How shall my mind’s white truth by them be try’d?
英二24歳3月下旬
第85話 暮春 act.30-side story「陽はまた昇る」
ファントムを選ばない歌姫、その結末は?
“Le Fantome de l'Opera”
あの小説あの言葉、自分を今に惹きこんだページ。
オペラ座に棲む男は“Fantome”と畏れられ、けれど歌姫は天使と呼んだ。
そうしてファントムは彼女に恋をして、でも美しい貴族の青年を選んだ歌姫。
不可思議な恋物語つづる小説、それは君との記憶で、それなのになぜ?
「なんで周太…あの女が『オペラ座の怪人』の話するんだ?」
問いかける声が白い、雪の梢にとける。
三月に鎖される白銀の森、黒目がちの瞳が笑った。
「今、フランス語の勉強に読んでるんだって…あのね英二、この春から美代さんね、大学に入るんだよ?」
無邪気に笑う、君の瞳。
冷気はずむ紅潮の頬、白銀の零度にきれいだ。
薔薇色やわらかに君が息づく、その唇がきれいで苦しい。
「合格発表、ニュースに映ってたよ…周太?」
呼びかけて笑いかけて、だけど今きっと変だ。
いつもみたいに笑えない、そんな自覚に薔薇色が火照る。
「…えいじみたんだ、ね…はずかしいでしょぼく、」
困ったな?
そんなふう黒目がちの瞳が笑う。
はにかんだ眼どこも変わらない、でも、前より幸せに見えてしまう。
そうして鼓動ゆっくり咬まれる、こんな感情なんて言うのだろう?
「いや、周太はかわいかったよ、」
素直な感想が唇を笑う、けれど心が硬くなる。
だって刺された、あの女に。
『美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、』
どうして、なんであの小説に譬えるんだ?
あれは特別、自分には、そうして君にも特別な一冊。
あのベンチなぞるページは幸福と危険と、君とだけの世界だった。
それなのに何故あの女が?
「…かわいいとかそういうのいまはいいから、」
君の声すこし拗ねる、すこし怒ったみたいな黒目がちの瞳。
こんな貌ずっと好きだった、逢いたかった、でも心臓が凍る。
「かわいいよ、周太は今も、」
微笑んで痛い、だって予兆が絞める。
あの小説をあの女が譬えた、それが。
“Le Fantome de l'Opera”
あの女がなぜ、あの小説になぞらえる?
過熱してゆく疑問もだえて、唇こぼれた。
「…あの女に話したのか周太?ページがない『オペラ座の怪人』のこと、」
もし君が肯いたら?
―周太のいちばん深い秘密だ、それも話しているならもう、
鼓動が攣る、心臓じくり灼かれてゆく。
疼く予想に穿たれてゆく、もし肯かれたら自分はどうなるだろう?
耐えられるだろうか、それとも同じだろうか?あの夜と。
―だめだ、あの夜と同じになったら今の俺は、
あの夜あのとき、自分の手が犯した罪。
あれから一年も経っていない、ほら、掌の記憶ぶり返す。
ゆすぶられる記憶の夜の果て、黒目がちの瞳が微笑んだ。
「あの本は美代さん何も知らないよ…知らなくていいんだ、一生ずっと、」
雪ふる森、銀色やわらかな大気に声が白い。
白い靄しずかに君をかすめて、呼吸そっと笑った。
「そっか、」
「ん…英二こそ光一には話したでしょ?」
問いかけてくれる眼ざし穏やかに優しい。
もう決めている、そんな想い瞳の底から明るい。
こんなふうに君こそ強い、本当はずっと、最初から。
「やっぱり周太、俺の本性よく見てるよな、」
笑いかけて痛い、誤魔化せなくて。
もうすこし君が愚かだったらいい、そうしたら幸せだった?
「英二…教えて、ほんとうのこと全部、」
白銀の零度やわらかな声、この静かな穏やかさが好きだ。
最初からずっと好きだった、今も見つめられて鼓動が震える。
けれど終わるかもしれない果て、もう決まってしまった瞳に見つめられ答えた。
「相談するのに少しな、でも全部じゃない、」
あのアンザイレンパートナーを巻きこんでしまった、権限が欲しくて。
それがなくては探れなかった現実に君が訊く。
「…光一の閲覧権限を使うためだね、警察のデータファイルは盗めたの?」
ほら?たどりつくんだ、君は。
だから言いたくなかった、でも沈黙は今もう許されない。
『英二はひとりぎめ独善的で自分勝手、自惚れるぶんだけ大事なこと教えてくれない、僕なんかじゃ信頼もくれないね?』
たった今、君が言ったこと。
あの想い疎かにできない、嫌われることが怖い。
こんなになってしまっても怖くて、ただ冷たい息そっと笑った。
「周太もデータファイル見たんだな、伊達さんはSATの実権も情報もあるだろ?」
あの男なら多分、なんでもできる。
そんな男も味方につけてしまった、それが君だ。
そんな君を自分がいちばん解っていなかった?見つめる雪の底、黒目がちの瞳ゆっくり微笑んだ。
「有能で真直ぐなひとだよ…英二にも操れないひと、でしょ?」
会ったことあるでしょう?
そんな視線が自分に微笑む。
また君はこうしてたどりつく、防げない。
「怖い男だよな、あいつ、」
笑いかけて君が見つめる、黒目がちの瞳が自分を映す。
どんなふう君に映るのだろう?この自分は、あの男は。
『鷲田克憲の後継者に男の愛人はじゃまだろ?』
図星ただ突き刺して声、低く響く。
耳朶まだ残る声、弱点まっすぐ突いてくる。
『おまえが岩田を説得するのは難しい、だから湯原は撃たれた、』
耳底ふかく敲く疼き、もう消えないかもしれない。
それだけ悔しかった、今も痛覚に撃たれ穿たれて、それでも笑った。
「あいつのことは今いいよ、それより周太?あのお、小島さんがなんで歌姫に怒るのか教えてよ?」
あの男は怖い、でも君の全て奪うわけじゃない。
でも、あの女は奪える。
『美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、』
そんなふうに言う女、だから揺すられる。
そんなこを言った意味、心、ほんとうは今もう気づいてる解っている。
そんな女だと知っていて知らなかった、その傲慢に穏やかな瞳が微笑んだ。
「ファントムは一生懸命に生きるひとだって、美代さんは言うんだ、」
雪ふる黒髪、クセっ毛やわらかに白銀が舞う。
穏やかな声しずかな森、大樹を見あげ訊いた。
「あの怪人はようするにストーカーだろ、それが一生懸命なのか?」
「ん、それもそうだけど、それだけじゃない…」
穏やかな声すこし笑う、見なくても解る。
もたれる古木あおぐ銀色視界、声が微笑んだ。
「ファントムは醜いから売られた子どもだったでしょう?でも勉強して成功して、才能のために酷いめにも遭って…それでも生きたひとだよ、」
醜悪に生まれて才能に生きた男。
そのとおりだろう、そして似ている。
“きれいな人形”
ほら、嫌な言葉が起こされる、似ているせいだ。
だからこそ大切になった一冊、あのベンチ、その声が続ける。
「でも歌姫の初恋のひとはハンサムでしょう?貴族に生まれて、みんなに愛されて良い人で苦労なんかしらない…ファントムと真逆なラウル子爵、」
その男も自分と似ている、すこしだけ。
けれど唯ひとつ違う、その一点ひび割れて深すぎる溝。
もし“みんなに愛されて”いたら“人形”じゃなかったろうか?
「…幸せなヤツだよな、そいつはさ、」
想い唇こぼれる、溝深くから。
だから自覚して同調して、自分は選んだ。
“Le Fantome de l'Opera”
あの小説なぞらえる存在、隠される「 Fantome 」いびつな存在。
この自分が生まれた国で潜む連鎖、その真中で君が見つめた。
「英二…英二は、歌姫はどちらと似てると思う?」
どちらと似ている?
考えたことがない、そんなこと。
問いかける銀色の樹影、穏やかな声が言った。
「歌姫は家が没落して、それでもがんばってプリマドンナを目指したんだ…苦労から夢を叶える逞しいひとだよ、」
やわらかな冷気に黒髪ゆれる、真白ふわりクセっ毛ふれる。
まだ雪は止まない。
「ね、英二…ふたりは一生懸命に生きるひとなんだ、ひとりはご飯の心配したこともないのに、」
こまやかな白銀やさしい、その言葉が自分を見つめる。
なぜこんな話するのだろう?解らないまま問われた。
「歌姫はご飯が食べられなくても舞台を選んだひとだよ、そういう歌姫に、ほんとうに寄り添えるのはどっちだと思う?」
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
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