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萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

深夜雑談:それは捏造または罪か―歴史娯楽たとえば

2023-02-13 01:15:00 | 思考雑談
大河ドラマ、小さいころから見てるんですけど。
ここ数年あんまり見ていないんですよね。
っていうのは、考証が雑だから。

What is History?

エドワード・ハレット・カー博士がケンブリッジ大学で行った講演をまとめた著述で、
歴史学の入門書に挙げられているんですけど。

「歴史とは過去と現在の対話である」
「歴史とは主観と客観の対話」

なんてフレーズが出てきます、
といっても自分も読んだの直近5年以上たっているので、ちょっと表現違っていたらすみません。
また読み直さないとですね、笑

で、ここんとこの大河でひどいなー思うこと・その1「女性の名前」
戦国時代までの日本は女性も相続権があったり城主になったりしているんですけど。
誰かの嫁さん・正妻側室いずれも出身氏族や出身地の名前で呼ばれ、記録されていたりします。

たとえば、
生駒殿=織田信長の側室で生駒氏出身
西郷局=三河西郷氏出身、徳川家康側室で徳川秀忠生母
ほかにも下山殿=徳川家康側室で下山館育ち、岩村殿=織田信長の叔母で岩村城主、などなど。

で、ここんとこ徳川家康側の正室=築山殿の名前を瀬名と某河ドラマは定説みたいに言ってるけれど、
築山殿=瀬名氏俊の娘または瀬名館で生まれたから瀬名殿と呼ばれた説あり・ただし史料に「瀬名=名前」という記述は無いのだとか。
ようするに瀬名殿と呼ばれていたとしても、生駒殿や下村殿と同じようなカンジで、それが実名のように言うのは想像の産物であって事実ではない・ってワケ。

戦国がらみで言えば、10年くらい前?の女城主いってた某河ドラマはホントどうなんだろうと。
あの時代は女城主けっこう多くて、女性が女性の名前を名乗って城主になることも家長を務めることもケッコウあったんですよね。

九州の立花誾千代=父親の盟友の息子を婿にむかえ、自身も有事には砦のひとつを護った女傑
陸奥の八戸氏21代当主・清心尼=八戸氏娘で婿養子も嗣子も亡くなった為、自分が当主として遠野を治める
美濃の岩村城主・岩村殿=織田信長の叔母でおつやの方、夫が亡くなり城主となるが武田と織田の板挟みになり刑死。
女武者は、鎌倉期だと木曽義仲の愛人の巴御前は有名。戦国時代でも立花誾千代をはじめ、剛腕ふるった女武者がわりといます。

ちょっと前の某河ドラマで女城主なんて言ってたのあったけど、アレもホントは男性だっただろう人を女にしちゃってる感がすごい。
まず記録の名前が男の名前→アレを女が男名を使ってた言い張ってるのは、今大人気のドラマの影響受けすぎじゃんね?と。
女だった言い張る根拠が史料の一つに「〇〇は女だった」書かれていたからって言うけれど、
男性を「女」と表現するのは当時よくあったことで、
どんなときソレしたかっていうと=衆道の女役・いわゆるBLの受けを「女」って表現してたんですよね。
わりと戦国や江戸期の史料や読み物に出てくる表現で、まあ、たぶん、その学者さんはマジメだからチョットアレな隠語を知らなかったんだろうなあと。笑

または、ちょっと新説うちたてて目立ちたい×認められたいっていう虚栄心。
そーゆー学者もどきワリといるんですよね、ウチの大学にもいたなあツマンナイ講義だったなあって懐かしくなります。
史実をねじまげて捏造して栄達しようってするヤツ、
2014年ソレで日本の学術すべてが世界の信用を失いかけた事件がありましたけど、
アレがどれだけ世界で日本の学者研究者に大バッシングだったのか、知らない人も多すぎて捏造栄達ヨッシャみたいなヤツが絶えないのかなあと。

で、話はもどるけど、
平安末期~鎌倉時代あたりも武家は女性にも相続権があり、女地頭なんかもよくあった話。
たとえば鎌倉期の古典『十六夜日記』は著者の阿仏尼が息子の相続権を勝ち取るために幕府へと向かった、その旅を記録した紀行文。
北條政子も兄の北條宗時が亡くなった後、北條氏の惣領としての立場からアレだけ父親にも強権が振るえたわけです。
女性から相続権や武力が消えていくのは江戸時代あたりで、それまでは女性の発言権もかなり強かったんですよね。

このあいだの某河ドラマも吾妻鏡を基にした言っているけれども、
ホントに吾妻鏡を読みこんでいたら・頼朝の愛人にされた伊藤祐親娘が「八重姫」って名前だーなんて書いていない。
あのエピソードも女性の名前も後世の創作ものに書かれているだけで、当時の史料には出てこないんですよね。
土地在住の江間小次郎に祐親娘が嫁がされた記述を義時の通称小四郎に勘違い・なんてのもあるある話。
ソモソモ・頼朝愛人の伊藤祐親娘と北條義時はカナリ近親血縁だよって史料あちこちあるので、ねえ?

これを知らないで義時の長子の母親=伊藤祐親娘なんて説おったてるひといるらしいけど。
長子の後見人が誰だったか?その母親の姓は?
なんてあたり当時の史料に遺されている記録からも、祐親娘と義時の結婚はあり得ないし、泰時の母親だってナオサラ無いんですよね。

義時の長子、北條泰時の母が誰か?
っていうのは平安末期専門の学者では論争にもなるところで。
それについては埼玉の学者さんが、冷静で客観的な実証ある論文を書かれています。
発行部数が少ないため有名になっていないんですけど、自分が拝読した論文の中でベスト10に入る名著と思います。

で、なんで鎌倉時代あたりは勘違い多いのか?いうと、
平安末期から鎌倉初期は文献の考証がちょっとメンドウな時代ってことが原因だろうなあと。
吾妻鏡だけでは見えない部分が多すぎて=北條氏の政権奪取をちょっとでも正当化するために書いているから。
だから真逆の文献=貴族の日記やなんかを読まないと、吾妻鏡に書かれている事象のホントの事情が見えにくい。
また当時の坂東武士は血縁関係がとにかくスゴイ、そこを系図きっちり読みこんでからじゃないと吾妻鏡の実像も見えない。
たとえば源頼朝は氏の長者相続権を血筋が一番尊い言って正当化しているけど、その根拠自体、頼朝祖父の存在が否定しちゃってるのも系図読まないとわかんないトコ。

で、そんな考証を脚本家さんがキッチリできる時間なんて無いわけだし。
それじゃー考証任せられた人がそこまで出来るのか?っていうと、ホントのプロじゃなかったら難しいだろうなあと。
それでいつも思うのは、すなおに正直に、〇〇さん著作の〇〇っていう歴史小説を基にしました!って言えばいいじゃんねーと。

おんな太閤記は大河ドラマでも人気だった作品、
渡る世〇は鬼ばかりで有名なあのひとが脚本だったんですけど、盗作問題勃発した事でも有名な作品なんだとか。
発覚した発端は登場人物の名前→どこ調べても当時の史料からは名前が記録されていない人物の仮名が被ったから。

当時、人気だった作家さんが書いた北政所の小説。
それを書くときに作者さんは史料こまかく読みこんで、けれど名前まったく記録がない人物1名。
しかたなく仮名をつけて、その旨も「この人物は仮の名前で、史実ではありません」と記載して上梓したそうです。
で、某河ドラマ制作スタッフが脚本家さんに渡した資料に、その人物は仮名のまま記載していたんだとか。
で、脚本家さんはソレをそのまま脚本にしてしまい。
それが作家さんの耳に入り「あの名前は私がしかたなく仮名として考えたものです、史実ではありません」と脚本家さんへ連絡が。

ってわけで盗作したんじゃん!って話になり、
その資料担当スタッフが「自分が集めた資料の問題です脚本家さんの責任じゃありません」いうけれど、まあね、小説と類似どうしても〇〇で。
けれど作家さん「そんなことよりも、あれは創作だと、史実ではないと視聴者の方に分かって頂きたいんです。創作が歴史の捏造になったらいけません」と仰られたと。
で、おかげさまでスキャンダルなんとか逃れてドラマは放映され続け、人気になったということなんだとか。

で、思うのはソレが今でも反省なく続いているんだよなあと。
真〇丸は司馬さんの真田信繁を描いた城塞とか思いださせられるし、
新選組のドラマもアレって司馬さんの書いた新選組もの総括じゃんかなあと。
ここんとこオリジナルこれがまじかよドウミテモ真似っこすぎだろ剽窃どころかアレ続きすぎだろ、ね?

新選組を悪役から人気にひきあげたのは司馬遼太郎さんの功労のひとつで、
土方歳三の生涯をえがいた『燃えよ剣』はじめ、『新選組血風録』や対談集・考察文に新選組のことを多岐に語られています。
それらに触発された当時の作家さん達が新選組を書いて、そんなわけで今は新選組もの小説やマンガなどなど、すごいあるわけなんですけど。
それらを司馬さん作品を軸にまとめて脚本書いちゃった感がすごかったんですよね、
特に土方歳三最後の一日とか、まんまもう燃えよ剣の下巻ラストだろうなあと。

きちんと原作を尊重しない、そんな脚本は根無し草だと思うんですよね。
史実の根が解らないまんまただ盗んで描いている、だから薄い演出になっちゃうし台詞の重みも根っこなくて浮いちゃう。
そんなこんなで某河ドラマは見なくなったんですよね、
盗作を推奨するような論調なんてね、犯罪の片棒担がされるみたいで不愉快だなあと。

他方、マンガ原作でも原作を誠実に捉えたドラマは面白いなあと。
大奥って今まで見たことなかったけど、好きな俳優さん女優さん出るから見てみたら面白かった、笑
江戸期の時代推移がセットや衣装でもきちんと描かれているし、台詞から演出もきちんと原作リスペクトに重みがいいなあと。
原作者の方には、正当な、法的にも適性な著作権料をきちんと支払って欲しいとこです。

著作権の尊重は、著作物=作品への誠実な想いの現れでもあるんですよね。
作品を守るために、または作品の誕生を促すために、その糧を得る権利が著作権。
それを無視して暴利をむさぼろうなんて人間が、素晴らしい作品を生み出すとか可能なワケないだろうと。笑

だから言いたくなるんですよね、
アレとかソレとか、司馬遼太郎さん『燃えよ剣』『城塞』とか読んだほうが心臓どすんと響くだろうなあと。
このあいだのとかも永井路子さんの鎌倉幕府モノ読んだ方が面白いのかも?自分読んだことないけど。

永井さんの鎌倉シリーズ、草燃えるって題でかつて某河ドラマになっているんだけど人気すごかったんだとか。
コレもまあ架空の人物・人間関係とか頻出して、人名とか事物とか史料に沿っているわけでもなかったり色々なんだけど。
そこらへんは何て言うか、本音言ってしまえば歴史家ではなく歴女らしい視点なんだろうし、主観びっしりに創作モノとして書いたんだろうけど。
だから、まあ、焼き直し?的に?吾妻鏡ガ―言ってちょっと加えてソレっぽくしてこのあいだもやっちゃったのかもなあなんて思ってしまうんですけども。

そんな鎌倉アノあたりは司馬さんなぜか駄作で・ご自身も書き直したい言っていたんですよね。
でも書き直せなかったのは、史料あまりに膨大×あの時代専門の学者じゃないと読み解けない描けないって解ったからなのかもしれないなと。
そこらへんのこと対談集とかでご自身でも話してるから、ホント生粋の新聞記者魂で、事実を尊重して小説に描いていたんだろうなと。

歴史の娯楽作品って、そんなわけで危ないなって思うんですよね。
さっきも書いた作家さんの言葉「史実ではないと視聴者の方に分かって頂きたいんです、創作が歴史の捏造になったらいけません、」
これを最近は「自分の主観が史実ってことになったらいい」みたいな論調になっている脚本家×時代考証学者が、幅きかせちゃってんだけどドウなんだ?と。

そんなわけで最近ホント某河ドラマ見ていません、っていう一個人の私見。笑


今日がんばったから明日は休みだなーっていう深夜のツレヅレ書き、さすがに眠いです。
今日は気温が上がった=積雪が緩みやすい雪崩注意、ニュース見る時間がなかった今日だけど遭難事故なければいいなあと。
冬はトリワケ山の日暮れ早い×足元凍結する×角曲がったら雪だったりするので、どうぞ登山の方はお気をつけて。
【撮影地:神奈川県2019.2.17】

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車窓雑談、水無月に夜

2019-06-12 22:23:22 | 思考雑談
休みって言葉がナツカシイなー、

って日々ココントコの頃、
週末も公用続きアレコレ→まったく遊んでいなくて、
それでも月初土曜はヒサシブリ休日で、

うわーどこの山行こっかなあ?喜

なんてワクワク迎えた土曜は、15時スタートだった。
よーするに起きたら15時=山は遠くにありて想うもの・だった、笑

あーコレもう疲れすぎてるなあ、わらい

ってワケで一日だらだらするしかなくて、
それはソレで充実・というか無為もまたイイモンで、笑
なにより悪戯坊主がゴキゲン幸せそうで、ソレはイイコトだった。

ソンナコンナで今は帰りの車中で、
車窓は夜とっくに暗いワケなんだけど、
なんとなく晴れ晴れなのは今日、友達とちょっと話せたからかもしれない。

帰り道ちょっと一緒に歩きながら話したダケ、
ちょっと悩みを聴き、そこから笑って、
またなーと駅で別れ、

ただソレだけ・なんだけど晴れ晴れ。
ソレはたぶん・ほんとイイヤツだから、笑

なんて考えながら降りた駅、風の涼しさにも樹木が薫って、
それから匂ったナンカの旨そーに、コレから待ち合わせ相手とゴハン行き。笑


ソンナコンナで帰宅&風呂すませて一息ほっと今ココ、笑

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時事雑談:個の尊厳―法科大学院の事件から

2016-08-08 12:00:08 | 思考雑談
一橋大学の事件をどう考えるか?ってリクエスト頂いたので想うことを。

一橋大学法科大学院で、
男子大学院生Aが友人だった男子大学院生Bに告白し、
大学院生Bが「オマエがゲイだってことをばらしてやる」と発言し、その1ヶ月後に大学院生Aは自殺した。
そして大学院生Aの遺族が大学院生Bと一橋大学に対して訴訟を起こした。

っていうのが事件の経路ですけど、
ちょっと把握していない事実関係があるので明確なことは言い難いけれど、

1)男子大学院生Aから大学側は差別について相談を受けていたのか?それは教員か大学の相談窓口か?
2)男子大学院生AとBの共通知人はAに対してセクシャルマイノリティを理由とする差別的態度をとったか?
3)男子大学院生Aが自殺した理由は何か?セクシャルマイノリティへの差別か、告白を受け入れられなかった傷心か?

結論から言っちゃうと勝訴の可能性もアリって思います、その論点は4つ。

1.セクシャルマイノリティに対する世論
2.倫理観「いじめ」問題
3.プライバシー保護
4.法科大学院という教育機関の社会的意義

セクシャルマイノリティの世論の流れから考えると
同性カップルを家族に準じて認める渋谷区条例、ローマ法王の同性愛に対する見解、ロシアの同性愛否定に対する世界の反応、
そうした近年の法整備・世論から考えると司法の見解は「性的少数であることを理由に差別・迫害されてはいけない」になるだろうなあと。

次の2.は「人間関係のもつれた相手を追い詰めることが正しいのか?」って問題です。
ようするに「いじめ」問題、学校や職場など所属する組織内で迫害・孤立させられたことが争点になります。
こうした「いじめの果の自殺」については多くの判例が加害者に対して損害賠償命令を出しています。

3.については1.と関連して判断されるとこで「カミングアウト」をめぐる問題です。
セクシャルマイノリティ=少数者である本人にとって「大多数に受け入れてもらえるか?」は苦しい壁でもあります。
世間の差別的視線に耐えられるのか、親しい人から拒絶されたらどうしよう?という不安と恐怖が大きく覚悟が強いられることが現実です。
本人がカミングアウトに至るだけの相手への信頼感がある、それは「プライバシー保護を守ってくれる」という信頼感でもあります。
こうした信頼感を裏切るということは倫理上はもちろん、現在はコンプライアンスの問題としても法的に禁止されていることです。

この3点を踏まえて4「法科大学院」について考えると、

法科大学院側に大学院生Aから差別について相談があった、と仮定した場合は一橋大学も責任を負うことになると思います。
1.について適切な処置がとれなかったことは=大学という組織内で起きた差別問題について管理責任を問われます。
2.を放置したとすれば「いじめ」の放置=教育機関として倫理責任が問題です、法科大学院=法曹の育成機関である責務にも尚更かと。
3.に関しては国立大学も法人としてコンプライアンス規定があります、その違反に該当することが問題です。

大学院生Bについても同様三点すべてが問われるかなと。
法曹に就けば上記3点は遵守する義務があります、それを理解していない=不適格者として退学の可能性もあるかなと。

法科大学院は司法試験を受け法曹を目指すための教育機関です、
法曹=裁判官・検察官・弁護士ですけど、裁判官と検察官については前科者は就くことができない規定があります。
弁護士も守秘義務があり、職務上知り得た秘密・プライバシーを漏らせば資格剥奪もありうることです。

ようするに、
法科大学院生としてBは「倫理観がありプライバシー保護を理解している」という信用を持たれてしかるべき立場にある、ってことです。
その信用を裏切ることは法律家を目指す人間という社会的立場を壊すことでもあります、で、

1.セクシャルマイノリティへの差別的態度は法科大学院生として相応しいのか?
2.大学内の人間関係で追い詰めたことは「いじめ」ではないか?その倫理観は法科大学院生として相応しいか?
3.プライバシー保護は法の規定もあり社会的通念でもある、それを法科大学院として遵守することは当然ではないのか?

といった法的判断がされていくと思いますが、
大学が有責を問われるかは「相談の有無」と「相談があってから自殺に至るまでの期間」によるかなと。
大学院生Bについては裁判で有責とならなかったとしても、法曹の世界で生きることは難しいかと思います。

1.差別的偏見的視点がある
2.弱者を攻撃することで自身の立場保全をはかる自己中心性
3.他者の秘密にしたいことを安易に暴露する弱い自制心=守秘義務を担える精神的能力・判断力に欠ける

この三点が法科大学院生Bに見られるってことです。
こうした評価は相手が同性愛者だったことが問題なのではなく、自己愛から相手を攻撃したという事実がポイントです。
とりわけ「社会的弱者・少数派である弱点を追い詰めた」ことが問題で、これは異性間の恋愛においても同じことです。

たとえば被差別出身者で同じような事例があります、
被差別出身であることを理由に結婚を断られ、出身であることを言いふらされ自殺に至った事件です。
被差別については同和問題と呼ばれていますが、出身者の差別問題も少数派=社会的弱者であるための偏見が原因です。

こうした「社会的弱者・少数派」への攻撃は人間社会ならどこでもあります。
子供の世界でも学校カーストと呼ばれる階級制度が暗黙され、会社組織の派閥争いなども同じ問題があります。
この「どこでもある」ことの一環として同性愛者・セクシャルマイノリティへの偏見や差別問題も存在しているわけです。
ようするに「同性愛であること」が問題なのではなく「社会的弱者・少数派であることを弱点として攻撃した」ことが問題になるってことです。

こうしたマイノリティに属する人で法律に携わる仕事をしている方もいます。
それは「社会的弱者・少数派を守るために法に携わることは正義」という社会的通念があるから実現していることです。
とはいえ法曹界の人間関係にあっても個人レベルでは同性愛者に対する偏見的視点はあると思います、が、それを理由とする攻撃は許されません。
日本では恋愛について異性間に限るという規定はなく、むしろ上述したとおり渋谷区の条例など同性愛者の権利を保護していく流れにあります。

また歴史的観点で言えば、日本における同性愛・特に男性同士の恋愛関係は明治まで普通のことでした。
男はバイセクシャルであることが常識で、女性にしか興味がない男性はむしろ異常=少数派だったわけです。
義兄弟の契り・血契ともいわれる関係で男同士の恋愛こそ崇高とされ社会的仕組みとしても有効でした、BLとはちょっと違う世界です、笑
が、明治になり西洋の風潮を真似ることが近代化との判断から同性愛は否定されることになります、キリスト教では同性愛を否定したからです。
キリスト教の同性愛は前にも書いたことあると思うんですけど、BLが大好物(笑)な倒錯的ケースを制限するために否定された経緯があります。
ようするに自制心ある関係性なら同性愛も否定する必要が無かった、そのためローマ法王から同性愛を否定しない意向が最近は示されるワケです。

訴状ちゃんと読んだワケじゃないから勝訴断定もしがたく、
判断材料も少ないので確かなことは言わないけれど、有責は認められる点が多いかなと。

で、個人的なセクシャルマイノリティに対する考え&経験論ですけど。
ずっと「雑談寓話」に書いていますが、自分にはバイセクシャルの友人が二人います。
自分自身も同性から告白されたことがあります、応えることはできませんでしたが・その後も友達関係は続きました。

バイセクシャルの友人も告白してくれた人も、普通に人間です。
どの人も普通に生活していて普通に家族生活があり友人もいる、好きな食べもの好きな場所がある。
告白してフラれたからってムリヤリ襲ったりなんかしない普通の良識ある人間です、だから自分も人間として普通に好きな友人です、笑

同性愛の人間もフツーに生きているだけで・その人それぞれ尊敬すべき点があるタダの人間。

ってことを言いたいから同性愛の人間を主人公にして、ごくフツーな生活を小説に描いてみています。
たとえば世の中そこらにあるBL小説とかマンガでは同性愛の主人公たちはヤタラSEXばかりするけど、
現実ではフツーに会社生活や学校生活があり、家族があり、恋人とSEXばかりしているわけじゃない。

同性愛=日常普通にあること。

タダそれだけのコトで、ソレは異性との恋愛とマッタク変わらないことです。
肉体関係目当てのツキアイもあるだろうし・心重視のプラトニックも当然ある。
ただし・男と女では思考パターンが違う=恋愛の価値観も違っているけれど。

「私と仕事どっちが大事?」

って女の人は言っちゃうことがある、
それは恋愛>仕事っていう方程式がドッカあるから言っているわけで、
ようするに恋愛も仕事も同じ次元のなかで起きている、だから順位付けもしてくる。

それが男だとドウかって言うと、恋愛と仕事は別次元の話とも言える。
サッカーと数学どっちができるほうがエライのか?っていう順位づけを無理矢理させられるようなモノ。
じゃあ恋愛と仕事ドウ別次元なのかっていうとタトエバ、

恋愛=感情・癒し休息
仕事=能力・評価競争

ってカンジに脳内スペースも居場所としてもマッタク性質が違う。
性質が違うわけだから、感情と能力を比較してどっちが上なのか?なんて順位づけは有得ない、
だからドッチが大事なんて言われても「はあ?」ってなってしまう、で、そこらへんすれ違いも出る。

だけど女性は感情論で動くことが多い、
ソレはタトエバ「自分磨き」とか「女子力」とか「モテワンピ」なんて言葉に出ている。
自分磨きして女子力UPしてモテワンピを着る、その結果に求めることは言ってしまえば「モテる女」になること。

恋愛=能力=評価競争

恋愛も能力の一つで評価基準、だから仕事=能力のフィールドに一緒に乗せてしまう。
で、彼氏ないし夫の職種社会地位が妻のステータスなんてことにもなる。
だから「結婚=勝ち組」なんて考え方も出てくる。

たいして男は「結婚=勝ち組」というよりも「結婚=墓場」なんて考えもフツーにしてしまう、
それは結婚する=女性の価値観と一緒に暮らすことになる、で、

「家族と仕事どっちが大事?」

なんて責められることが出てくるワケで、
それから逃げられなくなるのが結婚、だから「ご愁傷様」なんて結婚するヤツに言ったりもする、
ほんとに自分が求めて一緒にいたい結婚相手ならソンナこともないだろうけれど、それでも恋愛/仕事のメーターが重荷になりやすい。

そういう恋愛の性差がある以上、男同士の同性愛と女同士の同性愛では価値観バロメーターが違っていてアタリマエ。
そこらへん理解しないで女の子がBLなんて書くからリアルと当然全く違う世界になる、
で、同性愛の男からすると「BLが偏見を生む嫌い迷惑」なんてコトになる。

少数=出会うことが少ない=現実を知れない=「理解する機会が少ない」

こんなふうに・セクシャルマイノリティの偏見は「少数」だからこそ生まれます。
たとえば異性愛者は多くいて、多くいる中にはSEX中毒者もいるだろうしSMあれこれ性的倒錯ってやつもいる、
ソウイウ性的倒錯いわゆる変態嗜好は刺激的=メディアに取り上げられやすいから有名で、でも同時にちゃんと分かっている。

「ああいう人間もいるけれど恋愛すれば誰もがSEX中毒になるワケじゃない、」

ようするに「多くいる」なかの「特殊」だと知っているから「恋愛=変態になるわけじゃない」だと解かっている。
だけどセクシャルマイノリティは人数が少なくて、その少ない中の特に特殊な人間がメディア化されてしまうわけで、

「少ない+特殊=全員が特殊」っていう誤解を生むことになる。

こうした特殊性は刺激的、そして非現実性が高いです。
日常から離れていける非現実の刺激=それは楽しい娯楽で、だからメディアが取りあげる。
そういう刺激的娯楽としてBLもあるんだろうなって思います、で、刺激的であるほど楽しいって図式もある。
だから変な場所でXXXしたり強姦的であったりと倒錯した世界を妄想して、ただただ「楽しい」だけを理由に書いてしまう。
その「楽しい」は非現実性=妄想ファンタジーにあり、そこには一つの差別感があるなあと。

同性愛は差別され迫害されて当り前=迫害されてこそ美、

っていう上から目線の見下し感「下に見て同情的に理解する」ことを快感にする「楽しい」です。
この見下し感を正当化したいがため倒錯的描写はエスカレートする、っていう心理ベクトルがある。

その倒錯しか読み手には情報がない、情報が少ないため「その情報で全部=現実」となる。
そうした妄想からの誤解に「同性愛は倒錯的XXXする」っていう偏見が生まれるワケです。

そういう偏見について去年の9月に記事にしています。
「文学雑談:ある偽善小説」知る人ぞな実話から書いた記事なんですけど、ご興味あったら、笑

今回の事件はセクシャルマイノリティと法科大学院に起きたことです、
これを裁判所はどう判断するのか?それは偏見と法律の関係を問うことでもあるかなと思います。
ただ同情論的な恋愛論で片づけるようなモンじゃない、人間が築いてゆく社会規範と個人の尊厳をどう綯い合せるかってとこです。

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時限日記:たまには言いたい放題

2016-03-22 23:00:16 | 思考雑談
てきとーなとき非公開にするかもしれないので時限付で、笑

ランキングサイトに登録していますけど、その目的は読者サンの反応を知りたいから。
記事に貼ってあるバナー押すとランキングポイントになる→順位UPする=支持率バロメーターなわけですが、
そのサイトは記事トーナメントもあり、エントリーすると他の参加ブログを閲覧することもあるんですけど、
今さっき読ませてもらったブログで↓こんなカンジの文章がありました。

“同性愛のブログは内容にかかわらずアダルト指定されることが哀しい、R18ってことなのかな?”

友達もこういうコト言ってたな?って思いだしました。
ソイツは女性ともアレコレできるけど男に対する恋愛感情が強くて、
だけど同性愛だと問答無用で線引きされるから、ソレが怖くて女性とも恋愛しないといけない=結婚は義務。
かといって相手になる女性をまったく愛さないわけでもない、彼なり大切に想っているし真面目に社会人している男です。

「女との恋愛は星の数ほどあるけど、男との恋愛は一期一会で俺の大切な一部」

なんてコト言っちゃうヤツで、
コンナコト言うと女性を敵に回すぞーなんて笑ってやったら、

「女だってゲイを玩具にしてんじゃん、BLとかってマジ不快だし迷惑、」

なんて台詞スタートから本気で怒って、

「ゲイだから変態って決めつけんじゃねーよ、俺だってフツーに真面目に社会人やってんだよっ、露出狂も虐待も異性愛のが多いだろがバーーカ、」

など言いながら泣きながらビール飲んだり、
男を好きになるたび振向いてほしくて近づいて、けれど不器用なまんま関係ごと壊れて、
そんな繰り返しばかりして、だから結局のところソイツは「女性とも恋愛しないと」ってホントの気持ち隠すことに慣れてしまった。
ようするにソイツは自身に嘘吐くことに慣れて、ソンナトコロまで追い込んでゆく正体は「内容にかかわらずアダルト指定される」と同じだ。

こういうヤツ近く見ているから尚更、初めて読んだブログでも響いたのかもしれない。
ねえ、ちょっと聞いてよ12ブログトーナメント

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深夜雑談@リアルLIAR GAME

2015-06-18 01:00:00 | 思考雑談
ココントコ話題にしている「消えたやつ」は、やっぱり騙されていた。

そいつと親しくなった女がいる、といっても某WEB空間でだけど。
教養ゆたかな才媛風ってカンジだった、良い時は良いカンジで話してつきあえるタイプ、
で、そいつがアレコレあって某WEB空間にINしなくなった後、彼女は「忙しくなったので辞めます」と言ってきた、

リアルが忙しくなった、
同時並行ができるほど器用じゃない、
だからアバターは知人に譲って自分は辞めます、
だから交流あるコミュニティはぜんぶ切って辞めます、また戻るかもだけど

なんて彼女は言ったから、同情して気にした人も当然いたわけで。
だがしかし「辞めます友も切りますサヨウナラ」言った当日その日さっそく彼女は遊んでいた。
以前も彼女は同じようなセリフで切ったコミュニティがある、そこで彼女は「www」と遊んでいたわけだけど、

辞めるって、それ5分間限定ですか?笑

どうせ交流切ったから追跡できないわバレナイワw
なんて思ったんだろう、が、ツメ甘すぎてバレています、
ってかバレテ良いわってツモリなのか?バレて良いんなら例えばコンナカンジに呼んでいいはずだ、

嘘吐き蝙蝠女?でなかったら粉飾決算女史?笑

1.辞めると宣言したなら言葉どおり辞めたらいい
2.続けるけど絡まないんならそう正直に言えばいい

アレコレヤラカシすぎてしまった結果、彼女が居辛いのは誰も納得していた、
だから「居辛いから交流やめます」で誰も何も責めなかったろう、気持よく「今までありがとう」で終れた、
が、結局1も2もドッチもできず嘘吐いたのは結局「イイ顔していたい」悪者になりたくない甘えた不誠実=虚飾の虚妄だろう?

しかも蝙蝠女史ご本人が「トラブル巻き込まれた」言ってた相手と遊んでいるアタリ、
さて、どう解釈してやればイイのだろう?笑

辞めます、と言われてもきっと嘘だろうと思っていた、だって矛盾だらけだ?笑

辞めるにしては余計な言動&根回しが多すぎた、それでも敢えて黙って笑っておいた、
どーせ縁切れるんなら最後は相手の望みどおり「忘れたフリ」してやれば満足するんだろう、せめての餞だ。
それでも嘘だと思ったことが嘘じゃないなら良いな?そんなかすかな期待も彼女にとったら「www」なんだろう、笑

ソンナ彼女も良い時は良い人だった、
いろんな話をしてくれた、面白い話も打ち明け話もしてくれた、
一緒に遊んだ時間は素直に楽しかった、そーゆー良い時間が事実だからこそ彼女の嘘はやりきれない。
楽しかった時間まるごと嘘塗りたくられてしまう、どこまで嘘で真実だったのか両面性のはざま落っこちている。

きっと嘘だな?

そう解かっていた分だけ信じようとしていた人の傷みが切ない。
そーゆー傷はWEBを通しても心ざっくり刺してしまう、それでも加害者はきっと「傷つけるつもりはない誤解だ」と言うんだろう、
そんな言い訳するならナンデ嘘なんか吐くんだと思う、いっそ「騙しちゃってゴメンねwww」と悪者論理で謝罪ならまだカッコいいのに?笑

これは某WEB仮想空間でのできごとで、
たかがゲーム遊び空間での話、でもリアル直結している事実で現実の人間がやったこと。
やった言動を消すリセットボタンなんて当然に無い、どんだけ逃げたツモリでも事実は消えない、だって本人が結局いちばん解っている。

どんだけ仮想空間であってもゲームの向こうに現実を生きている人間がいる、リアル感情がそこにある。
仮想空間だからって嘘吐いて逃げてイイなんてルールも存在しない、あるのはリアル人間の常識&マナーだろう?
仮想空間ですらマトモに向きあえないんなら、リアルの顔はもっと酷いのかもしれない。

で、しょーじきこんなワケワカランムジュンウソツキヘンタイなんか今どーでもいい、笑
問題なのは「消えた男」蝙蝠に巻きこまれてトラウマ復活ストレスぶっ倒れたヤツのことだ、そっちはどーでもよくない。
こんなウソツキヘンタイに騙されちゃって辞めるとこまで追いこまれたんなら、ホントそいつの体もプライドもゲーマー意地も大損害だ。

消えた男は、蝙蝠女史のトラブルを相談されたから解決に頭脳も時間も使ってくれた。
リアルでも頭良いヤツで優しいヤツなのかなって想わせる、そんな態度でそいつはトラブル解決に時間を割いていた。
彼女が本当に困っている、そう信じたから忙しいリアル時間も割いて対応して、気晴らしにもつきあって話もマジメに聴いていた。
そうして割いた時間の見返りはトラウマ喚起→ストレスぶっ倒れ→職場でも怒られたらしい、で、そのストレスを仮想空間の責任にされた。

ホントの原因は違う、そう解っていても誰にも言えないだろう、だってソイツにもプライドがある。
それに言いかたイジワルだけど、仕事もちだせば誰もが文句言い難いことは、そいつ本人がいちばん知って理由にしてるだろう?

で、そんな顛末にも彼女は謝らない。
私は何も悪くない誤解だ、周りが勝手にやったこと私は知らない、私は疲れたから辞める、
そんなことばかり言って辞めます宣言して、そんな宣言当日ちゃんと彼女はトラブル相手たちと遊んでいた、笑
で、今日も「www」とたのしそーに草生やして遊んでいる。

ここまで一連のこと全部を解っていて、
それでも敢えてソイツが現れないのはメンドウクサイが理由かもしれない、それも仕方ないんだろう?
それとも考えたくはないけれど「消えた男」もウソツキヘンタイコウモりの同類なんだろうか?

…って嫌だなあ、それが当るのは。

でもソイツが戻らない限りどっかで疑念わだかまる、
ウソツキヘンタイのグルだったのかなーとか最初から3ヶ月限定だったのかなーとか、
そんな解釈は良いも悪いも混じってしまう、だって結局のトコ本人にしか真相は解からない釈明できない。

こんな展開まさにライアーゲーム、
Liar Game=嘘吐き詐欺師の遊び、なんて言ったらカッコいいけれど、
Liarの意味はカナリ酷い、虚飾まみれとか信用かけらも無い最低人間とかそんな意味だ。

誰が嘘吐きで誰が騙されたのか?
誰が信用かけらもできない底辺クズなのか、それも甘えた弱さ故なのか?
どっちにしても逃げたままでは何ひとつ終わらない、終ったフリしているだけのまさにLIARだろう?

それでも「消えた男」そいつには信じたいって言ってくれる人たちがいる、いつかその温もり叶うと良い。

自己中・・ブログトーナメント



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時限日記@深夜雑談60424

2015-06-05 00:10:10 | 思考雑談
夏の夕暮れ時、ながら考えたことの雑談を、笑

子どもの頃から人の話を聴かせてもらうことが多い、いわゆる相談相手ってやつ。
老若男女、その時々ケースバイケースで色んな話を聴かせてもらう。
そんな自分は心理学者ではありません、笑
プロファイリングともすこし違う、

ただ相手の視点で一緒にものを考える。

それは経験と裏付ける知識、それから出逢った全ての記憶が基盤。
子供時代はフツーに聴いて考えて、それがいつの間にかいわゆる立場になって、
そうして色んな人に出逢って、聴いて、提案しながら色んなコトを解きながら今がある。

こんなふう相談相手になることは感謝されるように思われるけど、
でも現実はそうでもない、笑

辛いことを乗り越える時、人は三つの道がある。

1.納得するまで見つめ続ける
2.忘れて無かったことにする
3.自分以外に責任転嫁する

1番目は辛いことの原因解析→自分の失敗を等身大で認められる、
自分がドコをどうすべきだったのか?それを知ることは未来の失敗から自分を救う鍵になる。
自分で自分にダメだしすることはキツイだろう、それでも根本的解決は苦しい連鎖から自由になれる。

2番目は「忘却は人間の救い」という脳科学の話にもなる。
忘れることが人の精神均衡に繋がるというのは確かだ、それは感情感覚を薄れさせて楽にする。
けれど落とし穴があることは1番目の道からも否めない。
それは「忘れる」ことで次また同じケースに出遭ったとき防御すら忘れるからだ。

3番目、これは誰でも経験があるんじゃないかなと、笑
だって一番楽な方法だ、「この自分は悪くない」そう言われるだけで重荷は払われる。
けれど一過性の消去でしかない、なぜなら払ったものは消えるわけではなく廻ってまた戻ってくる。
それは「自分のココが悪かった」を知ろうとしなかったために、また同じトラブルを惹きこんでしまう本人の過失だ。

トラブルは誰もが無責任とは言えない、
その責任を欠片でも自分の中に見つけられたなら、同じトラブルに出遭わない選択を見つけられる。
もし同じトラブルに巻き込まれても前の経験と原因解析が、そこから脱するためのヒントを必ず照らす。
そうして人は経験から賢明になる可能性が誰にもあたりまえのよう与えられている。

で、こういうトラブル相談を自分は受ける立場に今あって、
そーゆーコトにあたる時いつも当たり前の覚悟をしている。
相談に乗っても感謝されるわけじゃない、2or3のとばっちりもフツーだ。
相談者を丸ごと信じることもしない、だって相手は変化する。

たしかに相談してくるときはこちらを信じて頼っている、けれど解決していくとNo.2「忘却」を選ぶ人も多くて、
その場合、辛かったトラブルごと相談相手もまるっと否定して記憶消去してしまう。
そうして連絡を絶ちたがる人は珍しくもなんともない、よくあることだ。

でNo.3「責任転嫁」はそのまんま、思い通りの解決にならないと相談相手に責任があると押し付ける。
経験不足、知識不足、いろんな「不足」を不測の事態の原因だとコチラを責めてくる、
これをやってくる人はいわゆるインテリタイプに多いようで、

「自分は大丈夫」

こう言ってしまう人がNo.3に転じやすい、なぜなら「自分の力で解決できる」と思っていたからだ。
けれど相談する時点で既に自力解決は出来ていない、その「自力不可能」な事がプライドに障ってしまう。

「ホントは自分は大丈夫、でも出来なかったのは『誰か』のせいだ」

こんな想いがどこかにある、だからアドバイスしても実行をなかなかできない。
そのタイミングロスが結果としてトラブルの痛手も大きくしてしまう、このタイプは最も周囲を巻きこみやすい。
そうしてコトがデカくなるから驚く、で、拡大化した被害に怯えてなおさら「誰か」へ責任を投げつけてしまう。
このNo.3は2から発展することも珍しくない。

「忘れたらいいよ、無かったことにしよう」

忘れたい、だから根本的解決に踏みだすことも忘れるためにしたくない。
けれどトラブルがあった事実は消えるわけじゃない、それでも解決アドバイスごと「忘れて」しまう。
アドバイスされた内容はモチロン「アドバイスの提案があった事実」も忘れ放置して、よーするにトラブルから逃避する。
そうして放置しているうち拡大してしまった被害に「自分のせいじゃない、相談相手が悪いあいつの責任だ」となるのは珍しくない。

人間は「事」外の力が加わると内面が揺さぶられる、
そうして不安定な人間は現代社会にあふれかえっているけれど、そこには色んな原因があって、
その原因は本人にも当然あるけれど「事」本人の周りから生まれてしまうものは大きい、だから本人を責めても徒労だ。
そんな徒労はNo.2や3のときは疲労感にも虚無感にもなりやすいんだろう。

そんな時でも変わらないものがある、それは子供の自分が大人の自分に決めた約束のちいさな誇りで、
それが何なのかっていうと多分きっと、世界の大人99%が心底どこかホントは抱いているんじゃないだろうか?笑

こんなふうに相談されるということはいわゆる逆恨みを買いやすい、
そのたびホントめんどくさくて弩エスりたくもなる、このバカタレテメエノセキニンダロガと嘲笑いたくもなる、
なによりコンナコトに大事なひとをウッカリ巻きこんだ時はホント自分を責めぬいて丸ごと全て考えぬく、正直マジキツすぎる、
ぶっちゃけ良いことなんか少ないかもしれない、馬鹿らしいほど徒労の努力なんだろう?

それでもこんな立場やっているのはNo.1=自由の可能性を知っているからだ。



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正午雑談:殉職の定義×学者

2014-08-26 12:45:10 | 思考雑談
正午雑談:殉職の定義×学者

理化学研究所の笹井芳樹博士が亡くなって3週間、
3週間前は色んな人がいろんなコト言っていましたけど、そのころ気になった言い回しを見たんでちょっと書きます、

「笹井氏の自殺は殉職だ」

ってカンジの文章ですけど、コレ書いた方は意味を理解して言葉を使ったのでしょうか?
言葉「自殺」「殉職」の意味+笹井博士が優れた科学者であることへ敬意ある発言なのかなと。

「殉職」=職業・仕事の職分・信念を護り全うするために死ぬこと、または一生を懸けること

殉ずる、とは信念や仕事を「全うするために」死ぬこと一生を懸けることです。
全うするって言うのは「成し遂げる」って意味になります、
で、気づかなくちゃいけない問題は、

自殺することは「全うする」といえるのか?

たとえば150年前の日本では「切腹」という死刑がありました、
切腹は「自刃」とも言いますが、イコール「自裁」自ら裁きを下すという意味です。
そこには自身の生命を今そのとき終わらせることでプライドや誇り、家族、家名、国家など何か「護る」対象がある。

自裁=「護る」対象がある自殺

ってことになるんですけど「自裁」と「殉ずる」は意味が近くて異なる言葉です。

「殉ずる」=信念や仕事を全うするために懸けた人生を終えて死ぬこと、本来は他殺による死や病死・老衰など自然死も含まれる

自裁は自殺だけど、より広範囲の死のありかたが「殉ずる」です。
だから「殉職」も本来の意味は自殺や他殺・早逝だけではなく「全うするため懸けた人生を終える」なので自然死なども含みます。
そんなワケで「学問に殉じた生涯でした」なんて言い方も学者への弔辞には使われるし「技術の発展に殉じられた」なんても言います。

対して自殺は「自分で自分を殺して命を終えること」であり「全うする」「護る」という意味は含みません。
同義語は「自死」自ら死ぬこと、ただ目的の有無を問わずに自分から生命を放棄することが「自殺・自死」です。
ようするに「生きることが嫌になった辛い、だから死ぬ」という理由なら自殺であっても「殉ずる」にならない。

で、笹井博士の自殺は「職分を全うした死」殉職だったのか?

彼は「科学者」であり立場的には「学術指導者」です、
そして当時の職務は「STAP細胞の有無を確認する」ことによる「日本の科学に対する信頼回復」でした、
また「指導した後輩科学者のサポートと教導」であり「日本の学位および学術にある不信感を是正」することです。
このどれか一つでも全うした自殺だと言えるでしょうか?

笹井博士が優れた科学者といわれる代表的研究はES細胞です、
このES細胞は受精卵をベースに作ります、そのため生命倫理に抵触するという現実があります。
正確にいえばES細胞=受精卵または受精卵より発生が進んだ胚盤胞段階の初期胚を用いて作るんですけど、
この受精卵・胚細胞について、ずっと法律上もされている議論「胎児に生存権を認めるのか」に関わる問題があります。

「妊婦を殺害し胎児も死んだ場合、殺人されたのは2名か1名か?」

これが胎児の生存権の問題ですけど、感情論で言えば胎児=おなかの赤ちゃんにも命を認めたいですよね?
けれど胎児については医療からの問題点「堕胎」と「不妊治療」があるため、現行法は胎児の生存権を認めていません。
堕胎は母体の生命維持に必要とされる場合があります、また犯罪被害による望まない妊娠への救済措置として堕胎が行われる事もあります。
不妊治療は子供を望む=生命の誕生を叶えるためにありますが、そこには「試験管児」=受精卵を人工的に生み出す処置が行われています。
堕胎も不妊治療も「受精卵・胎児」が関わるわけです、これに生存権を法律上でも認めれば産科医療の現場で殺人罪が起きてしまうわけです。

こんなふうに受精卵は生命倫理の問題が大きな存在で、そのため受精卵由来のES細胞は倫理上の問題が大きいワケです。
実験段階ではマウスで試作していればいい、けれど医療現場の実用段階で人間の受精卵を使えば「他者の命を犠牲にする」ことに繋がる。
ようするに、

受精卵・胚細胞=人間になる存在

だから受精卵による治療方法は他人の命を犠牲にすることへの肯定になります。
これに対して山中教授のips細胞は「患者本人の体細胞由来」です、そのため上述の生命倫理の問題がクリアできている。
そしてSTAP細胞も実現可能ならips細胞と同じく生命倫理の抵触も無く、かつips細胞より簡単に作製できるという利点もあったワケです。
これが実現化すれば再生医療の現場、たとえば脳の神経細胞の劣化によるアルツハイマー病など細胞異常による難病治療の期待がされました。
これらの治療についてips細胞が臨床段階へ進み始めていますが、より作製が簡単なSTAP細胞には期待も大きく実験が世界中でされたわけです。
けれど現実にはips細胞の成功例は他に無く、論文もコピペ・剽窃だけではなく証拠として重要な画像までips細胞ではない映像だった。
こうした論文を「提出許可した」ことは学者として指導者として犯したらアウト、そして今回は個人の問題に留まりません。

剽窃とは「他者の文章・論を引用したのに引用元を明らかにせず自論のよう見せかける」ことです、
人が何か文章を書くとき、考えたり資料を調べたりと時間も能力も費やした結果として文章などが生まれるワケですが、
こうした頭脳から生まれた成果物を「知的財産」と言います、その一つとして「著作権」があり全ての著作=作りだしたものにある権利です。
こういう頭脳・思考から出来た産物はいわゆる「物体」としては無い、だから財産として見えなくて簡単に盗用する人も多いのが現状です。
だから今回も「コピペが悪いことと思わなかった」という発言もあったワケですが文章も財産です、無断使用すれば権利侵害として罪に問われます。
作者に私用許可を得るor「引用文献」「参考資料」として書名・作者名を明記する、そうすれば剽窃ではなく抵触することもありません。
それは創作物、文章や画像などに対する尊重であり作り手への敬意です、こうした謙虚な姿勢が無いものは「唯一本物」とはいえません。

こうした剽窃などは学者なら一番最初、大学入学の時や論文指導で教えられる作法で当然の義務でもあります。
これは指導する側は必ずチェックすべき点でもある、その論文が所属組織の外に提出するものなら組織自体のプライドに関わるコトです。
そして国外に発表するなら自国の学術界を代表する責任を負うことになります、それはプライドだけの問題ではなく信頼性がポイントです。
もし誤った論文を提出したなら国全体の学術レベルから技術力・国家の信頼度まで壊しかねない現状があります。

こういうの大袈裟って考える方も多いかもしれませんけど、知的財産は「物体」じゃない無形だからこそ信頼性は重要です。
まして科学的研究は検証実験にも経費と時間が掛かります、金も時間も費やす元ネタが正解ではなかったら信頼性はどうなりますか?
それが国を代表する機関に所属する研究者が発信したものであり、その研究者を指導したのは優秀だと信頼されていた科学者だったなら?

笹井博士は理化学研究所の代表的指導者の一人であり、優秀な科学者でした。
だからこそ周囲も彼を信頼してSTAP細胞の研究を推し、科学雑誌も掲載して世界中が新しい医療方法の希望に懸けたんですけど、
そういう彼だからこそ失った信頼も大きかったワケですが、でも信頼を取戻せる可能性も大きかったはずです。

彼に課されていたのは「日本の科学への信頼回復」と「日本の学位および学術にある不信感を是正」でした、
どちらも一個人には大きすぎる課題です、プレッシャーも罪悪感も大きすぎて当たり前のことだろなと。
でも彼だったら成し得る可能性があるからこそ課された現実だと思います、

彼がなぜこんな事件の渦中に踏みこんだのか?

嫉妬、虚栄心、自尊心、組織内または学術上の立場、いろんな要因の結果だろうなって推定しか出来ません、
それでも優れた科学者として生きていた現実は彼本人が積みあげた時間の成果です、
そして貶めてしまったことも彼の時間たちの結果で、彼自身が選んだ道です。

けれど彼は全うしないまま自殺しました、誰がその代りを出来るのか?

なんて問いに答えられる人間は今まだいません、
彼なら取り戻せかもしれない、けれど取戻す前に放棄してしまったのが現実です。
一個人としての問題がたとえあったとしても優れた科学者だったと賞賛されるのが彼の現実です、
その「優れた」才能に立場に彼が全うすべきことは大きくて、けれど途中で放りだしたことは彼の才能と尊厳のため同情すべきじゃない。

彼の死を「殉職」と言って同情する方は多いと思います、それは偽善者の詭弁です。
心から彼という人間と才能に敬意を払うなら、彼の全うできなかった死に「殉職」と名づけるのは残酷で傲慢な嫌味です。
名声や立場を得た人間が堕ちて死んだ事を同情で美化して飾りつける言葉を贈ることは相手に対する蔑みでしかない、憐憫という快楽です。
そうした安易な同情を彼が望んで自殺を選んだのだとしても、彼という唯一の可能性と才能と尊厳のために「殉職」なんて言うべきじゃない。

学問は「世界の尖塔」だから学者は世界の舳立っている、その可能性と希望は自身の才能と人格に負う責任で義務で権利だ。

そんな言葉があります、なにかの本にあった文章で恩師の台詞としても聴かされた言葉です。
そんなふうに自分は教わりましたけど、これは学者に限らず生きてる誰にも全ての立場で言えることかなって思います。
学問なんて言うとカタクルシイとかムズカシイとか言う人もいるけれど、

マンガ=文学(ストーリー)+美術学(イラスト)
ゲーム=文学(ストーリー)+美術学(イラスト)+工学(コンピューター)
ファッション=美術学(デザイン)+家政学(縫製・織工)+工学(織機・紡績)+数学(流行の確率など)

ってカンジに学問は身近から世界全体アレコレ作っているものです、
いわゆる「生きるにおいて」ある世界の有形無形を謎解きしてヨリ豊かに楽しくするためにあるのが学問、
世界の謎解き+構築するための存在が学問ってことです、だから「学問は世界の尖塔」だとも言われています、

笹井博士も「世界の尖塔」科学という学問の舳に立った一人です、
彼の可能性と希望は彼の才能と人格に負う責任で義務で権利、だからこそ今このとき自殺すべきじゃなかった。
才能と功績にプライドがあるからこそ挫折感も大きかったと思います、けれど挫折も才能で超えられる可能性もあったはず。
彼の才能と人格が踏みこんでしまった事件と課された現実を全うして、その先にあるはずの可能性を見つけるため生きたら良かった。

大きな可能性を全うできる科学者で人間だった、だから殉職じゃない挫けた卑怯者の死だ、

そう言ってあげるほうが才能と生きた時間と、彼の科学と命に対する敬意だと思います、


なんてコト想ったので休憩ナガラにだらっと書いてみました、笑
この一連の事件については色んなトコで色んな人が言ってますけど、哀しいなって思う意見も多いなと。
なにが?っていうと剽窃論文のNGが解ってない人多すぎる=大卒者の低レベルにびっくりしたのと、安易な同情論が多すぎるアタリ。
ここで小説を書き始めて他のWEB小説を読む機会も増えたけど、残酷エログロR18違反や盗作剽窃が「当たり前」な現状が事件の根底なんだろなと。
そういう系のヒトは「知らなかった」で赦される無罪とか思ってるみたいだけど、こんな↑結末もあるのが現実です。

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深夜雑談:偏差値×大学とその先

2014-08-21 02:22:08 | 思考雑談
深夜雑談:偏差値×大学とその先

夏休み終盤っぽい雑談します、で、受験&大学ネタです、笑

高校3年生は受験の夏→夏を制する者が受験を制するなんて言いますが、
夏なら志望校&学部も決待ってると思いますけど、よく勘違いされがちなのが、

テスト成績=適性 ←コレ一概に言えないです。

入試レベルで適性判断するなら専攻科目の教科は偏差値70超からの勝負になります、
大学は専攻科目のオタクになるトコです、で、偏差値70超+他の苦手科目で均した結果その大学に入ってるやつもいます。
上位校になると専攻科目の偏差値75超は普通にいます、だから専攻メインの二次試験で差が開いて正規合格と補欠合格では実力格差がデカいです。
一次試験のセンター試験スコアは適性を示すというより基準点、二次試験の専攻科目で論述式になると専攻得意なヤツとの実力差がはっきり出ます。

そんなカンジなので偏差値60台は得意科目その専攻に適性アリとか思うと大間違い、もっと出来るヤツにプライド挫かれるとかザラな話です。
ようするにセンター試験のスコア=合格確実とは言えないし、入試の成績上位で入学しても大学で落ちこぼれるヤツは少なくない。
どっちにしても高校までの成績&入試では大学の適性を測れるワケじゃないって事です。

ちょっと経験談になりますが、自分の母校は3年次にあがるとき査定があります。
コレ国公立ではよくある制度みたいなんですけど2年修了時に取得単位数を精査→進級を決めるワケです。
で、自分の大学では1割ほど落第・留年者が出るんですが、この留年者たちの入試成績とかの内訳でいうと、

・各都道府県の名門校出身者が多い
・補欠合格者もいればセンター試験の成績上位者もいる

ってカンジで意外に想われる方もあるかもしれませんが、要するに、
高校時代その該当科目のテスト成績が良かった→その科目の専攻を受験して入試は受かる、
でも大学で単位取れず落第する=なぜ単位が取れないか←大学の講義と高校の入試対応授業は全く別物だから。

いま学位相当の論文が書けなくても学位認定されちゃう大学も存在するようですが、笑
でもマトモな大学なら学部卒業の課題=学士論文or卒業研究が合格しなかったらモチロン卒業出来ません。
この卒論を書けるまでのトレーニングとして、1年次から講義ごと単位認定課題として論文と研究は文系理系関わらず課されます。
 ↑
この課題論文&研究もホントにその専攻に興味=適性が無かったらイイモン書けません、
ドッカの既存論文を剽窃=他人の論文を引用文献も明示せずに自分のものとして書く泥棒論文しても、マトモな教授なら看破されます、笑
他人に書かせるゴーストライターも同様どっちもバレたら単位認定されず最悪退学処分、学歴も「中退」とすら書けなくなります。

ようするに・大学でいちばん必要なのは好奇心と向学心、それが適性にも繋がるんですけど、
そういうの高校までの授業&テストや入学試験では測りきれないんですよね、

たとえば国語科なら高校までの授業+テストはいわゆる感想文レベル、文章を読んで内容把握すれば解ける問題+書ける感想文です。
が、大学の国文学・日本文学になると「文章を読む」だけじゃ追いつけない、知識&分析力が要求されることになります。
前に『楢山節考』をテキストにして書いたモンUPしましたけど、あんなカンジ。

背景:執筆された時代の事件・世論がどのように文章へ反映されているか?
理念:文章に描かれたモノの考え方=観点や思想は、どんな原典に影響されて生まれたものか?
表現技法:文章の言葉遣い=語尾変化や単語選びなど文章の特徴、その文体で狙っている効果+影響を受けたと思われる原典の模索。

なんてアタリを分析して作者が「何」を書こうとしているのか考え+論にまとめる力が要求されます。
これが古典文学だと翻刻文=いわゆる古文のまんまで自分で読みこなす能力も当り前だけど必要です、
より古典でツッコむなら原文=昔ながらの崩し字で書かれた原書を翻刻するとこからやります、笑

法学部だと卒論の代りに国試って大学もあります。
ようするに、司法試験に合格する方が大事だから卒論書く暇あったら試験勉強しとけよってことです。
この試験勉強も高校までとは違います、で、その適性話だとエグイ事件も冷静に読んで分析できるのかってトコかなと。
国立法科を出たけど、刑事系の判例集を読んでるうち人間不信へおちこんで→鬱になって法曹は辞めたって人もいます。
もちろん民事でもエゲツナイ話は沢山あって相続がらみや離婚調停なんかは愛憎劇泥仕合が好きな人は楽しいと思います。

なんてカンジに判例集はエゲツナイ事件も当然あるワケで、それを事例研究なんかしてると人間失格みたいな話も少なくないです。
いま書いてる小説でも事件例あれこれ出てきますけど、あれは判例集や事件考察の論文を参考にして書いています。
そうやって読むとき感情移入しすぎるタイプは法曹は難しいだろなーと。

法科は法曹=裁判官・検察官・弁護士なら刑法も必須、だから刑事系のエグイ書証を見る可能性も当然あります。
司法書士とか民法系の士業なら刑法そこまでやらなくてもOK、グロイ物証を見る機会は無いのでその辺は安心かなと。
ただ司法書士も相続が絡むので権利問題ヤヤコシイ、建物登記=家を建てて登記するのも利権あれこれメンドウはあります。
どれにしてもヒューマンスキルが高い=心理戦や理論的思考力が求められるので、感情的になりやすい精神不安定なタイプは不向きです。

文系で人気高いのは史学科とかありますけど、
歴史小説や時代小説が好き、くらいだと史学科ではコケる人も多いです。
というのは史学科=文献考察とフィールドワーク=現地調査が必要なので、一人旅が苦にならないタイプが向いてるかなと。

・黙々と資料文献を読み漁るのが好き、活字中毒+分析力があるかどうか?
・考古学なら独りコツコツ発掘作業があります、地道な作業が好きかどうか?
・山奥だろうが独りで歩きまわれる体力+山中の危険察知もできる冷静さ←フィールドワークで辺鄙なところも行く可能性があるので
・初対面でも会話できるヒューマンスキル←フィールドワークで現地の人と話す機会も少なくない

歴史好きはオタクひきこもりが多い印象も持たれやすいですけど、
大学で研究するとなったら黙々読む内向的作業+フィールドワークの外交的性格もカナリ必要になります。

理系なら、たとえば医学部なら適性が最初に突きつけられるのは解剖かなって思います。
医系の人は周りに複数いるんですけど解剖ネタは人によって様々です。

・最初の解剖をやった後はしばらく肉が食べられなかった、
・モルモットの生体解剖が耐えられなくなって中退→別学部に入り直した、
・開いた瞬間の臭いがアウト、慣れるまで嘔吐感すごかった、
・血を見て貧血を起こし気絶しかかってヤバかった、

なんてカンジですけど、
臨床でも患者の死期が解かってしまうコトが辛いっても聴きます。
どうやって解かるかはそのうち小説中にも描くと思いますが、色々なポイントがあるそうです。
ソノヘン患者さんやご家族に知らせることも精神力が要求されます、そういった適性は当たり前だけど入試で測れません。
このへんは国公立でも私立でも同じ辛いとこかなって思いますが、私大の医学部だと学費の馬鹿高さも悩みだろうなと。

で、入試の話に戻りますが周りの医系人は国公立の医科出身者が多いんですけど、国公立医科は偏差値レベルが他の理系とは違うなって感じます。
センター試験は最低1科目は満点が当り前だったなんて人が少なくありません、普通に喋ってても頭の使い方が独特&回転速くて面白いです、笑
また、同じ医科でも大学によって得意分野や学閥なんかのカラーが違うので選択間違うと理想とかけはなれすぎるって間違いもあるんだとか。
たとえば地元で医者やりたいんなら地元の国公立医大に進むほうが東大医科に行くよりも地元病院を紹介してもらいやすかったり、
旧帝大系は研究肌、旧医専系は臨床が強い、論文や博士号取得の環境など違いがアレコレあるそうです。

工学部だと東工大とか名工大・東北大が名門にあげられますが、
工学部は技術の世界=研究は日進月歩、なので卒業研究は研究室の教授のサポート研究になるんだとか。
ようするに学部4年間じゃ自分オリジナル研究に到達する時間は足りなすぎるってことです、
また工学部は女子が圧倒的少数で希少価値=姫サマ扱いしてもらえるって事情もあるんだとか、笑
だから研究室選択も女子は優先的だったりと優遇が慣習化されている大学もあるそうです。

あと、数学の教師になりたい場合は大学選びは気を付けて下さい。
数学科の中学・高校の教員免許は認定されている大学でしか取得できません。
ちなみに医学部は教員免許取得はまず無理です、実技や臨床の講義が多くて研修期間も長い=忙しすぎ教育実習に行けないためです。

教員免許取得は必ず教育実習が必要になります。
実習期間は学科・免許の種(一種免許状・二種免許状)などで違いますが、少なくとも二週間は掛かります。
この実習に行ける時間が取れない学部学科だと教員免許取得は出来ないってワケです、で、医学部はまず不可能です。
また東京学芸大は教育実習の期間が他校より長いと聴いたことがあります、元々が師範学校の大学なので現場経験が重視されているのかなと。

で、こういう適性どうやって知るのかって話ですけど、

1.関連書籍を読みまくる→もっと知りたいなって興味が湧くならOK
2.オープンキャンパスに行って専攻の学生や教授と話してみる→普通に大学見学して声かけるのも面白いです、笑
3.高校の学校成績にこだわらず、いろんな分野で1+2を試してみる。
4.趣味的の好きと専攻にする適性は違うこともあります、寝るの忘れるほど没頭できる分野ならアリかなと。
5.就きたい職業に役立つ分野専攻なのか?もし希望職種と違う分野に適性あるならソレが向いてる職業も調べてみる。

なんてカンジに高校1年からやっておくと大学で進路ミスったーなんてならずに済むかなと。
あと「5」に挙げたことですけど、卒業学科と就職が全く違うケースもよくある話になります、が「応用」がポイントです。
文学部出身なら読解力が武器→文章を読む+書くことが多い士業=資格系職業に就いたり、なんてことも実社会では少なくありません。

でもって、率直なトコですけど大学入試の成績が良いからって立派な社会人になるわけじゃありません、笑
上述したように試験がいくら得意でも大学でマトモな学問成果を出せない人もいます、で、ろくな就職出来ない人もいる。
大学でアウトだった人でも実社会に出たら実績築き上げていくって人もいます、高卒でも資格取得して社会的地位を昇る人もある、
そういうのって結局は、

・自分の適性に気がつけてそれ相応の進学+就職を選べたか?
・見つけた適性を磨くことを怠けなかったか?

って事なんだろなと。
こういう適性みたいの最初に見つける機会が大学受験でもあるかなって思います。
そんなワケで周囲の意見を聴くことも大事です、他者は自分で気づけない客観的ポイントを教えてくれるから参考価値が高い、笑
その意見を聴くときも自分自身の意志と適性=厭きない好奇心のベクトルを見失わないこと、所謂ステイタスっぽいのに囚われて選ぶとコケます、笑

大学の勉強は専攻分野のオタクになりきる=適性・興味がホントにないと在学期間4年or6年保ちません。
だから学歴目的で大学名だけで選んじゃうと色々コケる、大学のカリキュラムや教授の陣容+図書館の質と機能性など要チェックです。
学位はたとえ学部卒の学士でも学んだ結果の成果に与えられるモノ、ようするに「勉強すること」が目的の場所だってコトが大学選びの基準です。

4年間or6年間ずっと没頭できる分野専攻、そこで自分が何をしたいか出来るのか?を見つけて学んでいく楽しい時間が大学って時間なのかなって思います、

第25回 過去記事で参加ブログトーナメント

夏休み終盤だからコンナ話だらっと書きましたけど役立つ方あれば嬉しいです、笑
いつもの雑談ぽいやつは昨日とかバナー減ったのでアレも厭きてるかなと思っています、
アレホント雑談な感じで小説ともあんまり言えないし、笑 でも気が向いたら続きまた書きますけど、

なんてカンジに書いてたら深夜こんな時間になりました、帰って眠くて寝ちゃって起きたんで目ヤヤ冴えたんですよね、でもそろそろ寝ます、笑




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深夜雑談:掲示板的追従に

2014-05-26 23:30:00 | 思考雑談
先日ちょっと書いた繋がりで、なんとなく雑談します、笑

YAHOOテレビ欄の感想でナンだコレ思ったってコト先日書きましたけど、
削除依頼とかあるらしく、ドラマ擁護派が疑問視派の感想を削除依頼したりってコトもあるそうです。
ドラマの評価ポイントを上げたいって言う意図なんだろうけど=ソレって捏造と変わらないコトを気づいていないアタリ驚きます。

この間も取り上げた某ドラマの感想欄はソレが酷いみたいですね、
こういうの異常だなって思うのは自分だけじゃないみたいですけど、率直なとこクダラナイ低レベルな話だなと。

自分が賛美したいから反対派を批判する、またはその逆批判、こういう咬みつきあいに何の意味を見出しているのか?

そんな咬みつきあいは幸せな姿とは言えないって思うんですけど、
こういう事態を産んじゃった自体からソウイウドラマは良作ってもう言えないんですよね、
いわゆる創作物は不幸対立を産むシステムであるならば=マイナス思考を創作してるってコト、それは「創作」される意義すら否定だろなと。

ひとつの存在、ひとつの個性、ひとつの人格として認めること。
そこには率直な賞賛と叱咤の両方が必ず生まれます、その意見が生まれた以上どっちも正解です。
それは身障者でも難病患者でもサッカー選手でもドッカの社長でも、不細工でも美形でも、誰でも同じに両方ある。
そういう「同じ」っていう観点から考えた時、持っている能力や性格や命の期限も冷静な敬意をもって見ることが出来るかなと。
こういう観点は相手に対しても自分自身に対しても欲しいトコです、

ソレがナンダコレなったドラマ感想には希薄で、率直なトコ主演俳優さんが可哀想になりました。
彼が演じたのは「特別扱いされる身障者」って役ですけどリアルの彼も特別扱い阿諛追従な星5感想に囲まれている、
あれだけアンチが今も騒ぐって言うのはそれだけドラマの脚本演出に問題があるっていう評価でもあります。

それを冷静に受け止める必要はあるんですよね、真面目なプライドある人間なら。
が、ファンの人は盲目的に賞賛してる、コレってダメ男を作っちゃう阿諛追従女と同じなんですよね、笑

ドラマならファンタジーで良いじゃないですか?

なんて意見を書いちゃってる擁護派さんもいるんですけど、ファンタジー=妄想だってコト解かって言ってるんだろうか?
創作モンだとしても現実リアルを舞台に描くなら、そこに混ぜ込まれた妄想は現実だと思われやすい、そして誤解が生まれます。
こういう誤解が偏見に繋がってしまうことは実際に少なくありません、ソレが原因になったトラブル発生も現実です。
特にドラマは公共電波=公認事実を放送してるんだと思いこませやすい側面があります。

妄想を公共電波に乗せることが「良いじゃないですか?」って言える論理は、無責任BLとも同類だろなって思います。

BLマンガや小説が妄想を描くことは偏見を産みやすい←同性愛は少数派=事例サンプルが少ない分だけ妄想を事実だと誤認されやすい

っていう少数派=誤解が生まれやすいってコト載せたことありますけど、身障者を描くことも同じです。
身障者が「障害がある」って言われるってコトは「障害があることが少数派」だからでなワケです、要するに事例サンプルが少ない、
その少なさが特別扱いも誤認も誤解も生む、そうした誤解の結果、対等な人間関係が築けるって思いますか?

ファンタジー=現実乖離を描くことは誤認された無理解を生んでしまう可能性がある、

間違った理解からは誤解しか生まれない、
誤解からは結局のところ鬱屈になってゆく、そして「解ってもらえない」って孤独が出来上がる、
そうやって少数派、マイノリティを囲い込んで壁は生まれて「可哀想だから理解する」が正義で常識になってゆく、それが妄想の困る点です。

こんなんが正義常識ヅラしてんのってヤバいんですけど、こういうの妄想ちっくな自己完結恋愛でもよく聴く話でもあるなと。
マトモな人間なら追従と認容の判別くらいできます、が、ソレが出来ない馬鹿なんだと想ってるからオモネリ発言も効果的だと誤認してるのかなとか。
どっちにしてもWEBテレビ欄の感想コーナーで排他的空気クダラナイ喧嘩モード&ファンオフ会の掲示板化はマナー違反だろって驚きます、笑

で、思っちゃうんですよね、
コンナマナー違反マトモじゃない人達に絶賛されるようなドラマはツマンナイんだろなと。
主演俳優さんを支持したいんだろうけどアレじゃ妄想恋愛ストーカーと同レベル、いわゆる粘着になってんの気づかんのだろなと。
そうやって周囲の盛りすぎムードが異様な印象を作っちゃって結果、盛られてる本人を嫌いにさせるってあるんですよね、
そうやって嫌わせることで「ワタシだけが理解者でホントのファンなのよー」になるコトが意図なんでしょうか?

好き、

って気持ちは楽しい幸福感情のはず、
ソレが周りを攻撃する動機になってしまう、そういうクダラナイ感情変転してる。
恋は盲目とか恋愛=最も愚かな感情とかソンナ格言通りなのかもしれないけど、本人も周囲も幸せ気分の「好き」でいられたらイイのになあと。

自分が書いている小説の登場人物を好きだとメッセージ頂くことありますが、
いろんな解釈を聴かせてもらうんですけど、お気に入りにからむ相手をコキオロス意見に驚いた事もあります、笑
それくらい感情移入するほど好いてもらえるのって光栄なんです、が、上述の某感想欄みたいな排他的には発展して欲しくないなと。
ここで小説を無料掲載しているのは、読んでもらって泣いたとか笑ったとかナンカしら楽しんでもらえたらなって意図で続けているので。

ってワケなんで、読んで面白かったり考えたりしたことあったらコメントorメールメッセージなど聴かせてくれたら嬉しいです、笑
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深夜雑談:独善ギフト×本の行方

2014-01-13 00:45:00 | 思考雑談
ひとりよがり=独り善がり=独善=思い込みがエライ迷惑かけること。

って意味ですけど、
いわゆる価値観の違い→相手への無理解な結果の迷惑譚。

こういう独善リンクが『side story』のメインテーマの一つです。
ちょっとネタバラシだけど英二と観碕の共通項は独善DV系ってアタリです。
英二も観碕も殴るはしないけどソレより性質悪いかもしれない笑、疑り深い&頭脳体力優秀だからアレコレしちゃうんですよね。

「好きだから相手の心を計りたくて嫌がらせ言動してしまう、それで離れないなら相手も自分を愛してる」

恋愛、朋愛、親愛、敬愛、郷土愛。
いろんな愛情=想いがあるけれど、自分勝手=愛情表現と誤解しやすいのは恋愛かなって思います。
DV症候群なんかコレの典型例、理想押しつけ妄想恋愛は迷惑でしかない。

好意がソコにあればいい、恋愛は止められないから仕方ないし?

なんて言う人もありますがヤられたらホント迷惑ですよ?笑
その相手が仕事や家族親族の知人関係なら無視したくても出来ない、キライ苦手でも笑顔で話すしかない。
ソコントコ無神経に踏み込むタイプって気遣いが出来ない=相手を理解する努力を放棄してる我儘な自分勝手サンだなってなる。
無神経になれるのは思いこみ激しくて独善体質、だからプレゼント一つとっても相手の嗜好より本人嗜好で選びがち。

そういう独善的ギフトな人って相手の迷惑とか結局のトコ関係ないんですよね、相手を思い通りにしたいってカンジで。
自分の理想こそ正しい、だから相手のリアルな感情その他むしろ邪魔、だから相手の等身大を理解しようって発想すら無い。
ソレ押しつけられる側からしたら失礼×迷惑です、自分を否定されたら好きになれるワケ無い、贈られる分だけ否定が積もって嫌いになる。

スンゴイ良いモン役立つモンなら想定外でもアリかなって思うかもしれない、
自分がアリって思ったのは兄弟たちに贈られた鍋一式と元恋人からの図書カードXX万円分なんですけど、笑
コレって嗜好&思考+生活スタイルを把握できていないと難しい、ホントの理解がないと出来ないんですよね。

独善ギフトに一番なりがちなのは、本かなと。
本棚は内面を現すって謂うけれど本は知識思考のツール=精神構造に影響するからです。
だから本棚の一番オススメ読むと相手の思考や嗜好が解かる、その人の心に一番寄添った本だから。
その人が求めるモン本から読みとって→相手の好みに合う本を教える、それが図星だと解かってくれるんだなって信頼も積まれる。
こんなふう本は親睦ツールになります、だからこそ逆に嫌われる切欠にもなるんですよね。

マニュアル本9割の本棚ってヤツがいるんですけど。
真面目器用な跡取り坊ちゃんで自意識過剰なくらい周囲評価を気にするタイプ、だから当然「No」が言えない。
だけど気弱っていうよりも失敗を見せたくない認めたくないから無言不実行っていう器用な内弁慶ヘタレ君です。
このヘタレ君、幸か不幸かツラが良い、笑
イケメン&金持ち職業地位も良い→周囲に理想態を求められ→マニュアル本で完璧自分に近づく努力しちゃう、
ってワケでマニュアル本ばっか読んじゃう、そんな自己陶酔ナルシズム男だから恋愛も難しげなヤツです。

って書くと英二と似てますね、美形ナルシストで仮面作っちゃうアタリ、笑
だけど英二と違うのは彼が偽善者的ってところです、仮面を脱げないエエカッコしいだから。
英二くらい傲慢正直ならドンファンみたいでカッコいいけど今のとこ観碕系の傲慢ヘタレ君です。

そんなヘタレ君は小説嫌いで基本マニュアル本しか読まないんですけど、
ベタ理系なんで読解力低=マニュアル的インスタント文章じゃないと、文章の真意が読み取れないってカンジです。
でも「ボク小説はテスト模範解答以上のコト読みとれないんだ読解力無くて照」とか言えない、プライド高い完璧主義者です。
もしソンナ告白を彼がするなら彼より「上」だと彼が認めた相手だけでしょうね、笑

彼を90%占有するマニュアル本はライフスタイル指南本が大半ですけど、
いえば『論語』も『葉隠』も生き方マニュアル本、世阿弥『風姿花伝』は所作、江戸流行小説『男色大鑑』も恋愛マニュアル、笑
だけど現在のマニュアル本とまったく違うのは、美しい文体と思想が貫いてあること、摂理の純化による普遍性がある点です。
で、小説=創作はリアル現実を純化して摂理を浮き彫りに描けるとこ。
その摂理、普遍性は色んな視点の柱に出来る、ようするに読み手が思考した分だけ臨機応変ってコトです。
遠慮なく言えば、現行マニュアル本は手順だけ並べて思考の手間を省くから解りやすい=お馬鹿サン向きに書いてるってコトです。

ナンも考えず読めるから楽&手順が解かりやすい、でも応用力が無い本はその場しのぎ手段しか示せません。
だから新しいモンを何冊も買いたくなるワケですが、コレが版元からすると狙いで刹那的購買=収益になりやすい。
名著一冊を熟読されるより薄い本を何冊も買ってもらう方が経済効率は良いワケです、
だから現行マニュアル本でロングセラーになる名著って出ないんですよね。
いわゆる販促トラップなんですけど、
ソコに嵌まりこんだヘタレ君は本棚9割マニュアル本になってるわけです。
彼としては合理的に自分磨きをしたいワケなんですけど、何冊も読んでる分だけ時間食う=非合理的なんですよね、笑

そんなヘタレ君が或る日、小説を贈られたそうです。
贈り主は家業の職場に長年勤務している方の親族未成年(女)児童福祉法で言うトコの児童該当者。
ヘタレ君の本棚は9割マニュアル本ばかりだから「モット素敵な本があるのを知ってね」と小説くれたんだとか。

彼は●代目経営者、そこの長年勤続者は代々の使用人「格下」ってことです。
その使用人の親族でカナリ年下児童=絶対的に彼が格上、あくまで「教え導く相手」教え乞う相手ではありません。
そんな相手が頼んでもいない小説をくれた理由が「あなたは本の世界を知らな過ぎだから教えてあげる」だったわけ。

もう想像できるだろうけど、モチロン彼は一行も読んでいません。
ホッタラカシ本ごとその子を放りだしたいのが本音だろなって思います、でも放りだせない。
家業で長年勤めている使用人の親族だからシガラミ怖くって良い貌しているしか出来ません。
で、アゲクの涯に児童強姦未遂を「ヤラサレタ」らしいんですよね。

ヘタレ君からしたら逃げられなかったろなーと、でもソレだけは頷いちゃダメだろと呆れます。
彼に恋愛感情が皆無なことは想像難くなく、それでもガキンチョ様の言いなりになったら寸止め号泣されたんだとか。
恋愛ならナニしても赦されるって美化しちゃうのは簡単だけど、18歳未満との性交渉は免許剥奪とかマジな現実に言訳は利きません。
もしバレたら逮捕もマジな現実で、彼は免許資格ごと家業と信頼を失います、働いてる人達も職を失わせることになる。
ソノヘン理解出来ないオコサマだから押しかけ女房ゴッコしたんでしょうけど、あまりに雑すぎる。

未成年ちゃんの彼に対する憧れは本気かもしれない、でも彼の心も立場も全く理解していません。
彼なりに自身の立場や結婚観を話す事で「No」のシグナル出したけどオコサマ彼女には理解不能だったらしく。
いわゆる人の話を聴けない器の狭い子です、だから友達も出来難いらしくて、その同情もあって彼もお相手したんだろうけど。
でもコンダケ自己愛強いタイプは都合よく言葉が裏返りやすい、ソンナ相手を真に受けて人生棒に振りかけたなんざ馬鹿すぎます。
ソンナ二人は馬鹿同士お似合いかもしれない?でも幸福になるかって訊かれたら刑法判例集と離婚調停事例を思い出しちゃいます。

初対面から破綻してたんですよね、彼が美形セレブ君だから。
美形とかナントカ、その辺は彼にとって生まれつき与えられたモンです、だからソレに惚れられても嬉しくない。
彼自身が求めて努力して掴んだ部分を認めてほしいんですよね、それが彼のマニュアル本いっぱいの本棚ってことです。

もし彼の本棚から一番の一冊を彼女が借りて読んで、その感想を彼に正直に伝えていたら信頼は生まれて。
もし彼女が無神経なアプローチで彼を追い詰めなかったら、兄妹のよう優しい関係が築けたかもしれない。

コウイウの「思い遣り」ってヤツがあれば簡単に出来ることです、
ホントに相手を好きなら相手を理解しようって想うだろうし、相手の笑顔を見る為に困らせたりしないだろうに?
でも出会い即恋愛対象にされるタイプって難しい、外貌その他が目を惹く分ダケ内面が軽視されやすくて。
羨ましがられる分だけ理想化されすぎる、で、その理想だけ愛されて本人本体は愛されない。

自分の身内でも彼と似たタイプがいます、
外見華やか×理屈っぽい几帳面=ギャップのズレ→理解してもらえないけど言えない→我慢限界→破局ってカンジで。
気遣いグセ&器用で賢いから顔に出さないのも巧くて、我慢限界になると即・大嫌い修復不能になる。
その子を見てるからヘタレ君の話も解かるなーって聴けるんですけど。

自分はヘタレ君を酷いヤツだとは想いません、仕方ないなーと。
後始末の悪さは不甲斐無さすぎ笑うしかない、子供ひとり躱せない未熟は成人男として犯罪的馬鹿、笑
職業倫理と社会倫理を貫けなかった姿勢と態度は侮蔑されて仕方ない、男としてこれ以上ミットモナイことってない。
でも彼の性格と立場だから追い込まれたんだろうなと思います、追い込まれる程キャパオーバーだったんだろ仕方ないって。
恋愛感情も無い、床上手でも無い相手を抱くっていかにも義務XXXってカンジで虚しい、そんな時間遣うくらいなら他にやりたい事あったろうに?
本にしてもvirginにしても独善的なモンばっかり押しつけられた、そんな彼は被害者でもあります。

Des humains suffrages,
Des communs elans
La tu te degages
Et voles selon.

人に天与された力は、
進化へ呼ばれて
自己を解き放つ
囚われること無き自由。

Puisque de vous seules,
Braises de satin,
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise : enfin.

もう君自身、
繻子の緋色に染まり、
義務から義務の炎を吐いて
本音ひとつ言えずに燃え尽き、終る。 

La pas d'esperance,
Nul orietur.
Science avec patience,
Le supplice est sur.

希望は無く、
絶望に昇る。
忍耐を知る分だけ、
苦しむのは確かで。

J.N.Arthur Rimbaud「L'eternite」の一節ですけど、
恋愛と文学に対する義務感と破綻と、その先の自由を求めるようなカンジになってます。
現実、ランボオは恋人ヴェルレーヌから刺されたりフランス文壇で名声と義務の陥穽にあったワケです。
その涯に恋人と文学の両方と絶縁して海の向こうアフリカへ渡り商人の人生を選びます。
この一節と人生にヘタレ君は共感しやすいかもしれません、

義務で相手してたら義務XXX未遂前科モンになって相手は勝手に悲劇ナルシズム自己完結、笑
でも本音1つ彼は言えないまま仮面に取繕うしか出来ない、けれど本音は別のドコかを見てしまう。
そういう生き方が良いのか悪いのかなんて知らんけど、ちゃんと笑える時間があると良いなって思います。
彼の本棚を全冊読破して、彼の素顔と等身大を見て、彼に最高の一冊を贈れる。そういう相手に彼が出逢えたら良いなあと、笑

ナンデこんな雑談したかっていうと、
昨日今日でプレゼント譚を描いた→こんな話聴いたな→もうじきバレンタインでギフト&恋愛シーズンだな書こっかな、
ってカンジで書きましたが・恋愛する方もしない方も独善ギフトご用心を、笑




なんて雑談ちょっと書いてみたら少し目が冴えたんで加筆ちょっとします。
昨日は4時出&今日も遠出で眠うけどひっぱってる「Eventually Comes True」あたり書こうかなと。
でも明日も早く出たいんで起きてる限りですが、笑

ってカンジに眠気雑談でした、




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