銀色の波、空に地上に
銀花の波、望郷―万葉集×芒
波つ尾花 花に見むとし 安麻の可波 へな里に家らし 年の緒な我久
はつをばな はなにみむとし あまのかわ へなりにけらし としのをながく
この秋初めて咲いた尾花は花に見えて、
その花みたいな銀色の穂が天の川の波になって、遠く隔てられた家に波寄せて、
待っている君のもとへ帰らせてくれる、年も心も結わえる緒を長く久しく手繰らせて
これは『万葉集』第二十巻のススキ=尾花に謳う相聞歌です。
万葉仮名からも意味をとっている訳なので、一般的な訳文とけっこう違うと思います。
ちなみに冒頭は原文ままだと「波都乎婆奈」です、なので「波都」を「初」と「波うつ」に採りました。
ひさしぶりに万葉集×タイムリー季節写真・ちょうど3年前の今日に撮った写真がイイ感じだったので、笑
リアル山ずーーーーーっと登れていない→ナマりそうでマズイかも、笑
緊急事態宣言出てないとは言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
文学閑話:万葉集×ススキ尾花2017.9
銀花の波、望郷―万葉集×芒
波つ尾花 花に見むとし 安麻の可波 へな里に家らし 年の緒な我久
大伴家持
はつをばな はなにみむとし あまのかわ へなりにけらし としのをながく
おおとものやかもち
この秋初めて咲いた尾花は花に見えて、
その花みたいな銀色の穂が天の川の波になって、遠く隔てられた家に波寄せて、
待っている君のもとへ帰らせてくれる、年も心も結わえる緒を長く久しく手繰らせて
これは『万葉集』第二十巻のススキ=尾花に謳う相聞歌です。
万葉仮名からも意味をとっている訳なので、一般的な訳文とけっこう違うと思います。
ちなみに冒頭は原文ままだと「波都乎婆奈」です、なので「波都」を「初」と「波うつ」に採りました。
『万葉集』第二十巻・秋・大伴家持
ひさしぶりに万葉集×タイムリー季節写真・ちょうど3年前の今日に撮った写真がイイ感じだったので、笑
【撮影地:山梨県奥秩父山塊2017.9.30】
リアル山ずーーーーーっと登れていない→ナマりそうでマズイかも、笑
緊急事態宣言出てないとは言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
時が香る、
長月二十九日、林檎―allurement
甘い深い、澄んだ香。
なつかしい芳香すっと甘酸っぱい、その丸い紅色に笑った。
「りんご、送られてきたの?」
おばさんの実家は長野だったな?
隣家のルーツに微笑んで、けれど幼馴染は言った。
「いや?大学でもらったよ、」
低いくせ徹る声が答えてくれる。
聴きなれた声、けれど聴きなれない返事に瞬いた。
「大学で、どうして?」
「実家から送られてきたってくれたよ、レジュメで同じ班のひと、」
答えながらパソコンの前、眼鏡の瞳まっすぐ画面を見つめる。
長い指ブラインドタッチに躍らせて、思案する横顔の輪郭どこか眩しい。
―なんだか大人びちゃった、な…知らない人の話するから?
ずっと一緒だった隣、男も女も無かったのに。
けれど今テーブルはさんだ相手は、頬どこかシャープになった。
カーソル敲く指かすかに節くれて、カットソーの肩ひろやかに逞しい。
「…なんか、男のひと?」
声ほろり、言ってしまった唇かゆい。
変なこと言った、なぜ言ってしまったのだろう?
「ん?」
眼鏡の眼こちら見る、ほら首すじ熱くなってきた。
きっと変に思われた。
「…」
ほら見つめられて声が出ない、どうして?
こんなこと今までなかった、ずっと小さい時から最初から。
何か言わなくちゃ、でも声にならない空気あまく澄んで香る。
「男のひと、って言った?」
ほら訊いてくる、眼鏡の瞳まっすぐ自分を映す。
眼差し変わらないままで、いつもどおり唇きれいに笑った。
「リンゴくれた人が、男かってこと?」
あ、そういう質問にもとれるかな?
言われたまま見つめる真ん中、真直ぐな瞳にやり笑った。
「へえ、そういうの気になるんだ?」
ほら揶揄ってくる、この眼つき変わらない。
けれど世界が変わってしまって、ちいさな痛みと口ひらいた。
「…気にならなくないけど、ちょっと違う、」
りんごの相手は誰?
そんなこと気にならないはずがない、でも今の声は違う。
そんなつもりじゃなかった、けれど気になる、こんな狭間に君が笑った。
「そりゃ俺は男だけど?そっちも女のひとだろ、」
あたりまえのこと言うね?
そんな視線が笑ってパソコンに戻って、つい口ひらいた。
「わかってて言ったの?」
「ん、」
即答した唇、かすかに笑っている。
また揶揄われてしまった、いつも通りなテーブルにリンゴそっとつついた。
―いつもからかって…でも、りんごのヒトどっちだろ?
指先こつん、赤く丸く甘く香る。
かちかた、たたた、ブラインドタッチ集中する横顔に言葉ひとつ見る。
“女の人だろ”
なにげなく言った、君は。
けれど唇くすぐられる、あまい深い香が澄んでいく。
なぜ?
「よし、」
かたん、
長い指ひとつキーボード敲いて、パソコン閉じられる。
もう終わったのだろうか?そんな笑顔ふわり幼馴染が言った。
「ウチの親、今日は実家のリンゴ収穫に行ってるんだ、」
「だから車ないんだ?お帰りのとき渋滞しないといいね、」
応えながら窓の外、駐車スペースが明るい。
また今年も頂きものするのかな?例年通りの今日に君が言った。
「帰ってこないよ、泊りだから、」
「え、」
声こぼれて見つめて、眼鏡の瞳きれいに笑っている。
昔のまま明るい眼で、でも低くなった声が言った。
「今日は俺、ひとりなんだ、」
あまい、深い、澄んだ香に徹る。
低くなった君の声そっと響く、そうして体の真中しずかに軋む。
「…」
なんて言えばいいのだろう、どんな貌しているだろう自分は?
ただ香くゆらすテーブルごし、眼鏡の瞳まっすぐ見つめて微笑む。
生真面目そうなチタンフレーム、けれど隠せない端整が瞳わらった。
「だから飯、一緒してよ?肉の日だしさ、」
にくのひ、って何?
言われた言葉ただ見つめる真ん中、はがき一枚ぽんと出された。
「29日は肉の日なんだってさ、2割引きだし行こ?」
印刷された名前は焼肉屋、前にも行った店だ?
だから、ただ、そういうことだ。
『俺ひとりなんだ、だから飯一緒してよ、29日は肉の日なんだってさ、』
そういう意味なんだ?
何も変わらない、昔からのまま今日なだけ。
肩すうっと力抜かれたテーブル、箱ひとつ置かれた。
「あげる、」
ちいさな白い箱、銀色あわく光る。
また「あれ」だろうか?幼い記憶から言葉が出た。
「…びっくり箱?」
あのときもずいぶん揶揄われたな?
困らされた記憶の涯、幼馴染が笑った。
「ちがうって。でも、ある意味そうかもな?」
笑って長身が立ち上がる。
カットソーの肩くるり踵返して、その背中ひろやかに目映い。
にほんブログ村
純文学ランキング
9月29日誕生花リンゴ林檎
長月二十九日、林檎―allurement
甘い深い、澄んだ香。
なつかしい芳香すっと甘酸っぱい、その丸い紅色に笑った。
「りんご、送られてきたの?」
おばさんの実家は長野だったな?
隣家のルーツに微笑んで、けれど幼馴染は言った。
「いや?大学でもらったよ、」
低いくせ徹る声が答えてくれる。
聴きなれた声、けれど聴きなれない返事に瞬いた。
「大学で、どうして?」
「実家から送られてきたってくれたよ、レジュメで同じ班のひと、」
答えながらパソコンの前、眼鏡の瞳まっすぐ画面を見つめる。
長い指ブラインドタッチに躍らせて、思案する横顔の輪郭どこか眩しい。
―なんだか大人びちゃった、な…知らない人の話するから?
ずっと一緒だった隣、男も女も無かったのに。
けれど今テーブルはさんだ相手は、頬どこかシャープになった。
カーソル敲く指かすかに節くれて、カットソーの肩ひろやかに逞しい。
「…なんか、男のひと?」
声ほろり、言ってしまった唇かゆい。
変なこと言った、なぜ言ってしまったのだろう?
「ん?」
眼鏡の眼こちら見る、ほら首すじ熱くなってきた。
きっと変に思われた。
「…」
ほら見つめられて声が出ない、どうして?
こんなこと今までなかった、ずっと小さい時から最初から。
何か言わなくちゃ、でも声にならない空気あまく澄んで香る。
「男のひと、って言った?」
ほら訊いてくる、眼鏡の瞳まっすぐ自分を映す。
眼差し変わらないままで、いつもどおり唇きれいに笑った。
「リンゴくれた人が、男かってこと?」
あ、そういう質問にもとれるかな?
言われたまま見つめる真ん中、真直ぐな瞳にやり笑った。
「へえ、そういうの気になるんだ?」
ほら揶揄ってくる、この眼つき変わらない。
けれど世界が変わってしまって、ちいさな痛みと口ひらいた。
「…気にならなくないけど、ちょっと違う、」
りんごの相手は誰?
そんなこと気にならないはずがない、でも今の声は違う。
そんなつもりじゃなかった、けれど気になる、こんな狭間に君が笑った。
「そりゃ俺は男だけど?そっちも女のひとだろ、」
あたりまえのこと言うね?
そんな視線が笑ってパソコンに戻って、つい口ひらいた。
「わかってて言ったの?」
「ん、」
即答した唇、かすかに笑っている。
また揶揄われてしまった、いつも通りなテーブルにリンゴそっとつついた。
―いつもからかって…でも、りんごのヒトどっちだろ?
指先こつん、赤く丸く甘く香る。
かちかた、たたた、ブラインドタッチ集中する横顔に言葉ひとつ見る。
“女の人だろ”
なにげなく言った、君は。
けれど唇くすぐられる、あまい深い香が澄んでいく。
なぜ?
「よし、」
かたん、
長い指ひとつキーボード敲いて、パソコン閉じられる。
もう終わったのだろうか?そんな笑顔ふわり幼馴染が言った。
「ウチの親、今日は実家のリンゴ収穫に行ってるんだ、」
「だから車ないんだ?お帰りのとき渋滞しないといいね、」
応えながら窓の外、駐車スペースが明るい。
また今年も頂きものするのかな?例年通りの今日に君が言った。
「帰ってこないよ、泊りだから、」
「え、」
声こぼれて見つめて、眼鏡の瞳きれいに笑っている。
昔のまま明るい眼で、でも低くなった声が言った。
「今日は俺、ひとりなんだ、」
あまい、深い、澄んだ香に徹る。
低くなった君の声そっと響く、そうして体の真中しずかに軋む。
「…」
なんて言えばいいのだろう、どんな貌しているだろう自分は?
ただ香くゆらすテーブルごし、眼鏡の瞳まっすぐ見つめて微笑む。
生真面目そうなチタンフレーム、けれど隠せない端整が瞳わらった。
「だから飯、一緒してよ?肉の日だしさ、」
にくのひ、って何?
言われた言葉ただ見つめる真ん中、はがき一枚ぽんと出された。
「29日は肉の日なんだってさ、2割引きだし行こ?」
印刷された名前は焼肉屋、前にも行った店だ?
だから、ただ、そういうことだ。
『俺ひとりなんだ、だから飯一緒してよ、29日は肉の日なんだってさ、』
そういう意味なんだ?
何も変わらない、昔からのまま今日なだけ。
肩すうっと力抜かれたテーブル、箱ひとつ置かれた。
「あげる、」
ちいさな白い箱、銀色あわく光る。
また「あれ」だろうか?幼い記憶から言葉が出た。
「…びっくり箱?」
あのときもずいぶん揶揄われたな?
困らされた記憶の涯、幼馴染が笑った。
「ちがうって。でも、ある意味そうかもな?」
笑って長身が立ち上がる。
カットソーの肩くるり踵返して、その背中ひろやかに目映い。
林檎:リンゴ、花言葉「選ばれた恋、選択、優先、好み、最も優しいひとへ、最も美しいひとへ」
実言葉「後悔、誘惑」木言葉「名誉」
実言葉「後悔、誘惑」木言葉「名誉」
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
ウィリアム・ワーズワース『Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey,』×日暈と富士山
天空展望×William Wordsworth
Do I behold these steep and lofty cliffs,
That on a wild secluded scene impress
Thoughts of more deep seclusion; and connect
The landscape with the quiet of the sky.
峻厳そびえる懸崖を見るなら、
太古ひそやかな光景に刻まれて、
深まる孤高にむきあい、そして想う
空の沈黙はるかな視界に。
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey,」より抜粋自訳】
昨日、富士山の冠雪を見たのでコンナ詩を、笑
撮影地:山梨県富士山北面2015.01.10
丹沢の夏秋はヤマビルひどいので登るのちょっとなー・で・近場の里山ちょっと歩く程度なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
ウィリアム・ワーズワース『The tables Turned』×森
黄昏の国、森×William Wordsworth
The sun, above the mountain’s head,
A freshening lustre mellow
Through all the long green fields has spread,
His first sweet evening yellow.
太陽、山の頂に廻らせて、
澄みわたる豊かな光は
はるかな緑の大地あふれて、
黄昏あまやかに輝き初める。
【引用詩文:William Wordsworth『The tables Turned』より抜粋自訳】
撮影地:長野県阿智村園原2013.8/栃木県奥日光戦場ヶ原2018.10
山行きたいなあ、っていう気分でコンナカンジの写真×ワーズワースを、笑
丹沢の夏秋はヤマビルひどいので登るのちょっとなー・で・近場の里山ちょっと歩く程度なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
ウィリアム・ワーズワース『The tables Turned』×森
叡智の音、森×William Wordsworth
Books! ‘it’s a dull and endless strife:
Come, hear the woodland linnet,
How sweet his music! on my life,
There’s more of wisdom in it.
本、「それ」は鈍らす果てない論争だ、
おいで、森の紅雀を聴いてごらん、
森の音はこんなに香る。僕の全てに、
そこには本を超える叡智があふれている。
【引用詩文:William Wordsworth『The tables Turned』より抜粋自訳】
撮影地:長野県阿智村園原2013.8/東京都檜原村三頭山2018.7
山行きたいなあ、っていう気分でコンナカンジの写真×ワーズワースを、笑
丹沢の夏秋はヤマビルひどいので登るのちょっとなー・で・近場の里山ちょっと歩く程度なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
ウィリアム・ワーズワース『The tables Turned』×森
賢者の聲、森×William Wordsworth
One impulse from a vernal wood
May teach you more of man,
Of moral evil and of good,
Than all the sages can.
若い森からの共鳴は
人間のより多くを教えるだろう、
人間の具えるべき悪と善について、
全ての賢者たちより多く。
【引用詩文:William Wordsworth『The tables Turned』より抜粋自訳】
撮影地:東京都檜原村三頭山2015.8
山行きたいなあ、っていう気分でコンナカンジの写真×ワーズワースを、笑
丹沢の夏秋はヤマビルひどいので登るのちょっとなー・で・近場の里山ちょっと歩く程度なココントコ週末。
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
Of moral evil and of good,
第86話 建巳 act.14 another,side story「陽はまた昇る」
雲ゆく、屋根裏部屋の窓はるか。
「…しずかだね、」
深閑そっと声しみる。
見あげる天窓はるか紺青ふかい、月あかり雲が駆けてゆく。
上空は風が強い、そのかけら窓ふわり、白く舞い降りた。
「さくら…」
掌のばして花びら降りる。
うけとめた薄紅あわくランプきらめく、かすかな深い甘い香。
庭のどこか桜が咲きだした、そんな夜に周太は出窓を開いた。
「ん…いい風、」
頬やわらかに冷たく風ふれる。
まだ夜風は凍えて、けれど香あまく温もり春がにじむ。
冷たいくせ甘い温かい、ながれる香そっと洗い髪を梳いて心地いい。
こんなに穏やかな夜どれくらいぶりだろう?
「ほんとに帰ってきたんだ…僕、」
声そっと風ふれて、深く甘い香ふれる。
どこか桜が咲きだした、その気配に微笑んで封筒ひとつ開いた。
“私の孫になる君へ”
記される言葉、ブルーブラックあざやかな筆跡がやわらかい。
この手紙に祖母がたくしてくれた未来へ、明日から自分は踏み出していく。
「ありがとう、おばあさん…」
呼びかけて見つめる便箋、月あかり白く照らされる。
この手紙を書いたとき、祖母はこの自分を見つめてくれた。
こうして今ここで、祖母が手紙を綴ったこの部屋にいる自分を見つめて。
“私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。”
ほら綴られる祖母の願い、この願いごと明日一緒に叶えよう?
明日だけじゃない、その先もずっと。
「亡くなっても一緒にいてくれてるね…そうでしょう?」
手紙そっと笑いかけて、ブルーブラックの筆跡やわらかい。
この願いこめてくれたひと、そうして自分は護られて今ここにいる。
この祖母が願ってくれたから今ここで生きて、だから明日への道を選べた。
―本当におばあさんのおかげなんだ、きっと…おばあさまが動いてくれたのも、大学に道がついたことも、
祖母が亡くなったのは自分が生まれる遥か前、まだ父も幼かった春。
そうして今この春を迎えて、ここで自分が祖母の手紙をひらいている。
こんなふうに時間はるかに超えて、それでも心ふたつ重なってゆく。
「青木先生と田嶋先生にお返事しないと…明日、」
祖母の母校で明日、道ふたつ選ばなくてはならない。
植物学の道、文学の道、ふたつ示してもらえた世界。
「…おばあさん、本当は僕どっちが向いてるのかな…」
呼びかけて、ブルーブラックの筆跡を見つめる。
この手紙しるしてくれたひと、今、どんなアドバイス応えてくれる?
「田嶋先生はお祖父さんの教え子で、お父さんの大事な友だちなんだ…山ヤさんで、シェイクスピアの夏みたいな人、」
シェイクスピアの夏、永遠の夏。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」十四行詩ソネットに綴られる夏。
この詩を祖母は愛していた、父も時折くちずさんだ、そして父の遺作集にも田嶋が掲げてくれた。
そんなひとが守っている研究室は祖父が興した、祖母と祖父が出逢った場所でもある。
そして自分にも、きっと忘れられない場所になる。
「…本も好きなんだ、ワーズワースもロンサールも…でも植物も好きで、約束もいっぱいあるんだ…」
手紙ごし祖母に問いかける、この一通を記してくれたこの窓で。
この窓辺50年前この手紙を書いたひと、その瞳に月は明るかったろうか?
この窓こんなふうに月を見て、その聡明な瞳に今たくさん訊いてみたい、教えてほしい。
「おばあさん…英二と美代さんのこともききたいんだ、僕…」
ほら想い声になる、聴いてほしい、教えてほしい。
ただ恋愛だと聴いてくれるだろうか、同性愛でも女性を想うことも、同じと言うのだろうか?
こんな想い、聴いたら祖母はなんて言うのだろう?
「…自分で考えなくちゃね、僕、」
微笑んで見あげる先、雲駆ける紺青はるか広がる。
ひろやかな夜に月が澄む、あの月あと数時間で沈み陽が昇る。
そうして明日が訪れる、明日がある、その先に生きる時間なにを見つめたい?
僕が永遠の夏と想う、そこは。
台所の窓やわらかな影、薄紅色あわく朝陽ゆらす。
やはり咲いている、微笑んでガラス窓すこし開けた。
「ん…いい香、」
窓すべりこむ風が甘い、深い甘い春が匂う。
ほころんだ山桜きらめく光、なつかしい朝の窓に呼ばれた。
「おはよう、周?」
ことん、スリッパやさしい足音にアルト微笑む。
くつろいだ母の声に笑いかけた。
「おはよう、お母さんは今日お休み?」
「そうよ、出張の振休、」
やわらかなニット姿が笑ってくれる。
その頬すこしだけ昨夜より円やかで、すこしの安堵と汁椀を運んだ。
「お休み久しぶりでしょ?ゆっくりしててね、」
「そうね、のんびりしようかな、」
黒目がちの瞳ほがらかに笑って、食卓に皿ならべてくれる。
ふたり朝食の膳ととのえて、温かな湯気に向かいあった。
「周、おしょうゆ取ってくれる?」
「はい、」
「ありがと、おひたしの青色すごくきれいね?」
「菜花のおひたしだよ、お庭の菜園の、」
何気ない会話と箸はこぶ、出汁やわらかに味噌あまく芳しい。
慕わしい香ならぶ皿、その皿たちも昔馴染みでほっと和らぐ。
「卵焼き、あいかわらずきれいね。うすーく巻いてふんわり、周はほんと上手ね、」
「ん、ありがとう、」
微笑んで応えながら、その皿に懐かしい。
ざっくり素朴やわらかな風合いの白、貫入あわい灰色が卵色と映える。
「ね、お母さん?このお皿、いつも卵焼きをのせてるよね?」
「ん?そういえばそうね、」
箸はこびながら母が応えてくれる。
こんなふう「そういえばそう」なほど馴染みで、そんな器たちの食卓に言われた。
「そういえば周、おばさまから昨日お電話いただいたのだけど、」
何の用だろう?
首ちょっと傾げて、記憶ひとつ弾けた。
「あ、加田さんの下宿?」
「そうそう、昨夜ね、相談するの忘れちゃってたわ、」
頷いてアルト朗らかに笑ってくれる。
その言葉は自分も同じで、首すじ昇る熱と口ひらいた。
「僕こそ忘れちゃってたよ?加田さんご本人から言われてたのに…ごめんなさい、」
家まで訪ねてくれた、そのお蔭で退職届も無事に出せたのに?
こんな忘れんぼう恥ずかしい、申し訳ない想いに母が尋ねた。
「そっか、昨日ここにいらしたのよね?おばさまに聞いたわ、」
「いらしたよ、退職届を出すのにもついてきてくれて…おかげで無事に出せたんだ、」
答えながら首すじ熱くなる、申し訳なくて。
あんなにもお世話になって、そのくせ忘れてしまった罪悪感と口ひらいた。
「加田さんは検察官でね、ひと月前まで人事交流でフランスにいたんだ、だからフランスから帰国した親戚ってことにしてくださいって、」
口実まで話を聞いていた、そのくせ忘れていたなんて?
やっぱりメモきちんとしよう、ひとつ決め事に母が言った。
「おばさまもそう仰ってたわ。私と周だけよりも、他の眼があるほうが安全だろうって。今すぐ何かってことは無いでしょうけど、」
「ん…そうだね、」
肯いて、けれど考えこんでしまう。
大叔母の言うとおりだ、反対する理由はない、けれど。
―お母さん一人にするのは心配だもの、でも…家族じゃない人が住むってどうなるんだろう…、
あらためて考えてしまう、この家に他人が住むなんて?
この自分にできるのだろうか?あまり想像できない予想図、アルト朗らかに笑った。
「おばさまの心配も当然だと思うのよ。お家賃も頂けるそうだし、離れを使ってもらえるのはいいかなって。周はどう思いますか?」
意見を求めてくれる声は明るい。
大叔母の提案に母も賛同している、そこに無理はないのだろう?
「ん…そうだね、」
肯きながら煮物鉢に箸つける。
ころり、新じゃがいも一つ皿のせて、ほろり黄色ほぐれた。
※校正中
(to be continued)
第86話 建巳act.13← →第86話 建巳act.15
斗貴子の手紙←
にほんブログ村
純文学ランキング
kenshi―周太24歳3月末
第86話 建巳 act.14 another,side story「陽はまた昇る」
雲ゆく、屋根裏部屋の窓はるか。
「…しずかだね、」
深閑そっと声しみる。
見あげる天窓はるか紺青ふかい、月あかり雲が駆けてゆく。
上空は風が強い、そのかけら窓ふわり、白く舞い降りた。
「さくら…」
掌のばして花びら降りる。
うけとめた薄紅あわくランプきらめく、かすかな深い甘い香。
庭のどこか桜が咲きだした、そんな夜に周太は出窓を開いた。
「ん…いい風、」
頬やわらかに冷たく風ふれる。
まだ夜風は凍えて、けれど香あまく温もり春がにじむ。
冷たいくせ甘い温かい、ながれる香そっと洗い髪を梳いて心地いい。
こんなに穏やかな夜どれくらいぶりだろう?
「ほんとに帰ってきたんだ…僕、」
声そっと風ふれて、深く甘い香ふれる。
どこか桜が咲きだした、その気配に微笑んで封筒ひとつ開いた。
“私の孫になる君へ”
記される言葉、ブルーブラックあざやかな筆跡がやわらかい。
この手紙に祖母がたくしてくれた未来へ、明日から自分は踏み出していく。
「ありがとう、おばあさん…」
呼びかけて見つめる便箋、月あかり白く照らされる。
この手紙を書いたとき、祖母はこの自分を見つめてくれた。
こうして今ここで、祖母が手紙を綴ったこの部屋にいる自分を見つめて。
“私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。”
ほら綴られる祖母の願い、この願いごと明日一緒に叶えよう?
明日だけじゃない、その先もずっと。
「亡くなっても一緒にいてくれてるね…そうでしょう?」
手紙そっと笑いかけて、ブルーブラックの筆跡やわらかい。
この願いこめてくれたひと、そうして自分は護られて今ここにいる。
この祖母が願ってくれたから今ここで生きて、だから明日への道を選べた。
―本当におばあさんのおかげなんだ、きっと…おばあさまが動いてくれたのも、大学に道がついたことも、
祖母が亡くなったのは自分が生まれる遥か前、まだ父も幼かった春。
そうして今この春を迎えて、ここで自分が祖母の手紙をひらいている。
こんなふうに時間はるかに超えて、それでも心ふたつ重なってゆく。
「青木先生と田嶋先生にお返事しないと…明日、」
祖母の母校で明日、道ふたつ選ばなくてはならない。
植物学の道、文学の道、ふたつ示してもらえた世界。
「…おばあさん、本当は僕どっちが向いてるのかな…」
呼びかけて、ブルーブラックの筆跡を見つめる。
この手紙しるしてくれたひと、今、どんなアドバイス応えてくれる?
「田嶋先生はお祖父さんの教え子で、お父さんの大事な友だちなんだ…山ヤさんで、シェイクスピアの夏みたいな人、」
シェイクスピアの夏、永遠の夏。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」十四行詩ソネットに綴られる夏。
この詩を祖母は愛していた、父も時折くちずさんだ、そして父の遺作集にも田嶋が掲げてくれた。
そんなひとが守っている研究室は祖父が興した、祖母と祖父が出逢った場所でもある。
そして自分にも、きっと忘れられない場所になる。
「…本も好きなんだ、ワーズワースもロンサールも…でも植物も好きで、約束もいっぱいあるんだ…」
手紙ごし祖母に問いかける、この一通を記してくれたこの窓で。
この窓辺50年前この手紙を書いたひと、その瞳に月は明るかったろうか?
この窓こんなふうに月を見て、その聡明な瞳に今たくさん訊いてみたい、教えてほしい。
「おばあさん…英二と美代さんのこともききたいんだ、僕…」
ほら想い声になる、聴いてほしい、教えてほしい。
ただ恋愛だと聴いてくれるだろうか、同性愛でも女性を想うことも、同じと言うのだろうか?
こんな想い、聴いたら祖母はなんて言うのだろう?
「…自分で考えなくちゃね、僕、」
微笑んで見あげる先、雲駆ける紺青はるか広がる。
ひろやかな夜に月が澄む、あの月あと数時間で沈み陽が昇る。
そうして明日が訪れる、明日がある、その先に生きる時間なにを見つめたい?
僕が永遠の夏と想う、そこは。
台所の窓やわらかな影、薄紅色あわく朝陽ゆらす。
やはり咲いている、微笑んでガラス窓すこし開けた。
「ん…いい香、」
窓すべりこむ風が甘い、深い甘い春が匂う。
ほころんだ山桜きらめく光、なつかしい朝の窓に呼ばれた。
「おはよう、周?」
ことん、スリッパやさしい足音にアルト微笑む。
くつろいだ母の声に笑いかけた。
「おはよう、お母さんは今日お休み?」
「そうよ、出張の振休、」
やわらかなニット姿が笑ってくれる。
その頬すこしだけ昨夜より円やかで、すこしの安堵と汁椀を運んだ。
「お休み久しぶりでしょ?ゆっくりしててね、」
「そうね、のんびりしようかな、」
黒目がちの瞳ほがらかに笑って、食卓に皿ならべてくれる。
ふたり朝食の膳ととのえて、温かな湯気に向かいあった。
「周、おしょうゆ取ってくれる?」
「はい、」
「ありがと、おひたしの青色すごくきれいね?」
「菜花のおひたしだよ、お庭の菜園の、」
何気ない会話と箸はこぶ、出汁やわらかに味噌あまく芳しい。
慕わしい香ならぶ皿、その皿たちも昔馴染みでほっと和らぐ。
「卵焼き、あいかわらずきれいね。うすーく巻いてふんわり、周はほんと上手ね、」
「ん、ありがとう、」
微笑んで応えながら、その皿に懐かしい。
ざっくり素朴やわらかな風合いの白、貫入あわい灰色が卵色と映える。
「ね、お母さん?このお皿、いつも卵焼きをのせてるよね?」
「ん?そういえばそうね、」
箸はこびながら母が応えてくれる。
こんなふう「そういえばそう」なほど馴染みで、そんな器たちの食卓に言われた。
「そういえば周、おばさまから昨日お電話いただいたのだけど、」
何の用だろう?
首ちょっと傾げて、記憶ひとつ弾けた。
「あ、加田さんの下宿?」
「そうそう、昨夜ね、相談するの忘れちゃってたわ、」
頷いてアルト朗らかに笑ってくれる。
その言葉は自分も同じで、首すじ昇る熱と口ひらいた。
「僕こそ忘れちゃってたよ?加田さんご本人から言われてたのに…ごめんなさい、」
家まで訪ねてくれた、そのお蔭で退職届も無事に出せたのに?
こんな忘れんぼう恥ずかしい、申し訳ない想いに母が尋ねた。
「そっか、昨日ここにいらしたのよね?おばさまに聞いたわ、」
「いらしたよ、退職届を出すのにもついてきてくれて…おかげで無事に出せたんだ、」
答えながら首すじ熱くなる、申し訳なくて。
あんなにもお世話になって、そのくせ忘れてしまった罪悪感と口ひらいた。
「加田さんは検察官でね、ひと月前まで人事交流でフランスにいたんだ、だからフランスから帰国した親戚ってことにしてくださいって、」
口実まで話を聞いていた、そのくせ忘れていたなんて?
やっぱりメモきちんとしよう、ひとつ決め事に母が言った。
「おばさまもそう仰ってたわ。私と周だけよりも、他の眼があるほうが安全だろうって。今すぐ何かってことは無いでしょうけど、」
「ん…そうだね、」
肯いて、けれど考えこんでしまう。
大叔母の言うとおりだ、反対する理由はない、けれど。
―お母さん一人にするのは心配だもの、でも…家族じゃない人が住むってどうなるんだろう…、
あらためて考えてしまう、この家に他人が住むなんて?
この自分にできるのだろうか?あまり想像できない予想図、アルト朗らかに笑った。
「おばさまの心配も当然だと思うのよ。お家賃も頂けるそうだし、離れを使ってもらえるのはいいかなって。周はどう思いますか?」
意見を求めてくれる声は明るい。
大叔母の提案に母も賛同している、そこに無理はないのだろう?
「ん…そうだね、」
肯きながら煮物鉢に箸つける。
ころり、新じゃがいも一つ皿のせて、ほろり黄色ほぐれた。
※校正中
(to be continued)
【引用詩文: William Wordsworth「The tables Turned」】
第86話 建巳act.13← →第86話 建巳act.15
斗貴子の手紙←
にほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます