Into my breast and eyes, which I have spent, 還らぬ時に、
第85話 暮春 act.5-side story「陽はまた昇る」
山上、青から光散る。
かさり針葉樹林の雪が鳴る、白きらり零れて光さす。
名残の雪が春陽はじいて落ちてくる、きらめく残雪の氷に息が白い。
「俺たちが一番乗りですね、後藤さん?」
笑いかけた口もと靄が白い。
青ひろやかな三月の空、白い尾根の頂上に隣が笑った。
「おうよ、だが国村が同じコースなら競ったろうなあ?」
日焼ほころばす名が名字でいる。
その呼び方に英二は背中ちょっと伸ばした。
「後藤副隊長から見て、山岳救助隊のトップは国村小隊長ですか?」
警視庁山岳救助隊のエース、そう呼ばれる男をどう評価する?
今の本音を聴いてみたい、そんな願いにベテラン警察官は笑った。
「そうさなあ、身びいきだが今は日本のトップだろうよ?光一の基礎能力は抜群だ、」
だが「今」は、なんて区切りに本音が燻ぶる。
残雪まばゆい青の下、白い息と口開いた。
「大学受験が終わったころ、国村さんは山ヤの技術が落ちるってことですか?」
「ブランクが開くのは仕方ないだろう?程度によるだろうがなあ、医学部で社会人入学じゃあ暇もないだろうよ?」
応える声が肚深く響く。
そこにある本音と問いかけた。
「私人の立場で言います、俺は光一がトップから降りることは惜しいです。でも光一がなりたい未来は違うってことですよね?」
こんなこと認めるのは嫌だ、だって憧れだった。
それでも逃げられない現実は言った。
「そうだなあ、あいつは記録なんざ二の次だろうよ?山で生きられたら満足なやつなんだ、」
日焼あざやかな笑顔に雪のかけら降る。
青く高く透る空、森林限界の梢に笑いかけた。
「そうですね、光一は山の医者でいるほうが似合うと思います。警察官でいるよりずっと、」
警察官の姿も似合ってはいた、けれどもっと似合う姿がある。
そんな予想図に山の警察官も笑った。
「だろう?射撃の腕前は警察向きに見えるがな、アレも山の猟銃が本職だからなあ。白衣もしっくり似合うだろうよ、」
「俺もそう思います、」
頷いて笑って、でも肚底が寂しい。
―光一がいない山岳救助隊、か?
あの笑顔が隊舎から消える、そんな想像まだ現実に見えない。
それでも明日は現実化する。
「似合うけど寂しいです、今は、」
本音そっと息白くなる、その靄に視線が止まった。
「あ、」
あれは何だろう?
「どうした宮田?」
「そこのブナ林です、北斜面の、」
応えながら屈んでワカンの留具を確かめる。
きっと雪が深い、そんな予想に肚響く声が言った。
「あの黄色だな宮田、」
「はい、ツェルトだと思います、」
立ちあがり歩きだす、ざぐり雪音アイゼン踏みしめる。
―こんな晴れた真昼にビバークなんて変だ、怪我かそれとも?
雪山日和、それを歩かずツェルトに籠るのは異常だ。
懸念と進む尾根の白銀、高くなる陽に森の陰翳うつろう。
「登山計画書は昨日、多かったですか?」
「日中は良い日和だったからな、雪崩の警戒を促したよ、」
ざぐざぐ雪かきわけ黄色が近づく。
踏みこんだ白い樹肌の森、さくり粉雪がゲイター埋めた。
「後藤さん、昨夜の奥多摩は雪でした?」
森の雪さらさら足もと崩す。
この感触まだ降雪から一昼夜を過ぎない、そんな感覚に副隊長は肯いた。
「夜中に霙が降ったよ、山は吹雪いたと聞いとる、」
ピンポイントの天候悪化は時に予測できない。
天気図では読み切れない山の天候、その白銀に黄色が埋もれる。
―無事でいてくれ、
祈る想い踏みこんで、ずぶり股下まで埋もれる。
北斜面は吹きあげる北風に冷たい、頬かすめる温度すっと下がる。
急転してゆく体感温度ごと光も弱い、尾根と違いすぎる大気と積雪に上司が呼んだ。
「宮田、踏抜きに気をつけろよ?雪が緩んでいる、」
ずずっ、引きこまれるよう雪が脆い。
三月終りらしい足場に慎重と笑った。
「この感じ一年ぶりです、こんな時に不謹慎ですけど、」
「その気持ちわかるよ、たしかに不謹慎だろうがな?」
深い声が笑ってくれる、この空気が懐かしい。
こんなふう共に山を駆けた秋から春、あの時間へ帰りたくなる。
―青梅署に戻れたらいいな、俺、
第七機動隊も嫌いじゃない。
より高度な訓練も積める、同僚の技術に刺激も多い。
それでも今この駈けてゆく雪嶺が鼓動をつかむ、そこに峻厳を見ても。
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
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英二24歳3月下旬
第85話 暮春 act.5-side story「陽はまた昇る」
山上、青から光散る。
かさり針葉樹林の雪が鳴る、白きらり零れて光さす。
名残の雪が春陽はじいて落ちてくる、きらめく残雪の氷に息が白い。
「俺たちが一番乗りですね、後藤さん?」
笑いかけた口もと靄が白い。
青ひろやかな三月の空、白い尾根の頂上に隣が笑った。
「おうよ、だが国村が同じコースなら競ったろうなあ?」
日焼ほころばす名が名字でいる。
その呼び方に英二は背中ちょっと伸ばした。
「後藤副隊長から見て、山岳救助隊のトップは国村小隊長ですか?」
警視庁山岳救助隊のエース、そう呼ばれる男をどう評価する?
今の本音を聴いてみたい、そんな願いにベテラン警察官は笑った。
「そうさなあ、身びいきだが今は日本のトップだろうよ?光一の基礎能力は抜群だ、」
だが「今」は、なんて区切りに本音が燻ぶる。
残雪まばゆい青の下、白い息と口開いた。
「大学受験が終わったころ、国村さんは山ヤの技術が落ちるってことですか?」
「ブランクが開くのは仕方ないだろう?程度によるだろうがなあ、医学部で社会人入学じゃあ暇もないだろうよ?」
応える声が肚深く響く。
そこにある本音と問いかけた。
「私人の立場で言います、俺は光一がトップから降りることは惜しいです。でも光一がなりたい未来は違うってことですよね?」
こんなこと認めるのは嫌だ、だって憧れだった。
それでも逃げられない現実は言った。
「そうだなあ、あいつは記録なんざ二の次だろうよ?山で生きられたら満足なやつなんだ、」
日焼あざやかな笑顔に雪のかけら降る。
青く高く透る空、森林限界の梢に笑いかけた。
「そうですね、光一は山の医者でいるほうが似合うと思います。警察官でいるよりずっと、」
警察官の姿も似合ってはいた、けれどもっと似合う姿がある。
そんな予想図に山の警察官も笑った。
「だろう?射撃の腕前は警察向きに見えるがな、アレも山の猟銃が本職だからなあ。白衣もしっくり似合うだろうよ、」
「俺もそう思います、」
頷いて笑って、でも肚底が寂しい。
―光一がいない山岳救助隊、か?
あの笑顔が隊舎から消える、そんな想像まだ現実に見えない。
それでも明日は現実化する。
「似合うけど寂しいです、今は、」
本音そっと息白くなる、その靄に視線が止まった。
「あ、」
あれは何だろう?
「どうした宮田?」
「そこのブナ林です、北斜面の、」
応えながら屈んでワカンの留具を確かめる。
きっと雪が深い、そんな予想に肚響く声が言った。
「あの黄色だな宮田、」
「はい、ツェルトだと思います、」
立ちあがり歩きだす、ざぐり雪音アイゼン踏みしめる。
―こんな晴れた真昼にビバークなんて変だ、怪我かそれとも?
雪山日和、それを歩かずツェルトに籠るのは異常だ。
懸念と進む尾根の白銀、高くなる陽に森の陰翳うつろう。
「登山計画書は昨日、多かったですか?」
「日中は良い日和だったからな、雪崩の警戒を促したよ、」
ざぐざぐ雪かきわけ黄色が近づく。
踏みこんだ白い樹肌の森、さくり粉雪がゲイター埋めた。
「後藤さん、昨夜の奥多摩は雪でした?」
森の雪さらさら足もと崩す。
この感触まだ降雪から一昼夜を過ぎない、そんな感覚に副隊長は肯いた。
「夜中に霙が降ったよ、山は吹雪いたと聞いとる、」
ピンポイントの天候悪化は時に予測できない。
天気図では読み切れない山の天候、その白銀に黄色が埋もれる。
―無事でいてくれ、
祈る想い踏みこんで、ずぶり股下まで埋もれる。
北斜面は吹きあげる北風に冷たい、頬かすめる温度すっと下がる。
急転してゆく体感温度ごと光も弱い、尾根と違いすぎる大気と積雪に上司が呼んだ。
「宮田、踏抜きに気をつけろよ?雪が緩んでいる、」
ずずっ、引きこまれるよう雪が脆い。
三月終りらしい足場に慎重と笑った。
「この感じ一年ぶりです、こんな時に不謹慎ですけど、」
「その気持ちわかるよ、たしかに不謹慎だろうがな?」
深い声が笑ってくれる、この空気が懐かしい。
こんなふう共に山を駆けた秋から春、あの時間へ帰りたくなる。
―青梅署に戻れたらいいな、俺、
第七機動隊も嫌いじゃない。
より高度な訓練も積める、同僚の技術に刺激も多い。
それでも今この駈けてゆく雪嶺が鼓動をつかむ、そこに峻厳を見ても。
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
霙:みぞれ
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