ギャンブル依存

2019年07月04日 06時38分02秒 | 社会・文化・政治・経済

IR関連法による「カジノ解禁」の論議で、にわかに注目されたギャンブル依存症の問題。
実はカジノがなくても、とっくに日本は「ギャンブル大国」なのです。
サンダル履きで入れるカジノ、つまりパチンコ店が、日本列島津々浦々どこにでもあるからです。これは「ギャンブル」への敷居が低い背景のひとつとなっています。

ASKでは、季刊『Be!』などを通じて依存症に関する情報発信を続ける中、アルコールだけでなく、薬物依存やギャンブル依存についても折々にテーマにしてきました。
ギャンブル依存症に関しては、回復の場について、借金をどうしたらよいか、発達障害との関係、家族が自分自身の生活を守るための方法、など最前線の話題をとりあげています。

2016年12月、厚生労働省に「依存症対策推進本部」が設置されました。
「アルコール健康障害対策チーム」「薬物依存症対策チーム」「ギャンブル等依存症対策チーム」の3チームで構成されています。
(ギャンブルのみ名称に「等」が入っているのは、パチンコ・パチスロが公式にはギャンブルとされていないからです)

これまで、ギャンブル依存症については相談や回復の受け皿が圧倒的に不足していましたが、本部の設置により状況が変わることが期待されます。
ASKでは対策の充実とともに、「それぞれの依存症の特性」に応じた相談・支援体制の整備を働きかけていきます。

ギャンブル依存を知ろう依存症としての特徴や、日本の実態、家族はどうしたらよいか、などをまとめました。

ギャンブル問題に関する活動ASKのギャンブル問題に関する活動をご紹介します。
内容に興味をもたれた方は、応援よろしくお願いします!

ギャンブル問題の相談先ギャンブル依存症の治療や、自助グループについては、こちらをご覧ください。

お問い合わせ・意見募集

 

 


イッキ飲み死亡 アルハラ防止キャンペーン

2019年07月04日 06時32分27秒 | 社会・文化・政治・経済

英貴さんのご両親の手記

立教大学テニスサークルにおける急性アルコール中毒死

事件のあらまし

経済学部1年生の村田英貴(むらた えいき)さん(20歳)が亡くなったのは、2012年3月4日(日)早朝。

所属する立教大学のテニスサークル「ラ・ポーム」の春合宿の打ち上げで酒を飲んだ後のことでした。亡くなった後に撮られた肺のCT画像から、吐いたものが肺に入ったことが原因で肺水腫を起こしていたのではないかと推測されています。
事件が起こったのは千葉県白子町で、2012年2月26日~3月4日の予定で行われた春合宿でのことでした。3月3日夜9時から始まった打ち上げ。参加者は学生とOB合わせて80人程(具体的なメンバーや人数は遺族には知らされていません)。まず、乾杯として男子全員で「ワンカップ大関(180ml)」をイッキ飲み。続いて一年生男子は担当している係ごとに「ワンカップ大関」をイッキ飲みするのが慣例でした。英貴さんは「スターター」と「ボールボーイ」という2つの係を担当していたので、開始10分で「ワンカップ大関」を都合3本イッキ飲みしたことになります(すでに2本目の「大関」を飲んだ時点で、用意されていたビニール敷の段ボールの中に吐いていたそうです)。
続いて担当している係の「スターター飲み」が始まったのが10時。各学年のスターター(1~4年の4名)が「合宿お疲れさま」という名目で集合し、焼酎の瓶1本(720ml)を空にするというものでした。まず英貴さんがコップ1杯、上級生3人はコップ3分の1をイッキ。その後残り全部を英貴さん一人が何度も吐きながら飲みました。その間わずか15分。テーブルには、水も氷もありませんでした。この時、先輩が「大丈夫か?」と声をかけたところ、英貴さんは「余裕っす」と答え、別卓に移動していったようです。
その後、日本酒、ワイン、焼酎を乾杯と称してイッキ飲み、ゲームに負けると焼酎のコーラ割りを飲むなどの遊びを続けていました。何度も、飲もうとするが飲めず、においをかいだだけで段ボールに吐く姿が目撃されており、12時を過ぎる頃には会場の隅で酔いつぶれて寝てしまいました。この時寝ている英貴さんを発見した友人は、たくさん出ているよだれを拭き、顔の前にビニールを敷いて、顔を横にして寝かせました。また、別の友人の呼びかけに、この時点では応えていたといいます。
午前1時頃、英貴さんは友人3人によって布団が敷かれた就寝部屋に運ばれました。友人たちはその後4時近くまで数回にわたり、吐いたものを片付けたり、口の中に吐寫物が残っていないかなど様子をみています。その最中に音を立てて息をしているのに気づきましたが、いびきをかいているのか、息が苦しいのか判断できなかったといいます。そして、のどに吐寫物が詰まっているといけないと思い、背中をたたいたり口を開けさせたりして、横向きにして寝かせました。(その後、朝発見するまでは、見回っていないようです)
朝8時頃、唇が真っ青になっているなど英貴さんの様子がおかしいのに気づき、119番に通報。救急車到着を待つ間、電話での救急隊員の指示のもと、友人たちによって心臓マッサージと人工呼吸が試みられました。救急車到着。救急車の車内で引き続き人工呼吸と心臓マッサージ、吐寫物の吸引が行われました。その後、ドクターヘリから乗り込んできた医師によって手当てがされる中、英貴さんは救急車で公立長生病院に搬送されました。
英貴さんは、その後一度も意識を回復することなく、4日午前9時半頃死亡が確認されました。ご家族が病院に着いたのが11時頃。英貴さんの亡骸と面会できたのは、午後2時半頃になってからでした。
大学による処分

硬式庭球同好会「ラ・ポーム」に対しては、「池袋キャンパス登録団体取扱内規第11条」により、学内登録団体としての登録取り消しのうえ「解散の勧告」との処分がくだされました。
母の気持ち

3月4日朝8時半頃、息子・英貴が運ばれる救急車の中、同乗していた友人から受けた連絡が第一報でした。その後9時半過ぎに病院(公立長生病院・千葉県茂原市)から「すぐ来てください」との連絡が。病院に到着したのは11時頃だったと記憶しています。いやな予感はしていましたが、6月に救急車で運ばれたときに事なきを得ていたので、またその時と同じだろうと自分に言い聞かせて、とにかく夫とともに病院に向かいました。着いてすぐ医師から説明を受け、もう息をしていない息子にようやく会えたのは、午後2時半になってからでした。
何が起きたのかわけがわからず、頭の中は真っ白。ヘルパーの仕事をしていたので、とにかく代わりの人の手配等をお願いしなくてはなどと仕事の手配をお願いするメールを冷静にしました。また、アドレスを登録している友人知人に「息子が亡くなったこと」をメールで知らせました。でも感情は止まったままでした。 翌日の月曜日に息子の遺体が自宅に戻ってきて、水曜日お通夜、木曜日にお葬式を済ませました。
後日サークルの学生たちに当日の状況を聞きました。聞けば聞くほどその内容は信じられないものでしたが、学生たちは「いつも、1年生はつぶされていた」「強要は決してしていない」「飲まなきゃいけない雰囲気だけじゃなく、飲ませなきゃいけない雰囲気もあった」「英貴さんが飲むのを止められなかった」と口々に言います。
息子は幼い頃から、水泳、スキー、野球、テニスと続けてきたスポーツマンでした。負けず嫌いで、負けると泣いていました。だから、お酒を飲むのもがんばって飲んでしまったのでしょうか? もうどんなにがんばっても息子は帰ってきません。でも、せめてサークルの学生たちが事件のことを忘れないで、原点にして生きていってほしい。卒業してからでもいいから、大学に出してくれた謝罪文・反省文を読ませてほしいのです。
とにかく親としては、その時、何があったかを知りたいのです。
私は今、息子の部屋で寝ています。仏壇の息子に話しかけたり、泣いたり。息子のことを思い出してくれる人の皆の中に彼が生きていると信じて。
父の気持ち

合宿に行く朝、息子は、大学まで車で送ってほしいと、あわてて起きてきました。前夜も遅くまでバイトだったようです。
集合場所で息子を降ろし、「飲みすぎには本当に注意しろよ。今度何かあったら死ぬぞ」と半ば脅すように言い聞かせました。息子は「ああ」と生返事でした。
これが息子との最後の会話です。
息子は酒を飲まされたのであって、一人で勝手に飲んで亡くなったわけじゃない! 息子の名誉だけは回復したいと警察にも相談に行きましたが、口を無理やりこじ開けて誰かが飲ませていないので「自過失」というと言われました。
息子に過失があるなんて、許せません。
立教大学の対応には、誠意のかけらも感じられず謝罪もありませんし、誰も責任も取らず、一生許し難い事だと思っています。
アスクでは、この問題について以下の活動を行なっています

ASKとは

ASKは1983年8月7日に任意の市民団体として誕生しました。

当初の活動の中心は、アルコール依存症者の子どもや配偶者など、問題に悩む家族でした。そこへ医療・保健・福祉などの関係者や、回復者らも加わり、活動は発展していきます。
2000年12月21日、特定非営利活動法人(NPO)として認可を受けました。

設立以来、アルコールをはじめとする依存性薬物の問題を予防し、早期に発見して治療や支援につなげ、回復を応援する社会づくりを目指して活動を続けてきました。
2017年からは、インターネット依存・ゲーム依存・ギャンブル依存などの予防も事業対象に加えています。

依存の問題については、社会の中にさまざまな誤解や偏見があります。それが、依存症に陥った人を回復から遠ざけたり、家族を苦しめたり、問題の再生産や世代連鎖を招いたりしています。

一人一人が正しい知識を身につけ、それを周囲に伝えていくことで、社会が変わる――私たちはそう信じています。
ぜひ、ASKの活動を応援してください!よろしくお願いします。


イッキ飲み・アルハラ防止キャンペーン
イッキ飲み・アルハラ防止に関する活動


【阪神】近本、スタメン落ちも延長11回決勝のホームイン

2019年07月04日 06時27分57秒 | 社会・文化・政治・経済

◆DeNA3―4阪神=延長11回=(3日・横浜)

 近本がスタメン落ちの悔しさを勝負どころで晴らした。同点の延長11回。先頭で左中間を破ると、センターの桑原が打球をつかみ損ねる間に快足を飛ばして三塁へ進んだ(記録は二塁打と失策)。続く糸原の浅い右犠飛で生還。決勝点を生み出した。

 「二塁より三塁、常に先を狙っています」。57試合続けた「1番・中堅」の先発を外れたが、途中出場で決定的な仕事をして安どした。

 2試合連続の完封負けを含む22イニング連続無得点を受け、矢野監督は近本を含むスタメン野手4人を入れ替えた。苦しい展開の中、2点を追う8回に糸井、大山の適時打で同点。投手陣も2番手以降が無失点で、連敗を4で止めた。組み替えた打線が機能したとは言い難いが、白星をもぎとり、指揮官も「俺的にはかなり大きい」とうなずいた。

 敗れれば首位・巨人と7・5差に開き、1964年に最大で逆転優勝した6・5差を超えるところだった。3位タイに浮上し「(近本は)あした(4日)使うよ」と矢野監督。土壇場で踏みとどまった虎はドラ1ルーキーをスタメンに戻し、あらためて浮上を図る。(嶋田 直人)