取り返しのつかないことは(子供には)ない
これは、大江 健三郎著書『「自分の木」の下で』の中でのタイトルの一つ。
私はこの言葉が好きです。
取り返しのつかないこととは大江氏によりますと自殺と暴力(殺人)。
でも実際には世の中、子供たちの世界にも、たくさんとは言わないまでも、存在します。
そして、次に続く言葉
「ある時間、待ってみてください」
以下抜粋
なんであれ、もう自分は取り返しがつかないことをするほかない、と思う時、とにかく「ある時間、待ってみる力」を持て、もうダメだ、とあきらめるな、といいたいのです。
子供にとって、この「ある時間」ということが本当に大切なのです。大人になってしまえば、「ある時間」待ってみても同じだ、ということはあります。しかし子供にとっては、絶対そうではない。
待ってみる「ある時間」のなかに、すべてがある、といっていいくらいです。~一部省略
ーもう取り返しがつかないことをしなければならない、と思いつめたら、その時、「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすように!-
この本は、子供たちに向けて大江氏が優しく自分の子供の頃の話や、勉強の仕方などか書かれてる本なのですが、子供だけではなく、この部分などは、大人にも言えることだと思いました。
本来、楽天的であるはずの子供たちが取り返しがつかないことをしなければならないことに遭遇したら、ある時間待つことと教えてあげたいのです。
「ある時間、待ってみてください。」(大江健三郎)
大江健三郎といえば、知っている人も多いかと思いますが、ノーベル文学賞作家ですね。この人が、『「自分の木」の下で』という本の中で述べているひと言です。
詳細はこちらの本を参照していただきたいのですが、大江氏は、その問題をすぐ解決することをしませんでした。
問題の解決を放棄するのではなく、時間、また、そこにおける可能性にゆだねたのです。
結果どうなったのでしょうか。「ある時間、待ってみること」が、誰も想像していなかった、最高の結果をもたらしたのです。
僕は、この話を初めて読んだとき、この話はずっと心に留めておかねばならないな、と思いました。
困難に直面したとき、一見すると悪いように思えてしまう「括弧にくくる」という発想が、長い目で見れば最高にすばらしい結末を生みかねない。問題を棚上げにしてなかったことになるのはアレですが、もし困難に直面したら、未来の可能性に賭けてみる、というのもありなのではないでしょうか。
受験でもそうです。成績が思うように伸びないとき、思わずくじけてしまいそうになることでしょう。でもね、その時
「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすように!『「自分の木」の下で』より。
そうすれば、そこでの困難は、あとから振り返った時の笑い話にすることができるはず。
これだけ「勉強」にいそしむのは、人生でもあと数ヶ月だけ。さいご、なんとか乗り切って!!
そのさきには、明るい未来が待っています。