萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第30話 誓暁act.6―another,side story「陽はまた昇る」

2011-12-31 22:08:00 | 陽はまた昇るanother,side story
出会っていくこと、そして一緒に




第30話 誓暁act.6―another,side story「陽はまた昇る」


黄昏の陽射しが台所の窓からも暖かい。
いつもの紺色のエプロンを着て周太は台所に立っていた。
その包丁を持つ手元へ少し濡れた髪から一つ、滴がぽつりと落ちて手が止められた。

…あ、

髪が少し濡れている、そのことの想いが首筋へ熱を昇らせてしまう。
止まってしまった手で周太はエプロンのポケットにふれた、そこにはクライマーウォッチが入っている。
これは英二から贈られた大切な腕時計だから、水仕事で濡らしたくなくて調理前に外してポケットにしまいこんだ。

―腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだ
  だって周太、俺にプロポーズして腕時計までくれた。もちろん俺の答えはYesだ。
  だからね、婚約は成立しちゃったよ?だからもう周太はね、いつか俺の嫁さんになるんだ

さっき英二に言われたばかりの言葉に、こうして手を動かしていても首筋が熱くなってくる。
この髪が濡れているのはシャワーを浴びたばかりの所為、それが明るいうちに英二に求められたことを思い出させて気恥ずかしい。
それも心の準備も出来ていなくて本当は途惑った、だって「絶対の約束」は夜だって言っていたのに。

…こんなこと考えているとよけいに恥ずかしい、

ほっとため息を吐くと周太は、刻んだ玉ねぎをボールへ移して軽く塩をふった。
それから野菜を切ってオーブンに並べていく、これで食べる15分前になったら火を入れればいい。
それを済ませて周太は蒸した南瓜をすり鉢に入れて白玉粉と一緒に練り始めた。
そのすり鉢とすりこぎにまた、ふっと周太の手が止まった。これを使って昼間、英二はクルミを砕いてくれた。
その掌の温もりが名残にある、そんな気がして周太はまた真赤になってしまった。

…だって、婚約とか、およめさんとか言われたら…どんな顔すればいいの?

こんなこと言われるのは慣れていない「初めて」ばかりで途惑ってしまう。
周太は父が殉職してから13年間ずっと友達すら作らなかった、だから恋愛なんて全く考えたこともなかった。
あの13年間は父の軌跡を追うこと母を守ること、その2つが精いっぱいで他人に構う余裕なんて少しもなかった。
なにより「父の殉職」への好奇心や無神経な善意が大嫌いで辛くて哀しくて、誰も近寄らせたくなかった。

けれど英二だけは違っていた。
初対面は大嫌いだと思ってしまった、要領のいい人間特有の冷たさが端正な貌なだけに冷酷に感じた。
そんな英二に努力ばかりで生きている自分を嘲笑されているようで、悔しくて哀しくて嫌いだった。
けれど本当は気がついていた、そんな冷酷な仮面の向こうには実直で真直ぐな穏やかな静謐が深く隠されていること。
そして英二がずっと願ってきた想いにまで気づいてしまった。

―そのままの自分で生きていたい、生きる意味、生きる誇りをずっと探している―

そっと想いに問いかけてくる切長い目と、隠された本当の姿に惹かれて気になってしまっていた。
そんな英二はある時から、毎日と周太の部屋に座りこむようになった。そして勉強やトレーニングを教えてと笑いかけてくれた。
そう乞われるまま手助けするうち、気がついたら自分の方が英二に援けられていた。
援け合える友人が嬉しくて時折ふと父の話をするようになった。
聴くたび英二は父を男として警察官の先輩として、心から尊敬し憧れてくれた。

「周太の父さんって、本当にかっこいいな。俺もそういう男でいたい、周太の父さんみたいに笑顔の警察官になりたい」

そんな真直ぐな英二の心が本当にうれしかった。
そんなふうに英二の隣で日々を過ごすうち、周太は少しずつ笑えるようになって友達も何人か出来ていた。
それでも英二の隣で過ごす時間はいちばん楽しくて、穏やかな静謐が居心地良くて周太の安らぎだった。

そして気がついた時にはもう、きれいな笑顔が大好きになってしまっていた。
いつも英二が隣に居ないと寂しいと想うようになっていた、離れたくないと心の底では願っていた。
いつか自分は父の想いを追う危険のために孤独を選ばなくてはいけない、いくらそう自分に言い聞かせても本音は誤魔化せなくて。
だから卒業式の夜に英二が自分を求めて泣いてくれた時、周太は迷わず英二に応えてしまった。

…でも全部が、この9ヶ月のことだから…あんまりにもいっぺん過ぎる、よね?

初めての友達が出来て、その友達が初恋と気がついて。
初恋に気がついた瞬間そのまま求められて体ごと心も想いも繋ぎとめられて。
それから3ヶ月も経たない今日、ついさっき婚約と言われて。
そんなの本当に心の準備も何も出来ない。だって自分はまだ恋愛は9ヶ月の子供と同じ、途惑ってしまう。
こんなに急に全てを通るなんて?ちょっと急すぎて途惑いが大きくなってしまう。

…うれしい、けれど途惑う…

ほっとため息を吐いて周太は、練り上げた南瓜を片栗粉をつけた掌に置くと鶏餡を入れて丸めた。
すぐにいくつも丸め終わって、出した蒸籠にきれいに並べて蓋をする。これは食べる20分くらい前に蒸せばいい。
とりあえず支度が終わってしまって、周太は手持無沙汰は困ると茶を淹れる支度を始めた。
手を動かしていないとまた考え始めそうで困る、けれど手を動かしてもやっぱり同じ事が頭を巡り始めてしまう。

…婚約、しちゃったんだ、ね

知らなかった、腕時計の交換がそんな意味になるなんて。しかも自分の言ったことは結婚の申し込みのまんまだった。
さっきパソコンでちょっと確認をしてみたら、ほんとうに英二の言った通りだった。
何にも知らないで、想ったままを贈り物に選んで言っただけだったのに。
ほんとうに自分は世間に疎い、これも13年間を殻に閉じこもっていたからなのだろう。

…でも、婚約のことは、…途惑うけれど、うれしい

自分のしでかしたことは恥ずかしくて、けれど英二の「婚約者」になれたことは幸せだと想ってしまう。
だってより特別な存在になれたのだから。こんなふうに近づけるのはやっぱり、うれしい。
眺めていたケトルから湯の沸く音がたって周太は火を止めた。急須と湯呑を一旦湯で温めてから、急須に茶葉を入れて湯を注ぐ。
ゆっくり茶葉が開かれながら、清涼な香りが湯気に立ち昇っていく。こんなふうに茶を淹れるのは気持ちが落ち着いていい。
ほっと息をついて湯呑をもって振り返ると、すぐ近くに英二が立っていた。

「…っ」

驚いて落としかけた湯呑を、きれいに長い指の掌が受けとめてダイニングテーブルに置いてくれる。
それから長身をすこし傾けて周太に笑いかけてくれた。

「周太、シャワーのついでに風呂掃除してきた。ざっとだし、勝手に道具とか使ったけど良かったかな、周太?」

そういえば戻ってくるのが遅かった。
きっと独り暮らしの母を気遣って掃除してくれたのだろう、こんな細やかな優しさが英二はある。
こんなところが好きで幸せで周太は微笑んだ。

「ん…ありがとう、英二。今夜はね、お風呂沸かすから…一番風呂して、ね?」

周太の「ありがとう」に、きれいな笑顔が嬉しそうに英二に咲いた。
ほらこんなに英二は喜んでくれる、こんな率直なひとが自分は大好きで幸せな気持ちになる。
そんな幸せに見上げる先で英二は笑顔で応えてくれた。

「うん、ありがとう周太。でもね、周太?俺、周太と一緒に風呂入りたいな」
「…それはだめです…」

どうしてこんなことばかりいうの?
いつもこう、なにかと真っ赤にさせられてしまう。
とくに今ほんとうに困ってしまうそんな提案、だだでさえ「婚約」で頭がぐるぐるするのに。
お願い英二、今はちょっとかんべんしてね?そんな想いで見上げたのに、英二は構わず笑いかけてくる。

「なんで、周太?だって警察学校の時はさ、毎晩一緒に風呂入っていただろ?ね、周太。たまには一緒に風呂入りたいよ?」
「…いまはだめ…」

いまはだめ、絶対にダメ。
だって警察学校の時は友達だから意識しなかった、それに「あの時間」を自分は知らなかった。
けれど今はもうダメ、きっとすごく困ってしまう。

「どうして今はダメなの?だって今はもう婚約者だよ、周太。婚約者なんだからさ、今の方が一緒に入るの当然だろ?」

今もう婚約者だから、だから余計にだめ。
絶対にダメ恥ずかしい困ってしまう、断固として周太はダメ出しをつづけた。

「…だめです…いまはだめ…あ、ご飯にしよう?ね、英二?」
「うん、腹減ってるから飯は食いたいけど。でも、周太?なんで今はダメなんだ?だって周太、新宿署の寮も共同浴場だろ?」

だって英二?あなたと同僚では全然違うんだから。
いくら同じ男でも好きな人のそんな姿は意識しちゃうんだから?
そんなふうに自分をしたのは英二なんだから、あなたの所為だから勘弁してね?

「…でも、だめです…お願いえいじちょっとかんべんして…ね?」

なんとか返事しながら真赤になっても手は動かして、周太は夕食の支度を仕上げた。
朝と昼が洋食の献立だったから夕食は和風に作ってある。いつも「山では握り飯」という英二だから一日一回は米を食べたいはず。
ご飯おいしく炊けていると良いな。そう考えながら味噌汁の仕上げをする隣から、やっぱり英二は覗きこんでおねだりしてくる。

「ね、周太?俺、寂しがりなんだから、一緒に風呂入ってよ。この家の風呂ちょっと広くて俺、寂しくなるんだから」
「だめです。…おふろひろくても山でひとりぼっちよりさびしくないでしょ…ね?」
「山と風呂は違うよ、周太?ダメなんて言わないでよ、一緒に入ってよ周太、」

…ね、駄々っ子みたいだよ英二?

ちょっと意外な英二の一面に、すこし周太は驚きながら食事の支度を進めていた。
本来の英二は怜悧で実直な性質で、穏やかな静謐と端正な佇まいが落ち着いている。
そうした本来の性分は卒業配置後はより前面に出て、山ヤの誇らかさも備えた英二は大人の男になった。
そんな英二は同期には「背中から宮田かっこよくなった」と褒められるし、青梅署でも真面目で聡明だと頼られ始めている。
なのにこの英二は、まるで小さい子が一生懸命におねだりするみたい。なんだか可愛くて、周太は手を動かしながら微笑んだ。
それでも食卓にきちんと配膳すると、英二の注意は食事の方へと向いてくれた。

「今夜はね、たくさん炊いてあるから…たくさん食べてね?英二」
「うん、ありがとう周太。俺ね、なんだかすごい腹減ってるんだ。さっき周太としたからかな?ね、周太?」
「…そういうことは…ごはんのせきでは、ね、英二?あ、冷めないうちに食べて?」

こんな2人だけの食事は久しぶりで、周太の手料理を2人だけで摂るのは初めてだった。
ひとつ英二が口に運ぶたびつい気になって見てしまう、ちゃんと英二の口に合うだろうか?
なんだか少し緊張するな、思いながら周太は英二のご飯のお代わりをよそっていた。

「周太、これ旨いね。南瓜のなんだろ?」
「ん、…それはね、南瓜の生地の中に、鶏挽肉を詰めて蒸すんだ」
「へえ、凝ってるな。周太ってほんと料理上手いな。こっちの牛肉のとかさ、すごい旨いよ?周太」
「あ、それ?…牛肉のたたきにね、玉ねぎと醤油バターでたれをかけたんだ…添え物の焼野菜も食べてね、英二?」

口に入れるたび幸せに微笑んで、うれしそうに英二は周太に訊いてくれる。
おいしそうに次々平らげていく姿が気持ちいい、そんな英二は大きめの茶碗でご飯を8杯食べた。
こんな食卓の風景は普通に幸せなのだろう、けれど自分には宝物の時間。うれしくて周太は微笑んで見ていた。
そんな食事の時が終わってからも、一緒に皿を洗いながら英二は素直に周太の料理を喜んだ。

「やっぱり俺、周太の作ってくれたものがね、一番好きだな」
「ん、そう?…今日は何が一番おいしかった?」
「昼の鶏のクルミのやつと、夜の牛肉のが双璧かな?
 でもさ、本当になんでも旨いよ。俺、周太を嫁さんに出来て幸せだな。ほんと嬉しいよ。ね、周太?」

…嫁さんに、出来て

洗う周太の手から皿が一枚つるり水桶に滑り込んだ。
だってさっきも考え込んでいたこと見透かされたようで気恥ずかしい。
それにそんな「嫁さん」って言われても面映ゆい困ってしまう、首筋に熱を感じながら遠慮がちに周太は口を開いた。

「およめさんとかはずかしい…ね、英二、おれおとこなんだし…」
「だって周太、俺にプロポーズしてくれたろ?…あ、それとも俺が嫁さんなのか?でも周太、それは変だよ」
「あの、…ね、英二?」

ちょっとその話は恥ずかしいな?そう英二を周太は見上げた。
だって今日はもう散々そんな話をしているのに?けれど英二はわざと気づかぬふうに話を続けてくる。

「どうみても俺のが旦那だろ?俺のがでかいし、するのは俺だし。ね、周太?されるほうがさ、嫁さんだよ」

いろいろ恥ずかしい言葉が並べられていく、それも幸せに輝くきれいな美しい笑顔で。
こんな美しい笑顔でこんなこと言われると、何て答えていいのか本当に途惑ってしまう。
知らなかったとはいえ自分は色んな意味で大変なことをしたのかな、周太はそっと英二にお願いしてみた。

「あ、の…おさらおとしたらこまるから…お願い…これいじょうはかんべんして赤くさせないで…」
「なんで周太?だってさ、周太が俺にプロポーズしたんだよ。キスして、時計くれて。ね、周太?」

そう、自分からしてしまった。
まさかプロポーズになるなんて意識もなくて、けれど言われる通りだったのが恥ずかしい。
こんなに困っているのに英二は尚更、きれいな幸せな笑顔で笑いかけてくれる。

「だからね、周太は俺の嫁さんになるよ?だって俺、そう決めてるしね」
「あの、…ん、決めちゃったの?…でも女の子じゃないから…ね、英二?」

もうさっき説明してくれたから、英二の主張が正しいのは解っている。
けれど今はちょっと恥ずかしくて逃げ口上に「女の子じゃない」を使ってしまう。
でもこんなこと言って本当は「男女とか関係ない」とまた言って欲しくて仕方ない。
そんな自分は甘えていて恥ずかしいな、そう思っていると英二が言ってくれた。

「周太はさ、女の子だとか関係ないよ?ただ俺は、周太だけが欲しいんだ。だからね周太、俺の奥さんになって?」

― 俺の運命のひとは周太だ。他の誰でもない、男も女も関係ない ―

ついさっきベッドでも言ってくれたこと。
また言って欲しいと思っていたら本当に言ってくれた、うれしくて幸せになってしまう。
そんな想いは本当に幸せで、けれど余計に気恥ずかしくさせられて思わず周太は逃げてしまった。

「ん…うれしいけど、赤くなるから…ちょっと…今はダメ、」

そう言い置いて周太は片付け終えると廊下への扉を開いた。
歩き出す廊下の冷たい空気が火照った頬に気持ちがいい、ほっと息を吐いて周太は気配に隣を見あげた。
見あげた先にはやっぱり、ちゃんと英二がくっついて歩きながら周太に笑いかけてくる。

「ダメなんて言わないでよ?周太、俺の時間を全部あげたんだからさ、」
「ん、うれしい、な?…でも、今はね、ちょっとダメ…」

真っ赤な顔で答えながら周太は洗面室の扉を開いた、この奥が浴室になっている。
せっかく着いてきたのだし調度いい、周太はバスタオルを用意すると英二に手渡した。
もうこのまま英二には風呂に一人で入ってもらおう、その隙にすこし自分を落着かせたい。

「はい、英二。…お風呂、沸いてるから入って、ね?」

そう言って微笑むと周太は急いで廊下へと逃げた。ぼんやりしていたら、きっと掴まって困らされるに違いない。
そのまま2階へあがって振向くと、浴室から微かな水音が聞こえ始めた。
おとなしく諦めて一人で風呂に入ってくれたらしい、ほっと微笑んで周太は自室へと入った。
入ってデスクライトを点けると周太は自分の鞄を開いて覗きこんだ。
そしてすぐに見つけて手帳を取り出すと、はさんでおいた1通の封書を手にとり微笑んだ。

「美代さんからね、周太にって。味噌のレシピと、お便りだって言っていたよ?」

そんなふうに微笑んで英二が渡してくれた、美代からの便りの封書。
美代は国村の幼馴染で恋人で、11月に雲取山に登った後で4人で河原で一緒に飲んだ。
そのときに1度会っただけだけれど、珍しく周太にも話しやすい女の子だった。
そして本当に珍しいことに、また会いたくて話したい友達だなと自然と素直に思えていた。
そしてこんなふうに友達から手紙をもらうことは、周太にとって初めてのことだった。

…こういうのが、仲良しの友達、っていう感じなのかな?

ほんとうは英二をそう最初は思っていた。
けれど似ていて全く違う感情だと気付かされてしまっている。
英二は周太にとって唯ひとり特別なひとだった、それは他の友達とも全く違う想いと距離なのがもう解っている。
そんなことを考えながら封書を持って周太は、屋根裏の小部屋へあがるとフロアーライトを点け揺り椅子へ腰かけた。
いつものように立膝で座り込むと、きれいな白い封筒から美代の手紙をひらいた。

  拝啓 雪の花うつくしい頃になりました、いかがおすごしですか?
  約束のレシピをおくります、本当に手前味噌だけれど私のは結構おいしかったでしょ?
  湯原くんならもっとおいしく作れるね、作ったらぜひ味見させてね。

自分と同年代で「拝啓」から始まる手紙を書くことに周太は少し驚いた。
きちんとして可愛らしい字が真白な便箋から周太に話しかけてくれる。
…美代さんの方がね、上手だと思うな…でも、作ったら味見してほしいな
そんなふうに周太は自然と微笑んで手紙に心で返事しながら、次の文面に目を留めた。

  きっとこの手紙を開くときには、最高峰の話を聴いていると思います。
  だからお礼を言わせてね?

すこし意外で周太は首を傾げて考え込んだ。
…俺に、お礼を言うの?
どういうことだろう?思いながら次の文章へと目を通した。

  宮田くんがいてくれるから、光ちゃんは最高峰でも独りではありません。
  それは私にとって本当に幸せなことです。
  だって最高峰はいちばん危険なところなのでしょう?でも2人なら援けあって無事に帰ってこられる。
  そうやって、生涯のアイザイレンパートナーはお互いを絶対に援けあうそうです。

…きっと美代さん、ずっと不安に泣いていた、よね?

そっと周太は唇をかんだ、美代の静かな覚悟が自分にはわかる。
もうずっと美代は国村の「最高峰を踏破する」夢を聴いて育っている。
きっと成長につれて危険を理解して、けれど止められないことも心底から理解して。
そんな美代にとって国村にアイザイレンパートナーがいないことは、どんなに不安だったろう?

アイザイレンパートナーは命綱を結びあう相手。
お互いの体格や技量が同等であることが、お互いの生命を守る大切な条件になる。
特に最高峰を目指すクライマーは過酷な条件下で行動を共にすることになる、だから相性と人間性も問われる。
国村は最高峰に立つ運命を託され最高のクライマーとして嘱望されている。
そんな国村は技量も山ヤの精神性も抜群に過ぎて、高校時代は警視庁最高のクライマーで両親の友人である後藤がパートナーを組んだ。
けれど国村の体格は身長180cmは充分に超える大柄に成長した、この体格差に加え加齢もあって後藤でも国村と組めなくなった。

国村に拮抗する技量を備え友人になれる精神、そして180cmを超える大柄を支えきれる体格と体力。
そういう条件のクライマーは簡単には見つからない、だから国村はずっと単独クライマーでいた。

そして国村は単独クライマーとして国内の名峰に単独でも登頂してきた。
国内なら両親や田中や後藤と踏破済みでいるから初登頂ではない、それでも単独では美代は不安だったろう。
そんな国村はきっと世界の名峰でも単独で踏破するつもりだった、けれど未経験の山での単独登頂は危険が大きくなる。
それでも国村は本当に自分が認められないアイザイレンパートナーだったら組まない、きっと単独行を選んでしまうだろう。
いつも飄々としている国村だけれど、あの底抜けに明るい細目には「意思」が強く深く輝いている。だから決意は遂げてしまう。
そのことを周太は知っている、そして美代がそれを気づかないはずがない。

…ね、美代さん…ほんとうは、何回もう泣いている…?なのにどうして、そんなに明るく笑える?…

不安を見つめても明るい美代の瞳は、心から尊敬できる瞳だ。
そんな想いにそっと微笑んで周太は次を読んだ。

  だから私は湯原くんに約束します。
  必ずどんな時でも、どんな場所でも、光ちゃんが絶対に宮田くんを援けます。
  それは山以外の場所でも警察官としても必ずです。それが生涯のアイザイレンパートナーだから。
  そうして必ず宮田くんが湯原くんのところへ無事帰れるように、光ちゃんは絶対に宮田くんを援けます。
  だから笑っていてね、湯原くん。光ちゃんを信じて宮田くんを信じて、笑っていて?

「…約束、」

この「約束」は、美代の国村に対する深い信頼が無くてはできない。
きっと国村は美代に約束をしている「だって山に登るだけだろ?ちゃんと無事に帰るに決まってるね」たぶんこんな調子で。
それを美代は真直ぐに信じて、国村と英二の繋がりを真直ぐに見つめている。

…美代さん、あなたは、ほんとうに強くて、きれいなんだね?

自分もこんなふうに英二を信じて国村も信じて真直ぐ見つめる強さがほしい。
こんな強い女の子もいるんだ、周太は美代の明るい瞳を想いながら微笑んだ。
こんなひとから手紙をもらえて嬉しい、そっと2枚目の便箋に周太は持ち替えた。

  そしてね湯原くん、私はこう想うのよ?
  世界一の最高峰に大好きなひとが立って、そこから自分を想ってくれる。これほど愉快なことって他に無い。
  きっと世界一に愉快なことだって、私は想います。
  だからね、湯原くん。私と一緒に世界一愉快なことを楽しんで?
  私は湯原くんと一緒に笑いたいなって想うのよ?だって私も独り待つのはね、ほんとうは寂しかったから。
  そんなふうに一緒に世界一愉快なことを楽しめる友達がいることは、私にとって本当に幸せです。

  だからお礼を言いたいの、湯原くん。
  宮田くんを光ちゃんと出会わせてくれて、ありがとう。
  そして湯原くんが私と出会ってくれて、本当に嬉しい。私と出会ってくれて、ありがとう。
  また御岳に来てね、待っています。こんどは家にも是非来てね、私の作った野菜も結構おいしいのよ?  敬具

読み終わっても周太は手紙を見つめた。
この手紙を書いてくれた友達の心と想いを見つめていた。
美代は一緒に「世界一愉快なこと」を楽しもうと笑ってくれる。独り待つのは寂しい気持ちをわかってくれる、そして、

「…出会わせてくれて…出会ってくれて…ありがとう」

こんなふうに「ありがとう」を言われること、どうしたらいいの?
こんな手紙を自分がもらえるなんて、1年前には想像もできなかった。
ただ孤独に生きて独り壁を作って籠りきっていた、それは傷つくことは減っても寂しかった哀しかった。
けれど英二と出会って孤独を壊されて、引っ張り出された世界はこんなに温かい。
そして英二の隣で生きることで、こんなふうに「ありがとう」を言ってもらえた。

…英二の隣でいること、間違っていないのかな

そんな想いが嬉しくて幸せで周太は微笑んだ。
そして便箋と封筒とペンを下の部屋から持ってくると、屋根裏の小部屋で手紙を書き始めた。
この便箋も封筒も事務的な目的にしか使ったことがない、けれど今は友達への手紙を書いている。
こんなふうに友達に手紙を書くことは普通のことかもしれない、でも周太には初めてで幸せなことだった。

「…ん、御岳にね、また行くね?」

そっと微笑んで周太は手紙を書き終えると、きちんと畳んで封筒へ納めた。
手紙と自分の返信を持って立ち上がる。きちんとフロアーライトを消し、それから天窓を振り仰いだ。
きれいな星が夜空に見えている、明日はきっと晴れるだろう。
明日は英二と散歩もいいな、そう思いながら梯子階段を周太は降りた。
そして下の部屋に降りたとき目を上げて周太の瞳が大きくなった。

…なんで英二、ここで服着ているの?…あ、勢いでお風呂に置いてきたから、か

ひろやかな白皙のすっきりした背中が周太へと向けられている。
背中はデスクライトに照らされて、ゆるやかな筋肉の陰影が頼もしい。
そんな後姿は逞しくて端麗にきれいで、周太は見惚れてしまった。

…きれいだな、

そう思って見つめる背中の肩に、ふと周太の目が留まった。
肩から背中の上にかけて赤い線のようなものが見える。それは痣のように紐状になって両肩をはしっていた。
あんな痣は英二にあっただろうか?不思議に見つめる先で少しずつ痣は薄れ始めた。
きっと風呂上りの火照りが治まると消える痣なんだな、そう思いかけて周太は息をのんだ。

…あのときの、ザイルの擦過傷の痕

きっと警察学校での山岳訓練の時が原因だ、そう思い当って周太は真直ぐに英二の傷痕を見つめた。
あのとき崖下へ滑落した周太を救けてくれたのは英二だった。
滑落で足を痛めた周太をザイルで背負って英二は、雨で地盤の緩みきった崖を登攀してくれた。
本来なら初心者の英二が救助できるような現場ではなかった、けれど英二は志願して本当に周太を救助してみせた。
でもあのときの英二は山自体が初心者で、肩にはザイルを喰い込ませて痛々しかった。

「大丈夫だよ、ほら?傷痕なんかないだろ?」

山岳訓練から数日後、そう言って英二は風呂の前に脱衣所で肩を見せてくれた。
けれど本当は痕になって残っている、きっと英二は周太を気遣って隠していた。
自分が英二に傷をつけてしまった、それが哀しくて周太は呆然と白い肩を見つめていた。
そうして見つめる背中が静かに振り返ると、きれいな笑顔で英二が笑ってくれた。

「周太、」

きれいな低い声で名前を呼んでくれる。
なにか言わないと謝らないと。そんな想いで周太は英二を見つめた、けれど声が詰まって出てこない。
そんな周太を見て英二は着かけたシャツの手を止めて、周太の顔を覗き込むと笑いかけてくれた。

「どうした、周太?」

どうしたのか言って欲しいな?やさしく目で訊いてくれる。
こんなきれいな肩に傷痕を残させた自分に、気遣って英二は隠してくれていた。
どうしていつもそうなの英二?あんまり優しくて、どうしていいか解らなくなる。
とにかく今からでも、きちんと訊いて謝りたい。英二を見あげると周太は唇を開いた。

「ね、英二…その、肩の赤い線は?」
「ああ、これ?…うん、山岳訓練の時のだよ」
「俺が、怪我した時のザイルの…痕になってるの?」

すかさず訊いた周太に、すこし首かしげて英二は微笑んだ。
なんて答えようか英二は困っている、やっぱり自分の所為でついた傷に違いない。
こんな大切なこと気づけないでいた、それでも今からでも謝まりたくて周太は英二を見上げて言った。

「…俺のせいで、英二に傷をつけて…ごめんなさい、ずっと気づかなかった」
「周太、この痕はね?俺にとっては、うれしいものなんだ」

そう言って英二は微笑んでくれる。
傷痕がうれしい?意外で周太はそっと訊いてみた。

「…うれしい、の?」
「うん、うれしいよ?」

頷いて英二は周太の顔を覗き込んでくれる。
そして微笑んで英二は、穏やかに周太に言ってくれた。

「俺がね、初めて周太を背負った記念だろ?だからね、うれしいんだ。それにさ、ちょっと赤い糸みたいだろ?」

初めて・記念・赤い糸、どれも幸せそうな言葉たち。
そんな言葉を告げて、きれいに笑って英二は周太の肩へと腕を回してくれる。
どうか笑って欲しいな?そう見つめながら周太の頬へ長い指の掌でふれてくれた。

「周太、笑ってほしいよ?だってね、これが赤い糸ならさ、周太は俺の嫁さんだって証拠だろ?」
「…証拠、なの?」

これが赤い糸で自分が英二のお嫁さんだという証拠。
そんな運命だと言ってくれるの英二?そんな想いが嬉しくて周太は微笑んだ。
そう微笑んだ周太の唇に静かに英二が唇を重ねた。

「うん、俺の嫁さんって証拠。愛してるよ、周太」

重ねた唇といっしょに体ごと想いを抱きしめてくれる。
抱きしめる腕の温もりがうれしくて、抱きしめられる鼓動が温かくて、ほほ触れる深い香が愛しい。
ふれる熱い唇が深く重ねてくれる、しずかに繋がる温もりと微かな樹木の香が愛おしい。
そっと唇を離して瞳の視線をからめとると、英二は周太に微笑んだ。

「ね、周太?続き、したらダメ?」

続きってどの続き?
そう思った瞬間に午後の「あの時間」が答えのように思い出された。
そんなの真赤になってしまう、周太は急いで答えた。

「…っ、今は…ダメです」
「じゃあさ、周太?後でならいい、そういうこと?」

そんなふうに訊かないで?周太は瞳を伏せてしまった。
だって今夜は「絶対の約束」だって昼間に新宿でも英二は言っていた。
けれど午後にも英二は求めてくれた、それでも今夜は「絶対の約束」をするのだろう。
伏せたままの瞳に左腕のクライマーウォッチが映り込んで、そっと周太は唇を開いた。

「ん、…だって、…絶対の約束だから…ね、」

そう英二に告げて周太は、やっぱり気恥ずかくて微笑んだ。
そんな周太をすこし驚いて見つめる切長い目が、すこし大きくなっている。
この顔かわいいな、思いながら英二の長い腕からそっと抜け出すと周太は笑いかけた。

「あの、…風呂、冷めちゃうから…」

そして着替えを持つと手紙をしまって、周太は部屋から廊下に出た。


(to be continued)

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第30話 誓暁act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2011-12-30 07:40:22 | 陽はまた昇るanother,side story
※後半1/3念のためR18(露骨な表現はありません)

時も想いも記憶も、




第30話 誓暁act.5―another,side story「陽はまた昇る」

屋根裏の小部屋は穏やかな温もりに満ちていた。
天窓からふる冬の陽に白い壁と無垢材の床も明るんでいる。
サイドテーブルにココアのトレイを置くと、英二は書棚を覗き込んだ。

「周太。この本はみんな、周太の本?」
「あ、ん。そうだけど…あ、『Worthworse』はね、父の本…それから百科事典は祖父の、らしい」

百科事典は昔から書棚に納められている。
この古い事典には和文に英語とフランス語の訳も付記されて、ときおり交る細密画の挿絵がきれいだ。
これを押し花の重し代わりに幼い頃はよく使っていた、事典としても何度も開いて楽しんでいた本。
なつかしいなと見ていると英二が植物図鑑に目を留めてくれた。

「植物図鑑もあるんだね、周太?」
「ん、それはね、父が買ってくれたんだ…挿絵がきれいなんだ、あとラテン語でね、学術名が載ってる」

そう言いながら周太は図鑑を出した。
これは自分が特に気に入っている本、英二も気に入ってくれるだろうか?
受けとると英二はページを長い指で静かに開いてくれる、そして眺めながら穏やかに微笑んだ。
そんな様子がうれしくて微笑んで周太は、押入に置いてあるマットレスをとりに梯子へと戻った。
梯子からマットレスを上げようとしていると、本を閉じて木箱に置いてから英二は笑いかけてくれた。

「周太、そんなの俺がやるよ?ちゃんと頼ってよ」
「ん、ありがとう英二…でも大丈夫だよ、俺も力けっこうあるし…この押入れからね、上げただけだし」

いつもこんなふうに英二はやさしい、うれしくて周太は微笑んだ。
一緒に運びあげて敷きのべると、真っ白なカバーが陽だまりに温まっていく。
ココアのトレイを傍に置くと並んでマットレスに座り込んだ。
天窓からふる陽射と青空が気持ちいい、温かいココアを飲みながら周太は微笑んで英二に話した。

「あの椅子に座るか、ね…このマットレスで昼寝しながら、本を読むのがね…好きなんだ」
「周太の定位置なんだね。夜だと天窓から星が見える?」

やっぱり天窓を気に入ってくれている。
同じものを気に入ってもらえるのは嬉しい、周太は英二に微笑んだ。

「ん、見えるよ…月がね、ちょうど天窓に入ると、ほんとうにきれいだ」

言いながら植物図鑑のページに目を落とすと、あの落葉松の林ページが開かれていた。
英二と歩いた雲取山の野陣尾根と似た黄金の木洩陽がうつくしい森の姿。
眺めるたび英二を想ってしまう切なくて大切なページ。そんな自分がなんだか恥ずかしい、周太は急いでページを繰ろうとした。
ほら恥ずかしくて首筋に熱が昇り始めている、そんな周太を驚いたように英二が覗き込んだ。

「どうした、周太?なんでページ捲るんだ?」
「…あ、あの、…なんでもないんだきにしないで…」

見つめられる周太の顔が赤くなってしまう。
なんて答えたらいいのだろう?困っていると、途惑ったように英二は周太の顔を見つめてくれる。

「ね、周太?落葉松の林が何かいけなかったか?」
「…ん、あの、…いや、」

言い淀んで周太はマグカップに唇をつけて、黙ってココアを飲み始めてしまった。
どうしよう?いつもひとりで図鑑を見て想っているなんて、ちょっと恥ずかしい。
けれどずっと黙っているのもきっと変に思わせてしまう。
そんなふうに困っている周太の隣で、そっと寂しげに英二がため息を吐いた。

「周太、俺ってさ、周太には話し難い相手にね、…なっちゃったのかな」
「え、?」

どうして英二?驚いて周太は隣の切れ長い目を見つめた。
そう見つめる先の端正な貌は、いつにない寂しげな翳りに沈んでしまっている。
こんな貌を見たのは久しぶりのこと、そんな警察学校時代ときおり見せた顔のまま英二は口を開いた。

「だって周太?欲しいものもね、言ってくれないだろ?
 今も理由、教えてくれない。…やっぱり逢えない時間が長くて、さ…俺のこと信用できなくなっちゃったのかな、て」

話してくれる英二の目が微かに潤み始めている。
それでも英二はすこし微笑みながら周太を見つめてくれた。

「ね、周太?俺のことを想ってくれるんならさ…話してほしいよ?周太が想うこと俺、全部を知りたいし、聴きたい」

だから話してほしいな?そう見つめてくれた英二の目から、ひとすじ涙が零れおちた。
けれど英二は長い指で涙を払って、やさしく微笑んでくれた。
そんな涙と微笑みに周太の心がことんとノックされた ― もう迷っていてはいけない。
こんなふうに自分を求めて涙まで流してくれる、そんな純粋な想いで見つめてくれる英二に応えたい。
ひとつ呼吸すると周太は、そっと英二に顔を近寄せて告げた。

「…英二、ごめん…違うんだ」
「周太、」

よんでくれた名前に誘われるよう、静かに周太は英二にキスをした。
ふれるだけのキス、けれど静かに英二は瞳をとじながら周太を抱きこんだ。
やわらかな熱とココアのかすかな香と甘さ、抱きしめられる腕が力強い。
どうかきちんと想い告げられますように、そんな想いで静かに離れると周太はゆっくり瞳を披いた。
そうして真直ぐ英二を見つめて周太は告げた。

「…あの、ね、英二。…その落葉松の林の、絵がね、雲取山に似ていて…
 英二を想いだすんだ、それで俺…帰ってくるたびに見てた、から恥ずかしくなって…驚かせて、ごめん」

言っている端から恥ずかしい、けれど言えた。
なんて英二は想うのだろう?そう見上げた先で英二はうれしそうに微笑んだ。

「周太も、俺を想いだしてくれたんだ?」

いつもずっと、あなたを想ってる。
ほんとうは何を見ても想って寂しくて、けれど想えば幸せで温かくて。
こんな自分は弱くて恥ずかしいかもしれない、けれどもう正直に話してしまいたい。
そうしなければきっと英二は傷ついてしまう、そんな傷は自分にも痛くて哀しいから。そっと周太は唇を開いた。

「ん、…いつもね、想ってる…新宿でも、そう。街のあちこちで、…英二の気配をね、探してしまうんだ」
「そういうのはね、周太?俺、すごいうれしい」

ほんとうにうれしそうに英二は周太の頬にキスをしてくれた。
こんなに自分の想いを喜んでくれる、それが心からうれしくて周太は微笑んだ。
この気恥ずかしさに頬まで熱が昇ってくる、それでも率直な英二の想いに応えたい。
そんな周太の想いの底で、そっと心にひとつ決意が起き上がっていく。

…クライマーウォッチを贈りたい、そして想いを告げたい

クライマーウォッチを贈るなら今日がいい。
だってもう12月が終わる、そして本格的な雪山シーズンを迎えてしまう。
年が明ければ英二は、最高峰をめざすためにも高峰を登り始めるだろう。きっと父と見たあの穂高岳にも。
そんなどの時も英二の腕で時を刻んで、そして自分を想って無事に帰ってきてほしい。
そっと1つ呼吸すると周太は英二に微笑んだ。

「あのね、英二?…ちょっと一緒に来て?」

立ちあがると周太は梯子を降りた。そして下の部屋で鞄を開くと、きれいな1つの箱を取り出し掌でくるんだ。
そして窓辺で周太は掌のなかを見つめた、ほんとうに英二は喜んでくれるだろうか。
深紅のリボンをかけられたチャコールグレーのきれいな箱、この中にクライマーウォッチが入っている。
ふっと気配に顔を上げると、英二が窓辺に並んで立ってくれていた。見上げた顔はおだやかで優しく微笑んでくれる。

…どうか、きちんと言えますように

きれいな笑顔を見つめて周太は、そっと心で願いごとひっそり息をのんだ。
さあ勇気よ想いを声にしてほしい、ひとつ呼吸して周太は1つの箱を差し出した。

「…あのね、クリスマスだから…これ、その…受け取ってほしいんだけど」

自分へのプレゼント?そう目だけで訊きながら英二が周太に笑いかけてくれる。
そして楽しげに嬉しそうな声で英二は言ってくれた。

「周太から、俺にくれるの?」
「ん、…もし、好みとか違っていたら、ごめんね?…こういうのって、俺、…初めてで、解からなくて」

こういうこと慣れてない、どうしよう気恥ずかしくて困まってしまう。
思わず俯きかける顔をなんとか支えながら周太は立っていた、受け取ってくれるだろうか?
そんな想いで見上げる英二は、嬉しそうに微笑んで静かに箱を受け取ってくれた。

「ほんとうれしいよ、周太。これも『初めて』だね、それも嬉しい。ね、開けていい?」

まずは受けとってくれた。
それだけでも嬉しくて、頷きながら周太は微笑んだ。

「ん、…開けてみて?」

ベッドに腰掛けると英二は膝の上で深紅のリボンを解いていく。
その隣に周太も静かに座って、英二の顔を覗き込んだ。
そして箱を開いた英二の目が大きくなった。

「…周太、これ…?」

アナログとデジタルの複合式クライマーウォッチが、おさめた箱の中で光っていた。
ブラックベースにフレームへとブルーの細いライン、英二の部屋で見たカタログに載っていた腕時計。
たぶん本当に英二が欲しかっただろう腕時計。

英二は山岳救助隊への進路希望を決めたときに、クライマーウォッチを買っている。
それがいま英二の左腕に時を刻む濃い紺青色のフレームのデジタル式、これは外泊日に自分と買いに行ったもの。
あのとき英二は買ってすぐに左腕に嵌めて嬉しそうに笑っていた。そして周太に教えてくれた「山岳救助隊に俺はなりたいんだ」
だから時計もクライマーウォッチに替えて、今から使い慣れたいと笑っていた。

そして英二は本当に卒業配置からストレートで、山岳救助隊員として青梅署管轄の駐在所へ配属された。
そこは普通には経験者しか配属されない厳しい部署になる、それでも英二は努力を重ねて掴み取った。
その為に英二は山岳救助に必要な学科は好成績をとり、検定試験も高得点で合格をした。
そして体力を積んで周太を背負って自主トレーニングをして。
外泊日で実家に帰れば夜に近所のジムでクライミングの練習もしていた。
そんな努力の全てを自分は知っている、そして夢にどれだけ英二が輝いたのかも。

そんな英二の想いも記憶も時も刻んだ、その紺青色のフレームの時計が自分は欲しい。
そういう大切な時を英二の左腕で過ごした時計をこそ、自分のこの左腕に嵌めさせて?
だからこのクライマーウォッチを贈りたい、そして嵌めてほしい。
その時計に籠めた自分の想いと一緒に、これからの人生に登る高峰の頂上ですら時と想いを刻んでほしい。
そんな願いに見つめる先で英二が周太の瞳を見つめて訊いてくれた。

「どうして周太、これが欲しいって解かった?」

あのとき勝手に見てしまったこと、何て言ったらいいのだろう?周太は困ってすこし口ごもった。
でも全部を正直に話せばいい、そしてひとつ息を吐くと周太は唇を開いた。

「あの…最初にね、青梅署に行った時…英二の部屋にいたときにね、カタログを、見て…それで…ほしいのかな、って思って」
「あ、デスクの上に置いてあったやつかな、周太?」
「ん、…あの、勝手に見て、ごめんなさい…あの、その時計、…違った、のかな?」

どうしよう?もしかしたらもう違うものが欲しかったかもしれない。
それにこんな贈り物をすること自体が初めてで、なんだか困ってしまって顔が熱くなってくる。
そんな周太にうれしそうに英二は笑いかけてくれた。

「俺ね、周太?このクライマーウォッチ、ほんとは欲しかったんだ。
 でも俺は山の初心者だからさ、まだ贅沢だなって思って諦めたんだ。でも周太から貰えるなんてさ、俺、うれしいよ?」

ほんとは欲しかった、そう言ってくれる。
貰ってくれるのなら喜んでくれるなら本当に嬉しい、そっと周太は訊いてみた。

「…そう?…英二、喜んでくれる?」
「うん。だってね、周太?腕時計をさ、周太から貰えるだなんて幸せだよ?俺、一生大切にする」

そう言って笑った英二は、ほんとうにきれいだった。
よかった幸せだって言ってくれる。うれしくて周太は微笑んだ。

「…ん、そんなに喜んでもらえて、うれしいな」

微笑んでいる周太に、そっと英二はキスをしてくれた。
そんなキスもうれしくて気恥ずかしくて。ほらまた首筋から熱くなってくる、すこし困りながら周太は微笑んだ。
その隣では英二が今しているクライマーウォッチを外していく。そして周太からの贈り物を嵌めた。

よかった受け取ってもらえた。
どうかこのクライマーウォッチがずっと英二の左腕で時を刻んで、英二とどこまでも一緒に行ってくれますように。
そう見つめる周太に、うれしそうに英二は微笑みながら訊いてくれた。

「ね、周太?こんなに良いものを俺、貰ったんだからね。周太の欲しいもの教えてよ?そして俺からも贈らせてほしいな」

ほしいものは決まっている、もう1ヶ月も前から。
そんな周太の瞳を、こんどこそ教えてくれるといいなと英二が覗き込んで微笑んでくれる。
周太はそっと英二の元の時計を見、英二の目を見つめてきいた。

「あの、英二?…元の腕時計は、どうするの?」
「うん。4カ月になるかな、この時計は俺と一緒にがんばってくれたんだ。だから大事にしたいけど、」

やっぱり英二にとって大切な時計なんだ。
それをねだるのは申し訳ないかもしれない、そんな想いの周太の瞳を英二は覗き込んだ。
そして微笑みかけて英二は周太に訊いてくれた。

「周太の欲しいものって、俺のクライマーウォッチなの?」

どうしていつもわかってしまうのだろう。
心底気恥ずかしくて周太は瞳を伏せてしまった。けれど英二は周太に訊いくれた。

「周太、俺のクライマーウォッチをね、周太はどうするの?」
「ん、…いつもね、腕にしておきたいなって、…思って…
 英二がずっとしていた腕時計だから、…俺、ほしんだ。一緒にいれるみたいで、いいな、って…思って」

もうほんとうに恥ずかしい、真っ赤になりながらも周太は言った。
そんな周太に英二は、幸せそうに微笑みながらもまた訊いてくれる。

「そうしたら周太?お父さんの腕時計は、どうするの?」

周太は父の遺品の時計をずっとしている。そのことを英二はもちろん知っている、きっと気になるだろう。
それも全部話しておきたい、ゆっくり瞬いて周太は微笑んだ。

「ん。父の時計はね、…宝箱にしまっておこうと、想うんだ」
「さっきの、お祖父さんのトランク?」

静かに英二は訊いてくれる。周太は頷いて穏やかに唇を開いた。

「俺はね、英二…ずっと父の殉職に縛られて、本当は、
 …父の記憶から目を背けてきた。13年間ずっと。そして今はね、父の記憶と素直に向き合える。
 だからあの部屋も俺、13年ぶりに開いて大切にできている。だからこそ俺はね、英二…父のほんとうの姿を最後まで見届けたい」

逢えなかった1か月とすこし。その間に英二は決意を重ねてくれた。
そして周太も決意を重ねてきた、その想いに英二は寄り添って聴こうとしてくれる。
そんな英二の想いがうれしくて微笑んで周太は言葉をつづけた。

「父の生きた跡を辿ること、…それが警察の社会では危険なことだって、解っている。
 それでも、きちんと父の全てを知りたい、そして父のほんとうの想いを見つめたい。
 …13年前に父は、誰にも想いを言えないまま死んでしまった…そんな父の孤独の悲しみを俺が知って、受け留めてあげたい。
 …父の息子は、俺だけしかいない。だから、俺が父の想いの全てを知ってあげたい。」

父の想いを全て知ること。
きっとそれを超えなくては自分の人生を歩めない、それくらい全てを賭けて父の想いを辿っているから。
一途すぎる不器用な自分は警察官になど向いていない、けれど父の想いを投げ出すことも出来ない。
真直ぐ見つめる英二に、周太は微笑んで言った。

「父の想いを全て受け取れたら、…そうしたら俺は心からね、ほんとうの自分の生き方を、見つけられると思う。
 本当は怖い、父の想いを辿ること。でも俺は後悔したくない、そして自分の人生を本当に歩きたい。それで英二…
 これはほんとうに、自分でも酷いわがままだって思うんだけど…ね、英二?ほんとうに一緒に父を見つめてもらって、いいの?」

「当然だろ、周太?俺はね、ずっと周太の隣にいたい。そのためなら何でも出来るよ」

そう言ってくれるの英二?
でもほんとうに何でもしてきてくれている。
それはほんとう幸せで、いつも自分を温めてくれる。そんな想いに周太は笑って唇を開いた。

「英二、俺もずっと英二の隣にいたい。だから俺は、これからはね、英二だけの俺でいたい…
 だから父の時計を外して、英二の時計をしたい。そして英二に一緒に、父の想いを抱き留めてほしいんだ。
 これはほんとうに、わがままだって想う…だって俺は英二を巻き込むんだ。
 でも、それでも俺、…離れたくない。だって、…ずっと英二の笑顔を、見ていたいんだ…わがままだけど、…危険なのに、でも…」

そう…こんなのは、わがままだ。
ほんとうは願っていいのかもわからない、それでもどうか願わせて?
だって幸せは一人だけでは見つけれられない、あなたなしでは幸せを見つけられないから。
だからどうか離れないで離さないで?そのために自分は大切な、あなたの腕時計がほしい。
そんな想いには微笑んだ瞳からも、涙がひとすじほほを伝っていく ― どうか願いを聞いてください
その想いに見つめる先で幸せそうに英二は微笑んで答えてくれた。

「わがまま、うれしいよ、周太?だって俺、周太のことだけは、本当に欲しいんだ」

ほんとうに欲しいって思ってくれる?
もっとわがまま言って願っていいの?
そんな想いで見つめる真ん中で、周太は英二を見つめて訊いた。

「俺のこと、本当に欲しいの?…愛して、る?」
「本当に欲しい、周太だけだよ?そしてね、心底、愛している。そのために俺、山岳救助隊にだってなったんだ」

ほんとうだよ?きれいに微笑んで英二は周太を見つめてくれた。
ほんとうにそうだというのなら、もう遠慮なんかしない。
だって欲しいのでしょう、俺のこと?愛してくれるのでしょ?だったら自分の為にどうか願いを聞いて?
そして周太は微笑んで「わがまま」を言った。

「だったら…お願い英二、わがままを聴いて?俺と一緒にいて?
 だから俺、英二のその腕時計がほしい、だって英二、俺のために山岳救助隊の道を選んだんでしょ…
 その毎日を刻んだのは、そのクライマーウォッチなんでしょ?だから…
 だからこそ俺、その時計がほしいんだ、英二の大切な時計だから、俺、ほしい。わがままだけど、でも本音…そしてね、英二?」

またひとすじ微笑んだ瞳から涙がこぼれた。
こんなふうに本音をずっと言いたかった、誰かに受けとめてほしくて、でも誰でもいいわけじゃなくて。
きっとずっと待っていた、この目の前のひとのこと。こんなふうに自分の想い惹きだし受けとめてくれるひと。
もっと聴かせてよ?英二は目で周太を促してくれた。促されて微笑んで周太は続けた。

「これから英二は、最高峰へも登る…その時にも俺の贈った時計は、一緒に英二と最高峰に行けるね?…
 そうして最高峰でもどこの山でも、その時計を見れば、俺のこと想い出してくれる…
 そう想って俺、…そのクライマーウォッチを英二に、贈りたかったんだ。だから、本当にね、わがままだけど、…聴いて?英二」

その「わがまま」こそ聴いて欲しい。
その「わがまま」どうかあなたも望んでいると、言ってほしい想ってほしい。
そう見つめる周太の想いの真中で、きれいに笑って英二は言った。

「言って?周太、わがままも全部を話して?」
「…ん、聴いて?俺のね、わがままを、叶えて」

どうか「わがまま」叶えてください。
そんな想いと真直ぐに英二を見つめて、微笑んで周太は涙ひとすじこぼして願った。

「その英二の腕時計を、俺にください。
 そして英二は、俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
 そうして英二のこれからの時間も、…全部を、俺にください。そして一緒にいさせて?」

想いを告げられた、わがままも願いも言ってしまった。こんなことは「初めて」のこと。
そんな「初めて」が不安になる、自分がこんなこと願って言ってしまって良かったの?
どうかお願い受けとめて?そう見つめる想いのひとは、きれいに笑ってくれた。

「周太、お父さんの腕時計を外すよ?」

きれいに笑って英二は周太の左腕をとってくれる。
そうして周太の瞳を覗き込んでくれた。
わがままも願いも聴いてもらえるの?うれしくて周太は微笑んで頷いた。

「…ん、」

英二の長い指が周太の左腕から父の腕時計を外していく。そして英二のクライマーウォッチを、周太の左腕に嵌めた。
嵌めてくれると英二は微笑みながら時計のフレームを撫でた、本当に英二の大切な時計だとその一瞬で周太にはわかる。
本当にこのクライマーウォッチは英二の大切な時間を刻んでいる。
英二が山岳レスキューの夢に立ち、努力し卒業配置先を掴んで山に生き、山ヤと男の誇りを刻んだ時計。
そんな時間の全ては英二にとって生涯を決めた大切な時でいる。
それを自分が受け取らせてもらった、そっと右掌で時計にふれながら周太は幸せそうに微笑んだ。

「ありがとう、英二…大切にするね」
「うん、俺もね、一生大切にするから。周太のことも時計も」

一生ずっと大切に?そんなふうに言ってくれる気持ちだけでも嬉しい。
そう微笑んだ周太に英二は、きれいに笑って訊いてくれた。

「ね、周太?腕時計の意味を知っていたの?」
「意味?」

腕時計に意味なんてあるの?
どんな意味なのだろう、そう見つめると英二は微笑んで教えてくれた。

「あのな、腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだよ」

…婚約?

婚約ってあの結婚の約束をすること?
その贈り物ってあの結納品というやつだろうか?
そういえば時計を買うときに女のひとが店員にそんなことを訊いていた?
どうしよう?自分はとんでもない「わがまま」を提案してしまったの?

あっというまに熱が昇っていく、こんな恥ずかしいことを自分がしてしまったなんて?
きっと英二は呆れたのではないだろうか?どうしよう嫌われるだろうか?
でも大切な腕時計をくれたから嫌ってはいないよね?
そんなふうに途惑っていると、英二は周太を抱き寄せてくれた。

「ね、周太?時計を贈り合おうって言ったのはさ、周太だね。俺、周太にプロポーズされちゃった。幸せだよ、ね?周太」

心から幸せそうに笑いかけてくれる。こんなに喜んでくれるのはうれしい、けれど知らないでしてしまった。
これからの時間全部、そして一緒に。そんなの確かに本当にプロポーズみたいなこと言ってしまった。
どうしよう?途惑うままに周太は想ったままを口にした。

「…あの、俺、しらなくて…でもじかんがほしいとかいうのって、…あの、同じことになっちゃうのかな…」
「うん、同じだよ?」

きれいに笑って英二は周太にキスをした。
ふれる唇が熱い、ふれる熱から幸せな想いが心へとおりてくる。
重ねられる想いが幸せで、ふれられる熱が温かにうれしくて、その向こうの穏やかな静謐がそっと周太にふれてくる。
この穏やかな静謐が英二の本当の姿、その姿に惹かれて気づいたら隣に受け入れていた。

「…周太、」

そっと離れて静かな声で名前を呼んでくれる。
見つめてくれる瞳がうれしくて、そっと周太は英二を見つめた。
そう見つめてくれる瞳がどこか1か月前と違っている、この違いは何だろう?けれど前よりも惹かれてしまう。
不思議で見惚れていると、そっと英二の腕が腰から背中から抱きしめて、やわらかにベッドへと周太を横たえた。

「…英二?」

どうしたの?そんな想いで名前を呼んで微笑んだ。
微笑んで見つめる視線の真中で、きれいな切長い目がじっと見つめてくれている。
その目が見つめる熱さに、心臓がとまりそうになった。

…いま、もとめられてしまうの?

こんな熱い視線のときは、きっとそう、あの時間が始まってしまう。
でも「絶対の約束」は今夜だと言っていたのに?
そんな想いで見つめても、熱い視線は容赦なく瞳を絡め取っていく。
もう視線だけで息が止まる、呼吸の仕方がわからない…どうなってしまうのだろう?

「…周太、幸せだよ?…ずっとね、一生大切にするから…いま抱かせて?…ゆるしてよ、」

きれいに笑いながら告げる英二の重みが全身にかかっていく。
この重みはこの美しいひとの想い、それから夢と幸せ、そうしたこれからの時間と記憶の全て。
それらを自分はいま腕時計を通して全て受けとって手に入れてしまった、この2つのクライマーウォッチで。
そんな自分がどうして求められて、拒むことなんて出来るのだろう?

真赤になる顔が熱い、けれどどうか逸らさずに。
気恥ずかしい瞳が揺れてしまう、けれど睫伏せずに瞳を絡めて、
どこか緊張に竦みそうになる躰、ほら腕を伸ばしてこの想いのひとを抱きとめて?
そしてどうか1つの勇気よ想いを言葉にして告げさせて?そっと周太は唇を開いて想いを言葉にして告げた。

「ん、…大切にして、英二?…だから、…今このまま、約束を結んで?一生大切にして…」

うれしいままの腕が周太を抱きしめてくれる。
そうして英二は、きれいに笑って周太に約束をした。

「約束する、周太。この時計に周太の想いを見つめて、最高峰にも行くよ。そして一生ずっと周太を大切にする」
「…ん、大切にして?…時計も、…あの、…俺の、ことも…ね、?」

きれいに笑って英二が見つめて、そっと周太にキスをした。
そして静かに離れると微笑んで応えてくれた。

「ずっと大切にする、…ほら、周太?…また、ここにキスするよ?」

そう告げてくれながら英二は周太の右袖を捲りあげると、右腕の深紅の痣へと唇をよせた。
この痣は初めての夜に英二が刻んだものだった。それから会う度にいつも口づけをして痣に重ねている。
そうしてもう周太の右腕には深紅の刻印がされて消えなくなってしまった。
いまもまた強く吸われて噛まれていく、熱くて痛くて消えない英二の唇の刻印。
きっともう一生消えてはくれない、それが今はもう喜びになっている。

「ほら、周太?きれいだね、…こんなに赤いよ?」

唇を離して英二が深くまた刻んだ痣を、長い指で触れて微笑んだ。
きれいで穏やかな静謐とすこしだけ怖い英二の、こんなときの笑顔が今も咲いている。
右腕の痣まだ熱が疼いている、そう見つめた白いシーツの上の右腕に、そっと英二の腕が絡められて掌が握られる。
そうしてまた唇が唇でふさがれて、深く口づけられていく。

「…んっ、」

熱い、熱くて何かおかしくなりそうな英二の口づけ。
どうしてしまうのだろう?そんな熱い感覚に浚われる周太の服に長い指の掌がかかる。
そうして服ごと心まで絡み取られて素肌を午後の日差しに晒されていく。
こんな明るいところで恥ずかしい、お願いだからすこし隠させて、
そんな想いにシーツを惹きよせようとする周太の腕を、そっと長い指の掌が絡めて動けなくされてしまう。

「あ、…」
「ダメだよ周太?ちゃんと見せてよ?…俺、ずっと見たいの我慢していたんだから」

そんなこと言わないで?
よけいに恥ずかしくなるから、これ以上はおかしくなるから止めて?
だって今まだ明るくて何の心の準備もしていないのに?だからお願いすこし待って?
なんとか少しでも譲歩してほしくて周太は、なんとか口を開いた。

「…待って、英二…だって、夜だって、…思って、っ」

言いかけた唇を熱い唇にふさがれてしまう。
そうして脱がされかけた服を絡み取られて、もう逃げられない姿に周太はされてしまった。
どうしてこんなことになったの?途惑いながらも寄せられる想いが嬉しくて、重なる温もりがうれしくて。

「待てない、…だってもう1ヶ月と5日も待ったから…ね、周太?」
「…っ、あ」

長い指の掌がふれる、熱い唇がふれる、腕が足がふれて熱い。
そのひとつひとつから英二の想い伝わって、どれだけ逢いたいと想ってくれたのか解ってしまう。
掻きあげられ梳かれる髪、頬寄せられる頬、額ふれる額、腰にまわされる腕の力。
全てが自分を掴まえて想いのままに求めて、自分のかすかな躊躇いも不安も押し去ってしまう。

「…逢いたかった、ずっと…周太、ね、俺を見てよ…」

自分だって逢いたかった、寂しかった。
こうして求められて温もりを全身で感じて、想いを感じて確信したかった。
揺るがないで「愛されて愛している」と真直ぐ立って迷わずにいられるように、触れて求めてほしかった。
幸せも想いも全てが、あなただけにしかない。そんな想いに周太は英二の頬へとそっと掌を宛てた。

「…英二?…ずっと、見てる…あいたかった…あ、っ」

零れてしまう吐息のなかに想いを告げて、周太は長い腕のなかへと抱き取られていった。
逃げだせない腕のなかで白皙の左肩が唇にふれて、そのまま白い肌へと口づける。
きっと最後に逢った夜にも口づけた場所、想い刻まれたように自分もこの愛するひとに想いを刻んでしまいたい。
そうして1ヶ月とすこしの時間を超えて想いを重ねて、ふたり温もりのなかへとまどろんだ。

ふっと周太は眠りから覚めた。
ベッドにふる陽光は黄昏の薄紅を含んで夕方を告げている。
やわらかな夕暮れの光に自分の右腕が見える、また深紅の痣が刻まれてしまった。
もうこの痣は消えてはくれない。そんな想いで隣を見あげるとやさしい寝息が聞こえる。

…英二、

英二は深い眠りにまどろんでいた。
穏やかな鼓動が抱きしめてくれる胸に響いていく。
そっと静かに周太は身を起こして、穏やかな眠りにある愛するひとを見つめた。
しずかに見つめる寝顔には濃い睫の翳が美しくて深い艶がけぶっている。

…きれいなひと、

その左掌には自分が贈ったクライマーウォッチを握りしめたままでいた。
きっと一度起きて、時間を見たまま眠り込んでしまったのだろう。その長い腕も手も黄昏の光に白く美しい。
自分を抱いたまま眠ってくれていた背中ひろやかで白皙の静謐が美しい。
この美しいひとの人生を自分はもう繋ぎとめてしまった。その想いが痛んで、けれど温かくて周太の瞳から涙がこぼれた。

「…ゆるして、ね…英二?」

ゆるして?自分のこと。
ほんとうは美しいままに美しい人生を幸福を生きられる英二。
けれど自分を英二は求めてしまった、それを拒絶することが自分はできない。
あえて危険を選んでも父の想いと真実を求める自分、そして同性の男である自分。
そんな自分を選んだら英二の幸せも人生も傷がつく。それを自分は解っている、もう最初からずっと。

求められてうれしくて、きれいな笑顔を見つめたくて、ただそれだけの為だった。
それだけの為に自分は、あの初めての夜、卒業式の夜を英二に許してしまった。
それがどんなことになるのか?何一つ解っていなかった、あの時の自分は。
そんな無知だった自分を許してほしい。それでも想いだけは真実だったから、あの初めての夜も。
もう逢えなくなるかもしれない、そんな一瞬の逢瀬の時に全てを懸けて惜しくないと想ってしまった。

「…ゆるして、ください…ね、」

生きて笑っていてほしかった。
きれいな笑顔を見つめていたくて、幸せに笑ってほしくて、生きていてほしくて。
だから初雪の夜に、全てを懸けて「絶対の約束」を結んで繋いでしまった。
冷厳が生命も抱き取る雪山からでも、生きて無事に帰ってほしくて。ただそれだけの願いだった。
英二は絶対に約束を守るから「必ず帰る」と約束すれば、きっと生きて無事に帰ってくる。
そうして「約束」で英二の生命と幸せを守ってしまいたい。それだけだった。
けれど、とうとう2つめと3つめの約束を結んでしまった。

ずっと一緒に暮らすこと。
生涯ずっと最高峰でも自分へ想いを告げること。

どちらも、とても幸福な約束。
けれど英二は自分と約束してしまった。
危険を選んでも父の想いと真実を求める自分、そして同性の男である自分。
そんな自分を選んだ美しい英二、そんな自分と幸福な約束を結んでしまった英二。
それがどんなふうに英二を傷つけてしまうのか?そう考えると苦しくて辛くてたまらない。

それなのに自分は拒絶できなかった、与えられる幸せがうれしくて「運命」だと受け入れてしまった。
そしてとうとう時計を、クライマーウォッチを贈って時間と想いと、誇らかな山ヤの夢まで、全てを自分の想いへと縛りつけて。
そんな自分は残酷だと本当はまだ痛くてたまらない。

「…ごめん、ね…英二、」

ぽつんと想いと一緒に温かな涙が、周太の瞳から零れ落ちた。
瞳から想いと零れる涙はそのままに見下ろす顔へとふりおちていく。
その涙はそっと眠る切長い目の睫に、ゆるやかにふり零れて瞼の奥へと消えた。

「…っん…?」

ゆっくりと切長い目が披かれて、きれいな目が周太を見上げた。
そして英二の顔に、きれいな笑顔が咲いて周太に笑いかけた。

「周太。泣顔も、きれいだね?」

泣いている?自分はいま?
そっと掌を自分の頬に充てて、周太は驚いた。

「…あ、」
「かわいいね、周太は」

ゆっくり起き上がると英二はそっと周太を抱きしめてくれた、素肌を素肌でくるむ温もりに周太の瞳からまた涙こぼれていく。
どうしよう?こんなふうに泣いてしまうなんて?そんな想いに竦んでしまう肩に、温かな長い指がくるんでくれる。
そして周太の顔をのぞきこんで、きれいに英二が笑いかけた。

「周太?ほんとうにね、これは真実だから。だから信じて?」
「…しんじつ?」

つぶやくように訊いて周太は涙のままで見上げた。
見つめる涙の向こうで、英二はきれいに笑って言った。

「俺の運命のひとは周太だ。他の誰でもない、男も女も関係ない。
 代わりなんていない、周太だけ。だから俺の幸せは周太の隣にしかない。これはね周太?ほんとうのことだよ、これが真実。
 そしてほんとうの俺の唯ひとつの想いなんだ、だから信じるしかもうないよ?だってね周太、これだけしか無いんだから」

ほんとうは自分もそう想い始めている。
もう揺らぎたくないと決意を1つ抱いている、けれど自責は消えてくれない。
でも英二が言ってくれるなら信じて良いのだと想える。ひとしずく涙こぼしながら周太はまた訊いた。

「…ほんとうに、俺なの?」
「ほんとうに周太だよ。だからね、周太?俺の嫁さんになって」

「お嫁さん」昼間の新宿の花屋で想ったことがよみがえる ― 子供を贈ってあげられない
それでも自分は自分にしかできない方法で英二を幸せにしたいと願って決意した。
それでもやっぱり「お嫁さん」はきっと難しい、寂しい想いで周太はそっと応えた。

「でも、…俺はね、男だよ…お嫁さんは女のひとじゃないと、…なれないから」

そう、同性で結婚なんて出来ない。
だからね英二、ごめんね?やっぱり女性だったらよかったのかな。
そんな想いに俯きかけた周太を覗き込んで、きれいに笑って英二が言ってくれた。

「できるよ、周太?確かに子供はつくれない、でも入籍はできるよ」
「…そう、なの?」

入籍は戸籍を一つにすること、法律上で家族になること。
そんなことが男同士でも出来るの?驚いて見つめる周太に、きれいに笑って英二が教えてくれた。

「うん、そうだよ周太?俺、法学部出身だからね。そういう方法も知ってるよ?養子縁組の形をとってね、入籍ができるんだ」

いろんな方法があるんだな、驚いて周太はため息を吐いた。
そんな周太を抱きしめる腕にそっと力こめて、英二が笑いかけてくれる。

「今すぐは難しいだろう、けれどね周太?俺は本気でいつか必ず周太と籍をいれるよ?」

本気でいつか必ず。
きっとそういった以上は本当に英二はそうするのだろう。
きっと今とても幸せなことを言われている。そっと周太は顔赤らめて訊いてみた。

「…俺で、いいの?」

「言ったろ?俺にはね、周太だけ。だから周太、覚悟をきめておいて?
 『いつか』が来たらすぐに俺は、周太を嫁さんにしちゃうからね。それまでは俺たち、婚約者だからね。もう他の人は選べないよ?」

―腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだよ―

さっき英二に言われたこと。
自分は英二に腕時計を贈り、英二は今までしていた腕時計を自分にくれた。
そうして腕時計を交換したから、もう婚約したことのなったのだろうか?
なんだかもう顔が赤いままでいる、小さな声で周太は尋ねた。

「あの、婚約者って…」

「うん、俺たちのことだけど?
 だって周太はね、俺にプロポーズして腕時計までくれた。
 もちろん俺の答えはYesだ。だからね、周太?婚約は成立しちゃったよ。だからもう周太は俺の嫁さんになるんだ。覚悟してよ?」

そう言いながら華やかに、きれいに笑って英二は周太を抱きしめた。



(to be continued)


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第30話 誓暁act.4―another,side story「陽はまた昇る」)

2011-12-29 23:48:39 | 陽はまた昇るside story
あなたと一緒に、




第30話 誓暁act.4―another,side story「陽はまた昇る」

あたたかな陽ざしふる天窓に青空が明るい。
その空からふる雪雲の、名残の影がしずかに床をよぎっていった。
雪雲の影がすぎてふる冬の陽のもとで、寄りそった唇がそっと静かに離れると、おだやかに周太は微笑んだ。

「…英二、愛している。…英二をね、信じている…ずっと英二の帰りをね、迎え続ける」

これは自分の覚悟の言葉。
もう揺らぎたくない、もう泣く痛みだって逃げない。
いま自分の頬には涙の跡があるけれど、きちんと伝えて微笑めている。だから大丈夫。
きっと自責は簡単には止んでくれない、きっとまた泣いてしまう。それでも自分は逃げない、揺るがない。

どんな泣いても、愛することはやめられない―
だから覚悟するしかない、それで良いんだと潔くこの唯ひとつの想いに殉じてしまえばいい。

出会ってからずっと、いつも幸せを贈ってくれる英二。
そして卒業式の夜に自分を求めて泣いて掴んでくれた、そのまま自分を守って隣にいてくれる。
そうしてあの日、13年前の事件の決着の日にすらも、英二は身代わりになるつもりだった。
もう今は知っている、なぜあの日に英二は自分のホルスターを見つめていたのか?
そして警察学校の日々に、なぜ英二は自分と同じ拳銃操法を身に付けたのか?
そんな英二はきっと、努力の影に独り泣いた瞬間がたくさんある。それでも自分を愛し続けることを英二は止めない。
そうして英二はずっと、自分への想いに殉じて生きて笑って温もりでくるんでくれる。
だから自分も泣いても逃げない、ずっと微笑んで英二を愛して、英二の居場所でいてあげたい。

だから想う 幸せは、あなたと一緒にしか見つけられない

だから微笑めばいい、もっと幸せになればいい。
きっと幸せな分だけ自責も痛む、それでもいい、あなたが幸せに笑ってくれるなら。
きっと自分は今夜も幸せの痛みに泣くだろう、それでも構わない、あなたが幸福な眠りに安らぐのなら。

さあ、今も微笑んで見つめるよ、英二?
ほら、微笑んで見上げるひと、笑ってくれるよね?
そんな決意と微笑んで見上げる想いに、きれいに英二が笑いかけてくれた。

「うん、信じて周太?俺はね、ほんとに周太の隣だけに帰る。他なんか、いらないんだ」

ほんとだよ?そんなふうに見つめてくれる。
そんな真直ぐで、きれいな目が自分をまた確信でくるんでしまう。

やっぱり自分は「英二の隣」でいることが正しい

そうだと幸せだと想える。
だから与えられる想いに素直に微笑んで、英二に幸せを贈ってあげたい。
きれいに周太は英二に微笑みかけた。

「ん、…俺の隣に帰ってきて?…ね、英二。俺ね、昼ごはんの支度してくるね?ゆっくりしていて?」

そう言って梯子へと向かいかける周太に、英二はくっついて歩いてくる。
どうしたの?そう振り向いた周太に英二は笑いかけてくれた。

「俺も台所へ行くよ?だってね周太、もう俺、ちょっとも周太と離れていたくないんだ」

そう笑いかけながら英二は、すぐ後ろから梯子を降りてくる。
そして下の周太の部屋に着くと、デスクに置いた花束を提げてまた周太のすぐ隣に立った。
うれしいけれど気恥ずかしくて、それでもうれしくて周太は微笑んだ。

「そう?…じゃあ、台所でお茶淹れてあげるね?…あ、ココアとかコーヒーの方がいい?」
「うん。昼飯の前だしな、お茶がいいな。でね、周太?午後は周太のココアが飲みたいな」
「ん、…あとでね、ココアも淹れるね…ね、英二?そんなにくっつくと、階段おりるの、あぶないよ?」

ちょっと困って周太は英二を見あげた。
さっきから廊下を歩きながら、ずっと英二は周太の肩越しに覗き込んで話しかけてくれる。
こんなに寄りそってくれるのは気恥ずかしいけど嬉しくて、そんなに求められて幸せが温かい。
けれど階段とか危ないから、ね、英二?そう見上げた周太に少し首かしげると、きれいに笑って英二は言った。

「うん、周太。じゃあさ、これならいいよな?」

言いながら英二は止める間もなく周太を、花束ごと横抱きに抱え上げてしまった。
一緒に抱えられた花の香と頼もしい腕が幸せにしてくれる。
でも気恥ずかしい、だってこれは「お姫さま抱っこ」だあんなときの。

警察学校の山岳訓練で怪我した後、こんなふうに寮の部屋で抱えて介けてくれた。
あのときも恥ずかしくて、でもこんなにまで意識しないでいた。たんに親しい友達だと思っていたから。
けれど今は恥ずかしい、だって英二は「あんなとき」こうして抱えてベッドや浴室に運んでくれるから。
これから料理するのに緊張させないで?すっかり困って周太は、すぐ間近の端正な貌に訴えた。

「…あの、っ、英二?これだってあぶないから…ね、英二?」
「危なくないよ?だって俺、いつも現場や訓練でもさ、こうして救助者を抱えて山を歩いてるよ?まあ背負う方が多いけどね」

そんなふうに英二は笑って廊下を歩きだしてしまった。
どうしようこんなこと?困って押しやろうとふれた英二の肩に、ふっと周太の手が止まってしまった。
ふれる肩が逞しくなっている、それがニットを透かしても伝わってしまう。
この1ヶ月と少しの間どれだけ英二が全てを懸けて訓練に取り組んだのか、そうして最高峰への夢に懸けているのか。
そんな英二の実直な努力がうれしい、微笑んで周太は抱えてくれるひとへ訊いた。

「英二、ほんとうに努力しているね?…毎日ほんとうに、がんばってるね…」
「うん、周太。俺ね、頑張ってる。
 だって、周太に逢うことまで我慢して俺、ずっと頑張ったんだ。
 ずっと本当は逢いたかったんだ。だからね、周太に褒めてもらえるとさ、ほんとに嬉しいよ。あ、周太?しっかり掴まってて」

うれしそうに笑って応えながら英二は、周太を抱え上げたまま軽々と階段を降りた。
たった1ヶ月とすこしの間に、英二の体も意志の強さもまた逞しくなった。
そんな姿が心からうれしくて周太は微笑んだ、そんな夢に懸けて輝く英二を自分こそが望んでいるから。
やっぱり隣で見つめ続けていたい、もう今こんなに幸せで離れたくない。
そんな想いで見つめる周太を、そっと台所でおろすと英二は笑いかけてくれた。

「はい、到着。ね、周太?俺もうさ、こんなふうに周太を軽々と抱っこして一緒に歩けるよ?だから安心してよ」
「…あんしん?」

訊いた周太の顔を覗き込むように、英二は長身を少し傾けてくれる。
そして英二は、きれいに笑って言ってくれた。

「周太の全部を抱っこして俺は、どこだって軽々と歩けるから。だから安心してよ周太?
 もう俺はね、それだけの力をつけたんだ。周太を抱っこして一緒にずっと生きられるようにね。
 他の誰かの為じゃない、周太だけ。だから安心して、周太?俺は周太だけを抱っこしたくて、いっぱい努力しているんだから」

警察学校の山岳訓練で怪我した後、いつも英二は自分を抱えて背負って、介けてくれた。
最初の頃は自分の重みに英二の腕が震えていた、それが申し訳なくて哀しかった。
けれど日々その震えは消えて、怪我が治るころには不安なく抱え背負ってくれていた。
それは今も続けてくれているの英二?そんな想いが幸せで、周太は微笑んで頷いた。

「ん、…俺だけをね、抱っこして?ずっと一生…ね、英二?」
「うん、周太だけだよ?だからね周太、ほんと言うと俺さ。救助者の抱っこも訓練の抱っこもね、周太のための練習だから。
 もちろん山岳レスキューの責任感と誇りはあるよ。けれど周太のことがね、やっぱり俺には1番だから。だから安心して周太?」

ほら、こんなふうに全てを、自分の夢まで懸けて見つめてくれる。
こんな自分は幸せで、ほんとうに幸せで、温かい想いが心を迫り上げてしまう。
ゆるやかに想いの温もりが昇ると周太の瞳から、きれいなきらめきが頬伝って零れおちた。

「泣き顔もきれいだね、周太は」

きれいに笑って長い指で、英二が周太の頬を拭ってくれる。そして温かなキスで周太の目許にのこる涙をすくってくれた。
こんなに大切にされて幸せすぎて、どうしたら自分は想いに応えられるのだろう?
そう見上げて見つめる想いの真中で、きれいな笑顔がおだやかに咲いて周太を受けとめた。
そうして受けとめられたとき、ふっと想いが響いてことりしずんだ。

…その答えは一生かけて探せたらいい、想いに応えること

そんな静かな決意が周太を温めて、ゆっくり微笑みが充ちてくる。
だってこの想いに応えることが、きっと自分の「運命」だから。
これが運命ならば、この一生をかけて応えを探せばいい。そして答えはきっと見つかるだろう。

いま英二は自分を抱き上げてくるんで幸せにしてくれた、それは女性では自分に与えられない温もりと幸せ。
だから自分も出来るはず、女性には出来ないけれど自分には出来ること。
自分は男で英二の子供は産めない、けれど自分だからこそ贈ってあげられる「幸せ」があるはず。
そう、自分だけにしか贈れない「英二の幸せ」がきっと見つけられるはず。

そんな自分は今はまだ父の為に危険に生きている、けれど必ず了えられる。
だってこの美しいひとが自分のためだけに全てを懸けて生きている、こんな美しいひとを誰もが見離せないから。
だからきっと美しいひとが哀しむ結末にはならない、だから自分も哀しませたくない。
この今も笑ってほしい、そう願える幸せがほんとうに温かい。幸せで周太は微笑んだ。

「…ん、もし俺がね、きれいなら。きっと、英二の所為だよ?」

そう告げられた英二の切長い目がすこし大きくなる。
もとが端正な目だから、大きくなると少し幼顔になるギャップが英二は可愛い。
この顔かわいくて好きだな?うれしくて周太は微笑んで、持ってきたエプロンを着始めながら英二に笑いかけた。

「お茶すぐ淹れるから、座っていて?…ね、英二?」
「うん、周太…」

周太の言葉にうなずきながら、英二はダイニングテーブルの椅子を一脚ひきだした。
その高めの背もたれに腕ぐむと顎を乗せて、調理台に立った周太を見つめて微笑んだ。

「ね、周太?どうして俺の所為なんだ?」

そんなふうに改めて訊かれると気恥ずかしい。
周太は首筋が熱くなるのを感じながら、湯を沸かして茶葉と急須を並べた。
さあどう応えよう?とても気恥ずかしいけれど、自分はもう決意をしたのだから応えないと。
そんな想いと一緒にふりむくと赤らめた頬のままで周太は微笑んだ。

「ん、…英二をね、愛してるって想うから、たぶん…きれいなんだ」

言ってしまって恥ずかしいほらもう顔が真赤にきっとなっている。
けれどそう見つめる先の英二は、すこし驚いた顔から瞬く間に華やかな笑顔が心から咲いた。
こんな笑顔を見せてくれるなら恥ずかしくても頑張れそう?

「周太、俺ね、いまほんとに幸せだ…どうしよう、俺。ちょっと、うれしすぎるよ?」

きれいな低い声が華やいだトーンで笑ってくれる。
こんな声で喜んでくれるひと、自分の方こそ幸せでうれしくなってしまう。
そう微笑んだ傍で、ゆるやかな湯が沸く水音がたって周太は火を止めた。
そうして手際よく茶を淹れると盆に載せて、ダイニングテーブルに静かに運んだ。

「はい、英二。熱いから気をつけて?…ね」
「うん、周太?これもさ『約束』守ってくれているんだ?」

英二には一生ずっと周太が茶もコーヒーを淹れること。
そんな約束を11月に訪れた御岳駐在所の給湯室で、英二は周太にねだってくれた。
そうこれも「一生ずっと」の約束。
もう自分は「一生ずっと」の約束をいくつ英二と交したろう?

「ん、…そうだね、英二。やくそく守ってるね?」
「周太、一生の約束だからね?守ってよ。…あ、旨い。やっぱり周太の淹れたのはさ、旨いね」

きれいに笑って自分の茶を啜ってくれる、ほんとうに幸せそうに。
こんな幸せな笑顔を見つめながら、どうして自分は迷えるだろう?
もうたくさんの「一生ずっと」の約束を交わしてしまった、もう迷えるはずなんかない。
だってこの隣は約束は必ず守るひとだから。もし自分が約束を守らなかったら、きっと哀しませて苦しめてしまう。
この隣のくれる「約束」を自分は信じて微笑めばいい。

「ん、よかった。…ゆっくりしていて?ちょっと俺、仕度始めるね」

幸せに微笑んで周太は、まな板と包丁を出して手を動かし始めた。
火にかけた鍋から台所に湯気がくゆりはじめる。パスタを茹でる鍋にセットした蒸籠で蒸野菜も同時につくっていた。
人参ポタージュの鍋を火からおろすと、次にフライパンをかけてクルミを炒っていく。
その肘にふと温もりがふれて肩口を振向くと、楽しげに英二が覗き込んでいた。

「ね、周太?それは何を作ってるところ?」
「ん、…鶏をね、クルミを混ぜた衣で焼く、よ?…だからクルミを炒って、香りをだしているところ」
「旨そうだね、周太。俺ね、クルミの衣って初めて食うよ。楽しみだな」

ほんとうに幸せそうに微笑んで英二は、周太の肩越しに手元を覗きこんでいる。
こんな笑顔をしてくれると、自分が隣に居ていいのだと素直に思える。
それは本当に幸せでうれしい、そっと周太は微笑んだ。
けれどちょっと距離が近すぎて料理中の今は危ない、遠慮がちに周太は英二を見上げた。

「あの…料理中はね…そんなにちかいとあぶないから…ね、英二、少しはなれて?」
「許してよ、周太?だってさ、もう1ヶ月と5日もさ、俺は我慢してきたんだから」

そんなこと言われても離れたくないよ?
そう目で言い足しながら、周太の肩に顎を乗せて英二は微笑んでいる。
1ヶ月と5日…日にちまで数えて、本当に指折り英二は逢える日を待ってくれていた。
それが伝わって嬉しい、けれど今はすこし困ってしまう。そう周太が途惑っていると英二は周太に提案してくれた。

「じゃあさ、周太。なにか手伝わせてよ?でないと俺、離れられないから」

手伝ってもらうのは良い考えだろう。
いまは英二は青梅署併設の独身寮で生活しているから食事に困らない。
けれどいずれは新人の入寮や本配属先次第で退寮する日がくる。そのとき自分で食事が作れないと困るだろう。
それも英二が自分からやる気になっているなら良いチャンス、うれしくて周太は微笑んで答えた。

「あ、…じゃあね、クルミを砕いてくれる?…いま火から下ろして、すり鉢に移すから」
「うん。周太、お手本見せて?そしたら俺、出来ると思うから」
「はい、…このくらいに砕いて?擦っちゃうと粘りが出るから、こうしてね、叩く感じで…ね?」
「うん、やってみるよ」

こんなふうに一緒に台所に立つ時間も良いな、それも楽しくて周太は教えていった。
いつか英二が独り暮らしする時も困らないでほしい、そしてきちんと食事して元気でいてほしい。
そう思って英二の手元を見ながら周太も自分の調理を進めていると、肩に重みが載せられた。
どうしたのだろうと振向くと、周太の肩に顎を載せて英二が笑いかけている。

「ね、周太?一緒に暮らしたらね、こんなふうに周太をいつも俺、手伝うから」

いつか一緒に暮らす時。
ほんとうにそう、こんなふうに一緒に台所に立って笑い合って。そう出来たらどんなに幸せだろう?
そんな想いに微笑みながら周太は英二に答えた。

「ん、…お願いするね、英二。…でもその前にね、たぶん独り暮らしする時があるよ?その時にも困らないように、ね」
「嫌だね、」

きれいに笑ったままで、英二はバッサリ切るように言った。
どうしたのかな?そう見つめる周太を見つめ返して英二は言った。

「前にも言っただろ、周太。俺はね、独り暮らしなんか絶対しないよ?
 いつか俺が寮を出る時はね、周太と暮らすときだけ。周太と一緒だからね、自分で料理が出来なくてもさ、俺は困らないよ?」

「…でも、英二?…新人が入寮する順番とかでね、退寮する都合とか…ね?」
「だからね、周太?それまでには一緒に暮らせるように、俺はするよ」

それまでには一緒に?
そうなの英二?それだと5年くらいの間っていうこと?

もしそうなら5年以内には、自分は父の軌跡を追うことが終わらなくてはいけない。
なぜなら父の軌跡を追う道の配属先は原則強制的に寮住まいとされているから。
けれど任期満了は原則5年、そして特例や幹部候補となれば任期は延長されてしまう。

その任期の切上げは普通は認められない。
それは英二にも解っていること、それなのに英二は「それまでには一緒に」と言ってくれる。
どういうことなのだろう?そっと周太は唇を開いた。

「…英二、…でも俺、…そんなに早くは、きっと…」
「周太、」

きれいな切長い目が周太を真直ぐに見つめてくれる。
その目には強い意志があかるくて、そして英二はきれいに笑って言った。

「俺はね、周太?ほしいものは必ず掴むよ?俺がほしいのはね、周太と一緒の幸せなんだ。
 だから周太の願いも叶える、そして俺は遠慮せずに周太と一緒の幸せを掴むから。だから今、言ったことも俺は叶えるよ」

真直ぐに明確な意思の表明、そんな英二の目に周太は何も言えなかった。
こんな強い意志と真直ぐな目に、どうしたら何かを言えるのだろう?ただ見つめる周太に英二はおだやかに微笑んだ。

「周太、約束だよ?俺は必ず周太の隣に帰る、一緒に暮らす、そして最高峰から想いを告げ続ける。
 どれも一生ずっとの約束だ。どれも俺は全部守るから頷いてほしいよ?『俺が退寮するときは一緒に暮らすとき』これでいいよな?」

ずっと考えていた「いつか」のこと。
父の軌跡を辿り了えて想いの全てを受けとめたら、ようやく自分の生き方に向き合える。
その「いつか」が来た時には必ず自分は、この隣の為に全てを懸けて生きる道に立ちたい。
そうずっと考えて、その「いつか」を必ず無事に迎えたくて支えがほしくて。
だから「クライマーウォッチの交換」を自分は思いついた。

その「いつか」を英二は、英二の意思で決めてしまうと言ってくれている。
それは自分が考えているより時間を早めて「いつか」を迎えたいと言っている。
そんなこと可能なのだろうか?隣に立つ笑顔を周太は見つめた。

「周太、俺を信じて?」

真直ぐな明るい、きれいな目。
穏やかな静謐と思慮深い実直さが美しい、きれいな切長い目
こんなきれいな目をした自分の愛するひと。このひとの言葉を信じて自分は父の道に立っても今日まで生きられた。
だからこれからも信じればいい、警察官としても唯の自分としても。そっと周太は微笑んで応えた。

「ん、…信じてる英二。…一緒に暮らそう、ね?」
「おう、約束だよ?周太」

きれいに笑って英二はそのまま周太の唇に唇を重ねてくれた。
やわらかな熱と一緒に想いが重なって、そっと周太の心へ想いがとけこんでいく。
またこんなふうに温かい約束をくれる、愛する想いの中心のひと。こんな想いを懸けてくれるひと、見つめないではいられない。
そんな想いに微笑んで、静かに離れると英二がきれいに笑った。

「きれいだね、周太は。俺ね、エプロンしている周太って好きだな」
「…ん、そう?…なんか気恥ずかしいけど…うれしいよ」

赤くなった顔が恥ずかしい、けれど温かな安らぎと幸せに周太はくるまれていた。
そんな周太に英二は、クルミのすり鉢を見せて訊いてくれる。

「周太、こんなで大丈夫かな?」
「ん、…上手に出来てるね、英二。ありがとう」

思ったよりもクルミはきれいに砕いてくれてある。
やっぱりやれば上手に英二は出来るんだな、そう微笑んだ周太に門の軋む音が聞こえた。

「…あ、今の、門が開いた音?」

そう言う言葉の向こうで軽やかな飛び石を踏む音が聞こえる。
きっと母が帰ってきた。うれしくて微笑んだ周太の顔を、笑って英二が覗きこんだ。

「周太、お出迎えしてきていい?」
「…ん、ありがとう。きっとね、喜ぶ」

見上げて微笑んだ周太に、英二も笑い返してくれる。
ほら、笑ってくれたね?その笑顔がうれしくて見つめる周太の頬に、そっと英二はキスをした。

「…っ、」
「かわいい、周太」

不意打ちに目が大きくなる、そのまま熱が首筋を昇ってしまう。
どうしよう母が帰ってくるのに赤くなってしまう、またからかわれるかもしれない。

「…あの、だからりょうりちゅうはあぶないからって…うれしい、んだけど…あ、出迎え、おねがい…」

途惑っていつものように話し方もおかしくなってしまう。
どうしようと困っている周太に、幸せそうに英二が微笑んだ。

「お願いしてくれるんだ、周太?うれしいよ、周太の『おねだり』はさ」

きれいに周太に笑いかけると英二は、クリスマスの花束を提げて玄関へと行ってしまった。
すぐに扉の開く音と楽しげな話し声が聞こえてくる。ほっと息をついて周太は調理台へと向かった。
火にかけたトマトソースの鍋を見ながら、そっと頬に掌を宛ててみる。
どこかまだ英二の唇の熱が残るようで、しあわせで周太はそっと微笑んだ。

…クライマーウォッチのおねだりも、喜んでくれるのかな?

きっと喜んでくれる、そう信じているから自分は英二にあの腕時計を買ってしまった。
カタログで見た値段よりも店頭価格は安くなっていた、けれど人気のモデルでプロ仕様だから個数が少ないらしい。
それで取り寄せてもらうことになって、間に合うかすこし心配だった。
けれど周太が店で発注をしたのは雲取山から帰った翌日、あの小部屋を開くために実家へ帰った日の夕方だった。
おかげで充分に間に合って、無事に用意することが出来ている。
どんな顔で受け取ってくれるかな?そんな考え事をしていると母が台所へ入ってきた。

「ただいま、周。いい匂いね?はい、これケーキ」
「おかえりなさい、お母さん。あ、…」

受けとったケーキの箱が大きくて、すこし周太の瞳が大きくなった。
いつも4号サイズの小さなケーキを、13年間ずっと母は買っていた。
なんだか大きなケーキがうれしい、箱をかかえて微笑む周太に母は笑いかけてくれる。

「英二くん、きっとたくさん食べるでしょう?だから大きいのにしたの。どうかな?」

いま母は「英二くん」と名前で呼んだ。
母の黒目がちの瞳を見つめて、そっと周太は訊いてみた。

「ん、…お母さん、名前で呼ぶことに、したの?」
「ええ、」

おだやかな黒目がちの瞳が微笑んで、ゆっくり母は頷いた。
そして周太の瞳をまっすぐ見つめて、静かだけれど明るいトーンで言ってくれた。

「彼は周の運命のひと、でしょう?だから、お母さんにはもう一人の息子になるね?だから名前で呼ぶのよ、これからずっと、ね」

「周の運命のひと」母はそう言ってさらりと認めてくれた。
そして「これからずっと」と母は言う、母は英二の夢を聴いたのだろうか?
そう見つめる周太に母は、黒目がちの瞳を楽しげに笑ませて口を開いた。

「世界一の最高峰で、世界一に周太を愛してるって想ってみたい。
 それはね、きっと最高に幸せだって思いませんか?そんなふうにね、英二くんは話してくれたのよ」

母にまでそんなふうに?
さすがに母には気恥ずかしい、というか誰でもそれは気恥ずかしい。
けれど英二の性格だと、いざとなったら世界中に公言したいと思うだろう。
実直で2番目でも満足する英二だけれど、そういう大らかな明るさも持っている。
だからこれくらいで怯んでいては一生ずっと一緒にいるのは大変、そんな覚悟をしながら周太は母に訊いてみた。

「…ん。お母さんは、なんて答えたの?」
「きっと最高に幸せね。だから無事に登って、必ず周太のとこへ帰ってきて?そう、お願いしたのよ」

無事に、必ず。
そう願ってくれた母の想いが切なくて、ありがたくて周太の瞳が熱くなってくる。
そんな母の願いは「周太を独りにしないでほしい」母は英二に自分を託すということ。

そんな母と周太には身寄りはお互い以外に誰もいない、親戚もいない二人きりの母子だから。
だから周太も知っている、母はずっと心配してくれていること。
母は、いつか母が順縁にこの世を去る時に、周太を独り残す日を心配している。
そして周太の性格を理解しているから、周太には結婚も難しいと解っている。

周太は一途すぎて余裕が無いだけ頑固なうえに、感性が繊細すぎて傷つきやすい。
だから恋愛の駆け引きは到底できないし、女性特有の同調を求める甘えに頷くことも出来ない。
そんな周太は女性どころか人すべてに遠慮と壁を作ってしまう、こういう性格で一家の大黒柱になることは難しいだろう。
むしろ孤独でいる方が楽だし無理な気遣いを続ければ破綻する、そうして自分も周りも傷つけてしまうのが怖い。
だからこそ13年間を周太は孤独を選んで生きてしまった。そして、その哀しみすらきれいに隠すから誰も本音に気づけない。

そのことを理解していると母は、卒業式の翌朝にあの公園のベンチで周太に話してくれた。
だから周太が見つけた相手が英二だと訊いても、母は何も驚かずに当然と受け留めてくれた。
それは外泊日で帰るたびに聴いた話と、一度だけ外泊日に訪れた英二の姿から解っていたから。
そして母は本当に自分を英二に託そうとしてくれている。
こんなに理解してくれている母が、やっぱり自分は大好きで大切にしたい。うれしさと切なさに周太は微笑んだ。

「ん、…お母さん、ありがとう。…ね、英二は何てお母さんに答えたの?」

黒目がちの瞳がうれしそうに楽しげに笑ってくれる。
そして母は、きれいに笑って応えてくれた。

「必ず帰って周太に、ただいまって言います。これは絶対の約束です。そう言ってね、きれいに笑ってくれたの。
 お母さん、ちょっと見惚れちゃった。あんまり幸せにね、きれいに笑ってくれるんだもの。…ね、周?あなたは幸せね?」

ほんとうにそうだ。
あんなに幸せに、きれいに笑ってくれるひとが隣に居てくれる。
そして母にすら認められて今、自分の実家の台所で食事の支度が出来ている。
そんな母も言ってくれた「あんまり幸せに、きれいに笑ってくれる」
そう笑わせているのは自分の存在のため。こんなに幸せな自分はただ微笑めばいい、周太はきれいに笑った。

「ん、お母さん。俺はね、幸せだよ?」

笑った周太に母も微笑んでくれた。
そんな母の笑顔がうれしくて幸せで温かい、そんな想いでいる周太の頬をふっと花の香りが撫でた。
香に振り向くとリビングとつなぐ扉から、英二が花を生けた花瓶と笑って覗きこんだ。

「花、こんな感じで大丈夫ですか?」

きれいな笑顔が冬ばらの横で笑っている。
きれいな華やぐ笑顔、明るくて真直ぐで美しいひと。このひとが自分も母もこうして笑わせてくれる。
このひとは自分から望んでこの家に立ってくれた、そして心から幸せに笑ってくれている。
ただ自分への想いの為だけに笑ってくれるひと。このひとを自分も幸せにしたい、そんな願いと微笑んで周太は食卓を整えた。

14時半になって、母は軽やかに出かけて行った。
食卓での母は周太の手料理とケーキを一緒に楽しみながら、英二の山の話に明るく笑って心底楽しそうだった。
そして帰りは明日遅くなると告げて、次ぎは年明けに会うかな?と笑ってくれた。
そんな母を見送ると英二は、周太を振り向いて微笑んだ。

「ね、周太。周太の『雪山』を見せてよ」
「ん、…花がね、11月より、多くなった、かな?」

そうして並んで雪の庭へはいっていくと、ゆるやかな午後の陽に白銀が明るく輝いていた。
その中にも山茶花の木は真直ぐに空を仰いで佇んで、いつものように静かに迎えてくれる。
さくり音を踏んで木の前に立つと英二は、常緑の梢を見上げて微笑んだ。

「ほんとだね、周太?たくさん咲いて、きれいだ」

山茶花『雪山』は雪の中にも凛と真白に花咲かせていた。
雪残る梢に雪の結晶のような花々は咲いて、常盤の葉は冬の陽光に濃緑を映えさせ輝いている。
この山茶花は、周太の誕生花として父が植えてくれた大切な木だった。

「御岳山の『雪山』もね、周太。たくさん花が咲いているよ。でも、これよりは少ないかな」
「ん、…ここのほうが陽当りが良いから、かな?」

そして御岳山のほうが寒いからだろう、それでも『雪山』は英二が毎日歩くあの山でも咲いてくれている。
ここの陽当たりが少しでも御岳の木にも届くといいな。うれしく花を見上げながら周太は微笑んだ。
そう見上げる右掌が温もりにくるまれて周太は隣を振向くと、長い指の左掌に右掌は繋がれていた。

「すこし手が冷たいね、周太?家に入ろう」

きれいに笑って英二が、そっと繋いだ掌を握りながら言ってくれる。
やわらかく繋いだ掌の温もりが幸せで、けれど気恥ずかしくて周太は瞳を伏せた。
それでも周太は想いを伝えたくて微笑んだ。

「ん、…あ、ココア飲む?」
「うれしいな、周太のココアは初めてだね。きっと甘いんだろな。ね、周太?」

うれしそうに英二が言ってくれる。
別段どうということのない言葉、けれどなぜか気恥ずかしくて周太は想ったままを口にした。

「…なんかはずかしくなるんだけどなぜか…」
「どうして周太?あ、甘いってとこかな?でもね、周太?きっと周太がいちばん甘いと思うよ」

そっと繋いだ掌を惹きながら英二は周太と歩いてくれる。
温かい掌がうれしい、でも言われる台詞がなんだか恥ずかしくて、そしてよく解らない。
自分が甘いってなぜだろう?騙されやすいう意味だろうか、または転がされやすい?
そんなことを考えているうちに、周太は台所に戻ってココアを作り始めていた。
夕食につかう南瓜を蒸す隣で、火にかけたココアの小鍋を練りながら周太は何気なく訊いた。

「ね、英二?俺って、…そんなに甘い?」

甘い人間だから警察官はやっぱり向かないよね?
そう目で訊きながら英二を振向くと、きれいな切長い目が愉しげに笑っている。
どうしたのかなと少し気恥ずかしく見ていると、英二が笑って言った。

「ね、周太?俺もね、周太は本当は警察官に向かないって思うよ。でもそれと甘いことは関係ないんだ」
「…じゃあ、なんで?」

ちょっと気になって周太は訊いてしまった。
だって警察官に向かないこと本当は少し悔しい。本当に好きで選んだ道ではない、けれど努力は人の何倍もしたのだから。
そして英二は本当に「山の警察官」に適性がある、卒配まだ3ヶ月で認められてトップクライマーになる訓練まで掴んだ。
そんな英二がすこし羨ましいと自分も思ってしまう、自分も男だから生きるべき場所を英二のように得たいから。

きっと男だったら誰もが願う、生きるべき場所と仕事を得て輝く人生を掴むこと。
それは努力だけでは掴めない、もって生まれた才能と運をも惹き寄せる強い意志が大切だろう。
その「努力だけでは掴めない」ことに自分はいつも苦しくなる、そして本当は少し悔しい。
だから英二、同じ男として本当は少しだけ悔しくもなるよ?そう目で訊いた周太に、英二は微笑んで応えた。

「ね、周太?警察官が拳銃を持つ意味は、周太はよく解っているだろ?
 警察官は拳銃を持つ、それは人を殺せることだ、それも法で保護された上でね。それはね、周太?
 俺たち山岳レスキューの警察官も同じだよ。俺たちはいつも人命救助に駆けつける、けれど場合によっては拳銃を携行するんだ」

初めて聞く話だった、そして意外で周太は英二を見つめた。
いつも英二の話は山と遭難救助のこと、それから藤岡や国村との会話や吉村医師の話。
それから後藤の個人指導や訓練の話、そうした温かな明るい話題が多い。
それなのに?ぽつんと周太は英二に訊いた。

「…そう、なのか?」

「そうだよ、周太。だってね、俺たちも首都警察だ。そういう事件性も当然あるよ?
 自殺者が紛れ込みやすいように、犯罪者も奥多摩には逃げ込みやすいんだ。
 そして自殺遺体に見せかけた他殺遺体もある。それを見逃すと犯罪を逃す事になるだろ?だから死体見分は真剣だよ。
 でね、周太?犯人が山に隠れている可能性があるとさ、拳銃携行するんだ。だから山岳救助隊は射撃や武道上手い人が多いよ」

そうした術科の得意な人間が多い部署はそれだけ危険が多い。
だから藤岡は柔道有段者だし、国村も射撃の本部特連の選抜経験者でいる。英二も射撃は上級の高得点合格者だ。
それくらい奥多摩管轄は警視庁でも厳しい現場。そう知っていたはずなのに自分はやっぱり甘い、周太は小さくため息を吐いた。
そんな周太の瞳を覗き込んで、おだやかに英二が笑いかけながら話してくれる。

「周太はね、豊かな感受性が素敵だよ?そして穏やかで純粋なやさしさが、本当にきれいだ。
 そんな周太の掌にはね、拳銃なんか似合わない。もっと美しいことに使う為の掌なんだよ。
 だから俺はね、周太は警察官は向かないって思うんだ。なによりね、周太?ほんとうに周太は警察官でいたい?」

自分は本当に警察官でいたいのか?
そのことは前なら疑問を持たなかった、けれど今は違う。
ただ「父の想いを受け留める」ためだけに自分は警察官の道を選んだ、そして自分は本当に何をしたいか見失ってしまった。
それくらい自分は一途すぎて余裕が無い、だから全て終わって余裕が出来たら一度きちんと考えたい。
そして英二の為だけに生きながら自分がやりたい道を見つけたい。
それを英二は解ってくれている、そっと微笑んで周太は英二に答えた。

「ん、…英二の言うとおりだね。父のことが全部解ったら、俺…辞めたいって思っている」

「だろ?だからね、周太。全て終わったら、ほんとうに周太の生きたい道がわかるよ。
 周太は一途だから、今はまだ他のこと考えられないだろう?
 でも大丈夫、全て終わったら周太なら、きっと自分の道を見つけられる。俺はね、そう信じているよ」

そんなふうにも信じてくれる。
そう「生きる意味、生きる誇りを見つけてほしい」それは自分が英二に願ったことだった。
それを同じように英二も自分を信じてくれる、それは男としても幸せでうれしいと素直に想える。
こんなふうに自分の全てを受けとめてくれる英二、ほんとうに唯ひとつの想いのひとだと確信してしまう。
ほんとうに幸せなんだ、微笑んで周太を英二に言った。

「ん、…ありがとう、英二。俺ね、ほんとうにやりたいこと見つかったら、最初に英二、聴いて?」
「うん、周太。最初に聴かせて。だって周太の隣は俺のもの、いつも一番近くにいるから」

いちばん近くで見つめてくれる、そして理解してくれる。
そんな隣がいてくれる幸せに素直に微笑んで、周太はココアを仕上げた。

「ね、英二。カップを出してくれる?…英二のと俺と、あと…その紺色のカップ」
「これかな、周太?」

3つのカップを食器棚から出して英二は、ダイニングテーブルに並べてくれた。
そして紺色のカップを手にとると英二は微笑んで周太に訊いた。

「周太、これが周太の父さんのカップ?」
「ん、そう…ね、英二。父の書斎にね、置いてあげてくれる?」

微笑んで答えながら紺色のカップを受け取ると、周太はココアを注いだ。
ゆるやかな甘い香の湯気をくゆらせながら、カップが満たされていく。
注ぎ終わると周太は、そっと英二に手渡した。

「周太?俺、すこし周太の父さんと話してきていいかな」

きっと最高峰へ行く話をしてくれる。山での時間を父も愛していた、英二の話は父も喜んでくれるだろう。
そんな想いで周太は微笑んで頷いた。

「…ん。英二の話はね、きっと父もよろこぶと思う」

そっと英二は周太の額にキスをして微笑んでくれた。

「すぐ戻ってくるから」

廊下へ向かう英二の背中が広やかで、また頼もしくなって見える。見送ってから周太は額へと掌でふれて微笑んだ。
それから夕食の支度を整えて残りの2つのカップにココアを注ぐと、トレイに載せて周太は階段を上がった。
まだ英二は書斎にいるのだろう、ゆっくり話してくれたらうれしい。
そう書斎の前を通りかかったとき、不意に書斎の扉が開かれた。

「…あ、英二?」
「周太、部屋でココア飲むの?トレイ持ってくよ」

いつものように穏やかに笑って、周太のトレイを持ってくれる。
きっと父との対話を楽しんでくれたのかな。そう思いながら周太は英二に答えた。

「あ、ん…ありがとう、英二。ん、屋根裏部屋ね、陽当り良くて気持ちいいから、…ね?」
「そういうのいいね、周太。あと、遅くなったかな俺?ごめんね、周太」
「いや…ゆっくり父とね、話してくれたなら、うれしい…よ?」

そんなふうに話しながら周太は英二と屋根裏部屋に上がった。



(to be continued)


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第30話 誓暁act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2011-12-28 22:55:30 | 陽はまた昇るanother,side story
冬の花、かおりよせて、




第30話 誓暁act.3―another,side story「陽はまた昇る」

ゆっくり歩きだした足元の雪がすこしゆるんでいる。
ふる太陽の暖かさが緩やかに雪を溶かしていた、明日まで雪は残るだろうか?
もし雪が残ったら今日ここで願った想いも残れる?
そっと想いながら周太は、ときおり零れる滴の光を見ながら歩いていた。

「周太、お母さんは何時に家を出るって?」
「ん、お昼食べたらすぐって…なんかね、夕焼けを見ながら、温泉で呑むって企画?らしい」
「楽しそうだな。ね、周太?周太が温泉で呑んだらさ、どのくらい真赤になるかな。きっと可愛いだろな、試してみたいよ?」

どうしてすぐそういうこというの?
ほんとうに恥ずかしくて困るのに、けれど本当に試させてあげたら…喜んでくれる?
そう考えかけて周太は余計に恥ずかしくなった。

「…だからね英二、そういうはなしはちょっとそとではこまるから…いま真赤になっちゃうから…ね?」
「ほんとだね、周太。真赤で可愛い、こういう初々しい周太がね、俺すごく好きなんだ。ね、試させて?」
「…だめです…今はちょっと、ダメ…」

そんなふうに真赤になっていると、見慣れた一軒のショップの扉を英二は開いた。
そこは前に周太の服を買ってくれたショップだった。
もしかして英二はまた買ってくれるつもりだろうか?でももう貰い過ぎている。
そう周太が困っているうちに、気がついたらもうダッフルコートを試着させられていた。

「英二?これ、あの、」

ブルーがかったライトグレーのヘリンボーン生地が暖かい。
そんなダッフルコート姿の周太に、英二が満足げに微笑んでくれる。

「じゃ、次はこれな?…うん、かわいい周太」

途惑ってしまう周太に気づかぬふうで、英二は冬物のニットを周太に充てていく。
そうして3点きれいな色のニットを選ぶと、ダッフルコートとまとめて英二は抱えこんだ。

「はい、周太、行こう?」

困った顔の周太の手を、そっと英二は掴んでくれる。
そして周太が着ていたショートコートも一緒に持って、そのまま英二は1階のレジへと出した。

「すぐ着たいので、タグなど外していただけますか?」
「はい、ではこちらのコートはニットと一緒にパッキングですね?」

手際よく店員は対応してくれる。
あざやかなパッキングをつい眺めている周太に、英二はダッフルコートを着せかけてくれた。
どうしよう?また貰い過ぎてしまう。そう困っている周太に英二は言う隙も与えないでいる。
そして出来あがった紙袋を受け取って通りへ出ると、周太は遠慮がちに口を開いた。

「…あの、英二?コートとか、…さすがに悪いよ?」
「悪くないよ、周太?似合ってる、かわいいよ。それ温かいだろ?」
「ん、…温かいよ、でも…俺、貰いすぎてるよ、ね?」

あんまり貰うの悪くて申し訳なくて、周太は困った顔になってしまう。
そう見上げる先で、貰いすぎてほしいのに?そんなふうに英二は首傾げて微笑んだ。

「俺が選んだ服を着るとき、周太は俺を想いだしてくれてる。そうだろ?周太」
「…ん、そう、だね…」

ほんとうにその通り。
いつもそうやって自分は英二を想って、英二の選んでくれた服を着る。
そうして選んでくれた長い指の手の温もりをなぞってしまう、それが周太は気恥ずかしい。

「俺ね?たくさん周太にさ、俺を想ってほしいんだ。だから服を贈りたくなるよ?
 それにね、周太。クリスマスには俺ね、コートを贈りたかったんだ。
 それと11月に訊いたよね?『周太が欲しいもの』とさ、2つ贈るつもりでいたんだけど。欲しいもの、教えてよ?」

「欲しいもの」言われて周太の心が大きくノックされた。
昨夜も当番勤務の合間に休憩室でちいさく練習していたこと、けれどまだ今は言えない。
なんだか気恥ずかしくて周太は顔を俯けてしまった。
でも何か言わないと、なんとか周太は唇を動かして声を押し出した。

「…あの、コートとか、うれしい。ありがとう、」

それだけ言うと周太はなんとか微笑んだ。
けれど英二はすこし不思議そうな目で周太を見ている。
やっぱり苦し紛れだって英二には解るよね?けれどちょっと今はダメなんだ。
そんな想いで見上げる英二は、やさしく微笑んで周太のマフラーを巻き直し始めた。

「よかった、受取ってもらえて。いま周太が風邪ひいたらさ、きっと俺にも伝染っちゃうしね。温かくしてて」
「ね、英二?…どうして俺が風邪ひくと、英二にも伝染るの?」

何気なく周太は英二に質問をした。
だって英二は毎日のように勤務前の早朝から雪山へ登るほど元気だ。
そして朝晩の巡回で登山道を登って巡り、休憩時間には岩場でクライミングをする。
そんな健康で逞しい英二が、自分から風邪を伝染されるなんて無いだろう。
不思議なことを言うんだね、英二?そう見上げた隣から英二は微笑で、少し顔を近寄せて周太に答えた。

「だって周太『絶対の約束』だからね、今夜は俺の好きにさせてもらうだろ?そしたらさ、風邪も伝染っちゃうよ」

言われて周太の瞳が大きくなる。
風邪がうつるのは「今夜は俺の好きにさせてもらう」から、って?
そして田中の四十九日に電話で英二が言った言葉が、はっきり思い出されてしまった。

―だからね、俺が服を脱がせたいのは周太だけだよ?だから周太には俺、服をプレゼントしたくなる

だから今日も服を贈ってくれたの?
そういえば「初めてのあの夜」卒業式の夜に着ていたのも、最初に贈られた白いシャツだった。
だから、そういうことだから…いつも服を贈ってくれる、の?
そんな想いに紅潮が昇って治まりかけた赤みが戻ってしまう、それでも周太はなんとか口をきいた。

「…あ、の…まだ、俺…いいとかなにもいってないしそんなかってにきめないで…よ」

いつものように口調が途惑ってしまう、そんな周太に英二はやさしく笑っている。
そしてマフラーを巻き終わった長い人さし指で、そっと周太の唇をふさいだ。
唇ふれる指に想いをのんだ周太に、きれいに笑って英二が静かに告げた。

「だめだよ、周太。『絶対の約束』なんだからね。言うことをさ、きいてよ」

そう言って微笑んで英二は周太の右掌を長い指の左掌に繋ぐと、またコートのポケットにしまいこんだ。
こんな不意打ちづくしもう何も言えない、途惑いと幸せで周太は真っ赤に困ってしまった。
どうしたらこの赤み治まってくれるの?すっかり困りながら顔を伏せ気味に歩いていると、ふっと英二が立ち止まった。

「すみません、クリスマスの花束をお願いできますか?」

英二の声に顔を上げると、いつもの可愛い花屋に立っていた。
この駅近い花屋は今日も明るくて、たくさんの花々がクリスマスの雰囲気にディスプレイされている。
きれいだなと見ている周太の隣で、英二は前にもお願いした売子と花を選び始めた。

「またお越しいただいて、ありがとうございます。今日はどんな方へ?」
「ありがとう。先月と同じです、瞳がきれいな、ね」
「その方なら、あわいお色がよろしいですね?」

そんなふうに微笑みながら彼女は、パステルトーンの花を選んでくれる。
紅あわい冬ばら、ばらの赤い実、白いクリスマスローズ、雪柳。きれいにまとめて、リボンをかけてくれる。
優しい雰囲気のクリスマスの花束、きっと母は喜ぶだろう。うれしく眺めて、ふと周太は気がついた。
手際よく花をまとめていく彼女の目線が、ときおり英二へ密やかに向けられている。
そんな彼女の微笑は微かな艶をふくんできれいだった。

…あ、

きりっと周太の胸が痛んだ。
その艶の意味が今の自分にはもう解るから。
英二を想う自分の顔が窓や鏡に映るとき、いつも同じような艶を自分の瞳に見つめているから。

…きっと英二を、見惚れている、よね

そっと心つぶやいた言葉の、痛いような熱いような感覚に迫り上げられて周太はちいさな吐息をついた。
ほんとうは少しだけ彼女が羨ましいから、自分の心の言葉に傷ついた。
だってほんとうは、すごく哀しいけれど本当は…もし自分が女性だったら?そう考えたこと本当はあるから。
もし女性だったら英二の子供を産んであげられる、そして温かい家庭を贈ってあげられる。
そんな「普通の幸せ」で英二を温めてあげられる。
けれど自分は英二と同じ男で、それは出来ない望みだった。
このことを想うとき、いつも哀しくなる。だって自分は英二の「普通の幸せ」の為に何をしてあげられるの?

…でも、離れるなんて出来ない

もう愛してしまった、自分の全てを懸けて。
だから今更もう離れるなんてできない、だって自分の全てを英二に渡してしまったから。
きっと離れたら自分は立っていられない、それに覚悟だってとっくにしてしまっている。
あの「初めての夜」卒業式の夜と、初雪の夜と2度の覚悟で自分も選んだ。
そのほかの瞬間も何度も望まれて自分も選んで、自分の隣に英二が立つことを許してしまった、だから自分も逃げたくない。
けれどいま「わがまま」を告げることには迷いを抱いている―自分から望むことは許されるのだろうか?

「お待たせ、周太」

名前を呼ばれて目を上げると、きれいな笑顔の英二が花束と佇んでいた。
薄紅と白と、霜まとうような緑の葉が美しい花々を抱えて、おだやかに英二は微笑んでくれる。
そうして花を抱いて立つ端正な長身の姿は、やさしくて華やかで明るくきれいで。
そんな英二に色んな視線の賞賛がふるのが自分にはわかる、心惹きつける輝きは隠れないから。

英二は生来の美貌だけでも人を惹きつける。
そして今の英二は素直な自身のままに、山に生きる想いに輝いている。
だってもう英二は憧れ努力し掴んだ、山ヤの誇らかな自由に生き始めているから。
そんな誇らかな自由のまばゆさが端正な美貌を明るませて、どうしたって心惹いてしまう。

…きれいなひと、

そんなひとをこの自分が、自分の隣に求めて繋ぎとめて良いの?
そんなふうに立ち止まってしまう、こんなふうに衆目ふる英二を見ていると。
だって自分は危険を選ぶ道にいる、そして男で、子供も家庭も贈れない。
それなのに、こんな美しいひとの幸せのために何が自分にできるというの?
こんな自分に、このひとを繋ぎとめる資格なんてあるの?
そんな哀しい自責が心を痛ませる、今だって本当は涙を心と瞳の深くに止めている。

もう2度も覚悟した、それでも哀しい自責は止んではくれない。
きっと愛するからこそ、想いが深まるからこそ哀しみも深くなる。
だって愛するほどに唯ひとつの願いが強くなる、

―このひとに本当に幸せになってほしい

そんな想いに幸せを贈りたくて何かする、そのたびに喜ばれて幸せな笑顔を見せてくれる。
そんな笑顔がうれしくて、温かな幸せに自分もくるまれて、見つめていたいと願ってしまう。
そうして見つめるたびにまた、このひとの幸せを祈るなか哀しい自責も痛みだす。
いつもそう、温かな幸せと哀しい自責が織り合わさって心を深く涙がわきおこる。それが苦しくて、痛い。
それでも離れられなくて、きれいな笑顔を見つめていたくて、この隣に佇んでしまう。

けれど英二は衆目なんて気にしない。
いつもそう、雲取山でも新宿でも変わらずに、ただ自分だけを見つめてくれる。

「これさ、お母さん喜んでくれるかな?」

この花束どう思う?そんなふうに英二は目で訊いてくれる。
ほらこんなふうに、英二は自分を想って母まで大切にしてくれる。
こんなに想ってくれる英二を自分は、拒絶することなんて出来ない。こんな一途な想いを自分は壊せない。
どんなに何度も心を深く涙がわきおこるとしても、苦しくて痛くても。

だって知っている。美しい心も体も時間も全てかけて、英二は自分だけを見つめてくれること。
どんなに逃げても強く掴まれて、いつも離れられなかった。
だから本当は知っている、あの美しい最高のクライマーですら英二の想いは掴めない。
それくらい英二は全てを懸けて自分だけを見つめ続けてくれる。だから自分は想いに応えたい。
そして本当は知っている、どうしたら想いに応えられるか?

さあ瞳、この幸せな想いに微笑んで?
さあ唇、くれる温もり幸せに想いを言葉にして?
この心に抱いた1つの勇気よ、想いを伝える強さを自分に与えて?

「ん、…母にまで、ありがとう…すごくね、うれしい」

ほら、告げられた。
告げて見上げる英二が幸せそうに、きれいに笑ってくれる。
きれいに微笑んで右掌を長い指の左掌に繋いで、コートのポケットに仕舞ってくれた。
そのままコンコースの片隅へと周太を連れて英二は微笑んだ。

「おいで、周太」

きれいに笑って英二は、抱えた花束の隣に周太を惹きこんだ。
花の香が周太の頬を撫でる、花束と一緒に抱えられて周太は英二を見上げた。
どうしたの、英二?そう目だけで訊いた唇に、そっと熱い唇が重ねあわされる。
ふっと花の香が唇に誘われて周太の唇へふれはいった。

― 逢いたかった、

花の香と想いが重ねた唇から忍び込む。
おだやかで清楚な冬ばらの香、ふれる熱い唇の想い、抱きしめてくれる腕の力。
その全てから英二の想いがあふれて周太の心を浚いこんだ。

― 逢いたかった、
  ずっと逢いたかった、ずっと一緒にいたいんだ
  ふれたかった抱きしめたかった、もっと温もりを通わせたい
  恋しかった募る想い苦しかった、いつも想ってる愛しているんだ

ほんとうに?英二…そんな小さな想いが重なる唇へ昇りそうになる。
ほんとうに自分のことを求めているの?どうしてそんなに自分なの?
いまこうして伝わる英二の想いが苦しい、しあわせな想い誘われる分だけ痛くなる。
だって幸せな分だけ自分は自責に苦しくなる、英二の隣でいる幸せと自責の狭間が本当はもう辛いから。

―だからもっと愛してよ?俺をもっと想ってよ、もっと俺のこと掴んで愛して

もうそんなに求めないで?
もう苦しい、愛する分だけ強くなる自責に壊れてしまうから。
愛するほど願う「英二の幸せ」それを壊すのが自分の存在だと思いしらされてしまうから。
けれど拒絶もできない傷つけたくなくて。でも苦しい、これ以上もっと想うなんて出来ない。

…もう無理かもしれない

そんな想いに周太は少し英二の体から離れようとした。
けれど長い指が髪をからめて惹きよせて、周太を深く抱きこんだ。
そして重ねた唇のはざまで、微かな音無い声に英二が「想い」を囁いてくれた。

「― 幸せは「あなたの隣」だけだから…ずっと俺だけのものになって俺の帰る場所でいて?―」

幸せはあなたの隣だけ― ふれる唇から、強い腕から、抱きとめる胸の鼓動から、長い指から。
ひとつひとつから想いが伝わって、心を深くわきおこる涙へと英二の想いが融けていく。
そして英二の想いが周太の心響かせていく、ただ一途きれいな想いが届いてしまう。
ほんとうに?そんなふうに訊くことすらもう出来ない、きれいな一途な英二の想い。

…この想いを拒めない、

きれいな一途な英二の想いに涙ひとすじ、周太の瞳からこぼれた。

…この想い全て、守って応えてしまいたい

ほんとうはすこし迷っていた。
自分がクライマーウォッチを英二に渡すこと、そして英二の時計を自分が贈られ嵌めること。
クライマーウォッチなら英二は常に身に着けて最高峰にだって連れて行く。
そして時間も高度も方位も全てをその時計で見る、そうして見るたび自分を想い出させてしまいたい。
そんなふうに英二のこれからの時間全てを、自分への想いで埋めさせて、英二の時間全てを独り占めしたい。
そして。
いま英二が嵌めているクライマーウォッチは、英二の人生で大切な時間と想いを刻んだ時計。
それを自分が腕に嵌めて英二の大切な時間と想いを、自分が独り占めして見つめたい。
この父の時計を外して英二の時計をしたい。そして英二に一緒に父の想いを抱き留めてほしい

そんな意味を持ってしまう「クライマーウォッチの交換」これを自分が望んでいいのか?
そうして自分が英二の過去と未来と、すべての時間と想いを独り占めしていいのか?
そんなふうに迷っていた。

だって英二は本当に美しくなってしまった、この逢えなかった1ヶ月と少しの間なおさらに。
大人の男として山ヤとして美しくなった、山岳救助に立つ警察官の日々と「山」に生きる想いが英二を輝かせた。
そして英二は選ばれた、あの美しい最高のクライマーと最高峰へ立つ山ヤの美しい夢に望まれてしまった。
だから自分は迷い始めてしまった。
そんな美しい英二には、自分の隣よりもっと相応しい場所があるかもしれない?
そんな迷いと悲しみが心のどこか痛み始めていた。
本当に愛する唯ひとり、だからこそ本当に幸せになってほしくて、迷っていた。

…でも、もう、迷ってはいけない、ね?

もう今このときに、英二の想いを自分はしってしまった。
この想いの全てに応えられるのは自分だけ。
この花の香と強い腕に抱かれて今、熱い唇の想いに知らされた。

―もし運命があるなら、この美しいひとが「運命」

そんな静かな確信と決意が、心の深くわきおこる涙すら呑みこんでいく。
だから想う「運命なら従えばいい」そして唯まっすぐ見つめればいい、このひとの想いだけを。
花の香の翳、重ねられた熱い唇の想い。こんなに美しい想いを伝えてくれるひと、自分こそが守りたい。
たとえ誰に謗られても悲しませても、この想いのひとを守りたい。
きっとこれからも自責は痛み自分は苦しむだろう、それでも求めに応えたい。

もう自分は初雪の夜に、この美しい隣の幸せの為だけに生きると決めている。
そして抱いた1つの勇気のままに告げればいい。
だから今日は自分から想いを告げる。
この隣の時間を受けとる願いを告げて、生涯の約束を結んでもう逃げない。

― きみを愛している 幸せは、きみと一緒にしか見つけられない

そっと静かに熱い唇が離れていく。
離れていく熱、残される花の香。そして心刻まれた「決意」に静かに周太は微笑んだ。
静かに離れると熱のこされた周太の顔を見つめて、きれいに英二は微笑んだ。

「きれいだね、周太は」

もし自分が、きれいなら。それはいま、この瞬間に心刻まれた1つの決意のため。
そんな想いに微笑んで、でも気恥ずかしさに周太は顔赤らめて応えた。

「…はずかしい、…でも、ありがとう」

ほんとうに「息をするごとに」自分は変わっていく。
この隣への想い1つに、1つの勇気を抱いて1つの決意を刻んだ。
そうして少しでも多く幸せな笑顔で充たしたい、この隣が幸せだと心から、きれいな笑顔でいるように。


今日の実家は静かな雪の梢に佇んでいた。
どの木の枝も雪に折れていないらしい、ほっとして周太は微笑んだ。
この間すこし剪定しておいて良かった、もし雪の重みで折れたら可哀そうだった。
みまわす庭の花たちも雪に傷められてはいない、冷たい雪に冬の花は凛々しい立姿を見せてくれる。

…自分もあんなふうに、立っていたい

そっと微笑んで周太は踏んでいく飛び石へと目を移した。
庭をぬけ玄関へ続く飛び石は雪を掃き清めてある、母は朝忙しいだろうに気遣ってくれた。
そんな母の想いに周太はそっと感謝に微笑んだ。
そうして玄関の前に立つと、なつかしそうに微笑んで英二は周太に訊いてくれた。

「ね、周太?俺が鍵を開けてもいい?」

訊きながら英二は喉元にふれた、その指先には黒い革紐がふれている。
その紐の先には元は父が使っていた合鍵が結ばれている、きっと遣ってもらえたら父も喜ぶだろう。
周太は微笑んで穏やかにうなずいた。

「ん。…英二が開けてあげて?…きっとね、喜ぶから」
「じゃあ、周太?『初めて』をこれからするよ、」

きれいに笑って英二は、革紐を首から外すと合鍵を持った。
ちいさな普通の合鍵、けれど英二は宝物にしてくれる父の遺品の合鍵。
すこし見つめてから英二は鍵穴へ静かに鍵をさしこんだ、そして扉はかちりと微かな音と一緒に開かれた。

「ほら、ちゃんと開けれたね。周太?」

うれしそうに英二が笑ってくれる、その笑顔が嬉しくて周太は静かに微笑んだ。
だって父の合鍵がまた再び遣われた、この合鍵は13年以上の時を経てまた役目を果たした。
どうが英二がこの合鍵で、ずっと無事に帰ってきてくれますように。そんな願いと一緒に周太は玄関をのぞきこんだ。
その玄関にはまだ母の靴はなかった。

…お母さん、やっぱり帰っていなかった、な

きっとまだ仕事が終わらないのだろう、スーパー経営会社の営業部門だから年末この時期の母は忙しい。
でも今日は旅行もあるし午前中に帰るって言っていたのにな。すこし周太は寂しく玄関先を見つめていた。
そんな周太の視界へ軽やかに英二が玄関へ踏み込んだ。

「周太、」

玄関の中から振り向いて、英二は周太に向き合った。
そして周太の瞳を見て英二は、きれいに笑って周太を迎えこんだ。

「おかえりなさい、周太」

ずっと自分は孤独だった。
いつも誰もいない家に帰って、そして母を迎えるために家事をする。
そうして少しでも多く母と話す時間を作りたくて、自分は家事を身につけた。
そんなふうに母を援けて、いつも自分が母を迎えて安らがせたかった。
だって警察官になったらもう、いつ再び一緒に暮らせるか解らなかったから。

けれど本当はいつも、誰かに笑って迎えてほしいと願って、心で泣いていた。
そして今、きれいな笑顔が玄関から自分を迎えてくれる。

「おかえり、周太?」

もういちど呼びかけられて、心に想いが熱を持っていく。
そんな心から想いあふれて瞳から涙が生まれてしまう。

…ね、英二?どうしていつも、わかるの?

そんなふうに微笑んだ周太の瞳から、ゆるやかに涙がおちた。
どうしていつもこんなふうに、幸せをくれるのだろう?
そんな想いに伝う温かな涙が唇こぼれて、そっと周太は微笑んだ。

「ん、…ただいま、英二」

きれいに笑って周太は「ただいま」を言った。
その言葉に微笑んで長い腕をのばすと、英二は周太を抱きしめて瞳覗き込んだ。

「ね、周太?」

名前を呼ばれて周太は英二を見上げた。
見上げた想いの先で、うれしそうに英二は笑って周太の唇へとキスをした。

「周太は俺の帰りを信じて、待っていてくれるだろ?
 俺だってね、周太の帰る場所でいたいんだ。だから俺はね、ずっと周太を迎えて『おかえりなさい』って言いたいよ」

ずっと迎えてくれるの?
ほんとうに俺でいいの?ずっと迎えてくれるの?
そう出来たらほんとうに、どんなに幸せでうれしいだろう?
そんな願いが叶うならいい、いまも幸せが温かくて素直に周太は微笑んだ。

「…ん、ただいまも、言わせて?…いま俺ね、すごく幸せなんだ。…ありがとう、英二」
「周太が幸せだと俺、ほんと嬉しい。ね、周太?もうひとつの周太の部屋に入れてよ」

きれいな笑顔でねだってくれる、そのひとの想いがうれしくて幸せになる。
自分のもうひとつの部屋、自分には宝箱のような小部屋。そして父の記憶と想いが温い大切な小部屋。
あの部屋に英二の想いと記憶も温めたい、そして愛するひとの名残も宝箱の小部屋に納めたい。
そんな想いに周太は微笑んで英二にお願いをした。

「ん、入って?…英二にはね、…俺の部屋にね、座ってほしい」

磨きこまれた深い木肌の階段をあがって、周太は自室の扉を開いた。
その扉のむこうで頑丈な木梯子が、重厚な木造りの襖戸から階段状にきちんと架けられている。
その梯子を英二が見つめてくれる、周太は微笑んで話しかけた。

「それはね、…父がね、作ってくれたんだ」
「周太の父さんが?へえ、すごいな。こういうことも出来るんだ」

素直に褒めて笑ってくれる、本当に率直できれいな英二。
こんなふうに英二はいつも父のことを、真直ぐに見つめて憧れてくれる。
それが本当に嬉しくて、警察学校の寮で屋上でときおり父の話を英二だけにはした。
そのたびいつも素直に褒めてくれて「殉職した警察官」という枠には英二だけは執われないでいてくれた。
そんな英二の率直さが自分の心を開いて、隣にいることが自然になっていった。

だからいまも、この部屋に英二は入ってほしい。父の想いと記憶ごと自分を受けとめてほしい。
そして抱いている想いのままに、この部屋に英二の気配を残して見つめられるようにしたい。
そうしたら英二が最高峰に立つときも自分はこの部屋で待てるから。
そんな想いに周太は英二に微笑んだ。

「登って?英二、」

そう言って周太は鞄を置いて父の梯子を登った。
登った部屋は今日も明るい太陽に満ちている、穏やかな静謐が陽の光と佇んで温かい。
そっと立った窓辺からは雪の庭が見える、それから雪つもる屋根の白銀と青い空。
きれいだなと眺めた背中に、無垢材の床を踏む静かな音が聞こえて、ゆっくり周太は振り返った。

自分の宝箱の部屋に英二が立っている。
白い漆喰塗の天井と壁に木製のやさしい家具たち、そんな4畳半くらいの白とベージュの空間。
そこに愛するひとが佇んで、ゆっくり切長い目を動かして部屋を見てくれる。
その目をふっと天窓にとめ、それから周太を振り向いて英二は微笑んだ。

「周太?俺、この部屋がね、大好きだ」

天窓からは冬の陽光と空の青があざやかだった。
きっと英二も天窓の空を特に気に入ってくれた、そんな様子に周太は微笑んだ。
あの天窓は周太も好きだった、好きなものを同じように好んでくれる、それが幸せでうれしい。
そんな周太の隣へ英二は歩みよると、瞳を覗き込んで笑いかけてくれた。

「ね、周太。この部屋にあるんだろ?周太の採集帳」
「…ん、そう。見てくれるの?」
「周太がよかったら、見せてよ?」

ほら、ほんとうに自分の好きなものに興味を示してくれる。
うれしくて微笑んで周太は古い木製のトランクの前に座った。かちんと音をたて鍵をあけると、ゆっくり開いていく。
このトランクは周太の宝箱だった、中には幼いころの採集帳たちと2つの小さな宝物いれの木箱を納めてある。
周太の隣からトランクの中を見て、やさしく英二は微笑んだ。

「見ていい?」
「ん、」

周太がうなずくと英二は丁寧に採集帳を手にとってくれた。
長い指で開いてくれるページには、幼い頃から父と集めた葉や花たちがページに納まっている。
草花に添えたラベルには自分と父の筆跡、父はラテン語で学術名を書いてくれた。
そのラベルを見つめた切長い目が心から賞賛して、きれいに英二が微笑んだ。

「周太の父さん、すごく字がうまいな」

ほら、また父を褒めてくれる。
大好きな父を心から褒めて尊敬してくれる、うれしくて周太は微笑んだ。
またすこし父のことを話したいな、少し首傾げながら周太は英二に教えた。

「ん、…父はね、英文学科だったらしい。それでね、ラテン語とか得意だったみたい」
「ふうん、ほんとに博学なんだろうな。やっぱり周太の父さんって、かっこいいな」
「ん。父はね、かっこいいよ?」

ほら。いつものように父の話を聞いて、憧れが英二の目に見える。
こんな率直に父を見てもらえて嬉しい。そしてまた英二を好きになってしまう、こんな率直さが素敵だから。
こういう英二をずっと見ていたい、こうして隣で笑っていてほしい。
でもそろそろ昼ごはんの支度をしないといけない、そっと周太が立ち上がると英二が見上げてくれる。
そんな英二に微笑んで周太は、窓辺のロッキングチェアーを指さした。

「俺ね、昼ごはんの支度するね?…よかったら英二、あの椅子に座って、ゆっくりしていて?」
「周太、この椅子も周太の父さんが作った?」

そう、父が作ったもの。
ずいぶん昔に作られたらしいのに、今も頑丈できれいな木製のロッキングチェアー。
この椅子は自分のお気に入り、英二も気に入ってくれるだろうか?

「ん、そう…祖父の為にね、学生の頃に作ったらしい」
「おじいさんの為に?」
「ん、…この屋根裏部屋はね、元は祖父の書斎だったらしい。そのトランクも祖父のなんだ…あ、本棚もね、父が作ったらしい」
「へえ、すごいな周太の父さん、」

椅子、本棚、梯子、どれも頑丈だけれど繊細な雰囲気が周太は好きだ。
父はこういう手仕事が上手で庭のベンチも作った、そんなふうに家のあちこちに父の作品は佇んでいる。
この部屋の家具たちを見る英二の率直な想いがうれしい、そんな幸せに微笑んで周太は梯子へと歩きかけた。

「じゃあ、英二?ゆっくりしていてね、…あ、よかったら、父の書斎の本とか、読んで?」

そう背を向けかけた周太の後ろで、英二の気配が立ちあがった。
どうしたのかな?そう振り返りかけた周太を、そっと英二が背中から抱きしめてくれる。
その腕がほんの一瞬ふるえて、でも温かく力強く周太を抱き籠めていく。

「…あ、…英二?」

肩越しに見つめた英二の目が真直ぐ周太の瞳を見つめる。だから解ってしまった、きっと大切な話をする。ね、英二?
ほんとうはもう解っていた、この部屋でも英二は「決意」を話すだろうと。
そのために冬至の日、自分はこの部屋の掃除をして心の整理をした。あの日はそうして覚悟をして。
そんな想いに見つめる英二は、静かに周太へと訊いてくれた。

「周太、あらためて訊くよ?…俺は、最高峰へ登ってもいいかな?
 最高のクライマーの最高のレスキューを務めて、最高峰から笑って周太に想いを告げたい。
 そんなふうにさ、ずっと国村のね、生涯のアイザイレンパートナーを俺、やってもいいかな?」

ほらやっぱり、話してくれた。
そして本音がもう瞳からこぼれてしまう、だってここは宝箱の部屋だから素顔になってしまう。
そんな素顔の自分は涙が止められない。

だって本音は ― 離れたくない、独りは嫌、ずっと傍にいて?
けれどこれも本当の気持ち ― 想いのまま生きて輝いて幸せでいて、きれいな笑顔を見せてほしい

そして自分の心からの願いは、ずっと幸せに生きて、きれいな笑顔で笑っていて?

ぽとんと涙ひとつ、愛するひとの腕にこぼれおちた。
そんな自分の瞳を愛するひとが覗き込んでくれる、やさしい穏やかな意志の強い目で。
そんな優しい目で見つめられたら、素直になって涙を止められないのに?

「…英二、…帰って、きてくれるんでしょ…必ず、俺のとなりに…いつだって、どこからだって…だから、…信じてる」

ふるえる唇から想いがこぼれてしまう、想いに本音と決意と勇気がとけあっていく。
そしてこの美しいひとを愛する想いがまた深くなって、ひとつの勇気が強くなる。
ほんとうは不安で心配で怖い、そんな想いが尚更に自分に気づかせてしまう。

―もし運命があるなら、この美しいひとが「運命」

そんな静かな確信と決意に想う「運命なら従えばいい」そして真直ぐ見つめればいい。
このひとの想いだけを、自分の唯ひとつ愛する想いを見つめていればいい。
こんなに美しい夢と想いを伝えてくれるひと、自分こそが守りたい、どんな痛みがあったとしても逃げたくない。
もう自分は初雪の夜に、愛するひとの幸せの為だけに生きると決めている。
だからこの愛するひとの望みをただ、静かに受け留める1つの決意を抱けばいい

「うん、周太。絶対に俺は帰るよ、だから俺を信じて。そして…ありがとう、周太」

ほんとうに、信じさせて ― 抱きしめてくれるひとに周太は静かに向き合った。
そう見つめる想いのひとは真直ぐに瞳を見つめてくれる。
そして端正な口をほころばせて真直ぐな瞳のまま、想いの真中を周太に告げてくれた。

「愛してる、周太」

いちばん告げられたい想いを周太は告げられた。そして瞳を瞳で繋がれて、唇に唇でふれられた。
見つめる瞳が明るくて、ふれる唇が熱くて、抱かれる腕が力強い。
このひとの想いを自分は受け留めたい、そして自分がこの美しいひとを守りたい。

自分はまだ危険に生きていて、女性でもなくて、このひとに何も与えられないかもしれない。
それでも想いは真実で「いつか」このひとの幸せの為に全てを懸けて生きるから。
だからどうか許してください、このひとを隣に迎え帰る場所になることを。
そして抱いた1つの勇気のままに告げさせて?
この愛するひとの時間を受けとる願いを告げて、共に生きる生涯の約束を結ばせて?

そんな想いをこめて周太は英二の「約束のキス」を受けとめた。
そうして穏やかな温もりの静謐に、ふたつの想いは静かに佇んだ。




(to be continued)


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第30話 誓暁act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2011-12-27 22:28:26 | 陽はまた昇るanother,side story
想う、夢、それから




第30話 誓暁act.2―another,side story「陽はまた昇る」

雪くるむ真白な街を特別なひとの隣で歩くこと。
こんなに冷たい雪の朝の空気なのに、この隣はこんなに温かい。そんな温もりの幸せに周太は微笑んだ。
そんな周太の右掌は英二の左掌に握られて、英二のコートのポケットに入れられている。
さっき街路樹の下で掴んだままに、英二は周太の掌をコートにしまいこんでしまった。
そんなふうに繋がれた温もりが嬉しくて、けれど隣を周太は見上げて穏やかに微笑んだ。

「ね、英二?…大丈夫だよ、俺、逃げたりしないよ?」

さっき警察官の制服姿の時に、英二は「さすがに今は、手をつないじゃダメ?」とねだってくれた。
けれど警察官姿で手を繋いだら犯罪者の確保中だと思われてしまう。だからさっきは断って英二の掌から逃げてしまった。
そのぶん英二は手を繋いで逃げないようにしているの?そんなふうに見上げた周太に、きれいな微笑みで答えてくれた。

「うん。解ってるよ、周太。でもね、こうして手を繋ぐのってさ、幸せだろ?だから周太と繋ぎたい」

そうだよ周太?ずっと繋いでいたいんだ。きれいな切長い目が笑って見つめてくれる。
その通りだと想ってしまう。だって本当は昨夜「繋いだ手」を見て想っていたから。
昨夜たくさんの繋がれた手を交番から眺めていた、そんな幸せそうな笑顔が微笑ましくて少し寂しく見つめていた。
でも今は自分の掌も繋がれている、繋いだ温もりに幸せに微笑んで、周太は唇を開いた。

「ん、…そうだね、英二。幸せだね?」
「だろ?」

答えながら英二が微笑んでくれる。
けれどすこし微笑みがいつもと違って、周太には不思議だった。
どうしたのかな?不思議な隣の微笑みを見つめながら歩くうち、雪の中のカフェに着いた。

まばゆい雪明りにカフェの店内は穏やかに明るい。
そんな陽だまりの窓際に座るとき、ようやく英二は周太の右掌をコートのポケットから出した。
ゆったり1人掛けのソファに腰かけた周太の、右掌を切長い目が見つめてくれる。
もっと繋ぎたかったと想ってくれてるの?そんな想いが切長い目に見えて周太は微笑んだ。

「ん。右手、温かいよ?ありがとうな、英二」
「良かった、」

華やかに笑顔が英二の顔に咲いた。
そんな明るく美しい笑顔で、幸せそうに英二は周太に言ってくれる。

「俺ね、周太のことは温かくしたいんだ。だからね周太、俺、いま幸せだ」

きれいな低い声が、端正な口元あざやかに綻んで想いを紡いでいく。
すこし長めになった綺麗な前髪を透かす、きれいな切長い目と濃い睫が朝陽に映える。
窓からふる朝陽に艶やかな白皙の貌は、穏やかな静謐が華やかな顔立も端美に深い。
ほんとうは山の木洩陽に立つ姿がいちばん美しい、けれど街中のカフェの窓際でも英二は華やいで惹かれてしまう。

そして、こんなふうに美しい隣に本当は、すこし気後れしそうになる。
自分が隣にいてもいいのかな?そんなふうに不安と不思議を思わされる。
でも今はただ、見つめられる時の幸せを素直に受けて微笑みたい。そんな想いに周太は穏やかに微笑んだ。

「そう?…ん、いつもね、温かいよ…ね、英二。なにを頼む?」
「クラブハウスサンドと、コーヒーかな。周太はココアにする?それともオレンジラテ?」

ちゃんと自分の好みを覚えてくれている。
そんな細やかな英二の優しさが好きだ、幸せに微笑んで周太は答えた。

「ん、…おれんじらて?かな…あ、家に帰ったらね、ココア作ってあげるから」
「周太が作ってくれるの?うれしいな楽しみだよ。なによりさ、周太?『家に帰ったら』って、良いフレーズだよな」
「あ、…ん、なんかいわれるとはずかしくなるね…でも、良い、ね?」
「だろ?あ、周太。オレンジデニッシュあるよ、頼もう?」

ほら、また自分の好みを訊いてくれる。
そんな気遣いがうれしい、なにげない会話、ありふれた話題。
そんな1つずつが幸せで温かくて、昨夜までの寂しさも微かな嫉妬も解けてしまう。
…そう、微かな嫉妬が自分には蹲っている?

「…ん、うれしいな。…でも食べ切れるかな、」
「大丈夫だよ周太?だって俺、腹減ってるからさ、周太が残したらそれも食べるよ。それとも周太、他のものがいい?」

…微かな嫉妬を国村に自分は抱いているの?
あんなに国村は良いやつで、自分のことも大事にしてくれるのに?
あの犯人と対峙した日も国村は、ミニパトカーで英二を送って自分を援けてくれた。
けれど事情も聴くことなく国村は、何でもないことだと軽やかに笑ってくれる。そんな温かい優しいひとなのに?
きっとそれは微かな自分の劣等感のせい、国村があんまり美しくて英二に似合うから。
だから余計な卑屈に自分は勝手に捉われている。

…そんな想いは、嫌、

そんな嫉妬は哀しい、だから消してしまいたい。
そのために自分は与えられた「英二の特別」がある、だからそれを見つめて微笑めばいい。
そういうのは気恥ずかしい、けれど哀しい嫉妬のままは嫌だから、1つの勇気を使えばいい。
そんな想いに見つめる大切なひとへ、周太は気恥ずかしい想いのままに微笑んで「おねだり」をした。

「…ん、やっぱり、オレンジデニッシュ食べたいな。ね?…半分こしたら、英二も食べてくれる?」

言われた切長い目がすこし大きくなる、この顔は可愛くて好きだ。
そう見つめている切長い目に、心の底から幸せそうな想いが輝いて、きれいな笑顔で英二が笑った。

「うん。食べるよ、周太。なんだか『半分こ』ってすごくいいな。
 なんか俺、すごい幸せだよ。ね、周太?ふたりで1個をさ『半分こ』して、分けっこするのってさ、特別な感じで良いね?」

こんなに喜んでくれるなんて?
きっと少しは喜んでくれるかなと思っていた、けれどこんなに喜んでくれて。
だって今この英二の笑顔は心底から幸せそう、そして美しくて温かい。
こんな笑顔をさせてしまう自分はきっと、ほんとうに「英二の特別」だと素直に喜べてしまう。
ほんとうに「特別」は嬉しい、きれいに笑って周太は英二に答えた。

「ん、…半分こ。特別で幸せ、だね。英二?」

そんな「特別」の幸せに微笑んで、陽だまりふる窓辺で周太は大切な笑顔を見つめていた。
そうして少しずつ想いと言葉を返響させながら、微かな嫉妬も不安も温もりへと解かしていった。

カフェを出ると、少しだけ朝の寒気がゆるんでいた。
それでも白銀はまばゆくて、街はホワイトクリスマスの静寂が美しい。
そんな街を歩きながら英二は、あいかわらず周太の右掌をポケットにしまってくれる。

「あのベンチ、雪のなかでも座れるかな?」

あのベンチ。
ふたりで初めての外泊日に一緒に座ったベンチ、それから外泊日のたびに一緒に座っていた。
そして今は周太が余暇には座って、本を読んで安らぐ場所でいる。
けれど本当はいつも一緒に座りたいなと想ってしまう。
だから一緒に座れたらうれしい、微笑んで周太は応えた。

「ん、…ベンチの上の木は、常緑樹だから…雪は避けているかもね?」
「もう公園開いているな、行こうよ」

いつもと同じ公園への道、けれど真白な雪道は初対面の顔でいる。
いつもと同じ道だけれど隣には大切なひとがいる、掌を繋いで温めてくれながら。
こんなに自分は幸せでいる、そっと喜びが心を温めて周太は微笑んだ。
そんな周太の隣から英二が、きれいな低い声で話しかけてくれた。

「周太、俺ね?最初にここを歩いたとき。とっくに周太のことをさ、好きだったんだ」

最初って、最初の外泊日のとき?
それは夏の台風よりも前のときだった、そんなに前から?
そんな意外の想いに少し途惑って周太は訊いてみた。

「…そう、なの?」

訊いた周太の右掌が、コートのポケットで繋がれた英二の掌にやわらかく握りしめられる。
その温もりが幸せで少し気恥ずかしい、周太は隣を歩く英二を見上げた。

「うん、俺はね、ほんとは出会った時から好きだった。
そしてさ、最初にここを歩いて公園に行って、あのベンチに最初に座った。あのときだよ、周太のこと好きだって自覚したのは」

「…ん、そうだったんだ…」

最初にここを歩いた日、あの時に。
そうしてあのベンチで自分たちの、全てが始まったというの?
そう告げられた想いは不意打ちで、うれしくて幸せにされてしまう。
そして想ってしまう「あの時にはもう自分は孤独じゃなかった」そんな温もりは時間を遡って傷をふさぐ。
こうして1つずつ英二は自分を癒してくれる、そして素直に想いが育まれていく。

「ほら周太?公園の門が雪で白くなってる」
「ん、…雪の門だね、」

そう、きっとあの門は「雪の門」
きっとこの門は今だけは、世界中の最高峰につもる雪に繋がっている。
だって今日は雪が降った、そしてこの公園のベンチに今から座る。あの全てが始まったベンチに。
だから自分は予感する ― きっと英二はここで話をする、最高峰の雪を国村と踏みに行くことを。
だからあの門は「雪山の門」今日この時のためだけに現れた、そんな気がしてしまう。
そんな想いに雪を踏んで周太は、英二と一緒に公園の門を通った。

「ん、きれいだね、」

雪の門を通って周太は微笑んだ。
通った門の向こうには、おだやかな白銀の森が広がっていた。

「ほんとにさ、ホワイトクリスマスだね、周太?」
「ん。…なんか素敵だな、きれいだね」

いつもの道も今この時は、冬の朝陽に輝いていく雪の道。
いつもの広場も今この時まばゆい雪原に広がって、いつもの森も銀色たたずむ雪の森。
そしてほら、ここにも自分の山茶花が咲いている。真白に凛と花咲く梢を見上げて、周太はきれいに笑った。

「ね、…ここにも『雪山』がね、咲いている」

山茶花『雪山』は父が息子の誕生花だからと実家の庭に植えてくれた木。
この『雪山』は英二が日々を過ごす御岳山にも咲いている、だからきっとここにも咲いている気がした。
そんなふうに花を見上げる周太に隣から、きれいな低い声が教えてくれた。

「御岳山の『雪山』も元気に咲いているよ?」
「あ、いつも見てくれてる…の?」

いつも英二は巡回業務で御岳山の登山道もまわる。
そのたびごと見てくれている?そう見つめる想いの先で英二が笑ってくれた。

「うん、もちろんだよ周太?だってあれはさ、周太の木だろ」

そうやっていつも、少しでも近く見つめたがってくれる?
それ位に想ってくれるのなら、あなたに自分はもっと近づいてもいいの?
それなら今この繋いだ右掌にふれる、あなたの温もりふれる腕時計がほしい。
でもまだ言えない、そんな想いに微笑んで周太は応えた。

「ん、…なんか、うれしいな…いつも見てもらえて、うれしい」
「おう、いつも見てる、周太のこと。ずっと、どこからもね」

そう英二が微笑んでくれたとき、いつものベンチに辿りついた。
ベンチは常緑の梢に覆われて雪かぶらずに乾いていた。ほら思った通りだった、うれしくて周太は微笑んだ。

「ん、…雪、避けてるね?やっぱりこの木が、守ってた」

そんなふうに微笑んで周太は梢を見上げた、常緑の葉を繁らせた豊かな梢は雪が銀色に輝いている。
けれどベンチは雪もなく、冬の朝陽におだやかな佇まいでいた。

…この場所から、はじまったの?

陽だまりに温まるベンチを周太は微笑んで見つめた。
あの通り雨がふる中で英二は、ここに座る隣の自分を想ってくれていた。
なんだか嬉しいなと見守っている横顔に、静かに微笑んで英二が教えてくれる。

「周太ね、この森は奥多摩の森をつくったらしいよ?」
「そう、なの?…あ、確かに雰囲気がね、よく似ているな」

ここは新宿、いつも自分が日常をおくる街。
この森は奥多摩で、いまは雪を抱いて佇んでいる。
そしてこの森に抱かれたベンチにいつも座って、自分はこの隣への想いを重ねている。

「うん、」

そんな隣の軽いうなずきに周太が見上げると、英二は微笑みかけてくれる。
そしてポケットの右掌が軽く握りしめられて、静かに英二の口を開かれた。

「周太、聴いて?これはほんとうの俺の気持ち、俺の想いの真実なんだ」

きっとこの門は今だけは、世界中の最高峰につもる雪に繋がっている。
さっきそうに想った。そして予感した ― きっと英二はここで話をする、最高峰の雪を国村と踏みに行くことを。
その通りのことが今から始まっていく。きちんと聴くよ?穏やかに微笑んで周太は英二を見つめた。
きちんと聴いて?そんなふうに英二も目で笑いかけて周太に告げた。

「周太への想いだけがね、俺の人生の幕を開けてくれた。だから周太はね、俺が生きる意味の全てだ。
 そして俺は山ヤとして生きられた、周太に出会えたから俺は本当の自分に成れた。
 だからこそ俺はね、周太。周太への想いのまま本当の俺らしくさ、山ヤの最高の夢に生きたい。
 山ヤの最高の夢へ俺は登りたい、この世界の最高峰へ立ちたい…俺は、周太への想いのまま最高峰に立ちたい」

「ん、…」

小さく頷いて周太は微笑んだ。ほら、自分が願った通りでしょう?
英二の想いのままに生きたいと告げてくれる、そして夢を見つけたと告げてくれる。
きちんと聴いているから続けて?そんな穏やかな想いで見つめる先で英二は続けた。

「国村は最高峰に登る運命の男だよ。その国村が俺をね、生涯のアイザイレンパートナーに選んでくれた。
 まだ俺は山自体が初心者だ、それでも国村は俺を選んだ。
 そしてね、周太の事情も全て俺は話した、危険な道だとも。それでも国村は俺を選んで、揺るがなかったんだ」

話して告げてくれる、切長い目も真直ぐに揺るがない。
そうして知らされる国村の想い、ほらやっぱり彼は自分のことまで受け留めた。
そんな彼が英二を望んで最高峰へ登ると言う、そしてそれは英二の夢でもある。
さあどうか話して?そして聴かせて、ふたりの夢と約束を。
ただ真直ぐに見つめて自分も受け留めるから。そんな揺るがない想いで周太は英二を見つめた。

「そして国村はね、こう言ったんだ。
『最高峰ほど危険な場所が世界のどこにある?
 そんな最高の危険へと俺は、アイザイレンパートナーとして宮田を惹きこんだ。
 だからこれからの人生をより危険に惹きこんでいくのは俺の方だ。だから宮田の危険に俺が巻き込まれるくらいで調度いい』
 そんなふうに国村はね、俺を選んでくれたんだ。
 周太。俺はね、あいつに自分のリスクを背負わせて、あいつの生涯のアイザイレンパートナーになったんだ」

「ん、」

おだやかな相槌を周太は打った。
とうとう自分はまたひとり、自分の運命に巻き込むことになる。
そのひとは最高のクライマー、愛する人のアイザイレンパートナー。

ふたりは最高峰という最高の危険を目指す、たしかにそれ以上の危険などありはしない。
その峻厳な危険の前では自分の辿る道の危険は小さい、けれどこの2人は巻き込まれるべき危険じゃない。
だってこの2人はきっと、小さな人間の思惑に捕えていい存在じゃない。
ほんとうは2人は自然の峻厳な掟に立って、世界中の最高峰で世界を見渡すために生きればいい。

それでも2人は一緒に自分を背負うというの?
そんな2人に自分はどうしたら想いを返せるの?
そんな想いに佇んで周太は白銀の森で、愛するひとの切長い目を見つめた。

「どうか周太、許してほしい。最高峰を望む男の生涯のアイザイレンパートナーに生きること。
 そしてね、周太?あいつと一緒に俺は、最高峰から世界を見つめたい。そして周太のことを想いたい。
 そして俺はね周太、最高峰からだって周太の隣に必ず帰ってくる。だからその絶対の約束を結ばせて欲しい」

やっぱり望んでくれるの「絶対の約束」を?
そして必ず自分の隣へ帰ってきてくれるの?
きっとほんとうにあなたが生きる場所は最高峰、それでも自分の隣に帰るというの?
そんな想いが胸に痛い、けれどやっぱり幸せでうれしくて。

そしてもう解っている、どんな理由でももう離れてしまうことなんて出来ない。
だって愛してしまった、だから自分も決めた覚悟で寄りそえばいい。
さあ、愛する想いのままに瞳、微笑んで?
さあ唇もこの想いのままを声にして、どうかこの愛するひとへと伝えて?

「…絶対の約束を結んだら、必ず帰って来てくれる?…俺の隣に、生きて、笑って?」

この想い言葉になってくれる。
そうして見つめる想いの真中で、微笑んで愛するひとは答えていく。

「ああ、必ず帰るよ、周太。どこからだって、いつだって、最高峰からだって。周太の隣に、必ず帰る」

自分のもとに必ず無事に帰ってきて?
そして生きて笑ってずっと幸せでいて?
そのために愛するのなら自分も許されると信じられる。
だからどうか自分を愛して?そして愛させてほしい、そうしてどうか一緒に生きて?
そんな想いに見つめる英二は穏やかな静謐から、きれいに笑って言ってくれた。

「そしてね周太、生涯ずっと最高峰から告げるよ?
 周太を心から愛している。
 そう、俺は最高峰から告げるよ。生涯ずっと最高峰から、周太だけに想いを告げて生きていきたい」

新宿にある奥多摩の森、白銀の雪の森に一緒に佇んだ。
そこで自分の瞳を見つめて英二は想いを告げてくれた。
そうして許しを乞うてくれる、英二が夢に立つことを望んで自分に了解を求めてくれる。

…ほんとうに許してくれるの?

ゆっくりと瞬いて周太は英二を見つめた。
だって本当に許しを請うべきは自分、そう自分は解っているから。

だって自分は英二を縛り付けている。
だって英二の想いを知りながら、英二を父の軌跡を追う危険へと巻き込んで。
そんな危険に巻き込みたくなんてない、ただ山ヤとして最高の幸せだけに生きてほしい。
けれど自分は離れることもできなくて、けれど父の軌跡を追うことも止められなくて。
そんな自分は卑怯だと解っている、酷い我儘だと解っている残酷だと自分が一番知っている。
それでも愛してしまっている、そして愛されてしまっている。

だから1つもう、決めているから許してほしい。
この父の軌跡を追う危険の涯を自分は、必ず無事に終わらせてみせるから。
そして父の想いを全て受け留め終わったら、あなたの為だけに自分は人生を使う。
そして全てを懸けて幸せにするから、自分こそが英二を幸せに笑わせてみせるから。

だからね、英二?
どうか今から自分の「お願い」を訊いてほしい。
そして受け留めてくれたら自分は「お願い」に縛られて英二から逃げれなくなる。
そうして逃げられなければきっと自分は、必ず無事に父の軌跡を終えて戻れるから。
そんな幸せな繋縛で自分を繋ぎとめて、もし本当に求めてくれるなら?

どうかこの想いごと自分を受けとめて?
そしてどうか隣で一緒に幸せになって?
本当に愛してくれるならこの「わがまま」を許してほしい。
そうして唯ひとつ愛する想いのために生きさせて?そんな想いに微笑んで周太は唇を開いた。

「そのままの姿で、そのままの想いに…
 真直ぐ心の想う通りにね、英二には生きてほしい…それがね、いちばん英二は素敵だ。
 そして俺はね、英二のきれいな笑顔が好きだ。だから英二の笑顔を、俺が守りたい。だからね、英二…お願いだ」

真直ぐに見つめる切長い目が優しい。
その目には穏やかな静謐と深い優しさが温かくて、そして自分だけを想っている。
この目が自分は大好きで、きれいに笑っていてほしい、その笑顔を見つめていたい。
だから「お願い」させてほしい、きれいに笑って周太は言った。

「世界の最高峰で、英二の想いのままに、きれいに笑ってほしい。そして、必ず俺の隣に帰って来て?」

見つめる切長い目には、誇らかな自由と深い想いが見つめてくれる。
その目のまま英二は、やさしく周太を抱き寄せてくれた。

「うん、約束する。俺はね、最高峰から想いを告げて笑ってみせるよ?そして必ず周太の隣に帰る、周太を絶対に俺が守るよ」

自分こそ絶対に英二を守る。
自分より大きくて美しい英二、それでも自分こそが守りたい。
そして英二が守りたいアイザイレンパートナーすらも、自分こそが守りたい。
そうして2人で最高峰に立ってほしい、そして英二のきれいな笑顔が輝く姿を自分に見せて?
きれいに笑って周太は英二に「お願い」をした。

「ん、…お願い英二、絶対の約束をして?」

見つめてくれる笑顔が美しくて、愛しくて。
こんな笑顔のひとが自分の運命の相手でいてくれる。そんな幸せが切なくて愛しい。

「周太、絶対の約束だ。俺は、約束は必ず守って叶える。だから周太、信じて待っていて」

いま想いを告げてくれた。
その想いごと周太の唇に、しずかな想いの唇が重ねられた。
この新宿の奥多摩の森の、大切なベンチの前の雪まばゆいなかに。

あたたかな想いと唇がしずかに離れて、ゆっくり周太は瞳を披いた。
披いた想いの真中で大好きな切長い目が笑ってくれる。この笑顔のために自分は今だって生きていたい。
今はまだ父の軌跡を追っている、けれど本当はもう誰のために生きているか解っている。
だから今も微笑んで見つめたい、きれいに微笑んで周太は英二に言った。

「ん、…信じて、待ってる。…ね、英二?」
「うん。ありがとう、周太。俺ね、周太のところだけに帰るんだ。ほんとにね、周太の隣だけだから」

ほら笑ってくれる。
この笑顔がうれしい、笑って周太はブラックグレーのコートの袖をそっと掴んだ。

「ん、帰ってきてね?…ね、英二、ベンチ座っていて?…俺ね、自販機で温かいもの買ってくるから」
「俺も一緒に行くよ、周太?だって少しも俺、離れていたくないんだ」

そんなふうに言ってもらえて、うれしい。幸せで周太は微笑んだ。
そして一緒に自販機で缶コーヒーとココアを買うと、いつものベンチに並んで座った。
雪まぶしい梢のベンチは穏やかな朝陽が温かい、その温もりから眺める雪の森は穏やかな静寂に佇んでいる。
そんな静謐に座って缶コーヒーを飲みながら、英二は周太に思ったままに話してくれた。

「あいつ、今朝も勝手に部屋入って来てさ『新雪だ』って俺を連れだしたよ。でね周太、また頂上の三角点で手形押してきた」

ほら、やっぱり今朝も2人は頂上に登ってきた。
予想通りが楽しくて周太は笑って英二に訊いてみた。

「ん。どこの山にね、登ってきたの?」
「岩茸石山ってとこだよ、周太。山頂の見晴らしがすごく良いんだ、
 北側が開けていて奥武蔵の連山がさ、夜明けの光に雪がうす赤くってきれいだった」

「新雪」を国村はこよなく愛している、そして新雪の朝にはどこかの山頂に最初の足跡をつけにいく。
だから新雪の朝には必ず英二も連れだして、勤務前のまだ暗い早朝2人は一緒に山頂へ登る。
「自分の登山訓練の全てに宮田をつき合わせる、そして宮田をトップクライマーにしてやる」
そんな約束を律儀に守って国村は、自分の楽しみにもしっかり英二を巻き込んで離さない。
そうした早朝登山も国村にしたら訓練の一環でもあるだろう。けれど朝早かったろうな、周太は訊いてみた。

「…じゃあ英二、今朝は起きたの何時?」
「今朝は5時起きかな?その山はね、周太。
 青梅署から30分位行った林道をショートカットするんだ。そこから30分も掛らず山頂まで登れるんだよ」

きっとそのタイムは速いのでしょ?
この隣の進歩を訊いてみたくて、周太は笑って尋ねた。

「ん、…普通だとね、どのくらいのタイムのルート?」
「うん、1時間位かな?ね、周太、どうしてそんな質問してくれた?」

なんでかな?そんなふうに切長い目がきれいに笑っている。
ほら、山の話をする英二はやっぱり楽しげできれいだ。
そんな顔も嬉しくて周太は質問した理由を話しながら微笑んだ。

「だってね、英二?…早朝と、朝夕の巡回と英二はね、登って努力している
 …だから、スピードがあるだろうなって…英二、がんばっているんだね?」

「がんばってるよ、周太?だってね、俺はさ。
 いちばん自分で解っているんだ…最高峰を目指すなんてね、本当に俺にはおこがましいことなんだ」

こんなふうに英二は謙虚に自分を見つめられる。
そういう真直ぐな心が英二を努力に向かわせて、そして望みをきちんと掴む結果を生んでいく。
いま英二は最高峰登頂にも謙虚な想いで見つめている、だから本当に登っていくのだろう。
そんな想いに見つめていると英二は缶コーヒーを傍らに置いた、そしてコートの右側を寛げて周太へ笑いかけてくれた。

「はい、周太?ここに入ってよ」
「…え、?」

どういうことなのかな?
そんなふうに途惑っている周太を、英二は長い腕を伸ばして惹きよせた。

「ほら、周太?早くおいで」

そう言いながら英二は、コートの内側に座らせた周太を包みこんでくれた。
包まれたコートの内側は温かで、おだやかに深い樹木のような香が寄りそってくる。
これは英二の香とすぐわかって気恥ずかしくて、けれど幸せで周太は微笑んだ。
そんな周太の頬に英二は、きれいな頬を添わせて笑いかけてくれる。

「ね、周太?こうするとさ、温かいだろ?」
「あ、…ん。温かい、ね?」

温かいけど、でも待って英二?
ちょっと距離が近すぎて緊張してしまう、ほら首筋が熱くなってきた。
きっともう真っ赤になっている、そんなふうに困っているのに英二は言ってくれる。

「こうするとさ、周太に近づけて俺、幸せだよ。でも、もっと近づきたいな?ね、周太」

もっと近づくって、これ以上って?
そんなこと言われると余計に緊張してしまう、だって今夜のこと想うと意識してしまう。
今夜は3つめの「絶対の約束」を結ぶ、その覚悟はもうずっと固めている。
けれどこんな不意打ちで昼間の外で言われたら。困りながらも周太は素直に想ったことを口にした。

「あんまりそういうこといわれるとほんとこまるから…ん、うれしい、でも、…あんまり赤くなると困る…」

見つめてくる瞳の距離が近い、そして間近な英二の目は幸せに笑ってくれている。
こんな幸せな笑顔をみせてくれるなら、困るのも我慢して頑張って「恥ずかしい」を治めたいな。
そんなふうに周太はひとつ小さな深呼吸をした、そう簡単には慣れそうにないけれど。
そんな想いに座る隣から、きれいに笑って英二は周太の顔を覗きこんだ。

「ね、周太。こんな言葉があるんだ『登頂なきアルピニスト』…俺たちね、山岳レスキューの警察官の事だよ」

頬ふれそうに近くから切長い目が見つめてくれる。
きっと大切な話をしてくれる?見つめ返す目を微笑ませて、英二は言葉を続けてくれた。

「警察の山岳救助はね、富山県警山岳警備隊がトップだって言われているだろ?
 あの剣岳が管轄だ、俺たち奥多摩とはまた違った厳しさの現場だよ。そのひと達の本にあった言葉なんだ」

剣岳―標高2,999m。峻険な鋭鋒で圧倒する国内ハイクラスの危険度を誇る山。
その山容は氷河に削り取られた氷食尖峰、「岩の殿堂」とも「岩と雪の殿堂」とも呼ばれ一流クライマーも命を落とす。
そのため1966年に富山県登山届出条例が定められ、剱岳周辺について「危険地区」とされた。
そして12月1日から翌年5月15日までの間に危険地区に立ち入る者に対し「登山届」の提出を義務づけている。
その登山届の不提出や虚偽記載などの違反行為に対しては罰金が科せられる。

こんな日本最高の危険地が剣岳だった。
そこを管轄に持つ富山県警の山岳警備隊は、日本最高の危険に立つ警察官といえる。
きっと自分と同じ山岳レスキュー警察官で最高の人達から話を聞いてみたくて、まず英二は本を読んだのだろう。
こんなふうに英二は先輩や先達に素直に教えを乞う謙虚さがある、そんな実直さが周太は好きだった。
どんなふうに感じたのかな?この実直で真面目な隣を周太は見つめて耳傾けた。

「そこにはね、こう書いてあったんだ。
『道はヒマラヤに通じていない、山岳警備隊は華々しく世界の名峰に登頂するアルピニストにあらず。
 いついかなるときも、尽くして求めぬ山のレスキューでいよ。目立つ必要は一切ない』本当にそうだなって、俺は思ったよ」

一言ずつ考えて話してくれる端正な貌を、周太は穏やかに見つめた。
どの一言もきちんと聴かせてほしくて見つめていると、安心したように英二が微笑んでくれる。
そう微笑んで英二は言葉を続けた。

「そして俺も山岳救助隊だ、けれど俺は国村と世界の名峰に登ることを約束してしまった。
 それは本に書いてある通り、山岳レスキューの信念から外れた行いかもしれない。
 それで俺はね、ショックを受けたんだ。やっぱり俺は大逸れているのかなって。
 でもね、周太?その信念と俺はね、やっぱり同じだって気がついたんだ。俺、自分は間違っていないって思えた」

そうだよ英二?あなたは間違ったりしない。
いつも真直ぐ見つめて実直に謙虚に見つめられるひと、だからきっと大丈夫。
そんな想いと微笑んで周太は穏やかに言った。

「ん、…聴かせて?英二」

コートの温もりの中で周太は隣に微笑んだ。
そう見つめる隣で、うれしそうに英二は微笑んで話してくれた。

「うん、2つの言葉が鍵だった『尽くして求めぬ』そして『目立つ必要は一切ない』
 この言葉から気づいたんだ、周太。たぶん俺はね、山岳レスキューであってもアルピニストな訳じゃない。
 だってね、周太?もし俺一人だけだったら、きっと俺は、本気では最高峰を目指さない。
 ただ写真を見て憧れてさ、あとは警察の山岳研修で海外遠征のとき少し登る程度だったと思うんだ。だからね、周太?」

そうかもしれない、英二なら。
たぶん英二だけなら目立つような事は思いつかない、きっと黙々と任務への努力に勤めるだろう。
なぜなら英二は良くも悪くも「欲がない」基本的に物事へは恬淡としている。
そのことは冬至の夜の英二の電話でも周太は思ったことだった。

―朝のメールの通りにね、周太。今朝は日の出山ってとこ登ったんだよ。
  そしたらさ、国村のやつ。頂上の三角点に積もった雪にね、手形を押したんだ。
  「よし、俺が一番乗り」ってさ、すごいうれしそうだった。
  そしたらね、周太?俺にもやれって言ってさ、あいつ無理やり俺の左手掴んで、自分の手形の上から押させたんだ。
  それでね周太、あいつ「おまえがさ、二番乗りだよ」って満足してた。
  だから俺はね、二番で充分だよって言ったんだ。だって自分だけじゃ俺、手形とか思いつかないしね。
  そうしたらね「二番で良いんだ?欲が無いよね」そんなふうに言われたんだよ、周太。
 
ほんとうに国村が言うとおり、英二は2番でも構わないという所がある。
そんな英二だから周太にも、いつも自分は後回しにして献身的に尽くしてくれる。
でもそんな周太への献身は「周太の1番になりたいから」だと解っている。だから英二は周太の「初めて」に拘ってしまう。
そして周太を独り占めしたいと英二は想ってくれている、だからこの「1番」には2番以下は存在しない。
そんなふうに英二は周太にだけ欲張りでいてくれる、それが英二に愛されている自信になって支えている。

だから「国村の2番でいい」と周太への「自分は後回し」は大きな違いがある。
英二の「国村の2番でいい」は一緒に楽しもうと望んでくれた、国村の楽しみを優先していること。
なにより英二には1番を争うつもりがない、それが英二にとって自分も一緒に楽しめるのだろう。
きっと英二が言いたいのはそういうこと。そう見つめる周太に英二は話を続けてくれた。

 「俺が最高峰に登るのはさ、あくまでも『国村のアイザイレンパートナー』としてなんだ。
  俺はね、周太。ただアイザイレンパートナーとして、最高のクライマーに尽くしたい。
  そうやって自分の山ヤとしての夢と、大好きな友達の夢を重ねてさ、あいつ支えて叶えたいんだ。
  最高峰でもどの山でも尽くして支えてさ、あいつの無事をサポートして夢を叶えさせる。そのために俺は一緒に登るんだ」

ほら、やっぱりそう。
英二はサポート役に徹することで国村の楽しみを優先したい、そして一緒に自分も楽しみたい。
こんなふうに最高峰に登るほど大きな夢にまで、どこか英二は無欲で恬淡としている。
きっとそんな無欲さが英二の、やさしい穏やかな静謐さになっているのだろう。
そんな静謐が居心地良くて周太は、警察学校での日々に英二が隣にいることを気づくと受け入れていた。
こんな英二が自分は本当に好き。そんな想いと静かに見つめる周太の瞳を覗きこんで英二は微笑んだ。

「たしかに国村と俺は似ている、けれど全く違うんだ。
 あいつは純粋無垢な山ヤだ、そして最高のクライマーだ。ただ「山」を愛して、どこまでも誇らかに自由な山ヤでいる。
 ほんとうに山の申し子なんだ、人間の範疇で計っていいような男じゃない。
 だから山岳レスキューという枠組みすら国村には無意味だよ。
 あいつにとってはさ、最高峰も遭難現場も家の山林も、どれも同じ「山」なだけだからね」

最高峰も遭難現場も家の山林も、どれも同じ「山」なだけ。
国村にとっては本当にそうだろう、きっと「山」の本質を真直ぐ見ているから。
「最高峰」も「遭難現場」も「山林」も人間が山に付けた肩書きに過ぎない、そんな肩書は国村には通用しないだろう。
だって国村のルールは「山のルール」それは峻厳な自然の掟、その掟の主である「山」が人間の付けた肩書を気にするだろうか?
そんなふうに誇らかな自由に生きる国村を、やっぱり周太は嫌いになんてなれない。
国村の自由で底抜けに明るい細い目を思い出しながら、周太は少し可笑しくて笑った。

「ん、国村さんって、そうだね?…きっと、縛られないね?」

それくらい国村は純粋無垢な魂が底抜けに明るい。
それが生粋の山ヤで最高のクライマーが持つ、明るい輝きなのだろう。
そんな男とアイザイレンパートナーを英二は組む、どんな想いなのか聴きたいな?
英二に頬を近寄せられながら周太は、穏やかに英二の言葉に寄りそった。

「国村はね、山ヤの夢に生きる男だよ。そしてね、周太?
 友達として山ヤとして国村が大切なんだ。だから俺、あいつを夢ごと支えて叶えさせてやりたい。
 それでね、大切な友達の夢がかなう瞬間を、いちばん近くて見つめたい。
 そうやって俺はきっとね、あいつに連れられて登ることでさ、こんな俺でも最高峰に立つ夢が叶えられるんだと思う」

大切な相手の為になら英二は全力を尽くす。
そんな実直で大きな包容力を英二は持っている、周太もそうして英二に支えられてきた。
そして全力を尽くすことで英二は、生きる意味も見つけていくだろう。
こんどは最高のクライマーを英二は支えようとしている、どんな意味を英二は見つけるのだろう?
そんな英二の姿をいちばん近くで見つめさせてほしいな。きれいな微笑みを見つめながら周太は心に願っていた。

「周太、俺はこう想うんだ。
 最高のクライマーの無事を守るため、専属レスキューとして共に最高峰へ俺は登っていく。
 だから周太、俺はね。最高の山岳レスキューになりたい、そのために俺はトップクライマーになる。
 そんなふうに俺は山ヤと山岳レスキューの誇りを懸けて、国村の生涯のアイザイレンパートナーでいたい。
 そうして最高のクライマーをサポートすることが、きっと俺が山ヤになった意味のね、1つなんだって想う」

最高の山岳レスキュー。
その言葉に父の殺害犯と対峙した日の英二の姿が、あざやかに周太の心を温めた。
あの日の英二は山岳救助隊服のまま、山岳訓練から真直ぐに周太の隣に帰ってきた。
そして周太の浅はかな行動を止めて周太と、贖罪に生きる犯人も救って父の想いを周太に示してくれた。
あの日、新宿の街ビルの谷間で孤独に落ちかけた周太を、英二は救助してくれた。
そんな英二は周太にとって、最高のレスキューだった。

だからきっと、と確信してしまう。
きっと英二は最高の山岳レスキューにだってなれるだろう。

そして最高峰でだって援けてサポートして、きっと無事に2人で帰ってくる。
あの日に自分が落ちかけた罪からすら、抱きとめて救い出してくれたように。
そんな想いの確信に周太の瞳が微笑んだ、そして周太は英二に穏やかに言った。

「ん。…なんだかね、英二らしい」
「俺らしいかな、周太?こういう生き方はさ、ちゃんと俺らしく笑えるかな?」

自分らしい選択か?自分らしく笑えていくのか?
そうして大切なひとを幸せに出来るのかどうか?
そんな想いで切長い目が周太を見つめてくれる。
こんなふうに自分に訊いてくれる、うれしくて周太は微笑んだ。

「ん、大丈夫だよ、英二…やさしい英二らしい。そしてね、包容力っていう、のかな?…すてきだよ」

やさしい英二、その広やかな包容力が温かい。
そして無欲な英二、やさしい穏やかな静謐が心和ませる。
こんなひとが自分の運命の相手、それが誇らしくて幸せになる。
そんな想いに見つめる人は、きれいに笑いかけて言ってくれた。

「ありがとう、周太。やっぱり俺ね、周太が世界一に大好きで、愛してる」

それが俺の本音だよ?そう見つめて英二は周太にキスをした。
ふれるだけ、けれど熱くて幸せな英二のキス。幸せで気恥ずかしくて周太は赤くなった。
そんな周太の瞳を覗きこんで訊きながら英二は微笑んだ。

「ね、周太?ちょっと買物に行っていい?」
「…ん、…いいよ?」

英二は周太の右掌をとって立たせてくれると、その右掌をまたポケットにしまいこんだ。
今日はずっとこんなふうに掌を繋いでくれるのかな?気恥ずかしく幸せで周太はそっと微笑んだ。




(to be continued)


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第30話 誓暁act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2011-12-26 23:59:27 | 陽はまた昇るanother,side story
唯ひとつの勇気に信じて、




第30話 誓暁act.1―another,side story「陽はまた昇る」

休憩室の窓に白い結晶がふれる。
そっと窓を細く開けると喧騒に輝く夜の街に、しずかな雪が降りはじめていた。
新宿東口交番の2階から眺める広場には、たくさんの人が雪を見上げて笑っている。
まわりにはイルミネーションが華やいでクリスマスの空気を温めていた。
そんな幸せそうなクリスマスイヴの光景に周太は微笑んだ。

「ん、…ホワイト・クリスマス、だね」

そっと呟いて周太は冷たい窓を静かに閉めた。そして休憩室の片隅に座り込んで、温かいココアの缶のプルリングを引いた。
ひとくち飲んでほっと息をつく、夜食のクロワッサンの袋を開けながら周太は小さくため息がこぼれた。
ついさっき見た交番表の光景が、周太の心の片隅に痛んでいる。

当番勤務の周太は、ついさっきまで交番表で立哨していた。
冷え始めた夜の大気に白くのぼる吐息を見ながら、広場の光景を眺めていく。その視界の片隅から急に泣声が起きた。
すこし驚いて動かした瞳に、顔を手で覆った女性の姿が映り込んだ。
いったいどうしたのだろう?立哨に気を配りながらも、周太は彼女の様子が気にかかってしまう。
そんな彼女は目の前の男性の頬をひっぱたくと、足早に走って行ってしまった。
取り残された男性は叩かれた頬を撫でている。
なんだか見てしまったのが申し訳ないな…そんなふうに周太が思っていると、男性は携帯電話を取り出した。
そして2分後その男性は、他の女性と幸せそうに明るいイルミネーションへと歩いて行ってしまった。

この周太が勤務する新宿東口交番の前は、待ち合わせスポットになっている。
だから今夜の光景は珍しいものではない、よく恋愛事情の舞台になってしまう。
けれど今夜はクリスマス・イヴで土曜日の夜。世間では恋人同士には幸せな夜の時、今朝のニュースもそう言っていた。
そんな夜に見た恋愛の暗い一面が、なんだか周太の心には重たくてならない。

去年まではクリスマス・イヴは母と二人で過ごすのが当たり前だった。
周太が支度した夕食と母が持ち帰ってくれる、小さなサイズのホールケーキを二人で楽しんだ。
それは穏やかで温かで、けれど少しだけ寂しい、そんな小さな幸せの時間だった。
だから周太はクリスマス・イヴの街中で夜を過ごすのは今夜が初めてのことだった。

毎年ニュースで何気なく見ていた、恋人たちがあふれるクリスマス・イヴの街。
そこで初めて過ごすのが今夜の交番での勤務でいる。
そして見てしまった、恋人たちの裏切りと悲しみのシーン。

…なんだか悲しくなる、な

食べ終えたクロワッサンの紙袋をきれいに畳みながら、周太はそっとため息をついた。
こんなふうに悲しくはなかったかもしれない、去年までの自分なら。
孤独に生きる自分だからと別世界を見る想いで、遠くの景色として眺めるだけだったろう。
けれど今の自分はもう違ってしまっている、もう孤独は壊されて唯一つの想いに自分は掴まれている。
そして今こうして交番の2階で休憩していることが、無性に寂しい。

…英二、いま、どうしているのかな

そっと飲んだココアが温かい、その温もりに重なる記憶に周太は微笑んだ。
この1ヶ月ほど前に奥多摩の山で、英二は温かいココアを周太に作ってくれた。そのときの幸せは今も温めてくれる。
周太は携帯電話を取出すとメールを呼び出した、そして専用の受信ボックスから1通のメールを開いた。

From  :宮田英二
Subject:東京の最高峰から
添 付 :雲取山の雪景色と夜明けの空、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、ここは新雪が積もってる。
      今、新宿が見えるよ。東京の最高峰からね、周太を見つめてる、そして周太のこと想ってる。 
      最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる。

田中の四十九日を英二は国村と雲取山から送りだした。
その翌朝に新雪の雲取山頂から英二が送ってくれた写メールは、あわく赤い白銀の新雪と曙光に浮かぶ新宿の夜明け。
そんなふうに東京の最高峰から告げられた想いは、美しくて誇らしくて、そして怖い。

「…最高峰から見つめてる、想ってる…最高峰から告げるよ?ずっと…」

そっとメールの想いを声にして、周太は微笑んだ。
このメールに籠められた英二の「想い」を、受信したとき自分はすぐに気がついた。
この「想い」は逢って話そうと英二は想ってくれている、けれど自分には解ってしまった。
そして明日の朝が来たら、英二はこの「想い」を告げるために自分の隣へ帰ってくる。

英二を最高峰へ誘ったのは「最高峰に登る運命のひと」あの国村しかいない。
東京の最高峰で生まれて警視庁山岳会の期待に立つ、ファイナリストクライマーを嘱望される国村。
きっと国村はごく自然に世界中の最高峰へ立ち、ファイナリストクライマーとして頂点へと立つだろう。
そんな国村に英二はパートナーに望まれて、日々の山岳救助現場や訓練で命綱のザイルを結び合っている。

―湯原くんと俺はさ、宮田のことでもライバルになっちゃうかもよ?

そう告げられたのは田中の四十九日の夜。
東京最高峰の雲取山頂から国村は、英二の携帯電話を使って周太に告げた。
「俺は山ヤの生涯をずっと、宮田と共にするからね?」そういう意味の国村の宣言。
もう国村はアイザイレンパートナーに英二を選んでいる、それはきっと世界中の最高峰へ登るときも変わらない。

国村も英二と同じ、直情的で思ったことしか言わない出来ない、欲しいものは絶対掴んで離さない。
だからもう国村は、英二をアイザイレンパートナーとして生涯ずっと離さない。
だから「ライバル」だと告げてくれた。

そして英二も求めに応じ、自ら望んで国村と山に立つ生涯を選んでいる。
そんな英二の意思と決意が、メールの文面から自分には解ってしまう。
きっともう、ふたりは決めて約束している。

― 生涯のアイザイレンパートナーとして共に世界中の最高峰に立つ

そう誓って、ふたりは決めてしまっている。
だからこそ田中の四十九日を2人は、東京の、奥多摩の最高峰に立った。
そして新雪の朝が来るたびに、どこかの山頂へ国村と英二は一緒に登っている。

From  :宮田英二
Subject:日の出山から
添 付 :日の出山の雪景色と朝陽、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、奥多摩は新雪の夜明けだよ。朝陽のなかに新宿が見える。
      今日は冬至だから、新しい太陽が生まれる夜明けなんだ。
      新しい太陽と新雪にね、周太を見つめて想ってる。あと3日で逢えるけど今もう周太に逢いたい。
    
新雪つもる山頂から、冬至の朝にくれたメール。
いつもこんなふうに英二は、山頂から写メールを送ってくれる。そうして山頂から告げてくれる想いが温かい。
きっと明日の朝も今ふる雪の新雪に、どこかの山頂に立ちにいくのだろう。
こんなふうに英二はもう山ヤになって生きている。そんな英二の姿が繋いだ電話にメールに見えてまぶしい。
ほんとうにまぶしいな、穏やかに微笑んで周太は静かに呟いた。

「…はやく、逢いたいね?英二」

いまごろ英二はたぶん、御岳山麓の河原で焚火の前にいるだろう。
夕方に「国村に藤岡ごと拉致された、美代さんが一緒」そんな短いメールをくれた。
なんだか国村らしくて周太は笑ってしまった、そして少し寂しくて懐かしくて、羨ましい。

…一緒なの、いいな

ほんとうは今夜、英二と一緒にいたかった。
だって周太にとって特別なひとがいるクリスマス・イヴは初めてで。ほんとは今夜だけじゃなく一緒にいたくて。
けれど自分で選んだ道のために今、こうして交番の当番勤務の任務に就いている。
どれも自分が選んだこと、それでも寂しい気持ちは誤魔化せない。
そんな気持ちでも今夜は背を伸ばし任務をこなしている。そんなさ中に恋人たちの裏切りのシーンを見てしまった。

英二のことを信じている「必ず隣に帰ってくる」約束を信じている。
けれど英二のアイザイレンパートナーの存在に、すこしだけ不安になることがある。
だって英二のアイザイレンパートナーである国村は、周太の目にすら魅力的すぎるから。

国村は周太も大切にしてくれる。転がされるのは本当に困るけれど、いつも大らかな優しさが温かい。
そんな国村は周太も好きだ、また会いたいなと素直に思える。でも、だからこそ不安にもなってしまう。
だって自分は心を開くことが難しい、けれど国村は2度会っただけで周太を好きにさせている。
そんな国村は直情的で冷静沈着、豪胆で底抜けに明るい純粋無垢な山ヤの魂がまぶしい。
いつだって真直ぐに見つめて核心を見定めて、峻厳な山の掟と誇らかな自由に生きている。
そんな生き方は男なら誰だって憧れてしまう、だから自分も国村を好きになってしまっている。

そして山ヤなら尚更に、国村のような生き方を望むだろう。
だって国村の姿はきっと最高の山ヤの姿、そして力は最高のクライマーに相応しいから。
その国村が唯ひとりだけ英二を、生涯のアイザイレンパートナーに望んでしまった。

最高のクライマーに生涯のアイザイレンパートナーとして望まれること。
それが山ヤにとって、どれだけ魅力的で光栄で喜びなのか。
それは世界中の山ヤにとって最高の夢、その夢に生きることは最高の幸福でいる。
そのことを周太は幼い日に、父から少しだけ聴いて知っていた。

―あのね、周。山を愛する山ヤさんはね、生涯のアイザイレンパートナーに出会えることが幸せなんだよ
 あいざいれんぱーとなー?…どんな人とならなれるの?
 ん、そうだね周…同じような体格と同じように山に登る力があること。
 それからね、仲良しなこと…それがいちばん大事、かな?…ずっと援けあって生きて笑って、ね?
 そうなの?…じゃあ、おとうさん。どんな人のアイザイレンパートナーになるのが、いちばんうれしい?
 それはね、周?世界最高のクライマーとなれたら、山ヤには最高の幸せだ、ね…

穂高の涸沢ヒュッテという所まで父と登った、そのときに話してくれたこと。
あのとき穂高岳を眺めながら話した父は、穏やかでどこか寂しげだった。
そんな父の顔が不思議で悲しくて、周太は父に抱きついて少し泣いてしまった。

そして父は孤独なままに死んでしまった。
父はパートナーと出会えないまま独り想いを抱え、都会の喧騒で銃弾に斃れ死んでしまった。
だから自分にはわかる、英二が山ヤとして最高の幸せを掴んだこと。そして国村にとっても幸せだということ。
そんな英二の幸せがうれしい、そう、心から自分はうれしい。
だって自分はずっと望んでいた、英二が真実の姿そのままに生きて幸せを掴むことを。

あなたの真実の姿、実直で温かい、やさしい穏やかな静謐。
あなたの真実の姿、そのままで、生きていて?
そのままの姿で、率直に素直に生きるなら。あなたなら、きっと見つめられる、見つけられる。
生きる意味、生きる誇り。それからあなたに、必要な全て。

ずっとそう願ってきた。
そしていま英二が見つめる「最高峰とアイザイレンパートナへの想い」は周太の願いも叶えられること。
その予感と期待は心からうれしい、そして英二が輝く姿を隣から見つめていたい。
だって自分は知っている、英二が山ではどんなに輝くか。
奥多摩で見た英二は、山ヤの誇りたからかな自由と頼もしさが、生来の美貌と明るくまぶしかった。
それは素直なままの英二の姿だった、その姿を見たいと自分こそ心から願っている。

「…でもね、英二?…すこしだけ不安にも、なるんだ…」

ほっと溜息をついて周太はメール差出人の名前を見つめた。
だって英二のアイザイレンパートナーは、あんまりに魅力的すぎるから。
だから田中の四十九日の電話で国村に「俺も宮田に抱かれちゃったよ?」と言われたとき、自分は一瞬は身を退きかけた。

「…ん、…ほんとうに哀しかった、んだ」

だって国村は英二と最高峰へ立ってしまう、周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
そんな高みにだって立てる国村は男として山ヤとして美しくて、そして英二と並ぶと似合ってしまう。
そういう国村を英二が求めてしまっても仕方ない、そんな悲しい納得に身を退きかけてしまった。
けれど一瞬でも退いてしまった時、胸に抱いた勇気が悲鳴をあげた。

あの初雪の夜に結んだ「絶対の約束」に自分は全てを懸けた、だからもう勇気をひとつ抱いている。
だから自分だってもう退きたくない、だって自分は全てを懸けて想っている愛している。
その想いは唯ひとつだけの強さに抱いている、その勇気はきっと最高のクライマーにも劣らない美しい真実だから。
だから明日その勇気のまま自分は素直に言えばいい、周太は携帯を見つめながら声に出さず呟いた。

「―英二の腕時計を、俺にください…
そして英二は…俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
そうして英二のこれからの時間も…全部を…俺にください。そして一緒にいさせて?―」

父の殺害犯と対峙した翌朝、英二は周太を奥多摩へ浚ってくれた。
そして青梅署独身寮の英二の部屋で過ごす時間を周太にくれた、そのとき英二のデスクに置かれた1冊のカタログを見た。
それはクライマーウォッチのカタログだった、そして腕時計の写真の2つにチェックがつけられていた。
その1つは見覚えのあるデジタル式モデル、英二が警察学校時代に買ってずっと嵌めているもの。
もう1つは初めて見たアナログとデジタルの複合式モデル、それはデジタル式の倍以上の値段でプロ仕様だった。

ほんとうは英二こっちが欲しかったのかな?
そんなふうに想えて周太はカタログのページを携帯の写真に撮っておいた。
なにかの機会に贈り物に出来るかな?あの時はまだ、そんな気持ちだった。
いつも英二は機会ごと周太に服をプレゼントしてくれる。そのお返しをしたいと思っていた、それで写真を撮っておいた。

それからiPodの曲を聴いて英二の想いに気づかされて、英二のベッドで自分は泣いた。
そうして自分に寄せてくれる想いを素直に受けとめて、甘えることにしようと決めた。
そのすぐ後に、周太は国村と初めて出会った。

―同じ年だし、敬語はいらないよ。気を遣って話されるの苦手なんだ…じゃあさ、先輩命令で敬語禁止。これならいいだろ?

初対面の国村はTシャツとペインターパンツに作業着をウェストに縛って、軍手をはめた農業青年の姿だった。
気さくな言葉は大らかな優しさが温かだった。そして底抜けに明るい目は真直ぐ純粋無垢で、飄々と笑っていた。
今まで会ったことのない目の不思議な雰囲気に、周太は惹きこまれるように国村を見ていた。
そして青梅署から御岳駐在所へと向かう軽トラックの車内で、犯人対峙に英二が間に合った事情を周太は訊いた。
そんな周太に国村は軽やかに笑って、緊急車両状態のミニパトカーで英二を送ったと答えてくれた。

―宮田くんのさ、大切な人の緊急時だった。問題無いだろ?山ヤはね、仲間同士で助け合うんだ
  瞳がきれいで、すぐ赤くなる位に純情で、笑顔が最高にかわいい。誰より大切で好きな人
  そういうひと、俺も好きなんだよね。だから放っておけないのは、仕方ないだろ?

そんなふうに国村は言ってくれた。
それから御岳駐在所の休憩室で一緒に秀介の勉強を見て、そのあと白妙橋でリードクライミングを教えてくれた。
最初から国村は周太を転がしっぱなしだった。けれど憎めない国村の底抜けに明るい優しさを、周太は好きになっていた。

それから2日後のことだった。
あの日の英二は非番だった、けれど道迷いハイカーの遭難救助にと緊急召集を英二は受けた。
その遭難救助は夜間捜索となり、英二はパートナーの国村と初めてビバークをした。
そして夜が明けたときには英二と国村は、お互いを呼び捨てで呼び合う友人になっていた。
その5日後に周太は国村と御岳の河原で一緒に飲んだ。
その時に見た英二と国村の並んだ姿はよく似合って、ほんとうに昔馴染みのような親しい友人同士の姿だった。

そんな友人が英二に出来たこと、本当に嬉しかった。
だって英二は自分のために「男同士で生きる」という選択をしてしまった。
それは偏見も多く受ける生き方、だからフラットに受け入れてくれる国村は得難い存在になる。
しかも国村は山で生きる英二を同じ山ヤとして教え支えてくれる、そうして英二は山での危険を避けられるようになった。
だから本当に国村の存在が嬉しかった。

けれど少しだけ不安だった。
だって国村はやっぱり魅力的だった、そして英二と並んだ空気に強い「紐帯」を見てしまったから。
そして考えてしまった「どうしたら自分は英二を自分の隣に繋ぎとめられるだろう?」
そんな想いと初雪の不安に自分は、心も体も全て懸けて『絶対の約束』を結んで英二に全て捧げてしまった。

そして目覚めた翌朝には、深い想いと勇気一つが自分の中に生まれていた。
そんな自分は「欲しいもの」が出来てしまった、
けれど英二に言えないまま新宿の街路樹の下で2つめの『絶対の約束』を英二に乞われ結んだ。

そしてその後。
その逢えない1ヶ月ほどの時間のなかで気づいてしまった。
この1ヶ月ほどの時間に毎日繋いだ電話とメール、そこに聴いた英二と国村の日々と会話に気づいた。

― 国村は英二を、自分の生涯のアイザイレンパートナーに育てようとしている

そうして英二と一緒に最高峰を踏破しようとしている、そんな国村の想いに周太は気づいてしまった。
そんなふうに国村は周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
それも世界一危険な場所、最高峰へと英二を連れて行ってしまう。
その危険に本当は心が凍りそうになる、だって自分はもう英二がいなくては生きられない。それくらい想いがもう深いから。

「…でも、止められない…止めたくない、」

英二の夢を自分は知っている、そして同じ男の自分には「夢」への大切な想いがわかる。
だから自分は英二を止められない、なにより夢を叶えていく英二の姿を見つめたい。
それは自分が心から願うことだから。

「…でも、ね、…英二?俺を、忘れないで…」

どこにいても自分を忘れないでほしい。
それが周太の本音だった、たとえ最高峰に国村と立つときでも自分を想って欲しい。
それは欲張りな我儘かもしれない、けれど一緒に行けないならせめて想いだしてほしい。

―最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる

東京最高峰の雲取山頂から英二がおくってくれたメールの一文。
きっと同じように世界中の「最高峰」から英二は想い告げてくれる。そう信じている。
けれど、わがままを自分は言いたい。

だって英二のアイザイレンパートナーは魅力的すぎて不安になる。
そんな彼との時間と山への想いで、自分のことを忘れられたらと不安になる。
それはきっと杞憂だと本当は信じている、それだからこそ自分は、わがままを言いたい。

いつだって自分をずっと想っていて?いつもどこでも自分の「想い」を連れて行って?

そんな欲張りな我儘を叶えたくて。
そして周太は「クライマーウォッチを贈る」ことを思いついた。
クライマーウォッチならいつも英二は左手首に嵌めるだろう、そして最高峰にだって連れて行く。
そして時間を見るたび、標高や方位を確認するたびに、クライマーウォッチを見つめるだろう。
そのときに贈り主のことを、きっと英二は想い出してくれる。そうして周太の隣に帰ろうと想いを繋いでくれる。

「…だから、英二?…時計を受け取って?」

そっと呟いて周太は携帯を見つめた。
その画面に映し出される山の写真と送信元の名前を、周太は見つめていた。
そしてもうひとつの願いをそっと小さく口にした。

「…それからね、英二…英二の時計を、俺にください…」

それが英二に言えなかった、初雪の夜に全て捧げた翌朝から抱いた願い。
深い想いと一つの勇気を支えるために、英二の腕で時を刻んだクライマーウォッチが欲しい。

山岳救助への道を志したとき、英二が買って嵌めた今のクライマーウォッチ。
あのクライマーウォッチには、英二の努力と夢へ立てた誇りを刻んだ時間と想いが込められている。
そんな大切な時計だからこそ自分に持たせてほしい、そして英二は自分のものだと確かめていたい。
あの大切な時計をこの腕に見つめられたら、きっと自分は信じて強く立っていることが出来るから。

この腕には今はまだ、父の時計が嵌められている。
それは13年間の孤独と悲しみと冷たい現実をこめてしまった、悲しい時の結晶になっている。
この時計は13年前に父の遺体から外されて周太が受け取った父の遺品。
この時計は父が冷たい孤独のまま殉職した瞬間に立ち会っている、そんな悲しみの瞬間さえもこもる時計。

けれど今の自分はもう、「父の殉職」にこもる孤独の冷たさには生きられない。
まだ父の軌跡は追い続ける、その軌跡の涯を見つめるまで追うことが、孤独に父を死なせた息子である自分の贖罪だから。
けれどその軌跡を追い続けることは、もう孤独な冷たさに見つめることじゃない。
もう今の自分には隣に立って見つめてくれる人がいる、そんな愛する想いと生き始めてしまった。

そんな今の自分はもう、父の時計は嵌めていられない。
だから今の自分に相応しい時計がほしい、あの大切な英二の時計がほしい。

そんな願いを本当はもう、1ヶ月ほど前のあの時には抱いている。
あの夜、奥多摩から戻って新宿の街を歩きながら英二は自分に訊いてくれた。

― 周太はさ、今、ほしい物とかってある?

あの時にはもう、英二の時計がほしいと思っていた。
けれどそれはあんまりに、わがままに想えて恥ずかしくて言えなかった。
でも。もう明日には自分は、わがままを言ってしまう。
だって最高峰へ英二はきっと行ってしまう、だから自分は時計を英二に贈る。
そうしたら英二は今の時計を外すだろう、それなら自分は英二の大切な時計をねだりたい。

「…ちゃんと言えますように…」

ほっと溜息をついて周太は時計を見た、20:58もうすぐ電話をする時間。
この時計で時間を見ることは明日には終われるだろうか?そんな想いに周太は携帯電話のボタンを押した。
着信履歴から英二の番号はすぐに見つけられる、そっと押そうとして周太の指が止まった。
きっと今は英二の傍には国村がいるだろう、いつもそんなふうに並んでいるから。
けれど自分は今ひとりで交番の休憩室にいる、なんだかそんな差が寂しくなってくる。

…やっぱり、自分からは…架けれない

周太が当番勤務の時は周太から電話をすることになっている。
けれど今夜はクリスマス・イヴの夜、そんな夜に独りだけ任務中の自分から電話することが寂しくて。
今夜は自分から電話できない、そんな想いが余計に悲しくて瞳の底が熱くなってしまう。
今は任務合間の休憩時間なのに、それなのに素顔の自分になって弱音が零れてくる。

「…英二、…気づいて?」

ぽつんと本音が唇から零れ落ちた。
そうして見つめる携帯電話に、ふっと着信ランプが灯った。
…ほんとうに?
そんな驚きに見つめた画面に発信元の名前が表示されて、すぐに周太は通話に繋いだ。

「…はい、」
「周太、待っててくれた?」

きれいな低い声が微笑んで名前呼んでくれる。
いつものように気づいて架けてくれた、やさしい英二の細やかさが今夜も温かい。
こんな華やかなクリスマスの街で独りの自分が寂しくて、つい待ってしまった。
そんな想いが気恥ずかしい、けれどうれしくて周太は微笑んだ。

「…ん、待ってた。今夜はね、英二から声、かけてほしかった。…わがまま、かな?」
「わがまま、うれしいよ?」
「そう、なの?」

ほら、任務合間の休憩室だって、素顔に戻されてしまう。
こんなふうに自分は、いつも英二には素直になって幸せになれる。
そんな1つずつがうれしい想いに、きれいな低い声が言ってくれた。

「そうだよ周太?俺はね、周太の我儘たくさん聴きたい。ね、周太?もっとさ、我儘いっぱい言ってよ?」

わがまま、を?
そんなふうに甘やかしてくれる、そんな気持ちが嬉しくて周太は微笑んだ。
けれどせっかく言ってくれるのに、さっきまで考えていた「わがまま」しか思いつけない。
なんて言ったらいいのだろう?そんな思ったままを周太は口にした。

「…ん、…我儘って、なんて言ったらいいの?」

そんな周太の言葉に、電話の向こう笑ってくれる。
そして楽しそうに英二が穏やかな優しさと一緒に言ってくれた。

「周太がね、俺にして欲しいこと。全部そのまま言ってくれたら良い。
そして少しはさ、周太のお願いで俺を困らせてよ?そんな周太の『おねだり』俺は聴きたいな」

おねだり、聴きたいの?
そんなふうに言ってくれて、うれしくて気恥ずかしい。
でもやっぱり時計のことだけ、さっきまで考えていた「おねだり」しか思いつけない。
どうしたらいいの?また思ったままを周太は呟いた。

「…おねだり、って…」

ちいさな呟きに、電話の向こうがかすかに笑ってくれる。
そして静かな声で英二はそっと訊いてくれた。

「ね、周太。俺にね、少しでも早く、あいたい?」

あいたい、少しでも早く。
これはすぐに答え方がわかる、だってずっと1ヶ月以上も考えていたから。
そして明日はあえる。そんな幸せな想いがそっと、周太の吐息と零れて微笑んだ。

「ん、…早くね、あいたい」

ほんとうに早くあいたい。
勤務が明けたらすぐに会いたい、だって本当にさっきまで寂しくて哀しかった。
だから仕事が終わったら、すぐに迎えに来てほしい。そうしてすぐ幸せに温めて?
そんな想いが本音にめぐる。けれどそこまでは欲張りすぎる気がして、周太は心の中でだけ告げて仕舞いこんだ。

「うん、わかった。俺もね、周太?少しでも早く逢いたいな。同じこと考えているね、俺たち」

同じこと考えて?
そういうのは幸せだなと想える、けれど少し気恥ずかしい。
それでも想いを伝えたくて、そっと周太は答えた。

「ん、…なんか、そういうの…うれしい、な」
「周太がうれしいとね、俺もうれしいよ。ね、周太、今夜ほんとは逢いたかったな。でも、周太に逢いたいのはね、いつもだけど」

これも同じこと考えているね、英二?
うれしくて周太は、きれいに微笑んで英二に言った。

「ん、英二?俺もね…いつも、だよ?」

告げた電話の向こうが幸せそうに笑ってくれる。
その笑顔をあと数時間できっと、すぐ隣で見つめることが出来るはず。
そんな想いがうれしくて、周太は休憩時間を幸せに微笑んだ。


クリスマスの朝が明けると、新宿東口交番前の広場は真っ白になっていた。
すこし交番の入口前を周太は雪を掃き除けた、こうするほうが転んだりする心配が減るだろう。
簡単な雪掃きを終えて目を上げると、雪に清められた街の姿が周太の瞳に映り込んだ。
いつも繁華な喧騒に満ちた街も今は、ひんやりと真白な静謐に眠るよう佇んでいる。

こんな表情も、この街にはあるんだな。
そんなふうに見つめて周太は微笑んで、片づけると交番内へと戻った。
それから少し業務を片づけると時計が8時前になって、日勤の担当者へと引継ぎが始まる。
そして当番勤務が明けると周太は、仕度して交番の入口から雪の広場へと踏み出した。

「周太、」

きれいな低い声が自分を呼んだ。

…まぼろし、かな?

まだ時計は8時少し過ぎ、約束の9時までは時間がある。
この声の主はまだ新宿には着いていないはず、けれど周太は目を上げた。
いつもグレーの街が今朝は白銀に輝いている。
そんな雪の街に英二が、ブラックグレーのコートをはおって立っていた。

「…っ」

真白な雪に佇んだ長身のブラックグレーのコート姿、白皙の頬と朝陽に透ける黒髪。
端正な貌は穏やかで、きれいな笑顔で見つめてくれる。
ずっと逢いたかった顔、逢いたかったひと―そんな想いの真中を雪踏んで、英二が周太の隣に立ってくれた。

「おはよう、周太。ホワイトクリスマスだね?」

ずっと逢いたかった。逢えない1ヶ月ずっと想って、毎日の電話とメールを待って。
そして眠ってまで夢にも現れてくれた、ずっと逢いたかった。

「周太、驚いてるの?」

きれいに微笑んで英二が、周太の顔を覗きこんでくれる。
ほんとうに目の前に英二がいてくれる?ゆっくり瞬いて見つめながら、ゆっくり周太は言った。

「…ん、おどろいた。…だって、9時に改札口、って」
「うん、そうだったね、周太?」

待ち合わせは新宿9時、いつもの改札口。そう約束していた。
けれどね周太?そんなふうに英二が笑いかけてくれる。

「昨夜の電話でさ、『早くね、あいたい』って周太、おねだりしてくれたろ?
 だから俺、周太が仕事上がる瞬間にね、迎えに来たかったんだ。それで早く、おはようって言いたかった」

どうして解ってくれるのだろう?
いつもこんなふうに英二は、自分が仕舞い込んだ想いまで見つけてしまう。
どうして解るの?想いのままに口を周太は開きかけた。

「…どうして、」

ひとこと言って周太は、そっと唇を閉じてしまった。
ほんとうは「どうして俺の心が解るの?」そう周太は言いたい。けれどなんだか恥ずかしくて言えなくなってしまう。
けれど英二は微笑んで「そんなの解るに決まってるよ?」と目で告げながら言ってくれた。

「クリスマス・イヴの昨日だってさ、ほんとうは俺、周太といたかった。
 それはきっと、周太も同じだと思ったんだ。だからきっと周太、仕事終わってすぐ俺に迎えに来てほしいかなって」

昨日もいたいと想ってくれる、そして自分の想いも解ってくれた。
こんなふうに言わないで解ってもらえることは幸せだ。
うれしくて微笑んで周太は答えた。

「…ん。俺、迎えに来てほしかった。そしてね、幸せにしてほしかったんだ…だから今、うれしい」

言いながら気恥ずかしくて首筋が赤くなっていく。
そんな周太を微笑んで見つめながら、英二は自分のマフラーを外すと少し周太へと屈んでくれる。
そうして長い指でそっと、周太の襟元をマフラーで巻いて温めてくれた。

「周太がね、うれしいなら俺もさ、うれしいよ。ほら、周太?早く私服に着替えて欲しいな、行こう?」
「ん。あの、マフラーありがとう。うれしい、」

巻いてくれたマフラーの温もりが幸せで、周太は微笑んだ。
そんな周太に微笑んでくれる笑顔が、いつものように穏やかで温かい。
けれど見上げる隣はまた大人び落ち着いた深みと、それから切長い目の雰囲気が変わった。
きっとこの1ヶ月ほどの間に英二がした決意、それが目に現れてまた光を灯している。
また素敵になったね?そんな想いで見上げて歩いていると微笑んで英二が言った。

「ね、周太?さすがに今は、手をつないじゃダメ?」

ほんとうは手を繋ぎたい。
けれど今は自分は制服姿でいる、警察官の顔をしているときになる。
すこし背筋を伸ばして周太は口調を改めて言った。

「ん、駄目。だって俺、今は警察官だからね?警察官の俺と手を繋げば、英二は犯罪者扱いされるだろ?」

明確な話し口調が「今は警察官です」とオフィシャルモードになっている。
こんなふうに英二に話すのは随分久しぶりのこと、それも少し気恥ずかしい。
そんな想いに内心は困っていると、笑って英二が周太に言った。

「俺は構わないけど?周太に触れられるならね、俺は犯罪者でもなんでもなるよ。だって、それくらい周太が欲しいな」

だから困らせないで?
ほんとうは求められれば嬉しくて、心が温かくなってしまう。
けれど今はだめ、だって警察官なのだから。そんなふうに困ったままに周太は唇を開いた。

「…そういうことおねがいだからいまはいわないで…うれしい、けど、困るから、ね?英二」

言いながらつい俯いてしまう、そのまま歩いていると隣も静かに歩いてくれている。
どうしたのかなと見上げると、穏やかな貌で佇むよう英二は歩いている。
こんな貌の時はきっと、なにか考えごとをしているとき。
そんなふうに解るのがうれしい、そう微笑んだときに新宿警察署の前に着いた。
けれど英二は気づかずに通り過ぎようとしてしまう。
やっぱり考えごとしてる、急いで周太は英二のブラックコートの背中を掴んだ。

「あの、英二?もう警察署の前なのだけど」

すこし驚いたように切長い目が周太を見つめた。
そしてすぐに微笑んで英二は、やさしく周太に謝ってくれた。

「あ、ごめんね周太」

一緒に新宿警察署のロビーへ入ると、いったん立ち止まった。
今日の英二は私服だから中へは一緒に入れない、周太は英二を見上げてお願いをした。

「じゃあ英二、俺、携行品を戻してくるから。それから着替えてくるから、どこかで待ってて?」
「うん、周太。待ってるよ」

きれいに笑って英二は頷いてくれる。
この笑顔が見れてうれしいな。そう周太は微笑んで、マフラーを返しながら提案した。

「待ってる場所が決まったら、あの、…メールしておいてくれる?」
「ああ、メールするね、周太。なんかさ『くれる?』っていいね、おねだりって感じだ」
「…だからこういうところではなんか困るから、ね?」

そんな会話を交してから周太は、携行品を保管へと返却すると独身寮の自室へ周太は急いだ。
自室の扉を開けると、制帽と活動服の上着を脱いできちんとハンガーに吊るす。
そして支度しておいた私服の着替えを持って浴室へ行くと、当番勤務明けの風呂を周太は済ませた。

さっぱりして自室へ戻ると周太は携帯を開いた。
すぐに受信メールを開くと待っていた送信元からだった。

From  :宮田英二
subject :ここにいる
本 文 :あの木の下で待っている

「…あの木の下、」

ちいさく呟いてすぐに周太は微笑んだ。
きっとこの寮から近くの街路樹のことだろう。
あの常緑樹の下で1ヶ月ほど前あのとき、英二と2つめの「絶対の約束」を結んでいる。

―いつか必ず一緒に暮らすこと

そんなふうに英二は自分に願いを告げてくれた。
ほんとうに自分でいいの?そんな想いと喜びで自分は応えてしまった。

―必ず自分の隣へと帰って来て

それは初雪の夜に全てを懸けた自分の願い、1つめの「絶対の約束」の想い。
そうして1つめと2つめの「絶対の約束」は一繋ぎの約束になった。
絶対に必ず英二は周太の隣へ帰ること、そしていつか必ず一緒に暮らすこと。
そんなふうに生きて笑って、一緒に幸せになっていく。
どちらもきっとささやかで、当たり前のような約束なのだろう。
けれど自分たちには叶えることは容易くない、危険と向かう警察官には明日の約束すら難しいから。

それでも約束したい、叶うまで何度だって約束を重ねたい。
もうそれくらい愛している、あの隣の幸せを願い祈り生きていきたい。
そんな愛する隣はいつだって約束は全力で守ってくれるから、だから約束で自分はあの隣を守りたい。
あの隣に「絶対帰ってきて」そんな約束をすれば、何があっても生きて無事に帰って「約束」を成就してくれる。
そんなふうに英二が無事に生きる為「約束」で英二を繋いで。そうして「約束」をザイルにして自分は英二を守りたい。

そして今日きっと3つめの「絶対の約束」を結ぶために英二は自分の隣に帰ってきた。
そして、その約束はもう「当たり前」すらない最高の危険に充ちている。

―生涯ずっと最高峰から想いを告げていく

最高峰は世界で最高の危険地帯、それ以上の危険などこの世にはない。
その危険が怖い、不安になってしまう、それでも自分は止められない。
だって英二が見せる山での姿は真実の英二の姿、それは本当に美しく輝くと自分は知っているから。
だから止められない。そんな真実ありのままの姿で、英二が生きることを願ったのは自分だから。

だから願ってしまう祈ってしまう、どうか想いのままに生きていて?
そして想いのままに輝いて、生きる誇りも意味も喜びに、きれいな笑顔を見せていて?
そうして必ず自分の隣に帰って、きれいな笑顔で一緒に暮らしてほしい。

だから3つめの「絶対の約束」を、今日、自分は全てを懸けて繋いで結んでみせる。


「…ん、きっとね、…出来る、」

小さく呟いて周太は微笑むと、ショールカラーコートを着てマフラーを巻いた。
それから仕度しておいた鞄を持つと、自室の扉を開いて廊下へ出た。
そして外泊許可の担当者へと一声かけていると、ちょうど同期の深堀も窓口にやってきた。
いつものように深堀は気さくに笑いかけてくれる。

「おはよう、湯原。当番明けて、今から帰るとこ?」
「ん、おはよう深堀。そう、今からね、実家に帰るんだ…深堀は明日?」
「うん。俺は今夜が当番勤務だからね、明日朝に帰るよ」

こんな他愛ない挨拶ができる、そういう相手がいるのは楽しい。
いつも周太は深堀と話すとき、普通に話せる同期がいるのはいいなと思える。
そんな深堀がふと気がついたように、周太の目を見て微笑んだ。

「湯原、宮田とも会うんだよね?宮田ってさ、卒配後は会う度かっこよくなるよな。よろしく伝えて?」

やっぱり解っちゃうのかな。
すこしだけ驚きながらも周太は、きれいに微笑んで答えた。

「ん、…英二はね、かっこよくなるね。よろしく伝えておく」

きちんともう隠さず言える。
そんな自分も誇らしい、こんなふうに少しずつ自分も胸張れるようになりたい。
そう微笑んだ周太に、さらっと笑って深堀は外泊申請書をファイルから出した。

「うん、ふたりとも楽しんできてね。じゃ、またね湯原」
「ん、ありがとう。深堀も明日は、楽しんで」

深堀と別れて周太は、急いで独身寮の出口を降りた。
出口から外へ出ると雪がまばゆい。あたり一面の白銀は周太の瞳を細めさせた。
すこし細めた瞳を周太は、あの街路樹へとむけた。

「…ん、」

常緑の梢ひろやかな木は、今朝の雪に白く輝いて佇んでいる。
その白銀の木蔭で、長身のブラックグレーのコート姿が穏やかに微笑んだ。
きれいな微笑みが自分を見てくれている、うれしくて周太は雪のなか駈け寄った。

「お待たせ、英二。ごめんね?」

急いだ分だけ声が軽く弾んでしまう。
そんな周太に英二はうれしそうに微笑んでくれた。

「うん、待ったよ周太?だからこっち来てよ」
「ん、」

笑いかけてくれながら英二が、そっと周太の右手をとってくれる。
そして周太は静かに雪明の木下闇へ惹きこまれた。
この常緑の木の下で、1ヶ月ほど前の夜に自分達は別れた。
そして今この朝ふたたび自分の手を英二が掴んでくれている、見上げる想いの真中で英二はきれいに笑った。

「周太、逢いたかった、」

そのまま手を惹きこまれて、白銀の木下闇にやわらかく周太は抱きとられた。
抱きしめてくれる胸がニットを透かして頼もしいのが解る、ことんと周太の心が時めく想いに響く。
抱かれる温もりうれしくて、見上げる想いが幸せで周太は微笑んだ。
そして雪の梢の翳で英二は周太に静かなキスをした。

かすかなオレンジとコーヒーの香に熱くふれる唇。
抱きしめてくれる細身だけれど逞しい大きな体、頼もしい伝わる鼓動、抱き寄せる大きな掌。
すべて委ねて甘えても大丈夫だと、心ごと体が預けられていく。そんな包容力と温もりが幸せで愛しい。
そして自分こそがこの美しいひとを守りたい、そんな想いがゆるやかに勇気に寄りそっていく。

逢いたかった。
ずっと逢いたくて心配で恋しかった、そして愛しかった。
ただ無事を祈って、毎日の電話とメールに無事を知らされ喜んで、きれいな笑顔を想っていた。
そして今を抱きしめられて、この笑顔も温もりも全てが愛しい。

ひとり想い重ねる時を越えて、白銀の木下闇で周太は英二に再会した。




(to be continued)


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第30話 誓夜act.5―side story「陽はまた昇る」

2011-12-25 23:59:34 | 陽はまた昇るside story
※後半1/3あたりR18(露骨な表現はありません)

かさねたい想い、




第30話 誓夜act.5―「陽はまた昇る」

夕食に英二はご飯を8杯食べた。

「今夜はね、たくさん炊いてあるから…たくさん食べてね?英二」

たくさん食べてねと周太に言われて遠慮なんて出来ない。どの惣菜もやっぱり美味しかった。
のんびり2人だけの食事は1ヶ月4日ぶり。
そして周太の手料理を2人だけで摂るのは初めてだった。

「周太、これ旨いね。南瓜のなんだろ?」
「ん、…それはね、南瓜の生地の中に、鶏挽肉を詰めて蒸すんだ」
「へえ、凝ってるな。周太ってほんと料理上手いな。こっちの牛肉のとかさ、すごい旨いよ?周太」
「そう?…牛肉のたたきにね、玉ねぎと醤油バターで作ったソースをかけたんだ…付合せの焼野菜も食べてね、英二?」

口に入れるたびに嬉しくて、英二は周太に訊きながら微笑んだ。
これはきっと普通に幸せな食卓の風景、けれど英二には宝物の時間でいる。
食事が終わってからも、一緒に皿を洗いながら英二は素直に周太の料理を喜んだ。

「やっぱり俺、周太の作ってくれたものがね、一番好きだな」
「ん、そう?…今日は何が一番おいしかった?」
「昼の鶏のクルミのやつと、夜の牛肉のが双璧かな?
 でもさ、本当になんでも旨いよ。俺、周太を嫁さんに出来て幸せだな。ほんと嬉しいよ。ね、周太?」

洗う周太の手から皿が一枚つるり水桶に滑り込んだ。
そのまま首筋を赤く染めながら、遠慮がちに周太は口を開いた。

「およめさんとかはずかしい…ね、英二、おれおとこなんだし…」
「だって周太、俺にプロポーズしてくれたろ?…あ、それとも俺が嫁さんなのか?でも周太、それは変だよ」
「あの、…ね、英二?」

ちょっとその話は恥ずかしい、そんなふうに黒めがちの瞳が困っている。
けれど英二はわざと気づかぬふうに話を続けた。

「どうみても俺のが旦那だろ?俺のがでかいし、するのは俺だし。ね、周太?されるほうがさ、嫁さんだよ」
「あ、の…おさらおとしたらこまるから…お願い…これいじょうはかんべんして赤くさせないで…」
「なんで周太?だってさ、周太が俺にプロポーズしたんだよ。キスして、時計くれて。ね、周太?」

周太から。それが英二には嬉しくて仕方ない。
自分が欲しいモデルのクライマーウォッチを周太が贈ってくれた。
そして英二がしていたものを欲しいと周太はねだって、英二の時間も全部下さいと言ってくれた。
そんなふうに腕時計を贈り合って約束して。そんなの本当に婚約の結納だろう、幸せで英二は微笑んだ。

「だからね、周太は俺の嫁さんになるよ?だって俺、そう決めてるしね」
「あの、…ん、決めちゃったの?…でも女の子じゃないから…ね、英二?」
「周太はさ、女の子だとか関係ないよ?ただ俺は、周太だけが欲しいんだ。だからね周太、俺の奥さんになって?」
「ん…うれしいけど、赤くなるから…ちょっと…今はダメ、」

そう気恥ずかしげに周太は片付け終えると廊下への扉を開いた。
その赤い首筋を追いかけて英二は、廊下を歩きながら微笑んだ。

「ダメなんて言わないでよ?周太、俺の時間を全部あげたんだからさ、」
「ん、うれしい…でもはずかしくて、今はね、ちょっとダメ…」

真っ赤な顔で答えながら周太は、洗面室の扉を開いた。
そして周太はバスタオルを用意すると英二に手渡してくれた。

「はい、英二。…お風呂、沸いてるから入って、ね?」

そう言って微笑むと周太は行ってしまった。
なんだか躱されたのかな?英二は首傾げながらも、そのまま素直に服を脱いだ。
扉を開けると清潔なタイル張りの浴室は、レトロな雰囲気に湯気が温かい。
体を流すと英二は広めの湯槽に浸かった。

…なんか、ほっとするんだよな

ほっと息をついて髪をかきあげながら英二はゆっくり視線をめぐらしていく。
ゆとりある造りの浴室は、白と紺のタイルが清楚でかわいらしい。
この家はどこも旧き良き折衷建築を想わせる、そんなどこか懐かしく端整な佇まい。
周太の曾祖父が建てた家に、手を入れながら住んでいると周太の母は言っていた。
きっと大切に住んできたのだろう、そんな家族の想いの連鎖がきれいで英二は微笑んだ。

けれど、その連鎖は周太で終わってしまうだろう。
もう周太には子供は出来ない、周太は女性と結婚せずに自分と生涯を共にするから。

この家の一人息子の周太を、男の自分が独占する為に家を途絶えさせてしまう。
それは、この家の想いの連鎖は途絶えることになる。その罪を英二はもうずっと考え続けてきた。
この家の想いに恨まれても当然のことを自分はしている。解っている、自分が何をしているか。
それでも諦められなくて離れられない、何度考えても無駄になる。ゆっくり天井を見つめて英二は呟いた。

「…でも、自分が守りたい」

英二は自分の肩を見た。
その白い肌には赤い線が浮かび始めていた、この傷痕によせる想いに英二は微笑んだ。
これはザイルの擦過傷の痕だった、こうして湯などに火照ると今も現れてくる。
この傷痕は警察学校の山岳訓練で、救助した周太の背負い紐にしたザイルの痕だった。
あのとき初めて周太を背負った、その想いも感覚も自分にとっては喜びでいる。

こんなふうに傷痕がついたって構わない。
周太を守って幸せに笑わせて、その笑顔を一番近くから見詰めることが出来るなら。
その為になら自分は何だって出来る「きれいな愛玩人形」だった自分を救ったのは周太だから。
だから自分は周太のもの、だから周太のためだけに自分は全てを懸けることが出来る。

だってもう知っている、周太の運命の辛さも周太の素顔の美しさも。
そして惹かれて愛してしまった、そして周太に愛されることを掴んでしまった。
どうしてそれを手放すことができるだろう?

生まれるべきだった周太の子供、それを自分は奪ってしまう。
けれどすこし言い訳が許されるなら、きっと周太を守ることは自分にしかできない。
だからどうか許してほしい、自分が周太の隣に立ち続けること。
自分の全てを懸けて必ず守るから、幸せに笑わせ続けるから。どうかこの家の想いも見守ってほしい。

「…どうか、許してください…」

そっと呟いた英二の微笑みを、静かな涙が伝ってこぼれた。
その白い肩にはザイル痕が、あざやかな赤い糸のように浮かんでいた。


湯から上がると英二は、タオルで髪を拭きながら気が付いた。
自分は、着替えを準備しないで風呂に入ってしまった。

「まあ、…お母さんいないし、いいか」

そんなふうに呟くと英二は、バスタオルを腰にまいた格好のまま扉を開いた。
脱いだものを片手に携えてリビングを覗き込んでみる。けれどリビングには周太はいない。
ちょっと寒いなと思いながら英二は階段を上がると、周太の部屋の扉を開けた。

「周太?」

やわらかなデスクライトの部屋には周太はいなかった。
けれど木造りの梯子には灯りの気配がある、たぶん屋根裏部屋にいるのだろう。
とりあえず先に服を着ようかな、英二は鞄から出して着替え始めた。
コットンパンツを履き白シャツに袖を通しかけたとき、背中に感じた視線に振り向き英二は微笑んだ。

「周太、」

声をかけた先で黒目がちの瞳が大きくなっている。
どうしたのだろう?シャツを着かけた手を英二は止めた。そして周太の顔を覗き込んで英二は笑いかけた。

「どうした、周太?」

見つめる顔が赤いのが温かいデスクライトにも見える。
どうしたのか言って欲しいな?そう目で訊くと、そっと周太は唇を開いてくれた。

「ね、英二…その、肩の赤い線は?」
「ああ、これ?」

ザイル傷の痕を周太は見てしまったらしい。
答えかけて英二は詰まってしまった、周太はあの時の傷痕と知ったらどう思うだろう?
けれど何て言えばいいのだろう、困りながら英二は部分的に答えた。

「うん、山岳訓練の時のだよ」
「俺が、怪我した時のザイルの…痕になってるの?」

すこし首かしげて英二は微笑んだ。
まさかこんなふうに周太にばれると思わなかった。
警察学校の寮ではいつも、周太に見えないように気を付けて風呂に入っていた。
普段は薄くしか見えないから気づかれ難い傷痕、でもここで見つかるなんて。
そんな想いに見つめる周太が、英二を見上げて言ってくれる。

「…俺のせいで、英二に傷をつけて…ごめんなさい、ずっと気づかなかった」

見上げてくれる黒目がちの瞳は哀しげで、すこし不安げでいる。
そんな顔しないでいいのに?英二は微笑んで周太を見つめた。

「周太、この痕はね?俺にとっては、うれしいものなんだ」
「…うれしい、の?」
「うん、うれしいよ?」

頷いて英二は周太の顔を覗き込んだ。
そして微笑んで英二は、穏やかに周太に言った。

「俺がね、初めて周太を背負った記念だろ?だからね、うれしいんだ。それにさ、ちょっと赤い糸みたいだろ?」

きれいに笑って英二は周太の肩へと腕を回した。
どうか笑って欲しいな?そう見つめながら英二は周太の頬へ掌でふれた。

「周太、笑ってほしいよ?だってね、これが赤い糸ならさ、周太は俺の嫁さんだって証拠だろ?」
「…証拠、なの?」

すこし黒目がちの瞳が笑ってくれた。
うれしいって想ってくれるのかな?そうだと嬉しい、英二は周太に微笑んだ。
そして静かに唇を周太の唇へと重ねた。

「うん、俺の嫁さんって証拠。愛してるよ、周太」

重ねた唇といっしょに体ごと想いを抱きしめる。
ふれる温もりがうれしくて、抱きしめる鼓動が温かくて、ほほ触れる香が愛しい。
ふるえる唇に欲しくなって英二は深く唇を重ねた、繋がる温もりとかすかな甘い香が愛おしい。
そっと唇を離して瞳の視線をからめとると、英二は周太に微笑んだ。

「ね、周太?続き、したらダメ?」
「…っ、今は…ダメです」

言いながら周太は真っ赤になっている。
そんな様子が可愛くて、英二は周太に笑いかけた。

「じゃあさ、周太?後でならいい、そういうこと?」

黒目がちの瞳が伏せられてしまう。
ちょっとやりすぎかなと見つめていると、そっと周太は唇を動かしてくれた。

「ん、…だって、…絶対の約束だから…ね、」

そう英二に告げた黒目がちの瞳が気恥ずかしげに微笑んだ。
そんなふうに言ってくれるの?
すこし驚いて見つめる英二の腕から、そっと周太が抜け出した。

「あの、…風呂、冷めちゃうから…」

そうして着替えを持った周太は、軽やかに部屋から出て行った。
扉が閉まると英二は、ほっと息をついてデスクの椅子に座りこんだ。
座ったままシャツに袖を通して、英二は背もたれに腕ぐむと顎を乗せた。

「…周太、いろいろ、反則だよ?」

1ヶ月と5日の間に、周太はきれいになっている。
そして想ったことを前より素直に伝えて、英二の心をノックする。
そんな様子が可愛くて幸せで、ずっと見つめていたいと思い知らされて。
こんなふうにされたら、きっと明日の別れが本当に辛くなるだろう。
自分はどうなるのかな?すこし寂しく微笑んで英二は立ち上がった。

窓辺に立つと夜の底に雪が白い、まだ明け方の雪が庭にも残されている。
きっと今夜は雪で冷え込むのだろう、ふっと奥多摩を想いながら英二は屋根裏部屋へと上がった。

しんと鎮まる小部屋は穏やかな静謐がどこか温かい。
星と雪の明りにほの明るい部屋で、英二はロッキングチェアーに腰かけた。
乾いた微かな軋音、ゆるやかな椅子の揺れ動き。居心地よさに英二は微笑んだ。
きっと周太の父の人柄を表したような椅子、そんな穏やかな気配に座って天窓を見上げた。
そうしてぼんやり空を見上げながら、英二は揺れる椅子に佇んだ。

「…っん、?」

ふっと気配に英二は目を開いた。
いつの間にか眠っていた、静かに開いた視線の真ん中で黒目がちの瞳が見つめてくれる。
この瞳に惹かれるままに自分は、山岳救助へ立ち最高峰にも立とうとしていく。
見つめ合う瞳へと英二は長い指を伸ばした。

「おいで、周太?」

伸ばした長い指で掌を惹きこんで、英二は周太を膝へと載せた。
膝に載せた体を抱きしめて、静かに英二は笑いかける。

「周太、いつから見つめていた?」
「ん、…ついさっき…英二、すぐに気がついてくれた」

気恥ずかしそうな笑顔が可愛くて、英二は笑ってキスをした。
穏やかに抱きしめて微笑んで、見つめてくれる瞳が幸せで。
そんな想いのまま英二は周太を抱き上げ立ち上がった。

「周太、」

きれいに笑って額に額をつける。
そうして抱き上げたまま英二は、木造りの梯子階段を下りた。
下りた部屋はデスクライトが温かい。やさしい仄暗さに白くうかんだベッドへと、そっと周太を抱きおろした。
抱きおろした黒目がちの瞳を見つめて、きれいに笑って英二は言った。

「周太、絶対の約束をね、結ばせて?最高峰で俺は、周太の時計で時を刻むよ。
 俺は、最高峰で周太を世界一愛しているって想う。そして最高峰からも、俺は必ず周太の隣に帰る」

静かに黒目がちの瞳が見つめてくれる。
そして穏やかに周太は微笑んでくれた。

「ん、…俺の時計と、登ってきて?そして俺のこと想いだして。
 そして、必ず帰ってきて?…俺はね、英二の時計で時間を見つめて、信じて待っているから」

見つめてくれる瞳には深い思いと勇気がまぶしい。こんなにきれいな瞳のひとが、自分を信じてくれている。
その想いを抱いて自分は、この愛する人のために最高峰へ立ちに行く。

「うん、周太。俺のこと信じて待っていて?絶対の約束だ」
「ん、…待っている、俺はずっと待っているから…帰ってきて。だから、絶対の約束をして?」

答えてくれる黒目がちの瞳が愛しい。
この瞳がほんとうに好きだ、諦めることなんか出来やしない。
唯ひとり愛しい瞳へ英二は、きれいに笑いかけた。

「絶対の約束をするよ?だからね、周太…好きにさせて」

告げながら英二は唇に唇を重ね、そのまま深く重ね合わせた。
ふわりあたたかい唇、零れる吐息かすかにオレンジが香っていく。
すこし喘ぐような愛しい頬を長い指にくるんで抱きとめて、口づけを深ませ離さない。

「…っ、…、」

かすかにふるえる重ねた唇、熱くなる吐息。そんな熱の向こうから応えてくれる愛しい想い。
応えられる想いがうれしくて、重なる唇にふれる想いが幸せで。
蕩かされる想いに英二は微笑んで、交す唇の甘さに溺れこんでいく。

「…周太、愛している、」

そっと離れた唇が愛しくて離れがたくて、ゆっくり英二は唇を重ねた。
長い指は想い人の白いシャツを絡めとって、艶やかな素肌を晒してしまう。
そうして素肌ごと想いを抱きしめて、想いと約束を周太の体へと刻み込んだ。

「周太、…必ず、俺を待っていて…信じてよ、周太」
「…っあ、…ん、しんじ、てる…」

こぼれる吐息の合間にも想いと約束をねだっていく。
だって今このときの次が、いつあるのかも解らないから。
だから後悔なんてしないように、今に全てを懸けてしまう。

「周太…俺だけをね、見てよ…俺だけね、愛して?」
「…あいしてる、…えいじ、だけっ…んっ、あ」

求めながら心ごと体ほどいて、深く繋いで結びつけていく。
応えてくれる想いごと、小柄で洗練された肢体に重ねて抱きしめて。この腕に深く抱き込んで離せなくなる。

「周太、…見つめてよ?…周太の瞳、大好きだから」
「っ…ん、だいすき…え、いじ」

求める想い深くなる。際限なく想いを交して瞳を交して確かめる。
どうしてこんなふうに出会ってしまえたのだろう?
どうしてこんなに求めて想えば幸せなのだろう?
そして自分はこの想いのために、際限なく強く賢くなっていける。そうして愛する人を守って、隣に立っていたい。

穏やかに英二の目覚めは訪れた。
ゆるく開いた視界には、かすかな青さが窓の向こうに沈んでいる。
きっと6時くらい。長い指を伸ばした先にふれる時計は、昨日までと違う時計。
想った通りの時間に微笑んで、英二は時計を戻しながら腕の中を見つめた。

デスクライトの温かい光の底で、おだやかな寝顔がきれいだった。
長い睫の翳、紅潮うつくしい頬と首筋、艶のけぶる肌理。微笑んだ唇が艶めかしくて見つめてしまう。
この唯一つの想い、愛する隣の寝顔が愛おしい。
すこしだけ顔を動かして英二は、そっと微笑む唇へと唇を重ねた。

「…っん、」

重ねた唇から吐息がこぼれてくれる。
もしかして目を開けてくれるのかな、うれしい予感に英二は長い睫を見つめた。
そう見つめる想いの真ん中で、長い睫がゆっくり上げられていく。
そうして黒目がちの瞳が微笑んで、英二の目を見つめてくれた。うれしくて幸せで英二は笑った。

「おはよう、周太」

きれいに笑って英二は、大好きな瞳へ今日一番の「おはよう」と笑顔を贈った。
微笑んで見つめ返してくれる瞳は、きれいで純粋で穏やかな静謐が惹かれてしまう。
この瞳をずっと見つめていたい、そんな想いの英二に周太は微笑んでくれた。

「ん、…おはよう、英二…」

ほら、こんなにこの隣はきれいだ。
うれしくて英二は長い指で、そっと周太の髪を梳きながら笑いかけた。

「きれいだね、周太。今朝もね、すごく可愛くて美人だ」
「…そんな、…あさから恥ずかしくなる…でも、ありがとう、ね、英二」

やわらかな髪が指に絡まる、そのたびに穏やかでさわやかな香が心ふれる。
この香が英二は片想いの頃からずっと好きだった。
髪を梳かれながら微笑む周太の、素肌の肩が愛しくて英二はそっと抱き寄せた。

「周太、体はどう?辛くない?」
「ん、…すこし怠いけれど、だいじょうぶ…気遣わせてごめんね。ありがとう」
「いや、周太は謝らなくていいだろ?だって俺の所為なんだから。ね、周太?」

昨夜も英二は何度も周太を起こしてしまった。
「好きなだけ」を許してもらえてうれしくて、1カ月以上も逢えず募らされた想いが喜んで。
そして眠りに落ちかける周太を抱き起しては、また想いを刻んで揺すって口づけた。
あの初雪の夜に初めて響かせた、周太の艶めかしい声を聴きたくて。
だから昨夜も聴けたときは本当に嬉しくて、幸せで、それで英二も「好きなだけ」が充たされた。

「周太。すこし楽になるまではさ、こうして寝てよう?」
「ん、…ありがとう、英二」

幸せそうに微笑んでくれる周太はまた、きれいになっている。
あの初雪の翌朝もそうだった、周太は驚くほどきれいになっていた。
こうしてまたきっと、周太はきれいになっていく。
こんなふうに幸せに微笑ませて、本当に幸せにしていきたいな。そんな静かな想いに英二は微笑んだ。

ゆっくり眠った後で目覚めた周太は、朝ごはんの支度をしてくれた。
あの初雪の翌朝もそうだった、周太は思ったより元気そうでいる。
やさしい味の味噌汁を飲んで英二は、幸せでうれしくて笑いかけた。

「周太の味噌汁、俺、ほんと好きだな」
「ん、…そう?なら、うれしいな。…そのうちね、自分でも味噌、作ってみるね」
「周太、美代さんのレシピ見てみたんだ?」
「ん。自分でもね、出来そうなんだ…あと手紙もね、うれしかった」

他愛ない話をしながらの穏やかな朝の時間、温かな朝食の心づくしが幸せだ。
こんな朝を毎日の日常に出来たらいい、きっとこの夢を自分はかなえてみせよう。
そんな想いに微笑んで、きれいに英二は笑っていた。



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第30話 誓夜act.4―side story「陽はまた昇る」

2011-12-24 23:59:57 | 陽はまた昇るside story
ほしいものは、




第30話 誓夜act.4―side story「陽はまた昇る」

台所にくゆる湯気が温かい、ほっと安らぐ匂いが幸せで英二は微笑んだ。
微笑んで見つめる調理台の前には、いつもの紺色のエプロンをきちんとした周太が立っている。
その手元が手際よく動いていくのを、つい英二は飽きもせず見つめてしまう。
邪魔になるかなと思いながらも、つい英二は思ったままを話しかけた。

「ね、周太?それは何を作ってるところ?」
「ん、…鶏をね、クルミを混ぜた衣で焼く、よ?…だからクルミを炒って、香りをだしているところ」
「旨そうだね、周太。俺ね、クルミの衣って初めて食うよ。楽しみだな」

こんなふうに食事を作ってくれる姿、ほんとうに日常のありふれた風景。
けれど英二には本当に幸せで嬉しくて仕方がない。
幸せに英二は微笑んで、紺色のエプロンの肩越しに手元を覗きこんでいた。
こうすると周太に近くて良いなと見つめていると、遠慮がちに黒目がちの瞳が英二を見上げた。

「あの…料理中はね…そんなにちかいとあぶないから…ね、英二、少しはなれて?」
「許してよ、周太?だってさ、もう1ヶ月と5日もさ、俺は我慢してきたんだから」

そんなこと言われても離れたくないよ?周太の肩に顎を乗せて英二は微笑んだ。
そう覗き込む黒目がちの瞳が困ったなと考え込んでいる。それも可愛くて英二は周太に笑いかけた。

「じゃあさ、周太。なにか手伝わせてよ?でないと俺、離れられないから」
「あ、…じゃあね、クルミを砕いてくれる?…いま火から下ろして、すり鉢に移すから」
「うん。周太、お手本見せて?そしたら俺、出来ると思うから」

こんなふうに一緒に台所に立つ時間も良いな。うれしくて英二は教わりながら手伝った。
いつか一緒に暮らす時にも、こんなふうに周太を手伝って隣に立てたらいい。
その日を迎える為なら自分はどんなことでも出来る、だから最高峰に立つことすら自分は選んだ。
それは最高の危険地帯に立つ道、そこでのレスキューほど危険な仕事も無い。
その心配を周太に負わせることが辛い、けれどそれが周太を援けて幸せに出来る唯一の道だろう。

それでも、ごめんね周太?
俺にはこの道しか思いつけない、そしてこの方法しか出来ないんだ。
たくさん心配させる、泣かせるかもしれない。それでもこの道でしか周太を援けることが出来ない。
この警察機構の最暗部へと向かう周太。それでも救いだす為の道は自分には、きっとこれしか無いから。
そして今はもう、その道に立つことは自分の夢にもなり最高のパートナーすら掴んだ。

だから、すまない国村。
大切な友人のお前と夢ですら俺は、周太を援ける為に利用するんだ。
お前はそれを全部理解して、それでも自分を生涯のアイザイレンパートナーに選んでくれた。
だから俺は全力でお前をサポートする、その為にも最高のレスキューに俺はなるから。
そしていつか周太を救いだしたら。その暁には楽しむ為だけにお前と山に登りたいよ。

きっと「いつか」を自分は掴んでみせる。
そして愛する人も友人も守りぬいて、必ず幸せに笑ってみせる。
そんな想いに微笑んで、英二は周太へと話しかけながら手を動かしていた。

「周太、こんなで大丈夫かな?」
「ん、…上手に出来てるね、英二。ありがとう…あ、今の、門が開いた音?」

周太の言葉に澄ました英二の耳に、飛び石を踏む音が聞こえた。
軽やかな足取りはきっと彼女だろう、微笑んで英二は周太の顔を覗きこんだ。

「周太、お出迎えしてきていい?」
「…ん、ありがとう。きっとね、喜ぶ」

うれしそうに黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
ほら、笑ってくれた。その笑顔がうれしくて英二は周太の頬にキスをした。

「…っ、」

不意打ちに黒めがちの瞳が大きくなる、そのまま紅潮が首筋きれいに昇りはじめた。
この顔かわいくて好きだな、幸せで英二は微笑んだ。

「かわいい、周太」
「…あの、だからりょうりちゅうはあぶないからって…うれしい、んだけど…あ、母の出迎え、おねがい」
「お願いしてくれるんだ、周太?うれしいよ、周太の『おねだり』はさ」

きれいに周太に笑いかけて英二は、あわい紅の花束を提げて玄関に向かった。
落着いた端正な玄関口に立つと、ちょうどオーク材の扉が開いていく。
そして明るい黒目がちの瞳が、玄関に佇んだ英二を見つめてくれた。
タイミング良かったな、きれいに笑って英二は出迎えた。

「おかえりなさい、お母さん」

英二は初めての呼び方で彼女に呼びかけた。
そんなふうに迎えた黒目がちの瞳が明るくきれいに笑ってくれる、楽しげに周太の母は応えた。

「ただいま、英二くん」

初めて名前で呼んでくれたな、うれしくて英二は笑った。
笑いかけながら彼女から鞄を受け取ると、あわい紅に白と銀緑の花束を手渡した。

「はい、クリスマスの花束です。お好みに合いますか?」
「ええ。うれしいわ、どの花も好きよ?バラの実がね、クリスマスぽくて素敵」

きれいに笑ってくれる彼女は、どこか年を忘れたように透明でいる。
周太も年齢より幼げで透明な雰囲気を感じさせる、やはり周太は母似が多いのだろう。
このひとが自分の大切な人を生み育ててくれた、そして自分も受け留めてくれる。
もし彼女がいなかったら周太に会えず、きっと自分は今頃も人形のように生きていた。
そして少しずつ壊れていっただろう。
だから彼女も自分は大切にしたい、英二は微笑んだ。

「ご無沙汰して、すみませんでした」
「とても頑張っているのでしょう?ほら、見ただけで解かるわ」
「どこか変わりましたか、俺?」
「ええ。また大人になったな、て思ったわ。一生懸命に仕事をしている背中ね?あ、コート脱いでくるわ」

話しながら階段へ足を向けた彼女と、鞄を持った英二も一緒に2階へ上がった。
彼女の自室の前で鞄を渡すと、ふっと黒目がちの瞳が微笑んだ。

「とても意志の強い目になったね?」

なにか決意をしたのでしょう?そんなふうに瞳が微笑んでくれる。
そのとおり英二は1つの決意をした。それを彼女には話しておきたくて英二は一緒に2階へ上がった。
彼女にも受け留めてほしい、英二は静かに口を開いた。

「最高峰を登るために生まれた男とね、友達になったんです。
 それで言われました、生涯のアイザイレンパートナーとして一緒に最高峰を登ろうと」

すこしだけ黒目がちの瞳が大きくなる。その瞳は周太と似て、けれどまた違う強さを持っていた。
そんな瞳で微笑んで彼女は、静かに英二に訊いてくれた。

「彼は周太のことを、知っているの?」
「13年前から事件を知っていたそうです、それで周太が誰か解かっていたと言われました。
 そして俺と周太のことも全部を解かった上で、俺をアイザイレンパートナーだと言ってくれます」

国村は全部を理解している、そのうえでアイザイレンパートナーを組むと言っている。
それは国村も一緒に周太を守ろうと言ってくれていること、そのことが彼女には解かる。
きっとそれは彼女には嬉しく、そして悲しい。
黒目がちの瞳を揺らしながら、それでも穏やかに彼女は微笑んだ。

「彼と2人で、もう、決めてしまったのでしょう?」
「はい、決めました。あいつはね、最高のクライマーなんです。
 だから俺はね。最高のレスキューとして、あいつを支えて登りたいんです」

きれいに微笑んで英二は彼女の瞳を真直ぐに見つめた。
どうか心配しないで?俺たちは大丈夫だから。そんな想いで見つめる黒目がちの瞳が、ふっと笑ってくれた。

「最高のレスキューとして、最高峰へ?」
「きっと、それが周太を援ける方法に繋がると思うんです。
 だから俺、最高峰に立ちにいきます。それに俺、最高峰に登ってみたいって思っていたから」

英二の言葉に黒目がちの瞳が微笑んでくれる。その瞳にはまた1つ想いが深くなっていた。

「やっぱり山ヤさんとしては、最高峰に登ってみたい?」

訊いてくれる瞳は寂しげで悲しげで、けれど明るい想いが深く笑ってくれる。
どうか悲しまないでほしいな、きれいに英二は微笑んだ。

「もちろんです。でもきっと俺、自分だけなら本気では目指せませんでした。
けれど、あいつが誘ってくれたから登れます。だから俺はね、本気で夢を叶えたいと思っています」
「どんな夢?」

またすこし明るくなった瞳が、微笑んで英二に訊いてくれる。
ほんとうに自分は幸せだからね?そう目で言いながら英二は言った。

「世界一の最高峰で、世界一に周太を愛してるって想いたい。それはね、最高に幸せだって思いませんか?」

最高峰から最愛の人を想うこと、それは山ヤにとって最高に幸せなことだろう。
こんな生き方と夢を春には少しも想像できなかった。けれど今この冬には全てが現実のことになっている。
それが不思議で、けれど本当に楽しい。そんなふうに笑いかけた英二に、彼女の笑顔が明るく咲いた。

「ええ。きっと最高に幸せね。だから無事に登って、必ず周太のとこへ帰ってきて?」

もちろんだ。
きれいに笑って英二はうなずいた。

「はい、必ず帰って周太に、ただいまって言います。これはね、絶対の約束です」


14時半になって、周太の母は軽やかに出かけて行った。
帰りは明日遅くなるからと微笑んだ彼女は、鞄を渡す英二にそっと耳打ちしてくれた。

「少しでも多く2人の時間を過ごして?そして、あの子を幸せに笑わせてね」
「はい、笑わせます」

2人の時間を作るために彼女は明日遅く帰るのだろう。
そんな彼女の気遣いにも周太の日々の寂しさが想われた。
ほんとうに毎日を一緒にいたい、けれど今それは出来ないことだった。
だからせめて今日と明日は幸せに包んでしまいたい。
出かけた彼女を見送って英二は、周太を振り向いて微笑んだ。

「ね、周太。周太の『雪山』を見せてよ」
「ん、…花がね、11月より、多くなった、かな?」

雪の庭へ入ると午後の陽に白銀が明るく輝いていた。
さくり音を踏んで木の前に立つと英二は、常緑の梢を見上げて微笑んだ。

「ほんとだね、周太?たくさん咲いて、きれいだ」

山茶花『雪山』は雪の寒さにも凛と咲いていた。
雪残る梢に真白な花々は咲いて、花を抱く常緑の葉は冬の陽光に映えて輝いている。
周太の誕生花として周太の父が植えた花木だった。

「御岳山の『雪山』もね、周太。たくさん花が咲いているよ。でも、これよりは少ないかな」
「ん、…ここのほうが陽当りが良いから、かな?」

花を見上げながら周太は、うれしそうに笑っている。
こんな笑顔をたくさん見つめたいな、雪の庭で英二は左掌と周太の右掌を繋いだ。

「すこし手が冷たいね、周太?家に入ろう」

やわらかく繋いだ掌の温もりが幸せで、英二は黒目がちの瞳に笑いかけた。
繋がれた掌に気恥ずかしげな瞳を伏せて、それでも周太は微笑んだ。

「ん、…あ、ココア飲む?」
「うれしいな、周太のココアは初めてだね。きっと甘いんだろな。ね、周太?」
「…なんかはずかしくなるんだけどなぜか…」

そっと繋いだ掌を惹きながら英二は周太と台所へ戻った。
台所に立つと周太はココアを作りながら、夕飯の支度も進めていく。
ほんとうに手際が良いなと見つめていると、周太が振り向いて微笑んでくれた。

「ね、英二。カップを出してくれる?…英二のと俺と、あと…その紺色のカップ」
「これかな、周太?」

紺色のカップには使いこまれた温もりが感じられた。
きっとそうだろう、英二は微笑んで周太に訊いた。

「周太、これが周太の父さんのカップ?」
「ん、そう…ね、英二。父の書斎にね、置いてあげてくれる?」

微笑んで答えながら紺色のカップを受け取ると、周太はココアを注いだ。
ゆるやかな甘い香の湯気をくゆらせながら、カップが満たされていく。
注ぎ終わると周太は、そっと英二に手渡してくれた。

「周太?俺、すこし周太の父さんと話してきていいかな」
「…ん。英二の話はね、きっと父もよろこぶと思う」

そう微笑んで周太は頷いてくれた。
なんの話なのか察しているだろう、そっと英二は周太の額にキスをして微笑んだ。

「すぐ戻ってくるから」

おだやかな陽射ふる廊下を歩いて、英二は書斎の扉を開いた。
書斎には窓からの陽光が、明るくさしこんで温かな空気がゆるやかでいる。
その空気に香を感じて視線をめぐらすと、あわい紅のバラが重厚なデスクで静かに香っていた。
バラは書斎の主の写真と佇んでいる、きっと周太の母が供えてくれたのだろう。
そんな気遣いがうれしい。そっと微笑んでカップを写真の傍に置くと英二は口を開いた。

「さっき俺、お母さんにも話しました。最高峰へ登ること」

見つめる写真に、周太の父は誠実な笑顔で佇んでいる。
どんな想いで自分の決断を見てくれるのだろう?見つめながら英二は言葉をつづけた。

「山ヤとしての夢も友達の夢も。なにより周太を幸せに笑わせたい。
 全部を叶える為に、俺、最高峰に立ちたいんです…見守ってくれますか?」

妻と息子を連れて山で過ごしていた、そして息子と植物の採集帳を作っていた。
自分の父親や息子や妻のために、手作りで家具を作っていた。
息子の誕生を寿いで誕生花を庭へと植え慈しんでいた。
そんな穏やかで家庭的な周太の父。その姿に思ったままを、ふっと英二は口にした。

「…なぜ、警察官になったのですか?」

周太の父が作った家具はどれも、頑丈だけれど繊細なフォルムが美しい。
周太の父が記したラテン語は、流麗な筆跡で書き馴れている。
山を愛し植物の造詣が深く、花言葉に寄せて息子の誕生花を植えた。
穏やかで博学で繊細な人柄が周太の父。そんな男が警察官になったことに、違和感が感じられてならない。

― 父はね、英文学科だったらしい。それでね、ラテン語とか得意だったみたい

周太が言っていたことを想いながら、英二は書棚へと向き合った。
書棚に並ぶ背表紙の記載はフランス語が並んでいる、それが英二には不思議だった。
なぜ英文学科出身でラテン語が得意な男の蔵書が、フランス文学ばかりなのだろう?
あれほどラテン語が流暢ならイタリア文学も親しむはず、そして英文学科なら英文学の原書が多いのが自然だ。
けれど英文原書は周太の部屋にある『Worthworse』とこの書棚の隅に納められた2,3冊くらい。
どうしてなのだろう?そう眺める書棚の1冊に英二の目がとまった。

『Le Fantome de l'Opera』

初めて周太と新宿で過ごした警察学校時代の外泊日。あの日に周太が買った本と同じ本だった。
紺青色の表装にも見覚えがある、けれどこの書棚に並ぶ背表紙は少し古びていた。
きっと元からある蔵書なのだろう、ではなぜ周太は蔵書と同じ本を買ったのだろう?
その本を長い指で抜き取ると、その重みに違和感を英二は感じた ― 軽すぎる。
そんな感触と開いた本に、英二の眼が少し大きくなった。

「…ページが無い、」

本は大部分が抜き取られ、最初の数ページと最後の数ページしか綴じられていなかった。
英二は窓辺に立ち綴じの部分を確かめた。よく見ると刃が逸れたような切傷も残されている。
わざと切り外した痕跡に英二の違和感が大きくなった。なぜこの本はページを切り取られたのだろう?
壊された本を持ったまま英二は書斎机の前に立った。
見つめる写真から周太の父が微笑んでいる、そっと英二は問いかけた。

「…なぜ、この本を壊してまで、手元に置いたのですか?」

周太の父の蔵書はどれも端正に保管され、きれいなままでいる。きっと本を愛する人だった。
本を大切に扱っていた周太の父、もし読まなくなった本なら古本屋に売るなり譲るなりするだろう。
なぜ本を壊し無残な姿にしてまでも、蔵書に置く必要があるのだろうか?

紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』と佇んだ英二に、階段を上がる微かな軋み音が届いた。
クライマーウォッチを見るといくらか時間を過ごしている。英二は元の場所に本をしまうと書斎の扉を開いた。

「…あ、英二?」

開いた扉のむこうに丁度、トレイを持った周太が通るところだった。
大好きな黒目がちの瞳が驚いたよう大きくなっている、可愛いなと英二は微笑んだ。

「周太、部屋でココア飲むの?トレイ持ってくよ」
「あ、ん…ありがとう、英二。あのね、屋根裏部屋は、陽当り良くて気持ちいいから、」
「そういうのいいね、周太。あと、遅くなったかな俺?ごめんね、周太」
「いや…ゆっくり父とね、話してくれたなら、うれしい…よ?」

そんなふうに話しながら英二は周太と屋根裏部屋に上がった。
上がった部屋は太陽が穏やかな温もりに満たし、白い壁と無垢材の床も明るんでいる。
サイドテーブルにココアのトレイを置くと、英二は書棚を覗き込んだ。

「周太。この本はみんな、周太の本?」
「あ、ん。そうだけど…あ、『Worthworse』はね、父の本…それから百科事典は祖父の、らしい」
「植物図鑑もあるんだね、周太?」
「ん、それはね、父が買ってくれたんだ…挿絵がきれいなんだ、あとラテン語でね、学術名が載ってる」

そう言いながら周太は図鑑を出してくれた。
受け取ってページを開いてみる、そこには繊細なタッチと鮮明な色彩の草木が描かれていた。
きれいでやさしい印象の、絵本のような植物図鑑。
周太らしい好みの本がなんだかうれしい、眺めながら英二は微笑んだ。
そうして立ったままページを繰っていると、なにか引きずる音がして英二は顔をあげた。
見ると梯子から周太がマットレスを上げようとしている、そっと本を閉じて木箱に置くと英二は笑いかけた。

「周太、そんなの俺がやるよ?ちゃんと頼ってよ」
「ん、ありがとう英二…でも大丈夫だよ、俺も力けっこうあるし…この押入れからね、上げただけだし」

一緒に運びあげて敷きのべると、真っ白なカバーが陽だまりにまぶしい。
ココアのトレイを傍に置くと並んでマットに座り込んだ。
天窓からふる陽射と青空が気持ちいい、温かいココアを飲みながら周太が微笑んで教えてくれた。

「あの椅子に座るかね…このマットレスで昼寝しながら、本を読むのがね…好きなんだ」
「周太の定位置なんだね。夜だと天窓から星が見える?」
「ん、見えるよ…月がね、ちょうど天窓に入ると、ほんとうにきれいだ」

他愛ない話をしながら繰る植物図鑑のページに、ふと英二の目がとまった。
ページには落葉松の林が描かれている、雲取山の野陣尾根と似た黄金の木洩陽がうつくしい森の姿だった。
きれいだなと眺めてページを押さえようと長い指を置くと、同時に周太が急いでページを繰ろうとした。
どうしたのかと見た周太の首筋に紅潮が昇り始めている。すこし驚きながら英二は隣を覗き込んだ。

「どうした、周太?なんでページ捲るんだ?」
「…あ、あの、…なんでもないんだきにしないで…」

見つめる周太の顔が赤くなっていく。
いったいどうしたのだろう?解からなくて英二は周太の顔を覗き込んだ。

「ね、周太?落葉松の林が何かいけなかったか?」
「…ん、あの、…いや、」

言い淀んで周太はマグカップに唇をつけて、黙ってココアを飲み始めてしまった。
こんな周太は今日2度目だ、昼間は「周太の欲しいもの」を訊いた時もこうだった。
恥ずかしがるのは周太らしい含羞が可愛い。けれど、言いたい事を言ってもらえないのは悲しい。
逢えない時間の所為か、それとも周太は俺が話し難いのかな。そんな寂しさに英二はため息を吐いた。

「周太、俺ってさ、周太には話し難い相手にね、…なっちゃったのかな」
「え、?」

黒目がちの瞳が大きくなる、この顔はやっぱり可愛い。
けれど今は寂しい気持ちが強いまま英二は口を開いた。

「だって周太?欲しいものもね、言ってくれないだろ?今も理由、教えてくれない。
 やっぱり逢えない時間が長くて、さ…俺のこと信用できなくなっちゃったのかな、て」

言っている端から英二の目の底が微かに熱い。
それでも英二はすこし微笑みながら周太を見つめた。

「ね、周太?俺のこと想ってくれるなら、話してほしいよ?周太が想うこと俺、全部を知りたいし聴きたい」

だから話してほしいな?そう見つめた英二の目から、ひとすじ涙が零れおちた。
泣いている?そんな自分に少し驚きながら、長い指で英二は涙を払って微笑んだ。
そう微笑みかけた黒目がちの瞳がそっと英二に近づいた、そして周太の唇がかすかに動いてくれた。

「…英二、ごめん…違うんだ」
「周太、」

静かに周太の唇が英二の唇にふれた。
やさしい周太からのキス、静かに英二は瞳をとじながら周太を抱きこんだ。
ふれるだけ。けれど温かで穏やかで幸せが寄り添ってくれる周太のキス。
この逢えなかった1カ月と5日の間、なんども想いだした優しい感触に英二は嬉しかった。
そっと離れると、黒目がちの瞳が真直ぐ英二を見つめてくれる。そして周太は恥ずかしそうに告げてくれた。

「…あの、ね、英二。…その落葉松の林の、絵がね、雲取山に似ていて…
 英二を想いだすんだ、それで俺…帰ってくるたびに見てた、から恥ずかしくなって…驚かせて、ごめん」

そんなのうれしい。
やっぱり自分の片想いじゃなくて、周太も想ってくれている。うれしくて英二は微笑んだ。

「周太も、俺を想いだしてくれたんだ?」
「ん、…いつもね、想ってる…新宿でも、そう。街のあちこちで、…英二の気配をね、探してしまうんだ」
「そういうのはね、周太?俺、すごいうれしい」

ほんとうにうれしい、うれしくて英二は周太の頬にキスをした。
とたんにまた頬を赤くして、それでも周太は言ってくれた。

「あのね、英二?…ちょっと一緒に来て?」

そう言って立ちあがると、周太は梯子を降りて行った。
英二も立って梯子を降りていくと、気恥ずかしい顔の周太が窓辺に佇んでいる。
雪の庭が見える窓へと英二も並んで立つと、困ったような顔で周太が1つの箱を差し出した。

「…あのね、クリスマスだから…これ、その…受け取ってほしいんだけど」

きれいな落着いたトーンの包装がされた箱が、周太の両掌にくるまれている。
自分へのプレゼント?うれしくて英二は周太に笑いかけた。

「周太から、俺にくれるの?」
「ん、…もし、好みとか違っていたら、ごめんね?…こういうのって、俺、…初めてで、解からなくて」

こういうこと慣れてない、気恥ずかしくて困り果てた顔で周太が立っている。
そんな様子もうれしくて英二は、そっと箱を受け取った。

「ほんとうれしいよ、周太。これも『初めて』だね、それも嬉しい。ね、開けていい?」
「ん、…開けてみて?」

ベッドに腰掛けると英二は膝の上で深紅のリボンを解いた、何を周太はくれたんだろう?
そして、そっと箱を開いた英二の目が大きくなった。

「…周太、これ…?」

アナログとデジタルの複合式クライマーウォッチが、おさめた箱の中で光っていた。
ブラックベースにフレームへとブルーの細いライン、英二にはよく見覚えがある。
それは英二が本当に欲しかったモデルのクライマーウォッチだった。

英二は山岳救助隊への進路希望を決めたときに、クライマーウォッチを買っている。
ほんとうはアナログ複合式がほしかった、けれどデジタル式の倍以上の値段で自分には贅沢だと諦めた。
そして今している濃い紺青色のフレームのデジタル式を、外泊日に周太と買いに行った。
けれどその時にも英二は、周太に複合式の話はしていない。

「どうして周太、これが欲しいって解ったの?」

不思議で訊いた英二に、周太が困ったようにすこし口ごもった。
そしてひとつ息を吐くと、気恥ずかしげに周太は唇を開いてくれた。

「あの…最初にね、青梅署に行った時…英二の部屋でカタログを見て…それで…ほしいのかな、って思って」
「あ、デスクの上に置いてあったやつかな、周太?」

デスクの隅に英二は、カタログを置いたままにしてある。
クライマーウォッチに搭載された機能を使い慣れるのに、最初の頃に何度もカタログを読み返していた。
それでそのまま置いてあった、最近はもう慣れて読むことも減ったけれど。
それでも時折に複合式のページを眺めて、いつか欲しいなと考えていた。

「ん、…あの、勝手に見て、ごめんなさい…あの、その時計、…違った、のかな?」

すっかり困った顔で周太は真っ赤になっている。
初めてプレゼントした事とカタログの事が恥ずかしいのだろう。
そんな様子もうれしくて、英二は笑いかけた。

「俺ね、周太?このクライマーウォッチ、ほんとは欲しかったんだ。
 でも俺は山の初心者だからさ、まだ贅沢だなって思って諦めたんだ。
 それをね、俺が頑張ってるの見てくれる周太から貰えるなんてさ、俺、うれしいよ?」

「…そう?…英二、喜んでくれる?」

こんな高いものを悪いよ。ほんとうはそう言いそうになった。
けれど周太は「初めて」を一生懸命に考えてくれた、その気持ちを壊したくなくて言わなかった。
ただ喜んで受けとることが一番に周太にはうれしいだろう。
それに「腕時計」を周太に貰えたことがうれしい、きれいに笑って英二は言った。

「うん。だってね、周太?腕時計をさ、周太から貰えるだなんて幸せだよ?俺、一生大切にする」
「…ん、そんなに喜んでもらえて、うれしいな」

うれしそうに微笑んでいる周太に、そっと英二はキスをした。
笑って英二は恥ずかしげな周太を見ながら、今までのクライマーウォッチを外して周太からの贈り物を嵌めた。
フィット感や重さがやはりいい、うれしくて英二は微笑みながら改めて周太に訊いた。

「ね、周太?こんなに良いものを俺、貰ったんだからね。
 周太の欲しいもの教えてよ?そして俺からも贈らせてほしいな」

今朝ダッフルコートをクリスマスギフトに周太に贈った。あと着てほしいなと思ったニット3点。
それと元々から「周太の欲しいもの」をあげるつもりでいる。
いつも遠慮がちな周太だから、周太が欲しいものを訊いて英二は贈りたかった。
こんどこそ教えてくれるといいな、英二は覗き込んだ周太の瞳に微笑んだ。
その周太の瞳がそっと英二の元の時計を見、英二の目を見つめてきいた。

「あの、英二?…元の腕時計は、どうするの?」
「うん。もう5カ月になるかな、この時計は俺と一緒に歩いてくれた。だから大事にしたいけど、」

言いかけて英二は、周太の瞳を覗き込んだ。
もしかしてそういうことなのかな?微笑んで英二は周太に訊いてみた。

「周太の欲しいものって、俺のクライマーウォッチ?」

訊いた黒目がちの瞳が、心底気恥ずかしげに伏せられた。きっと当たりだ、うれしくて英二は微笑んだ。
周太が自分の腕時計をもらってくれるなら、うれしくて幸せだろう。けれど気になることを英二は訊いた。

「周太、俺のクライマーウォッチをね、周太はどうするの?」
「ん、…いつもね、腕にしておきたいなって、…思って。
 英二がずっとしていた腕時計だから…俺、ほしいんだ。一緒にいれるみたいで、いいなって…思って」

もうほんとうに恥ずかしい、そんなふうに真っ赤になりながらも周太は言ってくれた。
「一緒にいれるみたい」っていいな、うれしくて幸せに微笑みながらも、英二は確かめた。

「そうしたら周太?お父さんの腕時計は、どうするの?」

周太は父の遺品の時計をずっとしている。
そうして時折その時計に触っているのを、警察学校時代に英二はよく見ていた。
最近はもう時計に触らなくなっている、けれど大切な時計には変わりないだろう。
そう見つめる英二に、ゆっくり瞬いて周太は微笑んだ。

「ん。父の時計はね、…宝箱にしまっておこうと、想うんだ」
「さっきの、お祖父さんのトランク?」

静かに訊いた英二に周太は頷いた。そして穏やかに周太は話してくれた。

「俺はね、英二…ずっと父の殉職に縛られてきた。
 本当は、…父の記憶から目を背けてきた。13年間ずっと。
 そして今はね、父の記憶と素直に向き合える。
 だからあの部屋も13年ぶりに開けられた。だからこそ俺はね、父の姿と想いを最後まで見届けたい」

逢えなかった1か月と5日。その間に英二は決意を重ねていった。
そして周太も決意を重ねてくれている、その周太の想いに英二は寄り添っていた。

「父の生きた跡を辿ること、…それが警察の社会では危険なことだって、解っている。
 それでも、きちんと父の全てを知りたい、そして父のほんとうの想いを見つめたい。
 …13年前に父は、誰にも想いを言えないまま死んでしまった…
 そんな父の孤独も、悲しみも想いも、俺が知って受け留めてあげたい。
 …父の息子は、俺だけしかいない。だから、俺が父の想いの全てを知ってあげたい。」

周太の父の想いを全て知ること。きっとそれを超えなくては周太は自分の人生を歩めない。
それくらい周太は全てを賭けて父の想いを辿っている。
純粋で一途すぎる不器用な周太、そんな性質は警察官になど向いていない。
けれど周太は繊細で優しすぎて、父の想いを投げ出すことなんか出来やしない。
それを英二は解っている知っている。そしてそんな周太が英二は好きになって全てが始まった。
真直ぐ見つめる英二に、周太は微笑んで言った。

「父の想いを全て受け取れたら…
 そうしたら俺は心からね、ほんとうの自分の生き方を、見つけられると思う。
 本当は怖い、父の想いを辿ること。でも俺は後悔したくない、そして自分の生き方を見つけたい。
 それで英二…これは俺の酷いわがままだって思うんだけど…英二、ほんとうに一緒に父を見つめるの?」

「当然だろ、周太?俺はね、ずっと周太の隣にいたい。そのためなら何でも出来るよ」

そう英二が返事して微笑むと、幸せそうに周太が笑ってくれた。
そして周太は英二に教えてくれた。

「英二、…俺もずっと英二の隣にいたい。だから俺は、これからはね、英二だけの俺でいたい…
 だから父の時計を外して、英二の時計をしたい。そして英二に一緒に、父の想いを抱き留めてほしいんだ。
 これはほんとうに、わがままだって想う…だって俺は英二を巻き込むんだ。でも、それでも俺、…離れたくない。
 だって、…ずっと英二の笑顔を、見ていたいんだ…わがままだけど、…危険なのに、でも…」

微笑んだ黒目がちの瞳から、涙がひとすじほほを伝っていく。
こんなに自分を求めてくれる、その想いが幸せで英二は微笑んで答えた。

「わがまま、うれしいよ、周太?だって俺、周太のことだけは、本当に欲しいんだ」

本当に今うれしい、そんなふうに求めてもらえるなら。
もっとわがまま言ってよ?そんな想いで見つめる真ん中で、周太は英二を見つめて訊いた。

「俺のこと、本当に欲しいの?…愛して、る?」
「本当に欲しい、周太だけだよ?そしてね、心底、愛している。そのために俺、山岳救助隊にだってなったんだ」

ほんとうだよ?きれいに微笑んで英二は周太を見つめた。
見つめた黒目がちの瞳が笑って、そして周太は言った。

「だったら…お願い英二、わがままを聴いて?俺と一緒にいて?
 だから俺、英二のその腕時計がほしい、だって英二、俺のために山岳救助隊の道を選んだんでしょ…
 その毎日を刻んだのは、そのクライマーウォッチなんでしょ?…だからこそ俺、その時計がほしい。
 英二の大切な時間を刻んだ時計だから、俺、ほしい。わがままだけど本音…そしてね、英二?」

またひとすじ微笑んだ瞳から涙がこぼれた。
こんなふうに本音をずっと言って欲しかった、もっと聴かせてよ?英二は目で周太を促した。
促されて微笑んで、周太は続けてくれた。

「これから英二は、最高峰へも登る…その時にも俺の贈った時計は、一緒に英二と最高峰に行けるね?…
 そうして最高峰でもどこの山でも、その時計を見れば、俺のこと想い出してくれる…
 そう想って俺…そのクライマーウォッチを英二に、贈りたかったんだ。だから本当にね、わがままだけど…」

その我儘こそ、自分は聴かせて欲しい。
その我儘はきっと自分が望んでいること、きれいに笑って英二は言った。

「言って?周太、わがままも全部を話して?」
「…ん、聴いて?俺のね、わがままを、叶えて」

黒目がちの瞳が真直ぐに英二を見つめてくれる。
そして微笑んで周太は、涙ひとすじこぼして言った。

「その英二の腕時計を、俺にください。
 そして英二は、俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
 そうして英二のこれからの時間も、…全部を、俺にください。そして一緒にいさせて?」

ほらやっぱり、自分が望んだことだった。
きれいに笑って英二は周太の左腕をとると、周太の瞳を覗き込んだ。

「周太、お父さんの腕時計を外すよ?」
「…ん、」

英二は長い指で、周太の左腕から周太の父の腕時計を外す。
そして自分の元のクライマーウォッチを、周太の左腕に嵌めた。
このクライマーウォッチは本当に自分にとって、大切な時間を刻んでいる。
山岳レスキューの夢に立ち、努力し卒業配置先を掴んで山に生き、山ヤと男の誇りを刻んだ時計。
そんな時間の全ては英二にとって、この愛する隣のための時間でいる。
だからきっと周太が嵌めることは相応しい、そっと英二は微笑みながら時計のフレームを撫でた。
そうして嵌めてもらった英二の時計を見つめて、右掌でふれながら周太は幸せそうに微笑んだ。

「ありがとう、英二…大切にするね」
「うん、俺もね、一生大切にするから。周太のことも時計も」

ほんとうに一生だよ?思いながら英二は、周太に訊いてみた。

「ね、周太?腕時計の意味を知っていたの?」
「意味?」

やっぱり知らないで思いついたのかな。
そんなところもなんだか可愛くて、英二は微笑んだ。

「あのな、腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだよ」

婚約。そう聞いた周太が真っ赤になった。
きっと知らないでしてしまったことに困って、途惑っている。
そんな様子が可愛くて幸せで、英二は周太を抱き寄せた。

「ね、周太?お互いに時計を贈り合おうって言ったのはさ、周太だね。
 俺、周太にプロポーズされちゃったんだ。ほんとに幸せだよ、ね?周太、うれしいな俺」

「…あの、俺、しらなくて…でもじかんがほしいとかいうのって…あの、同じことになっちゃうのかな」

これからの時間全部、そして一緒に。
そんなの本当にプロポーズだ、うれしくて幸せで英二は笑いかけた。

「うん、同じだよ?」

きれいに笑って英二は、周太にキスをした。




(to be continued)


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第30話 誓夜act.3―side story「陽はまた昇る」

2011-12-23 16:33:55 | 陽はまた昇るside story
すぐ隣で、




第30話 誓夜act.3―side story「陽はまた昇る」

雪まぶしい梢に守られたベンチは、穏やかな朝陽に温かかった。
その温もりに並んで座って、ふたりで眺める雪の森は穏やかな静寂がどこかなつかしい。
そんな安らぎに缶コーヒーを飲みながら、英二は周太に思ったままに話していた。

「あいつ、今朝も勝手に部屋入って来てさ『新雪だ』って俺を連れだしたよ。でね周太、また頂上の三角点で手形押してきた」
「ん。どこの山にね、登ってきたの?」
「岩茸石山ってとこだよ、周太。山頂の見晴らしがすごく良いんだ。
 北側が開けていて奥武蔵の連山がさ、夜明けの光に雪がうす赤くってきれいだった」

「新雪」を国村はこよなく愛している、そして新雪の朝にはどこかの山頂に最初の足跡をつけにいく。
だから新雪の朝には必ず英二は国村に連れだされていた。
「自分の登山訓練の全てに宮田をつき合わせる、そして宮田をトップクライマーにしてやる」
そんな約束を律儀に守って国村は、自分の楽しみにもしっかり英二を巻き込んで離さない。
お蔭で今朝も英二は容赦なく叩き起こされ、軽めの早朝登山をしてきた。

「ん、すてきだね…じゃあ英二、今朝は起きたの何時?」
「今朝は5時起きかな?その山はね、周太。
 青梅署から30分位行った林道でショートカットできるんだ。そこから30分も掛らず山頂まで登れるんだよ」

タイムを聴いた周太が、にこっと笑ってくれる。
そして笑ったままで英二に訊いてくれた。

「ん、…普通だとね、どのくらいのタイムのルート?」
「うん、1時間位かな?ね、周太、どうしてそんな質問してくれた?」
「だってね、英二?早朝と、朝夕の巡回と、…毎日登るだろ?
 たくさん登って努力している、ね?…だから、スピードがあるだろうなって。英二、がんばっているんだね?」

そう周太は答えて微笑んでくれた。
こんなふうに離れていたって周太は、自分の努力を見つめてくれている。それがうれしくて英二は笑った。

「がんばってるよ、周太?だってね、俺はさ。
 いちばん自分で解っているんだ。最高峰を目指すなんてね、本当に俺にはおこがましいことなんだ」

隣に座る周太を見つめて英二は微笑んだ、そのときふと英二は気になった。
いまベンチは陽だまりに温かい、けれど周りは雪つもる森でいる。
そして周太はショートコートで座っている、もしかして周太は今すこし寒いかもしれない。
風邪ひいて欲しくないな。英二はコーヒーを傍らに置くと、コートの右側を寛げて周太へ笑いかけた。

「はい、周太?ここに入ってよ」
「…え、?」

黒目がちの瞳が大きくなる、どういうことなのかな?そんなふうに途惑っている。
その様子がまた可愛いいな、想いながら英二は長い腕を伸ばすと周太を惹きよせた。

「ほら、周太?早くおいで」

そう言いながら英二は、コートの内側に座らせた周太を包みこんだ。
包んだコートの空気が周太の体温に温かくなる、そして周太は英二の体温で温かいだろう。
2人分の温もりをブラックグレーのコートと長い腕で抱きこんで、幸せで英二は笑った。

「ね、周太?こうするとさ、温かいだろ?」
「あ、…ん。温かい、ね?」

答える端から座る隣の首筋が赤くなっていく。
あいかわらず初々しい反応がうれしくて、もっと見たくて英二は思ったままを言った。

「こうするとさ、周太に近づけて俺、幸せだよ。でも、もっと近づきたいな?ね、周太」
「あんまりそういうこといわれるとほんとこまるから…ん、うれしい、でも、…あんまり赤くなると困る…」

見つめる瞳の距離が近い、その近さが英二には幸せだった。
だって1ヶ月と5日も逢えなかった。その時の経過の中で自分はいったい何度、この瞳を間近く見たいと幻を想ったろう?
その時の経過で見つめた幻と、この今抱いている温もり。そのふたつに自分の本音の気持ちを思い知らされる。

…離れていたくない、もう離れられない…失うなんて絶対出来ない

さっき新宿署で眺めたあの男、そして11月の競技会で見た男。
彼らが動きまわる思惑は警察機構では正義かもしれない、けれど自分にとってそんな正義は邪魔なだけ。
だって自分は守りたい。ただ幸せに笑わせていたい、笑顔を見つめていたい。
そのために邪魔になるのなら、たとえ正義でも自分はきっと潰すだろう。

きっと彼らの思惑は、周太の望む「父の軌跡を歩んで確かめる」そんな意思と重なっていく。
そして自分は周太が望む全てを叶えてしまうだろう、だから思惑にほんの少しは乗っても良い。
けれど彼らの思惑どおりに全てを動かせたりはしない、だって守ると決めているから。

そう、もうとっくに決めている。
そしてその為にも自分は、あえて最高峰を目指すことに決めた。
そんな想いに座って、きれいに笑って英二は周太の顔を覗きこんだ。

「ね、周太。こんな言葉があるんだ『登頂なきアルピニスト』…俺たちね、山岳レスキューの警察官の事だよ」

頬ふれそうに近くから黒目がちの瞳が見つめてくれる。
こんなに近くで話せて嬉しいな、微笑んで英二は言葉を続けた。

「警察の山岳救助はね、富山県警山岳警備隊がトップだって言われているだろ?
 あの剣岳が管轄だ、俺たち奥多摩とはまた違った厳しさの現場だよ。そのひと達の本にあった言葉なんだ」

最高峰を踏破する生涯のアイザイレンパートナー、そう英二は国村と誓約した。
この誓約を叶えるために自分に必要なことと覚悟はなんだろう?
そう考えて英二は後藤副隊長や吉村医師に個人指導を受けている。
そして勤務合間に岩崎の許可を得て、駐在所のパソコンから本や資料を探し手に入れた。
そんな本の1冊が富山県警山岳警備隊の実録書だった。
電車ならゆっくり読めると今朝の途次に開いた本、その読んだ想いを最初に周太に訊いて欲しい。英二は口を開いた。

「そこにはね、こう書いてあったんだ。
 『道はヒマラヤに通じていない、山岳警備隊は華々しく世界の名峰に登頂するアルピニストにあらず。
 いついかなるときも、尽くして求めぬ山のレスキューでいよ。目立つ必要は一切ない』本当にそうだなって、俺は思ったよ」

すぐ隣から黒目がちの瞳は穏やかに見つめてくれる。
その穏やかさがほっとする、安らぎながら英二は言葉を続けた。

「そして俺も山岳救助隊だ、けれど俺は国村と世界の名峰に登ることを約束してしまった。
 それは本に書いてある通り、山岳レスキューの信念から外れた行いかもしれない。
 それで俺はね、ショックを受けたんだ。やっぱり俺は大逸れているのかなって。
 でもね、周太?その信念と俺はね、やっぱり同じだって気がついたんだ。俺、自分は間違っていないって思えた」

「ん、…聴かせて?英二」

やさしい穏やかなトーン、真直ぐ端正で純粋な瞳の温かい相槌。それが英二には話し易い。
やっぱりこの隣の居心地が自分にはいちばんの居場所、うれしくて英二は微笑んで話した。

「うん、2つの言葉が鍵だった『尽くして求めぬ』そして『目立つ必要は一切ない』
 この言葉から気づいたんだ、周太。たぶん俺はね、山岳レスキューであってもアルピニストな訳じゃない。
 だってね、周太?もし俺一人だけだったら、きっと俺は、本気では最高峰を目指さない。
 写真を見て憧れて、あとは警察の山岳研修で海外遠征のとき少し登る程度だったと思う。だからね、周太?」

そう、きっと自分だけなら登らない。
なぜなら自分は良くも悪くも「欲がない」いつも国村に言われるとおりだ。

―よし、俺が一番乗り…ほら、宮田もやれよ
 え、でも国村の手形をさ、消しちゃうかもよ?
 なに言ってるのさ、ほら、やれよ…うん、おまえがさ、二番乗りだよ
 そうだな。うん、俺は二番で充分だよ
 へえ、二番で良いんだ?ほんと宮田ってさ、欲が無いよね。まあ、そこが良いとこだけどさ
 
冬至の朝に登った日の出山、あの山頂でも自分はそうだった。
国村に言われなかったら自分は、山頂の三角点に手形を押すなんて考えもつかないだろう。
それどころか自分には、早朝に山頂へ登り新雪に最初の足跡をつける、そんな発想すらきっとない。
国村が誘ってくれた、一緒に楽しみたいと望んでくれた。そのために自分はいつも一緒に登って笑っている。

「俺が最高峰に登るのはさ、あくまでも『国村のアイザイレンパートナー』としてなんだ。
 俺はね、周太。ただアイザイレンパートナーとして、最高のクライマーに尽くしたい。
 そうやって自分の山ヤとしての夢と、大好きな友達の夢を重ねてさ、あいつ支えて叶えたいんだ。
 最高峰でもどの山でも尽くして支えて、あいつの無事をサポートして夢を叶えさせる。そのために俺は一緒に登りたい」

この隣はどう想ってくれるかな?
静かに見つめてくれる瞳を覗きこみながら、英二は微笑んだ。

「たしかに国村と俺は似ている、けれど全く違うんだ。
 あいつは純粋無垢な山ヤだ、そして最高のクライマーだ。ただ「山」を愛して、どこまでも誇らかに自由な山ヤでいる。
 ほんとうに山の申し子なんだ、人間の範疇で計っていいような男じゃない。
 だから山岳レスキューという枠組みすら国村には無意味だよ。
 あいつにとってはさ、最高峰も遭難現場も家の山林も、どれも同じ「山」なだけだからね」

「ん、国村さんって、そうだね?…きっと、縛られないね?」

すこし可笑しそうに黒目がちの瞳が笑ってくれる。こんなふうに国村は誰の心にも明るい笑いを起こしていく。
それくらい国村は純粋無垢な魂が底抜けに明るい、生粋の山ヤで最高のクライマーでいる。
そんな男とアイザイレンパートナーを自分が組む、その意味を周太に知ってほしい。微笑んで英二は言った。

「国村はね、山ヤの夢に生きる男だよ。そしてね、周太?
 俺はね、友達として山ヤとして国村が大切なんだ。だから俺、あいつを夢ごと支えて叶えさせてやりたい。
 それでね、大切な友達の夢がかなう瞬間を、いちばん近くて見つめたい。
 そうやって俺はきっとね、あいつに連れられて登ることでさ、こんな俺でも最高峰に立つ夢が叶えられるんだと思う」

そう、だって自分は天才じゃない。
けれど努力は負けない、能力は要領が良くて真似て学べる。
それが大切な相手の為になら、自分は全力を尽くすことができる。そして自分の生きる意味も見つけられる。
そうして周太を支えてきた。だから大切な友人も同じように支えたい。

「周太、俺はこう想うんだ。
 最高のクライマーの無事を守るため、専属レスキューとして共に最高峰へ俺は登っていく。
 だから周太、俺はね。最高の山岳レスキューになりたい、そのために俺はトップクライマーになる。
 そんなふうに俺は山ヤと山岳レスキューの誇りを懸けて、国村の生涯のアイザイレンパートナーでいたい。
 そうして最高のクライマーをサポートすることが、きっと俺が山ヤになった意味のね、1つなんだって想う」

ふっと黒目がちの瞳が微笑んだ。
微笑んで周太は、おだやかに英二へと言ってくれた。

「ん。…なんだかね、英二らしい」
「俺らしいかな、周太?こういう生き方はさ、ちゃんと俺らしく笑えるかな?」

教えて欲しい、いちばん大切なひとに。
自分らしい選択か?自分らしく笑えていくのか?
そうして大切なひとを幸せに出来るのかどうか?
そんな想いに見つめる黒目がちの瞳が、やさしく英二に微笑んだ。

「ん、大丈夫だよ、英二…やさしい英二らしい。そしてね、包容力っていう、のかな?…すてきだよ」

見つめてくれる瞳こそ、やさしくて包容力が温かい。
こんな瞳のひとが自分の運命の相手、それが誇らしくて幸せになる。
うれしくて英二は、きれいに笑った。

「ありがとう、周太。やっぱり俺ね、周太が世界一に大好きで、愛してる」

それが俺の本音だよ?
そう見つめる間近い隣へと、うれしくて英二はキスをした。
そして黒目がちの瞳を覗きこんで訊きながら英二は微笑んだ。

「ね、周太?ちょっと買物に行っていい?」
「…ん、…いいよ?」

手をとって立たせた周太の赤い首筋が、あわいブルーのマフラーに鮮やかだった。
ちょっと困るなと思いながら英二は、周太の右手をまたポケットにしまいこんだ。
ゆっくり歩きだすと足元の雪がすこしゆるんでいる。
ときおり雪の梢から零れる滴が、太陽にきらめき落ちて雪の道に小さな穴を掘っていく。
来た道を辿りながら英二の長い指の左掌は、周太の右掌をやわらかに包んだ。

「周太、お母さんは何時に家を出るって?」
「ん、お昼食べたらすぐって…なんかね、夕焼けを見ながら、温泉で呑むって企画?らしい」
「楽しそうだな。ね、周太?周太が温泉で呑んだらさ、どのくらい真赤になるかな。可愛いだろな、試してみたいよ?」
「…だからね英二、そういうはなしはちょっとそとではこまるから…いま真赤になっちゃうから…ね?」

他愛ない話をしながら歩いて何度も歩いた通りに入る。
そして見慣れた一軒のショップの扉を英二は開いた。
もう顔なじみの店員が気さくに笑いかけてくれる、「どうぞ」と会釈して2階へと促してくれた。
いつも英二は自分で選ぶから自由にさせてくれるのだろう、きれいに微笑みかえして2階へあがった。
ショップの2階は雪の午前中に静かだった、穏やかなBGMを聴きながら英二はコートをざっと選んでいく。

「おいで、周太?」
「…あの、?」

鏡の前に周太を立たせてショートコートを脱がせた、そして選んだ細身のダッフルコートを着せかけてみる。
あわくブルーをふくむライトグレーのヘリンボーンが映える、笑って頷くと英二はこれに決めた。

「英二?これ、あの、」
「じゃ、次はこれな?…うん、かわいい周太」

途惑っている周太にあえて気づかぬふうで、英二は冬物のニットを周太に充てていく。
そうして3点選ぶとダッフルコートとまとめて抱えこんだ。

「はい、周太、行こう?」

困った顔の周太の手を、そっと英二は掴んだ。
そして周太が着ていたショートコートも一緒に持って、そのまま英二は1階のレジへと出した。

「すぐ着たいので、タグなど外していただけますか?」
「はい、ではこちらのコートはニットと一緒にパッキングですね?」

手際よく店員は対応してくれる。
パッキングを待ちながら、英二は買ったばかりのダッフルコートを周太に着せかけた。
前のコートより温かい生地は雪の今日でも大丈夫だろう。よかったなと英二は微笑んだ。
すぐ出来あがった紙袋を受け取って通りへ出ると、周太が遠慮がちに口を開いた。

「…あの、英二?コートとか、…さすがに悪いよ?」
「悪くないよ、周太?似合ってる、かわいいよ。それ温かいだろ?」

ほんとう似合って可愛いな、うれしくて英二は笑った。
けれど周太は相変わらず遠慮がちに途惑っている。

「ん、…温かいよ、でも…俺、貰いすぎてるよ、ね?」

貰いすぎてほしいのに?英二は首傾げて微笑んだ。
だって英二が周太の服を選んで着せたいだけ、自分が良いと選んだ服を着て欲しいだけ。
そして服を着るたびに周太が自分を想いだしてくれたら良い。そんな想いで英二はいつも周太に服を贈りたくなる。
だから想ったままを英二は周太に言った。

「俺が選んだ服を着るとき、周太は俺を想いだしてくれてる。そうだろ?周太」
「…ん、そう、だね…」

訊かれて気恥ずかし気に答えてくれる。
そんな様子も可愛くて、好きだなと思いながら英二は言った。

「俺ね?たくさん周太にさ、俺を想ってほしいんだ。だから服を贈りたくなるよ?
それにね、周太。クリスマスには俺ね、コートを贈りたかったんだ。
それと11月に訊いたよね?『周太が欲しいもの』とさ、2つ贈るつもりでいたんだけど。欲しいもの、教えてよ?」

そう訊いた英二の隣で、周太は顔を俯けてしまった。
どうしたのかな?隣から顔を覗きこむと、もう真赤になっている。
なんだかデジャヴだなと英二は思った、前に欲しいものを訊いた時も周太はこんな反応だった。
なにか言ってほしいなと覗きこんだ口許が、ようやく開いて周太は言ってくれた。

「…あの、コートとか、うれしい。ありがとう、」

それだけ言うと周太はようやく微笑んでくれた。
結局は欲しいものは言ってもらえなかったな、すこし残念に思いながら英二は笑った。

「よかった、受取ってもらえて。いま周太が風邪ひいたらさ、きっと俺にも伝染っちゃうしね。温かくしてて」

言いながら英二は周太のマフラーを巻き直し始めた。
前に贈ったマフラーのブルートーンがコートとも合っている、あわいブルー系が周太は似合って可愛い。
そう見つめながら手を動かしていると、周太がすこし首を傾げた。

「ね、英二?…どうして俺が風邪ひくと、英二にも伝染るの?」

時計はまだ11時前。
こんな時間にそんな質問して大丈夫?すこし心配しながら英二は微笑だ。
そして少し顔を近寄せて周太に答えた。

「だって周太『絶対の約束』だからね、今夜は俺の好きにさせてもらうだろ?そしたらさ、風邪も伝染っちゃうよ」

言われて黒目がちの瞳が大きくなる。
その頬にもさっと紅潮が昇って、治まりかけた赤みがまた戻ってしまった。
それでも周太はなんとか口をきいた。

「…あ、の…まだ、俺…いいとかなにもいってないしそんなかってにきめないで…よ」

いつものように口調が途惑って、すっかり可愛くなっている。
なんだか必死の抵抗?それも可愛くて英二は笑ってしまった。
そしてマフラーを巻き終わった長い人さし指で、そっと周太の唇をふさいだ。

「だめだよ、周太。『絶対の約束』なんだからね。言うこときいて?」

そう言って微笑んで周太の右掌を自分の左掌に繋ぐと、自分のコートのポケットにしまいこんだ。
さすがに何も言えないままで周太は、すこし顔を伏せ気味に歩いている。
やっぱりやりすぎたかな?少しだけ反省しながら英二は、いつもの花屋で立ち止まった。

「すみません、クリスマスの花束をお願いできますか?」

前にもお願いした売子が気がついてくれる。
すこし親しげな笑顔で会釈しながら、彼女は花々の前に立ってくれた。

「またお越しいただいて、ありがとうございます。今日はどんな方へ?」
「ありがとう。先月と同じです、瞳がきれいな、ね」
「その方なら、あわいお色がよろしいですね?」

そんなふうに微笑みながら彼女は、パステルトーンの花を選びはじめた。
紅あわいバラや赤い木の実をきれいにまとめて、リボンをかけてくれる。
薄紅と白と、霜をまとうような緑の葉が美しい花束を抱えて、隣に英二は微笑んだ。

「お待たせ、周太。これさ、お母さん喜んでくれるかな?」

どう思う?そんなふうに英二は目で訊いてみた。

「ん、…母にまで、ありがとう…すごくね、うれしい」

きれいに笑って周太が言ってくれた。
ちょっと困ってしまう、そんなふうに笑われると。
ただでさえ1ヶ月と5日前よりも周太は、きれいになっている。
すこしだけなら許してくれる?英二はさりげなく周太を、コンコースの片隅へと連れて立った。

「おいで、周太」

笑って英二は抱えた花束の隣に周太を惹きこんだ。
抱えた花束の翳で黒目がちの瞳が不思議そうに見上げてくれる。それも幸せで英二は、そっと周太にキスをした。
静かに離れると赤い顔を見つめて、きれいに英二は微笑んだ。

「きれいだね、周太は」
「…はずかしい、…でも、ありがとう」

ほら?こんなに隣は初々しくて可愛くて、そしてきれいだ。
ほんとうに「息をするごとに」周太は変わっていく、明るい美しいほうへ。
この隣はどこまで美しくなるのだろう?それは楽しみで、そして少し怖い。
だってきっと、あんまりきれいだと自分は隠してしまいたくなる。

自分は良くも悪くも欲がない、けれどこの隣だけは別のこと。
愛している、全部ほしい、これっぽちも誰にも譲るつもりはない。そのために自分は全てを懸けて生きている。
最高のレスキューとして最高峰に登る。そんな大切な夢すら本当は、この唯一つの想いを守るために使ってしまう。
こんなふうに自分は、愛するこの隣だけには際限なく欲張りだ。


ひさしぶりの川崎の家は、静かな雪の梢に佇んでいた。
かすかな軋み音に開かれる経年重厚な門、豊かに茂る木々と冬の花たち。玄関へと続く飛び石は雪を掃き清めてある。
そんな端正な心遣いが周太の母の人柄を偲ばせてくれる、なつかしさに微笑んで英二は玄関の前に立った。

「ね、周太?俺が鍵を開けてもいい?」

訊きながら英二は自分の喉元にふれた、その指先には黒い革紐がふれている。
この紐の先に、ひとつの合鍵は結ばれてある。
黒目がちの瞳は微笑んで、穏やかにうなずいてくれた。

「ん。…英二が開けてあげて?…きっとね、喜ぶから」

喜ぶのはきっと、この合鍵の元の主。
この合鍵は周太の父の遺品だった、それを周太の母は英二へと息子の誕生日に託した。
そしてこの鍵で必ず帰ってきてと「願い」を英二に告げて微笑んだ。
だから英二はそんな願いごと周太と鍵を受けとって、いつもこの鍵を肌身から離さない。

「じゃあ、周太?『初めて』をこれからするよ、」

きれいに笑って英二は、革紐を首から外すと合鍵を持った。
ちいさな普通の合鍵、けれど英二には宝物でいる鍵。見つめるちいさな合鍵は冬の陽に光っている。
すこし光を見つめてから英二は鍵穴へ静かに鍵をさしこんだ、そして扉はかちりと微かな音と一緒に開かれた。

「ほら、ちゃんと開けれたね。周太?」

うれしくて英二は笑った。
そうして古いちいさな合鍵は13年と9カ月ぶりに遣われた。

玄関にはまだ周太の母の靴はない、きっとまだ仕事が終わらないのだろう。
スーパー経営会社の営業部門に勤務する彼女は、休暇がカレンダー通りではない。
年末にかかる今日は忙しいのかもしれない。
そう考えながら見た隣で、すこし周太は寂しげに玄関先を見つめていた。
きっとこういうことかな?気がついて英二は周太より先に玄関へと踏み込んだ。

「周太、」

玄関の中から振り向いて、英二は周太に向き合った。
そして黒目がちの瞳を見て英二は、きれいに笑って周太を迎えこんだ。

「おかえりなさい、周太」

ずっと周太は孤独だった。
いつも誰もいない家に帰って、そして母を迎えるために家事をする。
そうして少しでも多く母と話す時間を作りたくて、周太は家事を身につけていった。
そんなふうに母を援けて周太は、いつも自分が母を迎えて微笑んでいる。

けれど周太は本当はいつも、誰かに笑って迎えてほしいと願って泣いていた。
きっとそうだ。そんな想いで見つめる真中で、黒目がちの瞳が大きくなっていく。
ほら、あたり。うれしくて英二は微笑んだ。

「おかえり、周太?」

もういちど呼びかけて、黒目がちの瞳から涙が生まれる。
どうしてわかるの?そんなふうに微笑んだ瞳から、ゆるやかに涙がおちた。
そして温かい涙が伝った唇が、そっと開かれて微笑んだ。

「ん、…ただいま、英二」

きれいな笑顔がうれしい、英二は笑って周太を抱きしめた。
ほらまた自分は、きちんと愛するひとの願いを見つけて受けとめられた、そして叶えてあげられている。
うれしくて英二は笑って、また周太の唇へとキスをした。

「ね、周太?周太は俺の帰りを信じて、待っていてくれるだろ?
 俺だってね、周太の帰る場所でいたいんだ。だから俺はね、ずっと周太を迎えて『おかえりなさい』って言いたいよ」

「…ん、ただいまも、言わせて?…いま俺ね、すごく幸せなんだ。…ありがとう、英二」

見つめる黒目がちの瞳が幸せそうに笑ってくれる。
こういう顔をずっと自分は見つめていたい、英二は微笑んだ。

「周太が幸せだと俺、ほんと嬉しい。ね、周太?もうひとつの周太の部屋に入れてよ」
「ん、入って?…英二にはね、…俺の部屋にね、座ってほしい」

磨きこまれた深い木肌の階段をあがって、周太の自室の扉を開いた。
その扉のむこうで頑丈な木梯子が、重厚な木造りの襖戸の横に架けられいる。
しっかりした梯子だなと英二が見ていると周太が微笑んで教えてくれた。

「それはね、・・・父がね、作ってくれたんだ」
「周太の父さんが?へえ、すごいな。こういうことも出来るんだ」

素直に褒めて英二は笑って、本当にすごいなと感心して眺めた。
きっと周太の父は任務に多忙だった、けれどこんなふうに息子のため手仕事もしている。
周太の父の息子への深い愛情と想いが、この頑丈な梯子に見つめられてしまう。
こんな梯子を作るひと。ほんとうに会って話してみたかった、そっと英二は微笑んだ。

「登って?英二、」

そう英二に微笑みかけると、鞄を置いて周太は梯子を登った。
そっと花束をデスクに置いてから、鞄と紙袋を床に降ろして英二も梯子を登った。
天袋の入り口からすぐ出ると、光が部屋いっぱいに温かい。
しずかに踏んだ無垢材の床はどこか温もりが足に穏やかだった。
ゆっくり英二は切長い目を動かしていく。

白い漆喰塗の天井と壁、無垢材の床に作りつけの書棚。
4畳半くらいの白とベージュの空間、かわいい木造りの家具たち。
木製の窓枠からは青空と雪景色、天窓からふりそそぐ冬の陽光と空の青があざやかだった。
穏やかで温かい静謐、やさしい想いの眠る部屋。
自分の愛するひとの心が顕れたような小部屋に、そっと英二は微笑んだ。

「周太?俺、この部屋がね、大好きだ」

窓辺から見つめる黒目がちの瞳が、しあわせそうに微笑んでいる。
その隣へと英二は歩みよると、大好きな瞳を覗き込んで笑いかけた。

「ね、周太。この部屋にあるんだろ?周太の採集帳」
「…ん、そう。見てくれるの?」
「周太がよかったら、見せてよ?」

うれしそうに微笑んで、周太は古い木製のトランクの前に座った。かちんと音を立てて鍵をあけると、ゆっくり開いていく。
隣から見つめる英二の視界に、きれいに納められた採集帳たちと2つの小さな木箱が映り込んだ。
このトランクはきっと周太の宝箱なんだな、幼いころと今の周太どちらも愛しくて英二は微笑んだ。

「見ていい?」

尋ねる英二に微笑んで周太がうなずいてくれた。
そっと1冊を手にとり開くと、きれいな色のままで葉や花たちがページに納まっている。
そんな植物たちにはラベルがひとつずつ添えられていた、そのラベルにはどれも2種類の筆跡が記されていた。
日本語は几帳面だけれど可愛らしい字、英二には懐かしい筆跡が幼く綴られている。
そして学術名らしいラテン語は、流麗な手慣れた筆跡で綴られていた。きっとそうだ、英二は隣へと微笑んだ。

「周太の父さん、すごく字がうまいな」

言われて嬉しそうに周太が微笑んだ。
少し首傾げながら周太は、英二に教えてくれた。

「ん、…父はね、英文学科だったらしい。それでね、ラテン語とか得意だったみたい」
「ふうん、ほんとに博学なんだろうな。やっぱり周太の父さんって、かっこいいな」
「ん。父はね、かっこいいよ?」

そんなふうに話しながら笑いあうと、そっと周太は立ち上がった。
どうしたのかなと見上げると、周太は微笑んだ。

「俺ね、昼ごはんの支度するね?…よかったら英二、あの椅子に座って、ゆっくりしていて?」

そう指さすほうを見ると、きれいな木製のロッキングチェアーが窓辺に佇んでいる。
きっとこれもだろうな、英二は周太へ訊いてみた。

「周太、この椅子も周太の父さんが作った?」
「ん、そう…祖父の為にね、学生の頃に作ったらしい」
「おじいさんの為に?」

周太の祖父はずっと昔に亡くなったとだけ、英二は聴いたことがあった。
それは周太の母が結婚する以前だったから、二人ともそれ以上はあまり知らない。
きっと何か事情があって、周太の父も話したがらなかったのだろう。けれど周太の父は、椅子を作ってあげている。
どういうことだろう?そう考えながらも英二は、微笑んで周太を見つめていた。

「ん、…この部屋はね、元は祖父の書斎だったらしい。そのトランクも祖父のなんだ…本棚もね、父が作ったらしい」
「へえ、すごいな周太の父さん、」

椅子、本棚、梯子、どれも頑丈だけれど繊細なフォルムが美しい。
きっとこういう手仕事が好きだったのだろう。実直で繊細な人柄が偲ばれて英二は、あらためて好きだなと微笑んだ。
そんなふうに眺めている英二に微笑んで、周太は梯子へと歩きかけた。

「じゃあ、英二?ゆっくりしていてね、…あ、よかったら、父の書斎の本とか、読んで?」

そう背を向けかけた周太を見つめて英二は立ちあがる。
気配に振り返りかけた周太を、そっと英二は背中から抱きしめた。

「…あ、…英二?」

肩越しに黒目がちの瞳が英二を見つめてくれる。
その瞳を見つめながら英二は、静かに周太へと訊いた。

「周太、あらためて訊くよ?…俺は、最高峰へ登ってもいいかな?
 最高のクライマーの最高のレスキューを務めて、最高峰から笑って周太に想いを告げたい。
 そんなふうにさ、ずっと国村のね、生涯のアイザイレンパートナーを俺、やってもいいかな?」

告げた英二の腕に、ぽとんと熱がひとつこぼれおちた。
その熱にこもる想いに英二は黒目がちの瞳を覗き込んだ、その瞳から温かな雫がまたひとつこぼれた。

「…英二、…帰って、きてくれるんでしょ…必ず俺のとなりに…いつだって、どこからだって…だから…信じてる」

ふるえる唇から想いがこぼれてくれる。そんな想いの一滴はどれも穏やかで、決意と勇気が温かい。
ほんとうは解かっている、たくさん不安にさせて心配させている。
けれど自分はもう決めてしまった、それをこの隣は解かってくれて静かに受け留めようと決意をくれた。
そっと腕に力をいれて、英二は約束をした。

「うん、周太。絶対に俺は帰るよ、だから俺を信じて。そして…ありがとう、周太」
「ん、…信じてる、愛してる英二…だから、帰ってきて…信じて待ってる」

ほんとうに、ありがとう周太 ― 英二は抱きしめるひとに静かに向き合った。

「愛してる、周太」

いちばん告げたい想いを英二は告げた。そして瞳で瞳を繋いで、周太の唇に唇でふれた。
そうして穏やかな温もりの静謐に、ふたつの想いは静かに佇んだ。




(to be continued)


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第30話 誓夜act.2―side story「陽はまた昇る」

2011-12-22 22:35:41 | 陽はまた昇るside story
ふたたびの場所、はじまりの場所



第30話 誓夜act.2―side story「陽はまた昇る」

12月25日AM8:00
時間ちょうどに英二は、新宿東口交番前に立った。
いつもグレーの街が今朝は白銀に輝いて、高層ビルも派手な装飾も雪に静まりかえっている。
そんな雪の街で英二は、ブラックグレーのコートをはおって立っていた。

薄い雪が足許をくるんでいる。積雪5cmほど、けれど新宿ではきっと大雪なのだろう。
もうこの程度では「薄い雪」と思ってしまうんだな、なんだか英二は愉快だった。
もう自分はすっかり基準が奥多摩になっている。そんな感覚に微笑みながら、英二は交番の入口を見つめていた。
きっともうすぐ。そんな予感と想いに見つめる真ん中に、小柄な活動服姿が映りこんだ。

「周太、」

うれしくて英二は、きれいに笑って呼びかけた。
小柄な警察官の制帽がかすかに動く、そして黒目がちの瞳が英二を見つめてくれた。

「…っ」

かすかに動いた唇、すこし大きくなる瞳。ずっと逢いたかった顔、逢いたかったひと。
うれしくて英二は、器用に雪を踏んで隣に立った。

「おはよう、周太。ホワイトクリスマスだね?」

ずっと逢いたかった。逢えない1ヶ月ずっと想って毎日電話して、メールをたくさん送って。
そして眠ってまで夢でも追いかけて、ずっと逢いたかった。

「周太、驚いてるの?」

うれしくて微笑んで、英二は周太の顔を覗きこんだ。
覗きこんだ黒目がちの瞳が、ゆっくり瞬いて英二を見つめてくれる。
そしてゆっくり周太の唇が動いた。

「…ん、おどろいた。…だって、9時に改札口、って」
「うん、そうだったね、周太?」

待ち合わせは新宿9時、いつもの改札口。そう約束していた。
けれどね周太?そんなふうに英二は黒目がちの瞳に笑いかけた。

「昨夜の電話でさ、『早くね、あいたい』って周太、おねだりしてくれたろ?
 だから俺、周太が仕事上がる瞬間にね、迎えに来たかったんだ。それで早く、おはようって言いたかった」

「…どうして、」

ひとこと言って周太は、そっと唇を閉じてしまった。
でも何て言いたいかなんて英二にはわかる「どうして俺の心が解るの?」そう周太は言いたい。
そんなの解るに決まってるよ?目でも伝えながら英二は微笑んだ。

「クリスマス・イヴの昨日だってさ、ほんとうは俺、周太といたかった。
 きっと周太も同じだと思ったんだ。だから仕事終わったら周太は、すぐ俺に迎えに来てほしいかなって」

見上げてくれる黒目がちの瞳が、うれしそうに微笑んだ。
きっと当たりだね?そんな想いに見つめた唇が幸せそうに綻んでくれた。

「…ん。俺、迎えに来てほしかった。そしてね、幸せにしてほしかったんだ…だから今、うれしい」

言いながら気恥ずかしげに首筋が赤くなっていく。
それがきれいで、英二は誰にも見せたくなくなった。だって周太はもう、自分だけのものだから。
だから隠しておきたい。英二は自分のマフラーを外すと、そっと周太の襟元を巻いて温めた。

「周太がね、うれしいなら俺もさ、うれしいよ。ほら、周太?早く私服に着替えて欲しいな、行こう?」
「ん。あの、マフラーありがとう。うれしい、」

黒目がちの瞳が微笑んでくれる。それがうれしくて、英二は隣を眺めながら歩き始めた。
歩く新宿の街はいつもと違う表情でいる、今朝の新宿はどこもが白銀に輝いていた。
見上げる摩天楼も足許のアスファルトも真白に、そして雪の静寂に穏やかでいる。
こういう表情でいつもこの街がいてくれたら良いのに。そんな想いに少し笑って、英二は隣を覗きこんだ。

「ね、周太?さすがに今は、手をつないじゃダメ?」
「ん、駄目。だって俺、今は警察官だからね?警察官の俺と手を繋げば、英二は犯罪者扱いされるだろ?」

明確な話し口調が「今は警察官です」とオフィシャルモードの周太でいる。
こういう周太を間近に見るのは、英二には警察学校卒業以来だった。
それに11月の全国警察けん銃射撃大会での周太は、英二の前では不安を隠さず制服姿でも素顔のままだった。
たまにはこういう凛々しい周太も悪くない、でもつい転がしたくなってしまう。笑って英二は周太に言った。

「俺は構わないけど?周太に触れられるならね、俺は犯罪者でもなんでもなるよ。だって、それくらい周太が欲しいな」
「…そういうことおねがいだからいまはいわないで…うれしい、けど、困るから、ね?英二」

俯いてしまう制帽の頭が可愛くて、ちょっと英二は困った。
今すぐ制帽を外して前髪をおろしてしまいたい、そして抱きしめてキスしたいな。
そんなこと考えながら歩いていると、不意にブラックグレーのコートの背中を引っ張られた。
振り返ると周太が英二のコートを掴んでいる。

「あの、英二?もう警察署の前なのだけど」
「あ、ごめんね周太」

言われて振り仰ぐと見慣れたビルの前だった。
またぼんやりしてしまったな、英二は我ながら可笑しい。それくらい周太のことで頭がいっぱいになっている。
昨夜も呑みながら国村に「おまえってさ、まじエロいよね」と散々言われた、美代もいる前で。
そんなにかなと昨夜は思ったけれど、確かにそうかもしれない。

「じゃあ英二、俺、携行品を戻してくるから。それから着替えてくるから、どこかで待ってて?」
「うん、周太。待ってるよ」

今日の英二は私服だから、中へは付いていけない。
それでも少しでも一緒にいたくて英二は、ロビーまで付いてきた。
そんな英二に周太は微笑んで、マフラーを返しながら遠慮がちに提案してくれる。

「待ってる場所が決まったら、あの、…メールしておいてくれる?」
「ああ、メールするね、周太。なんかさ『くれる?』っていいね、おねだりって感じだ」
「…だからこういうところではなんか困るから、ね?」

そんな会話を交してから英二は、携行品を戻しに行く周太をロビーで見送った。
見送る小柄な背中が見えなくなると、ほっと息をつき英二は周りを見回していく。
どこで待とうかな。そう見渡した目に、休憩所の自販機が映りこんだ。

―警邏の後は、新宿署の射撃指導もしようと提案してくれた。一流の彼からの指導は、ありがたくて
 そんな気さくな彼が大好きだった。それから一緒にコーヒーを飲んでいた。彼はココアだったけれどね

周太の父の同期だった、武蔵野署の安本の言葉。
周太の父が殉職した13年前の夜、彼と安本はこの場所でコーヒーとココアを飲んでいた。
ゆっくり英二は休憩所へと歩み寄っていく、そして1つのベンチの前で立ち止まった。

…きっと、このベンチだ

そう見つめる席には微かな気配が遺されている。そんな想いに英二は、自販機でココアとコーヒーを買った。
朝8時過ぎの休憩所には英二の他には誰もいない。英二は1つのベンチに腰掛け、右隣にココアを静かに供えた。
ココアの缶を見つめて英二はニットの胸元に長い指で触れた。その指先に柔らかな手触りの奥で鍵の輪郭がふれる。
その輪郭は周太の父の遺品、川崎の家の合鍵だった。

…いまも見守ってくれていますか?俺、周太に話します、最高峰へ立つこと…その夢は、あなたにも夢でしたか?

周太の父は警視庁山岳会に所属していた、任務の余暇には山を愛し周太を連れて奥多摩も登っている。
そんな山ヤの一人だった周太の父は、この夢を何て言ってくれるのだろう?
そんな想いに微笑んで、英二は缶コーヒーのプルリングを引いた。
ひとくち飲んで、ほっと息をつく。その横顔に視線が刺さるのを英二は感じた。
ふっと緊張が英二の心に翳さしていく。

―周太の父を知る人間がそこにいる

この新宿警察署は周太の父が若い頃に勤務した場所、そして13年前の殉職事件の舞台。
ここで周太の父の軌跡について、どんな事が起きても不思議はないだろう。
そして英二が座るベンチは、周太の父と安本の指定席だったであろう場所。
そこに座る男を見て、何か感じる人間がいても不思議は無い。

…俺を見て、驚いているんだろ?ね、そこのヒト?

そんな考えに座って、英二は穏やかにコーヒーを啜った。その横顔へと視線はまだ刺さっている。
こんなに見つめるなんて振り向いてでもほしいの?すこし心に哂いながら、ゆっくり切長い目だけ動かした。
動かす視線は長くなった前髪が隠してくれる、ひそやかに英二は前髪を透かして「彼」を眺めた。

50歳前後の男、身なりが随分と良い。
その身なりはどういう身分の人間か、警察官ならすぐ解るだろう。
そして尊大な気配が地位の裏付け。けれどその底どこか、怯えたような表情が「彼」の固執を自白する。

―湯原君の成績に期待しているよ
 お父上にやはり、似ているね
 この新宿署で交番勤務についた、卒業配置の時にお世話になった

こんな言葉を周太に言った人間がこの新宿警察署にいる。
それは卒配後間もない、英二が初めて自殺遺体の行政見分を行った頃。
そして全国警察拳銃射撃大会の2週間前だった。
その夜に電話で周太が話してくれた事を英二は覚えている、啜るコーヒーの缶の影で英二は声も無く呟いた。

「―湯原君の成績に期待しているよ…お父上にやはり似ているね―」

こんな言葉を言うなんて自白も同然だろうにね?英二は穏やかな表情のままで、コーヒーを啜りながら心裡に哂った。
きっとこの男が周太を「異例」の特練抜擢と射撃大会出場へと仕組んだ1人、そんな権限をこの男は持っている。
けれどこの男も前哨兵にすぎないだろう、この警察組織の中では。
そんなこの男には出世の階をつかむチャンスが全てなだけ。

そんな思惑を手繰るように英二は、切長い目の端に男を眺めた。
前髪の向こうでは、まだ男はこちらを見ている。たぶん声を掛けようか迷っている。
単純に尊大に構え少し怯え、そして気押されている、それだけ。そしてきっとこんな考えを巡らせているのだろう?

「あんな若僧に自分から声を掛けるのは沽券にかかわる。けれど確かめたい、何を知って『あの場所』にこんな時間に?」

そんなふうに小さすぎる範疇の迷いにすら、ぐるぐる回って動けないでいるのだろうね?
沽券がどうだなんて拘りは塵にもならない、出世に利用したがる思惑は小さな泡のよう。
そんなものが役立つのは限定された小さな範疇の世界だけ、まるで箱庭のような世界だけのこと。

そう、まるで箱庭のような世界。
その箱庭から一歩でも出たらそんなルールは通用しない、箱庭の外は峻厳すぎるから。
あんたの小さなルールなど何の役にも立ちはしない、そんな考えの底から英二は男を眺めていた。
そして英二の端正な口許が、ふっと冷酷な表情を刻んだ。

…なんて小さな人間

ただ人間だけの社会のごく一部「警察機構」そんな小さな箱庭の世界、そこでただ廻る思惑は矮小すぎて。
そんな小さなものには、もう自分を縛ることは出来ないだろう。
だって自分はもう知っている。世界は人間が支配できるほどには甘くない。

いつも自分が生きる日常。それは奥多摩の山に抱かれた、峻厳な自然の掟にと息をする生活。
そこでは小さなプライドなど役立たず。ただ必要なのは、山への畏敬と謙虚が支える誇らかな自由に立つ想い。
なぜなら山で生きるには言い訳など出来やしない、唯一度のミスで命を落とす事も当然の世界、それが「山」
だから畏敬と謙虚が自分を鍛えてミスを許さぬ誇りを支える、そして生命と自由を誇らかに全うしていく。
そうして山に廻る生死に向き合って、生きる山ヤ達は大らかな優しさがただ温かい。

人間には支配出来ない世界に向き合う、大らかな想いと日々。
その世界をもう自分は知っている。誇らかな自由と峻厳な掟に生きる、強さも美しさも。
そして自分は、その世界で生きると決めている。
この世界で最高の危険に立つ、最高の男のアイザイレンパートナーとして生き始めてしまったから。
そんなパートナーである友人を想いだして、ふと英二は微笑んだ。

…いまごろ国村は、御岳山を元気に歩いているのかな?

上品な容貌のくせにエロオヤジで、純粋無垢な山ヤの魂まぶしい男。
そして底抜けに明るい目は真直ぐで、山への想いと峻厳な掟に生きている。
そうして警察機構で特別な射撃本部特錬すらも、山ヤの誇りをもって虚仮にした男。
そんな国村が自分は大好きで、そして生涯を共に最高峰へ登っていく。

あいつほんと最高でおもしろい、英二は自分のパートナーを思いながらコーヒーを飲んだ。
そして前髪の翳から見つめる男へと、切長い目は侮蔑に眺めた。
ほら、どうした?
声を掛けるなら、さっさと済ませてくれないかな?
俺はこれから大仕事があるんだ、愛するひとに最高の危険地帯に立つ許しを貰うっていうね。

だから邪魔などしないで欲しい、早くお前なんか去ればいい。そんな想いに英二は立ちあがった。
英二はコーヒーの缶をダストボックスへ放りこんだ、それでも男は迷いながらまだ見ている。
ずいぶんと優柔不断だな?それとも気押されているだけかな?
すこし英二は内心で呆れかえった、そして転がしたくなった。
こんな悪戯心はアイザイレンパートナーから伝染された?なんだか可笑しくて英二は微笑んだ。
そして英二は、またベンチの前に立った。

ほら、よく見ればいい。この缶が意味するもの、あんたには解るだろ?

英二は長い指をベンチの座面へと伸ばしていく、その長い指にココアの缶を掴んだ。
ココアの缶を長い指から提げたまま、英二はゆっくりと歩き始めた。

そして、ココアの缶を見止めた男の目が、大きくなった。

ほら、やっぱりそうだったね?
きれいな微笑みの底で英二は哂った、なんて解りやすくて簡単なのだろう?
それにもう本当は知っているよ?あなたの名前も経歴も全てをね、そしてあなたの思惑も解っている。
安本の時もそうだった、この箱庭の世界はなんて簡単で解りやすいのだろう?

直情的で身勝手な自分、だからこそ人から援けてもらう術が備わっている。
そうして自分はもう箱庭の外の世界に立てた、そして箱庭を眺めすかして生きている。
だから手に取るように解ってしまう、この箱庭の小ささも愚かしさも。

ゆっくり英二は歩いてロビーの出口へと向かっていく。
その長く白い指にダークブラウンの缶を提げるよう掴んだまま、英二は男の横へと足を運ぶ。
そして男とすれ違いざまに、端正な会釈を英二は男に送った。

「おはようございます、」

きれいに笑って、英二は男の目を見た。
そう見つめた目は一瞬の動揺を隠すように穏やかに微笑んで返礼を向けた。

「ああ、おはよう、き…」

次の言葉へと男の口は動こうとした。けれど英二は気づかぬ顔でロビーから白銀の街へと出て行った。
外へ踏み出した足許に、さくりと雪踏む音が懐かしい。今朝の御岳山は雪も多いだろう。
ほっと息をひとつ吐くと、ゆるやかな靄が白くとけていく。くゆらされる靄の翳で、そっと英二は哂った。

…ほら?あの男には、自分に話しかける事すら出来やしない。

それは当然のことだろう?
だって箱庭の住人は、箱庭の外の存在に手だし出来る訳がない。
あんな些事に捕われる男になんて、自分が掴まえられるわけがない。
だって自分はもう山ヤとして、あの「山のルール」に生き始めている。
そのルールは人間が決められるものじゃない、そして誰もが従わざるを得ない峻厳に充ちている。
そんなふうに生きている今が楽しい、愉快で英二は微笑んだ。
そして英二は独身寮の傍、奥まった街路樹の下へと立った。

「懐かしいな、」

そっと呟いて英二は微笑んだ。
この常緑の梢ひろやかな木、今朝の雪に白く輝いて佇んでいる。
ここで1ヶ月と5日前、周太と2つめの「絶対の約束」を結んだ。

―いつか必ず一緒に暮らすこと

そんな自分の願いに、周太は言ってくれた。

―必ず自分の隣へと帰って来て

それは初雪の夜に周太が全てを懸けてくれた願い、1つめの「絶対の約束」の想い。
そうして1つめと2つめの「絶対の約束」は一繋ぎの約束でいる。
絶対に必ず周太の隣へ帰ること、そしていつか必ず一緒に暮らすこと
そして生きて笑って一緒に幸せになっていく。

どちらもきっとささやかで、当たり前のような約束なのだろう。
けれど自分たちには叶えることは容易くない、危険と向かう警察官には明日の約束すら難しいから。
それでも自分は今日、3つめの「絶対の約束」を結ぶために隣に帰ってきた。
そして、その約束はもう「当たり前」すらない最高の危険に充ちている。

― 生涯ずっと最高峰から想いを告げていく

最高峰は世界で最高の危険地帯、それ以上の危険などこの世にはない。
それでも自分は必ず隣に帰って必ず一緒に暮らして、幸せな笑顔を見つめていく。
だからその3つめの約束と、あの隣の許しがほしい。

「…許してよ、周太?」

そっとつぶやいて英二は静かに笑った。
そして携帯を取り出すと簡単にメールを打っていく。

To   :周太
subject :ここにいる
本 文 :あの木の下で待っている

送信して携帯をポケットに戻すと、英二は梢を見上げた。
見上げる梢には、濃い緑と白銀のコントラストが鮮明なモノトーンに見える。
こんな都会の真ん中で、アスファルトに根を押されても生きて枝を広げる木。
この木がもし奥多摩の山に生まれていたら、どんな木になったのだろう。
そう見上げていた英二は、ふっと気配に独身寮の入口を見つめた。きっと待っているひとが来る。

小柄なショートコート姿が独身寮の階段から現れた。
ほら来てくれた。思った通りの喜びに英二は穏やかに佇んだ。

「お待たせ、英二。ごめんね?」

大好きな落着いた声が軽く弾んでいる。
急いできてくれたのだろう、そんな気配がうれしくて英二は微笑んだ。

「うん、待ったよ周太?だからこっち来てよ」
「ん、」

笑いかけながら英二は、そっと周太の右手をとって雪明の木下闇へ惹きこんだ。
この常緑の木の下で、1ヶ月と5日前の夜に自分達は別れた。
そして今この朝ふたたび周太の手を自分は掴んでいる、うれしくて英二はきれいに笑った。

「周太、逢いたかった、」

そのまま手を惹きこんで、白銀の木下闇にやわらかく抱きとめる。
抱きしめた温もりがうれしくて英二は微笑んだ。そして雪の梢の翳で英二は周太にキスをした。

かすかなオレンジの香、やわらかなふれる熱。
抱きしめる小柄で細いからだ、伝わる鼓動、しがみついてくれる掌。
ふれるやわらかな髪、さわやかで穏やかな髪の香、きれいな頬と長い睫の青い翳。

このすべてに逢いたかった。
ずっと逢いたくて焦れて恋しかった、そして愛しかった。
そしてこんなに今もう、愛しい。

1ヶ月と5日を越えた白銀の木下闇で、英二は周太に再会した。


雪を踏んで真白な街をふたりで歩く。
英二の左掌は周太の右掌を握ったまま、コートのポケットに入れていた。
さっき街路樹の下で掴んだままに、英二は周太の手を自分のコートにしまっている。
そんな英二を隣から周太は見上げて、穏やかに微笑んだ。

「ね、英二?…大丈夫だよ、俺、逃げたりしないよ?」
「うん。解ってるよ、周太。でもね、こうして手を繋ぐのってさ、幸せだろ?だから周太と繋ぎたい」

そうだよ周太?ずっと繋いでいたいんだ。
きれいに笑って英二は、周太の黒目がちの瞳を見つめた。
そう見つめられた瞳が幸せそうに微笑んで、周太は唇を開いた。

「ん、…そうだね、英二。幸せだね?」
「だろ?」

答えながら英二は少し困った。
この隣はきれいになった、想った1か月の記憶よりずっと。
なんだか笑顔まぶしくて、黒目がちの瞳には勇気と深い想いが美しくて。
どうしよう?なんだかすこし途惑ってしまう、けれど幸せで見つめていたい。

そんなふうに歩いて、雪の中のカフェで扉を押した。
そして向き合って座るのに、ようやく英二は周太の右手を解放した。
もっとふれていたかったな。そう見つめる英二の目に、黒目がちの瞳がやさしく微笑んだ。

「ん。右手、温かいよ?ありがとうな、英二」

うれしい。
そんなふうに微笑まれて幸せで、うれしくて英二は笑った。

「良かった。俺ね、周太のことは温かくしたいんだ。だからね周太、俺、いま幸せだ」
「そう?…ん、いつもね、温かいよ…ね、英二。なにを頼む?」

落ち着いた声、ゆるやかなトーン。
おろした前髪の下で穏やかに黒目がちの瞳が微笑んでくれる、やわらかな髪は窓の朝陽につやめいて温かい。
見つめれば幸せで、聴いていれば幸せで。こういう時間がうれしくて英二は心から微笑んだ。

「クラブハウスサンドと、コーヒーかな。周太はココアにする?それともオレンジラテ?」
「ん、…おれんじらて?かな…あ、家に帰ったらね、ココア作ってあげるから」
「周太が作ってくれるの?うれしいな楽しみだよ。なによりさ、周太?『家に帰ったら』って、良いフレーズだよな」
「あ、…ん、なんかいわれるとはずかしくなるね…でも、良い、ね?」
「だろ?あ、周太。オレンジデニッシュあるよ、頼もう?」

なにげない会話、ありふれた話題。
けれどずっとこんな時間がほしかった、ずっとこの空気に座りたかった。
そんな幸せに笑いながら英二は、目の前の瞳を見つめてカフェの時間を過ごした。

カフェを出ると、少しだけ朝の寒気がゆるんでいた。
それでも雪の白さはあざやかで、英二には雪山と雪の街になつかしい。
うれしいなと微笑みながら英二は、周太の右手をまたポケットにしまった。

「あのベンチ、雪のなかでも座れるかな?」
「ん、…ベンチの上の木は、常緑樹だから…雪は避けているかもね?」
「もう公園開いているな、行こうよ」

そんなふうに雪を歩いて、馴れた道を辿っていく。
いつもと同じ公園への道、けれど真白な雪に静められた道は初対面の顔でいる。
なんだか初めて歩いた日みたいだな、半年ほど前の日を英二は想いだし微笑んだ。
あのときはまだ想いを自覚していなかった。けれど駅へ戻る帰り路はもう、想いが心から迫り上げて苦しかった。
そんな記憶の中から、ふっと英二は口を開いた。

「周太、俺ね?最初にここを一緒に歩いたとき。とっくに周太のことをさ、好きだったんだ」
「…そう、なの?」

コートのポケットで繋いだ掌を、そっと英二は握りしめた。
その右手を預けたままで、黒目がちの瞳が見上げてくれる。

「うん、俺はね、ほんとは出会った時から好きだった。
 そしてさ、一緒に歩いて公園に行って、あのベンチに最初に座った。あのときだよ、周太を好きだって自覚したのは」

「…ん、そうだったんだ…」

すこし驚いた黒目がちの瞳がすこし大きくなっている。
この瞳が自分は好きだ、そんな想いに微笑んで英二は幸せだった。
けれどこの瞳に今日は、話さなくてはならないことがある。話したらこの瞳は、どんな表情になるだろう?
そんな想いに雪を踏んで英二は、周太と一緒に公園の門を通った。

「ん、きれいだね、」

門を通って周太が微笑んだ。
その門のむこうには白銀の森が広がっていた。

「ほんとにさ、ホワイトクリスマスだね、周太?」
「ん。…なんか素敵だな、きれいだね」

いつものアスファルト舗装の道が、おそい冬の朝陽に輝く雪にまぶしい。
芝生の広場は真白な平原に姿を変えていた、そこに梢ひろげる樹木達は銀色の雪に佇んでいる。
ときおり紅桃色の山茶花が目立つ、常緑の濃緑と雪白に映える花姿はあざやかだった。
それでも周太は真白な山茶花の前に心を留めてしまう。

「ね、…ここにも『雪山』がね、咲いている」

真白に凛と花咲く梢を見上げて、きれいに周太が笑った。
この山茶花『雪山』は周太の実家の庭に咲いている、周太の父が息子の誕生花だからと植えた木だった。
そして同じ『雪山』が御岳山にも咲いている、その木と周太は雲取山に登った翌日に出会った。
だから英二は御岳山巡回のたびごとに、その木の下で花を見上げてしまう。英二は微笑んで周太に教えた。

「御岳山の『雪山』も元気に咲いているよ?」
「あ、いつも見てくれてる…の?」
「うん、もちろんだよ周太?だってあれはさ、周太の木だろ」

そうやっていつも自分は、この隣を少しでも近く見つめたがっている。
もうそれ位に想っている、そしてもっと近づきたくて仕方ない。
だからね周太?今日も許してほしい。そんな想いのまんなかで、周太が微笑んだ。

「ん、…なんか、うれしいな…いつも見てもらえて、うれしい」
「おう、いつも見てる、周太のこと。ずっと、どこからもね」

そう言ったとき、いつものベンチに辿りついた。
ベンチを見つめた黒目がちの瞳が、うれしそうに微笑んだ。

「ん、…雪、避けてるね?やっぱりこの木が、守ってた」

そんなふうに微笑んで周太は梢を見上げた。
常緑の葉を豊かに繁らせた梢には、白く雪がかぶっている。
けれどベンチは雪もなく、冬の朝陽におだやかな佇まいでいた。

この場所からはじまった

ふっと英二の心が響いて、ゆっくりと英二は辺りを見回した。
このベンチの周りには樹林帯が鎮まっている、それは奥多摩を模した森だと書いてあった。
この新宿にある奥多摩の森は今、白銀の雪にさす朝陽に輝いていく。
静かに英二は口を開いた。

「周太ね、この森は奥多摩の森をつくったらしいよ?」
「そう、なの?…あ、確かに雰囲気がね、よく似ているな」

うれしそうに周太は森を見渡していく。
その瞳が明るくてきれいで、英二は昨日の美代の言葉を想いだされた。

―世界でいちばん高いところから、世界を見渡すのでしょう?
  そこに自分の大好きな人が立って、自分を想ってくれる。それってきっと、世界一に愉快なことよ

ここは新宿、周太が日常をおくる街。
この森は奥多摩で、いまは雪を抱いて佇んでいる。
そしてこの森に抱かれたベンチでずっと、自分はこの隣への想いを重ねてきた。

この場所で「世界一に愉快なこと」を伝えたいな

そんな想いが英二にゆるく起きあがる。
ほんとうは周太の屋根裏部屋で話そうかとも想っていた。
けれど今日は雪が積もった、そして新宿にある奥多摩の森で大切なベンチを見つめている。
そんな今日に告げたい想いは「最高のクライマーのアイザイレンパートナーとして最高峰に立つ」
この想いは生まれた理由の1つ、この運命をアイザイレンパートナーが示したのは奥多摩の森、そして最高峰は雪世界。
だからいま雪の奥多摩の森で告げることが、いちばん相応しいかもしれない。

「うん、」

英二は軽くうなずくと、自分の隣へと微笑みかけた。
そしてポケットの右手を軽く握りしめて、英二は口を開いた。

「周太、聴いて?これはほんとうの俺の気持ち、俺の想いの真実なんだ」

黒目がちの瞳が見上げてくれる。
その瞳は穏やかで静かに和んで、そっと微笑んでくれた。きちんと聴くよ?そんなふうに。
きちんと聴いて?英二も目で笑いかけて、そして周太に告げた。

「周太への想いだけがね、俺の人生の幕を開けてくれた。だから周太はね、俺が生きる意味の全てだ。
 そして俺は山ヤとして生きられた、周太に出会えたから俺は本当の自分に成れた。
 だからこそ俺はね、周太。周太への想いのまま本当の俺らしくさ、山ヤの最高の夢に生きたい。
 山ヤの最高の夢へ俺は登りたい、この世界の最高峰へ立ちたい…俺は、周太への想いのまま最高峰に立ちたい」

「ん、…」

小さく頷いて黒目がちの瞳が微笑んでいる。
きちんと聴いている、だから続けて?そんな穏やかな目を見つめて英二は続けた。

「国村は最高峰に登る運命の男だよ。その国村が俺をね、生涯のアイザイレンパートナーに選んでくれた。
 まだ俺は山自体が初心者だ、それでも国村は俺を選んだ。
 そしてね、周太の事情も全て俺は話した、危険な道だとも。それでも国村は俺を選んで、揺るがなかった」

話して告げていく、その黒目がちの瞳も揺るがない。
ただ真直ぐに英二を見つめて微笑んでくれる―さあ、きちんと話して?そんなふうに。
そんな揺るがない想いを見つめながら、英二は想いを言葉へ変えていった。

「そして国村はね、こう言ったんだ。
 『最高峰ほど危険な場所が世界のどこにある?
 そんな最高の危険へと俺は、アイザイレンパートナーとして宮田を惹きこんだ。
 これからの人生をより危険に惹きこむのは俺の方、だから宮田の危険に俺が巻き込まれるくらいで調度いい』
 そんなふうに国村はね、俺を選んでくれたんだ。
 周太。俺はね、あいつに自分のリスクを背負わせて、あいつの生涯のアイザイレンパートナーになったんだ」

「ん、」

おだやかな相槌を打っていくれる。
白銀の森で英二は、愛する黒目がちの瞳を見つめた。
そうして口を開いた。

「どうか周太、許してほしい。最高峰を望む男の生涯のアイザイレンパートナーに生きること。
 そしてね、周太?あいつと一緒に俺は、最高峰から世界を見つめたい。そして周太のことを想いたい。
 そして俺はね周太、最高峰からだって周太の隣に必ず帰る。だからその絶対の約束を結ばせて欲しい」

見つめる黒目がちの瞳が、きれいに微笑んだ。
そして微かに唇が動いて、想いがこぼれた。

「…絶対の約束を結んだら、必ず帰って来てくれる?…俺の隣に、生きて、笑って?」
「ああ、必ず帰るよ、周太。どこからだって、いつだって、最高峰からだって。周太の隣に、必ず帰る」

そう、自分は必ず帰る。そして帰り続けてやりたいことがある。
そんな想いに黒目がちの瞳を見つめて、きれいに笑って英二は言った。

「そしてね周太、生涯ずっと最高峰から告げるよ?
 周太を心から愛している。
 そう、俺は最高峰から告げるよ。生涯ずっと最高峰から、周太だけに想いを告げて生きていきたい」 

新宿にある奥多摩の森、白銀の雪の森。
白銀の梢のもと黒目がちの瞳を見つめて、英二は周太に想いを告げた。

許してくれる?そう英二は黒目がちの瞳を見つめていた。
その瞳はゆっくり瞬きをする、そして周太はそっと口を開いた。

「そのままの姿で、そのままの想いに…
 真直ぐ心の想う通りにね、英二に生きてほしい…それがね、いちばん英二は素敵だ。
 そして俺はね、英二のきれいな笑顔が好きだ。だから英二の笑顔を、俺が守りたい。だからね、英二…お願いだ、」

真直ぐに黒目がちの瞳が見つめてくれる。その瞳には穏やかな静謐と勇気が温かい。
その瞳で見つめたまま、きれいに笑って周太は言った。

「世界の最高峰で、英二の想いのままに、きれいに笑ってほしい。そして、必ず俺の隣に帰って来て?」

黒目がちの瞳には、誇らかな深い想いと勇気ひとつ。
その瞳が愛しくて、まぶしくて、英二はそっと周太を抱き寄せた。

「約束する。最高峰から想いを告げて笑ってみせるよ?そして必ず周太の隣に帰る、絶対に俺が周太を守る」

「ん、…お願い英二、絶対の約束をして?」

見上げてくれる瞳が美しくて、愛しくて。
こんな瞳のひとが自分の運命の相手でいてくれる。そんな幸せが愛おしい。
きれいに笑って英二は、周太に告げた。

「周太、絶対の約束だ。俺は、約束は必ず守って叶える。だから周太、信じて待っていて」

想いを告げられた。その想いのままに、英二はしずかに唇を唇に重ねた。
この新宿の奥多摩の森の、大切なベンチの前で。




(to be continued)


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