今日の「お気に入り」は山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ジャーナリストというのは、文章を売買する商売である。そして私は、文章は売買してはならぬものだと心得ていた。」
「ジャーナリズムが売買するのは、いま支配的な、あるいは近く支配的になりそうな説だけである。」
「よく売れる本、大勢に喜ばれる言論は、喜ばれることをあてこんで書いたものである。むろんお金をもらうのだから、その言論はスポンサー(ひも)つきである。
個々にひもがついていると言うのではない。売買して、言論だけが金銭の束縛からまぬかれることはできないと言っているのである。
一方、巨万の読者は、強く作者を束縛する。作者はむしろ嬉々として束縛され、迎合しているのに、ほとんどその自覚がない。ひもつきだといわれると、怪しむほどである。
大新聞にたのまれて、その新聞の気にいらぬことを書く馬鹿があろうか。それを敢えて書いて、敢えてのせて、さすが良心的な文化人だ、新聞だと、思い思わせることがあるが、八百長である。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「ジャーナリストというのは、文章を売買する商売である。そして私は、文章は売買してはならぬものだと心得ていた。」
「ジャーナリズムが売買するのは、いま支配的な、あるいは近く支配的になりそうな説だけである。」
「よく売れる本、大勢に喜ばれる言論は、喜ばれることをあてこんで書いたものである。むろんお金をもらうのだから、その言論はスポンサー(ひも)つきである。
個々にひもがついていると言うのではない。売買して、言論だけが金銭の束縛からまぬかれることはできないと言っているのである。
一方、巨万の読者は、強く作者を束縛する。作者はむしろ嬉々として束縛され、迎合しているのに、ほとんどその自覚がない。ひもつきだといわれると、怪しむほどである。
大新聞にたのまれて、その新聞の気にいらぬことを書く馬鹿があろうか。それを敢えて書いて、敢えてのせて、さすが良心的な文化人だ、新聞だと、思い思わせることがあるが、八百長である。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)