自他共の「幸福の拡大」

2023年10月22日 10時42分55秒 | その気になる言葉

▼「最初の一歩」が大切だ。

動けば知恵が湧く。

新たな道も見えてくる。

▼平和の起点は、近隣同士が日常的に助け合い、互いを知り合うことだ。

声を出す。声をかける。声を届ける。

それが人のつながりの源泉だ。

そして、自他共の「幸福の拡大」になるのだ。

▼一人一人を味方にし、仲間を広げながら平和の社会を築いていくのである。

▼日常のささいな出来事はすぐに忘れるものだが、心に深く刻まれた大切な思い出は歳月とともに輝き、重みを増す。

▼一通の手紙、一度の声かけ、励ましが、人の人生を変えることもある。

人を支える「人の振る舞い」、だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしたいものだ。

▼真心を込めた<励ましの種>が、相手の命の中で芽吹き、育ち、幸福の花と開くことを信じたい。

 


ラファ検問所とは?

2023年10月22日 10時40分57秒 | 社会・文化・政治・経済

ラファ検問所の再開を待つパレスチナ人

パレスチナ自治区ガザ南部とエジプトの間にあるラファ検問所は、イスラエル国外から直接ガザに入る唯一の援助ルートであり、イスラエル領内につながらない唯一の脱出口でもある。

パレスチナ自治区ガザ南部とエジプトの間にあるラファ検問所は、イスラエル国外から直接ガザに入る唯一の援助ルートであり、イスラエル領内につながらない唯一の脱出口でもある。

イスラエルがガザ市とガザ地区北部の住民に退避するよう警告した後、何十万人ものパレスチナ人がガザ南部に移動。イスラエルとパレスチナのイスラム組織ハマスの衝突が続く中、ラファの状況にも大きな注目が集まっている。
ラファ検問所の場所と管理国

ラファ検問所はガザ地区の南に位置する。ガザはイスラエルとエジプト、地中海に挟まれた狭い土地で、230万人が住んでいる。

検問所を管理するのはエジプトだ。

ラファが今回の紛争で重要な理由

ハマスによる7日の攻撃によりイスラエル国民1300人以上が死亡したのを受け、イスラエルはガザを「完全封鎖」し、同地域への電力を遮断し、食料と燃料の供給をすべて停止した。

この結果、人道支援物資がガザに入る唯一のルートは、エジプトのシナイ地域からラファを経由する道となった。ラファはまた、退避を試みるガザ住民にとって唯一の出口でもある。

外国パスポートの所持者は、ラファ検問所再開の協定が結ばれれば出国が許可される見通しであるため、ここ数日ラファ付近に向かっている。

イスラエルはまた、砲撃から身を守るためにラファの近くまで南下するようガザ住民に呼びかけているが、住民は人口密度の高い自治区内に安全な場所はないと訴えている。

ラファ通過が制限されている理由

エジプトはシナイ北東部に位置するガザとの国境付近の治安悪化を警戒している。この一帯では2013年以降、イスラム主義者の反乱が頂点に達したが、現在はほぼ鎮圧されている。

07年にハマスがガザを掌握して以来、エジプトはガザの封鎖を後押しし、人と物資の往来を大幅に制限してきた。イスラエルとの主要な検問所と同様、規制は緩和されることはあっても解除されることはなく、旅行者が通過するにはセキュリティー上の手続きと長時間のチェックを受ける必要がある。

08年にはハマスが国境施設に穴を開け、数万人のパレスチナ人がシナイに渡ったため、エジプトは石とセメントの壁を建設した。

エジプトは過去の紛争時や情勢が不安定な時期に、イスラエルとパレスチナの仲介役を務めてきた。しかし、そのような状況でも国境は封鎖し、援助物資の入国や医療上の理由で退避する人々の出国は許可しつつも、大規模な人の移動は阻止した。

ハマスの攻撃を受け、イスラエルはガザに最大級で容赦ない砲撃を行っているが、エジプトは今のところ従来の姿勢を変える気配を見せていない。イスラエルによる空爆では2800人以上のパレスチナ人が死亡している。

 


性犯罪に厳しい米国なら終身刑も…》アメリカ人がジャニー喜多川氏の性加害事件を聞いて“耳を疑ったワケ”

2023年10月22日 10時23分15秒 | 事件・事故

10/22(日) 6:12配信

「日本のジャニー喜多川氏の性的虐待スキャンダル:478人の被害者が名乗り出る、社名変更する企業は愚かだと非難されている」 性加害を繰り返していた若かりし頃のジャニー喜多川氏 アメリカの著名なエンターテインメント紙「ハリウッド・レポーター」(10月2日付)のタイトルだ。

サブタイトルでは「かつて強力だった芸能事務所は社名を変更し、被害者に補償する計画を明らかにしたが、あまりにも小さくあまりにも遅い対応で“ジャニーズの芸能活動は完全に中止されるべきだ”と主張する声もある」と述べられている。 >欧米メディアは被害者が“何百人もいたこと”に言及

アメリカでは性犯罪に対する刑期は非常に長い

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利根輪太郎の競輪人間学 弱気になる

2023年10月21日 19時30分32秒 | 未来予測研究会の掲示板

1レース 7-2-3 1万8,660円(66番人気)
3レース 5-2-1 2万3,910円(72番人気)

何時も、12357のボックス車券で勝負していた荻さん
利根輪太郎もそれにならって実践した時期もあった。
1点が100円なら6000円。
利根輪太郎は200円なので、1レースに1万2000円を投じたのだ。

だが、結果的にマイナスとなる。
その後は、1番を外して、2357の4点ボックス車券に。
2400円の投じだ。
さらに123の3点ボックス車券も。
前のレースやその前のレースの上がり目、下がり目でも勝負してきた。

  GⅠ 弥彦競輪 寛仁親王牌・世界選手権記念

3日目(10月21日)

11レース

並び予想 6-3 5-7 1-4 9-2 8(単騎)

レース評

カマシ捲りの打ち合いなら最後は郡司のもの。和田がマーク。諸橋は真杉に託された。捲り冴える三谷に山田、守沢もそろそろ

1番人気 9-2(6・0倍) 2番人気 2-9(7・7倍)

 

2-1 2-4 2-9の2連単で勝負する。

「なぜ、2-4を買って、3連単にしなかったのか?」と競輪仲間も惜しむのだ。

連戦連敗で、弱気になり3連単車券を取りやめたのだ。

1番人気5-1(3・9倍) 2番人気 1-5(5・7倍)

結果 2-4 3,310円(13番人気) 2-4-8 4万3,560円(135番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 和田 健太郎   11.2   コース突き
2 4 諸橋 愛 1/2車身 11.6   切替外捌き
  3 8 河端 朋之 3/4車輪 11.2     殿尻大外鋭
4 7 山田 久徳 3/4車輪 11.5     コース探し
  5 6 渡邉 一成 1/2車輪 11.8   SB 真杉を捲る
6 5 三谷 竜生 タイヤ差 11.6     追上捲れず
  7 3 守澤 太志 3/4車身 11.7     好位捌かれ
8 9 郡司 浩平 1車身 11.6     3半包まれ
× 9 1 眞杉 匠 7車身 12.5     鐘前逃捲れ

戦い終わって

戦い終わって写真

 打鐘前から押さえた眞杉匠が先行。渡邉一成が捲り切るも切り替えた諸橋愛が伸び、郡司浩平が不発も間を割って強襲した和田健太郎が3連勝を決めた。
 和田は「三谷君が追い上げて来たところが勝負所でしたね。そこで位置を取り切れていれば、浩平の捲りも決まっていたと思う。郡司が行ってくれたから自分のコースが出来た。行ってくれなければあのコースはないですよ」。
 諸橋は「最終バックでは渡邉君が横に並んでいたので、飛ばせなかった。それなら切り替えることを頭に入れた。前回(熊本記念in久留米)よりはいいですね。参加している選手の中で僕が一番準備してきたと思っている。自転車に関しては今ある中の完成形。初日くらいの力を出せればいいですね」。
 直線で伸びて3着に食い込んだ河端朋之は「自分は単騎だったので、プレッシャーも感じずに走れた。最後まで脚を使わずに溜められたのが大きい。もう一回走ってもまた勝ち上がれるかは分からないですね。下手に付いて行って、粘られて切らざるを得ない展開になりかねない。ただ、一成さんに付いていけなかった所は失敗でしたね」。

 

12レース

1-2(30・3倍) 2-1(52・4倍) 1-3(31・8倍) 3-1(44・8倍)

1-7(46・0倍) 7-1(126・3倍) 1-8(181・4倍) 8-1(516・8 倍)1-9(30・0倍) 9-1(47・2倍)の2車単を各300円買う。

「犬伏 湧也選手の3着はない」と思い込む。

そして、3連単車券は見送る。

だが、穴党の健ちゃんは、犬伏 選手を3着にして、8-7-1の大穴車券をゲットしていた。

人気薄の7-8-1と8-7-1 さらに3-9-1 9-3-1 2-3-1 2-9-12-6-1の車券を買っていたのだ。

健ちゃんには恐れ入りました!

結果 8-7 1万7,380円(38番人気) 8-7-1 23万2,850円(305番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
  1 8 小松崎 大地   11.3   脚溜め捲る
2 7 渡部 幸訓 1/4車輪 11.1   小松崎付け
3 1 犬伏 湧也 1/2車身 11.7   B 叩き逃粘る
4 3 寺崎 浩平 1/2車輪 11.7     犬伏を捲ず
  5 4 佐々木 雄一 1/4車輪 11.1     捲り3番手
6 5 松浦 悠士 1/2車身 11.7     番手抜けず
× 7 9 浅井 康太 3/4車輪 11.4     寺崎に口空
8 2 平原 康多 1/2車身 11.6     急追一杯で
  9 6 雨谷 一樹 大差 12.8     犬伏に抵抗

戦い終わって

戦い終わって写真

 大きなスタート牽制が入り、結果は前受けが寺崎浩平ー浅井康太、前中団を犬伏湧也ー松浦悠士、後ろ中団を雨谷一樹ー平原康多、後攻めを小松崎大地ー渡部幸訓ー佐々木雄一で周回。赤板で小松崎が斬り、雨谷が打鐘で更に斬った所を犬伏がホームカマシ。雨谷が番手飛び付き松浦と共倒れの形から、寺崎が捲るも犬伏に併され、前団の消耗戦を後方の小松崎が捲り、渡部が続き福島ワンツー。
 小松崎は『初手の位置で前受けは考えになかった。後ろからになったので、雨谷の動きや他のラインの動きも想定通りに進んだ。雨谷君のあの動きがなければ自分がその動きをしてたと思う。前団の動き、表情も見て取れましたね。この大会は相性も良く気持ちよく走れています』。
 二着の渡部は『先輩達と話して前受けは我慢しようとスタートは出なかった。赤板からは前が見えず、大地さんを追走する事に集中していた。前団と遠かったですが、大地さんのスピードも良く半信半疑な所もありましたが最後に伸びていったので、そこで決まるって確信を持てた。これが初めてのGⅠ決勝。最近はGⅠでもチャンスあれば戦える感じがあったので本当に嬉しい』。
 三着は逃げ残った犬伏『松浦さんと話して前受けはしないと決めていて、中団辺りから行こうと。打鐘で激しい斬り合いになって少し消耗し、後ろがどうなっているか確認も出来ず、ゴールまで持つように踏んだ。気温の上げ下げが状態キープの難しい所で悩みですね。三走して後ろに差されたりで良いとは言えないけど、決勝には乗れているので最低限ですね。疲れを残さないようにしっかり寝て備えます』。

 


何よりも心の変革が必要だ

2023年10月21日 13時19分49秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼失敗の原因を率直に認識し、「これはいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います―松下幸之助さんの言葉。

▼未来はどうなるかでなく、未来をどうするかだ。

▼一人一人の人間の生きることへの意志が人生の全体に反映され、その時代を彩り、やがて歴史へと灯影されていく。新しい道は、こうして開かれていく。

▼まさに<輝く未来は、自分の胸中の一念にある。

▼自分一人では生きていけない。

社会に生きる一人一人が、地域や社会、環境に対して、生きる責任をもっている。

▼世界に目を向ければ、富裕層と貧困層の格差は広がり続け、上位1%の超富裕層が世界全体の資産の4割近くを所有するという、不平等な現実がある。

▼人間の欲には際限がない。

▼地球は人間の<必要>を満たすに十分でも、<貪欲>を満たすには十分ではない―ガンジーの言葉

▼「誰も置き去りにしない」ガンジーの理念だった。

ガンジーは「常に心を開けよ」と、全ての問題を対話によって解決しようといた。

何よりも心の変革が必要だ。


慈善活動のジェームス・ボンド

2023年10月21日 10時10分26秒 | 社会・文化・政治・経済
 生前に財産を寄付したヒーロー チャック・フィニーに拍手!

Charles Feeney氏 が2023年10月9日に92歳で亡くなった。1兆円を超える財産のほとんどを生前に寄付して、晩年は賃貸アパートに住む質素な生活を送っていた。なんてかっこいい。

1931年にアメリカのNJ州、労働階級の家庭に生まれた。奨学金で高校に進み、その後、自分で働いたお金で大学に進んだ。25歳で大学を卒業し、ヨーロッパで友人と始めた免税店ビジネスで大成功する。その後のビジネスや投資も成功をおさめ、彼は億万長者になった。

 しかし、贅沢な生活には馴染めず、51歳でバミューダに財団(後のアトランティック・フィランソロピー)を設立、匿名で寄付を始めた。その2年後に約750億円相当の株式を寄付している。「私は自分が大金を持つことに疑問を感じはじめた。そして、自分はお金や豪華ヨットを持つことに魅力を感じないことに気づいた。」と言っている

一時は、世界の7箇所に豪邸を構える裕福な生活をしたが、60歳で30年以上連れ添った妻と離婚した時に、すべての邸宅と多額の財産を妻に渡した。

 彼が匿名で寄付をした先は、大学、医療機関、科学研究活動、人権団体、平和活動、そして世界各国の生活向上を目的とした活動。

南アフリカのエイズ患者やハイチ地震など災害地域の支援もした。

世界5大陸の1000以上の建物に4000億円の寄付をしているが、どの建物にも彼の名前はついていない。

2016年、81歳で母校(コーネル大学)の大学に学生が奉仕活動をするために約10億円(約1500億円)を寄付した後、口座が空っぽになった財団は活動を終えた。

晩年の30年は、2ベッドルームの賃貸アパートに2人目の妻と住み、車を持たずバスを使い、日本のカシオ製の腕時計をしていた。

ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットのヒーロー

ビル・ゲイツ氏やウォーレン・バフェット氏も積極的に慈善活動をしているが、チャックは彼らのヒーローだ。どちらも自分の財産のほとんどを生前または死後に慈善事業に寄付する「寄付の誓約」にサインしている。

チャックはこう語っている。「生きている間に財産を寄付すること以上に、喜びを与えてくれることを僕は思いつかない。人々の状況を良くするために貢献できるんだから、本当に意味あることだ。」もちろん、ビジネスや投資を通じて彼はたくさん社会に貢献してるのだけどね。

「どこに寄付したらいいかわからない」という人に、このリストをもう一度ささげよう。

  1. 大学
  2. 医療機関
  3. 科学研究活動
  4. 人権団体
  5. 平和活動
  6. 生活向上を目的とした活動(米国、ベトナム、南アフリカ、オーストラリア、イスラエル、ヨルダンなど)
  7. 地震などの災害支援

いま、世界中に助けを必要としている人たちがいる。

地震、洪水、戦争、内戦、人権侵害、地震、洪水、難民、テロ犯罪、etc. あなたが誰かをサポートできるチャンスは無限にある。私たちもチャックに倣って、生きているうちに、人々の状況を良くする働きに貢献したい。せっかく一生懸命働いて、一生懸命貯めて、一生懸命増やした財産だからこそ。

 

 


映画 おもいでの夏

2023年10月21日 09時22分45秒 | 社会・文化・政治・経済

10月20日午前4時20からCSテレビのムービープラスで観た。

おもいでの夏(Summer of '42)は、1971年アメリカ合衆国の映画脚本家ハーマン・ローチャーの回顧録に基づく。思春期の少年のひと夏の経験を描いた。

Michel Legrand 映画「おもいでの夏」 Theme from '' The Summer ...
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おもいでの夏 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 ...
おもいでの夏 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 ...
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The Summer Knows(おもいでの夏)/ルイス・ヴァン・ダイク ...
The Summer Knows(おもいでの夏)/ルイス・ヴァン・ダイク ...
The Summer Knows(おもいでの夏)/ルイス・ヴァン・ダイク ...
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おもいでの夏」summer of 42' 年上の女性への思慕 アカデミー賞 ...
おもいでの夏」summer of 42' 年上の女性への思慕 アカデミー賞 ...
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Amazon.co.jp: おもいでの夏 [DVD] : ジェニファー・オニール ...
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おもいでの夏 (1971) SUMMER OF '42 | 天上天下 映画 Doc Song
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1942年夏、ニューイングランドの沖合いのナンタケット島へハーミーとその家族は、戦火を逃れてやってきた。

彼は、現地でオシー(オスキー)、ベンジーの同年の友人ができた。思春期の彼らは性への関心が旺盛だった。

ハーミーは丘の上の一軒家に住む美しい人妻ドロシーの魅力に取り付かれた。ドロシーの夫が出征した後、ハーミーはドロシーに接近する。

そんなある日、3人でガールハントをしたが、ベンジーは途中で帰ってしまい、ハーミーはアギーと、オシーはミリアムとデートをすることになるが、ドロシーのことが頭から離れないハーミーはアギーと関係することなく別れた。

その後もハーミーは時々ドロシーと会っていたが、ある夜、ドロシーの家を訪ねると、ドロシーの夫の戦死を伝える電報がテーブルの上にあった。その夜、ハーミーはドロシーと初体験を行った。

翌日、再び訪ねると、既にドロシーは居ず、別れの手紙だけが残されていた。

キャスト

役名 俳優  
 
ドロシー ジェニファー・オニール  
ハーミー ゲイリー・グライムズ  
ハーミー(大人) ロバート・マリガン  
オスキー ジェリー・ハウザー  
ベンジー オリヴァー・コナント  
アギー キャサリン・アレンタック   
ミリアム クリストファー・ノリス  
薬剤師 ルー・フリッゼル  
不明
その他
   
 
演出  
翻訳  
効果  
調整  
制作  
解説  
 

映画賞

解説

性への好奇心と、美しく優しい年上の女性への思慕の情と、同時に湧き起こる思春期を迎えた少年の微妙な心理をノスタルジックな感覚で描いた作品。

製作は29歳の新進気鋭のプロデューサー、リチャード・ロス、監督は「レッド・ムーン」「幸せをもとめて」のロバート・マリガン、脚本はハーマン・ローチャー、撮影は「コレクター」「卒業」のロバート・サーティース、音楽は「シェルブールの雨傘」「華麗なる賭け」のミシェル・ルグラン、編集はフォルマー・ブラングステッドがそれぞれ担当。

出演は「リオ・ロボ」のジェニファー・オニール、16歳の新人ゲーリー・グライムス、19歳で俳優志望のジェリー・ハウザー、オリヴァー・コナント、キャサリン・アレンタック、クリストファー・ノリス、ルー・フリッゼルなど。

1971年製作/アメリカ
原題:The Summer of '42
配給:ワーナー
劇場公開日:1971年8月7日

ストーリー

15歳の夏、ハーミー(ゲーリー・グライムス)はニューイングランドの沖合いに浮かぶ美しい島にきていた。1942年の夏、第二次大戦の戦火を逃れて--。

彼は友達のオシー(ジェリー・ハウザー)とベンジー(オリヴァー・コナント)の3人で、退屈な日々を終日海辺で暮らしていた。性への旺盛な好奇心を湧きたたせながら砂浜にたわむれる3人は、ある日、小高くなった丘にポツンと建った家の前で、新婚の若い夫婦が楽しげに語らっているのを、遠くから眺めていた。

2人が家の中へ入っていくのを見て、少年らしい想像力をめぐらせたオシーとベンジーは、照れ隠しのふざけあいに興じた。しかし、ハーミーの目には、その美しい新妻の横顔が鮮明に焼きついて離れず、ただ呆然と小さな家を眺めていた。翌日、桟橋でボートに跳び乗ったハーミーの目に、昨日の美しい女の姿が映った。

彼女は、戦場に向かう夫を見送りに来ていたのだ。ハーミーはただただ目を奪われていた。数日後、沢山の買い物を抱えきれずに困っている夫人の姿を見たハーミーは、勇気をふるって夫人に近づいた。

彼女の名前はドロシー(ジェニファー・オニール)といい、ハーミーは、彼女の美しさ、優しさに心をときめかすばかりで、彼女の質問にもトンマな返事をしては、後悔していた。

ある日ハーミーたち3人は、ベンジーが家から盗み出してきた医学書に熱中し、その重要項目をコピーして、ガール・ハントに出かけた。

映画館で女の子3人のグループに声をかけ、うまくハントに成功したと思ったら、ベンジーはおじ気づいて逃げだし、女の子の1人も帰ってしまった。結局2対2となり、オシーはミリアム(クリストファー・ノリス)と、ハーミーはアギー(キャサリン・アレンタック)相手に、映画館の暗闇でゴソゴソやりだした。

翌日、荷物の整理を頼まれたハーミーは、ドロシーの家で精一杯おとなを気取ってはみたものの、憧れのドロシーを前にして、またヘマばかり繰り返してしまった。

ミリアムとアギーを夜の浜辺に誘い出す前に、ゴム製品を買いにドラッグストアーに入ったハーミーは、いぶかしげな主人にしどろもどろになりながらも、ようやく手に入れた。

夜、ミリアムを相手に奮闘するオシーは、医学書通りに最後の項までも進んでしまったが、ハーミーはドロシーが心から離れず、物想いに耽るばかりだった。

ドロシーに招かれた日の夜、ハーミーは盛装してドロシーの家を訪れた。

ノックの音に答えはなく、彼はドアを押しあけて中へ入った。蓄音機には曲の終わったレコードがくるくる回り、タバコの紫煙が立ちのぼり、そしてテーブルの上に1枚の電報が置かれていた。

ドロシーの夫の戦死を知らせる電文であった。じっと立ちつくしたハーミーの前に、泣きはらした顔のドロシーが現われ、蓄音機の針を落とし、流れ出る曲に合わせて、ハーミーを躍りに誘い込んだ。

ハーミーはただ黙って誘われるままに踊った。ドロシーはハーミーの胸に顔を埋め、とめどない涙を頬に伝わらせた。躍りながらベッドに誘うドロシーの悲しみを、ハーミーには理解することができなかった。ドロシーのベッドで朝を迎えたハーミーは、黙って身仕度を整えて去っていった。

夕方、もう一度ドロシーの家を訪れたハーミーは、彼に宛てた一通の手紙を発見した。

「昨夜のことは、あなたがおとなになった時、きっと理解してくれると思います。私は実家に帰ります--」。

翌日、ハーミーは、遠くから、今は主のいなくなった丘の上の家をじっと見つめていた。

 
 
懐かしいミッシェルルグランの名曲がタイトルバックに流れていく。

ゲイリーグライムズ扮する思春期の高校2年生ハーミーは、悪ガキ3人でジェニファーオニール扮するドロシーを初めて眺めて見た。
性への関心が頭に蔓延している思春期に導いてくれる年上の女性はまるで女神の様。ましてジェニファーオニールの様に綺麗な人なら憧れて夢中になるのも無理の無い事だ。純粋な気持ちこそ制御出来ず想いはふくらむばかり。そんな想いを胸に人は成長していくのさ。久しぶりに観たけど、やっぱり名作だったな。

1942年、島では主人公(ゲーリー・グライムス)が友達二人とつるんで遊んでいた。

夫を戦地に送り出した美しい人妻(ジェニファー・オニール)が、好きになってしまった主人公は性の目覚めを経験する。
コメディなのだが、ミシェル・ルグランの美しいメロディと、ジェニファー・オニールにメロメロになったのを覚えている。

 
古くはフランス映画のレイモン・ラディゲ原作の「肉体の悪魔」やシドニー=ガブリエル・コレット原作の「青い麦」に描かれた、年上の女性に抱く少年の憧憬と性的好奇心を扱った青春映画。特に「青い麦」とはひと夏の経験のお話で類似点が多く、ストーリーとして特に際立つ劇的な展開はない。それは世界共通の少年が経験する未熟で何処か滑稽な男の成長過程の一時に過ぎず、人に語るほど特別なドラマではない。しかし、このアメリカ映画は、そのフランスの恋愛映画の厳しさに対して、主人公のモノローグで語られるノスタルジックなリリシズムが、淡いパステル調の美しい映像によって表現されている。そんな普遍性をもつ男の不器用な初体験を扱っていながら、名手ロバート・サーティースの撮影が回顧調の映像美を極めていて、同じような経験を持つ男たちの共鳴を誘う。想い出は美化され懐かしければ懐かしいほど、青春期のあの充足感と喪失感は何だったんだろうと…続きを読む
 
 
 

初めて観たのが高校生の頃深夜TVで。この曲は深夜放送のBGMとして使われていたのが懐かしい。甘酸っぱい少年の心が私と同期するかと思っていたのに、意外と冷静に見た記憶がある。当時であっても、人妻に恋するという設定は珍しかったのだろうか、草分け的な存在なのですかね。少年時代は何故か年上女性に惹かれるというのが定説になっている(?)かも。


 結局、このテの映画が何故いいのか!?やはり、年上の女性に恋する性春時代の物語だからか。このお話、1942年ということで、日本ではどうだったのか?そう考えると悲しくなります。この時代にしなければならないという必然性を感じないし、脳天気すぎる友達にむかついたりもします。

 薬局のシーンではもっと笑いが欲しかったかな・・・

kossy

創作 義母の家 11)

2023年10月21日 06時41分44秒 | 創作欄

幸恵は、美津子の寝顔を見ているうちに、その肉感的な唇に触れてみたくなる。

悪戯心で彼女の唇に、「私の小指を口に入れたら幼児のように吸い付くのだろうか」と思うのだ。

22歳の美津子は、既に男の体を知っているだろうか?」幸恵は想ってみた。

美津子の寝顔は、少女期の名残りをとどめている。

そして、熟れていく女の怪しさとも共存しているように、幸恵の目には映じていた。

美津子は、何か気配を感じたように、突然、瞳を開いた。

幸恵は「起きたのね」と微笑みかける。

「ああ、北島さん起きていたのね」美津子は身を起こした。

「あなたが、私を起こしたのよ」

「私が、どうして?」

「あなたは、怖い夢を見たのでしょ?」

「夢、見たわ夢を、姉が海に身を投げた夢を、とても怖い夢だったの」

「あなたは、夢を見て声を立てていたわ」

「そうなの、北島さんを起こしてしてしまって、ごめんなさいね」

「寝ましょう」

「私、気付かなかったのだけど、北島さんは部屋に何時、戻ったもの?」

「さっきよ」

「さつき?今、何時なの?」

「いいから、寝なさいね」

「北島さん、何処へ行っていたの?」

幸恵は問われて、言葉が詰まった。

嘘をつく他ない、でも全くの空言も言えない。

「夜の海が見たくて、一人で行ってきたの」

「一人で、本当?怖くなかったの?よく暗い海にまで行ったわね」美津子は半信半疑の目を幸恵に向ける。

「そうよ、一人きりで、お酒を飲み過ぎて、海を見ながら、あれこれ反省もしていたの」

「私は海を、好きになれない。姉が海で死んでから・・・」

「まあ、お姉さんが海で?」

「そうなのよ。私は姉のことが忘れられない。何時も思っているの」美津子は涙声になる。

「姉を悪く言う人もいたけど、姉はそんなに悪くはなかったのよ」

幸恵は美津子の言葉に答えようがなかった。

美津子は、姉の事情を聞くことになる。

美津子の姉は、ある県会議員の愛人だった。

そのような娘の立場を知りながら美津子の父親は、県議員に請わて市議会議員兼秘書となる。

森鴎外の小説「雁」のお玉の明治時代ならいざ知らず、愛人とは妾である。

美津子の父親は娘が置かれている境涯によって、露店商からそれなりの地位を得たのだ。

美津子の姉は農協の理事長でもある県会議員から月々の援助を受けていた。

幸恵は想えば、何処か寂しげな美津子を誘い義母の家へ連れて行ったこともあった。

「いい子だね」義母は美津子に好意を寄せる。

人生は何が起こるか分からないものだ。

美津子の姉の旦那である県会議員が乗用車で80代の婦人を死亡させた交通事故を契機に、美津子の姉への地域住民の反感が広がったのである。

県会議員との愛人関係は、一部の人々には周知のことであったが、交通事故の車には美津子の姉が同乗していたのだ。

しかも、二人は温泉宿の帰りで共に飲酒していた。

いわゆる朝酒だったのだ。

交通事故を起こしたことで、県会議員の政治政治生命は断たれだろうと、多くの人は想っただろう。

でも、有力な国会議員の後押しで、次の県会議員選挙にトップ当選をする。

そのことが、皮肉にも美津子の姉への地域住民への反感を高めることになる。

美津子の姉の始子ではなく、母親の雪乃の心痛となる。

うつ病となった母親が、一番長女の始子を案じていた。

「若すぎる」と18歳の娘の始子の結婚に反対した母親だった。

その娘が、反動のように、県会議員の秘書となってから5年余で、まさかの県会議員との愛人関係にまで発展するとは・・・。

母親は、思い余って自殺する。

そして、美津子の姉は、海で後追い自殺したのだ。

 

 

 

 

 

 


利根輪太郎の競輪人間学 7番の 古性 優作選手が一番 強い!

2023年10月20日 08時51分57秒 | 創作欄

利根輪太郎は、連戦連敗続きとなる。

原因は出目作戦の不実行や、見落としなどである。

さらに「人気薄の9番か8番を車券の軸にすべきだね」競輪仲間に言っておきなながら、実践していない。

また、「1番人気は3連の軸にしないことだね」と言っておきながら、オッズに左右されて「このレースは固い」と思い込むのだ。

<3連単は総流し>悔いを残さないことだ。

でも11レースには8番を買わなかったのだ。

GⅠ 弥彦競輪 寛仁親王牌・世界選手権記念

初日(10月19日)

11レース 1-9 3-6-8 (5-2と4の競り) 7(単騎)

並び予想

レース評

各地区を代表する自力が揃って激戦必至だが、ビッグ戦線の実績では真杉−平原の関東勢だ。ダッシュ鋭い犬伏の台頭も十分。

1番人気 5-1(8・2倍)

 

9-1 1,530円(7番人気) 9-1-8 1万4,890円(48番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 9 平原 康多   11.0   真杉に乗り
2 1 眞杉 匠 1車身 11.2 S 嵌り強引捲
  3 8 成田 和也 タイヤ差 10.9     前不発踏上
4 3 中野 慎詞 3/4車輪 10.9     被り内突き
  5 4 南 修二 1/8車輪 11.1     競合い離れ
× 6 5 犬伏 湧也 3/4車輪 11.4   B 叩き後ろ敵
  7 7 松井 宏佑 1車身 10.9     終始最後方
8 6 渡邉 一成 4車身 11.5     切替捲不発
2 山田 庸平         競合い押圧

戦い終わって

戦い終わって写真

 前受けの眞杉匠が裸カマシになった犬伏湧也の番手に入り捲る。その後ろの平原康多が直線で鋭く伸びて関東ワンツーを決めた。
 平原は「眞杉の判断に任せていました。最後は眞杉にぶち当たるのだけは嫌だったので、そこは気を付けました。しばらく左足が痺れていたけど、ようやく左足で踏めるようになりました。終始余裕はあったと思います。今回から使っているフレームは1ヶ月かけてセッティングを出したものだし、体の面が大事ですね」。
 眞杉は「犬伏君が中野君をフタしてくれた分、踏む距離が短くなってくれた。犬伏さんを入れるまでは良かったけど、もうワンテンポ早く出て行けたら良かったですね。前々検日にやってしまったぎっくり首は前検日よりマシだったけど、後ろを見るのも痛くてそれなりの走りしか出来なかった」。
 直線で伸びて3着に食い込んだ成田和也は「中野君が内に行ったので、自分は真っ直ぐ踏むだけだった。思いっきり踏んだけど、久しぶりに伸びてくれましたね。このメンバーの中だし、嬉しいですね」。

12レース

並び予想 5-2-9 1(単騎)3(単騎)4(単騎)6-8 7(単騎)

レース評

郡司の状態面が他のSSを凌ぐとみるが、今年2つタイトルを獲っている古性も互角。3車で組む北勢、山口や松浦も展開で。

 

 「今、一番強いのは 古性だ」競輪仲間の一人が言うのだ。

「でも、郡司もいるし、新田と佐藤のラインも有利だな」

このメンバなので、当然、車券を買うのに迷いが出てくる。

「穴をだすなら、拳矢だろう」雑音も多いのだ。

そこで、利根輪太郎は、レースが変幻自在の 古性 優作選手を車券の軸にした。

これが正解だったのだ!

1番人気 7-3(13・0倍) 2番人気 3-7(10・8倍)

 結果 7-1 2,300円(7番人気) 7-1-3 6,200円(14番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 古性 優作   11.0   踏合を捲る
2 1 松浦 悠士 1/2車輪 10.9   初手古性続
3 3 郡司 浩平 1/4車輪 10.7     最後方追込
4 2 佐藤 慎太郎 3/4車輪 11.2   S 牽制及ばず
  5 9 守澤 太志 1/2車輪 11.1     捲れライン
6 4 山口 拳矢 1/4車輪 10.9     浮き立直も
× 7 5 新田 祐大 1/2車身 11.3   B 突張捲られ
  8 8 雨谷 一樹 1/2車身 11.0     菊池が不発
  9 6 菊池 岳仁 4車身 11.6     新田を叩ず

戦い終わって

戦い終わって写真

 単騎で中団から二角捲った古性優作が理事長杯を制した。
 古性は『作戦はまずスタート出てみて考えようと。レースがあまりに動かな過ぎたので、どうなってるのか全く分からなかった。新田祐大さんが突っ張ったのでレースが動いたのでそこは良かった。今年前半の良かった時にはまだまだですが、向上心を持って走るのは変えずいきたいので。初日は新車を試したけどイマイチ。2日目は以前のを使ってみて、3日目は良い方を使う感じになると思う』。
 二着は古性を追う形から単騎の松浦悠士が入った。
『スタートの並び次第で位置は考えたけど真ん中あたりは取れるかなって。自分が先に行こうと思った所で前に居た古性君が仕掛けたので、まずは付いて様子見た。付いて行く分にはいいが、そこから余裕ないし踏み上がる感じがない。修正点は一走し体のポイントだと分かったので修正する』。
 三着は最後に外を踏んで伸びた単騎の郡司浩平。
『思ったより後攻めの菊池岳仁君の仕掛けが遅くて。動きを期待した自分のミス。感覚は動けてないから何ともですが、道中軽かったし問題ないと思う』。
 四着は佐藤慎太郎『古性のスピードと判断が良かった。気付いたら行かれて自分のコースを作るブロックがやっと。感じは悪くないですよ』。
 五着の守澤太志『レースが動かずドキドキした。レースが単調で調子も分からない』。
 六着は山口拳矢『内から行ける所までと思ったが、菊池君の所が締まって行けず。原因は分からないが体が重い。急には良くならないが、ケアに努めます』。
 七着は突っ張った新田祐大『何ヵ所か菊池君が来そうなポイントで来なくて、最後ココだって所で来ましたね。併せて踏んだが締められスピードが鈍った。待ちすぎて失敗したので修正します』。
 八着は雨谷一樹『菊池君がダメでも自分で何か出来たら良かったけど。脚的には問題ないので、どんなレースでもこれからは自分の出来る事をやっていくしか』。
 九着の菊池岳仁は『位置は後ろからになったので、タイミング一発に賭けて仕掛けて行こうと思いましたが力不足でした。体と組み立てを修正して2日目以降もしっかりと』。

 

 

 

 


創作 古い日記

2023年10月20日 08時51分57秒 | 創作欄

新潟行きの特急電車が渋川駅を過ぎた辺りから、景観は一変した。

左右の山影が懐かしい。

右側を流れる利根川は清流となってゆく。

私は何度も特急電車の窓越しにカメラのシャッターを切った。

幼い日の、SL列車のもくもく流れる煤煙と石炭の臭いが蘇った。

車窓から見た沼田駅舎は昔のままだった。

参考 1952年(昭和27年)頃の沼田駅(『沼田町史』より)

沼田駅(ぬまたえき)は、群馬県沼田市清水町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越線である。

利根地方の中心都市・沼田市の代表駅であり、沼田盆地の中部、利根川片品川によって形成された河岸段丘の西麓に位置する。吹割の滝老神温泉尾瀬などの片品川流域の観光拠点となっている。

駅から乗ったタクシーは、薄根小学校の方から伯父の家(下りの家)へ向かう。

途中道路沿いに宗教団体の会館があり、記念行事なのか、多くの信者と思われる人々が門から列をなしていた。

タクシー料金は1130円だった。

一時の天気雨が上がり、青空が広がっていた。

眼にする周囲の家々、庭の花々、林道、農道、竹藪のすべてがなっかしい。

姉は自分の結婚式以来、伯父に会っていなかったが、4月13日に亡き母の土地を見に行き、「おじさんに会ったわ」と言っていた。

亡き伯母・松子(母の姉・長女)の遺体に対面できると思っていたのに、聞けば何故か遺灰にしての通夜と告別式だった。

そして、先祖代々の墓地へ向かう野辺送り。

伯母・竹子(母の姉・三女)の家(上の家)を通過する時、庭の藤の花、チューリップなどが美しかった。

花好きの竹子おばさんは季節の花を絶さなかった。

蚕小屋が見えた時「お前たちは、2年間ここに住んでいたんだ」と父が言うのだ。

多起男ちゃんが婚約者を連れて来ていた。

福江ちゃんの子供も大きくなっていた。

年齢を聞くと私の息子と同じで、「13歳」と福江ちゃんが言っていた。

薫ちゃんはハンサムな従兄の敬蔵さんに似てなかなの美人になっていた。

私はこの年の誕生日には、44歳になろうとしていた。

啓助おじさんは84歳で、私とは40歳離れていた。

私父は75歳であった。

従弟の利男の二人の娘は、すでに高校3年と1年であった。

従弟は20歳で同じ年の女子と恋愛結婚していた。

私の古い日記には従弟の18歳の時の二人の恋愛の経緯が書かれていたことを、懐かしく思い出した。

「その日記、俺に譲っくれ」利男に懇願されたけど、日記には私の初恋のことも記載されていたので、それを断った。

従姉の春江さんは17歳で結婚して、今は、若いおばさんになっていたのだ。

伯父にとって、ひ孫が4人いることに。

春江さんの夫は従兄であり、敬蔵さんは60歳にしては若々しいかった。

私も16年後には敬蔵さんの年齢なのかと思ってみる。

多起男ちゃんは妹の子供と竹馬で遊んでいた。

弔辞を述べた人は婦人は81歳であったが、とてもそうは見えなかった。

聞けば元小学校の先生だった。

檀徒総代の姫城豊さんがついで弔辞を述べた。

髪を伸ばしいるが坊さんが読経を唱える。

寺は禅宗の法上院であった。

葬儀の後に、我々(父、姉、私)の香典が何処にもないと利男が言うのだ。

結局、見つかったのだが、気分がよくなかった。

家族は初七日で寺へ行く。

結局、5時3分の電車で帰るが、もう少し亡き母の故郷・沼田に留まることできのだった。

帰りは別れて姉は、従姉の乳がんで入院する浪江ちゃんに会いに行くのだ。

気の毒にも、浪江ちゃんは8年前の乳がん再発していた。

従弟の利男が車で沼田駅で送ってくれた。

老人クラブの前の道から、国道へ出る道が出来ていた。

この道は、細い農道を広げたものだ。

西の空が晴れて、子持山が見えていた。

私も、子ども心にも憧れた美しい浪江ちゃんに会いにゆくべきだった。

沼田・薄根(町田町)には何年後に来られるか?

心の余裕が欲しかった。

駅前の店で、沼田の地酒を買って、車内で父と飲んで埼玉・大宮の自宅に帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 


変化を好まない

2023年10月19日 12時44分54秒 | 創作欄

他のお客を接待しているのにマコはスーさんが入店すると「待ってたの」と目で告げるような視線を向ける。

そして、席を立ったマコはママに頼みこんで、マコは我々の席にやっくる。

「マコちゃんは、何時もスーさんの脇の席がいいのね」とママは苦笑する。

ママの次女で元映画の子役俳優だった貴さんがマコの代わりに先客を接待する。

私はそのクラブに、しばしば鈴木和男から接待されるばかりだった。

皮肉なことにスーさんはママの長女に惚れ込んでいたのだ。

鈴木和男は、3人で始めた企業が発展して、10人になった時に社を自ら去ってゆく。

皆で「辞めるな」と説得したのに、聞く耳を持たなかったのだ。

「変化を好まないのです」と鈴木が私に本音を明かす。

私も社会や環境、人間関係の変化に順応できない質なので「そうですね」と彼の立場を容認する。

 

 

 

 


芸術・文化は、その地や国を知るための「窓口」でもある

2023年10月19日 11時01分50秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼あらゆる差異を超え、人間と人間を結ぶものは何か。

芸術や文化の交流によって、民族間の相互理解を深めることだ。

▼政治や経済といった次元の交流だけでは、時に対立を招きかねない。

相互理解を深める芸術・文化の交流を通してこそ、人々は結ばれ、国と国に架け橋が築かれる。

▼芸術・文化は、その地や国を知るための「窓口」でもある。

言葉が通じなくても、芸術・文化を通して、たちまち心を通わせることができる。

▼芸術は、精神を刺激し、魂を開放し、新たな世界に目を開かせてくれる。

芸術に親しむのに、知識や言語は必要ではない。

ただ素直に五感で受け止めればいい。

本当に美しいものに触れた時、人は感動し、感謝する。

互いの文化に敬意を抱く中で、人間を隔てていた心の壁や国境を越え、平和と調和がもたらされる。

▼自分だけの幸福も自分だけの不幸はない。

誰かと必ずつながっている。

お互いを思いやり、感謝し合い、成功を喜びあってこそ、世界は一つになれる。

そうしたメッセージを届けることもまた、文化・芸術を担う人々大切な使命ではないだろうか。


「友だちから」自由になる

2023年10月19日 11時01分50秒 | 社会・文化・政治・経済
 
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「友だち」から自由になる (光文社新書 1222)
</form>

石田 光規 (著)

◎内容

そもそも「友だち」とはどんな人間関係を指すのか? 現代社会を生きる私たちの友人関係は、あらかじめ「友だち」という枠を当てはめ、そこに合うように関係の中身を調整することで成り立っている。古代ギリシアの時代から、歴史的に「友だち」がいかに変質してきたかを示し、それでもなお現代に成立しうる友情について考える。SNSやリモートが当たり前になった現代人のためのまったく新しい友情論。

**************************

◎目次

はじめに

第一章 変わりゆく「友だち」

第二章 友だちには本音を言えない

第三章 会えなくてもつながる友だち

第四章 コスパで決める友だちづきあい

第五章 「形から入る友人」関係を超えて

あとがき

主要参考文献

**************************

◎著者プロフィール

石田光規(いしだみつのり)

1973年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。

著書に、『友人の社会史──1980-2010年代 私たちにとって「親友」とはどのような存在だったのか』(晃洋書房)、『孤立の社会学──無縁社会の処方箋』『つながりづくりの隘路──地域社会は再生するのか』『孤立不安社会──つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖』(以上、勁草書房)。

近著に、『「人それぞれ」がさみしい──「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(ちくまプリマー新書)

 

日本社会における人間関係は、仕事やライフスタイルなどの世界全般が「集団ベース」から「個人ベース」へと変わった。

1980年代までは、地域のつながり、親族間のつながり、会社のつながりなどの固定的な人間関係が存在していた。

こうしたつながりは、困った時に助けを求められるセフティーネットの役割も担ってきたが、煩わしさや閉塞感をもたらすものともされた。

人間関係が流動的になるにつれ、重要性を増してきたのが「友人」の存在だ。

今やSNSを使えば、趣味が一緒の友人や恋人を比較的容易に探すことができる。

付き合う相手を自由に選べる社会は、「誰からも選んでもらえないリスク」を伴うことがある。

今の大学生は、友だちとの衝突を避けているようになった。

とにかく友人を気遣いながらコミュニケーションを取っている。

中には、無理して気を遣っている。

コミュニケーション能力の高い学生は、人付き合いに苦労することなく、充実した生活を送る一方で、コミュニケーションが苦手な学生は、人付き合いがうまくいかず、孤独感を抱えている。

中には、人付き合いに疲れてしまい、SNSのアカウントを削除するなど、極端な行動に走る人もいる。

サポーター意識と孤独感には、一定の関係性があるだろう。

過去に何かしらのサポートを受けた経験を持っている人は、サポートの大切さを実感しており、孤独感を抱きづらい。

逆に、サポート意識のない人の多くは、サポートや相談に対する意識が低い、または不信感を抱いている場合が多い。

孤独感の高い人は、過去に、人間関係や経済的なトラブル、失業といったネガティブな経験をしている人が多いことが明らかになっている。

困った時に助けられた経験があるかないかは、孤独、孤立を防ぐ上で違いがある。

声かけなどちょっとし工夫であっても、効果はあるだろう。

安定的な人間関係を担保するコミュニティーの価値はより見直さるだろう。

 
なるほどなと思った、「閉じられたやさしさ」。
SNSでの強烈な発言とは別に、身の回りでは最近増えていると思う。
昭和のおじさんの自分には「開かれたやさしさ」しかなかった。
やさしさ、なんて綺麗なもの、穏やかなものではなかったと思う。
相手が傷つくことも知らずに、言いたいことを正面から言ってきたと思った。
Reviewed in Japan on October 22, 2022
 
友人とか友情について昔から現在のコロナ禍まで考察がされていて、大変興味深く読みました。
特に何故会社が社員旅行などをしていたのかよく分かりました。昔は作物を作ったりする小さな固定された集団で生活していたので、友達はいてもいなくてもつながりがあったし強制力がある程度あったのに対し、戦後そう言う第一次産業は廃止されるような傾向になって、会社がそのつながりを提供する必要があった。しかし、現代はその強制力さえなくなり、我々は自らつながりを求めなければならなくなった。コロナ禍がよりつながりの強制力を少なくしたとのこと。

しかし、タイトルから、友達がいなかったり、友人関係で悩んでいる人がこの本を読んで何か得るものが欲しいと購入してしまいそうな気がしました。そのようなことは最後の方に少し述べられているだけで、それも、現時点で悩んでいる人にヒットするとは思いません。

あくまで友情論のような、一般的な内容です。そこをちゃんと書かないといけないと思いました。帯にも大切なのは友達がいるいないと言うことではないと書かれているのですが、それは本の最後に書かれているだけの話です。この本を読んで、そっか!自分は友達がないけど元気に生きていこう!と思える内容ではありません。
 

後半が、自己啓発本的内容に傾いている。
どうやらこの著者は友達がいない人は皆可哀想と思っているか、あるいは友達がいないことは総じて辛いことだと思っているらしい。
客観的な記述をふるまいながらそんな筆者の思想が(特に後半の)文章から隠しようもなくにじみ出ている。
 『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマー新書)や『孤立不安社会』(勁草書房)のような本を書く筆者には、友達がいないことが「さみしい」ことで「不安」をもたらすものだという考え方しかできないのだろう。
友達のいない人に対するこのような一方的把握から「友だちはいなくてもいいんだよ」的な励ましなど無効だ。
 「そうか!友だちなんていなくてもよかったんだ!」的な軽薄な自己啓発をこの本から無意識裡に求める、自己啓発本ばかり愛読しているような人たちには、文章からにじみ出る著者の友だち観の偏向に抵抗を示さずに、あるいはそんな著者の友だち観の滲出など看過して/できてしまうのだろうが、著者の友だち観には反発を抱かざるを得ない。
友達がいないことで多くの人が「さみしさ」を抱いているというのならそれは何故なのか。
何故友だちの不在が「さみしさ」に結び付く傾向があるのか。
友だちの不在を肯定するのならば、それは友だちの不在と「さみしさ」の理論的切断の上に展開してほしいものである。

(それでも斜めからものを言ってきたこともたくさんある)
全体的に良い本であったと思う。
そんなに気張らず淡々と過ごせばいいのではないのだろうか。
これまで十分気張ってきたのだから。
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