今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「向田邦子一周忌」と題した昭和57年のコラムの一節です。
「『あ・うん』を読むのはこれで二度目である。私は向田邦子を名人だと書いたことがある。
(略)これまであげたこの人のコラムはすでに一度読んだものばかりである。それなのに再び単行本で読んで初めて読む心地がする。前に気がつかなかったことをあらたに発見する。だから一両年たったらもう一度読みたい。そのときも全く新しく読む気がするだろう。こうしてみると文章の才というものは天賦のものらしい。向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。この人のコラムはこの週刊誌の宝である。(『諸君!』55年11月号)
この週刊誌というのは『週刊文春』のことで、向田邦子はここに二ページ見開きのコラムを何年か書いて、その連載中に死んだのである。それがこの週刊誌の宝だと言ったのだから、これ以上のほめようはない。私は悪く言うばかりでなくほめるのである。ほめるときは遠慮会釈なくほめるのである。ただしその作者があとで裏切りはしないかと心配することはある。むろん向田邦子にはそんなことはなかった。さらに発見するところがあるのだろうと言った通り、それはあったのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「『あ・うん』を読むのはこれで二度目である。私は向田邦子を名人だと書いたことがある。
(略)これまであげたこの人のコラムはすでに一度読んだものばかりである。それなのに再び単行本で読んで初めて読む心地がする。前に気がつかなかったことをあらたに発見する。だから一両年たったらもう一度読みたい。そのときも全く新しく読む気がするだろう。こうしてみると文章の才というものは天賦のものらしい。向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。この人のコラムはこの週刊誌の宝である。(『諸君!』55年11月号)
この週刊誌というのは『週刊文春』のことで、向田邦子はここに二ページ見開きのコラムを何年か書いて、その連載中に死んだのである。それがこの週刊誌の宝だと言ったのだから、これ以上のほめようはない。私は悪く言うばかりでなくほめるのである。ほめるときは遠慮会釈なくほめるのである。ただしその作者があとで裏切りはしないかと心配することはある。むろん向田邦子にはそんなことはなかった。さらに発見するところがあるのだろうと言った通り、それはあったのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)