Of moral evil and of good,
kenshi―周太24歳4月
第86話 建巳 act.22 another,side story「陽はまた昇る」
言われて、あらためて気づかされる。
決断と、これから先と、ひとりじゃないこと。
「後期の合格発表の日に小嶌さん、頬を腫らして来たろ?あれから青木先生、責任を感じてるみたいでさ。先生らしいだろ?」
チタンフレームの眼鏡ごし、闊達な瞳が困ったよう笑ってくれる。
温かな香くゆらす店の席、その言葉も温かで周太は微笑んだ。
「すごく先生らしいね…田嶋先生と青木先生のお話のこと、賢弥は聴いてるんだよね?」
「ちょーど居合わせたんだよ、小嶌さんの合格祝いで飲んだろ?あの時だよ、」
話すテーブル肘ついて、顎さき左の手で撫でる。
記憶たぐるような眼すこし笑って、友だちは口ひらいた。
「周太が電話で席を外したろ?あのとき小嶌さんもちょっと外してさ、その隙に先生たち話し合ったんだよ。明るく学ばせたいよってさ?」
話してくれる事実に、深く静かに温まる。
こんなふうに援けられて救われて、そんな今に息そっと吐いた。
「ん…ほんとうに、明るく勉強してってほしいね、」
「だよな、」
闊達な瞳からり笑って、水のコップそっと指弾く。
かすかな、けれど澄んだ音に友だちは笑った。
「俺はさ、小嶌さんなら大丈夫だと思うんだよな。さっきのメールもワクワク感あふれてたしさ、」
彼女なら大丈夫、そう告げて笑ってくれる。
こんなふう言ってもらえる人だからだ?ふれる想い微笑んだ。
「そうだね、いつも明るく見てる美代さんだからね?」
あの瞳は、いつもそうだ。
実直で明るい明るい眼、まっすぐ見つめて誤魔化さない。
だから進学も諦めなかった、そうして叶えたひとに友だちが笑った。
「ほんとそれ。いい意味で楽天的でさ、明るく後先ちゃんと考えててカッコいいんだよなあ。女の子には珍しいタイプかも?」
バリトン朗らかに笑ってくれる。
その言葉ひとつ一つ肯けて、けれどラストに尋ねた。
「そうなんだけど…あの、めずらしいタイプなの?」
めずらしい、と言われても自分には比較対象が無い。
解らなくて尋ねたテーブル、胡麻油の香ごし言われた。
「女のヒトって群れたがるトコあるだろ?浮かないように同調大事ってカンジでさ、自分の意見は持たないで流行に乗るようなさ?」
芳ばしい甘い辛い香に、明朗な声くゆらせる。
言われる言葉ただ瞬いて、不慣れなまま友だちが笑った。
「なんか周太、びっくりしてる?」
「うん…あの、」
素直に肯いて、あらためて自分に困ってしまう。
自分こそ考えたこと無かったな?そのまま口ひらいた。
「あのね、僕、あまり友だちいなかったから…女のひとが普通どうとか知らなくて、」
ずっと孤独だった、少し前までは。
ずっと警察官になることだけ考えて、そのためだけに生きてしまった。
けれど変わったのは、あのひとに逢えたから。
―英二がいたから僕は知ったんだ、誰かを知ること嬉しいって…大切にしたいって想えたんだ、
知りたいなんて思っていなかった、少し前の自分は。
けれど今もう知って、そうして囲むテーブルに親しい瞳が笑ってくれた。
「俺もそんな知ってるわけじゃないよ、ってかさ?ひとりの人間が知ってることなんて、この世界と時間の何パーセントなんだろな?」
明朗な声に鼓動そっと敲かれる。
ほら、同じだ?
「そうだね、知らないから楽しくて、だから学問があるのだものね?」
知らない、だから楽しい。
それは人に対しても同じだ、そうして今こんな自分でいる。
あらためて笑いかけたテーブル越し、友だちの笑顔ほころんだ。
「ほんとそれだよな、あ?かなり腹へってきた俺、」
「ん、僕も、」
一緒に肯いて笑って、スーツの底に空腹が温かい。
もうじき来るかな?見やった先、お盆かかえた主人が笑ってくれた。
「ほい、おまちどうさん。いっぱい食べてくれよ、」
あたたかな湯気、芳ばしい香あふれて愉しい。
この温もりも最初は、あなただった。
『外泊日、飯おごるよ?』
そんなふう誘ってくれて、ここに座った。
あれから一年半が過ぎて、あなたがいないテーブルは変わらず香る。
「唐揚げは新しいソースかけてみたんだよ、試食お願いできるかい?」
「やった、うまそうですね、」
芳ばしい湯気やわらかに声ふたつ、空気ほっと温かい。
けれど今は聞こえない声どうして、僕の耳はたどるのだろう?
『こっちもうまいよ、周太?』
低い、きれいな声。
明るくて楽しげで、けれど一昨日は違っていた。
奥多摩の雪の森、座りこんだ深紅の登山ジャケット、あなたの声どうして?
―どうして英二…僕は、
どうして?なぜ?
そんな言葉ゆるやかに締め上げる、どうしていいか解らない。
おととい雪の森で聴いた声、見つめた瞳、あなたは何を願うのだろう?
「おっ、うまい。周太も食ってみなよ、」
湯気あたたかなテーブル、友だちが笑って皿よせてくれる。
あの時間と同じ絵柄の皿、同じ空気、けれど違う相手に微笑んだ。
「ありがとう、いただくね?」
「俺はすごい好き、ネギとショウガが効いてていいよ、」
明るい瞳が眼鏡ごし笑う、闊達なトーン清々しい。
裏表どこにもない笑顔、ただ温かで、目の前の皿に箸はこんだ。
「ん、おいしい、」
「だよな?オヤジさーん、すごい旨いです!」
明朗なバリトン笑って、カウンターの奥でも笑顔ほころぶ。
胡麻油くゆらす豊かな食卓、そのままに訊かれた。
「なあ周太?小嶌さんと何かあった?」
「え?」
訊かれて上げた視線、友だちの眼が見つめ返す。
明朗まっすぐで、逸らせないまま言われた。
「引っ越しの手伝いに周太が行かないって意外でさ?丹沢のフィールドワークでも同じ部屋だったのに、なんでだろう思ったんだよ、」
丹沢の山小屋、美代と二人部屋だった。
あの時と変わってゆく今に声そっと押しだした。
「…ちゃんと考えたんだ、僕も、美代さんも、」
あの日、長野の現場に向かう改札口。
あのとき彼女は気づいて、そして僕も自覚した。
大切なことは変わらない、それでも窯変してゆく想い微笑んだ。
「前の僕はね、明日なんて無いって思ってたんだ。でも今は明日も未来のことも考えてて…きちんと美代さんのことも考えたいい、」
明日なんて無かった、警察官の自分には。
そんな自分が本当に、あなたのことを考えていたろうか?
「ずるかったんだ、僕。そのぶんも、これからは大切に考えたいんだ、」
声にして肚底そっと落ちてゆく。
こんな自分でも大切にできるなら?想いに丼ひとつ、店主が微笑んだ。
「五目そば、おまちどうさん。大盛のサービスだよ?」
醤油あまやかな胡麻油、温かにくゆらせる。
この香あのときも温かだった、見つめるまま微笑んだ。
「ありがとうございます、いつもすみません、」
「いいんだよ、俺が好きでやってるんだからねえ、」
破顔ほがらかに言ってくれる、その眼ざし素朴に温かい。
この人に「真実」を告げられたら?願うテーブル、店主が言った。
「あの兄さんとは最近一緒じゃないんだねえ、ついさっき来てくれたんだよ?」
ほら、心臓がつかまれる。
(to be continued)
第86話 建巳act.21← →第86話 建巳act.23
斗貴子の手紙←
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます