今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「歌舞伎」と題した昭和56年のコラムの一節です。
「客が西洋人なら歌舞伎座に案内して歓待したつもりになる日本人がまだいる。西洋人はたいていワンダフルと言ってくれるから喜んでいるときめて、またその西洋人が高位高官だと楽屋につれていって、戦前なら六代目菊五郎戦後なら中村歌右衛門に会わせて、にっこり笑ったところを写真にとっていよいよサービスしたつもりになる日本人がいる。
役者は商売だから笑って握手するが、西洋人ともどもさぞかし迷惑だったことだろう。手を握ると白粉がはげるから、こういうときは握るまねをするのが礼儀で、ジャン・コクトオだか誰だか忘れたが、その有名人は握るふりをしたので、六代目は感心したと読んだことがある。あとでその名士は『死ぬほど退屈!』と歌舞伎を評したそうだ。珍しく正直な言葉なのでおぼえている。
日本人にとっても難解で退屈な歌舞伎が、西洋人に退屈でないはずがない。第一案内の日本人だってちんぷんかんぷんなのではないか。
江戸時代から明治の末まであんなに面白くてためになった芝居が、どうしてこれほどつまらなくまた難解になったのだろう。私たちは西洋人に近くなったのだろうか。そもそも歌舞伎が面白くなくなったのはいつからか、私はそれをなが年知りたく思っている。
何をかくそう私も歌舞伎は分らないほうで、ずいぶん見物しないではないが、腑におちて面白かったのは、極言すれば『寺子屋』だけである。これは七度や八度は見ている。世界中どこへ出しても恥ずかしくない狂言である。ほかに楽しんでみたものは希である。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「客が西洋人なら歌舞伎座に案内して歓待したつもりになる日本人がまだいる。西洋人はたいていワンダフルと言ってくれるから喜んでいるときめて、またその西洋人が高位高官だと楽屋につれていって、戦前なら六代目菊五郎戦後なら中村歌右衛門に会わせて、にっこり笑ったところを写真にとっていよいよサービスしたつもりになる日本人がいる。
役者は商売だから笑って握手するが、西洋人ともどもさぞかし迷惑だったことだろう。手を握ると白粉がはげるから、こういうときは握るまねをするのが礼儀で、ジャン・コクトオだか誰だか忘れたが、その有名人は握るふりをしたので、六代目は感心したと読んだことがある。あとでその名士は『死ぬほど退屈!』と歌舞伎を評したそうだ。珍しく正直な言葉なのでおぼえている。
日本人にとっても難解で退屈な歌舞伎が、西洋人に退屈でないはずがない。第一案内の日本人だってちんぷんかんぷんなのではないか。
江戸時代から明治の末まであんなに面白くてためになった芝居が、どうしてこれほどつまらなくまた難解になったのだろう。私たちは西洋人に近くなったのだろうか。そもそも歌舞伎が面白くなくなったのはいつからか、私はそれをなが年知りたく思っている。
何をかくそう私も歌舞伎は分らないほうで、ずいぶん見物しないではないが、腑におちて面白かったのは、極言すれば『寺子屋』だけである。これは七度や八度は見ている。世界中どこへ出しても恥ずかしくない狂言である。ほかに楽しんでみたものは希である。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)