いまだに貸家住まいである。
これまでも何回か引っ越しをしてきた。
時々、以前住んでいた家の横を通ることがある。
すると、その時の情景が次々と浮かんでくる。
まだ長男と長女が小さくて、
「夏は、庭でビニールプールの中で水かけっこをして遊んでいたなあ」とか、
「この小道で年長さんだった長女が自転車の乗る練習をしたなあ」とか、
「家の前の田んぼでは、お正月に凧揚げをしたなあ」とか、
その当時は、ごく当たり前の日々だったが、そのどれもが今は懐かしい思い出である。
当たり前だけれども、今このときも、数年後には懐かしい思い出になることだろう。
平凡な日々だけれども、大事な毎日である。
こんなことを書いたのは、昨日の産経新聞「朝晴れエッセー」を読んだからである。
タイトルは、「空っぽの部屋 3月30日」
書いたのは、東京都中野区の63才男性
転勤族だったこの方は、昨年3月に退職して社宅から退去し、最後の引っ越しを終えた。
新婚で入居した社宅の思い出
子育てに明け暮れた社宅の思い出
そして、最後の社宅での思い出が綴ってあった。
それぞれの社宅には、その時その時の大切な思い出が詰まっていることだろう。
次の言葉が心に残った。私も同じことをしていたからである。
空っぽの部屋にはその時々のさまざまな思い出が染み付いていた。退去の時はいつも「お世話になりました」と部屋にお辞儀をして鍵を閉めてきた。最後の引っ越しの時も同じことをした。
空っぽの部屋が目に焼き付いた。
この「朝晴れエッセー」おすすめです。