researcher of tomorrow
harushizume―周太24歳3下旬
第85話 春鎮 act.18-another,side story「陽はまた昇る」
階段ひといき登って駆けて、橋を渡る。
喧騒の車道を越えて背後、追いかける気配はない。
そうして次の階段また駆けくだって、つないだ手が呼んだ。
「…っま…ってゆはらくんっ」
はずんだソプラノ呼んでくれる。
とんとんっ、駆ける足ゆるめて周太は止まった。
「ん、どうしたの美代さん?」
ふりむいて繋いだ手が熱い。
掌むすばれた先、ベージュのコート華奢な肩が息吐いた。
「はあ…っ、ゆ、はらくんあしはやい…」
真っ赤な顔が深呼吸する。
息苦しい、そんな友達にすぐ気づいた。
「あ…ごめんね美代さん、僕かってに走っちゃって」
自分ペースで猛ダッシュした、そんなの彼女に無理だ?
気づかされた迂闊に困って、校舎の玄関先を指さした。
「すこし休もう?…無理に走らせてごめんね?」
息粗い肩そっと支えて歩きだす。
呼吸ゆっくり見ながら一歩ずつ、堅い石段を登った。
「このベンチなら冷たくないと思うんだ、木だし、陽だまりだから…」
「うんっ…」
腰かけて肯いてくれる、その顔まだ赤い。
けれど瞳きらきら明るく笑ってくれた。
「はあっ…なんか楽しかったー…」
呼吸はずむソプラノ笑いだす。
大きな瞳きらきら紅い頬ほころんだ。
「あははっ、エスケープしたときのこと思いだしちゃった私、ぜんそくりょく手をつないで、ね?」
華奢な肩ゆっくり息つき笑ってくれる。
その言葉つむぐ時間に笑いかけた。
「ん…青梅でカラオケしたときのこと?ブックカフェ初めて連れてってくれて、」
「そのことよ?光ちゃんたちほったらかして、」
澄んだ声ほがらかに笑う。
笑ってくれる瞳すこし赤い、その睫ゆっくり瞬いた。
「あのとき私ね、すごく嬉しかったの、湯原くんが私と一緒に走ってくれて…今もそう、」
ベンチの陽だまり、校舎の玄関先しんと暖かい。
誰もいない木洩陽の場所、あわい樹影たちどまる。
「今も湯原くん、一緒に走って逃げてくれたでしょう?すごく足速くって、追いつくの大変だったけど…うれしかった、」
うれしかった、そう明るい瞳が笑ってくれる。
そうして澄んだ一滴、長い睫そっと零れた。
「追いつけたかな?…ここに受かって、私、」
問いかけてくれる瞳ゆるやかに漲る。
湛える光あふれて零れて、紅い頬の女の子が笑った。
「どうしても湯原くんに追いつきたくて、だから大学生になる決心できたのよ?同じ視点から同じ世界を見たいって…がんばれちゃった、」
がんばれちゃった、
そう告げた唇ふるえだす、紅い頬そっと光つたう。
今日これで何度目に見るだろう?その涙に微笑んだ。
「僕こそ追いつかなくちゃね?僕も大学院の入試、がんばるよ…」
今度は自分が追いかける?
もう始まる時間に澄んだ瞳が訊いた。
「ほんと?湯原くん東大の大学院ほんとに入ってくれるの?」
ほんとうに本当?
たしかめてくれる明眸まっすぐ自分を映す。
この鏡には嘘をつけない、覚悟そっと微笑んだ。
「うん…僕も受験する、合格できるか解らないけど…警察も今月末で辞めるんだ、」
約束してしまった、これで。
これで決まる明日からに澄んだ瞳が泣いた。
「よかった…、」
明眸きらきら涙こぼれる。
受験票を抱きしめ背中ふるえる、ベージュのコートかぼそい肩。
赤い腫れた頬つたう光、あの涙は幸福と不安、報われた安堵。
「よかった…ゆはらくんもう、好きなことばっかりしてね?これからはずっと、」
涙の睫が微笑む、澄んだ瞳が自分を映す。
この眼差しを置き去りに昨日の自分は何をした?
―ほんとうに僕は勝手だ、自分の感情ばかりで、
ことん、
鼓動ふかく昨日の海ふれる、
潮の風、匂い、唇ふれた冷たい辛さ、それから絶望。
もう終わるのだと想った。
“どうして英二?”
どうして?そう君に執われていた。
ただ君に逢いたくて、逢いたくて、叶わない現実から海へ逃げた。
唯ひとつ囚われて逃げて、それでも優しい犬が救ってくれた今、この涙と向きあえる。
―受けとめたいって想ってる、僕は…美代さんが大切で、
大切だ、この女の子が。
泣いている涙、左だけ腫れた紅い頬、受験票を抱きしめるちいさな手、すこし節くれた細い指。
ベージュのコート華奢な肩も、大好きな職場を辞めた潔癖も、大好きな家族と闘っても懸ける夢も、僕は大好きだ。
ちいさくて華奢で、そのくせ節くれた強い指の勇敢な女の子。その隣で深呼吸そっと口開いた。
「あのね美代さん、お願いがあるんだけど、」
このお願いしたら、明日からが決まる?
きっと決まるだろう、それでも構わない、僕は願う。
ずっと讃えたい勇敢の瞳を見て、まっすぐ見つめて微笑んだ。
「美代さんもカイには会ったよね?僕の大叔母の家にいる茶色い犬…海って書いてカイなんだけど、」
自分に付き添ってくれた時間、あの犬はきっと彼女を慰めた。
想い笑いかけた隣、涙明るい瞳は肯いた。
「うん?すごく賢くて可愛い子よね、私にもたくさんかまってくれて嬉しかったよ?」
問いたげな瞳、でも笑ってくれる。
あの犬を心から愛しむ笑顔、そんな瞳に口開いた。
「僕ね、カイにお礼しなくちゃいけないんだ、だから明日の朝いっしょに散歩してくれる?…大叔母も母も喜ぶから、」
明日の朝いっしょに、
こんな誘いかたで良いのだろうか?
解らない、だってこんなこと初めてだ。
ほら首すじ逆上せだす、熱くなる頬に訊かれた。
「うん?…それって湯原くん、葉山のお家にお泊りさせてくれるってこと?」
ちゃんと通じた?
訊いてくれる言葉に熱い首うなずいた。
「そう…美代さんお家に帰られないんでしょう?」
もう帰るところがない、そう彼女は泣いた。
あの涙ごと受けとめたい瞳は瞬いて、そして笑ってくれた。
「うん…湯原くんのお母さんと、おばあさまに相談できたら嬉しいな?これからのアドバイスほしくて、でも急にご迷惑じゃない?」
涙の瞳が笑ってくれる、その不安すこし明るくなった。
よかった、ふわり温まる鼓動に笑いかけた。
「迷惑っていうなら僕こそだよ?看病たくさんしてもらったよね…仕事も休ませたんでしょう?ごめんね、」
「ううん、私が看病したいってさせてもらったの、JAはもう有休消化だったから大丈夫、」
ちいさな笑顔ふってくれる、紅い頬やわらかな髪ゆれる。
やわらかな黒髪さらさら頬ゆれて、あどけない仕草に微笑んだ。
「ありがとう…あとね、合格書類の住所は川崎だよね?住所変更もし今からできるなら葉山に変えたらどうかな、川崎に今いないから、」
そのことも電話すぐ確認したい、きっと大叔母なら喜んで受けるだろう?
考えながら携帯電話ひらいた隣、明るい瞳が笑ってくれた。
「そっか、書類って受験票の住所に届くんだったよね?」
「そうだよ、あとで事務室に行ってみよう?今はまだテレビいるかもしれないから、」
「そうだね?また捕まっちゃうと困るね…あ、」
肯いて明るい瞳が瞬く。
まだ光る睫の滴ゆれて、すこし困ったような仕草に尋ねた。
「ん、どうしたの美代さん?」
「あ…ううん、大丈夫よきっと、」
肩の髪ゆらせて笑顔ふる、その頬あいかわらず赤い。
まだ痛むだろう?切ない左頬のまま彼女は微笑んだ。
「いろいろありがとう湯原くん、お世話にならせて?」
左頬まだ赤い、それでも明るい笑顔ほころぶ。
この笑顔もっと今日に言祝ぎたい、願い笑いかけた。
「ん…まず研究室に行こう?青木先生たち待ってるよ、」
笑ってベンチを立って、頬ふわり風が甘い。
枯れ葉まじり微かな甘さ、桜がもう咲くのだろう。
風の匂い、温度、きっと今日を忘れない明日になる。
でも僕は、まだ好きなんだ。
(to be continued)
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