萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第58話 双璧act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-30 23:43:24 | 陽はまた昇るanother,side story
明日へ、最高峰に約束を 



第58話 双璧act.4―another,side story「陽はまた昇る」

夏の陽ふる梢の向こう、蒼い富士が聳え立つ。
その山を肩にのぞかせて、雪白の貌は涙ひとつと微笑んだ。

「周太、聴かせてよ?俺が英二とえっちすること、本気で君は喜んでくれるってコト?…それが君の幸せになるって、本気で言えるの?」
「ん、幸せだよ?」

真直ぐ見上げて微笑んで、白い頬から涙を指で拭ってあげる。
そっと指へと絡まる温かな雫、その温もり微笑んだとき白い指が掌をくるんだ。

「ほんとうに君は綺麗だね?強くて眩しい…なにも変わってないんだね、初めて逢ったときから君は…本当にドリアードなんだね…」

涙とこぼれるテノールの声、微笑んだ唇が掌ふれてキスをくれる。
白い指にくるまれ薄紅のキスふれていく掌、その温もりと輝く涙に周太は微笑んだ。

「ん、そうだね…きっと光一の山桜のドリアードだよ?だから言うこと聴いて、俺のこと大切だったら言うこと聴いて?」
「何でも聴く、君と山と、あいつから離れること以外なら何でも…だから言って、ドリアード?」

ドリアード、そう「山の秘密」にくれた名前で呼んで、光一は泣いている。
その涙に15年の時を見つめて周太は、素直な祝福に微笑んだ。

「お願い、光一。英二との夜は、ずっと幸せでいて?大好きな人に抱きしめてもらう幸せを、一瞬でも無駄にしないで幸せでいて?」

どうか幸せでいて?
もし幸せでいてくれるなら、自分の今も泣けない涙は無駄にならない。
その想いごと真直ぐに透明な瞳と涙を見つめて、周太は綺麗に笑いかけた。

「最初の時はね、確かに怖くて不安で、痛いかもしれない…それでも幸せだけを見つめて?痛くても大好きな人を見て、信じて?
大好きな人に体ごと愛してもらう幸せ、少しも逃さないように、ずっと見つめて感じてほしい…お願い、光一。その夜はずっと幸せでいて?」

もし夜を幸せに過ごしてくれるなら、自分の傷みも意味があると想える。だから幸せに過ごしてほしい。
本当は今もう心は痛くて、英二に愛されるのは自分だけじゃなくなる現実が哀しい、独り占めが終わる瞬間が切ない。
そんな我儘な痛みがある。けれどもし2人が幸せで笑ってくれるなら、我儘も痛みも納得ができる、これで良かったと心から笑える。
どうかお願い、この祈りを叶えて?そう笑いかけ見上げた先で、秀麗な泣顔は頷いてくれた。

「うん、ありがとう周太…ごめんね、ゆるしてとか言えない、でも俺、どうしても英二が良い…ごめん、ね…っ、周太」

透明な言葉が泣いて、微笑んでくれる。
白い手に包んだ掌にキスをして、薄紅の唇は想いを言ってくれた。

「惚れた相手と見つめ合って、ふれあって、この体と心だけで繋がりたい…そういうこと本気で想えたの、あいつが初めてなんだ。
肩書も立場も無い、性別だって関係ない、生きた人間同士ってだけで愛し合ってみたい。ただお互いの体温を知りたい、融け合いたい。
本当はされるのって怖い、体のこと不安で…だけど英二が北壁で実績つけたら、そしたら俺の体すこし壊れても大丈夫って想って…だから、ね」

男同士で愛し合う事は、受身の方のリスクが大きい。
この身体的リスクはトップクライマーを嘱望される光一にとって、決して容易くないハードルだろう。
それを超えても光一は英二に愛されたいと望んでいる、その覚悟と切なさに周太は穏やかに微笑んだ。

「大丈夫、光一の体は壊れたりしない。英二は優しいよ、ちゃんと体も大切にしてくれるから、怖がらないで、ね?」
「うん…わかった、不安にならないようにする。それでね周太、…聴いて?…っ、」

言って、涙こぼれて声がつまる。
その涙と声に周太は歩み寄って、長身の幼馴染を抱きしめた。

「ん、聴くよ?ちゃんと全部聴くから、安心して話して?」
「うん…ね、信じて、ね…ぅっ、」

涙こぼし透明な瞳が笑ってくれる。
ひとつ息吐いて花の香こぼれだす、そして光一は15年の想いを告げた。

「初めて逢ったときからずっと、君を愛してる、今もだよ…ずっと君を待ってた、だから俺、えっちだって本当は一回しかしてない、
その一回はね、初めて同士じゃ君を傷付けるって思って、それで初体験を済ませただけなんだ…俺、君と結婚したかったんだ、本気で。
でも君は女の子じゃない、それでも君への想いは変わらない。だけど、男の君とは結婚できない、悔しいけど俺にはそれが赦されない。
だから、君の相手が英二で良かった、本当にそう心から想ってる…でも君が女だったら俺は、何をしたって君のこと取り戻してた、絶対、」

真直ぐに見つめてくれる瞳から、ゆっくり涙は止まずふる。
旧家の一人っ子長男に生まれて、早くに両親を亡くし祖父母に育てられた光一は「家」を捨てられない。
その責任感と痛みに光一は「男とは結婚できない」と隠さず告げてくれる、その誠実な真摯が愛しくなる。
愛しさに見上げる頬に涙ふる、その涙に濡れるまま見つめる周太へと、無垢の瞳は微笑んで真実を語りだした。

「君の山桜はね、雅樹さんが見つけて俺に教えてくれたんだ…小さい頃に雅樹さん、あの森で迷ってね。そのとき君に出逢ったんだ。
雅樹さん、あの山桜はドリアードが住んでるって本気で信じてたよ。その話をしながら赤ん坊の頃から俺を、一緒に連れて行ってくれた。
あの場所は俺と雅樹さんの秘密の場所なんだ。君の山桜を雅樹さんは本当に愛してた、あの木に逢う為にいつも奥多摩に来てたんだ。
だからね、雅樹さんが死んで、哀しくて逢いたくて、あの森に毎日通ってたんだ…あそこに行けば雅樹さん、来てくれるって想ったから」

告げられた真実に、そっと心が頷いて納得する。
なぜ光一が山桜に逢いたいのか、その二重の想いが伝わる。

…雅樹さんが、あの山桜を見つけて愛してた。だから光一は、あの木が大切で大好きで、護りたいんだね

光一が初めてアンザイレンパートナーに選んだ、美しい山ヤの医学生。
彼を光一は心から慕って、ずっと想い続けている。その想いは恋愛という言葉だけでは尽せない。
もう亡くなって16年、それでも尽きせぬ深い想いのなか、透明な声は懐かしむよう切ない幸せに笑いかけた。

「雅樹さんに逢えなくても、雅樹さんが恋した山桜のドリアードに逢えるかも?そう思って俺、毎日いつも山桜に逢いに行ってたんだ。
下草を刈ったり、幹の蔓を外したりしてね、山桜を手入れして可愛がって。そうしたらドリアードが俺に逢ってくれるって信じてたよ?
そして1年が過ぎて冬が来て、山桜に花芽がついた時だった、君があの山桜の下にいたのは。雅樹さんが教えてくれた通りの姿で、ね」

緑に輝く短い髪、あわい水色の服、小柄で華奢な少女の姿。
それが樹木の精霊ドリアードだと言われている、そしてあの時、自分は水色のウェアを着ていた。
あの頃の自分は女の子と間違われていた、その懐旧にすこし微笑んだ周太に光一は笑いかけた。

「俺ね、雅樹さんが亡くなって哀しくて苦しくて、もう人間のこと好きになり過ぎないって決めてたんだ。だから君に逢えて嬉しかった。
山桜の精霊なら、山の神さまなら、雅樹さんみたいに死んでいなくならない。たとえ普段は見えなくても生きてる、いつか逢ってくれる、
そう信じられるから俺は、君に恋したんだ。君は生身の人間だって解ってる、でも本当は山桜のドリアードだ、死んで離れることは無い。
だから離れている14年間も信じられたんだ、山桜が元気に花を咲かせるたびに君は生きてるって、いつか逢いに来るって信じられた、」

まだ9歳だった、自分も光一も。
まだ9歳の子供が14年を待ち続け大人になった、それは決して短い時間じゃない。
いま24歳を迎える自分たちにとって、14年と言う歳月は人生の半分以上を占めている。
その長い時を独り待ち続けていた光一の「雅樹」にまつわる想い、その一途な恋慕が周太のことも救おうとしてくれる。
生きて会ったことのない人、けれど自分を護ってくれる。そんな不思議な縁に微笑んで、周太は山っ子に問いかけた。

「雅樹さんのお蔭で俺は、光一と逢えたんだね?」
「だね…だからね、俺にとって君は救いなんだ、」

問いかけに、透明な声は応えて微笑む。
大らかな優しい笑顔で光一は、真直ぐ瞳を見つめて言ってくれた。

「出逢った日も君は、本当に楽しそうに俺の話を聴いてくれた。あの綺麗な笑顔が嬉しかった、純粋で温かで本気で好きになった。
見つめてくれる目が優しくて、寛げて。短い時間だったけど俺は救われたんだよ…だから俺、本当に精霊で神さまだって信じてる、今も。
君は山桜の化身ってヤツだ、ドリアードだけど人間の姿で今は生きている。いつか人間の命を終えても君は、あの山桜に還るだけ。そうだよね?」

真直ぐな言葉と見つめてくれる、この笑顔こそ美しく優しい。
そう見上げてしまう真中で、涙ゆっくり伝わせながら光一は困ったよう笑ってくれた。

「だから俺、英二が周太のこと愛しちゃってるの、納得なんだよね?だって英二はね、雅樹さんと全然違うくせに同じなんだよ。
英二って根暗だけど、雅樹さんは物静かでも明るかったんだ。でもね、真面目で思慮深くって優しくて、絶世の別嬪ってとこ同じでさ。
ふたりとも山を愛して、人の命を援けることに誇りを懸けてさ?同じように俺のこと支えて傍にいて、きれいな貌で笑ってくれるんだ。
そういう英二だからね、雅樹さんが恋した山桜のドリアードに恋して、惚れぬいちゃうの当然なんだ。相思相愛なのも当たり前だね、」

英二と雅樹、ふたりは似ていると誰もが言う。
いつも吉村医師のデスクで雅樹の写真を見る、そのたび自分もそれは感じる。
だから光一の言うことは頷けてしまう、そんな素直な肯定に微笑んだ周太に透明なテノールは告げた。

「雅樹さんのファーストキスは俺だよ、寝てる雅樹さんに俺が勝手にしちゃたんだ。でね、雅樹さん山の神さまとキスした夢見たんだよ?
それが俺にとって初めてのキスだ、その次は君だよ?今年の1月、あのときなんだ。初体験は済ませてもキスはとっておいたんだよ。
それくらい俺、本気で君を待ってたんだ。でも、もう終わらせるよ?…それでも、ずっと君を好きで、ずっと君を護ることは変わらない、」

想いを告げながら長い腕を伸ばし、そっと周太の背中に回してくれる。
ふわり高雅な花の香が頬撫でて、透明な瞳は無垢なまま綺麗に笑った。

「だから信じてよ?俺は英二に抱かれても、ずっと君を想い続ける。山の神と同じに山桜のドリアードを愛して、護り続けるよ?
人間としての恋愛は俺にとって英二だ、でも君は特別だよ。俺にとって君は救いで、いちばん綺麗で、いちばん護りたい大切な存在だ、」

そんなふうに自分を言ってくれる、そのことが素直に嬉しい。
けれど1つ確かめたくて、静かに見つめて周太は問いかけた。

「ありがとう、光一。俺にとっても光一は大切だよ、だから英二を任せたいって想えるんだ…でも、1つ訊かせて?」
「なに、周太?」

素直に笑いかけてくれる眼差しが綺麗、そう見つめながら周太は白い頬に掌を伸ばした。
ゆっくり伝う涙を拭いながら、微笑んでくれる透明な瞳へと周太は穏やかに笑いかけた。

「光一にとって、英二と雅樹さんは、同じ存在なの?」

ふたりは似ている、そう光一は言う。
だから確かめておきたい、英二は雅樹の「身代わり」なのだろうか?
それとも違う別箇の存在として、光一の心にあるのだろうか?それを聴きたい、そう見つめた先で透明な瞳は綺麗に笑った。

「全然違うね。雅樹さんは俺の最初のアンザイレンパートナーだ。そして英二は、俺の最愛で最後のアンザイレンパートナーだよ、」

ふたりは全く別だよ?
そう告げて底抜けに明るい目が笑い、光一は教えてくれた。

「雅樹さんは俺に山の夢を最初にくれた人なんだ。先生で、保護者でもあってね?憧れで大好きで、誰よりも尊敬して愛してるよ。
だけど英二は逆だね、俺があいつの先生だ。同じ世界に生きて、援けあっていく共犯者で…体ひとつで愛し合いたい、唯ひとりだ」

体ひとつで愛し合いたい、そう告げてくれる。
その願いが大切な伴侶のために嬉しくて、そっと周太は幼馴染を抱きしめた。

「ありがとう、光一。それならきっと大丈夫、英二と幸せになれるよ?…でね、ちょっと教えてくれる?」

嬉しくて、けれど気掛りなことがある。
そう見上げた先で明るい目が「なに?」と訊いてくれる、その素直な眼差しへ周太は率直に尋ねた。

「あのね、光一は男同士でするのに何が必要とか、ちゃんと解かってる?買ったりして揃えてあるの?」
「え、ないけど、ね?」

短く言って、雪白の貌が困ったよう首傾げこむ。
やっぱり準備はしていないらしい、微笑んで周太は幼馴染を四駆へと引っ張った。

「光一、お願い。薬局に連れて行って?ちょっと大きいお店の方が良いと思う、行こう?」

笑いかけ車に乗せて、カーナビで検索をしていく。
その隣、運転席で途惑った顔のまま光一は、ハンドルを捌き始めた。

「あのさ?薬局って…もしかしてえっち用品を買いに行くワケ?」

幾らか途惑った声で訊いてくれる、そんな様子がすこし意外で可愛い。
いつも大人の話で周太を転がして光一は愉しんでいる、それなのに初心な素顔が今、隠せない。
それが不思議にも想えて、気恥ずかしさと答えながら周太は訊いてみた。

「だって光一だけで行っても、英二の好みとか解からないでしょ?…ね、光一ってえっちな話が好きだけどえっちじゃないんだね?」
「ばれちゃったね、俺は耳年増なダケだよ?体は綺麗なモンだ、」

質問に、雪白の横顔が困ったよう笑って白状した。
やっぱり図星かな?そう見ながらカーナビのセッティングを終えると光一は口を開いた。

「山と畑で暇も無いしね?さっきも言った通り、俺は君にえっちすること楽しみにしてたけど、他は興味無かったんだ。
今だから言っちゃうけどね、君が男でも本当はえっちしたかったよ?周太だったらタチもネコもしたいなって、思ってたんだからね、
だから俺、一応は男同士でもナニするって解ってるし、前も言ったけど自分の指でちょっとしてみたしさ。周太のだったら平気だと思うよ、」

いま、すごいことを言われてるんじゃないのかな?

そう雰囲気で解かるけれど、単語の意味が途中よく解らない。
よく解からないままにも恥ずかしくて首筋は熱くなる、困りながらも周太はこの際、思い切って訊いてみた。

「そんなに想ってくれてありがとね?…でも、だったらなんで英二とするのは、そんなに考え込んでたの?」
「そりゃ決ってるよね、あいつがデカいからだね、」

さらっと答えてくれたトーンが、いつもの軽妙なトーンになる。
その楽しげな空気にすこし困らされそう?そっとパーカーのフードで衿元を隠した隣、綺麗なテノールは正直に訊いてきた。

「いつも風呂で見るだろ、でね、あんなデカいの入れられたらキツイだろって思ってさ。周太よく平気だなって思ってたんだよね。
あんなの入れるコツってある?あったら教えてよ、ほんと俺ちょっと自信なくって怖いんだよね。あのサイズでヤられるのは想定外だしさ、」

言われる言葉に頬までもう熱い、きっと耳も熱くなるだろう。
そんな自分に困りながら、幼馴染の元気になった横顔へと周太はすこし拗ねた。

「あのね、光一?ほんとうに訊きたいのもあるっておもうけど、半分以上は俺のこと転がして面白がってない?」
「違うね、真剣が2/3で悪ふざけが1/3ってトコだよね、」

しれっと訂正して、底抜けに明るい目が周太を見た。
その瞳の明るさに隠れた涙がある、そう感じとって周太は素直なまま笑いかけた。

「今はふざけて良いよ?でもね、英二と抱きあう時は100%真剣になって?英二を大好きって想って、いっぱい幸せを感じたら大丈夫、
英二のこと信じて、愛されたいって想えたら自然と体が緊張しなくなるから、ちゃんと英二のこと受容れられるよ?それがコツだと想う、」

告げた言葉に、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
綺麗な笑顔だな?そう見惚れた雪白の頬にひとつ涙こぼれて、透明なテノールが微笑んだ。

「いっぱい幸せを感じるね、俺。周太、やっぱり君のこと大好きだよ?俺のドリアード、」

そっと頬伝う涙に、フロントガラスを透かして夏の陽がきらめいていく。
その輝きに微笑んで、周太は綺麗に笑いかけた。

「ん、俺も光一のこと大好きだよ?見て、富士山すごく綺麗だね。あれより高い所に行くんでしょ?気を付けてね、」

言葉と一緒に見上げた秀峰は、蒼穹に白雲を靡かせて優雅に佇む。
フロントガラス拡がらす雄渾な蒼い山、その姿へと山っ子は綺麗に笑ってくれた。

「うん、気を付けて登るよ。心配しないでね、俺が英二のこと絶対に無事に登らせて、連れて帰ってくるから。信じて待っててね、」

ほら、英二の無事を約束してくれる。
この約束を光一は何があっても護るだろう、英二への深い想いのままに。
そうやって2人助けあって夢を叶えてくれたら、それが自分にとって希望の明りになる。

…俺の明日は解からない、でも2人が輝いてくれるなら、幸せに笑ってくれるなら本当に嬉しい、

大切な幼馴染で恩人の光一、そのひとが英二を支えてくれる。
もう大切なひとの幸せは約束された、それが自分を励まして温かいと今、素直に嬉しい。
この信頼と安らぎがあるから今、明日に怯えず微笑める。この勇気ひとつ嬉しいまま周太は、最高峰へと微笑んだ。



夜21時、やさしい旋律が流れだす。
赤い着信ランプの光に微笑んで携帯電話を開く、すぐ繋がる通話に大好きな声が微笑んだ。

「こんばんは、周太。今日は何してた?」

綺麗な低い声が問いかける、そのトーンはいつものよう優しい。
穏やかな深い声に微笑んで、秘密をふたつ隠しながら周太は答えた。

「こんばんは、英二…今日はね、買物に行って、荷物の片づけしてたよ?英二は今日は、どんなことあったの?」

今はまだ逢いに来たことは内緒にして欲しい、そう光一と約束をした。
今の英二は北壁の登攀を控えている、そこへ集中させてあげたいから言わない。
アルパインクライミングで最も必要なのは集中、だから今、余計なことを英二には話さない方が良い。
そう光一と決めて、むしろ話さなくて良いとも言ってある。なるべく英二の邪魔になりたくないと、愛情と意地が秘密を望むから。

…だから昨日と今朝のことも言わないでおこう、今は

昨日と今朝、現れた「あの男」のことも、今は言わない方が良い。
この話こそ最も英二の集中を散らしてしまうだろう、きっと心配をかける。
だから光一にも何も言わなかった、この秘匿の向こうから綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「今日は遭難事故も無くて、静かだったよ。久しぶりに岩崎さんと自主トレしたんだ、光一が用事でいなかったからさ。
あとな、秀介が夏休みの宿題を持って来たよ?周太に会いたいって、って伝言を預ったんだ。自由研究のこと聴きたいらしいよ、」

聴かせてくれる言葉から、懐かしい奥多摩の風景が見えてくる。
きらめく水の流れと静かな森、青い空と紺青色の星空、温かい笑顔。
どれにも会いたい、それに吉村医師に訊きたいこともある、そんな想いに周太は微笑んだ。

「俺も会いたいって伝えてね、休暇の予定が出たら行きたい…ね、英二は訓練の支度は出来た?」
「うん、さっき終わったとこだよ。あと携帯電話、スイスでもメールと電話と両方使えるから。ただ料金が高いんだ、」
「ん、下山の連絡は貰えたら嬉しいな、短い文で良いからね?…あとは帰国してからで、ね?」

これからの話をする電話の向こう、きっと心はアルプスの山を見ているだろう。
そんな想いと話す手許には、2冊の古い本と1冊の新しい本がデスクに置かれている。

Edward Whymper『アルプス登攀記』
Heinrich Harrer『白い蜘蛛』

この2冊は家の書斎から借りてきた、読み古された父の本。
この2冊には、これから英二と光一が向かう山を登頂した記録が綴られている。
ふたりが岩壁を登っていく時、この記録を読んで自分も心を重ねていたい。そんな願いに持ち帰ってきた。

…無事に夢の場所へ立って笑ってね、どうか幸せでいて…ふたり助けあって想いあって、

そっと心に祈りながら話す繋がれた電話の向こうへと、どうか「幸運」を贈りたい。






(to be continued)

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soliloquy 建申月act.1 Serment―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-30 05:30:05 | 陽はまた昇るside story
第58話「双璧2」幕間です

約束の場所で、



soliloquy 建申月act.1 Serment―another,side story「陽はまた昇る」

木洩陽ふる光は、昨日より眩しい。
ずいぶんと太陽が強くなった、もう梅雨も明け夏は暑さを増していく。
それでも木蔭ふく風は涼やかで心地いい、気持良さに目を細め、また膝の本へと視線をおとす。
英語で綴られた文章は遠い国の森を描いていく、その深い水の森を心に描きながら読んでいく肩に、綺麗な低い声が微笑んだ。

「周太、これは新しい本?書斎のにしては紙が新しいな、」
「ん、自分で買ったんだ…青木先生が奨めてくれて、」

答えと笑いかけた隣、切長い目が興味深そうにアルファベットを追いかける。
その視線の動きに気がついて見つめたとき、華やかな睫はあげられ笑ってくれた。

「これ、スイスの森のことだよな?俺が行く時に奨められたなんて、面白いな、」
「ん、でしょ?」

素直に頷いて微笑みかける、その心が少し切ない。
あと数日で英二は、スイスに岩壁登攀の遠征訓練に出掛けてしまう。
その危険な世界を自分は知っている、その心配と不安も当然あって哀しくなる。
それ以上に、単なる「距離が離れる」事への寂しさがどうしてもある。

…いつもだって奥多摩と新宿とで離れて、逢えないのに

離れているのは何時ものこと、それでも寂しい。
大切な人が海を隔て遠くへ行くこと、この海を超える感覚が自分にとって無い。
だから余計に不安にもなるのだろうな?ほっと小さなため息吐いた隣から、こつんと肩に頭を載せてくれた。

「周太、膝枕して?」
「え?」

言われたことに訊き返す、だってちょっと気恥ずかしい。
いま何て言ったの?そんなふう肩口を見ると、綺麗な笑顔ほころんだ。

「周太の膝で、ちょっと昼寝させてよ?木洩陽が気持いいし、ね、周太?」

綺麗な笑顔で笑いかけながら、周太の膝から文庫本を長い指が取り上げた。
ふわり、ダークブラウン艶やかな髪がキャメルブラウンのパンツの膝に広がらす。
そして膝の上、切長い目は周太を見上げ、白皙の貌は幸せに笑ってくれた。

「うん、いいな、こういうの。周太と木と空が、同時に見えるよ?」

嬉しそうに綺麗な笑顔ほころんで、長い指の手が文庫本を広げてくれる。
その文章を見ようとした頬に長い指がふれ、そっと引寄せられ唇にキスがふれた。

…あ、

温もりに唇あまく、ほろ苦い。
すぐに離れて見つめ合うままに、綺麗な低い声が微笑んだ。

「周太、また膝枕してね?家のベンチでもしてほしいな、」

実家の庭には、大きな山茶花の下にベンチがある。
頑丈で美しい木製のベンチは父が作ってくれた、その山茶花も父が植えてくれた。
あの白い花を想い、花木を植えた父の愛情へと周太は綺麗に微笑んだ。

「ん、してあげたい…あの花が真白に咲いた時とか、きっと気持いいよ?」

山茶花の名前は「雪山」11月の誕生日には咲き始める。
あの常緑樹を父が植えたのは、息子である自分の誕生花として。
あの木を植えながら、花言葉に息子への想いを父は籠めてくれている。
そんな想い佇んだ膝の上、大切な婚約者は幸せに笑って提案してくれた。

「周太、この本、俺が朗読しようか?」
「ん、いいね…お願い、」

素直に笑いかけた膝の上、微笑んで英二は文庫本を読み始めた。
綺麗な低い声が綴る英文は、明瞭な発音の美しい言葉で読まれていく。
静かな公園の午後、誰もいない森でふたりベンチに寛ぐ時間は優しい。
安らかな静謐の時、ふと誕生花の言葉が心に映りこんだ。

…山茶花の言葉は、運命に克つだったね?

父の祈りを想いながら今、夏の光のなか常緑の梢の下、幸せの瞬間は紡がれる。






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第58話 双璧act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-29 23:42:26 | 陽はまた昇るanother,side story
15年、今この想いを君に 

 

第58話 双璧act.3―another,side story「陽はまた昇る」

7月の朝は、訪れが早い。

7時半すぎの空はもう青くて、陽光の眩さに目が細くなる。
今日も良い天気なことが嬉しい、きっと奥多摩も晴れだろう。
シフト交換をした英二の今日は勤務日でいる、だから天候が気になってしまう。

…金曜日だとハイカーも多いよね、でもお天気なら遭難の危険も減るよね?

交番前、箒で掃きながら奥多摩の空を想う。
きっと今ごろ英二は青梅署警察医の診察室で、吉村医師の手伝いをしている。
いつものよう朝のセッティングを手伝って、コーヒーを淹れ2人向きあっているだろう。
そこに光一も加わっているかな、藤岡は柔道の朝練で忙しいかな?そんな考え廻らせる意識に、ふと気配が映って顔を上げた。

「おまわりさん、ちょっといいかね?」

気配の相手から声かけられ、周太はすこし目を細めた。
眩しさに細めた視界、ポロシャツ姿の白髪豊かな男が歩いてくる。
歩いてくる相手は自分と同じくらいの目の高さ、けれど逆光になって顔が見え難い。
それでも少し屈んだ影と声のトーンに老人だと解かる。きっと道案内かな?そんな予想と周太は微笑んだ。

「おはようございます、どうされましたか?」
「北新宿公園はどっちかね?」

時おり訊かれる場所を言われて、周太は胸ポケットからメモ帳を出した。
ページを開くと簡単な地図を予め書いてある、これは勤務時間の合間に描き貯めた。
その地図へと赤いペンでルートを書込むと、示しながら老人へと笑いかけた。

「こちらのガードを潜って、小滝橋通りを真直ぐ行きます。そうすると北新宿1の信号を渡って、大久保通りを左へ曲がって下さい。
ここからだと2kmほどなので幾らか歩きます、もし電車で行かれるのなら、次の大久保駅で降りられると500m位で着けますよ?」

地図を指さしながら教えて、老人に微笑みかける。
朝の眩しい陽光に逆光で佇んだ貌は分り難い、それでも真白な髪と眉が見えた。
その白髪にふと気を取られながらも周太は説明を終えて、老人へとメモを差し出した。

「よろしかったら、お持ちください。お散歩ですか?」
「はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね、」

老人は道具が入ったらしい袋を示し、周太の手からメモを受けとってくれる。
そのメモを眺め、感心したよう頷いて逆光の影から老人は微笑んだ。

「この地図、解かり易いねえ。ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね、」

褒められて、けれど言われたことに心で「違います」と答えてしまう。
そんな本音に困りながらも、周太は笑顔で老人に言った。

「ありがとうございます、お気を付けていらして下さい。試合、お天気で良かったですね、」
「はい、ありがとうね、」

シルエットのなか老人は笑って、踵を返すとガード下へと歩いて行った。
あのガード下は自分にとって意味深い、あの場所で14年前に父は「殉職」に斃れたから。
コンクリートと鉄骨で造られた父の逝った場所、そこを自分も昨秋から通り寮と交番を往復してきた。
そんな日々もあと10日ほどで終わる、その想い見つめる視界を老人がガード下へと向かっていく。

「…あれ?」

ふっと声がこぼれ、周太は瞳を細めた。
いま見つめる老人の背中、あの雰囲気に見覚えがある。
どこで見たのだろう?ごく最近の記憶から呼ばれた映像に、背筋を意識が奔った。

「昨日だ、」

昨日、自分はあの老人の背中を見た、術科センター射撃場で。

いま話しかけられても逆光で顔は見え難かった、けれど真白な白髪と眉は同じだった。
なによりも今、立ち去っていく背中の雰囲気が同じだ、スーツとポロシャツの違いはあっても空気は変わらない。
すこし前に屈むよう今は歩いている、昨日は真直ぐ背を伸ばし歩いていた、その違いはあるけれど空気は変えられない。

「…どうして?」

どうして、あの老人が今朝、自分に道を訊くのだろう?



扉を開いて鍵を掛け、ほっと息吐きながら周太は制帽を壁に掛けた。
いま寮の自室で独り、けれどこの場所にどれくらいプライバシーが自分に有るのだろう?
そんな疑問がゆっくり起きあがり、昨日と今朝の出来事に今の自分の現実が、正体を覗かせる。

…見張られている?ずっと、いつも

この新宿署でも、2回も署長に問いかけられた。
あの質問はどう考えても異様で、その疑念に本当は調べたいことがある。
それに署長がこの新宿署で話していた相手のことも、ずっと気になっている。
春4月、父の命日に署長が話していた40代位の闘志型体型の男、あの男は射撃大会で周太を見ていた。

…あの男は多分、SATの隊長か何かだ

なぜ父の命日に、SATの幹部と新宿署長が廊下の片隅、隠れるよう会話していたのだろう?
この疑問を想いポケットから携帯電話を取出して、画像フォルダーの保護ロックを開く。
すぐ画面に2人の会話する姿が映し出される、その次を開くとシルエットの映像が現れた。
ついさっき写したばかりの老人の背中、この姿に記憶が霞めてもどかしい。

…このひとを知っている、きっと

昨日の朝、術科センターの射場でも感じた。
この老人の背中を自分は見覚えがある、けれど思い出せない。
いつ、どこで、どんな会話をして、自分は見覚えたというのだろう?

「…ん?」

今、なにげなく「どんな会話をして」と自分は思った。
あの老人と自分は「会話」をしたと感じているのだろうか?
考え廻らせながらクロゼットを開き着替を出す、その聴覚の記憶に老人の声が蘇える。

―…おまわりさん、ちょっといいかね?…北新宿公園はどっちかね?
   はい、ゲートボールの試合があってね。ちょっと歩いて行ってみようかね…この地図、解かり易いねえ
   ちゃんと準備してあるなんて、おまわりさん優秀なんだね。仕事が好きなんだろうけど感心だね

気さくに響く声、けれど強さがある。
逆光でも感じられた穏やかな気配の笑顔は、優しかった。
あの話し方のトーンは誰かとも少し似ている、相手を褒めて認めて、心を開かせてしまうような話し方。

…あ、

似ている話し方の記憶に、心で声がこぼれた。
けれど淡々と洗面具と着替えを揃えて廊下に出ると、浴室でシャワーを使い着替えた。
すぐ戻って携帯電話と御守をカーゴパンツのポケットに入れ、左手首のクライマーウォッチを見る。
この時計をくれた人は今ごろ山を歩いているだろうか?そんな想いと部屋の扉を開き、周太は食堂に向かった。

…そう、吉村先生や英二と似てる、相手が信じたくなるような話し方、だね?

この2人に共通するのは山ヤで医療関係者だという点だろう。
吉村医師は警察医として遭難者や自殺者の遺族とも向きあい、留置人や警察官のカウンセリングを施す。
英二の場合は山岳救助隊員として遭難者の動揺を鎮静させ、また吉村医師と同様に遺族とも向きあっている。
この2人は話し方の雰囲気も幾らか似ている、そう思うとあの老人も医療や警察関係者と考えられるだろう。

…話し方からも裏付けられる、それに昨日も今朝もちょうど俺が居た時間に…

あの老人は警察関係者だ。
そう考えた方が辻褄が合いやすい、昨日と今朝が偶然と考えることは異様に思える。
記憶と事実から考え廻らせて、けれど笑顔で先輩たちに挨拶しながら食堂に入りカウンターに並ぶ。
その間もずっと顔見知りと他愛ない話をしながら朝食のトレイを受けとって、いつもの窓際に座った。

「湯原、おはよう、」

朗らかな声が聴こえて見上げると、同期の深堀が笑ってくれた。
今日の深堀は週休だから朝もゆっくりなのだろうな?そう推測しながら周太は微笑んだ。

「おはよう、深堀。今朝はゆっくりだね、」
「昨夜ちょっと寝たの遅くてさ、今日の稽古のプリント作ってたんだよね、」

話しながらトレイを周太の前に置いて、ワイシャツ姿が座ってくれる。
幾らか眠たそうでも充足した笑顔へと、周太は笑いかけた。

「あ、詩吟の?…今日って、外国の人向けの体験学習って言ってたね、」
「そう、英語とフランス語とドイツ語で、3カ国分だから時間懸っちゃって、」
「そんなに色んな国の人が来るんだ、すごいね?…深堀のお祖母さんって国際的なんだね、」
「本人は英語しか話せないけどね、あの年齢で詩吟の世界だとまあ、国際的な方かもね?」

話しながら互いに掌を合わせいただきますをして、箸を動かし始める。
味噌汁に口を付け、ほっと息吐くと人の好い笑顔がほころんだ。

「当番明け、おつかれさま。今日は特練無いんだ?」
「ん、そう。だから今日は、荷物の片づけしようって思って、」

段ボールを取りに行かないとな?
そんなことを考えながら微笑んだ向かい、すこし寂しげに深堀は笑いかけてくれた。

「異動、あと10日なんだね?寂しくなるよ、俺、」

そんなふうに言って貰えるのは、素直に嬉しい。
深堀とは初任科教養から一緒だった、その1年以上の時間に周太は微笑んだ。

「ありがとう、俺も寂しいな。でも七機って調布だから近いよ、また飲みに行くのとか誘って?」
「うん、声かけるよ。忙しいって言われても、誘うの止めないからね?」

気さくに笑って約束してくれる、その言葉が嬉しい。
嬉しくて微笑んで、ふとポケットの震動に気がついて周太は携帯電話を取出した。
赤い受信ランプの色に誰のメールかすぐ分かる、開いてみたくて周太は親しい同期に謝った。

「ごめんね、行儀悪いけど開いても良い?」
「もちろん良いよ、宮田から?」

すぐ言い当てられて首筋に熱が昇りだす。
そんなに自分は顔に出やすいのかな?羞みながらも周太は素直に頷いた。

「ん、そう…ありがとう、」

微笑んで礼を言い、受信ボックスを開いていく。
その画面に添付された写メールに笑って、周太は深堀に画像を示した。

「これね、英二の新しい車なんだ。四駆に替えるって言ってね、昨日が引き取りだったんだ、」

きれいなブロンズカラーの四輪駆動車が青空の下、映っている。
御岳駐在所の駐車場で撮ったという写真が嬉しい、だって今日も晴天だと解かる。
すこしでも山のリスクが減っていることが嬉しくて微笑んだ向かい、人の好い笑顔は携帯電話の画面を見てくれた。

「へえ、新車いいな…って何、BMじゃんこれ?あいつ新車で買ったの?」

驚いたよう画面を見、深堀の手が携帯の画面を指さした。
なにか変なのかな?解からないまま周太は訊いてみた。

「ん、買替って言ってたよ?お父さんの仕事関係で選んだらしいんだけど…なんか変なの?」
「いや、変ってわけじゃないけどさ?湯原、車にあまり興味無いんだ?でも工学部出身だよね、」

驚いたままの顔で訊かれて、周太は首傾げた。
確かに自分は工学部出身だけれどな?考えながら正直に答えた。

「車の構造とかは興味あるよ?でもブランドとかはあまり知らないんだ…この車、走り易そうだよね、」

思ったままを答えた向かい、人の好い顔がひとつ瞬いた。
そして何か納得したよう笑って、深堀は楽しげに言ってくれた。

「なんか湯原らしいね、そういうの。そういう湯原だから宮田、大好きなんだろな、」

そんなこと言われると気恥ずかしいです。

気恥ずかしくて首筋が熱くなってくる、きっとすぐ赤くなるだろう。
困りながら衿元に手をやって、そっとパーカーのフードで首を隠した。
その手元、また携帯が振動して画面を見ると電話の着信が表示されている。

「あ、ごめん深堀、」

着信人名に立ち上がり、周太は食堂の外に出た。
すぐ通話を繋ぎ耳元に当てる、その向こうから透明なテノールが微笑んだ。

「おはよう、周太。急にごめんね、」
「おはよう光一、どうしたの?」

答えながら少し心配になる、いま朝の9時過ぎと言う時間に緊張させられる。
今ごろ英二は巡回の時間だろう、そこで何かがあったのだろうか?
そんな心配をした電話の先、ひとつ吐息こぼれて光一が微笑んだ。

「アクシデントとかじゃないから安心してね?でね、今から周太、外に出れる?ドライブに付きあってよ、」

話してくれる声の向こう、低めたカーステレオと喧騒が微かに聞える。
その音たちに周太は廊下の窓に寄り、尋ねた。

「光一、今、新宿にいるの?」
「うん…」

短く頷いてくれる声が、どこか困惑に哀しそうでいる。
いつも明るい光一、それなのに今の雰囲気はどうしたのだろう?
すこしの途惑いと廻らす考えに、ひとつ思い当たりながら周太は穏やかに笑いかけた。

「光一、10分待っててくれる?すぐ寮から出るね、どこに行けばいい?」
「新宿署の裏で待ってる、ありがとうね、周太、」

さっきより微かに明るい声が言って、そっと電話が切れた。
なぜ光一が逢いに来たのか?考えながら周太は食堂に戻ると急いで食べ始めた。
そんな周太の様子に向かいから、人の好い笑顔が訊いてくれた。

「湯原、出掛けることになった?」
「ん、そう…慌ただしくて、ごめんね」

答え笑いかけながら、膳の献立を3分で周太は食べ終えた。
すぐ席を立ち深堀に「またね」と笑いかけて、下膳を済ませると部屋に戻った。
グレーのGジャンを出し、財布と文庫本をポケットに入れながらデスクに用紙を出して記入する。
そして登山靴に履き替えて廊下に出、施錠してすぐ廊下を急ぎ担当窓口で外出申請書を提出した。

「行先は富士五湖方面ですね、携帯電話の電源は切らないように、」
「はい、」

すぐ手続きを終え、足早に廊下を歩いて行く。
扉を開いて階段を下り通りへと出る、その視界に見慣れた四駆が停まった。
助手席の扉を開き乗込んで、シートベルトを締めながら周太は運転席へと笑いかけた。

「お待たせ、光一、」
「ううん、急にごめんね、ありがとう。」

透明なテノールが微笑んで、白い手がハンドルを捌きだす。
いつものよう四駆は走りだし、高速道路の方へと向かっていく。
やっぱり予想通りかな?そんなふう見た運転席の横顔は、どこか緊張に堅い。
その貌は自分が時おり鏡に見つめる表情と似て、何のために光一が逢いに来たのか解かってしまう。
その目的への覚悟に、そっと深呼吸ひとつで周太は微笑んだ。

…光一、覚悟するんだね?良かったね、

ごく自然に心が「良かった」と微笑んだ。
そんな自分の感情が嬉しい、そういう自分にも良かったと想える。
いつか来ると思っていたこと、そうあってほしいと願っていたこと、それが今から訪れる。

「あのさ…周太。俺がね、ずるいことしても許してくれる?」

躊躇うよう訊いてくれる声が、いつもと違うトーンにすこし沈んでいる。
この「ずるいこと」の意味はきっと予想と同じ、だから光一の想いも解かる。
そんなに緊張しなくても良いのに?微笑んで周太は頷いた。

「ん、いいよ。光一なら許してあげる、」
「うん、ありがとう。じゃ、遠慮なくね、」

雪白の横顔は笑って、白い手はハンドルを捌いていく。
その車窓はグレーの壁に変りだす、そして高速道路を四駆は走り始めた。
いつもなら会話が始まるだろう、けれど今は静かな時を求めているのだと解かる。
その気配に周太は、そっと指を伸ばしてカーステレオの「再生」ボタンを押した。

「光一、音楽聴かせて?それで俺、ちょっと寝ても良い?」

今はまだ静かにしてあげたい、そんな想いに提案と微笑みかける。
その視界に雪白の横顔はすこし振向いて、綺麗な笑顔で頷いてくれた。

「もちろん良いよ、シートすこし倒しなね。当番明けなのに周太、ありがとね」
「ん、ありがとう、」

笑って答えながら周太は、シートをすこし倒した。
持って来たGジャンを掛けて瞳を瞑る、そして旋律がゆっくり廻りだした。

……

 満たした水辺に響く 誰かの 呼んでる声
 静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫 
 手招く光のらせん その向こうにも 穏やかな未来があるの?

 Come into the light その言葉を信じてもいいの?
 Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

……

どこか幻想的なトーンの曲に、高く低くヴォーカルは謳う。
きれいで切ない旋律と歌、その雰囲気が今、隣で運転する人と似ているな?
そんな想いと微睡んでいく安らぎに、透明なテノールが低く歌い始めた。

……

 こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
 優しい調べの中を このまま泳いでたい 
 冷たい光の扉 その向こうにも 悲しくない未来があるの?

 Come into the light その言葉を信じてもいいの?
 Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

……

いま隣から聴こえる声に、心が惹かれて微笑んでいる。
透明な声はステレオのヴォーカルより静かで深い、そのトーンが自分は好きだ。
好きなトーンと声に微睡ながら微笑んだ隣、静謐の声は歌を紡ぐ。

……

 Come into the light 遥かな優しさに出会えるの?
 Come into the light 喜びに抱かれて眠れるの?
 Come into the light 争いの炎は消えたよね?
 Come into the light きっと夢のような世界…

……

優しいテノールの声に護られるよう、微睡に安らぎ眠りを漂う。
ゆるやかな時の流れのなか心地良い、眠り、すこし覚め、また眠りに安らぐ。
波のよう繰り返していく意識のたゆたいに揺れ、そうして車の動きが停まりテノールが笑いかけた。

「周太、ちょっと起きて、降りて見ない?」
「…ん、」

呼びかけに瞳を披いて、ひとつ欠伸すると周太はシートを起こした。
その視界へと、大らかな裾野ひく蒼い単独峰が映りこんだ。

「富士山、きれいだね、」

嬉しくて微笑んだ隣、運転席でシートベルトを外している。
同じようベルトを外し扉を開く、緑濃やかな空気が涼しく頬ふれた。
気持のいい空気に深呼吸してみる、その横から透明なテノールが笑いかけてくれた。

「もしかして周太、富士山に来るって解かってた?」
「ん…なんとなく、ね、」

正直に微笑んだ隣、雪白の貌が嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔が嬉しくて笑いかけた時、ふっと透明な瞳が寂しげに微笑んだ。

「周太。俺たち異動するんだ、第七機動隊の山岳レンジャーにね。俺は8月一日で、英二は9月一日だよ、」

告げられた言葉が意外で、驚くまま瞳ひとつ瞬かれた。
その話は初めて聴く、そう見つめた周太へと光一は教えてくれた。

「すこし前に決まったばかりなんだ、で、あいつはね?周太に伝えるタイミングは、結局のトコ俺に丸投げちゃってるんだよね。
あいつ忙しいんだ、俺が異動した後一ヶ月間は俺の代わりと後任者の育成をするからね、その準備もあるのに、北壁の遠征訓練もだろ?
しかも吉村先生の手伝いもある、青免も取らなきゃダメだしでね。英二が周太にちゃんと話せるのは、異動した後になるかもしれないね、」

すでに英二は青梅署で多くの仕事を持っている。
そこに引継ぎとパトカー運転免許の取得も加われば、忙しい。
そして遠征訓練も控えているのに昨日は、周太と逢う時間を作ってくれた。

…内山との約束もあったのに、それでも英二、俺とも逢ってくれたんだ

どんなに忙しくても、ふたり共に過ごせる時間をくれた。
その真心が嬉しい、そして光一がなぜ「今」逢いに来たのかもう解かる。
きっと今だからこそ光一は来た、そんな想い見つめる真中で幼馴染は切なく微笑んだ。

「俺、異動前に…北壁が終わったら抱かれたいんだ、英二に…上司と部下になる前に、対等なうちに抱かれたい、」

言葉に、心が瞬間とまる。

ずっと考えていた瞬間が今、告げられた。
このことを予想しながら光一の四駆に乗った、けれど息は止められる。

…英二はもう俺だけのものじゃなくなるんだ、ね…あの腕も胸も独り占めじゃなくなるね

そっと心に呟く想いに、泣けない涙が心の底に溜りだす。
それでも息は吐かれて微笑は蘇える、静かな想い微笑んで周太は言祝いだ。

「ん、良かった…きっとね、すごく幸せだよ、」

心からの想いが言祝いで、そっと心が温まる。
確かに切ない、けれどそれ以上の温もりに微笑んだ前、雪白の貌が苦しげに微笑んだ。

「周太、どうして…?」

顰めた眉、喘ぐよう息詰まらす薄紅の唇が痛々しい。
そんな貌しなくて良いのに?そう微笑んだ周太に透明な声は問いかけた。

「どうして罵らないんだよ…俺は、君の婚約者を浮気させるって言ってるんだよ?こんなこと言う俺のこと、もっと怒ってよ?
俺、自分が嘘つきになるの嫌で、泣きつきに来たんだ。こんなの卑怯だよ?解かってるだろ、俺は君を、秘密に巻き込もうってしてるね。
君のコト裏切る真似して、面倒な秘密まで押しつけるんだよ?…君の恋人を俺の体で、惑わせて…恋愛をねだろうって…なのに、どうして」

どうして?

そう透明な瞳が無垢に問いかける。
その瞳を見つめ佇んだ周太に、美しい幼馴染は哀しい声で訴えた。

「あいつと俺が恋愛関係になるなんてね、本当は赦されない事だ。これから上司と部下として警察の世界を生きるんだ、俺たちは。
司法の番人ってヤツが役職超えて恋愛沙汰なんざ、今の日本警察じゃ問題沙汰だね、こんな秘密バレたら俺もあいつも終わりだよ?
それに君も巻き込むんだ、君に嘘吐くの嫌だって、君にまで秘密を押しつけて…それでも俺、あいつが好き、で…あいつだけ、で…っぅ、っ」

見つめてくれる透明な瞳に、光あふれ頬を濡らす。
微笑んで見上げる向う、雪白まばゆい貌は静かに泣きだした。

「もう、あいつと離れたくない…でも1ヶ月離れるんだ、そのあとはもう…上司と部下だ、もう全部が対等じゃなくなる、だから…
今度、北壁を2つ俺と一緒に登ったら、俺とあいつは対等になれるよ?だけど…異動する前までだけだ、どこも対等って言えるのは。だから、
あいつが嫌だって言えるうちに知りたい、本気で抱くほど俺を好きなのか知りたい、でも…君を傷付けるんだ…ね、罵ってよ…俺を怒ってよ?
周太が本当に大事で…な、のに…っ、あいつに愛されたいよ、一瞬でもいいから俺だけ見てほしいって想ってる…でも君を泣かせるのは嫌だ」

蒼い最高峰の山を見上げる森、木洩陽に涙きらめいて零れていく。
その哀しい痛みへと掌を伸ばして、そっと白い頬の涙ぬぐうと周太は、心からの感謝に微笑んだ。

「光一は俺のこと、信じて待っていてくれたでしょ?あの森でずっと…それで俺の罪まで肩代わりしてくれて。それに比べたら、ね?」

14年間、光一は周太との再会を待ってくれていた。そして1月の森で周太が犯した威嚇発砲の罪を、光一は肩代わりした。
あのとき事実を上手に光一は隠滅して、それを命令したのは階級が上の光一だと決めてしまった。
ずっと待たせても応えられず罪まで共に背負わせた、それに比べたら秘密が何だと言うのだろう?
この想い素直なまま微笑んで、初恋で恩人への15年の想い籠めて綺麗に笑いかけた。

「秘密を背負わせてくれて、嬉しいよ?俺も一緒に秘密を背負えるんだって信じてもらえて、認めてもらえて本当に嬉しいんだよ?
なによりね、光一が幸せになろうって思ってくれたことが嬉しいよ?大好きな人と幸せな時間を過ごしてくれることが、嬉しいんだ。
しかもね、その相手が俺の大切な人で、光一がその人を幸せにしてくれるんだよ?ふたりがお互い幸せに出来るのなら、俺は幸せだよ」

ふたり、お互いに幸せに出来るのなら大丈夫。そう信じられることが今、嬉しい。
もう自分はどうなるか解からない、それが「今」この現実だと実感に気付いている。
昨日も今朝も現れた老人、あの老人がなぜ現れたのか?その推測が自分の運命を知らす。

…あのひとは多分、射撃の巧い警察官を見に来たんだ

真白な白髪と眉は高齢を示す。
練習日に術科センターに現れるのは、関係者。
仕立ての美しいスーツは権力を知らせ、組織での立場を教える。
そしてポロシャツ姿の擬態から、彼の隠したい意図の存在が垣間見す。
昨日と今日に見た現実への思考を廻らす前、秀麗な顔は眉を顰めて透明な瞳から涙をこぼした。

「周太…俺はね、周太が幸せじゃなかったら嫌なんだ。だから本当のこと言ってよ、俺のこと罵ってもいい…本音を聴かせてよ?
何か周太は覚悟してるよね?それって俺が英二とえっちすることだけじゃない、もっと他にあるね?だからそんなふうに言って…教えてよ、」

ほら、光一は気がついてしまう。
怜悧で明晰な頭脳と細やかな優しさが、こんなふうに核心に迫る。
けれど今、ふたつの北壁を控えている時に余計な事は考えさせたくはない。
その願いのまま周太は真直ぐ幼馴染を見つめて、心から嬉しい気持ちで笑いかけた。

「覚悟なら警察官になるって決めた時してるよ?それよりも光一、俺のお願いをちゃんと聴いて?英二を幸せにする約束をして?」

どうか約束を今、聴かせて?
そう笑いかけた先、透明な瞳は涙の向こうから微笑んだ。

「うん…君のお願いも約束も、聴かないなんて俺には出来ないよ?だって君は、俺の山桜のドリアードなんだ、唯ひとりの、」
「ん、俺は光一のドリアードだね?だから言う事きちんと聴いて、」

大好きな幼馴染に笑いかけて、綺麗な笑顔を見つめている。
そんな今の瞬間にすら現実は追いかけて、心で周太は呟いた。

…なんのために俺の所に現れたのかなんて、もう解かる、だから

昨日、今日、現れた「あの男」に無意識が予告する、この現実にはもう自分の明日は解からない。
だから今こそ願いたい、今こうして目の前にいる誰より頼れる人に祈りたい。
その想い正直に周太は、綺麗に笑いかけた。

「光一はね、どこでも英二と一緒に行けるでしょう?でも、俺には出来ないんだ。俺ね、ちょっと気管支が弱いみたいなの。
だから英二が夢見ている高い山とか雪の深い所は、俺が一緒に行くことは出来ない。そういうの英二は寂しがるところあるでしょ?
だから光一に英二と一緒にいてほしいよ?英二が孤独にならないように、ずっと笑ってくれているように、いつも一緒にいてあげてほしい、」

ずっと愛情を求めて乾き切っていた英二、その想いを自分一人では受け留めきれない。
本当は受けとめていたい、けれど現実に自分だけでは無理だと体質と立場に思い知っている。
だから補ってほしいと願いたい、それが二人の幸せになるのなら嬉しい、自分の事はもう構わない。
この今も約束の「いつか」を信じている、昨日も英二は将来の約束をくれた、けれど自分は明日も解からない。

―…周太が警察を辞めたら入籍しよう?俺の名字になってから大学院に行ってよ、俺の嫁さんとして夢を叶えてほしいんだ
   周太、約束して?辞職したらすぐ、俺の嫁さんになって下さい。そして大学院に入って樹医になってください

いつものベンチで重ねた時間と想いと、約束を全て信じている。
どの約束も叶えたい、英二の笑顔を見つめて共に生きていたい、そう願っている。
けれどもう「死線」は自分と背中合わせに立つ、そんな今だから確実な英二の幸せが欲しくて周太は幼馴染に願った。

「お願い、光一。英二を幸せにしてあげて?山でも、それ以外でも、英二が望む通り受けとめて?夜も独りにしないで抱きとめて?
光一も幸せに笑ってほしい。本当に大好きな人と抱きあって体温を感じ合うのはね、すごく幸せなことだよ?だから光一も幸せになって、」

どうか、あなたも幸せでいて?
あなたが自分を信じてくれる以上に、あなたの幸せを祈りたい。
祈りに笑いかけ見上げる真中で、富士の風に黒髪なびかせて光一が問いかけた。

「…周太、それが君のお願いだって信じていいの?」

名前を呼んでくれる透明な声が、木洩陽きらめく涙にとけていく。
ほら、こんなふう泣いてくれる純粋な山っ子、この心を幸せにしていたい。
そんな想い見つめる幼馴染の泣顔は、最高峰の秀麗な姿を映すよう気高く、清らかなままに優しい。







【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRUST」】


(to be continued)

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深夜日記:夕雲、朱と縹

2012-11-29 01:16:48 | 雑談
その日、最後の欠片を大地へと 



秩父の黄昏です。

神奈川からは正直遠かった、けれど行って良かった。
ひろやかな空に輝いた落陽は大きく、澄んだ大気に融けた光線が眩かったです。
あわい空の赤と青は、夕暮れのうすい靄に優しい色へと変わっていました。

いま、第58話「双璧2」加筆がほとんど終わりました。
明日また校正を少しします、で、続篇を夜にUPの予定です。

取り急ぎ、

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第58話 双璧act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-28 23:34:20 | 陽はまた昇るanother,side story
遺された想い、勇気を



第58話 双璧act.2―another,side story「陽はまた昇る」

今は夏、外は暑かった。
それでも温かい湯気が心地いいのは、隣とカウンター越しの人のお蔭。
そんな想い微笑んで見る視界、綺麗な低い声が楽しげに笑ってくれる。

「スイスってね、富士山より高い山ばっかりなんですよ。だから俺、日本の誰より高いところに行くんです、」
「そりゃあ豪気だねえ、さぞかし良い気分でしょうね?」

英二の言葉に、ラーメン屋の店主は楽しげに微笑んだ。
笑って話しながらも手許は動かしていく、その手捌きに見惚れる隣から大好きな声が笑った。

「そうですね、寒いですけど気持いいと思いますよ、」
「あ、そうだね、寒いよなあ?ちゃんと無事に帰ってきて、また話を聴かせに来て下さいよ?」
「はい、また来ます。きっと帰国したらね、おやじさんのラーメン食いたくなりますから、」
「お、嬉しいコト言うねえ?ぜひ来てくださいよ、その相棒の人にもサービスしますからね、」

笑ってくれる主人の声も貌も朗らかで、優しい温もりに充ちている。
こんな彼の姿を父も心から喜んでいるだろうな?そんな想いに見つめる彼の手は節くれ、火傷の痕がある。
ずっと懸命に働いてきた人の温かい掌、そんな手にはもう14年前に犯した罪は俤を消して、ただ優しく強く温かい。

…ね、お父さん、いま笑っているんでしょ?…あったかいご飯作って、英二と山の話してるの見て喜んでるね?

そっと心に問いかける俤は、涼やかな切長い目で笑ってくれる。
懐かしい眼差しに穏かなテノールの声が笑う、そんな想い見つめる視界にそっと丼が置かれた。

「はい、お待ちどうさま。いつものです、熱いうちにどうぞ?」

節くれた大きな手が丼を据え、どうぞと勧めてくれる。
その手の持主をカウンター越しに見上げ、周太は綺麗に微笑んだ。

「ありがとうございます、いただきます、」
「はい、どうぞ。熱いからね、気を付けてくださいよ?」

温かな笑顔で勧めながら、大きな手は皿を1つカウンターに置いてくれる。
こざっぱりした皿の上、彩豊かな野菜の炒め物は熱い湯気から香ばしい。
いつもの光景が嬉しい、けれど困りながら周太は中年男に微笑んだ。

「あの、いつも申し訳ないです、今日はお代を受けとって下さい、」
「なに言ってんだい?俺の勝手でやってることですよ、ちゃんと食べてくれたら嬉しいんですから、ねえ?」

いつものよう気さくに笑い、英二にも微笑んで主人は流し台へと行ってしまった。
またサービスを貰ってしまったな?困ったのと嬉しいのとで微笑んだ周太に、隣から婚約者は笑ってくれた。

「周太、喜んで食べたら良いと思うよ?きっとな、おやじさんにとって楽しみなんだから、」
「ん、…楽しみ、なの?」

素直に頷きながら割箸をとり、隣へ訊いてみる。
その視線の真中で、綺麗な笑顔は優しく目を細めて言ってくれた。

「おやじさん、家族が無いだろ?きっと周太のこと、息子みたいに可愛いんだと思うよ、」

あの主人が自分を息子のように?
そんな言葉に少し途惑う、あの主人と自分の本当の関係を思ってしまう。
あの主人は14年前に自分の父を殺害した、その罪に服役した後も償う意志に彼は生きている。

…殺害犯と被害者の息子、それが現実の関係なのにそう言うの?

このことを英二も当然知っている、それなのに?
そんな途惑いと、そして現在の英二の立場を想うと心がそっと痛くなる。
もう英二は分籍をして法律上は親族も無い、このことが店主の孤独を尚更に気遣わすだろう。
そんな切なさに端正な貌は穏やかに笑いかけ、率直なまま教えてくれた。

「後藤さんも俺のこと、息子みたいって言ってくれるんだ。でな、マンツーマンで訓練する時の目と似てるんだよ、おやじさん、」
「…そうなの、」

そっと答えて流し台の方を見る、その視線の先で主人の背中は広く温かい。
流し台に水音を立てて野菜を洗っていく、その肩も腕も働く人の逞しさが頼もしい。
父とは全く雰囲気が違う背中、けれど優しい大らかな温もりはどこか似ていて懐かしい。

…不思議だ、こんなのは…でも、

不思議だけれど、でも納得も出来る。
父が最期に見つめた願いは、この男が生きて償い幸せになる道だった。
その願いを真直ぐ受けとめるよう生きている、そんな店主なら父の願いを抱くまま似るのかもしれない。

…この願いも、この背中も、きちんと記憶したい。そして支えにしよう、

そっと心裡に見つめる覚悟に微笑んで、周太は野菜炒めに箸をつけた。
口に運ぶと程よい塩気と野菜の甘みが優しい、温かい味に微笑んで背中を見つめる。
あの背中が語ってくれる14年間は、父が命と誇りを懸けて守った「生命の尊厳」にまばゆい。
この輝きに肚の底から滲むよう想える、きっと父は「殉職」を自殺だけの手段にはしていない、そう信じられる。

父は、SATの狙撃手として生きていた。
その時間の中で父は「裁かれない罪」を幾度か犯している。
そのことを父の死後14年間に調べてきた新聞記事や、警察組織の事情が裏付けてしまう。
こんな現実に父は苦しみ、悩んだ涯に自責のまま「殉職」を選んでしまった、けれどその死には「誇り」もある。
そのことが今こうして見つめる働き者の背中に、明瞭に映し出されて心が温まっていく。

…お父さん、信じてるよ?お父さんは自殺の為だけに死んだんじゃない、そうでしょう?

噛みしめる野菜炒めの優しい味に、逝った父の俤と記憶が微笑んでくれる。
幼い日に父も休日の朝、こんな野菜炒めを朝食に作ってくれた。その幸せな記憶が今、味覚にふれていく。
こんなふうに幸福を辿らせる料理を作る掌は、きっともう14年の贖罪から清められている。

…ね、お父さん?これを信じたんだよね、赦されるってことを、

たとえ罪を犯しても償うことが赦される、そして生き直す希望がある。
そのことが今、噛みしめる味と温もりから実感のままに、優しく自分の現実にふれていく。
もうすぐ異動して、その先に自分は「裁かれない罪」を犯すことを科される場所に行くだろう。
それでも自分は父の息子として、父と同じ過ちは繰り返すことはしない。

そんな希望と覚悟には、目の前に姿を現しだす現実の扉すら怖いだけでは見つめない。
だから自分は強く想える、きっと自分は死なない、父のように殉職することはしない。
必ず生き抜いて、何があっても最後まで与えらえた命を全うすることを決して諦めない。
そうして「いつか」必ず約束を叶えて、自分の夢も叶えることを信じて、諦めない。

…お父さん、俺は向きあうよ?

そっと微笑んで隣を振り向く、その視線に切長い目が笑ってくれる。
あざやかに濃い睫の目は華やかで、けれど父の俤を映すよう切ない優しさが温かい。
この眼差しとの約束も叶えて幸せにしたい、そんな願いに周太は最愛の婚約者に笑いかけた。

「英二、これ美味しいよ?一緒に食べて、」
「ありがとう、周太。俺のも食べてよ、」

綺麗な低い声が笑って、長い指が皿を差し出してくれる。
その手には、メニューにはない五目あんかけ丼が熱い湯気を昇らせていた。
この湯気に嬉しくなって、嬉しいまま周太は恋人に微笑んだ。

「ん、これ英二の好きなのだね?メニューには無いけど…」
「うん、また俺用に作ってくれたんだ、旨いよ?」

笑いかけながら勧めてくれる丼から、レンゲでひとくち掬い口運ぶ。
醤油の香ばしい湯気と甘みが美味しい、嬉しく微笑んだ前に主人が戻ってきた。

「はい、これは兄さんのチャレンジに応援だよ?ささやかで悪いがね、」

笑って店主の大きな手は、皿を2人の前に置いてくれた。
そこに盛られたトマトの涼しい水滴に、綺麗に英二は微笑んだ。

「ありがとうございます、俺、トマト好きなんです。でも一番旨いのは、うちのひとが作ったトマトですけどね、」

うちのひと、そう言って英二は周太に微笑んだ。
そんなふうに呼ばれるのは気恥ずかしい、すこし困りながら見上げた先で主は楽しげに笑ってくれた。

「ご自分で畑、作ってるんですね?いいねえ、そういうのって幸せです、」

何げない返事、けれど言葉のひとつずつが温かい。
こんな何げない言葉たち、それでも、この男の口から聴けることが嬉しい。
そんな想いと見上げた男の貌は温かくて、ただ人の幸せを喜ぶ明るさは貴く、眩しい。



緑陰が、昨日よりも濃い。
公園を歩く道、深い森の翳は木洩陽と揺れて光に明滅する。
ふたり一緒に歩くのはいつ以来だろう?そう考えながら自販機の前に周太は立った。

「周太、今日はスポーツドリンクにしてくれる?」

綺麗な低い声に言われて、その通りに選んでボタンを押す。
冷たいペットボトルを取出し自分の分も買うと、青いボトルを英二に手渡した。

「これでいい?」
「うん、ありがとう、」

切長い目を微笑ませ受けとって、また小道を一緒に歩いていく。
肩ふれそうに寄りそい歩きながら、英二は今日の用事を教えてくれた。

「この後な、そこの医科大の病院で心肺運動負荷試験っていう検査をするんだ。それでカフェインとアルコールは駄目なんだよ。
2時間位の検査なんだけどな、終ったらディーラーに車を引き取りに行って、そのあと内山と飯食ってから青梅に戻るつもりなんだ、」

今日はそんなに忙しいんだ?
そう気がついて英二の多忙と想いに周太は、素直に微笑んだ。

「今日は忙しいね、なのに時間、作ってくれてありがとう…嬉しいよ?」
「周太こそ忙しいだろ?」

穏やかな笑顔が微笑んで、そっと指先に指がふれる。
平日の静かな公園、もう小道には誰もいない。そんな静けさに長い指は周太の手を繋いで、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「朝は特練で、このあと当番勤務だよな。異動の引越し準備もあるのに、ありがとう周太、」
「ん…だって逢いたいから」

素直な想い言葉になって、首筋から熱が昇りだす。
こんなストレートに言うことは気恥ずかしい、羞んで視線を落しながら周太はベンチに座りこんだ。
いつもの木蔭でペットボトルの蓋を開く、ふっと昇らすオレンジの香に微笑んで口つけると、ひとくち飲んで息を吐いた。

「ん、おいし…内山とご飯、ふたりで?」

質問する声にも冷たい柑橘の香は爽やかで、あまい香がほっとする。
その隣に長身は腰を下し、スラックスの長い脚を組みながら少しネクタイを緩めた。

「うん、なんか話があるって誘ってくれてさ、」
「あ…このあいだ新宿に送ってくれる時、電話で関根と話してたね?」

少し前の記憶を思い出し、周太は微笑んだ。
葉山に行った翌日、実家から車で送ってくれる途中カフェに立ち寄った。
あのとき、内山と飲んでいる関根からメールが来て、それを読んだ英二は電話を架け話している。

…あの会話だと内山、なにか悩んでいるみたいだったな?

その話をするのかな?
そんなふう首傾げた周太に、綺麗な低い声が教えてくれた。

「内山、いろいろ話したいみたいでさ。昇進試験のこととか、」

話してくれる衿元、あわい紫のストライプが綺麗なワイシャツは大人びて、濃いグレーに紫と白のネクタイも落着いている。
社会人らしい服装は端正な容姿と体格に映えて、大人の男だと雰囲気から伝わらす。
そんな婚約者に心裡、そっと嘆声が微笑んだ。

…やっぱり英二ってかっこいいな?

すっかり大人びた容子に、自分と同じ齢だと思うと不思議になる。
こういう格好をしても自分はどこか子供っぽい、だから高校生にも間違われてしまう。
ついさっきメールをくれた大学の友達だって、周太を高卒の社会人で二十歳前だと思っているらしい。
あの誤解はいつ解決するのかな?そんな考え少し可笑しくて、微笑んだ周太に英二は笑いかけてくれた。

「周太、この間のフィールドワークは楽しかったんだろ?」
「ん、すごく楽しかったよ、」

楽しかった記憶に即答して笑いかける、その先で綺麗な笑顔ほころんだ。
嬉しいままに周太は大好きな婚約者へと、先週末の時間を話しだした。

「あのね、ブナの純林に行ったんだよ?純林って一種類の木だけの林なんだけど、丹沢にはブナの純林は珍しいんだ。
堂平ってところにブナの純林があるんだけど、実生…種から生えたばかりの芽も多い林床だから、普通は入れないところなんだ。
でも今回は、青木先生の研究記録に立ち会わせて頂いたから、それで俺たちも一緒に入ることが出来て…すごく綺麗な森だったよ、」

翡翠色の木洩陽あわい、黒と白の斑な幹が描く森。
あの場所で見つめた夢と、その仲間との会話を想いながら周太は言葉を続けた。

「それでブナの森はね、その土地の気候によって樹皮の色とか違うんだよ?ブナの皮って本当は白っぽい灰色をしているんだ。
でも温かい地域では地衣類とかコケが繁殖し易いでしょう?だから丹沢のブナはコケ類が繁殖してて、黒っぽい斑模様なんだよ。
それでね、奥多摩のブナよりも丹沢の方が、肌が黒っぽくって…やっぱり標高とか寒さが違うんだねって、美代さんと言ってたんだ、」

この間のフィールドワークは、美代と存分に植物学の話を楽しめた。
そして同じよう植物学を見つめる友達も出来ている、その楽しい記憶に微笑んだ周太に、綺麗な笑顔は訊いてくれた。

「奥多摩の方が寒いから、白っぽいんだ?」
「ん、そうだよ。長野出身のひともね、地元の方が白いって言ってた…木曽の出身で、雪とか多いって教えてくれたよ」

あのとき手塚が教えてくれた記憶に、嬉しくなる。
来週の土曜日は手塚とノートの約束をした、その予定に微笑んだ周太に大人びた綺麗な笑顔は笑いかけてくれた。

「周太、友達が出来たんだ?」
「ん、そうなる、かな…?」

なんだか気恥ずかしいな?けれど嬉しくて素直に笑って答える。
どんな友達だろう?そう訊いてくれる切長い目に、周太は素直なまま口を開いた。

「手塚って言うんだ、学部の3年生で青木先生のゼミ生…土曜日の講座にも出ているらしくて、俺と美代さんのこと知ってたの。
俺のノート見て褒めてくれてね、奥多摩との比較が面白いから、手塚も木曽との比較をまとめてみるって…今度、ノート借りるんだ、」

同じ夢に懸ける友達が出来る、その予兆が温かい。
この予兆と見つめたブナ林の夢を聴いてほしくて、周太は穏やかに婚約者へと告げた。

「あのね、英二。俺、想いだしたんだ…朝のブナ林を散歩していた時、俺の夢のこと、」

14年前の自分が大切にしていた夢、その記憶をブナ林が取り戻してくれた。
こんな自分でも幼い日から見つめる夢があった、その喜び微笑んだ周太に大好きな人は訊いてくれた。

「どんな夢?」

期待と不安、ふたつながら見つめるよう訊いてくれる。
こんなふうにも英二は心を向けて大切にしてくれる、その感謝へと周太は幸せに微笑んだ。

「俺ね、樹医になりたかったんだ…お父さんと、お母さんと、新聞で樹医のこと読んだときに決めたんだ…樹医になろうって。
いつも俺、大きな木を見ると触るでしょ?あれをすると俺ね、いつも元気でるんだ…だから木に恩返ししたいって想ったんだ。
木が元気に生きるお手伝いが、樹医なら出来るでしょ?そうして俺が手伝った木が、他の誰かを元気にしてくれるかもしれない、」

父と約束をした「忘れても思い出す」ことが、きちんと出来た。
この想い嬉しいまま笑った周太に、英二は綺麗に笑いかけてくれた。

「周太らしい、良い夢だな。じゃあ周太は今、その夢を叶える為の努力が出来てるんだ、」
「そうかな?…英二、そう想う?」

本当にそう思ってくれる?そんな想いに切長い目を真直ぐ見つめた。
そんな周太に祈るような優しい眼差し向けて、英二は綺麗な笑顔で約束してくれた。

「そう想うよ。周太は今、植物学の勉強をしているだろ?大学で樹医の先生の講義も受けて、自分でも本を読んだりして。
いつも大学のこと話す時とか、本を読んでいる時の周太って幸せそうでさ。きっと周太の向いている道なんだろうって俺は思うよ?
お父さんのことが終ったら、周太は大学院に入ったら良いって俺は考えてる。学費とか俺が出すから、周太、考えてみたらどうかな?」

…俺が、大学院に?

心に反芻する言葉に、驚きと光が同時に湧きあがる。
周太には学者になってほしい、それは両親が願ってくれることだと知っている。
それを同じように英二も心から願ってくれるのだと、今告げられた言葉たちに伝わらす。

…本当に嬉しい、今だからこそ夢を見つめていたいから、尚更に

もうじき始まる狙撃手としての世界は「死線」、当然のよう辛い瞬間が多くなるだろう
そんな時間にはきっと、夢への希望は強靭な支えになってくれる。それを英二は理解して今、言ってくれた。
この深い信頼が嬉しい、そう素直に心温めた隣から婚約者は、約束で綺麗に笑ってくれた。

「周太、周太が警察を辞めたら、入籍しよう?俺の名字になってから大学院に行ってよ、俺の嫁さんとして夢を叶えてほしいんだ、」

…入籍、

ただ2文字の言葉、けれど大切な言葉が今、告げられた。
結婚する「いつか」のために婚約はしている、けれど結婚の時期を具体的に言われたのは初めてのこと。
この今の瞬間に呼吸を忘れて見つめてしまう、そんな思いの隣から綺麗な笑顔は幸せにほころんだ。

「周太、約束して?辞職したらすぐ、俺の嫁さんになって下さい。そして大学院に入って樹医になってください、」

この約束に頷いてほしい、素直に約束して笑ってほしい。
そんなふう願い見つめてくれる切長い目に、約束をしたいと願ってしまう。

…でも、本当にそんな日は来るのかなんて解からない、でも

自分が辞職する日、それを無事に迎えられるのか?
そんなこと何も解らない、それでも約束がお互いの支えになるだろう。
これから異動すれば離ればなれの時間を過ごす、その寂しさに約束はきっと温かい。
その温もりを積んでいきたくて、ゆっくり1つ瞬いて周太は約束に微笑んだ。

「はい、…約束するね?」
「ありがとう、周太、」

約束の承諾に笑った唇に、端正な唇ふれてキスをくれる。
心からの想いと祈りをこめたキス、この唇を記憶に真直ぐ刻みたい。

…どうか願いを叶えられますように、英二を幸せにするために、お父さんの約束のために

祈りを唇に残し合って、そっと離れて見つめ合う。
やさしい木洩陽ふる光のなか、白皙の端正な貌は穏やかに微笑んでくれる。
綺麗な笑顔で見つめてくれる恋人が愛しくて、気恥ずかしさに羞みながら周太は笑いかけた。

「ありがとう、英二…いますごくうれしい、」
「周太が嬉しいなら、俺もすごく嬉しいよ?」

嬉しくて笑いかけた先、幸せに英二が笑ってくれる。
ゆるやかな風の涼しい木蔭、端正な笑顔は穏やかに美しくて、そっと想い募らす。
この笑顔をずっと見ていたい、そんな言えない願いごとペットボトルを傾けて飲みこむと、周太は明るく微笑んだ。

「ん…おいし。冷たいものが今日はおいしいね、」
「うん、今日はすこし蒸し暑いからな、」

笑いかけてくれながらワイシャツの袖を捲り直す、その腕が少し太くなったよう見えた。
なめらかな白皙の肌を透かす筋肉のライン、端正な隆線に英二の努力が伺えてしまう。
この腕を鍛え上げた強靭な意志、それが英二を無事に帰らせてくれる。
そんな信頼を想う隣から、綺麗な低い声が笑いかけた。

「周太、その痣を出してくれるんだ?恥ずかしがらないの?」
「ん、…」

言われて、半袖の腕を自分で見つめる。
そこに刻まれた赤い花のような痣、この痣に想い刻んだ人へと周太は微笑んだ。

「ちょっとはずかしいけど、でもいいんだ、…だってこの痣、俺が英二のだってしるしなんでしょ?…いつもみえるとなんか安心だし」

いつも英二がキスで刻んだ、赤い痣。
去年の秋の始まり、卒業式の夜からいつも逢うごと刻んだ、キスの痣。
この痣への想いに首筋から頬へと熱は昇っていく、この含羞に微笑んだ肩に、そっと森の香がふれた。

「周太、」

呼ばれた名前に見上げて、切長い瞳と見つめ合う。
懐かしい眼差しと似て違う瞳、誰より見つめていたい目を記憶に刻みながら、そっと唇が重ねられた。
ふれあう唇の温もりと優しい感触、ほろ苦く甘い唇のキス。いつか逢える時まで忘れないように、そんな願いに恋人は微笑んだ。

「周太のキス、甘いな」

笑って離れた唇、もういちどキスふれて抱きしめられる。
いつもなら真昼のこの場所で、こんなことはしない、けれど今日この瞬間しかないかもしれない。
この今のベンチの時間が終わったら、もう再会の約束すら出来ないまま英二は、遠い遥かな高峰へ行ってしまう。
そうして英二が帰って来る頃に自分は異動する、その先はまだ何も予定が出来ない。

―逢える約束なんか何も出来ない、待っているとも本当は言えない…だから将来の約束が嬉しい、

さっき贈ってくれた約束が、今、こんなに心で温かい。
英二は約束を必ず守ってくれる、だから「いつか」を信じて時を待てる。
そんな想い微笑んだ唇はゆっくり離れて、切長い目が切なく笑って願いを告げた。

「周太、こんどは周太からキスして?」

言うこと聴いてほしいな?そう見つめてくれる切長い目に、自分こそ願いを告げたい。
この祈りに1つ瞬いて、大切な婚約者へと綺麗に笑いかけた。

「ん…あのね、英二が無事に帰ってくるって約束してくれるならきすしてあげます…マッターホルンからもアイガーからも、ね?」

マッターホルン、アイガー、どちらも三大北壁と讃えられるクライマーの夢。
この夢を記した2冊の小説を父は持っていた、それを自分はどちらも読んだ。
そうして知った「夢」の現実は、壮麗な輝きと危険に充ちた冷厳の美だった。

…本当に一歩、間違えたら死んでしまう世界なんだ

この夢に囚われた男たちは、もう幾人が山の死に斃れ逝っただろう?
その無数の死が眠る場所を超えに、英二と光一は共に海を越えて行ってしまう。
そんな現実が不安じゃないなんて言えない、怖くないなんて言えない、それでもひき止めない。

…だって、夢が大切だってもう、俺には解る。

もう自分も今、夢を抱いている。
植物学に見つめる幼い日からの夢、この蘇えった情熱は手離せない。
だから英二の想いも光一の意志も、誰よりも理解し受けとめ、支えていたい。
そんな願いに見つめて祈る向こう側、大好きな笑顔は綺麗に咲いた。

「うん、絶対の約束だよ、周太?どんな時でも、どんな場所からも俺は必ず周太の隣に帰る。約束する、だからキスして?」

必ず周太の隣に帰る、この約束を幾度ふたり交わしてくれたのだろう?
この約束を生涯ずっと交わし続けたい、もっと何十年もふたり見つめ合って約束したい。
その想いに瞳の奥が熱くなる、この願いが自分たちには本当は、難しい現実があると解かっているから。

…それでも約束してくれる、俺を求めてくれる

男同士で、しかも自分の家には何か事情がある。
その事情の全てをまだ自分も知らない、けれど英二は何かを知っている。
それを周太に教えてくれないのは多分、あまりに重たい現実があるからなのだろう。
その現実を背負ってでも変ることなく望んで、周太の隣に帰ろうとする。そんな優しい勁いひとは綺麗に笑ってくれた。

「周太、絶対の約束のキスして?」

ほら、また絶対の約束を贈ってくれる。
この約束をくれる美しい笑顔に幸せの全て見つめて、微笑んでそっと唇にキスをした。
ふれる森の香は懐かしく慕わしい、この香も心の底に深く綴じこめるよう感じて、そっと離れた唇は笑ってくれた。

「周太、必ず俺は、周太の隣に帰ってくるよ?」

どうか帰ってきて?

そう言いたいけれど言えない、それでも無事を待っている。
そのとき自分はどこに居るのか?その約束すら何も出来ないけれど、待っている。
このあと始まる「死線」の日々、その向こう側には穏やかな日があると信じて、歩きながら待っている。

どうか帰ってきて?あなたの隣でしかもう、自分の幸せは輝かないから。






(to be continued)

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秋日日記:晩秋の雨

2012-11-28 12:31:38 | 雑談
ひと雨、霜を呼び



こんにちは、曇りの寒空な神奈川です。
写真は御岳山にて。夜明けの雨が上がった朝、撮影しました、
蘇芳、深紅、朱、黄、緑青と全ての色彩をふくんだ一葉です。

いま第58話「双璧1」加筆校正が終わりました、当初の3倍くらいになっています。
北壁登頂に向かう宮田と国村を送る想いと、自分の夢を見つめ始めた湯原です。
この続編を今夜22時ごろまでにUPを予定しています。

あとsecret talk11「建申月」10と11も加筆校正が終わっています。

今朝は朝一UPが出来ず。
楽しみにして下さっている方いらしたら、ごめんなさい。

ちなみにですね、閲覧者数が10万超えました。
もう数日前だったのですが、遅ればせながら感謝のお礼を。

いつも読んで下さる方、通りすがりでも覗いて下さる方、ありがとうございます。
何かプラスになるものを、文章から感じて下さっていますか?それなら本当に嬉しいです。
いま連載中の小説は純文学で描いていますが、内容は多岐に亘っているかと思います。

警察小説、推理小説、恋愛小説、家族小説、そして山岳小説と学究小説。
そんな複層構造を、視点も主人公の宮田+相手の湯原と二方向から描いています。
この2人は性質も能力も真逆です、その対称形な観点から世界を見たとき、違う世界がそこにあります。
この2人のどちらに立って読むのか?で全く違う感覚があるかなあと思いますが、いかがでしょう?

こんなふうに、多岐のジャンルと二つの視点で物語は進んでいます。
どれでも好きなジャンルとして&好きな視点で楽しんで頂けたら、してやったりです。笑

どの部分+人物の視点が好きですか?






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第58話 双璧act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-11-27 23:43:43 | 陽はまた昇るanother,side story
祈り、その向こうから訪うもの



第58話 双璧act.1―another,side story「陽はまた昇る」

轟音、そして蒼い硝煙の煙。

斜め上方の視線の先に、標的は10点を点灯させる。
それを確認しながら匍匐の姿勢から身を起こし、片膝付きでブースの壁に背をつけた。
そのまま両目で的を捕らえた視線上、拳銃のサイトを突き出すように構え引き金を絞る。
轟音の後ふたたび標的は10点を示し、再び匍匐の姿勢に戻り拳銃を握る右手を構えた。
右片手撃ちノンサイト射撃、この操法を周太は大学時代から射程距離に関係なく使う。

普通、拳銃射撃では銃身の尖端にあるフロントサイトを照準に合わせ狙いを定める。
それを行う時間と手間を省くため、ノンサイト射撃は自身の視線上にサイトを合わせて狙撃を行う。
これは射程10mまでの近距離で用い、25m先の標的を狙うセンターファイアピストル競技では普通使わない。
それでも周太は距離に関係なくノンサイト射撃を使う、けれど以前はCP競技の規定に準拠した姿勢が多かった。
でも、もう今は「規定」通りばかりで練習していられない。

…もうすぐ現場に立つんだ、そうしたら姿勢なんて現場次第だ

心よぎらす近い未来への想い、それが様々な姿勢からの狙撃を訓練させる。
いま標的を見つめながらも想いは廻ってしまう、それでも右手は正確に動き両目に標的を補足する。
銃身はぶれることなく真直ぐ狙うがままに、ふわりトリガーは弾かれて10点が点灯した。
もう何も考えなくても右手は動き、視線は容易く標的をロックオンしてくれる。
こんなふうに動いていく自分の体が頼もしく、そして哀しい。

『生命を奪う掌には、生命にふれることは赦される?この掌の運命に自分は、どのように向き合えばいい?』

10点が灯る標的を見つめながら、心に問いかけは廻る。
この解答をずっと自分は探してきた、そして今、ようやく解かりかけているかもしれない。
フィールドワークで見つめたブナの純林の世界、あの場所に息づく全てが自分に応え始めている。
いま立っているのは術科センター射撃場、拳銃発射の轟音が響き蒼い硝煙は嗅覚から突き刺していく。
それでも自分の心にはブナの森からずっと、懐かしい、深いテノールの声が聞こえて途切れない。

―…誰かを元気にするために生きるのは、本当に綺麗なんだ。周はその為に樹医になろうとしてるね、それは立派なことだよ
   きっと立派な樹医になれるよ?本当に自分が好きなこと、大切なことを忘れたらダメだよ?諦めないで夢を叶えるんだよ

懐かしい父の声と夢は、丹沢のブナ林に甦った。
大学の公開講座で行ったフィールドワーク、その朝に佇んだブナの森で見た、梢ふる虹の雫。
あの雫に映った懐かしいワーズワスの詩、その詩に宿る父の声が引金になって夢は目覚め、もう心に温かい。

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

私の心は弾む 空に虹がかかるのを見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に死を!
子供は大人の父
われ生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを

幼い日に幾度も読み聴かせてくれた優しいテノール、cut glassの発音、大好きな父の聲。
この詩を謳う父の想いと祈り、そして自分の願いは二度と心から離れることはない。

―…人の命は短いけど、もっと強い命を援けることも出来るんだね?それが樹医なんだろうね…僕、樹医になるよ。
   きっと難しいだろうけど頑張る、諦めない、もし忘れても絶対に想い出すから大丈夫。約束だよ?

幼い自分の声が、心深くから語りかける。
この声が教えてくれる、この掌の運命をどう動かすべきなのか?

…約束を叶えるんだ、大丈夫…もう何があっても忘れない、諦めない

父との約束を、必ず叶える。
この決意はもう、心と意識の深い底から熱く温かい。
この夢を見つめて自分は生きていく、だから今この掌に拳銃を操っても迷わない。
この想い真直ぐ見つめながら周太は立ちあがり、最後の標的を規定通りの姿勢から正中を撃ちぬいた。

「…ん、終り、」

微笑んで右腕をおろし、シリンダーから空薬莢を抜いていく。
きちんとケースに納めて数を確認すると、イヤーマフを頭から外しながら周太は振向いた。

「…ん?」

視界の端、映りこんだ姿に意識が止められる。
視線を動かさないで見つめる先、白髪ゆらしたスーツ姿が遠ざかっていく。
その真白い頭が動いた軌跡の残像に、周太は心裡に首を傾げた。

…あのひと、俺の方を見ていた?

なぜ、自分の方を見ていたのだろう?
考えながら記憶のファイルが捲られて、現在の警視庁幹部の顔写真が浮んでは消える。
練習日の今日は警察関係者以外の入場は無い、そしてあの白髪なら65歳以上だろう。
あの年齢でこの場所に今日、来るのは警視庁幹部と考える方が自然だ。
それなのに記憶に綴った警視庁幹部のファイルに該当者はいない。

けれど、見覚えがある。




白い雲がまばゆい。

陽射しふる歩道、見上げる空は青く晴れ渡る。
明るい陽光は半袖シャツの腕に暑い、けれど歩いて起きる風が涼やかに感じさす。
この4時間後には当番勤務へと就く、だから制服のままの方が楽かもしれない。
けれど今から逢う人の前では、出来るだけ私服姿でいたくて着替えてきた。

…英二には普段着の俺を憶えていて欲しい、今日の次はいつ逢えるか解からないから…

今から英二に逢える、3時間を一緒に過ごせる。
この3時間が終れば3日後、英二はスイスへと遠征訓練に行ってしまう。
そして帰国する頃にはもう、自分は第七機動隊銃器対策レンジャーへと異動している。
そうなれば休暇もいつ取れるのか解らない、だから今日の次はいつ自分を見つめて貰えるのか解らない。

「これを着ている周太を連れて歩きたいんだ、」

そんなふうに英二は言っていつも服を選び、贈ってくれる。
だから着ている姿で逢いたくて、今着ているシャツもデニムパンツも靴も、少しでも喜んでほしくて着替えてきた。
こんな望みも英二が願ってくれるのなら大切にして、逢っている瞬間をひと時でも多く幸せに近づけたい。
それに今回の遠征訓練は普通の「訓練」とは言えない、そのことをもう自分は知っている。

…英二も光一も言わないけれど、マッターホルンもアイガーも北壁は、

三大北壁の内、2つに英二たちはアタックする。
この北壁について書かれた本を、家の書斎から持ってきて読んだ。
山を愛した父が遺した2冊の本、それは2つの北壁を初登頂したクライマーの手記になる。
それぞれ140年前と70年前に著された記録たち、もちろん彼らの装備は現代とまるで違う、それでも危険は変わらない。

…装備は違う、でも山は変わっていないんだ

気象や地形は経年変化もしているだろう、けれど厳しいことは何も変わっていない。
むしろ温暖化の影響で岩壁が脆くなっているという、そんな現実が本当は不安で、怖くて苦しい。
不安で苦しくて心配で、それは日が迫るごと心を重たく濡らしてしまう。けれど、そんな本音は見せたくない。
英二が向かう「北壁の踏破」がクライマーに何を意味するのか?それを示すよう父の本には幾度も読んだ跡が刻まれているのだから。

…この訓練は英二の夢なんだ、だから絶対に止めたくない、

三大北壁を踏破することは、クライマーにとっての夢。
そのことが父の本から解った、ページを幾度も開いた痕跡と記された登山家の想いに読みとれた。
だから自分は止めない、本当は「行かないで」と言いたくても、同じ男として英二の想いは解かるから止めない。
もしも本気で望むなら危険を冒しても追いかけたい、その情熱は男にとって幸福な夢だと解かるから止めたくない。
そんな理解は自分が同性だからこそ出来る、そのことを誇りたいから止めない。

それに、信じている。
英二とザイルを組むのは光一、だから信じられる。
ふたりの繋がりはアンザイレンパートナーだけじゃない、それ以上に強く繋がれている。
だから大丈夫、英二は光一と援けあい巨壁を登頂出来る、そして夢を叶えて山頂に笑顔は輝くだろう。
いま自分が歩く場所から遥かに高く広い世界で、なにより大切な笑顔は幸せに咲いてくれる。
それこそが自分の望む姿だから、ふたりを信じたい。

「…ん、笑って送ろう?」

そっと呟いた独り言に、これからの3時間へ覚悟を見つめ直す。
ひとつでも多く英二に笑ってもらいたい、それにはどうしたらいい?
そんな考え廻らせながら歩いて駅に着き、いつもどおりに花屋を覗きこんだ。
やわらかなアイボリーの店内から彩やさしい花々は迎えてくれる、その一輪ずつへ周太は微笑んだ。

「きれいだね、みんな」

優雅に咲いた夏薔薇は香り高く、元気な向日葵の黄色はまぶしくて、あわい紅色の秋桜がもう涼しい。
撫子の華奢なブーケは可愛くて、白百合は清らかに芳香をこぼし、桔梗の青紫いろ凛と端正に清々しい。
穏やかで優しい花の空気は心を和ませてくれる、いつものよう寛ぐまま素直に微笑んだとき優しい声が迎えてくれた。

「こんにちは、今日は早いのね?」

落着いたアルトに顔をあげると、いつもの女主人が笑いかけてくれた。
ふわりと彼女が醸す、穏やかで清楚な気配が嬉しくて、気恥ずかしさと一緒に周太は微笑んだ。

「こんにちは、ちょっと時間があったので寄らせて貰って…今日もみんな綺麗ですね、」
「でしょう?君はどの子が気になるかしら、」

嬉しそうに笑って彼女は、いつものよう質問してくれる。
こんな「いつも」が素直に嬉しくて、すこし考えてから周太は華奢なブーケを指さした。

「この白い撫子が気になります、可愛いのに凛としていて、すてきだなって、」
「私も、その子が今日いちばんの美人だと思うわ、」

深いアルトが微笑んで「その子」と花を呼んでくれる。
その笑顔の温かい美しさが嬉しくて、周太は笑いかけた。

「撫子、家の庭にも咲くんです。このブーケと同じに白と赤と、うすい紅色と、」
「素敵ね、撫子のお庭。この子の花言葉は知ってる?」

穏やかなトーンで愉しげに訊いてくれる。
その質問に記憶を辿らせて、幼い日に父から教わった言葉を口にした。

「純愛…ですか?」

言って、気恥ずかしくなって首筋が熱くなっていく。
こんなこと言うのは照れてしまう、困りながら首に掌当てた周太に彼女は笑いかけてくれた。

「当たり、あと勇敢って言葉もあるのよ。撫子は強い花だから、似合うでしょう?」

勇敢と純愛。
この2つの言葉に周太は、可憐な白い花を見た。
華奢で嫋やかな細い茎、繊細な縁どりの薄い花びら、あまい優しい香。
どれもが細やかに可憐で強さから遠く想える、けれど、この花は夏の炎天にこそ咲く強さがある。
そんな本質に「勇敢」という言葉を見つめて、ゆっくり花に想いが廻りだす。

…繊細できれいなものって勇敢じゃなかったら守れない、恋愛もきっとそう、

大切な英二への恋愛は、なにより綺麗で温かい。
この想いが輝く時は、英二にまつわることを「幸せだ」と感じる瞬間でいる。
それならば、想いを美しいまま見つめるのなら、この恋愛の全てを幸せと喜ぶことが輝きになる。
そんなふうに全ての時を喜びに捉えることは、心に強い覚悟と決意が無かったら出来ない。

…でも出来る、だって英二が生きていてくれるから感じられる事なんだ、

もしも英二が生きていなければ、喜びもなく哀しみも無いだろう。
哀しいと沈む瞬間も、辛いと泣きたい瞬間も、全て「英二」が居てくれるから。
どんな時でも何があっても生きていてくれるなら、それだけで嬉しいと自分は想えるはず。
あの3月に起きた鋸尾根の遭難事故、あのとき自分は一夜に哀しみも感謝も見つめたのだから。

…大丈夫、俺はすこし強くなってるから、ね?

きっと今回も大丈夫、自分は笑って英二を北壁へと送りだせるだろう。
そうして今、この心に抱いている覚悟も決意も「勇敢」と言えるようになる。
こうして少しまた強くなって英二を、そして光一も支えていきたい、ふたり夢の場所で輝いてほしいから。
ずっと幼い日から光一は離れていても周太を想ってくれた、そして再会に護り続けると約束をして罪まで背負ってしまった。
そんな光一の想いには全て応えることが出来なくて、それでも光一に幸せになってほしいと心から祈っている。

…光一に幸せになってほしい、出来る事なら何でもしてあげたい

ずっと光一が願ってくれた「周太との恋愛」だけは、どうしても叶えることが出来ない。
それでも今これから出来る事がきっと廻ってくる、そのときは今までの感謝と想い全てで応えたい。
大切な婚約者と幼馴染、この2人には幸せでいてほしい。そんな願いのまま素直に周太は女主人へと笑いかけた。

「撫子の花言葉…どちらの言葉も似合いますね?勇敢じゃなかったら、きっと恋愛は出来ないから、」

言った言葉に、きれいな瞳ひとつ瞬いた。
すこし驚いたような女主人の貌が不思議で、首傾げてしまう。
何か変なことを言ったろうか?そう困りかけたとき彼女は朗らかに笑ってくれた。

「ええ、その通りだわ。恋愛は勇敢じゃないと、きっかけすら掴めないものね?」

笑ってくれる瞳は明るい、その明るさが嬉しい。
嬉しくて笑いかけながら、けれど白い壁の時計に気付いて周太は頭を下げた。

「あの、今日もお邪魔しました、ありがとうございました、」
「こちらこそ、今日もありがとうございました。楽しかったわ、また来てね、」

本当に楽しそうに笑ってくれる、その笑顔を記憶の絵と重ねてしまう。
幼い日に父と読んだ絵本に描かれた、花々に囲まれた女神の慈愛に満ちた笑顔。
あの頃も懐かしく慕わしいと想った笑顔へと、綺麗に笑いかけて周太は踵を返した。
往来の交錯を歩いて改札口の前に着き、左手首のクライマーウォッチに時間を確認する。
まだ約束の時間には5分はある、安心して壁に凭れたときポケットの携帯電話が振動した。

…英二かな?

遅れる、そんな連絡だろうか?
英二は今日の非番を利用して、大学病院で用事があるため新宿に来る。
その前に青梅署警察医の吉村医師を手伝うと言っていた、この仕事に時間が掛かったのかもしれない?
そんな想いと携帯電話を取出し画面を開いて、けれど予想外の送信人名に周太は微笑んだ。

「ん、手塚だ、」

東京大学農学部3年生で、周太が聴講生でいる森林学講座の仲間。
この新しい友人からのメールが嬉しい、嬉しい気持ち素直に微笑んでメールを開封した。

From  :手塚賢弥
subject:ノート
本 文 :おつかれさま、来週の講座は出席する?
     ノート出来たから持ってくよ、講義の後で渡せばいいかな?
     昼飯一緒しながら見てもらえれば、質問その場で答えられるし。どう?

嬉しい文章に、楽しみがまた1つ生まれる。
すぐに返信の画面に切替えて、周太は返事を綴り始めた。

T o  :手塚賢弥
subject: Re:ノート
本 文 :おつかれさま、ノートありがとう。来週の講座は出席します。
     昼ご飯、そう出来たら嬉しいです。青木先生と小嶌さんも一緒してもらって良いかな?

返事と提案をまとめて、送信ボタンを押す。
その手元に時計の文字盤を見、改札へと視線を投げた。
まだ2分も約束の時間まである、長い2分に感じてすぐ携帯電話は再び振動して、画面を開いた。

From  :手塚賢弥
subject: Re:Re:ノート
本 文 :もちろん一緒してほしいよ、ノートにご意見欲しいんだ。よろしくな、

短い一文、けれど手塚の想いと夢が伝わってくる。
きっと自分や美代と同じに森林学を見つめて、真剣に向き合い学んでいく。
そんな意思が感じられる文面に、綺麗に笑いかけて周太は短く返事した。

T o  :手塚賢弥
subject: Re:Re:Re:ノート
本 文 :ありがとう、楽しみにしてるね

本当に楽しみだな?
そんな想いと携帯電話を閉じて、改札口に視線を向けた。
その視界をダークブラウンの髪ゆれて、長身のワイシャツ姿が歩いてくる。

「あ、」

うれしくて笑顔と声がこぼれだす。
もうじき自分の隣に帰ってきてくれる、その想い綺麗に笑った向う切長い目が周太を見た。

「周太!」

名前を呼んでくれる綺麗な低い声、その透る声に道行く人が振向く。
そんな衆目の中心を英二は通り抜けて、すぐ周太の前に立って笑いかけてくれた。

「おはよう、周太。待たせてごめん、でも周太が待っててくれる姿、嬉しかったよ?」

綺麗な笑顔で話しかけてくれる、その幸せそうな貌が嬉しい。
嬉しい想い見上げていると、指先にそっと長い指がふれて周太はひっこめた。
きっと手を繋いでくれようとした、本当は嬉しいけれど今は困りながら微笑んだ。

「うれしいって言ってくれるの嬉しいんだけど、大声でよばれるのはずかしいよ…あとてをつなぐのいまはだめです」






【引用詩文:William Wordsworth『ワーズワス詩集』】


(to be continued)

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本篇補記:変貌、霜月の色彩

2012-11-27 09:01:54 | 解説:人物設定
幻、うつろい不変へ 



本篇補記:霜月の色彩

写真はこのあいだの土曜日@御岳山です、ココンとこ奥多摩によく行っていますね。笑
朝霧に白くけぶる深山にうかんだ、彩色豊かな楓の一木です。
黄、朱、紅、うつろっていく楓の梢、その幹に紅一点あざやかな紅葉ひとつ。
この一枚に気付かず自分、撮影していました。で、帰ってきて見て、想定外な。驚
望遠レンズで撮っていると、コンナふうに気付かず撮影してたって自分はあります。

第58話「双壁」+secret talk11「建申月」が終わりました。
三大北壁のうち2つを廻る物語は14話と12話で合計26話、今まで最多の話数になります。
文字数で言うと「双壁」は12万文字ほど、「建申月」3万5千文字程で、合計15万文字超です。
ストーリー主幹は本篇・第58話「双壁」のみでOKですが、感情変化の細部を描くため短篇・secret talk11「建申月」を書きました。

分岐点のターンな為に長かったですね。笑
ふたつの北壁完登によって宮田と国村の立場と関係が公私とも変化するシーンでした。
ふたりは「山」が最大の絆です、その絆「山」を職場にしている故の立場と感情の変化が宮田・国村コンビのポイントです。
こうした公私を綯い合せて続く関係性は、社会的立場と公的生活を主とする男性同士ならではの特徴だと思います。
いまの日本社会の考え方として、男性は家庭を護るために社会に出るという選択肢が一般的で、性質的にも適合するケースが多い。
そうした現実に於いて同じ公的社会に所属する男同士が私的に深い関係を築く、そのリスクとメリットが宮田&国村コンビにあります。

ふたりの場合は警察組織と山岳界、2つの公的社会に於いてパートナーとして公認されています。
この公認がある故に2人の個人的感情と私的関係は、容認されやすい面と否認される面といった両極端の2面があります。
お互いに親友と認め合うことは当然、容認されます。けれど恋愛関係は不純交友のよう捉えられる現実が今の日本社会です。
そうした「常識」は時代によって可変で、明治時代以前なら上司と部下の男同士の恋愛は寧ろ歓迎される側面もありました。
けれど現代は違います、しかも警察官であることは倫理的要求が多い立場です。個人的に認める事は出来ても公にはし難いです。
公私共にアンザイレンパートナーとして生きることを選んだ2人、だからこそ掴める喜びと哀しみが表裏に廻っていく2人の関係です。

宮田と国村の変化、読み手の方は何を感じましたか?
猛反対の方もあるのだろうなあと予想しながら描いたのですが。
宮田を裏切り者と感じたり、国村をずるい愛人みたいに感じたり、等々。
確かに理想論から言えば、宮田と湯原だけの世界って受容れやすいだろうなって思います。
ですが理想像を描くつもりは無いんです、現実だったら人間がどんな感情を抱いて言動するのか?を描きたいなあと。

人間の感情は、変化していくのが普通です。
日々に出会う様々な言葉、シーン、体感、そうした経験によって心は動いていきます。
この心の動きが感情の変化になって、人間は精神的成長と知識の蓄積をしていく。そして人格は形成されます。
それは宮田と国村も同じこと。ふたりが共に経験していく様々な「現実」のなか、ふたりの関係も当然変化します。
こうした変化は湯原と美代にも起きています、性質的にも宮田&国村より穏やかな2人なのでまた違う形ですが。

そういった人間の変貌は、紅葉と似ています。
太陽と気温、湿度、そういった自然現象が樹木に働きかけ、紅葉は起きていく。
この色づく彩度は、その年・その場所の日照程度や気温、降水量などで異なります。
人間も出会った相手の言葉や表情、聴いた音楽、見た風景、そうした外からの働きかけで内なる心も変化しますね?

そうした可変と、不変が人間にはあります。
この「変わらないもの」と「変わっていくもの」をきちんと描けたらいいなあと。
宮田たち4人それぞれの感情と立場の変遷が、それぞれのスピードで着実に起きていく姿。
それがリアルにはどう佇むのか、現実と虚構のはざまで辿っていく感じです。

今夜から湯原ターンになります。
第58話「双璧1」の時間軸は第58話「双壁1」まで戻ってスタートです。
たぶん湯原の「双璧」はあまり長編にはなりません、けれど湯原にとって大きな分岐点になるターンです。
この湯原ターンが終わると第59話、そこから登場人物のフォーメーションも変化していきます。

よかったら御感想ご意見、お気軽に一言でもお寄せください。
悪い点、良い点、いずれでも教えてもらえることは、楽しいので。






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secret talk11 建申月act.12―dead of night

2012-11-27 04:20:59 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後「建申月11」の続編です

Alpengluehen、頂点の栄光と想いと



secret talk11 建申月act.12―dead of night

ゆるやかな微睡の時間、ふれあう吐息と絡めた指に温もり伝わらす。
眠りの底で見つめる夢は、青い空と白銀まばゆいナイフエッジの輝く世界。
青いウェアの背中が前を行く、蒼穹に向かう雪原を辿りテノールの声が笑っている。

―…天辺に行ったらもっと幸せだよ?行こう、英二、

銀嶺の波、蒼い山翳、駈けていく氷河の風に凍れる太陽。
夏の陽熱も届かない永遠の冬、その生命凍らす世界に自分たちは憧れ登っていく。
何もない静謐の世界、そこで息をする2人きりになって最高峰のキスは交わされる。

…英二、

遠く近く、名前が呼ばれる。
呼ばれた名前に吐息がふれて、唇に花の香がキスをした。
キスに呼ばれ意識がゆれて、明るい光が瞼にふれるまま、ゆっくり瞳が披かれる。
その視界の真中に底抜けに明るい瞳は微笑んで、透明な声が笑ってくれた。

「おはよう、英二。シャンパン飲んで、夕方からピアノ弾きたいんだけどね。もう起きてイイ?」

やわらかなテノールに意識が惹かれて、そっと腕に力をこめ抱きしめる。
ふれあう素肌の温もりに幸せが優しい、ともに眠って目覚めた安堵が穏やかに浸す。
この幸せを抱きしめて英二は、愛するアンザイレンパートナーに接吻けをした。

「俺も一緒に起きるよ、光一のピアノと歌を聴かせて?」
「うん、もちろんだね、」

見つめ合い笑い合って、ベッドから起きて着替えに立つ。
真昼に脱ぎ落したシャツたちを纏い、またベランダにワインバケットたちを並べる。
まだ明るい青空と蒼い山を仰ぎ、グラスに金の泡を揺らせて寛ぎながら午後の時間に座りこんだ。

「光一、夢でアイガーの天辺にいたよ、俺たち、」

笑いかけた隣、グラスから唇を離して見つめてくれる。
底抜けに明るい目で真直ぐ見つめて、透明な声が微笑んだ。

「天辺に行ったらもっと幸せだよ?行こう、英二、」

言われた言葉に、ひとつ瞬いて英二は雪白の貌を見つめた。
どうして解かるのだろう?そう考えてすぐ、思いついたことに英二は笑った。

「同じ夢、見てた?」
「たぶんね、」

頷いてくれる笑顔は幸せほころんで、洋梨を口にしてくれる。
瑞々しい果実を噛む唇を見ながら、ふと英二は昨日聞いたことを思いだした。

「光一、K2の時に富山県警の先輩のこと怒ったんだって?」
「ふん、橋本さんアタリから聴いちゃったね?」

すぐ見当をつけて、からり笑って正鵠を射ってしまう。
怜悧な光一らしい反応へと英二は正直に微笑んだ。

「うん、よく解かったな?」
「そりゃね、富山の人とはK2で一緒だったんだからさ。確か2人は大学の同期だったよね、山岳部の友達って言ってたな、」

記憶を辿っていく、その目が悪戯っ子に笑っている。
なんだろうな?そう見た先で光一は愉しげに教えてくれた。

「卒配新人の俺が、富山県警の猛者を怒鳴りつけちゃってさ?で、危険キワモノで『K2』ってクライミングネームになったんだよ、俺」

富山県警の山岳警備隊と言えば、警察の山岳レスキューでも最強という声もある。
そこに所属してK2遠征訓練で登頂隊に選抜されたのなら、よほどクライマーとして認められた男だろう。
それを怒鳴りつけて恐れさせた光一は、確かに「K2」だ?そんな納得と英二は笑いかけた。

「最初の八千峰がK2だったのと、イニシャルと、ってやつか、」
「そ。だからね?橋本さんからしたら、俺が高尾署に怒らなかったのって、意外だったんじゃない?」

その通りだ。
適確な理解への素直な賞賛に英二は微笑んだ。

「うん。光一のこと、若いけど良い上司になる人だなって言ってたよ、」
「そんなふうに言ってくれたんだね。でさ、おまえも『宮田くん』から『さん』になってたね?なんでだと思う?」

楽しげに笑って白い指を皿に伸ばし、また一切れ口に運ぶ。
洋梨の香がふわり風にあまい、その香に微笑んで英二は頷いた。

「そうだな、国村さんのブレーキですよね、って褒めてくれたけど?」
「ソレ結構有名なのかね、その通りだけどさ、」

からり笑って梨を食べ終えると、シャンパンのグラスに口付ける。
繊細な泡を金いろ揺らして飲みこむと、底抜けに明るい目が笑った。

「加藤さんに聴いたんだけどね、第二小隊は俺にとって、かなりアウェーな空気みたいだね?ま、それも楽しむことにするよ、」

8月一日、光一は第二小隊へ異動したあと9月一日付で小隊長に就任する。
これ対する反発が第二小隊内にあると後藤副隊長も言っていた、そして第二小隊は今回の遠征にも不参加でいる。
こうした第七機動隊山岳レンジャー内の空気は、第一小隊に現在所属している加藤には見えやすいだろう。

―きっと9月からが厳しい、前任の小隊長が異動になった後の方が、

その9月に合わせるタイミングで英二が異動すると決っている。
面従腹背、そんな隊員たちを纏め光一の補佐を務めることが英二に求められていく。
それくらい光一にとって容易ではない異動、それでも「楽しむことにする」と言える男は眩しい。
そんなふう笑えるアンザイレンパートナーが誇らしく眩しくて、その素直な想いに英二は綺麗に笑った。

「俺も一緒に楽しむことにするな、8月も休みは御岳に帰ってくるんだろ?」
「もちろんだね、越沢とかつきあってよ?酒もね、」

楽しげに来月の話をしてくれる、その貌は明るい。
この笑顔を一ヶ月は毎日見られなくなる、その寂しさも今は遠ざけたままで、英二は微笑んだ。

「なんでも付きあうよ、アンザイレンパートナーで恋人だろ?」

恋人、そう互いに呼ぶことが今は相応しい。
昨夜を超えて見つめられる「今」に笑いかけて、透明な瞳は幸せに微笑んでくれる。
幸せな笑顔が嬉しい、そう素直に微笑んだ英二に透明なテノールは言ってくれた。

「あとでピアノ、今朝の曲2つ弾くんだよね?他にリクエストってある?」

提案に少し考えて、光一の四駆で聴いた記憶を辿らせる。
めぐってくる旋律を記憶に聴いて、英二は綺麗に笑いかけた。

「光を謳ってるのあったよな?光一、」
「光を?」

短く訊き一瞬考えて、すぐ底抜けに明るい目が笑った。
笑って白い指でアイガーを指さしながら、光一は頷いてくれた。

「いいよ、俺が四駆でも歌ってたヤツだね、この山のAlpengluehenに合うんじゃない?」
「アルペングリューエン?」

聞きなれない単語を繰り返し、英二はパートナーを見た。
どういう意味?そう目で尋ねると愉しげにテノールは教えてくれた。

「モルゲンロートは、夜明け前の光で山が輝くことだよね?アルペングリューエンは太陽で赤く天辺が光ること自体を言うんだ。
でね、Alpengluehenはドイツ語なんだけど『アルプスの栄光』って謂う意味もあるんだ。ココを登れば栄光っていう北壁に合うね、」

ここを登れば栄光、そう山っ子が示す岩壁を英二は見つめた。
アイガー北壁「死の壁」を完登することはクライマーの栄誉だと言われている。
それを自分は光一のビレイヤーとして成し遂げた、そのことによる変化は既に起き始めている。

―栄光だから変化していくんだ、

想いと見上げる空に蒼い壁は聳え、頂点の白銀は夏の陽に輝く。



高く低く、澄んだ旋律がホールの静謐を響かす窓の向こう、偉大な壁の山頂は輝きだす。
アルペングリューエンが映しだす黄金と紅の炎は、遥かな天穹きらめく太陽の欠片たち。
あふれる輝きは窓を透して床を照らし、グランドピアノの木目を艶あざやかに浮びあがらせる。
佇んで見つめる旋律の前、モノトーンの鍵盤に白い指は黄昏を奏で、透明な声は穏やかに謳う。

……

満たした水辺に響く 誰かの 呼んでる声
静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫 
手招く光のらせん その向こうにも 穏やかな未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
優しい調べの中を このまま泳いでたい 
冷たい光の扉 その向こうにも 悲しくない未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

Come into the light 遥かな優しさに出会えるの?
Come into the light 喜びに抱かれて眠れるの?
Come into the light 争いの炎は消えたよね?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

I'm here Come into the light I'm here

……

透けるような声が歌う言葉たちは「光」明るい瞬間の訪れを謳っていく。
ピアノとテノールが紡ぐ想いの言葉たち、そこに英二は銀嶺の記憶を見つめた。

黎明のモルゲンロートに輝く瞬間、澄みわたる蒼穹ふる太陽に映える時。
そして今、黄昏ふるアルペングリューエン、落陽の炎を映す耀きに透明な声が響く。

アルプスの女王、そう呼ばれるマッターホルン北壁でも黄昏まばゆかった。
そして今、仰ぐ「死の壁」アイガー北壁にアルペングリューエンの瞬間が輝く。
この二つの巨壁に見つめたのはパートナーへの純粋な祈り、そして誇りと葛藤と、夢の背中。
その全てへの想いが今、ピアノとテノールの聲に包まれ安らいで、ただ透明に昇華されていく。

Alpengluehen、アルプスの栄光。

その輝きは黄金と紅に彩られる、太陽を映す永久凍土の光。
凍れる光まばゆい北壁の頂点、そこを超えた向うには、どんな未来が待っている?






【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRUST」】

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secret talk11 建申月act.11―dead of night

2012-11-26 21:08:52 | dead of night 陽はまた昇る
第58話「双壁14」の後「建申月10」の続編です
※念のためR18(露骨な表現は有りません)

夢現、その姿を知っても



secret talk11 建申月act.11―dead of night

純白のシーツの海、桜いろの爪がきらめく。

真昼の太陽ふるベッドに雪白の肌は艶めく、透ける肌に筋肉のラインが光る。
時おり逃げそうになる細い腰、抱きしめるまま楔は深まり繋げられ、透明な声が喘ぎをこぼす。
白いシーツの波を掴む桜いろの指先、その長く繊細な指に指を絡めて握らせ、喘ぐ薄紅の唇にキス重ねこむ。
まだ濡れている黒髪に陽光は艶めく、その髪に頬うずめて噎せる花の香に呼吸して、美貌の恋人に囁いた。

「きれいだ…光一の体も香も、全部がきれいで色っぽくて…困るな、」
「…っ、ぁ…ど、して…こまる?…」

喘ぎの狭間に訊いてくれる声、あまやかに透明で耳から魅せられる。
腰を深く重ね合わせながら見つめて、吐息に悶え顰ませる眉にキスして英二は微笑んだ。

「きれいすぎて独り占めしたくなる…寮の風呂とかで他のやつに見られるの、嫉妬したくなるから困るよ」
「ほ、んと…みがってだ、ね…ぁあ、っ、」

答えてくれる微笑が艶やか過ぎて、愛しくて抱き寄せる。
深くなる感覚にあまさが背すじを奔りだす、その体の下で雪白の体がふるえた。

「あ、っ、ぁぁ…だめ、ぁ、…っ、」

透ける声、長い睫から涙こぼれて、重なる肌に熱あふれだす。
ふれあわす腰のはざま花芯ふるえて、高雅な香り昇らす熱が絡みつく。
繋ぎあう深みの動きに肌は擦られていく、ゆれうごく肌に絡んでいく熱の滴りにテノールが泣いた。

「や、…ぁ、英二…っ、も、いっちゃって、から…あっ、変に、な、」
「変になって、光一?…もっと感じて可愛い声、聴かせてよ…逃げないで、」

逃げそうな体を抱きしめ、楔を深く穿って逃がさない。
撃ちこんだ楔に体温の襞が熱い、幾度も埋め込まれる熱に蕾はほころんで拒めない。
されるがまま受容れてしまう体へと、長い睫の瞳は雫きらめかせて喘ぎ艶めかせた。

「あ、ぁぁ…こんな…っ、ぁ、して、な、んで…?っ、ん、」
「光一が好きだから」

吐息に短く答えて、微笑んでキスをする。
あえぐ吐息が唇から融けてくる、あまい香が熱くこまやかに喉ふれていく。
呼吸から自分のものに独り占めして、愛しさのまま犯し繋ぎあわせ甘楽に結び合う。
キスから伝える想いに腰をゆらせて幾度も結び、そうして果てを迎え充ちながら深く抱きしめ囁いた。

「愛してる、だから…今度こそ逃げないで、目が覚めても俺の胸にいてよ?光一、」

深く繋いだまま抱きしめ唇重ねて、約束に微笑みかける。
力を消した肌は桜いろに紅潮そめるまま、見つめて応えてくれた。

「ここにいたいよ、俺も…だから今だけは、夢でも…俺を見てよ、ね?…それならここにいられる…」
「約束するよ…光一」

約束に笑いかけキスを交わす、抱きしめる肌と繁みに熱の滴りは絡みつく。
そのままに抱き上げてベッドを降りると、バスルームの扉を開いた。

「光一、疲れてるのにごめんな?でも今、中出ししちゃったから眠る前に洗わないと、具合悪くなるから、」
「あ、やっぱり…そうだった、ね?」

バスタブに抱きおろされながら、透明な瞳が可笑しそうに訊いてくれる。
その笑顔に笑いかけて英二は、ぬるめのシャワーを雪白の肢体に浴びせた。

「光一、中出しされたの解かったんだ?」
「ん、なんか熱いのが…中に奔ったからね、」

答えてくれながら気恥ずかしげに微笑む、その貌が愛しい。
こんな貌をするようになった、それが不思議で嬉しくて英二はシャワーの中で抱きしめた。

「光一、本当に好きだよ…抱く前よりもずっと好きだ…こんなの俺、こまるよ」
「どうしてそんなに、困る?」

降りそそぐ湯に透明な瞳が微笑んで、そっと唇を重ねてくれる。
重ねたキスに湯は濡れて雫があまい、静かに離れて見つめ合うはざま水音は響く。
シャワーの湯気に温まるバスタブのなか、抱きしめ体を開かせながら英二は、切なさに微笑んだ。

「あんまり好きだと離れられないだろ?だから今も、ごめん、」

ごめん、そう言葉は謝っているのに、抱きかかえた腰を近寄せ重ねさす。
ほどかれた蕾に先を当て、そのまま深く穿ち繋がせると白い喉が仰け反った。

「あぁっ…あ、え、いじ…?」
「光一、」

名前を呼びかけキスをして、抱えた腰をゆっくり動かせる。
繋ぎ合わせた肌の熱に乱されるよう、穿たれた蕾から白く潮の残滓がこぼれだす。
ベッドで注ぎ込んだ自分の熱を今、挿し入れた楔に零させながら腰ゆらめかせていく。
湯気たち籠る白いバスルーム、雪白の肌は桜いろ昇らせながら透明な声が吐息に喘いだ。

「こ、なことして…あ、ぁ…そ、なに俺を、ほし、いわけ?…」
「ほしいよ、光一、」

降り続く湯に、薄紅の唇からテノールは悶え零れ、蕾に熱はあふれさす。
座らせるよう膝に抱えあげ肩に腕を回させる、そして深く穿たれるまま光一は喘いだ。

「あぁ、っ…そ、んな深くし、て…あ、」
「光一、」

名前を呼んでキスを重ね、ゆっくり体を起こさせ蕾を解放させる。
楔を抜かれながら潮は滴り、桜いろ華やいだ脚に白く軌跡を描いて零れていく。
そっと蕾に指ふれ挿し入れて、ほころんだまま開かせゆるくシャワーの湯を注ぎ入れた。

「ぁ、っ…なに?」

途惑いの声こぼして、透明な瞳が泣きそうになる。
その目許をキスで宥めながら、湯を入れた蕾に指を挿しこむと抱きよせた。

「中の精子を出すのに、シャワーで浣腸するんだよ。ごめんな、こういうのばっかりで、」

男同士だと直腸を性器として使うため、その洗浄を事前にする必要がある。
本当は避妊と同じようコンドームを使えば、事後の洗浄は必要ない。けれど今回は使わずしてしまった。
こんな自分の行動に困りながらも微笑んで、英二は正直に山の恋人に告白した。

「光一。中出しって俺、初めてしたよ?それくらい光一に夢中なんだ、」

告げた言葉に透明な瞳ひとつ瞬いて、不思議そうに見つめてくれる。
ためらうよう、けれど薄紅の唇を披いて光一は訊いてくれた。

「あのさ…周太にもしていない、わけ?」
「していない、誰にも、」

即答に笑いかけ、シャワーふる湯気に唇重ねてキスを交わす。
ふれるだけのキスに湯は忍びこみ甘い吐息に香らせる、ふたつの唇から熱くあふれて顎から肌伝って落ちる。
そっと離れて見つめ合って、あわく赤い額にキスすると英二は恋人に、すこし困り顔でお願いをした。

「光一、指を外したら力んでくれる?このまま、ここで出して、」
「…ここって、バスタブで?」

途惑うよう見つめ訊いてくれる、その目に困り顔のまま頷いた。
その視線の先で優美な貌はすこし怯えて、けれどテノールの声は呆れたよう尋ねた。

「おまえって、そういう趣味もあんの?…ヤる前はトイレで出したのに、」
「そういう趣味は、あんまり無いよ?」

言うべき否定を告げ、笑いかける。
訝しげに見つめる眼差しを受け留めて、英二は理由を口にした。

「ここで出してくれたら、中で出血しているのか解かるだろ?その確認をして、必要なら手当てしたい。だから言うこと聴いてくれる?」

正直に述べた考えに、ほっと溜息を吐いて見つめてくれる。
ためらうような視線、けれど光一は素直に頷いてくれると、そっと睫を伏せた。
言葉は無くても「Yes」の意思だと伝えてくれる、それでも本当は誇り高い光一は嫌だろう。
プライドの傷みを超えて信頼してくれる想いに、英二は感謝を愛しさのまま綺麗に笑いかけた。

「ありがとう、光一。俺のこと信じて任せてくれて、」

そっと指を抜き、シャワーを一旦止めた。
ややあって、言葉に従った光一が零した残滓を見て、安堵に英二は微笑んだ。

「良かった、出血は無いみたいだな、」

笑いかけシャワーを開栓すると、ぬるめの湯ですぐ洗い流す。
掌に石鹸を泡立てて、竦んでいる恋人の肌をふれると丁寧に泡でくるみ始めた。
首筋から肩、胸と洗っていく英二の手を見つめて、ぽつんとテノールが訊いてくれた。

「…嫌じゃないのか?」
「なにを?」

桜いろの肌を泡すべらせながら、透明な瞳へと英二は微笑んだ。
その視界の真中で、困ったよう躊躇うよう薄紅の唇は開かれた。

「する前も俺のこと、いろいろ面倒を見てくれてさ…終わってからも今みたいなコトして、面倒臭くないワケ?嫌じゃないの?」
「嫌じゃない、嬉しいよ?」

さらり答えて笑いかける、その視線の先で無垢な瞳ひとつ瞬いた。
すこし驚いたような眼差しに微笑んで、泡にくるまれた体を英二は抱きしめた。

「好きな人の為に何か出来るのって、俺は何でも嬉しいよ?だから俺、セックスの準備とかも本当に幸せなんだ、愛し合う証拠だから。
でも、ごめんな?光一は恥ずかしいのに、俺ばっかり喜んでいるみたいでさ。そういうのも含めて俺、光一に嫌がられないか不安なんだ、」

男と女だったら必要が無い手順、けれど男同士で疎かにすれば傷病の危険を招く。
こんな現実が男同士の恋愛にはある、それを正直に英二は初心な恋人へと告げた。

「男同士だと最後までするんなら、直腸を綺麗にすることは必要だよ?こういうの面倒だからって、フェラまでにする人もいるらしい。
俺は全部して、愛し合ってるって感じることが好きだけど。でも受身は負担がかかるだろ?光一が嫌だって想っても当然のことだ。
だから光一、正直に言ってくれる?俺とのセックスが嫌ならそう言ってよ、フェラまでならそれでも良い。光一は俺と、どうしたい?」

本当に好きな人と体を繋げてみたい、そう光一はずっと願っていた。
その願いを昨夜と今とで叶えたのなら、こうした準備を「面倒」と想うままに止めても良い。
そうした選択を委ねて笑いかけた先、泡すべらす体は縋るよう抱きついて頬よせてくれた。

「全部してよ?ずっと、…惚れた相手と体重ねるの、幸せだって教えた責任とってよ、ずっと…ずっと大切にしてよ、ね…ずっと、」

泣き出しそうなテノールの声が愛しくて、ふりかかるシャワーの湯ごと温められる。
肌理細やかな皮膚を透かす紅潮に、花ひらくよう高雅な香と桜いろ咲きほころんでいく。
湯に重ねた肌の温もりと香に微笑んで、透明な瞳を覗きこみキスと笑いかけた。

「ずっと大切にするよ、光一。光一は俺の夢で憧れで、俺の全部なんだ。もう、離れられないから、」
「うん、だね?…離れないでね、俺から」

微笑んだ声の合間、シャワーの湯に泡は流させれて艶めく肢体が露になる。
なめらかな肌は体毛も殆ど無い、彫刻のよう均整まばゆいラインを描かす体は、細くても強靭しなやかに美しい。
この体が「山」を駈けて自分を夢の場所へ連れて行く、そんな想いに見つめて英二は綺麗に笑いかけた。

「約束するよ、光一。ずっと体ごと愛するよ、ずっと一緒に山へ登る、」

キスに想いを告げてシャワーを止めて、バスタオルに恋人を包みこむ。
ざっと自分の体も拭って、タオルごと光一を抱きあげるとバスルームの扉を開いた。
ふわり肌ふれた空気が涼やかで、抱え上げ触れあうタオル以外は裸身の肌から火照りを鎮めてくれる。
そのままベッドにあがり、恋人からバスタオルを外すと桜いろと香の馥郁が艶めいて、惹かれるまま抱きしめるとシーツの海に沈んだ。

「光一、すこし眠ろう?」
「うん、」

提案に微笑んで肯って、そっと頭を凭せてくれる。
まだ濡れている黒髪に真昼の光きらめく、綺麗で見惚れながら指に梳いていく。
ゆっくり長い指に黒髪を遊ばせる、そんな英二に透明な声は羞むよう訊いてくれた。

「あのさ、中出しは俺が初めてって言ったよね?…どうして周太にはしないで、俺にはした?」

どうして?そう問いかける瞳を真直ぐ見つめる。
その瞳には窓の山が映りこむ、きれいな瞳に見惚れながら英二は正直に微笑んだ。

「負担を掛けるの嫌で、周太にはしなかったんだ。でも光一にはどうしてもしたかった、俺の初めてをあげたかったから。
光一の初めての男になれて嬉しくて、だから俺の初めてを何か光一にしたかったんだ。でも、こんな初めては迷惑だったかな、ごめんな、」

素直に謝って微笑みかける、その視線の先で透明な瞳が見つめてくれる。
透けるほど明るい瞳から光こぼれて、やわらかなテノールは言ってくれた。

「うれしいね、英二の初めて…あのさ、またしてイイよ?英二がしたかったら…ちゃんと後の事も面倒見てくれるんなら、ね」
「ありがとう、嬉しいよ?光一、またしたい、」

素直に笑いかけた先、透明な瞳が幸せに微笑んだ。
明るいベッドの上、白いリネンに埋もれた笑顔は無垢なまま優美にまばゆい。
綺麗で、見惚れるまま素直に抱きしめて瞳を覗きこんで、約束をねだり笑いかけた。

「光一、今から眠るけど、俺が起きるまで腕のなかに居てくれる?」

今朝、消えていた恋人に抱いた想いの欠片だけ願い出る。
本当は「いつも」と言いたい、けれど誇らかな自由を無理に留める事は出来ない。
なにより自分の方こそ婚約者が待っている、その現実に「いつも」と言う資格なんて無い。
そう解かっている癖に、それでも切ない自分勝手な想いに笑った向こうから、テノールが微笑んだ。

「もし腕から出たかったらね、ちゃんと起こして許可を取るよ?だから安心して、眠りなね、」

ずっと待っている、そうは言わない。
けれど行く時は告げてくれる、そんな約束が自由の山っ子らしい。
こんならしさが嬉しくて、綺麗に笑って英二は山の恋人を抱きしめ問いかけた。

「光一、今から何の夢を見る?」
「そりゃ決ってるよ、アイガーの天辺だね。おまえと一緒に登ってるとこがイイ、」

透明なテノールが幸せに微笑んだ唇に、唇を重ねてキスに花の香が噎せる。
あまやかな高雅な香に見つめ合い、深めていくキスの熱を確かめ合わす。
唇に繋がれ指絡めあわせ、抱きしめふれあわす温もりが素肌に優しい。
温もりと香に指を絡め合せ、繋いだ手に頬よせて英二は微笑んだ。

「愛してるよ、俺のアンザイレンパートナー。夢でも一緒に登ろうな?」

眠りにも逢瀬を約束して、真昼の夢にふたり微睡んでいく。
微睡み堕ちる最後の瞬間、見つめるのは窓ごしの蒼い岩壁の山。
そこは生と死を共に見つめた、冷厳の風が駈けぬける夢の場所。





(to be continued)

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