And all my pleasures are like yesterday; 昨日の有終
第85話 暮春 act.9-side story「陽はまた昇る」
日没、雪が降りだした。
白銀ひらひら夜がふる、暮れゆく薄墨を白が舞う。
仰いだ空ただ白く積もらせて、ひとひら掌に英二は微笑んだ。
「きれいだ、」
雪ひとつ笑って、もう溶けてゆく。
白い結晶ふわり水になる、掌中の肌そっと冷たく消えてゆく。
街燈の光あわく煙らせて雪は降る、この場所ずっと帰りたかった、今も。
「うん…青梅署に戻りたいな?」
ひとりごと零れて唇が笑う。
こんなこと想うなんて2年前なら信じない、でも今は肚底から願っている。
春の雪ふる三月の町、その片すみ懐かしい店先で穏やかな声が呼んだ。
「おや…宮田くんかな?」
深い穏やかな声が呼ぶ、このトーン懐かしい。
ずっと会いたかった声に笑ってふり向いた。
「はい、お久しぶりです吉村先生、」
笑いかけた軒端の雪、傘かざすコート姿やってくる。
スーツに登山靴の足さくさく雪を踏んで、穏やかな瞳が笑ってくれた。
「やっぱり宮田くんか、雪に濡れたらいけないよ?肩を冷やしたら困るだろう、」
深い声が傘さしかけてくれる。
穏やかな笑顔は記憶と変わらない、ただ懐かしくて英二は笑った。
「ありがとうございます、でも大丈夫ですよ?」
「油断は禁物だよ、まだ怪我も完全に治っていないのだろう?店に入りませんか、」
店先に傘さしたまま訊いてくれる。
あいかわらず優しい空気ほっと笑ってしまった。
「吉村先生あいかわらずですね、なんか気が抜けました俺、」
ほんとうに気が抜けた、今。
それくらい張りつめていた本音に医師も笑ってくれた。
「私も気が抜けたよ、あんな報道の後だからね?」
この医師は「あんな報道」に何を想ったろう?
聴いてみたくて微笑んだ。
「先生もご覧になったんですか?」
「はい、ちょうど青梅署にいましたから、」
深い声やわらかに答えてくれる。
その切長い目そっと暖簾を見て、それから笑った。
「送別会も大事ですけど少し歩きましょうか、国村くんなら許してくれるだろう?」
話をしよう?
そう誘ってくれる眼へ素直に笑った。
「はい、俺も先生と話したかったんです、」
この人と話したかった。
まず何から話そうか?思案の前に訊かれた。
「私もだよ、その登山パンツは隊服のかな?」
「はい、合同訓練の後そのままなので上だけ着替えました、」
上下とも着替える暇など無かった。
その理由に警察医は静かに微笑んだ。
「今日は訓練中におつかれさまでした、宮田くんと後藤さんが発見したと伺いましたが、」
穏やかな声そっと低く悼む。
このトーンも懐かしく頭下げた。
「はい、吉村先生こそ遅くまで検案ありがとうございました、」
だから警察医は送別会も遅れて来た。
そんな店先の道端、切長い瞳やわらかに微笑んだ。
「こちらこそありがとう、でも宮田くん?もしかして私を待って外にいてくれたのかな、」
気づいてくれる。
変わらない聡明な眼ざしに肯いた。
「さっきも言いましたよね?俺、先生と話したかったんです、」
笑って雪の道を歩きだす。
新雪さらさら登山靴こする、その隣そっと傘かざしてくれた。
「狭いだろうが入りなさい、傷を冷やしたらいけない、」
心配してくれる、今もまだ。
変わらない誠実に溜息ひとつ笑いかけた。
「ありがとうございます、でも吉村先生?俺に優しくする価値なんてあるんですか?」
この自分がどんな人間か、もう解かっているはずだ。
それでも変わらない眼ざしは訊いてくれた。
「そんなふうに訊く原因は国村くんが辞めることですか、それとも湯原くんのことかな?」
「どちらもです、先生ならもう解かっていますよね?」
ゆっくり歩く傘の影、ならんだ顔は髪に銀色あわい。
白髪すこし増えたろうか?そんな雪ふる道端に穏やかな声が言った。
「光一から医学部に行くと相談をもらったとき、私は嬉しかったよ?」
国村くん、ではなく光一。
公人ではなく私人として話しだす、その間柄に尋ねた。
「先生と光一は親戚でしたよね?」
「光一の祖父と私の母がいとこ同士です、家族と変わらないつきあいだよ?」
深い低い声やわらかく雪に響く。
優しいトーン籠もらす想いに口が開いた。
「それなら先生は俺を許せないのが当り前じゃありませんか?俺が光一にしたのはそんな事ばかりです、」
これまで自分が何をしてきたのか?
今なら解る、昨日より解かっている、でもまだ少しだけだ。
きっと歳月ごと罪悪感は深まりゆく、弁明などできるはずもない、けれど警察医は微笑んだ。
「光一はね、ほんとうは小さいころから医者になりたかったんだ、」
静かな声に雪がふる、その言葉に訊き返した。
「小さいころから、ずっとですか?」
「そうだよ、雅樹の影響もあるんだろうが医学や薬学に関心ある子でね?私の書斎でも本を開いてた、」
答えてくれる横顔の瞳そっと細める。
懐かしい、そんな微笑は続けてくれた。
「でも雅樹が死んだとき、あの子は全て放りだしてしまったんだ。雅樹と同じ大学に行きたいとも言っていたのに、大学進学すら辞めてしまってね…それくらい光一の雅樹は大きくて、その分だけ傷は大きくて逃げるしかなかったんだろうね。それでも今日の凍死体は光一が見分したのだろう?君の前で、」
ひそやかな静かな声に雪がふる。
街燈きらめく銀いろの道、静かな声は微笑んだ。
「光一が医学をまた選べたのはね、光一が君と雅樹を重ねたとき、君が逃げなかったから雅樹ごと医者の道に向きあえたからだと私は想うよ?」
深い、ふかい優しい声が沁みてしまう。
こんなふう言われたくて待っていた、そんな本音に口開いた。
「でも俺は自分勝手なだけです、欲しくて無理やり」
「うん…そうかもしれないね、」
相槌そっと遮ってくれる。
やわらかな声に見つめた真中、穏やかな瞳が笑ってくれた。
「たしかに君が光一にしたことは許されないかもしれない、でも、それがあったから光一は自分の道に戻れたのは確かだろう?」
それがあったから、なんて全肯定だ。
「先生、そんな言い方で俺を甘やかさないでください、」
こんなふう許されていいことじゃない。
このまま誤魔化せない、駆られる渇きに英二は首を振った。
「俺は結局、周太が欲しくて光一を利用したんです、先生も解かっていますよね?」
「それでも君は今、光一のために罪悪感いっぱいだろう?」
切りかえし穏やかな瞳が見つめる。
真直ぐな眼ざし逸らさない、そのまま医師は言った。
「罪悪感の分だけ君は光一が大事なんだよ?それだけの時間を共有したんだ、命までザイルに繋いで向きあった時間は本物だろう?」
時間は本物、って、なんて言葉だろう?
「先生、俺は…、」
本物、そう言われたかったのかもしれない。
ただ響いて言葉ならない隣、深い声は続けてくれた。
「君との時間に笑って、傷ついて、その全てがあるから光一は医者の道に戻れたんだよ?これからが光一の本当に生きる場所だと私は想う、」
本当に生きる場所、そこに戻ること。
それは自分だって他人事じゃない、だから尚更また響く。
―俺も元の場所に戻ろうとしてる、でも、
自分の元の場所、そこに今朝までいた。
けれど今いる場所こそ願いたい、そんな雪ふる町に言われた。
「君がいるから光一は戻れたんだ、いいね?」
自分がいるから戻れる、それなら自分は?
想い廻りだして、それでもただ嬉しくて微笑んだ。
「ありがとうございます、そういうの俺も同じかもしれません、」
同じだ、きっと自分も戻るのだろう。
そうして場所どちらを選ぶ?その分岐点に優しい瞳が訊いてくれた。
「もうひとり同じかもしれないね、湯原くんはどうしていますか?」
この問いかけ、なんて答えたらいい?
ためらって一瞬、それでも正直な口が開いた。
「たぶん俺の祖母の家にいます、あとは解かりません、」
解からない、なんて本当は悔しい。
―メールも電話もつながらないんだ、周太?
なぜ何も繋がらない、どうしてか解からない。
解からないけれど今の現実だ、咬まれる想いに静かな声が言った。
「添うべき道なら必ず添える、誠実に願えば…そう想うよ?」
言葉そっと雪がふる。
銀色やわらかな山里の道、頬なでる風は冷たい。
前髪かすめる冷厳しずかに凍えて、けれど歩く道なにか優しい。
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
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英二24歳3月下旬
第85話 暮春 act.9-side story「陽はまた昇る」
日没、雪が降りだした。
白銀ひらひら夜がふる、暮れゆく薄墨を白が舞う。
仰いだ空ただ白く積もらせて、ひとひら掌に英二は微笑んだ。
「きれいだ、」
雪ひとつ笑って、もう溶けてゆく。
白い結晶ふわり水になる、掌中の肌そっと冷たく消えてゆく。
街燈の光あわく煙らせて雪は降る、この場所ずっと帰りたかった、今も。
「うん…青梅署に戻りたいな?」
ひとりごと零れて唇が笑う。
こんなこと想うなんて2年前なら信じない、でも今は肚底から願っている。
春の雪ふる三月の町、その片すみ懐かしい店先で穏やかな声が呼んだ。
「おや…宮田くんかな?」
深い穏やかな声が呼ぶ、このトーン懐かしい。
ずっと会いたかった声に笑ってふり向いた。
「はい、お久しぶりです吉村先生、」
笑いかけた軒端の雪、傘かざすコート姿やってくる。
スーツに登山靴の足さくさく雪を踏んで、穏やかな瞳が笑ってくれた。
「やっぱり宮田くんか、雪に濡れたらいけないよ?肩を冷やしたら困るだろう、」
深い声が傘さしかけてくれる。
穏やかな笑顔は記憶と変わらない、ただ懐かしくて英二は笑った。
「ありがとうございます、でも大丈夫ですよ?」
「油断は禁物だよ、まだ怪我も完全に治っていないのだろう?店に入りませんか、」
店先に傘さしたまま訊いてくれる。
あいかわらず優しい空気ほっと笑ってしまった。
「吉村先生あいかわらずですね、なんか気が抜けました俺、」
ほんとうに気が抜けた、今。
それくらい張りつめていた本音に医師も笑ってくれた。
「私も気が抜けたよ、あんな報道の後だからね?」
この医師は「あんな報道」に何を想ったろう?
聴いてみたくて微笑んだ。
「先生もご覧になったんですか?」
「はい、ちょうど青梅署にいましたから、」
深い声やわらかに答えてくれる。
その切長い目そっと暖簾を見て、それから笑った。
「送別会も大事ですけど少し歩きましょうか、国村くんなら許してくれるだろう?」
話をしよう?
そう誘ってくれる眼へ素直に笑った。
「はい、俺も先生と話したかったんです、」
この人と話したかった。
まず何から話そうか?思案の前に訊かれた。
「私もだよ、その登山パンツは隊服のかな?」
「はい、合同訓練の後そのままなので上だけ着替えました、」
上下とも着替える暇など無かった。
その理由に警察医は静かに微笑んだ。
「今日は訓練中におつかれさまでした、宮田くんと後藤さんが発見したと伺いましたが、」
穏やかな声そっと低く悼む。
このトーンも懐かしく頭下げた。
「はい、吉村先生こそ遅くまで検案ありがとうございました、」
だから警察医は送別会も遅れて来た。
そんな店先の道端、切長い瞳やわらかに微笑んだ。
「こちらこそありがとう、でも宮田くん?もしかして私を待って外にいてくれたのかな、」
気づいてくれる。
変わらない聡明な眼ざしに肯いた。
「さっきも言いましたよね?俺、先生と話したかったんです、」
笑って雪の道を歩きだす。
新雪さらさら登山靴こする、その隣そっと傘かざしてくれた。
「狭いだろうが入りなさい、傷を冷やしたらいけない、」
心配してくれる、今もまだ。
変わらない誠実に溜息ひとつ笑いかけた。
「ありがとうございます、でも吉村先生?俺に優しくする価値なんてあるんですか?」
この自分がどんな人間か、もう解かっているはずだ。
それでも変わらない眼ざしは訊いてくれた。
「そんなふうに訊く原因は国村くんが辞めることですか、それとも湯原くんのことかな?」
「どちらもです、先生ならもう解かっていますよね?」
ゆっくり歩く傘の影、ならんだ顔は髪に銀色あわい。
白髪すこし増えたろうか?そんな雪ふる道端に穏やかな声が言った。
「光一から医学部に行くと相談をもらったとき、私は嬉しかったよ?」
国村くん、ではなく光一。
公人ではなく私人として話しだす、その間柄に尋ねた。
「先生と光一は親戚でしたよね?」
「光一の祖父と私の母がいとこ同士です、家族と変わらないつきあいだよ?」
深い低い声やわらかく雪に響く。
優しいトーン籠もらす想いに口が開いた。
「それなら先生は俺を許せないのが当り前じゃありませんか?俺が光一にしたのはそんな事ばかりです、」
これまで自分が何をしてきたのか?
今なら解る、昨日より解かっている、でもまだ少しだけだ。
きっと歳月ごと罪悪感は深まりゆく、弁明などできるはずもない、けれど警察医は微笑んだ。
「光一はね、ほんとうは小さいころから医者になりたかったんだ、」
静かな声に雪がふる、その言葉に訊き返した。
「小さいころから、ずっとですか?」
「そうだよ、雅樹の影響もあるんだろうが医学や薬学に関心ある子でね?私の書斎でも本を開いてた、」
答えてくれる横顔の瞳そっと細める。
懐かしい、そんな微笑は続けてくれた。
「でも雅樹が死んだとき、あの子は全て放りだしてしまったんだ。雅樹と同じ大学に行きたいとも言っていたのに、大学進学すら辞めてしまってね…それくらい光一の雅樹は大きくて、その分だけ傷は大きくて逃げるしかなかったんだろうね。それでも今日の凍死体は光一が見分したのだろう?君の前で、」
ひそやかな静かな声に雪がふる。
街燈きらめく銀いろの道、静かな声は微笑んだ。
「光一が医学をまた選べたのはね、光一が君と雅樹を重ねたとき、君が逃げなかったから雅樹ごと医者の道に向きあえたからだと私は想うよ?」
深い、ふかい優しい声が沁みてしまう。
こんなふう言われたくて待っていた、そんな本音に口開いた。
「でも俺は自分勝手なだけです、欲しくて無理やり」
「うん…そうかもしれないね、」
相槌そっと遮ってくれる。
やわらかな声に見つめた真中、穏やかな瞳が笑ってくれた。
「たしかに君が光一にしたことは許されないかもしれない、でも、それがあったから光一は自分の道に戻れたのは確かだろう?」
それがあったから、なんて全肯定だ。
「先生、そんな言い方で俺を甘やかさないでください、」
こんなふう許されていいことじゃない。
このまま誤魔化せない、駆られる渇きに英二は首を振った。
「俺は結局、周太が欲しくて光一を利用したんです、先生も解かっていますよね?」
「それでも君は今、光一のために罪悪感いっぱいだろう?」
切りかえし穏やかな瞳が見つめる。
真直ぐな眼ざし逸らさない、そのまま医師は言った。
「罪悪感の分だけ君は光一が大事なんだよ?それだけの時間を共有したんだ、命までザイルに繋いで向きあった時間は本物だろう?」
時間は本物、って、なんて言葉だろう?
「先生、俺は…、」
本物、そう言われたかったのかもしれない。
ただ響いて言葉ならない隣、深い声は続けてくれた。
「君との時間に笑って、傷ついて、その全てがあるから光一は医者の道に戻れたんだよ?これからが光一の本当に生きる場所だと私は想う、」
本当に生きる場所、そこに戻ること。
それは自分だって他人事じゃない、だから尚更また響く。
―俺も元の場所に戻ろうとしてる、でも、
自分の元の場所、そこに今朝までいた。
けれど今いる場所こそ願いたい、そんな雪ふる町に言われた。
「君がいるから光一は戻れたんだ、いいね?」
自分がいるから戻れる、それなら自分は?
想い廻りだして、それでもただ嬉しくて微笑んだ。
「ありがとうございます、そういうの俺も同じかもしれません、」
同じだ、きっと自分も戻るのだろう。
そうして場所どちらを選ぶ?その分岐点に優しい瞳が訊いてくれた。
「もうひとり同じかもしれないね、湯原くんはどうしていますか?」
この問いかけ、なんて答えたらいい?
ためらって一瞬、それでも正直な口が開いた。
「たぶん俺の祖母の家にいます、あとは解かりません、」
解からない、なんて本当は悔しい。
―メールも電話もつながらないんだ、周太?
なぜ何も繋がらない、どうしてか解からない。
解からないけれど今の現実だ、咬まれる想いに静かな声が言った。
「添うべき道なら必ず添える、誠実に願えば…そう想うよ?」
言葉そっと雪がふる。
銀色やわらかな山里の道、頬なでる風は冷たい。
前髪かすめる冷厳しずかに凍えて、けれど歩く道なにか優しい。
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【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
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