原発避難者支援と災害ケースマネジメント

2019年04月11日 20時06分22秒 | 社会・文化・政治・経済

 日弁連 災害復興支援委員会委員長 津久井進さん

復興曲線が導く支援の決め手となるのは「災害ケースマネジメント」である。
災害ケースマネジメントとは、災害によってダメージを受けた一人ひとりの被災者(被害者、避難者を含む)に寄り添い、生活全体における状況を的確に把握したうえで、それぞれの課題に応じた生活再建の計画を立て、情報提供や人的支援などさまざまな制度を組み合わせて計画を実施する取り組みをいう。分かりやすく言えば、“介護保険制度におけるケアマネジメントの災害バージョン” といったイメージである。
災害ケースマネジメントを実施するには、災害に関するさまざまな支援メニューのほか、平時の福祉メニュー等を組み合わせ、その被災者に合った効果的なパーソナルサポートをすることが必要である。

すなわち、①一人ひとりの被災者の状況の把握、②さまざまな支援施策を組み合わせた支援計画の立案、③計画に沿った支援の実施、
④金銭面だけでなく情報提供や寄り添いをはじめ、官民の壁を超えた多様なセクターの連携と関与、⑤平時の生活への連続性の確保、といったタスクをパッケージしたものを、災害ケースマネジメントと呼んでいる。
仙台弁護士会は、平成 29 年 3 月 6 日に公表した「東日本大震災から 6 年を迎えての震災復興支援に関する会長声明」の中で災害ケースマネジメントを提唱している。
この提言の背景には、石巻市における「在宅被災者」の戸別訪問支援で得られた教訓がある。

在宅被災者とは、避難所や仮設住宅に入居する典型的な「被災者」ではなく、制度から漏れ落ちて何らの支援も得られず、たとえば壊れたままの自宅で不自由な生活を送っている人々をいう。
玄関扉のない家、壁の伱間から雪が舞い込む家、床や天井がない家、壊れたトイレ、カビだらけの家など、目を疑わざるを得ない現実がある。
制度から漏れ落ちた人々を救済するには、制度の改善(≒ラインの引き直し)よりも個別対応の方が実際的であり、効果的との考えが基底にある。
制度の網から漏れた人々は、ほかにも枚挙に暇がない。

阪神・淡路大震災の「震災障害者」と呼ばれる人々は、あまりにも救済要件が厳しく限定的であるため、声を上げることさえできず、15 年間も耐え続けた。

「借上げ復興住宅」に入居する高齢者たちは入居から 20 年も経ってから明渡しを余儀なくされ、住み慣れた家とコミュニティを失い、生命の危機にさらされている。
東日本大震災では「関連死」が注目されたが、一人ひとりの死の結果は伱間に埋もれ、再発防止の教訓化さえなされていない。

熊本地震では直接死を 4倍も上回る関連死が再発してしまった。

一人ひとりを大切にするという価値観は日本国憲法が最も重要視する考えである。
憲法 13 条が規定する、個人の尊重、生命の尊重、自己決定権、幸福追求権は、いずれも一人ひとりを大切にするという理念を源泉にしている。
原発避難者に対する支援施策に欠けているのは、一人ひとりが大切にされていない点である。
そうであれば、取り組むべき課題は明らかで、一人ひとりを大切にする施策の実施である。
これを阻む壁は、一つは制度の欠落であり、二つは政府の不理解である。

そして三つは公平性を妄信する国民的愚考である。

「不公平」を持ち出して一人ひとりの違いを問題視し、あるいは、「公平」を理屈に切り捨てや打ち切りをする行政の論理を無批判に受け入れる社会実態がある。
これらと正面から闘うのも大事なことだが現実的に目の前の課題を解決していくことも大事なことである。

私は、一人ひとりに向き合う災害ケースマネジメントの実行を強調したい。


介護職員の平均月給、初の30万円超え

2019年04月11日 19時29分03秒 | 社会・文化・政治・経済

  厚労省調べ

2019/4/10 日本経済新聞
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厚生労働省は10日、介護施設で働く常勤介護職員の平均月給が2018年9月時点で30万970円と前の年と比べて1万850円増えたと発表した。30万円を超えたのは09年の調査開始以来初めて。介護現場での人手不足感が強まるなか、待遇の改善で職員の引き留めを図る施設が増えているためだが、産業界の平均水準には届いていない。
特別養護老人ホームなど全国の1万670施設・事業所を調べ、有効回答率は74.1%だった。

平均月給には基本給のほか、諸手当や賞与も含まれる。月給のうち基本給は18万1220円で、前の年と比べて3230円増えた。諸手当は7万1330円で3610円増、賞与も4万8420円と4010円増えた。

厚労省は介護職員の処遇を改善するため、職員1人あたり最大で月3万7000円に相当する介護報酬を支払っており、これも給与水準を押し上げた。上限まで報酬加算を取得した事業所は69.3%と前の年より4.4ポイント増加した。

ただ厚労省の賃金構造基本統計調査によると、18年6月時点の全産業の平均給与(賞与は除く)は33万6700円だった。介護職の給与は一般産業界の水準にはなお届いていない。

介護職員の持続的な賃上げへの環境整備にも課題はある。今回の調査で賃金引き上げの実施方法を複数回答で聞いたところ、賃金カーブを底上げするベースアップを実施する予定の事業所は21.1%にとどまり、手当の引き上げや新設が31.3%に上った。

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中小企業の平均月収は?

2019年04月11日 18時23分07秒 | 社会・文化・政治・経済

都道府県別の年収の違い

続いて、都道府県別の平均年収の違いについて見ていきましょう。
最も平均賃金が高いのは東京都で、37万7,400円。最も低いのが沖縄県で、22万7,700円です。その差は約15万円、年収に換算すると約180万円です。

ここでの平均賃金は企業規模別ではないため、中小企業の平均年収にどれだけの差があるのかは正確にはわかりません。しかし地域によってその差が出ることは間違いないでしょ。
平均年収にさらに差をつける「賞与」

賃金構造基本統計の「賃金」には「賞与」いわゆるボーナスは含まれていません。しかしこの賞与の金額、有無は平均年収に大きく関わってきます。

例えば38万1,900円の賃金を受け取っている大企業の男性が、賃金6ヶ月分の賞与を受け取った場合、年収は687万4,200円になります。一方で28万5,900円の賃金を受け取っている小企業の男性が賞与なしだった場合の年収は343万800円です。その差は約2倍です。

さらに「賃金」からは時間外勤務手当、深夜勤務手当、休日出勤手当、宿日直手当、交替手当が差し引かれているため、さらに格差は広がります。

賃金構造基本統計で挙げられているのは平均値なので、この数値だけを見て単純に比較はできません。しかし、それでも年収において大企業と中企業、小企業の間には大きな差があることは事実です。

 

 

 

大企業 男性 38万1,900円 458万2,800円 100%
女性 26万5,200円 318万2,400円 100%
中企業 男性 31万2,100円 374万5,200円 82%
女性 23万3,800円 280万5,600円 88%
小企業 男性 28万5,900円 343万800円 75%
女性 21万4,600円 257万5,200円 81%

※男女ともに大企業の年収を100%とする。


取手駅前を思い出してみる

2019年04月11日 12時50分18秒 | 社会・文化・政治・経済

「とりでの今昔アルバム」 懐かしい写真・・・・・

<<  作成日時 : 2010/01/11 12:20   >>

面白い ブログ気持玉 10 / 

Torishinさんのブログ、「おでかけ」で「取手の街を散策」という記事を拝読し、コメントをいれていたら、昔のことを思い出し、ちょっと書いてみようと思った。

以前、私は取手駅の西口側の新町に住んでいた。

当然、駅ビルなどはなく、西口は改札をぬけるとすぐに階段だった。
今はある東西連絡通路はなく、昔は入場券があり、駅のホームを通り東口へ行っていた。

西口の正面にはスーパー西友があった。今はパチンコ店かな。ビルは宇田川で同じだと思うけど。
その前にはけっこう広い自転車置き場があった。
そしてその自転車置き場のわきに北村書店。よく立ち読みをした。
その隣の店などはけっこう変わったが、私が覚えているのは鯛焼きやチーズドッグを売っている店。
よく買って食べた。

そして、一勧の脇からも西友への入り口があり、その横に煎餅屋さんがあった。ここでもよくお煎餅をかった。

今のミスドーの所は地下への階段があって、飲食店がけっこうあった。
常陽銀行のところは三和銀行だった。


今のとうきゅうがある場所には西口マーケット。だいたい結城さんの土地だからね。(これは地元民しかわからないか・・・)
立体駐車場のあたりには、私が子供の頃には東京スターレーンというボーリング場だったことが一時あった。

そして、西口マーケットの横あたりに、食堂の「せきね」とか理容室や美容室などがはいっていた建物があったな~。
それと、確かデュポンという喫茶店もあったような・・・・。

反対側の学生寮がわの坂の途中には右側に喫茶店ソシアル。
あとは・・・・、大分あとだが、関鉄書房があったときも・・・・。

左側にはまず、ケンタが合ったところは喫茶店スワンじゃなかったかな~。
いや、違う。山一ビルの下だ。
そして、果物屋さん、おおみフルーツがあった。その手前かな名前は忘れたが、小さな焼きもつ屋さんがあったよな~。

東口はもっと複雑で、よくは思い出せないが・・・・。

私が覚えている頃は、まず三井銀行が左側にあったよな~。

そして、正面の直角カーブの角にさくら食堂。その上に喫茶店白樺。
その隣の列、つまり駅の正面側に桃太郎食堂やシンロク、海老原書店、タクシー、地下におりるかたちでパブというか喫茶店というかリオがあった。不二家もあったか。
順番などはよくおぼえていませんが、それらの店が並んでいた。ちょっと先には和菓子などを売っていた みよしの もあった。

その裏のほうには一番軒という中華屋などもあったような・・・・。
とにかく、ほそい細かな道がまがりくねっていたような記憶が・・・・。

そして、今のローソンの前あたりかな、焼きそば美恵があった。その置くには焼き肉元山。
そして駅の左側には植竹病院、今の高層マンションの辺りか。

カタクラ、そう、ヨーカドーができたのは私が小学生低学年の頃かな~。

そのヨーカドーの前の端にも北村書店があった。

そして、ヨーカドーの前にはクニコ美容室やレストランコイケ(ここのハンバーグは美味しかった)、そして料亭たきもとなどがあった。
あとは思い出せない・・・・。

また長禅寺下には今井という煎餅屋があり、よくお菓子などを買った。
江丸やとう八百屋もあった。
天寿は昔からあるね。

日活の映画館があったのは亀すしの後ろ、つまり駅側のあたりか・・・・。
セントラルホテルのあたりには銭湯もあった。



あと私は当然行ったことはないが、親父達がよくいったキャバレー桃山があった。
場所はよく・・・・。


矢羽根の横あたりに肉のせきねがあったよな~。

昔はコロッケはせきね、メンチはヨシダとよくいった。



その後も東口は店舗などが目まぐるしく変わり、詳細は思いだせない。

古くからの店も区画整理ですこし場所をかえてやっていたり、形態をかえて同じ場所でやっている店もある。



カタクラショッピングプラザ事態も最初とは大分かわって、なくなってしまったしね。
これ、ヨーカドーがあった建物です。

4階には新星堂があり、何枚のレコードをここで買ったことか。
そして、5階にはけっこう広いゲームセンター。夏にはお化け屋敷もやっていた。
そして、レストランなども。

屋上もあり、夏はビアガーデン。
催しものもやってたりして、ずーとるびを屋上に見に行った記憶がある。



あと、これはすこし後になるが、東口で今のマツキヨのところに最初にロッテリアがあった。
その後、西口の今のセブンイレブンのところにもできたが、最初はあそこにあったな~。



取手にはロッテリアはあったが、マックがなくて、子供のころ柏にいくとよくマックを食べていた。
そう、とうきゅうができるまでなかったんだよね~。


あと、取手は吉野家も最近までなかったね~。




でも、飲食店もチェーン店が多くなったが、昔のが面白かったな~。

思い出すと懐かしい~。



あっ、それと今の競輪場って、昔は競馬場だったんだよね。
うちのなくなった祖父が馬をもっていたといっていたっけ。



写真などがあればいいんだろうが、あいにく駅前の風景を撮ったものは・・・・。

読んでる方はほとんどわからないか・・・・・。




※取手の昔の写真がのっている商工会のページをみつけました。


とりでの今昔アルバム



懐かしい~!!

















取手競輪今昔(3)

2019年04月11日 12時44分52秒 | 未来予測研究会の掲示板

東京芸大と連携 アートで楽しさ演出 お化け屋敷、だまし絵も
茨城新聞 2018年3月23日(金)

取手競輪場の特徴として、真っ先に挙がるのが場内各所で見掛けられるアート作品だろう。

東京芸大のキャンパスが取手市内に立地していることから、同競輪場は2005年ごろから同大と連携を深めており、場内各所には彫刻や壁画、だまし絵など、計20点の同大関係者による作品が展示されている。地域財産を生かすことで、新規顧客の獲得を目指している。

競輪場の一角に造られたお化け屋敷。中にはお化けに扮(ふん)した競輪選手が待ち構える。突然姿を見せたアトラクションを楽しもうと、入り口には長蛇の列ができる。1年に1回、毎年秋に行われている競輪とアートのコラボイベント「サイクルアートフェスティバル」の15年の一幕だ。

アートプロデューサーを務めているのが市内在住のアーティスト・傍嶋(そばじま)賢さん(39)。最初は旧メインスタンドの一部で「アートマーケット」と銘打ち、作品の展示販売を行ったが、その後はお化け屋敷のほか、だまし絵、場内に101匹描かれたウサギを探す「ラビットハンター」など、毎年一風変わったイベントを企画して訪れる人を楽しませている。

企画を考える上で傍嶋さんが「刺激を受けている」と語るのが、競輪場を管理運営する県自転車競技事務所の職員ら。「競輪を全く知らずに異動してくる方も多いので、かえって面白いアイデアを出す」という。

例えば、お化け屋敷は07年ごろ、当時の職員が「競輪場(の使われていないスペース)でお化け屋敷をやったら面白いのでは」と言い出したことがきっかけ。傍嶋さんは構想を温め、数年後に実現させた。「毎年のフェスは、歴代の担当者たちと一緒につくっている感覚」と明かした。

県自転車競技事務所の担当者は「アートとコラボレーションすることで、競輪場自体の魅力向上になり、新規顧客の獲得にもつながっていると思う」と手応えを感じている。

今年のフェスで何を行うかは未定。それでも、「(視察旅行先の)フィレンツェで、日本語の『名物もつ煮込みサンド』という看板を見つけて、競輪場でも販売できるのではないか」「『地元選手応援席』の脇で自分が延々と絵を描き続けたら面白いのでは」「これまでは一般の方にも分かりやすいアートイベントだったが、一度誰にも理解できない企画をやりたい」-など、アイデアは尽きない。

今月、出身地近くの中山競馬場を訪れた傍嶋さんは、若い世代や女性客の多さに驚いたという。「競輪にも多くの魅力がある。アートが、これまで競輪場に足を運ばなかった人たちへの一つの動機になればいい」と願い、新たな企画を練っている。


取手競輪今昔

2019年04月11日 12時38分41秒 | 未来予測研究会の掲示板

「おけら街道」 人の波、にぎわう路地 
高度成長、バブル期活気
2018年3月9日(金) 茨城新聞

競輪場の北側にある白山商店街で長年雑貨店を営んでいた岡部正敬さん(69)は「競輪で負けたお客さんはそのまま『おけら街道』を通って一直線に駅へ向かう。勝ったら白山商店街で一杯引っかける。今の人出とは比べものにならない」と振り返る。

当時、岡部さんの雑貨店は競輪場内でタバコを売るブースを出していたが、最盛期は1日で現在の金額に換算すると約40万円を売り上げた。また、積雪が多い地方の選手たちは冬場の練習場を取手に求めることも多く、周辺に下宿しては競輪場へ練習に通う姿も多く見られたという。

競輪場の盛り上がりが最高潮に達したのはバブル時期。昨年まで茨城支部所属の最年長選手として活躍していた永沢豊さん(61)は「大きなレースの出走前は地鳴りのような歓声が沸き上がって、自分たちも『やってやるぞ』という気持ちになった」と明かす。

2000年、同競輪場で初めてのG(2)レース「共同通信社杯」が開催されたこともあり、同年度の売上高は史上最高の約390億円を記録する。しかし、その後は景気の低迷もあって05年度以降は売上高が200億円を割る。さらに、11年度には東日本大震災の影響で約79億円まで落ち込んだ。

競輪を取り巻く環境は厳しさを増しているが、14年4月からは入場料を無料化。さらに16年度には初めてのG(1)レース「全日本選抜競輪」を開催したこともあり、同年度の売上高は約152億円と復調の兆しを見せている。


婚活にAI(人工知能)を活用

2019年04月11日 11時17分08秒 | 社会・文化・政治・経済

通常の見合いのシステムを利用した場合は、申し込んだ相手のデータが自分の基準に合っているとは限らないため、会った後に申し込まれた方が断られる確率が高い。
やはり期待通りではなかったとか、もっといい人から申し込まれるのではないか、という心理が働くからである。
しかし、AIが選んで提案するとなると、二人とも「自分に合った人かも」という心理が働く。
つまり、ご宣託効果があるのだ。
日本人は、自己責任を嫌う傾向が強い。
自分が選択して失敗したら、大変、落ち込む。
だから見合いから交際に移る確率が低くなる。
しかし、AIが選択したら、断られてもAIのせいにできるから、気楽に交際を進めることができる。
これが、AI活用の利点なのである。
中央大学文学教授 山田昌弘さん

 


【主張】大熊町「避難解除」

2019年04月11日 10時51分33秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年4月1日 公明新聞

 ゼロからの出発に全力支援を

東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県大熊町で、一部地域の避難指示が解除されることになった。


 事故から8年余り。多くの課題を抱えながらも、原発立地の町がともかくも復興の入り口に立つ意義は大きい。

 「これを呼び水に復興に弾みをつけたい」との渡辺利綱町長の思いに呼応し、国は引き続き支援に全力を尽くすことを改めて誓ってほしい。

 解除されるのは、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区を合わせた約30平方キロメートル分。町の総面積約79平方キロメートルの38%を占めるが、住民登録は計140世帯374人と町全体(1万367人)の3・6%にとどまる(2月末現在)。

 同町の中心部はもともと帰還困難区域内にあり、両地区は、いわば“周辺地域”だったためだが、町は大川原地区を「復興拠点」と位置付け、中屋敷地区と合わせて“ゼロからの出発”を期す。

 事実、大川原地区には既に町役場の新庁舎が完成し、14日に開庁式を行う予定。帰還住民のための災害公営住宅の整備も進み、6月から第1期分50戸への入居も始まる。

きのう3月31日には常磐自動車道の大熊インターチェンジも開通し、これに合わせて町の基幹道路である国道6号や大川原地区につながる県道、町道の通行規制も解除された。

 事故後、町民帰還の「その日」に備えて清掃作業などを続けてきた町職員OBらでつくるチーム「じじい部隊」もきのう31日に活動を“卒業”し、本紙記者に「感無量だ。あとは若い職員に託す」と喜びを語ってくれた。

 ただ、今年1月に町が行った町民帰還意向調査では、「解除後の暮らしの不安」などを理由に「戻らない」と答えた人が半数を超える。

 実際、新庁舎近くに建設予定の商業施設や福祉施設など生活インフラの整備は遅れ気味で、局所的に放射線量が高い場所も両地区に残る。一部解除は決してゴールなどでなくスタートであることを思わないわけにはいかない。

 なおも続く苦難を覚悟し、「新生・大熊」の創出に船出する原発立地の町の挑戦に、国は支援の手を片時も緩めてはならないことを重ねて強く指摘しておきたい。 


「じじい部隊」解散 住民避難の福島・大熊を守った6人

2019年04月11日 10時46分21秒 | 社会・文化・政治・経済

2019/04/01 朝日新聞

留学生巡り「上手にやりゃあ120億」
比で発見の5万年以上前の人類 新種に
 東京電力福島第一原発事故の後、原発が立地する福島県大熊町で3月31日、職員に代わって町の見回りを続けてきた自称「じじい部隊」のメンバー6人が「最後の勤務」を終えた。10日に一部で避難指示が解除され、町内の新しい役場で業務が再開するかメンバーは町総務課長だった鈴木久友さん(66)ら元町幹部と元消防士など。

平均年齢は65歳を超える。鈴木さんを中心に2013年、「若い職員がリスクを冒す必要はない。年老いた自分たちが見回りを行う」と結成。町内を巡回し、倒木の除去や掃除、一時立ち入りした町民の手助けを行ってきた。

 31日、じじい部隊の活動拠点に渡辺利綱町長ら約30人の職員が集まり、6人をねぎらった。鈴木さんは「小さいことでも、町のために何かできることがあればやりたい。廃炉を見届けるまで長生きしようと6人で話した」と語った。(石塚大樹)

「じじい部隊」31日解散、福島
大熊町を避難中見守り 
2019.3.30  共同通信

東京電力福島第1原発事故で全町避難となった福島県大熊町で、住民不在の町を6年間パトロールし続けた元職員らのグループが3月末で解散する。平均年齢66歳の通称「じじい部隊」。

4月10日の一部避難解除を前にした30日、最後の地域活動として道路沿いのごみ拾いを行った。

 雨がぱらつく中、レインコート姿の隊員6人が、山あいにあり既に通行制限が解除された国道288号沿いの草やぶに分け入った。弁当の容器が入ったコンビニの袋や空き缶が次々見つかり、最初のごみ袋は5分足らずで満杯に。リーダー格の鈴木久友さん(66)は「車の窓からぶん投げているのかな」とため息を漏らした。


安部首相が4選の是非

2019年04月11日 09時52分02秒 | 沼田利根の言いたい放題

「安部1強」
「自民党1強」の下、安部首相4選説が流れている。
明らかに、長期政権による「負の側面」があることは否めない。
自ら、安部首相が4選の是非問題点を自覚すべきではない。
そうでなければ、「忖度」などという悪弊は払拭ないだろう。
2014年、官僚主導から政治主導の一つとして、中央省庁の幹部約600人の人事を一元管理する内閣人事局によって、過剰な「政高・官低」意識が固定化された。
必然的に、「安部一強」の素地を生み出した。 
「リーダーの力量」までが、<過剰な評価>につながる、実に皮肉な結果であった、と思われる。