今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「耳に熟した言葉を青少年が知らなくなったのは、親たちが使わなくなったからである。選んで私が使うのは、何度も言うが、戦災で日本中がまる焼けになったからである。
家が焼けると家財道具も共に焼ける。日本の家と家財には、日本の過去がきざまれている。それがなくなると、それにまつわる過去もなくなる。残るは言葉のみである。言葉だけでわずかに伝統とつながるなら、耳になれた言葉は大切にしなければならない。だから、いま使わなければ、近く使えなくなると知って、私は使っているのである。
私は大正に生れ、昭和に育った。元来無学な私ごときが知るほどの字句だもの、どなたもご存じのはずなのに、すでに半ば通じないのは、親が子に、先生が生徒に従うからである。娘がおトイレと言えば、親たちまでおトイレと言う。手水場は自ら禁じて使わないから、子は知らない。
そのくせこの親たちは、ことごとに世代の相違を言う。わが子が知らないのは、伝えなかったから当然ではないか。他人の子が知らないのも同じなのに、あきれたふりをして、世代の断絶を痛感したなどと言う。あんなものが断絶だろうか。単なる無知で、それも自分たちが育てたのではないか。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
「耳に熟した言葉を青少年が知らなくなったのは、親たちが使わなくなったからである。選んで私が使うのは、何度も言うが、戦災で日本中がまる焼けになったからである。
家が焼けると家財道具も共に焼ける。日本の家と家財には、日本の過去がきざまれている。それがなくなると、それにまつわる過去もなくなる。残るは言葉のみである。言葉だけでわずかに伝統とつながるなら、耳になれた言葉は大切にしなければならない。だから、いま使わなければ、近く使えなくなると知って、私は使っているのである。
私は大正に生れ、昭和に育った。元来無学な私ごときが知るほどの字句だもの、どなたもご存じのはずなのに、すでに半ば通じないのは、親が子に、先生が生徒に従うからである。娘がおトイレと言えば、親たちまでおトイレと言う。手水場は自ら禁じて使わないから、子は知らない。
そのくせこの親たちは、ことごとに世代の相違を言う。わが子が知らないのは、伝えなかったから当然ではないか。他人の子が知らないのも同じなのに、あきれたふりをして、世代の断絶を痛感したなどと言う。あんなものが断絶だろうか。単なる無知で、それも自分たちが育てたのではないか。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)