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いじめのニュースを知ると

2015年07月18日 | 家庭教育
 岩手県で、中学2年の男子生徒が、自殺をした。いじめをうかがわせる内容をノートに記していた。

 この子は、孤独だったのだろうと思う。

 孤独というのは、一人でいるときに感じるものではない。

 誰かと一緒にいるときに、感じるものである。一緒にいる誰かに、理解してもらえなかったり、共感してもらえなかったりするときに感じるものである。

 学校にいるときに、いじめていることのつらさを共感できる友達や、相談できる先生もいなかったのだろう。

 おそらく荒れている中学校であったのだろう。荒れている環境の中、周りの人たちも、いじめている事実に対して何か手を打っていたかもしれない。しかし、責任はある。自殺した子の同級生や先生達は、救えなかった罪悪感をこれからずっと背負っていくだろう。

 

 そして、マスコミは、学校や教育委員会ばかりを責めているが、もう一人大きな責任がある人がいる。



 それは、「親」である。保護者である。


 いじめを受けていたとき、自殺した子は家でもいじめに気づいてもらえずに、家でも孤独感を味わっていたであろう。

 いじめを受けていたことの異変を自殺するまで気づかなかった責任は大きい。

 いじめを受けた場合の対処法を教えていなかった責任も大きい。

  

 ただ、その分、今一番つらい思いをされているのは保護者である父親であろう。

 子供を失ったつらさは、想像を絶するものがある。


 いじめの事件のニュースを聞く度に、今自分は親としてできることはないかを考える。
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