教育とは一握りの知識人のもではない。
民衆一人一人が、確固たる人格を築きながら<学びの光>で社会を照らし、新しき歴史を創ることができる。
本来、教育とは、人間を豊かにし、幸福の源泉となるものです。
しかしながら現実は、人間としての完成よりも、学歴や資格優先されるといった、教育の目的の<逆現象>が起きているともいえます。
その教育の意義を転換しゆく、歴史的な役割を、通信教育は担ったのです。
通信教育は、限られた人だけでなく、<より多くの人に学ぶ機会をつくる>という意味において、その意義を鮮明にしていると思います。
戦後徴兵制度がなくなったからですか?
補足
自分ら若いころは年配者から{今のわかいもんは 兵隊検査がないから腑抜けになった) と云われましたが、戦争で懲りてないとみえる 馬鹿ですね
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昔から日本男児は軟弱ですよ。
徴兵=戦争と思ってるんでしょ?
ちがうちがうw
韓国見てみなさい。
徴兵制度がバッチシありますが戦争行ってますか?
徴兵制度があって戦争に駆り出される事はまず滅多にありません。
軍隊に一時的に入って組織の結束力を知る。有事の際の防衛力を知る事は大事な事だと思いますけどね。
個人的には徴兵制度は賛成です。
戦争に参加させるのは反対ですけどね。
そして徴兵制度のある国は今ほとんど、命の大切さ、弱い者(動物も含む)を守る事の寛大さなども学ばせているそうです。
目的もなく若い男がブラブラと無駄な時間を過ごすのなら徴兵制度で軍隊に触れてみて
色々な事を学んだり人生の楽しさについて感じたりする方がよっぽど有意義だと私は思いますけどね。
補足
戦争には懲りていると思いますよ。
ただ兵隊などの訓練が必要と言ってるのではないでしょうか?
まあ人の意見なんて千差万別ですし、あまり気にするほどの事でもないのでは?
人に言えない深刻な悩みや苦しみに、心も体もこわし、ひとり絶望している少女や若い女性たち‼ 彼女たちの心の闇に、一条の光となって、あなたの手をさしのべてあげて下さい。
彼女たちの言葉にもならない切ないSOSにあなたの耳を傾けて下さい。
彼女たちの苦悩の原因は、すべて、私たち大人の作った現代の日本の歪みが生んだものなのです。
どうか彼女たちの悩みを、あなたの悩みとして、共に悩み、苦の出口をみつけて下さい。お願いします。
若い女性や少女に支援が必要というと意外に思うかもしれません。でも、貧困、虐待、ネグレクト、DV、薬 物依存など彼女たちを取り巻く今の社会環境は厳しいのです。そして、彼女たちは一人で何とかしなければと苦 しんでいます。そんな彼女たちにSOSを出していいと伝えませんか。みなさんのご協力を心からお待ちしています。
貧困、虐待、ネグレクト、DV、いじめ、性的搾取、薬物依存、育児ノイローゼ…社会の抱える様々な問題に翻弄され、苦しむ少女・若い女性たち。自分の問題が本当は何であるかも分からず、心の闇に小さな何か(SOS)を抱えながら生きる彼女たち。
一見すると豊かな日本社会では、そんな彼女たちの「生きにくい」現状やその問題に対して、多くの偏見や誤解があり、十分な支援がなされていません。若草プロジェクトは、SOSを心に抱えた少女や若い女性たちと、彼女たちを支援する人たち(支援者)とをつなげ、支援を確実に届けます。
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悩みや問題を抱えた少女・若い女性たちが、自分のニーズにあった相談・支援機関を選別して、自らアクセスすることは非常に困難です。
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そこで若草プロジェクトでは、まず全国の現場にいて個々に活動する支援者をつなげ、顔が見えるネットワークを作り、少女や若い女性たちに寄り添いながら、あらゆるSOSを受け止められるワンストップ型の相談窓口を設置・運営し、彼女たちの必要としている支援につなげます。
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現代社会の中で少女として、女性としての「生きにくさ」と向き合いながら、その闇に翻弄されて苦しむ少女・若い女性たちの実情はほとんど理解されていません。
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また、彼女たちに真の支援者の存在が伝わりにくい現状があります。若草プロジェクトでは、多くの広報活動を通じて「支援者がいること」「ネットワークがあること」を彼女たちに伝えます。
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そして、各分野において問題意識が高い著名人の方々に「呼びかけ人」となって頂き、彼女たちの現状を、彼女たちの問題を、広く社会にも知ってもらいたいと考えています。
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少女や若い女性が心に抱える問題は複雑かつ複合的でデリケートな要素を多く含んでいます。
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そのため、問題解決には高い専門性をもった支援者の分野を越えた連携と、彼女たちの複合的な問題への考察、そして時代に応じて変化する彼女たちの現状理解が必要不可欠です。
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そこで、各支援者の高い専門性を融合させ、円滑な連携を行うために「京都嵯峨野の寂庵」を拠点として支援者向けの研修会を実施し、全国的なネットワークの強化に努めます。
若草プロジェクトは「若年女性たちをサポートする大人たち」の養成を活動の柱にしています。
現在の日本社会で、若年女性たちが抱える課題は「大人」たちには未知の分野とも言えるほど、多様になっています。
まず、大人たちが「新しい課題」の数々を、インプットしなければ始まりません。彼女たちは何に悩み、立ち竦まざるをえないのかを、学びましょう。
日本中の「心ある大人たち」が彼女たちに「信用される」大人になる。
その信用される大人たちを日本中でネットワークすることができたら、若年女子のためのセーフティネットが初めてできることになります。ぜひ、ネットワークの一員になってください。
社説
毎日新聞2019年4月3日 東京朝刊
容疑者の自白を絶対視するような捜査風土を変えなければならない。
殺人罪で服役した元受刑者が求めた再審を認める司法判断が相次いでいる。
捜査の見立てに沿った自白が強いられたり誘導されたりしたことが冤罪(えんざい)を招いた。
1985年に熊本県松橋(まつばせ)町(現宇城市)で起きた殺人事件で、再審無罪が確定した宮田浩喜さんは「うその自白をさせられた」と述べていた。
事件では、凶器に巻き、犯行後に燃やされたはずのシャツを検察が長年所持していたことが判明した。
適切な証拠開示が行われていれば有罪にならなかったはずだ。
2003年に滋賀県東近江市の病院で入院患者が人工呼吸器を外されて死亡したとされた事件でも、元看護助手の西山美香さんの再審開始が確定した。
この事件は、殺人ではなく自然死だった疑いが強く、無罪の公算が大きい。
西山さんは軽度の知的障害があり、他者に迎合しやすかったといい、ストーリーありきで自白が引き出されたのではないか。
再審無罪が確定した足利事件でも自白が強要された。自白は「証拠の王様」と呼ばれ、裁判の中で重視される。
そこに虚偽の供述を生む余地が残る。捜査機関は自白を得れば、証拠物全体をそれに合わせて評価してしまい、客観的な証拠収集がおろそかになりがちだ。この国の捜査機関の自白偏重体質は否定し
難い。
刑事訴訟法が改正され、取り調べの録音・録画制度が6月から義務化される。
ただし、裁判員裁判対象事件などに限られ、刑事事件全体の約3%に過ぎない。
カルロス・ゴーン日産自動車前会長の事件では、取り調べへの弁護人立ち会いの必要性が投げかけられた。西山さんの弁護側も求めている。
欧米の主要国では容疑者の権利として定着している。取調室の密室性を取り除く制度改革は、正面から議論すべきテーマだ。
捜査機関が収集した証拠の開示についても改善しなければならない。
捜査で得られた証拠は公共物だ。刑訴法が改正され、検察が全証拠リストを弁護側に開示することが義務付けられた。だが、再審については法に規定がない。
検察の裁量や裁判所の姿勢で開示が左右されるのは不合理であり、改める必要がある。
3/29(金) 毎日新聞
親自身も70~80代で介護が必要な人が増えている。
認知症や病気で親が倒れたとき、ひきこもっている人は生命の危機に直面する。
ひきこもりの高齢化に合わせ、健康面や生活を支える多様な制度が求められる。
親子の共倒れを防がねばならないだろう。
変わる「ひきこもり」像 中高年も
きっかけは「退職」が最多
内閣府は29日、40~64歳でひきこもり状態にある人が全国推計で61万3000人に上るとの調査結果を公表した。自宅から出ない生活が40代以降で始まった人や「専業主婦」とされながら実態はひきこもりだったケースも判明し、若者の問題とされてきた「ひきこもり像」の転換を促す結果だ。根本匠厚生労働相は同日の閣議後記者会見で「新しい社会的課題だ。検討、分析して適切な対応をしていくべきだ」と述べた。
推計結果は、15~39歳を対象とした内閣府の調査(2015年)での推計約54万人とほぼ同規模で、ひきこもりの人の総数は100万人規模になるとみられる。中高年層は初めて調べた。
内閣府によると、年齢の内訳は、40代が38%、50代が36%、60代が26%。ひきこもりになった年齢が39歳以下の人は4割程度で、6割は40歳以上だった。期間は「7年以上」が47%と半数近くを占めた。
きっかけは「退職」が最多で「人間関係がうまくいかなかった」「病気」が続く。過去の調査で除外していた専業主婦らも、生活状況によってはひきこもりと認定した。性別では4分の3が男性だった。
調査は18年12月、全国の40~64歳の本人5000人(有効回答率65%)と家族らを対象に実施。6カ月以上自宅から出ないなどの条件に当てはまる47人を「ひきこもり」と認定。40~64歳人口(4235万人)から推計した。【阿部亮介】
「筑波山が見えるね」当方
「あれが筑波山?」家人
「そう筑波山」えびちゃん
「前回は、雨が降っていたので、筑波山は見えなかった」当方
「そうだった?」家人
「少し降っていたね」えびちゃん
当方は雨傘をさして、桜並木を行く人たちを写真に撮っているので記憶は確かだった。
古木が切られ、そのあとに桜の苗木が植えられていた。
「ふれあい道路も初めは、こんな苗木だったよ」えびちゃん
「それはもう、太くなっている」当方
「利根川には桜がないね」えびちゃん
「利根川の土手にも、ふれあい道路ができた時期に桜を植えればよかったのにね」家人
「ゴミがたくさんだよ」えびちゃん
駐車場に近い川の下には、かき集められのか、無数のゴミが溜っていた。
福岡堰の桜公園
茨城観光100選に選定された600本の桜、約1.8kmにも及ぶ堤に咲き誇る桜のトンネルは見応え充分。
茨城県つくばみらい市北山 | |
交通アクセス |
【電車】つくばエクスプレス みらい平駅~会場間 3/29~4/2に限り無料シャトルバス運行。つくばエクスプレス「みどりの駅」下車→関東鉄道バス「水海道駅」行 「水門」バス停下車 徒歩5分。関東鉄道常総線「水海道駅」下車→関東鉄道バス「土浦駅」行 「水門」バス停下車 徒歩5分。 【車】 常磐自動車道「谷和原IC」から車で約15分 常磐自動車道「谷田部IC」から車で約15 |
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午前11時、ミスターマックス横の道で、家人の友人のえびちゃんが待っていた。
家人と3人で福岡堰へ向かう。
千葉の小林牧場へ行く予定だったが、えびちゃんの息子さんが「おふくろ、道は複雑だぞ」と言ったそうで、カーナビもないので、良く知っている福岡堰に花見を変更した。
約45分、小貝川へ出た。
「桜、散ったの?」とえびちゃんが言う。
車を降りて、確認したら桜は5分咲きくらいに見えた。
取手市の桜はほぼ満開なのに、この福岡堰の桜の並木路とは温度差があったのだ。
遅咲きの桜と早咲きの桜があるようだ。
思いのほか温かく、約2時間で「桜が全体的に白くなった」とえびちゃんが言う。
5分咲きがいっきょに7分咲きになったようだ。
福岡堰は4年ぶりだろうか。
ブルーシートを川の土手に敷いて、花見をする。
えびちゃんは、気を遣って当方のためにと、200㎜の白鶴カップを2本とつまみを持参していた。
草餅とイカ煎餅などをいただく。
春を告げるように蝶が舞っていた。
長閑であり、ウグイの声もする。
突然、強い風が起こり帽子が飛ばされた。
木曜日なのに、多くの花見客が来ていた。
心が和む素晴らしい花見となる。
帰りにレストランにより、梅酒のロックなどを2杯飲む。
桜並木が連なるふれあい道路を通る。
午後4時に帰宅。
理念・方針
障がいのある人の「生きにくさ」という問題を「関係障害」としてとらえ、地域・社会のなかで「関係支援」として解決していくことが、 障がいのある人のみならず、すべての人にとっても、その人らしく暮らしやすい地域・社会づくりにつながると考え、社会的事業を展開していく。
「知的障がい」のある人たちのもっとも大きな障がいは、障がいが重いといわれる人も、軽いといわれる人も、「本当の声」をうまく伝えることができないことです。
そしてなによりも、「本当の声」を聴いて、その人らしく「生きる」ための本人中心の支援が整備されていないことです。
特に軽度といわれる知的障がいのある人たちは、「一見、障がいがあるように見えず、身の回りのこともでき、受け応えもできる」ので、 周囲からは言葉を理解できていると思われてしまい、一見と言動や行動とのギャップによって人間関係や社会との関係がうまくつくることができません。
そのような人たちが、社会の厳しい現実の中を生きるためには、地域における本人主体のさまざまな支えが必要です。
そうした支えがないと、 「生きにくさ」を抱えてストレスが蓄積し、内在化すると二次障害としての精神障がいという形で表面化し、外在化すると社会的トラブル(触法行為)などの形で表面化し、 本人や家族では解決できない問題へと進行していくことがあります。
他者や社会との関係においてその障がいが軽くも重くもなるのが、知的障がいのある人の大きな特徴であり、それは支援の難しさでもあります。
『うち』創設の中心メンバーは、これまで、社会福祉法人のグループホーム事業等の施設長として、特に中・軽度といわれる知的障がいのある人の多様なニーズに直面し、 地域において、その人らしく「生きる」ための自己決定。
支える本人中心のつながりづくりを「関係支援」として長年実践を重ねてきました。
そうした中で、「生きにくさ」を抱える人たちのニーズに対応し、「関係支援」をより発展させていくために、『特定非営利活動法人UCHI(うち)』を設立して、2014年4月に』を開設いたしました。
障害持つ人、依存症の人
当事者がかかえる様々な生きづらさ(見極めや対処が難しい圧迫や不快なできごと、症状や薬との付き合い方、家族・仲間・職場における人間関係、仕事上の苦労)や、固有の経験等を研究の素材にする。
当事者研究における研究の素材は、私たちの身近な生活経験の中に、それこそ無尽蔵にある。
自分自身で背負いきれないと思ってきた苦労や生きづらさでも、「研究」という担い方を志した時、それは興味や関心となって、不思議と持ちやすいものになる。しかも、当事者研究で大切なのは、「自分自身で、ともに」というスローガンにあるように、仲間や関係者との連帯がカギとなる。
この連帯のイメージは、「語ること」を重んじてきたべてるの伝統と、当事者研究が認知行動療法であるSST(生活技能訓練)のプログラムの展開から、発展的に生まれてきたことと無縁ではない。
後者でいえば、共同的実証主義の立場が反映されていると言え、さらには、統合失調症などをかかえる当事者を「自分の専門家」ととらえ、適切な自己対処の在り方を、模索していく姿勢も、それに重なるものである。この辺は、ナラティブ・アプローチにおいて専門家が自分の立ち位置を「無知」に置くことと関連してくる。
向谷地生良さん(北海道医療大学、浦河べてるの家)
当事者研究の最大のポイントは、統合失調症等を持つ当事者自身が、自らのかかえるさまざまな生きづらさに対して、周囲の過剰な保護や管理から脱して、自律的、研究的に担い、対処をしていこうとする前向きな動機を育て、持ち続けることにある。
そして、それから生まれるつながりのネットワークが、生活に張り合いを生む。
当事者研究が、その展開において、「自分の中に、仲間の経験の中に、知恵がある! アイデアが眠っている! 仲間や専門家、家族と連携しながら、さあ、今日から、自分自身で、共に、研究しよう!」をスローガンに進められるのは、そのためである。
この当事者研究が成り立つためには
①人間関係への参加が自尊心を促進すること
②適切なカミング・アウトが他者へ援助を求めていくことを可能にし、孤独を取り除くこと
③当事者自身が、他者の回復(癒し)に貢献する力を持っていることの経験を促すこと
④そのためには、日常的に病気・薬物療法・対処技法・社会資源に関する情報に触れる場が用意されていること
に対する当事者自身と周囲の理解が促進され、それを整えるための努力が必要となる。
当事者研究とは、障害や病気を持った本人が、仲間の力を借りながら、症状や日常生活上の苦労など、自らの困りごとについて研究するユニークな実践である。
当事者研究は統合失調症を持つ人々の間で行われ始め、徐々に、依存症や脳性まひ、発達障害など、様々な困りごとを持つ人々の間に広まった。
我々は、仮説生成と検証、グループ運営技法、回復効果という、当事者研究が持つ3つの側面に注目している。
具体的な研究トピックは、以下のようになる。
1.当事者研究による仮説生成とその検証:我々は「当事者研究」という手法によって、「情報のまとめあげ困難」が自閉スペクトラム症の根本的な特性であり、そこから知覚・運動レベルの問題や対人関係での困難が統一的に説明できるという仮説を提起してきた。
現在はこの「情報のまとめあげ困難説」を、心理実験や、聴覚過敏研究、痛み研究などを通じて検証しようとしている。
2.当事者研究における語りの会話分析と自然言語処理:当事者研究場面がどのような語用論的秩序を持っており、それが語りの内容にどのような影響を与えているのかについて、会話分析や自然言語処理のよって明らかにする。
また、当事者の知を学術知と循環させるために、クラウドソーシングによる自動仮説抽出・検証システム構築を目指している。
3.当事者研究の効果に関する臨床研究:当事者研究に参加することが、参加者のWell-beingやrecoveryにどのような効果を与えうるかについての臨床研究に取り組んでいる。
准教授
熊谷 晋一郎さん
字のとおり、命に宿っているものと、あえて解釈したい。
宿命は生まれる前から決まっているものとされるが、前世と言われても、理解を超えている。
では、宿命の転換とは?
命に刻まれいるもを変えることではないかと、思う。
幼少期に受けた虐待なども、命に刻まれいるはず。
自分を虐待した親も、幼少期に同じように親から虐待されてきたことが命に刻まれていた。
そのように理解することで、親を許す気持ちになれた。
それが、<宿命の転換>なのだろうと理解したのである。
つまり、加害者も被害者であったのだと視点を変えられた。
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宿命(しゅくめい)」とは、人が生まれる前から決められている巡り合わせのことです。
さだめともいいます。
宿命は、天から与えられた使命なので、人の力では抗うことのできない絶対的なものだと考えられています。
【宿命のライバル】
よく、漫画やドラマなどで主人公の強敵として現れるのが『宿命のライバル』ですが、これはつまり、天によって引き合わされた生涯のライバルという意味です。
宿敵や、好敵手とも。
人生に起こる悩みは、決して<表面上>の現象ではない。
その悩みを通して、宿命転換を成し遂げ、生涯どんな困難にも負けない自分を築くことができる―そう気付かせる励ましだった。
深刻な悩みを抱えた人に「それはあなたの宿命です」とのみ言われれば、突き放されたような響きを感じてしまう人もいるだろう。
そうなっては<非人間的>である。
あくまで、人の苦しみをわがことのように捉える。
そうした共感の心に触れて人は安心するものだ。
悩んでいる人を見放さないで、勇気づける。
「苦しみ、悩みの共感」を人に伝えて励ます。
人は誰でも苦難に直面した時、弱気になったり、自信を喪失したりするものだ。
そうした時に、仲間がいて、励ましを受けることが、どれど心強いことか。
いじめの場には、その励ましが失われている。
教育の目的は<幸福の実現>であり、学校は子どもの幸せの場であるはず。
「体罰」ばかりではなく、人格を否定するような「暴言」、夫婦げんかの「目撃」といった心理的虐待を含む不適切な養育も、子どもの脳を物理的に変形させる。
福井大学の友田明美教授は研究で突き止めた。
発達傷害もそれに当てはまるのだろうか?
母親に暴力をふるったり、暴言を吐く父親もいるだろう。
虐待の悪影響は深刻で、大人になってから、心の病や社会生活への不適応などの問題を引き起こす可能性がある。
「親自身が幼少から不適切な養育を受けて育ってきた」可能性を友田教授は指摘する。
無意識のうちに、自分だされたようにわが子に接してしまう。
ゆへに、親を悪者にして責任を追及する対応には限界がある。
むしろ親自身の頑張りを認め、褒めて励ますことの重要性を、友田教授は訴える。
子どもの心の治療は、褒めて励ます作業が欠かせない。
そうすることで、変形してしまった脳を時間をかけて回復し、自己肯定感も高まるという。
そして、親自身を褒め励ますことも、子どもの急速な変化はないにしても効果が期待できるのだ。
「あなんなに、ほめてくれるのだから、やろう、と思う」これも人情である。
心が小さく、心が狭い人は、なかなかほめられないのかもしれない。
それでは自分も周囲の人も損である。