、」

見つめた青紫の瞳は穏やかに微笑んでくれる。
潮風に銀髪を煌めかせながら、深いアルトの声は静かに教えてくれた。

「犬は、主人との結びつきが強いと言います。その通りに周太さんも、お父さまと約束した瞬間に犬との縁は定まっています。
いつか出会ったときは、お互いに自分たちを解かりますよ?周太さんと出会うべき日が来ることを、彼も待っているはずですから、」

優しい声の言葉は、ふるい秘密のお伽噺のよう響く。
その温もりに心ゆるめられて、瞳から熱がこぼれだした。

「…あ、」

泣かないと決めていた、それなのに涙が墜ちていく。
泣き声は無い、けれど涙は静かに頬つたう、その軌跡を柔らかい温もりが舐めてくれた。

「…海?なぐさめてくれるの?」
「くん、」

やさしく鼻を鳴らして、つぶらな瞳が見つめてくれる。
その無言の優しさが温かい、嬉しくて周太は綺麗に笑った。

「ありがとう、海?…菫さん、ありがとうございます、」
「本当のことを言っただけよ?」

優しい青紫の瞳が微笑んで、そっと腕を伸ばしてくれる。
ふわり、菫の香と青いストライプのシャツが頬ふれて、静かな温もりは犬ごと周太を抱きしめた。

「大丈夫、きっと出会えます。その子にも、たくさんの友達にも、幸せなことにも出会えます。そういう約束をしているのだから、」
「ん…約束しているの?」

やわらかな香から見上げて、青紫の瞳を周太は見つめた。
見つめた瞳は穏やかに笑いかけて、アルトヴォイスは教えてくれた。

「はい、お父さまが約束をしていますよ?自分の息子が幸せになれるよう、周太さんが生まれる前からずっと、」

自分が生まれる前からの約束。
その言葉に黒い瞳が心に映って、その名前が言葉になった。

「小十郎…?」

父が贈ってくれた、優しい瞳のテディベア。
いつも忙しかった父、その代わりに息子の傍にいるようにと願いを籠めて贈ってくれた。
困ったとき寂しいとき、抱っこして語り掛けると心が明るんで良い考えが浮ぶ、不思議なテディベア。
あの優しいクマのぬいぐるみが、父の約束なのだろうか?

「コジュウロウ?それは、お父さまからの贈り物の名前?」

アルトの声は優しく尋ねてくれる。
その声に周太は素直に笑いかけた。

「はい、僕が生まれる前から父が連れて来てくれた、テディベアなんです。小十郎って名前も父が付けてくれて…宝物なんです」

23歳の男がテディベアを「宝物」だなんて、きっと変だと解っている。
けれど大切な宝物であることは本当、父の想いのためにも嘘を吐きたくない。
そんな想いに羞みながら笑った周太に、優しい声は微笑んでくれた。

「素敵な宝物ね?きっとコジュウロウのように、お父さまは沢山の宝物を周太さんに贈っていますよ、いつかその全てに出会えるわ、」

これは本当よ?
そう青紫の瞳は微笑んでくれる、その瞳は温かい勁さに充ちて、美しい。

…こういう瞳は好き、

こういう人には初めて会うな?
どこか不思議な雰囲気のナニーに周太は、素直なまま微笑んだ。

「はい、ありがとうございます…ね、菫さん、お手伝い出来る事はありますか?」

このひとが贈ってくれた優しさに、すこしでもお返ししたい。
そんな思いに願い出た周太を見つめて、幸せそうな笑顔がほころんだ。

「お手伝いしてくれるんですか?うれしいですね、」

嬉しそうに青紫の瞳が笑ってくれる。
その優しい掌は周太の手をとって、一緒に立ちあがってくれると優しく言ってくれた。

「ではね、まず一緒にお茶を飲みましょう。顕子さんと英二さんとお喋りしながら、何をお願いするか考えますね?」
「あ、…お待たせしていますね?」

言われて思いだして、周太はすこし困ってしまった。
つい時間を過ごしてしまった、テラスの空中庭園が綺麗で、海が可愛くて、菫との話が嬉しくて時間を忘れた。
また自分はうっかりしてしまったな?羞みながらも今のひと時が幸せで、嬉しいまま周太は踵を返した。
その足元をキャメルの犬も付いて来てくれる、嬉しくて周太は笑いかけた。

「海も一緒に、お茶してくれるの?」

笑いかけた先、楽しげに尻尾を振って答えてくれる。
お茶のメニューに、犬も一緒に楽しめるものがあるかな?そう考えたときアルトヴォイスは教えてくれた。

「海はスコンが好きなのです、少しあげてくれますか?」

scone、スコンは自分も好き。
父も好きで休日は時おり焼いてくれた、自分も手伝って一緒に作って、いつも楽しかった。
そんな優しい記憶も犬も嬉しくて、並んで歩くエプロン姿へと微笑んだ。

「あの、僕があげても良いんですか?」
「ええ、もちろん。周太さんの手からもらったら喜ぶわ、そうでしょう、海?」

やわらかなアルトヴォイスの言葉に、キャメルの尻尾を振ってくれる。
こんなに仲良くしてくれて嬉しい、嬉しいままリビングの窓を覗くと安楽椅子で英二が白猫を膝に乗せている。
寛いだ笑顔で話しながら、ゆったり白皙の手に美しい猫を撫でる。その優雅に見惚れて周太は羞んだ。

…ほんとうに王子さまみたい、

天鵞絨張りの瑠璃色は白皙の肌に映え、ダークブラウンの髪とコントラストが美しい。
ライトグレーのスラックス包む長い脚は端正で、黒いブルゾンの肩は広やかに頼もしい。
綺麗な婚約者に羞んでしまう、そして、その膝に寝そべる白い猫が可愛い。

…ちょっと毛が長めで可愛いな…うれしそうにしてる、英二のこと大好きなんだね?

黒い服の美青年と綺麗な白い猫、ほんとうに美しい絵みたい。
きれいでつい見惚れている横顔に、楽しげなトーンで菫が笑いかけてくれた。

「可愛いでしょう?あの子は、雪っていうんです、」
「ゆき?」

優しいアルトヴォイスに振り向くと、青紫の瞳が微笑んでくれる。
その瞳は青い海を見遣って、懐かしむよう教えてくれた。

「もう5年前ですね、寒い雪の日に英二さんが拾ってきたんです。だから『雪』と英二さんが名前を決めました、」
「英二に…」

つぶやいて窓越し見つめてしまう、あの猫と自分が重なるようで。
この青紫の瞳をしたナニーは、周太と英二のことを知っているのだろうか?
そんな考え廻らせかけた隣から、やさしいアルトヴォイスは笑いかけてくれた。

「もしかしたら雪は、周太さんに嫉妬するかもしれませんね?英二さんをとられると思って、」
「え、」

驚いて見つめた先で、青紫の瞳が楽しげに微笑んでくれる。
そして楽しい内緒話をするよう菫は言ってくれた。

「婚約者なのでしょう?とても幸せな笑顔で教えてくれましたよ、英二さん。周太さんも幸せなのでしょう?」

そんなふうにもう話してくれたの?

嬉しくて気恥ずかしくて首筋が熱くなる、もう真赤だろう。
こんな時どうしたら良いのだろう、こんなこと慣れていないのに?それでも周太は綺麗に微笑んだ。

「はい…僕も幸せです、」

素直に微笑んだ周太に、青紫の瞳が優しく温かに笑ってくれる。
そしてアルトヴォイスは謳うように言ってくれた。

「よかった。それもきっと、約束の魔法ですね?」

言祝ぐよう微笑んで、菫はリビングの窓を開いてくれた。
いま言ってくれた言葉が温かい、優しい温もりと窓を潜って周太は綺麗に笑いかけた。

「英二?すごく可愛いね、海」
「カイ?」

綺麗な低い声に、周太の足元からキャメルの犬が顔を出した。
やわらかな三角の耳を立て、つぶらな黒い瞳は白皙の貌を見つめている。その様子に英二は綺麗に微笑んだ。

「お祖母さん、いつ拾ってきたんですか?」
「去年の秋よ、可愛いでしょう?海って書いてカイなのよ、」

楽しげに顕子が長い指を差し伸べると、嬉しげに海は走り寄ってサブリナパンツの足元にきちんと座った。
姿勢の良いキャメルブラウンにブルーの首輪がよく似合う、可愛いなと見ていると英二が笑った。

「お祖母さんは、いつも拾ってばかりいますね?」
「あら、雪は英二が拾ってきたのでしょう?それを私の所に連れてきて、」

可笑しそうに答えながら顕子は、長い指にティーポットを持ちながら周太に笑いかけてくれる。
その笑顔に笑い返した周太に、やさしく背中押してくれながら菫は教えてくれた。

「顕子さんが呼んでるわ、隣に座ってあげて?」
「はい、」

素直に微笑んで周太は、顕子の座るソファに並んで腰かけた。
ふわり、豊潤な花の香が頬なでる。自分も好きな香が嬉しくて周太は微笑んだ。

「いい香…ナポレオンですか?」
「あら、よく知ってますね?紅茶が好きなのかしら?」

嬉しげに顕子が尋ねてくれる。
尋ねられて周太は羞みながら微笑んだ。

「このお茶は、たまに母が飲むんです。それで知っています。あと、友達が紅茶を好きなんです、」

この紅茶は父が好きだった、ときおり母は父の話に微笑んでこの紅茶を楽しんでいる。
それで美代が3月に来てくれた時もこの紅茶を出して、美代も好きだと教えてくれた。
この大好きなふたりを想いながら笑いかけた周太に、顕子は楽しげに提案してくれた。

「じゃあ、お母さまとお友達は、私と趣味が同じね?こんど、良かったら連れてきて頂戴な?皆でティーパーティーしましょう」

楽しげな笑顔で、周太にティーカップを勧めてくれる。
ほんとうに皆でお茶を飲んだら楽しそうだな?カップを受け取りながら周太は訊いてみた。

「ありがとうございます…あの、本当によろしいんですか?」
「嫌なら誘いませんよ?若いお友達が来てくれたら楽しいもの。いつでも良いから連絡頂戴ね、メアド交換しましょう?」

嬉しそうに顕子はサブリナパンツのポケットに手を入れると、ゴールドベージュの携帯電話を取出した。
それに微笑んで周太も携帯電話を取出すと、赤外線受信でアドレス交換を始めた。

「車で来るなら駐車場もありますからね、遠慮なく英二を運転手に遣って頂戴な、」
「はい、あ…」

素直に頷いてしまって、周太は赤くなった。
人様の孫を「遣う」だなんて失礼だろうに?申し訳ない気持ちで周太は言い直した。

「…でも、悪いです、」
「悪いことなんか無いわよ?英二の顔も見られたら、私も菫さんも嬉しいですからね、」

楽しげに切長い目は笑って、周太に話しかけてくれる。
涼やかな切長い目は見るほど父とそっくりで、どこか懐かしげで温かく優しい。
どうしてこんなに父と同じ目なのだろう?不思議に思いながら周太はキャメルの犬に微笑んで、顕子に訊いてみた。

「あの、海にスコンを少し、あげてもいいですか?好きって教わったんですけど、」
「ええ、もちろんよ?ほら、もうすっかり待っているわね、」

嬉しそうに笑って顕子は、周太の膝に真白なリネンを広げてくれる。
スコンの粉で汚さないように。そんな配慮の温もりに微笑んで温かいスコンを取ると、さっくり割った。
ふわりバターの香がやさしい、小さくちぎると掌に載せてキャメルの犬に笑いかけた。

「海、どうぞ?」
「くん、」

嬉しそうに鼻を鳴らすと、ナプキンの上で周太の掌から食べてくれる。
かわいい鼻づらを眺めながら半個分をあげると、残りの半分にクロテッドクリームを塗って口にした。

「ん、おいし、」

やさしい甘みとバターの芳ばしさが口にひろがる。
ほろりとける生地を飲みこみ紅茶を啜りこむ。華やかな花の香が喉をおりて、周太は率直に微笑んだ。

「スコンもお茶も、すごく美味しいです。なにか、コツがあるんですか?」
「普通に作るだけですよ、」

優しいアルトで菫は嬉しそうに答えてくれる。
その青紫の瞳が周太を見、楽しい内緒話のように微笑んだ。

「でもね、私なりの魔法が入っているかもしれません、」

この青紫の瞳なら、魔法を使えるかもしれない?
そう納得できてしまう、優しい不思議がこのナニーにはある気がして。
こんな想像に微笑んで膝のナプキンを畳むと、空いた膝に白猫が軽やかに跳び乗った。

「あ、…こんにちは、雪?」

木洩陽のようなグリーンの瞳が見上げてくれる。
小首傾げて細い声で一声鳴くと、可愛い頭をカーディガンの胸にすり寄せてくれた。

「かわいいね…仲良くしてくれるの?」
「にぁ、」

まるで解かるよう鳴いて、雪は膝の上に座りこんでくれる。
やわらかな温もりが黒藍のパンツを透かして、ふんわりと重みが優しい。
寛いだよう猫は香箱を組んで目を細める、そんな様子に青紫の瞳が快活に笑ってくれた。

「周太さんは、緑の指だけじゃなくてソロモンの指輪も持っていますね?Flidaisみたいです、」

“Flidais”

アルトヴォイスの言葉に、記憶が1つ姿をもどす。
この言葉を自分は知っている、その自覚に唇が単語をくりかえした。

「フリディス…」

―…ケルトの森にはね、草花や木、それから動物たちの神さまがいるんだ…“Flidais”って名前の女神さまだよ、周?
  森の女神さま?…僕、森は大好きだけど…フリディスさま、僕とも仲良くしてくれるかな?
  そうだね、周なら仲良くしてもらえるかもね?…周は本当に森も植物も大好きだから、いつか会えるかもしれない

「…ケルト神話の、森の植物と動物の神さまですよね?」

懐かしい声に辿る遠い記憶、それが言葉に変わって周太は微笑んだ。
そんな周太に青紫の瞳はひとつ瞬いて、優しいアルトヴォイスは楽しげに訊いてくれた。

「よくご存知ですね?イギリスの文学も好きなんですか?」
「父が色々、読み聞かせてくれたんです…僕が植物を好きなので、フリディスのことも話してくれて」

“Flidais” 美しい森の守護神。
遠い国の森に住む女神の物語は、とても不思議で楽しかった。
いま目の前に広がる青い海、その遥か彼方に女神の森はあるという。そこに自分もいつか行ける?
そんな想い微笑んだ周太に、アルトヴォイスは楽しそうに訊いてくれた。

「良いお父さまですね、日本の方でFlidaisをご存知なのは珍しいでしょう?」
「あ…そうなんですか?でも、父は物知りなほうかなとは、思います、」

正直な答えに父の自慢をしてしまう。
物知りで穏やかで、山と文学を愛する父を自分は今も大好きで、誇らしい。
父は贖罪の死を選ぶほど任務に苦しんでいた、けれど、苦悩の底ですら父は世界の美しさを忘れていなかった。
それを今こうして蘇える記憶の欠片たちが教えてくれる、そんな父こそ自分は誇らしくて、心から愛している。
だからすこし自慢してみたかった、そんな想い羞んだ周太に低く美しい声が笑いかけてくれた。

「周太くんは本が好きなのね、英二や英理と同じね。食べ物なら何が好きなの?」
「オレンジが好きです、ココアと、チョコレートのお菓子も…あとらーめんすきです」

最後の言葉だけ恥ずかしくなって、頬が熱くなってくる。
この意味に顕子と菫は気づいてしまうかもしれない?

…らーめんはえいじがすきだから好きになったんだもの

気恥ずかしくてティーカップに口付けると啜りこんで、ほっと息を吐く。
その吐息に膝から翠の瞳が「どうしたの?」と見上げてくれる、その瞳に嬉しくて微笑んだとき顕子が提案してくれた。

「菫さんはね、とても美味しいオレンジのガトーショコラを焼けるのよ。菫さん、今、作ってあげられる?」
「はい、お土産にして頂いても良いですね?ちょっと買物に行ってきます、カイ、お散歩行きましょう」

気さくに笑って立ち上がるエプロン姿に、キャメルの犬も立ち上がった。
つぶらな瞳がこちらを見あげて「一緒に行こう?」と言うよう尻尾を振ってくれる。

…海と一緒に行きたいな?でも、中座は失礼だから…

そう黒い瞳に笑いかけた周太に、キャメルの犬が首傾げてくれる。
おいでよ?そんなふう尻尾を振って海は菫の方へ行き、姿勢よく座りこんだ。
そのブルーの首輪に白い手はリードを付けていく、それを見つめていると綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「周太?カイの散歩に行きたいんだろ、一緒に行ってきていいよ?」

ほら、英二はまた気がついてくれる。
いつもそう、言わなくても周太がどうしたいか気がついて、願いを叶えてくれる。
それが嬉しくて幸せになる、けれど中座になるのが顕子に申し訳なくて、短く周太は答えた。

「…でも、」

中座は申し訳ないな?
そう英二と顕子の顔を見た周太に、涼やかな切長の目は笑って促してくれた。

「海のお散歩コース、なかなか良いわよ?よかったら行ってらっしゃいな、百日紅が見事なお家もあるわよ、」
「さるすべり…きれいですよね」

花の名前を言われて、嬉しくなって微笑んでしまう。
見に行きたいな?こんなふう勧めてくれるなら中座させて貰おうかな?
そんな想いに首傾げた周太に、優しいアルトヴォイスがキャメルの犬と笑いかけた。

「深紅の見事な花ですよ、青い海に映えて綺麗で。よかったらご一緒してくださいな、カイも喜びます、」

行きましょう?そう青紫の瞳が笑ってくれる。
その穏やかで楽しげな眼差しが嬉しくて、もっと話してみたいと思ってしまう。その気持ち素直に周太は微笑んだ。

「じゃあ、ご一緒させてください、」

答えて周太は、膝の白い猫をそっと抱きあげた。
機嫌よく喉を鳴らしてくれる白い顔に頬よせる、やさしい毛並を透かす温もりが優しい。
いつもこうして触れ合えたら良いな?そんな想いと婚約者の前に佇んで周太は微笑んだ。

「英二、行ってくるね?…雪、またあとでね」

白い猫に微笑みかけて、そっと長い脚の膝におろす。
きれいな翠の瞳は周太を見、すぐ膝の上に寛いで呑気に香箱を組んだ。
そんな愛猫の姿を見つめる、睫あざやかな切長の目がきれいで、つい見惚れかけながらも周太は踵を返した。





(to be continued)

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secret talk9 愛逢月act.2―dead of night

2012-09-30 01:27:52 | dead of night 陽はまた昇る
※念のためR18(露骨な表現は有りません)

無垢のままで、



secret talk9 愛逢月act.2―dead of night

ルームライトの優しい部屋で、周太は鞄に紙袋をしまった。
かちり、鞄の留め金をかける。その音を聴くと英二は長い腕を小柄な体に伸ばした。

「周太、面白がる身体検査するよ?」

笑いかけて抱きしめて、そっと薄紅の頬にキスをする。
キスに黒目がちの瞳は嬉しそうに微笑んで、穏やかな声が訊いてくれた。

「体重計とかいる?洗面室にあるけど、」

まだ普通に身体検査だと思ってる?

そんな無垢な様子に時めきます、色々したくなって困るのに?
可愛くて困りながら抱きしめた腕をほどいて、その胸元に指を伸ばした。
ホリゾンブルーのカーディガンへと指をかけてボタンを外す、その動きに周太の首筋が赤くなりだした。

「あの、身体検査って服ぬぐの?…それならじぶんでするけど、」
「大丈夫だよ、周太。俺が先生で検査するんだからね、言う通りにしてて?」

笑いかけた先、黒目がちの瞳が困ったよう見上げてくれる。
恥ずかしいな?そんな瞳で見つめて、けれど素直なまま頷いてくれた。

「はい…いうとおりにします、せんせい?」

この「せんせい?」ってちょっとヤバいんですけど?

こんな素直に頷いて頬染めて「せんせい?」なんて、やっぱりプレイだ?
こんなことした事は今まで無いけれど今、楽しい。こんなこと喜んでいる自分が可笑しい。
可笑しくてつい笑ってしまいながら恋人からニットを脱がせると、ベルトを外してスラックスのウエストに手を掛けた。

「あ、したもぬぐの?」
「当たり前だろ、周太?身体検査なんだから、」

当たり前じゃないけどね?
そう心で言いながら黒藍の生地を引きおろすと、伸びやかな脚は靴下だけになった。
その姿を眺めた心引っ叩かれて、唇から声がこぼれおちた。

「…かわいい、」

ほんと可愛い、どうしよう?

すこし大きい白いカットソーが腰まで隠して、ボクサーパンツが見え隠れしてチラリズムだ。
体毛の薄い脚は肌がきれい、すらり伸びやかな脚は靴下だけ履いている、それが逆にエロい。
いつも薄暗いなか脱がせて抱いてしまうから、途中経過を見て楽しむことが無かった。
それを今、心底勿体なかったと気付かされて、ほら首筋に熱が昇りだす。

―鼻血出たらどうしよう?

そんな心配を真剣にしたくなる、興奮しすぎないよう気を付けないと?
こんな自分は馬鹿だな?そう思いながらも恋人の今後を思うと「面白がって身体検査」を真面目にやった方が良い。
そんな大義名分も背中を押して、英二はベッドを指さすと可愛い生徒に笑いかけた。

「じゃあ、診察台に座って?」
「はい…」

素直に返事してベッドの縁に腰掛けてくれる、けれど顔はもう赤くなっている。
それでも素直に従っているのは、やっぱり周太はまだ幾分酔っているのかもしれない?
普段ならこの段階で全力で恥ずかしがって、きっと逃げてしまうだろうから。

―でも、この後すぐ逃げようとするかもな?

ひとりごと心に笑って、英二はベッドに向かい合って椅子を置いた。
そこに座り婚約者に向き合うと、赤い貌へと微笑んだ。

「診察を始めるな、俺が言う通りにしてくれる?」
「はい…せんせい?」

また「せんせい?」が出た。

なにこれ可愛い、なんで何度も言ってくれるのかな?
やっぱり周太は酔っぱらってるよね、こんなこと何度も言うなんて?
こんな呼び方なんどもされたら、本当に自分も「せんせい」モードになってしまいそう?

―もう、どっぷり妄想で楽しんじゃおうかな、

心つぶやいて、初めての感情が起きあがる。
シチュエーションプレイは自分も初体験、そんな「初めて」もこの恋人に捧げたいな?
そんな欲求に英二は、自制心が半分まで折られる音を聞いて微笑んだ。

「では湯原くん、胸を拝見しますね。服をあげてくれますか?」

いま「せんせい」なら名字で君づけだろうな?
そんな設定に微笑んだ英二の前で、素直に白いカットソーをたくし上げてくれる。
本当に診察のよう素肌を露わにすると、酔いを残した黒目がちの瞳は恥ずかしげに微笑んだ。

「…どうぞ?」

こんどは「どうぞ?」なんだ?

なにこれ可愛い、なんでそんなに為すがままなの?
それとも身体検査なら周太、いつもこんな感じで受診しているわけ?
だったら医者に診せるのも今度から立ち会いたい、付添って診察室に入れるよね?
それより今、自分が診察できるのが嬉しくて楽しい、微笑んで英二は遠慮なく露わな胸の素肌にふれた。

―これヤバいかも、

なめらかな指先の感触と視界に、心つぶやいてしまう。
ふれる指先の動きに周太の表情が反応する、それが見えて時めいてしまう。
いつも夜のベッドの時もふれている、けれど明るいルームライトの下でこんなシチュエーションは、萌える。

―気の持ちようで違うものなんだ?

こういう触診は山岳救助隊の現場でも受傷状態の確認で行う、けれどこんな萌えたりしない。
なんでも試してみないと解らないな?妙に感心しながら触診を終えると、カットソーを周太はおろした。
その貌が薄紅で可愛い、この赤いのは酔いと羞恥のどちらだろう?

―どっちにしても、もっと恥ずかしがらせちゃうだろな?

ここからが「面白がって身体検査」の本番になる。
きっと恥ずかしがって大変だろうな?暴れちゃったらどうしよう?
それも楽しみになってしまう自分が可笑しい、笑い堪えながら英二は愛しい生徒に微笑んだ。

「では湯原くん、下着を脱いで診察台に横になって下さい、」

言われた言葉に黒目がちの瞳が大きくなる。
そしてカットソーの裾を両手で握りしめて、ぎゅっと引き降ろした。
伸ばした裾に太ももを半分くらいまで隠して、真赤になった貌から黒目がちの瞳が見上げ、かすかに唇が動いた。

「…せんせい?はずかしい…です…」

ばっきり、

自制心がばっくり折られて、英二は鼻から口許を押えた。
そして見た掌に血痕が無いことに安心すると、嫣然と微笑んで可愛い生徒を見つめた。

「湯原くん?これは面白がって身体検査の授業ですよ?言うこと聴いてくれますか?」

この恥ずかしがりで無垢の生徒は、なんて答えてくれるかな?
そう見つめた先で真赤な貌は、カットソーの裾を引き降ろしたまま呟いた。

「…だめ、」

そんな貌で「だめ」って言われたら、こっちこそダメですから?

ばっきり折れた自制心が、粉々に砕けた。
そんなままに英二の長い腕は伸ばされて、小柄な体を抱き抱えるとベッドに横たわらせた。

「はい、身体検査は続行ですよ、湯原くん、」

にっこり笑いかけてカットソーの裾から手を入れると、ボクサーパンツを引き降ろす。
この下着も自分が選んだもの、こんなふうにも自分はマーキングして所有権を主張してしまう。
それを今は外して見つめる腰から下は、露になって明るいルームライトに隈なく無垢のまま。それが嬉しくて嫣然と微笑んだ。

「湯原くんはタンポン持っているけど、やっぱり男性なのかな?これから男性かどうか検査しますね、」

笑いかけ見下ろしながら、ベッドで真赤な貌を覗きこむ。
見つめた黒目がちの瞳は瞬いて見上げる、そして周太は尋ねてくれた。

「あの、…検査ってなにするの?」

まだ身体検査だって本気で思ってるんですか?

どうしよう?こんなに無垢だと罪悪感が湧いてしまう、これでは本当に「性的悪戯」ってやつみたい?
いま見つめてくれる真赤な童顔はどうみても高校生以下、横たわる肢体は鍛えられていても小柄で、華奢な骨格が少年じみている。
こんな姿で横たわられて、無垢のまま見つめられると、プレイじゃなくってもうリアルになってしまう?

―これって本物の「美少年に性のレッスン」だよな?

なんだか今、AVの主人公になった気分?
こんな気分になるなんて思ったこと無かった、こんな初体験をするなんて?
ちょっと甘すぎる体験になりそうで時めく、こんなリアルが合法的に出来ることが幸運だ?

「湯原くんが、男性か女性かの検査をするんですよ?…ここが本物かどうかを、確かめるよ?」

微笑んでカットソーを捲りあげ「検査」でふれる。
こんな嬉しい検査も無いだろう?そんな想いに見つめて動かした瞬間、真赤な貌が喘いだ。

「あっ…や、け、けんさって…ん、」
「周太、これが面白がる身体検査だよ?ほら、ちゃんと見ていて、」

呼び方もいつも通りになって、ベッドに乗り上げる。
かすかにスプリングの軋み音が響いてシーツが沈む、その上でカットソーと靴下を着たままの肢体が身悶えた。

「や…あ、これがしんたいけ、んさ…っ、ぅ、え、いじ…」
「周太、俺は先生じゃなかったの?」

手を動かしながら笑いかける、その視線に艶やな瞳が見つめてくれる。
紅潮した肌をシーツの上に晒して、靴下を履いたままの足が逃げるよう動いた。

「あ、せ、んせ…こんななの…?」
「素直で可愛いね、周太…これが身体検査だよ、ここも見ないとね、」

可愛い声に煽られる、ほら、靴下だけ履いた足が扇情的でそそられる。
艶めかしい姿に見惚れながら、しなやかなラインの脚を抱え込んで開かせて、見たい所を英二は視線で姦した。

「あ、の…な、んでそんなとこみたりする、の?」
「ここに穴があったら、女の子だからね?ちゃんと検査しないと…見たところは無いけど、触診しないとね、」

視線に指先を加えふれていく、その動きにカットソーを着た体がゆらいだ。
逃れるよう動く肌からカットソーが捲れ上がる、それが艶めかしくて目が離せない。
こんなふうに人は「癖になる」なら自分はちょっと危ないことになっている?

「やぁ、っ…ぁ、な、なにしてる、の」
「周太が女の子じゃないか、身体検査しているんだよ?…うん、やっぱり無いみたいだな、」

黒目がちの瞳に笑いかけながら、指先すべらせ狭間に潜らせる。
指ふれた窄まりが緊張するよう閉じかけて、けれど指はゆっくり押し入った。

「あっ…」

真赤な貌の唇から上がる声は、驚きにも艶めく。
こんな艶っぽい声が可愛い貌から零れるなんて、時めいてしまう。
もっと聴きたいまま指挿し入れて、英二は誘いと質問で微笑んだ。

「周太、答えて?…ここは、男女関係なく同じだと思う?」

問いかけて見つめた稚い貌は、困惑の眉間に艶が深い。
この23歳の少年は何て応えるかな?解答予想をしながら眺める赤い貌は、消え入りそうな声で答えてくれた。

「…お、おもいます…」

ほら、やっぱり周太は解かっていなかった。
こんなふうに性差も解かっていなかったら、セクシャルな冗談なんて解りっこないだろう。
そんな無知の無垢が可愛くて愛しくて、自分だけに染めてしまいたくて、隈なく教えたいまま指を動かした。

「ここ、気持良いだろ?周太…ほら、ここだよ?前立腺って言うんだ」
「っ、あぁ…やっ…ぁあ」

挿し入れた指に触れられて、少年の体が喘ぎだす。
無垢な少年の驚きと快楽への羞恥が目の前にある、こんな貌で見つめられると変になりそう?

「周太?ここはね、男にしかないんだよ?…女のと似ているけれど、ここが違う…こんなに気持ちいいのは男だけ、解かった?」
「っ、あ…はい、ぁあ…っ、や、」
「こうすると気持ちいいだろ?こういうのは男同士だと解りやすいんだ…だから男同士のセックスの方が気持ち良いっても言うよ、」
「…そ、そうなの?っ、あ…だめ、へんにな、っ…」

捩る体から白いカットソーが捲れて、素肌がルームライトに艶みせる。
瑞々しい肌に視線とめられる、その視界に愛しい体の中心が誘うよう露こぼした。
あふれだす、その予兆ふるえる中心を長い指に絡めとると、途惑う黒目がちの瞳に艶然と微笑みかけた。

「周太はここも可愛いね、こんなに素直に感じて…でも、ここを握って締めると、ね?」

長い指を絡め、元を強く握りこむ。
指に脈動がふれて途惑いだす、その感触に微笑んで無垢の少年に問いかけた。

「ほら、出せなくなるだろ?…どう、周太?」
「…あ、いや、ぁ…だめ…あ、は、はなして」

カットソー着た体がしなって、掌はシーツを握りしめる。
解放されない快楽に身悶えて、芯は華奢なままの体が撓んで艶こぼれだす。
こんな姿は他には見せたくない、ずっと自分だけのものにしたい、そんな願いのまま英二は自分の少年に囁いた。

「ね…周太、お願いしてみて?出させて、って、おねだりしてよ…ほら、」
「…っあ、いや、そんなのっ…は、ずか…っ、あぁっ」
「じゃあずっとこのままでいいの?…ずっとここ、出ないようにしちゃうよ?…このまま、ずっと悶えていたい?」

やらかく握りこんで微笑みかける、その先で黒目がちの瞳に途惑いと熱がゆらぐ。
こんなふうに自分の体の事すら周太は知らない、そんな無垢のまま快楽に呑まれて瞳が漲りだした。

「あっ…お、おねがい…たすけてえいじ」

瞳から涙ひとつ、零れ落ちて心ほどかれる。
黒目がちの瞳から零れだす涙、それは快楽の涙か苦悶の涙か、それとも違う涙?
そして今告げてくれた「たすけて」は、深い意味に捉えてしまえば、ずっと離さずにいる赦し?

―救けてって言ってほしい、頼ってほしい、俺に甘えて泣いてほしい、

この願いに涙と言葉を見つめてしまう。
今日、周太は幾度も涙を堪えていた、そう本当は気づいている。
もう泣くことはしないと周太は決めている、それが周太の誇りだと解っている、けれど自分だけには甘えてよ?

「俺に救けてほしいの?周太…俺に頼って、甘えて、今すぐ楽になりたい?」

どうか「Yes」って言ってよ?今だけでも良いから。

こんな情事すら利用している、君に甘えられて必要とされていると実感したくて。
こんなとき無垢な君は俺に頼るしかない、そう解っているから今も理由を見つけて君を追詰める。
本当は此処までする必要なかったのに、頼られたくて甘えられたくて、君の「たすけて」を聴きたくて。

ほら、俺を必要だと言って?

「えいじ、に、たすけてほしい…っあ、…やっ、あ、あまえさせて、たすけってっあぁ!」

名前を呼んで求めてくれた、自分のこと。
このまま甘えていてほしい、ずっと救けてと言ってよ?

「周太、」

名前を呼んで、握りこんだまま唇つけて、口の中へと納めこむ。
こんなふうに全身を自分で包んで、周りから隠して密やかに愛撫していられたら、どんなに良いだろう?
そんな愚かな願い思いながら唇に舌に愛撫する、そっと掌を緩め吸いあげて、そのまま素直に少年の潮は甘く吐露された。

「…っぁ…あっ、……ぅ、っ、ん…っ、」

無垢な肌が波打つままに、愛しい声の喘ぎが響いていく。
口のなか鼓動がふるえて潮あふれていく、あまく熱いまま愛しさと飲み下す。
抱きしめた腰が震えている、挿し入れた指にも鼓動がふれて今、この愛しい体を自分が支配していると思えてしまう。
ふれる肌に愛しくて、この体が作りだす熱あふれ飲みこむことが嬉しくて、何もかもを自分が愛しめる今が幸せになる。

「周太、いっぱい出しちゃったね…かわいい、」
「…っ……ごめんなさい、」
「あやまらないでよ?おいしかったんだから…ごちそうさま、周太、」
「…ばか……でも…うれ、し、」

羞んだ表情は可愛くて、カットソー肌蹴たまま貌を赤くしている。
その目許は涙がまだ滲む、けれど拭うことも忘れたまま雫伝わせて、細やかな腰にも力は入らない。
紅潮した素肌も、快楽にじんだ艶めく貌も、隠していた涙すら晒して為すがまま、全てを自分に委ね見せてくれる。
こんな愛しい姿を晒されて「美少年に性のレッスン」の虜になりそう?そんな自分に困りながら英二は、愛しい体を抱きあげた。

「周太?こんな身体検査、俺以外にさせたらダメだよ?いつも、よく気を付けてくれな?」
「ん…はい、」

真赤な貌が素直に頷いて、涙の瞳が見つめてくれる。
こんな貌するから余計に色々したくなる、こういう感想を抱くのは自分以外にもいるかもしれない。
そんな可能性が100%無いなんて自分には言えない、以前は自分も男を抱くつもりは無かったのに今はこうだから。
だからこそ心配に英二は、無垢な婚約者に説得を始めた。

「周太は喧嘩も強いけど、機動隊って体力馬鹿だろ?冗談でも身体検査とかされたら困るから、寮の部屋を行き来するのは気を付けて?」
「…そういうじょうだんするの?男同士って普通はえっちなことしないんでしょ?」
「いろんなヤツがいるよ、周太?男なら妊娠しないから遠慮はいらない、って考えるヤツもいる、」
「そうなの?…すきじゃなくてもするの?すこしも好きじゃ無い相手でも…男同士でも、同僚とかでもするの?」

訊いてくる声も貌も哀しそうになってしまう。
快楽だけが目的のセックス、それを同僚や仲間同士で「冗談」にしてしまう。
そんな現実にショックを受けている、そういう哀しみが純情を傷ませて今、英二を見つめている。

周太の性愛経験は唯ひとり、英二だけしかいない。
初恋相手の光一とはキスを一度くらいしたと思う、けれど体交わすことは拒んで許さない。
ずっと生涯を共にする婚約者だけに体を赦す、そういう潔癖な純愛には快楽目的のセックスは有得ないだろう。

―こんなこと教えないで済むのなら、良いのにな

ずっと自分の手元に隠して護れたら、こんなこと教えないで済む。
人間の快楽への歪んだ欲望、そういうことに無垢な心と体を触れさせたくない。
けれど、誇りの為に周太は独り歪んだ世界にも挑むと決めた、それなら現実は受けとめる必要がある。
だから今、自分が世界を教えて受けとめさせたい、独りでも自身を守る術を教えることで、護りたい。
その願いのままに英二は、無垢な婚約者に世界の現実を告げた。

「相手を好きじゃなくても、体が気持ち良くなることが目的でセックスしたいヤツもいる。だから気を付けて、周太?」

これは現実の一部、歪な欲求すら世界を構成する一要素。
こんな歪な肉体的欲望は、周太からは遠い異世界に思えてしまうだろう。けれど、英二も以前はその世界の住人だった。
自分の立場と都合には男同士より女性相手の方が便利だっただけ、愛情の欠片も無く快楽に遊んで気晴らしと暇潰しにしていた。
こんな自分が無垢な恋人を心配して護ろうとする、それが赦されるのか解らない、けれど護りたい。

だからどうか言うこと聴いてほしい、気を付けて?

「ん…わかりました、きをつけます」

素直に頷いてくれる様子は、青年より少年。どこまでも無垢な純情まばゆい勇気が、静かに羞んでいる。
そんな姿に傷んでしまう、こんな周太がより歪な世界に向かうことになるなんて?
その哀しみ心にこみあげる、それでも微笑んで英二は部屋の扉を開いた。

「このまま風呂に行こう?周太、俺が洗ってあげる、」
「…いいです、じぶんでします…はずかし、から」

真赤な貌のまま俯いて、けれど長い睫をあげて瞳は見上げてくれる。その睫がまだ濡れてた。
こんな貌に切なくなって、愛しくて、扇情されてしまう。そんな想いのまま英二は微笑んだ。

「ダメだよ、周太?風呂で洗うのも、身体検査の内だから。ちゃんと俺の言うこと聴いて、俺に任せて?」

本当に言うこと聴いて、全てを任せてくれたらいいのに?




(to be continued)

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第56話 潮汐act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-09-29 23:47:11 | 陽はまた昇るanother,side story
想い、海と空に花ひらく



第56話 潮汐act.2―another,side story「陽はまた昇る」

走っていく車窓、木洩陽が影絵きらめかす。
窓ガラスから見上げる空は青く輝いて、純白の夏雲大らかな光が充ちる。
どこまでも明るい遅めの朝、やさしくて懐かしい空気は嬉しくなるけれど、緊張も昇りだす。

『今から俺のお祖母さんの家に行くよ』

ほんの数分前に言われた予定が、心を占める。
大切なひとの家族に会わせてもらう、その意味は温かで優しくて、面映ゆい。

『お祖母さまはね、とても優しい聡明な人なのよ。ちょっとブラック・ユーモアなとこが英二と似てて、面白いの。私は大好きよ、』

そんなふうに英理は以前、自身たち姉弟の祖母を話してくれた。
だから素敵な人だろうと会えることが楽しみで、けれど今朝告げられた現実に自責が苦しい。
こうして会わせてもらう、それは婚約者として紹介する意味だと解っている、それが幸せな分だけ別離の現実が哀しんで痛い。

…だから絶対に帰ってこなくちゃいけない、お父さんの真実を見つめて無事に務めて、帰るんだ

心くりかえす覚悟の言葉、勇気への祈り。
今この瞬間に見上げている木洩陽まばゆい白と青に、密やかな祈りと涙を心へ落とす。
ほら、瞳の奥が熱い、灼熱の自責と哀しみが喉元締め上げる、それでも、もう泣かないと決めたから泣かない。

…お父さん、どうか見守っていてね?今も傍に、いてくれてるのでしょう?

空を見つめながら、そっとポケットに掌ふれる。
黒藍のスラックスを透かして、小さくて丸い輪郭が固く指先を受けとめてくれる。
この輪郭は父の制服のボタン、14年前の瞬間きっと父の誇りと祈りを留めていた。
あの瞬間、父は誇りを懸けて「殉職」を選んだ、その真実の祈りをどうか自分に備えたい。
いつも、どこにあっても、大切な人のために、目の前の人の為に、泣かない涙を微笑に変える勇気をどうか、自分も抱いていたい。

…大丈夫、きっと出来るよね

そっと心つぶやいて、ポケットを押えた掌を見る。
すこし微笑んで、けれど素直な緊張が温かに充ち始めて、周太は羞んだ。

…英二のお祖母さま、俺を見たらなんて思うのかな…

きっと英二のことだから堂々と「婚約者です」と紹介してしまうだろう。
そういう潔癖な明るさが自分は大好き、けれど男同士の結婚は今の日本では容易くない。
きっと彼女は美しく賢明な孫息子を愛しているだろう、そんな彼女は英二の選択を憂悩しないだろうか?

…また哀しませてしまったら、英二のお母さんみたいに泣かせたら…嫌

英二の母は今、周太への想いを和らげてくれている。
けれど半年間ずっと彼女は苦しみ抜いた、その現実を自分は3月の雪夜に見て知っている。
その苦しみへの自責はきっと生涯消えない、これと同じことを今から会う人にまで誘発してしまったら?

…ごめんなさい、でも好きなんです…もう嘘は吐けません、ごめんなさい

密やかな告白を未知の人に告げて、瞳の底は熱に染められる。
それでも掌にふれる輪郭の、小さく丸いボタンが誇りと勇気に涙を吸いこんだ。

…ありがとう、お父さん…こんな変な息子で可笑しいね?

そっとボタンに微笑んで、大切な俤を心に見つめる。
すこし緊張ほぐれる視界の膝元、黒藍のスラックスへと木洩陽は明滅をこぼし流れていく。
穏やかな静謐と緊張、そこに佇んだ想いへと綺麗な低い声が笑ってくれた。

「周太、ここを曲がると海が見えるよ、」

大好きな声に顔を上げたフロントガラス、運転席から綺麗な微笑が映りこむ。
その笑顔に見惚れた視界は緑の垣根を曲がり、木洩陽のトンネル抜けて坂の上、大らかなブルーが天地に広がった。
ひろやかに陽光かがやく波の青、まばゆい純白の雲、拓かれた視界に一瞬で心ほどかれて声は微笑んだ。

「きれい、」

ほら?空も海も、こんなに輝いている。
いま自分が泣きたかった瞬間も、世界はこんなに美しく明るい。
この世界に自分は今この瞬間に生きている、この明るい世界は自分の前にある。

…こんなにきれいなのに、気付かないのはもったいないね?

もったいない、だから気付いて見つめたい。
どんな時も、どんな場所でも、きっと気づけば美しい明るい世界が見いだせる。
この今も哀しみ沈みかけていた自分、それでも大らかな青い輝きが抱きとめてくれたように。

『ここを曲がると海が見えるよ』

そう言ってくれた声が言葉が、気付いた今に温かく愛しい。
この声が言葉が言ってくれた通り、きっと、すこし先に行けば明るく美しい世界はそこにある?
そんな想いが深く優しい、そして大切な人への感謝と希望と、今この瞬間への祈りがあふれて温かい。

この青い海を空を、光を憶えていたい。
この光景を今、贈ってくれた綺麗な低い声を憶えていたい。
そうして自分はどこに立っても微笑んで、昏い瞬間にも光を信じて見出していたい。
どこにも美しい何かは存在する、そう信じて、見出して、そして目の前の誰かを援けることを諦めない。

…ありがとう、英二

心そっと想う感謝に祈る今、きっと自分は笑顔になっている。
ほら?こんなふうに英二は自分に光をくれる、そして幸せを思い出させてくれる。
この幸せをくれる人を自分は護りたい、そのためなら何だって出来ると勇気ひとつ、また生まれだす。
ほら、いま見つめる青い世界に輝く純白の雲、あの色彩に自分は白銀の高峰を見つめて願いを祈りたい、この勇気を懸けて。

…お願い、光一?英二を最高峰に連れ出して

雲取山の天辺で、初めて自分は「山ヤの英二」を見つめた。
その笑顔は幸せと誇りに耀いて、美しくて愛しくて、宝物になった。
北岳で谷川岳で、槍ヶ岳で剱岳で春の富士で、光一が撮るたび写真の笑顔は輝いていく。
だから自分は知っている、信じられる、光一が連れて行く世界で英二は弥増して輝いていける。

だから願いを叶えて、どうか英二を広い世界に連れて行って?
この自分の隣を英二は求めてくれると知っている、けれど、我儘を聴いてほしい。
この愛しい笑顔を輝かせて見つめていたいから、自分の隣から英二を攫って、あるべき場所で輝かせてほしい。
それを英二が拒んでもどうか誘惑してほしい、山ヤが英二の素顔なら、最高峰への誘いこそが運命の聲だと笑ってくれる筈だから。
そして自分に見せてほしい、光輝く笑顔の幸福をどうか、この自分に見せていて?

こんな願いを知ったら英二は怒るかもしれない。
怒って哀しんで、苦しんで、あの雨夜に陥った心中の誘惑に奔るかもしれない。
初任総合の2ヶ月間に見つめた英二の煩悶は哀しくて、自分が隣にあることが苦しめるとすら想った。
それでも一緒に過ごせる時間は幸せだった、あの2ヶ月間は毎朝毎夜を共に眠れて、体ごと求められて幸福だった。
規則違反を犯しても自分を選んでくれた、その想いは哀しくて愛しくて幸せだった、もう充分すぎるほど自分は想いを受け取った。
そして今も幸せを受けとっている、もう充分だと心が微笑んで勇気が生まれてくれる、だから今こそ祈りたい。

この愛しい人を、本来立つべき場所に昇らせて、この笑顔を輝かせて?
この愛しい人は明るい広い世界が似合う、そう自分は知っている。

だからもし、山と自分とを選ぶ瞬間が英二に訪れたら、どうか山の世界に英二を攫ってほしい。
本当は傍で隣で英二の笑顔を見つめていたい、この胸に抱かれて眠っていたい、けれど連れ出してほしい。
この自分の隣で微睡む寝顔を愛している、けれどそれ以上に、あの誇り高い自由に輝く笑顔を愛している。
だから攫ってほしい最高峰の夢に、どうか広い世界の天辺に愛する人を連れ出して?

…お願い光一、光一にしか出来ないから…ほんとうに英二を輝かせるのは、山っ子のあなたしかいない

こんな願いは英二を苦しめる?そう想いながらも願ってしまう、愛しているから。
だって今見つめる透明なブルーに自分は、英二が愛する世界を見つめてしまうから。

青い海と空はひろがる蒼穹の高み、白い雲は白銀に聳える高峰の壮麗、あの輝く太陽は氷壁の頂点。
そして今この隣で微笑んでくれる笑顔は、ナイフリッジの風に吹かれる誇らかな笑顔を慕わせる。
その笑顔を失いたくはない、だから祈り続けていたい、どこに自分があろうと変わらず願いたい。
この8月に開かれる扉、その向こう側へ行ってしまっても自分は、希望の光を見つめたい。
この希望の光こそ、愛する人の誇り高い幸せな笑顔。だから最高峰へ攫ってほしい。

だから我儘を言わせてほしい、自分が希望の光を失わない為に英二を最高峰へ攫ってほしい。

この願いを唯ひとり叶えられるのが自分の大切な初恋相手、その現実が幸運だと微笑んでしまう。
だって光一なら自分の願いを必ず聴いてくれる、絶対に叶えてくれる、そう信じられる幸運が嬉しい。
そんな幸運に見つめる青い世界を車窓はめぐって、瀟洒なマンションの駐車場に停まった。

とくん、

鼓動が一拍打って、ひとつ呼吸する。
これから会う人への緊張と、思い出した事に期待が起きた。

…英二のお祖母さま、ここの前って世田谷に住んでいたのかな?

もし世田谷に住んでいたのなら、もしかして祖母を知っているかもしれない?
祖母の斗貴子は世田谷の出身、そう除籍謄本には記されていた。だから近所だったかもしれない?
そして英二と自分が同世代だから、英二の祖母は自分の祖母と同世代の可能性が高い。

…もしかして中学校や高校とか、同じだったりしないかな

祖母が学生だった時代、今ほど学校の数も多くない。
だから同じ世田谷区で同世代なら、どこかで同じになっている可能がある。
たとえ直接に祖母の事を知らなくても、祖母が見ていた世界の欠片を教えてもらえるかもしれない?
そんな期待に嬉しさと緊張がこみあげた、その横顔に綺麗な低い声が名前を呼んでくれた。

「周太、」
「ん、」

呼ばれた名前に振り向いた、その視界に綺麗な笑顔が近づいて、濃い睫が伏せられる。
きれいな睫だな?そう思った瞬間、やわらかに唇キスふれた。

…あ、

ほんの一瞬のキスは熱くて、ほろ苦く深い香が甘やかに包みこむ。
この香に一瞬で記憶が揺り起こされる、深い森の香に包まれ愛される肌の熱がこみあげてしまう。
この香に今夜も包まれて過ごす?そう心つぶやいた途端に熱が昇って頬まで火照りだす。
今から会うひとがいるのに何て想像しているの?そんな恥ずかしさに唇が開かれた。

「こっ、こんなとこできすしたらまっかになっちゃうでしょ、えいじのばか」
「大丈夫、ちょっと日に焼けたって思われるだけだよ。真赤も可愛いね、周太は」

そう言って微笑んでくれる眼差しは、幸せが輝いている。
こんな目で言われたら嬉しくて何も言えない、それでも言い返したくて周太は呟いた。

「…ひとごとだと思ってもう…英二のばか」

つぶやいた唇に、ほろ苦く甘い残像が熱い。

…キス、のこってる

心つぶやきながら助手席の扉を開く。
開かれる扉の風に潮騒が頬なでる、香る風に立ちながら、そっと唇を指ふれた。
ふれる指の感触にキスが蘇えって幸せが微笑んでしまう、こんなふうに英二はいつも幸せをくれる。
すこし強引で時に途惑う、けれど掴まれるたび本当は嬉しくて、今も本当は嬉しくて泣きそうで、心が笑っている。

…どうして英二、いつもわかるのかな

さっき自分は光一に祈っていた、英二を自分の隣から攫ってほしいと願っていた。
その祈りは心からの願い、けれど傍にいて触れられる幸福は、やっぱり離れたくない望みを揺り起こす。
こんなふうに英二は無意識でも気付いて、いつも触れては離れないと伝えてくれる。
それがやっぱり嬉しい、そして勇気ひとつまた強くなる。

…ありがとう、英二…あなたが好き

このひとの笑顔の為なら自分は何でも出来る。
そんな想いと見上げる白皙の貌は微笑んで「こっちだよ?」と目で示す。
示されるまま素直に付いて行くと、重厚な木造りの扉から白いエントランスが開かれた。

なめらかなオフホワイトの壁を温かみあるランプが照らしだす。
フラットな石造りの床には青いクラシックな肘掛け椅子が2つ据えらて、来客への配慮がうかがえる。
サイドテーブルに活けられたダリアの薄紅が優しくて、ほっと寛がされて周太は微笑んだ。

…お花って、良いよね

こんなふうに花は心をほどいてくれる、それが英二の祖母のマンションにもある。
こういう場所に住んでいる人なら優しいひと?そんな想像めぐらす隣、長い指は慣れたふうパネルを操作していく。
直ぐに微かな電子音が鳴り、モニターへと英二は微笑んだ。

「英二です、」
「お待ちしていましたよ、どうぞ、」

インターフォンから優しいアルトヴォイスが聞えて、扉の開錠音が鳴る。
そして開いた重厚な扉むこうは、家の書斎にある雑誌で見た写真そのままだった。

…ここ、マンションだよね?

上品な白大理石と美しい木目のオーク材、青いステンドグラスの優しい光。
藍色なめらかな安楽椅子は心地よさ気で、吹き抜けの天井は広やかに明るい。
さりげなく置かれた植物も瑞々しく優しくて、シックな空間は穏やかに美しい。
古く贅沢な外国雑誌で見た美しい建造物を紹介するページ、あの光景が広がっている。

「行こう?周太、」

綺麗な低い声が微笑んで、長い指が掌を包んでくれる。
意識を戻されて周太は、綺麗な笑顔へと頷いた。

「あ、はい、」

掌を曳かれるまま瀟洒なホールを横切り、エレベーターに乗る。
その停止階を示すボタンも既に点灯して、扉が閉まると自動的に動き出した。

…セキュリティが厳重なんだ

ここって、そういうひとが住むような所ってこと?
そう気がついて思い出してしまう、そういえば英二はスーパーマーケットを知らなかった。
初めて一緒に行った近所のスーパーで、買い物カートを見た英二は「ここに物を入れたら自動的に会計?」と訊いてきた。
それを最初は冗談かと思った、けれど物珍しげにカートを押して歩く英二の姿はまさに「初めてのおつかい」だった。
それで本当に初めてだと解って、訊いてみたら日用品の買い物を宮田家では御用聞きで済ませていた。

―…こういう店って俺ね、入ったこと無かったんだ。いま周太とが初めてだよ?
  スーパーマーケットが配達してくれるんだよ、駅の近くに店があって、そこが配達してくれるらしい…近所も皆そんな感じだよ?

あれは婚約の申し込みをしてくれた、年明けの最初の休日だった。
あのとき「育ちがこんなに違うんだ?」と驚かされた、あの感想をまた今も裏づけられてしまう。
いま乗ってきた車も綺麗で贅沢な造りだった、やっぱり英二は相応の家だと言うことだろうか?
そんな考え廻らしているうち気づいたら、上品な藍いろ美しい扉の前に立っていた。

かちり、

開錠音が聞こえて、厚みある木造りの扉が開かれる。
藍色の向こう白い空間が広がって、ダークブラウンの髪ゆらす老婦人の笑顔がほころんだ。

「英二、久しぶりね?さあ、どうぞ」

低い美しい声が笑いかけて、周太を扉のなかへ招き入れてくれる。
その眼差しの切長い目に、鼓動がひとつ心をノックした。

…おとうさんの目に、そっくり

上品な老婦人の目に、懐かしい俤が笑っている。
その目は英二とよく似た切長い目で、けれど睫が涼しい。
涼やかな切長い目、その深い穏やかな眼差しが懐かしくて、優しい綺麗な笑顔に周太は見惚れた。

「お久しぶりです、元気そうですね?」
「おかげさまでね、憎まれっ子らしく世に憚ってますよ?」

見惚れる視界のなか老婦人は、美しい孫息子と楽しげに笑っている。
涼しい切長い目は明るくて、どこか寂しげだった父の目とすこし違う。けれど、よく似ている。

…他人の空似なの?でも英二の目も、お父さんと似ている

祖母と孫と、ふたりとも父と目が似ている。そんな他人の空似ってあるのだろうか?
ぼんやり見惚れながら考えは廻っていく、答が出そうで見つからなくて、もどかしい想いが困惑してしまう。

「さあ、遠慮しないで入って?このスリッパをどうぞ、」

美しい低い声に言われて、周太は瞳ひとつ瞬いた。
綺麗な笑顔が白く明るい玄関ホールに佇んで、屈託のないまま周太に笑いかけてくれる。
その笑顔が懐かしい俤に重なっていく、それが素直に嬉しくて周太は微笑んだ。

…このひと、好き

素直な想いこぼれて嬉しくなる。
嬉しいまま笑いかけて礼をしようとした、その掌が長い指に包まれ引寄せられた。
どうしたの?そう見上げた視界の真中、端正な貌は幸せほころんで綺麗な低い声が宣言した。

「おばあさん、先に紹介します。俺の婚約者の周太です、」

誇らかな声が率直に笑っている。
その声のトーンと表情に、心ごと意識が攫われて周太は立ち竦んだ。

…こんなふうに言ってくれるの?

こんなふうに誇るよう自分を紹介するの?
こんなに自分を誇ってくれるの、こんな自分を婚約者だと言い切ってくれるの?
廻らす想いに瞳へ熱が昇りだす、それでも瞳ひとつ瞬いて涙消した向うから、美しい低い声が笑ってくれた。

「そうだろうって思いましたよ、英理にちょっと聴いてるし、手まで繋いでるんだもの?さ、リビングで話しましょう?菫さんも待ってますよ、」
「はい、おじゃまします。おいで、周太」

綺麗な低い声が笑いかけてくれる、その切長い目が幸せに微笑んだ。
たぶん今、自分の顔は真っ赤になっていて、それを見て英二は喜んでいるだろう。
こんな赤面症は自分では恥ずかしくて、けれど英二は好きだと言ってくれる、それがいつも嬉しい。

…でもいまさすがにはずかしいなどうしよう?

心つぶやいて羞んでしまう、そう俯きかける自分に涼やかな目も微笑んでくれる。
なんだか父が見てくれているみたい?そんな想いに微笑んだ周太を英二は、笑って促してくれた。

「おいで、周太?靴を脱いであがって、」
「…はい、」

なんとか返事の声が出て、スリッパに履き替えると周太は脱いだキャメルの革靴を揃えた。
その隣の大きなダークブラウンの革靴も揃えて立ち上がる、その掌を長い指はまた包んでくれた。

「周太、海が見えるよ?」

明るい廊下を歩きながら声かけてくれる、その声に見上げた白皙の貌は楽しげでいる。
こんな笑顔を見せてくれるの嬉しいな?そう想うのも気恥ずかしくて首筋が熱くなってしまう。
そんな自分に困りながらオフホワイトの扉を入ると、明るい空間の向こう青い海が広がった。

「きれい、」

素直に声こぼれて、ひろやかなブルーに引寄せられる。
ゆったり大きな窓は緑あふれるテラスに続き、きらめく海へと視界をつなぐ。
木洩陽ゆれるテラコッタに可愛らしい花々が風ゆれる、空に近い庭園の明るさに惹かれてしまう。
このテラスに出てみたいな?そう思った隣から低い美しい声が隣から笑いかけてくれた。

「良い眺めでしょう?これが気に入って、ここに住んでるの、」

声を振り向くと涼しい切長の目が微笑んだ。
その笑顔が懐かしい大好きな俤と重なる、嬉しくなって周太は綺麗に笑いかけた。

「素敵ですね…テラスのお花も、みんな可愛いくて、」
「でしょう?たくさん可愛がっていますからね、可愛く咲いてくれますよ。周太くんは花が好きなのかしら?」

話しかけてくれる優しい穏やかなトーンが、どこか懐かしい。
懐かしさに心ほどかれて、素直に周太は答えに微笑んだ。

「はい、大好きです。家でも庭をするの、好きなんです、」
「あら、私と同じね?周太くんのお庭は、どんなお庭なの?」

美しい声の質問に嬉しくなる、嬉しいまま周太は懐かしい目へと微笑んだ。

「森みたいな庭です。大きな木がたくさんあって、花を咲かせてくれます。夏みかんや梅や、林檎もあって実をくれるんです、」
「森みたいなんて素敵ね?他にどんな木やお花があるの?」

低い美しい声が愉しげに笑ってくれる、そんなトーンが嬉しくなる。
本当に植物が好きそうな人だな?思いながら周太は大好きな庭のことを口にした。

「小さいけれどバラ園とボタン園があります、白い一重のバラやオールドローズが可愛くて。ライラックの並木が春は綺麗です、」
「西洋のお花も多いのね?桜が見事だって英理が言っていたわ、和洋折衷な雰囲気かしら?」

英理が桜を褒めてくれたのが嬉しい、桜は父がとても大切にしていた花木だから。
嬉しくて周太は綺麗に笑って、英理の祖母に答えた。

「はい、桜は多いです…祖父が奥多摩の森をイメージして、それに家族の好きな木を植えて、今みたいになったそうです、」

母も桜を深く愛している、きっと父の想い出ごと母は桜を見つめているのだろう。
そんな想いと微笑んだ周太に、低く美しい声は笑いかけてくれた。

「森に家族の好きな木だなんて素敵だわ、本当に愛されている庭なのね。今はどんな花が咲いているの?」

愛されている庭。
そんなふうに言ってくれると心から嬉しい、嬉しくて周太はこの優しい老婦人に心から笑顔を向けた。

「今は夏椿が可愛いです、白と薄紫の百日紅もきれいで…あと、菜園のトマトや茄子も可愛いです、」
「家庭菜園は良いわよね、この庭にもあるわ。テラスの空中庭園だけど、なかなか美味しいのよ、」

楽しげに言ってくれた言葉に、ことんと心がノックした。

『空中庭園』

その単語に父の記憶がひとつ姿を蘇らせて、懐かしい物語が心に映る。
幼い日の夜、眠りに導く優しい声の記憶。あの幸せな時間に周太は微笑んだ。

「空中庭園…ラピュータみたいですね、」
「ガリヴァ―旅行記ね?あの島は日本の東と言うけれど、ここは確かにその位置ね、」

楽しげに低く美しい声が答えてくれる。
この人も外国の物語が好きなのかな?そんな父との共通点を見つめて周太は素直に頷いた。

「はい…あの、外国の本は好きなんですか?」
「ええ、本は好きだから色々読むわ。この庭で本を読むのが好きなのよ、」
「僕も庭で本を読むのが好きです…家の庭はベンチがあって、山茶花の木蔭が気持ち良いんです、」
「木蔭の読書が好きなんて、私と同じね?山茶花の木蔭だと佳い香がするのでしょうね、本当に素敵なお庭だわ、」

本当に自分と同じだな?そう嬉しいまま見つめる周太に切長い目は温かい。
その眼差しに安らいでいく心が自分で不思議になる。こんなふうに初対面の人と話せることは、自分には珍しい。

…お父さんと目が、そっくりだからかな?

ふっと心よぎる想いに、尚更に不思議になる。
どうして英二の祖母が父と同じ目をしているのだろう?
そんな疑問と佇む横顔に、優しいアルトヴォイスが笑いかけてくれた。

「ここの庭も素敵ですよ、周太さん?一緒に見に行きませんか?」

声に振向いた周太に、青紫の瞳が微笑んだ。
美しい深い瞳の色は菫の花そっくり、好きな花の色に嬉しくて周太は素直に微笑んだ。

「きれい、」

思わず声こぼれて、周太は瞳ひとつ瞬いた。

「あ、」

驚いた声に、涼しい切長の目が可笑しそうに微笑んだ。
その隣に佇んだ銀髪の老婦人は、青紫の瞳を穏やかに笑ませた。

「こんなお婆ちゃんを、きれいなんて言ってくれるのですか?周太さん、」
「あ、あの、不躾ですみません、」

どうしよう、初対面の人にこんなこと言うなんて?
こんな自分に困っていると楽しげに英二の祖母は言ってくれた。

「周太くん、菫さんはね、我が家のナニーなのよ?英理と英二もたくさん面倒見てもらってるわ、」
「ナニー、…あ、イギリスのベビーシッターの方ですか?」

昔、父に聴いた記憶の呼称を周太は思いだした。
イギリスには住み込みの教育係「nanny」がいる、そう父が教えてくれた。
その記憶と笑いかけた周太に、美しい青紫色の瞳は明るく微笑んだ。

「はい、そのnannyです。周太さんはよく知っていますね?」
「父が教えてくれたんです、じゃあイギリスの方なんですか?」

だから瞳が青紫色なのかな?
そう見つめた周太に、楽しげに銀髪をゆらして彼女は笑ってくれた。

「半分だけイギリス人です、母は日本人なのですよ。顕子さん、周太さんとテラスを散歩して良いですか?」
「もちろんよ。ゆっくり庭を見て来て頂戴な、」

楽しそうに英二の祖母は笑って、周太に「どうぞ?」と微笑んでくれる。
この青紫の瞳の人と話してみたい、きっと一緒に庭を見たら楽しいだろうな?
そんな想いに向うを見ると英二が見つめてくれている、すこし首傾げると微笑んで頷いてくれた。

「英二からGoサインも出たみたいね?家の庭をうんと自慢してあげて、菫さん」

美しい低い声に言われて、すこし気恥ずかしくなる。
その隣から白皙の手は伸べられて、周太の掌を繋いで促してくれた。

「はい、自慢しますよ?さあ周太さん、行きましょう、」

繋がれた掌はやさしくて、ふわり菫の花の香が周太の頬を撫でた。





(to be continued)

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secret talk9 愛逢月act.1―dead of night

2012-09-29 00:58:11 | dead of night 陽はまた昇る
愛しい純情へ、



secret talk9 愛逢月act.1―dead of night

蛇口を閉じて、水音が止まる。

洗って籠に並べた皿にランプの光艶めいて、主夫の端正な性質が慕わしい。
いつもながらの丁寧な手並みに見惚れてしまう、そんな婚約者に英二は微笑んだ。

「周太は片づけも綺麗だな、料理が巧いだけじゃないね、」
「ん、ありがとう…今夜は、なにがいちばんおいしかった?」

気恥ずかしげに微笑んで訊いてくれる、その貌がすこし赤い。
夕食に楽しんだワインの酔いが名残らす、その清楚な艶に見惚れてしまう。
こんな貌は嬉しそうで幸せそうで、そして今、まだ結構酔っているかもしれない?

―周太?その質問は食べてる時もしたよ?

心の声に笑ってしまう、こんな可愛い質問くりかえす酔い方が可愛すぎる。
こんな酔っ払いなら歓迎だな?嬉しくて英二は答えを繰り返した。

「今日は魚が旨かったよ、野菜やムースと重ねたやつ、」
「ん、ミルフィーユ仕立てのサラダだね?…和風にしてみたんだけど、えいじは和風すきだね?」

嬉しそうに笑って答えてくれる、笑顔が可愛い。
笑顔の頬に透ける薄紅が綺麗で、惹かれるまま英二は恋人の頬にキスをした。
そっと離れて笑いかける、その笑顔に幸せな薄紅色がほころんだ。

「きすしてもらっちゃった…うれしいな、だいすき、」

うれしいのはこっちです。

そんな笑顔で「だいすき」なんて、こっちこそ大好きです。
どうしよう、こんなの可愛すぎる、今すぐ色々したくなる、跪きたい。
でも時計はまだ20時、今から色々したら周太の体力が保たないかもしれない?

―疲れさせ過ぎて具合悪くするの、嫌だな?明日もデートしたいし、

明日もお互い一日自由に使える、だからまたデートしたい。
やっぱり疲れ過ぎたら困るな、そんな考えに奴隷モードから少し脱け出した。
脱け出した分だけ理性を取り戻して、英二は婚約者に微笑んだ。

「俺も周太のこと、大好きだよ?」
「ほんと?…うれしいな、もっと好きになってね?」

ほら、そんな笑顔でそんなこと言ったらダメですって。

やっぱり色々したくなる、こんな早い時間からは困るのに?
こんな時間から始めたら、自分の体力が保つまま朝まで好き放題するに決まっている。
そうしたら君のこと疲れさせ過ぎるのに?そうしたら明日はデートなんか出来なくなってしまう。

―ちょっと、勉強でもして真面目になろう

これは冷静になるために一番良い考えだろう。
それに異動が決まった以上、早く周太に教えた方が良い。
そう考えを纏めて英二は、無垢の癖に艶っぽい婚約者へと提案をした。

「周太、銃創の資料を持って来たんだ。すこし勉強しようか?」
「ん、勉強したい。ありがとう、英二、」

提案に恋人の背すじが伸ばされて、エプロンを外してくれる。
きちんと畳んで、いつもの場所に置くと黒目がちの瞳が笑いかけてくれた。

「はい、上に行きましょう…せんせい?」

なにこれ可愛い、敬語で「せんせい」ってなんですか?

こんな呼び方されたら、そういうプレイとか思いそう?
ただでさえ童顔小柄で稚くて、青年というより少年と言う方が似合うのに?

―楽しい妄想が始まりそうだ?

真面目になって冷静になる、そのために勉強しようとしたのに?
これではまるで逆効果、しかも今はそれどころじゃない筈なのに?
そんな考え廻らしながら階段を上がって部屋に行くと、英二は自分の鞄を開いた。

―真面目にならないとダメだ、大切な勉強なんだから

心に現実を描き、冷静が心に戻ってくる。
そして1通の茶封筒と小さい紙袋を取出し、勉強家の恋人へと笑いかけた。

「周太、この封筒に銃創の応急処置について、実例の資料が入ってるから。擦過射創だけど、参考になるよ、」
「え…よく見つけられたね、英二?」

驚いたよう見上げてくれながら、封筒を受けとってくれる。
封筒から出して真剣な瞳で読んでいく、そしてまた見上げて周太は綺麗に微笑んだ。

「ありがとう、英二。すごく解りやすいね?」
「よかった、役に立つのなら、」

答えながら密やかに溜息こぼれてしまう。
出来ればこの知識が役に立つことない方が良い、そんな願いが起きあがる。
この「銃創」の知識が役立つ時、それは周太が銃弾の飛ぶ「死線」に立つ時だから。

―どうか任期が無事に過ぎてほしい、

そんな祈りに見つめる恋人は、大切そうに資料を封筒へ戻してくれる。
きちんと自身の鞄にしまって、それから黒目がちの瞳は英二を見上げて質問してくれた。

「ね、英二?銃創の応急処置だけど、せいりちゅうの意味とたんぽんが何か教えて?…家に帰ったら教えてくれるって言ってたよね?」

ちゃんと憶えていたんだな?
そんな心の声に笑ってしまう、質問内容が23歳男性と思えなくて。
けれど質問する意図が切なくて痛ましい、今朝に下された内示への覚悟を見つめてしまうから。

「そうだったな、教えるよ?おいで、周太、」
「ん、」

笑って英二は、今度は紙袋から箱を出した。
それを見つめて首傾げた周太に、すこし悪戯っ子に微笑んだ。

「周太、どうやって子供作るか、解ってる?」
「ん?…結婚すれば良いんでしょ?」

首傾げたまま黒目がちの瞳が瞬いて、英二を見つめてくれる。
どうしてそんなこと訊くのかな?そんな貌で周太は答えてくれた。

「男のひとと女のひとが結婚すると、ちょうど良い時にお母さんのお腹に赤ちゃん、出来るんだよね?それで生まれるんでしょ?」

そんな自然発生だと思ってたんだ?

その発想が可愛くて笑ってしまう、想像通りだと可笑しくて仕方ない。
やっぱり知らなかったんだな?そんな納得と笑っていると、不思議そうに訊いてくれた。

「なんで、そんなに笑うの?…なんか違うの?」
「周太、俺が学校の寮を脱走した理由、憶えてる?」

笑いながら訊いた質問に、黒目がちの瞳が大きくなる。
あのとき「妊娠した、死にたい」と女に狂言をされて英二は脱走した、それを周太は知っている。
けれど周太にとって「結婚→自然発生で妊娠」という図式なら、あの狂言をどう解釈しているのだろう?
どんな答えになるか楽しみで見つめた視界の真中で、周太は困った顔になって訊いてくれた。

「あの…もしかしてえいじ、けっこんしてたの?」

やっぱり君は、天使だね?

本当に何も解っていない、そんな現実が可愛くて可笑しくて、愛しい。
まさかそっちの発想が出るなんて、思わなかった。あくまで子供は「結婚」前提で、生々しい発想がゼロでいる。
そして心が傷みだす、こんな稚い初心な周太が向かう8月の現実に、また覚悟が熱く固まっていく。
そんな覚悟を見つめ、笑いながら英二は箱を開くと説明書を取出した。

「安心して、周太。俺は結婚するのは、周太が初めてになるから、」

説明書を広げながら、黒目がちの瞳へと笑いかける。
その瞳は尚更に不思議そうになって、無垢なままに訊いてくれた。

「そうなの?…じゃあ、どうして妊娠したって言われて、真に受けちゃったの?」
「今から、その説明もしてあげるよ。おいで、周太」

笑ってデスクの上に説明書を広げると、スタンドライトのスイッチを引いた。
それを覗きこんだ黒目がちの瞳に微笑んで、英二はストレートに事実を告げた。

「子供はね、セックスすると出来るんだよ?それで女の人の場合は、ここに入れるんだ。でもこれ、周太には無いだろ?男には無いんだ。
だから男同士だと子供が出来ないんだよ。それで生理っていうのは、ここが赤ちゃんを育てるために貯めた血液を、月一で排出するんだ。
そのとき出血する血液とかを吸わせるのに使うのが、タンポンなんだよ。銃創も出血が多いだろ?だから、これを応急処置に使うんだ、」

説明書を指さしながら実物を1つ取り出し、使い方を見せて英二は隣の貌を見た。
その貌は赤くなって、困ったよう黒目がちの瞳が羞んだ。

「ん…よくわかりました…ありがとうございます、せんせい」

その「せんせい」ときめきます。

教えた内容が子作りで、それに少年みたいに羞んだりして?
こんなの「美少年に性のレッスン」ってやつみたい、なんかそんなAVありそうだ?
このまま本当にレッスンしたくなりそう、まだ色々していないこと本当は教えてみたいし?
今夜レッスンしても許される?そんな妄想の暴走が楽しいけれど、我ながら可笑しくて英二は笑った。

「解かったなら良かった、これ、あげるよ?でも誤解されないように、気を付けてな?」

笑いかけて説明書を箱ごと渡すと、素直に受け取ってくれる。
一緒に渡した紙袋に入れながら、また周太は不思議そうに訊いてくれた。

「ね、誤解ってなんの?」

また解からないのですね、あなたさまは?

本質的に聡明な周太、けれどこの手の事は全くの奥手でいる。
その上こんな少年の容貌では、少年趣味にとったら恰好の餌食にされそうで怖い。
こんな初心で本当に大丈夫だろうか?色々と心配になりながら英二は、婚約者に少し教育を始めた。

「これは生理用品って言って、普通は女のひとだけが使うんだよ?だから持ってると、周太が女の子だって誤解を受けるよ、ってこと、」
「あ…そういうこと?でも俺、普通に男だと思うけど…だってさっきのとこないとおもうし、」
「本当は男でも、誤解するやつもいるよ?しかも機動隊は男だらけだろ?わざと誤解して面白がるヤツもいるかもしれない、」
「面白がるくらいなら良いんじゃない?…気にしなければ平気だよ?」
「だからね、周太?面白がって、身体検査とかされたら困るだろ?」

そんなことされたら、本当に困る。
心底そう思った英二へと、不思議そうに黒目がちの瞳が微笑んだ。

「身体検査って、困るの?…身長とか計ったりするだけでしょ?」

ちょっと純粋すぎるだろう、こんな発想しかないなんて?

こんな初心で男が23年も生きてきたなんて、奇跡じゃないだろうか?
そんな初心な恋人は最高に可愛い、けれど心配が絶えない、このまま機動隊入隊は困る。
機動隊は同性の男だけの部署で当然独身寮に入る、おそらく男子校体育会系の雰囲気だろう。
そういう空気では普通にふざけるだろうし、男同士気楽にセクシャルな冗談だってするかもしれない。

そんなの周太は百年経っても無理だろう?

そんな冗談は周太には通じない、それなのに騙されて「身体検査」でもされたら困る。
そんな事態になったら自分が何しでかすか自信が無い、全力で犯罪デッドラインを犯すだろう。
そうしたら本当に困ってしまう、そんな困ったに佇んでいると、無垢な恋人は納得したよう微笑んで質問してくれた。

「ね?面白がって身体検査って、学校のトレーニングルームでしたみたいなこと?…英二、背筋力すごかったね?」

それは「体力測定」ですよ、天使さま?

「いや、あれとも違うよ、」
「そうなの?…じゃあなにするの?」

本当に解からない、そんな途惑いが首傾げこんでいる。
その貌は薄紅の酔いがすこし残って、清楚な艶にまた心惹きこまれそう。
こんな容子を自分の知らない所でされて「身体検査」されたら嫌だ、絶対にそれは嫌だ。
見られるのも嫌だ、触られるのも嫌だ、なんかされるの全部が嫌だ、そんなこと赦せない嫌だ。

―もういっそ、俺が「面白がって身体検査」して教えちゃおうかな

心の「嫌だ」の連発に、自分の願望が嬉しそうに微笑んだ。
そんなこと誰にもしたこと無いけれど、この恋人にはしてみたい?
そんなこと変態だと思うけど、これで理解して自衛に努めてくれたら一挙両得だろう。

「じゃあ周太?面白がってする身体検査、今から教えてあげる、」

もう心配なままに今、自分の嗜好も満足させてしまえばいい。
そんな決断に英二は実地教育へと微笑んだ。





(to be continued)

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第56話 潮汐act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-09-28 23:22:06 | 陽はまた昇るanother,side story
潮、辰に充ちて



第56話 潮汐act.1―another,side story「陽はまた昇る」

摩天楼の狭い空、けれど青色まばゆい朝がふる。
日曜の早い朝、普段雑多な広場も静謐がまだ微睡み優しい。
交番前を掃く箒の音だけが朝に響く、こんな静けさに実家の朝を思い出す。

…明日は、すこし庭の手入れしたいな?…いっしょに、

箒の音に予定を想って、首筋が熱くなる。
この当番勤務が明けたら大好きな人が迎えに来てくれる、そして海に行く。
それから実家に帰って明日の夜まで一緒に居られる。その予定が幸せで面映ゆい。

…まだ勤務中なんだ、しっかりしないと?

心つぶやいて、熱くなりかかる首を軽く掌で叩く。
ひとつ呼吸して落着くと、また箒を動かして塵取りに塵を掃きこんだ。

ざっ、ざぁっ、ざっ

箒の音が朝の静謐に響く、その音が遠い記憶を呼んでくる。
懐かしい家の朝の風景、それから遠い冬の陽だまりと薄紅の貝殻と、きらめく潮騒の音。

…海の音に、似てるね?

今日は海に行く、遠い冬に行った海と同じに貝殻拾いをするだろう。
また予定が想われて幸せが温かい、こんなに楽しみにしている自分がすこし気恥ずかしくなる。
そんな想いと動かす箒の音に、かすかな短靴のソール音が聞えた。

かつ、かつ、かつ…

近づいてくる足音は聞きなれたトーンでいる。
けれど、どこか急いているような響きが感じられて周太は首を傾げた。
なにを急くのだろう?そんな疑問と顔を上げて、朝陽ふるなか見つめた表情に納得が落ちた。

時が来る?

そんな予兆と見つめる上司の顔が、すこし固い笑顔で会釈する。
短靴の足音はすぐ傍に来て、周太は箒を持ったまま姿勢を正して笑いかけた。

「おはようございます、若林さん、」

左手首のクライマーウォッチは7:18を表示する。
交替にはまだ早い時間、それでも上司は急ぎ足で自分の前に現れた。
その理由を自分は解かっているだろう。いま予兆と微笑んだ朝陽のなか、交番所長はひとつ呼吸して笑ってくれた。

「おはよう、湯原。話がある、片づけたら奥へ来てくれ、」
「はい、」

素直に頷いて、上司の背中を交番へと見送った。
それから最後の一掃きを、丁寧に塵取りへと送りこんだ。

ざぁっ、

潮騒と似た音に塵は納まって、アスファルトに朝陽が射した。
光の軌跡に顔をあげ、見上げた空は狭くても朝が輝いて、ブルーは深く鮮やかに瞳へ映りこむ。
こんなふうに空は美しい、こんな晴れた朝だけではなく雨も風も、黄昏も夜の闇も。

…今日は海の夕陽、見られたらいいな?

あと1時間後には自分は、幸福な時間にいるだろう。
その前に今から自分は、運命のベクトルを受取りに行かなくてはいけない。
もう何度も覚悟した瞬間を今、迎えにいく。この今に微笑んで周太は、箒と塵取りを携え交番へと入った。


午前7時23分、湯原周太巡査に異動が告げられた。




古い、くすんだボタンを掌に包みこむ。
このボタンは14年前の春、父の制服を留めていた。
これを受けとったのは卒業配置間もない秋だった、父を助けようとしてくれた男が亡くなる直前に渡してくれた。
あのときからずっと、いつも活動服の胸ポケットに納めて警察官として勤務する御守にしている。

…お父さん、今日からいつも傍にいてくれる?

大切な俤へ微笑んで、周太は赤い錦の御守袋を開いた。
中には一枚の花びらを押したカードが入っている、そこにボタンも一緒に納めた。
そして藤色の房を結び直すと、掌に包みこんだ。

「今日も明日も、泣きませんように、」

願いごとに赤い錦袋へ笑いかけて、スラックスのポケットに仕舞いこんだ。
呼吸ひとつして、支度しておいた鞄を肩にかけ、革靴を履く。この鞄も靴も英二が揃えてくれた。
いま着ているスラックスもカーディガンもカットソーも、ベルトに靴下から全てが贈られたものばかりでいる。
こんなふうに、気がつけば自分の全ては美しい婚約者に充たされて、きれいな眼差しがいつも心に微笑む。
そして今もきっと、自分との約束のため新宿まで迎えに来て、自分を待っている。

…もうじき逢えるね、英二?

心つぶやき微笑んで、周太は部屋の扉を開いた。
鍵を掛けて廊下を歩く、その向こうから私服姿の笑顔が笑いかけた。

「おはよう、湯原。今日は実家、帰るんだ?」
「おはよう…そうだよ、深堀も?」

教場から一緒の同期へと周太は素直に微笑んだ。
深堀も微笑んで、楽しげに笑って教えてくれた。

「今日は俺、午後から内山に呼び出されてるんだ。なんかあいつ、ここんとこ変なんだよね?変の下心かもね、」
「へんのしたごころ?」

どういう意味だろう?
不思議で聞き直すと、人の好い笑顔は淡々と説明した。

「ほら『変』っていう漢字の下の部分を『心』にしたら、恋って字になるだろ?だから恋の病かな、ってこと、」
「内山、恋したんだ?…あ、教場で噂になったひと?」

そういえば内山は騒ぎを起こしたな?
懐かしい記憶に可笑しくて笑った周太に、けれど深堀は首傾げて苦笑した。

「だったら話は楽だけどさ?多分違う気がするよ、まあ俺には内山、話しするもりないだろうけど、」
「でも、呼びだされてるんだよね?…話したいからじゃ、ないの?」

話すつもり無いのに呼び出すのかな?
不思議で首傾げた周太に、落着いた笑顔は可笑しそうに笑った。

「話せなくても、気晴らしに付きあう位は出来るだろ?夜は関根も一緒に飯食うんだよ。たぶん今、独りになりたくないんだろね、内山」

あの内山でも、そういう気分の時があるんだな?
なんだか意外で、けれど本当は寂しがりな一面も頷ける。前にそんなことを言っていたことがあったから。
今日は楽しんで気晴らしになると良いな?そんな想いのまま周太は笑いかけた。

「そうなんだ、皆で今日、楽しいといいね。でも内山、その好きな人も誘えばいいのにね?」

何げなく言って周太は微笑んだ。
その言葉に深堀は、困り顔で可笑しそうに笑いだした。

「その相手のことでね、そのうち宮田が呼び出されるんじゃないかな?本人直接は、内山的には無理だろね、」
「ん?…そうなんだ?」

どうして、あの内山が本人を避けるのだろう?

初任科教養の時は彼女に会うため校則違反までした、そういう大胆さが内山にはある。
それなのに今回はどうして「内山的には無理」なのだろう?あのときの彼女はどうしたのだろう?
しかも相手のことで何故、英二が呼び出されるのだろう?モテる英二に相談してみたいのかな?
なんだか気になってしまう、けれど時間を思い出して周太は踵を返した。

「俺、行かなくちゃ。深堀、またね?皆によろしく、」
「うん、またね、湯原。宮田によろしくね、」

人の好い笑顔で笑って踵を返す、その背中の言葉に周太は驚いた。
さっき「実家に帰る」話をしていたのに、どうして深堀は「宮田によろしく」と言ったのだろう?

「あ、ふかぼり?なんで英二によろしくなんだ?」

驚くままに呼び止めて、同期の前へと周太は戻った。
そんな周太に深堀は、何のこと無い顔で教えてくれた。

「だって今日、宮田に会うんじゃないの?そのあと実家に帰るのかな、って思ったんだけど、違った?」
「どうしてそうわかるんだ?」

なんでだろう?
不思議なまま問いかけた周太に、人の好い笑顔は言ってくれた。

「だって湯原、今朝はとびきり美人の貌してるよ?だから宮田に会うのかなって、思ったけど?」

そんなに自分は顔に出ているの?

そう思った途端に恥ずかしくて首筋が熱くなってくる。
こんなこと面映ゆくて困ってしまう、けれど嬉しい気持ちも本当で、羞んでも素直に周太は微笑んだ。

「ん、ありがとう…よろしくつたえておくね?じゃあ、また、」

笑いかけると踵返して、足早に出口へと歩き出した。
すぐ廊下が終わって扉を開く、階段を降りて通りに出ると木洩陽がきらめいた。
アスファルトに聳えるコンクリートの街、それでも太陽も空も輝いている。
この光はどこも変わらない、そんな想いに今朝の辞令へ周太は微笑んだ。

…きっと大丈夫、出来る、

密やかな覚悟を抱いて、そっとスラックスのポケットにふれる。
そして振向いた視線の向こう、シックなブルーの車が此方に来てくれる。
そのフロントガラスに大好きな笑顔を見つけて、周太は綺麗に笑いかけた。

「英二、」

名前を呼んで歩み寄る、その近くにブルーグレーの車が止まってくれた。
扉を開いて助手席に座らせてもらう、その運転席で迎えてくれた笑顔へと綺麗に笑いかけた。

「おはよう、英二…お迎え、ありがとう、」
「おはよう周太、」

大好きな声が名前を呼んで、綺麗に笑ってくれる。
大切な笑顔に逢えて嬉しい、微笑んでシートベルトを締めようした掌を長い指が包みこんだ。

「周太、逢いたかった、」

引寄せられ、きれいな笑顔が近づいて唇が重なった。
ふれる唇の熱、ほろ苦い甘い香が吐息におくられて、首筋から頬まで熱くなる。
すぐ離れて、切長い目は嬉しそうに笑ってくれた。

「そのココア、周太のだよ、」

言われて見ると、ココアのペットボトルがスタンドに置いてある。
自分の好きな飲み物まで支度してくれた、嬉しくて面映ゆくて周太は微笑んだ。

「ん…はい、ありがとう、」

答えながらシートベルト締めて、ペットボトルに手を伸ばすと温かい。
車は丁寧に発進して通りを走りだす、車窓に流れる見慣れた風景に周太は微笑んだ。
こうして見ると違う風景に見えるな?なんだか楽しく見る隣から綺麗な低い声が教えてくれた。

「この車、俺の運転で助手席に座ったのは、姉ちゃんと両親以外は周太が初めてだから、」
「え…」

それはほんとう?

言われた言葉に驚いてしまう。
だって今まで英二は、沢山の女の人と付き合ってきた事を知っている。
それなのに家族以外は初めてだと言うのは、どういうことだろう?不思議で見上げた隣で、幸せな笑顔がほころんだ。

「俺、デートするために運転すること、周太が初めてだよ?いつも独りで乗ってたから、」

初めてだなんて、うれしい。
うれしくて面映ゆくて、そして今、こんなこと言われたら泣いてしまうのに?
ずっと独りだった隣を自分にくれる、それが嬉しくて、嬉しい分だけ今もう苦しい。

…ありがとう、でもごめんね

ほんの1時間前から、もう約束は何も出来なくなった。その現実が涙に変わりそうで堪えて苦しい。
この1時間前に告げられた異動の内示、それは逢える時間が減るだろう宣告、もう、この隣に座る約束が出来ない。
この「初めて」の次が解からない。そうしたら英二は、また独りこの車を運転するのだろうか?

…ごめんね英二…うれしい、でもごめんなさい…でも、ありがとう英二

今、幸せそうな隣の笑顔が嬉しくて、切なくて泣きたくなる。
今こうして隣に自分が座る、それを喜んで笑ってくれている、それなのに独りにしてしまう。
この今の現実に涙こみあげそうで、俯いて周太はペットボトルの蓋を開けた。

…いいかおり、

ほろ苦く甘い香が昇って、自然と微笑ませてくれる。
この香は父と母との優しい記憶が温かい、この温もりに今、泣かない勇気をもらいたい。
そっと唇つけて香を飲みこんで、涙も一緒に心の底へ飲みこみ周太は微笑んだ。

「いい車だね?」
「ありがとう、周太。でも買い替える予定なんだ、」

嬉しそうに笑ってくれる、その横顔に見惚れてしまう。
今日はたくさん笑顔にしてあげたいな?そんな願い微笑んで周太は尋ねた。

「そうなの?…あ、山に行きやすい車にする?」
「そうだよ、やっぱり四駆の方が奥多摩では良いだろ?今日、父さんに買い替えのこと頼んできたんだ、」

さらり言ってくれた言葉に「約束」が想われて嬉しくなる。
あの川崎の家を奥多摩に移築して永住する、そう英二は前に約束してくれた。
その約束が車の買い替えに想われて嬉しい、そして今からの話へと緊張してしまう。
今日、英二は久しぶりに実家に帰った。この「久しぶり」な理由は周太にある、その自責が緊張に傷む。
その傷みごとペットボトルに口付けて、ひとくちココアを飲みこむと周太は微笑んだ。

「みなさん、お元気だった?」
「うん、父さんに、お母さんと周太によろしくって言われたよ。母さんは、あの子は元気?って訊いてきた、」

…お母さんが、自分を気に懸けてくれたの?

何げなく言ってくれた言葉に、隣を見つめてしまう。
彼女と会ったのは3月、雪ふる吉村医院での夜だった。
あのとき叩かれた頬の腫れは退いている、けれど心の痛みまでは退いてくれない。
最初からずっと覚悟していた、嫌われて当然だと解っている、それでも拒絶は哀しかった。
哀しくて苦しくて、でも自分は彼女を少しも憎めなくて、それが尚更に哀しいままだった。

宝物のよう大切なひとを生んでくれた、そんなひとを憎むことなんて出来るはずがなくて。
もし彼女がいなければ英二はいない、自分に幸せを贈ってくれる存在は生まれなかった。
だから憎めない、だから殴られる覚悟もして頬を叩かれた、それは心に痛かった。
そんな彼女が、自分の事を気に懸けてくれたの?

「お母さん、俺のことを気にしてくれたの?」
「うん、してた。姉ちゃんに周太がくれた花も、綺麗だったって褒めてたよ」

笑って答えてくれる言葉が、素直にうれしい。
やっぱり本当は彼女も「人を好きになりたい」けれど不器用なほど繊細な人でいる。
そんな彼女の素顔が今、この隣で運転するひとの為に嬉しくて仕方ない。

…どうか英二が、お母さんと本当に仲良くなれますように

どうか、この母子にも心から笑い合える幸せがあってほしい。
そっと心に願いを見つめて、周太は綺麗に微笑んだ。

「よかった、花を喜んでくれるの嬉しい…ありがとう、英二、」
「俺は何もしてないよ、」

綺麗に笑って頷いてくれる、その笑顔が前よりも明るい。
その明るさが今、心から温かい。



青い光が、まばゆい。

潮風すずやかに頬をなでていく、やさしい潮騒が記憶を呼んでいく。
大らかな青ひろがる世界は陽光きらめいて、休日の穏かな朝のどやかに寛がす。
海が見える朝食をしよう、そう言って英二はこのレストランに連れて来てくれた。
その言葉通りに食卓の向こう、ブルーあざやかな海は大らかな朝陽に耀いている。

…きもちいいな、

ゆるやかな吹く風に座り、見つめるブルーの光に微笑が誘われる。
ほら、こんなふうに世界は穏やかで明るい、それが今の自分にとって不思議で頼もしい。
この3時間ほど前にコンクリートの空間で告げられた現実は厳しい扉、それでも世界は優しく佇んでいる。
この美しい光景は、この先どこに自分があっても変わることは無い。そんな摂理が優しく温かい。

「周太、うれしい?」

きれいな低い声が微笑んで、隣を周太は見た。
きれいな笑顔ほころんだ切長い目が、優しい眼差しに笑いかけてくれる。この大好きな目に周太は素直に笑った。

「ん、うれしい…きれいだね、ここ良いね?」

答えながらオレンジをとったフォークを口に運ぶ。
その手に長い指が添えられて、英二の唇はフォークのオレンジを咥えこんだ。

「あ、」
「ごちそうさま、周太と間接キスしちゃったな?」

うれしそうに笑って、端正な口許からオレンジが香る。
その唇と「間接キス」に首筋が熱くなってしまう、こんなの気恥ずかしい。
それでも隣のひとがすること全てが嬉しい、そんな想いとパンケーキを口に運んで飲みこんだ。
その横顔に視線を感じて、何げなく振り向くと切長い目が楽しそうに見つめてくれていた。

…こんな貌して、見つめてくれるね?

幸せそうな貌が嬉しい、けれど苦しい。
この貌から自分はすこし遠く離れなくてはいけない、その現実への扉は既に開かれた。
その現実に、自分はこの大切な笑顔を護りぬくことは出来るだろうか?
そんな想いと気恥ずかしさに微笑んだ、その向こうで笑顔は輝いた。

―好きだよ、ずっと見ていたいよ、傍にいて?

そんな想いが声が、綺麗な笑顔にほころんでくれる。
こんなに綺麗な英二、もっと似合う人がいるのに自分にこの笑顔をくれる。
この笑顔が自分は大切で宝物で、だから同性でも恋する道を選んで今、唯ひとつの願いを抱いている。

…護りたい、

この笑顔を、離れていても護りたい。
この願いを叶えたい、そのために自分は幼馴染に願ってしまった。
大らかで強く優しい光一、あの美しい幼馴染は英二と似合う体と力と、そして心を持っている。
どこまでも明るい目をした山っ子が英二を支えてくれる、そう信じているから今も異動への覚悟は鎮まっている。

それでも、光一と英二のふたりが恋愛関係になる事は安易ではない。
それを自分も解かっている、ふたりと同じ警察組織に所属する一人として、ふたりの立場も弁えている。
そう解った上で願っている、あの二人に寄添い合って支え合っていてほしい、だって他に方法が見つからない。

ふたりは資質が優れている、だから互いにしか頼るに足る相手もいない、そんな唯ひとりの相手同士でいる。
だから恋愛になっても互いに解りあえるはず、それは幸せだろうと思ってしまう。
たとえ公に言えない立場でも、心が充たされるなら救いはあるのだから。

…だから、きっと俺にも言わないね…ふたりは、きっと

周太を秘密背負う責任から護る、そのために二人とも言わない。
そういう潔癖な二人だからこそ、それぞれを自分は大切に想って今、見つめる海にも祈ってしまう。
どうか大切な二人とも、ずっと幸せに笑い合って最高峰への夢を叶えて、輝く道を昇り続けていてほしい。
どうか二人の笑顔が誇らかな心のままに耀いて、この世の天辺に自由を謳う幸せに生きていて?

…ごめんね、でも、ありがとう…ずっと幸せでいてね、

静かな自責と感謝に微笑んで、周太は海に祈りを見つめた。
大らかに耀くブルーの水と空、吹きぬける潮騒の甘い香、頬撫でる風の優しい温度。
その全てに想う祈り佇んで、のんびりとフォークを運んで甘いパンケーキに微笑んだ。

「周太、食べたら浜に降りてみる?」

綺麗な低い声に呼びかけられて、振り返る。
浜に降りてみたいな?そう素直に微笑んで周太は頷いた。

「ん、行ってみたい…貝殻あるかな?」
「たくさんある所に連れて行ってあげる、今日もあると良いんだけどな、」
「ありがとう、英二…ちょっと待ってね、これ食べちゃうから、」

もう英二の皿には、トーストも卵料理も無い。
つい呑気に食事してしまったな?すこし気恥ずかしく微笑んで周太はフォークを動かした。
オレンジのサラダを食べ終えてパンケーキをフォークに取る、その隣から婚約者は微笑んだ。

「周太、周太だけが、俺の帰る場所だよ?」
「え…あ、はい、」

急に言われた言葉に、パンケーキのフォークが止まる。
急にどうしたのかな?すこし驚いてしまう、けれど言ってくれた想いが嬉しい。
すこし途惑うけれど嬉しいほうが大きくて、そんな思いと見つめた婚約者の希望に気がついた。

…さっき、俺のフォークから食べて嬉しそうだった

あの笑顔をまた見せてほしいな?
そんな想い素直に微笑んで、パンケーキのフォークを差し出した。

「ん、帰ってきてね?…あの、食べる?」

ほら、差し出したフォークに幸せが笑ってくれる。
見つめる想いの真中で、嬉しそうに英二はフォークの先へと口付けた。

「うまいな、ありがとう周太、」
「ん、よかった、」

微笑んで最後の一欠片をフォークに取ると、自分の口に入れる。
たった今この美しい婚約者が口づけたフォークは、あまい幸せが面映ゆい。

…かんせつきすになっちゃった

心つぶやく想いが熱になって、首筋を昇って頬まで熱い。
あまい熱ごとココアを飲み干し、きちんと紙ナプキンで口元を拭う、その唇にそっと指ふれてしまう。
フォーク越しのキス、その幸せがもう涙に変わりそうで、それでも微笑んでナプキンを畳んだ。
どこか名残惜しい想いごと白い紙をテーブルに置く、それから隣の笑顔に周太は微笑んだ。

「ごちそうさまです。英二、お待ちどおさま…ここの浜辺に降りるの?」
「すこし車で走ったとこだよ、周太、」

笑いかけて立ち上がってくれる、一緒に周太も立ちあがった。
その視界にブルーが映り海を振り返る、見つめた先ひろがる光彩が嬉しい。
このブルーを幸せと一緒に記憶したい、そんな想い佇んだ横顔に綺麗な低い声が笑いかけた。

「周太、今から俺のお祖母さんの家に行くよ?そこの浜辺で貝殻、拾えるから、」

言われた言葉に鼓動ひとつ、温かく心をノックした。




(to be continued)

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P.S 親愛によせて―from Oxford August.1966

2012-09-28 04:00:49 | 陽はまた昇るP.S
親愛なる俤へ、



P.S 親愛によせて―from Oxford August.1966

顕子おばさま、お元気ですか?
こちらの夏は涼しいです、しつどが低いとお父さんが教えてくれました。
そのせいか今、バラの花がたくさん咲いています。家の庭と同じ花も咲いていて、なつかしいです。

ぼくはいま、本をたくさん読んでいます。
お父さんが大学の図書館で借りて来てくれるんです、どれも英語かフランス語で書いてあります。
お父さんが先に読んで、スペルの読み方と意味を教えてくれるから読めます。そういうノートをぼくの机に置いてくれました。
このノートにぼくは、本の感想と次に読みたい本と、今日あったことを書いておきます。
そうすると、ぼくが寝た後にお父さんが帰ってきても、ノートでおしゃべりができるんです。
だから夜は会えなくてもさみしくないです、ノートのお話たちと借りてくれる本が、ぼくを元気にしてくれます。

こういうことが出来るお父さんが好きです、すごいなって思います。
それで、ぼくもお父さんみたいに文学の学者になれたらいいなって、いま考えています。
たくさんのお話がぼくを元気にしてくれるように、きっと他の人もお話で元気になれると思うんです。
そういうお手伝いができるひとになりたいです、だから勉強がんばります。
英語で授業だからついていけるか心配だけど。
でも、お父さんとお母さんに教わってきたから、おしゃべりは出来ます。
おかげで仲良くしてくれる子がふたり出来ました、ぼくと同じ学校になるので9月からいっしょに行きます。

いつも家にはナニーがいてくれて、ごはんとおやつを作ってくれます。
チョコレートのケーキがおいしいです、おかあさんのチョコレートケーキとすこし似ています。
レディ・ヴァイオレットは元気ですか?遊びに行ったときに作ってくれたケーキ、おいしかったです。
けいすけくんは元気ですか?このあいだは遊べて楽しかったです。日本に帰ったら、また遊びたいです。

こんどのお休みは、お父さんと山にいきます。スノードンという山です。
イギリスで2番めに高い山で羊がいるそうです。てっぺんの近くまで鉄道でも行けるのですが、ふつうに登るよていです。
お父さんはすこし元気がありません、だから好きな山に行って元気になりたいのだと思います。

おばさま、山は亡くなった人に会えるってほんとうですか?
日本で亡くなった人でも、イギリスの山で会えますか?やっぱり海をこえたら、むずかしいですか?
でも、もし会えるなら花を持って行ってあげたいです。イギリスでも咲いている花で、お母さんが好きな花はありますか?
もし知っていたら教えてください。

おばさまは、ずっと元気でいてください。いつかまた会いに行きます、まっていてください。  1966年8月 馨




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第56話 潮流act.5―side story「陽はまた昇る」

2012-09-27 23:08:06 | 陽はまた昇るside story
潮流、夕映に約束を



第56話 潮流act.5―side story「陽はまた昇る」

波打際、潮ひく跡に耀きこぼれる。
洗われて濡れる浜辺の砂は、瑞々しい陽光ふくんで照りかえす。
潮騒が曳いていく、そして顕われる小さな貝殻たちに黒目がちの瞳が微笑んだ。

「見て、桜貝、」

声、はずんで砂に指を伸ばす。
そっと拾いあげた指先には、薄紅の花と似た姿が空に透けた。
その足元、サンダル履きの爪先を波が洗いに寄せて、英二は小柄な体を抱きあげた。

「ほら、周太。裾が降りてる、」

笑いかけて、すこし波から離れた場所に立たせてやる。
その頬が薄紅になって気恥ずかしげに微笑んだ。

「ん…ありがとう、捲ったつもりだったんだけど、」
「俺がやってあげるよ、」

笑いかけながら片膝ついて、黒藍の裾を捲りあげていく。
サンダル履きに伸びる素足が風に晒される、透明感ある肌が露になって鼓動が心を引っ叩いた。

―かわいい、

ほら、やっぱり足が出てると周太は可愛い。
きれいな素肌は毛も薄くて、少年のような素足がすらり黒藍の裾に映えている。
童顔に羞んだ笑顔は尚更に若く見せて、とても社会人で同じ齢だと思えない。
こんなの可愛くて時めいてしまう、嬉しいまま英二は提案と笑いかけた。

「周太、袖も捲った方がいいな?濡れたら困るから、」
「ん、ありがとう…いろいろ、ごめんね?」

微笑んで見上げてくれる、黒目がちの瞳が楽しげにきらめいている。
きっと、気に入った貝殻を最初に拾えて喜んでいる?そんな予想に穏かな声が微笑んだ。

「桜貝、今日は無理かなって思ってたんだ…冬に拾える貝だから、」
「貝殻にも季節があるんだ?」

それは知らなかったな?
意外に思いながら袖を捲り終えると、ホリゾンブルーから右腕に深紅の痣が覗いた。
その色彩にまた鼓動が心を敲いて、長い指を恋人の顎にかけた。

「周太、」

名前を呼んで見上げてくれる、その唇に唇を重ねこむ。
ふわりオレンジとかすかな白ワインが唇に香らす、その香に先ほどの記憶が蘇える。
遅い昼食の席、海の美しいレストランで周太は、祖母と菫に聴いた自身の祖父母と父の話をしてくれた。

―…お祖母さんと似てるんだって、俺…きれいな人だったって言うから、なんか申し訳なかったよ?
 やっぱり湯原博士が、お祖父さんだったよ?…お祖母さんは教え子で、すてきな恋愛結婚だったって教えてくれて

話してくれる笑顔が本当に幸せそうで嬉しそうで、ずっと見ていたいと願ってしまった。
あんな笑顔をもっと見たいな?そんな想い籠めて唇離れて、覗きこんだ瞳は恥ずかしげに長い睫を伏せた。

「…こんなとこでだめです…はずかしいですひとがいるのに?」

可愛いトーンで諌めてくれる、その顔が赤く染まっていく。
またやり過ぎたかな?すこし反省しながら英二は婚約者に笑いかけた。

「キス、デザートの味だったよ。周太、さっきの店は気に入ってくれた?」
「ん、はい…おいしかったです」

まだ恥ずかしそうに俯いたまま、それでも答えてくれる。
そんな様子が可愛くて困らされる、幸せな困惑に微笑んで英二は恋人の掌をとった。

「気に入ってくれたなら良かった、また連れて行ってあげるな、」
「ん、ありがとう…何かのお祝いとか、そういう時に行きたいな、」

嬉しそうに微笑んで、すこし遠慮がちに言ってくれる。
たぶん高い店だと思って、こんな提案をしてくれるのだろう。こういう慎ましやかな所が好きだ。
穏やかで内向的だけれど言うべきことは言ってくれる、そんな確りした婚約者が嬉しくて綺麗に笑いかけた。

「じゃあ、9月の終わりは行かないとな?」
「ん?…どうして?」

不思議そうに黒目がちの瞳に見上げられて、可愛くて見惚れてしまう。
けれど、「どうして?」と訊かれて少しがっかりしながら、英二は微笑んだ。

「忘れちゃったんだ、周太?なら良いよ、」

微笑んで、少しだけ素っ気なく言ってしまう。
こんな態度は本当はしたくない、けれど、ふたりの記憶の日を忘れられるのは嫌だ。
昨夏9月最後の日、あの瞬間を自分だけが憶えて大切にしている?そんな片想いが半年間の哀切を蘇らす。
警察学校で過ごした初任科教養の半年間、ずっと片恋に見つめた密やかな熱情と憂悩は今も傷む。

―やっぱり、今でも片想いなのかな

そんな心のつぶやきに隣が見れない、それでも繋いだ掌は離せない。
そして片想いに知らされる、自分が光一にどんな想いをさせているのか?
その自責が軋みあげて、今この瞬間も心が抉られだす。

―…秘密ってイイね?ほんとに独り占めってカンジ…俺、おまえを独り占めして最高峰に登るよ?

数日前の夜、光一への想いを告白した。
そして交わした約束にくれた光一の言葉は、幸福でも哀しくて、けれど誇らかな自由がまばゆい。
あの言葉に籠る互いの覚悟と真実は誰に言うことも出来ない、この今、隣を歩いてくれる婚約者にも言えない。

―周太、君に秘密を抱えるのは、嫌だ…言ってしまいたい

言えば、きっと自分は楽になる。
けれど周太に重たい秘密を負わすことになる、そう解っているから言えない。
恋人として婚約者として、事実を告げて秘密を共有する。それは幸せかもしれない、何も隠し事ない伴侶で良いかもしれない。
けれど、それが自己満足に過ぎないと知っている。告げることで自分の責任を押し付けるだけ、そう解るから言うことも出来ない。
もし普通の相手なら言えばいい、けれど光一との関係は公的立場が多すぎて、もう個人に留まらない。
そうお互いに解っている、それでも誤魔化せなかった想いに告白を交わしてしまった。

そのことを、後悔なんて出来ない。
ひとりの男として山ヤとして、最高のクライマーとの想いは誇らしすぎるから。
そしてこの秘密の恋愛が、今この隣を歩くひとを護る。その為に光一も覚悟を定めてくれた、だから後悔なんて出来ない。
ふたり共に周太を護りたいと願う、それなら痛みを負うのは光一と自分だけでいい、ただ潔く秘密にすればいい。
それが今この隣歩いてくれる人を護り、自分と光一に関わる全てを護る。だから言わないで居ればいい。

―ごめん、周太

心のつぶやきに、今、拗ねている自分を笑ってしまう。
こんな身勝手な二股に比べたら、9月の終わりを忘れているくらい何でもないのに?
それでも拘ってしまう自分こそ「子供っぽい」、そんな自覚に笑ったとき、隣から温かい腕が伸ばされた。

「英二、ごめんなさい、」

優しい腕が肩に回されて、やわらかな黒髪が頬ふれる。
抱きついてくれる小柄な肩が幸せで、嬉しいまま英二は婚約者を抱きしめた。

「俺こそ、ごめんな」

心の本音を告げて、瞳の奥に熱が昇りかける。
けれど呼吸ひとつに涙を肚に落としこんで、笑いかけた英二に黒目がちの瞳が微笑んだ。

「9月30日のこと、忘れていたわけじゃないよ?…英二がそう想ってくれてたのが解からなくて…ごめんね、ありがとう、」
「憶えていてくれたんだ、」

嬉しくて笑ってしまう、さっきの拗ねた想いが解けていく。
こんな瞬間も光一への想いが傷む、けれど自分で決めた覚悟のままに今、目の前の婚約者を幸せに笑わせていたい。
そんな想いと微笑んだ先、黒目がちの瞳が綺麗に笑ってくれた。

「ん、憶えてるよ?きっと、ずっと憶えてる…なにがあっても忘れないよ、」

そう言ってくれる笑顔が、透明に美しい。
どこまでも明るく穏やかに佇んでいる、その瞳を見つめた英二に静かな勇気が優しく微笑んだ。

―周太?

表情に心が殴られて、意識に冷徹が奔りだす。
そして気付かされた現実に、英二は真直ぐ最愛の瞳を見つめた。

「周太、本当のことを教えて?今朝、新宿署で何かあったのか?」

今日、ここまで気付かなかった。
けれど今日はもう7月第二週、初任総合が終わって1週間が経った。
それなら内示はいつ本人に伝えられてもおかしくない、初任総合最後の日に遠野教官が言った、あの言葉が本当なら。

“湯原の異動はおそらく8月だ、その後は2か月後位だと思え、俺に言えるのはそこまでだ”

あれから何度も覚悟した。
たぶん毎日、この一週間は覚悟を見つめていた。
その覚悟が今、この瞬間に試される?そんな想い見つめる真中で、黒目がちの瞳はきれいに微笑んだ。

「俺ね、8月に異動するんだ。今朝その内示を教えてもらったの、第七機動隊の銃器レンジャーだよ、」

運命の流れが、大きく寄せる。

―瞬間が、来た

心引っ叩く波に哀切が砕かれ、呼吸が止められる。
もう何度も覚悟してきた、周太に出逢って惹かれて、それからずっと。
それでも砕かれたら痛くて悲鳴が上がる、けれど瞬きひとつで英二は微笑んだ。

「じゃあ調布に移るんだ、奥多摩に近くなるな、」
「ん、そうだね?…あ、」

綺麗に笑って、波打際へと指を伸ばす。
すこし屈みこんで、それでも繋いだ手は離さないまま周太は、薄紅の貝殻を拾いあげた。

「見て?ふたつ離れてないよ、この桜貝…こういうの、なかなか拾えないんだ、」

幸せに微笑んで見せてくれる、その貝殻は元のまま二つ繋がれている。
その姿に希望を見つめて、英二は綺麗に笑った。

「俺たちみたいだね、周太、」
「え、…」

言葉に、黒目がちの瞳が見上げてくれる。
どういう意味?そう見つめてくれる眼差しに、幸せだけを見つめて英二は明るく微笑んだ。

「この桜貝、海の底からずっと離れないで、ここまで来たんだろ?俺たちも離れないで、ここまで一緒に来たよ。だから似ている、」

愛しい掌に載った、薄紅の桜貝。
いつも恥ずかしがって染める肌の色、それと同じ色彩の二枚貝に願いを見る。
どうかこの祈り叶ってほしい、見つめる薄紅いろへ願い籠めて英二は、婚約者に微笑んだ。

「周太、こんなふうに俺たち、ずっと一緒に離れないでいよう?何があっても、ずっとだ、」

この貝殻は、もう命は無い。
それでも二枚の貝殻は離れず、ここにいる。波に洗われても離れず寄りそって、浜辺に辿り着いた。
こんなふうに永遠に寄添って、ずっと離れずこの人と居たい。

「周太、約束だよ?俺は何があっても、君から離れない。ずっと、永遠にだ、」

言葉に告げて、瞳を覗きこむ。
その瞳にうつる切長い目に、祖母が愛しんだ俤が笑ってくれる。
この自分が持つ目と同じ眼差しをした人々、その祈りも、どうか自分に味方してほしい。
もうひとりの恋人を巻き込んでも後悔しない、あの誇らかな恋愛を犠牲にしてもいい、それほど唯ひとり護りたい。
こんな願いは身勝手だと解っている、その罪も全部背負うから、どうか唯ひとり護らせてほしい。

それくらい全てを懸けている、だからどうか、この願いは叶えて?

「約束して、周太?何があっても、どんなことも、全て俺には話してほしい。俺のこと、少しでも愛してくれるなら約束して、」

どうかこの約束に頷いて?
君を護るために必要な約束だから、肯ってほしい。
その願いと見つめた黒目がちの瞳に、あわく涙の紗が微笑んだ。

「ん、約束する…英二、愛してる、」

綺麗な笑顔がほころんで、サンダル履きの爪先が背伸びした。
そっとオレンジの香が唇ふれて、優しいキスが重なってくれる。
ふれるだけ、けれど幸せな温もりの俤を残してくれたまま、静かに離れて笑ってくれた。

「英二、来年の夏は北岳に連れて行って?…北岳草を俺も見てみたいんだ、お願い、約束して?」

来年の約束に、きれいな笑顔が笑ってくれる。
自分が想い込めた花に約束を結んで、一年後の幸福を贈ろうとしてくれる。
その想いが温かくて嬉しくて、切なくて痛くて苦しくて、そして愛おしい。
その愛しさと幸福だけを瞳に見つめて、ただ綺麗に笑いかけた。

「約束するよ、周太。来年の夏は花を見に行こう、」

ほんとうは約束なんて出来ない、そう解っているけれど約束したい。
あと1カ月も経たず銃器レンジャーに異動する、そこは狙撃手のチームになる。
そこで最も優秀と認められたら、次に行く先は1つしか警視庁には無いと知っている。

そして、その場所は「死線」でしかない。

「ん、ありがとう、英二…楽しみにしてるね、」

明るく微笑んで喜んでくれる、この笑顔も本当は解かっている。
それでも約束に籠めてくれる祈りへと、英二は幸せに微笑んだ。

「楽しみにしてて、周太。必ず花を見せてあげる、約束するよ?」

死線に立つ人の約束が叶う、その可能性は何パーセントだろう?

この確率への問いかけは「不可」と言われるかもしれない。
それでも、たとえ約束が出来ないと世界が言っても、自分は必ず叶えてみせる。
この自分が諦めなければ叶うはず、その為だけに自分は今日まで全てを懸けてきた。
もう諦める事なんか出来ない、だから叶えられない筈がない、その願いに微笑んで英二は婚約者にキスをした。

―必ず約束を叶えるから、周太

オレンジの香と潮騒の響くキスは、あまく温かく、ほろ苦い。
唇の硲に潮は香り、ほろ苦い甘さが忍び入る。この香と味に涙の気配を見てしまう。
いま自分は涙を流していない、それなら今、泣いているのは腕のなか温かい人のはず。
その涙をキスで拭ってあげたい、そう瞳を披いて見つめた向う、黒目がちの瞳は長い睫を披いた。

「約束、ありがとう。英二、」

名前呼んで微笑んだ瞳は、涙が無い。
ただ透明な笑顔が綺麗に、明るくほころんで咲いている。
その笑顔に気付かされてしまう、もう婚約者は心を定めて今、運命の分岐に佇んでいる。

―どうして君は、そんなに綺麗で勁い?

そっと心に問いかけて見惚れてしまう。
ほんとうは泣き虫で甘えん坊の周太、それなのに勁い。
この今も真直ぐ見つめて、凛と運命に向き合い端正なまま動じない。

綺麗だ、そう心から想う。
その覚悟は揺るがせられない、そう解っている。
その覚悟のままに周太は今、泣くことを辞めてしまった。それが今、透明な笑顔に解かってしまう。

―でも、俺には頼ってよ?

自分にだけは頼ってほしい、本当は泣いてほしい。
でも覚悟したなら動じない、そういう人だと知っている、だから今、泣けと言っても無理だろう。
それならば、せめて我儘を言ってほしい。もう泣くことを辞めたのなら、少しでも我儘を言って自分を頼ってほしい。

「周太、このあと何したい?」

ほら、リクエストを訊くから応えて?

「鎌倉の寺で花を見て、茶室に寄るつもりなんだけど。でも桜貝の方がいい?どこか行きたい所ある?周太がしたいこと、何でも言って?」

なんでも言ってほしい、我儘を言って?
もう泣いてもらえないのなら、せめて我儘を言って頼ってよ?
少しでも頼ってほしい、自分を必要としていてほしい、どうか置いて行かないで?
そんな願いのまま見つめて笑いかける、その向うから黒目がちの瞳は明るく笑ってくれた。

「ここで夕焼けを見たい、それまで貝殻拾いしたいな?…それから買物して、家に帰って、一緒に夕飯作って?お願い、英二…」

いま笑ってくれる黒目がちの瞳が、切なくて愛しくて、どうして良いか解からない。
このまま遠くに攫ってしまいたい、そんな願いが燻って今にも狂いそうになる。
それでも、自分は狂ってはいけない。

―ここで踏み止まれなかったら、光一への裏切りだ

狂気のような恋愛、それを封じるために光一を巻き込んだ。
あの美しい山っ子の想いを自分は犠牲にする、たとえ光一への恋愛が真実でも犠牲にする事は変わらない。
こんなふうにしか愛せない自分、その罪の重さは自分が一番知っている、だからもう狂ってはいけない。
もう幾度も見つめる覚悟に微笑んで、英二は最愛の婚約者に頷いた。

「どれも楽しそうだな、周太。お願い聴くよ?」
「ん、ありがとう…ね、夕飯、何食べたい?…あ、見つけた、」

穏やかな声は笑って、また波打際に指を伸ばす。その隣は和やかで、透けるほど明るい温もりが、ただ愛おしい。



屋根裏部屋、天窓ふる月明かりが清かに優しい。
オレンジ色のやさしいランプの下、愛しい掌がアルバムを開いてくれた。

「かわいい、英二…これ、幼稚園の時?」

今朝、実家の部屋から持ってきたアルバムに、黒目がちの瞳が笑ってくれる。
その眼差しが優しくて嬉しくなる、幸せに英二は微笑んだ。

「そうだよ、隣は姉ちゃんな、」
「お姉さんもすごく可愛いね、双子みたい?…今は似てるけど、違うのにね?」
「うん、小さい頃は双子ってよく言われてた。俺の方が背、高かったし、」

床に敷いたマットレスの上、ふたり並んで記憶を繰っていく。
このマットレスに並んで座るのは、これで幾度めになるのだろう?

「小さい頃から英二、大きいんだね…きれいな子、天使みたい、」

やさしい笑顔が、言った言葉に頬染める。
褒めてもらえて嬉しい、そして願ってしまう。

―周太を救う天使に、俺がなれたらいいのにな

こんなこと考えるなんて、自分の柄じゃない。
ずっと他人なんて信じられなかった、母親すら信じられない自分だから。
ずっと要領良いフリして愛想良い仮面を被って、心は冷酷なまま閉じて世間と自分を嘲笑っていた。
こんなふうに誰かを救いたいなんて思ったことはなかった、こんなに何かを必死で願ったことも、無かった。

「周太こそ、俺の天使だよ?」

素直に想いを告げて、頬にキスをする。
これは本音の想い、こんなに誰かを想い願える自分に変えてくれた、その人こそ自分の天使だから。

「てんしだなんて…そんなにきれいじゃないよ?」

気恥ずかしげに困った顔、でも嬉しそうに笑ってくれる。
この貌をずっと見ていたくて、傍にいたくて、今この瞬間も願いに心は泣いている。
それでも涙はもう捨ててきた、泣くよりも今この幸福を見つめて、幸せの瞬間を大切にしたい

「周太は誰より綺麗だよ?さっき風呂でも綺麗だった、どこも全部、周太はきれいだよ、」

こんなこと言ったら真赤になるだろうな?
そんな予想と笑いかけた隣、額まで真赤になって白い浴衣の衿元を両手で押さえこんだ。
すこし怒ったよう黒目がちの瞳が見つめてくれる、そして素っ気ない言葉が可愛いトーンで言われた。

「えっち、えいじのえっちへんたいちかん…でも、ありがとう」

ツンデレですか、ご主人さま?

睨んで罵って「でも、ありがとう」って羞んだりして?
そんなの可愛すぎるんですけど?こんな時なのに奴隷モードになりますけど?

「もう一回言って、周太、」
「え?」

言われたことに舞い上がって、つい強請った自分を見つめてくれる。
どうしたのかな?そんな不思議そうな顔も可愛くて、幸せに英二は微笑んだ。

「周太、今夜はふたりきりだね?明日の夜まで一緒だよ、あと24時間は一緒に居られるな?」

今夜も周太の母は出かけている。来週の社員旅行の下見だと言って、保養所に泊まってくれた。
そんな彼女の配慮の意味が切なくて温かい、そして彼女の覚悟が自分には解る。

―…私も警察の規則は大嫌い…私の宝物を壊すから…警察の全ては信じていないの、いちばん大切なものを私から奪って…大嫌い
 一緒に死のうとしました。周がお腹にいる時よ、だから私の方が罪が重いわ…いちばん幸せな瞬間のまま一緒に死んでしまえたら、
 あの人を救える…愛している人と愛している人の子供を抱いて死ねたら、もう離れなくて済む

先月に規則違反と心中未遂を告白をしたとき、彼女はそう言って受けとめてくれた。
彼女は自分の共犯者、この唯ひとりを護るためになら罪を背負うことも厭わない。そんな強い祈りを彼女も抱いている。
だから今夜もふたりきりの時間を贈ってくれた、彼女が馨とふたり見つめた幸福を、息子の周太に与えるために。
それなのに彼女の息子は寂しげな瞳になって、そっとため息交じりに拗ねた。

「お母さん、今夜も行っちゃって…いっしょにアルバム、見られたらよかったのに、」

ほら?彼女の息子はこんなこと言って、ため息吐いてしまう。
それほど母を愛している、それを彼女は解かっていて息子のために離れていく。
それは真実の母の愛情なのだと、自分は彼女に教えてもらった。だからこそ彼女の願いに応えたくて、英二は綺麗に微笑んだ。

「大丈夫、また一緒に見られるよ。だから今夜は俺だけ見ていてよ、周太?」
「ん、はい…」

素直に頷いて、頬染めながら最後のページを捲ってくれる。
そこにある写真に微笑んで、大切に閉じると抱えて、古いトランクを開いてくれた。
開かれたトランクの中には何冊もの採集帳と、可愛い木箱が2つ、腕時計のケースと封筒、それから大きな茶封筒が3つ納められていた。

「周太、この茶封筒は何?」

前には無かったな?
そう想って尋ねると、白い衿のうなじが薄紅に染まっていく。
気恥ずかしそうな黒目がちの瞳が見つめて、ためらいがちに唇を披いてくれた。

「この間の戸籍とね、瀬尾が描いてくれた絵と…しゃしんしゅうです、」

言って唇を結ぶと、アルバムをトランクに入れてくれる。
端正に納めて蓋を閉じる、そして恥ずかしげにロッキングチェアーへと周太は座りこんだ。
椅子のテディベアを膝ごと抱えこんで、恥ずかしそうに俯いてしまう。そんな様子は本当に幼い子のままだ?
それも可愛くて、白い浴衣の肩をテディベアごと抱きしめて笑いかけた。

「写真集って、俺の?」
「ほかにはもっていません」

即答して、長い睫をあげてこちら見てくれる。
あのトランクは周太の宝箱、そこに英二のものを仕舞いこんでいる意味と、この今の態度こそ自分の宝物。
そんな想いごと英二は、白い寝間着姿を大切に抱きあげた。

「ありがとう、周太。そんなに俺のこと大切に想ってくれて、嬉しいよ、」
「…はい、」

ちいさな声が応えて、額まで薄紅が染まっていく。
もう耳まで色染められる、それが夕映の浜辺に見つめた薄紅の貝殻に重なった。
綺麗な色に見惚れるまま抱きしめて、梯子階段を降りて行く。そっとベッドに降ろすと、白い浴衣がスタンドランプのオレンジに優しい。
光のなか見つめてくれる瞳へと微笑んで、そっと重ねかけた唇が困ったよう話しかけてくれた。

「あの、えいじ?小十郎を戻してきていい?」
「え?」

見ると白い浴衣の腕から、つぶらな瞳のテディベアが見上げてくれた。
周太が大切にする父親の、馨が贈ったぬいぐるみに見つめられて英二は笑ってしまった。

「ごめん、一緒に抱っこしてきちゃったな?悪いな、小十郎、」

婚約者とクマに笑いかけながら、小柄な体をベッドから立たせてあげる。
気恥ずかしげにテディベアを抱えて周太は、微笑んで梯子階段を上がっていった。
その背中の雰囲気に、階上へ見送ってから英二は音無く梯子階段に足を掛けた。
静かに昇り屋根裏部屋に立つ。ひっそりとした月明りの向こう、白い浴衣姿は抱えたテディベアに顔埋め座りこんだ。

「…っぅ…、…っ、」

かすかな嗚咽が月明りにゆれる。
ふるえる白い肩が愛しくて、いま独り泣いている意思が切な過ぎる。
その意思も誇りも自分には解かる、けれど音もなく近づいて背中から抱きしめた。

「…っ、」

抱きしめた体が、息を呑む。
その驚きごと抱きしめ頬よせて、微笑んで英二は囁いた。

「周太…俺を頼ってよ?もっと甘えて、俺を必要として?…俺は君の婚約者で、夫なんだから、」

どうか、必要として欲しい。
どうか頼ってほしい、そのために自分はこの家に来たのだから。
明るい葉山の海に聴いた、祖母の告げる50年前の真相と家族たちの記憶。
その全てから気づかされる晉と斗貴子の願いと祈りの真実が、きっと自分をこの家に呼んだ。

『 La chronique de la maison 』

あの小説を晉は祖母に贈った、亡妻の従妹であり50年前を知る唯一の血縁にメッセージを遺した。
あの小説を晉が書いたのは、隠した血縁者の顕子に対する懺悔と救済を願う「遺書」だった。

“Pour une infraction et punition, expiation” 罪と罰、贖罪の為に。

あの小説の冒頭に記された詞書は、顕子へのメッセージ。
自分の罪ゆえに妻を死なせた、その従妹への贖罪に描かれた懺悔の記録。
自分の罪が息子に及ぼす束縛の可能性を示唆し、自らが墜ちた罠を告発する証拠文書。
そのことを晉が祖母に託したのはきっと、「隠せる血縁」と「検事の妻」である可能性に懸けていた。
愛する妻の血縁を巻き込みたくない想いと、それでも息子を救いたい想い、その二つの硲に晉は「小説」に願いを籠めたまま死んだ。

―…英二、私は遅すぎたのね?もっと早く気付くべきだった、そうしたら馨くんは…あの子は、

全てを孫息子に語り終えた祖母の、最後の言葉。
愛する従姉と、その息子への涙が頬伝う懺悔の貌。あの貌を自分は一生忘れられない。
この今に祖母は気づいた、けれど検事だった祖父は逝去し、時効成立の時間が過ぎ去った。
それは遅すぎたのかもしれない、けれど今、ここに自分が全てを背負い警察官として立っている。

「周太、俺の全ては周太のためだよ?だから甘えてよ、俺を見て?」

どうかこの想い、解かってほしい。
そう願う祈りの言葉に、白い肩の呼吸がひとつ吐く。
そっと吐かれた吐息にオレンジ香らせて、穏やかな声は微笑んだ。

「ん、ありがとう、英二…すごく嬉しい、よ?」

言葉と一緒に黒髪ゆれて、ゆっくり小柄な体が振向いてくれる。
長い睫があげられ黒目がちの瞳が見上げてくれる、その瞳に涙は無かった。

「小十郎、置いてくるね?…そしたら抱っこでベッドに連れて行って?それから…」

恥ずかしげに言い淀んで、するり腕から抜けるとロッキングチェアーへと行ってしまう。
そっとテディベアを座らせ優しく撫でて、振り返ると幸せに笑いかけてくれた。

「英二、抱っこして行って?それから…絶対の約束を、して?」

絶対の約束。

その言葉はきっと、奥多摩の初雪に結んだ想い。
ふたり初めて雲取山に登り、あのブナの木で初めて名前を呼んでくれた、その翌日の初雪。
あのときの想いが懐かしく優しくて、初雪の翌朝に見つめた黒目がちの瞳が今、目の前で微笑んだ。

「お願い、英二?甘えさせて、頼らせて?来年の夏は北岳に行く、その約束を…体ごと結んで?」

ほら、今も黒目がちの瞳が微笑んだ。
静かな勇気が優しく見つめて、凛と佇んで揺るがない。
その覚悟のまま今も、涙を自分には見せなかった瞳が、勁く優しく自分を見つめてくれる。

「約束するよ。おいで、周太、」

笑いかけて広げた腕に、素直に笑って肩に腕を回してくれる。
そのまま抱きあげて階下へ降りると、大切にベッドへと婚約者を座らせた。
優しいスタンドライトの空間で、黒目がちの瞳は静かな光を灯して微笑んでくれる。

その眼差しに英二は、恋をした。




交わす想いの涯、微睡む夢は黄金に輝く潮騒の音。

足元へ寄せる波は白く金色に引いていく、その音が山風にも似て懐かしい。
潮の洗う軌跡は滑らかに黄昏を映す、その光に薄紅が黄金ふくんで指に拾われる。
拾いあげられる薄紅の貝殻は2つ繋がれたまま、優しい掌に載せられた。

…ずっと繋がれていて?心だけは離れないで、ずっと一緒にいたい…約束して、英二?

黄昏ふる潮騒の記憶、その幸せが贈る夢に愛しい声は微笑んだ。






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secret talk8 蘭月act.4―dead of night

2012-09-27 04:32:14 | dead of night 陽はまた昇る
花、最高峰に咲くならば



secret talk8 蘭月act.4―dead of night

雪原に立つ、スカイブルーのウィンドブレーカーの背中。
目を覚ますブルーに白く染抜いた「警視庁」を背負い、青空と救助ヘリを見上げている。
ホバリングの風と白銀に佇んだ青い長身、細身でも頼もしい背中は誇らかな自由が輝いていた。

「あの写真の背中、おまえだろ?初総で学校に戻ったとき、また見てきたんだ。周太も光一と似てるって言ってた…あれは、光一だろ?」

あの背中に憧れて、自分は山ヤの警察官に夢を見つけた。
そして今に導かれてここにいる、自分に全てを与えた憧れの夢は今、この腕のなかにいる。
どうか正直に答えてほしい、「見つけた」と言ってほしい。願いと見つめる先、雪白の貌は少し笑って頷いてた。

「うん、俺だよ?…後藤のおじさんが撮ったんだ、合同訓練の時だよ、」

透明なテノールの声は微笑んで、カットソーに包んだ体の力ほどける。
ベッドの縁を掴む白い手ゆっくり開かれる、その手に長い指を絡めて寄せて、そっと白い甲にキスをした。

「良い写真だよな、大好きだよ?」

綺麗に笑いかけて、目の前の人を見つめてしまう。
こんなときも心には黒目がちの瞳が微笑んでくれる、そして祈ってくれた想いが蘇える。
もう何度も周太は言ってくれた、いつか光一と体ごと繋がりを持って、ずっと一緒に山へ登り続けてほしいと願ってくれた。
その全てが英二を想ってくれてのことだった、その真心からの純粋な恋愛が愛しくて、心はもう泣きだしている。

―周太、ほんとに俺、光一に恋するよ?…君への想いと違うけれど、でも、これも恋だって認めるよ?…それで君は喜んでくれる?

そっと心に呼びかけながら今、ずっと憧れてきた夢のひとへと現実に笑顔を向ける。
微笑んで見つめた透明な瞳は、ゆるやかに涙の紗が揺らぎだす。
涙の水鏡を覗きこんで英二は、告白へと綺麗に微笑んだ。

「光一、写真から憧れて追いかけてる、おまえに恋してるよ?唯ひとりのアンザイレンパートナーで血の契で、恋人だ、」

春の富士でも似た想いを告げた、あのとき自分は「親友」だった。
けれど今「恋人」だと告げた、あのときより今は想いが深い、あのときより真正面から向き合っている。
こんな身勝手な恋愛だけれど、あのときよりも今の方が自分は、たぶん良い貌になっている。

「ほんとなんだね?…俺に恋してくれてるんだね、俺、片想いじゃないんだ、」

透明なテノールの囁きが、ふるえながらも笑ってくれる。
ほら、こんな声も表情も愛しくて見惚れていしまう、微笑んで英二は頷いた。

「両想いだよ、恋人だ」

告げた言葉に、透明な目から涙あふれた。

「…俺、あのひとを裏切ったんだ?…やっぱりこんなのうらぎりだ…あのひとのあいてを、こんな…どうして…」

ふるえる透明な声が自責に傷み、無垢の涙が生まれて零れる。
ひとつ、大きくカットソーの胸が上下して、高雅な香が嗚咽に吐かれた。

「どうして?…やっと恋したら、どうしてこんな…っ…あのひとだけは…ぅっ、ど、して…いつも俺、は、たいせつなもの失…っ…ぅ」

つぶやくような声、けれど無垢の心は哀しみ叫ぶ。
やっぱり泣かせてしまった、傷つけてしまった、その自責ごと英二は恋人を抱きしめた。

「光一、何も失ったりしない。正直に言うよ?俺が光一に恋すること、いちばん望んだのは周太なんだ。だから泣かないで」

これは本当のこと。

この自分の弱さを知って、周太はもう1人の支えを英二のために求めてくれる。
そんなにも心配をかけてしまう自分、そんな自分の弱さを初任総合の2ヶ月間で思い知らされた。

「…そんな…の…おれだって、あのひとにいわれた、でも…やっぱりうらぎり…あのひとをまもりたいのに、こんなの…」

哀しいテノールが嗚咽まじりに告げてくれる。
長い睫ぬらす涙に月がきらめく、夜の光を宿した雫に英二はそっとキスをした。

「光一、周太を護るために俺の恋人でいてよ?…知ってるだろ、俺が初総の2ヶ月間どんなだったか」

微笑んで見つめる視線のむこう、透明な目が見つめてくれる。
ただ哀しみ濡れた瞳を愛しみながら、英二は本音を囁いた。

「俺は周太を求めすぎて、失うことが怖いよ…だから殺そうとしたんだ、自分の知らない所で周太が消えることが耐えられないから。
こんな俺の恋愛は狂ってる、そう自分で解かってる…でも自分でもどうにもならない、周太から離れられない…こんなの危なすぎるだろ?
周太は俺のためを想って、光一と恋して欲しいって言ってくれる。でも俺は…周太の為に光一と恋人でいたい、こんなの身勝手だけど、」

言葉を切って、ひとつ呼吸する。
いま自分はカットソーを脱いで体ごと素顔になっている、その本音のまま英二は告白をした。

「周太を俺自身から護りたい、そのためにも俺は光一と恋人になりたい。俺を受けとめてブレーキかけられるの光一だけだ。
もし俺が周太に狂っても、光一が傍にいたら止められる。俺が周太を閉じ籠めそうになっても、光一なら俺を世界に連れ出せる。
こんなの俺の身勝手だよ、でも俺は光一じゃなきゃダメなんだ…憧れて追いかけてる光一の言うことしか俺は聴けない、他に誰もいない、」

告げて見つめる瞳から、涙ひとつ生まれだす。
やさしい光の雫にキスふれて、そっと吸い拭うと英二は言葉を続けた。

「上司と部下、先輩と後輩、公認のアンザイレンパートナー。これが俺たちの立場だ、この立場を俺たちは捨てられない。
俺と光一だと恋人同士なことは、本当に秘密にしないといけない。結婚は出来ない、一緒には暮らせない、誰にも言えない。
恋人らしいことは何もしてあげられない…それに、俺が周太と一緒のところを見せつけることになる、きっと傷つけることも多い、」

こんな恋人同士は、哀しい。そう解っている。

公的パートナーである立場は誇らしい、けれど翻れば現実の軛でもある。これが周太と光一の大きな違いで、哀しみともなる。
こんな現実を告げる恋愛は苦しい、何も幸せになれないと想ってしまう。だからずっと言えなかった。
それでも、自分達には「山」がある。この世界の繋がりへと英二は綺麗に笑いかけた。

「それでも光一、俺たちは生涯のアンザイレンパートナーだ。山で俺は光一だけのものだ、俺の全てをザイルで繋ぐのは光一だけだ。
雪山で、最高峰で、最高に危険なこの世の天辺で、俺は光一だけのものだ。他の誰も来られない、二人だけの世界で俺を独占め出来る。
そして光一も俺だけのものだよ。最高峰で俺たちは、お互いしかいない。二人だけの秘密の恋愛だけど、でも、最高峰に一緒に行ける、」

上司と部下、先輩と後輩、公認のアンザイレンパートナー。
この公的立場のどれもが山ヤとして男として、自分の誇りのために捨てられない。それがお互いの関係を赦さない。
それでも自分達は人間社会の軛から遠く離れ「山」へ登ることが出来る、この与えられた自由に英二は誇らかに笑った。

「光一、こんな俺だけど恋人になってよ?秘密を背負わせることになるけど、俺と恋愛してよ?最高峰で、この世の天辺で恋愛しよ?」

告白を、涙ぬれた瞳は見つめてくれる。
噎せるような花の香のなか英二を見つめて、光一は綺麗に微笑んだ。

「うん…秘密ってイイね?ほんとに独り占めってカンジ…俺、おまえを独り占めして最高峰に登るよ?」

秀麗な貌が笑って、透明なテノールが想い告げてくれる。
ほら、こんな笑顔が嬉しい、嬉しくて英二は最高峰の恋人へと綺麗に笑いかけた。

「俺も光一を独り占めして、最高峰に登るよ。最高のレスキューとして恋人として、ずっと一緒にいるよ。光一、」

約束告げて名前を呼んで、黒髪を掌に撫でる。
涙ひかる雪白の頬に掌よせて、綺麗に笑う瞳を見つめて、そっと唇を重ねた。
ふれる香あまやかに熱く優しい、寄せられる想いの真実と幸せが熱情に変わっていく。
ふたり見つめていく最高峰の夢、その灼熱の希求が強く絆になっていく。そして、心の底で涙ひとつ零れ落ちた。

―周太、こんな俺でごめん…ごめん、光一

こんな方法でしか、自分は愛せない。
こんな自分の熱情は、狂気になりかかる恋愛を恋愛でしか抑えこめない。
本気で恋し愛するほど大切な2人とも傷つける、それが苦しい、けれど他に方法が見つからない。

こんな自分こそ、いつの日か裁きを受けるのかもしれない。
それがいつ、どんな顔で現れるのか解らない。けれど、その瞬間まで精一杯に恋し愛していたい。
この大切なふたりを、それぞれに最高の恋愛で見つめて、精一杯に幸せな笑顔を贈りたい。
そんな想いをキスに誓って、ゆっくり唇離れると英二は幸せに笑いかけた。

「光一、こういう時も独り占めだよ?ふたりでベッドにいる時は、お互いだけだ。だからワガママ言ってよ、ねだってよ、」

綺麗に笑いかけて裸の胸に、夢と恋愛ごと抱きしめる。
カットソー1枚越しの肌はすこし震えて、首筋に桜いろ華やがせていく。
見つめる透明な目は気恥ずかしげに笑って、テノールの声は遠慮なく言ってくれた。

「じゃあ、今夜はこのまま眠らせてよね。俺の服は脱がすんじゃないよ?まだ心も体も準備、出来ていないからね、」

やっぱり今回もお預けなんだ?
可笑しくて笑いながら英二は、夢の恋人にキスをした。

「俺、早く光一のこと抱いてみたいんだけど。体の準備だけでも今、してあげるよ?」
「今夜はもう眠りたいね、俺、今ほんと緊張して疲れた。泣いちゃったしね、」

さらり断って底抜けに明るい目が笑ってくれる。
いつもの明るい眼差し、けれど前より幸せまばゆく微笑んで美しい。
こんなに綺麗な貌されると、ちょっと自制心が危なくなりそう?そんな本音正直に英二は、誘うよう微笑んだ。

「光一は何もしなくて大丈夫、俺が全部してあげるから…ね、すこし試してよ?すごく気持ちいいから、疲れもふっとぶよ」
「ヤったら後で風呂入らなきゃないだろ?俺、明日は猟友会の打ち合わせとか忙しいんだよね、寝かせて」

言って、眠たげに薄紅の唇が欠伸に開かれた。
ふわり高雅な香がくゆらされて鼓動が心を敲く、つい誘いこまれて英二は唇を重ねた。

「光一の唇、花の香が噎せる。花の香って受粉の誘いっていうけど…俺のこと、誘ってる?」
「今は全然だね…ねむい、おまえが緊張させるから力ぬけてねむい…しずかにねかせて…」

本当に眠たげな眼差し微笑んで、長い睫が落ちかかる。
そんなにも緊張させて泣かせた、その自責に胸噛まれながらも英二は微笑んだ。

「眠って良いよ?寝てる体にセックスするのも俺、好きだから。夢のなかで感じてて?」
「そんな勝手なコトしたらね、泣くよ?」

透明な瞳が披かれて、真直ぐ英二を見つめた。
今ので目が覚めたのかな?それも可笑しくて微笑んだ英二に、透明なテノールが笑ってくれた。

「可愛い俺のこと、泣かしたくないんだろ?だったら我慢してね、英二。恋人だったらワガママ聴いてよね、」

笑って名前を呼んでくれる。そんな笑顔も前より寛いで明るくて、距離が変わったことを示してくれる。
今夜も体の繋がりは造れそうにない。けれど心の距離はずっと近づいたのだから、それで良い?
こんなことも何だか幸せで、英二は綺麗に笑いかけた。

「我慢するよ、光一のこと可愛いから。でも、光一からキスしてよ?剱岳から、一度もして貰ってないよな?」

近づいた距離に笑って、ねだってみる。
お互い恋人だと言い合えたのなら、キスをねだる権利はあるはず。

「名前呼んで、キスして?恋人だったら、ワガママ聴いてよ?」

言うこと聴いてくれるかな?
笑いかけ見つめた先で、透明な目が綺麗に微笑んだ。

「英二、」

透明なテノールが名前を呼んで、そっと花の香が唇ふれた。
ふれる温もりと香に記憶が瞳を披く、蒼穹の点で交わした約束と夢が見つめてくる。

雲取山の雪、冬富士の白魔、北岳の白壁、谷川岳の銀迷宮。
そして槍ヶ岳にふる風花と、剱岳の白銀まばゆいエデン、春富士の青氷。
ナイフリッジの風、壮麗な氷雪の懐、近い太陽から耀く光線、蒼くどこまでも深い天空の夜と朝。

月明りと星明り、今この瞬間に横たわるのは、夜の稜線見下ろす狭いベッド。
けれど白いシーツに見つめるのは、輝く最高峰の白銀、蒼穹を駈けぬく冷厳ひるがえす風。
カットソー1枚隔てた肌の熱に、もどかしい温もり追いかける夢は、灼熱あざやかな青い世界を呼び覚ます。

ふわり、高雅な花ひらく香に、想いは夢から充たされる。





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第56話 潮流act.4―side story「陽はまた昇る」

2012-09-26 21:24:48 | 陽はまた昇るside story
香る、潮騒の所縁



第56話 潮流act.4―side story「陽はまた昇る」

テラスから降る光が白い部屋を明るます。
潮騒のきらめきに吹く風が涼しい、そっと窓を閉じてカーテンのゆらめき止まる。
静謐おとずれた紅茶の香らす空間、英二は元の安楽椅子に座り祖母へと笑いかけた。

「4回目の誕生日会は、何時から始まる予定でしたか?」
「正午よ、いつも昼餐会だったわ、お義父さまのお誕生日は、」

美しい低めた声は、素直に答えてくれる。
けれど切長い目は微笑みながらも英二の瞳に、糸を曳く。
こういう目のとき祖母は考えていると知っている、きっと後で質問があると予感しながら英二は質問を続けた。

「招待客はどういう人達?」
「ごく親しいお友達ね、お義父さまと晉さんのご友人が招かれていたわ。あとは私と叔父さま夫婦。あちらはご親戚が無いわね?」
「はい、ありません。斗貴子さんにご兄弟は?」
「ひとり娘よ、斗貴子さんは。だから叔父さまたちは大学にも行かせたの、万が一は女一人でも生きられるようにって、」

ティーカップを長い指に取り、ひとくち祖母は啜りこんだ。
花の香の湯気ゆらいで空気が染まる、その湯気を白猫は見上げ、また眠たげにソファに丸くなった。

「あら、雪も眠ってくれるのね?きっと内緒話に気を遣ってるわ、」

微笑んで祖母はやわらかい毛並を撫で、こちらを見遣った。
そろそろ「内緒話」の核心を話す、そんな要請を切長い目に見て英二は問いかけた。

「お祖母さんは、馨さんを憶えていますか?」
「もちろんよ、斗貴子さんとよく似た目をして可愛かった。最後に会ったのは斗貴子さんの四十九日、まだ7歳だったわ、」

記憶に寂しげに微笑んで、そっと溜息がこぼれる。
上品なダークブラウンに染めた髪を長い指に掻きあげて、祖母は英二を真直ぐ見た。

「その後すぐ、晉さんとイギリスに行ったと聴いています。帰国は4年後だった、その間に叔父さまも叔母さまも亡くなったの。
それで音信は途絶えてしまってね、それでも気にはしていたわ。周太くんのお父さんが馨くんでしょう?今、彼はどうしているの?」

ここからが内緒話になる。
これから話すことに哀しみを見つめながら、英二は口を開いた。

「亡くなりました。14年前の春、拳銃で撃たれて殉職されました」

切長い目が瞠られて、うすい涙の紗が張り出していく。
けれど真直ぐ英二を見つめたまま祖母は、低く美しい声で尋ねた。

「拳銃で殉職だなんて…それでは警察官になっていたの?あの馨くんが?」

とても意外だ、そう祖母の目が言っている。
信じられない、そんな眼差しに溜息を吐いて祖母は教えてくれた。

「馨くん、お父さんみたいな学者になりたいって言ってたわ…1通だけエアメールをもらってね、向うに着いてひと月位の頃よ。
きっと、お母さんを亡くして寂しくて、斗貴子さんの俤を私に重ねて、手紙をくれたのね。私たち、従姉妹同士で少し似ていたから。
私も返事を出したわ、あのとき…それからは連絡無かった、でも、便りが無いのは幸せなのだと思っていたわ。それなのに、そんな…」

哀しい微笑に祖母は英二を見、紅茶をひとくち啜った。
ひとつ瞬いて、カップをテーブルに戻すと祖母は続けてくれた。

「晉さんの噂は聴いていたわ、有名なフランス文学者ですから。斗貴子さんは晉さんの研究室の学生だったの、そこで恋に墜ちてね。
晉さんから最後に連絡が来たのは、本を贈ってくれた時だったわ。記念出版として大学から出たのだと言ってね、郵便で送ってくれたの」

祖母の言葉に英二は、一瞬だけ眉を上げた。
やはり祖母に話して正解だった、そう確信しながら英二は願い出た。

「お祖母さん、その本のことは誰にも言わないで下さい。もし周太から話が出ても、秘密にしてください、」

真直ぐ見つめる向こう、切長い目が視線の糸を曳く。
すこし斜向かいから孫の顔を見つめ、祖母は問いかけた。

「あの本は、4回目の誕生日会を書いている。そういうことね?」

やはり祖母は気がついている。
けれど、それは当然のことだろう。祖母は当事者のひとりと特別に親しい存在なのだから。
それを解って晉も妻の従妹に贈っている、そんな確信と英二は微笑んだ。

「フランス語、読めるんですか?」
「斗貴子さんに少し、教わっていたのよ。私は男兄弟ばかりでしょう?2つ上の斗貴子さんは良いお姉さまでしたよ、」

懐かしげに微笑んで、けれど切長い目は真直ぐ見つめて逸らさない。
きっと祖母も三十数年の間、ずっと心に溜めてきたことなのだろう。

『 La chronique de la maison 』

フランス語で書かれた推理小説は、全て事実。
そう祖母も考えている、そのことが自分のこれまで積み上げた推理を裏付ける。
当時その場に居た生き証人を前に、めぐらす考えを英二は問いかけた。

「あの小説は事実だ、そう言うんですね?」
「だからこそ、晉さんは私に贈ったのでしょう?あの家の家族に近くて、当時を知っている人間ですから、」

美しい低い声は言い、切長い目は逸らさず見つめてくれる。
こういう祖母の性質を自分も受け継いだのかな?そんな考えに微笑んで英二は口を開いた。

「お祖母さん、その記憶の全てを俺に話してください。そしてお祖母さんは全て忘れて下さい、俺に全部を背負わせて下さい。
これは周太の命と人生が懸っていることです、だから俺が背負うことです。周太は俺の婚約者で、将来の妻になる人ですから、」

言葉に、切長い目が瞠かれて糸をたぐる。
そして低く美しい声は問いかけた。

「あの事件は終わっていない、そして周太くんは危険のなかに居て、あなたは救けようとしているのね?…そして、馨くんは、」

言いかけた唇から溜息がこぼれた。
そのため息に、切長い目から涙ひとつ、白皙の頬を伝いおちた。

「なぜ、晉さんと馨くんが私に音信不通にしたのか、なぜ馨くんが警察官になったのか、その理由が、あの小説なのね?
晉さんの葬儀の連絡は来なかった、もう時間が経ちすぎて私を忘れたのかと思っていたわ、けれど…私を巻き込まないためね?」

低く美しい声が、涙のなかも明朗に考えを述べる。
その怜悧な言葉と涙の軌跡に、自分と祖母は似ていると気付かされてしまう。
だから祖母の傷みが自分には解る、今この瞬間、半世紀を経て蘇生していく哀しみを見つめて、英二は明確に告げた。

「その通りだと思います。そして、周太も俺と同じ警察官です、」
「似合わないわ、」

ひとすじの涙に頬濡らしたまま、祖母は微笑んだ。

「周太くんは警察官なんて似合わない。だって斗貴子さんと似ているわ、植物や動物が好きで、学ぶことが好きな穏やかな性格ね?
すこし広いおでこの聡明な感じ、きりっとした眉毛、透明なきれいな肌、やわらかい真っ黒の髪。どれも斗貴子さん譲りよ、あの子。
だから私には解ってしまうわ、周太くんは警察官になんて本当は成りたくなかったはずね?でも罠におちている、あの警察官でしょうね」

一息に、真相を言い当てられた。
きっと祖母ならと思ってはいた、当時を知っているだけに気付きやすいだろうと考えていた。
この「当時を知っている」を教えてほしい、英二は真直ぐに祖母の目を見つめた。

「あの警察官について、お祖母さんが当時、実際に見聞きしたことの全て教えてください。斗貴子さんや晉さんの言葉もです、」
「ええ、全て教えるわ。あの警察官を出しぬいて、周太くんを救って頂戴、」

祖母は長い指で涙を払い、ティーカップをとると冷めかけた紅茶を口にした。
ゆっくり飲み干しソーサーに戻す、そして明朗な瞳が英二に微笑んだ。

「お願い英二、あの子には似合う生き方をさせて?きっと、斗貴子さんも馨くんも、晉さんもそう願ってるわ、」
「はい、」

短く答えて頷くと、ジャケットの内ポケットから手帳とペンを出した。
それから英二は祖母の切長い目へと、願いごとで綺麗に笑いかけた。

「あと、周太が戻ったら斗貴子さんの話をしてくれますか?親戚なことは上手に隠して、想い出話をしてあげてほしいんです、」

周太は、自分の家族を知りたがっている。
兄弟も無く親戚もいない周太にとって、亡くなっていても祖父母たちは近しい。
だから戸籍をとったりWEBで検索をして家族の軌跡を探している、その姿が切なく愛しい、だから祖母の想い出を分けてほしい。
この願いに笑いかけた先、明朗な切長の目は微笑んでくれた。

「おやすい御用よ、でも血縁は隠した方が良いのね?」
「はい、今は親戚が誰もいない方が、周太は安全なんです、」

事実の半分を告げて、英二は綺麗に笑いかけた。
祖母も笑い返してくれながら、重ねて訊いてくれた。

「晉さんの事はどこまで話して大丈夫?斗貴子さんと親しいと解ったら、きっと訊くと思うわ。馨くんの事もね、」
「射撃のことは全て隠してください、警察と戦争に関する話も全部ダメです。お願い出来ますか?」
「解かったわ。小さい頃の馨くんと、晉さんの研究者としての顔と家庭での顔、あと山登りのことでも話せばいいかしら?」
「はい、それでお願いします、」

答えながら時おり手許に目を落し、長い指に手帳のページを繰っていく。
そんな孫息子の表情を見つめて祖母の、切長い目が悪戯っ子に微笑んだ。

「英二、あなた馨くんと似てるわね?表情によって、だけど」

また核心を突かれたかな?
そんな予想に明るく笑いかけて、英二は訊いてみた。

「馨さんの大人になった顔、お祖母さんは知らないでしょう?」
「大人になった顔は見ていないけれど、斗貴子さんの顔と叔父さまの顔で想像つくわよ、」

こちらに微笑を向けたまま、長い指を伸ばして祖母はクッキーを摘んだ。
流麗な仕草で口に運び、飲みこむと美しい低い声は、可笑しそうに笑った。

「最近、警視庁では幽霊騒ぎがあるんでしょうね?その幽霊は、かなりのイケメンだろうけど、」

ほら、やっぱり祖母は自分の祖母だ?
この血縁も温かで嬉しくて、可笑しくて英二は綺麗に笑いかけた。

「お祖母さん好みのイケメンだと良いですね?」
「ええ、きっとストライクだわ。たぶん周太くんにとってもね、」

可笑しそうに笑いながら祖母は、胡瓜のサンドイッチを口にした。
食べ終えて、ティーポットをとると2つのカップを満たしてくれる。
ゆっくり昇る花の香に微笑んで、低く美しい声は50年前の記憶を語り始めた。



オレンジとチョコレートの香が、潮騒と緑の香に温かい。
潮風ふくテラスの木蔭、カウチのクッションに微睡む頬を甘い香が撫でていく。
開け放した窓から笑い声が聞こえてくる、その楽しそうな空気に英二は微笑んだ。

―周太、幸せそうだな

キッチンに立ちながら、菫と祖母に囲まれ楽しい時を過ごしている。
きっと祖母から斗貴子の話も聞いただろう、たぶんランチはその話題だろうな?
そんな幸せな予想に微睡みながら膝の猫を撫でる、ぼんやりと穏やかな時間が優しい。
こういう寛ぎはどれくらいぶりだろう?心地良さに瞑る瞼へと、ふっと翳さして英二は目を披いた。

「ご注文通りに話してきたわよ、英二、」

ダークブラウンの髪ゆらし、祖母が微笑んだ。
笑って傍らのデッキチェアに座ってくれる、カウチに寝そべったまま英二は綺麗に笑いかけた。

「周太、喜んだでしょう?ずっと笑い声が聞えてた、」
「ええ、とても嬉しそうだったわ。リラックスすると、話し方が斗貴子さんそっくり。聡くて可愛くて、ほんとに良い子ね?」

微笑んで言ってくれる、その眼差しが優しい。
心から祖母は周太を気に入った、そんな雰囲気に英二は笑いかけた。

「ほんとに可愛いだろ?周太はびっくりするくらい純情で、きれいだよ、」
「本当にそうね、英二みたいな悪い男でも敵わないわ、」

言って祖母は可笑しそうに笑ってくれる。
そんなふうに祖母に想われていたんだな?可笑しくて英二は笑ってしまった。

「俺って、そんなに悪い男っぽい?」
「悪いですよ、今まで何人の御嬢さんと遊んだのかしらね?でも、きれいな男の子に捕まっちゃったのね、」

可笑しくて堪らない顔で祖母が微笑んだ。
その言葉へと、英二は笑って修正を加えた。

「俺が周太を捕まえちゃったんですよ、周太は恋愛のこと何も知らなかったんだ。初恋は他のヤツだけど、ほとんどが俺が初めてだよ、」
「初めてで良かったわね?でないと英二、その相手に本気で嫉妬して、大変なコトしそうだもの、」

さらり笑って言われたことに、笑ってしまう。
やっぱり祖母は孫息子をよく解かっている、嬉しく微笑んだ英二に低い美しい声は言ってくれた。

「不思議ね、斗貴子さんのお孫さんに英二が恋するなんてね?お互い、何も知らずに出逢ったのでしょう?」
「警察学校に下見に行ったときが初対面です、そしたら同じ教場で、寮の部屋も隣になって。斗貴子さんに気がついたのは、つい先月です」

事実をそのまま告げて、笑いかける。
やわらかいクッションに凭れたまま見つめる先、祖母は楽しげに微笑んだ。

「なんだか運命的ね、赤い糸を信じたくなりそうよ?でも、どうやって斗貴子さんのことに気がついたの?」

この質問の答えには、隠しごとを1つ告白しなくてはいけない。
それとも姉から少し聴いているだろうか?考えながら英二は正直に口を開いた。

「3月に俺は、戸籍を家から分けたんです。そのとき遡れるだけ戸籍証明を取りました、それでお祖母さんの両親の名前を見たんです。
そうしたら先月、周太が家族の事を知りたくて戸籍証明を取ってきました。俺にも見せてくれて、それで斗貴子さんに気がついたんです。
お父さんの名前と住所の世田谷で、お祖母さんが話してくれた斗貴子さんかなって思って。それで俺、この間は電話したんですよ、」

先月、川崎の家に帰った時のことだった。
あの日に調べた情報を心裡に反芻する、その想いの向かいから祖母は可笑しそうに笑ってくれた。

「色々、納得出来たわ。それで英二、分籍っていうのをしちゃったわけね?啓輔たちは知っているの?」
「姉ちゃんには相談して決めました、父さんは気づいていると思いますよ、」

正直に答えて英二は微笑んだ。
そんな孫の顔を見、さらり祖母は訊いてくれた。

「美貴子さんは、知らないのね?」
「母さんには言えません、」

もしかしたら一生言えないかもしれない。
そんな予想に微笑んだ英二に祖母は、困ったよう笑った。

「美貴子さん、周太くんのことも難しいんでしょう?それで全然家に帰ってないって聞きましたよ、今朝は寄ってきたでしょうけど、」

姉から少し聴いている、そんなふう話してくれる。
これなら話が早い、微笑んで英二は頷いた。

「今朝は9ヶ月ぶり位でした。そしたら母さん、周太に対してハードルが低くなっていました、」
「そう、良かったわ。でも、あちらのお家は面倒でしょうね?覚悟はしてるんでしょうけど、」

やっぱり祖母はよく解かっている。
そんな理解に微笑んで、英二は訊いてみた。

「姉ちゃん、なんて話してくれました?」
「英二は恋をして、お母さんに叩かれて出て行ったのよ。そんなふうに去年の秋、話してくれたわ、」

言って祖母は可笑しそうに微笑んでくれる。
短いけれど的確な言い回しが姉らしい、いつもながら感心して笑った英二に、祖母は続けてくれた。

「3月にはね、川崎のお家に啓輔と行った話をしてくれたの。英二が恋して出て行った先のお家よ、って英理は言ってたわ。
森みたいな素敵なお庭で、一緒に花を摘んでブーケを頂いてきた。そう言ってね、そのお花をすこし持ってきてくれたのよ」

あのとき周太は、姉に春の花を贈ってくれた。
それを姉は祖母にも贈ってくれている、そんな気遣いが嬉しくて英二は微笑んだ。

「周太の花、きれいでしょう?いつも休みのたびに帰って、手入れしてるんです。お父さんに教わったって言って」
「ええ、きれいだったわ。そのお花がね、なんだか懐かしかったの。それもヒントになったわね、」

楽しげに切長い目が微笑んでくれる。
その目がふっと悪戯っ子になって、可笑しそうに低い美しい声が教えてくれた。

「お点前が素敵だったことも聴いたわ。きちんと袴姿でお点前だった、そう英理が言ったからね?相手は男の子なんだって気づいたのよ、」

きちんと「袴姿」で点法をすることは男性になる、だから祖母は気がついてくれた。
それで周太を連れてきても驚かなかったんだな?納得に微笑んで英二は訊いてみた。

「俺の恋人が男だって気づいて、どう思った?」
「驚いたわよ?だって英二は、女好きの遊び人だと思っていましたからね。泊りで数日留守にしたりして、」

ばっさり言われて、つい笑ってしまう。
いま言われた「泊りで数日留守」はモデルの仕事をするためだった、けれど英二がモデルをしていたことを誰も知らない。
だからモデルを務めていた当時、仕事時間は遊びに行っていると皆は思っていただろう。
言われても仕方ないな?そう微笑んだ英二に祖母は言ってくれた。

「英二は洞察力が強いでしょう?しかも考え込む所があるわ、だから相手の本心を見抜きすぎて、無条件で信頼することが難しいわね?
そのうえ、啓輔と美貴子さんのこともあるでしょう?恋愛の一番身近なお手本であるはずの両親があんなでは、結婚にも疑問を持つわ。
それで女遊びばかりしてるからね、あなたは恋愛が難しいのだと思っていました。それなのに反対押し切って婚約までしたなんて、驚くわ、」

楽しそうに微笑んで話し、可笑しそうに笑ってくれる。
この様子なら大丈夫だろう、この祖母への信頼に英二は綺麗に笑いかけた。

「俺が周太と結婚すること、お祖母さんは賛成してくれますか?」
「賛成せざるを得ないわね、」

さらり即答して切長い目が優しく笑んだ。
そして低い美しい声は、楽しげに言ってくれた。

「斗貴子さんのお孫さんだもの、幸せにしたいじゃない。その幸せと援けあえるのが英二だけなら、反対なんて出来ないわ。
ふたりの子供はどちらも見たい、そういう本音もあるけれどね?でも、周太くんと英二が幸せであることが、私には大切なのよ、」

ほら、やっぱり解ってくれた。
嬉しさと申し訳なさと、二つの想いに英二は素直に微笑んだ。

「ありがとうございます、幸せにしますね、」
「ええ、お願いよ?斗貴子さんと馨くんと、晉さんの分もね、」

そう言った祖母の目は、懐旧と愛惜と、慈しむ愛情が温かい。
その眼差しに姉を見て、思い出した事を英二は尋ねてみた。

「姉ちゃん、彼氏のこと話したそうですね、」
「英二のお友達なのでしょう?和歌山の町工場の息子さんで、成城の交番にいるそうね。気持がさっぱりした男らしい人って印象だけど、」

楽しげに答えてくれる笑顔が優しい、そこに反対の色は見られない。
安心して英二は祖母へと笑いかけた。

「すごく真直ぐな良いヤツです。言葉は乱暴なとこもありますけど、気さくで明るくて、真面目で優しい、正直な男です」
「英二がそう言うなら大丈夫ね、」

切長い目を細めて嬉しそうに笑ってくれる。
その明朗な眼差しは、すこし悪戯っ子な表情をまじえると祖母の口が開かれた。

「次男さんで婿に入ってくれると聴いたわ、それも英二が家を出る裏付けにもなったわよ?あなたも実質的には婿に行くのでしょう?」
「はい、周太も一人っ子なので。法律の決まりで名字は宮田を名乗りますが、いずれ周太のお母さんも一緒に暮らすつもりです、」

本当にそう出来たら良い、そんな願いと微笑んで英二は答えた。
その答えに祖母は温かに笑んで、明快に尋ねてくれた。

「男性同士の結婚では年長者の籍に入るそうね、英二の方が生まれが早いのね?」

どうやら祖母は自分でも調べたらしい。
こういう所は父も自分も祖母譲りかな?なんだか嬉しくて英二は笑いかけた。

「そうです。お祖母さん、調べたんですね?」
「今はパソコンって便利なものがありますからね。こんなお婆さんでも、ちょっと博学になれるようですよ」

言いながら可笑しそうに笑った顔は、聡明が明るい。こういう祖母だから何でも姉は話しにくる。
自分たち姉弟の両親は傍目に良く見えても、内実は夫婦仲の温もりに欠けていて、それが家庭の底冷たさにもなってしまう。
けれど、この祖母がいてくれるから、姉は真直ぐな性質のまま大人になれた。そんな姉は弟である自分を受けとめてくれる。
この祖母あってこその自分だな?素直な感謝に微笑んだ時、淡青のカーディガンにエプロン姿の笑顔が窓から笑ってくれた。

「英二、おばあさま…ケーキが出来ました、焼きたてを召し上がりませんか?」

黒目がちの瞳が幸せに微笑んだ、その足元にはキャメルの犬が尻尾を振っている。
借りた白いカフェエプロンが似合って可愛い、可愛い犬とのコラボもすごくいい。
そんな感想に見惚れて英二は、婚約者に笑いかけた。

「うん、食べたいな。でも周太、ちょっと来てよ、」
「ん?…はい、」

小首傾げて微笑んで、素直にテラスへ降りてくれる。
その様子に祖母は笑って英二を見、切長い目は悪戯っ子に微笑んだ。

「さあ、私は今いるべき場所へと行くわ。英二はゆっくりいらっしゃいな、」

ほら、祖母はお見通しだ?
そんな理解が嬉しくて笑いかけた先、祖母は可笑しそうに目を細めて立って行った。
優しい眼差しに周太へ笑いかけ、黒目がちの瞳も嬉しげに応えている。そして小柄なエプロン姿は傍らに立ってくれた。

「英二、…どうしたの?」
「周太、」

名前を呼んで腕を伸ばす、その掌に優しい掌を握って引寄せた。
素直に引寄せられカウチへ腰かけてくれる、あわいブルーの肩を抱きこんだ。
すこし驚いたよう黒目がちの瞳が瞠られて、その瞳のぞきこみ笑いかけると、そっと唇を重ねた。

あまいチョコレートとオレンジの香、潮騒と梢の葉音、潮と緑のやわらかな風。
ふれるだけのキスの、優しい香と温もりに心ほどかれて、澄んだ幸せが微笑みかける。
抱きしめた温もりと頬ふれる髪の愛撫、長い指にくるんだ掌の優しさに、この瞬間の永遠を願う。

穏やかな海の午後、ただ幸せが心充たして、この瞬間が愛おしい。







(to be continued)

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secret talk8 蘭月act.3―dead of night

2012-09-26 04:18:20 | dead of night 陽はまた昇る
夢の人、真実に香らせて



secret talk8 蘭月act.3―dead of night

自分の言葉に、抱きしめた体の呼吸が止まる。

腕のなか動きは止まり、カットソー越しの肌から筋肉の緊張が消えていく。
月明り照らす白いシーツの上、あまく清澄な香が雪白の貌に華やぎまばゆい。
狭い警察署寮のベッド、けれど充たされる空気は清明に濃く魅せて幻のよう時が瞳を披く。

―言ってしまった、

心につぶやき零れて、けれど後悔も出来ない。
ずっと自分でも整理できなかった想い、それでも今、言葉に変えて告げられた。
本当に告げられるなんて考えたことすらなかった、今、言ってしまった現実が幻とも想う。
そんな幻に誇らしい傷みを見つめている、この想いの真中で花香らす吐息ひとつ微笑んだ。

「そんな写真しらないね…」

透明なテノールが呟くよう微笑んで、無垢の瞳が英二を見あげる。
長い睫ひとつ瞬いて、薄紅の唇から台詞が言われた。

「ほら、離してよね…俺は自分の部屋で寝たいんだ、明日は忙しいからね」
「離さない、やっと追いついたんだから、」

抱きしめる腕に力を籠めて、花香らす体を離せない。
この大切なパートナーの体も心も泣かせたくない、けれど今は泣かせてしまうだろう。
今から告げる想いの真相に苦しめて、きっと泣かせてしまう。そんな自分は狡い、そう解っている。
けれど狡くてもこれが真実、だから正直に向き合うことしか出来ない。そう居直るまま英二は綺麗に微笑んだ。

「光一、俺はおまえに恋愛してるよ。ずっと黙っているつもりだったし、自分でも違うって思おうとしたけど、もう白状させて?」

笑いかけた先、透明な瞳に水の紗が張りだす。
美しい水鏡を覗きこみながら、英二は告白へと笑いかけた。

「山ヤとして警察官として、男として、俺はずっと光一に憧れて見つめて、努力してきたんだ。だから、おまえが傍に来るの嬉しかった。
ふざけて色仕掛けされるのも楽しかったのは、おまえだからだよ。何でも話すのも、アンザイレンザイル組むのも、光一が好きだからだ。
いつも楽しくて、救われてた。光一の強くて大らかな優しさと厳しさに俺は、いつも励まされて憧れて、大好きだった。ずっと、最初から、」

月明りと星明りに見つめて、想いを告げる。
もう婚約者がいる自分、唯ひとりの恋人への誓いもしている、それなのに唯ひとりのザイルパートナーに想い告げてしまう。
こんなこと後悔するかもしれない、狡すぎると自責が痛い、それでも言わないで後悔するよりずっと良い。
だから、いちばん伝えたかった本音に英二は、綺麗に笑って口を開いた。

「北鎌尾根のときも、俺は本気で独りでも行くつもりだったよ。光一の誇りを護れるのなら、死んでも良かった、」

北鎌尾根。槍ヶ岳の北方稜線にあたるバリエーションルート。
あのときの英二のレベルでは単独行は無謀だった、けれど自分は本気だった。

「あのとき俺は、最初から北鎌尾根に行くつもりだった。もし光一が行かなくても、待っていてはくれるだろ?それで十分だった。
雅樹さんが亡くなった場所から、俺が無事に戻って槍の天辺を越えられたら、おまえは雅樹さんの遭難死から解放されるって思ったから。
もちろん無謀だって解ってた、でも俺は命ごと全てを懸けたよ。もし俺まで死んだらさ、光一だったら必ず北鎌尾根をやっつけに行くだろ?
そうやってでも雅樹さんの慰霊登山させて、山ヤの尊厳と誇りに向き合って欲しかったんだ。光一には最高の山ヤで居てほしいからさ、」

あのとき本当に自分は、全てを懸けていた。
もし、あのとき自分が命を落とせば周太を護れない、そうも思った。
けれど、あの日あの場所で自分は、どうしても光一のために命も懸けたかった。それが我儘で身勝手だと責められても良かった。

「…うそだろ?そんなの、」

ふるえるテノールが問いかける。
ゆらぐ水鏡の瞳に笑って英二は、正直に答えた。

「ほんとだよ、俺は光一の山ヤの誇りを護れるなら、全部懸けても良いんだ、」

これが自分の本音、山ヤとして男として願うこと。
この自分の全てはもう、婚約者に捧げてしまった。それでも護りたい存在をもう1人見つめている。
それは裏切りのようで自責がずっと痛くて、目を背けて向き合いたくなかった、けれどもう誤魔化せない。

「俺が山ヤでいることは周太を護る為に必要だよ?でも、それ以上に今は自分の為だ。山ヤの誇りと夢に生きて今、幸せなんだ。
この幸せを俺にくれたのは、光一だよ?山ヤの技術も知識も、心も、夢も誇りも、全て最高のものを光一が俺に与えて育ててくれた。
だから命も懸けられるんだ、山ヤとして男として俺を育ててくれた光一の、山ヤの誇りを護るためなら俺は全て懸けても後悔しないよ」

この自分を導いた憧れの存在が隣にいる、恋しないなんて出来なかった。
この想いを手離すことは今の自分を否定するのと同じ、今の自分を誇る心には諦めることも出来ない。
どうしても手離せない、婚約者もパートナーも、どちらの唯ひとりも離したくない。こんな本音に我儘な生き方を選んで今、告白している。

―ほんとに俺は、身勝手で強欲だな?

こんな自分の本音が、可笑しくて笑ってしまう。
ずっと、誰にも自分は愛されないと僻んで壁を作って、体だけの愛欲は孤独の暇潰しだった。
そんな自分が今、ふたり同時に恋し愛して、二股をする自責に心抉っても幸せだと居直っている。
こういう生き方は狡いと責められるだろう、それでも孤独に僻んで生きるより、本気の二股に生きる方がずっと良い。
そんな幸せに微笑んだ英二を無垢の瞳は見つめて、真直ぐにテノールの声が訊いた。

「だって周太は?…北鎌尾根で死んだら、周太のこと護る約束は、ずっと一緒にいる約束はどうするつもりだった?」
「もし俺が死んだら、光一が代わりに周太を援けて護ってくれる。そう信じてたよ?」

正直な答えに、透明な目が瞠られる。
無垢な水鏡の瞳を見つめながら、英二は本音のままを告げた。

「雅樹さんの慰霊登山で俺が死んだら、光一は罪悪感を一生抱くだろ?そうしたら必死になって俺の代わりをしてくれると思ったんだ。
きっと俺の代わりに周太を一生護ってくれる、それで二人が初恋のまま幸せになったら良い、そういう勝手な計算も俺はしていたよ?
俺には周太が全てだよ、でも、比べられない位に光一のこと大切なんだ。ずっと憧れて追いかけて、俺の夢そのものだから命も懸けるよ、」

これが自分の本音、ずっと自分自身でも整理つけられなかった想いへの回答。
それを今、こんなふうに狭い寮のベッドで告白している。けれど、初めて顔を合わせた場所だから相応しい?
そんなふう想いかけて、去年の夏の終わりに見つめた記憶へと英二は微笑んだ。

―俺、周太に告白したのも、ベッドの上だな

深夜、ビジネスホテルのベッドの上、「いつも」の終わりに背中押されて告白をした。
こんなふうにベッドで夜に告白してしまう、そんな自分はやっぱり「えっちへんたいちかん」なのだろうか?
こんな廻らす考えも可笑しくて、正直に英二は大切な夢の人へと笑いかけた。

「俺、また夜のベッドで告白しちゃったな?周太の時と同じだ、」

笑いかけた先、透明な瞳がすこし微笑んでくれる。
そして可笑しそうにテノールは、すこしだけ笑ってくれた。

「卒業式の後で…ビジネスホテルだったよね?冬富士で話してくれたね、周太の初体験の事とか、おまえの罪悪感とか、」
「うん、あのとき色々と話したよな?」

懐かしい冬の記憶に笑って英二は、大切なパートナーを抱きしめた。
抱きしめた腕のなか、もう細い体は拒絶しない。ただ素直に抱きしめられてくれながら、透明な声が囁いた。

「…いま俺、夢見てる?それとも、全部ほんとのこと?」
「ほんとだよ、光一、」

笑って答えて頬よせる。
ふれる頬なめらかな温もりが優しい、高雅な香ふれる肌から沁み透る。
この香も想いも、この今の瞬間が愛しい。微笑んで離れると英二は真直ぐに光一の瞳を見た。

「光一、あの写真は光一だろ?」

もう正直に答えてほしい、そして夢の真実を今、掴ませて?





(to be continued)

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