萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第66話 光芒act.4―side story「陽はまた昇る」

2013-06-30 23:28:18 | 陽はまた昇るside story
昇りゆく先に、



第66話 光芒act.4―side story「陽はまた昇る」

指揮車のライトが消えて、黄昏の闇が視界を塞ぐ。

見上げる壁の涯から尖塔へザイルは続く、その先から下降。
そんなコースラインを視認して英二は上官へ微笑んだ。

「宮田、始めます、」
「はい、どうぞ、」

からり笑った声に雪白の指が薄闇に動く。
すぐストップウォッチのスイッチ微かに鳴って、英二は壁のザイルを掴んだ。
握りしめる感覚はグローブ越しに馴染む、そのまま壁へ踏み出す登山靴の底は垂直へ昇らす。

―斜度はキツい、でも足場は平らで楽だな?

独り確認を踏みしめて英二はコンクリートの壁を駈けだした。
ザイルを手繰り垂壁を空へ走り登る、その感覚に北壁の時間が映りだす。
あの冷厳に風も凍てつかす岩壁の世界は踏み間違えば惹きずりこまれる死があった。
けれど今このコンクリートには強風も氷雪も無い、そしてオーバーハングの反転すらも無い。

―アイガー北壁もマッターホルンも、こんなもんじゃない、

斜度90度の垂壁、足場の無い平面、それは確かに登り難いとも言えるだろう。
それでも気温は高く凍傷の危険は無い、高低差もアイガー1,800mに較べたら短すぎる。
そんな比較を考えたなら今、新隊員訓練の疲労などハンデにも言い訳すらにもなりはしない。
何よりもこの先に登ってゆく山を考えたなら、人工施設での訓練に甘える余裕など自分には一瞬も無いだろう。

六千メートル峰、八千メートル峰、そして世界最高峰と最高難度の山頂。
そこで光一のビレイヤー兼レスキューとしてアンザイレンパートナーを自分が務める。
それが山岳レスキューに抜擢してくれた後藤たちへの報恩で、そして自分の夢で誇りで、この道しか自分にはない。
山と救命救急の技術を卓越して山岳警察でセカンドになる、それが大切な唯ひとりを護って生きる道に繋がるのだから。

―約束したんだ、何度も何度も約束した、それなのに俺から壊したんだ、だからもう次は無い、

唯ひとつの想い、そう信じて自分は約束をした。
唯ひとり想い続けて護って生きる、そう自分の未来を信じて約束を結んだ。
それなのに自分はアイガー北壁で約束を壊してしまった、それが不実だと今は自分を赦せない。

だからこそ昨夜も今朝も縋りたくて、一瞬でも長く多く周太を抱きしめて時を過ごしていたかった。
そんな自分の弱さも狡さも、今朝に見てしまった薬袋の記憶ごと心を刺して罪と罰だと思い知らされる。
こんなにも自分は身勝手で愚かで、それでも共に生きる免罪符を得たくて今も資格を掴みに奔ってゆく。
そんな想いごと英二は壁を駆けあがり、そのまま空中を渡すザイルへ移ると真直ぐ尖塔に向かい進んだ。

―絶対に負けない、ここにいる誰よりも速く正確になりたい、

絶対に負けたくない、誰より優れていると認められるしか自分の道は無い。
そう肚底に言い聞かせるまま尖塔に辿りつき、すぐ懸垂下降に入る。
そして地面へ両足が着くとテノールが愉快に笑った。

「おつかれさん、で、暫定1位は現在宮田です。皆さん、遠慮なく宮田の記録を破っちゃってくださいね、」

暫定1位、その言葉に覚悟がまた肚に笑う。

今は自分がトップに立った、けれど必ず2位に落される。
そんな確信をしてしまう、きっと記録を告げてくれた本人がレコード更新者になる。
それこそ自分にとって何より高い壁だろう?そう想えることが何だか楽しくて微笑んだ空、黄昏は夜を呼ぶ。

―今日が終わるな、そしたら10月に一日また近づくんだ、

仰ぐ空の色彩に「瞬間」は現実へと変貌を近づける。
あの書斎で初めて一冊の本を手にした、それが現実を予感させた。
そして一つの合鍵が書斎机から目覚めさせた日記帳が現実の姿を教えてくれた。
その合鍵は今も出動服の下、紺色Tシャツと肌の狭間で堅く小さな輪郭に揺れる。

―馨さん、どうか周太を護らせて下さい、こんな俺だけど本気だから、

合鍵の元の持主に願う、この想いに偽りは今まで無い。
けれど一ヶ月前の自分が甘えてしまった罪は、現実でいる。
だからこそ願ってしまう、あの罪があるからこそ自身の本音も見える。

アイガー北壁の夜、自分は光一を抱いた。
その翌日も肌を重ねる時を過ごした、あの時間は幸せだったと今も言える。
けれど最期に選びたい相手は唯ひとりしかいない、そんな覚悟を見つめる世界は今、黄昏に赤く染まる。



湯船に浸かる体、疲労が溶けだし溜息こぼれだす。
そんな吐息に気づかされる、新隊員訓練と夜間訓練は体にきつかった。

―俺、疲れてたんだな、

心裡に自覚が笑う、そんな感覚が可笑しい。
だって2年前の自分には、今の自分は考えつかなかったのに?
こんな予想外に微笑んで湯の掌に髪かき上げる、その視界に二日目の笑顔が映った。

「お疲れさまです、って言ってもタフですよね?」

湯気を透かす向こう、あわい日焼の顔が笑いかけてくれる。
この端正な顔は昨夜も今日も見た、そして光一に聴いた話に英二は微笑んだ。

「お疲れさまです、浦部さん。俺ってそんなにタフですか?」
「新隊員訓練の直後で2位になれたら、タフでしょ?」

答えて端正な顔が笑いだす、その笑いは声から明るい。
気さくだけれど穏やかな賢明が浦部にはある、そんな空気感へ好意と笑いかけた。

「綱渡りは黒木さんの方が速いですよ、」
「それでも2位ってことは、壁登りが抜群に速いってことだよ、」

明るいトーンに笑いながら浦部は両手で顔を拭った。
湯に擦った顔は快さげに笑って、涼やかな目が英二に笑んだ。

「宮田さんて山の現場はやっと1年なんですよね?なのにあれだけ速い登攀が出来るのは、才能と努力が両方揃わないと無理だ。
アイガーとマッターホルンの記録もね、正直なとこ国村さんに引っ張られてるって想ってけど。それだけじゃないって良く解ったよ、」

率直な言葉から自分への噂と評価と、そして立場が告げられる。
どれも青梅署に居る時から解ってはいた、けれど遠い話のようにも想っていた。
それが今こうして聴かされるまま「現実」が解かる、その理解に英二は素直なまま笑った。

「ありがとうございます、戴いた評価をガッカリさせないように頑張りますね、」

現時点の評価は、少し油断すれば覆る可能性だってある。
それは期待される分だけ裏返しが怖い、そう解かるまま覚悟と笑った湯気の向こう先輩も笑ってくれた。

「やっぱり宮田さん、すごく良い貌で笑いますね?笑顔が良くて人気だって噂は聴いてたけど、ウチの皆からも支持されてますよ?」
「そうなんですか?なんか恥ずかしいです、俺、」

率直な感想と笑いかけて、また先輩も笑ってくれる。
その笑顔は賢明の明るさが頼もしい、きっと信頼出来る相手だろう。
そんな観察に隊員名簿と上官のコメントが記憶からデータを紡ぎだす。

浦部康利巡査部長 26歳 第七機動隊第2小隊所属

長野県松本出身、卒業配置は五日市署で初任総合修了4ヶ月後に第七機動隊へ異動。
日本大学山岳部OBで北アルプスのルートは熟知、地元に近い穂高連峰を得意とするアルパインクライマー。

『第2小隊で黒木の次席は浦部だよ、階級は同じだけど年次と年齢が4つ後輩だから黒木の次ってカンジでさ、人望は浦部のがあるね、』

光一から聴いた通りだと今、会話の相手を観察してしまう。
こんなふうに風呂ですら相手を計っている、そんな自分を一年前は想像できなかった。

―こういうことが日常になるんだな、これから先はずっと、

常に「立場」から物を見る、そんな感覚がもう意識の底に根付いてしまった。
それは今の湯の時間だけじゃない、今朝の食事にも感じて、きっと夕食には尚更強くなる。





(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

May,水張月の森―万葉集×Ben Jonson

2013-06-30 20:37:16 | 文学閑話韻文系
時雨、夏の訪い告ぐ 



May,水張月の森―万葉集×Ben Jonson

青山の 石垣沼の水隠りに 戀や度らむ 逢ふ縁を無み  詠人知らず

青く繁らす山深く、
堅く垣廻らせる水のように、密やかに隠れる想い人よ
秘めたままにも想うあなたに、戀に慕うまま逢いに行こう
逢瀬の想い伝える術も無いけれど、深く堅い縁を辿り逢いに行くよ?

毎度の『万葉集』巻十一に掲載の歌です。
物に想い寄せた歌としかありませんが相聞歌、コレは恋歌になります。
今日は近場の里山に登って来たんですけどね、ちょうど歌の感じな場所でした。

山の天辺を越えた所に小さな池があってね。
濁った水を湛えて石廻らす1m四方程度、それでも枯れた事が無いのだとか。
透明では無い水は底の深さも隠すようで、秘密めくまま佇む池は古歌の石垣沼を想わせました。
でもその池ってね、実は城址の山池なので由来書きは猛々しいんですよね、笑
池水の白濁は刀を研ぎ洗った研磨の屑が残る為、なんて書いてありました。

だけど、大切な飲み水でもあったそうです。
もしかしたら、水汲みに来た侍女と刀研ぎの武士が池の畔で恋墜ちたかもしれない?笑
そんな物語を想わせるように、朝の雨ふる山には夏椿ふたつ寄りそって咲いたことは印象的です。



A lily of a day
Is fairer far in May,
Although it fall and die that night―
It was the plant and flower of Light.
In small proportions we just beauties see:
And in short measures life may perfect be.

ただ一日の百合は
初夏のなか遥かに美しい
たとえ夜に枯れ落ちる命としても、
それは草木の命、そして光輝の花
小さな調和に端整な美しさを見る、
そして短い旋律たちには完璧なる命が謳う

Ben Jonson「It is not growing like a tree」

イギリスの詩人ベン・ジョンソンによる作詩です。
この詩は邦題「人間の成長」とされています、が、原題は「大樹に育つよりも」って感じかなあと。
コレ、上述の引用部分より前は「樹齢3百年の樫の木が倒木するように、図体ばっかデカくなるなよ?」とあります。
日本の諺で言うならば、独活の大木よりも山椒は小粒でも辛いを目指せ、ってコトでしょうね。

詩中の「May」は5月と訳す事が一般的だと思います。
が、英語の「May」が指す時期は=5月中旬~6月中旬の初夏です。
だから邦訳する月名を考えるなら旧暦五月「皐月」が相応しいのかなと。

この詩でも「May」の「lily」が出てきますが、百合は初夏から夏の花です。
日本では西暦5月から6月の梅雨頃までが初夏、そして百合が咲きだすのは早くて6月になります。
そう考えると「It is not growing like a tree」は今この季節を謳う詩だなって想ったので、ちょっと引用してみました。

で、今日歩いた山にも百合は蕾を見せていたので↓コンナ写真を撮りました。
また咲く頃に登ってみたいですね、笑



下の写真↓はいわゆる木苺だろうと。
他にも野苺と蛇苺を今日の山で見ました。

神奈川西部から静岡東部は5月から6月が苺のシーズンなんですけど、懐かしくなります。
田舎の持山ではね、5月になると山には野苺の赤い色が緑に映えるんですよね。
それを採って食べてたなって懐かしくなる、アレ結構美味しいから。笑い

どんな味かっていうと、甘酸っぱい味は市販の苺と似ています。
ただ香が違うんですよね、口に入れると薔薇と同じ香がふわってなります。
で、木苺はどんなかっていうと甘いです、が、核の芯みたいなとこ食べるといがらっぽい、笑
たぶん酵素が強いのかな?舌や口内の痺れる感覚に粘膜が攻撃されて、痛かった記憶があります。




昨日UPの「払暁の月2」
それから「慈雨の光― Introduction act.1, Aesculapius」は加筆校正が終わりました。
第66話「光芒4」はもう少し書き足したりなんだりします、で、短編一本UPしようかなって予定です。

取り急ぎ、





6月の写真(2013)ブログトーナメント - その他ブログ村6月の写真(2013)ブログトーナメント

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第66話 光芒act.3―side story「陽はまた昇る」

2013-06-28 00:20:23 | 陽はまた昇るside story
時の扉、その涯に 



第66話 光芒act.3―side story「陽はまた昇る」

残暑炎天のグランド、埃っぽい風を駆け足訓練に走る。

走る体に久しぶりの出動服は、どこか借り物のよう感じてしまう。
身に着けた装備一式も以前のようには重たくない、こんな感覚にも違和感がある。
なにより全身が濃紺の暗いトーンであることが着馴れた山岳救助隊服と全く違う。

―なんか俺らしくないって想ってるよな、俺?

自分の感覚が可笑しくてグランド駆けながら英二は心裡に微笑んだ。
もう山岳救助隊服が「着馴れた」日常の基準になっている、その実感が誇らしい。
こんなどれもが1年半前の自分には考えられなかった、そこから超えてきた時間の結果がこうして機動隊の訓練にすら現れる。
装備品を着装し大楯を携行しながら駆け足をして1時間、けれど息切れも殆どない。

―こんなところで疲れていたら八千峰なんか登れない、しかも無酸素でなんか無理だ、

標高8,000mを超えた世界を酸素ボンベ無しで登る。
ただ自分の体力を頼りとして世界の屋根へと上がる、それは尋常の身体能力では難しい。
それでも自分に課されている義務と権利と、夢を担いたいのなら、この体ごと造り直して叶えるだけ。
そう望んだから青梅署山岳救助隊での11ヶ月間、吉村医師と後藤副隊長の助力に訓練を積みあげながら光一を追いかけた。

光一は既にK2峰を20歳、チョ・オユーを21歳で登頂している。
このどちらも光一は酸素ボンベを使っていない、そして結果としてトップを務め頂上を踏んだ。
どちらも警察庁合同での海外遠征訓練だから記録保持者もいた、けれど光一は技術と身体能力の両方で上回っている。
そんな光一のアンザイレンパートナーとして認められるには、自分自身も無酸素登頂で光一のペースに付いていくしかない。

―それが出来なかったら昨夜の評価だって覆る、そうしたら副隊長や蒔田部長にも迷惑がかかるんだ、

昨夜から見つめる現実は、単純に喜んでいる暇など無い。
今期は六千峰の遠征訓練に参加する、その後遅くとも来期には八千峰を登るだろう。
山を始めて今やっと1年、そんな自分が本来なら挑戦権を得られない機会だと自分が一番知っている。
だからこそ期待も評価も裏切れない、そして山岳レスキューの警察官として救命救急士になる任務も待っている。

考えるべきこと行動すること、いずれも職務だけで沢山ある。
それと同じくらい自分にとって大事なことが今この第七機動隊舎から、本当のスタートが近づきだす。
この先は公的に繁忙となるだろう、それ以上に秋を迎える前に一度やるべき事がある。

―…おまえさ、『Fantome』を救うために、マジでホンモノ登場させる気だね?ま、キッチリ考えてアレは使いなね、

初任総合が明けて青梅署に戻った日、そんなふう光一に言われた。
あの日に自分がとった行動を意図まで知るのは光一と武蔵野署にいる安本しかない。
それでも「本物」が現われたら二人の外三人も正体を気付くだろう、けれど確信はきっと持てない。

―後藤副隊長と吉村先生、あと蒔田部長は疑うだろうけど、きっと拳銃で確信が持てなくなる、

WALTHER P38 

今から50年前まで晉が手にしていた拳銃は、現在警視庁で採用される拳銃とは違う。
当然のこと自分に支給されている拳銃とは異なっている、それが隠れ蓑にもなるだろう。
だから自分が50年前の拳銃を使ったところで、自分が撃ったのだと特定は出来ない。

―もし気づくとしたら周太だけだ、

唯ひとり、あの人だけは気づくかもしれない。

晉が馨に遺した小説は今、廻って周太の手許に戻ってきた。
それが晉と馨の意志だと言うのなら、いつか周太は「奈落」と「Mon pistolet」の真実に気づくだろう。
そうして「Un autre nom」が気づかせる、あの紺青色した一冊からページが切り取られた真実を周太は知るかもしれない。

『Le Fantome de l'Opera』

あの本を周太に手渡したのは、初めての外泊日だった。
あのとき初めて一緒に外食をした、あのラーメン屋に二人初めて共に暖簾をくぐった。
それから初めて周太に服を贈った、あの白いシャツを今でも周太は持っているのだろうか?
そして初めて、あの公園あのベンチに二人並んで座って、あの本のページを周太は開いた。

あのとき雨が降った。

―…今の方がいいよ。宮田、前よりも良い顔してる

雨の中で行ってくれた言葉が、穏やかな声がただ嬉しかった。
驟雨が紗をかける空気に見つめた貌は綺麗で、あわい輪郭の優しさに惹きこまれた。
そんなふうに視界と聴覚から自覚した、あの雨に自分は想いを泣いて、そして「今」が始った。
あれから1年以上が経つ、けれど今ここで砂埃の炎暑に駆けながらも雨ふる空気は鮮やかなまま心映る。

あの雨からこんなに遠くへ来てしまった。
あの紺青色の本が自分をこんな今にするなんて、あのとき想わなかった。
ただ周太に追いつきたくて傍にいたくて、そう焦るのに可能性も夢も何ひとつ見えないままだった。

それでも今こうして走る隊舎の一角は、周太の場所に近い。
この距離感を踏みしめて走り続け、号令一下に停まった空を陽は傾いた。

―奥多摩も今、晴れてるのかな、

訓示を聴きながす聴覚、けれど思考は北西の空を想う。

今ごろ吉村医師はコーヒーを淹れている?藤岡と原は駐在所から帰るところだろうか?
岩崎は日誌を書くだろう、日曜日の今日だから後藤副隊長は孫と過ごしているかもしれない。
そんな廻らす心に気づかされる、もう奥多摩が故郷になり生まれ育った筈の世田谷を想わない。
こんな自覚を見つめるまま佇むうち、新隊員訓練2日目は解散となって踵返すと呼び止められた。

「宮田さん、」

呼ばれた呼称に、もう昨日の経過が気づかされる。
そして今朝の上司が告げた言葉を想い振向いた先、昨夜知り合ったばかりの顔が笑った。

「おつかれさまです、あれだけ走っても息切れ一つしていない、さすがだな、」

笑いかけてくれるその言葉に、素直な賞賛と微かな焦慮が揺らぐ。
そんな相手を透かし見ながら英二はヘルメットを外し、端正に頭を下げた。

「昨日は訓練に参加できず、申し訳ありませんでした。

ヘルメットを抱えた礼の先、ほのかな満足感が生まれる。
自分が頭を下げたことで担当官は満足するだろう、そんな予想通りの声が言ってくれた。

「謝る必要はない、遭難事故の対応があったなら当然のことだ、」
「すみません、そう言って頂けると気が楽になります、」

微笑んで頭をあげた向かい、担当官が安堵したよう笑ってくれる。
きっと彼は事情をもう把握しているのだろう、そんな空気へと英二は綺麗に笑いかけた。

「この後、山岳救助レンジャー第2小隊の訓練に参加をと国村小隊長から言われています。参加してもよろしいでしょうか?」

国村小隊長、この呼名を口にする初めてが何だか誇らしい。
けれど少しだけ照れくさい?そう想い微笑んだ前で担当官は少し驚いたよう頷いた。

「それは構わないが、この訓練の後でレンジャー訓練するのか?」

ほら、素になった口調が飛び出した?
そんな態度につい微笑んで英二は答えた。

「山岳救助の現場は、吹雪でも雷雨でも出動ですから、」

遭難事故は悪天候にこそ起きる。

そのとき生命は断崖に立つ、だからこそ即時対応が求められる。
そのとき週休だとしても管轄内にいるならば駆けつけることが当り前、その為に救助隊服一式を持ち歩く。
いかなる状況でも要請があれば応じる、それが山岳レスキューの現場にある日常で、自分の日常的常識になっている。

この今だって青梅署は、奥多摩では救助要請があれば駆けつけるだろう。
そんな現場は今もう自分から離れていても、それでも他人事になんてもう、欠片も思えない。

―藤岡も原さんも、岩崎さんも、後藤さんも、皆が今もう現場に居るかもしれないんだ、吉村先生だってそうだ、

故郷の人々を想う、だからこそ今も第2小隊の訓練に「出動」したい。
そんな想い誇りに笑って一礼すると、すぐ踵を返し英二は集合場所へ駆け出した。

―それに、この訓練が俺の評価を本当に決める、今、この時がチャンスなんだ、

駆けながら廻らす想いには、今朝の光景が映りこむ。

『俺に山のこと喋らせると長くなりますよ、それでも大丈夫ですか?』

そう言って黒木は朝食の席、周太に笑いかけた。
山を話せる相手が嬉しい、そんな寛ぎと信頼の萌芽が黒木の瞳に見えた。
あんな笑顔は昨夜の黒木から考えつけない、それが今こうして第2小隊の訓練へ自分を向かわせる。

―たぶん黒木は、過去の周太だ、

駆けていく心に判断が映り、自分の為すべき事へ計算が廻る。
いま黒木の心を掴むことは自分にとって「公務」だろう、けれど形式だけで墜ちる相手だと想えない。
それが今朝の黒木と周太の会話に見えた、そして「見えた」機会を与えようとする周太の意志が嬉しかった。

きっと周太は、黒木と自身が似ていると気づいている。
だから今朝も黒木と箭野が座る食卓へ連れていってくれた、そんな意図が温かい。
そうして気づかされるもう1つの人間関係が、昨夜の屋上で聴いた光一の言葉を確信に変える。

『まず各小隊ごとの力関係と人間関係を話そっかね?』

そんな切り口から語ってくれた第七機動隊の内部事情には「箭野」の名前も大きい。
それは今朝の席でも感じられた、あの直接会話した感触から得たものは多分、周太と自分に可能性をくれる。









(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正午すぎ、雨後の森

2013-06-27 12:50:43 | お知らせ他
光、緑に息吹く



こんにちは、昼休みですが一筆啓上、笑

今の神奈川は梅雨の晴れ間、雲まぶしい空が青いです。
昨日の雨で塵埃が拭われた空気も清明、朝窓を開いたら緑の香りごと涼やかでした。
こういう時に上手くあたると山は気持ちいいんですよね、今日ドッカ登っている人が羨ましい、笑
でも足元は気をつけないと滑りやすいポイントもありますけどね。

そんな気分なので写真だけでも貼ってみました。
今週末も天気がいいと嬉しいけど、雨なら雨の楽しみ方も良いもんです。
でもコンナにも空が気持よさ気だと、やっぱり外へ行きたくなりますね、笑



さっき第66話「光芒2」の加筆校正がほぼ終わりました。
昨夜の短編「払暁の月」は合間合間に加筆予定です、ホント冒頭文だけですみません、笑
夜にまた一本UPの予定ですが、たぶん「光芒3」が22時頃で短編が日付変わる頃かと思います。

取り急ぎ、








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第66話 光芒act.2―side story「陽はまた昇る」

2013-06-26 22:03:40 | 陽はまた昇るside story
光の澹、唯ひと時を




第66話 光芒act.2―side story「陽はまた昇る」

忍ばせた鍵の音、密やかに扉を開いて空間を閉じる。

訓練後のシャワーに濡れた髪をかきあげながら施錠して、英二は部屋に振り向いた。
カーテン透かす光やわらかな部屋は静謐が充たし、そっと唯ひとつ寝息が優しい。
見おろすベッドに眠れる横顔は穏やかで、安らかな微笑に安堵が泣きたくなる。

―ちゃんと呼吸が規則正しい、周太…よかった、

よかった、そう心呟いてほら、もう瞳の奥が熱くなる。
ただ呼吸ひとつで自分を揺らす、そんな相手への想いをまた自覚する。
こんなにも無事がただ嬉しい、そして知らなくてはいけない現実に英二は踵返すと片隅の鞄に向き合った。

「…馨さん、開けますよ?」

そっと低く呟いて周太の鞄に手を掛ける。
留金を外す、その指が微かに震える臆病が悔しくて、知らず唇を噛む。
それでも鞄は開かれて、音も無く押し広げた中に薬袋1つが網膜へ映りこんだ。

「…っ、」

呑みこんだ声が、鼓動を締め上げる。
もう覚悟していた、夏富士で後藤に聴かされた周太の過去に、とっくに覚悟している。
それなのに今、こうして現実に見つめる白い薬袋ひとつに揺さぶられた感情は、瞳に熱を涙へ変貌さす。

―…喘息の再発について…病院の薬がね、1ヶ月分減っていたんです。たぶん雅人が湯原くんの主治医になったのでしょう

吉村医師の推察は、当っていた。
そんな現実が白い袋に思い知らされる、その泣けない涙を英二は心へ戻し微笑んだ。

「もう…泣いてる暇じゃないよな?」

独り言に溜息ひとつ、夏富士の覚悟を呑んで周太の鞄を閉じた。
まだ壁を向いたまま右手が自分の胸へふれ、紺色のTシャツを掴みこむ。
掴んだ掌に堅く小さな輪郭は布越しにも確かで、この感触に縋るよう願ってしまう。
今この掌に握りしめる小さな鍵、この鍵で開かれる扉の家で待っていてほしい笑顔がある。

―馨さん、どうか周太を護って下さい、喘息からも異動の先からも、

ただ笑顔を護りたい、どうか笑って自分を家で迎えてほしい。
そう願うまま握りしめる鍵は小さいけれど堅い、その確かな感触に微笑んで英二は振向いた。
振り向いた先のベッドには愛しい寝息が安らぐ、そんな当り前の風景すら自分には得難くて、それが切ない。

どうして?

どうして「得難い」のだろう?
ただ安らかな寝息を聴くだけ、それすら得難いのは何故だろう?
唯ひとりの寝顔を見ていたいだけ、そんな願いはありふれている筈なのい自分は掴み難い。

「これは…俺の罰なんですか、馨さん?」

見つめる現実に言葉こぼれて鼓動が軋む。
この傷みすら自分への罰かもしれないと、そう思うだけの生き方を自分はしてきた。
望むと望まざるとも幼い頃から「恋愛」を弄んだと自覚している、それが今こんな苦しみを齎す?
そんな自責が鼓動から全身を蝕んで痛い、それでも今この時に与えられている幸せに英二は歩み寄った。

「…周太、」

そっと呼びかけてベッドに腰掛け、微かな軋みが音に鳴る。
それでも覚めない微睡に眠る横顔は清らかで、その清純に英二は微笑んだ。

「ほんとうに天使みたいだね、君は…ね、周太?」

カーテン透かす暁ふるベッド、やわらかな黒髪は光環きらめかす。
艶やかな髪こぼれる貌は微笑んで優しい、その微睡んだ睫に光がふれる。
まだ瞑ったままの長い睫は安らいでいる、そんな横顔に唇は笑み含んだまま眠りこむ。

―ずっと見ていたいな、

心に願い微笑んで、見つめる人の傍ら英二は横たわった。
まだ時計は起床に早い、その刻限まで今はただ幸せを抱きしめたい。
そう願うまま布団ごと背から抱きしめて、眠れる人に頬寄せるまま耳元へキスをした。

「…好きだよ、」

キスに囁き微笑んで再び接吻ける、その唇へと黒髪の香ふれる。
穏やかで爽やかな香は懐かしくて、もう遠くなった記憶の時間を狭いベッドに蘇えらす。
こんなふうに背中を抱きしめ眠った日があった、その前には抱きしめる事すら出来ず見つめていた。
そんな時間たちは辛くて哀しくて、けれど今ほど痛みなんて無かったと解かるほどに後悔が、痛い。

―どうして俺は周太だけを見つめなかったんだ、約束したのに、なぜ、

どうして自分は唯ひとりだけ見つめ続けなかったのだろう?

もうじき一年前になる初めての夜、あんなにも唯ひとり周太を見つめていた。
それなのに光一へ憧れて、それを周太に見抜かれて、それでも自分は光一を求め抱いてしまった。
あの時間は光一にも自分にも必要だったろう、けれど本当は他の道もあったと自分が一番解っている。
だからこそ今に刻限を知らされて現実が鼓動を噛みつぶす、その傷みに懺悔しても今更、もう時間は戻らない。

「ごめん…周太ごめんな?…俺が馬鹿なんだ、いつも…本当は俺が周太に護られてばかりだ、いつも…ごめんな、」

囁いて耳元へキスをする、ただ赦しを乞いたくて祈るよう囁く。
けれど本当に赦されることじゃない、そう解かるから眠っている時にだけ願い縋ってしまう。
こんなふうに縋りつく恋と愛を自分は抱きしめる、そんな自分は唯ひとり以外は考えられない。

だから唯ひとり、赦しを乞い続けたい。

ずっと赦されなくても構わない、赦されないなら償い続ける永遠が手に入るから。
たとえ償いであっても構わない、この唯ひとりと永遠の繋がりが手に入るなら後悔の屈辱すら愛おしい。

「ずっと繋がっていたいんだ、君と…繋がって傍にいられるなら何でも良い、何でも言うこと聴くから…棄てないでよ?」

棄てないで、

そんな台詞を誰かに自分が言うなんて、一年前には想わなかった。
ただ傍にいたくて離れたくない、必要とされていたい、それだけを願って今も抱きしめる。
それでも直に別離の瞬間は来るだろう、そう解っているから離せない想いの枕上で目覚まし時計が鳴った。

…り、りりっ、りりっ、

小さく、そして徐々に音は大きくなって目覚めを呼ぶ。
この音が鳴るなら起床時間5分前、そう解っているけれど腕が緩まない。
まだ近く抱きしめていたい想いから離れたくなくて、けれど懐で黒髪は揺れた。

「ん…」

かすかな吐息の声に、微睡が破られてゆく。
それでも今はまだ抱きしめていたい、そう願い抱いた布団の中が身じろいだ。

「ん…?」

吐息が疑問形に変る、そんな気配に腕の力を少し強くする。
そうして黒髪ゆっくり振り向いて至近距離、黒目がちの瞳が英二を映し驚いた。

「…っ、えいじ?」

名前を呼んでくれた、それが嬉しくて笑った頬に頬ふれる。
ふれあう頬へと雫ひとつ降りかかる、この雫に自分の願いだけでも傍にいたい。
そんな想いの真中へ大好きな瞳を見つめて、ただ幸せの願いごと英二は笑った。

「おはよう、周太。寝顔すごく可愛かったよ?」

笑いかけて頬にキスをする、その唇ふれた肌は熱やわらかい。
この温もりがただ愛しくて、離せないまま抱きしめた耳元で困り声が訴えた。

「あのっ、…目覚まし止めたいから放して、英二、」
「俺が止めてあげる、だから離さなくて良いよな、周太?」

解決策と笑って英二は右手を目覚まし時計へ伸ばした。
もう幾度も切ってきたスイッチを今も押す、こんな習慣みたいな瞬間すら嬉しい。

―こういう朝を毎日の普通にしたいな、

毎日ずっと、明日も来月も十年後も、こんなふうに目覚ましを止めたい。
大切な人の目覚めを抱きしめて、ベッドに引留めて我儘を言って朝の幸福を抱きしめる。
そんな日常を望むことは普通なら当たり前かもしれない、それでも今は腕を解かないといけない。
そう解っているけれど離せないままの腕の中、黒目がちの瞳が見上げてお願いしてくれた。

「英二?もう朝ごはんの時間だよ、今日も訓練とかあるんだし遅刻したらいけないから、ね?」

遅刻は確かに困るな?
そう納得させられるけれど、この時間を放すなら条件の我儘を言いたい。
そんな願いごと抱きしめたまま寝返りうって、覗きこんだ黒目がちの瞳へと幸せいっぱいに強請った。

「じゃあキスして?キスしてくれたら放してあげる、朝練でちょっと疲れたから癒してよ?」

ほら、言った先でもう困り顔が赤くなる。
こんな台詞、こんな時間にこんな場所で言うなんて困らせるだろう。
そう解っているから言いたい、困らせたら自分だけを考えてくれるから。
そんな願い応えるよう黒目がちの瞳は自分だけを映して、少し小さな手が力いっぱい胸を押してきた。

「あっ、朝からだめっ、…ここ隊舎なんだからっ、勤務の前はだめっ、」
「まだ起床時間3分前だよ、周太?まだプライベートタイムなんだから、ね…キスして、周太、」

たった3分間、それでも自分には大切なひと時だから願いを叶えて?
そう笑いかけた我儘に大好きな困り顔は一生懸命に訴えてきた。

「だめっ…ま、まっかになっちゃうからだめっ、こまるからっえいじだめっ…」

いま困るのはこっちのほうですけど?

もう真赤になっている貌ほんとに可愛い、こんな貌が大好き。
いつも真面目に凛としているだけに困った貌は特別で可愛くて、恥ずかしがらせたくなる。
そんな願望になおさら退けない我儘も、今すぐ攫いたい時間の求めも発熱になりそうで、困りながら幸せに英二は微笑んだ。

「ほんと周太は恥ずかしがりだよな、可愛い…ね、キスして、昨夜はしてくれたろ?」

昨夜は周太からキスしてくれた、それが本当に嬉しかった。
だから今せめてキスだけしてほしいな?ねだる想い見つめた真中で、けれど周太は首を振った。

「ゆうべは夜だからいいの、でも朝はだめっ…ほんとこまるからだめっ、」

本当に困るから放して?
そんなトーンの眼差しも可愛くて、こっちこそ本当に困らされる。

―今このまま放置されたら俺、ほんと一日中ずっとキスばっかり考えるよな?

七機の新隊員訓練が始まる今日、そんなことでは本当に困る。
こんなことは恋する相手だからこそ困ってしまう、好きな分だけ一日ずっと意識しそう。
だから今ちょっと願いを叶えて落着かせて欲しい、そう望むまま英二は愛しい頬をそっと掌に包んだ。

「そんなに恥ずかしがる周太が好きだよ?…じゃあ俺からキスしてあげる、周太…」

掌に頬を抱いて、見つめて視線ごと捕まえる。
見つめた黒目がちの瞳は途惑いゆらす、その無垢な生真面目ごと愛しくて触れていたい。
どうか唇だけでも想い交させて?そう願い微笑んでキスふれかけた唇が小さく叫んだ。

「…や、ほんとだめえいじまってえいじだめっ、」

躊躇いの小さな叫び、その吐息が唇ふれてオレンジが香る。
この香をもっと確かめたい、このまま唇重ねて吐息で時を充たしたい。
そんな願いに見つめている時間、けれど開錠音が鳴ってすぐ肩を掴まれた。

「はい、強制わいせつの現行犯逮捕だね、」

透るテノールが笑って唇の間合い離される。
タイムリミット、そんな言葉が心映るままため息吐きながら英二は腕を解いた。

―あとちょっとだったのにな、

あと3秒だけ猶予がほしかった、そう心が溜息に拗ねながら観念する。
もう仕方ないと諦めた懐から紺色のTシャツ姿は起きあがって、けれど寝転んだままな自分の背後は笑った。

「おはよ、周太。朝からおつかれさん、ほんとエロ別嬪は油断ならないね?」
「おはよう光一、ありがとう、」

素直な礼と笑いかける笑顔は嬉しそうで、つい光一に嫉妬したくなる。
こんなふう光一への感情は複層的で、ただ恋愛だけに想い続けるなど難しい。

―やっぱり周太だけなんだな、俺、

声ない呟きに得心が落着いてゆく、無条件に恋して愛してしまう相手は唯ひとりだけ。
そんな自覚が何だか幸せで、その分だけ今の3秒が惜しくてつい眉顰めながら英二は調停者へ微笑んだ。

「ほんと良いタイミングだけど、光一、もしかして警戒してた?」
「ココの壁って薄いからね、お姫さまの救け呼ぶ声がシッカリ聴こえちゃったからさ?ほら、朝飯に行ってきな、」

からり笑って促してくれる声が温かい。
そのトーンが大らかに優しくて、さっき屋上で確かめた繋がりが深くなる。
こんなふうに自分たちは唯「アンザイレンパートナー」が相応しい、その想い笑って英二は起きあがった。

「光一は朝飯、別行動?」
「だね、第1の小隊長と入隊訓練の担当サンとミーティングするからさ、」

軽やかに答えながら底抜けに明るい目が笑ってくれる。
明るい笑顔はいつもと変わらない、そしてベッドを直している周太の空気も穏やかに寛ぐ。
けれど今この時は、あの北壁の夜を過ごして以後、三人そろって顔を合わせる「初めて」の時でいる。

―それでも二人とも、もう揺れないんだな…勁いな、

ふたりの勁さ、それは心自体の強さもあるだろう。
そして二人互いに信頼も強いのだと思い知らされる、その深みを自分は知らない。
このことを改めて気づかされる想い微笑んで、英二は窓のカーテンを押し開いた。

そうして見上げた空は風流れ、雲間から太陽が顕われだす。








(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水際の行人―万葉集×William Wordsworth

2013-06-25 23:42:51 | 文学閑話韻文系
孤愁の波、時も流れて



水際の行人―万葉集×William Wordsworth

写真は全面凍結@山中湖。
今から4ヶ月半ほど前に撮影した風景になります。
凍てついた湖面に釣舟一艘、孤舟という言葉が似合うなって想いながら撮りました。

風を疾み 奥津白波高からし 海人の釣舟濱に帰りぬ  角麻呂

疾風が渡る、
奥津城へ誘う白い波は高い、
その波越えて漁師の釣舟は浜辺へ帰って来た。
風に波、全ての障碍をも超えてすら自分はあなたの許に帰ってきたよ。

これも『万葉集』に掲載の歌です。
海を往還する船に想いを重ねた歌ですが、なんだか氷中の船にも似合います。
雪解けへ向かう季、氷解に伴って船も自由になる。そんな姿は人の想いとも似ているかもしれないですね、笑

なんで船が湖中に取り残されるか?は、凍り方の為です。
湖は岸辺から凍ります、そのため舟も氷と共に岸から離れる訳です。
氷中の船はそうして出来ます、で、下は最近の同じポイント辺りで撮ってみました。



Nor perchance,
If I were not thus taught, should I the more
Suffer my genial spirits to decay:
For thou art with me here upon the banks
Of this fair river; thou me dearest Friend,
My dear, dear Friend; and in thy voice I catch
The language of my former heart, and read
My former pleasures in the shooting lights
Of thy wild eyes.

おそらくは、
もし、あなたから教えられなかったとしても、
私の生まれたまんまに快活な魂を枯れさせるなんてしない、
あなたの芸術と共に私はいる、この岸辺に、
この美しい河に、私の親しい友であるあなたに、
親愛なる君、親しき友、あなたの声に私は捉えている
私が昔に想った言葉を、そして読みとっている、
私が昔に抱いた歓びを、あなたの天与なる瞳の輝ける眼差しに。

William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」
邦題「ティンターン修道院上流数マイルの地で」112行めあたりです。
岸辺や水のイメージ繋がりで挙げてみました。

角麻呂の歌も波や舟に心重ねて詠んでいますが、
“Of this fair river; thou me dearest Friend,My dear, dear Friend; and in thy voice I catch”
とワーズワスは詩中で明確に河へ想いを詠みこんでいると言っています。
こういうストレートさはワーズワスに限らず英国詩には多いかなと。




第66話「光芒1」加筆ほぼ終わっています、また少し校正するかもしれません。
で、下の写真は逆さ富士になってます、ちょっと面白いので載せてみました。








blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第66話 光芒act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-06-25 00:39:35 | 陽はまた昇るside story
光跡の行方に



第66話 光芒act.1―side story「陽はまた昇る」

グレー張る空を陽光一閃、落ちてくる。その光を見上げて登る。

ザイル繰る壁は岩じゃない、ただコンクリートの無機質を登るだけ。
それでも見上げる先の空は山へ続く、そして最高峰の空にすら続いて繋がる。
そう思うと今この味気ない訓練でも楽しめて、屋上まで昇りあげると英二は笑った。

「今日の奥多摩は晴れそうだな、」
「だね、こっちも今は曇天だけど晴れるだろね、」

第七機動隊舎の屋上、紺色のTシャツ姿が笑ってくれる。
明けきらない曇空に雪白の笑顔が明るい、その隣へ並んで英二は東の空を見た。
この遥か向こう摩天楼の一角に「あの男」がいる、そこに近づいた刻限に昨夜の覚悟と微笑んだ。

「光一、俺は間に合いそうだって思っていいかな?」

間に合わせたいことは、唯一つ。
けれど唯一つを叶えても本当の意味で願いは叶わない、そんな可能性が今は有る。
もし叶わなかったなら自分をどうするのか?その答えごと昨夜は眠りを抱きしめた。

―でも光一との約束は、

密やかな罪悪感ごと微笑んだ先、透明な瞳が見つめてくれる。
空を覆う雲から光射す下でアンザイレンパートナーは笑ってくれた。

「間に合わせるに決まってるね?でなきゃ俺の夢が叶わなくなっちまう、だろ?」

叶わなくなる光一の夢は、世界中の最高峰をアンザイレンパートナーと登ること。
それを今こうして言ってくれる理解へと英二は穏やかに笑いかけた。

「俺が何、考えてるのか解るんだ?」
「まあね、」

からり笑ってくれる瞳はいつものよう底抜けに明るい。
その雰囲気は1ヶ月前とやはり変わった、そんな変化を見つめた向うテノールが微笑んだ。

「ずっと俺は考えてきたコトだからね、で、その辛さってヤツも解ってるからさ?たぶん俺は止めないだろね、」

たぶん俺は止めない、

そう言われたら解ってしまう、光一が何を想って生きて来たのか?
そして気づかされた本音と真相に北鎌尾根の風花が見えて、あれから残る欠片が傷みだす。
こんなに痛い理由は唯一つだけ、その痛覚が心切り裂いて英二の唇から問いかけた。

「光一?おまえ、グリンデルワルトの時まさか…」

問いかけが全部を言えない。

問いかけて怖くなる、悔恨と愛惜とが北壁の麓から迫り上げる。
あの場所でふたり抱き合った時間の意味は光一にとって「何」だったのか?
その現実が鼓動ごと引っ叩いて英二はアンザイレンパートナーの肩を掴んだ。

「覚悟するためだったのか?俺と雅樹さんが違うって実感して、絶望して、それであのと」
「言わないよ?」

テノールが短く笑って、グローブ嵌めた手が英二の手をポンと叩いた。
紺色のTシャツ着た肩から手は外されて、底抜けに明るい目があざやかに微笑んだ。

「雅樹さんのことはアレ以上ナニも言わない、おまえにも、他の誰にもね?だからその質問も俺は答える気が無いね、」

これ以上は踏みこませない、そう光一は言っている。
こんなふう言われることは寂しい、けれど言われても仕方ないと解っている。
それ以上に自分自身がきっと、唯ひとりの事については誰が相手でも踏みこまれたくはない。
そう解かるからこそ自覚も出来る、やっぱり自分たちは共に生きても抱きあえる相手じゃない。

「…そっか、」

つぶやきに自覚こぼれて、ことんと肚に落着いてゆく。
それは寂しくて、けれど信頼は消えることなく前より温かい。
だからこそ見える自分たちの行く先を想い、穏やかに英二は笑った。

「ごめん、踏みこむような真似して。お互い何でも話すって言っても、誰にも言いたくない事ってあるもんな?」
「だね、」

さらり答えて笑ってくれる眼差しは温かい。
そこに拒絶は欠片も無い、それでも不可侵の深奥がある。

―それで良いんだ、お互い別の人間だって認め合えなかったら悲劇を繰り返す、

心が確認しなおす現実は、遠く33年前の悲劇を軋ませる。
パリ第三大学で響いた2発の銃声と消えた2つの命、その過去に英二は口を開いた。

「光一、周太はあの小説をどこまで気付いたと思う?」

『La chronique de la maison』

周太の祖父、湯原晉博士が遺したミステリー小説は真相の記録。
もし何も知らなければ面白い小説に過ぎない本、けれど「maison」の実像を知るなら記録と解かる。
そして周太なら、あの「家」に幼い頃から住んだ経験と感覚と、聡明な頭脳が小説の正体を見つけてしまう。
そうして周太が真相を知ってしまったら、何を想い考えるのか?それが怖い。

「教えてくれ光一、あの小説を読んだ感想とか周太、光一には何か話してるんだろ?周太、あの小説は本棚に並べてないんだ、
樹医の先生に貰った本は机にあるんだよ、でも晉さんの小説だけは置いていない。それって何か気づいて隠してるんじゃないのか?」

たぶん周太は、あの小説だけはデスクの抽斗にしまっている。
鍵付の抽斗にしまい込む、その意図に廻らす思考へテノールの声は静かに微笑んだ。

「単純に大切だからしまってるだけだろね、アレって普通は手に入らない本だから。でも、家のコト気づくのは時間の問題だろね、」

時間の問題、その通りだろう。
その通りだから焦りそうになる、そんな焦慮は他に幾つも理由が痛い。
いま9月の初め、もう10月が来て秋になる、その刻限は「異動」と「寒期」が周太へ手を伸ばす。

異動して、その行く先は?
寒い空気が凍てつく季節、そして喘息の経過は?

もう逃げようがない状況が周太を包囲し始める、そんな10月がもう近い。
それを周太自身も解っているだろう、けれど「異動」が隠す真相を小説に知ったなら?
あの小説が現実なのだと気付いた時、曾祖父の死から全てが「罠」そして「罪」だと知れば周太は、どうなる?

「…周太、」

あふれた聲が名前を呼んで鼓動から溜息は深い、けれど今するべきは溜息じゃない。
そんな覚悟に英二は平手一発、自分の頬へ高らかに撃った。

ぱんっ、

曇天に響いた一発が、意識の底から透徹を覚ます。
いま哀しみに焦っても何もならない、そう計算が固まった想いへ光一が笑った。

「ふん、イイ貌に戻ったね。じゃ、昨夜っからの話をしよっか、補佐官殿?」
「補佐官って、ちょっと待ってよ?」

言われた新しい呼名には首傾げてしまう。
たとえ冗談でも困らされる、そう思うままを率直に続けた。

「補佐官なんて呼び方、冗談でも2年目の俺には烏滸がましいよ?それに黒木さんがいる、あの人が第2小隊のナンバー2で補佐官だろ?」

確かに後藤は光一の補佐官として自分を育てあげた、けれど今そう呼ぶのは早すぎる。
そんな想いに困って笑いかけた先、底抜けに明るい瞳は悪戯っ子に笑ってくれた。

「おまえね、昨夜の挨拶ン時に勝負ついたって解ってないワケ?黒木は勿論、他のメンツの貌ちゃんと見えただろが?」

言いながらグローブの指が伸ばされて軽く英二の額を弾いた。
いつもながら小突かれた痕さする前、秀麗な貌は楽しげに教えてくれた。

「昨夜、俺たちが挨拶回りしている時に第2小隊のヤツら晩飯だったけどね、おまえの笑顔はカリスマだって言ってたらしいよ?
それも宮田さんって呼んでたらしいね、で、黒木がおまえの笑顔に呑まれたってコトも話してたらしい。もう皆して宮田派ってカンジ?」

そんな話になっている、そう聴かされて少し驚かされる。
こんな状況だろうと幾らかは解っていた、それでも一つ意外で英二は訊いた。

「確かに黒木さん怯んだかなって思ったし、皆も宮田さんって呼んでくれてたけど。でも、どうして晩飯の会話を光一が知ってるんだ?」
「知らせてくれる相手はイッパイいるからね、七機全部にさ?」

軽妙な答えに底抜けに明るい瞳が笑う、そこに自信と強靭が篤い。
何事も妥協を赦さない、そんな本質を知るだけに光一の1ヶ月が想われて賞賛に英二は笑いかけた。

「この1ヶ月で光一、ちゃんと第2小隊と七機を掴んでるんだな。さすがだよ、」

高卒任官でありながら23歳で警部補かつ小隊長、そんな立場は縦社会の警察組織において異例だろう。
嫉妬や誤解の障碍も少なくない、きっと第2小隊16名を掌握するだけでも難物だったろう、七機全体なら尚のこと難しい。
それでも「知らせてくれる相手はイッパイ」な人脈を造り上げた笑顔はまばゆくて、嬉しくて笑った英二にパートナーは言ってくれた。

「ありがとね、でもご覧の通り黒木だけは掴めていないんだよね?で、挨拶だけで伸しちゃったオマエを充てにしたいってワケ、」

伸しちゃった、ってすごい言い方だな?
そんな表現も何だか可笑しくて、笑いながら英二は首傾げた。

「充てにされて光栄だけどさ、俺だって黒木さんは簡単じゃないと思う。黒木さんが光一を苦手にする理由って、俺にも嵌まるし、」
「そりゃそうだろね、でも俺よりはハードル低いトコも多いんじゃない?」

からり笑って光一は左手首の文字盤を見た。
銀色きらめく山時計は名前から所縁深い、その想い見つめる真中で怜悧の瞳が笑った。

「あと30分は密談時間あるね、」

密談時間、そう言いまわす表現にパートナーで上官の意図が解かる。
いま求められる役割に笑って英二は曇天を仰ぎ、一条の光跡を見とめながら微笑んだ。






blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Introduction 水無月の青―「此花咲く」side P.S extra

2013-06-22 23:15:50 | 陽はまた昇るP.S
Innocent blue 花に眠る君へ、



Introduction 水無月の青―「此花咲く」side P.S extra

空が青いことを、忘れていたかもしれない。

青空の視界に遥か連なる山は蒼い。
山嶺は麓に渓谷を奔らす、その川も碧い。
木洩陽の梢も青、いま立つ道も叢蒼く匂いたつ。
香から見る全てブルーがある、この風光に美幸は笑った。

「ね、馨さん?世界はこんなに青かったのね、」

笑った隣、木洩陽やわらかな癖っ毛が振り向いてくれる。
あわい日焼けに切長い瞳ほころばせ穏やかな声が微笑んだ。

「はい、こんなに青いです…世界は青いなんて詩的ですね、」

詩的だなんて言われたら、なんだか気恥ずかしい。
こんなこと不慣れで戸惑う、けれど楽しいかもしれない。

―この私が詩的だなんて、倫子に聞かれたら笑われそうね?

会社の同期を思うと可笑しくて笑いたくなる。
職場の姿を知る彼女からしたら別解釈したいだろう。
そんな想像に笑った美幸に、やわらかな深い声が尋ねた。

「美幸さんは詩とか好きなんですか?」
「詩はあんまり読んだこと無いの、小説とかも読んでいなくて、」

答えながら少し恥ずかしくなってしまう。
この青年が住む書斎には立派な本が端正に並ぶ。
そんな彼に読書経験を告げるのは恥ずかしい、けれど美幸は正直に笑った。

「私が読んできたのは教科書やテキスト、あと経済学とかの実用書ばっかりなの。要するにガリ勉ね、」

ガリ勉、そんな単語は自分と似合う。
優等生になってエリートになって高給取りになる、それが目標だった。
そんな自分だから勉強以外の余裕なんて社会人になるまで無い。

―だから面白みが無いって言われるのよね、

そんな自分だから今、空の青にも驚いてしまう。
そして、靴底を透かす土の感触も忘れかけていた。

「登山靴の調子、大丈夫ですか?」

穏やかなテノールに振り向くと切長い瞳が笑ってくれる。
優しい綺麗な笑顔が嬉しくて、美幸は笑って頷いた。

「大丈夫よ、ありがとう、」
「良かった、…もう尾根に出ます、」

穏やかな深い声で笑いかけ歩く、その端整な顔に陽光ふる。
そして樹林を抜けた笑顔の遥か、白雲と蒼穹あざやかに拓いた。

―大きな空、

息呑んだ聲に天空が鼓動へ広がらす。
五月雨の晴れ間に青は澄む、その色彩まばゆいブルーが空亘る。
高らかに広やかに青は透けて深い、この空に笑顔あふれた。

「ここの空は本当に綺麗ね、だから特別って言ってたの?」

特別な空を見せてあげます、
そう言って夜明前に青年は車を出してくれた。
そして今、初めて歩く標高3,000mを超えた空と山を見ている。

「ん、ここは特別なんです、」

嬉しそうに馨も頷いてくれる、その笑顔がいつもより明るい。
こんな笑顔を見せてくれるから、きっと好きは恋になる。

「美幸さん、ここで昼にしましょう、」

ほら、また綺麗な笑顔で言ってくれる。
その顔が初対面よりも寛いで明るい、そんな雰囲気に鼓動そっと掴まれる。

―笑ってくれるだけで嬉しいなんて、なかったな、

心独りに見つめる向こう、馴れた手つきが小さなコンロで湯を沸かす。
長い指は器用にナイフを使ってオレンジを剥き、パンをカットして火に炙る。
あざやかな手に見惚れるうちにホットドックとオレンジティーのカップが差し出された。

「イスタントの粉末紅茶ですけど、生のオレンジを入れてみました…温かいうちにどうぞ?」

穏やかな声に勧められてマグカップに口づける。
ふわり甘く爽やかな香が美味しい、嬉しくて美幸は笑いかけた。

「おいしい、オレンジも紅茶が滲みて美味しいわ、デザートみたい、」
「よかった、」

嬉しそうなトーンで瞳細めてくれる、その笑顔に瞳から鼓動がすくむ。
こんなこと今まで無い、だからもう確定なのだろう?
そんな想い独りでに唇こぼれて声になった。

「…もうなってるわ」
「え、…何?」

声に切長い目が見つめてくれる、その眼差しが鼓動に透る。
この瞳を初めて見た2ヶ月前からもう、とっくに決まっていた。
この想い素直に伝えてみたい、そう願うまま美幸は笑った。

「もう恋になってるわ、馨さんが私の初恋になっちゃった、」

笑って告げた向こう側、切長い瞳ゆっくり瞬いた。
何を言われたのか?すこし考えるふう端整な顔傾げて、すぐ真っ赤になった。

「あ、あのっ…本当にすみませんでした、僕あんなことしてそのっ…は、はじめてをそのっ」

深い声は戸惑うまま謝って、あわい日焼けの頬が色彩を変えてゆく。
そんな様子に青年の誠実が見えて嬉しいまま美幸は笑った。

「そんなに謝らないで、馨さん?だって本当は私が積極的だったんでしょう?」

きっとそれが真相、そう記憶が告げてくる。
あの朝に馨は優しい嘘を吐いてくれた、それくらいもう解る。

あの桜ふる夜に恋を抱きしめたのは、きっと一瞬だけ、自分の方が先だった。






blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第66話 光望act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2013-06-20 23:45:44 | 陽はまた昇るanother,side story
Break down ― Je te donne la recherche



第66話 光望act.4―another,side story「陽はまた昇る」



父親の友人に勧められたから学問を棄て警察官になる、そんな選択を父がするだろうか?



洗い髪かき上げデスクに座り、ライトのスイッチ点ける。
そのまま抽斗を開錠すると周太は一冊の本を取出した。

『 La chronique de la maison 』

紺青色の布張表紙がライトに照らされる、これはフランス文学者だった祖父が記した。
全文がフランス語で綴られている舞台はパリ郊外、ある一家に起きた惨劇が描かれる。
ある「家」を廻らすミステリー小説、そのページを深呼吸ひとつで周太は捲りだした。

Mon visiteur 訪問客
La même période de l'université 大学時代の同期
L'agent de police du Département de la Police Métropolitain 警視庁の警察官

拾ってゆくフランス語の言葉たちは、第三者を指し示す。
惨劇に交錯する悲哀と憎悪、その中心に顕れる第三者が「誰」なのか?
それを物語から見つめた思考へと田嶋教授の言葉が映りこむ。

―…先輩は優秀な射撃の選手でな、それで湯原先生の友達で警察庁にいた方から勧められたんだ、
  国家一種は締め切ってたけどな、警視庁の採用試験には間に合うからって受験したんだ。

祖父の教え子が語った過去の現実、それが祖父の著述にリンクする。
そしてフランス語に過去と真相は浮びあがって、鼓動が、息を呑む。

―まさか、でも、

もし「湯原先生の友達」が、あの老人だとしたら?
あの老人が今このページにある「La même période de l'université」なら?
そんな前提で見つめる「Mon visiteur」から、小説の語る焦点が輪郭に変貌する。

“大学時代の同期で警視庁の警察官だった男が、訪問客として現れた”

そして訪問客を迎えた「彼」は誰なのか?
その訪問客を迎えた「 maison 」は誰の家なのか、どこにある家なのか?
そんなふう現実世界と読み解くならば、たぶんリアルになる場所を自分は知っている。

「…でも、まだ一度だけしか読んでない、流し読みしただけ…」

つぶやき零れたフランス語のページには幾つかの単語が浮きあがる。
このどれもが過去の現実を示すと言うのなら、その全てが「keyword」過去を解く鍵だとしたら?
もしそうだとしたならば、今日、懸垂下降の訓練に想った疑問たちは全てフランス語に説かれている。

『 La chronique de la maison 』

パリ郊外の閑静な邸宅に響いた2発の銃声。
そして隠匿される罪と真相、生まれていく嘘と涙と束縛のリンク。
こうした物語を祖父が書き残した、その理由と意志と真相は、過去の現実は何だろう?
それを祖父に訊くことはもう出来ない、けれど祖父の肉筆が記したメッセージなら読める。

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る

こんなメッセージを遺した想いは、どこにある?
そう考える前にもう今、こうして見つめるページ全てが「recherche」探し物に思えてくる。
けれど小説自体が「探し物」だとしたら、この言葉から生まれる意味をどう考えたら良いのだろう?

“ Mon pistolet ”

この小説は「小説」なのだろうか?




夕食の膳に箸を運ぶ、けれど想いが離れない。
いま隣には英二が座って笑う、前には箭野と黒木が笑っている。
そして自分も笑って会話しているのに、食事前の時間に独り、自室で見つめた推定が竦む。

―あの小説が贈る探し物は、真相って意味だとしたら、

真相、

たった2文字の熟語、けれど背負うものが今、重たい。
あの小説の内容が「真相」事実だとしたら、ならば祖父は「何の」事実をモデルに描いたのだろう?
祖父が訴えたかった真相は、事実は、いったい「誰の」現実だというのか?

―田嶋先生の話と一部が一致するからって即断することは出来ないけど、ね…

心つぶやく分析は、思ったより心は凪いだまま判断を廻らす。
もしかしたら、たぶん、あの小説は他人事ではないから祖父は「recherche」と語りかける。
そんな推定を抱きながらも落着いていられるのはきっと、もう現実が今すでに扉を開いたからだろう。

「来週から2週間、湯原にはSAT試験訓練が課されます。表向きは交番勤務の協力派遣となるが品川か術科センターに通ってもらう、」

午後15時すぎに聴いた台詞は「命令」だった。

本来ならSAT入隊は推薦を提案された者が熟考の上、志願して応じるはず。
けれど自分が告げられたのは提案でも志願の確認でも無い、あれは決定事項だった。

―言ってくれたとき佐藤小隊長の目、なんだか泣きそうで…申し訳ない、ね、

告げた佐藤の声は落着いていたけれど瞳は誤魔化しきれない。
あの目が告げられなかった沈黙は「疑問」を気付いてしまった苦しみがある。
それが解かるから申し訳なくて、その「疑問」への答えが祖父の小説である可能性は強まってゆく。

―お父さん、お父さんが異動する時もこんな感じだったの?…お父さんの上司は泣いてくれた?

心裡に語りかける俤は、ただ穏やかに微笑んで応えは無い。
けれど、たぶん、きっと祖父の小説は答えを贈ってくれるだろう。

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る

祖父からの贈物を受けとめて、それから異動の扉を開きたい。
それが如何なる真相だとしても事実なら受けとめたい、その為に今ここに自分は居る。
そんな覚悟を嚙みしめるまま食事に箸を運んで、全てを体ひとつに呑みこむと周太は微笑んだ。

「黒木さん、大学の山岳部には他のクラブと掛持ちする人もいますか?」






(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花弔 The tide of hours―P.S:ext,side story「陽はまた昇る」

2013-06-19 10:57:13 | 陽はまた昇るP.S
花、記憶、それから約束



花弔 The tide of hours ―P.S:ext,side story「陽はまた昇る」

書類から上げた視線、窓が黄昏に紫染まる。

例年通りの桜の園遊会は何とか無事に終わった。
春の雪と嵐が多かった今年は、ようやく晴天の今日、桜の宴が集中してしまった。
東京中で花見が催され華やかな春の陽気が首都に満ちている。
幸せな光景だな、そんなふうに素直に想う。

けれど、そんなに一遍にイベントがあると警邏の人数が足りない。
警視庁の立場からしたら本当に困る、特にこの新宿の、あの公園の園遊会。
VIPばかりが集められる、そんな場の警邏は人選も難しい。

「誰か適当な人材を、寄越してくれないか」

警備部で射撃指導員をしている湯原に依頼した。
いちばん親しい同期で友人の湯原。温かくて、優しい穏やかな彼の気配が大好きで、ずっと親しくしている。
同じノンキャリアでも出世していく有能な男は眩しくて、けれど気さくなまま優しい彼は笑って答えてくれた。

「ん、大丈夫。ちょうど俺、非番だから予定が空いている」

そう言って彼自身が引き受けて、警邏の後は新宿署の射撃指導も提案してくれた。
一流である彼からの指導はありがたい、そんな厚意を示してくれる湯原が大好きだった。
そして警邏も射撃指導も無事に務めくれて、自分も報告書類を何通か書き上げ今日を過ごした。
そんな春の一日が終わり、休憩所でいつものベンチに並んで腰かけた。

「今日は本当に助かった、ありがとう」

笑って礼を言いながらココアの缶を手渡した先、綺麗な笑顔が受けとってくれる。
いつもながら綺麗な笑顔だな、そんな感想と見つめた湯原は穏やかに言ってくれた。

「いや、役に立てたなら嬉しいよ、」

笑顔で長い指がプルリングを引き、チョコレートの甘い香りがふっと昇って頬撫でる。
缶に唇つけて一口啜ると綺麗な切長い瞳がほころんで、そんな同期の貌になんだか嬉しくて笑いかけた。

「ココアばっかり飲むな、湯原は」
「ん、好きなんだよ」

鋭利で有能で温厚な湯原、けれど好みは何でも結構かわいい。
結婚式で会った彼の妻は黒目がちの瞳が印象的な、かわいい華奢な女性だった。
そして彼の胸ポケットには可愛い息子の笑顔を写真に納めてある、とても優秀で良い子だといつも話してくれた。
あのときも胸ポケットから手帳を出して、また写真を見せながら自慢話でもするのだろう?そう思った通り彼はページを開いた。

「これ、」

言いながら開いた手帳には可愛い笑顔の写真と、桜の花びらが3枚納められていた。
今日の昼間あの公園で、桜の園遊会に警邏で立ちながら見つけたのだろうか?
そんな推測と見つめた前に長い指は1枚つまみ差し出してくれた。

「花吹雪があったんだ。その時に掌にね、ちょうど3枚が乗った」
「なんだ、くれるのか?」

いわゆる武骨な自分に花をくれる?
それが意外で訊き返した隣、穏やかな声が頷き笑ってくれた。

「ん、きれいだろ?」

綺麗な切長い瞳を微笑ませ、花びら1枚この掌に載せてくれた。
残りの2枚はきっと妻と息子への土産にするのだろう。有能で武道も強い湯原、けれどこんなふうに可愛い所がある。
そんな男の優しい手土産が微笑ましくて、そこに籠る気遣いへ感謝が嬉しくて自分は笑いかけた。

「ありがとうな、おかげで今年の桜が見れたよ」

本当に今年の桜はこれが自分にとって最初、そして最後かもしれない。
この春は忙しくて桜をゆっくり見られそうにない、今日も報告書類の処理に追われ署から出られなかった。
湯原はそれを知っていて今こんなふうに桜を見せてくれる、そういう繊細な優しさがこの友人は深く温かい。
こういう所が和まされて好きだ、そんな想い微笑んで手帳に花びら一枚挟みこんだとき呼び出しが掛けられた。

自分と湯原、ふたり揃って呼ばれる事は久しぶりだった。

機動隊銃器対策レンジャー時代まではいつも一緒に呼ばれていた。
けれど新宿署と警備部と、配属が分かれてからは仕事で一緒になるのは久しぶりだった。
しょっちゅう会って飲んではいるけれど仕事で組める、それは事件現場であっても単純に嬉しかった。

暴力団員による強請、その通報だった。
犯人の一人は拳銃を持っていた、そして犯人は恐慌状態に陥っている。
恐慌状態の犯人は発砲の可能性が高く危険、そして犯人が逃げた先は雑踏の歌舞伎町だった。

「繁華街での発砲は危険だ、万が一は射殺も止むを得ない」

そう告げられて、射撃特練の自分と射撃オリンピック代表の湯原に発砲許可が下された。
繁華街での狙撃は間違えれば周囲に当たる、射撃の精度が問われる現場だった。

「単独での追跡はするなよ、」

新宿署を出るとき湯原に一言、釘刺した。
湯原は正義感が強くて足が速い、だからいつも現場へとあっという間に走っていってしまう。
被害者の事もその周囲の事も、そして犯人の事すらも放っておけない、そういう優しさが湯原にはある。
けれど拳銃所持者の追跡に単独行動は危険過ぎる、それでも湯原はきっと走ってしまうのだろう?
そんな危惧に釘刺したけれど、綺麗な切長い瞳はいつものよう笑った。

「ん。解っている。だから安本、追いついてくれ」

綺麗な笑顔ひとつ残して、湯原は全力疾走に駆けだしてしまった。
自分がいかなければ、救けなければ、そんなふうにいつも湯原は走って行ってしまう。
心やさしい湯原は絶対に人を放りだせない、誰かの為にいつだって全力で駆けつけて救ってしまう。

「追いつけって…あいつ、」

自分だって決して遅い方じゃない。
けれど警察学校時代からずば抜けて速いタイムで走っていた湯原。
全力で走られたら追いつけるわけがない、けれど仕方ない、そんな想いに制服の背中を見つめ走り続けた。

駈けてゆく視線の真中、活動服の背中が停まる。
北口へ抜けるガード下、歌舞伎町の雑踏より手前で湯原が立ち止まった。
繁華街へと入る前に犯人を捕捉したらしい、さすがだと思いながら早く援護射撃をしてやりたくて自分は走った。

けれど銃声一発、鼓膜の底を切り裂いた。

発砲したのか湯原?
きっと犯人の命も無事なポイントに適確な狙撃だろう。
そう思った視線の真中、けれど崩れ落ちたのは紺青色した制服の背中だった。

―嘘だ、

スローモーションのよう制服姿が倒れ込む、そして制帽が空を舞う。
こんな光景あるはずない、視ている光景に意識を呑まれて、それでも自分は駆けたらしい。
どうやって走ったのか覚えていない、けれど気がついた時には倒れた湯原の隣で跪いていた。

「湯原ぁっ、」

若い男が湯原の傍で泣いていた、その彼は拳銃を持ってはいない。
叫んで見上げた視線の先、もう赤いジャンパーの背中が遠ざかっていく。
たぶんあの男が犯人、捕まえなくてはいけない、けれどそれよりも倒れた湯原の介抱が先だ。
そう思って診た端正な顔は、息が止まっていた。

「湯原っ、起きろ!目を開けろっ、」

けれどまだ間に合う、きっと大丈夫。
信じて呼びかけ続け、圧迫止血をしながら腕と膝で気道確保を行う。
警察学校から学んだ応急処置は体を勝手に動かしてくれる、けれど意識は叫ぶ。

「湯原っ」

うそだ、嘘だ、湯原が死ぬなんて、絶対に無い。
まだ間に合う、きっと間に合う、諦めてなどやらない。
信じて叫んで見つめる真中で癖っ毛がゆれ、端正な貌は蒼白になってゆく。

「起きろっ、湯原おきろ、寝てる場合じゃないだろう?起きるんだっ!」

人工呼吸は本来はタオルや何かをはさむ。
けれど猶予が無くて湯原の唇にそのまま自分の唇を重ねた。
呼吸が止まっているなら一刻の時間も惜しい、人は心肺停止から3分で死んでしまう。
どうか起きてほしい、蘇えれ、そんな願いごと吹きこんだ2回の人工呼吸で切長い瞳が開いた。

「湯原っ、」

良かった、間に合った。
そんな安堵へ切長い瞳が微笑んで、少し厚い唇がゆっくり動いた。

「…や、すもと、」

いつもの落着いた穏やかな声、けれど掠れている。
それでも声がまた聴けた、嬉しくて自分は微笑んだ。

「もうじき救急車が来る、大丈夫だ」
「…ん、」

切長い瞳が見つめてくれる、瞳の光はいつものよう澄んでいた。
これだけ意識が清明なら大丈夫、きっと助かってくれる。
そんな願い見つめた先で湯原はゆっくり唇を開いた。

「やすもと、お願いだ…犯人を…救けてほしい、」
「解った、俺が救ける」

きっと湯原は助かる、助かってくれるに決まっている。
その為なら何でもいい、どんな願いも聴いてやりたい、そう願い安本は微笑んだ。

「生きて、償う…チャンスを与えてほしい、彼に、温かな心を…教えてほしい」
「解ったよ、俺が必ずそうしてみせる」

頷いた自分を真直ぐ見つめて切長い瞳が微笑んだ。
いつもの綺麗な笑顔、温かくて穏やかで少しだけ寂しい湯原の笑顔。
警察学校で出会った時から変わらない、この笑顔が大好きで友達になった。
大丈夫、こんなふうに笑ってくれるなら助かるだろう、それが嬉しくて約束を告げた。

「お前と一緒に、俺も彼に向き合うよ。約束だ、湯原」

笑いかけた視界の真中で嬉しそうに湯原は微笑んだ。
そして微笑んだ厚めの唇が、ぽつんと呟いた。

「…周太、…」

首を支えるよう抱えた腕の中で、がくんと癖っ毛の頭が崩れた。

「…湯原?」

切長い瞳は、睫の下に閉じている。
さっきまで笑っていた瞳、けれど睫が披かない。

こんなこと、嘘だ。

「湯原っ、」

嘘だ、だって今、笑っていたじゃないか。俺の目を見つめて、今、きれいな微笑みが。

信じたくなくて、そのまま唇を重ねて人工呼吸を施していく。
1回目の呼気に胸を押し、そして2回目、湯原の喉から鮮血が逆流した。

「ごほっ、…ごふっ、」

撃ち抜かれた肺から昇った血、それが喉を強打して咽かえらす。
それでも諦められなくて呼吸を吹きこんで、けれど2つの唇から鮮血が止まらない。
そして蒼白な頬を血潮あふれおち、噎せた飛沫からアスファルトに真赤な花が散った。

「…嘘だ、」

さっきは2回目で蘇ってくれた。
けれどもう、切長い瞳は笑ってくれない。

―どうして?

どうして、そんなはずあるわけがない
ずっと一緒に笑っていた、さっきも一緒にココアを飲んで笑っていた。
たった10分前までベンチで笑っていた、それなのに、こんな事があるわけがない。

警察学校で出会って、射撃特練に一緒に選ばれた。
それから新宿署に一緒に卒配されて、そのあと一緒に第七機動隊に配属された。
それから自分は新宿署へ湯原は警備部にと分れた、それでもこうして今日も一緒に任務についている。

ずっと、ずっと、一緒に歩いてきた。それなのに、なぜ、どうして?

救急車のサイレンが聞こえる。
どこからか桜の花びらが吹き寄せられて、湯原の頬に舞い降りた。
もう蒼白な貌は摩天楼の夜の底にまばゆい、その頬に深紅の花と白い花びら一片、ただそこにある。

「…約束、だな、」

ぽつり、呟きに血潮の香が意識を刺す。
さっきの約束を果たさなくてはいけない、自分は行かなくては。
そんな想いに意識が細められるまま、傍らの若い男に血だらけの口が頼んだ。

「…この男を、頼んでいいか」

泣きながら若い男は頷いてくれた。
それからと呟くよう唇が微笑んで、涙の紗を透かし男の目を覗きこんだ。

「君の事務所は、どこだ?」

彼は素直に口を開いてくれた。
その事務所は歌舞伎町でも奥の方、きっとまだ、犯人は辿りついていない。
そう思考がすばやく判断したまま立ち上がり、安本は走りだした。

不夜城のネオンが禍々しい。
ここで生みだされた暴力が、自分の友人を奪って逃げた。
絶対に許さない、絶対に追いついて、捕まえて、それから、

―殺してやる、

安っぽく着飾った人の群れ、互いを伺うような欲望の眼差し。
ただ歓楽を求めあう視線の交錯、原色の騒がしいネオンサイン。
それら全てが今、灰色の視界の底に沈んで見える。

―赦さない、絶対に、

吐く息が熱い、呼吸が乱れる。
唇から喉まで残る湯原の血の潮と香だけが、現実の感覚になっている。

どこだ、どこだ、どこに今、あの男はいる?

隠れても逃げても、絶対に探し出してそれから。
だって今それだけが、自分だけが生き残らされた理由になっている。

灰色の視界の中で、一か所、赤い色が見えた。

赤いジャンパー。
逃げる後姿、遠目に見えた、あの背中の色。
視認した瞬間、片手撃ちノンサイト射撃で安本は発砲した。

撃つぞ。
本当はそんな威嚇が必要だった。
けれどそんな余裕なんてない、絶対に逃がすものか、ただそれだけ。

けれど、唯ひとつだけが自分を止めた。

―犯人を救けてほしい

あの綺麗な眼差し、最後に見せてくれた綺麗な笑顔。
どんな怒りも悲しみも、あの笑顔だけは裏切れない。

殺してやる、死の恐怖におびえるがいい、血に塗れて這い蹲ってのたうちまわれ。
痛みの底で叫べばいい、苦しみに引き攣れて歪めばいい。
死んで、湯原に謝るがいい。

そう思ってトリガーを引いた、けれど照準は外される。
あの綺麗な微笑みが少しだけそっと、フロントサイトを押し下げてくれた。
そうして下げられた銃口から発砲された銃弾は、犯人の左足へと向かった。

左足に真赤に鮮血が飛び散って、赤いジャンバーの背中は道に倒れた。

本当は殺してやりたかった。
それでも自分の足許には、血塗れの脚を抱えた男は、生きている。

このまま放っておいたなら、きっとこの男は死ぬだろう。
流れだす血液、零れだす生命の熱、この全てが流れ出てしまったらこの男は死へと浚われる。
湯原のように。

けれど、

 生きて償う機会を与えてほしい、彼に、温かな心を教えてほしい
 お前と一緒に俺も彼に向き合うよ、約束だ、湯原

してしまった約束。

約束に縛られて、もう、この男を殺せない。
あのきれいな微笑みだけは、裏切ることなんか出来ない。

転がった男の拳銃をハンカチで拾い上げ、自分の手元にしまう。
それから衿元のネクタイを引き抜くと、犯人の左足付根を結束止血した。
動かす血塗れた手を怯えた目が見つめてくる、その物言いたげな唇は痛みに震え動けない。
いま怯えるこの男を本当は殺してやりたい、けれどもう約束をしてしまった。

―最期の約束だ、

大切な友人との最期の約束は、破れない。
この約束を護り続ける為に自分は生きるだろう、そんな願いを肚に落しこむ。
願いに瞑目して見開いて、定まった肚から安本は血塗れた唇のまま微笑んだ。

「大丈夫だ、私は君を必ず救けるから」





湯原と次に会えたのは、新宿署の検案所だった。
清められた顔にはもう血の痕はない、けれど真白になった頬が生命の不在を示して、苦しい。

もしも今日、俺が、警邏の依頼をしていなかったなら?
もしもさっき、俺が湯原に追いついて、援護射撃が出来ていたのなら。

たくさんの「もしも」が廻ってしまう。
ただ見つめたままめぐる想いに竦んで、今はもう、何も考えられない。
そんな想いのまま手は動き遺品の手帳を開き、息を呑んだ。

「…っ、」

鮮血滲んだページの間では、可愛い少年の笑顔の写真が銃痕に裂かれていた。

『ほんとに優しいんだよ、周太は。いつも庭木を可愛がってくれるんだ、』

いつも見せてくれていた幸福の笑顔、けれど彼の命ごと撃ち抜かれてしまった。
警察官の制服の胸ポケットで、愛する息子の写真ごと彼の全てを世界から去らす。
そんな現実の象徴は無残で悲しくて、遺品として家族に渡すことが正しいのか解らない。

―預ろう、いつかの日まで、

そうして写真一葉、桜の花びらと一緒に自分の手帳にはさみこんだ。


目の前の検案所の扉が開く。
湯原の妻と息子が静かに廊下へ出、室内へと礼をする。
そして振返って安本に気がついた。

―哀しい、

結婚式の日、礼装姿の湯原の隣で微笑んだ綺麗な黒目がちの瞳。
幸福に輝いていた瞳、けれど今はもう憔悴の底に沈んでしまった。
その変貌が哀しくて辛い、それでも背中を真直ぐ伸ばし安本は礼をした。

「お久しぶりです、」
「…同期の、ご友人の方でしたね」

彼女は覚えてくれていた。
それが今こんな時でも嬉しくて、その分だけ切ないまま頷いた。

「はい、」

彼女の穏やかで優しい綺麗な雰囲気は湯原の気配と似て懐かしい。
その隣から華奢な少年が見つめてくれる、母親そっくりな可愛い顔。
けれど視線の澄んだ強靭は、大好きなあの切長い瞳とそっくりだった。

安本は一つの手錠を取出した。
傷はあるけれど歪みも錆も無い、湯原の手錠。
それを両手に捧げ持つと、静かに片膝ついて安本は少年に微笑みかけた。

「これが、お父さんの手錠だよ」

黙って少年は受取って、小さな両掌に捧げ持ち見つめてくれる。
それから安本の目を真直ぐに見て、静かに手錠を返してくれた。
見つめてくれる聡明な眼差しに安本は約束と微笑んだ。

「私は、お父さんの友達なんだ。犯人はもう、捕まえたから。必ず、お父さんの想いを、私が晴らすから」

そう、自分が想いを晴らす。

だって約束してしまったんだ。
俺が湯原と一緒に向き合うと、もう約束をした。
だからもう自ら死んで彼の元へ今すぐ謝りにいく事すら、もう許されない。

ほんとうは、本音の自分は今すぐに犯人を殺してしまいたい。
そうして自分も自ら死を選んで、あの大切な友人の元へ謝りに行きたい。
けれどもう約束をしてしまったから、だから自分は約束のために生きていく。

湯原が眠りについた瞬間の、がくんと落ちた頭の重み。
悔恨と罪と現実と真実、あの瞬間に背負った全てずっと抱きしめて生き続ける。
湯原との約束ごと全てを抱いて背負って、いつかの涯まで自分は生きていく。

けれど苦しい、痛い、悲しい。
それでも、その痛みも苦しみも悲しみも、死んだあいつと繋がっている。

だからもう、それでいい。




そんなふうに13年の時を越えた今、目の前に端正な視線が座る。

「周太は13年間ずっと孤独でした。父親の殉職という枷と、それに絡まる善意の無神経さ。その全てが彼を孤独へ追い込んだ」

目の前に座る、制服姿も端正な長身の青年。
きれいな笑顔で微笑んで、静かに語りかけてくる。
きれいな切長い瞳は、真直ぐに見つめて揺るがない。

13年前に失った大切な友人で同期の湯原、彼は射撃の名手だった。
そんな湯原の忘れ形見、息子の周太君もまた射撃の名手として現われた。
そして周太君とそっくりの射撃姿勢が鮮やかだった、この青年。

射撃姿勢は本来、体格によって差異がでる。
そして小柄な周太君と長身の彼とでは体格が全く違う。
それなのに、彼は周太君と全く同じ射撃姿勢を見せつける。
こんなこと、本来なら出来るはずがない。

いったいどれだけの努力を彼は重ねたのだろう。
いったいどれだけ近くで彼は周太君を見つめ続けているのだろう。
どうして?何故そんなにも彼は、周太君を見つめているのだろう。

「彼の孤独を壊したのは私だけです。私よりも優しい言葉をかけた人は沢山いたでしょう。けれど彼の為に全てを掛けた人間は私だけです。
きれいな想いも、醜い欲望も、私は全部を彼に晒します。隠しているものがない。だからこそ、彼は私を信じて孤独を捨てました」

綺麗な低い声が真直ぐ告げてくる、その声に迷いは欠片も無い。
どうしてこんなに彼は迷わない?その問いかけに見つめた青年は断言した。

「他の誰にもそれは出来ない、私だけです。だから言います、彼が本当に信じて頼るのは、私だけです」

相手のために全てを掛けて。
どうしてそんなふうに、この青年は生きられるのだろう。
きれいな笑顔が眩しい、そんな一途な生き方が本当は羨ましい。
真直ぐな視線は美しくて、こんな自分ですらも彼を信じてしまいたくなる。

13年前のあの日、自分は湯原に追いつけなかった。
そして今また湯原の息子にも追いつけない、けれど、この青年ならば追いつくことが出来るのかもしれない。
そうであってほしい、そんな願いごと見つめたまま安本は訊いた。

「…では、どんな方法なら、周太君を救えるんだね?」
「簡単ですよ」

そう言って青年は、端正な唇を開いた。

「真実を告げて示して、その底にある想いに気付かせてやる。それで彼には解る、そしてそれが、唯一の選択です」

端整な青年は綺麗に笑っている。
綺麗な笑顔はなぜか、見つめるほど静かに信頼を寄り添わす。
この青年に任せてみたい、惹きこまれるように安本の口は開かれた。

「周太君を見た時、驚きました。わたしが大好きだった男の面影、そして射撃の名手。懐かしくて、嬉しかった」

語りだした口調には切ない懐旧が滲んでしまう。
そう、懐かしい、そして嬉しい。

大切な友人で同期の湯原、彼が遺した周太君。
綺麗な強い視線と穏やかな気配が懐かしい友人と似て少し違っていた。
忘れ形見、そんな存在の明るい瞳は幸せそうで、それがただ嬉しかった。

あの春の夜に引裂かれた、可愛い幸福な笑顔。
あの笑顔が今もまた、きちんと蘇って笑ってくれた。
あの笑顔を取り戻してくれたのは、きっとこの青年なのだろう。
この青年は幸福に追いついて、捕まえて、そんなふうに彼を笑顔にさせている。

13年前のあの日から、今も背負っている悔恨と罪と、現実と真実。
今からその全てを青年に託したい。きっと彼なら大丈夫、そんなふう信じられるから。


全てを語り終えて、私は泣いた。
13年間を縛り続けた約束と枷が外れて解ける、そんなふう感じられた。
端正な青年は、きれいな笑顔で静かにそっと見守ってくれていた。

旧知の吉村医師が自販機へ行って来てくれた。
缶コーヒーを3つと、ココアを1つ。
そうして3人でココアの缶を眺めながらコーヒーを飲んだ。
いまきっと一緒に湯原もココアを飲んで、あの綺麗な切長い瞳を綻ばせている。
そんな想いと飲み終わる頃、聴きたかったことを青年に尋ねてみた。

「宮田くんは、周太君の友達なんだね」

きっと良い友達で、親友というやつだろう?
そんなふう想って訊いてみた、けれど青年は綺麗に笑って否定した。

「いいえ、違います」

どういうことだろう?
友達ではないならば、なぜこんなにも彼は真剣なのだろう。
それ以上の繋がりがあるのだろうか、解らないまま重ねて訊いてみた。

「ではどうして、こんなに君は一生懸命なんだ」
「おかしいですか?」

綺麗に笑って青年は答えた。

「警察官なら、今この一瞬に生きるしかありません。だから今を大切に見つめるだけです」

綺麗な低く響く声。
本当にその通りだ、そしてなんて懐かしい言葉だろう。

『警察官は、いつ死ぬか解らない。だから今を、精一杯に生きていたい』

湯原、どうしてだろう?

お前の心はそのままに、この青年の中に生きているよ。
なぜ他人の青年の言葉に、お前の心が生きているのだろう?
そんな疑問と懐旧に見つめた真中で、綺麗な笑顔は教えてくれた。

「周太は私の一番大切な存在です。だから今を、大切に彼を見つめている。それだけです」

ああそうか、この青年にとって「一番大切」それだけなんだ。

そんな納得にまた羨望がまぶしくなる。
こんな生き方が出来る男が羨ましくて、ただ眩しい。
そんな想いごとコーヒーを飲み終えた前、青年が立ちあがった。
それから制帽を手に持ったまま、端正な礼を自分に向けると微笑んだ。

「今日は、ありがとうございました」

吉村医師も立ちあがって青年に微笑みかけて踵を返す。
ロマンスグレーのスーツ姿に伴う制服姿の背は広やかで頼もしい。
その真直ぐな横顔ともっと話してみたい、そう願ったまま声を掛けた。

「宮田くん。いずれ、飲みに誘わせてくれるかい?」

断られるだろうか、そうも思った。
自分は周太君を傷つけた、そして青年の怒りをひきだしたから仕方ない。
そんな諦め半分だった提案、けれど切長い瞳は優しく微笑んで言ってくれた。

「ええ。その時は周太も誘います」

綺麗な笑顔が、ただ温かい。
この懐かしい温もりに願ってしまう。

どうか周太君を幸せにしてほしい。
あの春の夜、追いつけずに死なせてしまった大切な人。
彼の分までどうか幸せになってほしい、どうかずっと幸せが君に寄り添いますように。

そしてどうかこの青年も綺麗な笑顔のままで、ずっと笑っていてほしい。







2011.11.02掲載「花弔」改訂版


罪・・ブログトーナメント

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする