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人間自身をつくる

2019年04月09日 20時59分12秒 | 社会・文化・政治・経済

AI(人工知能)は労働の代替になっても、人間の代替にはなり得ない。
自分の人生をどう生きるかまでは、AIに任せることはできない。

文部省は「人工知能技術をはじめとする技術革新に伴ない(中略)予見困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要」とし、<自ら考え主体的に行動していく人材像>を掲げている。
全ての子どもたちの生命に、価値創造という無限の可能性を見だし、その開化を目指す。
変革の時を迎えた今、求められているのは、この本源的な尊厳性を信ずる人間観。
「教育の本義は、人間自身をつくる」ことにある。
教育は、知識を糧に無限の創造性、主体性を発揮できる人間を育む作業である。
自己の陶冶に挑んでいきたい。


映画「星に語りて」

2019年04月09日 20時20分31秒 | 社会・文化・政治・経済

2011年 3月11日
障害者の状況と支援者の活動を描く劇映画

舞台の一つは、岩手県陸前高田市。

高台にある共同作業所「あおぎり」では、津波の直接的な被害は免れたものの、仲間の一人を失って落胆する利用者たちを女性所長が励ましながら、一日も早く障害のある人が日常を取り戻せるように一歩を踏み出そうとしていた。

また全国障害者ネットワークでは、東京、秋田、岩手、福岡など全国のグループが連携して支援活動を始めようとしていた。

そんな矢先、「障害者が消えた」という情報が入ってきた。

多くの避難所をまわっても、障害のある人の姿がほとんど見当たらないというのだ。

一方、福島第一原子力発電所事故によって避難を余儀なくされた地域の一つ、南相馬市では、避難できずに取り残されている障害のある人の存在を知った共同作業所「クロスロードハウス」の代表らが、自らの手で調査に踏み切ろうとしていた。

しかし、各地の障害のある人の安否確認を進める中で、彼らに立ちはだかる障壁があった。

それは、個人情報保護法によって開示されない、障害のある人の情報だった。法律によって守られる人権と、一刻を争う人命救助との狭間で苦しむ支援者たち。

前項障害者ネットワークでは、この障壁を打ち破る手立てを模索していた。

「わすれない」と「備える」こと
共に生きる社会へ踏み出す

制作総括 西村 直
企画 藤井克徳
脚本 山本おさむ
監督 松本 動
プロデューサー 新井英夫
撮影 鈴木雅也
編集 古賀陽一
音楽 小林洋平

出演 要田禎子
螢雪次朗
今谷フトシ
植木紀世彦
枝光利雄
菅井 玲
入江崇史
宮川浩明
生島ヒロシ
赤塚真人


『きょうされん』では、これまでに4回の映画製作・上映活動を続けてきました。

40周年記念事業として製作された、今から100年前に精神病者を救おうと奔走した呉秀三の功績を描くドキュメンタリー映画「夜明け前」に次ぐ5回目の作品は、大災害時における障害のある人の状況と支援者の活動を描く劇映画です。 2011年3月11日午後2時46分18秒、宮城県の牡鹿半島東沖で発生したマグニチュード9.0のわが国観測史上最大の地震。東日本大震災による傷跡は、未だに人々の心の中に深く刻まれています。

しかし、1万8千人を超える死者の中で、障害のある人の死亡率が全住民の2倍だという事実を知る人は少ないのではないでしょうか。

この映画は、当時を知る証言者たちへの取材に基づき、その知られざる実情を山本おさむ氏の脚本と新進気鋭の松本動監督によって描き出す群像劇です。実力派俳優陣に加え、障害当事者を出演者として起用し、人間味あふれるドラマが繰り広げられます。

 

 

 

 


日立風流物 4月6日開かれた

2019年04月09日 19時43分48秒 | 社会・文化・政治・経済

市の中心部の平和通りにある約130本の桜は見頃を迎えた。

その中、見物客は勇壮なからくり人間芝居を堪能した。

日立風流物写真日立風流物夜の写真

以前は宮田風流物(みやたふうりゅうもの)とよばれ、神峰神社の大祭の時だけ宮田地区の四町(東町、北町、西町、本町)から一台ずつ拝殿前へ曳き出し、奉納されてきました。
この風流物は昭和20年の戦災により大半を焼失しましたが、昭和33年に北町の山車が復元され、昭和34年に「国指定重要有形民俗文化財」となり、人形操作などが「国指定重要無形民俗文化財」となりました。 
 また、平成21年には「ユネスコ無形文化遺産」にも記載され、さらに平成28年には「山・鉾・屋台行事」としても記載されました。

風流物の由来

 日立風流物(ひたちふうりゅうもの)は日立市の前身である日立村の鎮守神峰神社の祭禮に、氏子達が奉納の意味で造った山車に操り人形を配したもので、江戸時代中期享保の頃に始まり、文化文政の頃には山車に改善を加え山車そのものがからくりとなり、風流物、笠鉾と呼ばれるようになりました。
精緻にして豪壮な変化に富んだ山車で、明治の初期には既に現在の形になっていました。
 また、この種の山車は全国にもその例が無く、昭和三十四年には山車としては指定第一号である国の重要民俗資料の指定を受けています。現在、日立市には東町、北町、西町、本町の4台の山車が有ります。

 公開

 毎年4月上句に開催される「日立さくらまつり」に、4町の廻り番で1台を公開するのが恒例であり、7年に1度は、神峰神社大祭礼に併せて、4町の山車全てを公開しています。

平成24年 神峰神社大祭礼

 重さ5㌧の山車に設置された5層の舞台でからくり人形が芝居を演じる。

 

 


父からの性的虐待 被害女性が実名で相談応じる

2019年04月09日 19時38分19秒 | 社会・文化・政治・経済

 「体験者同士で話すと心が軽くなる」
毎日新聞 4/6(土)

児童虐待が過去最多を更新するなか、幼少期に実父から性的虐待を受け、トラウマ(心的外傷)に苦しんだ高松市の美容師、宮本ゆかりさん(48)が実名で同じ体験をした人の相談に応じている。当事者が実名を出すのはまれ。
相談メールは月に数件だが、内容はどれも深刻だ。自殺を考え続けた思春期、だれにも悩みを言えなかった。だから大人になった自分が伝えたい。
「クソ親で最低な子ども時代だったけど、あなたの本当の人生はこれからだよ」と。
実父は大企業の社員。言うことを聞かないと暴力をふるった。専業主婦の母は父の言いなり。幼少期から体を触られ、裸の写真を撮られた。気持ち悪くても逆らえず、虐待はエスカレートした。何をされているのか理解できなかったが、「言えば警察が来て家族がバラバラになる」とおびえた。

 中学の保健の授業で初めて妊娠につながる行為だと知った。「自分のような腐った人間は死ななければならない」。毎晩泣き疲れ、朝が来れば呪った。勇気を振り絞って母に訴えたが、返ってきた言葉は「許してあげて」。学校の先生をはじめ周囲はだれも気付いてくれなかった。

 高校卒業後、大阪の美容院で修業を積み、20歳で結婚。2人の子に恵まれ、初めて「生きたい」と思った。過去を忘れようと仕事と子育てに打ち込んだが、過去のトラウマは大きく、30歳でうつになり離婚した。

 1年後に復職し、店長として美容院を軌道に乗せると自信を取り戻し、少しずつ自分を見つめ直した。父からの性暴力、助けてくれなかった母。「これからは悩むのでなく、被害者の役に立ちたい」と決意。3年かけて体験をまとめ、2年前にブログで公開した。「自分に誇りを持ちたい」という願いと被害者が相談しやすいよう、思い切って実名に。昨年は東京で、若者からの相談にどう答えたらよいのか、専門家に学んだ。

 体験者同士で話すと心が軽くなる。相談した女性から「自分だけじゃないと心が軽くなった」と伝えられることも多い。宮本さんは「過去は忘れられない。でも、時間がたてば悲しみは必ず薄れていく。だから死なないで。何ができるのか一緒に考えたい」と訴える。地元で自助グループを作るため協力者も募集中だ。

   ◇  ◇

 2017年度、全国の児童相談所への虐待相談は13万3778件で、そのうち、性的虐待は1537件に上る。しかし、被害の多くは潜在化し実態は把握されていないとみられる。【上東麻子】


実父から性的虐待宮本ゆかりさん

2019年04月09日 19時31分37秒 | 社会・文化・政治・経済

性虐待サバイバーの未来

2018-05-02
次の世代のために

先日、News Everyに宮本ゆかりさんとテレビに出演されていた弁護士さんが「性的虐待は、じつは社会的に立派な家庭で行われていることが多いんです」と、おっしゃっていました。

 人の尊厳を侵害し、生涯にわたって後遺症が残るような行為があっても、加害者に社会的地位があることを考慮して隠蔽されたり、猶予される。この構図が次の世代にも持ち越され、定着するということです。

 私も「親の名誉を傷つけることになるから公にするな」とある人に言われたことがあります。

生きている間はダメで、死んでからならいいと、笑。どんな親でも大切にしなければいけない、あなたが後悔する、と。
本当にそうでしょうか。子供が親を告発してはいけないのでしょうか。産んでもらった恩があるから? 私自身の名誉も傷つくから? 社会的地位とは一体なんなのでしょうか?

 件の山口君も、被害者の家族が芸能人生命を奪うまではしたくないという理由で示談になったようですが、本当にそれがいいことなのかどうかはわかりません。

 しっかり刑を受け、責任をとって戻ってくるという生き方もあるはずです。「今は飲まない」「仲間が許してくれるなら復帰したい」と言って、断酒する決意も責任をとる覚悟もないまま記者会見に臨んだ彼に、本当の反省はないでしょう。守られることが裏目に出ないことを祈るばかりです。

うちの父もお酒を飲んで帰ってくると、夜中に私の部屋にきていました。性欲が抑えられず、寝ている娘を使って精液を出し、スッキリしてから寝るのです。恐怖に怯え、痛みと悲しみに耐える子供の気持ちはまったく頭にありません。

 酔っていたから覚えていない、悪気はなかった、ではやはりいけないように思います。悪気がないのがいちばん悪い人なのです。

 私には兄弟がいませんでしたが、もし妹がいれば、妹も被害に遭った可能性があります。犠牲者が一人で本当によかったと思います。

のちに父の元同僚から聞いた話では、父の素行は目に余るものがあり、酒席で女性の身体に触るなどは日常茶飯だったようで、その様子は同性から見ても辟易するほどだったそうです。

しかし彼が大企業に勤めていたため、然るべき立場もあり、仕事への情熱も才能もある人ということで、すべてが許されていました。

セクハラ常習犯はお姉ちゃんのおっぱいやお尻くらいでは満足できず、家に帰ればもっと自由にできる娘がいる。親を信じて寝ている娘を犯すのはいとも簡単なことでした。

そういう彼も昼間は快活で、周囲に慕われる人物だったりするわけです。人は自分が被害を受けなければ、いい人だと思ってしまうものです。

名誉を傷つけないため、虚像を守るために、その影で泣いている人もいる。本当に守らなければいけないものはなんなのでしょうか? そして次世代に必要なものは、どんな変化でしょうか?

 池内さんは最後にこう締めくくっています。

セクハラは、被害者側が勇気を出し努力することよって解決するわけではない。加害者側が反省し、その言動を改めることで、はじめてひとつのセクハラ事件が解決する」

ー以上の引用元/ビジネスジャーナル「財務次官セクハラ疑惑、柳原可奈子の「セクハラだと感じない」発言は極めて問題である」池内ひろ美 http://biz-journal.jp/i/2018/04/post_23046.html
父親が加害者の場合、子供を助けることができるのは母親だけですし、反省を促せるのも妻の毅然とした態度でしょう。

性的虐待を隠蔽した家族は罰せられる、妻も同罪とみなされるくらいの制度や認識が世の中にあってもいいように思います。

 そして加害者もその配偶者も、必ずカウンセリングなどの継続的な治療を受け、更正することを義務づけてはどうでしょうか。

決して娘に我慢させればよい、ということではないはずですが、母親もたいしたことではないと思ったり、傷つきながらもそれを隠して生きようとすれば、当然、機能不全家族になってしまいます。

女性として嫉妬したり、放置した性的被害がのちのち子供に与える影響がまったく理解できていなかったりもします。うちの母は私がもっとも多感だった中学時代に、雑誌に性教育の小説を連載し、自慢げに私に見せていました。心のケアもせずに「正しい教育」をしているつもりだったのでしょうか。

そもそも小学生の子供に性行為をしようと考える時点で、完全な異常者です。少なくとも誰かが気づいた時点で、それ以上子供が犠牲になることがないよう、確実な隔離が必要です。

泣き寝入りする必要はないし、もし今、性虐待を受けているなら、警察に行って欲しいと思います。昔は訴えても本気にされないことがよくあったそうですが、今ならきちんと実情を訴え、本気で保護を求めれば、無視されることはないでしょう。

今後、一人でも多くの人が救われること、そしてお酒や性欲に魂を売ってしまう加害者が自身の病気をはっきりと自覚し、生き直すことを願ってやみません。

 

 

 

 

 


神父による児童養護施設で性的虐待

2019年04月09日 18時11分09秒 | 社会・文化・政治・経済

児童養護施設「東京サンジオ学園」性的虐待
4月7日、被害を訴える男性らが東京・渋谷で集会を開いた。

2002年と2012年に実施した全国の司教へのアンケートで少なくとも5件の性的虐待被害申告を把握し、この検証も行われる。

3月9日発売の文藝春秋3月号で、私は「カトリック神父『小児性的虐待』を実名告発する」というレポートを発表した。イタリアに本部を置く世界規模の修道会が東京・小平で運営する児童養護施設「東京サレジオ学園」に50年以上前に在園した竹中勝美氏(62)が小学4年だった当時、元園長のドイツ人トマス・マンハルド神父から1年間にわたって受けていた性的虐待のなまなましい実態を語った。

男性神父が未成年の少年に性的関係を迫る性的虐待は、米国、アイルランド、ドイツなどカトリック信徒が多くいる国々を中心に十数か国に広がっているが、これまで日本では新聞の国際面のニュースと受け止められ、「対岸の火事」に過ぎなかった。だが、それは誤った認識だったのだ。
日本人として初めての告白

 今回日本人として初めて被害を明らかにした竹中氏の告白には、大きな反響があった。私の元には、カトリック信者のみならず、プロテスタントの牧師や仏教の僧侶たちからも「他人事とは思えない」という多くのメールやツイートが寄せられた。それらの反響は、同じような被害体験を抱え込んで苦しんでいる人が全国に存在している可能性があることを示唆していた。

「事実をあかるみに出してくれた竹中さんの勇気に敬意を表する」と共感を示すもの、あるいは「組織にメスを入れるときだ」という教会に厳しいもの、そして「被害にあわれた方々が癒されること、加害者が誠実に犯した過ちを認め謝罪することが必要です」というシスターからのメッセージもあった。

 

東京サレジオ学園からの回答

 

 雑誌が発売されて6日後の2月15日金曜日の夕刻、東京サレジオ学園から一通のメールが届いた。

そこには「1月10日に受信した取材願いに回答する」という旨が記されていた。じつは私は取材の過程で東京サレジオ学園に質問状を送っていた。

「竹中氏への虐待を認めるか」、あるいは「竹中氏以外にも被害者はいたのか(調査はしたのか)」などについて問う内容だが、締め切りまでに回答を得ることができず、今回のレポートには反映できなかった。

 

 今回、東京サレジオ学園側がA4判用紙3枚にわたって書き綴った回答を通じて、新たな事実が発覚した。竹中氏以外にも2人の元園児の男性が被害を申し立てていたというのだ。

 

 



車窓から桜を目で追った

2019年04月09日 14時57分57秒 | 日記・断片

今日は、土浦、牛久へ行く。
まず、カスミストアーへ寄って土浦の資料を10部コピー、カラーなので300円。
佐々田さんが出す。
当方は牛久と龍ヶ崎の資料しか用意してないが、佐々田さんが「土浦に日曜日行ったら、相手先が留守ばかりで、十分な成果につながらがったので、今日は土浦に再度、行こうと思うんです」と言う。
当方は車に乗せてもらう立場、どちらへも行くつもりでいた。
藤代から牛久沼を経て、渋滞を避けるため6号線と平行する裏道へ向かう。
その新道は森林地帯を開いたのだろう。
40年か50年ほど前の取手も、このような風景が広がる長閑な土地であったのか思う。

取手駅前には池もあり、現在のバス通りもないから桜坂もなかった。
現在の芸大通りは、いわゆる切り通しなのだ。
長禅寺の下一帯が沼地と雑木であったとは信じがたい。
取手二高の生徒は、一高の下の道を迂回して通学したと言う。
船の形をした船山はじめ小高い雑木林と細い農道、雇用促進住宅も大きな沼地であり、小川の流れる場所も多かったと土地の人から聞いている。
でも、現在の牛久の道はどこも舗装されている。
その道の両側が森林地帯であり、窪地に田畑が点在していた。
山桜が満開である。
昨日の雷雨が嘘のように晴れ間が広がり、夏雲のようなモクモクとした雲間に筑波山が見えた。
上空は風が強いのだろう雲は千切れ流れゆく。
5年ほど前に大森さんたちとこの方面まで来たことが思い出された。
また、土浦の駅周辺来て、この辺りには林さんたちと来たことき気づく。
見覚えがある古民家も見られた。
また、路地裏、商店街など、記憶が蘇った。
土浦では、何年か前に取材した歯科医院が閉院したことを知る。
今日は入学式なのでろう。
公園で桜をバックにスマホで写真を撮る父母とピカピカの1年生の初々し姿を見かけた。
スマホの撮影に小学生も中学生も笑顔である。
今は父親も仕事を休んで入学式に参加するそうだ。
土浦での活動を終えて牛久に向かう道で、桜川の桜並木を見る。
公園の桜、大きな池の桜、学校の桜など車窓から目で桜を追った。
牛久シャトーの桜も見ることができた。
牛久での活動を終えて、午後1時45分に帰宅、4時間余の活動だった。

 


何もする気がなく寝てしまう

2019年04月09日 08時11分31秒 | 日記・断片

今日は、敢闘会の活動で、午前9時30分から龍ヶ崎、牛久方面へ行く予定だ。
資料があれば、利根町へも行く予定であったが・・・
資料作成をする時間もあったが、昨日は友人に会いに松戸まで行く。
酒を飲んで、雨に打たれて帰宅。
帽子、ジャンパーを着ていたが濡れると冬のように寒い。
温かい日だろと思って、ダウンコートを着ていなかった。
帰宅後、さらに酒を飲んで、月曜日なのでプロ野球もない、何もする気がなく寝てしまう。


午前5時明るくなる

2019年04月09日 06時36分23秒 | 日記・断片

午前3時に目覚めたが、寝たりなく起きる気になれない。
30分間寝るつもりで横になったら、家人の目覚ましで目が覚めた。
4時25分になっていた。
4時45分、出勤する額田さんとすれ違う。
以前は午前6時の始発バスで通勤していたが、今は徒歩である。
まだ暗いが、あいさつをする。
相手は当方であること認識していた。
目礼だけの寡黙な人だ。
ほとんど話をしない人で、新聞を集金する女性の人に聞いたが、ドアを細く開けてお金を手渡すそうで、まったく声を発しないと言う。
独身である。
独身の友人、知人が数人いるが、共通点を感じる。
シャイな性格である。
帰宅してグリーンベルトに置かれた箱にビンを出しに行くと、散歩から戻る西田さんと鈴木さんに会う。


「今日は戻りが遅いですね」5時35分になったいたので聞く。
「土手まで行って来たからね」鈴木さんが言う。
今日は火曜日なので、会社へ行かないのかと思ったが、「遅番」と言う。
土曜日と日曜日の散歩の日、利根川方面まで二人は行っている。
「まだ、冬の寒さだね」西田さんはダウンコートの帽子をかぶっていた。
当方は何時もの野球帽。
「明るくなったね。体操をするころ(午前5時)もう星が見えないからね」鈴木さんが言う。
「星は、南側に1つだけ見えた。東はまるで星が見えないね。見えた星はあの辺に」西田さんが指で星が見えた方向を示す。
我々の声を聞いて、猫のタマが走ってきた。
腰をかがめた鈴木さんに身を寄せながら、タマは尾を立て一回りする。
「仕事があることは、いいですね」
「暇なんだけど、行かないと何があるかわからないからね」
「頑張りますね」
「では」
「いってらっしゃい」
何時ものように、表通りまで行き鈴木さんを見送る。

コンクリートの塀の裂け目にポピーが咲いている。

「ど根性ポピー」と西田さんが言う。


「あなたは、ジャーナリストではない」

2019年04月09日 01時09分21秒 | 日記・断片

何度も記したことであるが、通称グリーンベルトは、取手東6丁目の南側で新道町内会。
1本の道を隔て北側はコンクリートベルトで八重洲町内会。
南の花壇のグリーンベルト。
北の無機質なコンクリーベル。
実に対象的である。
川沿いの桜並木の全ての桜を伐採したのが八重洲町内会であり、地域住民の選択であったそうだ。
理由は?
桜の毛虫を嫌った八重洲地区住民の声が強かったと言われている。
川沿いの桜並木の面影は、井野団地内に今はそのまま残っている。
当方は当時、雇用促進住宅に暮らしていたので、桜が1本も残らず全て伐採されたその経緯を知らない。
「私は、反対したのだけれどね」と息子の小学校の同期生のお母の元看護師の方が言っていた。
その人の故郷の青森の桜と話なる。
「知っている?」
「はい、仕事で行った時に、桜見ました」
「仕事?どんな仕事だったの?」
「営業の仕事です」と当方はいつも問われると、過去の仕事をあいまいにする。
日本歯科新聞時代、記者の立場を封印して広告取りに専念して会社を立て直したことのへ矜持である。
創業者に請われて、倒産した直後に入社して、社の<再建請負人>としてのような立場であったことえの自負である。
思えば、記者としてより、営業マンとしての資質が勝っていたのであろうか。
であるから、「あなたは、ジャーナリストではない」とある歯科関係者のご婦人に言われた時、聞き流せた。