今日の「お気に入り」は、漢詩を一篇。
題鶴林寺 鶴林寺に題す 李渉
終日昏昏醉夢間 終日 昏々として睡夢の間
忽聞春盡強登山 忽ち春の尽くるを聞き 強って山に登る
因過竹院逢僧話 竹院を過(よ)ぎるにより僧に逢って話すに
又得浮生半日閑 又得たり浮生半日の閑
(現代語訳)
一日じゅう、酔生夢死の言葉さながら何もせずぼやっと過していたが、
ふと春はもうおしまいだなという声を聞いて驚き、むりに気をひき立たせて山に登っていった。
たまたま竹林寺を通りかかったので、立寄って坊さんの話を聞いたところ、
気持がすっとして、この束の間の人生のなかでひとときのんびりした半日を過したことであった。
読み下し文、現代語訳ともに、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。
結句である「又得たり浮生半日の閑」によってこの詩は昔から愛誦され、芭蕉の句「半日は神を友にや年忘レ」や
蕪村の句「半日の閑を榎やせみの声」は、この李渉の詩を念頭に置いたものだそうです。
題鶴林寺 鶴林寺に題す 李渉
終日昏昏醉夢間 終日 昏々として睡夢の間
忽聞春盡強登山 忽ち春の尽くるを聞き 強って山に登る
因過竹院逢僧話 竹院を過(よ)ぎるにより僧に逢って話すに
又得浮生半日閑 又得たり浮生半日の閑
(現代語訳)
一日じゅう、酔生夢死の言葉さながら何もせずぼやっと過していたが、
ふと春はもうおしまいだなという声を聞いて驚き、むりに気をひき立たせて山に登っていった。
たまたま竹林寺を通りかかったので、立寄って坊さんの話を聞いたところ、
気持がすっとして、この束の間の人生のなかでひとときのんびりした半日を過したことであった。
読み下し文、現代語訳ともに、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。
結句である「又得たり浮生半日の閑」によってこの詩は昔から愛誦され、芭蕉の句「半日は神を友にや年忘レ」や
蕪村の句「半日の閑を榎やせみの声」は、この李渉の詩を念頭に置いたものだそうです。