好運」にも「不運」にもとらわれずに、超越していく方向性が、人間としての意識の成長・進化なのだ。よくよく近づいてみれば、「幸運の女神」は誰にもほほえみかけている。ただ、「好運だ」「不運だ」とすったもんだしているうちは、その微笑みにも気づくことはできない。
出会う人すべて、出会う出来事のすべてに、無理なく、ごく自然に、感謝の念が湧いてきたときに、「幸運の女神」の熱い抱擁が待っているだろう。
あせることはない。死ぬまでに一歩でもそれに近づけばよしとしよう。 p.203
先日読んだ「本番に強くなる」(白石豊著)でおすすめされていた本を読んだ。
「運命の法則」(天外伺朗著)である。
その中で一番学びになった部分が上記の文である。
天外伺朗氏は、SONYの技術者でバリバリの科学者である。その方が書いたこの本には、現代科学では立証しにくい内容を書いている。オカルトと言ってもよいかもしれない。
ただ、読んでいくと、なんとなく理解できそうなのである。
例えば、次の文は、なんとなくそんなものなのかもしれないと思う。
今の私は、「大河の流れ」のようなものをかすかに感じている。「フロー」としての流れではない。それよりはるかに大きく、目に見えないところで、滔々と流れている運命の流れだ。
(中略)
おぼろげながらも、この「大河の流れ」が見えてくると、「カルマの法則」など自然に気にならなくなってくるのだ。
p.156
「大河の流れ」は、自分にはまだ見えない。しかし見えるようになりそうな気もする。
読み手を選ぶ本かもしれない。
私には学びの多い本だった。人間関係や働き方について心がけポイントがたくさんあったからである。
出会う人すべて、出会う出来事のすべてに、無理なく、ごく自然に、感謝の念が湧いてきたときに、「幸運の女神」の熱い抱擁が待っているだろう。
あせることはない。死ぬまでに一歩でもそれに近づけばよしとしよう。 p.203
先日読んだ「本番に強くなる」(白石豊著)でおすすめされていた本を読んだ。
「運命の法則」(天外伺朗著)である。
その中で一番学びになった部分が上記の文である。
天外伺朗氏は、SONYの技術者でバリバリの科学者である。その方が書いたこの本には、現代科学では立証しにくい内容を書いている。オカルトと言ってもよいかもしれない。
ただ、読んでいくと、なんとなく理解できそうなのである。
例えば、次の文は、なんとなくそんなものなのかもしれないと思う。
今の私は、「大河の流れ」のようなものをかすかに感じている。「フロー」としての流れではない。それよりはるかに大きく、目に見えないところで、滔々と流れている運命の流れだ。
(中略)
おぼろげながらも、この「大河の流れ」が見えてくると、「カルマの法則」など自然に気にならなくなってくるのだ。
p.156
「大河の流れ」は、自分にはまだ見えない。しかし見えるようになりそうな気もする。
読み手を選ぶ本かもしれない。
私には学びの多い本だった。人間関係や働き方について心がけポイントがたくさんあったからである。