萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

soliloquy,Lettre du future 帰やりの風―another,side story

2013-01-31 09:20:00 | soliloquy 陽はまた昇る
君待ちて、ふたり 



soliloquy,Lettre du future 帰やりの風―another,side story

山風が、黄昏を夜に染める。

ゆるやかな薄紅ひいた空が縹色の薄暮を降らす、稜線は濃く闇になる。
渓谷から吹きあげる風に氷の気配が香りだし、周太は隣の少年に笑いかけた。

「寒くない?ちょっと気温が下がりだしたけど…、」
「はい、だいじょうぶです、」

哀しげでも笑ってくれる白皙に、もう紅潮が頬あかるます。
冷たい風の気配に寒いだろう、すこしでも温めたくて掌を差しだした。

「手を繋ご?素手で、僕も寒いから…繋いだらあったかいから、」

差し出した手を少年はすこし途惑うよう見てくれる。
もう小学校4年生だと、男の子は手を繋ぐなど恥ずかしいだろうか?
そう気がついて困りながら周太は笑いかけた。

「もう4年生だと、手を繋ぐとかしないのかな?ごめんね、…僕は繋いでたから言っちゃたんだけど、」
「ううん、」

ちいさく頭を振って少年は、ぎゅっと縋るよう周太の手を繋いだ。
大きくなり始めた白皙の掌、けれどまだ柔かに子供の手のままでいる。
その大きさと温もりに心ごと切なく掴まれて、少年の想いに自分の過去が重なった。

―傍にいてあげたい、独りぼっちで泣くの哀しいから、

そっと心が願いごと言って、覚悟がゆっくり生まれていく。
生まれた覚悟ゆるやかに心ひろげて温かい、その想い正直に笑いかけた。

「あのね、夕飯は何が良いかな?家にあるものでだけどね、工夫して何でも作ってあげるよ?」
「…え、」

驚いたよう見上げてくれる、その綺麗な目がどこか懐かしい。
誰と似ているのだろう?ふっと想いかけた向こうで少年が遠慮がちに訊いてきた。

「あの…お家にお邪魔して良いんですか?」
「ん、そうだよ、」

頷いて笑いかけ、並んで橋を渡っていく。
その河原ゆれる尾花が鳴るのを聴きながら、周太は応えた。

「このあたりはね、泊まれるところも少ないから…色々と落ち着くまで家に泊まってもらおうって、」
「あの、さっきの交番の人のお家って僕、聴いてたんですけど、」

すこし途惑いながら訊いてくれる、その言葉が可愛くて笑ってしまう。
交番の人、確かにそう言う事になるだろうな?そう納得しながら周太は頷いた。

「ん、その交番の人のお家だよ?…僕ね、あのひとの家族なんだ、だから同じ家に住んでるの、」
「そうだったんですね、」

ようやく意味が分かった、そんなふう笑ってくれる。
けれど関係や何かを説明することは難しいな?すこし困りながら周太は質問を戻した。

「ね、夕飯なにが食べたいかな?好きな物、なんでも言って?ごはんでもお菓子でも、好きなの何でも作るよ、」

問いかけに少年は首傾げて、考えながら歩いてくれる。
いま本当は食欲なんて無いだろう、そう解っているけれど少しでも食べてほしい。
そんな願いごと笑いかけた隣、少年はすこし笑ってくれた。

「じゃあね…オムライスが良いです、それからオレンジジュース飲みたい…っ、」

言葉の最後が、嗚咽に変る。

ずっと堪えていた気丈な心、それが崩れて幼い哀しみがあふれだす。
吹いていく山風に涙はなびいて黄昏に散る、その涙は誰に届けたいと願いが哀しい。
この痛みも苦しみも自分は誰より知っている、あの日の自分が今この隣で泣いていく。

―あのときの僕は…ね、どうしてほしかったの?

そっと幼い日の自分に問いかける、その心へ桜が吹く。
春の闇、白い布団に眠る貌、真昼の空、それから夜と朝と永訣の昼。
あの全ての時に自分が求めた事は、なんだった?

―縋りたかったんだ、ぜんぶを任せて泣けるところが欲しかった、

幼い自分の願いに今、応えてあげたい。
穏やかに微笑んで周太は少年の前に片膝ついて背中を差し出した。

「おいで?」

笑いかけて肩越し振り向いて登山ウェアの二つの腕を引寄せる。
小柄な自分にとって小学4年生の体は大きい、けれど背負う力は充分にある。
体重を背中に載せて腕を首まわさせると少年を背負い周太は立ち上がった。

「おんぶするとね、お互いに温かくていいかなって…どう?」
「…ん、…っ、はい、」

肩越し笑いかけて歩きだす、その肩に泣顔を載せてくれる。
その涙ごしに頬よせて、前向きながら周太は穏やかに話しかけた。

「帰ったらお風呂であったまろうね…ウチのお風呂、ちょっと広いから泳げるよ、」
「…はい、…あ、りがと…ぅ、」

微笑んだ気配、けれど泣き出していく。
そっと頬よせてくれる狭間、ゆっくり熱こぼれて頬伝っておちる。
ダッフルコートの肩に泣きだす心を受け留めて、今、泣いている頬に自分の瞳にも涙が温かい。

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第59話 初嵐 side K2 act.9

2013-01-30 23:50:47 | side K2
「披」 想いの行く先へ、



第59話 初嵐 side K2 act.9

呼吸ひとつで扉をノックする、その向こうに気配が動く。

今からの時間へ緊張が背筋を昇らす、すこし肌から強ばりだす。
この生命ある世界では自分にとって一番怖くて綺麗な存在、そのひとが今、この扉を披くだろう。
それから始まる時間が不安で、けれど向きあいたい想いに開錠音は鳴って白いシャツ姿が顕われた。
いつものよう穏やかで優しい微笑が見上げてくれる、その眼差しに鼓動を敲かれながらも光一は微笑んだ。

「こんばんは、湯原くん。お邪魔してイイ?」
「ん、はい、」

頷いてくれる笑顔に笑いかけ、静かに部屋へと入る。
擦違いざま爽やかで穏やかな香が頬撫でて、なにか心ほどかれていく。
こんなふう人を寛がすものを周太はもっている、だからこそ困って光一は幼馴染の額を小突いた。

「ほら、周太?ちゃんと相手が誰か、確かめてから扉を開けないとダメだろ?」

ここは機動隊舎、男ばかりの閉鎖社会。
そんな場所で周太の空気は目立ちすぎて、訓練の時もヘルメットを外した瞬間から目を惹いていた。

―普通に女がいる所なら良いんだけどさ?女日照りの中じゃ、確かにヤバいよねえ?

周太に女々しい空気は無い、けれど中性的では無いと言ったら嘘になる。
少年のよう繊細な雰囲気は優しげで「女日照り」にとったら縋りたいだろう。
これでは婚約者で保護者の英二が心配するのも無理はない、そんな理解を笑って教えてみた。

「英二にも無防備すぎるって、注意されてたんじゃない?」
「あ…ごめんなさい、」

素直に謝って困ったよう微笑んでくれる、その容子が可憐に稚い。
白いシャツの首筋から薄紅あわく昇らせながら、穏やかな声はお願いしてくれた。

「次から気をつけます、だから来るときはメールとか先にもらえる?」
「それ良い考えだね、明日からそうするよ、」

気楽に笑って応えながら、けれど鼓動はずっと軋んでいる。
さっき第2小隊に向かい合ったときは何とも無かった、けれど今は周太の心に不安になる。
ずっと昼間から考えていた「問い」に向きあう時は今、けれど口にしたらどうなってしまう?
この優しい笑顔は変わってしまうだろうか、嫌われても仕方ないと自分は諦めきれるだろうか?
そんな逡巡が廻ってしまう躊躇いに、きれいな笑顔が温かなトーンで促してくれた。

「良かったらベッドに座って?話していってくれるんでしょ、」
「うん、」

ほっと安堵が頷いて、光一はベッドに腰をおろした。
ベッドに座って良いと赦してくれたなら、嫌われてはいない?
そんな期待の隣に周太も座ってくれると、穏やかに笑いかけてくれた。

「やっぱり綺麗になったね…北壁と英二のお蔭って思っていい?」

マッターホルンとアイガー、ふたつの北壁で英二と共に記録を作った。
ふたつ夢を叶えた充足感と、大切な人と新しい繋がりを結んだ幸福感がそこにある。
けれど気づかされた本音は泣きたくて、優しい祝福の笑顔を見つめるまま涙と微笑んだ。

「うん、いいよ。北壁で俺ね、いろいろ気が付けたんだ。それで俺、英二に…っ、」

言いかけた頬を、ひとすじ涙こぼれていく。
滲んでしまう紗の向こうで黒目がちの瞳が優しい、その眼差しに熱は涙をおとしゆく。
言葉に出来ない哀しみが喜びが、叶わぬ想いの痛みと温もりが堰あふれて、もう止まらない。

―ごめんね、周太…願ってくれた幸せは俺、違ったんだよ?

唯ひとり恋して愛した人、その温もりを自分にも与えてくれたのに?
こんなにしなくては解らなかった自分の愚かは哀しくて、けれど後悔も出来ない。
英二と過ごした恋愛の時間に幸福だった、その温もりは真実だから後悔にもなれない。
けれど誰もが傷ついてしまった、きっと英二も本当は傷ついて今夜、電話で周太に泣くだろう。

―でも雅樹さん、俺ね、英二のお蔭でやっと…雅樹さんが亡くなったんだって納得出来たんだ、それでも大好きって解ったんだ、

英二の肌は温かく熱くて、深い森の香が包ます快楽はあまい痛みに充たされ酔えた。
その全ては幸せだったと想う、けれど自分が求めていたのは「雅樹」の全てしかない。
英二が与えてくれた生命ふれあわす時の間、肌を交わすたびごと死者への想いが深く響いた。
この想いごと抱かれていく感覚の視界、白皙の肩の彼方にアイガー「死の壁」は星に太陽に山の記憶が輝いた。

―あのときアイガーにずっと見ていたんだ、雅樹さんが登ってく姿を見てた…だから夢は雅樹さんだった、ね…

この全てを本当は、周太に告白してしまいたい。
雅樹が愛した山桜の樹霊を宿すひと、その心へと全て曝け出してただ縋りたい。
けれど自分にそれが赦されると想えなくて、ただ涙ふるえる肩を温もりに抱きしめられた。

「ん、無理に話さなくて大丈夫…ふたりが幸せなら良いから、」

穏やかな声、そっと心から包んでくれる。
その言葉も想いも優しくて、純潔の温もりに心ごと委ねて光一は微笑んだ。

「ありがと、ね…ごめんね、」

ごめんね、それしか言えない。
ただ抱きしめて縋ってしまう、いま言われた言葉が心を刺して痛い。
後悔はしない、けれど応えることが出来ない自分の本音が泣いてしまう。
この感情を体ごと抱きとめ背をさする優しい手、その持主は穏やかに笑いかけてくれた。

「ちょっと風に当たりに行かない?…自販機でなにか飲み物を買って、」
「…うん、」

素直に頷いた頬を、優しい手は指で拭ってくれる。
このひとは恋人を想い泣いただろう、その罪をどうしたら自分は償える?
そんな思案廻らせて廊下に出て、歩いて行く道すがら第1小隊の山ヤたちと擦違った。

「国村さん、おつかれさまです、」
「おつかれさまです、谷口さん、井川さん、」

名前を呼んで笑いかける、その相手が同時に瞬いた。
この二人も名前を憶えられている事が、きっと予想外だろうな?
いつもながら可笑しくて笑いながら会釈して、今度は齋藤が第2小隊の男と立ち話していた。

「こんばんは、齋藤さんに浦部さん、」
「あ、…おつかれさまです、」

ほら、浦部がちょっと驚いている。
夜間訓練でも浦部とは言葉交わす時が無かった、けれど名前呼びの件は他から聴いたろう。
そう考えながら行き過ぎようとした向かいから、齋藤が笑って返事してくれた。

「国村さん。晩飯の時ありがとうございました、こんどはK2の話も聴かせてください、」

他の第2小隊員がいる前で、隠さず齋藤は親しみを示してくれる。
採用学歴は違っても同期という連帯感と山ヤの敬意、そんな明るい空気を見て光一は笑った。

「こっちこそね、石鎚山の話とか聴きたいです。四国はまだ登っていなくて、」
「ああ、また飯一緒しましょう、」

次回の約束で態度表明する、その意志が素直に嬉しい。
この男とも話す時間が増えていくだろうな?そんな近未来に笑って歩きだす。
そうして幾人かと会釈交わしながら自販機に立ち寄り、屋上に出た。

がたん、

重々しい鉄扉を開いて見上げる、その空は昏く地平は人工に明るい。
雲ゆく軌跡に光を探しても見つからない、もう山から遠い夜空にからり笑った。

「やっぱり星の数が少ないね、」

フェンスに軽く凭れてプルリング引く、その隣でも軽い金属音が響く。
ふっと甘い香が夜風に運ばれて、どこか懐かしさ想いながら光一は隣に微笑んだ。

「屋上だなんて周太、盗み聞きを警戒してるね?」

さっき部屋での会話が少なかったのは、これが理由。
この問いかけに黒目がちの瞳が少し笑って、眼差しは「肯定」を答えた。

―やっぱり周太、解ってるんだね?自分がどんな危険を冒しているのか、気づいて…

もう周太は「知っている」だから無人の屋上に自分を連れてきた。
きっと知るに至らせた事件がある、既に歯車は動きだし接触が始まっている。
この現実ごとブラックコーヒーを飲みこんで、穏やかに佇む隣へと光一は微笑んだ。

「なにか気付いたことがあるんだね?俺には話してくれるつもりで、ココに来たんだろ?」
「ん、」

短く頷いて周太はココアの缶を傾けた。
そして息ひとつ吐いて見上げると、黒目がちの瞳が真直ぐ光一を見つめた。

「新宿署長の異動が決ったんだ、」

告げた事実は「知っている」の意思表示、そんな眼差しを微笑で受けとめる。
いま言われたことの真相を当然自分は知っている、それも尋問されるだろう。
きっと問われる、そう朝から考えてきた通りに光一は尋ねた。

「そうらしいね、今朝の発令で見たよ?周太はいつ知ったワケ?」
「今朝のあいさつ回りで知ったんだ、理由は体調不良らしいね…俺の異動と関係あるんでしょ?」

何か知っているでしょう?

英二といつも一緒にいたのなら、何があったのか知っているはず。
それを話してほしい、そう自分を見つめてくる瞳は真直ぐ信頼を問い、穏やかな声が続けた。

「あの署長にね、父を知ってるって卒配の初日に言われたけど、あまり親しくは無いと思う…俺に兄弟はいないのか確認してきたから。
所轄の署長なら履歴書とか見ているはずだよね?人事ファイルも見てるはずなのに訊くって変でしょう?…まるで隠してるって疑うみたい、」

話しながら見つめてくれる眼差しは純粋で、凛と聡明が煌めいている。
強靭な意志が現実を受けとめている瞳、その潔癖な誇り見つめる想いへと疑問が問いかけられた。

「たぶん父と似た誰かを署長は見た事があるから、2度も兄弟が居ないか訊いたんだ…その誰かって、俺は1人しか考えられない。
その誰かに何かされたから、署長は体調を壊したんじゃないのかなって思うんだ…そのチャンスが思い当たる時が一度だけあるよ?」

言葉を切った瞳は透かすよう見つめる、その眼差しを微笑で受ける。
言われた「チャンス」は自分にも思い当たる、けれど隠して笑いかけると周太は口を開いた。

「俺が英二のおばあさまと会った翌日だよ、俺を新宿まで車で送ってくれた。あのとき英二は何時に青梅署の寮に戻ったか、教えて?」
「あいつのアリバイを疑ってるんだ?」

さらり訊き返した先、追求の眼差しが頷いた。
こんなふう周太と英二が疑念を挟んでしまう、そんな現実が嫌になる。
こんな時間の終焉を明るく見つめながら光一は、ただ事実と微笑んだ。

「あいつね、君を送った後すぐ俺に電話してきたよ、」
「電話を?」

なぜ英二は電話をしたのだろう?
そんな疑問に黒目がちの瞳が考え込む、この素直さが愛しく可笑しくて和まされる。

―こういうとこホント壊したくないね、ずっと綺麗なまんまでいなよ…雅樹さんが恋した山桜の、君なんだから、

どうか綺麗なまま生きていて?
人間の昏く哀しい闇に向き合う君、けれど純潔なままいてほしい。
この願いへ明るく笑って光一は事実のままに口を開いた。

「周太と離れて寂しくなっちゃったみたいでさ?携帯にイヤホン繋いで運転しながら、ずっと青梅に帰るまで喋ってたね。
まあ、次の週が講習会で遠征訓練もあったから、その打合せする時間が惜しかったってのもあるケドさ。仕事の話してたよ、」

―…ココアをぶっかけてやったんだよ…古い血液みたいですね、その染み。すぐ洗えば間に合いますよ?

綺麗な低い声が、記憶から笑う。
いま周太が知りたがる当夜の新宿署で、英二が何を行い、何を言ったのか?
この真相を七機異動が決まった日の朝、御岳駐在に向かう車内で英二は話してくれた。

―…あの署長、いま夢のなかで土下座してると思う?…俺が来ること待っていたみたいだ。監視カメラの位置が変わってた…
  あのとき俺から電話しただろ?もし周太に訊かれたら、22時位から青梅に戻るまで、ずっと電話してたって話してくれな

周太を新宿署寮に送った夜、惹き起した事件の真意。
その事実を語る英二は笑っていた、端正な唇は酷薄でも美しかった。
あの貌と一緒に笑い飛ばしながらも自分は、密やかに本音の溜息を吐いた。

―英二は純粋な悪にもなれる男なんだ、きれいで優しい魔王ってカンジだね?

純粋な怒り、それが英二を魔王に変貌させていく。
周到なアリバイを光一に作らせて今、周太に語らせ欺いてしまう。
この偽謀を英二は少しも悔いることはない、その熱が高すぎる直情に道を定めている。
あの横顔は眩しく美しい、だから自分も敢えて思惑の通りに話した。そんな想いに見つめた先、周太が安堵の吐息と微笑んだ。

「俺ね、出来るだけ英二には危ないこと、してほしくないんだ…山ヤとして、レスキューとして頑張ることだけ考えてほしい。
だから英二には、俺より光一を見ていてほしいんだ。俺よりも優先する人がいたら英二、俺のために危ないことしなくなるから、」

どうか自分の為に犠牲になろうとしないで?
そう英二に伝えてほしいのだろう、けれど伝えたところで英二は変わらない。
この自分こそ唯ひとり以外は想えない、だから英二が周太を求める心が自分の心のよう解かってしまう。
雅樹の為なら自分だって英二のよう危険も負いたい、全て捨てられる、この真実の想いに微笑んで光一は首を振った。

「周太、それは無理だよ?あいつが帰る場所は君だね、帰る場所を護りたいのは当然だろ?」
「だから光一を一番にしてほしくって、夜のことしてって言ったんだ、」

被せられる周太の答えと眼差しに、瞳から願いが刺さる。
そして気づいてしまう、周太も英二や自分と同じだ。

―君も、唯ひとりを護りたいね?あいつのこと大切だから捨てようとしてる、でも捨てたトコロで身代わりなんざ無理だね?

身代わりなんて、誰にも出来やしない。
どんなに大切な相手であっても「唯ひとり」の代わりに出来ない、それをアイガーの夜から自分は思い知らされた。
唯ひとりのアンザイレンパートナーで『血の契』である英二は大切な存在、それでも雅樹の代わりには少しも出来ない。
これは英二だって同じだろう、周太にとっても同じだ、その想い微笑んで光一は率直なまま答えた。

「それは俺から御免こうりたいね。俺はあいつのパートナーだ、自由に出掛ける相手だよ?帰りを待つとか無理なコトだね。
なによりね、俺にだって帰りたい場所があるんだ。あいつが帰る場所になんざなりたくないね、コレって何回ヤっても変わんないよ、」

自分たちはアンザイレンパートナー、自由に世界を山をめぐる共犯者。
いつも共に「出掛ける」相手だから帰りを待つなど有得ない、それは肌を重ねても永遠に変らない。
この命懸けられる相手だと想っている、それでも帰りたいと願い求める相手は「雅樹」しか要らない。

―俺たちは伴侶じゃない、共犯者だね。帰る場所はそれぞれ違う、いちばん大切な相手が他にいる同士だね、

自分たちは互いに「二番」優先順位は一番にしない。
けれど同じ世界を見つめて同じ場所に生きられる、そして同じ夢を叶えていく。
こんな自分たちは互いが世界の全てだ、だからこそ最期に還りたい唯ひとりは別の相手同士で良い。

―周太、英二の唯ひとりは君なんだよ?他に誰もいないんだ、

自分の共犯者の想いを、ありのままに理解してほしい。
この願いの向こうで黒目がちの瞳は微笑んで、けれど瞳の底に深く哀しみが温かい。
温かいほどに今は傷んでいく瞳は、そっと静かに微笑んで光一へと「現実」を告げてくれた。

「署長がそんなでしょ?きっと俺は新宿で見張られてたと思う…引越すとき寮の部屋を調べたら盗聴器とか無かったけど、解からない。
ここでも居る間ずっと俺のこと、観察すると思うんだ…だからね、この寮でも込み入った話は、俺の部屋ではしないほうが良いと思って、」

これが今ある現実だと、もう周太は知ってしまった。
自分の交友関係を知られたらリスクを負わせる、そう判断したから今も屋上を話す場に選んだ。
そんなふうに孤独を知りながらも周太は微笑んでいる、その意志と決断に向きあいたくて光一は問いかけた。

「なるほどね、ここに周太と俺が今来たのって皆に見られたけどさ、先輩が後輩に指導するって思われるためってワケ?」
「ん、そのとおりだよ?…俺と親しいって知られるとね、きっと見張られることになるから、」

光一と英二から監視の目を逸らせたい。
そんな現実を告げた人は呼吸ひとつで、既成された現実を告げた。

「光一たちが遠征訓練に行く前、俺は同じ人を2回見ているんだ。一度目は術科センターの射場、次は俺が昨日までいた交番でね。
その人は俺に気付かれていないって思ってるかもしれない、恰好もスーツ姿とポロシャツで雰囲気も変えていたけれど、間違いないよ?」

接触があった、その現実に手が缶を掴む。

周太を直接見にきた相手、それが誰なのか?
この該当者をリストアップしながら見つめた先、静かな笑顔は続けてくれた。

「姿勢の良いお爺さんだった、髪は真白でね…相当の御年だと思うよ?ご高齢で射場に来るのって、どういう人か解かるでしょ?」

―あいつだね、

そっと心がリストを見つめ、冷静が意識を占めていく。
この事を英二に話すべきだろうか?そのタイミングはいつが良い?
考え廻らせながらも「時」の跫を聴きとりながら、凛然と佇む人へ微笑んだ。

「解かっていても逃げないんだね、周太。君は本当に強いね、」

本当に強いのは、誰よりも優しい君。
強いからこそ純潔でいられる、その無垢に優しいままでいられる。
そう見つめた向こう側、黒目がちの瞳は凛と明るい静謐のまま微笑んだ。

「ん、強くなるよ、もっとね?」
「だね、もっと強くなれるよ、周太ならさ?」

笑って応えながら想ってしまう、この静かな明るさを英二は護りたい。
この優しい心を護る手段として英二は、救急法と法医学のファイルを作りあげた。

―あのファイルは英二の、周太を想う精一杯が作ったね?だって1月のデータがあったんだ、

あの資料には1月の弾道実験データも入っている、それを自分は実際に見てしまった。
あのファイルを作りたくて英二は吉村医師の助手も務めてきたのだと、弾道データの存在に解ってしまう。
きっと助手を始めた動機は吉村への気遣いだ、けれど吉村医師の立場と能力に気づいた英二は「目的」を持ったのだろう。

―弾道のデータなんて普通は採れない、でも周太が生きるために必要だから英二はやったんだ、それが違反だって解ってる癖に、

青梅警察署が公務として行った弾道実験とそのデータ。
それを個人使用の目的で無断に遣うことは服務違反、そう知りながらも英二はデータ複製したのだろう。
あのデータを自由に触れる権利を得るために、英二は青梅署警察医の唯一にして信頼厚い助手という立場を築きあげた。
そんなふうに全てを懸けて周太を護ろうとする、そういう男の横顔は山と医学に生きた俤の、自分を見つめてくれた瞳を想いだす。

―だからアイツに惚れたね、でも雅樹さんじゃなきゃ俺はダメなんだ。だから護ってやりたいんだよね、

英二と周太、ふたりの想いを護ってやりたい。
自分たちが叶えられない未来をふたりに贈ってあげたい、幸せに笑って生きてほしい。
その願いのために自分が出来ることは幾らでもある、この願い叶える計画に思考は廻りだす。

―まずは盗聴器の問題からだね?

プライバシーの侵害、それに従う義務など皆無だ。
この権利の主張は自分の立場なら容易い、すぐに実行できるだろう。
それは「あの男」に対して言ってやりたい言葉の、表明にもなるから都合が良い。

―アンタが思うほどにはね、警察って1つの権力だけじゃ動かせないんじゃない?

多様な能力と意志が連携する以上「組織」は一枚岩に成れない、それを自分は山ヤの警察官として知っている。
だからこそ自分は組織にあっても束縛されることは無く、自由なままでトップに立つだろう。
それは指揮官の初歩を踏み出した、今この時も。








(to be continued)

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設定閑話:警視庁山岳救助隊

2013-01-30 11:30:00 | 解説:背景設定
首都、その負と生 



設定閑話:警視庁山岳救助隊

警視庁は首都警察ですが、その管轄に奥多摩があるため警視庁山岳救助隊が配備されています。
構成は警備部所属の第七機動隊山岳レンジャーと、奥多摩を管轄する青梅署・五日市署・高尾署の常駐救助隊です。
このうち奥多摩町と青梅市を管轄し、都下最も遭難が多発する山岳地帯を抱えているのが青梅警察署になります。
この青梅署管轄の御岳駐在所に宮田と国村は所属し、警視庁青梅署山岳救助隊員の任務に就きました。

奥多摩で遭難事故が発生すると3署は各担当管轄内に出動し、そのサポートに第七機動隊山岳レンジャーが入ります。
そのために奥多摩山系の現場訓練もあり、警視庁山岳救助隊全体で合同訓練を行う時は第七機動隊も参加しています。
また警視庁管轄外にも要請により出動し、宮田の同期・藤岡のエピソードにある通り災害救助隊として現地派遣もされます。
第七機動隊は2つの小隊から構成され、一個小隊につき小隊長以下16名となります。小隊長の階級は駐在所長と同じ警部補です。
通常は第七機動隊舎などで懸垂下降や高架などのレンジャー訓練を行い、山岳救助に必要な専門技術を術科・座学とも研鑽しています。

警察庁2011年6月10日発表「平成22年中における山岳遭難の概況」によると、
2010年の全国の山岳遭難は、発生件数、遭難者数ともに1961(昭和36)年以降、過去最高を記録しました。
過去10年間の山岳遭難発生状況は増加傾向、2001年と比較すると発生件数59.2%、遭難者数63%増となってます。
死者、行方不明者は前年に比べ減少したものの、安易な登山計画による道迷い等が多発しているのが現状です。

全国の山岳遭難発生件数と遭難者数
2008年 1,631件( 前年対比+147件)1,933人(前年対比+125人)うち死者・行方不明者281人(前年対比+22人)
2009年 1,676件( 前年対比+45件)2,085人( 前年対比+152人)うち死者・行方不明者317人(前年対比+36人)
2010年 1,942件( 前年対比+266件)2,396人( 前年対比+311人)うち死者・行方不明者294人(前年対比-23人)

下記、遭難事故の多い都道府県の2010年データです。
長野県 213件
北海道 123件
東京都 122件

日本の天井であるアルプス山系を長野県は擁しています、北海道は高緯度による低温が特徴的です。
そのため遭難多発を誰もが納得しやすい、けれど3番目の東京は北海道と1件差なことは意外かと思います。
東京の奥多摩山系は作中でもあるよう最高標高は雲取山2,017mと低山なために初心者コースのイメージが強いです。
そのため遭難要因の最多は「道迷い」と「体力減少による疲労」など登山計画の初歩的ミスが誘引となっています。

メディカルチェックを行って宮田は遠征訓練に向かいましたが、自己の体力レベルを把握することは登山において「自助」です。
最近の山岳事故においては自分の体力を過信した結果、山中で体調不良に陥って遭難するケースが多く見られます。
こうした事例で特に問題となっているのが登山ツアー、コースに対する適切な参加レベルを把握していないことが原因です。
ツアー主催側による体力チェックも無い上にコース計画も精度に欠け、参加者自身が体力を過信している為に事故は起きます。
ようするにツアー主催社も参加者も「自助」を的確に行っていない、その結果、現地の山岳レスキューに過大な負担が掛かります。

それが特に多い現場が、警視庁山岳救助隊が管轄する奥多摩山系を始め、メジャーで手軽な山となっています。
白馬山系や富士山なども2012年は多かったようですね、特に富士山は夏と冬で様相が一変することを知らない方が多いです。
一昨年だったかな?には身延山の参拝客が帰路は登山道を散歩して道迷いに陥り、駐車場から近い地点で疲労凍死しました。
季節は秋だったと思います、都会の秋よりも山中は日没もずっと早く15時には暗くなり始め、気温も零下になる可能性がある時期です。
こうした季節による天候や時間の変化にたいする感覚が鈍麻していた為に、目測を誤ってしまった結果の事故でした。
そうした山への無知識が意識を甘くし、装備不足となって凍傷や低体温症を惹き起て遭難死するケースもあります。

山ならどこにも共通することですが、夏と冬では体感温度から気圧、風速、積雪や凍結による歩行難度は別物です。
低山だから凍結は無い、そう考えるなら滑落死の覚悟が必要なほど山の北斜面と南斜面は温度差がびっくりにあります。
南面は温かく凍結は皆無でも、北面は積雪とアイスバーンに覆われてアイゼン無しには不可能なことは珍しくありません。
奥多摩山系でも冬期はアイゼンが必要とされ、宮田が所属する御岳駐在管轄の御岳山も凍結箇所が数多く存在します。
けれどアイゼンを持たないハイカーも多く、冬期以外もスニーカー等で入山して滑落事故を起こすケースが奥多摩には多いです。

アイゼンどころか、水も行動食も持たずに入山するハイカーも奥多摩には見られます。
この小説を書く時に奥多摩の山をWEB検索で調べることもあるのですが、ブログ記事も参考にさせて頂いています。
そのなかに上述のような方がおられて、いわゆる「シャリバテ」スタミナ切れを起こしかけたエピソードも読みました。
なぜ不備をしたのか?その理由はコンビニエンスストアが途中にあると思ったので、準備していなかったのだそうです。
こういう方は奥多摩初心者には多いのかもしれません、便利な都心から近く東京都内であるならと考えるんでしょうね。

奥多摩は、青梅市街地にはコンビニもファミレスなど飲食店も多くありますが、他の地域では個人店舗が大半です。
宮田たちが勤務する御岳町、青梅線御嶽駅から御岳山までの間にコンビニやスーパーを見たことが自分はありません。
ケーブルカーの滝本駅と御岳山駅の売店は、まんじゅうや団子ならありますが弁当のようなものは特に無いようです。
ここを過ぎてしまうと自販機も無く、御嶽神社の社前町にある茶店が開いている時間は食事出来ますが弁当はありません。
御岳山の奥に連なる大岳山は、山頂の山小屋がありますが営業が不定期と聴きます。コレをアテにして失敗する方もあるとか。
水や行動食をはじめ懐中電灯・雨具、これら山の常備品すら持たない登山者による遭難事故が奥多摩は多いです。

何年か前の実話ですが、母娘での登山客で娘さんが滑落死した遭難事故が奥多摩でありました。
そのとき彼女が履いていたのはスニーカー、しかもお母さんのリュックサックを前に掛け、自分のは背負ってました。
足許の不備に前後の荷物の荷重といった、バランスを崩す条件が揃ってしまった結果の転倒から滑落死へと繋がってしまいました。
一見は低山で楽に登れそうな奥多摩山系ですが、急登やアップダウン、鉄階段に岩場などもあるため膝を傷めるケースが多いです。
この事例でも高齢の母親が足を傷めた為に荷物を引受け、その結果として事故は起きてしまいました。

奥多摩は都下という便利な立地から、こうした安易な登山計画による遭難事故が多い地域です。
北アルプスなど高難度になれば登山者もそれなりのレベルと装備を持って臨みます、けれど奥多摩は初級コースのイメージが強いです。
ですが実際に登ってみると体力が問われるポイントも数多く、住民しか解らない仕事道も交錯するため迷いやすいコースも存在します。
そのために登山図も方位磁石も持たないハイカーが道迷いに陥ると、疲労凍死や害獣駆除の流れ弾に当たる可能性があります。
今は携帯電話があるため救助要請も容易ですが、消防や警察の救助ヘリをタクシー代わりに利用しようとする人もいるそうです。
本来なら不要の救助要請で出動させた為に、本当に必要な救助にヘリが使えなかったら?そうした問題が今、問われています。

こうした「自助」を怠った遭難の件数増加は山ブームが誘発した問題点です。
それに対して出典著者の金副隊長を始め、山のプロ達から多数の提起がされて対応が考えられています。
このことは警視庁管轄に限らない登山全体の問題で「安易=他人を危険に巻き込む」という可能性への無視が原因です。
作中でも国村が時おり救助現場で怒鳴っているように、遭難事故は何らかのミスが誘発するケースが大多数となります。
このミスを犯さない努力、もしミスにより遭難しても自己責任で解決する、それが登山と言う危険に踏みこむ当然のルールです。
それを知らずに登山の楽しさだけを追ってしまう時、遭難事故は起きて救助者をも危険に巻き込んでいきます。

遭難者を救助または遺体の回収をするために、救助者は生命の危険を冒すハイリスクを負います。
それは山のルール「自助」が不可能になった時に「相互扶助」に則って生命と尊厳を護ろうとする精神の顕われです。
このハイリスクを警察官や消防官の山岳レスキューは「任務」として負い、公務の意識に心身を呈して危険地帯へ立ちます。
そのことを遭難者やその家族たちの中には「公務員だから当然だ」と言って感謝の言葉を言わない人もあるそうです。
確かに公務員は納税者のために奉仕する義務がありますが、けれど生命の危険を冒すことは「人間」の尊厳に関わっています。
生命を懸ける義務を「負ってもらっている」ことへ感謝する、それが同じ生命を持つ人間として当然の義務ではないでしょうか?

こうした「感謝する義務と責任」を知らない安易な意識が、最近の遭難事故多発の根源です。
その最たる現場が首都東京、警視庁山岳救助隊が立っている「山」奥多摩管轄の現実となっています。
いま本編では七機山岳救助レンジャーに異動した国村が、現場所轄と本庁の温度差に向合い始めました。
ちょっと七機に関する資料が少ないのでリアル現場が見え難いため、手持ち資料の限りで推論から描いています。
なので詳しい方からすると相違点も多いかなと思います、もし博識の方いらしたら是非教えて戴きたいです。

世の中 2ブログトーナメント
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第59話 初嵐 side K2 act.8

2013-01-29 22:45:08 | side K2
「睨」 そこに立って今、  



第59話 初嵐 side K2 act.8

夕暮れの空、けれど大気は熱い。

脱いだ出動服のブルゾンから熱気と汗が燻らす。
ほっと息ついた呼吸にも排気ガスがくすんで匂う、アスファルトから酷暑は靴にも伝わる。
Tシャツを透かす風すら埃っぽく生ぬるい、この暑苦しい体感たちに郷愁が笑った。

―風も空気も、山が遠いね?

生まれた時から馴染む山風、あの緑薫らす冷涼が恋しくなる。
けれど自分で選んだ道にある自覚は誇らしい、この明るさに笑った隣から穏やかな声が微笑んだ。

「やっぱり国村さん、無敵でしたね。懸垂下降なんて他と違い過ぎます、」

微笑む黒目がちの瞳は明るくて、生真面目でも素直がまぶしい。
負けん気だけど称賛も知っている、そんな幼馴染みが嬉しくて光一は笑った。

「クライミングで負けらんないからね、でも短距離走は湯原くんのが速いんじゃない?」
「はい、でも装甲着けたら難しいです、」

いつもの笑顔は優しくて、けれど敬語で話してくれる。
こんなふうに周太は先輩として光一を立てながら、公私の線引に向かい合う。
この生真面目で優等生な貌は久しぶりに見る、それがなんだか愉しくて笑いながら歩きだした。

「湯原くんはさ、運動も同期ではトップだったんだろ?」
「初任科教養の時はそうです、でも初総のときは種目によります、」

生真面目に答えて笑いかけてくれる、その「種目による」トップが誰なのか?
たぶん答えを自分は知っているな?この予想に笑った横顔を呼び止められた。

「国村さん、失礼します、」

聴き慣れない声に振り向くと、救助隊服姿の男が立っている。
20代らしい日焼顔の視線は「挑む」そう見た予想に光一は名指しで笑った。

「なんでしょう、本田さん?」
「え、」

名前で呼びかけた先、男の顔が意表に怯む。
きっと「名指し」は予想外だったろう、この先制に笑って隣へ微笑んだ。

「湯原くん、ちょっと俺は寄り道があるみたいです。先に寮へ戻っていて下さい、」
「はい、お先に失礼します、」

折り目正しく礼をすると、小柄な出動服姿は歩いて行った。
その背中を見送りながら振向いて、幾らか呆け顔の男へとからり笑った。

「さて、行きましょうか?本田さん、」

また呼びかけた先、本田の表情が我に返る。
その貌に笑って踵返し訓練棟へと歩きだす、その横へ足音が追いかけ尋ねた。

「国村さん、どうして俺の名前が解かったんですか?」
「以前、合同訓練でご一緒しましたよね、」

即答して笑いかける、その先で顰めた目がひとつ瞬いた。
本田と顔を合わせたのは昨夏の一度きり、それなのに顔を名前と一致させたことが意外だろう。
この意外は先制攻撃になる、そう考えて山岳救助レンジャー隊員全員を経歴ファイルで予習をしてきた。
そんな予習相手の一人は驚いたまま考え込んで、またすぐに訊いてきた。

「もう歩いていますけど、私の用が何か解ってるんですか?」
「夜間訓練ですよね、違いますか?」

答えながら出動服のブルゾンを羽織り、手早く衿元にマフラーも締めていく。
足早に歩いていく薄暮のなか、小さく呑んだ吐息が返事した。

「その通りです、第2小隊での訓練に参加して下さい、」
「もちろん、」

さらり返事して笑ってしまう、やっぱりこうなったと予想的中が可笑しい。
この一週間は第七機動隊全体の新隊員訓練に就くため、出動服姿で一日を苛酷と言われる時間に過ごす。
そのため予定配属チームでの訓練参加は普通なら無い、だからこそ今日から声が掛かると予想していた。

―俺の前任サンも今日は留守だしね、ナンバー2ってヤツが勝手したけりゃ今日に決まってる、

現第2小隊長は今日、自身が9月に異動する五日市署へ打合せに行っている。
まだ新隊員訓練期間だから引継ぎは行えないと、今のうちに新所属を視るため3日の不在予定と聴いた。
けれど、この不在中に指揮権を任される「ナンバー2」にとったら新任隊長へ示威するチャンスだろう。
こういう挑戦は嫌いじゃない、むしろ都合が良い愉快に笑っている横から遠慮がちな声が訊いてきた。

「あの、さっきまで新隊員訓練だったんですよね?なのに今からまた訓練参加して、平気なんですか?」

―参加しろって言ったのソッチだろ?

そう言いたくって笑ってしまう、そんな笑いを驚いた視線が見てくる。
きっと新隊員訓練を理由に断ると思っていたのだろう、けれど自分は山岳レスキューの誇りと能力がある。
この力とプライドを示すチャンス到来が可笑しくて、笑いながら光一は自分の部下にいつも通りを答えた。

「遭難って言われたらね、何があっても救助に行くだろ?それと同じですよ、」

こんなの当然だ、所轄の救助隊員なら日常と言って良い。
たとえ週休の日でも管内にいれば召集に応じる、夜でも降雪でも関係ない。
そんな現場の常識はもう、子供のころからずっと生活のなかに見つめてきた。

―地元はね、民間人だって協力するんだ。ウチの祖父サンもオヤジも、田中のジイさんも吉村のジイさんすらそうだ、

父も田中も山ヤだった、だから「相互扶助」の精神に則ることも当然かもしれない。
けれど雅樹の祖父は林業をしても山ヤではなかった、祖父も熊撃ち猟師の兼業農家であって山ヤとは違う。
それでも奥多摩の住人で山馴れしているのなら、要請次第で捜索救助の山狩りに参加して警察と消防のレスキューに協力する。
この現実にある自分が訓練参加は当然だ?そう見た先で本田の貌が変化する、その様子に笑って訓練場に入っていく。
もう停まっている現場指揮官車の脇、屯する救助隊服の中でも際立って精悍な三十男に笑いかけた。

「黒木さん、このまま出動服でも構いませんよね?」

微かに眉を顰めさせた目に、かすかな動揺が見える。
どうして名前を知っている?このまま参加するつもりか?
そんな意外を眼差に廻らせて、けれどすぐ冷静に戻し黒木は頷いた。

「はい、決定権は私にありません、」

従順な丸投げ、それは「慇懃」の表明と小さな熱が燻っている。
やはり後藤が言った通り「次期小隊長を自他共に嘱望」という自負心の存在、それが慇懃を熾す。
この熱をどうやって爆発させてやろう?そう義務と悪戯心に思案を廻らせながら、視線達へ向き直る。
その視界、14人分の注視が黒木と自分に集まるのを確認して、この場全員に問いかけた。

「今日から第2小隊に所属する国村です。この一週間は新隊員訓練なので、夜間訓練は出動服で参加させて下さい。
この一秒後に救助要請の可能性がある以上、着替より訓練に時間を遣いたいです。異議があれば今、俺に直接言ってくれますか?」

黄昏に照らされた救助隊服達は沈黙して、けれど微かな変化が起きていく。
この空気に笑いながら、山岳救助レンジャー第2小隊員15名に光一は宣言した。

「意見があれば誰が相手でも必ず、最初に本人へ言って下さい。井戸端会議は禁止です、日常と訓練から裏表の無い信頼を作って下さい。
それが山の現場でスムーズな連携になって、最善の救助を可能にします。山ヤとレスキューの責任と誇りに懸けて、全員遵守を願います、」

危険な場所、だから遭難は起きる。
そこへ救助に向かうことは命の瀬戸際に立つこと。
そんな瞬間にもし薄紙一枚でも不信が挟まれば、瀬戸際の均衡は崩落する。

―こんなこと山では当然だね、だから理解できるはずだよ?

視線で問いながら見渡す先、残照に山の警察官は黙りこむ。
沈黙の返答、それでも「山」に生きる意志たちへの信頼に光一は笑った。

「じゃ、訓練を始めましょう。ココの遣り方を教えてください、よろしくお願いします、」



無人の浴槽に体を伸ばし、湯気へと息を吐く。
午後から日没過ぎまで動かし続けた体から、疲労はもう湯へ溶けていく。
連続七時間ほどのレンジャー訓練、それを苛酷だと普通は思うだろう。けれど、より苛酷な状況が自分の初現場だった。

―2月だったしね、雪も氷も酷かったよ、

青梅署に卒業配置された19歳の2月、滑落事故が起きた。
現場は氷結で有名な滝、そのとき淵の縁は降雪で区別がつき難く岩場も凍結していた。
そこでスリップしたまま氷を踏み抜いて滝壺へと滑落し、ハイカーは淵の対岸へ何とか這い上った。
零下の滝で行われた氷水に漬かる救助作業、あのとき七機山岳レンジャーから異動したばかりの畠山が負傷した。

―利き手の甲を切ったんだ、あのとき畠山さんは、

低体温症を起こした救助者が錯乱し、抱えた畠山の腕から暴れて淵に墜ちかけた。
それを受け留めようと庇った右手の下、救助者の体重と力に氷は砕けて甲を切り裂き、畠山の腱まで痛めつけた。
痛かったに決まっている、それでも畠山は何も言わずに救助者を無事に搬送して、戻った奥多摩交番で脱いだグローブから鮮血が零れた。

「畠山さん、なぜ現場ですぐ言わなかったんですか?」

応急処置をしてすぐ吉村医院へ向かう車中、畠山の貌は幾らか青ざめていた。
それでも痛みを見せず笑顔を向けて、山ヤの警察官は教えてくれた。

「あの場で言ったら、動揺が起きるかもしれないだろ?そんな現場じゃ危ないよ、救助された人に聞かれるのも良くない、」

そう笑った貌はレスキューのプロである誇りが眩しかった。
けれど吉村医院で雅人に診てもらった傷は深くて、畠山の利き手は握力が落ちてしまった。
もう握力を酷使するビッグウォールの挑戦は難しい、そう診断された時も快活な笑顔で頷いて現場に戻っている。
そして訓練にあっても救助現場に立つ時も畠山は、利き手の負傷を言い訳にした事は一度も無い。

―あれが山岳レンジャーだって俺、想ったんだけどね?

素直な賞賛があるからこそ、今日の現実へ苦笑こぼれてしまう。
余計を言わない寡黙が畠山は佳い男だ、ただ必要とされる任務に飛び込んで怯まない勇敢がある。
それは光一に対する時も同じで、後藤の縁故と知っても同時に配属された仲間として対等に親しんだ。
そういう畠山だからこそ後藤も奥多摩交番のセカンドとして信頼し、時にアンザイレンザイルも繋ぐ。
この雰囲気は岩崎も木下も同じだった、だから山岳レンジャーは斯くある姿と思っていた。
けれど第2小隊の現況は、どうも畠山流では無いらしい。

「ま、仕方ないのかねえ?」

ひとりごと湯につぶやいて立ち上がり、洗い場へと腰を下ろす。
シャワーの蛇口を湯でひねりかけて、ふと思いついて水に変えて頭から被った。
じわり頭上から浸しだす冷感が心地良い、さっきまで湯船に熱された身が引き締められていく。
清涼が全てに行きわたって蛇口を閉じたとき、がらり浴室の扉が開いて話し声が2つ入ってきた。

―お、貸切タイム終了だね?

さっきまで静かだった空間に、男二人の会話が響いて鏡の向こうに座りこむ。
その隔たりに腰下したままタオルで肌拭いだすと、声の言葉たちが聞えてきた。

「なあ、新人が言ったこと、どうする?」
「井戸端会議ってヤツか、はっきり言いますよね、若いのにさ?」

―ふん、俺のコトだね?

気がついて笑ってしまう、早速の違反者が出たらしい?
ちょっと聴いてみたくなってタオルを動かしながらも、そっと気配を消していく。
その鏡の向こう側では男二人、気がつかずに口を動かし始めた。

「たしかに若いけどさ、俺と同期なんだよ?こっちは大卒で向うは高卒だから、俺のが4歳上だけど先に行かれちゃってさ、」
「なんか特進したんですよね、理由は知りませんけど、」

どうやら1人は齋藤だろう、たしか同じ5年前に警察学校に入校している。
四大卒で4歳年長だから今年で28歳、現在は巡査部長だったはず。
大卒の警部補昇任の受験資格は巡査部長として1年勤務後、たぶん齋藤は資格がある。
けれど「先に行かれちゃった」のなら不合格だったのかな?考えながらタオルを腰に巻いていると齋藤が続けた。

「俺も知らないけどさ、でも正直なとこ山の実績も敵わないよ。この間の遠征訓練、やっぱ凄かったらしいしな、」
「ああ、第1小隊の村木が言ってましたね。第1はすっかり国村派って感じらしいです、」

―へえ、そんなことに今なってんだ?

こんな展開ちょっと面映ゆいけど面白い、まだ遠征訓練から帰って2日なのに?
たった2日で七機の空気に変化があった、その動向次第では対応が必要だろう。
これを見極めるためにも第2小隊の本音を聴きたい、そう判断して気配を湯気に融かす向こうで齋藤が答えた。

「らしいな、同期なのに差を感じちゃうよ、俺としては。ザイルパートナーのヤツも評判良いよな、」
「はい、第1の小隊長はベタ褒めですよ?まだ2年目なのに人も練れてるって、」
「まだ山は1年だっていうのにさ、あのスピードに着いてくって天才だよな?さっきのクライミング見ていて俺、正直参ったよ、」

褒めてくれているらしい、けれど随分と齋藤は凹んでいる。
たぶん同期意識が自分に対して齋藤は強い、そのために「差」を見せつけられてプライドが傷ついたのだろう。

―同期でも俺は高卒で、齋藤は早稲田だからねえ?学歴で優位なダケに傷ついちゃうんだろうけどさ、

いくら学歴で優位に立っても警察組織の現実は、国家一種のキャリアか地方公務員のノンキャリアかで大別されてしまう。
官界を占拠する東京大学ならば考査対象かもしれない、けれど同じノンキャリアなら実力主義と引寄せた運しか通用しない。
現に後藤も学歴は地元山形の県立高校出身で、その実力と人望から日本警察の山岳レスキューとして最高位の名声に立っている。
この現実に在って齋藤の傷心は甘えと認識すべきだろう、これをどう気づかせようか思案しているともう一方の声が答えた。

「高卒なのに23歳で警部補へ特進って、やっぱりコネがあるからってことですよね?会長の奨めで任官したそうですし、」

やっぱり「ソレ」が気になっちゃうんだな?
こんな予想通りも可笑しくて顔だけ笑ってしまう、けれどこの言動は赦さない方が良い。
そんな判断に音も無くシャワーを持ち、迎角に構えると「水」の栓を全開にした。

「うわぁっ?!」

パニックの声が風呂場に響いて、もう我慢できない。
つい大笑いの声を上げながらシャワーを止めて、立ち上がると向うを覗きこんだ。

「こ・ん・ば・ん・は、齋藤さんに高田さん?」

呼びかけて上げた2つの呆然が、面白くって仕方ない。
けれど笑いを納めて回りこむと、二人の前にタオル1枚の裸一貫で笑いかけた。

「まず認識を訂正して下さい、後藤会長は実力がある人間が好きです、これは実力主義の世界である山と警察では当然のことですね?
会長が贔屓する相手は実力があるってことです、これに異議があるなら本人に直接申し出て下さい。直言を後藤さんは喜びますからね、」

後藤が最も嫌うことは陰口、それは「山」の熟知から嫌悪する。
この意味を今きちんと伝えるべきだ、その意志に笑って2人を見下ろしたまま言葉を続けた。

「それからね、警部補特進は後藤会長の意志とは無関係です。山のルールに従い、所轄の救助隊員として忠実に行った職務への評価です。
で、今言った山のルールはね、さっき訓練前に言ったそのまんまナンですけどね?アレの意味をどう考えてるか、今そこで教えてくれます?」

笑いかけて浴槽を指さし、促してみる。
けれど二人は顔を見合わせ途惑ったまま動かない、そんな部下の優柔不断を光一は笑い飛ばした。

「ほら、さっさと入んなって?冷えちゃったら体壊すだろ、仕事に支障ないよう山岳レスキューの責任で風呂に入って下さい、」

いいから風呂に入って話そう?
そう笑いかけた先で齋藤が少し笑い、立ち上がってくれる。
その隣から高田も立つのを見て、三人で浴槽へと腰を下ろすと光一は笑った。

「さて、お二人さん?上官の命令違反をサッキやってくれましたねえ、このペナルティってドウなるのか、解ってます?」
「ペナルティなんかあるのかよ?」

釣られるよう齋藤が口を開く、そのトーンが同期のプライドにタメ口でいる。
この関係も今後どうなっていくか見ものだろう、愉しみに笑って光一は唇の端をあげた。

「正直に話してくれるんならね、今回は俺の肚ひとつに隠してあげますよ?で、先に言っておくけどね、後藤会長の悪口は止めときな?
後藤さんは人望が絶大だよ?だからドコで陰口言ったってね、全部あのひとの耳に入っちまうんだよ。だったら直接、言われたいってコト、」

このアドバイスの意味を、理解できるだろうか?
そう見た先で高田は齋藤を見、すぐ困惑と苛立ちの視線を此方に向けた。

「ようするに国村さん、後藤さんのスパイってことですか?」
「あははっ!単純だねえ、高田さん?」

短絡的すぎる解答に笑わされ困ってしまう、これでは脳ミソの中身が怪しい。
このままでは筋肉馬鹿と言われるだけだ、けれど高田の個性として考えれば実直にも育てられる。
どうやって育てるべきか?考え廻らせながら光一は年上でも子供な部下にヒントを与えた。

「高田さんは明治大の山岳部出身ですよね、だったら山ヤの世界がどういうネットワークがあるか?そこで会長がどういう存在かってコト、」
「あ、」

すぐ気がついて一重瞼を瞬かせ、高田は風呂場を見渡した。
その視線に笑って光一は、率直な事実を言葉に微笑んだ。

「山の世界は広いですよね?レスキューの警察官やってなくてもね、警視庁にはたくさんの山ヤがいるんですよ。外はもっと山ヤがいます。
そういう人たちにとって後藤さん、オヤジって感じなんですよ。ちゃんと叱ってくれる本物の優しい、誰にでも温かい山のオヤジなんです、」

今朝、別れ際に見せてくれた後藤の涙がもう懐かしい。
あの泣笑いの顔はきっと生涯忘れられないだろう、その温もりに雅樹を重ねながら続けた。

「なんで後藤さんがソンナに温かいのか、叱ってくれるのか、どうして何でも直接に言えっていうのか?それを山ヤ皆が慕っているのか?
それはね?山に生きるならマジで一秒後に死ぬかもしれないってコト、誰よりも知ってるから後藤さんは言うんですよ、後悔しない為にね、」

告げた言葉に、ふたりの貌が変っていく。
山に生きるなら、それも山岳レスキューを任務として生きるなら「覚悟=現実」にすぎない。
このことを二人にも知ってほしい、そして後悔しないで任務に就いてほしい、その願いに光一はストレートな口を開いた。

「俺たちが出動要請を受ける時は、現場の所轄だけでドウにも出来なくなった時です。最悪の事態に近い現場に俺たちは行くんだよ?
奥多摩は救助ヘリを飛ばせないポイントも多い、雪も氷もあるんだ。それより苛酷な現場に全国からでも要請を受けるのが俺たち七機です、」

それが今、これから自分が指揮する現場の現実だ。
この責任と義務と権利に笑って、素直な想いをそのまま告げた。

「いいかい?コレはね、ガキの頃から奥多摩で山ヤをやってる男が話す『山』で生きる現実です、脅しでも何でもないリアルなんだ。
俺たちは同じ山ヤで警察官で、いつも危険ってヤツの瀬戸際で息吸ってるんだ。別れる時に『またね』が言えないってコトなんですよ?
言い合うのは今が最期のチャンスかもしれないね、だから今、なんでも話せって俺は言ってるんだよ?コレは死んじまった時の準備なんだ、」

万が一、死んだときの準備をする。
その覚悟が無かったら「山」に生きたらいけない、それを自分は幾度もう思い知ったろう?
あの16年前からずっと見つめる哀しみに微笑んで、光一は自分の部下に「山」で生きる覚悟を突きつけた。

「もう解っただろ?アンタの家族や彼女にね、アンタの言葉を伝える義務と責任は俺にあるんだ。だから何でも言っておけって言うんだよ。
山ヤのプライドと覚悟があるんなら、どういう言葉を遺しておくべきか?コレに毎日向きあって頑張れるのもね、山ヤの警察官である誇りです、」

自分の声を言葉を、想いを、次も伝えられるチャンスが再びあるのかなんて、山に生きるなら解らない。
その覚悟をしても「山」に生きるのか?それで後悔をしないのか?それを若い山ヤたちに考えてほしい。

―俺みたいに後悔しないでよね?大切な人に伝えられないって、マジで苦しいんだからさ?

この苦しみは、もう誰にも知ってほしくない。
あの幼い日に伝えきれなかった想い、この後悔を悼みごと今も自分は抱く。
それは苦しくて、けれどこの痛覚も雅樹へ繋がれるのなら、傷すらも幸福なのだけれど。
けれど自分の部下とその大切な人達には後悔の傷をつけたくはない。そんな願い微笑んだ湯気の向こう、高田が口を開いた。

「国村さん、教えてください。どうしたら俺は、もっと速く壁を登れますか?俺、三大北壁にチャレンジしたいんです、夢なんです、」

高田が最も言いたかったこと、それを口にしてくれる。
こういう質問は山ヤとして最高だ、そう微笑んだ斜向かいから躊躇いがちな声が起きた。

「あのな…遠征訓練キャンセルした1人は、俺なんだ。同期のおまえと比べられるの悔しくてさ、でも高田と同じ本音もあ…ります、」

敬語を遣おうとしてくれるんだ?
そんな変化は面映ゆくて可笑しい、笑いながら光一は扉を指さした。

「ソコントコ、飯食いながら話しましょうよ?それともね、仲良ししてるトコが第2小隊のお仲間に見つかるとヤバい?」

連携プレイで村八分やってるんだろ?
そんな予想に笑いかけた先、一瞬だけ考えて、けれど齋藤は笑ってくれた。

「いや、大丈夫です。食いながら話そう、」

まだ言葉づかいに途惑いながら、それでも仲間である表明を決めてくれる。
こういう同期で部下がいることは頼もしい?そんな想いに笑って湯から立つと、共に脱衣所への扉を開いた。






(to be continued)

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冬朝日記:晴、風、飛沫

2013-01-29 08:10:01 | 雑談
風浪、けれど変わらずに



おはようございます、昨朝は雪だった神奈川です。
場所にもよるのですが、我が家のあたりは2cmくらいかな?
駅までの道、白い空からふる雪に足許も銀色でした。

いま本篇が夏なので、短編で冬を描いています。
やっぱり季節が同時進行するのって、なんか好きなんですよね。
書いていても、読んでいても、体感温度と脳内温度がシンクロするのって臨場感がでるので。
こんな「冬」を描いてほしいな、っていうリクエストがありましたら是非、教えてください。

昨日は中編と短篇をUPしました、今日は本篇UPの予定です。
いまsideK2・国村視点ですが、あと2編で纏められたらと考えています。
宮田と湯原の話も進めないとですしね、笑

いま青空がきれいです、こういう明るい雰囲気ってイイですね。そういう話を描いてみたくなります。
写真は先週末の三浦半島です、青空でも風は強く吹いて波が荒ぶっていました。
鳶も煽られながら舞って、魚が獲れ無さそうだったのは心配です。

ぽつんと立つ塔とコンクリートのライン、これを境に波は荒いです。
大波飛沫あがる青い彼方、高潮の向こうには丹沢と富士山が望めます。
独り海に佇んで、辛い水と空気に立っている塔は海によくある光景ですが。
もし人工物に心があるのなら、あの塔は何を想うんでしょうね?

作中でも海を描いたことがありますが、あの海は写真の場所から少し離れています。
宮田祖母が住む葉山の海は、御用邸があることで知っている方もあるかなと。
基本的に「山」の話を描いているので、あのシーンはいい気分転換でした。笑
リアルに今は山と渓谷に近い地域がホームタウンなので、海は懐かしいです。
昔、海の傍に住んでいた頃の自転車は錆との葛藤でした。笑




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第59話 初嵐 side K2 act.7

2013-01-27 10:12:34 | side K2
「偽」 けれど幸せは、



第59話 初嵐 side K2 act.7

空が青い、車窓の山は遠くても。

太陽を透かす白雲まばゆい、光線は四駆のボンネット弾かす。
フロントガラスの向こうに街は近づき、サイドミラーの山は遠退いていく。
もうじき故郷の山は視界から消える、その現実に笑ってスーツの左胸にふれた。

―雅樹さん、もう奥多摩が遠いね?でも俺はきっと帰るよ、

心呼ぶ人の写真は今、ワイシャツの胸ポケットにある。
いつも手帳に入れて持ち歩く写真はもう、16年より前からこうして持つ。

「オヤジ、その写真ちょうだい?雅樹さんの笑顔は俺のだからね、」

そう写真家の父にねだって貰った、K2峰に立つ雅樹の笑顔。
標高8,611mに蒼いウェア姿の笑顔は、いつものよう穏やかに明るんで美しい。
父とアンザイレンを組んで登頂した雅樹、その笑顔は22歳と3ヶ月の若い生命を輝かす。
そして同じ場所に自分は二十歳で立った、あの瞬間も登山ウェアの中に雅樹の写真を抱いていた。
そのままに今もこうして記憶ごと写真を抱いている。

―ね、雅樹さん?抱っこしてくれてた時もずっと、俺は持ってたんだよ?いつもポケットにいれてたって、知らなかったよね?

普通のサイズはファイルに納めてある。
けれど持ち歩く用もほしくて小さいサイズもプリントして貰い、ラミネート加工でカードにした。
それを作ってくれた父も今はもう亡い、もしかして雅樹にカードのことを告げ口しただろうか?
そんな想像に微笑んだ隣から、運転席のアンザイレンパートナーは穏やかに微笑んだ。

「帰国してすぐ異動だけど、お祖父さん達と美代さんには挨拶は出来た?」
「いや、あえて特別な事はしてないケド?また帰ってくるからさ、」

気遣いに感謝しながら答えた先、フロントガラスの切長い目は微笑んでくれる。
けれど英二の方こそ話していないだろうに?そんな予想に隣へ直接笑いかけた。

「おまえの方こそね、周太に異動するって話せたのかよ?周太のおふくろさんや、姉さん達にもさ?」
「まだだよ、会って話したいから、」

さらり応えて白皙の貌が笑う、そんな横顔は冷静に見える。
けれど本当は幾つもの葛藤を抱えこむ、それを自分は知っている。

『俺の父さんは恋してる、周太のお母さんに…俺の母さんのことはもう想ってくれない
父さんと母さんに恋愛してほしかった…俺は想いたかったんだ、両親の愛情の結晶として自分は必要とされてるって』 

アイガーの夜、そう話してくれた貌は絶望に泣いていた。
ずっと英二は両親に求めながら諦めてきた、そして今始まった父親の恋に途惑い周太との入籍を迷っている。

『俺と周太が籍を入れたら父さんと美幸さんは親戚になる、そうしたら会う機会も増えるだろ?会えば気持って強くなる、
そうしたら母さんも美幸さんも傷つくことになる。きっと周太が一番に傷つくよ、それが怖くて…解からなくなる、』

もし英二の推察が正解だとしたら、それを事実として知った周太が何を想うのか?
このことを英二は周太が自責に傷つくと恐れている、けれど周太なら深い懐に全てを受けとめるだろう。
こういう周太を英二は保護者的すぎて解らない、でもそれ以上に問題なのは、周太の母に対する英二の感情ではないだろうか?

『全部、周太と美幸さんが受けとめてくれたんだ…それが嬉しくて恋したよ…ふたりは俺にとって救いで、天使みたいだよ』

あのとき、英二は「ふたりは」と言った。
それは無意識の言葉だったろう、けれど本音がそこに見え隠れする。

『美幸さんは俺の理想の母親なんだ、俺の夢の人だよ?…父さんが好きになっても仕方ないって想う、だって俺と父さんは似てる、』

英二、誰に恋愛してる?

そう聴いたら周太と光一だと迷わず言うだろう、そこに偽りは無い。
その「偽り無い」は英二の無自覚が言わせているのだと、今までの言動に気がつける。
英二と美幸は親子の年齢差がある、だけど想い求める心には齢も立場も性別すら間垣にならない。
それを雅樹と見つめた自分だからこそ、英二が美幸へ寄せている無自覚な本音に気付いてしまう。

けれど、真実の本音に気付くことが「幸せ」なのかだなんて、定石通りの答えなどありはしない。

―気付かない方が良いんだろね、だけど英二、本当は気づいているんだろ?

きっと気づいている、けれど気づかないでいる。
そういう嘘を英二は自身にも巧く吐いてしまう、そんな器用さが英二の進路を狂わせてきた。
本当は求めたい実母の視線を拒み、本当は行きたかった大学も諦めて、欲しくない恋愛ゲームに孤独を誤魔化してきた。
自身も騙してしまう器用な嘘吐き、そんな自分の偽りに傷ついても微笑んでしまう優しい孤独を英二は抱えている。

―その孤独を壊したいんだよ、周太はさ?おまえと一番に想い合う周太なんだ、シンドイ想いも一緒に出来るって幸せなハズだよ?

ふたりは出逢って1年と4ヶ月、けれど遠い血縁に繋がれる。
生きて見つめ合う瞬間の前から繋がれてきた、そんな二人に叶わぬ夢を見てしまう。
自分と雅樹には叶えられなかった共に齢を重ねて行く未来、この平凡な幸福を二人に生きてほしい。
そんな祈りを見つめながらカーステレオのスイッチ入れて、運転席との間あふれだす旋律に口遊んだ。

……

眠れなくて窓の月を見あげた 思えばあの日から 
空へ続く階段をひとつずつ 歩いてきたんだね

何もないさ どんなに見渡しても確かなものなんて
だけど嬉しいときや哀しいときに 
あなたがそばにいる

地図さえない暗い海に浮かんでいる船を
明日へと照らし続けてるあの星のように

胸にいつの日にも輝く あなたがいるから
涙枯れ果てても大切な あなたがいるから

……

窓の月を雅樹と見上げた、そんな夜は幾つもある。
風呂の窓から、御岳にあった雅樹の部屋から、自分の屋根裏部屋から一緒に月を見た。
ふたり穂高連峰を縦走した夜にも月を見て、幾つもの夢を約束して切長い目は微笑んだ。
あの幸せな瞬間たちが今も自分を温めてくれる、だから英二と周太の幸福を祈ってしまう。

―雅樹さん、やっぱり俺は英二とね、恋人より親友でパートナーでいたいよ…えっちして解かっちゃったね、

英二との夜は幸せだった。

体温に想い交す幸福を、確かに英二と抱きあえた。
もう諦めていた体ごと愛される時間の吐息に、甘い熱に心ごと酔えた。
けれど夜の闇から浮き彫りになる香、そして声と気配に本音が「違う」と泣いた。
だから情事に微睡んだ暁の夢は、この大人になった体と心を雅樹に捧げつくす幸せを微笑んだ。

―俺が欲しいのは雅樹さんだよ?雅樹さんの匂いも声も全部ほしい、あったかい体も心も雅樹さんの全部にふれたい、ね…

長身、白皙、端正な顔立ちに綺麗な笑顔。
どれも雅樹と似ている英二に、視覚から雅樹を探し求めてしまう。
その視覚が消えた時間を想い出すごとに、その香と声の違いに別人だと確かめる。
そうして気づかされる、どんなに誰かを大切に想ったとしても、雅樹と同じには出来ない。

―やらなきゃ解らない俺は馬鹿だね?でも幸せだったのもホントだよ、だから後悔してない、

グリンデルワルトの夜と昼と夜、自分は英二の懐で幸せだった。
あの時間は真実だ、けれど時間を再び交わして良いのか解らなくてキスも拒んだ。
それでも一緒に眠りたい甘えは変らなくて昨夜、英二のシャツを着て共寝に香を移させた。
雅樹の香とは違う英二の香は深くて、謎をこめる深い森と同じ静謐が安らがせてくれる。
その香を運転席に燻らせる体温の、命ある気配が嬉しくて光一は笑いかけた。

「次の遠征訓練は6千峰だね?キッチリ体、仕上げといてよ?」
「おう、越沢を毎日10往復はするよ。あとさ、後藤さんが夏富士でタイムレースしようって、」

次の遠征訓練から山の話に笑いあう、そんな日常が嬉しくて愉しい。
こんな時間もあと少しで日常では無くなる、けれど1ヵ月後には再び日常に出来るだろう。
そんな想いに眺めるフロントガラス、資料写真で見たコンクリートの箱が姿を現して四駆は停まった。

―始まるね、

そっと心ひとり笑う、そこにはもう惜別より誇りが微笑む。
もう時は来た、そう潔さが笑って万感を一言に告げた。

「ありがとね、英二、」

本当に感謝している、この自分に並んでくれて。
共に笑って共に山を駈けてくれた、そして16年止めた時間を動かした。
その全てに感謝と笑いかけた先、切長い目は寂しげでも綺麗に笑ってくれた。

「おう、こっちこそだよ?ありがとう、光一。これからも宜しくな、」

笑って右手を出してくれる、その手を取って握手する。
白皙の肌と長い指に俤を見、けれど森の香に現実の英二へと微笑んだ。

「うん、よろしくね、」
「夜、電話するから。8時半位だと思う、」

綺麗な低い声は笑って、もう今夜の約束を贈ってくれる。
こんな何げない普通のことが自分は嬉しい、約束をくれる声を現実には聴けないと思っていたから。
幾度も約束を結んだ8年半をくれた声、あの愛しい声はもう耳には聴けず心にしか帰れない。
それでも今、他の声が約束をくれる時は始まったと信じて、赦される?

―雅樹さん、俺は英二と一緒に生きられるかな?生涯のアンザイレンパートナーやっていいのかな、

ずっと孤独のままに生きるのだと、雅樹が逝った瞬間から思ってきた。
けれど英二が自分の前に来てくれた、明日から1ヶ月離れても再び一緒に並ぶだろう。
この扉を開ければ立場が分かれていく、それでも変わらない絆を信じて扉を開いた。

「じゃ、行くね?」

登山ザックにトランク1つ持ち、からり笑ってスーツ姿の背を向ける。
そして一度だけ振り向き大らかに手を振ると、真直ぐ隊舎へと入っていった。



紺色のTシャツと出動服のボトムスを履き、昼の食卓に箸を動かす。
久しぶりの格好は警察学校の卒業以来で物珍しい、それ以上に前に座る相手が面映ゆい。

「光一は、…あ、国村さんは何時に着いたんですか?」

穏やかな声の呼方も、ちょっと聴き慣れなくて困りそう?
同齢で昔馴染みの周太、けれど高卒任官の光一は4年先輩だからと敬語を遣ってくれる。
そんな生真面目は周太らしい、それでも面映ゆい今日からの現実に笑って光一は答えた。

「10時には着いたね、道路が空いてたから。湯原くんより少し前ってトコだね、」
「そうですか、」

敬語のまま微笑んだ手許、端正な箸遣いが丼飯を口に運んでいく。
男だらけの食堂に1ヶ所スポット当たるよう、上品な空気が向かいに座っている。
こういう周太だから英二は心配で堪らない?それも可笑しくて笑いながら幼馴染に尋ねてみた。

「ちょっと俺たち遅く着いていたら、門のトコで逢えたのにね?ごめんね、湯原くん、」

あと10分ずれていたら、たぶん隊舎の前で周太と英二は逢えただろう。
ほんの少しの時間でも互いに顔を見たかったはず、そう笑いかけたけれど周太はタメ口で微笑んだ。

「そうだね、でも会わなくて良かったかも?…気を遣ってくれて、ありがとうね、」
「良かったワケ?」

すこし意外で訊き返して、けれどすぐ鼓動が刺された。
なぜ周太が英二に「会わなくて良かった」のか、その原因を作ったのは自分だ。

―本気で大好きな相手が他のヤツとえっちしたら、苦しいに決まってるのに、

どうして周太?

どうして、こんな自分にも笑いかけてくれる?
この自分が英二と体の繋がりを持つことを、確かに周太は望んでくれた。
遠征訓練前に逢ったときは夜の支度を買ってくれた、そうして背中を押して幸せな時間を祈ってくれた。
けれど現実になれば嫌われて罵られても仕方がないと覚悟していた、この予想を外した笑顔は言ってくれた。

「ん、今は会わなくて良かったって思います。ちゃんと逢うべき時が来るだろうから、ね?」

逢うべき時が来る、そんな言葉が肚に落ちて温かい。
いつか雅樹と逢うべき時に逢える、そう信じてアルプスの氷河に眠らず今ここにいる。
このことは周太にも沈黙したい、けれど解ってくれるかのような言葉を贈ってくれる。
何も言わないで通じるものがある、それが嬉しくて笑って箸を置き想いを言葉に変えた。

「周太、ありがとうね?」
「ん、」

頷いて微笑んでくれる、その笑顔は深くこまやかに温かい。
こんなふう笑える勁い心を周太は持つ、それを英二はいつ気づくのだろう?
つい考えながら席を立ち、光一は同時異動した後輩へと明るく笑いかけた。

「さて、噂の新隊員訓練ってヤツに行ってみよっかね?よろしくね、湯原くん、」
「はい、よろしくお願いします、」

素直に立って端正な礼をくれる、その微笑は覚悟の静謐が鎮まらす。
ここへ自分が覚悟と来たように周太も心決めている、それは文字通り「命懸け」の覚悟だ。

―周太、オヤジさんの事を知るために来たね?ホントは危険だって気づきながら誰にも言わないで…潔すぎるよ、

周太の父、馨の「殉職」は謎が多すぎる。

この謎を英二はずっと捜し、その全てを自分は知っている。
周太の祖父が遺した記録小説は御岳の家に置いてきた、けれど脳に全文を今もう読める。
その記録たちと、英二が持つ馨の日記を照合すれば今、周太が立つ危険の正体が何か解ってしまう。
けれど周太は馨の日記を知らない、それでも自分が見た全てから聡明の視点は現実を捕えている。

―周太、俺が護るよ?ココで一緒にいる間も、その後もずっとね、

密やかな約束に笑って下膳口を経由して、一緒に廊下へ出る。
ふたり並んで歩きだす隣、ずっと低い目線から黒目がちの瞳は綺麗に笑った。

「国村さん、訓練でも私は優勝を狙います。国村さんもですよね?」

負けず嫌いが誇らかに笑ってくれる、その明るい努力が逞しい。
どこか上品で繊細な容貌と小柄は少年のよう、けれど瞳には男の強靭がまぶしい。
こういう周太の素顔を英二は知っているワケ?そんな問いをパートナーに想いながら光一は笑った。

「当然だね、悪いけどレンジャー訓練なら俺は無敵だよ?」

山岳救助隊として四年半を過ごした、それ以前から自分は山に生きている。
いつも山は季節に天候に表情を変えていく、それでも変わらず毎日のよう岩に登り危険を遊んだ。
そんな自分が人工物の危険に怯む訳が無い、この自信に笑った隣で負けない陽気が笑った。

「勝てるっては思えないです、でも負けないことは出来るでしょう?だから負けません、」

負けないことは出来る、そう微笑んだ瞳は凛然が透けるよう美しい。
こんな表情にも想ってしまう、やっぱり周太は「特別」な存在ではないだろうか?

―こんな場所でこんな時なのに、こんなに綺麗でいられるんだね?

危険な場所にいて、大切な人は他の相手と抱きあった後で、その相手を隣に歩いている。
それでも周太は穏やかに微笑んで、真直ぐに信じる道を明日へ向かっていく。
この姿に心から祈りたい、どうか自分の叶わぬ夢の分も願いたい。

―お願いだからさ、周太。幸せに笑っていてよね、英二の隣でずっと、

大切な人と一緒に生きてよ?

自分は諦めなくてはいけない夢、だけど君には可能性が残っている。
自分が願うのは烏滸がましいかもしれない、それでも心から祈っている。
そのために自分は君を護る、君の大切な人も護る、だからどうか自分の願いを叶えて?
自分が唯ひとり想う人が遺した山桜、あの森を護ってくれる大樹を映した君なら、願いを聴いて?

周太、君は生きて笑っていて?








【引用歌詞:L’Arc~en~Ciel「あなた」】

(to be continued)

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K2補記:冬麗、波くだけて、

2013-01-26 22:48:00 | お知らせ他
海、瞬間に光を



こんばんわ、今日は晴天でも風の強かった神奈川です。
久しぶりに海へ行きました、が、強風かつ波浪に注意といった感じで。
強い冬の太陽は温かで、けれど雪の丹沢から下りる風にカメラ持つ手が冷えました。
そんな海は蒼と碧に透けて、白く光砕かす飛沫と波紋から雄渾の美が眩しかったです。

「天気晴朗、波高し」

そう言った人が昔、明治の男にいます。
ドラマにもなりましたが『坂の上の雲』という小説をご存知ですか?
軍人として生きた秋山兄弟を描いた、司馬遼太郎の代表作と言われる1つです。
近代騎馬隊の父と謳われる兄・好古と、海軍の俊才で友人に正岡子規を持つ弟・実之。
この弟が日露戦争において、戦中の通信文に上述した一文を用いました。

連載中の「K2」主人公、国村光一のイメージは明治の男です。
信条のために真直ぐ道を進む意志と努力、強靭な自律を徹す精神力。
涙も弱音も他に見せないプライド、妥協を赦さぬ厳しい潔癖、一途な真摯。
そんな勁さに隠した繊細な無垢は、少年のままに透明な誇りに満ちています。
文学青年のように繊細な風貌と大らかな笑顔は、端正な姿勢を簡単には崩しません。

こんな光一サイドの短編「望郷の雪、師走―Lettre de la memoire,another」の加筆校正が終わりました。
こちらは光一の「another」である雅樹、山ヤの医学生が抱いている山と医学の夢と、山っ子への想い綴る物語です。
もう本篇では亡くなっている雅樹ですが、短編では1人の男として人間として笑い、悩み、人生を向きあいます。
彼の生涯は二十三年と五ヶ月、早逝の天才と謳われ惜しまれる男の等身大を描いてみたくなりました。
クリスマス特別編、光一サイド「K2」の回想シーン、短編2つ。
そこに描かれる雅樹の生きる瞬間に、何を感じますか?

今夜は第59話「初嵐K2」の続きをUPする予定です。
取り急ぎ、



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第59話 初嵐 side K2 act.6

2013-01-25 00:05:23 | side K2
「開」 晨に立って今、



第59話 初嵐 side K2 act.6

深い眠りの森から意識が浮上する。

ゆるやかに披かれる視界に天井が映りだす。
薄明が灰色の闇を白く変えていく、もう夜が明けていく。
いま太陽が呼びだす今日に微笑んで、煙草の吐息と森の香から静かに脱け出した。

「…英二、ありがとね?」

そっと呼びかけ笑いかける、その想いの真中に白皙の貌は瞳を瞑る。
濃やかな睫に陰翳は鎮まり、あざやかな眉にダークブラウンの髪が艶めく。
この寝顔をずっと見ていたいとグリンデルワルトでも願った、そして今も本当は願いたい。
けれどもう今日が来た、今現れる刻限に笑ってベッドから脱け出して、けれど右手首を温もりが掴んだ。

「光一、約束違反だよ?」

綺麗な低い声の微笑みが、心臓ごと心を掴む。
いま言われた約束にアイガー北壁の暁が蘇える、あの白いベッドで告げた言葉が自分に刺さる。
それでも呼吸ひとつに微笑んで、シャツの肩越しにアンザイレンパートナーへと笑いかけた。

「ちゃんと俺は声掛けたね、でもオマエが起きなかったんだよ?」
「あんな小さい声で起こすつもりだった?」

低く艶ある声が笑って、右手離さずに体を起こし隣に座る。
ふれそうな肩に温もりが透かす、その体温に微笑んで見つめ返した。

「寮の壁は薄いからね、ご近所迷惑はダメだろ?」
「じゃあキスは良い?」

願いに微笑んだ切長い目が、穏やかに瞳を覗きこむ。
いまキスをして良いのか解らない、だって今日は七機で周太と会うのに?

「前に言ったよね?周太の気配があるとこじゃ、俺たちは恋人じゃないって。今日はもう会うんだしさ、」
「ここは奥多摩だよ、」

綺麗な低い声が遮って、掴まれた右手首が動けない。
力強い長い指の掌、その感触に昨夜を泣いた現実と、諦めた夢がまた惑いそうになる。
雅樹も指が長い綺麗な手だった、その手とよく似た温もりが手首から心を滲ませて、ふっと瞳から熱こぼれた。

「あ…」

頬伝う熱に声おちる、こんなことだけで自分が泣くなんて?
いま手首を掴みキスねだる人は俤が似て、けれど全く違う香が白皙の肌くゆらせる。
この現実と夢のはざま竦んでしまう心、その鎖を絶つように綺麗な深い声が問いかけた。

「光一、どうして昨夜はそのシャツ着てきたんだ?それ、俺がアイガーであげたヤツだよな、」

指摘の言葉に、左手が衿元そっと掴んでしまう。
このシャツをなぜ昨夜も着てきたのか?そんな問いは雅樹なら言わなくても解かるはず。
こんなにも「違う」と昨夜から英二の全てが自己主張する、それが安堵になって光一は微笑んだ。

「おまえの匂い、少しでもつけたくってさ。なんか落着けて好きなんだよね、森みたいな匂いでさ、」

正直な想い告げて笑いかける、その隣から腕が伸ばされ抱きしめてくれる。
深い森の香くるまれていく肩、頬、視界、そして煙草の吐息が静かに微笑んだ。

「そういうの、ちゃんと言ってくれよ?俺じゃ気づけないこと一杯あるけど、ひとつでも多く叶えてやりたいって想ってるよ?」
「うん、ありがとね、」

素直に笑って衿元から左手を離し、カットソーの背中へ腕を回す。
ふれていく胸から鼓動が鼓動に響く、その共鳴に時と世界を同じに出来ると喜びが微笑む。
嬉しいまま顔を載せた肩は強く頼もしい、ほっと息を吐いた感覚に右手首は解放されて英二が笑ってくれた。

「光一、ごめんな?俺は雅樹さんみたいには出来ないよ、でも本気で大切に想ってる。だから言葉にして言ってほしいよ、」

雅樹のようには出来ない、そんな言葉に心透かされたよう。
けれど英二ならこんなことは当然気づくだろう、こんなに傍に居て気付かないほど鈍くない。
この言葉を英二が告げてくれる想いが心軋ませる、けれど雅樹を想うことを止めるなんて出来るはずもない。
その想い正直に微笑んで、真直ぐアンザイレンパートナーの瞳を見つめ光一は綺麗に笑った。

「ありがとね、英二。でも俺、今までもカナリ遠慮なくぶっちゃけてるけど、」
「もっと遠慮なくしてよ、北壁でも言ったよな?」

綺麗な笑顔ほころばせ、そっと体を離していく。
ベッドの上に座り向かい合って、実直な眼差しに光一を映しながら笑ってくれた。

「俺は周太を一番に考えてる、でも俺が生きる世界の全ては光一だ。だから山でも警察でもパートナーだろ?もうずっと一緒に生きるんだ、
だから我儘も何だって俺には言ってほしい、雅樹さんみたいに出来ないけど、俺が出来る精一杯で応えるから。信じて、何でも言ってくれ、」

こんなにも真直ぐ告げてくれる、だから自分はこの男を信じた。
甘ったるい同調を言わないでくれる、ただ真意だけを真直ぐ自分に言ってくれる。
だからこそアンザイレンパートナーに望んでしまう、それでも自分は秘密と嘘を抱え続けていく。

―ごめんね、英二。おまえに言えないこと多いんだよ…雅樹さんとのこと言えないんだ、だから周太との本当も言えない、

英二は、この世界では自分の唯ひとり。

英二は共に命を生きてくれる唯一のパートナー、けれど自分は真実に黙秘する。
今、生きる人間の中で誰より大切になる相手、きっと祖父母より後藤より離れたくない人になる。
そんな相手にすら自分は嘘つきになれる、雅樹の真実を護るためなら裏切りも何でも出来てしまう。
この想いは英二も周太に対して抱いている、そう互いに解る自分たちは互いに赦すのだろう。

―英二、おまえも周太の為には俺を裏切るね?だから遠慮なく俺は嘘吐きでいるよ、これが俺の我儘だ、

心の想いだけで呼びかけ、声にしない約束を問いかける。
この真実を護らす裏切りを信じて、唯ひとりのパートナーへ綺麗に笑った。

「うん、信じてるよ?だから一ヶ月後に追っかけて来てね、俺の別嬪パートナー?」

信じてる、自分の後を追って来てくれること。
自分たちの間には嘘がたくさん挟まっていく、けれど全てが真実の為と赦してほしい。
この赦しが自分の最大の甘え、どうか嘘にある真実を信じて全てを受けとめ傍に居て?
そう願い微笑んでベッドから立ちあがる、その手を掴まないで綺麗な低い声は微笑んだ。

「追いかけるよ、今までと同じにずっと。だから安心して七機で待ってろよ?」

笑いかけてくれる切長い目は深く、きらめく華が熱い。
こんな直情的な熱は「英二」だ、そう認めるまま素直に笑って光一は扉を開いた。

かたん…

静かに閉じる音が響いて、ほっと溜息こぼれおちる。
そのまま歩きだす廊下、窓から暁の光は射して行く先を明るます。
まだ静謐にある朝を歩きながら、すこし前の時間に信頼が微笑んだ。

―英二、キスしないでくれたね

キスを拒んだのは、今が2度目だ。
1度目は7月初めに英二のベッドでだった、あのとき初めて告白された。
そんな想い出たちが10ヶ月間に英二と幾つ生まれたろう?

―数えきれないね、ほんとに…ありがとね、英二?

微笑んで朝陽を透りぬけ廊下を歩いて行く。
そのまま洗面室へと入ると冷水に顔を洗い、意識をクリアに覚ましていく。
頬と額の冷えた感覚に蛇口を止めて、濡れた顔のまま踵返した回廊の暁に自室の扉が見える。

―この部屋を開くの、あと2回だね?

いま開いたらあと2回、朝食の後と挨拶回りの後だけだ。
もう何度も開錠した扉とも今日で別れる、その惜別に笑って扉を開いた。
静かに鍵掛けるとタオルで顔拭って息を吐き、この身を英二のシャツから脱いだ。
素肌に朝の冷気ふれさせながらハンガーを外し、ダークスーツの姿へと変えていく。
ネクタイを締め、ワックスを手に軽く髪をセットしていく鏡の中、自分の貌は変化する。

「もう職務中は、ずっとこの貌だね?」

鏡の自分に愉快を笑って、脱いだ服たちを手早く荷物にまとめる。
全てをトランクに納めこんで今、4年半の部屋は全て空っぽになった。
ここで山ヤの警察官に自分はなった、その感謝が空間を見つめて綺麗に笑った。

「ホント世話になったね、ありがとう、」

この場所で幾度、泣いて笑って時間と想いに向きあったろう?
その記憶全てへの感謝に微笑んで、スーツ姿で扉を開いた。



手続きの全てが終わり、登山ザックとトランクひとつ携え廊下を行く。
午前中の明るい窓には見慣れた風景が映る、この全てが午後にはもう遠い。
今こうして歩く瞬間すら懐かしむ時が来るだろうか?そんな想い笑って診察室をノックした。

「先生、失礼します。英二お待たせ、アレ?」
「おう、待っとったぞ、」

入った白い部屋、二人の白衣姿の前から救助隊服姿が振向いてくれる。
その深い眼差しの笑顔が嬉しくて、荷物を置きながら光一は笑った。

「なんですか、副隊長?ココでサボりってコト?」
「おまえさんを待っとったんだよ、吉村の呼び出しついでだがなあ、」

昔馴染みの笑顔ほころばせ迎えてくれる、その隣で白皙の貌が穏やかに微笑む。
長い指のマグカップをテーブルに置くと、長身の白衣姿は立ちあがってくれた。

「光一、コーヒー飲んでくだろ?」
「うん、ありがとね、」

座りながら笑いかけた先、切長い目は穏やかに微笑んでくれる。
いつものよう流し台へ立った白衣の後姿に、やっぱり泣けない涙が心に笑った。

―白衣なんか着ちゃうと余計、似てるよね…後姿の雰囲気とか、ほんとに

あの背中が懐かしい、幼い日の幸福だったクリスマスイヴの記憶を見てしまう。
あのとき初めて見た白衣姿の雅樹はまぶしくて、本当に天使のよう明るく輝いて見えた。
もう17年過ぎてしまった時間の姿、それなのに今も笑顔は綺麗なままに心で咲いてくれる。

「似てるでしょう?雅樹と、」

静かな声に鼓動が撃たれ、光一は振向いた。
その視線をロマンスグレーは受けとめて、涼やかな切長の目が微笑んだ。

「ここで手伝って頂く時はね、きちんとした格好でいつも来てくれるんです。だから服を汚したらいけないと思って白衣を用意しました。
だけど、あの姿を見ていると不思議な気分になります。こんなこと失礼かなって想うんですけど、本当に雅樹が一緒に仕事してると感じて、」

静かな言葉は今、初めて吉村の口から聞く。
ずっと雅樹の話題を光一にはしないでくれた、けれど今、最後の日に話してくれる。
この惜別への感謝に笑って、デスクに佇んだ写真立ての笑顔を見つめ応えた。

「ホントに雅樹さん、ここにも居るんじゃないですか?奥多摩で開業医になってね、嘱託の警察医もするって言ってましたから、」

幸福だった7歳のクリスマス、あの数日後に雅樹はそう話してくれた。
青梅署の警察医が輪番制だった当時は不備も多かった、この問題に雅樹は率先しようとしていた。
そうした夢を雅樹の父と兄が叶えてくれた、その感謝に笑った先でロマンスグレーの瞳が微笑んだ。

「そうでしたか、雅樹、光一くんには話してたんですね?…良かったのかな、私は、」

ひとりごとのよう想いを言葉に、医師はデスクを振り向いた。
写真立てには蒼い登山ウェア姿で雅樹は笑う、どこまでも明るく穏やかな笑顔に後藤が笑ってくれた。

「ああ、雅樹くんの夢を父親が叶えたんだ、きっと喜んでるだろうよ?でも光一の話を聴くと写真、白衣姿の方が良いかい?」
「どんな格好でも大丈夫だね。いつでも雅樹さんは山ヤの医者だから、服装は関係ありませんよ、」

笑って答えた前に、熱い芳香がテーブルに置かれる。
目で「どうぞ?」と勧めて英二は踵を返し、パソコンデスクの前に座った。
たぶん後藤と吉村と話す時間を気遣ってくれた、嬉しく微笑んだ前を昇らす湯気にふと連想して大先輩に質問をした。

「副隊長。吉村先生の呼びだしって、もしかして禁煙命令ですか?」
「お、言う前にバレちゃったなあ?」

困ったよう笑って、節くれた手はマグカップを抱え込む。
その手に皺の刻みを見て後藤の年齢に気付かされる、この年齢が光一とのアンザイレンも阻んだ。
もう何を言われても仕方のない年齢を後藤は迎える、その現実ほろ苦い向こうから警視庁山岳会のトップは低く笑った。

「俺は肺をやっちまったらしいよ?齢だから仕方ないがね、三大北壁はもう無理だろうよ。冬富士も厳しいんだろ?」

最後の問いかけに深い目は吉村を見、その視線に切長い目が頷いた。
もう後藤がビッグウォールの登攀が出来ない?この事実が信じられずに光一は口を開いた。

「嘘だよね?」

嘘に決まっている、そんなこと。
確かに後藤は50歳も半ば過ぎる、それでも体力と技術に衰えなんて見えない。
それなのに冬富士にもアタックできない筈がない、そう思うままに光一は続けた。

「北壁無理って、冬富士もダメって、それじゃあ6千峰も無理ってコトだろ?最強の山ヤの警察官がソンナの、嘘だね?」

日本で最強の山岳警察は富山県警と言われている、けれど後藤が最高だと誰もが認めている。
トップクライマーだった父もザイルを組んだ蒔田をパートナーにする、国内最高の山の警察官。
アルパインクライミングでは国内ファイナリストを謳われてきた、そんな後藤がもう6千峰にも登れない?

「嘘だよね、吉村先生?今日が俺、最終日だからって二人で悪戯の仕返しなんだろ?ね、そうだよね、」

職場なのに敬語も忘れて訴えてしまう、こんなこと信じたくない。
けれど篤実な医師は光一を見つめ、そして静かに首を振った。

「本当です、全て。後藤さんには来月、入院して再検査を受けてもらう予定です。今日はそのお話に来ていただきました、」

現実が、大きく鼓動を撃つ。
後藤が検査入院をする、それが自分の進路に及ぼす影響を知っている。
もう警察学校に入る時から覚悟している「明日」に、呼吸ひとつで光一は微笑んだ。

「解りました、このこと宮田は知っていますか?」
「きちんとは話していません、でもカルテ整理の時に気づいてはいるようです、」

穏やかな声が微笑んで、切長い目が部屋の奥を見る。
そこでは白衣の広い背中がパソコンに向かい、資料と画面に集中して佇む。
元から集中力の高い英二は今、会話など聴こえていないだろう。そんな背中に後藤も笑って静かに言った。

「だから俺は急いでるよ、おまえさんを早いとこ山岳会長にしたいんだ。ビッグウォールも登れない会長じゃあ納得できない奴もいるぞ?
今回の異動はおまえさんたちの希望からだった、でもな、急に決められた事情はこういうことなんだよ。世代交代を早める必要があるよ、
で、おまえさんなら山の実力は抜群だ、カリスマ性ってヤツも充分ある、あとは信望を勝ちとれるかだ。これは努力次第だろうって思うよ?」

ゆっくり肚を鎮めていく心へと、透る塩辛声が温かに響く。
自分を三大北壁に初めて登らせた後藤が、最高の山ヤの警察官がもうビッグウォールに登れない。
そんな現実を信じたくなくて泣きたい、けれど今は自分に課される義務と権利を見つめて、静かに微笑んだ。

「この1ヶ月で、アウェーの第2小隊を完全掌握しろ。そういうことだね、後藤さん?」
「ああ、その通りだ、」

頷いて笑ってくれる、その眼差しが悪戯っ子に笑う。
この笑顔が自分を「山の警察官」へと導いた、それはトップの孤独に生きる切符でいる。
その全てを自分は理解してここに今、座っている。いま不安も孤独も怖いけれど、それも全て解ってここに来た。

「その課題、満点合格すりゃ良いんでしょう?ご期待に添いますよ、俺は、」

勝利宣言を予告する、これは自分の為だけじゃない。
もし1ヶ月間で自分が「曲者揃い」の第2小隊を纏められたなら1ヶ月後、英二の着任は万全に望める。
まだ任官2年目にすぎず、山の経験すら1年に満たない男を自分の補佐官に迎えるには、それなりの努力は当然だろう。
そんな理解に笑ってマグカップに口付けた先、父の親友で自分の上官である男は愉快に笑ってくれた。

「よし、山っ子らしい宣言だな?お手並み拝見させてもらおうじゃないか、」
「キッチリ見て、ゾンブンに楽しんじゃって下さいね、」

笑って新しい場所と時間を展望する。
それは決して楽な道じゃない、そう解るからこそ愉しみになる。
故郷も山も森も無い場所、雅樹から遠い世界、それが不安じゃないと言えば嘘だ。
それでも、全く違う世界で見つける新しい全ては、きっと自分に必要だから出会う。

―そういうので成長したらさ、雅樹さんも喜んでくれるよね?だから支えてよ、俺のこと、

心ねだって警察医のデスクを見る、そこに雅樹は笑ってくれる。
雅樹が嘱託警察医の話をしてくれた記憶が今、ここに自分を座らせる道を選ばせた1つ。
こんなふう雅樹は体を消しても人生に寄添ってくれる、その幸せに笑ってコーヒーを飲み干した。

「そろそろ行きますね?」
「おう、もう時間だな、」

笑ってくれる後藤の貌は寂しげで、けれど送りだす明るさが温かい。
その笑顔と並んだ吉村も穏やかに笑ってくれる、そして向うには写真から雅樹が微笑む。
ずっと自分を見守ってくれた3つの笑顔へと、感謝の想いに立ち上がると光一は端正に礼をした。

「吉村先生、後藤副隊長、本当にお世話になりました、異動してもよろしくお願いします、」

いま、全ての想い籠めて区切りをつけたい。
この場所から発っていく門出を、人間の現実に生きていく時間へ踏み出したい。
ずっと山と森の世界に護られてきた自分、けれど今は「人間」と向合う自分を見つけに行く。
もうそれが自分は出来るはず、そんな想いと笑いかけた先で後藤の瞳から涙こぼれおちた。

「おう、異動しても同じ山岳救助レンジャーだしな?よろしく頼むよ、」
「はい、」

素直に頷いた前、節くれた手が涙拭いながら笑ってくれる。
笑って立ち上がってくれる隣、白衣姿も立って右手を差し出してくれた。

「こちらこそ本当にお世話になりました、いつでも帰ってきてくださいね?ここにも、あの森にも、」
「ありがとうございます、」

吉村医師の右手をとり握手する、その感触に心が微笑んだ。
肌の色は違う、けれど長い指の掌は繊細で温かく懐かしくて、大好きな形見がそこにある。

―ね、雅樹さん?先生の中にも雅樹さんは、ちゃんと生きてるんだね、

もう雅樹の体はどこにもない、雪空色の墓石に眠る遺骨だけになった。
けれど雅樹の心は自分にも吉村医師にも生きる、あの森に山桜に雅樹の息吹は微笑んでくれる。
そしてもう1人、雅樹の意志も心も抱いている男が今日も、自分を新しい場所へと連れ出してくれる。
その男の気配が立ち上がり、傍らから静かに光一のマグカップをとると流しで洗い始めた。

「ああ、宮田くん。すみません、出がけなのに、」
「いいえ、これくらいすぐ終わりますから、」

穏やかな声と低く透る声が笑いあい、吉村医師も流しに立って行った。
その背中は寂しさと安堵に明るんで、容は全く違うのに懐かしい気配が温かい。
天才医師と謂われながら奥多摩の厳しさを選んだ吉村、それは息子の死が選ばせた運命だった。
そんなふうに雅樹は何人の運命を分岐に立たせ、新しい生き方と夢を抱かせたのだろう?

―俺が知らないトコでもだね?雅樹さんの学校の人とか、俺の知らない世界で雅樹さんに会った人たちもさ?

その人達にも、いつか自分はめぐり会うのだろうか?
この世界に今も生きて雅樹を想う人々、その未知な心にいつか自分は向かいあう?
そのとき自分はどんな雅樹の貌を見つけ何を想うだろう?そんな想い見つめた二つの白衣姿に後藤が笑った。

「宮田、白衣が似合うよなあ?だからな、七機に異動したらさせたいことがあるんだ、」

後藤が異動後の英二にさせたい「白衣が似合う」こと。
それは雅樹と同じ道だろう、そうつけた見当に笑いかけた。

「救命士取るとかですか、」
「そうだ、2年夜学に行ってもらいたいんだ。いいコースの大学が都心にあってな、」

さらり部下の進路を告げた深い目が、明るく微笑んだ。
その計画は英二にとって良い影響がある、そう想うまま光一は笑った。

「いい考えだね?警察オフィシャルの救命士資格保持者ってさ、良い箔がつきます。アイツなら遣り遂げますよ、」

雅樹も医学部に通いながら夜学とダブルスクールを遂げて、学生時代に救急救命士の資格を持った。
それと同じ道を英二も望む、この確信に笑った隣で後藤も嬉しそうに頷いた。

「よし、おまえさんが了解なら話は進めるよ、直属上司だからな?」
「はい、よろしくお願いします、」

自分のパートナーの進路に、上司として責任ある立場になった。
そんな今日からの現実に笑った向こうから、白衣を脱いだネクタイ姿の長身が笑いかけてくれた。

「お待たせしました、国村さん。行きましょう、」
「なに、もう敬語かよ?」

つい笑ってしまう、こんな会話はアイガーの時にもしたけれど馴れない。
きっと自分は今まで通りに話してしまう、そう予想した前でトランク携えて英二が笑った。

「今から練習しようって思ったんだよ、でもフライングかな、」
「オマエなら練習ナシで平気だろ、七機でも敬語遣う機会なんざ少ないかもしんないしさ、」

笑いながら登山ザックを持ち、扉を開く。
一緒に吉村医師と後藤も来てくれる、そんな日常も今が最後になるだろう。
こうした時間が自分は好きだったと、離れる切なさに懐かしい時間たちが廊下の靴音に響く。

―さよならだね、青梅署?また戻ってくるけどさ、

また自分はここに戻るだろう、警視庁山岳レスキューの最前線に立つため警察官になった自分だから。
こんど戻る日は指揮官としてここに立つ、その瞬間は早まると数分前に伝えられた。
きっと思うより早く帰って来られる、そう未来予測が笑ったロビーに拍手が起きた。

「え、」

予想外の拍手と、並んだ顔達に足が留められる。
いま午前の巡回が終わるころの時間、それなのに山ヤの警察官は半数がここに居る。
奥多摩交番の畠山もいる、御岳駐在の岩崎もいる、鳩ノ巣駐在の藤岡も笑っている。
他部署でも親しかった顔も一緒に拍手する、その輪の中から畠山が笑顔で一歩前に出た。

「国村、4年半ありがとうな。あのころから一緒のおまえが居なくなるの、本当は寂しいんだぞ?」

青梅署に卒業配置された当時、同時期に畠山も第七機動隊から異動してきた。
自分より齢も年次も上の先輩、けれど奥多摩の知識は自分が畠山に大半を教えた。
あのころより精悍になった笑顔へと、右手差し出して光一は綺麗に笑いかけた。

「また合同訓練とか休みの日は帰ってきます、そしたら悪戯の実験台にまたなってくれますか?」
「あははっ、単身寮の時はよくやられたよなあ、俺、」

懐かしい日々に笑って握手してくれる、その分厚い手の甲には傷が一筋ある。
4年前の冬、凍結する滝から遭難者を救助したときの裂傷は辛い記憶、けれど今は懐かしい。
今はもう結婚して娘がいる畠山、どうか現場にも無事に立ち続けていてほしい。そんな祈りと握手を解いた。
その手の前にこんどは人の好い笑顔が立って、握手すると大きな目が明るく笑った。

「なに、国村って畠山さんにも悪戯してたんだ?」
「悪戯されてない人、ココにいるメンツにはいないね、」

笑って握手する藤岡の手は、小さめでも厚くがっしりと温かい。
幾らか堅い掌は山と農業をする証、そんな藤岡の生立ちは自分と似て話しやすかった。
同年で農家に育った山ヤという共通点が気楽な、どこまでも明るくて強靭な性格が好きだ。
きっと現場に誇りを持って立ち続けていく、そう信頼できる友人の手を離すと光一は皆に笑った。

「悪戯っ子の追い出しってトコですね?本当に最後までお世話かけます、ありがとうございました、」

言葉にロビーが笑いだす、そんな空気が温かい。
この温もりがある職場が好きだった、厳しい現場に立っても笑いあえる絆が誇りだった。
父の旧友が示してくれた「山ヤの警察官」という道、この現場で自分は愛する山を護る誇りを知った。
それは雅樹が医学で山を護ろうとした意志と重ならす、だから尚更に誇らしく強く今を生きて立っている。
そんな自分を4年半に育んでくれた青梅署山岳救助隊、この場所から発っていく自分への励ましが嬉しい。

「元気でいろよ!悪戯しすぎるんじゃないぞ、」
「合同訓練の時はよろしくな、自主トレに来たら寄ってくれよ?」
「飲み会、また声かけるよ!」
「射撃大会に出るんなら教えろよ、応援してやるからな、」

たくさんの声が輪から起きていく、その全てが嬉しく誇らしい。
この声ひとつずつが自分を立たせ、今日の扉を開かせ明日へ繋がっていく。
いつか自分はこの男達のトップに立ち護っていく男になる、その未来を誰もが知って今、笑ってくれる。

―こんな俺でも必要としてくれるんだね、雅樹さん…もうちょっと生きてなきゃいけないってコトかな?

『生きよう?ずっと僕は一緒にいるよ、』

そう綺麗な深い声が記憶から笑ってくれる、この言葉を大切な夜明に告げてくれた。
あの言葉が無意識から自分を支えて今日まで生かす、アイガーでもピアノで自死を止めてくれた。
そして今、山ヤの警察官たちが笑って「明日」の自分を言祝ぎ、たくさんの約束で未来を呼んでくれる。

―ありがとう、

感謝を心に抱きしめ端正に礼をする、その俯けた微笑から涙ひとつ足もとに笑って落ちた。




(to be continued)

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早朝日記:枯野、綴りゆく物語に

2013-01-24 06:40:00 | お知らせ他
夢、枯野にも息吹は、



おはようございます、とはいえ真っ暗な朝の神奈川です。
昨夜から今朝にかけて雪予報ですが、今は積雪などありません。
でも水道の水が冷たい、そんな季節感は目を覚まします。笑

第59話「初嵐K2・5」倍以上の加筆で校正が終わりました、今日はこの続編をUP予定です。
ちょっと予定より進捗遅い&長くなりそうですが、今回の光一ターンは仕方ないなあと。
たくさんの感情と記憶に生きた故郷・奥多摩から初めて離れ発っていく想い。
それは宮田と湯原の第59話より、向きあう時間も感情もあふれています。

この続編からは、湯原との時間がスタートします。
雅樹の愛した山桜をめぐる周太への想いに、初めて現実世界・警察組織で向かい合う。
その時間に山っ子は何を想うのか、そして幹部という立場からどう成長していくのか?
そんな始まりを描いていけたらなと。

朝一UPも今日、出来るだけ頑張りますね。

写真は近所の河原です。
枯れ尾花が山風にそよいでいく、冬のワンシーン。
もう命を終えようとする芒の姿、けれど斃れた後にはまた新芽が生まれます。
こんな自然の摂理にも人間の姿は見えて、第59話「初嵐K2・5」に光一が語る後藤の夢のようです。

青梅署山岳救助隊副隊長である後藤は、息子を亡くしています。
そのエピソードは第59話にて、宮田サイドと国村サイドの両方で語られている通りです。
1週間を共に生きた息子への夢、それは息子の死により消えて叶わぬ夢となりました。
けれど、この1週間があったからこそ後藤はトップクライマーの育成者の道を歩みます。
そして宮田と出会い諦めた夢は蘇えっていく、それは枯草が萌芽の温床になる姿です。
そんな後藤と宮田の夏は、第59話から始まっています。

この夏に宮田も大きく成長し、湯原も国村も時は動いて物語は動きます。
今リアルは冬ですが、孟夏の輝く人々の物語です。




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手紙補記:凍らす季節、睦月

2013-01-23 23:08:50 | お知らせ他
水が時を止める季は、



こんばんわ、冷え込んでいる神奈川の夜です。

さっき朝一短編「Lettre de la memoire、凍れる熱―side K2」加筆校正が終わりました。
光一が冬富士に寄せる想いの原点、雅樹との記憶を綴った物語です。
昼ごろUPした時より倍の加筆になっています。

タイトル「Lettre de la memoire」フランス語で「記憶の手紙」を意味します。
光一サイドの魅力にアンリアルと言葉を頂きましたが、その通りに過去と現在が交錯する光一です。
いま出遭う現実のビジョンに過去を見つめ、雅樹の言葉と眼差しを探して温められていく。
それは純粋な孤独です、けれど光一にとっての幸福は雅樹が全てだと満足しています。
そんな生き方を8歳の冬から続けた無垢の孤高が、光一の透明な輝きです。

いま本篇では24歳の光一が、故郷を発つ時を迎えています。
ずっと抱きしめてきた雅樹の残像、それは故郷の風景全てに見つめてきました。
幸福だった8年半の記憶、その全てに雅樹の笑顔は故郷に山に佇んでくれます。
そんな「故郷」から離れていく、その想いを第59話「初嵐K2」で描いている所です。

ちょっと「初嵐K2・5」の加筆に時間かかっていますが、今夜には終わる予定。
随時、徐々に加筆分UPしていきますので30分ごと物語は繋がっていきます。
描いていくライブ状態?になりますが、よかったらお付き合いくださいね。






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