【平成の事件】司法に突きつけられた問い
4/15(月) 9:46配信 カナロコ by 神奈川新聞
【平成の事件】東名一家死傷事故 常軌を逸した「あおり運転」の愚行、司法に突きつけられた問い
東名高速道路下りの事故現場付近(右)。常軌を逸した石橋被告の運転行為は、「あおり運転」が社会問題化する契機となった=神奈川県大井町
きっかけはささいな交通トラブルだった。「カチンときた。文句を言いたかった」。高速道路上でワゴン車を執拗(しつよう)に追い回した男は、後の裁判員裁判でそう語った。神奈川県大井町の東名高速道路で2017年6月5日夜に起きた一家4人死傷事故。
身勝手極まりない理由で我を忘れ、見ず知らずの家族を危険にさらした愚行は、「あおり運転」の俗称を世に刻み、現行の法制度の課題も浮き彫りにした。(神奈川新聞記者・横山隼也)
【平成の事件】東名一家死傷事故 常軌を逸した「あおり運転」の愚行、司法に突きつけられた問い
事故の直前に一家が立ち寄った中井パーキングエリア。
ささいな交通トラブルが、石橋被告による「あおり運転」の引き金となった=神奈川県中井町
執拗な追跡、焦る一家
「どうするの。ついて来ちゃったじゃない」―。
東京への旅行からの帰路、静岡市の萩山友香さん=当時(39)=が運転するワゴン車内は、焦燥感にも似た雰囲気に包まれていた。バックミラーに映るのは猛追してくる1台の車。娘2人も異変に気付く中、夫の嘉久さん=当時(45)=は「俺が謝る」と答えたという。
横浜地裁で言い渡された一審判決などによると、事態の発端は、事故現場から約1.4キロ手前に位置する中井パーキングエリア(PA)での出来事だった。道を半ばふさぐような形で停車する車に、嘉久さんは一喝した。
「邪魔だ」。ややきつい口調は、車近くでたばこを吸っていた石橋和歩被告(27)=一審で懲役18年の判決、控訴中=の心をざわつかせた。「頭に血が上った。謝らせたい一心で追い掛けた」
追跡中、被告は約700メートルにわたって計4回、割り込みと急減速を繰り返した。
路上に停車後、ワゴン車に詰め寄ると、嘉久さんの胸ぐらをつかみ「高速道路に投げ入れてやんぞ!」「殺されたいのか!」と怒鳴りつけた。同乗していた交際女性に「子どもがおるけん、やめとき」といさめられて我に返るまで、暴行を継続。後続の大型トラックが突っ込んできたのは、ワゴン車を離れて自身の車に戻る途中だった。
「なぜあれほど怒るのか」
事故では萩山さん夫妻が死亡し、娘2人がけがを負った。
石橋被告自身も重傷を負い、入院を余儀なくされた。神奈川県警は、事故前後の通過車両の割り出しや被告の車のカーナビ記録の解析を通じて運転態様の詳細をあぶり出し、事故の約4カ月後に被告を逮捕。
横浜地検は自動車運転処罰法違反の危険運転致死傷罪を適用して起訴に踏み切った。姉妹の目の前で両親が命を落とす結果の重大性はもとより、常軌を逸した被告の運転行為が明白になるにつれ、世間からの非難の声も高まっていった。
「注意されただけで、なぜあれほど怒るのか不思議です」。被告の公判に証人出廷した萩山さんの長女は率直な疑問を投げ掛けた。「(事故後同居する)祖父母に心配をかけないため、泣く時は夜に1人で泣く」。
県警の捜査員にかつてそう語ったエピソードも明かされた。嘉久さんの母・文子さん(78)は会見で、「同じような苦しい目にあわせてやりたい」と峻烈(しゅんれつ)な言葉を並べ立て、危険運転致死傷罪の成立を否定する被告に厳罰を求めた。
被告の性格について、交際女性は証人尋問で「私にはとても優しい人でした」と語った。一方で、以前からあおり運転を行っていたとも証言し、今回の中井PAでの場面に関しては「和歩がキレると思った」と振り返った。検察側は、東名事故前後で被告が少なくとも10件の交通トラブルを起こし、パトカーにまで妨害運転に及んだと指弾した。
増える摘発、対策も強化
割り込みや追い越しなどを受けて報復行為に及ぶあおり運転は、「ロード・レイジ」とも呼ばれる。「道路」と「激怒」を意味する言葉だ。普段はおとなしい性格の持ち主がハンドルを握ると豹変(ひょうへん)する原因はどこにあるのか。
「車内はある意味インターネットと同じで、匿名性を確保されたプライベートな空間。怒りを感じれば、身元を特定されないと思って、ささいなトラブルでも過剰に反応してしまう」。
怒りの感情との向き合い方を指導する日本アンガーマネジメント協会の安藤俊介代表理事はそう分析し、「誰もがあおり運転に及ぶリスクがある」と警鐘を鳴らす。
警察庁によると、昨年の道交法違反(車間距離不保持)の摘発件数は全国で1万3025件。前年比で約80%増えた。このうち高速道路での違反が1万1793件と約9割を占める。
事態を踏まえ、警察庁は昨年1月、著しい交通の危険を生じさせたドライバーに対して免許停止の行政処分を科せるとする規定を厳格に適用するよう、全国の警察に指示。神奈川県警など一部の警察は、ヘリコプターによる上空監視も取り入れ、取り締まりの強化に努める。
九州大学の志堂寺和則教授(交通心理学)は「運転免許の講習などでもトラブルに冷静に対処する訓練を取り入れる必要があるだろう」と指摘。安藤代表理事は、交通トラブルで怒りを覚えた際の対処法として、「6秒間我慢して感情を抑制することが効果的。車内に家族写真などを置き、失うものがあると思い起こせるようにするのも有効だ」と呼び掛ける。
【平成の事件】東名一家死傷事故 常軌を逸した「あおり運転」の愚行、司法に突きつけられた問い
被告の裁判では危険運転致死傷罪の成否にも注目が集まった。
判決公判では一般傍聴席41席を求め、約700人が長い列を作った=横浜市中区の横浜地裁前
司法に突き付けられた問い
事件は現行の法制度に対しても、避けて通れない問いを突き付けた。
石橋被告が問われた危険運転致死傷罪は運転中の事故を適用の前提とする。今回のようにいったん停車した後に誘発した事故にまで適用が可能かどうか、専門家の間でも意見が割れ、公判への社会的な注目を高める要因になっていた。