Three winters cold 三つの冬へ
harushizume―周太24歳3月下旬
第85話 春鎮 act.59 another,side story「陽はまた昇る」
うつくしい、切長い瞳。
深い睫あざやかな陰翳が美しい、視線こもらす怜悧が美しい。
覗きこまれるような透かされるような、けれど踏みこませない静かな深淵。
ほら?きれいな深淵が僕を見る。
「あいつのことは今いいよ、それより周太?あのお…小島さんがなんで歌姫に怒るのか教えてよ?」
ああ、まただ。
“あの女”
あなたは「あの女」と呼ぶ、その「評価」が哀しい。
彼女をかけらも認めようとしない、それが僕にどんな意味か解らない?
―美代さんを英二どうして…僕がどんな気持ちになるか解らないの?
あの女の子は大切なひと、この僕には。
大切なひとをそんなふう呼ばれる僕は、あなたにとって何だろう?
「ファントムは一生懸命に生きるひとだって、美代さんは言うんだ、」
彼女の言葉を唇になぞる、大切だから。
どうして大切なのか、あなただから解ってほしいのに?
「あの怪人はようするにストーカーだろ、それが一生懸命なのか?」
問いかけてくれる唇が赤い、その瞳ゆっくり頭上を仰ぐ。
濃やかな睫から陰翳こぼれて、もう僕を見ない。
―どうして目を逸らすの、英二?
見つめてくれない、視線も言葉も。
それでも捉まえたい想い声になる。
「それもそうだけど、それだけじゃない…」
答えながら見つめる先、白皙の横顔に雪がふる。
大樹の根もと深紅の登山ウェアに白が舞う、その肩が美しい。
―きれいな英二…山に鍛えられて、
登山ウェア馴染んだ肩、ひろやかな鋭角なめらかに隆起する。
雪ふる髪ダークブラウン艶めく、白皙の頬えがく銀色まばゆい輪郭。
白きらめく肌うかぶ薄紅一閃は雪崩の痕、その刻まれた誇りが深淵も輝かす。
―もっと傷跡たくさん英二は…だからきれいで、
山に負った傷、いくつ?
その数いくつか自分は知らない、ただ、こんなにも山のあなたは美しい。
そんなあなたが好きだと、唯ひとつの想い声になる。
「ファントムは醜いから売られた子どもだったでしょう?でも勉強して成功して、才能のために酷いめにも遭って…それでも生きたひとだよ、」
醜悪に生まれて才能に生きた男、そんな姿とあなたは似ている。
“Le Fantome de l'Opera”
あの小説なぞらえる存在「Fantome」は、誰のことだろう?
その一つは父を「墜としこんだ罠」隠される歪な存在、そして、それだけじゃない。
『俺はきれいな人形じゃない、』
あなたの声が記憶に叫ぶ、初めての夏が秋が揺すられる。
あの時も今も変わっていない睫の陰翳、その深淵に続けた。
「でも歌姫の初恋のひとはハンサムでしょう?貴族に生まれて、みんなに愛されて良い人で苦労なんかしらない…ファントムと真逆なラウル子爵、」
美しい貴族の青年、そんな外貌とあなたは似ている。
けれど素顔は真逆だ「愛され」なかったから。
『俺はきれいな人形じゃない、』
もし“愛され”たなら“人形”じゃなくなるの?
そんな設問ずっと廻っている、あなたにずっと。
もしそうなら僕でも生かせるのだろうか、あなたを?
人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?
「…幸せなヤツだよな、そいつはさ、」
あなたの声がつぶやく、赤い唇に雪が舞う。
端整なきれいな唇、きれいな深い哀しい声、でもそれだけじゃないあなたは。
あなたはただ「きれいな人形」なんかじゃない、そう信じたくて声にする。
「英二…英二は、歌姫はどちらと似てると思う?」
呼びかけて見つめて、切長い瞳が自分を見る。
ふかい深淵が雪に見つめる、冷えてゆく風に息が白い。
「歌姫は家が没落して、それでもがんばってプリマドンナを目指したんだ…苦労から夢を叶える逞しいひとだよ、」
没落、それとは真逆に生きてきたひと。
それでも「目指した」強さは同じでしょう?
「ね、英二…ふたりは一生懸命に生きるひとなんだ、ひとりはご飯の心配したこともないのに…歌姫はご飯が食べられなくても舞台を選んだひとだよ?」
ただ一生懸命に生きる、そんなあなたが好きだ。
どうしても。
―山に駈ける英二が好きなんだ僕は…美代さんのこと好きになっても、まだ僕は、
一生懸命に生きる、そんな女の子を僕は好きになった。
それは恋かもしれない、それが「普通」で幸せかもしれない、ただそれだけじゃなく彼女を好きだ。
『誰もいなかったら独りで決めるしかないでしょう?孤独なぶんだけ歪んで、強くなって、』
そう彼女が言ってくれたから僕は、今、ここにいる。
あなたを独りにしたくないと気づけたから。
『でも私は醜くても生きる強さが好きよ、だって逃げるよりずっといいでしょ?』
そう彼女が言ってくれたから僕は今ここにいる。
あなたを肯定したいと気づけたから、だから声にしたい。
「そういう歌姫に、ほんとうに寄り添えるのはどっちだと思う?」
あなたに寄り添いたい、独りにしたくない。
だって逃げるよりずっといい、今、こうして向きえる一瞬が幸せで。
「ね、英二…もしファントムが天使みたいに美しいひとだったら、それでもラウルを選んだかな?」
あなたが美しくなかったら、選んだろうか?
そんな自問めぐりかけて、そんなこと無意味だと瞳に見つめられる。
だって結局あなたは美しい、今、こんなにも凍え傷んで、無理解でも。
「歌姫はファントムのこと、音楽の天使って呼んで憧れてたのに素顔を見て変わるよね…でも英二、もしファントムの素顔が綺麗だったら?」
声にして呼びかけて、切長い深淵が自分を見つめる。
白皙まばゆい貌に瞳ただ黒くて、それが闇でもきっと美しい。
―僕は英二のこと怖いんだ、でもそれだけじゃない、
あなたの闇を知っている、そのたび厭きれて傷んで。
けれど何も知らなかった感情より今がいい。
「英二…もしファントムの貌が天使だったら、歌姫はどちらを選ぶかな?」
天使だと、あなたを想っていた。
自分を救ってくれたひと、優しいひと、天使のように美しい心と体の人。
ただそう想い慕っていた、でも今は違うと知っている。
“Fantome”
醜い、けれど才能あふれた男。
醜い、それ以外すべて備えているのに選ばれない。
その醜さは外見じゃない、孤独でもない、あなたは気づいている?
「そうだな…、」
あなたの口もと微笑む、赤い唇に銀色くゆる。
なんて答えてくれるのだろう?想い、低い声かすかに哂った。
「ようするに周太が言いたいのはさ、歌姫は内面じゃなくて顔で選んだってこと?」
きれいな低い声が雪に舞う。
凍てつく森のふところ、切長い瞳に答えた。
「そう、だから…もし見た目が同じくらいだったらって…そういうの英二はわかるよね?」
声にして白く凍える、とけてゆく吐息に記憶うつろう。
あなたが教えてくれた過去の言葉、そのままに赤い唇が微笑んだ。
「きれいな人形って言われてる俺なら、ってことだろ周太?」
母親にとって俺は、人形なんだ。
そう告げた瞳が忘れられない、深淵ふかく傷んだ孤独。
あなたの母親だけが原因じゃない、そうして抉られた視線を見つめた。
「そう…だから美代さんは歌姫に怒るんだ、」
だから好きだ、あの女の子が。
『だから逃げないで?醜くても生きるひとが大好きなくせに、』
あなたの仮面ごと彼女は見つめてくれる、あの実直な勁さが眩しい。
ただ真直ぐに見つめる大きな瞳、あの明るい眼が好きだ。
だから解ってほしい、けれど赤い唇が哂った。
「は、なんだそれ?」
きれいな低い、冷たい声。
「…、」
英二、そう名前を呼びかけたい。
でも動けない唇の雪、切長い瞳が刺した。
「怒る?あの女も俺のこと顔だったくせによく言えるな、」
冷たい声が大気つらぬく、冷厳の森に刺しこめる。
「なあ周太?俺とあの女をデートさせたこと、憶えてるだろ?あのとき言われたよ俺、」
赤い唇やわらかに微笑む、赤色なめらかに硬く鋭い。
「光ちゃんよりも宮田くんの方がどきどきしますってさ?アレって顔だけ見てたってことだろ、同類だから怒ってんのか?」
きれいな低い声、たぎる冷厳の底から瞳が嗤う。
「そういえば言われたよ?俺のこと憧れで好きだけど今は湯原くんが一番大切なの、ってさ?あの頃から狙ってんたんだろ、貌だけの俺より周太をさ?」
冷たい声、冷たい視線つめたい言葉。
どうしてこんなに追いつめるのだろう、あなたは?
「思うんだけどさ、ラウルは顔がイイだけじゃなくて優しいだろ?ファントムと比べられない能無しだけどさ、優しい男は女を幸せにできるだろ?」
あなたの声が白く凍る、冷厳ふかく森が白い。
白銀きらめく山懐、それなのに今あなたの貌が苦しい。
「周太も優しい男だよ、あの女が周太を選ぶのは当然だろ?周太は能無しじゃないし見た目も中身もきれいだよ、でも俺はそうじゃないだろ?」
そうじゃない、なんて僕こそ言いたい。
どうして?
「周太にも前に言われたよな、俺は綺麗な人形の仮面を被ってるってさ?たしかに俺は顔いつも褒められるし無能でもないよ、でも素顔は醜いよな?」
醜いなんて知っている、でもそれだけじゃない。
それだけじゃないのに?
「でもあの女は周太とお似合いだよ、二人とも子どもっぽいけど賢くて大人びてるとこ似てる、一緒にいて楽しいだろ?」
ああまた「あの女」なんだ、どうして?
あなたも知っているはずなのに、そういう存在のこと。
「だから周太、もういいだろ?早く行けよ、」
もういいだろ、だなんて嘘。
もう知っているのに?
「ふつうに幸せになれるよ周太は、だからごめんな?男同士で恋愛とかさ、巻きこんで悪かったな?」
赤い唇が嗤う、その言葉に鼓動たたく。
“巻きこんで”
その言葉ずっと前に僕が言った、あなたに。
その想いずっと変わらない、今も、だから追いかけてきたのに。
「だから周太もうあの女のとこ行けよ?このまま俺に嫌なこと言わせるなよ、巻きこんで悪かった、ごめん、」
ごめん、
そんな言葉こんなふうに言わないで?
どうせ使うならもっと別のこと、それに気づいてほしいのに。
「もう行けよ嫌なこと言わせるなよ?それとも、もっと俺を悪役にしたい?ファントムみたいに、」
切長い瞳が嗤う、濃やかな陰翳から孤独が見あげる。
白銀まばゆい大樹の根もと、赤い唇しずかに動く。
「もうとっくに悪役だよな俺、ファントムは歌姫を閉じこめてラウルを殺そうとしたけどさ、俺も同じこと周太にしたもんな?」
ああ、あの夜のこと言うんだ今?
“Le Fantome de l'Opera”
あの物語の恋は「からくり」そのままに僕とあなたも同じ?
あの夜あのベッドで起きたことは「閉じこめ」かもしれない。
そうかもしれない、でも違う道の分岐点に美しい声が笑った。
「周太も憶えてるだろ?初任総合の夜、俺、周太の首を絞めたよな?」
ああ、それじゃないのに?
「忘れてないよな周太、離したくないからって自分勝手に殺そうとするような俺だよ?」
忘れていない、でもそれじゃない。
僕があなたに厭きれるのは、違う。
「もう周太は警察を辞めるんだ、もう俺に守られる必要もないだろ?俺の傍にいる必要はないんだ、もう行けよ周太?同性愛なんかに巻きこんで悪かった、」
守られるとか、そんなことじゃない。
巻きこむとか、なんてもっと違う。
「ごめん、もう行けよ嫌なこと言わせるなよ?もう俺の汚いとこ曝させるなよ?」
汚いところなんてもう驚かない、知っているから。
醜くて独りよがりで、けれど今ここに僕はいる。
「ごめん周太、もう行けよ?」
きれいな低い声が凍てつく、でも僕は知っている。
こんなにも傷んで無理解で身勝手で、それくらい柔らかすぎる素顔。
『醜くても生きるひとが大好きなくせに、』
あの女の子が言ってくれた、そのままにこのひとが好きだ。
「…だから怒ったんだよ、」
ほら唇うごく、僕の声だ。
「だから美代さんは怒ったんだよ?美代さんはファントムが好きなんだ、ファントムは酷いめに遭っても自分を諦めなかったんだ、」
白い靄くゆらす声、僕の声だ。
そうして声に見つめてくれる、あなたの眼。
「醜い貌もバネにして成功して、そういう強さが美代さんは好きなんだ、だから、」
あなたが僕を見つめる、僕の声に。
このまま視線に声に掴まえさせて。
「だから歌姫に怒るんだよ、歌姫は醜い顔を言訳にファントムを棄てたでしょう?天使って呼んで愛したくせに、だから、」
あの女の子が怒ってくれた、それは肯定だ。
守られるとか巻きこむとか、そんなことじゃない等身大ただの肯定。
「だから僕にも怒ったんだ、だいすきだから歌姫にならないでって、」
だいすき、大好き、大切なひと。
そんな想い抱きしめてしまった、あの女の子にも。
だからこそ彼女に言われて今ここに辿りつけた、大切なひとが願ってくれたから勇気を抱けた。
―美代さんが怒ってくれなかったら僕は追いかけられなかった…怖くて、
怖い、あなたが大好きだから。
大好きだから拒絶が怖い、けれど願ってくれた勇気が足を動かした。
捻挫まだ治りきっていない、それでも辿りついた森にあなたが微笑んだ。
「なに言いたいのか分からない、俺、」
拒絶の言葉が微笑む、でも瞳が自分を映す。
ただ見つめ返して想い声になった。
「ファントムで天使なんだよ英二は、僕にも美代さんにも、だから美代さん怒るんだよわかって英二!」
わかって、どうか。
叫んだ想い腕がうごく、ひろやかな肩を掌つかむ。
切長い瞳が近くなる、その深淵まっすぐ叫んだ。
「どんな貌でも逃げないことが愛することなんだよ英二!だから僕はここにいるんだっ、」
なぜ僕がここにいる?
そんなこと自分でも不思議だ、2年前の自分が首傾げるだろう。
それでも辿りついた三月の雪の森、深紅あざやかな肩をつかむ。
「そうだよ英二は最低だよっ、他のひとにせっくすしちゃうしお父さんの日記も勝手に隠すし、いつも身勝手で独り決めでほんとおせっかい困るよ!」
体も心も、あなたは僕だけを見てはいない。
こういうこと誠実だなんて言えないだろう、こういうこと身勝手と言うのだろう。
でも、
「でも最低なバカだから愛してるくせにって怒られたんだっ、醜くても生きるひとが大好きなくせにって!」
最低なバカだ、あなたは。
―ほんとばかだ英二は…あの雪崩にまで傍にいて、
あの雪崩、高峰はるかな雪中狙撃。
あのとき隣にあなたがいた、あの雪が今この奥多摩の森に舞う。
あのとき追いかけてくれたひとを追いかけて今ここにいる。この覚悟くれたのは奥多摩の女の子。
『醜くても生きるひとが大好きなくせに、』
あの女の子が言ってくれた、この奥多摩に生まれた女の子。
だから今こうして僕は肩を掴めた、それが僕にどんなに大切か解って?
―美代さんが受けとめてくれたから僕は認められたんだ、英二のことも、
同性愛で、警察学校の同期で、そんな恋愛は否定されて当り前。
そんな「普通」だと諦めていた、けれど彼女は真直ぐ肯定してくれた。
そんな彼女だから大切になった、好きになった、だからきっとあなたを好きな分だけ彼女を好きになる。
「そんなこと言ったのか、あの女が?」
ほら?あの女って言うんだ、あなたは。
こんなにも伝わらない、解ってもらえない、認められない。
それでも僕は僕で、こんな自分のまま答えた。
「そんなこと言うよ美代さんは、そういう美代さんだから僕は好きなんだ、」
好きだ、
好きだ、だから今ここに追いかけてこられた。
ただ好きなひとが肯定してくれたから、ただ僕のままで走れた。
「好きなんだ、恋愛としてだろ?」
あなたが問いかける、その瞳かすかに銀色ゆれる。
あなたは泣くのだろうか?
「僕の大事な女性だよ、浮気じゃなくて本気です、悪い?」
本音そのまま声になる。
どこも隠したくない、偽りなんて嫌だ。
あなたに偽られて隠されて、その哀しみ知ってしまったから。
※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】
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