「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・05・27

2005-05-27 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「転売の精神は闇から生まれた。戦前は、たとえば呉服屋が砂糖で儲けるのは恥とされた。儲けるのは自分の商売にかぎるとされた。他人の商売で利得する――隣家が空家になって、それを知人に世話して、周旋料をとるが如きはなかった。
 物資の貧困は、精神の貧困を招く。我々は余儀なく呉服屋から砂糖を買った。彼は当然利得した。しかも本来扱わない商品を、好意で譲ってやると称し、砂糖と共に恩も売って、二重の快をむさぼった。
 たぶんそれを忘れかねたのであろう。爾来、人は他日それを売ることを考えなければ、買わなくなった。闇はこの呉服屋ばかりでなく、のちに万人がするところとなったから、この風は全国に瀰漫した。
 当人は、その家が気にいったから買うのだと思っているが、実は他日それを買うであろう客の好みの指図を受けている。たとい巨万の富をもって、自在に散財しても、この当人を裕福とみなすわけにはいかない。彼は潜伏する何者かに操られる傀儡にすぎない。
 戦中戦後の闇は、われわれの心をいたく腐蝕した。もう戦後ではないというが、闇の精神は、われわれのもとの精神といれかわってしまった。」

 「何用あってか知らぬが、昨今の旦那は高級車でかけずり回り、株を買い、土地を買い、女を買い、リビング・キチンと茶室を一しょくたに建て、たちまち売りはらってまた建てるが如くである。
 建築の意匠化を非難する人がある。建主はそこで余生を送ろうというのに、建築家が自己を主張しすぎて、デザインばかり珍奇にして、迷惑だというのである。果してそうか。
 ながくて十年、とある若い建築家は断言した。十年後に建主はそこには居ないのだから、五年間をただで住むつもりなのだから、これでいいのだというのである。
 ひとり片っぽばかりでなく、双方一しょに堕落して、はじめて本式の堕落である。それは戦後顕著だといったが、病根は古く、深い。『大黒柱』というものが無くなって久しい。」

   (山本夏彦著「日常茶飯事」所収)


 この短い文章の中に、こんにち使われることが少なくなった日本語が沢山あります。「周旋料」、「爾来」、「瀰漫」、「傀儡」、「大黒柱」、・・・・・・。
コメント
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