萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第51話 風伯act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-31 23:57:11 | 陽はまた昇るanother,side story
不時の風に、



第51話 風伯act.3―another,side story「陽はまた昇る」

廊下を照らす午後の光に、抱えた夏椿の純白ゆれて微笑んでしまう。
今日も華道部の花をもらってきた、この花は一日で散るけれど枝には蕾も沢山ついている。
この花も好きな花、きっと家の庭でも咲き始めているだろう。

…明日は一緒に見られるかな?でも、

本当に一緒に見られたらいい、明日は英二も川崎の家に帰ってくる約束だから。
でも、今夜から英二は奥多摩で夜間捜索に入る。そのためにクラブの前にもう、奥多摩へ発って行った。
今のところ明朝8時までの予定だけれど、捜索状況の展開によっては解からない。
それでも英二は約束を守ろうと、約束通りに帰って来ようとするだろう。
でも、解からない。警察官の仕事はイレギュラーが当たり前だから。

…お父さんもよく、帰ってくる予定が変わっちゃって…でも、待っているの嬉しくて、

幼い日の記憶が、ふっと心蘇える。
いつも仕方ないのだと自分を言い聞かせていた、幼いなりに理屈も考えて。
あのころと同じ「待っている」気持ちの期待と諦めが、今もこうして心揺らしてくれる。
この諦めは哀しいけれど、その分だけ約束が叶う時は嬉しくて、哀しい分の2倍幸せだった。

そんなふうに父を待っていた、9年半の父との時間。
あの9年半があるから自分は「待っている」時間をどう過ごすべきか知っている。
こういうときは楽しいこと、好きなことを考えて、無事を祈りながら微笑んでいたら良い。
そして明るい心で待つならば、待ち人を迎えた時は笑顔で温めることが出来るから。

ほら、いま自分は好きな花を抱えている。
この夏椿を家でも活けてみよう、今日教わったことを活かしたら母も喜ぶかな?
やっぱり花の稽古は楽しい、今までにない活け方から花の世界が広がるようで。
この枝から一輪は押花にしようかな、明日の朝すこし早めに起きたらいいな?
あれこれと楽しい気持ちに微笑んだとき、遠慮がちなソプラノに呼びかけられた。

「湯原さん、」

呼び止められて廊下の片隅、周太はふり向いた。
振向いた拍子ゆらいだ花の先、女性警察官の華奢な制服姿が1人で立っている。

「はい?」

首傾げながら返事した向う側、恥ずかしそうに彼女は立っている。
たぶん華道部で見かけたことがある、きっと初任科教養に在籍中の人だろう。
こんなふうに1人だけで声かけてくる女の子は、学校では珍しい。初めてかもしれない?
すこし感心しながらも周太は、彼女の質問に心の準備をした。

…きっと「宮田さんって彼女いますか?」だろうな?

そう訊かれたら「周りに訊いて回られるの嫌いみたいです、」って答えれば大丈夫。
まるで御まじないの呪文のよう思い出す目の前で、華奢な彼女は口を開いた。

「あの…っ、湯原さんって彼女いますか?」

いま、なんて言ったのだろう?

ひとつ目を瞬いて、目の前の女の子を周太は見つめた。
見つめた先で彼女の頬が薄赤くなっていく。その色彩を不思議に見つめながら、周太は尋ねた。

「あの、英二…宮田のことを、訊きたいのじゃないんですか?」

もしかして、英二と周太の名前を間違えているのかもしれない?
そんな疑問を尋ねた周太に、頬染めながらも彼女はきっぱり言った。

「違います、湯原さんのことです。あの…彼女いますか?」

ほんとうに自分のことを訊いているんだ?
どうしてそんなことを彼女は、自分に訊いてくれるのだろう?
ちょっと予想外の質問に考え込んでしまう、こういう経験は無いから。

…こんな質問、美代さんの家の人たちにされたな?

あのときは美代が「湯原くんは好きな人がいるのよ」と代わりに答えてくれた。
けれど今は周太1人だし、こんなバージョンは美代に訊いていない、母に訊いたことも無い。
途方に暮れはじめた緊張に首筋が熱くなってしまう、けれど何か答えないといけないだろう。
きっと、正直に答えるのが良いかな?頬熱くなりながらも周太は正直に口を開いた。

「好きな人は、います、」

…ほんとうに、大好きな人がいます。

心でも答えて、そっと熱が頬を染めていく。
ほら、こんなときなのに心にはもう、大好きな笑顔が咲いてしまう。
そんな想いと抱えた白い花の向こう、華奢な彼女がすこし俯いた。

「そうですか…」

ぽつり、言った言葉が寂しげで。
寂しさが伝染するよう心を締める、どうしたらいいのだろう?
途惑いと見つめながら、けれど思いついて周太は夏椿を1枝、花束から抜いた。

「あの、これ1ついりませんか?」

純白の花冠が揺らいで花が微笑む。
いま哀しげなひとを慰めて?そう花に願いながら周太は、彼女に笑いかけた。

「今日の花材を貰ってきたんです。管理人さんに訊くと、花瓶も借りられると思います」
「え…いいんですか?」

すこし驚いたよう彼女が見つめて、その眼差しが嬉しそうになっていく。
いま目の前の寂しさが和みだすのが嬉しくて、周太は微笑んだ。

「はい。一日で散る花だけれど、蕾も沢山ついてます。良かったら、どうぞ?」
「ありがとうございます、」

素直に受けとってくれる気恥ずかしげな笑顔に、清楚な花が添えられる。
嬉しそうに花を見つめて、彼女は言ってくれた。

「お花、大好きなんです。でも、寮に持ち帰っても良いのか、いつも解からなくて」
「初任教養でも、大丈夫だと思います。もしダメって言われたら、すみません、」
「大丈夫です、そうしたら押花にします、」

楽しそうに花を見つめて、彼女は笑ってくれる。
その笑顔は「本当に花が好き」と言っていて、周太は嬉しくなった。

「押花、俺も作るんです。小さい頃から採集帳を作っていて、」
「そうなんですか?私もです、最近は良いキットが出ていますよね、」

嬉しそうに彼女も答えてくれる。
この人も自分や美代と同じように、花好きなんだ?
ここでも好きが「同じ」に会えたことが嬉しい、楽しくなって周太は頷いた。

「携帯用のとか、俺も買いました。あれ、山に行く時は便利なんです。落葉とかすぐ、押し葉に出来て」

この間の雲取山でも、きれいな若葉を何枚か拾い集めてこられた。
今週末、家に帰ったら採集帳に纏めないとな?考えながら笑いかけた先、彼女が楽しそうに微笑んだ。

「山にも採集に行くんですね、すごい、本格的ですね?」
「そんなことも無いです。俺の友達はもっとすごくて、珍しい植物を実験栽培しています、」
「実験栽培だなんて、プロの方ですか?」

感心したよう彼女が尋ねてくれる。
ある意味で美代はプロだろう、大好きな友達を想って周太は微笑んだ。

「農家のひとなんです。でも、将来は研究者になりそうです。今、一緒に大学の公開講座にも通ってて、」
「勉強家ですね?私も花の本くらいなら読むんですけど、」
「俺も本はよく読みます、お薦めの本とかありますか?」
「昨日読んだばかりなんですけど、桜の本が面白かったです。沢山の種類の桜が出てきて、」

大好きな植物の話に、つい話が弾みだす。
こんなふうに、好きな話題なら女の子とも話が出来るな?
そんな自覚が新鮮で面白い、そう微笑んだ周太に彼女が訊いてくれた。

「あの…こんなふうに時々、話しかけても良いですか?ご迷惑じゃなかったら、」

また顔を赤く染めて、華奢な肩を尚更に小さく竦ませて尋ねてくれる。
花の話が出来ることは楽しいから、迷惑なんてことは無いのに?微笑んで周太は素直に頷いた。

「はい。植物の話とか出来ると、俺も楽しいです、」
「よかった、」

ぱっ、と笑顔が花咲いた。

「湯原さん、お花の活け方が優しくて、すてきだなあって想っていたんです。あの…こんど教えてください、」
「ありがとうございます。でも俺の活け方は茶花が元だし、クラブの流派と違うんですけど、」

…褒めて貰えるの嬉しいけれど、気恥ずかしいな?

すこし首筋が熱くなってくる、だって自分は父と母に教わった程度なのだから。
けれど彼女は嬉しそうに笑って言ってくれた。

「あの流派より、湯原さんのが好きです…あ、」

言って、彼女の顔が真赤になった。
なんだか自分でも驚いたように、慌てて彼女は手にした純白の花ごと頭を下げた。

「失礼します、またお願いします!」

くるり踵返して、彼女は廊下を走るよう歩き出した。
その後ろ姿は恥ずかしそうで、けれど楽しそうにも見えて、こっちも楽しくなってくる。
制服の肩越しのぞいた夏椿の、あざやかな純白がゆらいで灯火のよう。
あの清楚な花が灯してくれた、彼女の笑顔が嬉しい。

…お花って、いいよね

心こぼれた想いに、花や植物への想いが温かい。
この温もり抱いて踵返して、ふと廊下の角を見た周太は目を大きくした。

「英二?そんなところで、なにしてるの?」

角の壁際から、白皙の貌がこっちを見ている。
その顔が困ったよう泣きそうな目で、スーパーの前で待ち惚けたゴールデンレトリバーにそっくり。
いつ戻ってくるの?このまま置いて行かれたらどうしよう?そんな目で、端正なスーツ姿がこちらを見ている。
けれど、どうして今、ここに英二がいるのだろう?

英二は秩父奥多摩連続強盗犯の夜間捜索に就くため、1時間ほど前に学校を発った。
授業が終わってすぐ、クラブが始まる前に、スーツ姿で発つ英二と藤岡を校門まで見送っている。
それなのに、どうして今ここに英二がいるの?不思議に思いながら周太は、婚約者の元に歩み寄った。

「なにか忘れ物したの?どうしたの?」
「…うん、登山図を忘れて、」

並んで歩きだしながら、ぼんやりしたトーンで綺麗な低い声が応えてくれる。
いったい英二は、どうしてしまったのだろう?首傾げながらも周太は微笑んだ。

「じゃあ、一緒に寮に戻れるね?見て、英二、今日は夏椿を活けたんだよ、」
「うん…」

生返事に花を見つめて、切長い目は微笑んでいる。
その眼差しは相変わらず実家の近所のレトリバーにそっくりで、周太は気がついた。

…あ、さっきの人との会話、聴いちゃったのかな?

もしかして誤解しているのかな?
そう考え込んだ時、綺麗な低い声が訊いてくれた。

「周太、さっき、好き、って言われていたよな?」

声に見上げると、切長い目は泣きだしそうでいる。
やっぱり何かを誤解して悄気てしまった、そんな哀しい顔がなんだか可愛らしい。
こんな顔は初めて見るな?すっかり可愛くなっている恋人に周太は笑いかけた。

「ん、俺の花の活け方が好きなんだって、言ってくれたよ?」
「あ、…そういうこと?」

ほっとしたよう微笑んで、切長い目が和んでくれる。
けれどまた困ったようになって、遠慮がちに低い声が訊いてくれた。

「他には、なんか言われなかった?」
「ん?…あ、彼女いますか?って訊かれたよ、」

かつん、
長い脚の革靴が止まって、スーツ姿が立ち止る。
ひとつ息呑んだ唇は、そっと怯えるよう開くと尋ねてくれた。

「…周太、なんて答えてくれた?」

この質問は、ちょっと恥ずかしい。
けれど今きちんと答えなかったら、英二は落ちこんでしまいそう。首筋に熱昇らせながらも周太は口を開いた。

「ん、あのね…すきなひとはいます、って答えたよ?」

これは本当のことだから。
そんな想いと見上げた先で、端正な貌に笑顔が咲いてくれた。

「それ、俺のこと?」

当たり前でしょ?
そんな心の声に、つい素っ気なく周太は答えて歩き出した。

「ほかに誰かいてほしいの?そんなふうに訊くなんて、しらない、」
「あ、待って周太?ごめん、怒らないで?」

困ったよう言って追い縋ってくれる。
こんなふうに追いかけてくれることが嬉しい、そして一昨日の夜を想い出す。
あの夜に英二の涙を見つめてから、ずっと考え続けているから。

…どうしたら英二を、もっと安心させてあげられる?

こんな願いは、本当は烏滸がましいのかもしれない。
英二の哀しみの原因は「周太が父の道をたどること」そう解っていながら自分は止めないのだから。
いま英二が怯え始めた「離れる日」を失くす道、その選択肢を自分は選べないのだから。

もう自分は父の道に立った。
それなのに途中で止めたら、父の真実を知らないままなら、必ず後悔するから止められない。
どうしても父の軌跡に立ちたい、父が生きた想いを探しに行きたくて、危険な道でも進みたい。
なぜ父が死んだのか?その真実の向こうに消えた父の想いを見つめたい。

こんな意地と選択は、本当は無意味で愚かなのかもしれない。
こんな意地は捨ててしまえばいい、すべて忘れてしまえばいい、そう思ったこともある。
ただ最愛の隣に幸せだけ見つめて生きたい、そんな本音に辞職を願ったこともある。

けれどもう、14年前の後悔を償うチャンスを失いたくない。
こんな自分でも男として、父の子としての誇りがある、そのために14年を生きてきた。
もう後戻りなんて出来ない、もし辞めたら怯懦が心蝕んで、きっと生涯を後悔に生きるだろう。
こんなに英二を愛している、苦しめてしまうと解っている、それなのに意地と誇りに止められない。

どんなに愚かでも、幼い決意でも、この命を懸けた選択をどうして捨てられるというの?

こんな自分は愚か者、それなのに英二は求めて傍にいてくれる。
ずっと一緒にいたいと願って、ほら、今も追いかけて縋る眼差しで見つめて。
こんな目をしてくれる人を自分は、いつか引き離してしまう瞬間が来る。それが罪ではないかと迷う。
それでも与えられたものならば、もう潔く覚悟するしかない、受けとめる道を探すしかない。
この覚悟以上に「愛しい」本音を傷みごと見つめて、周太は愛するひとに微笑んだ。

「急がないと、英二。本当なら今頃は、河辺に着いている頃でしょう?…遅刻しちゃうよ、」
「ありがとう、周太。でも大丈夫だよ、」

嬉しそうな笑顔が咲いて、隣から覗きこんでくれる。
ほら、声かけただけ、視線向けただけ。それなのに、こんなに嬉しそうにされることが、途惑う。
途惑うまま嬉しくて、けれど心配を見つめて、昨夜の涙を想い出して心が傷んでしまう。
それでも「今」こうして隣歩けることが幸せで、微笑んで周太は自室の扉を開いた。

「英二、校門まで一緒に行くね…花だけ置いてくるから、」
「うん、ありがとう周太、」

微笑んで返事しながら、長い指の手が扉を掴んで長身を挿みこむ。
すこし首傾げて見つめてくれる視線が、どこか熱くて緊張してしまう。
すこしずつ首筋に熱昇るのを感じながら花を置くと、周太は廊下に出て扉を閉めた。

「英二、忘れ物は?」
「うん、今から取りに行くよ、」

素直に返事して隣の扉を開くと、長い指が周太の肩を抱き寄せた。
そのまま部屋へと惹きこまれる、そして扉は閉じられて鍵が掛けられた。

「周太、」

嬉しそうに名前を呼んで抱きしめて、幸せな笑顔むけてくれる。
きれいな白皙の笑顔が近寄せられる、そして唇にキスがふれた。

…あ、

心につぶやく声こぼれて、唇は熱に塞がれる。
やさしい温もりに甘くほろ苦い香がふれこんで、静かに離れてしまう。

「周太に逢えるかな、って想ってたんだ。よかった、逢えて」

嬉しそうに笑って抱き寄せてくれる、その笑顔がまぶしい。
自分に逢えたことを喜んで、こんな笑顔を見せてくれる。それが嬉しくて切なくて、でも幸せになる。
この幸せを今、素直に受けとっていたい。微笑んで周太は口を開いた。

「ん、俺も逢えて、嬉しいよ?明日は待ってるから、気を付けて行ってきてね、」
「うん、待ってて、周太?」

話しながらデスクの登山図を手に取って、鞄に入れる。
そしてドアノブに手を掛けて、けれど振向くと瞳見つめて長い腕が伸ばされる。
ふわり抱きしめられて、また唇に唇かさねられキスになる、体に力が絡みつく。

「愛してるから…離れないで、」

キスのはざま想い零されて、息が止まりそう。
扉の前なんどもキスがふる、もう時間が迫るのに熱は止んでくれない。
こんなにする想いへと不安を見止めて、周太は腕を伸ばし恋人を抱きとめた。

「…英二、」

キスのはざま、名前を呼んで背伸びして、白皙の頬へとキスを贈る。
切長い目がすこし驚いたよう見つめて、その目から幸せが微笑んだ。
その微笑み嬉しくて笑いかけて、周太は約束をした。

「英二、明日は待ってるよ?英二が帰ってきてくれるの待ってるから、だから今夜も気を付けてね?…安心して行って、帰ってきて?」

安心してほしい、待っているから不安にならないで?
そう見つめた先で切長い目は微笑んで、綺麗な低い声が訊いてくれた。

「俺のこと、待っていてくれる?周太、」
「ん、待ってる…約束するよ?」

笑いかけて、また背伸びして唇ふれてキスに約束を閉じ込める。
キスに微笑んで長い腕は抱き寄せて、端正な貌に幸せが咲いていく。
そして漸く腕をほどいて、英二はドアノブを開いた。

ゆるやかに黄昏ふりだす廊下は、影が長い。
影踏みするよう並んで歩いていく道は、あわいオレンジ色の光やさしく温かい。
こんなふうに並んでいる瞬間が愛しくて、ずっと一緒に歩けたらいいと願ってしまう。
そんな想いと戸外へ出て、植込みの木洩陽に足元ゆらされながら歩いた先に、校門は見えてくる。

…もう、見送らないと

ことん、寂しさが心に墜ちてくる。
けれど今それを見せたら英二は行けなくなる、周太は微笑んで恋人を見あげた。

「気を付けて、英二。光一や後藤さんによろしくね?吉村先生にも、」
「うん、伝えておく。行ってくるな?周太、」

綺麗な低い声で名前を呼んで、そして英二は門を出て行った。

ひろやかなスーツの背中が遠ざかる、すこしずつ黄昏の光が濃くなっていく。
やわらかで物悲しい光のなか、綺麗な笑顔が振り返って長い指の手を挙げてくれる。
その手に少し手を振って応えると、優しい笑顔を残して恋人は、角のむこうへと消えていった。

「…あ、」

ちいさな呟きこぼれて、瞳の深く不意に熱が生まれだす。
ゆっくり睫を閉じて熱を闇に見つめる、すこしずつ治まる気配を黄昏の中に待つ。
いま見送った寂寥感が心に谺する、この寂しさは英二の心の欠片だろうか?

…ほんとうにそうならいい、英二の寂しさを少しでも分けて貰えるなら、少しでも英二が楽になるなら…

心の想いに、祈りを見つめる。
そうして瞳ゆっくり披いて、明るい黄昏の向うに空を見上げた。
今、北西の空をながれる雲は、光の黄金に充ちて輝いている。その明るい色彩に目を細め、周太は微笑んだ。

きっと奥多摩は、晴れ。




(to be continued)

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one scene 或日、学校にてact.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-31 04:27:44 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため中盤からR18(露骨な表現は有りません)

言われる想いに、



one scene 或日、学校にてact.3―another,side story「陽はまた昇る」

ふれている唇のキスが、優しい。

かすかにほろ苦い甘い、深い森のような香が抱きしめてくれる。
まだ残る微熱にぼんやりする意識、けれど香とキスの優しさは鮮やかに心へ響く。
もう一度ついばむようキスふれて、静かに唇が離れると、切長い目が瞳のぞきこんで訊いてくれた。

「周太、汗かいてるな?でも、このシャツはもう替えが無いよな、」
「ん、…今着ているのだけ…」

今着ている部屋着用の白いシャツは、英二が贈ってくれた。
これが初めてのプレゼントだった。まだ友達だった初任教養の頃、初めての外泊日に「お詫び」と言って買ってくれて。
それを気に入っていつも着ていたら、恋人になってから同じものを2枚また贈ってくれた。
だから全部で3枚あるけれど、いま他の2枚は発熱の汗に着替えて、これが最後の1枚。

「ごめん、夕方に洗濯しておけばよかったな?俺の持ってくるから、着替えよう、」

言いながらベッドを降りて、立ってくれる。
気遣わせ面倒を懸けることが申し訳なくて、周太は謝った。

「ごめんね、面倒かけて…ありがとう、」
「いっぱい面倒かけてよ?周太に頼られるの俺、うれしいから、」

そう言って笑ってくれた貌は、本当に嬉しそうだった。
扉を開きながら「部屋にいるんだよ?」と微笑んでくれる、そして静かに扉を閉じて、足音が廊下を微かに叩く。
すぐ隣の扉が開く音がして、壁の向こう気配が生まれた優しさに周太は微笑んだ。

…英二の気配って、もうわかる…優しくて、穏やかで…

クロゼットを開く音、閉じる音。扉を開けて、静かに閉める音。
それから廊下を少し遠ざかっていく足音、止まる足音。この歩き方も、もう聴き慣れている。
こんな耳慣れに、どれだけ英二の気配と音に心傾けてきたのかが解かって、自分の本音を見てしまう。

…こんなに追いかけてる、英二の気配を、

いつも傍にいて?あなたが好き、見つめていたい

そんな本音が微笑んでしまう、そしてまた覚悟がひとつ肚に座ってくれる。
こんなふうに英二を想うたびに覚悟になって、必ず生きて帰ろうという意志が強靭になっていく。
だからきっと、この今の初任総合で過ごす2ヶ月は、幸運からの贈り物。
この2ヶ月に幾度も覚悟を見つめたなら、英二の想いを抱きしめ、自分の想いを固めて行けたなら。
そんな2ヶ月の記憶と想いが強い意志になって、きっと自分は帰ってこられる。そんな気がしてならない。

ほら、足音が戻ってくる。
いま扉の前で止まってくれた、もう扉が開く。

「ただいま、周太、」

大好きな声に起きあがると、切長い目が微笑んだ。
その大きな手には洗面器とタオルと、白いシャツを携えている。
抱えた洗面器から昇らす湯気の向こう、優しい笑顔で英二は言ってくれた。

「周太、汗かいたから体拭こう?お湯もあるから、」
「…ん、…ありがとう、」

微笑んで素直に礼を言って、けれどすこし躊躇ってしまう。
だって体を拭くのなら裸にならないといけない、それが気恥ずかしい。
英二とは同性なのだし、友達の頃は何とも思わなかった。それなのに今はもう、いつも恥ずかしい。

…お風呂でも、いつも本当は恥ずかしくて…ロッカーとかも、

途惑うまま俯いて、躊躇って。
けれど長い指が衿元にのびて、ボタンを外し始めた。

「…あ、あの、自分でできるよ?」

驚きながら背を向けようとするけれど、やさしく肩を抑えられてしまう。
切長い目が笑って瞳のぞきこんで、楽しげに英二は言ってくれた。

「俺がしたいんだ、だから好きにさせて?周太、」
「でも…、」

でも恥ずかしいのに?
そう言いたいのに何だか声が出ない、代わりに鼓動が大きくなってしまう。
この音に気付かれることも恥ずかしい、そんな躊躇いのままボタンは全て外されて、コットンパンツのボタンも外された。

「…周太、」

そっと呼ばれた声が、宝物のように響く。
どうしてそんな声で呼ぶの?そう見上げた唇に唇がふれた。

「脱がすよ、周太、」

キス離れて、白皙の手がシャツの肩に掛けられる。
するり肩からシャツが脱げ落ちて、腕から抜かれてしまう。
汗ばんだ肌ふれる夜の空気が優しくて、ふれる視線が熱くて、なにか困惑させられる。
そんな困惑に座りこんだ体へ身を寄せると、きれいに英二は微笑んでくれた。

「周太、すこし腰を浮かせるよ?肩に抱きついて、」
「…あ、はい、」

言われるまま素直に肩に腕を回す。
そのまま腰へと白皙の手を回されて、コットンパンツが下着ごと脱がされた。

「あっ、」

ちいさな短い声が叫んで、首筋から頬まで熱が駆け昇る。
けれど綺麗な手は躊躇わず引き降ろして、周太の脚を夜の空気に晒せた。

「…っ、」

全ての衣服が脱がされ、素肌の全身が恥ずかしい。
恥ずかしくて布団を引き寄せようと手を伸ばす、けれど長い指の手に絡め取られてしまった。

「周太、体を拭くんだから、隠したらダメだろ?ほら、拭かせて、」

綺麗な笑顔がほころんで、幸せそうな声で言ってくれる。
でも返事が出来ない、もう恥ずかしくて声も出ない、だって今、シーツに座りこんだまま、全身の素肌を晒している。
恥ずかしくて、きっと顔も真赤になっている。けれど隠すことも許されないままに、熱いタオルが肌にふれた。

「きれいな肌だね、周太は。ほら、気持いいだろ?」
「…はい…」

返事する声は小さくて、けれど、これでも精一杯。
もう今恥ずかしすぎて声も喉に空回る、それなのに熱いタオルは素肌を楽しげに拭いていく。
耳元から首筋、うなじ、肩、腕、背中。胸元から腰回りへと熱い感触が降りてしまう。

…こんなこと、夕方もされていたの?…眠っている間に、

きっとそうだろう、けれど恥ずかしくて聴けない。
もう恥ずかしくて堪らない、けれど熱いタオルは脚へと触れて、拭いていく。
そして洗面器の湯にタオルを搾り直すと、切長い目が周太を見つめて、優しい声が言った。

「周太、横になって?大切なとこ拭くから、」
「…え、」

大切って?

そんな問いかけは喉から出ないで、もう長い腕がベッドに体を横たえさせ、仰向けにさせる。
そして熱いタオルが体の中心を、丁寧に拭い始めた。

…あ、…いや、…っ、

心こぼれてしまう呟きが恥ずかしい、唇から零れたらどうしよう?
こんな不安に掌でそっと口元押えて、熱い感触に耐えていく。

「周太、気持ちいい?…ここも拭くよ、」

きれいな低い声が告げて、長い指の手が周太の脚を開かせる。
そんなところまで拭かれて、見られてしまうの?

「…まって、えいじ…っ、」

止めようとした言葉が喘ぎそうになって、掌で口元を押えこむ。
こんなに丁寧に体を拭いてくれる気持ちは嬉しい、けれど恥ずかしすぎる。
どうしたらいいの?そう困惑するのに、されるがまま体は拭かれていく。

「周太、こんどは後ろを拭くよ?」

綺麗な低い声が告げて、そっと体が俯せにされる。
そのまま熱いタオルは拭きあげて、やわらかい肌が長い指に開かれた。

「…っ、あ…」

思わずこぼれた声を、掌で押さえこむ。
やわらかな肌の奥に夜の空気がふれて、視線がふれている。
そこへと熱いタオルが降りて優しく拭われてしまう、その感触が恥ずかしい。
そんな恥ずかしさに耐えている耳元に、そっと低い声の囁きが微笑んだ。

「周太のここ、可愛いね…好きだよ、」

声と共に、肌の奥に温もりがふれる。
タオルとは違う感触、やわらかな潤う熱が優しく肌の奥をふれていく。
この感覚は知っている、それを今されていることに驚いて、周太は肩越し振向いた。

「…あ、あの、なにしてるの?」

振向いた肩越しの向こう、腰の辺りにダークブラウンの髪がゆれている。
肌の奥への温もりが拭うよう触れて、ゆっくり白皙の貌がこちらを見、微笑んだ。

「拭いてるんだよ?ここも、」

綺麗な声に連れられた長い指が、やわらかい肌の奥へと触れてしまう。
指先の感触に呼応して肌がふるえて、ふるえに惹きこまれるよう指が挿し入った。

「…っ、だめ、えいじ…っ、あ、」
「だめじゃないよ、周太…可愛いね、」

綺麗な低い声が微笑んで、長い指は深く入ってしまう。
体の深くで指が動くと感じる、素肌の腰に手が掛けられ捲られ、熱が体の真芯に絡みだす。
途惑うまま見る視線の先、端正な唇が愛しむよう敏感をなぞって、熱いトレースが感覚を包んでしまう。
こんなことになるなんて?驚きと躊躇いのまま途惑って、けれど長い指も唇も止まってくれない。

「まってえいじだ…っん、」

止めようと開きかけた口を、優しい長い指が抑え込む。
切長い目が見つめて微笑んで、英二の体から白いシャツが脱げ落ちた。

「ごめん周太、ふれるだけだから…赦して、」

懇願する眼差し切ない、願う声も切なくて、拒めない。
脱げ落ちた白いシャツに口許を縛られて、言葉を奪われていく。
そして周太の体を白皙の肌は覆って、熱い唇が素肌をなぞりだした。

「きれいだ、周太…ここも、可愛い、」

声が胸元にとまり、熱いキスから舌が絡みだす。
くすぐられるような感触はしる、けれどすぐ甘い感覚に変わって、意識が蕩けはじめていく。
長い指の掌が素肌を隈なくふれる、掌を追うよう唇と舌が全身をなぞる。もう、体ごと心も奪われてしまう。

…きがえるだけ、だったのに…

心のつぶやき零れて、意識が蕩かされる。
もう与えられる甘美な感覚に奪われるまま、愛するひとに身を委ねてしまう。
ほら、もう体の芯を咥え呑みこまれて、丹念な愛撫に晒される。

「…っ、ん…ぅ…っ、っ、」

唇から喘ぎがこぼれて、けれど白いシャツに塞がれる。
長い指も唇も、さっきふれた肌の奥にふれて、愛しんで、ほどいていく。
感覚が迫り上げて体の芯から蕩かされる、もう、なんだか解からなくなってしまう。
そうして全身を恋人に捧げきったとき、ようやく体は大きなシャツに包まれた。

「周太、ごめん、」

哀しげに謝ってくれる、けれど幸せそうな笑みは隠しきれていない。
それでも理性の部分は困っている、そんな顔で英二は周太の顔をのぞきこんだ。

「ごめんね、周太。具合がよくない時に、こんなことして…怒るかな?」
「おこらないけど…でも、すごくはずかしかったよ?…えいじのえっち、」

素直に思ったままを言って、周太は微笑んだ。
微笑んだ先で綺麗な笑顔が幸せに咲いてくれる、そして英二はすまなそうに言ってくれた。

「本当に俺、着替えさせるだけのつもりだったんだよ?でも、周太の裸を見たら、つい…ごめんな、」
「えっち、…あの、でも夕方はみただけなんでしょ、」

訊いてみた視線の先、婚約者は困った顔になってしまう。
どうしたのかな?そう見つめた先で白皙の貌は、薄紅の花のよう染まった。

「ごめん、周太?ほんとのこと言うと…ちょっとだけしました、勝手に、ごめん、」

どうしてこんなに英二は、えっちなの?

「えっちえいじ…あの、そんなにみたいの?」
「うん、見たいし触れたいよ?大好きだから体も知りたい、体ごと愛したいよ?」

さらり笑って答えてくれる、その笑顔は綺麗で、幸せがまばゆい。
こんな貌を見せてくれるなら、この今ひと時を委ねて幸せな笑顔にしてあげたい。
ほんとうはこんなことを、この場所ですることは禁じられている。だからリスクがあることだと解っている。
そう解っているけれど時間は止められない、もう別れは迫っていると知っているから。
この別れに、恋人の心も体も震え始めたことを、知っている。

…どんなことでもいい、このひとが今、すこしでも幸せに笑ってくれるなら、出来ることは叶えてあげたい

この祈りのまま、どうか居られる限り傍にいたい。
ひとつでも多くの幸せを、愛しい婚約者への贈り物にしたい。
その幸せな記憶を抱いて希望に見つめて、真直ぐ歩んでいけるように。

そしてどうか願っていいのなら、別れの瞬間の向こうには、必ず再会がありますように。
共に過ごしてきた愛しい時間たち、その分だけ与えられた幸せを、どうか、この愛しいひとに自分からも贈らせて?
どうかそのチャンスがほしい、少しでも多く、長く、この愛しい笑顔を温めて癒すことが、自分に出来ますように。
そしてその再会の先には、もう、別離は唯一度きりであってほしい、ずっと隣で幸せにしたい。
この身が滅んで消えていく、その最期の瞬間までを、ずっと笑顔を見つめさせて?

どうかこの大切な、綺麗な笑顔が永遠に、幸せに花咲きますように。
そして願っていいのなら、その笑顔を隣で見つめていけますように。

この祈りに微笑んで、この温かい腕に抱きしめられて、安らいだ夜に眠った。



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第51話 風伯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-30 23:57:40 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため中盤R18(露骨な表現はありません)

風、香らす記憶



第51話 風伯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

温もりが唇ふれて、やわらかく額にも熱ふれる。
ふれる香ほろ苦く甘くて深い謎のよう、けれど穏やかに温かな気配が優しい。
これはよく知っている、近く遠く記憶の泡沫にも香っているから。

…山の森…樹の香だね…それから、

それから、大好きな人の香。

ことりと認識が花ひらいて、ゆっくり睫が開きだす。
やさしい風のよう愛しい香は、静かに頬へ唇へとふれてくれる。
この香の人を見つめたくて開いていく瞳の向こうから、あわい光が頬ふれ額を照らし出す。
まぶしくて睫が閉じてしまいそう、けれど薄く披いていく瞳に優しい影が射して、綺麗な低い声が笑ってくれた。

「周太?…おはよう、」

すこしだけ薄赤い目が、それでも綺麗な微笑みで見つめてくれる。
このひとが自分は大好き、愛しいままに周太は綺麗に笑いかけた。

「おはよう、英二…俺の、はなむこさん?」

呼びかけた約束の名前に、切長い目が大きくなる。
優しい温もりが引寄せ抱きしめて、長い指の掌が頬ふれていく。そして端正な唇が、ふるえるよう言った。

「俺のこと、まだ、そう呼んでくれる?…周太の婿だ、って言ってくれるの?」
「ん…だって、そうでしょう?」

どうしてそんなに、ふるえるの?
そう見つめた先の切長い目に水の紗が張りだして、昨夜の記憶が浮びあがった。

“俺は今…君を殺そうとした、…君を、離したくなくて”

英二は周太の首に手を懸けた、扼殺しようとして。
引き離されることなく永遠の眠りにつくために、永遠に英二のものにするために。
それを犯した自身を赦せなくて英二は今も、ふるえている?そう気づいて周太は、頬ふれる手に自分の掌を重ねた。

「英二?正直に答えてね、ゆうべは一緒に死ぬつもりだった、…そうでしょう?」

言葉に、端正な貌が苦しげに微笑んだ。
哀しい眼差しで薄紅の目が見つめてくれる、そして綺麗な低い声が囁くよう告げた。

「うん…一緒に死んだらもう、離れないで済む。そう想ったから…だから、俺は」

ぽとん、

切長い目から温かい涙あふれて、周太の顔にふりかかる。
見つめてくれる目は薄紅いろ潤んで、涸れぬ涙を知らせてしまう。
こんなふう目が赤いのは、潤むのは、きっと、英二は夜通し泣いていた。

「離れたくない、離れたまま二度と逢えなくなるのが、怖い…だから俺は周太と…身勝手すぎるね、俺は…ずるくて臆病者で…」

告白と一緒に涙が、薄紅の瞳から降り注ぐ。
やさしい温もりの雫はゆっくりと肌を伝う、心のトレースのよう弧を描いて衿元へと墜ちていく。
その軌跡を追うよう周太は、重ねた掌の長い指の手を、静かに自分の喉元へおろした。

「英二?俺はね、英二に命をあげたい、」

告げた言葉に、喉元の長い指がふるえた。

ほら、指は今も怯えているね?
昨夜に自分が犯した罪を、哀しんで悔やんで、けれど本当は望んで。
この指が望むままに委ねても構わない、けれど、この美しい掌に罪は似合わない。

だから今、この命を贈る代わりに、この約束と祈りを贈りたい。
この想いを籠めて周太は、長い指の手に自分の掌を組ませ、綺麗に笑いかけた。

「想い出して、英二?いつか俺の全てをあげる、そう約束したでしょう?だから大丈夫、離れても必ず俺は帰る、」

約束に祈りをこめて、長い指の掌を握りしめる。

この美しい掌は、命と尊厳を救うための掌。
この美しい白皙の指を血に染めても、泥に塗れさせても、命を繋ぎ救っていく。
その真実を自分は、この東京の最高峰で隣から見つめた、そして誇らしかった。
この愛しい掌が、尊い命の救い手であることが誇らしい、そして嬉しい。
だから、この掌を罪に染めさせたくはない。

きっと自分の掌は父と同じ罪に染まるだろう、だから尚更この掌は美しいままに。
この自分の掌は穢れても、この愛しい掌だけはずっと闇の中でも輝いて?
いつか自分は罪に堕ちたとしても、どうか愛しい人は綺麗なままでいて?

この願い微笑んで、長い指の手に自分の手を組ませて、祈りを想う。
この自分の掌に籠められた「竜の涙」あの護りすら、この美しい掌に与えたい。

この自分の掌には富士山頂の雪が浸みこんでいる、これを最高峰の竜の涙と山っ子は言祝いだ。
竜の涙を持つのなら罪に堕ちることなく、永遠に純潔は護られる、そう祈りを込めてくれた。
あの祈りも言祝ぎも、この愛しい掌に全てを与えたい、そして希望を贈りたい。
この願いに祈りを見つめて、周太は薄紅の目へと微笑んだ。

「俺の心も、時間も、全てを英二にあげるよ?そのために必ず帰るよ、だから泣かないで?大丈夫、必ず英二のところに帰るから、」

必ず帰る、この約束なら出来る。

だって家の書斎には父の気配がある、庭のベンチにもある、母のいる家に父の気配はいくつもある。
だからきっと、人は愛するひとの元へ帰れるのだと、自分は堅く心から信じている。
たとえ体を失ってもきっと、心だけは帰ることが出来るはず。そう信じている。

「庭のベンチに、ずっと一緒に座ってくれるのでしょう?あの公園のベンチにも…それから、夏みかんを一緒に採るでしょう?
ずっと一緒に桜を見て、お花見をして…山にも一緒に連れて行ってくれるよね?そして、家も奥多摩に引っ越すのでしょう?庭も一緒に、」

ずっと一緒にいることは、出来る。
この身が滅んだとしても離れないで、ずっと一緒にいるから、だから生きていてほしい。
あなたの温もりが愛しいから、幸せな笑顔が好きだから、生きていてほしい。
だからどうか、信じて?

「ね、英二?たくさん一緒にする約束があるよね、だから俺は帰ってくるから…離れても大丈夫、必ず帰るよ?だから泣かないで、」

ずっと一緒にする約束があれば、きっと英二は生きる。
そのために自分は数々の約束を結んで、この約束を叶える迄はと英二に想わせたくて、そうして生きる理由を贈りたかった。
それに自分は必ず帰ってくる意志がある、生きてこの人を抱きしめるために帰る、その努力をしているから。
だからどうか信じて、笑顔を見せて?

「英二、笑って?一緒にいる約束を結んで、きれいな笑顔を見せて?約束のキスをして?」

願いをつげて、笑いかける。
笑いかけた白皙の貌のむこうから、ゆるやかな暁の光が白くまばゆい朝を昇らせる。
その清澄な光のなかで愛しいひとは、涙の瞳で幸せに笑ってくれた。

「うん、約束する。周太と一緒に幸せになりたい、だから必ず、俺の隣に帰ってきて。約束してよ、周太…、」

約束を告げる唇が、くちづけを優しく近寄せる。
ふれる吐息のほろ苦く甘い熱、この懐かしい香に周太は約束と微笑んだ。

「約束するよ、英二?必ず英二のところに帰るから、信じてね、」

告げた約束に、微笑んだ唇が重ねられる。
やわらかな温もりが唇を包みこんで、確かめるよう求めて、唇から熱がしのびこむ。
ほろ苦くて甘い熱の深い香が充たされる、この愛しい想い交されて、あなたの引力に惹きこまれていく。

「周太…今もまた、絶対の約束をさせて?約束を体ごと確かめさせて、昨夜みたいに、」

綺麗な低い声がキスに囁く、誘惑があまい。
いま服を着せてくれてある、けれど夜は素肌をシーツの上に晒していた。
全身の肌を英二に愛されて、そのまま体を深く繋がれて恋人の瞬間を見つめて、幾度も感覚に攫われて。
そして眠りに堕ちる瞬間は、熱の汗に燻らす深い森のような香と、勁く温かい腕のなかだった。
その瞬間たちはどれもが幸せで、けれど禁じられた場所での行為であることが、心配になる。

…警察学校は、校内の恋愛は禁止だから…英二の名前に傷がついたら、嫌…

この愛しい人の本性は生真面目で、それ以上に直情的な熱が高くて、だから後悔させたらと心配になる。
それでも幸せな瞬間をまた見つめたい気持ちも本当で、この今に与えられるなら受けとめたい本音が疼いてしまう。
そんな迷いを見透かすよう囁く声は、薄紅の眼差しに微笑んで問いかける。

「それとも怖い?…ほんとうはここ、したらダメだし。嫌なら我慢するよ、」
「…ん、すこし怖い…よ?」

あなたに「傷」を付けたくない、これ以上は。だから、怖い。

もう同性の自分と婚約しただけで「傷」だと自分で解かっている、今この国はそれが通念だから。
司法の立場にある警察官だから、倫理が問われることは当たり前。その倫理観に「同性愛」が抵触しないと言えば、きっと嘘。
だから、本当に入籍するには片方が辞職する必要がある、それくらい今はまだ秘さなくてはいけないのに?
そんな想いと見つめた切長い目は視線逃がさずに、端正な唇が微笑んだ。

「周太が嫌なら、無理にはしないよ?でも、キスだけは赦してよ…ほんとうに今、周太にふれたい、」

見つめる視線を絡めたままに、美しい誘惑が囁く。
濃い睫の翳おとす眼差しは優しい熱、心へ響かす声ほろ苦く甘い、秘密の呪文のよう。
この秘密に隠して受け入れてしまえば良いの?そんなふうに呪文が心惹きこみだす。

…カチッ、カチッ…

ふと聴こえだす時計の音、それから降りそそぐ窓の光に、朝の訪れを見る。
この明るい光と眠りの消える時に、この秘密破られることが怖くなる。
けれどこの惑いまで恋人は、キスと囁きに剥ぎ取った。

「まだ4時半だよ、2時間はある…まだ誰も目覚めない、ふたりきりの時間だよ、周太?…ふれさせて、」

ふれあうキスのはざまから求めて強請ってくれる、この願いをどうして拒めるの?
もう命すら惜しくないと想ってしまうのに、この身ひとつ何だというの?
この今の瞬間を抱きしめたいと願うのは、あなただけじゃないのに。
その想い正直なままに、周太は微笑んだ。

「ん…声をなんとかしてくれるなら…痕をつけないなら、して?…夜みたいに、」

許しを、告げてしまった。
この告げた許しは赦されるの?そう迷う気持ちも本当は傷んでしまう。
それでも昨夜に見つめた恋人の哀しみに、この今の瞬間を与えてしまいたい。

…英二?今、時間が怖いんだね…異動の時が来て、離れる瞬間が、怖い…

人が離れなくてはいけない時、残すより、残される方が辛い事を自分は知っている。
残す方は立ち去って新しい場所へ行く、けれど残される方は去らず留まり続けることになる。
留まる場所には去った人の記憶が鏤められて、記憶を見るたび「失った」欠落を見てしまう。
この欠落を思い知る瞬間が痛い、だから英二が心配になる、苦しみを知っている分だけ心配で堪らない。

その瞬間の痛みに耐えかねて自分は、こうして父の道を選んでしまった。
欠け落ちた大切なピースを拾いたい、それだけを望みにして生きると決めたのは14年前、この14年の傷みは楽じゃない。
この傷みを英二に知らせたくない、だから帰りたい。それなのに英二はもう、まだ自分がいるこの今から傷みに怯えている。
そんな怯えにありながら、けれど綺麗な低い声は幸せに微笑んだ。

「ありがとう、周太…痛かったら、言ってくれな?」

告げてくれる言葉、声のトーン。その全ては幸せと困惑が入り混じる。
ほんのすこしの躊躇い震える声、けれど身を起こして英二は自らのシャツの、衿元に手を掛ける。
迷わない美しい長い指は、ひろやかな胸のボタンを外していく。
けれど眼差しは、なにか迷いに揺らぐよう哀しみが痛い。

こうして求められる仕草の1つずつに、英二の抱える苦しみが哀しい。
哀しくて、どうしていいのか解からなくて。それならせめて求められるもの全て、与えられるものなら与えてしまいたい。
だから求められるまま今、この体も与えてしまいたい。そして束の間でも幸せの夢に溺れて、傷みを忘れてほしい。
そして願えるのなら、少しでも多く幸せを感じて、その苦しみを和らげ乗り越えて?

そんな祈り見つめる真中で、長い指の手はシャツの衿元を寛げ、肩を露にみせていく。
そしてシャツは恋人の肩から墜ちて、白皙の肌が暁に輝いた。

「支度がいつもより出来ないから、ごめん。蹴飛ばしても良いからな?」

すこし困ったような笑顔は幸せで、始まる時へと声は微笑んでいる。
ほら、こんなに嬉しそうにされたら、もう拒めない。その想い微笑んで周太は頷いた。

「はい…、」
「可愛いね、周太は…優しくするから、」

優しいキスが唇ふれて、恋人の時の始まりを告げる。
キス離れた唇に白いシャツを噛まされて、言葉は奪われて。
奪われた言葉の代わりのよう、感覚があざやかに肌を覆いだす。

ほら、いま、服が脱がされる、その長い指が時惜しむよう、この肌ふれていく。
ほら唇が素肌にふれる、その熱の甘さに求める痛切が刻まれて、想いの深さを知らされる。
長い指が体の中心を探る、ふるえる感覚が芯から支配を始める、ほら今もう秘められた所に吐息が触れる。

「…っ、」

噛んだ白いシャツに喘ぎが塞がれる。
けれど感覚は塞がれること無く鮮やかで、あざやかなまま自分を奪いだす。

いま熱い唇が何をしているのか、見えなくても肌が教えてくれる。
いま熱い舌が何を味わおうとするのか、与えられる感覚へと熔けだしていく。
いま長い指は自分にふれて潜りこんで、体の中から甘く責めるよう求めだす。

「…周太はきれいだ…どこも可愛くて、好きだよ…もっと感じてよ、俺のこと、」

綺麗な低い声が、誘惑の呪文をかける。
呪文のまま体がほどかれて、もう動けない、ほら、灼ける熱が体へと挿しこまれだす。
入りこんでいく熱に甘い感覚が責めはじめる、白いシャツ噛む唇から喘ぎが浸みだしていく。

「…ぅっ、ん…っ、…」

深くから灼かれていく熱に、恋人の想いが刻まれる。

どうしてこんなに想ってくれるの?
どうしてこんな深くまで触れ合いたいの?
どうしてこうまで求めて繋がって、融けあいたいと、願ってしまう?

こんなに求めてくれる想いが切なくて、瞳の奥に熱が生まれてあふれだす。
この体を強く抱きよせる腕の優しい情熱に、心の芯から灼かれて消えてしまいそう。
刻々と迫る離れる瞬間、その迫る時に英二が抱く不安と苦しみが、肌の熱を透して注がれる。

「…っ、しゅうた…愛してる、離さない、」

全身を覆う熱が抱きしめる、その腕が1つほどけて髪を抱かれる。
抱かれた髪に絡まるシャツの結び目が、長い指に解かれて唇が解放されてしまう。

「…っあ…えいじ…、」

こぼれた喘ぎに、熱い唇かさねられる。
くちづけに喘ぎ塞がれながら、抱きしめるひとの熱が入りこんで、熱い。
あまい熱に奪われながら見つめた瞳は、薄紅のまま微笑んだ。

「お願い消えないで…離れないで…周太、」

キスと熱のはざま零れだすのは、本音。
いつも隠して微笑んでいる想いが、甘く熱く蕩けて唇ふさぐ。
本音の熱そそがれる、甘いキスで灼かれる心に涙、こぼれる。

こんなに自分は哀しくて。
こんなに恋人が心配で愛しくて、ほら、心が砕けそう。
それなのに自分はもう、選んだ道を引き返そうと想えない、父の道を辿ることを止められない。
どうしても父の想いを知りたくて、父の願いを拾い集めて叶えたくて、そのために危険を知っても道を進んでしまう。
ほんとうに大切な父、いまも愛している、この想いは終わらない。だからもう進むしかないと決めている。

それで自分は良いだろう、けれど残していく英二の想いを、どうしたらいいの?
すこしでも英二の哀しみを消したくて、孤独を失くしたくて、自分は大切な幼馴染に願っている。
あの美しい山っ子なら英二と寄添える、そう信じているから2人の絆を望んで、その通りに2人は想いを交わし始めた。
それなのに、どうして英二はこんなに今も、周太を求めて泣いてしまうのだろう?

「…周太…きみだけが、恋しい…離さない、」

ほら、囁きは甘く熱い、前よりも温度が高くなっている、どうして?



デスクライトの元で開くファイルから、ふと目をあげる。
クライマーウォッチのデジタルは23:00を示していた。
見止めた時刻に驚いて、周太は首を傾げこんだ。

「…どうしたのかな、」

いつもなら英二は点呼の後、光一との電話を終えたら来てくれる。
今夜はどうしたというのだろう?そんな考えには思い当たることが多すぎて、心配になってしまう。
昨夜と今朝と目の当たりにした、英二が抱いた「時」の不安は痛々しくて。このまま独りにすることが怖いほどだった。
きっと、間違えば英二は絶望してしまう。その可能性が怖い。

「ん、」

ひとつ頷いて決めると、周太はファイルを閉じた。
ファイルを書架に戻して携帯電話と鍵を持って、デスクライトを消す。
暗くなった部屋の扉開いて、鍵を掛けるとすぐ隣の扉をノックした。

こん、こん…

叩いた扉の向こう気配が動く、そしてすぐ英二は扉を開いてくれた。
見上げた貌は思ったより落ち着いている、ほっとして周太は微笑んだ。

「英二、部屋に入っても良い?」
「もちろん、」

笑って肩を引寄せて、部屋に入れてくれる。
閉じた扉を施錠すると英二は、こちら向いて謝ってくれた。

「ごめん、周太。時間が経ったの、気づかなくて、」

綺麗な低い声が言ってくれる、その傍らデスクには登山図が広がっていた。
もしかしたら強盗犯の件だろうか?予想を想いながら周太は訊いてみた。

「ん…登山図を見ていたの?」
「そうだよ。明日は夜間捜索だから、ルートを頭に入れてたんだ、」

答えながら嬉しそうに笑って、長い腕に抱きしめてくれる。
けれど言われた言葉に心配になってしまう、無事祈るままに周太は婚約者へ言った。

「夜に?…気を付けてね、英二も、光一も、」

夜間の山は視界も悪く、野生獣の遭遇も怖い。
しかも今回の夜間捜索は今、秩父奥多摩山塊を彷徨する強盗犯の逮捕が目的になる。
もう2ヶ月ほど山を犯人はさすらっている、その精神状態を思うと逮捕時に暴れ出す危険も高い。
それでもどうか無事で任務を果たしてほしい。そんな願いに見上げた周太へと、英二の唇からキスが贈られた。

「ね、周太?今夜もさせて、って言ったら怒る?」

なにを「させて」なのか、さすがの周太でも解かってしまう。
昨夜も今朝もしたことを英二は今夜も願ってくれる、そんなに求められて途惑ってしまう。
こういうのは嬉しい、けれど英二の今後を想うと心配で、熱くなる首筋を気にしながらも周太は、微笑んで断った。

「…おこらないけど、ゆうべみたいのはだめ…そういうの今夜は我慢して?」
「どうして今夜は、我慢しないとダメ?俺のこと嫌いになった?」
「嫌いになんてならないよ?大好き…」

答える周太の瞳を、すこし困ったよう微笑んで英二はのぞきこんでくれる。
その笑顔にも言葉にも、昨夜のことが映りこんで切ない想い心に染み出してしまう。
どうか、そんな不安にはならないで?そう見つめて周太は言葉を続けた。

「だって今夜を我慢したら、がんばって土曜日は帰りたくなるだろうな、って…」

明後日の土曜日、英二は川崎の家に帰ると約束してくれた。
けれど明日の夜間捜索の結果次第では、帰ることは難しくなるだろう。
そう解っているけれど、だからこそ「帰りたい」と願わせて英二の無事を祈りたい。
そんな想い見つめる先で、英二は頷いてくれた。

「うん、頑張って土曜日に帰れるようにするよ?もし土曜に帰ったら、好きなだけさせてくれる?」

すぐ笑って答えてくれた英二は幸せそうで、可笑しそうに笑っている。
一体どうしたのかな?不思議なまま微笑んで周太は質問をした。

「どうしてそんなに、笑っているの?」
「俺は変態で色情魔だな、って自分で自覚したのが可笑しいんだ、」

可笑しくて笑いながら、温かい懐に抱きしめてくれる。
優しい温もりに安らぎながら、重ねて訊いてみた。

「しきじょうまって、なに?」
「セックスが大好きすぎる、ってことだよ?俺にぴったりだろ、特に周太に対してはさ、」

いまなんていったの?

言った言葉に、瞳がひとつ瞬いた。
すこしの首傾げて考え込む、けれどすぐ意味に気付いて顔が熱くなった。

「…っえいじのへんたいえっちちかんっ…ばかえいじ、」

ほんとうになんてこというの?もう、ひとのきもしらないで

こんなこと言われたら困ってしまう、けれど求められることは嬉しい。
そんな嬉しさに昨夜も今朝も香った、深い森の香に汗の熱が混じる瞬間がよみがえる。
あの瞬間の英二の眼差し、声、吐息、そして響く想いが切なくて、離れる「いつか」が不安になってしまう。

…だからこそ今を、幸せにしたい。一緒にいられるうちに、ひとつでも多く、

この願い微笑んで見つめる先、きれいな笑顔が咲いてくれる。
そして英二はライトを消すと、長い腕に周太を抱きしめてベッドに潜りこんだ。

「変態でごめん、でも、ずっと一緒にいて?約束だよ、周太、」

約束にねだって微笑んで、愛しいひとのキスが贈られる。
ふれるキスの温もりに柔らかさに、昨夜と今朝の感覚がよみがえっていく。
そして、愛しい瞬間たちの想いが染みだして、この心も身も浸される傷みと歓びに涙、こぼれそう。

こんなことは少し可笑しい、だって「変態でごめん」だなんて言われたのに?
それなのに愛しい言葉に変わるのは、「ずっと一緒にいて」という約束の魔法だろうか。

もう独りではどこにも行けない、そんな覚束無い自分になってしまう、この優しい束縛が愛しくて。
この束縛の愛しさが強い風のように、きっと自分を攫いこんで帰り道も示してくれる?
そんな確信すらしてしまう、そんな想いに瞬きは、涙を籠め納めていく。
この涙は今は流さない、静かな覚悟に周太は微笑んだ。

「ん、ずっと一緒にいるよ?英二、約束したから信じていてね?」

きっと自分は帰ることが出来る。そう、信じる。





(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.3―side story「陽はまた昇る」

2012-07-30 05:00:40 | 陽はまた昇るside story
言わせてほしいから、



one scene 某日、学校にてact.3―side story「陽はまた昇る」

眠りの底、腕の空虚に醒まされる。

この腕に抱いていたはずの、温もりが消えた。
この消失に瞳が披いて見つめた隣には、いるべきはずの姿が無い。
そっと触れたシーツは冷えて、体温の名残すら消えている。
ただ微かに、オレンジの香だけが残されて。

「…周太?」

名前を呼んで、身を起こす。
けれど応えてくれるはずの、恋しい声は聴こえない。
視界に愛しい姿は映らない、ただ薄暗い夜の静謐だけが充ちている。

確かに自分は眠り落ちる瞬間に、無垢の寝顔と長い睫を見つめていた。
この頬には黒髪やわらかに撫でて、穏やかで爽やかな香が心地よくて。
おやすみのキスふれた唇は温かく優しくて、オレンジの香があまく蕩けて幸せだった。

それなのに、なぜ、いない?

「周太、」

もう一度、名前を呼んで床へと足をおろす。
固い床ふれる温度も冷たくて、誰かが歩いた気配すらも消えている。
立ち上がりカーテンを開く、けれど窓の鍵は掛かってベランダには誰もいない。
振り向いて部屋を見る、壁のハンガーからジャージは消えていない、ベッドサイドの腕時計もある。
クロゼットを開いても衣服は全てある、靴も全部揃っている、鞄もある。

「…っ、」

クロゼットの扉を閉じて、デスクを振り返る。
その書架からは、周太の宝物の本は消えていない。ファイルも全てある。
デスクの上には2つの携帯電話も置いたまま、けれどスポーツドリンクが消えている。

「…起きて、飲んで…?」

ゴミ箱を見ると空のペットボトルが収まっていた。
そのまま視線を床に動かすと、スリッパが無い。

「財布と鍵、」

デスクの抽斗を開いて、いつもの場所を見る。そこに鍵は残されていた。
けれど財布が、無い。

「…っ、」

扉の把手を掴むと、そのまま開かれる。
鍵が掛けられていないドア、消えている財布とスリッパ、そして、消えた恋人。

―自販機?…それとも、まさか、

きっと自販機に飲み物を買いに行った、それが「普通」だろう。
けれど周太の置かれた状況は普通ではない、その現実に心が冷たく撫でられる。

「…しゅうたっ、」

2つの携帯を掴んで靴を履き、そのまま廊下へと英二は出た。
後ろ手に扉を閉じて廊下を見渡す、けれど薄闇だけが青く充ちるだけ。
吐息の気配もなく眠りに落ちた空間は、何の音も聴こえない。

―どこへ、

自販機の方へと歩き出す、その先を薄青い闇が照らしている。
どこか非現実的な青い闇光は、深夜の氷壁を想い出させて心を零下へと浚いこむ。
まだ昏く冷え切った空気のなか、ピッケルを蒼い氷に刺して登っていく、あの冷厳の時間。
あの瞬間たちは頂上を目指す熱が心温めて、まだ見ぬ場所と時間への想いが生きて、幸せになる。
けれど今はただ、不安の冷たさと焦燥の灼熱だけが、指先を凍てつかす。

まさか、と思う。
まさかまだ捕まえには来ない、そう考えている。
幾らなんでも早すぎると、まだ初任総合の研修中だからと、理屈で心を言い負かす。
きっと必ず来る「いつか」その予兆も気配も、蠢きも、自分は見落としてはいないはず。

けれど自分が全能ではない事も、誰よりも自分が知っていて。
だから本当は、いつも怖い。いつも自分のミスがあるのではないかと、怖くなる。
もう周太は「ページが欠けた本」に隠されたメッセージの存在に気付いた、自分のミスで。
そのことが今、不安と焦燥になって胸を凍らせ灼いていく。

『Le Fantome de l'Opera』

あの紺青色の本に隠された、落丁と『Fantome』の意味を、もしも周太が知ったなら?
もしも周太が「家」に絡まる忌まわしい連鎖と、存在を知ればどうなる?
もしも周太が、祖父の犯した50年前の真実を知ってしまったら?
そして父の死と真実を、全て周太が知ってしまったなら?

この「もしも」の先に起きることは、なに?
この「知る」ことが周太の心に、何をもたらすだろう?
まだ「いつか」が捕まえに来なくても、もし「知る」ことがあったなら?

そうしたら周太は、周太自身を、どうするのだろう?

この問いへの答えが怖くて、ずっと怯えている自分がいる。
ずっと怯えて怖がって、なんとか知らせたくないと防御線を幾重にも張りたくて。
そうして護っていたい、ずっと伝えたい想いを言い続けたいから、自分は全てを懸けている。
言いたい想いは唯ひとつ、この唯ひとつの為になら、他は本当はいらない。

―どうか無事で、ただ自販機に行っているだけでいて…

苦しいほど祈る想いと、歩いていく足音が速くなる。
もどかしく焦るまま靴音は響いて、薄青い闇を見つめて音を探す。
どこかにスリッパの音が聞こえてほしいと、祈る想いに闇を透かして歩いていく。

…たん、

今、聞えた?
微かな音に心が動いて、音を透かし見る。

…たん…たん、

ゆっくりとした歩き方、このトーンを自分は知っている。
この音が響いてくる方角は、自販機がある場所。

「周太、」

名前つぶやいて、足の運びが速くなる。
心臓の鼓動と同じビートに進む足音が、みるまに視界を薄闇の向こうへ連れて行く。
そして公衆電話の角を曲がったとき、小柄な白いシャツ姿が見上げてくれた。

「周太!」

呼んだ名前に、黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
微笑を見つめたまま長い腕を伸ばして、白いシャツの肩を抱きしめる。
そのまま抱きあげ頬よせて、ふれた温もりに漸く心が充たされ、吐息が微笑んだ。

「…いなくなっていたから驚いたよ?周太…」

低めた声で言って、大切に抱えたまま静かに歩きだす。
もう見失いたくなくて離せない、抱きしめて誰からも隠してしまいたい。
すこし足早に進んでいく腕のなか、周太はすこし俯いて言ってくれた。

「…ごめんなさい、驚かせて…飲みもの、ほしかったから、」

その理由で、良かった。

いま自分が恐れていた理由には、周太は辿り着いていない。
いま言ってくれた理由は本当なのだと、周太が抱える2本のペットボトルが教えてくれる。
きっと英二の分も買ってきてくれた、そんな優しい気遣いと無事が嬉しくて英二は微笑んだ。

「…うん、足りなかったんだな?ごめんね、周太、」

低く応えながら、そっと扉を開いて部屋に入る。
そのまま静かに閉じて鍵をかけて、ベッドへ周太をおろすと、スリッパを脱がせた。
そんな英二に困ったよう、大好きな声が微笑んだ。

「そんなこと、自分で出来るよ?」
「俺がしたいんだ、周太のことは、」

脱がせたスリッパを揃えた手が、すこし震えている。
微かな震えを軽く掌握って消して、腕を伸ばすと2つの携帯電話をデスクに戻した。

かたん、

ちいさな音が鳴って、並んで2つの電話が置かれる。
いつも離れている時には声を繋いでくれる、その感謝に微笑んで英二は振向いた。
振向いた先、黒目がちの瞳が見上げてくれる。その瞳に笑いかけて英二は、伝えてみたいことの1つを口にした。

「シンデレラ、ってあるだろ?」
「ん?…グリム童話とかの?」
「そう、あの話、」

ベッドの隣に腰掛けて、愛するひとの瞳をのぞきこむ。
近寄せた貌は気恥ずかしそうに微笑んで、すこし首傾げて見つめてくれる。
そんな羞んだ様子も可愛くて、愛しさに微笑んで英二は言葉を続けた。

「ガラスの靴で恋した相手を探すとき、あの王子って家来にさせるだろ?でも俺は、自分で探しに行きたいって思った。
好きな人に靴を履かせるなんてさ、俺は他のヤツにさせたくない、脱がせる時もね。自分以外には触れさせたくないから、」

他の誰にも触らせない、必ず君を自分が探し出す。
たとえ君が姿を隠しても、きっと自分は追いかけて、必ず見つけ出す。

そんな想いと笑いかけた隣、周太が微笑んだ。
けれど少し拗ねたように、素っ気ないことを愛しい声は言ってくれた。

「じゃあ英二は、俺のことは好きじゃないんだね?俺のこと光一にだかれてほしいって言ったんだから、」

このこと、もう、勘弁してほしいな?
このことは自分にとって恥で、一番後悔している事だから。
そんな困惑に心を焼かれる自分を、黒目がちの瞳が見つめてくれる。
この瞳に全てを告げて赦してもらえたら?そんな願いのままに英二は微笑んだ。

「ごめん、周太。白状するよ?あれは俺の、男の意地が言わせたことだから、」
「ほんとうに…?」

本当だと、言ってほしい。

そんな願いが黒目がちの瞳に切なく映ってくれる。
その瞳の想いが嬉しくて、嬉しいまま抱き寄せるとベッドに倒れ込んだ。

「周太、夕方に言ってくれたよな?言いたいこと、わがままも全部話して、って。だから、本当のことを言うよ?」

倒れこんだベッドの上、そっと布団に包みながらも、目が離せない。
見つめる先で微笑んでくれる笑顔が愛しくて、尚更に見つめたまま英二は正直に答えた。

「他の誰にも触らせたくない、周太の肌を誰にも見せたくない、ずっと俺だけが独り占めしたい。だから早く、嫁さんにしたい。
俺だけのものだって色んな方法で示して、ずっと周太と一緒に生きていたい。君を、俺だけに独り占めさせてほしい、ずっと傍にいて?」

いつもは言えない言葉、けれどこれが本音。
この想いは唯ひとつしかないワガママ、これだけを叶えたくて、あがいている。
どうか叶えたい、そんな祈りの中心で婚約者は綺麗に笑ってくれた。

「ん、ずっと傍にいてね?ずっと英二が傍にいてほしい…愛しているなら、約束して?」

どうか、絶対の約束をして?

そう見つめてくれる想いが愛おしい、ずっと見つめていたい。
この視線を絡めたまま英二は幸せに笑って、約束を恋人へ誓った。

「うん、約束する。ずっと君に恋して、愛して、傍にいるよ、周太…」

やさしい唇へと唇を重ねて、誓いを閉じ込める。
ふれ合い重ねたキスに約束を繋いで、深く祈りを籠めて、抱きしめる。
どうか幸せを、君の隣で見つめたい、ずっと、いつまでも。

たとえ、どんなに闇の中であったとしても、君だけは輝いていると知っている。
そんな君の純潔を愛している、君の優しい安らぎが隣にあってくれる為になら、自分は全てを背負うから。
その為になら何だって出来る、幾らでも強くなってみせる、君を護るために、幸せを見つめるために。

だからどうか、傍にいて?そして「恋しくて愛している」と、ずっと言わせてほしい。



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第51話 風伯act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-29 23:32:09 | 陽はまた昇るanother,side story
風よ、どこへと



第51話 風伯act.1―another,side story「陽はまた昇る」

ヘルメットを脱いで、周太は軽く頭を振った。
籠っていた熱気が解放されて、ふわり髪に風が透ってくれる。
5月終りの正午前、機動隊の出動服で走るのは暑い。けれどこの暑さに慣れることも大事だと解る。

…現場で熱中症とかなったら、困るよね?でも、暑いは暑いね

木洩陽の光も影もトーンが明るい。こんなふうに明暗が鮮やかなら、もう夏だな?
そんな感想がさらり心に言える自分に、周太は少し驚いた。

…あ、覚悟が肚に落ちてきたかな?

それなら自分も幾分か「大人の男」になれたのだろう。
父の殉職で記憶を失って以来、精神年齢の一部が子供のままな自分にとって、この自覚は嬉しい。
ほっと息吐いて空を見上げると、屋上や教場からグラウンドを見下ろしている視線がある。
女性が多いギャラリーは、きっと周太がよく知っている人の名前を話題にしているだろう。

「周太、」

綺麗な低い声に名前呼ばれて、振向くと嬉しそうに英二が笑いかけてくれる。
ポリカーボネートの盾を軽々持ちながら、ヘルメットを外したダークブラウンの髪が風にほどけた。
さらり揺れる綺麗な髪が白皙の額を覆って、それを掻き上げる長い指から髪がこぼれる。
無骨な出動服姿なのに、なんだか英二が着ていると別の物みたい?

…なんか、勇者とかそういう感じ?

子供の頃にクラスメイトの家にあった、ゲームの主人公たち。
絵本にも出てくるような、頼もしく美しい青年の貴人と、英二は似ている。
やっぱり、かっこいいな?ぼんやり見惚れていると、端正な貌が不意にアップになった。

「周太?どうした、ぼんやりして。具合悪い?」
「え、」

声に我に返ったとき、前髪を掻き上げられ額に額よせられた。
ふれる肌の温もりが優しくて嬉しい、けれど、ここはグラウンドなのに?

…どうしよう?みんな見てるのに?

ほら、視線が屋上から教場から降ってくる。
ただでさえ英二は注目を受けやすい、それなのにこんなことしたら何て思うのだろう?

「うん、熱は無いな?ちょっと暑かったから、周太、疲れちゃった?」
「あ…ん、」

額をまだくっつけながら、綺麗な低い声が笑ってくれる。
いつも英二は自然にスキンシップをして、こんなふうに衆目の中でも堂々とふれてしまう。
それは初任総合で戻ってきた警察学校の日常でも、ほとんど変わりないまま接してくれる。
こういうのは嬉しい、けれど心配にもなって困ることも多い。

…だって英二、もうクライマーの専門枠で正式任官して…立場だってあるのに、

警視庁山岳会のエースで次期会長と嘱望される光一、そのパートナーとして英二は選ばれた。
最初は英二のことを誰もが危ぶんだ、山岳経験が乏しくて実績が何もない英二では、光一と不釣り合い過ぎたから。
けれど英二は、卒業配置の7ヶ月で認められるようになっている。

山ヤの警察官として英二は、救急法から法医学までを現場で身に着けた。
それは青梅署警察医の吉村医師があっての専門知識たち、けれど吉村の知己を得たのは英二の姿勢と努力だった。
それを周太は奥多摩に行くたび、奥多摩の人達に接するたびに聴くことが多い。
そしてこの間、雲取山頂で見た現場での英二の姿に、心を引っ叩かれた。
あのとき見た英二の姿は頼もしくて、自分の同期と思えなかった

そして冬、積雪期登山訓練で英二は山ヤとしての実績を造り上げた。
年明けの冬富士からスタートして北岳バットレス、谷川岳滝沢第三スラブ、穂高滝谷に槍ヶ岳北鎌尾根、それから剱岳。
どれも国内では最高難度と言われるような雪山で、英二は光一のペースに遅れず踏破して行った。
たった4カ月の記録、けれどあの4カ月が英二を山ヤとして山岳会のメンバーに認めさせた。

警察学校入校から1年と2ヶ月、英二はそれ以上の実績を積んでいる。
そんな英二の姿は婚約者として眩しい、誇らしい気持ちにも嬉しくて、英二の前途を寿ぎたい。
けれど、同じ男として同期としては、すこし焦りを感じるのも本音でいる。

…男同士だと、こういうの複雑なのかな?…女の子だとまた、違うのかな?

もし自分が女の子だったら、もっと違う感想や感情があるのかな?
そんな事を考えながら並んで歩いていると、擦違いざま女性警官の声が聞えた。

「…かっこいいね、宮田くん、頼もし…」

ほら、やっぱり皆そう思うんだよね?
そのあたりは自分も同じ、けれど本人への嫉妬からは女性なら自由だろう。
きっと純粋に褒めて憧れて、素直な賞賛だけでいられるだろうな?
そんなことを考えながらロッカーで装備を外し、着替え始めた。

「周太、なんか口数が少ない?やっぱり少し、暑かったからかな、」

綺麗な低い声が訊いてくれる、その顔が心配そうで誰かに似ている。
誰だったかな?思い出そうとしながら周太は、微笑んだ。

「だいじょうぶ、俺も体力はあるほうだから、」
「そうだな?周太って持久力とかあるよな、俺に付合えるんだから、」

言いながら紺色のTシャツを脱いで、その熱気が周太の頬を撫でる。
いつもの深い森のような香に汗の匂いが混じる、この香に不意打ちされて、心臓が変な鼓動を1つ打った。
この混じった香には、つい想い出されてしまうから。

…だって、この匂いって…よるのときとおんなじなんだから

こんな場所でこんなこと想い出して、恥ずかしい。
ほら首筋がもう熱くなりだした、早く着替えて外に出よう。
そんな想いに押されて急いでTシャツを脱いだ時、すっと端正な貌が周太の瞳をのぞきこんだ。

…なんだろう?

驚いて無意識に、持ったTシャツを引き寄せて体を隠してしまう。
こんなふうに、英二は同性なのに、裸を見られることが恥ずかしくなってしまった。
そして今、目の前の白皙の裸を見ることも恥ずかしい。困って俯いた耳元に、綺麗な低い声が囁いた。

「…夜、俺に付合える位の体力、だね?周太…」

こんなところでなんてこというのこのひと?

「…っ、」

あっという間に熱が額まで昇って、ほらもう顔が真赤だ。

「…ばかっばかえいじっ」

なんとか憎まれ口が唇から出て、背中を向けると急いで手を動かした。
すぐ着替え終えて、ネクタイを簡単に締めると、脱いだものを纏め持って廊下へと出る。
いつもなら英二と一緒に出るけれど、今は恥ずかしくてさっさと行ってしまいたい。

…ばかばか英二の馬鹿、あんなところであんなこというなんて…

どうしてあんなに英二って、えっちなんだろう?
でも光一も似たり寄ったりで、男ってあんなものなのかな?
じゃあ自分はどうしてあんなふうに話せないのだろう、すぐ顔も真赤になるし?

…やっぱり、記憶喪失の所為なのかな?それで精神年齢が止まってるって吉村先生は教えてくれたけど…

それなら記憶喪失にならなかったら、自分もえっちな話を楽しめたのだろうか?
それも何だか考えられない、こういうことって本当に難解で難問で難しい?
このままだと本当に考えすぎの熱が出そうで、周太は軽く頭を振った。

「湯原くん、」

高い声に呼び止められて、周太はふり向いた。
視線の先には女性警察官が4人で笑っている、この雰囲気は何なのか予想がついてしまう。

…きっと「宮田さんって彼女いますか?」だろうな?

そう訊かれたら「周りに訊いて回られるの嫌いみたいです、」って答えれば大丈夫。
まるで「おまじない」のよう思い出す目の前で、楽しげな笑顔が尋ねてきた。

「宮田くん、本当にかっこよくなったよね。彼女っているのかな?」

ほら、やっぱり訊かれた。
これで通算何度目になるのだろう?そんなことを考えながら周太は微笑んだ。

「あの…そういうの、周りに訊いて回られるのは嫌いらしいんです。だから、俺に訊かれると困ります、」

言われて、驚いたよう彼女たちの笑顔が止まる。
それから少し小声で会話交わしだす、そんな様子を見て周太は軽く会釈した。

「すみません、じゃあ、」

踵返して歩き始める、けれど彼女たちは追いかけてこない。
ほんとうに美代から教わった「おまじない」は効果てきめんでいる。

…美代さんって、やっぱり頭良いんだな?訊いてみて良かった、

聡明な友達の笑顔が懐かしくなる。
この間は吉村医師の講習会で一緒になれて、楽しかった。
今度の週末はまた大学の講義でも会えるな?そんな楽しい予定を考えながら歩いていると、呼び止められた。

「湯原、」

振向くと内山がこちらに歩いてくる。
その向こうをふり向きながら、さっきの女性警察官たちが逆方向へ歩いていく。
いま内山と一緒に歩き始めたら、もう彼女たちも追いかけては来れないだろうな?ほっとして周太は同期に笑いかけた。

「おつかれさま、内山、」
「おつかれさま、事例研究の話なんだけど。もし湯原の都合悪かったら、いつでも良いよ。談話室とかでもいいし、」

精悍な笑顔で提案してくれる。
元は周太が予定を変えたのに、気遣ってくれるのが申し訳ないな?心から詫びと微笑んで周太は口を開いた。

「そのことなんだけど、今度の土曜日は公開講座に俺は行くんだ…それで一緒に行く友達が、お昼かお茶を一緒してもらったら、って、」
「え、いいのか?俺も一緒して、」

周太の提案に、嬉しそうに内山が笑ってくれる。
喜んで貰えそうで良かった、嬉しくて周太も微笑んだ。

「ん、良かったら一緒して?お茶のときは、勉強しながらなんだけど。でも内山が一緒だと教えて貰えるから、友達も喜んでるよ?」
「あ、勉強するのにカフェとか行くのか?俺で良かったら勉強の相談、乗れるけど、」

楽しそうに精悍な顔がほころんで、明るい。
美代の提案が良い方を当てたらしい、また大好きな友達の聡明さに感心した時、隣から腕を引っ張られた。
見上げると、大好きな端正な貌が困ったよう、凝っとこちらを見つめている。

「…あ、英二。おつかれさま?」

追いかけて来てくれたのかな?
そんな様子が嬉しくて笑いかけると、長い腕が伸ばされ周太へと絡んだ。

「周太、熱があるんだろ?行こう、」

綺麗な低い声が告げるまま、風浚われるよう足が床から離される。
ふわり、体重を失うよう体持ち上げられて、視界が高くなる。
そして周太の体は軽々と、横抱きに抱え上げられた。

「ちょうど昼休みだし、部屋に戻って少し休もうな?周太、」
「あ…あの、えいじ?」

いったいえいじはどうしたの?
驚いて見つめた切長い目は内山を見遣りながら、綺麗な低い声が笑いかけた。

「ごめん、内山。ちょっと周太、熱っぽいんだ、話を中断して悪いな、」
「いや、構わないけど。ごめん、湯原。気づかないで、」

素直に内山が謝ってくれる、けれど本当は別に熱なんてないのに?
抱えられた腕の中から周太は、内山に謝った。

「ううん、あの、ごめんね?」
「行くよ、周太、」

まだ内山に謝りたかったのに、さっさと英二は周太を抱えて歩き出してしまった。
英二はどうしたのだろう?そんな想いに見つめた顔は前を向いたまま、困ったよう泣いているような目でいる。

…そんなに心配をかけているのかな?

つい最近、周太は熱を出して教場で倒れた。
あのときは疲労と知恵熱が原因だから一晩で回復している、それでも英二は心配してくれた。
食事から着替え、体を拭いたりと世話を看て、切長い目は喜びと不安が混じったよう微笑んで。
あんな顔をしてくれえる英二、それなのに今ロッカーで置き去りにしたことが申し訳なくなって、周太は素直に謝った。

「あの、英二?ごめんね、置いて行っちゃって、」

本当にごめんね?
そう見つめた先で切長い目がこちらを見て、困ったよう笑ってくれた。

「こっちこそ、ごめんね周太、」
「…どうして謝ってくれるの?」

どうしてかな?不思議で訊いたけれど、英二は笑っただけで黙っている。
なんだかいつもと少し違う雰囲気に、途惑ってしまう。

…ほんとうは、怒っているのかな?

なんだかすこし、不安になってしまう。けれど抱えてくれる腕も懐も温かくて、優しい。
この優しさが嬉しくて、頼もしい胸に周太は頭を凭らせた。

「心配かけて、ごめんね、英二?今は熱、無いから大丈夫だよ。でも…だっこうれしいよ、」
「うん。ありがとう、周太、」

抱えて歩きながら幸せに微笑んで、部屋の扉を開いてくれる。
ぱたんと閉じて鍵かけて、周太を抱えたままベッドに腰掛けると、英二は困ったよう笑ってくれた。

「ごめんね、周太?俺って心が狭い、ほんと子供だ、」
「どうして、そんなこと言うの?」

いつも優しくて穏やかに落着いた英二が、子供だなんて?
確かに時おりゴールデンレトリバーみたいな時はある、けれど充分に大人の男だと想うのに?
それなのにどうして?そう見つめた周太の額に、そっと額付けてくれる。
すこし俯き加減になる視線の近く、端正な唇が微笑んだ。

「周太のことになると俺、ワガママになる。だから、子供だよ、」

微笑んだ唇が上向いて、やわらかな温もりが唇ふれる。
深く穏やかで、すこしほろ苦いような香は、あまい唇の熱に忍びこむ。
どこか陰翳のある香は森に似て、それは内面から昇るよう英二の心を映し燻らす。

この香の唇こそが、自分の止まっていた時を動かした。
この香に与えられる口づけは、13年の孤独を砕いて崩れさせ、希望を見せた。
もう幾度この香に自分は、あまい幸せの温もりを与えられたのだろう?

「…周太、好きだよ、」

そっと離れた唇が囁いて、また熱のキスにふれてくれる。
抱きしめる長い腕の強さも温もりも、強い風くるむよう浚いこんで瞬間に時を忘れさす。
そうしてただ心には、今この温かな時の幸せだけが、優しいままに抱きしめる。



ふわり、温もりに包まれる。

ゆっくりと温もりが、優しく喉から首筋まで包んでいく。
ふれる温もりから昇らす香は森のよう深くて、ほろ苦く甘く、穏やかに頬撫でる。
風ふれるような温もりは優しくて、生まれつき少し弱い喉には心地いい。

…あたたかくて気持ちいい…やさしくて、やわらかくて…あんしん

夢の現に、温もりがただ優しい。
深い浅い眠りにうかぶ泡沫のような、感覚と想いが揺らいでいる。
このまま温もりに包まれて、安らかな眠りの泉に沈みこんでいたい。

けれど温もりは喉から離れて、掠れる声に名前を呼ばれた。

「…っ、し、ゅうた、」

とても懐かしい声が、哀しげに名前を呼んだ。
どうしてそんな声で呼ぶの?そんな問いかけが、眠りの底へと浮びだす。
そして閉じた睫へと、一滴の温もりが降り零れた。

…あたたかい…涙?

温かな雫が睫を透って、瞳に届く。
どこか甘くて切ない感覚に、ゆっくりと睫が披かれる。
披かれていく視界に映りこんだのは薄い闇と、涙に濡れた白皙の頬、そして苦しげでも美しい恋人の泣顔。

…泣いているの、英二?

泣かないで?
そんな想いに手を伸ばし、涙の頬に掌ふれた。

「…えいじ?泣いてるの?」

呼びかけた名前に、ゆっくり濃い睫が披かれる。
披かれた瞳から涙はあふれていく、けれど言葉は出てこない。

「どうしたの?…なぜ、泣くの?」

涙の目を見つめて問いかけながら、腕を伸ばし広い肩を掌に包みこむ。
ふれる温もりと香が嬉しくて、微笑んで見つめる先の美しい泣顔からは、ゆるやかに涙ふりかかる。
どこか甘いような涙を見つめて、そして端正な唇が苦しげに言葉を押し出した。

「周太、俺は今、きみのこと…っ、」

嗚咽に、言葉が途切れる。
それでも英二は正直なまま、言葉を押し出してくれた。

「俺は今…君を殺そうとした、…君を、離したくなくて、」

英二が周太を殺そうと、願う。

とても不思議なことに想えて、けれど怖いとも想えない。
そんな想いに呼応するよう夢現の温もりが、今も喉元に安らぎを名残らせている。
あの温もりは優しかった、あの温もりくれる愛するひとに、ただ寄り添っていたい。そんな想いへと綺麗な低い声が、告白に泣いた。

「ずっと傍にいたくて、どこにも行かせたくなくて…ずっと見つめていたくて離れたくないから、だから首に手を掛けて君を殺そうとしたんだ、」

綺麗な低い声が、泣いている。
美しい切長い目から生まれる熱い涙は、周太の瞳へと降りかかり、頬つたう。
涙の底から見つめ合って、けれど肩に回した周太の腕から英二は、身を離した。

「ごめん、」

ひとこと告げた声が、哀しくて。
泣き濡れた横顔、ベッドから床におろされる長い脚、立ち上がる広やかな背中。
スローモーションのよう重たく揺れながら、扉へと白いシャツの背中が遠ざかる。

…いかないで、

心に響く想い素直に、ベッドから降りてしまう。
その向こう開錠音が聞こえて、ドアノブに掛けられた白皙の手が見えた。

「英二、」

呼びかけた名前に、大きな手の動きが止まってくれる。
その白皙の手へと自分の掌を重ねて、愛する背中へと周太は抱きついた。

「行かないで、英二…俺のこと、離さないで、」

声、ちゃんと出てくれた。

このまま声よ、この人の心に届いて今、この人を掴まえさせて?
どうか離れないで済むように、惹きとめて抱きしめて、掴まえていたい。
願いのままに周太は抱きしめて、ひろやかな背中に頬よせて、呼びかけた。

「離さないって約束したよね?だから約束を守って、愛しているなら言うこと聴いて、」

どくん、

頬よせた背中の奥から、大きく鼓動が応えてくれる。
どうか鼓動のままに呼びかけに応えてほしい、祈るよう周太は言葉を続けた。

「お願い、愛してるんでしょ?だったら言うこと聴いて、こっちを見て、英二、」

広い背中が微かに震えて、ドアノブから掌がすべり落ちていく。
自由になった掌でも背中抱きしめた、そして綺麗な低い声は応えてくれた。

「…周太、俺は君を見て、いいの?」

哀しい、けれど縋ってくれる声。

この声を振向かせる権利を自分は、この恋人から与えられている。
この与えられた権利のままに周太は、愛しい命令に願いを込めた。

「良いって言ってるでしょ?言うこと聴けないの?命令なんだから、」

『命令』

この言葉はきっと、優しい約束の手綱。
この優しさを自分は与えられている、だから今も使いたい。
どうか応えて、振向いて?この祈りこめた腕のなか、ゆっくり英二は体ごと振向いてくれた。

「英二、」

願いに応えてくれた歓びに、名前を呼びかける。
呼ばれて見つめてくれる切長い目は潤んで、薄い月明りにも煌めいて、涙あふれだす。
こんなに綺麗な目で泣いてくれる、この愛しさに微笑んで周太は手を伸ばし、涙を指で拭った。

「英二、また泣いてる…泣き虫、」

微笑んで見上げて、綺麗な涙を拭っていく。
そして涙のままに英二は、ゆっくり床へと崩れ落ちた。

「…あ、」

喘ぐよう声こぼれて、涙があふれだす。
座りこんだ床へと涙は墜ちて、嗚咽が零れだした。

「っ…ぅっ、……っ、」

押し殺した声、それでも微かに嗚咽は唇こぼれてしまう。
嗚咽ふるえる肩が小刻みに揺れる、その肩の姿に懐かしい記憶が優しくふれる。
ちょうど一年ほど前、この警察学校寮の狭い部屋で自分は、初めてこの肩を抱きしめた。
あの瞬間の記憶なぞるように腕を伸ばすと、ひろやかな肩を周太は精いっぱいに抱きしめた。

「泣いて、英二、」

どうか泣いて?まだ今なら抱きしめていられるから。
そんな想いを隠すよう微笑んだ腕のなか、逞しい肩が震えた。

「…っ、周太っ、」

名前を呼んだまま、この体にしがみついてくれる。
お願い離さないでと縋りつく想いが、全身を浸すよう強く抱いて縋ってくれる。
この愛しい束縛に抱かれるまま寄添って、最愛の婚約者に周太は微笑んだ。

「英二、泣いて?俺の腕で泣いて、何年先も、ずっと、」

どうか離さないで、この腕に泣いて?
どうか他に還らないで、この腕へと必ず戻ってきてほしい。

本当はそう今も言ってあげたい、願いたい、けれど言えない。

本当に自分には「何年先も」があるのか、約束が出来ないと自分で解っているから。
これから迎える2度の異動、その後は無事なまま戻れるのか解からないから。
もしも万が一に自分が消えたなら?その可能性がある以上は、言えない。

…言えない。きっと、言ったら英二は後を追ってしまう…そんなことさせたくない

だから今も、英二が何をしたかったのか、解かってしまう。
さっき夢現のはざま感じた温もりは、どこまでも優しくて安らかだったから。
だから解かってしまう、英二の心も英二の願いも、首に掛けた掌が語ってくれたから。

…ね、英二?一緒に死ぬことで、ずっと離れないで護ろうとしたのでしょう?

英二が周太の首に手を掛けた、それは、英二自身も一緒に死ぬつもりだった。
ふたり引き離されないために、唯その為だけに、英二は自身の命まで捨てようとした。
生きていたら離れてしまう「いつか」が来る、だから、このまま「今」で時を止めようとして。
この今なら一緒にいられる、だから、この今の瞬間を永遠に留めてしまうために。

でも英二、お願い、生きて?

生きて、幸せになってほしい。
たとえ自分が戻れなくなっても、どうか幸せを諦めないで?
どうか離される「いつか」を迎えても、そのまま逢えなくても、どうか生き抜いて?
そしてどうか夢を叶えて?世界中の最高峰から最高の笑顔を見せて、輝く夢に生きてほしい。

…どうか、愛してくれるのなら生きていて?あなたの笑顔が大切だから、笑っていて…

この願いの祈り籠めて、周太は最愛の涙を抱きしめた。




(to be continued)

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one scene 或日、学校にてact.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-29 04:11:25 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってほしいのは



one scene 或日、学校にてact.2―another,side story「陽はまた昇る」

ふっと瞳を披くと、天井は薄闇の向こう仄白い。
カーテンから微かに洩れる光は、街路灯と月だろうか?
ゆるやかな吐息が隣からふれてくる、そっと頭を動かし見ると端正な寝顔が安らいでいた。

…ずっと、傍にいてくれたんだね、英二

夕方に熱を出して、それからずっと英二は面倒を見てくれた。
見守られて眠る安らぎのなか、夢と目覚めを往復しては優しい笑顔を見上げて。
抱き寄せてくれる温かな懐に安らいで、ほどかれる心の寛ぎは体ごと余分な力を抜いてくれた。
そんなふうに優しい時を過ごして今、ひっそりと夜に目覚めが訪れた。

いま、何時なのだろう?

静かに床へ足をおろすと、固い感触が伝わってくる。
スリッパを履いて闇を透かした視線の先に、クライマーウォッチの音が呼んだ。
大切な時計の時刻音に微笑んで手に取ると、点灯したLEDにデジタルは1:08と表示する。
英二が夕食を運んでくれたのは19時過ぎだった、それからまた眠ったのだから、5時間になる。

…のど、渇いたな?

見るとデスクの上にペットボトルが置いてある。
いつでも飲めるようにと用意してくれた、そんな気遣いが嬉しい。
嬉しい気持ち微笑んで、蓋を開けて口をつけると、ひと息に半分を飲みほした。
すっかり喉が渇いていたらしい、ほっと息吐いてからまた口をつけると、残りを飲みこんだ。

「…ん、おいしかった、」

ひとりごと零れて微笑んだ視界に、白いベッドの寝顔が映りこむ。
安らいだ吐息と眠る顔の、濃い睫がおとす陰翳が表情の深みに美しい。
薄闇のなかも眩いような白皙の肌は、なめらかな艶が匂いたつよう綺麗で。
ふりかかるダークブラウンの髪と白皙は際立って、どこか異国の美しい人にも見える。

…絵本の王子さま、みたいだね?

そっとデスクの椅子に座って、頬杖に見つめてしまう。
初めて会ったときの英二は髪が長めで、次に会ったときは短かった。
そして今は少し前髪を長めにして、落ち着いた雰囲気のカットが似合っている。
こんなふうに品の良い髪型だと、生来の美貌が映えて本当に、どこか貴人のようだった。

…いつものことだけど、気後れしそう…こんなにきれいだと、

ぼんやりと見つめる婚約者の寝顔に、鼓動がすこし速い。
ほら、首筋もうすい熱が昇りだす。また逆上せて熱が出たら困るのに?

「…飲みもの、買ってこようかな?」

ちょっと歩いて頭を冷やして来よう。
もうペットボトルも飲干してしまったから、また1つ買っておく方が良い。
そんなふう考えをまとめると、財布を持って周太は静かに扉を開いた。

…ぱたん、

うす暗い廊下に、扉を閉じる音が微かに響く。
静かな空間を歩きだす、その足音だけが聞えている。
深夜の今、誰もが眠りのなか安らいでいる、そんな静謐の底は非常灯の光に薄青い。

…川の中みたい、だね、

あわく青い空間に、幼い夏の日を見て周太は微笑んだ。
父の休日には山に行って、夏だと流れの優しい川で泳がせてくれた。
冷たい川の水は気持ち良くて、水底から見た水面は陽射しが揺らいで、美しくて。
碧い水を透かして見た空の色は、透明に青かった。

あの幼い夏の陽光に、父と見た青い世界。
あの懐かしい美しい時に、最愛の人は共に立ってくれる?
あの夏の日を、今年迎える夏にもう一度、見つめることは出来る?

「…英二に話したら、連れて行ってくれるかな?」

たしか東京の川だった、あの碧い川は。
それなら奥多摩のどこかと謂う事になるだろう。
光一か後藤に訊いたなら、あの川の場所が解かるかもしれない。
そんなことを考えながら自販機コーナーに着くと、目当てのスポーツドリンクを見つけた。

「ん、あった、」

微笑んで硬貨を自販機に入れて、ボタンを押す。
ごとん、重たい音が立ってペットボトルが出て来てくれる。
掌にとると水滴がうかんで、ひんやりと冷たさが熱った肌に心地いい。

「…英二も、飲むかな?」

たとえ飲まなくても、きっとあれば嬉しいだろうな?
そんな想像をして周太は、また硬貨を入れるとボタンを押して、冷たい容器を取出した。
ふたつ掌に抱えて、また来た道を戻っていく。

…たん…たん…たん、

自分の足音が静寂に響く、それがなんだか不思議で面白い。
いま眠っている人たちの中、こうして自分は目覚め、歩いている。
いま夢を見る時間の中で、誰も意識はここに無い。けれど自分だけは違っている。
こんなふうに意識の場所が違う時、人の時間の流れにはどんな違いがあるのだろう?
そんな考え廻らし歩いていると、ふと物音に周太は気がついた。

…たん、たん、たん、たん、

自分のよりも速い足音、向うから近づいてくる?
誰かが起きて歩いているのだろうか、それも不思議ではないけれど?
すこしの不安と歩いていく、その向こうから音は足早に大きくなってくる。
そして公衆電話の角に近づいた時、白いシャツ姿の長身が、周太の前に現われた。

「周太!」

名前呼んで、長い腕が伸びて抱きしめられる。
ペットボトルごと抱きこめられて、胸に水滴が冷たく沁みていく。
それでも長い腕は離さずに、そのまま周太を抱きあげて、白皙の貌が頬よせてくれた。

「…いなくなっていたから驚いたよ?周太…」

低めた声で言って、ほっと笑ってくれる。
抱えたまま静かに歩いてくれる腕のなか、申し訳なくなって周太はすこし俯いた。

「…ごめんなさい、驚かせて…飲みもの、ほしかったから、」
「…うん、足りなかったんだな?ごめんね、周太、」

低く応えてくれながら、そっと扉を開いてくれる。
静かに閉じて鍵かけて、優しい腕はベッドへ周太をおろすと、スリッパを脱がせてくれた。

「そんなこと、自分で出来るよ?」
「俺がしたいんだ、周太のことは、」

笑って脱がせたスリッパを揃えてくれる。
そして少し悪戯っ子に切長い目を笑ませると、愉しげに英二は微笑んだ。

「シンデレラ、ってあるだろ?」
「ん?…グリム童話とかの?」
「そう、あの話、」

ベッドの隣に腰掛けて、切長い目が瞳をのぞきこんでくれる。
きれいな貌が近寄せられて気恥ずかしくなる、また逆上せてしまいそう?
そんな幸せな困惑に首傾げた周太に、綺麗な低い声が笑いかけた。

「ガラスの靴で恋した相手を探すとき、あの王子って家来にさせるだろ?でも俺は、自分で探しに行きたいって思った。
好きな人に靴を履かせるなんてさ、俺は他のヤツにさせたくない、脱がせる時もね。自分以外には触れさせたくないから、」

自分のことを他の誰にも触らせない、そう言ってくれてる?

もしそうだったら嬉しい。
だって英二は周太に対して、光一に抱かれてと願ったことがあるから。
本当は、あのとき哀しかった。それが周太と光一のことを真剣に想うからだと知っていても、哀しかった。
あのときは婚約もした後で、それなのに他の相手と恋人の時を過ごせと望まれて、辛かった。

その哀しみはもう3月に、英二が雪崩に受傷したとき話してある。
あのときも英二は誰にも触らせないでと願ってくれて、それで自分も正直に哀しみを告白できた。
けれど今も拗ねたくなって、正直な想いに周太は口を開いた。

「じゃあ英二は、俺のことは好きじゃないんだね?俺のこと光一にだかれてほしいって言ったんだから、」

ほら、言ってしまった。
何て応えてくれるの?そう見つめた先で、切長い目が困ったよう微笑んで謝ってくれた。

「ごめん、周太。白状するよ?あれは俺の、男の意地が言わせたことだから、」
「ほんとうに…?」

本当だと、言ってほしい。
そんな願いと訊き返した周太を、長い腕は抱き寄せてベッドに倒れ込んだ。

「周太、夕方に言ってくれたよな?言いたいこと、わがままも全部話して、って。だから、本当のことを言うよ?」

倒れこんだベッドの上、布団に包んでくれながら白皙の顔は幸せに微笑む。
大好きな笑顔に見惚れるまま微笑んだ周太に、綺麗な低い声は言ってくれた。

「他の誰にも触らせたくない、周太の肌を誰にも見せたくない、ずっと俺だけが独り占めしたい。だから早く、嫁さんにしたい。
俺だけのものだって色んな方法で示して、ずっと周太と一緒に生きていたい。君を、俺だけに独り占めさせてほしい、ずっと傍にいて?」

いつもは言えない言葉を、あなたの想いを聴かせてくれた?
いつもは言ってくれない本音のワガママを言ってくれた、それが嬉しい。
嬉しくて幸せで、周太は綺麗に笑った。

「ん、ずっと傍にいてね?ずっと英二が傍にいてほしい…愛しているなら、約束して?」

どうか、絶対の約束をして?
そう見つめた想いの真中で、切長い目は幸せに笑んで、端正な唇が微笑んだ。

「うん、約束する。ずっと君に恋して、愛して、傍にいるよ、周太…」

やさしい唇が唇ふれてくれる。
そして重ねられたキスに、言ってくれた約束を繋いで、祈りに籠められる。


どうか幸せを、君の隣で見つめたい、ずっと、いつまでも。




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第51話 風待epilogue―side story「陽はまた昇る」

2012-07-28 23:57:41 | 陽はまた昇るside story
待っている、君の時間を



第51話 風待epilogue―side story「陽はまた昇る」

朝、英二は吉村医師と留置所に向かった。
勾留されたばかりの男を診察した吉村は、警察医診察室に戻ると教えてくれた。

「右手は、月状骨と舟状骨が砕けています。それと極度の栄養失調に、精神的失調が見られますね、」

この砕かれた2つの骨は手根骨の一部分で、手の動きを司る骨たちの根幹に位置している。
月状骨は橈骨、舟状骨は尺骨と連結して腕と手を結ぶ。だから、この2つを砕かれては指も動くことが出来ない。
この診断結果を予想はしていた、けれど専門家から聴かされた「確定」に溜息がこぼれた。

「右手はその部分だと、腱にも損傷が?」
「はい。腱の切断が見られます、骨片に切られたのかもしれませんが。おそらく、麻痺が残る可能性は高いでしょうね、」

コンパクトに説明をして、カルテから目をあげてくれる。
穏やかな目で英二を見、そして少し寂しげに微笑んだ。

「国村くん、防衛の為に特殊警棒で打ったと言っていましたね?けれど、この撃ち方は……彼は、よほど肚を立てたのでしょうね、」

語間の空白に、吉村医師が呑みこんだ言葉を見てしまう。
この音にならない言葉へと、ほろ苦い想いと一緒に英二は微笑んだ。

「はい、ピッケルを凶器にしたからだと思います、」

月状骨と舟状骨、これを砕いて手首の腱を切断されたら手は動かない。それを狙って光一は打ち砕いたのだろう。
よく光一は英二の部屋に来ると救急法関連のファイルを開く、それには骨格標本図も載せて書込みも多く綴りこんだ。
あれを熟知したのなら剣道実力者の光一にとって、狙い撃つことは容易い。

“馬鹿野郎っ、ピッケルで殴るんじゃないっ!”

あのときの怒声と一閃した警棒の軌跡が、鋭利に蘇える。
あの声と台詞と、月光閃いた尖端に光一の意思が見えてしまう。

―もうピッケルが持てないように、光一は、解っていて…

最高の山ヤの魂を持つ、そう言われる通りに山っ子は「山」を穢す者を赦さない。
深く敬愛する山の肌に血を流すことを、山っ子は厳しいままに忌む。
同胞である山ヤが傷むことを哀しみ、山の道具を大切にする。
だからこそ、この禁忌を破り穢す者を、赦さない。

無礼者は「山」に踏みこませない

その意思のもとに光一は、犯人の利き手を奪った。
司法警察官の立場、そして正当防衛という名の合法的攻撃。
この「法による正義」を利用して山っ子は、山の掟の許に制裁を下した。

そのことが山ヤの医師である吉村には、きっと解かっている。けれど言わない。
吉村もひとりの山ヤとして、山っ子を愛した雅樹の父として、心から大切に想っているから。
それは後藤副隊長も同じだろう、昨夜に水松山頂に駆けつけた後藤は、そんな顔をしていたから。
けれど、後藤も何も言わないで藤岡の腕を見、無事を笑顔で喜んでいた。
そして光一に向き合うと深い目は微笑んで、肩をひとつ叩いた。

あのとき後藤の心に去来した想いは、なんだったろう?
大切な山ヤの友人が遺した山っ子を、岳父として見守ってきた後藤は何を想い、何を哀しんだだろう?
そんな想い廻らす向いから、吉村医師の穏やかな笑顔が問いかけてくれた。

「彼の犯行動機は、経済的な理由からでしたね?」
「はい、リストラが原因です、」

昨夜の事情聴取、その内容を哀しいと思った。
この報告をするためにも今、ここに座っている。英二は任務へと口を開いた。

「年齢的にも再就職は難しくて、貯金も尽きた為に、山で生活をしようと考えたそうです。けれど思う様に出来なくて。
それでキャンプ場の客から食料などを盗むようになりました。でもキャンプ場の警戒が厳しくなって、盗みも出来なくなりました。
なんとか木の実などで食繋いだそうですが、空腹に耐えかねて。そんな或る日、単独行のハイカーと行き会いました。それが最初の被害者です、」

この不況の時、50代の彼には再就職の口は少ない。
そんな現実のなか迷い込んだ犯罪が傷ましい、この傷ましさに溜息吐いて吉村医師は教えてくれた。

「自殺者も最後の場所に山を選びますが、これも古い伝統です。古い言葉に『奥津城』とありますが、これは山深い墓場の事なんです。
そこは死者が眠る場所であり、生きながら世を捨てた人の場所でもあります。こんなふうに山は、昔から人間にとって最後の居場所でした、」

最後の居場所。
この言葉は物悲しい、けれど、なにか温かい。そんな想いに英二は微笑んだ。

「最後の居場所って、なんか『山』らしいですね?どんな者も深い懐に抱いてくれる、そんな大らかさが優しくて、」
「はい、私もそう思います、」

きれいなロマンスグレーの頭を頷かせて、吉村医師が笑ってくれる。
そして穏やかな笑顔のままに、医師は言った。

「人の現実で生き難くなった人間の、最後の逃げ場。そんな想いは私も同じです、私も雅樹が死んだ現実が生き難かったから。
そしてね?山は死者が眠る場所だから、きっと雅樹も好きな奥多摩の山に眠っている。そう思ったから、ここで生きると決めたんです。
奥多摩の山で生きたなら、いつか雅樹の俤と会えるかもしれない。そう思ってね、私は故郷の山に還ってきたんです。そして、君に会えました、」

穏やかな笑顔の切長い目から、ひとすじ光がこぼれだす。
その光を医師の長い指は拭って、そして綺麗な笑顔で笑ってくれた。

「前にも話しましたね?初めて君に会ったとき、雅樹だと思ったと。あの瞬間のことを、今でも私は信じているんです。
あの瞬間は、本当に雅樹が君の姿を借りて私に会いに来たのだと。そう本気で信じています、君には迷惑だと思うけれど、すまない、」

率直な言葉と一緒に、吉村医師は頭を下げた。
この姿も言葉も切なくて、温かくて尊くて、熱が瞳の深くに生まれだす。
その熱を静かに飲みこんで、英二は穏やかな静謐のまま綺麗に微笑んだ。

「いいえ、迷惑だと思いません。きっと、本当にそうだったかもしれないと、俺も思います。だって先生、不思議でしょう?
あのとき俺は生まれて初めて、人の死を見たんです。それなのに俺は、落着いて彼女に向き合うことが出来ました。食事も摂れました。
本来なら俺には、あんなふうに出来なかったと思います。だから先生、あのとき雅樹さんが俺を支えてくれたからだって、思いませんか?」

自分は世田谷の住宅街で「きれい」な物ばかり見て育った。
まだ自分は近しい人の死も知らず、人間の根源的な昏い部分を少しも知らず、あの現場に立った。
そんな自分がなぜ、あんなに冷静でいられたのか?そのことが現場経験を重ねるごと、不思議になっていく。
この不思議は「雅樹」が答えなのかもしれない?そう素直に想ったままを口にした英二に、吉村は笑ってくれた。

「うん、そうだね?…ありがとう、宮田くん、」

笑ってくれた医師の目は、明るい。
この明るさに微笑んだ英二に、吉村医師は愉しげに続けてくれた。

「でも、可笑しいでしょう?私は医師で科学者で、こうしたことは非科学的現象だと言うべき立場かもしれないのにね?
けれど、医師として生きるほど思うんです。この医療の現場で出会う生命と死の姿に、私は多くの不思議を見せて貰ってきました。
本当に生命には、科学の範疇を越えた不思議な事がたくさんある。そういう事にこそ、真実の姿があるのかもしれないと思うんです、」

そういうことは自分も感じる、山に、それから周太と光一に。
この想い微笑んで正直に英二は頷いた。

「俺も、同じように思います、」
「そうですか?そう君に言われると、嬉しいですね、」

嬉しそうに笑って吉村医師は、手にしていたカルテを閉じた。
デスクの抽斗を開きながら、ふと英二を振向いて微笑んだ。

「そういえば、被疑者の顔ですが。瀬尾くんの似顔絵とソックリで、驚きました、」
「はい、俺も驚きました。現場でも皆、びっくりして、」
「そうですよね?後藤さんも感心していましたよ、」

話しながらバーチカルファイルへとカルテを仕舞い込む。
そして抽斗を閉めたとき、軽やかなノックの音が響いて扉が開いた。

「失礼します、おっ、宮田もう来てたんだ?」

扉が開いて、人の好い笑顔が診察室に入ってきた。
ワイシャツにスーツのスラックスを身に着けた藤岡は、ネクタイもきちんと締めている。
ネクタイを整って締めるほど左手は無事に動いている、それが解かって嬉しい。
嬉しい想いに笑った英二の向かいから、吉村医師も藤岡に笑いかけた。

「藤岡くん、経過はいかがですか?」
「はい、痛みも昨夜より楽です。診察お願いします、」

2人の遣り取りを見ながら、英二は流し台へと立ってコーヒーを淹れ始めた。
マグカップにセットしたドリップ式の、フィルターを透る湯が昇らす香が心地いい。
ゆるやかに寛いでいく心、そこに映りこんだ昨夜の記憶から雪白の貌が振り返る。
そして月光を映した透明な目が、真直ぐに英二を見つめた。

あの瞬間、光一の貌は「白魔」だった。

今冬1月にみた冬富士の雪崩、そして3月に呑まれた鋸尾根の雪崩。
出遭う生命を呑みこむ雪山の、「白魔」と呼ばれる冷厳の無垢な惨酷。
あの姿と光一は、よく似ていた。

美しい秀麗な貌は、透徹に冷たかった。
月明かりに雪白の肌が透けて、生身の温度が無い姿に見えた。
冷厳を孕んだ微笑は純粋な怒りに嗤い、透明な目の眼差しは氷雪の冷酷のまま無垢だった。

あのピッケルの鋭利な刃先に着いた血痕は、今までの被害者たちの血。
そして昨夜に鮮やかだった赤色は藤岡の血、それが光一の無垢を「白魔」へと変えた。
そうして白魔になった山っ子は、無垢なままに純粋な惨酷と微笑んだ。

―…ブレードんトコ、赤いモンが着いてるねえ?コレって何かなあ?アンタのこと叩いたら答えが解かるかなあ…

もし、藤岡の左腕が軽傷ではなかったら。あの言葉通りに光一は「叩いた」だろう。
きっと犯人は左手も打ち砕かれた、友人が負った傷みの責を、生涯償うために。
もう2度と山に来られないように、誰も傷つけないように。
ピッケルどころか全ての物を、掴めなくなるように。

“山っ子は、山の番人”

そんな言葉が心に映る。
その番人から恋され、愛される自分の役目は何だろう?
そんな考えが水松山の夜から、ずっと廻って心に玉響していく。

あの無垢に峻厳な山っ子を、高峰を望むよう山ヤは愛する。
けれど、あの冷厳の眼差しに畏怖を想い、共に立とうとする者は滅多にいない。
そんな稀なる存在が雅樹だった、そして今、英二にその存在となる事が求められている。

どこまでも真直ぐ山っ子を見つめ、愛し支え続けて、共に最高峰を登っていく。
お互いの生涯をアンザイレンザイルに繋ぎあい、信じあうまま向き合って。
そんなふうに永遠を共に生きることを、もう、自分は約束した。
あの4月の夜、奥多摩最高峰の天辺に『血の契』で誓って。

それでも昨夜に見た「白魔」の姿に、すこし心凍った自分がいる。
どこまでも無垢、それゆえに優しさも惨酷も大らかで、容赦ないまま表裏する。
どこまでも透明な心には、喜びも愛も恋も、哀しみも怒りも憎悪も、純粋なまま輝いて。
その輝きが透明な瞳の無垢なる美しさ、その美の意味を本当は見つめるたび気づいていた。
そして昨夜、男の手が打ち砕かれた瞬間に現実として見つめた。

美しい無垢ゆえの、慈悲の惨酷。

それも光一の真実の貌、この貌を永遠に見つめ続ける覚悟はあるのか?
それを永遠に受けとめ続けるだけの、器と心を自分に備えていけるのか?
そんな想いに心凍った瞬間の記憶に、光一のクライミングネームを想い出す。

『K2』

このクライミングネームの意味を光一は、イニシャルK・Kと「危険+際物」なのだと笑っていた。
そして最初に登頂した8,000m峰がK2峰だからだと教えてくれた、それが光一の宿命と本性を現すよう想えてならない。
K2峰は別名『非情の山』、この名に昨夜の姿が重なってしまうから。

K2峰は世界最高峰エベレストより登頂成功者が少ない、そして遭難者の数も当然多く、世界一登ることが難しいと言われる。
そんな実態からK2峰は、チャールズ・ハウストンとロバート・ベイツが共著した『非情の山』がそのまま異称となった。
この名前こそ山の峻厳と冷徹を現して相応しく、それが光一のクライミングネームにされたことは宿命かもしれない。

どこまでも透明な無垢は美しい、この美は曇りない輝きに充ちている。
この明るい輝きは感情の大らかな透徹、それは古い物語に読んだ、荒ぶる神を想い出さす。
そんな存在を自分の運命に繋ぎとめることを、ただの人間である自分に赦されるのか?
そんな途惑いが廻らされ、見つめる瞬間が昨夜からリフレインする。

けれどもう、本当はとっくに自分は決めている。
もう自分は『血の契』に山っ子の血を呑んだ、だからもう、決っている。
なによりもう、心から山っ子を愛している真実と想いが、肚の深く座ってしまった。

―…約束をキスで結んでよ?生涯のアンザイレンパートナーとして寄添って、永遠に『血の契』でいてくれるなら

そう言って昨夜も光一は、英二との永遠を願ってくれた。
あの無垢な願いを裏切ることも、忘れることも自分には出来ない。
たとえ自分の想いは恋に無くとも、この愛する想いは偽れないのだから。

こんなに考え続けるなんて、どこか恋に似ているかもしれない?
そうも想うだろう、美しい山っ子を山ヤとして恋うる想いも、あるのかもしれない。
けれど自分の恋愛は、優しいオレンジの香があまい、穏やかに懐かしい人の隣にある。
どこまでも安らいだ、静かな優しい温もりは変わることなく懐かしくて、還りたいと願ってしまう。
こんなふうに、山っ子への想いと婚約者への想いの差は、「安らぎ」なのかもしれない。

いま、あのひとに逢いたい。
いますぐ恋し愛するひとに逢って、この今の想いごと寛がせ欲しい。
そんな想いに今、香たつコーヒーの湯気に恋人の記憶が映りこんでしまう。

本当は今日は家に帰って、恋しい婚約者との時間が待っているはずだった。
けれど今日は帰ることは出来ない、受傷した藤岡を独り学校寮に置いて行くことは、山ヤとして男として出来ないから。
それでも逢いたい気持ちは本当で、ほら、もう心の自分は泣きそうになっている。



飛田給の駅に着いたのは、17時だった。
藤岡のザックを肩にかけ、自分の鞄を持って歩く道は明るい木洩陽が揺らいでいく。
ゆっくり話しながら歩いて、すぐ校門を通ると普段と違う雰囲気に迎えられた。

「なんか、人が少なくって静かだよなあ?」

人の好い笑顔はいつもどおり明るくて、ほっと安堵が心に笑う。
これなら大丈夫だろうな、そんな安心と寮の入口を潜って階段を昇っていく。
そして藤岡の部屋の前でザックを渡し別れると、自室の扉を開いた。

…きぃっ

静かに披かれる扉の向こう、明るい陽射しが窓を透る。
がらんと見える白い部屋は広くて、どこか素っ気ないほど余所よそしい。
あるべきものが欠けた寂しさ、その傷みが忸怩と心を噛んで虚ろになっていく。
この欠け落ちたピースは今頃、何をしているのだろう?

「…逢いたいな、」

ひとりごとが静寂に零れて、陽射しに砕ける。
スーツのジャケットを脱いでハンガーに懸けると、ネクタイを外しながら窓際に佇んだ。
見上げる空はまだ青く明るくて、17時過ぎという時刻を感じさせはしない。
そんな太陽の時の長さから、もう、夏が来ることが実感に迫りくる。
それが、どうしても哀しい。

―夏が来て、秋が来て、そうしたら「いつか」が来る?

そんな季節の廻りの向こうから、迫る運命の瞬間へ心軋みあげる。
もう何度も覚悟した、もう幾度も泣いて、出来る限りの防御線を考えて。
そんな繰返しを続けている日々に、すこし可能性という名の希望も見えている。
それでも、なお、竦んだ恐怖と不安は去ってくれない。そんな怯えが水曜の夜、この掌を恋し愛するひとの首に懸けさせた。

「…弱いな、」

溜息に微笑んで、ネクタイを持った掌を見つめる。
もしかしたら今夜、家に帰らずに済んだことは良かったのかもしれない。
また怯えに囚われ駆られて、この掌を愛するひとの首に掛けたら?そんな不安が怖い。
だから今こうして引き離されて、孤独を抱いて眠る今夜を迎えることも「罰」なのかもしれない。

周太からも光一からも離れて、独りきり眠る夜。
こんな孤独の夜は、もう、どれくらいぶりなのだろう?
以前は独りが普通で当たり前だった、けれど今は切ない想いが傷みだす。
まだ、夜を迎えてもいないのに?けれど窓に見える黄昏の気配へと、もう、孤独が滲みだす。

そんな想いの底から窓の空を見上げて、壁に寄り掛かる。
ほろ苦い傷みの浸みだしに、もう止めて久しい煙草の香が懐かしくなった。
そんな欲求にまた情けなくなって、こんな弱さに自分で呆れた涯の、苦い笑いが口許を歪ませる。

「…ほんと、俺ってダメだな?…ひとりだと、ダメ男だ、」

いま山ヤである自分にとって、呼吸器官を傷める煙草は縁遠くしたい存在。
それなのに吸いたくなるなんて、自棄にすぎるだろうに?
我ながら可笑しくて微笑んだ時、ノックの音が響いた。

こん、こん…

すこし遠慮がちな叩き方に、心が耳を疑う。
この叩き方をする人は、今頃は美しい庭の森にいるだろう?
だからこの音は、自分の心が作りだした幻の音。そんな諦めに俯いた向うから、また音は心をノックしてくれた。

こん、こん…

「…あ、」

また扉を叩いてくれる、俤の慕わしい音。
もう、幻でも構わない、あの扉を開いて幻でも抱きしめてしまえばいい。
そんな想いにネクタイをデスクに放り投げて、鍵を開くと扉を開けた。

「英二、やっぱり戻ってた…昨夜は、本当にお疲れさま、」

黒目がちの瞳が微笑んで、穏やかな声が笑いかける。
見慣れたジャージ姿の小柄な体は、するり横をすり抜けて部屋に入ってしまう。
そしてこちらを振向いて、やわらかな黒髪ゆらし周太が微笑んだ。

「どうしたの?英二…扉閉めて、こっちに来て?」

これは幻?

途惑いのまま、言われた通りに扉を閉じて、鍵を掛ける。
これで振り向いたらもう、消えて居ないのかもしれない?
そんな想いにスローモーションのよう振向いて、けれど周太は消えなかった。

「…どうして周太が、ここにいるんだ?」

驚きのまま疑問がこぼれて落ちる。
疑問を見つめながら、愛しい姿を見つめて歩み寄っていく。
もし、視線を逸らしたら消えてしまうかもしれない、それが怖くて瞬きすらしたくない。
そんな途切らせない視界の真中で、黒目がちの瞳が微笑んだ。

「外泊申請を今朝、外出許可に切替えたんだ。だから大学に行って、美代さんと内山とお茶してから、戻ってきたよ、」
「どうして?お母さん、待っていたんだろ?」

問いかけながらも腕を伸ばして、小柄な肩を抱き寄せる。
抱きしめた肩は骨格が華奢で、いつものよう温かで、穏やかで爽やかな香が頬撫でた。
この恋しい香の真中から見上げて、微笑んで、周太は応えてくれた。

「言ってくれたでしょ?土曜日には帰ってくる、って…だから、待っていたかった、英二のこと、」

ゆるやかなトーンの落着いた、聴き慣れた愛しい声。
この声が今、この腕のなかで現実に応えてくれた。この現実に微笑んで英二は問いかけた。

「約束の為に、待っていてくれたの?俺が、川崎に帰れなくなったから、」

どうかYesを訊かせて欲しい。
そんな想いに見つめた黒目がちの瞳は、純粋なまま見つめてくれる。
優しい眼差し見つめて、そして穏やかな声が幸せに微笑んだ。

「ん、約束してくれたから、待ってた。だって、俺の隣が英二の帰る場所なのでしょう?だから、待ってたよ?
ここだと、ごはん作ってあげられないけど、でも一緒には食べられるし…いっしょにおふろはいってねむることならできるし」

最後の言葉が恥ずかしげなトーンになっていく、そんな「いつもどおり」が嬉しい。
なによりも水曜の夜があった後なのに、それでも周太は真直ぐ隣に来てくれた。
この与えられる今の瞬間に抱きしめて、恋しいまま素直に英二は笑いかけた。

「うん、俺の帰る場所は周太だよ?俺、ほんとうに逢いたかったんだ、だから今、すげえ幸せだよ、」
「ほんと?幸せなの、英二?」

抱きしめた腕の中、嬉しそうに見上げて温かな手を背中に回してくれる。
掌から伝わる温もりがワイシャツを透かして優しくて、幸せなまま英二は綺麗に笑った。

「幸せだよ。泣きそうに俺、周太に逢いたかった…ずっと一緒にいてよ、」

綺麗な笑顔で幸せ告げて、微笑んでくれた唇へと英二はキスをした。
あまいオレンジの香のキスは、穏やかに優しくて、ただ愛しい。
そして、なにか懐かしくて幸せで、慕わしい。

ほら?やっぱりそうだ。幸せは、君の隣でしか見つめられない、ずっと君に還りたい。





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one scene 某日、学校にてact.2―side story「陽はまた昇る」

2012-07-28 13:38:45 | 陽はまた昇るside story
言いたいことは、



one scene 某日、学校にてact.2―side story「陽はまた昇る」

18時、あわく黄昏そまる陽射しに影が長い。
どこからか遠く聞こえる喧騒に、ここが街中なのだと知らされる。
ここからは今、山は遠い。

―奥多摩も、晴れてるかな

ふっと浮かんだ想いに、沁みだすよう胸が迫上がる。
こういう感覚は1年前は知らなかった、8ヶ月前も知らなかった。奥多摩に行くまでは、知らなかった。
どこか甘い、泣きたいような切ない想いが心充たす、この想いの名前は昔から知っている。
けれど、自分の感情としては持っていなかった。

『郷愁』

この単語が示す想いにいつも、一篇の詩が甦る。


The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

 生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
 沈みゆく陽をかこむ雲達に、謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
 時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
 生きるにおける、人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
 慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる


廊下の窓に、足が止まる。
ガラスの向こうに映りだす雲の残照が、黄金の輝きに翳も濃い。
この光と陰翳に見つめる色彩はどこか、山に廻らす命の輝きと眠れる死の静謐を想わせる。
この空に廻っていく風と光、そして時の流れに映りだすのは、山で見つめた時間と出会いへの想い。
その全ては唯ひとつの想いから始まった、この出逢いが不思議で、愛しい。

「…こんなふうに、俺が想うなんてね、」

独り言こぼれて、英二は微笑んだ。
この場所に初めて立ってから1年2ヶ月の時が過ぎた、この時間に自分は変わった。
この変化を「成長」と呼んでもいいのだろうか?
それとも、他の言葉が相応しい?

そんな想い廻らして、また歩き出す。
ゆっくり光の色が変わる廊下に、自分の足音を聴きながら歩いていく。
そして医務室の前に来ると立ち止まり、ノックして英二は声をかけた。

「失礼します、」

扉を開くと立花校医が帰り支度をしていた。
今日は用事でもあるのだろうか?そう見た英二に彼女は気さくに訊いてくれた。

「あら、宮田くん。ご用は何?」
「すみません、氷枕を、お借りできませんか?」

微笑んで依頼を言うと、すぐ戸棚へと踵返してくれる。
そして渡してくれながら、さらり立花は笑った。

「湯原くん、熱でも出しちゃった?」

なんで解かるのだろう?
すこし驚いて、けれど顔は穏やかに微笑んで英二は尋ねた。

「はい、そうです。どうして解かるんですか?」
「だってね、他の子だったら宮田くん、医務室に連れて来るんじゃない?」

可笑しそうに笑いながら、クーラーボックスに氷を詰めてくれる。
手際よく支度を整えて、悪戯っぽく立花校医は微笑んだ。

「大切な人は自分で診たい、ってタイプでしょ?山岳レスキューの宮田巡査は、」

図星だ。

英二の性質と周太との関係を、一文で看破された。
いつも吉村医師にも看破されるけれど、警察関係の医師はこんな感じなのだろうか?
そんな感想と少し観念しながら、英二は素直に笑った。

「はい、その通りです。先生に診せずに、すみません、」
「あら?仕事少ない方が私は、好都合よ?君のお蔭で私、安心して早く帰れるもの、」

飄々と笑って彼女は白衣を脱ぐと、ロッカーに仕舞った。
やはり何か用事があるらしい、そう見てとりながら英二は疑問を訊いた。

「俺のお蔭で安心、ってどういう意味ですか?」
「言葉のまんまよね、」

鞄を手に持ちながら立花は、愉しげに教えてくれた。

「警察医の講習会に私も顔出したのよ、警察官の心理とERだったから。そう言えば君なら、もう解かるでしょ?」

警察医の講習会、ER。
そう言われて導かれる解答は、1つしかないだろう。この答えに英二は微笑んだ。

「吉村先生に、お会いになったんですか?」
「そ。先生ね、君のコトを事例に出したのよ、」

自分のことを?
意外な答えに驚いていると、退出の点検をしながら校医は続けてくれた。

「初めての死体見分に立ち会った警官の心理、ってテーマがあったのよ。それで、君の最初の見分を取り上げてくれたワケ。
もちろん名前なんて出さないけどね?でも私は、立場的に解かっちゃうじゃない?この秋に青梅署で、初めてのって言われたら、」

吉村医師が出す事例なら当然、自身が所属する青梅署の話をするだろう。
そう納得しながらも英二は質問をした。

「藤岡も青梅署ですよ?どうして俺だって思うんですか?」
「優しくて生真面目だけれど、クソ度胸があるタイプって言ったら、君でしょ?脱走前科者の宮田くん、」

さらっと答えられて、英二は笑ってしまった。
クソ度胸とは言い得て妙かな?そんな感想が可笑しくて笑う英二に、彼女は言ってくれた。

「初めての見分で縊死にあったんでしょ?それなのに君は、食事をきちんと摂ったのよね。それって大したクソ度胸よ。
しかも遺族の方を受けとめて、最後のお別れもして。それ以来ずっと先生を手伝って、検案や見分にも立会ってきたらしいじゃない?
そういう合間に救急法と法医学を教わりながら、君は立派なレスキューの警察官になった。そう話してくれたわよ、タフな事例としてね、」

話しながら踵を返し扉を開いた。
それと一緒に廊下へ出ると立花は施錠して、英二を見上げると笑ってくれた。

「青梅署の吉村先生って言ったら、私たち警察関係の医者なら誰でも知ってるわ、ERの医者もそうよね。
あの先生は立派よ、私みたいなヤブ医者と違ってね。そういう先生に認められて褒められるって、すごいことなのよ?」

ほんとうに吉村医師は立派だと、自分も心から敬愛している。
そんな吉村が自分を認めていると話してくれている、その感謝に英二は微笑んだ。

「ありがとうございます。俺、もっと頑張りますね、」
「そうよぉ、向上心って大切よ?医学は日進月歩なんだから、怠らず励め、ってね。吉村先生のご期待に応えてよ?」

からっと笑いながら彼女は廊下を歩いていく。
そして出入口に来ると外を指さして、立花校医は言ってくれた。

「で、君のレスキューの腕前を、私も安心して信じてるってワケ。救急用具もちゃんと持ち歩いてるんでしょ?ってワケで、私は帰るわ、」

軽やかに笑って彼女は手を振りながら、暮れ始める外に出て行った。
見送って英二も来た道を戻っていく、その廊下はさっきより光の色が濃くあざやいでいる。
雲に映る黄金も密度を増して、翳の色彩も深く昏い紫を含みだす。
こんなふうに昏さを翳らす雲は、雨を呼ぶ。

―今夜は奥多摩にも、雨が降る?

山では、雨が生死を分けることがある。
熟練の山ヤだった田中ですら、故郷の山で雨に命を落としたように。
けれど、山にふる雨は生命を潤す水甕となって、木々の根に土に抱かれていく。
こんなふうに「山」は水だけから見ても、生と死が廻らす世界の理を教えてくれる。

そんな山の世界に周太は、植物学の目から夢を見つめ始めた。
土曜になると聴講生として大学に通い、警察官の業務と両立して学んでいる。
いつも勉強のことを楽しそうに話してくれる、けれど生身の人間である以上、疲れも当然溜まるだろう。

「…勉強しすぎて疲れたのかな、周太…」

ぽつんと独り言こぼれて、手に持った氷枕と氷ボックスを見つめた。
そのまま歩いて周太の自室に辿り着く、その扉に鍵を挿して開いた。

…たん、

密やかな音に、扉を閉じる。
部屋はオレンジ色の光が射しこんで、すこし荒い寝息が静謐をふるわす。
白いベッドのなかで今、周太は熱に曳きこまれ眠りこんでいる。

今日最後の授業が終わった途端、周太は倒れた。

敬礼をして遠野教官が教場から出て行って、周太の方を自分は振向いた。
その視界の真中で、やわらかな黒髪が揺らいだのを見た瞬間、もう体は並んだ机を飛越した。
スローモーションのよう倒れ込む小柄な体、受けとめた重みが熱くて。
さっき授業前に気付いた熱の様子に、無理にでも休ませればよかったと後悔した。
そのまま抱きあげて、鞄を関根に頼んで一緒に寮へと戻ると、周太の自室に寝かせた。

熱は38度5分、制服もTシャツも汗に濡れていた。
きっと授業中も体は辛かっただろう、けれど集中すると周囲が見えない性質だから、体調の異変すら気付かず無理をした。
そんな一途の純粋無垢が愛しい、でも心配にもさせられる。

あんなに一途で周太は、本当に警察の世界で生き残れる?それも、あの場所で?

ひやりと運命の冷たい手が心を撫でて、意識がクリアに醒まされる。
この疑問への答えを明るく温かいものに変えること、それは難しいだろう。
それでも自分は必ず願いを叶えたい、ずっと傍にいるために。

「…ずっと、護るよ、」

そっと笑いかけながら、黒髪やわらかな頭に掌を挿し入れる。
支えた頭の重みに熱がしみだしてくる、そのまま枕を外すとタオルに包んだ氷枕を置いた。
そして静かに頭を戻し、眠る顔を英二は見つめた。

この眠るひとを護りたい、ずっと傍にいたい。

この唯ひとつの想いの為に自分は、今まで努力を積んできた。
さっき立花校医が言ってくれたこと、あの全ても原点は「周太」だけでいる。
いつも結局自分は、唯ひとつの想いに始まっている。だからきっと終わる時も、自分は唯ひとつの想いに還って行くのだろう。
そんな想いに眠るひとの声が、ふっと言葉になって心へ映りこんだ。

―…英二の話をきかせて?俺に言いたいこと、わがままも、ぜんぶ話して

さっき言ってくれた言葉が、嬉しかった。
さっき自分は「一緒に山に行こう?」と約束をねだった、それに微笑んで頷いてくれた。
それから周太は、ふっと瞳を閉じて眠りこんで、そのまま目を醒ましていない。

「…わがままも、いいの?周太…」

呟くよう寝顔に微笑んで顔を近寄せる。
ふれる唇からの吐息がすこし熱くて、けれどオレンジの香はいつものまま。
それでも温められた香はいつもより濃くて、誘われるよう重ねた唇が、ひどく甘い。

―君のキスは、甘いね?周太…

あまく濃い香のくちづけは、秘薬のよう心蕩かされる。
重ねたまま離せなくなる唇に、熱い体へとこの身も添わせて抱き寄せる。
あまいキスと熱い温もりに想いを抱きしめて、心に願いがうかんでしまうのを英二は見つめた。

「…周太、ほんとうに言いたいことはね、1つだけなんだ、」

キスのはざま、そっと囁く。
それでも眠りから覚めない恋人に、願いを告げた。

「ずっと、ただ、抱きしめていたい。だから離れないで?ずっと永遠に、君に還らせて…」

唇に唇を重ねて繋ぐ、この願い綴じこめるキスは、甘く濃く、熱い。



【引用詩文:William Wordsworth『ワーズワス詩集』「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI】

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第51話 風待act.6―side story「陽はまた昇る」

2012-07-27 23:41:53 | 陽はまた昇るside story
時を待ち、それぞれの想いに



第51話 風待act.6―side story「陽はまた昇る」

ヘッドライトに照らされた50代男性の、薄汚れた登山ジャケットが彷徨の日々を教えてくれる。
その顔には窶れが見られる、この1週間でまた痩せたのかもしれない。
彼の山行が苦渋だったと、顔から服装から伺われて憐憫が誘われる。
けれど声は、冷静に英二の唇から闇を徹った。

「失礼します、いま、夜間の入山は規制中です。どちからいらっしゃいましたか?」

右手の拳銃はウィンドブレーカーの袖に隠したまま、問いかける。
けれど、ライトに照らされた顔はこっちを見つめて動かない。
その瞳の色を英二は、よく見知っている。

―入ったばかりの留置人と、同じ目だ

留置所に入った被疑者達は、最初は独特の表情をしている。
怯えたような強がるような目、または無気力な目、そうした負の感情に疲れ果てた狂気に似た眼差し。
そうした眼差したちに8ヶ月間、吉村医師の診察を手伝いながら何度も出会ってきた。
この男は、やはり犯人だろう。そんな確信の隣から低くテノールが言った。

「失礼ですが、ザックの中身を拝見できますか?」

言われた途端、男は瞠目した。
そのまま背に回した右手を振り上げる、そこには古びたピッケルが握られていた。

―山の道具を、凶器に?

ずしん、傷みが視界から奔る。
山ヤにとって登山道具は、登る自由を守る大切な物。
それを凶器に使っていた?哀しみと痛みが奔った瞬時、透明なテノールが怒鳴った。

「馬鹿野郎っ、ピッケルで殴るんじゃないっ!」

闇、一閃。

空間を引裂く音は鋭いまま犯人へ伸ばされる。
そして特殊警棒の先端が、ピッケルを握った手を撃ちつけた。

…がりっ、

瞬間、骨砕かれる微かな音を英二は聞いた。

ピッケルが手から滑り落ち、あがる悲鳴が尾根に響く。
ライト照らす顔が苦悶に歪む、それでも男は身を翻し酉谷山方面へ駆け出した。
その背後へと右腕が水平に挙げられる、そして冷徹な低い声が英二の口から放たれた。

「止まりなさい、撃つぞ!」

声に男がふり向いて、けれど足を止めない。
暗い視界、けれど英二は犯人の右足元へ銃口を向けると、トリガーを弾いた。
弾きしぼる闇にリボルバーの炎が閃く、同時に轟音が発射された。

奥多摩に、銃声が響き渡る。

梢から黒い羽ばたきが夜空へ放ち立つ。
視界の先、山の土が塵埃と煙らす底に人影は座りこんだ。
人影は既に手錠を掛けられて、その傍ら、光一が左手でピッケルを拾いあげた。

「あんた、山道具を使ってさあ、山の人間を殴ったね?」

透明なテノールが低く山の闇を透る。
古びたピッケルを眺め透かしながら、光一は長身から男を睥睨した。

「なんだい?ブレードんトコ、赤いモンが着いてるねえ?コレって何かなあ?アンタのこと叩いたら答えが解かるかなあ、ねえ?」

しゅっ、

右手の警棒が撓り、鋭利な音が闇を裂く。
その音の向こう緊張が走り撃ち、びくり男の影が縮こまった。

―ピッケルを使ったんだ…無理ないな、

心裡の声に、ため息がこぼれる。
雪山を愛する光一にとって、ピッケルは想い入れが深いだろう。
それを凶器に使った人間に、どんな感情を山っ子が抱くのか、どんな制裁を望むのか?
いま感情の導火線は止められない、そんな横顔を見ながら英二は拳銃をホルスターに納めた。

そっとザイルパートナーの隣に立つ。
見ると、透明な眼差しは真直ぐ男を見つめ、動かない。
動かない視線を追った先には、竦んだ目が大きく開かれ、怯えに蹲っていた。
まるで、蛇に睨まれた蛙だ。そんな感想に小さくため息吐きながら、低い声で話しかけた。

「国村、連絡入れるよ?」

ザイルパートナーに告げて、英二は無線のスイッチを入れた。
現場指揮の後藤副隊長へと繋ぐ報告、その最中に尾根を2つのヘッドライトが走ってくる。
見る間に2つの小柄な人影が近づいて、蹲る男の背後を挟んで大野と藤岡が立った。
その立姿に見た色彩に、無線で話しながら視線が止められる。

―藤岡?

小柄なウィンドブレーカーの左上腕に、赤い色彩が滲んでいた。
すこし荒い息を上がらせた顔は、初めて見る表情に険しく堅い。
その隣から大野が目立たぬように、パートナーを支えながら立っていた。

―藤岡、腕を、

藤岡はインターハイ出場経験もあるほど柔道が得手だ。
小柄な体格だけれど柔道技を掛けられたら、大柄で力もある英二ですら抑え込まれる。
そんな藤岡が犯人を取り逃がした理由が今、解からされてしまう。その理解のまま英二は後藤へ報告した。

「副隊長、藤岡が腕をやられています。すぐ応急処置に入ります、」
「なんだって?ちくしょう、」

悔しげな声が無線の向こう、歯を食いしばる。
指揮官にとって部下の負傷ほど悔しいものもない、それが無線越しに伝わってしまう。
同じよう心裡に奥歯を噛んで、けれど英二は微笑んだ。

「大丈夫です、藤岡はここまで走って来ました。今も自力で立っています、」
「そうか、なら気力はあるんだな?宮田、藤岡を頼む。俺もすぐ行く、」

哀しげな怒りの涙を声に見て、英二は無線を切った。
ちょうど芋ノ木ドッケ方面から畠中・木下チームが駈けてきて、犯人を囲んでくれる。
それを見て英二は藤岡を包囲の輪から連れ出した。

「宮田くん、藤岡を頼む、」

大野が声をかけ微笑んでくれた、その顔が心配を映している。
ザイルパートナーの負傷は辛い、それを英二も冬富士の雪崩で思い知らされた。
いまの大野の心を想いながら英二は、きれいに微笑んで頷いた。

「はい。大野さん、国村のこと頼みますね、」

こういう時は何かを任された方が、人は責任感から安定しやすい。
そんな心理を想いながら笑いかけた先、大野は少し可笑しそうに笑ってくれた。

「ああ、イザとなったらブレーキかけるよ。でも、俺も今ヤバいかもね?」
「そうしたら、俺が駆けつけますね、」

短い会話に笑い合って、光一の方を英二は見た。
こちらから見た雪白の貌はヘッドライトと隊帽のつばに翳り、瞳の表情が見えない。
けれど口許が薄く笑っているのが、見える。

―藤岡の怪我で、キレるかもしれないな

なるべく早く手当てを終えて、光一の元に戻る方がいい。
そんな判断を考えながら英二は、すこし離れたところに藤岡を座らせた。
藤岡のザックを膝で支えながら、手早くショルダーストラップを外していく。
そしてチェストハーネスとヒップホルダーも外すと、ザックは小柄な体から離れた。

「藤岡、痛みはどうだ?」
「うん、やっぱ痛えよなあ?でも、左腕以外は大丈夫だよ、」

荷重が消えて、ほっとしたよう笑ってくれる。
やはり負傷した肩には辛かったのだろう、救急用具を出しながら英二は尋ねた。

「寒気とかある?」
「大丈夫だよ、意識もはっきりしてるしさ、」

答えてくれる顔は幾らか蒼ざめて堅い、けれど人の好い同期は顰めながらも笑っている。
そんな様子を観察しながら素早くセッティングをし、感染防止グローブをはめると英二は笑いかけた。

「じゃあ、脈拍から始めるよ、」
「うん、よろしくな、」

素直に笑って右手を出してくれる、その手を握ると汗ばんで少し冷たい。
幾分弱い脈拍が常より早いのは受傷のためと、走ってきた所為だろう。

―怪我を負ったまま約1時間、尾根を走ってきたのか

きっと、取り逃がした責任に急いで走ったのだろう。
いつも軽やかに明るいけれど、責任感も強い藤岡なら自分のミスを赦せない。
その気持ちはよく解かる、けれど走った振動による負傷への影響が心配になる。
けれど心配は笑顔に押し込んで、英二はリフィリングテストのために右手示指を手に取った。
爪先端を5秒抓まんで放す、やはり爪の色調が戻るのに2秒を越えてしまう。
それでも英二はいつものように、笑顔で言った。

「大丈夫だな、じゃあ左腕を診るよ?悪いけど袖を切っていい?」
「おう、すっぱりいっちゃって?」

痛みに顰めた顔でも普段のように、明るい声で言ってくれる。
その声に微笑んで英二は、セットしておいた折畳式ハサミを持ち、縫い目に沿って袖を切り始めた。
ウィンドブレーカーと救助隊服とそれぞれを丁寧に切り開く、そして左上腕が現われて心裡に息を呑んだ。

―裂傷、打撲、それから

青黒く黄色い痣の斑へと、裂けた傷から血が滲み出している。
左上腕部の全体に骨の変形は見られない、けれど腫れが思ったより酷い。
骨の損傷は免れた、けれど打撲でも筋線維の損傷があれば、後遺症の可能性もある。
そしてこの炎症具合では発熱の可能性も高いだろう、早く下山させて安静にした方が良い。
どうか軽度で済んで欲しい、下山まで体力が保って欲しい。そんな祈りを心に抱いて、英二は笑いかけた。

「ちょっと怪我を洗うからな、沁みるだろうけど、ごめんな」
「平気だよ、これくらいの怪我なんてさ?俺、ガキの頃に鎌で切った事もあるしね、」

からり笑ってくれる顔に微笑んで、英二は清拭綿で傷回りを拭った。
幸い血液しかついて来ない、衣服の上からの打撃だから金属錆などは入らなかったのだろう。
これなら破傷風などの恐れは低くなる、すこし安堵しながら傷を拭いとり廃棄袋に清拭綿を入れた。
そしてシュリンジで傷の内部を洗浄すると、滅菌パッドを当てて伸縮包帯の部分を引っ張るよう巻きつけていく。

「包帯、きつくない?」
「うん、大丈夫だよ。おまえ、マジ巧いよなあ?すげえ手早いし、」

感心しながら見、笑いかけてくれる。
その顔色はさっきより蒼さが治まってきた、緊張がすこし解れてきたのだろうか?
この様子なら発熱は免れる?そんな様子を見ながら英二は、アイスパックを当てエラスチックバンテージで固定した。
そして切り裂いた袖をテープで仮留めすると、英二は笑いかけた。

「藤岡、おまえピッケルで殴られたんだよな?よく、この程度で済んだよ、」

処置を終えて片づけながら訊いてみる。
英二の質問に藤岡は、すこし照れ臭げに教えてくれた。

「殴りかかられた時、とっさに横受身で逃げたんだよ。でも左腕をやられちゃったけどさ、」

横受身は右斜め後ろへと倒れこむ、それで左側を残す型になるから左上腕を打たれたのだろう。
それでもピッケルは狙いを外され、衝撃が削がれたから打撲程度で済んでいる。
それにピッケルの状態からは、本当に酷い結果も考えられた。そのことを英二は口にした。

「それだけ出来たら充分だよ?犯人はブレードで殴ってるんだ、それで腕のとこ裂けているんだよ。だから、まともに当ったらさ?」
「うえ、マジ?」

大きい目が瞠らかれて、心底驚いた顔になっている。
もしブレードをまともに食らったら、怪我どころでは済まないだろう。
最悪の場合は即死もありうる、その可能性に「マジかよ?」となっている顔に英二は笑いかけた。

「ブレードに血痕があるんだ、それ見て光一がキレてた。だから今、ちょっとヤバいかな、」
「うわ、そっちのが拙いよなあ?宮田、早く行った方が良いよ、」

自分の痛みを忘れたような顔で勧めてくれる。
こんなふうに言われるほど、光一の山関係での怒りは恐ろしい。この勧めに英二は素直に微笑んだ。

「うん、行ってくるな?藤岡、ザックに腕を載せて、なるべく心臓より高くしといてくれ、」
「そうしておくからさ、ほら、なんか不穏な空気だよ?」

言われて立ち上がりながら振向くと、長身の後姿が軽く首を傾けている。
あの癖は銃を使って狙撃する時にも出る、だから、その仕草の意味は?

「まずいな、」

呟いて英二は身を翻すと、ザイルパートナーの元に駆け寄った。
すぐ隣に立って見た光一の横顔に、英二は軽く息を呑んだ。

秀麗な貌だけに、冷たい。
月明かりに雪白の肌が透けて、無機質なほど体温を感じさせない。
冷厳を孕んだ微笑は触れられぬ怒り、その細い目の眼差しに冷徹が閃いている。

こんな貌を光一がするなんて?
そんな驚きが心を打つ、けれど納得も感じながら英二は、そっと白い耳に囁いた。

「藤岡、無事だから、」

ふっ、と横顔の空気が和む。
その左手から物証のピッケルを取りあげながら、英二は微笑んだ。

「打撲だと思う、ちゃんと治るから。そうしたら、柔道も山も支障ないよ、」
「…そっか、」

テノールの声が微かに笑って、雪白の貌は英二を振向いた。
もう細い目には温かな笑みが浮びだす、その目に微笑んで英二はそっと肩を押した。

「藤岡、独りだとつまらないからさ、ちょっと顔見せて来なよ、」
「うん、行ってくるね、」

素直に笑って光一は、英二と交代すると藤岡の方へ歩き出した。
その右手は特殊警棒を片手で器用に畳み、元に戻すと腰へ提げた。
これでもう光一が、犯人に手を挙げる危険はないだろう。
そっと安堵に微笑んだとき、雲取山頂方面からヘッドライトが幾つも向かってきた。

そして、秩父奥多摩の連続強盗犯は、逮捕された。





青梅署独身寮に戻ったのは、午前2時を回っていた。
風呂を済ませて部屋のデスクライトを点ける、そして英二は紺青色の日記帳を開いた。
すこしでも読み進めよう、そんな意志だけれど流石に疲労がおしよせる。
それでも眠気を堪えながら持ったペンを、背後から白い手に取り上げられた。

「今夜はもう寝なよね、ア・ダ・ム、」

透明なテノールに笑い声に英二は振向いた。
その肩に雪白の貌が載せられて、温かい眼差しが英二に微笑んだ。

「今日、初めて人に銃を向けたんだ。しかも発砲してるよ、狙いは外していても疲れたはずだね。もう寝てさ、朝にした方が良い」

たしかに光一が言う通りだろう。
潔く日記帳を抽斗にしまい施錠すると、ライトを消して英二は立ち上がった。

「心配かけて悪いな、ありがとう、」
「どういたしまして、こっちこそ邪魔するよ、」

笑って光一は、さっさとベッドに入りこんだ。
左手首の『MANASULU』を見つめ、丁寧に外すとベッドサイドに手を伸ばす。
ことん、小さな音と置いた掌が薄暗い部屋に白く浮かんで見えた。
その白い手は優しく繊細で、ふと英二は思ったまま微笑んだ。

「光一のピアノ、また聴きたいな、」
「なに、そんなに気に入ってくれてんの?」

嬉しそうに雪白の貌が微笑んでくれる。
この明るい笑顔にほっとしながら、英二も腕から時計を外した。

「おまえのピアノ、好きだよ、」

答えながら、外した時計の文字盤にキスをする。
それからサイドテーブルに置くと、透明なテノールが微笑んだ。

「ありがとね。でも、その時計の方が、もっと好きだろ?…あのひとの贈り物だもんね、」

言った顔に振向くと、透明な目が一瞬だけ視線を交わした。
けれどすぐ微笑みに逸らして光一は、別の話を始めた。

「周太の曾祖父さんが勤めていたトコ、やっぱり戦争のときは軍需産業だよ。で、曾祖父さんは祖父さん達と同じ大学出てる。
それからね、やっぱり出身は例のトコみたいだよ?それっぽいこと、あの小説に書いてあったんだ。それでWEBとか調べたけど。
あそこで湯原姓だとさ、砲術指南っぽいんだよな?筋目のイイ、頭のイイ家柄みたいだよ。名前も皆、一文字で子音が『u』だしさ、」

ひと息に話して、ほっと光一が息を吐いた。
それから今度は問いかけを英二に投げてきた。

「おまえ、明日は結局、ガッコの寮に戻るワケ?」
「うん、藤岡に付添うよ。熱はもう大丈夫そうだけど、包帯替えたりとか、片手だとキツイだろ?」

―ごめん、周太

答えながら心のなか、英二は周太に謝った。
ほんとうは明日土曜日は、川崎の家に帰る約束を周太としている。
けれど、負傷した藤岡を放りだすことは出来ない。そんな想いの隣から、透明なテノールが尋ねた。

「周太にはもう、連絡した?」
「うん、さっき風呂の前にね。すぐ返事くれた、気を付けてね、って、」

きっと周太には寂しい想いをさせた、それが辛い。
けれど英二は光一に笑いかけた。

「曾おじいさんのこと、ありがとうな。光一も忙しかったのに任せきりで、ごめん、」
「俺も知りたいからね?おまえは警察学校じゃ、調べようもないしさ、仕方ないだろ?」

からり笑ってくれる、その笑顔が薄闇にも明るい。
けれど、さっきの寂しげなトーンが気になって英二は、問いかけた。

「光一にとって、周太ってどんな存在?」

“元からソンナ繋がりじゃない、人間としての道とは別モンだ”

入山前、そんなふうに光一は周太のことを言った。
この意味を本当は気になっている、それを知りたいまま見つめた英二に、底抜けに明るい目が温かに笑んだ。

「神様に近いね。不可侵で不滅で、永遠だよ、」

“光一にとっての俺は『山』と同じなんだよ?”

光一の言葉に、周太の言葉が重なる。
4月、雪山シーズン最期に冬富士を登る直前だった、あのとき英二は周太の懐に泣いた。
あのときの優しい声が深くから今、ゆるやかに聴こえだす。

―…いつも一緒にいなくて大丈夫なのもね?『山』や『山の木』で繋がっているって、信じていられるからなんだ
 『山』と同じだから、この気持ちも繋がりも終わらないって、信じられるんだ
 光一にとっての俺は『人間』らしい命の終わりは、無い相手なんだ…だから光一は俺をずっと好きなんだよ、『山』と同じように

あの言葉は、真実なのだと今、あらためて解かる。
こんな無垢な繋がりは不可思議で、神秘の向こうに想えてしまう。けれど光一と周太にとっては現実のこと。
こんなふうに繋がり合う2人のはざまに佇んで、英二は微笑んだ。

「そういうの、綺麗だな。光一も周太も、すごく綺麗で、見ていたい。もし許されるなら、ずっと傍で、」

そう出来たら、どんなに良いだろう?
そんな想い素直に見つめて、英二は隣に横たわるザイルパートナーに笑いかけた。
そうして見つめる雪白の貌は微笑んで、そっと寄添ってくれた。

「傍にいてよ、ずっと…英二、」

透明なテノールが微笑んで、名前を呼んでくれた。
見つめてくれる透明な瞳は澄んで、無垢のまま英二を映しだす。そして、自分の目には光一が映っている。
この瞳に永遠の合わせ鏡を見つめながら、英二は約束へと綺麗に笑いかけた。

「光一、約束のキスさせて?ずっと、俺といてくれるのなら」

入山前のひと時に言った言葉を、今ここで繰り返す。
あのとき光一はキスを逃げて、それでも自分は勝手にキスをした。
けれど今は、透明なテノールは静かに笑って言ってくれた。

「うん、約束をキスで結んでよ?生涯のアンザイレンパートナーとして寄添って、永遠に『血の契』でいてくれるなら、」

ふたつの絆を重ねて、繋ぎあう約束。
この約束の永遠に英二は、光一の右手をとり白い薬指の先を見つめた。

「ここ、傷痕が残ったな?薄いけれど、見えるよ、」

光一の両親の命日に、ふたり薬指の先をトラベルナイフの刃先に切裂いた。
そして傷を重ねて互いの血を交わした、ふたり『血の契』でこの身を繋ぎあうために。

「うん、残ってるね…英二は?」
「俺もだよ、」

自分の右薬指を見せて、光一の指先と重ねあわせる。
そして合わせ鏡に瞳見つめ合いながら、薄紅の唇に約束のキスと唇を重ねた。

ふわり、花の香が唇から体内へとおりてゆく。






(to be continued)

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one scene 或日、学校にて―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-27 12:39:20 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってくれないけれど、今だけは



one scene 或日、学校にて―another,side story「陽はまた昇る」

授業が終わって小休止の時間、周太は青い表紙の本を開いた。
このハードカバーは植物学の専門書、青木樹医から贈られた周太の宝物の本。
だから警察学校のテキストとは関係が無い、けれど少しの時間でも読む時間が欲しくて、持って来た。

…部屋に戻るとね、英二から勉強教わるか、あと、

あと、抱きしめられているかだから。

そんな心裡の思案に周太は頭を振った。
こんなことを教場で考えていたらダメでしょう?ほら首筋が熱くなってしまう。
熱くなる衿元をそっと右掌で押えたとき、窓からの風がページを捲ってしまった。

「…あ、」

ちいさな声が出て、左掌でページを押えこむ。
その手首に陽射しがふれて、クライマーウォッチの文字盤が光った。

…これ、英二からの婚約の贈り物、なんだよね

そっと心に幸せなため息こぼれて、微笑がほころんでしまう。
この腕時計は英二が初任教養の時に買い求めた、そして12月のクリスマスの日までずっと身に着けていた。
半年を英二の左手首に過ごした腕時計は、英二の努力と記憶を刻んだ大切な宝物。
こんな大切な腕時計だから欲しくて。だから英二が欲しがっていたクライマーウォッチを贈って、代わりに受けとろうとした。
けれどそれが、婚約という話に急転換してくれた。

…知らなかったな、腕時計の交換の意味、

あれから半年近くになる、その間に色んなことがあった。
そして婚約は現実になって、3月には英二の父親が実家まで挨拶に来てくれた。
そのうち落着いたら、英二の母親も一緒に両家で食事をすると、あのとき決めたらしい。

…いつするのかな、お母さんと英二で話してるみたいだけど、

青色の本のページを繰りながら、つらつら考え事が行間に交ってくる。
ときにブナの森が鮮やかに脳裏へ現われて、今度は茶の席で見た英二の父の笑顔が現われて。
あの立派な紳士という雰囲気は、素敵だなと見惚れてしまった。
けれど見惚れた本当の理由は、ちょっと別にある。

…30年後の英二、あんな感じなのかな?

英二の顔立ちは、基本は母親似だけれど目が父親とそっくりだった。
そして雰囲気がよく似ていて、端正な物腰や背中の感じ、綺麗な低い声が同じで。
あんなふうに大人になった英二の、隣に自分がいられたらいいな?そう思いながらつい、見惚れてしまった。

…あ、こんなこと考えてるとダメ、

ふと我に返ったときにはもう、首筋が熱い。
まだもう1時間授業があるのに、こんな赤くなってしまったら困る。
困りながらまた首筋を摩っていると、綺麗な低い声が至近距離から話しかけた。

「周太、このあとの授業終わったら、ちょっと質問させて?そのあとトレーニングでいいかな、」

とっくん、

心臓がでんぐり返ってページから目をあげると、前の椅子に座って英二が笑っている。
いつの間に来たのだろう?それもなんていいタイミングで来たのだろう?
さっき考えていたことに首筋が熱くなりだした、もう顔も赤い?

「周太?顔が赤いじゃないか、熱は?」

驚いて身を乗り出すと英二は、額に額付けて熱を看てくれる。
でもこれ、今は本当に困ってしまう。
だってこんなことされたらよけいに逆上せて真赤になるのに?

「ちょっと熱いな?周太、具合は?授業受けられそう?」
「…あ、はい、だいじょうぶです、」

なんとか声が出てくれて、周太は微笑んだ。
そんな周太の瞳をのぞきこんで、英二は困ったよう笑いかけてくれた。

「具合悪くなったら、無理するなよ?季節の変わり目だから、体調崩しやすいし。毎晩、遅くまで頑張ってるもんな、」

毎晩がんばってるってなんのことを?

そんな質問が心にうかんで、また顔が熱くなってくる。
いま英二はそんな意味で言ったんじゃないよね、きっと勉強のことだよね?
だって警察学校の寮だからそんなことそんなにしていないし、でも少しはそれはしているけれど?
でも今はきっと勉強の意味だよね、なのに自分は何を考えているのだろう?

「周太?…なんか、ほんとに大丈夫?どうしたんだろ、」
「はい、だいじょうぶですから、」

お願い、今、ちょっと離れて、そっとしておいて?

けれどそんなことは言えない、言ったら英二は勘違いして傷つくから。
それ以上にもっと「顔が熱くなってしまう理由」は言えない。


そして夕方、周太は熱を出した。


その日最後の授業が終わって敬礼をして、遠野教官が教場を出て行った。
途端にがっくり膝が崩れ落ちて、机に突っ伏すよう倒れ込んで。
そうして気がついた視界には、見慣れた部屋の天井が見えた。

「……あ、」

どうしてここにいるの?

教場で礼をして、そこまでは覚えている。
そのあと何があって、どうやってベッドに来たのだろう?

「周太、気がついた?」

綺麗な低い声に名前呼ばれて、瞳を動かすと優しい笑顔が見つめてくれる。
その視界がぼんやり霞透かすように、どこか頭がすっきりしない。
本当に自分は熱を出したのかな?すこし首傾げて周太は尋ねた。

「…あの、俺、熱だしたの?」
「うん、8度5分ある。水分摂って寝てような、いま飲めそう?」

訊きながら長い腕が、そっと抱き起してくれる。
くらり頭が揺らいで意識がゆれる、こんなふうに熱を出すのは久しぶりだろう。
ぼんやりしている体を支えながら、長い指の掌が青いペットボトルを近寄せてくれた。

「周太が好きなやつ、買ってきたけど。飲める?」

スポーツドリンクを周太に持たせながら、手を添えてくれる。
促されるまま口付けると、適度な冷たさが喉に気持いい。
そのまま1/3ほど飲んで、ほっと息つくと少し頭がはっきりして周太は微笑んだ。

「ありがとう、英二…教場から、はこんできてくれた?」
「そうだよ。ちゃんと、お姫さま抱っこで連れてきたからな、」

答えながらペットボトルを受けとってくれる。
そしてまた腕に抱えて体を寝かせてくれると、きちんと布団を掛けなおし包みこんでくれた。
窓から見える空はまだ明るい、まだ早い夕方の時間なのだろうと理解がうかんでくる。
どのくらい眠っていたのだろう?ぼんやり考えながら周太は質問をした。

「…ね、いまなんじ?どうして俺、熱でたのかな…」
「いま、5時半だよ。疲れが溜まっていたのと、あと、知恵熱かな?」
「ちえねつ…?」

なんだか聞いたことがある単語?
そう首傾げた周太に英二は、楽しそうに微笑んで教えてくれた。

「うん、ちいさい子に多いんだけどね?頭を使い過ぎると、脳がびっくりして熱になる、っていうか、」

やっぱり自分は、まだ子供なんだ?

そんな自覚に溜息が出てしまう、もう23歳の男なのに恥ずかしい。
恥ずかしさに困りながら英二を見ると、もうジャージ姿に着替えている。
けれど、汗の匂いはしない。その様子に気がついて、申し訳ない気持ちと訊いてみた。

「…トレーニング、いかなかったの?」
「周太を置いては行きたくないよ、」

静かに言って、綺麗な笑顔が優しく見つめてくれる。
いつも優しい英二、また今日もこんなふうに面倒を見て、傍から離れない。
こういうのは嬉しい、けれど申し訳なくて周太は謝った。

「ごめんね…めんどうみさせて迷惑かけて。英二にも予定、あったのに、」
「謝らないでよ?俺が周太の傍にいたいだけなんだから、それに、」

ちょっと言葉を切って、切長い目が瞳をのぞきこむ。
なにかな?そう見つめ返した眼差しに、幸せな笑顔が応えてくれた。

「婚約者なんだから、面倒をみるのは当たり前だろ?俺の花嫁さん、」

約束の名前で呼んで、唇にキスふれる。
やさしい温もりに唇ふさがれて、あまい熱が入りこんで意識を蕩かす。
こんな熱っぽい時なのに熱を注がれて、頭ぼうっとする、なんだかわからない。

「…えいじ、」

見上げた瞳が熱に視界が滲んでいる。
けれど見つめた先の切長い目は幸せそうで、端正な貌がまた近づくと頬よせられる。
なめらかな感触がすこし冷たくて気持ちいい、嬉しくて素直に周太は微笑んだ。

「ん、…えいじのほっぺ、きもちいい、」
「ほんと?うれしいな、周太、」

…ぎっ、

綺麗な低い声と一緒に、ベッドが微かな軋み声をあげる。
ベッドの声のなか長身は隣に横たわって、そっと長い腕が抱きよせてくれた。

「周太、眠って?こうして温めてあげるから、」
「ん…きもちいいね、えいじの体温…あ、」

答えながらふと、周太は自分の服装に気がついた。
さっきまで制服を着ていたのに、今は部屋着の白いシャツを着ている。
いつの間に着替えたのだろう?記憶が無くて周太は、添い寝してくれる婚約者に尋ねた。

「ね…おれ、いつ、きがえたの?」
「うん、俺が着替えさせてあげたよ、」

嬉しそうな声が応えて、周太の瞳が大きくなった。
そして脚にふれる感触に、はっとして意識がすこしクリアになる。

…もしかしてそうかな?

気がついたことに心臓が身構えだす。
ひとつ呼吸して心構えを決めると、そっと布団を捲って見た。
心構えと見つめた視線の先で、自分の脚は素肌のまま晒されている。
そして白いシャツの裾から少し見える、ボクサーパンツが朝見たのと違っていた。

「…あの、もしかして、ぜんぶきがえさせてくれた?」

訊かなくても、きっとそうだと解る。でも訊いてしまう。
訊きながら恥ずかしくて、もう熱がじわり首筋を昇りだす、また赤くなってしまう。
そんな心配の隣で、心から幸せそうな笑顔が華やいだ。

「うん、汗かいてたしさ。ちゃんと全部、拭いてから着せてあげたよ?楽な方が良いだろうから、下は素足のままにしたけど」

ちゃんと全部、拭いてから?

「あの、ぜんぶ、ふいた、って?」
「周太の体を全部、拭いたんだよ?お湯もらってきて、タオル絞ってさ、」

さらり答えて、綺麗な笑顔が幸せに咲いている。
この「全部」の意味は、言ってくれなくても解かってしまう、そして恥ずかしい。
どうしよう、だってこんな昼間の明るい部屋で、全部を、ってどうしよう?
そう困っているのに恋人は、いよいよ嬉しそうな笑顔で言ってしまった。

「さっぱりして気持ちいいだろ?ちゃんと全部、拭いたからさ。だから全部見ちゃった、周太の肌。どこも綺麗で、可愛かったよ、」

ちゃんと全部、見ちゃった、どこも

そんな言葉で「どこも」見られたのだと解かってしまう。
この「どこも」は普段見えない所もなのだと、英二の笑顔が言っている。

『もう嬉しくって堪りません、大好き、』

こんな感じに幸せいっぱい告げてくる。
こんな顔する時の英二は「何を」した時なのか、もう知っている。
ここは警察学校の寮なのにどうしてこんなことしちゃうのかな?気恥ずかしくて俯きながらも周太は声を押し出した。

「…えいじ、そんなダメでしょ?がっこうなんだから…えっちなこと禁止でしょ…?」
「仕方ないだろ、看病の為なんだから?不可抗力だよ、周太、」

正当化を告げながら幸せな笑顔で抱きしめて、瞳のぞきこんでくる。
その切長い目が「すごい幸せ嬉しい」と笑ってくれる、もうこっちは恥ずかしくて仕方ないのに。
そんな想いに唇が開いて、質問がこぼれた。

「…えいじ、どうしてそんなにうれしそうなの?」
「うん?そんなこと、決ってるだろ、」

端正な唇は幸せに笑って、言ってくれた。

「周太のこと、もう今日は、俺が独り占め出来るだろ?だから嬉しいよ、もう今日はずっと傍にいるから、」

ほんとうは誰にも見せたくないよ?
ほんとうは独り占めしていたいよ、ずっと傍にいたい。

そんな本音、いつもなら英二は言わない。
冬富士の後から英二は尚更大人になって、周太への愛し方が大らかになった。
その分だけ英二は以前より、ずっとワガママを言わなくなって、微笑んで見守ることが多い。

でも本当は英二の願いは、ずっと変わっていない。
ほんとうは周太を独占して傍にいたい、そう願ってくれている。
そんな一途さは少し子供っぽくて、切なくて、つい近所のゴールデンレトリバーを想い出す。

なんだか可笑しい、こんなこと。
こんなに綺麗な人が自分のこと、こんなに独り占めしたがって傍にいたがるなんて?
そんな想いに周太は手を伸ばして、添い寝するひとの髪を撫でた。

「えいじ…ほんとに、恋のどれいでいてくれるんだね、」
「そうだよ、周太は俺の、恋のご主人さまだから」

幸せな笑顔が華やいで、周太の掌に頭を任せてくれる。
さらり、指から綺麗なダークブラウンの髪がこぼれて、切長い目が幸せに微笑む。

「ね、周太?命令してよ、何か欲しいものとかある?何かして欲しいことあったら、なんでも言って?」
「ん…ありがとう、えいじ…えいじは、なにしたいの?」

ゆっくり髪を撫でながら、見つめて訊いてみる。
見つめた向こう、切長い目は美しい微笑うかべて、幸せな声が言ってくれた。

「俺はね、こうして周太を独り占め出来ていたら、嬉しいんだ。周太は何をして欲しい?」

さらさら綺麗な髪、白皙の額こぼれかかる様が綺麗で、見惚れてしまう。
綺麗な髪を透かす切長い目は一途にこちらを見つめて、幸せな微笑の瞳に自分が映りこんでいる。
こうして見惚れて見つめ合っている、静かな時間が優しい。優しい時の幸せに周太は微笑んだ。

「じゃあ、えいじ?今日はね…こうして横になって、英二の話をきかせて?…俺に言いたいこと、わがままも、ぜんぶ話して?」

それが自分がして欲しいこと。
この優しい時間に、心の深くから静かな、ちいさな祈りが生まれてくる。

どうか今だけは、わがままを言って?
いつもは言えない言葉を、あなたの想いを聴かせて?
叶えられるものならば、ひとつでも多く叶えてから、あなたの元を離れるから。
そしていつか約束の通りに、戻ってくる日を信じて、待っていて?

いつも言ってくれない想いを、どうか聴かせて?



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