今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「向田邦子一周忌」と題した昭和57年のコラムの一節です。
「目黒駅前に『バタビヤ』というカフエがある。禮子はそのバタビヤの女給で門倉の二号である。やがて門倉の子を生む。門倉と仙吉は『目黒キネマ』の横手の屋台に腰かけて酒くみかわしたことがある。目黒キネマは実在しただろうが、バタビヤは架空だろう。それにしてもカフエの名にバタビヤとはいかにもその当時らしい。
二号の禮子が門倉の子を生んだと思ったら、仙吉の父初太郎が死んだ。その通夜はにぎやかだった。初太郎を知りもしない仙吉の勤先の男たちや、門倉の会社の連中が来た。さと子はお燗番をして台所へ立ったときラジオのニュースを聞いた。勢よく蛇口をひねって水をだしていたから南京特電、蒋介石、柔軟なる和平外交で臨みたいなどの言葉がきれぎれに聞えただけだった。盧溝橋事件が起きたのは、この半年あとだと作者はやっともらしている。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「目黒駅前に『バタビヤ』というカフエがある。禮子はそのバタビヤの女給で門倉の二号である。やがて門倉の子を生む。門倉と仙吉は『目黒キネマ』の横手の屋台に腰かけて酒くみかわしたことがある。目黒キネマは実在しただろうが、バタビヤは架空だろう。それにしてもカフエの名にバタビヤとはいかにもその当時らしい。
二号の禮子が門倉の子を生んだと思ったら、仙吉の父初太郎が死んだ。その通夜はにぎやかだった。初太郎を知りもしない仙吉の勤先の男たちや、門倉の会社の連中が来た。さと子はお燗番をして台所へ立ったときラジオのニュースを聞いた。勢よく蛇口をひねって水をだしていたから南京特電、蒋介石、柔軟なる和平外交で臨みたいなどの言葉がきれぎれに聞えただけだった。盧溝橋事件が起きたのは、この半年あとだと作者はやっともらしている。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)