▼「時」において、過ぎ去った1分は、関係ない。
来る次の1分こそ大事なのだ。
いつも、本当の勝負は「これから」なのである―アシス:ブラジルの小説家、詩人、短編作家である
▼「勇気」と「愛情」が英雄の心―アマード:ブラジルの小説家である。20世紀ブラジル文学を代表する作家であ
▼勇気―それは、正義を貫き、獅子の如く真実を叫び抜く魂である。
▼愛情―それは、同苦の心で、仏の如く民衆を守り抜く慈悲である。
▼私は勝利するために生まれてきた。どんなことがあっても、私はひるみはしない―ギマランエス・ローザ:20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるブラジルの作家、外交官
▼宇宙手的なスケールの広がりを持ち、多様性から偉大な創造力を発揮してきたブラジル文学は、人類の宝だ。
ブラジル文学アカデミー:19世紀末にアカデミー・フランセーズの小説家と詩人40人のグループが奮起し創設したブラジル文学のための非営利団体。
初代理事マシャード・デ・アシスは、1896年12月15日に設立を宣言し、1897年1月28日に制定法が認可。同年7月20日にアカデミーは創設された。ブラジル文学アカデミーは創設に伴いブラジルの国語(ポルトガル語)が典拠になった。
アカデミーはブラジルの国民達から選ばれ「名声不朽の人々」として知られた40人のメンバーによって構成され、彼らは文学的価値の高い著作を多く出版した。また、「名声不朽の人」の地位は受賞者の存命中に贈られた。
新メンバー達は椅子が一つ空席になるとアカデミーメンバーの投票によって決められた。その椅子らは番号が割り振られ、初めの現職員の名が付けられた。アカデミー会員達はアカデミーの公式会議に参加する時、公式の催し用の(ファルダン(fardão)と呼ばれた)剣を携える仰々しい軍服を使用していた。
軍政府と独裁政治時代の間、著述業に専心的な「選ばれるにふさわしいメンバー」達の中で行われるべきアカデミー選挙の中立性は、文学に些少の貢献もない元大統領ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスを選任した時に危機に瀕した。
この中で唯一の例外はブラジルの大統領で政治家のジョゼ・サルネイで彼は地方小説家としてれっきとした彼自身の多くの著書を出版した。
そのほかにもアカデミーは1977年に5番の数字を持つ椅子をめぐり行われた選挙で小説家ラシェル・デ・ケイロスが革新的選出をされるまで完全男性職であったが現在は4名の女性メンバーがいる。(全体の1割)そのうえ彼女らの1人ネリダ・ピニョンは1996年から1997年で理事を務めた。
アカデミーは堅実な経営と1年で400万ドルを越える申し分のない収入のおかげで財政的には豊かである。アカデミーはリオの中心部に28階建ての高層ビルを持ち、そのビルを事務所スペースとして貸し与えたりしていて、それは経常収入の7割を占める。他のビルの賃貸収入は1917年に編集者フランシスコ・アルヴェスから遺贈されたものと金融投資からなるものである。この快適な環境は各アカデミー会員へ硬貨に似たデトン(Jeton)を払う事で与えられる。
ブラジル文学アカデミーは支持者達によって美しい新古典主義建築で建設され、小トリアノン宮殿と名づけられた。その名は1923年にフランス政府によって寄贈され、名づけられたものだ。その理由は、この建物はフランス・パリ近くにあるヴェルサイユの小トリアノン宮殿に似せて作られたからである。
近年、リオで最大の公共図書館の1つが蔵書9万と巨大なマルチメディアセンターをもって落成した。
また、アカデミーは毎年いくつかの文学賞を授与している。マシャード・デ・アシス賞(存命中に与えられる国内で最も権威ある賞)、他にも詩、フィクション、ドラマ、エッセイ、評論、文学史、児童文学のためのブラジル文学アカデミー賞がある。2005年には、アフォンソ・アリノ・デ・メロー・フランコ賞が同様に常設された。