萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

文学閑話:予祝、豊年の雪×万葉集

2024-02-06 22:18:17 | 文学閑話万葉集
祝う真白、浄雪の燈


文学閑話:予祝、豊年の雪×万葉集
新しき 年のはじめに 豊の年 思るすとならし 雪の敷れるは  葛井諸会
あたらしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは ふじゐのもりあい

新しい年のはじめ、豊かな年の徴として雪が降り敷くのだろう
新雪は米のよう真白で、白く積もるほど豊作になると寿ぐ予祝のようで

あまりメジャーではない歌ですけど、新年×雪の歌として好きです。
『万葉集』第十七巻に掲載の歌ですが西暦756年1月に宮中、天皇の住まいで雪掻き奉仕をした返礼の宴で詠まれました。

原文は、
新 乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波

万葉仮名はただ音を当てているワケではなく、音×意味で字選びしている傾向が見られます。
この歌は「米」「豊」「登」とありますが、古来からある正月に豊作を祝う行事をイメージさせます・この豊作は米=五穀の王がメインだからです。
この令和でも宮中行事として皇室の祭には、米にまつわるものが多く現存しています。これらの祭が民間にも伝承されているのが春祭り=田の神迎えや、秋祭り=収穫感謝祭です。

雪が降った昨日今日、ここから善き年へとなっていけたらいいなあとコンナ歌を載せたくなりました。
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文学閑話:白梅の恋×万葉集

2024-01-10 17:05:00 | 文学閑話万葉集
真白の恋、浄雪の夢


文学閑話:雪梅の恋×万葉集

梅の花 開けるのうちに ふふめるは 戀かこもれる 雪を持つらか 茨田王
うめのはな さけるのうちに ふふめるは こひかこもれる ゆきをもつらか

梅が花ひらく、その内に開ききらないのは恋だろうか?
蕾に恋心まだ目覚めない、そんなふう君にも恋心が眠っている?
雪くるまる蕾まだ眠るようで、これから花ひらく齢むかえる君も恋するのだろうか。
もし君に恋が目覚めるのなら僕であればいい、雪持つ梅のように清らかな想いでくるむから。

梅雪の歌『万葉集』第十九巻に掲載されている相聞歌、恋歌です。
原文「梅花 開有之中尓 布敷賣流波 戀哉許母礼留 雪乎持等可」
一般的な書き下しは「うめのはな さけるがなかに ふふめるは こひかこもれる ゆきをまつとか」
なんですけど、万葉仮名そのまま沿うほうが読み人の意図に添うなあ思うので原文ママ訳しています。

特に結句は「雪を待つとか」で訳されがちです、
その根拠は「持」が「待」の誤字かもしれない?ってことだと思うんですけど、
この「雪を持つ」は古来からある言い回しになります、ので誤字じゃないんじゃないかなあと。

たとえば今でも「雪持ち笹」という言葉があります、
日本画や着物の意匠で用いられている言葉で、雪を冠った笹のことです。

雪持つ=雪かぶる・雪くるまれる、

四句目の「こもれる=籠れる、隠す」に呼応して「雪持つ=雪くるまれる」だなと。
ソンナワケで原文「持等可」のまま書き下して「雪をかぶっている・雪くるまれている=雪持つ梅」で解釈しました。


こちらは梅が咲きだしました、ノデこの歌を掲載してみました、笑
夕刻ひといきのツレヅレ、気分転換にでも。
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初春、浄雪ふる

2023-01-01 23:59:00 | 文学閑話万葉集
新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事  大伴家持
あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

新しい年が始まる初春の今日、ふりつづく雪のように善い事がふり続くといい。
新しい雪のよう真っ白な、清浄な善いものが余るほど残され続いていくように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2017】


元日の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほどに残る」という意味になります。
この「よごと」を翻刻するとき「吉事」にすることが多いようですが、「餘」に歌意あるようで・字義そのまま現代語訳してあります。

雪が降り続いて、あとまで溶けず残るまま積り敷き詰めていく。
そんな雪国の厳しい寒さの底から初春の希望を祈る、そんな歌には詠み人の心と状況が謳われています。
この歌が詠まれた時、作者の大伴家持は配流された因幡国=現在の鳥取県東部で最初に正月を迎えていました。
西暦759年にあたりますが、この左遷は橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれたトバッチリ処分でした。
この当時の伴氏は軍部の名門で、その一族の長だった家持は文武両道として知られる歌人です。

こうした状況下にあった家持は、凹んでいても不思議ではありませんが「始」「餘」の二文字に希望を感じさせます。
迎える新年の言祝ぎ歌として詠まれたんだろうなあと、明るいカンジに訳してみました。
この迎えた2023年、どうぞ慶事ふりつもる善き年になりますように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2014.1】


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初春、佳雪ふる

2022-01-01 23:53:00 | 文学閑話万葉集
新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事  大伴家持
あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

新しい年が始まる初春の今日、ふりつづく雪のように佳い事が続くといい。
新しい雪のよう真っ白な、清浄な佳いものが余るほど残され続いていくように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2014.1】


元日の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほどに残る」という意味になります。
この「よごと」を翻刻するとき「吉事」にすることが多いようですが、「餘」に歌意あるようで・字義そのまま現代語訳してあります。

雪が降り続いて、あとまで溶けず残るまま積り敷き詰めていく。
そうした厳寒にくるまれた雪国で初春の希望を祈る歌です、そこには詠み人の心と状況が謳われています。
この歌が詠まれた時、作者の大伴家持は配流された因幡国=現在の鳥取県東部で最初に正月を迎えていました。
西暦759年にあたりますが、この左遷は橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれたトバッチリ処分でした。
この当時の伴氏は軍部の名門で、その一族の長だった家持は文武両道として知られる歌人です。

こうした状況下にあった家持は、凹んでいても不思議ではありませんが「始」「餘」の二文字に希望を感じさせます。
迎える新年の言祝ぎ歌として詠まれたんだろうなあと、明るいカンジに訳してみました。
迎えた2022年、慶事ふりつもる佳き年になりますように。
【撮影地:栃木県日光市戦場ヶ原2014.1】


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七夕の珠露、万葉集

2021-07-07 21:43:17 | 文学閑話万葉集
乞巧奠、天の珠露
大伴家持×七夕


七夕の珠露×万葉集
秋草に おく白露の あかずのみ あひ見るものを 月をしまた年  大伴家持
あきくさに おくしらつゆの あかずのみ あひみるものを つきをしまたね
秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟

秋草に白く光る朝露がきれいだ
もう朝だけど君との時間は飽きなくて、まだ見つめあっていたい
だから朝の白露が夜の月に見える、まだ夜は明けないでほしい、だから扉まだ開かないでよ?
このまま夜の月を待って、また寝てしまおうよ

七夕の歌八首のひとつ『万葉集』第二十巻4312番歌です。
七夕に独りで天の川を見ながら詠んだと伝えられていますが、
天の川を見る=七夕の夜に・朝の白露を詠んだ、ということになります
そうすると、

天の川の星を朝露になぞらえた
天の川を見ながら逢う刻限を待ちかねていた=朝露を一緒に見る予定の恋人へ宛てた歌

秋草、白露、月、秋の季語をつらねて七夕に天の川と詠んだ歌
旧暦七夕は今の8月・秋は=7~9月、七夕も秋の季語になります
七夕行事といえば「乞巧奠きっこうでん」でした

乞巧奠は中国由来の行事で、織女に裁縫の上達を願ったことに始まります
そして日本に伝わると、作歌や習字の上達を願って短冊を笹飾りにしました

この歌もそんな夜に詠まれたわけですが、
詠み人の大伴家持は名高い歌人&恋愛譚も有名です
そして平安京「応天門=大伴門」を司った武門の一族の人で、政治家としても有能だった為に波乱万丈の生涯でした
死後も一族が罠に嵌められ没落しますが、家持の没後20年ようやく汚名は晴らされています

万葉仮名の原文「安可受」は「あかず」と読みます、これは「秋草」と呼応です。
あかず=飽かず→飽きず=「秋ず」、また「開かず」「明かず」とも音重ねます。
なので解釈もソンナ感じにしてみました
七夕の歌『万葉集』第二十巻4312番歌


夜ひと息、七夕だなーと久しぶりに万葉集×写真UPしてみました。笑
早く越境して山歩けるよーになりますよーに。
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佳春の雪

2021-01-01 14:30:09 | 文学閑話万葉集
新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事  大伴家持
あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

新しい年が始まる初春の今日、ふりつづく雪のように佳い事が続くといい。
新しい雪のように清らかで、ただ美しい佳いものが、余りあるほど残されていくように。


新春の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。

原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほど残る」という意味になります。
この「よごと」は「吉事」と翻刻してしまうことが多いのですが、この文字の意味そのまま現代語訳してあります。


雪が降るたび溶けず残り、積もるほど降り続く。
そんな雪国の厳寒にも初春の希望を祈る歌です、これは作者の心情×状況を映しています。
詠まれた時は作者・大伴家持が因幡国=現在の鳥取県東部に配流されて最初に迎える正月で、西暦759年にあたります。
この左遷はいわゆるトバッチリで、橘氏と藤原氏の抗争に大伴家持が巻きこまれた果の処分でした。
それ以前の家持は権力ある軍部の名門、伴氏の長として文武とも知られていました。

こうした状況下は凹んでいて不思議はない時です。
そんな背景を含んで訳すことも出来ますけど「始」&「餘」の二文字は希望です。
明るい迎春と新年の言祝ぎ歌、より明るいカンジに訳してみました。
迎えた2021年、慶事ふりつもる佳き年になりますように。
【撮影地:山梨県2013.12.31】

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銀花の波、望郷―万葉集×芒

2020-09-30 14:13:00 | 文学閑話万葉集
銀色の波、空に地上に 
文学閑話:万葉集×ススキ尾花2017.9


銀花の波、望郷―万葉集×芒

波つ尾花 花に見むとし 安麻の可波 へな里に家らし 年の緒な我久
大伴家持

はつをばな はなにみむとし あまのかわ へなりにけらし としのをながく
おおとものやかもち

この秋初めて咲いた尾花は花に見えて、
その花みたいな銀色の穂が天の川の波になって、遠く隔てられた家に波寄せて、
待っている君のもとへ帰らせてくれる、年も心も結わえる緒を長く久しく手繰らせて

これは『万葉集』第二十巻のススキ=尾花に謳う相聞歌です。
万葉仮名からも意味をとっている訳なので、一般的な訳文とけっこう違うと思います。
ちなみに冒頭は原文ままだと「波都乎婆奈」です、なので「波都」を「初」と「波うつ」に採りました。
『万葉集』第二十巻・秋・大伴家持


ひさしぶりに万葉集×タイムリー季節写真・ちょうど3年前の今日に撮った写真がイイ感じだったので、笑
【撮影地:山梨県奥秩父山塊2017.9.30】

リアル山ずーーーーーっと登れていない→ナマりそうでマズイかも、笑
緊急事態宣言出てないとは言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末。
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初春佳光

2019-01-01 19:07:26 | 文学閑話万葉集
佳き日々へ、
大伴家持『万葉集』新しき年×巻末歌


初春佳光
新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事 大伴家持
あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

新しい年が始まる初春の今日、ふり敷く雪みたいに佳い事が続けばいい。
新しい真白な雪みたいに潔白に美しいことが降りかかり、残ってほしい、
この春雪みたいに汚れないまま初恋の夜ふり積もれ、そう願う新春の雪。


新春の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したのはアタリ、籠められる祈りが謳われています。

原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほど残る」という意味になります。
この「よごと」は「吉事」と翻刻してしまうことが多いのですが、この文字の意味そのまま現代語訳してあります。

雪が降るたび溶けず残り、積もるほど降り続く。
そんな雪国の厳寒にも初春の希望を祈る歌です、これは作者の心情×状況を映しています。
詠まれた時は作者・大伴家持が因幡国=現在の鳥取県東部に配流されて最初に迎える正月で、西暦759年にあたります。
この左遷はいわゆるトバッチリで、橘氏と藤原氏の抗争に大伴家持が巻きこまれた果の処分でした。
それ以前の家持は権力ある軍部の名門、伴氏の長として文武とも知られていました。

こうした状況下は凹んでいて不思議はない時です。
そんな背景を含んで訳すことも出来ますけど「始」&「餘」の二文字は希望です。
明るい迎春と新年の言祝ぎ歌、かつ『万葉集』だし相聞歌なトーン交えてより明るいカンジに訳してみました、笑

迎えた2019年、慶事あふれて続く佳き年になりますように。

撮影地:富士山雲海@山梨県北杜市・幻日@神奈川県相模川2018.12


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文学閑話:桜ことば×万葉集

2018-04-19 15:33:11 | 文学閑話万葉集
一枝ひとつ想い、


文学閑話:桜ことば×万葉集

この花の 一与の内に 百種の 言ぞ隠れり おほろかにすな 藤原広嗣
このはなの ひとよのうちに ももくさの ことぞかくれり おほろかにすな

この花の一枝に、百の言葉が隠れているんだ。
だからイイカゲンにしないでよ?この花枝、この一輪どれも大切に見てほしいんだ。
どの花にも大切な言葉が隠れているんだよ、大切な気持ち幾つも伝えたくてこの花を贈るんだ。
この花を司る神は此花咲耶媛、潔白を示すため炎に命燃やした女神の恋なぞらえて伝えたいんだ、あの女神のように美しく強い君へ。

桜の花枝に添えて贈られた、と詞書に遺される歌です。
載っているのは『万葉集』第八巻、詠み人からある女性に宛てた相聞歌=恋歌です。

原文「此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫」

二句め「一与ひとよ」は「ひとよ=一節=一枝」と「ひとつ与える・贈る」の意味ふたつ採れます。
三句め「百種ももくさ」は字そのまま「百種類=多くの・たくさん」続く「言」に掛かって「たくさんの言葉」となるワケです。
結句「於保呂可尓為莫おほろかにすな」は現代的言いまわしだと「疎かにするな」イイカゲンな扱いをするなって言っています。

初句「此花このはな」は「木花」と「此花咲耶媛」です、この姫神の名と花が「言曽隠有 於保呂可尓為莫」を呼びます。


此花咲耶媛、このはなさくやひめ。
木花開耶姫・木花之佐久夜毘売とも書くとおり「木花=桜」の姫神です。
皇統神話に登場する女神で、天照大神の孫で天皇家の祖・瓊瓊杵尊ニニギノミコトの妻となり三柱の男神を生みました。
その出産で彼女は産屋に火を放ちます、なんでソンナことしたのかっていうと結婚後すぐ妊娠した為に貞操を疑われたからです。

ホントは別の男の子供なんじゃないのか、結婚してすぐ妊娠とか変だろう?

なんて瓊瓊杵尊が冗談を言ったワケです、
もちろん彼女はそんなことしていません、それをホントは解かっている瓊瓊杵尊は「いや冗談だよ信じてるよ本当は、」と言訳しました。
が、潔癖な姫神は「天の神さまの尊い子どもなら炎にも害されることなく無事に生まれます」と火中出産で身の潔白を証し亡くなりました。
そうして生まれた神々は生まれた時の火勢を名付けられています。

火が昇る=火照命ホデリノミコト・火勢弱まる=火須勢理命ホスセリノミコト・鎮火=火遠理命ホオリノミコト。

この「火=ホ」は「穂=稲穂」に通じています。
日本は別名「瑞穂の国」というように根本は稲作です、そして人類文化の起源は火と言われています。
その二つを兼ね備えた名前=稲穂と火を司る神だから日本を治めるにふさわしい資格がある、ってことです。
そんな三神の最後に生まれた火遠理命が天皇家始祖・神武天皇の祖父にあたります。
ちなみに火遠理命は山幸彦、長兄の火照命は海幸彦として有名です。

また「此花=桜」の名は「サ=神」+「クラ=座=神の居場所」という意味です。
ようするに「神が依りつく場所」を冠した名前で「此花咲耶媛」とは「神の妻」を意味する名前でもあります。
そんな姫神は富士山の神でもあります、そのため御印の桜は「富士桜」と呼ばれる山桜の一種で富士山だけに自生しています。


此花の、言ぞ隠れり おほろかにすな。

そう詠みあげた桜の一枝に隠れる言葉が何なのか?
それは此花咲耶媛の火中出産譚に答もう読めると思います。

瓊瓊杵尊みたいな戯言はけっして言わない、
もし疑うなら此花咲耶媛のように命を懸けてしまう、だから信じてほしい。
恋に冗談ひとつ赦さなかった姫神の花に懸けて誓うほど真剣に想っている、だから真剣に受けとめてほしい。

そんな想い籠められた桜の相聞歌です。


この歌の題詞は、

「藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首」

藤原朝臣広嗣が桜の花を乙女に贈ったときの歌、って意味です。
この歌が贈られた時期は解かりません、贈られた「娘子」が誰なのかも不明です。
けれど彼女からの返歌は載っています。

この花の ひとよの裏は 百種の 言持ちかねて 折らえけらずや

原文「此花乃 一与能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也」
二句め書き下しは「ひとよのうちは」が一般的ですが万葉仮名のまま表記してあります。
この歌意は「裏波」と「言持不勝而 所折家良受也」言葉を持ちきれず折られてしまった、と詠んだ想いです。
そんな返歌は叛意を問われ落命した貴公子の運命予告となりました。

藤原広嗣は天平時代の人で藤原鎌足の曾孫=藤原不比等の孫、孝謙天皇の従兄弟です。
いわゆる名門出身の貴公子ですが天平12年・西暦740年の秋、政争の渦中で反乱軍として処刑されました。

彼が反乱を起こした根底には周囲のたくさんの言葉があります。
名門出身である広嗣を利用したがる人間は多く、そうした渦中で政争に惹きこまれたワケです。
たくさんの言葉を受けとめ理解し判別する、それだけの人格×器が育ちきれなかった為に命を折られた広嗣です。

言霊をこめた桜の一枝、その歌に命は予告され折りとられた。
そんな史実に言葉の力あらためて考えさせられます。
詩詞180413・・ブログトーナメント

去年UPの加筆verです、笑
撮影地:桜@山梨県、神奈川県

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文学閑話:紅葉雨の恋×万葉集

2017-10-17 09:42:09 | 文学閑話万葉集
水に彩る、


文学閑話:紅葉雨の恋×万葉集

希づらし見 人に見せむと 黄葉を 手折ぞ我が来し 雨の零ら久に  橘奈良麻呂
めづらしみ ひとにみせむと もみぢばを たおりぞわがこし あめのふらくに

めずらしいほど綺麗なのを見つけて、人に見せたくて
色づいた枝ひとつ手折って僕は来たんだ、雨ずっと降ってるから。
涙ずっと零してる君に見せたくて来たんだ、これだけ綺麗なら君の慰めになるかな?
この色葉みたいに頬染めて笑ってほしいんだ、それで君がこの恋に染まったらいい、永久にずっと。


紅葉によせる相聞歌『万葉集』第八巻に載っています。
原文は「希将見 人尓令見跡 黄葉乎 手折曽我来師 雨零久仁」

初句「希将見」これは「めづらしき」と訳すこともありますが万葉仮名そのまま「めづらしみ」で読みました。
初字「希・まれ」は「珍しい→珍しいので貴重・大切」と「のぞむ=願う」また音「めづらし」は「愛づらし=美しい・愛しい」に通じます。
これに「将見=まさに見ようとする」をつなぐと歌の風景が明確になるので「見=み」で読んだほうが歌意が解りやすいなと。

三句め「黄葉」は万葉当時だと「色づいた葉の全般」を指す言葉で、赤い紅葉も黄色い黄葉も総称しています。
四句めの「手折」で受けるので・手で折り取るのは枝→「色づいた葉の枝を手折ってきた」と訳すわけです。


結句「雨零=こぼれるように雨が降る」水が零れるみたいな大粒の雨ばらばら+「久=ひさしい」続いている、
大粒の雨がずっと降り続いている=秋の長雨がこの歌を詠んだときのお天気事情なんだなーと読みとれます。
そして二句め「人尓令見跡」の「人」はどんな状態なのか?が解ります、

長雨に降り籠められて外出ができない「人」
長雨で来訪者がなくて寂しい「人」

雨で外出できないのは女性か子ども・老齢の人だと考えられます。
男性は雨天でも騎乗したりナンだりやっちゃいますから、笑
病気やケガで動けない人も外出できませんが、ソレだと雨に限らずなので・雨にかこつける必要はありません。
この歌は「雨」にかこつけてカッコつけようとして「黄葉乎 手折曽我来師」素直に考えると女性宛てだろうなと、笑


また「手折」は色っぽい意味がある言い回しです、現在も遣うことありますね?笑
そんな意味で「黄葉」も同様「秋に染まる葉みたいに君も僕に染まってたらいいな」自分色にしたいなって意図があります。

そんなコト盛り込んでゆくとストレートな歌意は、
雨の閉塞感×孤独感につけこむためプレゼント作戦で口説き落としにきたよ、
プレゼントの紅葉一枝みたいに君も手折りにきたんだよ、雨続き誰も来ないからXXXし続けても大丈夫だよね?
みたいなカンジになります、笑

秋に始まる恋は長続きすると言います、
雨零久仁、瑞々しい雨の香に永久を籠めるような?
詩詞171014・・ブログトーナメント

撮影地:丹沢宮ケ瀬・森@神奈川県、奥多摩御岳山@東京都

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