‘it’s a dull and endless strife はてない朝
英二24歳3月
第83話 雪嶺 act.1-side story「陽はまた昇る」
夢、そう解かっている。
それでも白銀あざやかな蒼穹まぶしい、雪山の朝だ。
―この稜線はあそこか、もう標高3,000は超えてる、
夢、けれど吐く息あわく凍えて白い、めぐらす銀嶺のきわ融けてゆく。
頬なぶる風は髪も凍えさす、呼吸あがる鼓動が熱い、この感覚リアルに温まる。
いま眠っているのだと自覚していて、それでも白と青の世界が嬉しくてたまらない。
登っているんだ、三千峰に。
『…英二?』
呼んでくれる声、でもリアルにこの場所では呼ばれない。
けれど今こうして呼ばれるなら逢いたくて、また聴きたかった声が言う。
『英二、北岳草を見せて?』
約束、憶えてくれてるんだ?
そう訊きたくて振向いて、けれどいない。
見あげた先にもどこにもいない、こんなに逢いたいのに?
『約束したよね英二、必ず見せて…なにがあっても、』
なにがあっても、って「何」がある?
訊きたい、けれど声も出ない。
ただ視界だけ見まわして、そして姿ひとつ現れない。
ただ白銀まばゆい稜線、青い空、それから舞いあがる風花の光。
「…しゅうた、」
名前こぼれて視界ゆっくり披きだす。
ほの暗い天井は夜明が遠い、そうして現実の朝は明けた。
かたん、
椅子ひいて座った食堂、昼の香が腹を空かせてしまう。
こんな日でも人間は食べられる、そんな自覚おかしくて英二は独り笑った。
「ふ…俺もタフだな、」
つぶやいて、でも周り誰も聴いてはいない。
まだ早めの時刻に席は空いている、けれどすぐ埋まるのだろう。
その日常にジャージ姿で箸とった向かい、かたり椅子ひかれて笑顔が座った。
「宮田さん、トレーニングルームにいたんですか?」
あ、この声いま一番聴きたくなかったかも?
なんてつい想ってしまう自分に笑いたくなる。
こんなにも今はナーバスだ、けれど切り替え笑いかけた。
「おつかれさまです、浦部さんはランニングマシンでしたね、」
「見てたんだ?声かけてくれたらよかったのに、」
笑顔さわやかに返してくれる、でも今はなんだか小憎らしい。
そう想ってしまう本音はきっと夢の所為だ。
―なんで周太が三千峰で呼ぶんだ、登れない標高なのに、
いるはずのない場所、けれど声だけは呼んでいた。
どうしてこんな夢を見たのだろう?その心当たりに記憶がメール読みあげる。
From :周太
Subject:Re:哲人
本 文 :写真すごくきれいでした、ありがとう。
都心も冷えこんでいます、鍋料理がおいしかったです。
沈黙は守るほうが無難だけれど、でも解らなくなることも多いって僕は想うよ?
この最後の一文ずっと考えこんでいる。
“沈黙は守るほうが無難だけれど、でも解らなくなることも多い”
これは何を伝えたい?
訊きたくて、けれど聴けないまま時過ぎてゆく。
こんなふう逡巡するなんてらしくない、もどかしさごと飯ひとくち呑んで呼ばれた。
「宮田さん?」
「はい?」
応え笑いかけた先、白皙の笑顔が瞬きひとつする。
端正な瞳すこし困ったよう見つめて、そのまま穏やかに訊いてくれた。
「なんだか宮田さんボンヤリしてますね、いつも緻密なのに。何かあったんですか?」
あった、でもおまえには話したくない。
そう肚底また毒づいてしまう、こんなのは八つ当たりだ。
そんな自覚また可笑しくてつい笑って応えた。
「俺もボンヤリくらいしますよ、話聴いてなくてすみません、」
「いや、たいした話はしてないから、」
爽やかなトーン言ってくれる、その言葉に他意はない。
こんなふう良いヤツだとは解かっている、それでも腑に落ちない核心ずばり言われた。
「湯原くんのこと話していたんです、高田がメールやりとりしたこと、」
ほら、そういうこと言うから癪なんだ。
―俺より周太の行動知ってるみたいでムカつくんだよな、盗聴器じゃメールは解からないし、
電話や会話ならいくらか把握している、それは小さな機械のお蔭だ。
それは安全確保のために使っていて、けれど本人が知ったら怒るだろう?
―無断で盗聴なんて周太きっと怒るよな、でも心配だし、
君が心配でたまらない、だって「普通」の状況にいない。
もし「何事もない」生活してくれるならこんなことはしない、でも今は違う。
こんな現実は本音やっぱり重たくて、だから見たかもしれない夢に訊きたくて尋ねた。
「高田さんには仲良くしてもらってるみたいですね、森林学講座の話ですか?」
「うん、本を教えてもらったらしいよ、」
なにげない笑顔さわやかに教えてくれる。
ごく当たり前の態度は警戒の必要ないだろう、けれど水飲みかけて言われた。
「高田と湯原くんが仲良くなったキッカケって、盗聴器のことだって聴いてる?」
え?
「っ…ぐはっ」
噎せこんで水ぐわり逆流する。
掌に口もと抑えこんでなんとか呑みこんで、けれど咳が始まった。
「ごほっ、こんごほっ」
ああカッコ悪い、こんな不意打ちくらうなんて?
いま盗聴のことを考えていた、だから後ろめたさが噎せこます。
こんな事態あまりに不甲斐なくて、その張本人がティッシュさしだしてくれた。
「大丈夫?こんな噎せるなんて風邪気味かな、」
おまえの所為だってば?
「ごほっ…だいじょ、ぶですっごほ」
「うん、でも風邪の前兆かもしれないよ?ここのとこ忙しかったし、今朝も冷えこんだから、」
応えながら食卓まわり拭いてくれる。
色の白い手、けれど大きく頼もしいのが今は癪で、それでも微笑んだ。
「風邪ではありません、ちょっと水に噎せただけです、」
「念のため今日はゆっくりしたほうがいいよ、せっかくの非番だし、」
大丈夫?そう微笑んでくれる言葉は優しい。
その優しさも癪で、こんな自分勝手おかしくて見た窓に声が出た。
「あ、雪?」
ふわり、白くガラスふれて消えてしまう。
その珍しさに先輩も頷いた。
「三月の雪だね、東京だと珍しいけど、」
三月の雪、
そんな言葉に去年が懐かしい。
もう一年経つ記憶は雪まとう、あの場所も人々も懐かしい。
―鋸尾根も雪が深いだろうな、吉村先生は往診かもしれない、
雪ふる山の町、そこが自分の日常だった。
温もりも厳しさも学んだ場所、あれから隔たった今を先輩が微笑んだ。
「今日は大学の合格発表なんだね、ニュースが賑やかだ、」
「はい?」
言われてふり向いたテレビ画面、見憶えあるキャンパスが映っている。
悲喜いりみだれた光景は例年通りで、そして本音すこし妬けてしまう。
―俺も受験したかったな、内部推薦なんかじゃなくて、
自分の大学受験は母が壊してしまった。
けれど本当に壊した人間は別にいる、その事実ゆるやかに肚焦がす。
―観碕がいなかったら俺もここにいない、そして周太も、
観碕征治、
あの男ひとりいなければ自分たちの今は違う。
それは幸せだったろうか、けれど出逢えなかったかもしれない。
幸福か不幸か、そのジャッジ決めかねるまま気になることを確かめた。
「浦部さん、盗聴器って国村さんの件でしょうか?七機に赴任したころ、」
そう表向きは始末されている。
そのままに先輩はうなずいてくれた。
「そうだよ、やっぱり聴いてるんだね?」
「はい、無線とラジオで探知したんですよね、」
「高田はあれが巧いんだ、工学部出身だけあるよ。湯原くんも工学部なんだってね、」
話してくれる笑顔は穏やかに清々しい。
この貌なら「湯原くん」も親しくなるのは当然だろう?納得に妬ける傍らニュースが言った。
「1月に…で起きた強盗殺人の容疑者が起訴されました、本人は否認するも…また余罪の可能性が」
この事件、前にも聴いた?
その記憶と箸うごかし会話して、ふっと足音に意識とられた。
―黒木さん?でもなんか違うな、
足音で誰なのか解かる、けれどいつもと違う。
かすかな違和感に顔上げてすぐ硬い声が呼んだ。
「宮田、浦部、すぐに来い、」
ほら、「何」かが起きた。
【引用詩文:William Wordsworth「The tables Turned」】
にほんブログ村
blogramランキング参加中!