今日の「お気に入り」は、作家水上勉さんの「親子の絆についての断想」と題した五章から成る文章の最後の章の一節です。
「私は以上のような過去と、現在をのべて、子供だったころの親への思いと、父親になってからの子への思いを正直にのべたつもりである。読んでわかってもらえるかどうか。私の事情は、友人知己の事情とくらべていくらか波瀾にとんでいるといえぬでもない。しかし、波瀾にとむのは、私だけではないのだった。六十歳ともなれば、大正初期の生誕ゆえ、米騒動、シベリア出兵、上海事変、満州侵略、中日戦争、太平洋戦争、敗戦―飢餓、朝鮮事変、特需景気、神武景気、高度成長、省エネルギー時代と、この国の動乱につきあっているのである。親子の事情もそれぞれ異って波瀾は必定で、私以上の苦惨、どころか、いまだに、生死の消息がつかめず、探し求めておられる親子もあるはずである。私の年齢では、親子の絆という問題を考えると、そういう不幸な時代を背景にして、必死に生きもがいた親子のことに思いがゆき、また、自分自身にも思いがゆくので、今日のたとえば、親子がいつもそろって、かりに、長期ローンで買求めた家にせよ、一つの電燈の下に居間があって、食器や食器棚にめぐまれ、電気洗濯機や、冷暖房機がうなって、快適な生活がいとなまれている、この国のいわゆる『中流』といわれる家庭から、親と子の絆について、しきりに問いが投げかけられているときけば、この上何がほしいのかと不思議に思うのである。ぜいたくなことを云っちょるわい、という思いがしないでもないのである。ひょっとしたら、人々は、貧困という恵みから遠ざかったため、大事な心をとりこぼしての不安かと思う。私もいまはその一人である。口はばったいことはいえない。人間というものは、寒く凍えてくれば、軀をよせ合うものだが、冬でも、夏のように暖房してくらせば、軀をはなすのである。どっちに、親と子の絆がその幼少期にふかく根をおろすかは云わでものことだ。さらに、いえることは、盲目の祖母にしても、足萎えの子にしても、人びとは、嘗て『家』を施設として、一しょにくらし、ファミリーで面倒を見た(私の生家は貧困だったがそうだった)ものが、いまはこれを『役所』にゆだねて、『施設』をつくらせ役所に手のとどかぬところがあれば、代表を選出して、自分のために手のとどくようにたくらむ時節となった。自分で手をよごすことが不幸だという価値観なら、こんな生活から親と子のつむぎ出す光りのようなものは、消えるだろう。少なくとも、私だけは、そういう考えがあるから、人をつかって何々するとか、役所に世話をやかせるということだけは慎しみたい、と必死に生きている。子にのこすものがあるとすれば、そういう考え(精神といってもいいか)しかないではないか。物なんてものは、いつか無くなるものだから。永くのこるのは心しかない。」
(山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)
「私は以上のような過去と、現在をのべて、子供だったころの親への思いと、父親になってからの子への思いを正直にのべたつもりである。読んでわかってもらえるかどうか。私の事情は、友人知己の事情とくらべていくらか波瀾にとんでいるといえぬでもない。しかし、波瀾にとむのは、私だけではないのだった。六十歳ともなれば、大正初期の生誕ゆえ、米騒動、シベリア出兵、上海事変、満州侵略、中日戦争、太平洋戦争、敗戦―飢餓、朝鮮事変、特需景気、神武景気、高度成長、省エネルギー時代と、この国の動乱につきあっているのである。親子の事情もそれぞれ異って波瀾は必定で、私以上の苦惨、どころか、いまだに、生死の消息がつかめず、探し求めておられる親子もあるはずである。私の年齢では、親子の絆という問題を考えると、そういう不幸な時代を背景にして、必死に生きもがいた親子のことに思いがゆき、また、自分自身にも思いがゆくので、今日のたとえば、親子がいつもそろって、かりに、長期ローンで買求めた家にせよ、一つの電燈の下に居間があって、食器や食器棚にめぐまれ、電気洗濯機や、冷暖房機がうなって、快適な生活がいとなまれている、この国のいわゆる『中流』といわれる家庭から、親と子の絆について、しきりに問いが投げかけられているときけば、この上何がほしいのかと不思議に思うのである。ぜいたくなことを云っちょるわい、という思いがしないでもないのである。ひょっとしたら、人々は、貧困という恵みから遠ざかったため、大事な心をとりこぼしての不安かと思う。私もいまはその一人である。口はばったいことはいえない。人間というものは、寒く凍えてくれば、軀をよせ合うものだが、冬でも、夏のように暖房してくらせば、軀をはなすのである。どっちに、親と子の絆がその幼少期にふかく根をおろすかは云わでものことだ。さらに、いえることは、盲目の祖母にしても、足萎えの子にしても、人びとは、嘗て『家』を施設として、一しょにくらし、ファミリーで面倒を見た(私の生家は貧困だったがそうだった)ものが、いまはこれを『役所』にゆだねて、『施設』をつくらせ役所に手のとどかぬところがあれば、代表を選出して、自分のために手のとどくようにたくらむ時節となった。自分で手をよごすことが不幸だという価値観なら、こんな生活から親と子のつむぎ出す光りのようなものは、消えるだろう。少なくとも、私だけは、そういう考えがあるから、人をつかって何々するとか、役所に世話をやかせるということだけは慎しみたい、と必死に生きている。子にのこすものがあるとすれば、そういう考え(精神といってもいいか)しかないではないか。物なんてものは、いつか無くなるものだから。永くのこるのは心しかない。」
(山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)