今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを『茶の間の正義』と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。」
「すわると場あとる――と、戦前の子供たちはひそひそ笑ったものだ。ふとった中年の婦人のことで、こころは、電車やバスですわると、二人分の席を占めるというほどのことである。このたぐいに、『押すとあん出る』というのがある。大福かあんパンのことかと思う。テレビの朝のショーを見て、久々に私はこれを思い出した。泣くと思うと、はたして泣く。笑うと見ると、はたして笑うから、押すとあん出るを思い出したのである。」
「我々の創造力は貧しく、モデルがなければ何も出来ない。テレビはラジオを手本にした。ラジオは新聞を手本にした。すなわち、本家本元は新聞で、朝のショーは新聞の紙面そっくりである。
政財界の腐敗を論じて、説教臭あるお話は「社説」に似ている。当人又は目撃者が登場するニュースは、迫真の社会面である。利息の分離課税についての解説は、さしずめ経済欄である。歌と踊りは演芸欄で、随所に出没するコマーシャルは、広告欄に当ろう。ついに身上相談まである。」
「人間万事まねの世の中だと、再び言わなければならないのは残念だが、形をまねれば心も似る。テレビが庶民ぶるのは新聞の模倣である。」
「茶の間の正義、茶の間のウソは新聞がモデルである。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
「テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを『茶の間の正義』と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。」
「すわると場あとる――と、戦前の子供たちはひそひそ笑ったものだ。ふとった中年の婦人のことで、こころは、電車やバスですわると、二人分の席を占めるというほどのことである。このたぐいに、『押すとあん出る』というのがある。大福かあんパンのことかと思う。テレビの朝のショーを見て、久々に私はこれを思い出した。泣くと思うと、はたして泣く。笑うと見ると、はたして笑うから、押すとあん出るを思い出したのである。」
「我々の創造力は貧しく、モデルがなければ何も出来ない。テレビはラジオを手本にした。ラジオは新聞を手本にした。すなわち、本家本元は新聞で、朝のショーは新聞の紙面そっくりである。
政財界の腐敗を論じて、説教臭あるお話は「社説」に似ている。当人又は目撃者が登場するニュースは、迫真の社会面である。利息の分離課税についての解説は、さしずめ経済欄である。歌と踊りは演芸欄で、随所に出没するコマーシャルは、広告欄に当ろう。ついに身上相談まである。」
「人間万事まねの世の中だと、再び言わなければならないのは残念だが、形をまねれば心も似る。テレビが庶民ぶるのは新聞の模倣である。」
「茶の間の正義、茶の間のウソは新聞がモデルである。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)